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自分専用です

 ( 小説投稿城2世(大人風味) )
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★iPhone=hHFDEO6kez

スレ名どおりですから観覧は推奨いたしません。
私がただのメモとして使ってるだけのスレッド。
別に見てもいいけどコメントとか一切禁止でお願いいたします

1年前 No.0
ページ: 1


 
 

★iPhone=hHFDEO6kez

1「此ノ白ハ、カノ白」




ゆらり、ゆらりと花は水面に揺らめく。
赤い漣は淵を辿り、美しい錦の如く床へ滑り落ちていく。

――なんと美しいのでしょう。
――とっても綺麗!

うっとりと歪に捩れたそこにも花は流れ行く。

どの花も美しかったけれど、その中で特に枯らすのが惜しいと思っていたんだよ?
この花園へ貴方様方をご招待しようと、以前からお待ち申し上げておりました。

どちらを先に摘み取ろう?
鋼鉄の鋏で鮮やかな切り口を作ろうか?
それとも歓喜に震えるこの手で、幹を折り皮を裂く?

この場所で散るのならば、どのような姿でも愛しい花に違いない。

さあ、最初は君にしよう。
その後は貴方様に致しましょう。
先に手折った花は君に捧げる為の物。
そして貴方様は先に手折った花の供物になるのです。

――どうか、受け取ってね?
――それは花園への招待状で御座いますから。


さあ、こちらにおいで!

1年前 No.1

★iPhone=hHFDEO6kez

2





硬質な靴音が広い空間のそこかしこに鳴り響く。
普段は人の声すら聞き取りづらい賑やかなホームも、終電後となると一転して暗闇と静寂に支配される。
少し前までこの静寂も悪くは無いと思っていたが、今は身を切るように辛く感じる――ノボリは暗闇のホームを一人歩いていた。
終電後の灯りの落ちたホームを歩くのは、これがもう最後。

『マスター…本当に行ってしまうのですか…。』
『ノボリさんまでいなくなってしまったら…もう、どうすれば――…』

目を腫らした鉄道員達が口々に別れを告げたのはつい先程の事。ノボリは常と変わらず、寧ろ常以上の無感情な面持ちでその言葉を聞いた。マスターを務めた数年の間に深い絆を繋げたはずの彼らの言葉のどれ一つとして、ノボリの心に行き届いたものはなかった。

広いホームに、うっすらとした補助灯の明かり。何処までも続く暗闇。
…このような寂しい所にずっと務めていたのですね。
ノボリは疲れきった顔で慣れ親しんだ職場を眺めた。目の下の黒ずみは酷く、ここ最近ですっかり体重も落ちてしまった。
このダブルのホームに電車の姿はない。
勿論終電後であるからというのもあるが、現在は休止中なのだ。――そう、新しいサブウェイマスターが現れない限り。

《クダリ…クダリ…何処で御座いますか…。》

頭の中を占めるのも心を縛るのもこの名前ばかりで、ノボリは食べる事も眠る事も解らなくなってしまった。生気の薄い瞳でぼんやりと階段を上ると、頭上にあるギアステーションの中腹は光に満ちていることに気が付いた。此処へ降りる前に消していった筈なのに、帰宅したと思っていた鉄道員の誰かが己に気を使って点けていったのかもしれない。
階段を一歩一歩踏みしめるように上る――クダリが毎日のように駆けていた階段だ。白のサブウェイマスターの証たるコートをはためかせて、落ち着き無く駆け上がって来るあの子を何度叱った事だろうか。在りし日の彼の姿を辿りながら、ゆっくりと階段を上る。
もはや出る涙も無くなってしまった。ただ、あの子の名前だけがとめどなく口から溢れてくる。


…一ヶ月前、クダリは社宅で自殺した。


『ノボリー、僕の歯ブラシ何処に…っと、みっけた!!ゴメン、大丈夫。いってらっしゃい!』

最後に聞いたクダリの言葉は底抜けに明るいものだった。
その日休暇だった彼は買い物に行くと前日に話していた覚えがあったが、どうもそれはなされていなかった事が後の調べで解った。――己が社宅を出た直後の行動であった事も。
変わり果てた姿の弟を見つけたのは深夜に帰宅した己で、クダリは水を僅かに出しっ放しにしたバスタブを真っ赤に染めながら上半身を水中に預けていた。バスルームの入り口に呆然と立ち尽くしたノボリは、自分が見ている物が何なのか、クダリがどうなってしまっているのか全く理解できなかった。

『クダ…リ…?な…に…』

水道から流れる真新しい水に、ふわりふわりとクダリの命が赤い花のように溶けていく。
水に薄まった美しい赤色は白いクダリのシャツを染めて、更にバスタブの淵から床中へ帯のように流れている。少ししてから、ノボリは言葉にならない叫びを上げて弟の体を冷たい水から引き上げた。続いて尋常ではない己の叫びを聞きつけた他の部屋の鉄道員達が集まってきて、そこからはあまり記憶に無い。
深い傷を何箇所もつけた腕は襤褸切れのようになっていた。遺書は無く、理由だって何も見当たらない。

『この間また新たに可愛いカップみつけたんだ!取っ手がシビルドンになってんの、明日休みだから買いに行こうかなって。ノボリも欲しい?』
『カップがシャンデラになってるのが欲しいですねえ。…ところでクダリ。貴方のお陰でうちの食器棚はマグカップだらけで御座いますが…何か思うことは御座いませんか?』

《何それ、うちの食器棚すっごい夢が詰まってるね!》

今はもう懐かしさすら感じてしまうあの笑顔――幸せそうに笑うクダリを見るのが何よりも好きだった。
兄弟の垣根を越えて想い合うのはいけないことだと解っていても、止まることなど出来なかった。数え切れないほど口付けを交わし、体を重ね、愛を囁く――寸分の違いも無く心も重なっていたと思っていたのは己だけだったのかと、何故何も言わずに命を絶ったのかと、ノボリは冷たい棺で眠るクダリに縋って声も無く泣いた。

それから一月、生きているのか死んでいるのか解らない心地のまま仕事を続けた。
誰もが己を心配し、それこそ今まで干渉されなかったプライベートまで世話を焼かれた。クダリを失ったショックで休まなかったり食べない事が心配なのだと周りの者達は口々に言ったが、そうではないだろうとノボリは虚ろな瞳で優しさを振りまく彼らを眺めていた。
誰もが遠巻きに己を見て囁いているのは知っている。

『クダリを自殺に追い込んだのは、あの兄ではないか。』と。

好きなように言えば良いし、好きなように詮索するといい。己の私生活を晒した所で、あの子を追い詰めた証拠になる物など――彼らの喜ぶ醜聞の元など何一つ無い。
《わたくしは存外人の信頼を得ていなかったようですね。》クダリを失って見えてきた新たな側面に、ノボリは久々に腹の底から笑った。
ああ、クダリ。わたくしの世界はやはり貴方と共にあるようです。こんな所に一人置き去りにされて、どう生きて行けと?

もう限界です。

サブウェイマスターの地位を捨てることに、何の悲しみも無かった。
階段を上りきって、ギアステーションの中腹へ立つ。煌々と明かりのついたそこに人の気配はやはり無く、ノボリは《鉄道員のどなたかは知りませんが、少しお節介ですね…》と呟いた。ダブルのホームを歩いた足でギアステーションを出たかったというのに、わざわざ地上部にある2階の電源室まで行かなくてはならない。
漆黒のコートを翻して歩き出す。もはやこのコートと制帽を纏う資格は無くなったが、上層から《いつでも君がここへ戻って来られるように》などとどうでも良い気遣いをされて、晴れてこのコートも制帽も私物となってしまった。
戻って来る筈が無い。ノボリは遠く懐かしむように目を細めて微笑んだ。

この後此処を発って――かつてクダリが行ってみたいと言った地方を少しだけ旅して、そして故郷を訪れたらそこで自分も御終いにしようと思っているのだから。


カツ…カツ…カツ…カツン…

高い天井に響き渡る靴音が止まる。
ノボリは確認するようにぼんやりとした瞳を辺りに向けた。ギアステーションの中腹は円形に作られていて、各種トレイン乗り場となっている。
…ダブルのホームへ降りる階段から、地上へ上がる階段はそう離れていない…筈だ。そう、己の勤めていたシングルの隣にあるあの階段。
それなのに、何故?

「……なんです?これは…。」

ノボリは呆然とシングルへ降りる階段の前で立ち尽くしていた。――階段が無い。
シングルのホームと少し特殊なホームとの間にある筈の地上へ上がる階段が無くなっていた。そこに階段があった名残すらも無く、シングルのホームと特殊ホームがぴったりと隣り合ってしまっている。

――何を、馬鹿なことを。

これでは出られないではないか。
ノボリはついに幻覚が見えるようになったかと思った。一月の間まともな生活をしていなかった事を何よりも物語っている黒ずみに縁取られた目を強引に擦る。だがどんなに目を擦っても、そこに在るべき筈の階段が己の視界の中に写ることは無かった。
コンクリートで作られた壁は触れればヒヤリと冷たく、煌々と明るいライトは己の影を色濃く作り上げる。ノボリは肌が粟立つのを感じた。
見るもの触れるもの全て本物だと五感が告げている――夢の中ではないのは確かだ。夢であったらどんなに救われただろうかと、恐怖の中で少しだけ自嘲気味に笑った。
あの子が居ないこの世界も夢であったなら。


「ノボリ!何やってるの、こっちだよ?」

1年前 No.2

★iPhone=hHFDEO6kez


ビクリ、と肩が震える。
静まり返ったステーション内に、場違いなほど明るい声。

――…は?

他に誰も居ない筈のステーション内に、己を呼ぶ声が響いた。
ノボリは凍りついたように壁に触れていた手を止める。クダリが居なくなってしまってから殆ど感じる事が出来なかった己の鼓動が、一気に動き出したように血がざわめきだす。
《今…のは…!?》
明るさと生命力に満ち溢れた、あの懐かしい声――!!
涙と気味の悪い汗が同時に溢れてくる。己の後方から響いた声は、確かに耳に馴染んだ声だった。恐る恐る後ろを振り向けば、ダブルのホームに向かう階段にふわりと白い影が降りていくのが見えた。
足は知らず、ダブルのホームへと駆け出していく。彼が今此処に存在する疑問や恐怖心は、今のノボリにはどうでも良かった。

クダリ。クダリ。クダリ――此処に居たのですね。死んだなどと、あのように冷たく硬くなってしまった貴方はやはり嘘だったので御座いますね。何故このような事を?わたくしを驚かそうとしたのですか?冗談にしてもあまりに性質が悪いですよ。ああ、ですが。
今は貴方を名一杯抱きしめたいのです。怒ったりしませんから、もう何処にも行かないで下さいまし…!

普段は走る事など無いステーション内を全力で駆けるその顔には、涙がひっきりなしに溢れ落ちてくる。温かい雫を頬に感じながら、あれだけ泣き暮らしたというのに、自分にはまだ出せる涙があったのだと不思議に思う。
白い影はクダリのコートの裾だった。純白に赤みの強いオレンジのラインの裾――クダリがそこに居る!
階段に辿り着いてもノボリは変わらぬ足取りで駆け下りていく。つい先程まで真っ暗だったホームは照明が全て点けられているようで、昼間のそれと変わりなかった。
きっと暗いのが嫌いなクダリが点けたのだろう。ひょっとしたら、ステーション中腹の明かりも彼が点けたのかもしれない。

肩で息をしながら階段を下りきると、さくりと足元に柔らかい感触を感じた。何を踏みつけたのかと足元を見れば、白い花が細い茨を張って
ホームの床中に咲き乱れている――その中に所々、どこか作り物めいた赤い花が混じっているのも見える。
冷たく硬いコンクリートの、日の当たらない地下一面に生花。
超現実主義派の作品でも眺めているような奇妙な光景に、己の頭がおかしくなってしまったのかとノボリは口元を押さえた。それとも現実に限りなく近い夢を見ているのか?
瑞々しい花弁は重弁でありながらどこか肉厚で、百花王の如く重厚な美しさを見せつけていたが、ホームの何処にも花の匂いは漂ってはいなかった。

《これが夢であろうとわたくしの壊れた頭が見せている幻想であろうと…貴方さえ居てくだされば…!》

何処からか流れてくる生ぬるい風に乗って、花びらが無機質なホームに舞い踊る。
足を一歩ずつ踏み出せば、茨が花を踏みつけられまいと軟体生物のような生々しいモーションで床の上を蠢いた。その薄気味悪い光景から目を逸らして、体を半分壁に凭れかけながらノボリは流れ落ちる涙と汗を拭うことも無く進む。
ホームを少し歩いた先――花霞の奥にぼんやりとした白い影を見つければ、荒い息も体中を揺らすような鼓動も変わらぬまま、足を止めてただぼんやりと立ち尽くした。
後ろ手を組んで客を迎えるときのように直立不動のクダリが、すぐ目の前でノボリにいつもの笑顔を向けている。

クダリ。やっと会えた。

『ノボリ、久しぶり。…随分痩せちゃったね。』

「…っ…!誰のせいだと思っているのです…!!」

『そうだね、ゴメン…僕のせい。ノボリ、ごめんね、いっぱい泣かせちゃったね。会いたかった…凄く、会いたかったよ…!ノボリ!』

サブウェイマスターたる証の純白のコートが揺れる。――花々と同じ、眩い白。
笑顔のクダリがふわりと腕を広げると、ノボリとの間にある花が茨ごと一気に消え去った。ノボリは体中に走る震えが、歓喜によるものなのか恐怖によるものなのか良く解らなかった。涙で頬を濡らしたまま立ち尽くすノボリの足元を、何かがするりと触れるような気配を感じた。

行きたい。走って、あの広げられた腕の中に飛びこんでしまいたい。声もその姿も、目の前に居るのは紛れも無いクダリなのだから。だが、クダリだからこそ疑問に思うのだ。この震えの半分は歓喜による物ではないと、本能が告げている。

なぜ、笑っているのですか?

ぽたり、と雫が頬から薄灰色の床へ落ちた。
クダリは確かに常から笑顔であったが、如何なる時でもその通りだったわけではなかった。例えばノボリ自身が悲しい時や苦しい時、それと悟られぬよういつもの無愛想な顔をしていてもクダリにだけは気付かれてしまったように、ノボリにはクダリの笑顔の中にある微妙な表情の変化を良く知っていた。
――貴方が弱い人間では無い事はわたくしが一番良く存じております。自ら命を絶ったのは、余程強く心に思う事があったからなのでしょう?その苦悩に気が付いてあげられなかったわたくしは、ずっと悩み悔やんでおりました。それなのに――わたくしにさえ何も告げず一人あのように去った貴方は、なぜ、そのような――

翳り一つ無い満面の笑みを浮かべているのですか…!

『ノボリ…おいで?ぎゅってしたいよ。』

「…クダリ…貴方は…。」

『愛してる――あんな風に死んだ僕は、もう君に受け入れて貰えないの?』

足元にはっきりと何かが巻きつく感覚があった。それは恐ろしく強い力でノボリの片足首を締め付け、鋭い棘のような物が付いているのが感触で解る。茨――にしてはあまりに硬く、鋭い。その痛みだけが動揺に支配されたノボリの正気を繋いでいた。
ノボリはクダリを見つめたままの姿勢で、そっと静かに瞳を閉じた。たったそれだけの動作で、長い睫の隙間から涙が幾つも零れ落ちていく。

「…貴方を愛しております。生きていようと死んでいようと、その想いが変わることなど決して御座いません…。」

音も無く氷のように冷たい感触がノボリの頬を包んだ。かつて数え切れないほど触れ合ったクダリの手とは思えないその感触に、心の中に嵐が吹き荒れる。

『――凄く嬉しい。』

《……、すっごい夢が……!》
瞳を閉じてじっとクダリの声を聞いていれば解るのだ…解ってしまう。
頬を両手に包まれたまま僅かに上向かされれば、口元に感じる木枯らしの吐息に身震いがする。ノボリは涙を零しながら噴出した。

「クダリ――貴方いつから、そんな丁寧な話し方をするようになったのですか?」

バキッ!!!

目を瞑ったまま思い切り拳を振り上げる。思いのほか軽い感触の『ソレ』は、すぐさま後ろに飛びのいて白い花が無数に付いた茨をその体に巻きつかせた。後ろに一歩下がりながら睨みつけるノボリを前に、殴られた側の頬を手で押さえつけながら『クダリのようなもの』は笑う。

『ノボリ、酷い。なんで?』

「わたくしが愛しているのはクダリで御座います。貴方ではないのですから、気安く触れないで頂きたい――その姿にも気安く変装して頂きたくないものですね。大事な弟が汚れてしまいます。」

『………ノボリ…。』

足元を締め付けていた力が緩んだ。少しだけ下を視界の端で足を見れば、みすぼらしい赤い造花を無数にくくり付けた有刺鉄線がふくらはぎ辺りまで緩く蠢いていた。白い生花に所々混じっていた赤い花はこれか――ノボリは薄気味の悪いその有刺鉄線から急いで足を引き抜いた。目の前のアレが動揺しているからこそ幸運にも緩んだのであろう。
この鋭い鉄線には気をつけなくては。少しだけ血が流れている己の足を見て眉を顰める。

『ふ…はは…あっハッはハッ:whaHApはハハハははhaは…!!』

白い炎がクダリの偽者から上がる。パンッと爆ぜる様な音が聞こえたかと思えば、目の前のソレはサブウェイマスターの制服もその声も同じまま、顔のない真っ白なマネキンの容貌に変わった。眼球が入っていないアイホールには、底抜けに真っ暗な闇が仄見えている。
沢山の茨を体中に巻きつけて、服の上からでもわかるほど歪に傾いている体を支えているようだった。球体関節のような足も腕も、しっかりと白い花と茨が這っている。
ノボリはじりじりと後退した。涙はいつの間にか止まり、恐怖と少しの闘志に満ちた面持ちでその化け物を睨み続けた。

『何で逃げるの?ここを出て、死のうってさっきまで思ってたよね?だったら、逃げなくても良いんじゃない?』

口がないのに声が響く事を疑問に思えば、ひらひらと蠢く物を声の出所の近くで見つけた。どうやら顎の下に咲いている花が花弁を動かして声を出しているらしい。
悪夢にしても酷すぎる光景に、ノボリは吐き気を寸での所で抑えた。流れる汗はシャツをしとどに濡らした。

「…死に場所も死に方も自分で選びます。少なくともわたくしは化け物の手にかかる事は死んでも御免被ります。…その声で話さないで下さいまし。貴方のような化け物が出して良い声では御座いません…!」

『僕、サブウェイマスター。だからこの声使ってもイイ。…はっはっははっはははああaあはhaHAhあはあはは』

わざとらしくクダリの口調を真似て、声だけがけたたましく笑いを上げる。
その声に合わせてザワザワと床を埋めている茨が動き始めた。茨に巻きつくように例の鉄線も這い回り出すのを確認すると、ノボリは急いで体を反転させて階段へと向かって駆け出した。
駆ける足元を追うように茨と鉄線が伸びてくる。四方から圧倒的な勢いで追ってくるソレに《捕まってしまう…!》と焦ったが、どうやら茨と鉄線が絡み合って少し縺れているらしい。時折急激にスピードダウンする茨と鉄線を横目で見ながら、なんと間抜けなと苦笑交じりに呟いた。こんな非常時だというのに、少しだけ気が抜ける。チームワーク…コンビネーションの悪さ。あの子が見れば、恐ろしく苦い顔をするだろう。

階段を駆け上がりながら少しだけ余裕の出来た思考回路で、どうやってここから逃げるかノボリは必死で考えた。あの化け物は一体何なのだ――なぜ、クダリの姿を取るのか。あの白い花と赤い花と茨と有刺鉄線も、あの化け物の手の物であるのは解るが何故…。
《…あの化け物はクダリを知っているのでしょうか。》
考えれば考えるほど思考が混乱する。今はそれよりも逃げる手立てを考える方が先かと、地上へ上がる階段が消えてしまった事をギアステーションの中腹に辿り着いて思い出した。

「……貴方達……。」

荒い息を吐きながら、絶望的な表情で足を止める。
変わらず明るいステーション中腹、ダブルの階段の真正面に位置する向こう側の壁に、横一列に並んでぼんやりと立っている鉄道員達が居た。先程まで誰も居なかったというのに――ノボリは嫌な予感に身震いする。
シンゲン、クラウド、ラムセス…――十数人の中には特に親しくしていた部下…否、元部下も居た。いずれも何処を見ているのか解らないような胡乱な目つきで、口元もだらしなく開いている。
胸元には一輪の白い花が胸を突き貫いて生えていた。

『ノボリサン、シヌナラココデイインジャナイデスカ?』

『ココニハ シロノマスターモ イマスヨ。クロノマスターノ ノゾミハ、シロノマスタートズットイッショ二 イルコトジャ ナインデスカ。』

『ギアステーションカラ ハナレルナンテ ユルサナイ…!!』

引っ掻いて傷を作ったレコードを無理矢理回したような声は聞くに堪えないほど歪んだ物だった。
その手にはバールや大きなスパナなどの工具が握られている。覚束無い足取りでこちらへ揃って前進してくる彼らは、口々に《ここで死ね》というような事ばかりを呟いていた。

《動きは鈍そうですが、誰かに腕でも掴まれたら取り囲まれて御終いでしょうね…》

多勢に無勢。少しだけ後ずさりするものの、後ろの階段からは茨と鉄線がコンクリートを這う不快な引っ掻き音が刻一刻と近づいてくるのが解る。
息の調子もまだ整わないまま、ノボリはシングルのホームに向かって駆け出した。シングルに解決策があるわけではないが、このままここに居ては間違いなく鉄道員達か茨に殺されるだろうし、良く知る自分のホームは単純に安心する。それにあの化け物も気がかりだった。
駆ける足は鉛のように重く限界が近づき始めているし、せわしない呼吸を続ける喉は渇いてヒリヒリと痛んだ。こうなってくるとこの泣き暮らした一月で体力も筋力も随分落ちてしまった事が悔やまれる。今だって少しホームから駆け上がってきただけで肩で息をする有様――何か対抗手段をと考えるものの持っているのは不審者用の催涙スプレーやスタンガンくらいで、ほかはホルダーごと後任者に預けてしまった。各種トレインの緊急備品置き場にはそれなりの鈍器に値する工具が置いてあるが…。
ノボリは真っ暗なシングルのホームに茨と花が咲いていない事を確認して、備品置き場の方へと走る。長年務めてきた場所だからこそ、暗闇の中を駆ける様な無茶が出来るというもの。そこに在るであろうベンチや柱などを身軽にかわしながら、此処を離れるという事がどれ程自分にとって大きな事なのか、今更ながらに実感する。

やがて備品室のドアにあるグリーンの補助灯が見えてきた。

ノボリは《失礼》と胸中で呟きながら、ポケットから無地のカードキーを取り出して備品室の電子錠に通すと、錠は不規則なビープ音を出した後にロックを解除した。
きっとこの電子錠はもう使い物にならないでしょうと、ノボリは申し訳なさそうに扉を開けた。
特殊なコードが仕込んであるこのカードキーは《危険な事とか、非常時の為に作ったんだよ。…ノボリを守りますように。》と、悪戯坊主のような微笑を浮かべたクダリがノボリにお守りとしてくれた物だった。
《さすがに違法で御座います。》と憮然として社宅の棚の奥深くに仕舞っておいたソレを、クダリが死んでからは本当にお守りのように胸に入れて持ち歩いていた。彼が作ってくれた物、与えてくれた物で身の回りを固めて過ごしたのだ。まさかその行為が本当に今こうして身を助けるとは思いもよらなかった。

1年前 No.3

★iPhone=4qNSmyUPwM

――クダリ。貴方のカード、本当にお守りでした。あの時は怒ってしまって申し訳御座いませんでしたね…。

カードに軽く口付けてポケットに仕舞うとノボリは熱くなる目頭を頭を振って冷まし、薄暗い室内にある工具を物色した。
予備カンテラ、スパナ、ハンマー、ペンチ、消火器…誰がこんな物を持ち込んだのか、子供の落書きが書かれた古い野球のバットまで置いてある。
しゃがみ込んで自分の手に合う物を探しながら、ノボリは鉄道員達があの化け物と同じ偽者の存在なのか、それとも本物が操られているのか見極め出来ない事に焦った。彼らが本物であれば鈍器を振るうような真似は決して出来ない。
どうしようかと、手に持った細長いバールに汗を落とした。

『生真面目だと思っておりましたが、随分と悪い物をお持ちなので御座いますね。そのカードキー…少し驚きましたよ。』

《――!!》
パッと室内に眩しいほどの明かりが灯る。
いつでも逃げられるように開け放しておいたドアが閉まる音がした。ノボリは聞き覚えのある声に肌を粟立てながら、バールを構えて急いで後ろを振り向いた。
ドアの前をふさぐように、黒いコートの男が立っている。
最早何があってもおかしくは無いと考えていたが、まさかこんな化け物までいたとは。ノボリは息をするのも忘れて目の前の男を眺めた。
黒のコートは今自分が身に着けている物と全く同じ――その制帽も、声も己のもの。ただその顔だけが真っ黒なマネキンのようだった。

バールを持つ手が震える。目の前のコレは、あの白い化け物と同じだ。

『わたくしはサブウェイマスター。もう片方とは先程お会いしましたでしょう?サブウェイマスターは二人で一つで御座いますから。』

白い花とあの茨はこの男の何処にも見当たらなかったが、一輪だけ首元に巻きついている黒い百合のような形状の花が、さわさわと変に肉厚な花弁を動かして声を出していた。

「………。」

『化け物がその称号を口にするなと、仰られないのですか?…ふふ、随分お疲れのご様子。そう構えないで下さいまし、わたくしは貴方様には何も致しません。貴方様を摘むのはもう片方の仕事。』

「………摘む?」

『アンフェアだと思ったので御座いますよ、何も知らぬ貴方様方を突然摘むのは。ですが白い牡丹はもう摘んでしまった後…よって貴方様には白い花の分までチャンスを与える事に致しました。今わたくしと話している間は、貴方様が恐れている物は全てその場で停止しておりますのでご安心下さい。そう、バトルサブウェイは常にフェアでなくては!』

《一度しか申し上げません。これもまたルールの一つで御座いますから、その混乱した頭を素早く纏めてよくお聞き下さいまし、美しい当代の黒百合様。》
芝居がかった手振りで楽しそうに話す黒い化け物は、呆然と佇むノボリに俄かには信じられないような話を語りだした。

『わたくしどもはこのバトルサブウェイの――ギアステーションの思念で御座います。長い長い時を経てこの場所で沢山の人々やポケモンの想いを吸収して出来上がった存在………おや、そのような顔をされるのは心外で御座いますね。』

生物が出す最も強い感情で形成され、強者の魂を取り込んで増大するのが我々という存在。特に歴代サブウェイマスターの魂は軒並み
わたくしともう片方の中にあります。…御察しの通り、歴代の黒いマスターはわたくしに、歴代の白いマスターはもう片方に。故にサブウェイマスターと名乗っているので御座いますよ。間違ってはいないでしょう?
この場所で延々と繰り返されるバトル、勝ちと負け、優劣を競い合う事、争いに耽る事。
その中で強者と弱者が必然的に分けられる。我々は強い人間やポケモンの魂だけを選別し、それらを取り込みながらとても素晴らしい事を思いついたので御座いますよ。

我々の中に…ギアステーションに、強者だけの花園を作ろうと。

知っていますか?体という器から出てきた魂は花のような形をしているのですよ。それは美しく、一つ一つ色も形も異なる魂の花。
魂は我々の食料に近い物。経験値でもあり、進化の元でもありますが、それ以上にその美しさを愛でているのです。

本来わたくしたちが選別する魂は、ギアステーションに少しでも関わった者だけ…バトルサブェイで争いに喜びを見出し、強い想いを以って僅かでも我々を形成するに値した者達で御座います。そして選ばれた強き者は人生を終えた後に、その魂をギアステーションに引き寄せて取り込むのです。…ええ。何処で死を迎えても、で御座います。その者の魂の欠片とも言える強い想いの塊が既に我々の一部となっているのですから、例えイッシュ以外の土地で果てようとも引き寄せるのは簡単な事。
強き者達がきちんと生を終えるまで取り込むのを待つのは、じっくりと成長しきった、よく熟した魂が欲しいからなのです。――輝くような大輪の花を咲かせているので御座いますよ。若い蕾も美しいとは思いますが、やはり花は咲かせてこそで御座いましょう。我々には無限の時間がありますから、待つのは苦になりません。

――貴方様方もそんな魂の一つ……いいえ。他と一緒にするには余りに格が違い過ぎております。
過去に取り込んだどの魂よりも際立った、最高の魂としてわたくしともう片方はそれはそれは楽しみにしていたのです。我々の花園に招待する日の事を…!!

貴方様方――ノボリ様とクダリ様がこのギアステーションに鉄道員として配属されたときの、長い長い我々の時の中でかつて見たことのない美しい蕾として来られた時の感動と言ったら筆舌に尽くし難いもので御座いました。
数年も経たない内にあっさりとサブウェイマスターに就任致しましたね。追い出された前任の黒のマスターはノボリ様を深く恨んでおられますよ。彼は…まあそこまで美しい花にはなりえませんでしたが、会いたいですか?おや、そうですか。残念です。

さて、ここからが本題で御座います。
全てにおいて際立った蕾である貴方様方で御座いましたが、思わぬ事が起きてしまいました。
本来年を経て熟した魂しか咲きません。だからこそ我々はどんなに麗しい蕾も、目の前にしながら指を銜えて咲くのを待った。
むしろ咲かずに蕾のまま果てる魂の方が多い程なので御座います。それがどうしたことでしょう…驚いたことに貴方様方はその美しい蕾を綻ばせて既に開花させてしまっているでは御座いませんか…!これもまた、我々も経験した事のない事態で御座います。

クダリ様の気まぐれで気高い白い牡丹のような魂と、ノボリ様の凄烈で鮮やかに匂い立つ黒い百合のような魂…見事な大輪と輝き。

今すぐ欲しいと思ったのは言うまでも御座いません。ですが、生物の生を途中で手折るというのはどういったことでしょう?
我々とて人の想いから成り立った存在。情というものも少しくらいは存在しているのです。だからこそこうしてフェアなルールを敷いてチャンスを与えようと思った次第で御座います。

さて。もうお気づきでしょうが、我々は貴方様の弟君、クダリ様を手にかけました。
意識を支配して手首を切らせましたが、中々死なないので無残な傷を沢山つけてしまいました…可哀想に。人の生とはかくも強きものかと…――その手に持った鉄の棒でわたくしを打ったところで、単に貴方様がルールを聞かずに終わるだけで御座いますよ?圧倒的な不利に追い込まれてチャンスを無にするのもまあ、わたくしはかまいませんが。むしろそちらの方が嬉しいほどです。愛しい貴方様もこれでフェアな条件の下で手に入る――良心の呵責も起きません。
……ああ、わたくし未だかつてない愉悦を感じております。貴方様のその焼き切る様な眼差し、ソレが永久にわたくしの中に取り込まれるのです。こういうのを快楽というのでしょうか?ふふっ、おかしくなってしまいそうです…!ふフああハハはhhhahdはhaHaハハ…!

……………失礼。
クダリ様を手にかけたのは、また、これから貴方様を手にかけようというのは、単純にその魂が欲しいという事以外にも理由があります。
このように早咲きの大輪です、もし枯れてしまったら…?
魂が枯れる事は御座いません。永久に咲き続ける事でしょうが…万が一枯れる事があったら?生が終わる寸前に咲くのが常の魂、イレギュラーの貴方様方はひょっとしたら、残りの長い生を全うしている内に何かのアクシデントで急激に枯れてしまう事もあるかもしれない。
それだけは許せない。稀に見ない花を、美しいまま保存したい。我々の中に取り込まれれば、それは永久になる。
故に、摘み取る事を決意いたしました。
摘み取って花園に植える――ただ、先にクダリ様を植えようと致しましたが、これが中々上手くいかなかったのです…やはり生きるべき者を途中で手折るというのは良くないことで御座いますね。少々活きが良すぎて抵抗するので御座いますよ。

よって残念ながらクダリ様の魂はまだ我々の物にはなっておりません。大変元気に暴れまわっておいでです。
さあ、ルールの説明を致しましょうか。

『ゲームを致しましょう。わたくしは見物ですので参加致しませんが、もう片方と先程お会いになった鉄道員達…鉄道員は皆本物です。酷く傷つければ死にますよ。彼らと貴方様とで鬼ごっことかくれんぼです。楽しいでしょう?』

「っ…情があるとは、どの口が言うのです…!!狙いはわたくし達であると言っておきながら、無関係な鉄道員達も巻き込むというのですか!!」

爪で皮膚が切れるほど強く握り締めた拳から真っ赤な血が滴り落ちた。
ノボリはゆらりと立ち上がると、今にも襲い掛からん体勢で黒い化け物と対峙した。バールを伝って赤い雫はまた一滴と流れていく。
無彩色の床の上に鮮やかなノボリの赤が散り、目の前の黒い化け物は無いはずの顔を興奮に歪めた様に気配をざわつかせた。
雫が落ちる度に、化け物の体から茨のついた黒い花が1つ、また1つと生えてくる。

『無関係というわけでは御座いませんよ。彼らも一応いずれ花園へ招待する候補ですから。ですが…まあ、最後までお聞きくださいませ。悪い条件では御座いません。』

鬼ごっこはそのままの意味で御座います。ただ、鉄道員達が鬼で、もう片方は鬼ではありません。片方――貴方様の言う通り、白の化け物とでも言いましょうか?フフッ。白の化け物は貴方様が途中でギブアップした際、もしくは鉄道員達に捕まった時、最終的に貴方様を摘み取る役目としてその辺をうろついております。
それ以外では直接手は下しませんが、少しの邪魔ぐらいはするでしょうね。仕方がありません、歴代の白のマスターは皆茶目っ気のある方ばかりでしたから。
さて、貴方様のお役目ですが、貴方様は鬼から逃げながら、本物のクダリ様を探していただきます。
クダリ様というのは、真に強いお方で御座いますねぇ…バトルもですが、その心根のことで御座います。死した後にすぐさま我々の手の内からすり抜けたので御座いますよ。余程強い想いがなければそのような事とても…恐らく貴方様に我々の手が及ぶ事を危惧して暴れておられるので御座いましょう。なんと麗しい兄弟愛!…いえ、貴方様方は兄弟を越えた愛で結ばれておられましたね?羨ましい事です。

我々は本当はクダリ様の魂が何処に潜んでいるのか存じております。今は元気に暴れていても、本来魂が還る場所ではないこの捩れた次元で、少し時間を置けばいずれ弱ってくる事も。…要は、時間さえおけば簡単に手の内に戻す事が出来るのですが…あえて、貴方様にクダリ様を探して頂きます。
白い化け物の周りに咲く白い花々は、全てクダリ様の魂を模造した花で御座います。本物ではないので少々出来は悪いですがね。つまりは無限にクダリ様をコピーする事が出来るという事。
その中から、クダリ様を見事探し当てて下さいまし。ただしチャンスは一度だけ。本物だと思われるクダリ様に、貴方様の命である血液を少しでも良いので口に含ませるのです。
それが本物ならばノボリ様の勝ち。クダリ様は生き返り、時間も彼が死ぬ前まで巻き戻して差し上げましょう。この鬼ごっこの中で鉄道員を殺してしまったとしても、それらもまた戻して差し上げます。実にフェアで、大きなチャンスで御座いましょう?

ただし、間違えてしまったら――我々の勝ちで御座います。クダリ様は勿論、ノボリ様…貴方様も我々の物になって頂きます。ご了承下さい。…我々は貴方様方を二人で一つの美しい花と考えております。花園でも決して引き離すような事は致しませんので…気が向いたらリタイアも是非お考え下さいね。
リミットは御座いません。鬼に捕まらないこと、あとは貴方様の心身の疲労次第で御座います。


「…随分と自信があるようですね。それはわたくしがこの勝負に勝っても、いずれ寿命を終えれば貴方方化け物の手の内に還るからで御座いますか。それに…クダリはこの事を知っているのですか?」

『クダリ様は貴方様が此処に来ていることぐらいは知っているでしょうね。そうで御座いますねぇ…あまりに力の差が歴然ですと、これぐらいの勝利特権は差し上げなくては、と。何せ我々は歴代のサブウェイマスターの力以外にも、歴戦の猛者達の魂も食らっておりますから。…しかしその言い方は気に入りません。宜しいでしょう、では更なる勝利特権として、クダリ様に今後一切の関与を致しません事をお約束致します。天寿を全うした後も、その魂に手出しは致しません。嘘では御座いませんよ?我々の弱点と致しまして、一度口に出した事は覆せない事にあるのです。重大なヒントですので、是非ご利用下さい』

1年前 No.4

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《ただし、約束は貴方様が勝利すればの話で御座います。》
笑いを含んだ物言いに、絶対的な勝利の自信が垣間見える。――確かに、相手はとんでもない存在だ。目の前の黒い化け物が言っている事が本当ならば、彼らは人の生も死も、時間さえも自由にできると言っているのだ。…嘘の可能性も十分にあるが。
ノボリは構えていたバールを力無く降ろして、興奮に荒くなっていた呼吸を整えた。
今はこの化け物の言葉を信用するしか手がない。このまま自分の正気が保てられるか分からない様な極限の状態で、確かな希望と目標が無ければ動く事も出来ない…信憑性は動きながら見極めるしかないだろう。
クダリがまだ化け物達の手中に落ちていないという事。その言葉だけががノボリの闘志を掻き立てた。

――あの子が諦めていないというのに、死してなお戦い続けていたというのに、わたくしはただ泣いてばかりいたのですね。

《…クダリ、わたくしが助けに行くまでもう少し頑張っていて下さいまし。必ず貴方を救い出します…!!》

バールを片手に無言で黒い化け物の横を通り過ぎる。ルールの中に入っていない傍観者のこの化け物にもう用は無い。
所々血の染みのついた白い手袋の手でドアノブを掴んだ途端、後ろから無機物のように硬い腕がノボリを抱き締めるように胸と腰に回される。冷たいマネキンの黒い頬が、ノボリの耳元に触れた。

「な…っ!!」

『隙だらけで御座いますね。ご存知ですか?このギアステーションにいる多くの鉄道員が、貴方様がこうやって隙を見せるたびに襲い掛かりたい気持ちを抑えていた事を。そしてクダリ様はそれに気が付いていて、いつも影で貴方様をそれらからお守りしていた事を。罪作りな花で御座いますね…今とてわたくしが穏やかに話すので、敵であるというのに油断してしまいましたか?』

「っこの、離…!!」

武器を持った右手を思い切り振り上げれば、黒い化け物は難なくそれを避けてさらにノボリを締め付ける。さらに腕を振り上げれば先程生えてくるのを目の当たりにした茨の蔓であっさりと押さえつけられてしまった。
ドアに額を押し付け、完全に背後から自由を奪われる――早速貴方の言う事が嘘という事が判明致しましたね、と掠れた声で囁けば、黒い化け物は愉しげに言う。

『まさか、ただの忠告で御座いますよ。こんな事では簡単にゲームが終わってしまう…暇つぶしにもなりませんから。さらにもう一つ忠告して差し上げましょう。白い化け物は大層貴方様を愛しております。クダリ様が貴方様に惹かれるように…全く、奇遇ですね。故に自分が取り込む魂でもないのに、貴方様を摘む役を自ら買って出たのです。口付けなどされぬようお気をつけ下さいまし?ああ、口というのは声を出している花のことですがね。』

ふわりとノボリの体に巻かれていた腕が放されるのと、ボロボロと灰が散るようにその体が霧散していく。

『…奇遇は続くもの。かく言うわたくしもクダリ様のことを大層気に入っておりましてね。そう、愛しているといっても過言ではない程。故に、クダリ様を直に手にかけたのは実質わたくしだけで御座います。大変興奮致しましたよ…!』

ガコンッ!!!

ノボリは消え行く黒い化け物に思い切りバールを投げつけた。
バールは狂った笑い声だけを残して透き通っていく化け物を貫通して、コンクリートの壁に傷を作るだけに終わった。
悔しさとやりどころの無い憤りに呼吸は荒ぶり手が震える。――落ち着け。落ち着かなくては奴らの思う壺。
工具の棚からもう一回り大きなバールを取り出して、ノボリは一つ深呼吸をした。
怒りに囚われている場合ではない。あの化け物が消えたのだから、鉄道員たちが此処に来るのも時間の問題だろう。
《早く行って、クダリを見つけなければ…!!》

再度ドアノブを捻って備品室の外に出れば、真っ暗だったシングルのホームは煌々と明かりが付けられていた。

1年前 No.5

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3




『いっつも思ってたけど、ノボリ運動不足過ぎ。ここまで来るのに肩で息をしてるようじゃ、ちょっと情けないかなぁ。』

『ノボリ…ノボリ…会いたかった…ごめん、一杯泣かしちゃったね…ごめんね…』

『うわあ、会いたかったよ…!一ヶ月ぶり!!…ねえ、僕今すっごくノボリ抱きたい…ベッド行こうって言ったら、怒る?』

『シビルドンのマグカップ、結局買えなかった。あー、アレ欲しかったな…ノボリ、ひょっとして僕の代わりに買ってきてくれた…なんてことないよね』

儚く白い影が躍る。

ノボリは赤く染まる肩を抑えながら、スーパーマルチのホームを壁に凭れながら歩いた。床に蠢く茨の棘にバールの先が当たってキリキリと嫌な音が鳴る。時折見かける有刺鉄線と赤い花は相変わらず茨と縺れていた。
目の前にはスーパーマルチレインと、その中やホームで走り回る沢山のクダリ…偽者。どの顔も、声も、揃って同じという訳ではなかった。やはりコピーには出来不出来と言う物があるらしく、己ですら見分けが付かないほど完璧な『クダリ』もそこそこ居るが、明らかに顔や声、中には年齢さえ違うような『クダリ』も居た。
目の前から突進してくるパーツの欠けた崩れた顔の偽者をバールで思い切り叩きつければ、体は霧散してぶわりと白い花が散る。

『ノボリ…肩痛そうだよ…ねえ、もう十分だよ?僕、もうこれ以上君の苦しむ姿を見たくない。』

「はぁ…はっ…ならば見ないで下さいまし…偽者には関係御座いません…!」

『あっははは!相変わらず頑固、でもそんなとこも大好きだよ!』

抱きしめようと腕を伸ばしてくる数人の偽者を一気に殴り倒す。――中にはほぼ本物に近い物も居たが、あの子ではないと感覚で何となく思った。もしそれが本物だったら、と思うのはやめた。ふざけていても賢いあの子の事だから、偽者と同じ行動は取らないだろうと信じている…ただそれだけの希望で硬い金属を何度でも白い影に振り下ろす。

辛い。つらい。もう逃げ出したい。
偽者であっても、あの子にこんなにも近いに彼らに酷い事をしたくない。…嫌だ。あの子の姿をした物を傷つけたくない。

―――嫌…嫌だ………もう嫌です……!!!クダリ…ッ!!!

ガタン!!!

散る花の白い影から、緑色の制服が見えた。
鉄道員――ホームの反対側から覚束無い足取りで歩いてくる彼は、最近入った新人だった覚えがある。――優秀な子。だからこそ、こんな化け物のゲームに付き合わされてしまったのか。
呆けた様に空きっぱなしの口からは涎をだらしなく流していて、手に持っている包丁はノボリが愛用していた給湯室の備品だった。
頬から流れる汗がじわじわと肩の傷に触る。シングルのホームを抜けるときに数人の鉄道員に囲まれて、シンゲンの持っていた小型の鉈で薄く切られてしまったが、それでも運が良かった方だった。彼らは通常の力が出せないらしく、鉈を振り下ろした彼の腕は明らかに力が篭っていなかった。
生きている人間は操りにくい――化け物達は生の領域に在るものが苦手なのかもしれない。
考えてみれば、己はこのギアステーションから出た後で死のうと思っていたのだ、黙っていれば魂など簡単に手に入っただろうに…クダリも彼らの《花園》とやらに植えるのに失敗したと言っていた。それも、生きている物を途中で殺したから――
ただ単にフェアなルールの下で、というだけでこのゲームを始めた訳ではないのではないか?

近づいてくる鉄道員に白い偽者たちが愉しそうな声を上げる。
バールを振り上げて纏わり付く偽者たちを薙ぎ払うと、停車していた電車の中へ駆け足で乗り込む。電車は備品室から出た途端に突如として各ホームに現れた物だった。
何故だかは知らないが、鉄道員たちは電車に乗り込もうとはしなかった。電車は通常通りの運行を見せ、各駅に停車する。スーパーシングルトレインで一巡してきたが、電車から降りる際の鉄道員たちの待ち伏せは少し危なかった。
乗ったからには降りる時は細心の注意を払わなくては。
電車の中でも沢山の偽者達が笑い、あるいは泣きながら己に話しかけてきた。少し気の強そうな眼差し、己と同じ銀の髪、純白のコート…
《…気が狂いそうです…。》
ノボリはネクタイを緩めて、ぞんざいに汗を腕で拭った。白い手袋を外して見れば、バールを握る手は豆が潰れてヒリヒリと痛んだ。

『お疲れー。うわあ、痛そ…可哀想にね。』

偽者達が一瞬にして霞と消え、電車の床が白い花と茨で埋まる。
電車ののドアに凭れかかりながら視線だけで声を追えば、白い化け物が茨を巻きつけた足を組みながら斜め前の長座席に座っている。

『さっきはからかってごめんね。君があんまり可愛かったからさぁ…クダリの姿なら抱きしめてくれるかなって。説明はもう片方から聞いてるでしょ。どう?クダリ見つけた?』

「……貴方様にお話しする事は何もありません。」

『ははっ、傷つくなぁ。ノボリ。僕、話すと意外と楽しいかもよ?ほら、歴代の白のマスターとか。先代の白のマスターは君が好きだったみたい。黒のマスターには嫌われてるのにねぇ。会いたい?』

「黒い化け物と似たようなこと仰いますね…さすがは同じ化け物という所でしょうか。」

『まあね。彼とは同じなんだ…君達と同じ、双子みたいなもの。花園の案も最初は彼から出てさ…とても美しい場所だよ。皆静かに佇んでる…争いも、悲しみも、苦しみさえも無い。僕達が管理してる、永遠の花園。』

「喜びも、楽しみも、心動かす事など何もない、の間違いで御座いましょう。…貴方方は魂が食料のような物とお伺い致しましたが。そのように集めて、永久に眺め続けるおつもりなのですか。」

ガタン…ゴトン…

窓の外を流れていく補助灯の明かりを眺めながら、ノボリは何気なさを装って尋ねた。結局の所彼らの言う花園とは何なのか、あの黒い化け物もそう大して説明しなかったのが気がかりだったのだ。
白い化け物は楽しげに己に巻きついている白い花の一本を毟り取って、ノボリの方に翳す様に掴み上げる。

『花々は永久に咲き続ける…だって本物の花じゃないからね。でもね、僕らも吸収して取り込みたいという気持ちが抑えられない時もある。人間でいう空腹って事だね。その気持ちは無意識に出ていて、僕らの中にある《花園》という空間全てを支配している。…いつの間にか永遠に咲いてるはずの花が少しずつ消えていく事があるんだけど、そういう時は決まって消えた花の記憶が流れてくるから、恐らく僕らが自然と食べちゃってるんだろうね。』

「……………。」

『消えていく花は決まって強者の花園の中でも弱い物から。食べるとね、その魂の持ち主の記憶や経験が全部僕らのものになるんだ。――いつか、僕たちはもっともっと進化した別の存在になる。美しい花々を愛で、その中から更に弱い物をを選別して吸収して、一番最後に残った最高の花を――』

《僕らと同じ仲間に改造しようかって、ちょっとだけ計画してる。》
秘密基地の在り処を打ち明ける子供のように、無邪気にそっと囁く。
粟立つ肌は元には戻らず、冷たい汗は背中を幾つも滑っていく。ノボリは震えを悟られないように腕を組んだ。
とんでもない存在に目を付けられてしまった。歴代のマスター達は、こんな存在に囚われてしまったのか。
魂を食う化け物。弱ければこの化け物の血肉になり、強ければ化け物と同類に堕とされてしまう哀れな末路。

黙り込むノボリを空洞の瞳で眺めながら、ふわりと音も無く立ち上がる。
クダリと寸分違わぬ声が、熔けるように優しく囁いた。

『…怖がらないで。大丈夫、今の所君とクダリが一番強くて美しい花…ねえ、僕ら二人して君達が好きになっちゃったみたいなんだ。こういうの、人間は恋っていうのかな?凄く素敵な気持ち…』

床に伸びていた有刺鉄線が、茨と共に激しく音を立てて這いずり回る。
気配も無く伸ばされる手にハッとして、ノボリは身を翻した。瞬時に伸びてくる茨をバールで打ちつけて、白い化け物から数メートル後退する。

「人間のフリなどなさらなくて結構で御座います…!食料に恋などと、笑わせないで下さいまし!」

『あはははっ食べちゃいたいくらい愛しいって言わない…!?ねえ、早く僕らのものになってよ…いっぱい愛してあげるからさ!!早く、早く、早く!!!さあ!!!!』

電車が急ブレーキをかけて駅に停車する。多くの偽者達に混ざって、中腹で見かけた殆どの鉄道員たちが駅のホームに待ち構えているのが窓から見えた。ノボリは苛立つ瞳を目の前の化け物に向けた。先程の新人もその中に居る――乗った駅から此処まで、人の足で数分などという時間で辿り着く距離ではない。
《呼び寄せましたね…!!》
邪魔はするって黒い化け物から聞いたでショ?と、白い化け物は大きな声で笑った。やがてドアが開き、一斉に鉄道員たちがこちらに向かって歩みを進める。
クダリの姿をした白い影達はとても楽しそうだった。

「…一つお聞きしても宜しいですか。」

『何?リタイア?』

「クダリは…本当にこの中に…この場に居るのですか?」

『うん、居るよ。疑り深いなぁ…僕らは偽りの無い剥き出しの想いだけで成り立った存在だから嘘だけは吐けないし、言った言葉は実行しなければならない。厄介だよ…嘘吐けたらきっともっとこのゲームも楽しくできたのにねぇ。』

のんびりとした声を背後に聞いて、ノボリはホームに向かって駆け出した。白い化け物が肝心な部分では手を出さないというのは本当らしく、茨は特にノボリの足を引っ張ってこようとはしなかった。鉄道員たちが各々の武器を持ってノボリに突進してきた。

鋭い金属音を立てて腕に衝撃が走る。
片腕は怪我で使い物にならない――早々に肩を切られたのは本当に痛手だったと、がむしゃらに襲い掛かってくる鉄道員たちを相手にしながらノボリは焦った。振り下ろされたバールの先が僅かに掠った鉄道員は、赤い血が吹き零れた。この血はやはり彼らが本物の証。ノボリは吹き出た血に僅かに動揺して、バールを持っていた手を横から現れた別の鉄道員にレンチで叩きつけられてしまった。

「………!!!」

何とか横に居た鉄道員を蹴り上げて吹き飛ばすものの、衝撃と痛みで唯一持っていた武器を手放した。バールは床を滑り、遠くの壁にあるベンチの下に入り込む。
骨が砕けたような感触に声も出ない。たまらず床に蹲っていると、先程血を噴出して倒れた鉄道員が緩慢に起き上がってノボリに備品室で見かけたバットを振りかざす。

――ああ、それひょっとして貴方の物だったので御座いますか…クラウド。息子さんが野球をやっていたと、そういえば前に仰っておりましたね…。

頭から血を流したかつての大切な仲間は、胡乱な瞳で己を見つめていた。
ノボリは逃げなかった。
今此処でバットを振り下ろされれば、間違いなく自分は死ぬだろう。このゲームも完敗に終わる。
別に足が動かないわけでもなかったが、このままで居ようと思った。それで死んでも、仕方が無い。両腕が満足に使えず逃げ回るのは、遅かれ早かれこの結果に辿り着くと結論付けたのもあったが――

賭けているのだ――嘘を吐かないという化け物の言葉に。…あの子に。

腰の辺りにぞわざわと蠢く感触を感じた。鋭い棘の感触がコートの上からでも感じる――棘に幾つも引っ掛けてある、みすぼらしい赤い造花…あの有刺鉄線だ。
何重にも巻きついてノボリをギュッと締め付けたが、最初に足に巻きついてきた時程の力ではない。そしてそのまま後ろへ弱弱しく引っ張るような感触に、いよいよあの白い化け物が己を摘む(殺すとはっきり仰ればよいのに)ということかと頭のどこかで他人事のように考えた。

ポタリ、と雫が床に落ちた。
茨の隙間に見える灰色の冷たいコンクリートの床を黒く染めたその雫を見て、ノボリは目の前の男を見る。

「……クラウド…?」

有刺鉄線は更に力を込めてノボリを後ろへと引っ張る。かつて最も親しくしていた年嵩の部下は、バットを振り上げた手を震わせながら頬に幾つも汗の筋を作っていた。胡乱な瞳の奥に、燃え盛るような怒りが見えた気がした。
いつまでたっても振り下ろされないバット――耐えてくれているのか。
己に逃げろと、そう言っているのか。

『――ノボリ!!』

白い影達が楽し気に騒ぐ声の中で、一際鋭い叫びがホームに響いた。
よろめきながら立ち上がると、一人の『クダリ』が必死の形相で駆けてきた。手には先程己が手放したバールを持って、立ち止まることなく目の前で震えているクラウドを薙ぎ倒した。真っ赤な飛沫が赤い花のように舞い上がる。

「クラウド!!!」

『バカノボリ!!何で逃げないのさ!!隙を見て合流しようと思ってたのに…!他の鉄道員たちが来る――逃げるよ!!』

「クダリ!?…貴方は本当に…クラウドは…っ!」

『ちゃんと加減したからクラウド大丈夫!…っ…何そんなのに捕まってるの…!』

腰に巻かれた有刺鉄線に気が付くと、クダリはバールを振り上げてそれを叩き切った。切られた鉄線は意思を無くしたかのようにそのまま動かなくなる。
ざわざわと向かってくる茨と僅かな有刺鉄線をバールで弾きながら、クダリはノボリの体を支えて駆け出した。
一旦中腹まで戻って、その後に最初のダブルトレインに戻った。丁度そこには電車が来ていて、茨と鉄道員たちの手をかわしながら転がり込むように乗り込んだ。
静かな音を立てて走り出す電車――ダブルは次の駅まで大分あるはず。ノボリは肩で息をしながらその場に崩れた。砕けた腕は腫れ上がり、熱と痛みで頭がクラクラする。車内には数体の偽者が居たが、クダリはそれらを一気に薙ぎ倒していった。

1年前 No.6

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『さすがに胸糞悪いね…悪趣味。――ノボリ…っ大丈夫?』

眩しい白がノボリを包み込むように抱きしめた。
最初は少し戸惑うように、やがてそれは強く、息が詰まるほどに強くなっていく。――クダリ。抱きしめられた腕からは、彼の温かい匂いすらする。

『…会いたかったよ…っ!でも、会えないほうが良かった…なのにこんな所にノボリ来ちゃった。あいつらからノボリを守れなかった…ゴメン、ゴメンねノボリ…!!』

泣きながら抱きしめる彼に、ノボリは痛みを堪えて腕を回した。
温かい体、間違いようも無く悲しみを訴える声、がむしゃらに強く抱きしめようとする癖――クダリだ。目の前の彼は間違いなくクダリだ。他の偽者たちに無いものを沢山持ったあの子…。
《………ああ、本当に……》
ノボリは震える声でクダリに縋った。

「ク…ダリ…!!わたくしこそ申し訳御座いませんでした…!!貴方を…守れなかったのはわたくし…!!」

『違う…そんなことない。ずっとノボリを見てたよ…ずっと、泣いてるノボリを見てた。抱きしめたかった…苦しませてごめんね…っ。周りの人達、皆ノボリのせいみたいに言ってたけど、あれもあの化け物達が操ってただけ。辛かったね…もう、大丈夫。僕はノボリの傍に居る。』

出せる力の限りにその体を抱きしめる。白いコートに涙の跡を幾つも作りながら、その胸に体を預けた。
枕木の音だけが車内に響く――背中をさするクダリの手が、やがてノボリの頬へ辿り着く。涙に濡れた頬を優しく手袋の手で拭うと、互いに目を見合わせてプッと笑った。

『あはは、ひどい顔…ノボリ、こけた顔に真っ赤な目って結構怖い…』

「仕方が無いでしょう…笑わないで下さいまし。ふふっ、クダリ、貴方は変わりませんね…」

優しくクダリの頬を撫でれば、うっとりとした微笑が返ってくる。やがてその瞳はもっと熔けたように熱を持ち、ノボリに近づいた。
抱きしめる腕がぎゅっと強くなる。熱いほどの吐息がノボリの口元を擽った。
もうすぐ触れ合うかという瞬間、ノボリはハッとして顔を背けた。

『…?ノボリ?』

「すいません…っクダリ。この様な時に非常に申し訳ないので御座いますが……わたくし、口の中を切っておりまして…」

『ん?』

「血の酷い味と匂いがするので…ちょっと…止めておきます…ね。」

《エチケットって大事で御座いましょう?》
変に恥ずかしくてノボリはクダリの腕の中で頬を赤らめた。
そんなノボリの言葉に、クダリは一瞬キョトンとした後で盛大に噴出した。

『ぷっくくく…あははは!!ノボリッ…ノボリはホントどこまでもノボリだよねぇ。今何かすっごい安心した!あーもー、可愛い…僕のノボリだ。』

《そんなの全然気にしないよ。…ああ、その方が好都合じゃん!もう僕達の勝ちで確定だね。》
ですが…となおも恥ずかしがるノボリに、クダリは《次の駅で降りて駅員室の所に行く?》と笑って言った。
気休めにしかならないかもしれないが、水道で口を濯げば良い――ついでに、この腫れた手を冷やそうと眉を顰める。
ノボリはその提案には素直に頷いて、抱きしめるクダリに弛緩した体を預けて枕木の心地よい音をぼんやりと聞いた。

『…此処を出たら…シビルドンのカップ買いに行きたいなぁ。』

「…ソレ、偽者達も口々に言っておりましたね。」

『えっ…ちょ、僕、違うよ…!?だって買いに行こうと思ったら死んじゃったし…!』

「解っておりますよ。貴方のシビルドンカップに対する想いが偽者達に伝染するくらい強くて呆れている、というだけの話。」

《一緒に買いに行きましょうか》
笑いながらささやかな幸せの話をしていれば、やがて緩やかに電車は停車する。
窓から確認するものの鉄道員達の姿は無く、偽者達がフワフワと歩き回っている。そんな白い影たちを見ながら、クダリは苦虫を噛み潰したような顔をしてバールを持った。

『その体であいつらに纏わり付かれるの辛いよね。僕、先に降りて道を空けるから、ノボリは僕が良いよって言ったら来て。』

そう言って外へ駆けていくクダリをノボリは床にしゃがみこんで見送った。電車の停車時間は短い――どうやって運行しているのか知らないが、クダリから声が掛かるのをノボリは待った。目の前で白いコートを翻して偽者を薙ぎ倒していくクダリの足取りに迷いは無い。

『ノボリ、おいで!』

「はい――あっ!!」

電車の外に出ようと立ち上がれば、疲労した膝ががくりと崩れ落ちる。その衝撃で手すりに傷のある肩を打ちつけて、ノボリは呻き蹲った。

『…!ノボリ!!』

「クダリ…!!わっ…」

驚いたクダリが駆けつける前に電車のドアが勢い良く閉まる。
必死の形相で叫ぶクダリは、どうやらそのまま電車にずっと乗って、またこの駅で戻ってくるようにというような事を言っているようだった。ノボリは痛みに滴る汗を拭いながら、クダリに窓から何度も頷いてみせる。
心配そうに顔を歪めるクダリから遠く放れて行く――やがて電車は明るいホームから抜け出て暗い補助灯だけのトンネルに差し掛かった。

ガタンゴトン…ガタンゴトン…

ノボリはずるずるとドアに凭れてしゃがみ込んだ。
砕けていない方の手で制帽を外し、その頭を抱えた。

――本当に、悲しいくらい良く出来ている…偽者のクダリ。

わざと転んだフリをしたのだ。…傷口に手すりが当たってしまったのは偶然だったが。
クダリはこのルールを知らない筈だ。口の中が切れていれば好都合などと、己たちの勝ちなどと言う筈が無い。
あまりに良く出来ていて、いっそこのままついて行ってしまおうかなどという誘惑に一瞬でも駆られてしまった自分をノボリは恥じた。
命を懸けたあの一瞬に託していたのに、捕まえたのは偽者だけ。

《これで本当にもう、本物のあの子を見分ける手立てが無い…どうすればいいのか…》

…静かだ。
ダブルの電車の中には偽者が少なかった。そしてそれらも先程の偽者が綺麗に片付けたから、今この車両にはノボリだけしか存在しなかった。そう、あの茨も白い花も無い――あるのは……ふと、自分の腰周りに感じる違和感のもとに手を伸ばす。
《…これですか。》
ノボリは腰に巻かれたままピクリとも動かなくなった有刺鉄線を巻き取った。そう硬くも無い鉄線は怪我を負ったノボリの腕でもあっさりと取る事が出来る。
最初から茨ほど数は多くなかった…むしろ、時間の経過と共に有刺鉄線の数が減っているように感じていた。茨と鉄線には何の違いがあるのかと、ずっと気になっていたのだ。
その棘上に突き出た部分に引っ掛けてある複数の赤い造花に触った瞬間、ノボリは眉を顰めた。造花を触った掌が、薄赤く濡れている。
《何ですか…これは……》
有刺鉄線に括り付けてあるだけでも奇妙なのに、それも濡れている造花とは…なんと気味が悪い。
己の白いシャツで思わず拭ったその時――ノボリは雷に打たれたような衝撃を覚えた。

掌に濡れた赤…白いシャツについた薄い赤い色は、確かに見たことのある色だった。
しんなりとした鉄線を持つ手が震える。

「あ……あ…」

ノボリは自分がとんでもない間違いを犯していたことに気が付いた。

上手く動かない手で鉄線からその造花を一つ摘んでみれば、それはパラリと紙の様に開いた。――まるで蕾が花開くように。
薄赤く濡れた紙には、僅かに見える程度の白い字で文字が書いてあった。
そのメッセージを読みながら、あの時の記憶が鮮明にフラッシュバックする。

…あの子を見つけた時、水道の水が出しっ放しだったのです。

《ノボリ》

その水の中に半身を埋めたあの子の腕からは、真っ赤な血がふわりふわりと、花のように溶けて――

《ノボリ》   《ノボリ》

水は薄く、綺麗な赤になっていた。

《愛してる》

あの子の真っ白なシャツも、それは綺麗な薄い赤に染まっていて…

《愛してる》  《大好きだよ》   《ノボリ》  《愛してる》

わたくしは、あの子が花の中で眠っているような錯覚を起こしたのです。

《僕を助けようとしないで》  《逃げて》   《お願い逃げて》  《僕は大丈夫》《ノボリ》

「…う…ああ…っあぁっ………ぁ…!!」

《愛してるよ》  《生きている君が好き》《ノボリ》    《あの化け物は》 
《とても危険》      《君が逃げる事》 《それだけ考えて》


《お願い》        《逃げて》  《愛してる》 《逃げて》《ノボリ》

      《どうか》  《強く生きて》   《それが僕の》《一番の望み》

《愛してる》


『――愛してるよ、ノボリ。逃げて、強く生きて…!』


―――…クダリ……クダリ…ッ…!!

「ああああああああっっ!!!!」

開かれた複数の赤い紙で、電車の床は花畑のような鮮やかさになっていた。
ノボリは動かない鉄線を腕に抱いて、泣き叫んだ。腕に抱いた鉄線がノボリの腕を突き刺して血が零れても、ノボリは更に強くその鉄線を――クダリを抱きしめた。

本当の、本物のクダリ。
クダリの血が染み込んだ赤い紙に、ノボリの涙がポタポタと落ちる。

「うっ…うぅ……クダリ…ィ…クダリ…!!」

バットを振り上げるクラウドの前から逃げなかったのは、あの場所にクダリが居ると言うならば必ず出てくるだろうと思ったのだ。
微妙な表情の変化まで完全にコピーされた数体の偽者を発見して、絶望しきっていたノボリにはそれ以外に見極める方法が無かった。
あの時――あの場に飛び出してきたのはバールを持った『クダリ』と、この有刺鉄線……何故気が付かなかったのだろう。

最初に足に絡んできたのは、己があの白い化け物の元へ行かないようにだったのだ。それから逃げるときは猛烈な勢いで迫り来る茨に絡んで縺れさせていた…それから…それから――

あの子は幾つもの場面で己を助けてくれていた。
零れ落ちる涙が止まらない。彼の命をかけた想いは、こんなにも己を強く、温かく包み込んでくれる。
鉄線を抱いたまま、ノボリは床に散らしたメッセージを大切に一つずつ拾った。彼の癖のある筆跡が浮かび上がっているその赤い紙を纏めて、胸のポケットに仕舞う。
じわりと血が染み込んだシャツの胸に手を置いて、ノボリはきつく目を閉じた。

《行きます…貴方の元へ。貴方は怒るかもしれませんが、わたくしは――》

己の血に染まった有刺鉄線を骨の砕けた腕の、コートの袖の中に見えないように巻きつけて、ノボリは祈るように腕を額に当てた。

「どうか導いて下さいまし、貴方の元へ…」


これでぼんやりと空白だったピースが埋まったような気がした。

1年前 No.7
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