Google
    
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▼ページ下 >>

夢のありか

 ( SS投稿城 )
- アクセス(93) - いいね!(3)

☆fv4evQ2JzDA ★fin1eldXX0_XIV

【夢のありか】



「お前、東京だったよな」
 五年ぶりに会った吉川は、当時からは想像も出来ないほどに丸々と太っていた。
「そうだよ、今年から」
「なんだよ、連絡しろよ」
 そういって、彼はビールを胃に流し込む。成人を待ち焦がれたかのように満足げに息を吐いて見せた彼とは、中学時代から互いの父親の酒を持ち出しては飲み明かしていた。「真新しいものでもなかろうに」、呆れつつも、久々に会っても以前のように話せることが嬉しくて、つい口元が綻んでしまう。二次会を抜け出してまで飲みたい友人といえば、俺にはこいつしかいなかった。
「武田、あいつ結婚したらしいぜ」
 吉川が言った。
「マジで?」
「一度はあの爆乳、拝みたかったよなぁ」
 中学美術部時代のアイドルは、高校を卒業してから師事していたという一回り以上も離れた絵描きに、あっさりもらわれていったらしい。吉川はビールを追加して、半分以上残ったジョッキを空にした。
「今日、武田きてなかったよな?」
「妊娠したってよ」
 俺は何も知らなかった。
「浅田も結婚したよ」
「誰だっけ?」
「顧問だよ、俺らの」
「ああ」
 絵描き仲間とは意識的に距離を置いていた。吉川からの電話がなければ、成人式の案内も無視していただろう。皆と顔を突き合わせるのが怖かった。
「吉川は、頑張ってるよな」
「普通だよ」
「いや、頑張ってるよ。沙耶のこと頼むな」
「おお、沙耶ちゃん、頑張ってるぜ」
「うん。頑張ってる」

 昨年、東京の名門美大に入った妹は、吉川の後輩にあたる。「吉川さんすごいんだよ、二年生なのに、もう教授の右腕なの」、当初連絡がきていたが、俺はどれにも返せなかった。ビールが届く。俺はそれを手にとって、一息に飲み干した。吉川が、俺のだろうがと、楽しそうに笑っている。
 やるせなかった。なぜ一浪までしたのに美大を諦めたのか、そう問わない吉川の優しさが、痛かった。こいつは、昔からそうだ。横柄で、ズボラで、直情的なバカだが、ここという一点だけは決して外さない男だった。
「大学どうよ? 経済学部だっけ」
「楽しいよ。いろんな奴いてさ」
「いろんなって?」
「一年からインターン始めてる意識高いのもいれば、毎回ノート貸せって言ってくる奴も。とりあえず何もないから文学部、って人多いと思ってたけど、うちも変わらんわ」
「お前は?」
「え?」
「お前は今なに勉強してんの?」
「何って、経済」
「そうじゃなくてさ」
 なぜ美術の道から離れたのかは聞かなくとも、どうして経済学部なのかは聞いてくる。俺には同じことのように思えても、こいつには明確に違うらしかった。きっと絵の道を諦めた理由を語っても、吉川は「聞いてねーよ」と一蹴するだろう。この意思の強さが、当時から俺には眩しくて、そして、疎ましかった。何か言いたいのをきつく堪えると、喉の奥から潰れたような音が漏れた。
 酒が回っている。腹立たしさが、じわりと開いた毛穴から痛みを伴って霧散していく。
「いや俺はさ、お前とか、沙耶とかとはさ、違うじゃん」
「聞いてねーよ」
「いや、聞いてよ」
 頼むよ、と俺は言った。思った通りの反応を見せた吉川は、眉をひそめて焼酎を追加した。
 頭がいいフリして先回りすんなよ、一人で諦めんな。
 むかし、出品目前に完成を諦めた俺の絵を前にして、吉川がそう口にしたことがある。いいよ、どうせ賞は取れないから。俺はそういって、その絵を捨てた。
「小学校卒業した時にさ、何埋めたか、覚えてる?」
「タイムカプセル?」
「そう」
「おれゲームボーイだな」
「いや、俺の話」
「絵だったよな、確か」
「そう」
 中学も一緒になった吉川を美術部に誘ったのは、俺だった。絶対に俺は運動部に入るんだと言っていた彼を無理やり引っ張って筆を持たせた。顧問の浅田が、互いの自画像を書こうと提案して、その時の吉川のペアが武田だった。
 その日のうちに、こいつは入部を決めた。二人でけらけら笑いながら帰った放課後を、今でもよく覚えている。
「お母さんと、お父さんの絵を描いたんだよ。リビングに若い時の写真があってさ」
「おお、覚えてるよ。よく出来てたよな。海のやつだろ?」
「妹の夏休みの課題でさ、両親の絵を描こうってなって。にいちゃんも描くって言って、描いた。あいつ上手くてさ、本当に、上手くて」
「うん」
「ベランダで乾かしてた」
「うん」
「夜、飯食ってて」
「うん」
「お母さんが、言ったんよ」
 沙耶、失敗してた方、捨てたからね。
 俺は、あの時の母の言葉を、どうしても口に出来なかった。小学校六年のガキにも、今思えば、それなりに自負と矜持があったらしい。捨てた母にではなく、捨てられた方は間違いなく自分の絵だと、一瞬の疑いもなかった自分自身に、愕然としていた。
 妹は、うん、と一言だけ言っていた。俺は何も言わなかった。あとになって沙耶がゴミ箱から拾ってきたが、絵の中の母親は、醜く潰れていた。
 母はそのずっと以前から、子供の戯れの中に才覚の優劣を見極めていた。俺の描くものには、一切の興味を失っていた。描いていたことさえ、もう忘れていたと思う。
「だから俺、諦めようって、埋めたんよ」
「絵を?」
「未来の自分が、掘り起こして、絵諦めてよかったって、言ったらいいなって」
「じゃあお前、なんで美術部入ったんだよ」
「それは、武田が可愛かったから」
「嘘つけよ」
「いや、わかんないよ」
「考えろよ」
「そんなの、他の部に入る理由、なかったから」
「なら、なんでお前、経済いった?」
「・・・わかんね」
「考えろよ」
「わかんねーって、やめろよ」
 あーあ、と言って、吉川はトイレに立った。美術部に入ったのは他に入る理由がなかったからだ。
 経済学部に入った理由は、絵の道から逃げた理由は、そんなことは、分かっていた。

 妹と受験が重なったから。

 心の中で言葉にしてみると、なんて、滑稽だろうと思う。吉川のいない席で、思わず笑いすら湧き出てきた。昔、初めて絵を描いて母に見せた時のことを思い出す。家の前の道路に飛び出して、まっすぐ頭上の空を仰ぐと、真っ青な空に電線が走っていた。俺は真っ白なキャンパスに薄めた青を伸ばして、斜めに一本、線を引いた。「僕の青空」と題して母に見せると、もっと描いて、と言った。
 いま、「俺の」と言えるものがどこにあるだろう。そんなことを逡巡する。いつからこんな、負けが当然の、クソの様な価値観に成り下がったのだろうか。妹への嫉妬もない。母への怒りもない。吉川への憧れもない。そうだ、俺はもう、とっくに絵描きなんかではなかったのだ。あるのはただ、「諦めた」という事実そのものに自分の居場所を定めて燻って、そんな自分すら誰かに知ってもらいたい、そんな、甘ったれた承認欲だった。

「あいつら、二次会終わったってよ」
「そっか」
 吉川が帰ってきた。だが彼は、何も聞かなかった。
「あいつら今、学校いるって」
「学校?」
「小学校。校庭だろ、掘り起こすみたいだぜ」
「ああ」
「いくぞ」
「は?」
「いいからホレ、はやく」
「いやいや、待ってよ、いいって」
 吉川は構わず店員を呼びつけて、お会計、といった。
「見たか? 店員。たまんねーな、あの胸」
「いや。俺、行かないってば」
「武田こねーかなあ」
「吉川、頼むよ。マジで、」
「いかねーでどうすんだよ!」
 予想外に大声を張り上げた吉川に、つい身がすくんでしまう。元々鋭い眼光が、盛り上がった両頬に押し上げられて余計にきつく、尖って見えた。
「お前諦めるために埋めたんだろうが」
「うん」
「なら、ちゃんと諦めろ」
 ほら、いくぞ。引っ張られるように店を出ると、寒空の匂いがした。東京とは違う、土と草の気配がする匂いだ。友人の中には、あの頃と同じように、未だにこの通学路を行き来して職場に向かってるやつもいる。俺には信じられなかった。夢とか希望とか、そういうものが少しでもあれば、こんな何もない田舎にいたら窒息死するだろう。そう思っていた。
 だが、少しだけ違っていた。かつて無意識に通り過ぎていた自販機、未だに同じ犬が繋がれた一軒家、割れていたはずの街灯、濁って流れの止まった細い水路や、スーパーの駐車場横の精米機、誰のものか分からない畑。冬になると、霜で固まった土をしゃくしゃくと踏みしめていた。全てが懐かしく、尊いもののように感じられた。豊かな広がりが、肺を満たしていくようだった。

 前を歩く吉田が、「かきてえなあ」と言った。

 校庭の囲いの向こう側に、暗くてぼんやりとだが、何人かが集まっていた。プール横に植えられた桜の木の下だ。グランドから見て右から三本目。吉川が、おう! と返事をしてフェンスに登る。肥えた体を横に回転させて、のっそりと向こう側に着地した。みんなの笑う声がした。吉川がじっと俺をみた。
 意を決して飛び越える。そのまま走って向かった。五、六人かと思われたが、十人以上が集まっていて、箱はすでに掘り起こされているようだった。
 吉川、お前あけろ! 誰かに名指しされ、しょうがねぇといって、吉川が輪をかき分けていった。

 携帯のライトに照らされた銀の箱はひどく痛んでいて、書いたはずのクラスの名前はもう消えていた。
 また、書きたくなったら。どうしようか。
 そんなことをぼんやりと考えた。「諦められるように」なんて、そんなことを考えて未来にぶん投げるクソみたいな小学生だ。ふざけんな。そう、うそぶいてみる。
 吉川が、いくぞ、と声をあげて、箱の端を爪で弾いた。中から汚れたビニールが顔を出す。一つ一つ取り出して、吉川が名前を読み上げていった。歓声があがる。皆が沸き立っている。その中で自分だけが、粛々と何かを待っていた。

 諦めてやるよ、ちゃんと。もう二度と、考えたりなんかしない。
 沙耶の絵を今度はちゃんと見てやろう。きっと驚くほど上手くなっているだろう。大学の勉強も、これからはしっかりやろう。レポートも、発表も、ゼミの先輩を驚かせてやるんだ。絵なんかよりよっぽど向いていることが、きっと俺にもあるはずだ。
 おい、おい。吉川が呼んでいる。皆が道を開けてこちらを見ている。その向こうで、彼はビニールに覆われた筒状のそれを、まっすぐにこちらに向けている。

 ニヤリと不敵に笑う吉川に舌打ちをして、俺は、一歩、二歩。踏み出した。


 【夢のありか】

ページ: 1

 
 
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▲ページ上 >>
★必ず ローカルルールメビウスリングのルール をご覧ください。
 ▼スタンプ▲スタンプ
※スタンプはいちどに 3個 まで使えます  ×閉じる