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死は哀しい・・・生はもっと哀しい

 ( 作文投稿城 )
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hiro ★AU-OaMM4TUWRn6

この世で独りぼっちの我

親からも友達からも恋人にも国にも見捨てられた。
もはや居場所も存在理由さえなくなった。
こんな時はどうしたらいいだろう・・・

アナタは私と離れて幸せですか

他の人と出会い私のことを忘れましたか

離れたことでアナタは何を獲ましたか

アナタが幸せならば私が存在する意味がなくなったのだ。

だから先に逝きます。

さようなら。愛しき人。
今までありがとう。
私は死者の声に耳を傾けてアナタから離れます。
永遠に・・・

2008/08/24 00:05 No.0
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幸せを売る男(kuroda) ★HGQ9yePh8J_mgE

私は、この信心をしてから、人間の命(生命)の不思議について考えさせられます。
人が死ぬと、仏教では、この世で悪行を積んだ人は、地獄に。また、純真に正法を修行した人は、仏国土に往生できるとされています。
 この世での一人の人間の命は、せいぜい長生きしたとしても一〇〇年ぐらい、後生での年数からすると比べ物にならないです。
何千年・何万年もの長い間、我々の生命がお世話になる所なので、いい加減な死に方だけはしたくありません。

 そのように考えると、長い生命の連続からすれば、ほんの針の先で突いたほどにも値しない。
一瞬の出来事といってもいいのではないでしょうか。大聖人様は御書の中で、人間の命というものは、「一夜限りの仮の宿」だと言われています。

その事からも、少しオオバーに言いますと、ほんの一瞬この世に夢を見に現れた。と言っても過言ではないでしょう。
 そして、あと何年かするとまた冥途に帰っていくわけです。最近よく聞く言葉に「老後の・老い支度」とやらがあります。それを文字って「冥途への帰り支度」?と言うのはどうでしょう。いつまでも若いと思っていた私も、その年に差し掛かってきました。
しかし、いくら住み慣れた冥途に帰るとしても、手ぶらでは帰れません。何か、おみやげを持って帰らなければ。

冥途へのおみやげはお金でもなければ、名誉や地位でもないです。正法を信心している私たちのお土産は、やはり信心の成果ではないでしょうか。偉そうなこと言っても、これがなかなかの難行・苦行、おいそれとはいきません。
 そこで私は、この9月にどうしてもインターネットを、しなくてはならないようになり、ホームページを開設しました。

とは言っても、何をすればいいのかさっぱり分からないまま、マウスをクリックしていましたところ、偶然にも自殺願望サイトにたどり着きました。
 そこには大勢の死にたい人たちが、ヒシメキ合っています。「そうだ、この人たちを救ってあげよう」とアドバイス欄に仏法の素晴らしさを認めて、送信していました。ところが、3回目ぐらいからサイトの方から、クレームが付き送信を拒否されてしまいました。ですから、今は全く通信出来ない状態です。
 あまり親しくなりますと、意気投合して集団自殺になりはしないかと警戒したのでしょう。一番救ってあげなければならない人たちが救えない、残念でなりません。

3年前 No.1
ページ: 1

 
 
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