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Let’s write a novel!

 ( 小説投稿城2世(大人風味) )
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美桜@hoep ★WZG2dY76as_KMC

 未来は真っ白じゃないとつまらない。自分で彩る楽しみがなくなるだろう?


 自己満足から生まれる感動だってあるかもしれない。……と、非常に無謀な賭けに挑むのがお恥ずかしながら我が同好会だ。溢れ出す妄想を形にしようぜ! などというモットーにあるまじきモットーを掲げ、今日もくだくだと駄弁って……いや、創作活動をしている。そりゃもうドン引きする程のマイペースで。

 しかし、我が部が真面目でないわけではない、と俺は思う。というより思いたい。例え客観的に見たら真面目には見えなくても。要するに、……自己満足万歳!


 とまあ、今日も無駄に広い図書室でたった三人の部員は、あれこれ雑談しながら妄想を形にしています。

 君も覗いてみますか? そこに価値があるか問われたら返事に詰まるけど、暇潰しにくらいはなるはずです。

5年前 No.0
メモ2017/04/06 23:25 : 美桜 @hoep★IbI3Qun4jg_yoD

*目次


Page1 始まりのおはなし >>1

Page2 初夏のあれこれ >>2-8

Page3 意外な一面=かわいいの方式 >>9-14

Page4 妄想癖のある幼馴染と、食卓にて >>15-21

Page5 正午の閑話 >>22-24

Page6 緊急会議  >>25-31

Page7 とあるケータイ小説家について >>32-37

Page8 夏空に溶ける >>38-50

Page8.5  Let's女子会! >>51-52 >>83 >>53-54

Page9  明け方の閑話 >>55-60

Page10  とあるケータイ小説家からの挑戦状 >>61-66

Page 11 とあるケータイ小説家への挑発 >>67-73

Page 12 とあるケータイ小説家の代理人 >>74-82

Page 12.5 約束novel!  >>84-92

Page13 紡ぎ続ける理由 >>93-104


不定期更新。

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美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

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4年前 No.55

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

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4年前 No.56

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

「蒼依はさぁ、文化祭のリレー小説とか大丈夫なの? もしピンチなら今回のお詫びに手伝ってあげる」

 徹夜で人を巻き込んだばかりなのに偉そうな刹那の声に、夏休み前の部室でのやり取りが再生される。

 佐藤が「まだ七月になったばかりだ」と戯けてからおよそ一か月が経った今。順風満帆とは言い難いが、文化祭用の部誌制作はまずまずといったところだ。ついでに夏の課題も。蝉が鳴くように絶え間なく作業しているのでなくても、心配しすぎる必要はない。徹夜などもってのほかだ。

「助けを借りる必要はないな。万が一のことがあっても漫画と違って分担できないだろ」
「んーじゃあ、リレー小説の途中経過は見ずに完成するまでお預けにしようかな。文化祭の時に初見だった方がテンション上がるよね、きっと。もちろん冬馬も行くでしょ?」
「その時期丁度暇だから、言われなくても行く予定だったよ。僕の漫画を読んだっていう……佐藤さんだっけ? その人とも会いたいし」

 刹那は花火大会の時佐藤に「相川に会わせてやる」と宣言したが、少なくとも夏休み中は予定が合いそうにない。漫研が普段の何倍も忙しいのが決定打となった。この締め切り騒ぎ然り、開催まで一週間を切ったコミケ然り。佐藤も坂本先輩もお盆には用事があり、コミケに参加する手も使えない。夏休みの終わりは辛うじて時間が取れそうだと刹那は言うが、その頃こっちは一足早い始業式を迎えている。

 そういうわけでしばらくは無理だろうと佐藤に伝えた時、俺の予想とは遥かにかけ離れた答えが返ってきた。「何か月か持ち越しても会えることが約束されていればいい。待つのは好きではないが、相手も忙しいのは承知の上だ」……実は坂本先輩と精神が入れ替わってしまって、彼女が必死に佐藤を演じていると言われてもあの時なら信じられただろう。


「ちょっとおかしい奴だが、相川の作品が好きなのには違いないと思うから。まあ、その、引かないでやってくれ」

 刹那は引くどころかぐいぐいと押してきたが、刹那を基準に物事を見るとろくなことにならない。逆に刹那に対し佐藤達が狼狽しないか心配したのだから例外中の例外だ。それは置いておくとして、ファンとはいえ一筋縄ではいかない人物だということを前もって忠告しておこう。

「佐藤さんの話は梶さんから多少聞いてるけど、蒼依くんと梶さんの認識って随分違いそうだね」

 一体どんな話をしたんだと問うまでもなく、刹那の顔を見れば一目で分かった。それでなくとも大体の予想はつく。

 花火大会が初対面だったのにもかかわらず、刹那は佐藤や坂本先輩との距離を確実に縮めている。聞けば、俺が美術の課題で居残りになっていた時に偶然にも駅で二人に会い、その足で喫茶店に向かったという。

 帰り際に二人の似顔絵を描いたと得意げにスケッチブックを見せてくれた。ラノベの表紙みたいな絵だったが上手く特徴を掴んでおり、さすがと言わざるを得ない。服装がアニメキャラのコスプレなことを除けば。まさか当人達の前で描いたんじゃないだろうなと問い詰めれば、首から下は帰宅後に描いたと返されて安心した。

4年前 No.57

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

「ずばり、佐藤さんを一言で言うと?」

相川が「一言」の部分を強調したのは、そうしなければ刹那が延々と語り出すのを知ってのことだろう。一聞けば十で返してくるような奴には最初に釘を刺しておくに限る。


「変人。扱いには気を付けろ」
「敢えて一言でまとめるならクーデレ」

 重なった俺と刹那の声に、相川は呆れる間もなく現実逃避を始めた。窓の外に目をやって「空が綺麗だなぁ……。さすが六階」などと呟いている。お前はどこへ向かいたいんだ。暫くの沈黙の後、「冬馬が壊れた」と刹那に同情の目を向けられて我に返ったのか、彼は一見頷いてしまいそうでよく聞けば首を傾げたくなる結論を叩き出した。

「……うん。変人は人によってはクーデレかもしれないし、逆も同じってことでいいかな」

「変人なんかじゃない、せっかく語って聞かせた梓ちゃんの勇士をもう忘れちゃったの!?」
「梶さんこそだんだん話に胡散臭さがでてきて、僕に『どこのアニメのヒロインだよ』と突っ込まれたのが記憶にないの?」

 刹那は物事を変に曲解することが多いせいでどこから脚色しているのかよく分からない。否、妄想に生きる人間には脚色という概念すらないのかもしれない。無意識のうちに都合良く脳内変換している、ある意味幸せな頭だと思う。だが幸せなのは本人だけだ。相手をする側としては相当慣れていなければ胡散臭いと疑うのは当たり前だろう。俺によって佐藤のイメージが揺らぐことがあれば尚更。

 ……ちょっと待てよ。人に誰かを紹介するとなれば、どういう人物かくらい明確に伝えておくのが義理ってやつじゃないか。刹那が適当なことを言いふらす分俺がしっかりしなければ。

 振り返ってもみても俺は、刹那と佐藤達を会わせた時だって相手にきちんとした説明をできていなかった。刹那には例の写メを見られた件もあり佐藤達のことはよく話していたが、刹那について佐藤達に話したのは幼馴染だということだけ。あの時は飛び入りだったからといくらでも言い訳はできても、そんなのただの逃げだ。もう同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。

4年前 No.58

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

佐藤は何の物怖じもせずに突っ走り、他人の中にずかずかと土足で踏み込んでくる。何の面識もない、この学校に在籍すると噂される相葉由紀に対しても。それでいて狡猾で要領が良い。いつか部室で見せた豹変顔もその一つだ。何かあった時は自分に被害が及ばないよう上手く立ち回るだろうな、とさえ思った。実際そうしているんだろうけど。

 しかし、刹那のように押しに強いタイプにはどう接すればいいか分からず困惑しているのを見て、心底意外だと思ったのを覚えている。坂本先輩が言っていたように彼女は刹那を嫌悪してはいなかった。ただ、珍しく不器用さが出てしまっただけで。いつもは不器用な人間を指差して笑っているくせに。



「物事に深入りするのが好きだったり、すぐ関係ないことに首突っ込んだりする節はある。でも自分が迫られる側になると動揺する……そんな奴かな、佐藤は」
「つまり好奇心旺盛だけどシャイ、追いたいが追われたくない。可愛いよね、ほんとに!」

 真面目に考えて言ったのにすぐさま刹那に水を差された。要約としては合ってなくもないが、絶対違うニュアンスで取っているだろうと突っ込みたい。刹那に触発されたのか、はたまた故意でやっているのか……相川も的外れな答えを返してきた。

「深入りどうのこうのって蒼依くんにアプローチしてくるわけ? 梶さんが言うように三角関係になる兆しがあるとか」

 妄想三角関係話を相川にも聞かせていたのか。どうせそんなことだろうと思ってはいたが身をもって実感すると何とも言えない。まさか、佐藤や坂本先輩にまで変なこと言っていないだろうな……。聞きたいけど聞くのが怖い。

「じゃなくて。ちょっと前、うちの高校に元ケータイ小説家がいると知って、調べてみようと言っていたのを思い出しただけだ」

恋愛関係で縺れるどころか恋愛すら起こり得ないと何度言えば分かるのだろうか。刹那はことごとくつまらなそうな顔をして、それから記憶を整理するかのように「んー」と唸った。

「ケータイ小説家ねぇ。そんな話もしてたような気がするー。何か進展あったの?」
「全く。それに、文化祭が終わるまでその話はお預けだからな」

 正体を暴くと言っておいて、その実特にこれといった行動はしていない。最近の活動内容といえばリレー小説を計画通りに進めることばかりで、油を売っている暇はない。先程の刹那のように危機的状況におかれてはいなくても、優先してやるべきことはあるのだから。


「恋模様って言うんだよね? その人の代表作。ぶっちゃけ刹那はケータイ小説よりラノベ読むし、ドラマよりアニメ見るから興味ないけど、特定できたら褒めるくらいはしてあげるよ」

 特定できた頃には今言ったことも忘れているかもしれないな、と言おうとしたら、相川の淡々とした声に遮られた。
「ふーん、そっか。やっぱり会うまで何も聞かないことにしておくよ。変な先入観持たないためにも」

 淡々とした、と言うよりは空元気に近いものがある。刹那が元気の塊みたいな奴だから、そういうのはすぐに分かってしまう。最も、徹夜明けの人間に普通の元気を望むなんて酷なのは承知だ。だけど彼は俺達の中で一番平気そうだったのに。

「えー、もっと梓ちゃんについて語りたかったのに」
刹那は全く気付いていないのか、いつも通りうるさく反論している。軽くあしらおうとする相川に頬を膨らませる刹那。何だか一瞬でも気にしたのが馬鹿らしくなって、二人に合せて笑った。

 別にどうだっていいじゃないか。刹那の原稿は無事に完成した。相川は文化祭で佐藤に会ってくれると言っている。だから、少しの違和感は気にする必要ない。大方眠気が戻ってきたとか、そんなくだらない理由なのだろう。

 ―――本当は何かに気付いてしまったのに、徹夜の疲れからか考えることを放棄した。そうしているうちに、夜が明けて朝がやってくる。

4年前 No.59

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

  大音量の蝉の鳴き声と容赦なく照りつけてくる日差しは、目を覚まさせるのには十分すぎた。目を開けて最初に飛び込んできたのは一面の茶色、つまり座テーブルの表面。顔を上げようとするも肩に痛みが走り、それは体中に伝染し始める。おかげで周りの様子を確認するまでに数秒かかった。


 座テーブルの周りにはトランプが散らばっており、俺の手元にもハートのクイーンが見つかった。……そうだ。あれから刹那の提案でトランプをすることになり、ババ抜きやら大富豪やら、三人では盛り上がりに欠けるゲームをやっていたんだ。ある程度飽きたところで解散、俺は相川を自分の部屋に泊める、という予定だったはずが実行できずに寝てしまうとは。

 相川は俺の向かい側で同じように突っ伏して寝ている。刹那だけはベッドの上できちんと頭を枕に乗せて、静かに寝息を立てていた。


 足の痺れに耐えながら立ち上がり、開けっ放しになっていたカーテンを少し閉めた。まず時間を確認したい。まだお昼過ぎではなさそうだから寝ていても構わないが、俺は二度寝できない性質だし、相川は一度起こさないと風邪を引くだろう。

 トランプの山に埋もれる携帯を取り出して開いた瞬間―――あまりにも残酷な真実に息を飲んだ。


 画面に表示された日付は八月五日の土曜日。え……? 昨日が五日だよな、だから今日は六日の日曜日。学校は休みで……。しかし何度見直しても、目を擦っても五日の文字は消えない。刹那の学習机に置かれた電波時計を見ても変わらない。さらに不吉なことに、表示された時刻は八時過ぎ。


「……学校!」

 何でどうしてと叫びたい言葉はたくさんあっても、大きな衝撃を受けた時ほど声は出ない。唯一声になった一言は酷く掠れていた。

 今日が五日だと分かっていれば徹夜なんか付き合わなかったのに……! 後悔してももう遅いと知っていながら一人慌てふためく。……ま、まずは自分の部屋に戻って制服と鞄を取ってきて……。

 考えている間にも刻々と時は流れ、タイムリミットが迫ってくる。ホームルームが八時半から、講習開始時刻が八時五十分。駄目だ、電車を待っているだけで終わってしまう。家と学校が近ければ良かったのにとこんなに強く思ったのは初めてだ。

「蒼依……?」

 ベッドからふにゃふにゃとした寝起きの声がした。欠伸をしながら起き上がった刹那は「どしたの、そんなに慌てて。学校もないんだしゆっくり寝てれば」と暢気に笑う。俺も刹那達と同じように時間を気にせず寝ていられればどんなにいいだろう。黙ったままの俺に、刹那は悪夢を見た子供を諭すような口調で言う。

「蒼依のお母さんに徹夜の話をした時も今日は学校ないみたいに言ってたよ?」

 いつもなら第一土曜は休日だ。母さんや刹那がそう思っていても無理はない。だが、夏期講習中は週休二日制など忘れろと脅すかのように土曜が潰れる。そして誰も、俺が日付を勘違いしていると知らなかった。昨日、誰かに一言でも「明日は日曜だから休みだな」と言っていれば未来は変わっていたかもしれない。


 刹那は「まさか……」と顔を青くしたと思えば、迫りくる眠気に負けたのかぱたりとシーツに身を委ねた。最後に紡がれた言葉は「まあ頑張れ」だ。もし自分が同じ立場に置かれたら必死で何とかしてくれと頼むだろうに。ていうか徹夜に付き合ってやったの誰だと思ってるんだ。追い打ちをかけるように、目を覚ましたらしい相川から「走れば何とかなるよ……」と腑抜けた声を聞かされた。



 ―――忘却も怖いけど、思い違いはもっと怖い。ほんの日付の間違い、それも一日ずれていただけ。真実を思い出した時の絶望といったらもう……。

 最終的に家を出た時刻は八時十分だった。常識的に考えて間に合うはずもなく遅刻することになるのだが、徹夜明けの情けない顔のまま登校したことをもっと恥じる結果になった。

4年前 No.60

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

Page10 とあるケータイ小説家からの挑戦状



 リレー小説制作は滞りなく進んでいる。各々自分の担当部分を執筆し続け、坂本先輩はイラストにも取り掛かり始めた。というのも、効率を良くするために筆談ルールを作ったのが主な勝因だと思う。

設定が固まってからはある程度書き進められても、いつものように雑談して筆が止まることが多々ある。そうなると進行ペースが急に遅くなるのだ。

 勿論、作品について話し合う必要はある。しかし誰かの何気ない一言で雑談に転じてしまうケースは珍しくない。意志疎通しなければならない、なのに口を開くと脱線する危険がある……そんなジレンマへの解決策として編み出されたのは筆談だった。わざわざ文字を書かなければならないのなら、必要最小限のことしか出てこないだろうという見解だ。

 口からは思ったことが次々に出てきても、ペン先はどうでもいい雑談の種を生み出さない。佐藤が挙げた案だとは思えないくらいに良く機能している。

 一日のうち最低でも一時間は声を出さずにいよう、と心に誓ってもうどれくらいになるだろうか。最初の数日間は慣れなかったが、今ではすっかり板についてきた。そして今日も、筆談ルールのもとに部室は静まり返っている。


 主人公がヒロインと意気投合するまで―――書き辛いと悩んでいた最大の山場は終わった。推敲を怠る気はないが一応は落ち着いたところだ。現在進行形で書いている場面はテント生活三日目の朝。中々起きない主人公の寝顔をヒロインが使い捨てカメラで撮り、目を覚ました主人公と何気ない話をしながらバイト探しに出掛ける。俺の役目はそこまでで、後の場面は佐藤が引き継ぐ。

 しかしこのエピソード、ギリギリになって佐藤が提案したものだ。わざわざ俺の担当範囲に入り込ませたところを見ると、いつかの坂本先輩隠し撮りの件をまだ引っ張る気らしい。隠し撮りしたのは佐藤で俺が引け目を感じることはないのだが、もし主人公がヒロインの寝顔を撮っていたりしたらやりにくいことこの上なかっただろう。

4年前 No.61

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

 ―――耳元で乾いた音がした。蛍光灯が接触不良を起こした時のような、ちかちかとしたものが何回も。瞼に光が差し、反射的に目を覚ました。目の前で使い捨てカメラを手にした白夜が無邪気に笑っている。一瞬何が起きたか理解できなかったが、ただ寝ぼけていただけに過ぎない。野宿を始めてまだ三日目。周りの環境は勿論、朝こうして白夜が起してくれることにも慣れない。

 彼女は「やっと起きたな」とやや呆れ気味に、けれど若干頬を緩めて俺からブランケットを剥ぎ取る。今日の起こし方は格別変というか、何でカメラなんか持ってたんだ。

「案外可愛いじゃん、寝顔」
「そんなもん勝手に撮るな」

 自分の寝顔なんて滅多に見られるものじゃないし? と言う彼女は、何故だか見ていて新鮮で、自然と笑みがこぼれた―――




 ……いまいちエンジンがかからない、というよりガソリン切れだ。今までどうにかなってきたのは大量のガソリンと引き換えにだったわけで、もう燃焼は底をついている。燃料があってもなくても描写力がないのは同じかもしれないが。「カメラのシャッター音で目を覚ました」だけの場面なのに、こうも気持ち悪く描写できるのはある意味才能じゃないかとさえ思う。

 だけど、あれでもないこれでもないと思考錯誤する時間は嫌いじゃない。自分の不出来さに溜息を吐きたくなるのは常でも、物語を紡ぐのは好きだ。今の気持ちを、書くことを辞めたあの頃の自分に分けてあげたいと思うほど。

 この同好会に出会って、もう一度小説を書き始めて、新しい自分を始められた気がする。家出から始まる恋愛も、一夏の思い出もいいけれど、いつかこの経験そのものを小説にしてみたい。……いや、そうすると内容の大半が雑談になってしまうか。ていうか、感慨に浸っている暇があるなら筆を進めろ自分。


 再び物語の中に入り込むため余計な思念を振り切ろうとすると、坂本先輩の戸惑っているような様子が目に留まった。物憂げな目で傍らの資料本を見つめて、手に取ろうとしてはやめてを繰り返している。

 こんな時まで律儀に筆談ルールを守ろうとした俺は馬鹿だ。何かあったんですか、とルーズリーフに書き終える前に佐藤が口を開いた。ずっと誰も喋らなかったこともあり妙に彼女の声が心地良く聞こえるのがまた癪だ。

「筆談ルールは一時的に解除だ。朱里、何があった?」

 救世主と崇めるかのような、坂本先輩の佐藤への眼差しが眩しい。反対に「何かあっ」までで止まったルーズリーフの文字に影が落ちる。前にもなかったか、似たようなシチュエーション。

4年前 No.62

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

「二人とも集中してたから筆談でも中々切り出せなかったの。実は、この本のページに、変な書き置きが挟まっていて……」

 坂本先輩は、さっきから気にかけていた本をぱらぱらと二頁ほど捲った。キャンプ場の写真が印刷されてある紙面に、二つに折られた小さなメモ用紙が乗っかっている。

 メモを受け取り、折られたところを開くと、飛び込んできたのは「センサクスルナ」の一言。不自然に角ばった人間味のない筆跡から、定規を使って書かれたものだと容易に分かる。全部片仮名なのもそのせいだろう。しかし、意味を理解しろと言われても首を傾げることしかできない。


「忠告文……?」
「片仮名だと読みにくいな。一瞬『センクサナルス』に見えた」

 あの機転の良さはどこにいったのかと突っ込みたい佐藤の発言は無視するとして。


 誰が書いたのかも、動機も見当がつかない。不気味な怪文書がただそこにあるだけ。普通の学校の図書室ならこの手の悪戯の一つや二つあってもおかしくはない。本を借りた誰かが、或いは借りなくてもその場で読んでいた誰かが、面白半分でやる可能性は少なからずある。

 しかし、この図書室は部室として占領しているだけあって部員以外が足を運ぶのは皆無に等しい。たまに図書委員が会議に使うことはあるが。何故なら、数年前に新しい図書室が設立され、ここは所謂旧図書室だからだ。同好会が存続しているからこの図書室は生かされている。

 つまり、これは他でもない俺達に宛てられたメッセージだ。無意味な悪戯ではなく、意味ある悪戯……否、忠告。脅しと呼んでもいい。でも何を? 何を詮索するなと告げている? ―――いや、あるじゃないか……。俺達がやろうとしていた詮索。宣言しただけでまだ実行には移していない、移せないほどに手掛かりが少ない人探し。探し求める正体が校内にいることだけが俺達に与えられた唯一のヒントだった。


「相葉由紀……」

 「恋模様」を最後に姿を消した、現在二年生のケータイ小説家しかいない。詮索するな、と俺達に言える人物は。自分の正体を暴かれたくないけど、忠告はしたい。だから手間をかけて定規で文字を綴った……十分に意味が通じる。

「思い当たる節と言われれば、やっぱりそれしかないよね……。どうやって本人が詮索していると知ったかは分からないけど」

 何度も言うが行動という行動はしていない。まして本人に知れ渡るほど目立ったことなんて考えられないのに、相手はしっかりと情報を手に入れ忠告までしてきた。あの時本人が、目の前で一部始終を見ていたとでも言うのか。

4年前 No.63

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

「どの手段で知れたかなどどうでもいいだろう。いいか、これは特定のチャンスだ。願ってもいないのに痕跡を残してくれたのだからな」

 俺の台詞を奪った佐藤はどこへ行ったのだろうと割と本気で思った。一人嬉々とした様子でとんでもないことを言い出す佐藤に、ついていけていない俺と坂本先輩。初めて相葉由紀の話をした時もこんな構図だった気がする。

「筆跡で特定とか抜かすんじゃないだろうな。カクカクの定規文字なのに」
「まったく、古賀は本当に頭が固い。朱里も分からないのか?」

問い掛けられた坂本先輩も、意味が分からないとばかりに首を振った。仕方ないな説明してやろう、とでも言うかのように佐藤は深い息を吐いて話し始める。


「ここは西棟四階だ。元より人通りが少ない上にこの図書室には原則私達しか出入りしない。つまり、周辺の部に私達以外の者が入って来なかったかと訊けば対象を絞ることができる」

 ……思っていたより原始的な方法だった。西棟、特に四階はどこのフロアより過疎地だが、人が少ないなら相葉由紀の目撃者だっていない可能性もあるのに。監視カメラでもなければ無理だ。


「いくら何でもそんな無茶な」
「メモが挟まれてから以降の時刻のことを尋ねればいい。現に私は今日一番にここに来てこの本を開いたが、メモは存在しなかった」

 と、いうことは……メモを挟まれたのは今日、それも佐藤が来てから今までと時間が限られてくる。佐藤が来た時間は十二時半から五十分までの間だ。夏期講習が終わるのは十二時半で、俺と坂本先輩が来たのが五十分。つまり、犯行時刻は十二時半から現在三時半までのどこか。あれ? これって……。

「ここ数時間で怪しい者がいなかったか聞き込みを……」
「待って。メモが挟まれた時間は、私達が図書室にいた時間と同じってことにならない?」

 胸の中のもやもやとしたものを坂本先輩が形にしてくれた。かといって、直接的な解決法にはなっていない。密室にいきなり現れたメモ。どこかの推理小説にありそうな話だ。……だが、打つ手は一つだけある。もしこれが外れていたなら、それこそ迷宮入りの密室犯行になってしまう。

「佐藤は俺と坂本先輩が来るまで、一度でも席を外したか?」

 十二時五十分以降、ここが空室状態になるのは有り得ないと言い切れる。全員が揃ってから今までずっとここに篭もっていたのだから。逆を言えば佐藤しかいなかった二十分間のことは俺には分からない。

「別に何も……いや、一度だけトイレに立ったな。……まさか、その時に!」

佐藤はしまった、とばかりに声を張り上げた。佐藤が出た後の図書室には誰もいない。相葉由紀はその隙に図書室に入り、メモを机上にあった本に挟んだのだろう。一度も席を外していなかったとすれば、今頃「この中に犯人が」などという展開になっていたかもしれない。俺はほっと胸を撫で下ろしたが、佐藤は後悔に満ちた顔をしていた。

4年前 No.64

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

「私との入れ違いで奴がメモを置いていったなら、私と奴は廊下ですれ違っていた可能性があるのか。……あの時反対側から歩いてきた生徒は……」

 この階の女子トイレは左端にあり、三階へと通じる階段もそこにある。佐藤は部室に戻るため左端から右端まで歩く必要が、相葉由紀は校舎の外に出るため右端から左端まで歩く必要があった。相葉由紀がこのフロアに部室を持つ茶道部や美術部に所属しているなら多少話は変わるが、どうあろうと二人はすれ違わざるを得ない。

「メモをわざわざ本に挟んだのは、時間稼ぎってこと?」
「でしょうね。戻ってきた佐藤がすぐメモに気付いて、廊下で犯人探しを始めたら困るに決まってます」

 だから、逃げるための時間が必要だった。自分が校舎外に逃げてからメモが発見されたこの現状こそが、彼女にとって一番都合が良かったと言える。佐藤はさらに不満そうに眉を顰め、握りこぶしを作った。

「小賢しい真似をしてくれたな、相葉由紀……。二人とも、これは忠告文ではない。挑戦状だ。何としてでも今日中に奴を暴き出す」

暴くとは前に決めたことだが、今の佐藤はそれ以上のことも仕出かしそうな勢いで、早速立ち上がり扉に向かおうとする彼女を止めるのは坂本先輩と二人がかりでも大変だった。「詮索するな」と忠告した結果、火に油を注ぐことになった相葉由紀に同情の一つもしたくなる。

「お、落ち着いて梓ちゃん」
「今頃外へ出たって相手はもういない。それくらい分かるだろ」
「だからこその聞き込みだ! まずは茶道部に乗り込んで、十二時半前後に私以外が図書室に入る姿を見ていないか聞く。部員の中に犯人がいればなお好都合だ」

 それだけのために他の部に迷惑をかけるのは忍びない、今はどこの部も活動している。せめて帰りがけにしよう。ね? ―――といった具合の坂本先輩の諭しによって、佐藤はようやく平常心を取り戻したようだった。ひとしきり騒いで疲れたのか、その後大人しく小説執筆に戻ってくれたのは有り難い。

4年前 No.65

美桜 @hoep ★TuTu5bkNHH_KMC

 詮索するな、か……。あの日掲げた「小説を書いていた頃の喜びを思い出してほしい」という決意は、やはりただの綺麗事なのかもしれない。どれだけ自分が似たような境遇にいたとしても、人の痛みを肩代わりすることはできない。

 書けなくなった当時、俺は何度となく刹那に支えられてきた。そして後遺症を断ち切ってくれたのがこの場所だ。


 相葉由紀に自身の経験を嫌な思い出として片付けてほしくない。……何故って、他でもない自分に似ているから。自分が抜け出せた迷路だから、同じ迷路に迷い込んだ人を助けてやりたい。肩代わりできないと知っていながらそう思うのはおかしいのだろうか。それとも、自分に投影すること自体が既に愚かなのか……。

 相葉由紀が何をどこまで知っているのかは不明だが、万が一にも俺の過去を知っていたなら……あの一言にはきっと「分かったような気になるな」という意味も含まれている。佐藤や坂本先輩にも話したことのない過去を赤の他人が知っているはずはないのに、何故か生々しい想像が頭に浮かんだ。

 俺達は、相葉由紀の正体を暴いて後悔しないだろうか。対面して話そうとしたって「この偽善者が」と言われれば言い返す言葉はない。お互いに嫌な思いをするだけなら、いっそのこと何もしない方が―――




 悶々とした複雑な思いを声にすることはなく、部活終了後には佐藤の言う聞き込みに付き合ってやった。廊下で屯していた茶道部と美術部の生徒に尋ねれば、よく見ていないから分からないし、部員の中にも図書室に向かった者はいないとのこと。佐藤も自分とすれ違った生徒を思い出そうと必死だったが、数人の茶道部員とすれ違っていたことが判明しただけで、相葉由紀に関する情報は皆無。収穫はなしに終わった。

例の忠告文は佐藤が自ら預かっておくと言い、その会話を最後に今日はお開きとなった。


 相葉由紀について考えれば考えるほどぐちゃぐちゃになりそうで、彼女の存在を胸の奥に押し込んだ。代わりにリレー小説のこと、刹那が明後日からコミケに参加すること、関係ないものを思って過ごす電車の中で、メールの受信音が鳴る。

 携帯を開くと、知らないアドレスが表示されていた。誰かがアドレス変更でもしたか、と思いメールを開いた瞬間、電車の音も周りの話し声も全てが消えた。残されたのは、鬱陶しいほどの静寂。

 画面には「詮索するな」の一言が映し出されている。佐藤が持っていった「センサクスルナ」と重なり、手の力が抜ける。携帯を落しそうになって、ギリギリで握り直した。

 周りの音が正常に聞こえるようになったのは、降りる駅名のアナウンスが入ってからのこと。それまで、世界の全てがこの文字で埋め尽くされているような、奇妙な錯覚に陥っていたのだった。

4年前 No.66

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

Page11 とあるケータイ小説家への挑発



 震える手で打った一文。ただ一言、「誰ですか?」と。素直に名乗り出るとは最初から期待していなかったが、相手は返信させる気もなかったようだ。画面には「このメールアドレスは無効です」と表示された。


 一度冷静になって考えてみようと思う。

 本に奇妙なメモが挟まっていた。佐藤が席を外したほんのわずかな時間に、相葉由紀が仕込んだものだ。彼女はどこからか俺達のしようとしていることを知り、実行させまいと釘を刺しにきた。

 何故、メールアドレスを知られていたのか。相葉由紀が俺達全員の名前を把握していると仮定して、メモを置いたついでに佐藤の携帯を盗み見、電話帳に載っていた俺のアドレスを……これは無理があるか。時間的にそこまでの余裕はない。第一、携帯そのものが部室にあったかどうかも分からない。いつも佐藤は携帯を制服のポケットに入れている。

 不特定多数の人間にアドレスを教えた覚えもない。顔見知りが一時的にアドレスを変えて送ってきた、が一番合理的だろうか。だけど、俺のアドレス帳に登録されている二年生の女子は坂本先輩だけだ。疑いを向けられる人すらいない。


 どうしよう。とりあえずみんなに打ち明けようか。でも佐藤が聞けば過剰反応して、さらに事態をややこしくしてしまうかもしれない。さすがにないと信じたいが、佐藤の疑いの目が坂本先輩に向けられたら、と思うと恐ろしい。ひとまず黙っておいて、犯人像が見えてきてから話すべきか。だとして、俺一人で何ができる?


 同じ場所を巡っているような感覚が気持ち悪くて、いつしか考えるのを放棄した。疲れが見せた幻覚だったらいいのに、いつ見てもメールボックスに居座る証拠品。何度消去したくなっても思いとどまった自分を褒めてやりたい。

4年前 No.67

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

 翌朝、いつものように教室に向かうと、室内は空っぽで鍵がかかっていた。そういえば夏期講習は昨日で終わりだ。よって、十二時半から始まる部活が八時半からに切り替わる。吹奏楽を除く文化部は夏期講習終了と共に休みに入るが、坂本先輩の提案で午前中まで活動することになった。「二週間以上も二人に会えないのは寂しい」と訴えられたら断る理由はない。

 しかし、相葉由紀の一件のせいで部室へ運ぶ足は重かった。昨日のメモ事件を引っ張って、今日は一日相葉由紀捜索に費やされるかもしれない。主に佐藤が原因で。そうなったらあのメールを意識せずにはいられない。最悪、言うか言おうか悩んで結論を出せないまま、口から飛び出てしまうことだって……。


 幸か不幸か、予想は外れた。佐藤はしおらしくて口数が少ない。神妙な面持ちで思案に暮れていて、話しかけても生返事だ。シャーペンを手に原稿用紙と向き合っている姿は作業に集中しているようにも見えるが、そのわりには筆は動いていないし目線は泳いでいる。


「坂本先輩、これは一体……」
「来たときからこうなの。何があったのと訊いても『昨日のことを考えているだけ』って……」

 昨晩、メモとにらめっこでもして何か思うところがあったのだろうか。もしや俺と同じメールを貰ったとか。いや、佐藤なら少しの異変でもすぐに報告するはずだ。ご丁寧にも尾ひれをつけて。その線がないとしたら、記憶の限りを尽くしてすれ違った相葉由紀を絞り込もうとしているのか?

 本人の心境はいざ知らず、いつも余計な口出しばかりする奴が大人しいと調子が狂う。それどころか空気が重くなり、冷や汗のせいで冷房なしでも十分に涼しい。俺と坂本先輩も黙って作業に取り掛かり、そこには咳ひとつでさえ許されないような緊迫感があった。メールの話がなどできるわけもない。

 優しくない、ひたすら空虚感の溢れる静けさ。何もないからこそ原稿用紙に世界を描く。気まずい雰囲気から逃げられる。物語に入り込むにはうってつけの機会だが、佐藤から感じる念のようなものにことごとく邪魔される。坂本先輩も気になってしょうがないらしく、度々手を止めて佐藤を伺っていた。

4年前 No.68

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

 そんな状況も一時間以上続けばさすがに慣れてくるもので、ある程度順応できて筆も波に乗り始めた時、唐突に長い長い沈黙は破られた。終わりを告げたのは、やはりそもそもの原因である佐藤だった。十二時半のチャイムに被せて「分かった」とほぞほぞ声がした。小さな呟きだったそれを改めるように、息を大きく吸ってもう一度。

「分かったぞ!」


 自信満々な口調の佐藤だが、本人に理解できても俺には何やらさっぱりだ。ただ一つ分かるのは、佐藤が元に戻ったこと。空虚だった彼女の瞳は、意志のはっきりとしたものとなっていた。しかし昨日のように燃え上っている様子とは違い、冷静に物事を見極めてくれそうな目だ。初めて会った時もこんな視線を送られた気がする。佐藤は原稿用紙の下に敷かれた筆談用のルーズリーフを引っ張り出し、驚きの速さで文字をぶつけた。

『相葉由紀は私達を盗聴しているのではないか』

 熱心に考え込んでいた様子に見合わない単純な理屈にも聞こえるが、単純故に盲点と化しており、俺も全く思い付かなかった。なるほど、盗聴されていたとすれば、俺のメアド以外の情報は流出も糞もない。しかし同時に新たな謎が生まれてしまうのも事実。

 相手はいつ、誰のどういう行動を危険だと察知して事に及んだのか。相葉由紀の話題が飛び交っていた一年前、学校中に盗聴器を仕掛けた、なんてのは現実性に欠けるし、誰も自分の陰口を盗聴してまで聞きたいとは思わない。下火になってきた最近だからこそ、火種になりそうな俺達を警戒していると考えるのが妥当だ。火のない所に煙は立たぬ。なら、相葉由紀は煙をどこで嗅ぎ付けたのか。……何だか、同じ所を延々とループしている感じがする。佐藤には気の毒だが、盗聴の有無を問わず前進の見込みはなさそうだ。


『いつから盗聴されていたか、目星はつくのか』

 俺が最後まで書き終える前に、佐藤は静かに首を振った。そして再び、さらさらと文章を綴る。

『言いたいことは分かる。私も最初は情報流出の原因を蔑ろにしていたと反省し、どこから漏れたのか考えた。そして今古賀が考えているだろう結論に辿り着いた』
『何をキッカケに盗聴しようと思ったのか、分からないってことだよね?』

4年前 No.69

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

何で始まったのか。どこかスタート地点だったのか。考察は物語と同じで、筋道を立てるのが必須だ。第一の試練も乗り切れないようじゃ出口も見えてこないと思っていたのに、佐藤はあっけなく一般論を否定した。


『なにも私達は探偵じゃない。解けない謎は放置で問題ない。相葉由紀を見つけ出せれば。もし本当に盗聴されていたら、小芝居を打っても内容は丸聞こえ。するとどうなる?』

「あ……」
坂本先輩が感心したように声を上げる。無駄に頭の回転が速いところには俺も脱帽せざるを得ない。


 盗聴器の有無は実物を確認しない限り分からないように見えて、実はそれ以外でも証明可能だ。「盗聴によって詮索されている事実を知った」と安易に結びつけるのは短絡的だが、今新たに相葉由紀の話をして、それに反応するように何らかのアクションがあれば黒。……そうだ。もしかしたらまたメモを仕込みにくるかもしれない。タイミングを計れば、あるいは――

 キッカケなどどうでもいい、結果オーライとは実に佐藤らしい。

 相葉由紀を見つけ出す意向に反対する理由はないはずだが、暴き出したその時のことを想像すると、あの気味の悪い感覚が復活していまいち気乗りしない。かといって心情を言葉にもできないしで、無理に自分を納得させるように『どうするんだ?』と書いた。


『名付けて、冤罪作戦だ』

佐藤曰く、冤罪とは最も真犯人の良心を抉るものらしい。中学時代、クラスで財布の盗難が起こった時に、偶然アリバイがなかったAが罪に問われた。やってないと言い張るAに、ますます攻撃的になるクラスメート。居た堪れなくなった真犯人Bは、素直に自首したという。Aの冤罪あってこそのBの告白。Aはまさに英雄だと言う佐藤の価値観に同調はできないが、自分がやったことで誰かが責められるのは良心に訴えかけるものがある。

 これを応用して、誰かが相葉由紀の正体じゃないかと濡れ衣を着せられる一場面を相葉由紀本人に聞かせる。上手くいけばBのように告白、いかなくてもリアクションは期待できるだろう。それが作戦の全貌である。


 と、いうわけで。数十分の思考錯誤の上に完成した脚本は、今演じられようとしている。筆談でしか意志疎通ができないため、ぶっつけ本番、これが最初で最後だ。

4年前 No.70

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

「結局、相葉由紀って誰なんだろうね……」

 始まりは坂本先輩の台詞から。台本に目を落しながらのおどおどとした声は本当に悩んでいるようにも聞こえる。『こんな感じでいい?』と筆談で確認を取る姿は、相変わらず健気だった。

「ハッ。いつまで白を切るつもりだ」

 佐藤は予想通りの名演技ぶりだ。声音はもちろん、本物の悪意が感じられる冷たい表情といい、怒りに震える拳といい、盗聴器越しには伝わらない細部まで徹底している。そのせいか、坂本先輩は演技であることを忘れ、素で驚いたように見えた。

「え……。ど、どうしたの梓ちゃん」
「俺も前から思っていたんです、坂本先輩が怪しいと」

 先輩を追い詰めるのは胸が痛むけど、ここで手を抜いたら意味がないと、できるだけ嫌味っぽい言い回しをしたつもりだった。しかし改めて脳内再生すると結構な棒読みだ。佐藤からは案の定『棒読み禁止』と忠告された。


「古賀くんまで……。何があったの本当に」
「相手が内情を知り尽くしている点から察するに、これは内部犯行だ。そして二年生の女子は朱里しかいない」

 なんという屁理屈。でもメールの件の容疑者は現状坂本先輩しかいない。演技とはいえ最悪の想像が当たるとは思いもしなかった。

「例のメモの第一発見者も坂本先輩でしょう?」

 よし、今度は駄目出しを回避できたはず。感情らしきものは込めた。と思いきや、またもや佐藤が書き綴ったのは『進歩なし』の一言。もうほっといてくれ。演技でも俺には坂本先輩を責めるなんてできやしないんだ。


「そ、そんなのただの言いがかりじゃない。あのメモは、梓ちゃんの自作自演だったかもしれない。私と古賀くんがいない間にメモを挟んだのに、トイレに行ったと嘘を吐いて」
「確かに佐藤は席を立ったと、美術部員や茶道部員が証言していますよ」

 少しはマシになったからか、単に面倒になったのか佐藤は何も突っ込まなくなった。リアルに見えたかどうかはともかく、俺の台詞はほとんどが事実をそのまま述べるだけのもので良かった。佐藤の精神攻撃が伴う台詞はとてもじゃないが言えない。特に次なんか……。


「私達が作業に熱中しているうちに隙を見てメモを挟んだ。朱里こそ卑劣な自作自演をしている」

 嘲笑的な声に被せて、佐藤は机を思い切り叩いた。この行動は台本のどこにもない。ついにアドリブまで入れてきたか。どこまで本気なんだ……。

「違う、私は……!」

 圧倒的な威圧感に震える坂本先輩は、狼を前にした子羊のようだ。今にも泣き出しそうな顔も、不安に満ちた声も、佐藤じゃあるまいし演技とは思えない。佐藤は見かねて『安心しろ。演技だ演技』とメッセージを送った。そして、極めつけの台詞を吐き出す。

「自分のしたことなのに、自覚もないのか? 否定し続けていれば信じるとでも?」
「もういい、二人なんか知らない……っ」

 坂本先輩は手早く帰り支度をし、鞄を手に部室を出て行った。去り際に口パクで「ありがとう」と伝えた彼女を見送った数秒後、

「さて、俺達も帰るか」

 立ち上がり戸締りをして廊下に出る。これにて演技は終了だ。途端に肩の力がどっと抜けた。佐藤のおかげで寸劇自体の完成度はなかなかのものだったと思う。この謎の達成感は悪くはない――けど、目的通り相葉由紀が釣れても俺は喜べるのか。できれば茶番に終わって欲しい……。考える度に、達成感は倦怠感に似たものに変わりつつあった。

4年前 No.71

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

「即興にしては良い出来だった。二人ともよくやってくれたな」

 盗聴器が声を拾わないように、部室から離れた階段前に場所を移した。同じフロアで活動する美術部と茶道部は休みに入っているため、廊下はいつもより閑散としている。

「一番活躍したのは梓ちゃんだよ。まるで本物の役者さんみたいだった」
「言いだしっぺだからな。当たり前だ」

 寸劇について話す佐藤と坂本先輩を、どこか遠くに感じた。傍にいるはずなのに姿や声が霞んで、存在が曖昧になっていく。それほどまでに、相葉由紀に対する様々な感情が頭を駆け巡っていた。ここまできたからには、もう無視できない。どうすればいいのか。現実に相葉由紀と対面したら、俺は。

「古賀くん?」

 思考の海から助け出してくれたのは坂本先輩の一言だった。心配そうな眼差しを向ける坂本先輩に反して、佐藤は「ぼーっとするな。これからが本番だ」と注意した。

「まったく、今から相葉由紀が乗り込む現場を押さえるため監視するというのに」

 せっかく餌をばら撒いたというのに逃げられるようじゃ大損だ。もっともな意見に、少し間を開けてしまったが頷いた。喉に何かが詰まったような息苦しさが後を引く。何とか海に溺れないように、考え込まないように。何度も自分に言い聞かせた。


 それからというもの、監視と称して部室までの各地点にそれぞれ潜み、怪しい動きを取る生徒がいないか検めた。俺は二階の階段の踊り場を任されたが、たまに通りかかる一般生徒からちらちら見られるなど、むしろこっちが不審者扱いされるはめに。肝心の相葉由紀と思わしい人物には遭遇しなかった。

 坂本先輩がお昼にとパンを差し入れしてくれたり、間違えて弁当を持ってきたと言うと佐藤に笑われるも、ちゃっかり奪われたりと小休止を挟みつつ、粘ること二時間。見事に何の進展もなかった。


 本来なら佐藤の押しに負けて捜査は夕方まで続いているところだが、何せ明日からお盆。親の帰省や家族旅行の準備のため、いつまでも学校にいるわけにはいかないと満場一致で解散が決まった。

 結局何も起きなかった。俺が望んだ通り、ただの茶番、時間の無駄にすぎなかった。もちろんそれは現状での話であり、お盆明けに変化がある可能性もゼロではない。佐藤は絶対にあると言い張っている。しかし、佐藤が何と言おうが確率的には「ない」が圧倒的だ。

 あの芝居を嘘臭いと思われていたら? 坂本先輩が悪く言われても何とも思わない人間だったら? そもそも盗聴器がなかったら?

 いちいち言い訳を浮かべて、安心する自分がいる。気を紛らわそうと携帯をいじろうとするも、あのメールを思い出してますます悪循環に陥った。


4年前 No.72

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

 電車のドアが開いたところで、初めて下車駅に着いたと気付いた。ずっと車窓から風景を眺めていたというのにこの有様。今「お前の目は節穴か?」と訊かれたら抵抗なく頷ける。

 改札を抜けた時、肩に手のひらの感触が乗っかった。「あの」と、背後からする呼び声に振り返ると、そこには小柄な少女が。胸の辺りまでの三つ編みおさげを赤いリボンで留めた彼女は、制服から同じ学校であることは分かるが、面識のない顔だ。

「何か?」
「突然呼び止めてすみません。すぐ終わりますので、少し付き合ってくれませんか」
「え、あの……」

 状況が飲み込めない。道案内目的で知らない人に話しかけられた経験はあっても、こんな切り出し方をされたのは初めてだ。言いよどむ俺を物ともしない様子で、彼女は話を続けた。

「最初に聞いておきます。あれは……演技だったんですね?」

 昨日の異変と今日の出来事が走馬灯のように駆け巡る。「センサクスルナ」に対抗しようと編み出された芝居。おびき寄せるための罠。じゃあ、まさか。この人こそが――

 心臓がうるさい。感情が入り乱れ、呼吸もままならなくて。とてもじゃないが声を出せそうもない。


「場所を変えましょうか」

 穏やかな口調での誘い文句は緊張をほぐすためのものだったのかもしれないが、むしろ俺には逆効果だった。

4年前 No.73

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

Page12 とあるケータイ小説家の代理人



  心の整理がつかずあたふたしているうちに駅近くの公園に連れて行かれ、促されるままにベンチに腰を下ろした。気遣いのつもりなのか彼女は缶コーヒーをくれたが、恩を売られているようであまり気は進まない。

 目のやり場に困ってブランコを漕いでいる子供達を見ていると、

「申し遅れましたが、私は高橋実由といいます。クラスは二年五組です」

 改まって自己紹介をされた。沈むような声音から多少の緊張は感じ取れたが、俺の何倍も落ち着いている。そりゃそうか。自分から声をかけてきたのだから。でも何故そうした? 自分から罠に嵌りにきたようなものじゃないか。いくら「演技だと知っている」と主張したからといっても。


「い、一年四組、古賀蒼依です」
「知ってますよ。聞いていましたから」

 流れで名乗り返したものの、考えてみれば無意味だ。会話は筒抜けなら、名前程度の情報は朝飯前。盗聴器の実体を見る前に仕掛けた本人を目の前にしているとは、なかなかに奇妙だ。


「盗聴なんて悪趣味な真似をしたのは謝ります。まさかそれを逆手に取られるとは思っていませんでしたが」

 高橋さんは自嘲気味に笑い、寸劇について語った。

 東棟四階の自習室で一人勉強していると、盗聴器を通して会話が聞こえてきた。唐突で前後との繋がりが見えない展開に引っ掛かり、しばらく様子を見ることにした。自習室の窓からは、頑張ればこちらの廊下が見える。

 部室の様子は聴覚を頼りに、盗聴器から離れられても視覚を頼りに情報を得る。聴覚が捉えた内部分裂は不安定要素が強いため、視覚を利用した。人より視力がいいらしい高橋さんはカラクリを見破った。廊下での俺達は、演劇を終えた後「お疲れー」と言い合う仲間達そのものだったという。

 騙せなかった、失敗したと痛いほど思い知らされた。だからこそ、尚更謎は大きくなる。演技を真に受けて姿を現したのでなく、その真逆。良心を痛めて自白は道理にかなっているが、罠だと知れば馬鹿にされたと怒り、意固地になってさらに姿をくらましそうなものだが。相葉由紀に対面したらどうしようとうだうだ悩んでいた自分が馬鹿らしくなるくらいに不思議だ。

4年前 No.74

美桜 @hoep ★msjwhzYodk_KMC

「お察しの通り、俺達の芝居は相葉由紀捜索の一貫です。どうして分かっていて自ら姿を現したんですか」
「お話ししたかったからです。演技してまで私を探すような人達、一人くらいには会ってもいいかと思いまして」

 まるで問いを先読みしていて、予め模範解答を考えていたような口ぶりだ。高橋さんはコーヒーを一口飲み、さらに補足する。

「佐藤さんは言わずもがな、坂本さんは押しに弱く吐いてしまいそうなので、口が固そうなあなたを選びました。偶然にも帰る方向が同じで良かったです」


 俺がこの計画に積極的でないことは、盗聴器越しに知られている。自分でも暴いて後悔しないか葛藤している様子、他人からすれば完全な反対派に見えるのかもしれない。

 この行動を同情からのものだと受け取ったのなら、俺の心情を「相葉由紀が佐藤の前に晒し出されるのは見るに堪えない。どうしても避けたい」と予想するのは自然なことだ。自分に同情している上に、探り出そうと意気込んでいる者の一番近くにいる。こうまでお膳立てされては、もはや彼女にとって俺は無害な人間どころではない。利用できる人間だ。


「あなたは俺に、同好会で自分を探すのをやめさせてほしいんですか」

 地雷の場所を教えられたら、人はそこを避けて歩く。佐藤にとっては宝の在り処でも、俺には地雷であろう自分の正体を、俺だけに明かしたら……。今後佐藤が正解に近付くようなことがあっても、遠ざけてくれるだろうと読んでいたのだろう。俺は、メモで活発化した佐藤の火をかき消す水にされようとしている。相手にとっては忠告文よりもずっと効率的な方法だ。

 相葉由紀捜索について悩んでいたのは事実でも、だからといって相手の思惑通りに動くのも嫌だ。利用されて嬉しい人間がいるだろうか。


「私が古賀さんに望むのは、今日私に会ったと誰にも漏らさないことだけです。やめさせようだなんておこがましい」
「でも、『詮索するな』って……」

 あのメモが牽制以外の何を意味するだろうか。やめさせようとしていないなら、俺に正体を明かすメリットがない。分からない。高橋さんの狙いは何だ?

4年前 No.75

美桜 @hoep ★msjwhzYodk_KMC

「あなた達を試したんですよ。『相葉由紀からメモが届いた』と周りに言いふらさないかどうか。他の部に聞き込みはしたようですが、メモ自体については触れませんでしたよね。あれで合格です」


 ますます頭が混乱する。メモは、文字通り詮索の中止を訴えるものではなかった? メモを前にした俺達の行動に着目して――試した? 何で勝手に仕掛けられて合否をつけられなきゃならないんだ。

 疑問ばかり湧いてきて、一つ一つ突き詰めていくと途方もない時間を必要としそうだ。これだけでも押し潰されそうなのに、高橋さんはまたしても枷を増やした。


「今回は、メモの件を踏まえて、相葉由紀の正体を暴いたらどうするのか――また、相葉由紀にどんな感情を持っているのか聞きたくて呼び止めました。盗聴だけでは判断しかねるので」

 おかしい。どう見ても違和感のある言い回し。彼女はさも相葉由紀が第三者であるかのように語る。「暴いたらどうするのか」は、自分が正体なら言えない台詞だ。小説執筆をやめて、相葉由紀の名はもう捨てたと、「私は高橋実由だ」と言い張ってもさすがに無理がある。


「高橋さんは相葉由紀なんですよね……?」

 高橋さんはコーヒー缶をぎゅっと握りしめ、「やっちゃいました」と呟いた。繊細なつくりの唇から吐息が漏れ、彼女は口元を軽く手で押さえた。

「とんだ失言でした。『相葉由紀の正体を暴いたら』を削り、『相葉由紀』を『私』と言うべきでしたね」

 生温かい風が、木々の枝葉と一緒に高橋さんの三つ編みも揺らしていった。少しの空間の後、芯のある声が真実を述べた。


「私は、言うなれば相葉由紀の代理人です」
「代理人?」
「はい。由紀は私の大切な人です」

 自分の正体をごまかすための嘘とは思えない。あくまで相葉由紀の正体は自分だと振る舞おうとしていたのに、ボロが出てしまった様子。これを計算のうちにやって、自分から目を逸らさせようとしている、なんて邪推も一瞬浮かんだが、だとしたら最初から姿を現すはずもない。

4年前 No.76

美桜 @hoep ★msjwhzYodk_KMC

「あなたは大切な人のために盗聴をしたんですか」

 メモや盗聴も本物の相葉由紀がやったのに、高橋さんがわざと被ろうとしていたのかもしれない。そうするだけの報酬をもらっているとか……。だが相葉由紀ではないと明かした今、もう嘘を吐く意味はない。否定が返ってくると思っていたのに、予想はあえなく外れた。


「そうです。古賀さん達が、由紀に会うに足る存在か見極めるために。メモも私がやりました。由紀は手を下していません」
「だけど、相葉由紀は俺達を知って……」
「もちろん。詮索されていると最初に気付いたのは由紀です。そして私に助けを求めてきました」


自分の正体を知る親しい者に、どうにかしてやり過ごせないかと相談した。情報流出源がどこか疑問視しなければ、何らおかしいことではない。しかし、高橋さんの言動には矛盾点がある。正体がバレそうだ、助けてくれと言われておいて、高橋さんは俺達が相葉由紀に会う前提で話を進めている。


「高橋さんは俺達を相葉由紀から遠ざけるのが目的なんじゃないですか」
「無害な人間なら問題なし、及第点以上の人ならむしろ会わすべきです」

 正論を唱えるような口調に迷いは見られない。きっぱりとした断言ぶりは清々しくもあった。

「だって、さっき助けを求められたって……。高橋さんは相葉由紀の味方なんでしょう? バレるのを恐れるべきでは」

 顔を上げて、遠くを見つめる高橋さん。視線の先は薄水色をした空でも、その中に相葉由紀を見ているだろう、感慨深い表情で。

「本人は恐れていますが、そんなの知ったことじゃないですよ。あの人は過去を黒歴史として扱っています。蒸し返されるのが怖くて誰にも触れさせないんです」


 大好きだった小説執筆をやめるほど追いつめられた記憶。いつ素性が暴露されるのかと日夜悩み続けた日々を、思い出したくないと閉じ込めてしまう気持ちは分かる。俺も、あの当時は誰にも知られたくなかった。隣でずっと見てきた刹那しか俺の過去は知らない。だけど……今なら、今だから、佐藤と坂本先輩には打ち明けられる。なかなかタイミングが掴めないが、二人に出会えなかったら俺はまだ中途半端に過去を引きずっていただろう。高橋さんの言葉から想像できる相葉由紀は、そんな俺の姿にも見える。


「誰にも明かさないから、誰にも浄化してもらえない。黒歴史は黒歴史のまま。世の中には平気で人の古傷に塩を塗る輩もいますが、みんながみんなそうじゃありません。由紀の傷を癒してくれる人がいたっていいじゃないですか」


 誰かに話すことで、過去は変えられなくても過去に対する考え方が変わる。もしかしたら、過去を変える魔法よりも尊いものが得られるかもしれない。高橋さんは、相葉由紀を甘やかすだけの味方ではない。逃げようとする彼女の背中を押しているんだ。そのために俺達を……。


「だから私は、古賀さん達をテストしているんです。どうか後者であるように願って」

4年前 No.77

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

 大切な人に一歩を踏み出してもらうために盗聴したとは美談にしがたい響きではあるが、胸の中のもやもやは晴れつつあった。


「遠回りしてしまいましたが、本題に入りましょう。古賀さんは由紀に会ったらどうしますか?」

 対面したら何を言おう。自分ほど辛い思いもしてないくせにとか、ただの同情だろうとか偽善者だとか……そう言われたらどうしようと怯えていた。やすやすと共感して、分かった気になって、傷付けてしまったら……。抜け出せない悪循環。考えるほど深みに嵌っていく。今まではそうだった。


 初対面の人間の一言二言で、全てを解決できるほど人間は機械的じゃない。相葉由紀の傍にいる高橋さんから「悪気がない人なら会わせてもいい」とお墨付きをもらったからといって、俺なら相葉由紀の黒歴史を変えてあげる救世主になれると思ったわけでもない。

 それでも、気は軽くなった。佐藤が「恋模様」を持ってきた日、相葉由紀の正体を暴こうと誓ったあの時、誰もが想像した理想図が、もしかしたら実現するかもしれないと。一度失ったからといって、もう二度と手に入らないなんて嘘だ。逃げずに向き合えばあの時の感情が、喜びが戻ってくるのだと教えたい。教えられる人になりたい。

 体が熱くなって、喉が渇く。コーヒーを飲んでも変わらず、だけど決して辛くはない。高揚感のせいで伝えたいことが上手く言葉にならない。結果、刹那しか知らない過去が口から飛び出した。


「私情、ですけど……。俺も小説を書いているじゃないですか。その、……中学時代に相葉由紀と似たような経験があって」
「はい」

高橋さんは相槌を打ち、静かに続きを促した。

「幼馴染や今の部員に支えられて、ようやく克服できました。だから今度は、俺が他の誰かを支えてあげたいと、未熟ながらもそう思っています」

 かける言葉はありきたりなものになっても、高橋さんが望むように、少しでも傷を癒してあげたい。偽善だと思われてもいい。伝えたいことのいくらかが相手の胸に届いたら。


――哀しいだろうと、思ったのだ。
――小説を書いていた時の喜びを思い出してほしい。

 思い立ったが吉日の佐藤は行動するだけの肝は据わっていて、戸惑っていた坂本先輩も覚悟ができていたから、俺みたいにうじうじ悩むことがなかった。俺だけだったのだ。中途半端な気持ちで口先だけの誓いを交わしたのは。俺と相葉由紀の経験は似て非なるものだ。俺が壊せた鎖よりずっと重い鎖に縛られている相葉由紀。苦しみは全然違うのに気持ちが少しでも分かってしまうから、ある種の後ろめたさを感じていた。

 支えたい。刹那が、佐藤が、坂本先輩がそうしてくれたように、俺も相葉由紀を――

 自分が最初に抱いた感情を、根本を見て見ぬフリをしていたらいつの間にか雑念に埋もれていた。一人で空回りして、散々回り道をして、ようやく決心できた。伝えてみないことには、何も始まらない。始まる前から怖気づくのは滑稽だ。

4年前 No.78

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

「なるほど、そんなことが……。あなたの意欲を汲んで合格をあげますが、由紀は同族嫌悪が激しいので、険しい道になるかもしれませんね。でも、信じていますよ。あなたが由紀を支えられると。何だか自分の役目を人に押し付けているようですけれど……」


 「傍にいたのに、自分一人では何もできなかった」と、彼女の視線が伝える。過去のことは分からない。まして、高橋さんと相葉由紀の間に何があったかなんて。それでも、ひとつ言えるのは。

「俺達に合格をあげるなら、自分のことも労わってあげてください」

 人任せな人間は、これほどまでの行動力もなければあんな言葉も出てこないだろう。今まで高橋さんが相葉由紀のために起こした行動は絶対に無駄じゃない。

「そんな風に言われるとは、意外です。そう、ですね。もう少し自分に優しくするべきでしょうか」
「はい。自分の頑張りくらい認めたって、罰は当たらないはずです」

 返ってきた短い返事に、今までのことを追想するような深みを感じた。小さく「良い人、ですね」と零したかと思えば、それを取り消すがごとくいきなり話題を変えてきた。


「せっかくの機会ですし、メアド交換でもします?」

 ごく自然な誘いに他意は感じられない。いたずらメールもとい、俺を試すメールのために作り出したアドレスではなく、本当のアドレスを教えてくれるという意味だろうか。それにしたって引っ掛かる。何故わざわざ「交換」という単語を選んだのか。俺は高橋さんのアドレスを知らなくても、向こうは知っているはずなのに。どういう経緯で手に入れたのかは分からないが、テストの一貫であったと知った今では大して気にする点ではない。

「今のアドレスでそのまま送ってくれて構いませんよ」
「え? それじゃあ私が既に古賀さんのアドレスを知っているみたいじゃないですか」

 不思議に思っているどころか気味悪がっているように見える表情に、一瞬目を疑った。メールの件も今更隠す必要はない。知らないフリをしている線は有り得ない。

4年前 No.79

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

「メール、送ってきましたよね? 昨日」
 乾いた笑いが漏れる。とぼけるのはやめて下さいと茶化すように言ったつもりが、逆に相手の顔を強張らせる結果となった。

「知りませんよ。そのメール、見せてくれませんか」

 急いで鞄の中の携帯を探し、メールボックスを開く。画面を見た高橋さんは唖然とした様子から一転し、くすりと笑みを零した。次に発されたのは、同じ丁寧語とは思えないほどの悪のオーラが滲み出ている声。

「私が何とかするから手出しするなと言ったのに、まさかの単独行動。由紀にはお仕置きが必要ですね」

 これは、高橋さんではなく相葉由紀本人からのメール……? だとしたら、試す意図が含まれない本物の忠告文になる。

「高橋さんじゃないんですね?」
 念を押すと、高橋さんは自分の携帯を見せ、メールの差出人アドレスを指差した。

「私の機種と、このアドレスから分かる機種、違うでしょう? 他ならぬ証拠です」

 言われてみればドメインが一致しない。パソコンから送信されたメールならまだしも、携帯から出されたものなのに違う。携帯を二つ持っていない限り、同一人物にはなせない技だ。

 高橋さんは何か思いついたように手を叩くと、さっきの予告通りに「お仕置き」内容を口にした。

「由紀に対する罰として、あなたに由紀に関するヒントをあげましょう」

 仮にも第三者の俺を介しての罰とはえげつないが、情報はいくらあっても困らない。対面する心構えもできたところで、近道を教えられるのは悪いことではないだろう。

「私は由紀の代理人、すなわちダミーです。校内で噂される由紀の姿は私のことであり、由紀じゃありません」
「と、言うと?」
「あなたに限らず、周囲が持っているであろう認識と食い違いがあるということです。由紀はこの学校の二年生でも、女でもありません」

 「この学校の二年女子」に当て嵌まる人物は数知れない。相葉由紀と同じ条件を持つ高橋さんだからこそ、身代わりになれるのだと思っていた。さっきの小芝居が坂本先輩を疑うシナリオだったように。それなのに、前提が最初から違っていた?

「……って、男!?」

 高橋さんの台詞を反芻しているうちに、一番の取っ掛かりが口をついて出た。純粋な驚きと、性別までも噂と違うのはどうしてなのかという疑問が入り混じる。

「お人形のように可憐な同級生と、小動物のように愛らしい先輩をはべらせてなお女性を望みますか? 『何だ野郎か』とでも?」

 刹那の冷やかしをさらに佐藤風に捻ったような嫌味に反応している暇はない。結局は噂への疑問の方が勝ったらしい。

4年前 No.80

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

「そうじゃなくて……。変、ですよね。噂が真実をかすっていないのは」

 噂はあてにならないといっても、こうまで的外れなケースはレアだ。しかもこれは、語り継がれていく間に改変されていったタイプではない。相葉由紀のブログが「去年うちの高校に入学した女子」だと物語っている。その真実がそのまま流されただけの話。誰かが先入観で二年女子だと決めつけたわけじゃない。証拠がしっかりと残されている。

 ならどうしてか。

 ……もしかして、入学したと報告の記事を上げる前に、特定されるようなミスをしたから? その火消しのために記事を上げ「相葉由紀は二年生の女子である」という固定観念を作り出した? どの程度のミスだったか想像はつかないが、本人の写メは格好の餌食だ。逆に考えれば、人々の視線を真実から逸らすには持ってこいの材料。それまで露骨に本来の年齢性別をアピールしていなければ、写メの信憑性も高くなる。


「炎上のキッカケとなった記事の画像は高橋さんですか?」

 校舎前で撮られた、制服姿の女生徒の写メ。坂本先輩が人伝に聞いた時には既に消去されていたという実物を、もちろん俺が知るはずもない。公開された時間はごく僅かでも、悪い意味で人の注目を集めてしまった画像は、最初からそれが狙いで上げられたのか。

「そりゃあダミーですからね。……おっと、喋りすぎました。疑問はたくさんあるでしょうがこれ以上は受け付けませんよ」

 写メの生徒が高橋さんだと特定された暁には、彼女はダミーとして「はいそうです」と頷くつもりだったのだろうか。だとしたら、何もできなかったどころではない。高橋さんは体を張ってまで相葉由紀を守ろうとした。もし俺が相葉由紀なら、そんなの絶対に止めている。佐藤のした冤罪話ではないが、自分の所業で人が、それも親しい人が責められるのを傍観していられるわけがない。


「憐れむような目ですね。思考が駄々漏れです」

 同情されるのが嫌なのか、空元気のようにわざとらしく明るい声を出す高橋さん。ごめんなさいと言おうと悩んでやめた。逆に負担になってしまいそうだ。


「ダミーに対して、少しは抵抗ありましたよ? テストが全部終わるまで由紀のフリをして、会わせてもいい人間だと判断したら『私は偽物でした』とネタ明かしする。そんな当初の予定を狂わせすぐにダミーだとバラしてしまったのも……その一端なのかもしれません」

 心のどこかで相葉由紀になりきることを躊躇していたからそうなった。ダミーを引き受けるほどに大切な人だったのかもしれないが、それほど大切な人であれば、自分が逆の立場に立った時、同じように頼むだろうか? ……こと人間関係においては一概に言えない。そのくらい難しい。

4年前 No.81

美桜 @hoep ★ZZYHrR4woU_KMC

「そうですか」

 打ち明けてくれたのに、あまりに簡素な返答だと自分でも思う。しかし、下手に喋れば同情と取られる言葉が出てきそうで、当たり障りのないことしか言えない。高橋さんは淀みかけた空気を正すように、話をすり替えた。否、すり替えたは言葉が過ぎるか。


「人に同情している暇はないんじゃありません? 私さえ入手不可だったあなたのアドレスを、どうして由紀が知っていたんでしょうね」

 手出しするなと忠告した以上、高橋さんは相葉由紀の行動にも敏感だったはずだ。その彼女に気取られぬよう静かに動いて、アドレスを手に入れられるとは思えない。他校ならば尚更。ならやはり、知人がアドレスを変えて送ってきたということか。

「相葉由紀は、俺の知り合い……?」

 答えは既に明白だというのに自問してみるのは冷静に考えるとおかしい。俺の知る誰かが忠告文を突き付けてきたと言えば聞こえは悪いが、人数は絞られる。加えて、高橋さんと対極の立場の人間。申し分のないヒントだ。


高橋さんはくすりと悪戯に笑い、空の缶コーヒーを近くのごみかごに投げた。綺麗な放物線を描いて、缶はすっぽりと中へ吸い込まれる。

「あなたが正解に辿り着くのを待っていますよ。早く由紀を見つけてくださいね」

 ブランコで遊んでいた子供達はもういない。残された静寂に焦燥感は湧いてこなかった。

 「すぐ終わる」と言われた割に長引いた話は、そこでついに終わりを迎えた。最後に二つの事柄を告げられて。

 まずは盗聴器の場所を教えられ、お盆明けでいいから回収してくれと頼まれた。佐藤と坂本先輩の前で、たった今見つけたフリをして。もう盗聴器はお役御免とはいえ、高橋さんが回収しては意味がない。佐藤達にもう盗聴されていないのだと認識させる必要がある。

 次に「今日自分に会ったことを口外するな」という忠告は、不合格とみなした時のための保険だったという。心の内で合否をつける以前にテストの全貌を明かしてしまったため、本当に無駄な忠告だったと彼女は苦笑した。だから今日のことを話すも話さないも全て俺に一任する、とのことだった。

 どちらを選んでもいいと言われても答えは決まっている。自分の過去を打ち明けずに、人の過去を……相葉由紀のダミーという役割を担った高橋さんについて話すのは何だかズルく思えた。自分の言葉で自分の想いを伝えた後にする。今は同情と思われるようなことしか言えない自分でも、そうすれば変われる気がした。


 すっかり生温かくなった缶コーヒーを片手に、帰路に就く。味が落ちているはずのそれは、最初の一口よりも美味しく感じられた。

4年前 No.82

美桜 @hoep ★spxLngveWO_KMC

※Page8.5で抜けていた場面です。詳しくはサブ記事を。



 梓ちゃんが手前の本を取って、さらさらと流し読みをする。彼女が手にしたのはヨーロッパの歴史の本で、「こんなもの世界史で習うだろう」と悪態をついていても興味津々な様子は隠せていない。いつの間にか梓ちゃんは真剣な顔をして本に耽るまでに至っていた。

私も数冊の本を覗いてみたけれど、どれをとっても学校で十分に教わることのできる内容ではない。特にファンタジー漫画の評論は小説にも通じるところがあって、色々考えさせられた。


 中学生の頃、ファンタジー小説を書いていた。完成した暁には新人賞に応募したいと夢見ていたのだけれど、途中で行き詰ってしまい未完に終わった。

 私はあのとき、何の下調べもせずに自分勝手に書き続けていた。当時夢中だった異能力系の学園小説に影響されて、それっぽい単語を積み上げていただけ。設計図もないのに適当に見繕ってきた材料で家を建てようとしているのと同じ。既存の創作物に登場する異能力設定を継ぎ接ぎして、自分の創り出した薄っぺらい登場人物に貼り付けた。そんな安物に矛盾が生まれるのは必然で、一つの矛盾はいくつもの矛盾に枝分かれしてしまう。結果、スラム街よりも遥かに恐ろしいものに成り果ててしまった。もう目も当てられない状態の原稿は今でも物置の隅に眠っている。

 それからというもの、勉強なり小説執筆なり調べものをする癖が付いたからあの経験は決して無駄なんかじゃないと言える。むしろ、せっちゃんを見ていてもう一度ファンタジーに挑戦してみたいとまで思うくらい。

4年前 No.83

美桜 @hoep ★spxLngveWO_KMC

Page 12.5 約束novel!



 お盆初日。早く休みが終わって相葉由紀の出方を知りたいという気持ちを抱きつつも、同時にお盆は終わってほしくない大切な時間でもあった。


 例年通り母方の実家に帰省する。隣県の地方都市に身を置く、年季の入った家屋――にいたのは午前中までの話で、そう離れていない伯母宅までやって来た。一人暮らしにしては広い造りのマンションだが、どれも揃って物置化しているため空き部屋はない。その中の一つ、本来の面積をカミングアウトされても信じられない惨状の部屋にて、私は着せ替え人形にされている。

 床の表面を覆い尽くすのは、たくさんの画材に資料、そして御伽噺に出てきそうな華やかな衣装。俗にロリータファッションと呼ばれる服が何着もかさばって、床を各々の色に染めようとしていた。

 その中の一着、胸元の大きな黒リボンが特徴的な衣装を纏って……否、纏わされている。レースやらフリルやらで盛りつけられた、丈の長いドレス。所々白が存在を主張しているがメインは黒だ。この真夏になんと重苦しい色だろう。長袖であるとか肌で感じる暑さはエアコンでどうにかなっても、視覚から与えられるイメージまでは変えられない。

「終わったか」

 下ろして巻かれた髪が頬に当たり、くすぐったさで発言の邪魔をする。このふわふわ感にもどうも慣れない。ヘッドドレスより邪魔だ。雑誌でよく見かける「ゆるふわ」の語尾に、今すぐかっこ笑いを書き足してやりたい。髪に手を触れようとすれば「動かないで」と静止の声がかかった。

「まだなのか」
「もう少しだから」

 向かいでスケッチブックに筆を走らせる彼女から、カメラのレンズのような目で凝視される。いつものふくよかな笑顔はなく、無機質な、それでいて人間味溢れる仕事人の顔だ。人々の好奇の視線より何倍も心地良い。だからそれ以上催促せず、大人しくソファーに上品な物腰で座り続けてやることにした。


 口を開けば面倒だの鬱陶しいだの悪態を吐きそうになるが、彼女といる時間は思いの外心が弾む。子供が好きな性格と未婚という立場が手伝ってか、伯母でありながら姉のように接してくれた。包容力があり面倒見が良く、それも母性とはまた違ったものなのだ。彼女のことは自分の感性に基づき「姉さん」と呼んでいる。母娘揃って同じ人物を姉と呼ぶのは、傍から見ればさぞ不思議だろう。


 姉さんは名門女学院の美術教員兼イラストレーターであり、最近ではライトノベルの挿絵も担当している。昔からよく絵のモデルを頼まれていたが、こうまでマニアックな要求をされるようになったのはやはり最近だ。次の仕事でロリータファッションを山ほど描かなくてはならないらしい。姉さんの力になれるなら、髪を巻かれようがドレスを着せられようが悪くはない。……が、ここ数時間何着もの衣装を試されてそろそろ限界だ。これで最後なのだと着替え中に言われた言葉を信じて、後少し耐えろ私。足元に見える試着済みの衣装を支えに、何とか自分を律した。

3年前 No.84

美桜 @hoep ★VfxCN0mR73_KMC

 今でこそこういう小さな我慢で済むが、初めてモデルを頼まれた時はきっぱりと拒否した。今と違って、苦手だった。描かれることや撮られることが。正しくは、根本にある容姿への賛美が。

 誰もが容姿に注目し、それだけで完結してしまう。幼少時、「お友達のいいところを見つけましょう」とめあてが掲げられた授業で「見た目がキレイ」とド直球な言葉を投げつけられたのは私だけだった。

 成績が劣っていたわけじゃない。徒競走では一位は無理でも三位以内には入れた。至って平凡ではあるが、探せば褒められる点の一つくらいはあるはずだ。しかし、誰もそこまで踏み入ってくれない。容姿の印象が大きすぎてそれ以外はまるきり無視されるのだ。

 容姿で得をしたことがないと言えば嘘になる。あらゆる面で優遇され、少し猫かぶりでもすれば大抵の人間は意のままに動かせた。僻みっぽい一部の女子も上手くあしらい、一時の快楽に溺れた。しかし所詮は茶番だ。残されたのはどうしようもない虚しさ。

 どれだけ容姿を褒められても、私自身は認められていない。絶世の美女だと持て囃された母の遺伝であり、努力の上に成り立ったものではないのだから。身なりに無頓着とまではいかずとも、綺麗でいるために思考錯誤した経験など皆無だ。見た目だけを、運の良さを褒められるほど屈辱的なことはない。

 だから嫌なのだと断れば、姉さんは強制しなかった。そして、しゃがんで私に目線を合わせると、優しく髪を撫でてこう言った。

――嫌なことを言ってしまったお詫びに、見た目以外のいいところを褒められる方法、教えてあげるね。

 そんな魔法みたいなことがあるのかと、私は続きをせがんだ。続く言葉は拍子抜けなほどに短かったけれど、私の人生を変えた言葉だ。

――何事にも全力で取り組めばいいの。
――全力で取り組む?
――梓ちゃんの可愛さが百点だとしたら、勉強や運動、その他にも色々なことを百点かそれ以上になるまで頑張れば、みんなもきちんと評価してくれる。可愛いだけじゃないってこと、もっとみんなに知らせてあげようよ。


 その日から、私の世界は変わりつつあった。容姿が特出しているというのなら、どの物事もそのレベルに合せればいい。他の長所を見てもらえないと嘆いてる暇があったら、自分から見せつけに行くまでだ。無視できないほど存在感を膨らませて。

 文武両道を目指して努力を重ねるうちに、自分に自信が持てるようになった。料理の腕だけは壊滅的なまま進歩しないが、そこはまあギャップ萌えということで。

 モデルについても、容姿だけを見て描かれているのでなく、表情や仕草から滲み出る内面も表現されるのだと理解できた。依頼を断って数年後、今度は自分から描いてくれないかと申し出た。それが記念すべき一枚目となる。描かれるようになって、以前より交流も深まった。今のように姉さんと呼び始めたのもこの頃だ。

 姉さんの仕事に対する情熱は傍にいるだけでも伝わってくる。まさに「全力で取り組む」の師範の彼女が、憧れの存在になるまで時間はかからなかった。もっと姉さんのことを知りたい、姉さんに追いつきたい、と走り続けているうちに、気付けば新しい扉を開けていた。

 初めて書いた小説は、姉さんを題材にしたものだった。作文として書くつもりがいつの間にか物語仕立てになっていた、という寸法だが、確かに未知の世界に足を踏み入れた瞬間だった。

 彼女がいなければ、今の私はいなかった――そう言えるくらい、姉さんが好きだ。本人には面と向かって言えなくても。

3年前 No.85

美桜 @hoep ★G3n4J98JGT_KMC

「はい。終わったわよ」

待ちわびた終了の合図に合わせて、スイッチが切れたように欠伸が漏れた。すまないと口を手で覆えば、姉さんは「いいよいいよ」と筆を置いた手をひらひらと振った。

「約束通りこれで全部。お疲れ様、梓ちゃん」
「なんてことはない。衣装が衣装とはいえ、描かれることには慣れているからな」

 この暑く重い衣装を脱いで、波のようにうねる髪をまとめて、としたいことはたくさんがるが、それより優先すべきは。ソファーから立ち上がる前に、姉さんからスケッチブックが手渡される。開かれたページには今の私の姿があった。一枚ずつ遡り、描かれた私を振り返る。現実感を忘れていないのに、ここではない別世界を覗いている気分になる、不思議な魅力。線の強弱やちょっとした遊び――ほんの小さなことでも、姉さんにしか出せない味なのだと知っている。鏡に映すとつまらないものでも、姉さんの目を通せば何十倍も面白く、また輝いて見える。描かれたのが自分だということも忘れて、私はしばらく姉さんの世界に浸っていた。


「……頼まれればいつだって、梓ちゃんの小説の挿絵も描くのに」

 衣装をまとめながら言う姉さんに、ぶんぶんと首を振る。小説を書き始めた時から言われているが、私はきまって否定する。

「素人作品にプロが関わるなどあってはいけない。でも、いつか絶対描いてもらうからな」

 私の夢は二つある。一つは教師になって姉さんと同じ教壇に立つことで、二つ目は作家として姉さんにイラストを担当してもらうことだ。それまでいくら小説を書いても姉さんには描かせない。絶ち物の意味も込めて、高校も姉さんの学院ではなく今の学校を選んだ。朱里や古賀に出会えたのだから、絶ち物であるのに得をしていることになるが。

「待っているわ。それまで浮気は……って、もう遅いわね」
「残念ながら、今の私には朱里がいる」
「わぁー。姉さん悲しいなあ」

 言葉とは裏腹に楽しげな声。部活に入ろうと思う、と報告したのは春休みのことだった。

「それにしても、驚いた。梓ちゃんがクラブ活動をするなんて」
「どういう意味だ」
「だって、梓ちゃんは一人でやれることは一人で済ませてしまうじゃない?」
「……冒険してみたって、悪くないだろう」

 姉さんの言う通り、今まで個人作業をわざわざ集団でやろうとはしなかった。一人の方が集中できる。気の散る心配もない。だが、独りとは弊害を招くのものだ。

 誰にも邪魔されないのはいいことかもしれない。では、誰からも刺激を受けないのはどうか。物語の構成、人物の描き方、文章の癖一つをとっても十人十色だ。邪魔されることに怯えて、自分とは違う色を知らずにいるのは勿体無い。姉さんから影響を受けたように、今度は同じ小説を書く者と互いの色に染まりたいと思った。

「一本道よりたくさんの岐路があった方が面白いからな」
「なるほど。それで、どんなことがあったの? 入部した時、どんな感じだった?」

 姉さんの仕事の関係で、春休み以降ゆっくりと話せていない。描いている時の集中が切れれば待っているのは質問攻めだ。雑談を始めると止まらないから、先に描かせてくれと言っただけはある。

「順を追って話す。まずは――」

 スケッチブックを閉じ、ヘッドドレスを外した。着替え終わるまで待てないと言うように、口が勝手に動く。さて、何から話そうか。

3年前 No.86

美桜 @hoep ★XmOk08LZxP_KMC

 四月。街を染め上げる桜の花びらのように、たくさんの部活勧誘チラシが舞う。手元にやってきた多種多様のそれに、文芸部のものはなかった。入学前から文芸部の有無は調べていたのだし、クラスで配られた部活動一覧表には活動場所まで載っていたのに。

 ではどうして――と律義に考えている暇があるなら直接確かめた方が早い。古い図書室を部室としていることを知った以上、乗り込まずにどうしろというのか。

 図書室の扉は半開きになっていて、隙間から中を伺うと奥の方に一人の少女を見つけた。長机の窓に近い位置に座り、紙に何か書いては消してを繰り返している。茶色がかった髪から覗くしとやかな横顔や、優しげな瞳から目が離せない。なんとなく、姉さんと同じような雰囲気を感じた。

 他に人の気配がしない、おそらくは彼女一人の室内。書架と本に囲まれて作業をしている少女は、図書室の妖精みたいだ。いつもの私なら躊躇わずに踏み込んでいただろうに、もっと眺めていたいとそのまま突っ立っていた。

 見入っているうちに鞄を扉にぶつけてしまい、鈍い音が広がる。それに反応して顔を上げた少女と、目が合った。

「文芸部は、ここで合って……」

 問おうとした瞬間。立ち上がって私へ歩み寄る彼女の目元に、煌めくものが見えた。……涙? すっと頬を伝うそれに気付き、拭おうとするその姿があまりにも美しくて。無意識に頬へ伸びた手が、彼女の手と重なった。慌てて引っ込めたが、気まずい空気は消えてくれないまま。温かい手の温もりも、まだしばらく残っていそうだ。

「悪かった……じゃ、なくて。すみません。急に覗いてびっくりさせて、だから」

 何を喋っているのか自分でも分からない。文芸部を探しにここまで来て、中を覗いた。そうしたら思わず見入ってしまって……。何か泣かせるようなことでもしたのだろうかと、再度考えてみる。

「誤解させちゃってごめんなさい。違うの、嬉しかったの。まさか新入生が来てくれるなんて思わなかったから」

 解答は頭に描いたどれとも違った。彼女はまだ少し潤んでいる瞳を細めて笑う。朝露に濡れる花のような笑顔が緊張や気がかりを溶かしてゆく。つまりは嬉し泣きだったのか。

「なら、もしかして部員は」

 表立った勧誘活動はなく、彼女は図書室に一人。おそらくあの作業はチラシかポスターの下書きだったのだろう。そして私への反応。ここまで材料が揃えば、気付かない方が不思議だ。

「……そう。部員は私だけ。みんなもう卒業してしまって、文芸部とは呼べないの」
「しかし、廃部が決まったのではないだろう? ……ない、でしょう?」

 さっきから敬語が崩れるのは、姉さんに似ている相手だからだろうか。猫かぶりが得意な私にとって、上級生にタメ口など考えられないことなのに。いや、部活を素の自分を出せる場所にするためにはその方がいいかもしれないが……。しかし敬語は素の自分以前の問題のわけで……。

「一か月の猶予は与えられているから、大丈夫だよ。あなたが来てくれた以上、廃部にするわけにはいかないもの」

 ぎこちない口調を気にするどころか、微笑ましいと言うかのように柔らかな対応。本当に笑顔が似合う人だなと思っていると、忘れていたと言わんばかりに切り出す彼女。

「あ、そうだ。自己紹介がまだだったよね。私は坂本朱里。文芸部の……今は部じゃないけど……、部長です」

 指摘されて気付く。まだ彼女の名前を知らなかったし、私も名乗っていない。普通私が、彼女よりも先にすべきなのだが……、何だか調子が狂う。しまらず落ち着かなくて、だけど緩いこの感覚は嫌いじゃない。

「一年一組、佐藤梓、……です」
「敬語、使わなくていいよ」
「……え」
「そっちの方があなたらしいかなって。親近感もあって、私はそういうの好き」

 気を遣っているのでなく、本心からの素直な言葉に意図せず頬が緩む。あなたらしい。その一言が、何故だかとても嬉しかった。だけど少し、欲を言うなら。

「梓でいい」
 ボリュームが下がった声とは反対に、鼓動の音は大きく響く。――これが、私の。坂本朱里との出会いだった。

3年前 No.87

美桜 @hoep ★XmOk08LZxP_KMC

 放課後に集まる場所があり、待っていてくれる人がいる。中学時代を帰宅部で過ごしたせいか、たったそれだけのことが特別に思えた。

 朱里は第一印象を裏切らず優しいひとだった。でもそれだけじゃなくて、ほんわかとした可愛らしさも併せ持っている。「女の子は砂糖菓子でできている」を体現しているようなそれに癒されたのは、きっと私が初めてではないだろう。時が経つのを忘れてしまうほど、彼女と過ごす放課後は特別なものになっていた。

 しかし、いつまでもそう能天気に構えてはいられない。定められた期限までに部員を集めなければ廃部だ。勧誘活動の最初の一歩がチラシの完成だった。本が実る木の下で、たくさんの生徒が読書をしたり小説を書いたりしている一場面。朱里が描いたぎやかで幻想的なイラストに、私が文章や文字のレイアウトをした。

 できあがったチラシを手に、廊下や校門で呼び込みを始めた……のだが。大きく人気のある部活が目立ち、私たちはその波に流され埋もれていく。
各部が部員を総動員して挑むものに、二人で立ち向かうのは圧倒的に不利だった。文芸部自体がメジャーな部活でない分、さらに難易度は増す。

 ほとんどの部が勧誘活動を終えた頃、事件は起こった。

「これって……気のせいじゃないよね?」

 放課後の校門。いつものようにチラシを持って勧誘に励んでいたところ、朱里が声をひそめて話しかけてきた。次の言葉を聞かずとも言わんとすることは分かる。周りの様子が……おかしいのだ。この時期になると勧誘行為をしているだけで目立つようになり、私たちを見て足を止めてくれる人も多くなった。それはいい傾向なのだが、今回は注目がマイナスに働いているような気がしてならない。私たちに視線を向ける生徒は、みんなある程度の距離を置いてひそひそ話をしている。

「気にするな。くだらない野次馬だ」
 まだ部員の集まらない可哀想な部が晒し者になっている、とでも言いたいのだろうか。聞こえないふりをしても聴覚は素直なもので、いくつかのぼそぼそ声が耳をかすめた。

「もしかしてあそこ、部員二人だけだったり?」
「うわぁ、悲惨だねぇ。あんた入ってあげなよ。どうせ帰宅部でしょ?」
「でも地味な部だと帰宅部も同然じゃない? 内申も期待できないしぃ」

 ここまでなら自制が効いた。外野がどう皮肉ろうが関係ないと割り切ることができた。なのに、
「真面目に右の方タイプだわ。声かけてみるかなー」
 軽快な声によって、我慢にも限度があることを知った。声の主は少し離れた所で友人と談笑している男子生徒。「右の方」が私を指していることも、彼らが文芸部に興味を持っていないことも、すぐに分かった。そこまで理解できてしまったら――後はもう、脳裏に浮かんだ未来が現実にならないように祈るしかない。

3年前 No.88

美桜 @hoep ★XmOk08LZxP_KMC

「あの子一組じゃなかったか? 加えてあれだけ美人なら、お前を相手するとは思えないけど」
「バーカ。だからこその部活だろ。同じ部ってだけでもおいしいのに『廃部を救った人間』という肩書きがつくんだぜ? しかも経験やスキルのいらない、大した活動はしていなさそうな文芸部。適当に話を合わせるだけで、いい思いすること請け合いだ」

 ……ああ、やっぱり。嫌な予感に限って当たる。人を見た目で判断し、理由をつけて取り入ろうとする人間の存在くらい知っていた。でも、例え予期できても許せない。近づきたいからなんてふざけるな。動機が不純なだけでなく馬鹿にまでしておいて、誰がそんな奴にいい思いをさせるというのか。

「そこまで言うなら絶対声かけろよ? そんでもし上手くいったら隣の二年生紹介して」
 友人も友人で止めるどころかさらに拍車をかけ、軽々しい笑い声が野次馬たちの興味を惹きつける。周りの人間も便乗し、いつの間にか大衆の着眼点は、男子生徒に声をかけられた私がどう反応するかに移っていった。

「梓ちゃん……」

 不安げな声音と眼差しを送る朱里は、逃げようと言うように私の手を掴む……否、掴もうとした。その手を取れなかったのはきっと、このまま引き下がりたくなかったから。相手にせずに逃げるのが賢い選択なのかもしれない。奴らはその場の雰囲気に押されているだけで、逃げたからといって執念深く追いかけてくるとは限らない。それでも……どうしても自分を止められなかった。人に気にするなと言ったくせに、この時ばかりは感情を抑えきれなかった。

 気付けば私の足は発端の男子の男子の元に向かっていた。ざわめく周りも止めようとする朱里も構わずに、私は男子生徒の前に立つ。あれだけ息巻いてたくせに、相手は気まずそうに目を逸らした。外野が「これは失敗するんじゃ」と懲りずに野次を飛ばす。

「下心を持った人間の救いなど不要だ。見下しまでして思い上がるな!」

 音のない空白の時間が続いた。現実には一瞬であろうが、長く感じられた無の世界を元に戻したのは、
「なにあれ、感じ悪い」
 紛れもない非難だった。その一言から次々に似た言葉が溢れだす。なかには男子生徒へのものも混じっているようだが、どちらが多いかは比べるまでもない。――私は言いたいことを言った。この発言が間違っていたとは思いたくない。だけど、現に私は……。空気を悪くしてしまった。ただでさえ良くはなかったのに悪化させてしまった。この状態で勧誘を続けられるはず、ない。……何で無視できなかったのか。もっと上手く立ち回っていればまだ……。

 男子生徒は思うところがあったのかぶつぶつと口籠っていたが、弁解は焼け石に水だ。それは私にも言えることで。今の出来事が影響して本当に廃部になってしまったら、と思うと朱里に向ける顔もない。

「……しばらく一人にさせてくれ」
 チラシの束を胸に抱いたままその場を走り去る。朱里の声が背中を追いかけるけれど、応えることはできなかった。

3年前 No.89

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

 今日の昼休み、部室に来れる? 待ってます。――と、メールが届いたのは翌朝の学校に着いた頃だった。

 昨日の今日で顔を合わせづらいが、だったらなおさら会って謝るべきだ。あの時はどうすればいいか分からなくて、何の詫びもなしに逃亡という形になってしまった。だから……そう、まずは逃げたことを謝って……。昼休みまでに頭の中で何度もシュミレーションした。それでも、部室へと続く階段を上る足は軽くないけれど。いつまでも逃げてばかりでは駄目だ。

 部室には誰もいなかった。戸が施錠されていなかったり、窓が開いたままだったりと人のいた形跡は見られる。入ってすぐのカウンターの上には、朱里のシャープペンとメモ帳が置いてあった。メモ帳から覗く単語が気になって、手に取って見てみれば私のクラスの担任の名前だった。何を意味するのかはさっぱり分からない。朱里が戻ってくるまで大人しく待っておこう。しかし、変化はそれだけに留まらなかった。

「ない……」
 椅子に手をかけた時に気づいた。長机の中央にひとまとめにしておいたチラシが見当たらない。ペーパーウェイトだけが役割を失った状態でぽつんと取り残されていた。チラシの半分は私の鞄の中にある。昨日、私がそのまま持ち帰ってしまったものだ。とすると朱里も昨日は部室に戻らず帰ったのか。そう考えればなくはない話だが、何だか違うような気がした。

「ごめんね、待ってた?」
 その声に振り返ると、大きな茶封筒を手にした朱里の姿があった。封筒は中身の厚みで表面が膨れ上がっている。それが何なのか、担任と関係があるのかなんて今は分からなくていい。それよりも……。朱里が封筒をカウンターの上に置いたのを見計らって、息を吸った。

「昨日は……」
「梓ちゃんは悪くない。正しいことを言っただけ。そうだよね?」
 大勢の前であんなことを言った挙句、逃げ出して悪かった。――そう続くはずだった言葉は形にならずに消えた。一番悪いのは相手だったとは言われなくても分かっている。でも、だからといって私が悪くないことにはならない。朱里が私を怒らないのはなんとなく予想がついていた。優しさゆえに、私のことを責めないと……責めてくれないと。その優しさに甘えてしまいそうな自分が嫌だ。

「だとしても、あのときあの場で言うべきじゃなかった。何も反応せず静かに立ち去れば良かったんだ」
「そんなこと言わないで。私は梓ちゃんを責めるつもりもなければ、この結果に後悔もしていない」
 自分を責めるなと訴えるように、朱里の表情が悲しみに揺らぐ。何で。私が一番後悔しているのに。あんなことしなければ良かったと、朱里の手を取っていれば、と。

「責めないのと責められないのでは意味が違う。……後悔しないわけがない。あんな……」
 私は何がしたのだろう。叱ってもらいたい。それで、その先にあるものは? 今後どうするか……自分が空けてしまった穴をどう塞ぐのかも考えなければならないのに。俯く私の肩に、顔を上げてと言うように朱里が手を乗せる。その目はとても同情には見えなかった。

3年前 No.90

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

「嘘じゃないよ。責められないも何も、責める必要がないの。私は梓ちゃんの行動に感謝さえしてる」
「感謝?」
 聞き返すその声が、前よりも落ち着いているのが自分でも分かった。切羽詰まっていた心を撫でるように朱里は語る。

「馬鹿にしておきながらいい思いはしたいんだねって、嫌味のひとつくらい言ってやりたかったのは、私も同じ。行動に移すだけの勇気がなかった私の代わりに、梓ちゃんがあの子を叱ってくれた」

 まさか、そんな風に思ってくれていたなんて。勢いでやってしまった、自制できなかったと悩んだ。しかし結果として残ったのは不穏な空気だけじゃない。そんな卑怯な真似はするなと彼にぶつけてやったこと。もしあれで少しでも反省してくれたなら、きっと……無意味じゃなかった。

「言いたいことをはっきり言えるところ、立派な長所だよ。だから後悔なんかしないで、むしろ誇ってほしい」
 悪い結果は受け止めてしっかりと心に刻まなくてはならない。だが同時に得られたものもあることを、私は忘れていた。もしかしたら言わなかった方が胸にわだかまりが残っていたかもしれない。

「……ありがとう」
 なんて安直で単純な言葉なんだと思う。だけど、嬉しさや安堵が入り混じった感情は他に表しようがなかった。優しさゆえに責められなかったのではない。根拠のない励ましじゃなくて、私の行動と正面から向き合ってくれた。感謝したいのは私の方だ。和やかな空気によって全て解決したような気分にさせられたが、まだ問題は残っている。だけどそこに焦りはなかった。

「しかし現状が思わしくないのは事実だ。これからどうするか考えなければ」
「それね、実はもう考えてあるんだ。梓ちゃんのおかげで妙案が浮かんだよ」

 朱里は封筒を取り、それを長机の上に持って行った。お互いに椅子に座ると、朱里の手がそっと封を切る。

「作文?」
 顔を出したのは幾枚もの原稿用紙。何十枚もあるそれは二、三枚ごとにホッチキスで留められている。一枚目にはクラスは書かれていないが名前は記されており、どれもが私のクラスメートのものだった。

「うん。春休みの課題にあったでしょ? 自由作文」
 そういえばそんな課題も出された。合格発表が終わって間もない、クラス分けもまだの頃だからクラスが書けないのは当然だ。

「梓ちゃんのクラスの先生は学年主任だから、一年生のは全部預かっているみたい。とりあえずは一組のものだけ、という話になってね」
「この課題と解決策にどんな関係が?」
 メモ帳にあった担任の名前は、作文を受け取るためのものだったのか。自分で尋ねておきながら、答えは薄々気づいていた。チラシがなかったのもおそらく……。

「これ以上勧誘を続けても、冷やかし目的の人や下心を持った人の餌食になりかねないと思うの。だからチラシも処分して……代わりにこれを持ってきた。梓ちゃんなら、ここまで話したら分かるかな」

 このまま続けても意味がないからやめよう。チラシも捨てた。……諦めにも見える行動だが、違う。これは終わりではなく始まりだ。そして、新しい方法に選んだのが。

「作文をもとに適した人材を探そう、ということだな?」
 もう待つのはやめよう。こっちにだって選ぶ権利がある。私たちの場所に、よこしまな気持ちを持つ者やいい加減な者はいらない。作文から文章を書きなれている人間を探し、候補に絞り込む。

「さすが梓ちゃん。この方法だと、人数は期待できないかもしれないけど」
「いい。たった一人でも理想の人がいれば」

3年前 No.91

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

 その日から、作文を読み漁る日々が始まった。一クラス分を流し読みするだけでも多大な時間を要するが、親切なことに学年だよりに優秀作がいくつか掲載されてあった。それらを比べて、一人に絞る。しかしそれは思っていたより難しかった。自由作文なのだから当然主題はバラバラだ。方向が違いすぎて比較対象にならない。

 人権問題、高校生活の抱負、中学時代の思い出と、数あるテーマの中にひとつ、異質なものが混じっていた。……創作物は自己満足だと。

 自分の主観しか反映されていない物語。その実、何を伝えたいのか分からない物語。プロならいいが、そうでない人間が創作するのは、プロへの冒涜ではないのか。まとめると以上になる。

 馬鹿にされていると感じた。プロだって、最初からプロだったわけじゃないのに。書き慣れていることは文体から伝わってくるが、押し付けがましい意見ばかり書き散らかしているだけで、何故これを優秀作に選んだのか問い詰めたいくらいだった。

 だけど朱里は、この作品がいいと言った。尋ねれば「これを書いた人は、この意見を誰かに否定してもらいたかったのだと思う」だそうだ。そして「もし本気でそう思ってるなら、自己満足なんかじゃ終わらせないって証明して、ぎゃふんと言わせよう」とも。前者はともかく、後者には素直に頷けた。その腐った根性を何が何でも更生させてやる。

 書き手の名前は古賀蒼依。クラスを確認すると四組だった。会って誘ってみようと踏み出す足は羽のように軽く、はやる心はとめられない。呼び止められたその人が振り返るまで、あと数秒。




 衣装は一式片付けたものの、まだまだ散らかっている床に携帯の振動が伝わる。スケッチブックの下に隠れていた携帯を拾うと、見慣れた名前が飛び込んできた。

「着信? メール?」
 話を遮ったその音は無粋にも感じられるが、休憩を挟むには丁度いい時間かもしれない。それにしても、なんというタイミングだ。

「メールだ。しかも古賀から」
 まあ、と手を叩く姉さんの傍らでメールを開く。「お盆明けに話したいことがある」という簡素な文章は、朱里にも送信されているようだった。いきなり改まって何の話だろうか。なおかつメールではできない話とは……こうやって予想するのも面白いからまあ良しとしよう。

「いい仲間を持ったんだね。今の梓ちゃん、とても輝いてる」
「……まあな」
 気恥ずかしい台詞にそれだけ返すと、立ち上がって伸びをした。時計は三時を回ったところだ。あれから結構経つのにまだ話し足りない。振り返ってみるとほんの数か月だが、私にとっては誰よりも濃く長い数か月。きっとこれからも積み重なっていく。

「さて、続きはおやつを食べてからにしましょうか。冷蔵庫にスイカとマンゴープリンがあったはず」
「なかなかに珍妙な組み合わせだな」
「ふふ。意外と合うかもよ?」

 部屋を出る間際、独り言のように小さな声で紡がれた言葉を、私は忘れない。

「いつか私に挿絵を担当させてね」
 当然だ。そのために私はここにいる。声に出さなくても伝わるであろう気持ちを視線に込めた。思い描いた未来への道のりはまだ遠いけれど、一歩一歩に重要な意味がある。

3年前 No.92

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

Page13 紡ぎ続ける理由



 お盆が明けた。暑さはまだまだ続くとはいえ夏も折り返し地点だ。暑中見舞いは残暑見舞いに変わり、甲子園も決勝に近づいている。刹那はイベントの片付けのためホテルにもう一泊すると言った。刹那がいないせいか、先日までいとこ達と遊んでいたせいか、夏の終わりが見えたせいなのか。どれが正解かは分からないが、数日ぶりに戻ってきた家はやけに静かに思えた。しかし、このくらいが今の俺には丁度いい。リレー小説を完成させたら、夏の初めに語ったことをしよう。夏祭りは達成できたのだから、あとはプールと……。それもこれも、今日を終えてからの話だ。

 いつもより数十分は早く家を出たのに、二人はすでに部室に来ていた。単に休み明けだからかもしれないが、メールを気にしてくれたのかと思うと嬉しいような、くすぐったいような気持ちになる。しばらく他愛もない話をすると、誰からともなく「話したいこと」に触れ始めた。

 自分の過去を打ち明けて、高橋さんと会ったことを伝える。自分のなかで順序は立てている。


「最初にこれだけ、言わせてほしい」

 予防線を張るのは好きではないが、ひとつだけささやかな前置きを。これは小さな傷で悲劇と言えるものでもない。類似しているにしても、相葉由紀に比べれば砂粒ほどのくだらないこと。

「これは大それたことじゃなく『なんだこの程度のことか』と言いたくなるようなもの、なんだ」
「それでも伝えるべきだと思ったのだろう?」

 佐藤はこれまで以上に真剣そうな様子だった。一通のメールでどこまで察することができたのかは分からない。しかし言外に匂わせていた――ようやく言ってくれるのか、と。坂本先輩はいつも通り柔らかな雰囲気を放ちながらも、やはり何か知っているようだった。

「古賀くんの抱えるものに対して、『この程度のこと』なんて言わないよ」
「悔しいが、あいつにもお墨付きをもらっているしな」

 どうやら刹那が何かほのめかしていたらしい。お膳立てをするお節介な性分は相変わらずだが、おかげでリラックスして話せそうだ。今ばかりはお節介でなく親切と呼ぶべきか。

 朝の部室。机の上には開かれていない本と裏返しの原稿用紙。小さくてくだらない、けれどあの頃の俺には一大事だった話をはじめよう。

2年前 No.93

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

 夢中になれるものが欲しい、と考えるのは誰もが通る道だろうが、俺は人より早くその時期が来た。幼い頃から打ち込めるものがあり、努力し続ける刹那が隣にいたからだ。俺はそんな刹那が大好きで、誇らしくて、だけど時々。悩んでいる姿でさえ輝いている刹那を、眩しくて直視できなかった。



 中学生になって三ヶ月が経とうとしていた頃。日曜日のある日、刹那に付き合って本屋を巡った。刹那は購入目的の本がある場合、事前にリストを作る。この日はそうでなく、ぶらぶらと回って気に入ったものを買いたいといった遊び歩きだった。何件もはしごして隅々まで見て回ったのにもかかわらず、収穫はゼロ。出費なしに楽しめたと考えることもできるが、物足りないと刹那は言う。


「何かいいものがあれば良かったのになあ……」

 茜に染まった部屋に広がる呟き。刹那がベッドに転がり込んだ反動で、上に乗っていた文庫本が床に落ちる。色褪せて皺も寄っているそれは、繰り返し読んでいたことがすぐに分かった。

 刹那の部屋は本に溢れている。大きな本棚には漫画、漫画の指南書、小説にゲームの攻略本と、それはもうぎゅうぎゅう詰めだ。その中から小さな隙間を見つけ、落ちた本を元に戻そうとする。……のを、刹那の手が止めた。

「読むのか?」
「流し読みかな。せめてもの暇つぶし」

 これだけの本を読み尽くしてまだ足りないとは、贅沢にも見えるが向上心の現れでもある。

 退屈だ、何か面白いことがしたい。そう言っては何かしら見つけてくるのが刹那で、いつも新しさを探している。俺は同じことの繰り返しでも飽きないが、刹那の見つける斬新さもまた嫌いじゃない。今回は街に出ても見つけられなかったが、きっと俺には思いつかないようなところから、ふと何かが湧き出てくるのではないかと思った。

 焦っても出てくるようなものではないし、のんびり待っていようと、本棚の小説を手に取った。――数十分経った頃だろうが、俺の予想を遥かに超えるスピードで、刹那のひらめきはやってきた。

「……ねえ蒼依、小説書いてよ!」

2年前 No.94

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

「小説? 俺が?」
「そっ。蒼依、国語好きで作文も得意でしょ? いやぁ〜読み尽くしてどうしようかと思ってたけど、まさに灯台下暗し! 身近にあるもんだねぇ」

 好みの小説を「探す」から「作る」への変換とは。漫画を描いている刹那の発想らしいと言えばらしい。が、すぐに了承できる頼みかといえば違う。国語の成績は悪くないし、作文で賞を取ったこともある。だとしてもそれだけで小説が書けるだろうか。

 登場人物という命を生み出し育てる。ここではない自分の創った世界で。大袈裟かもしれないが、創作活動ってそういうものだと思う。媒体が文章なだけで、大きく分ければ刹那のやっていることと同じだ。豊かな想像力、自由自在に世界を操る力がなければ務まらない。

「文章が書けるだけだよ、俺は。第一、日頃から創作活動をしているのは刹那だろ」
「人の作品じゃなきゃ意味ないし、漫画より小説が読みたい気分なんだよ。……それにさ」
 すとんと軽い音がする。刹那はベッドから降りると、俺と目線を合わせるように床に座った。

「今の刹那には何も創れないから。スランプってやつかな」

思い返してみれば最近の刹那は、自分の作品について語ることが少なくなった。放課後、部室に行くからと手を振る時の笑顔だって、含みのあるものだった。いつも明るく元気で、何かあった時も変わらない態度でいるものだから。近くにいても気付けなかった……なんて、そんなのは言い訳にしかならないと分かってはいるけど。

「なんか、ごめん」
「ああもう、人の話は最後まで聞く! スランプだからこそ、色々な作品に触れてリフレッシュしたいの。そう思って探しに出たけどピンとくるものが見つからなくて、だったら蒼依に書いてもらうしかないなって。ていうかね、刹那はわりとスランプって状況を楽しんでるよ? おかげでこんな名案を思い付けたんだから!」

 噛み付くような勢いで一気に喋った刹那は、疲れたのか息が上がっていた。そうは言うものの、無理して明るく振舞っていた節はあったと思う。でも楽しいというのもまた本当なのだろう。どんな形であれ、新しい発見をした時の刹那は、飛び跳ねそうな顔をして笑う。

「自分にはできないことを頼んでいるように見えるだろうけど、あくまで今は≠ナきない、だからね。ほんの気分転換。大事な鍵を預けておくだけ、みたいな」
「何で、それが俺にできると思ったんだ?」
「文章が書けるだけ、で十分じゃん。刹那の幼馴染だけあって、妄想力もあるだろうし、ね?」

 想像力じゃないのか、と突っ込む余裕がないくらい――なぜか、書いてみたいと思っていた。書けるわけがない、無理だ、と思っていたのに。逆境も力に変えて楽しむその姿を、追いかけたいと思ってしまった。今まで心の奥底にあったものが、ついに形を手に入れたのだ。後押しされれば断る理由はなかった。考えていたほど甘くはないと気付いたのは後の話。しかし、これが始まりであることに変わりはない。

2年前 No.95

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

 刹那が出すお題を元に短編を書くことから始まった。お題はその日の気分次第で、具体的なものから抽象的なもの、授業で得た真新しい知識など様々だ。お題に沿おうと思うと、小説というより作文っぽくなってしまう。お題を取り入れながら自分の世界を作ることが当面の課題だった。

  読み手を引き込むような世界観や登場人物の設定を練って、それでいて自分の伝えたいこともしっかり伝える。そんなことを考えていると、日に日に執筆時間が長くなっていった。設定や構成といった、下準備でやることが増えたというのも要因だが、完成後に読み返して修正する時間が大半を占めていたように感じる。

 刹那はどんな小説でも喜んで読んでくれた。たまに「このパターン前にもなかった?」なんて茶化しもしたが、面白いとプラスの意見をくれることが多かった。創作においては刹那の方が先輩でもこれは漫画じゃない。アドバイスできる部分が少ないのは当然だ。でも褒められるのは嬉しかったし、俺が刹那の漫画に笑顔を与えられたように、俺も刹那にあげられるものができたことで、距離も前より縮まった気がした。出来不出来は二の次で、自分にも打ち込めることができた事実が心を跳ねあがらせた。

 漫画と小説を互いに読み合うことはあっても、小説と小説はなかった。刹那は違う。当時から漫研に入っていたため、読み合う仲間はたくさんいた。うちの中学は公立校にしては部活の種類が多い方で、漫研とは別に美術部が、吹奏楽部とは別に音楽部があり、写真部といったマニアックな部活もあった。しかし文芸部だけはない。クラスメートに読んでみてくれと言うのも気が引けて、読むのは刹那だけだった。刹那に頼まれて書いたのだから刹那だけが知っていればいい。そう思い日々を過ごしていたある日、変化が訪れた。

 家にパソコンがやってきたのだ。当時携帯も持っていなかった俺にとっては物珍しく、インターネットは未知の世界だった。小学校でタイピングは習っている。パソコンの基本操作も知ってはいたけど、どれもオフラインの話だからだ。

 勉強についての調べ物をしている時、検索に引っかかったサイトに目が留まった。そこは大きな電子掲示板で、趣味や年齢などでページがカテゴライズされており、ネット上で知らない人と雑談できるようなサイトだった。似たサイトはこれまでも目にしていたが、悪い大人が子どもを騙して事件になるような印象が強く、他人の会話を見るだけに終わっていた。しかし、今まで見てきたサイトと決定的に違う部分が、そこにはあった。

 『小説投稿城』。数あるページの一つに、そんな文字を見つけた。クリックすると小説のタイトルらしきものが画面を埋め尽くす。書き込みがあった記事は新着として上へ並び、書き込みがなければ下へ流れ、放っておけばいずれ過去ログに収納される。この方式は普通の雑談スレッドと何ら変わりはないが、記事主は小説を書き込み、読んだ人がコメントを残すシステムは初めて目にした。

 いくつか気になった小説を読んでいくうちに、見ているだけじゃなく感想を書きたいと思い、さらに自分も投稿したいと思った。自由に小説を読める、読んでもらえる。ネット上という環境ではあるけれど、誰かと読み合う関係を築けた。今まで原稿用紙に手書きで書いていたが、キーボードで打ち込むようになった。刹那が本にして手元に残しておきたいと言うから、ワードで書いたものを印刷して刹那に渡す。あとは文章をコピーしてサイトに投稿して――その生活に慣れてきた頃には、中学二年生になっていた。

2年前 No.96

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

 ネットにはネットの楽しさがあり見習うべき人もいた。しかし悪い癖がついたとすれば、長編の書き方だ。短編から始まった創作活動も、徐々にシリーズ短編と化し、やがては中編へと段階を踏んできたつもりだった。本編を執筆する前に起承転結を定めるのは大前提。短編、中編といった箱庭の中ならばそれは可能だった。が、いざ長編を書こうと思うとなかなかうまくいかない。そこにちょうど現れたのは「保留」という逃げ道だった。登場人物と大まかな設定だけ決めた段階で本編を書き始めてしまう、行き当たりばったりな方法だ。

 以前の俺にとって、小説とは完成後に読んでもらうものだった。だがネットという媒体の性質上、執筆途中でも他人の目に触れる。完結済みの作品を細かく分けて投稿している人もいたようだが、おそらく多くは今日書いて今日投稿、というパターンを辿っているのだと思う。読者の反応を見てから思いついたような展開やネタは、傍目から見ても分かった。

 旅の途中で出会った人に影響を受け、もらった意見がいい方向に繋がる場合もある。しかし、最低限の荷物も持たずに旅に出てはいけないのだ。今回の件は、批評に慣れていなかったことも原因として挙げられるが、それよりも無計画さが引き金となった。

 初めて書いた長編のジャンルはファンタジー。一般的な中学生である主人公はある日、霊体の少年に出会う。彼にはどうして自分が死んだのか、生前はどのような人間だったのかの記憶がない。そのため人の体に憑依して行動し、自分についての情報を集めている。どういうわけか主人公には少年の姿が見え、そして憑依を許さない。けれど少年は言う。主人公は自分が見てきたどんな人間よりも、記憶を取り戻す手掛かりとなる人物だと。身に覚えのない主人公だが、放ってはおけず協力することになる。

 終着点は、霊体の少年が記憶を取り戻すところ。少年は未練なく成仏し、そこで別れの感動シーンと、ベタではあるがクライマックスに持ち込むことができる。だけどそうはいかない。肝心の真相を「保留」にしてしまったからだ。書いているうちに何とかなるだろう。そんな甘い考えを持っていた。

 序盤では少年の死に関わるエピソードがある。主人公と少年には共通の知り合いがいて、そこで作者にさえ全貌の分かっていない事件をほのめかす発言もあった。しかし話が進むにつれて、主人公の学校生活がメインになっていく。

 学内の小さなトラブルやクラス内の喧嘩を、憑依を生かして解決していくような展開へと横道に反れていった。しかも、初期設定では少年にできるのは憑依だけだったのが、いつの間にやら魔法が使えるようになっている。この頃には失った記憶について触れることもなくなっていた。

 次第に読者は減っていき、何週間かぶりに届いたコメント。それが、俺が荒らしと呼んだものだった。同じ人がやっていたのか、複数人か。覚えてないというよりも確認する余裕がなかった。キーボードを無造作に叩いたもの、「つまらない」「くだらない」の言葉。意味をなさない単語の羅列よりも、こうしたマイナスの意見の方が堪えた。「何が駄目だったんだ」と聞く権利はない。だって自分の作った逃げ道だ。知らないわけがない。乱暴な言葉の裏に「真相を楽しみにしていたのに、君は何も考えていなかったんだね」の声を聞いた気がした。

1年前 No.97

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

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1年前 No.98

美桜 @hoep ★6ciFKIfOsT_mgE

 折り返し地点を過ぎた中学生活は飛ぶように去っていった。あれから刹那は数多くの作品を残した。ただの読み手に戻ったことに慣れてきた頃には受験生になっていて、春には俺と刹那は別々の高校に合格した。

 入学説明会の日、春休みの課題が配布された。主要教科の問題集は予習復習の意味があるのだろうが、それとは別に自由作文がある。予想外の課題にどうすればいいのか分からなくなった。文章を書くのは久しぶりだ。嫌でも小説のことを考えてしまう。テーマが指定されていれば気が紛れたのかもしれないが、自由というところがさらに頭を悩ませた。

 俺がしてきたことは何だったのだろう。そう考えた時、自己満足という言葉が頭に浮かんだ。自己顕示欲で物を書いて、欠陥だらけのくせに、それを指摘されたら逃げ出した。気づいたら筆が進んでいた。わがままで、身勝手な自分をさらけ出すことで、何かが変わるような気がしたのだ。創作物は自己満足だなんて、本当は思っていない。俺がそうだっただけで、刹那は違った。きっと他の人だって。これを読んだ人が、違うよと思ってくれたら。提出期限が迫ってきた三月の終わり、そんなことを思いながら最後の課題である作文を封筒に入れて、学校に送った。

 入学してしばらく経った頃。配られた学年だよりに、なんと自分の名前を見つけた。見覚えのある文章は確かに自分の書いたもので、優秀作という名目のもとに掲載されている。誰かに読んでもらいたいとは思った。書かせるのだから教師が読むのは当たり前だが、一人か二人に見られるものと思っていたのに、こんな風に広められるとは。だが、思ったほどに学年だよりは気にされていないようで、何人かのクラスメートに「すごいね、何か書いてたの?」と言われるだけに留まった。「何でこんなのが優秀作なんだ」と騒がれ注目されたら教室に居づらくなるというのに、そうなってほしかったと思う自分がいた。何か害があるわけでもないし、このままでいいと思っていた矢先、それは起こった。


「古賀蒼依くん、だよね?」

 靴を履きかえようとした手が止まる。控えめな、それでいてしっかりと耳に届く声に振り返れば、女子生徒が二人並んでいた。一人はリボンの色から二年生だと分かる。もう一人は……噂に聞く一組の生徒だ。何の用だろうか。

「はい、そうですけど」
「ならばさっそく聞かせてもらう。あの作文はどういう意図があって」
「まあまあ梓ちゃん。その話は場所を移してしよう?」

 「ごめんね、ちょっとついてきてもらえるかな」と促されるままに、二人の後をついていく。何が起こっているのかは分からないが、作文を読まれているのだということは分かった。昇降口から離れて、つれてこられたのは西棟の四階、今は使われていない図書室だった。

1年前 No.99

美桜 @hoep ★GgOfIK5jcX_mgE

 図書室に入ってすぐに本の匂いと懐かしさを感じた。古い書架に詰められた本に、今や役割を失ったカウンター、そして長机が一つ。新設の際に多くのものが移動されているからか、広いはずなのにこじんまりとして見える。見渡しても懐かしさを感じる要素はないのに、妙に安心できる温かい何かがここにはあった。

「初めまして。私は坂本朱里といいます」
「佐藤梓だ」
「……古賀蒼依です」

 椅子に座りそれぞれ名乗る。名前はもう知られているようだが流れで言ってみる。初対面の人間に呼び止められ、向かい合って座っているというこの状況は、多少の緊張はあれど嫌ではなかった。この場所の雰囲気のおかげかもしれない。しばしの沈黙の後に話はゆっくりと本題に入っていく。

「私たちはこの図書室で文芸部として活動しています、と言いたいところだけど、今は二人で同好会すら名乗れないの」

 ここまで聞けば連れてこられた理由は明白だ。なんとなくそんな気はしていた。何で図書室なのか、何で作文が出てくるのか。答えは文芸部に勧誘したいから。だけど疑問も浮かび上がってくる。肝心の作文の内容があれでは、誘う気にはならないんじゃないか。

「部員を探しているところにあなたの作文を見つけて、誘ってみたいなと思ったんだ」
「あの作文を読んで、どう思いましたか」

 誘ってみたい。その言葉に反応するように口をついて出た疑問。あの作文に対し「違うよ」と言ってくれる人がいたらと望んだ。彼女たちこそそう言ってくれるかもしれない。肯定してしまったら、文芸部として活動している意味がない。だからこそ、何で俺を誘うかの意図が分からなかった。

「言いたいことなら山ほどある。文章力は認めるが独りよがりかつ短絡的で、何よりも馬鹿にされていると感じた」

 至極真っ当な意見な意見だと思う。――馬鹿にされている。その言葉で、大きな括りで物を語ったのだと思い知らされた。あの作文が馬鹿にしたのは彼女たちだけじゃない。創作する人、創作されたもの。その全てだ。怒りを纏った声にどう反応すべきか考えていると、二年生……坂本さんと目が合った。にこっと微笑み返され、見つめられたまま意見が述べられる。

「私も内容には賛成できないかな。意見の一つ一つに『そうじゃないよ』と言いたくなる。でもね、不思議なことに『そうじゃないんだ』の声は文章からも聞こえてきた。……それが、誘ってみたいと思った理由」

 まさか……天邪鬼を見破るなんて。本音に気づいてくれたのだ。否定されたかったこと、本当は自己満足であってほしくなかったこと。本当は、自分だって自己満足と言う壁を越えた作品を創りたいこと。たくさんの言葉で隠したはずの「本当は」が溢れ出す。しかしそれならば尚更、貫かなければならないものがある。今まで自分は自己満足で書いていたと。

「共感より否定を求めていたのは事実です。でも……、全てが嘘だったわけでもありません。自己満足だ、馬鹿らしいという思いも本心です」

 刹那が好きだと言ってくれた俺の小説は、小説としても創作物としても矛盾だらけの代物だった。書いてきた時間は確かに意味のあるもので、苦しみを知った後でも幸せだったと言える。やっぱり俺は小説を書くことが好きだった。だからこそ、これまで「そうじゃないんだ」と否定するのは甘えだ。

1年前 No.100

美桜 @hoep ★jxkj1IbDk0_mgE

「ならばその思いを変えさせてやる。二度と馬鹿らしいと言えないように」

 佐藤さんからは、先程までの噛み付かれそうな威嚇の雰囲気が消えていた。まるで全てを察したかのように。強引にも聞こえるが、それ以上に頼もしさを感じた。ずっと、その言葉を待っていたのかもしれない。我ながら身勝手で受け身だと思う。一歩踏み出す勇気をもらうことを期待していたなんて。そうまでして見つけた場所だ。もう嘘はつけない。

「『溢れ出す妄想を形にしようぜ』」

 紡がれた言葉は唐突ながらも、自然に胸に響いた。「妄想」という言葉も一見茶化しているように見える表現も、坂本さんらしくはない。初対面でもそう思えるほど彼女と今の言葉は結びつかないのに。その言葉は、すうっと胸に入ってきて水のように心を潤わせた。

「はじまりはただの妄想でもいい。くだらなくて馬鹿らしい、そんな妄想に形を与えてあげること……自己満足を自己満足のままで終わらせないこと。それが創作。……全部、去年の部長の受け売りなんだけどね。でも今のあなたに贈りたい言葉だなって、思ったの」

 妄想から誰かの心を動かす物語を生み出すことは、決して簡単ではないだろう。妄想として生まれ、妄想のまま死んでいった存在がこの世にはたくさんある。しかし、妄想であったことが信じられないくらいに人を惹きつける物語もまた数多く存在する。「創作物は全て自己満足」という意見に対しての、「自己満足から生まれたけれど、それで終わらなかった意味のあるもの」という答えはまさに救いだ。意味のないものとして投げ出してしまった過去に、今度こそ意味を与えたい。完璧じゃなくても、不恰好でもいいから、もう一度向き合ってみたい。逃げ出した過去を認めたうえで、もう一度。

「とてもいい言葉、ですね」
 ぽつりと零れた呟きに二人は頷く。……そして。

「もし良ければ、私達と一緒に小説を書いてみない?」
「良ければ、じゃなく強制だぞ。古賀蒼依、君に拒否権はない」
「ちょ、梓ちゃん!?」

 そんな掛け合いをする彼女たちが眩しい。刹那を見ているときと同じだ。眩しく楽しそうに見える場所にも、苦しみや挫折があることを知っている。それでもその手を取らずにはいられなかった。もう答えは決まっている。新しい一歩を踏み出すのは今しかない。――こうして、止まっていた時は動き出した。

1年前 No.101

美桜 @hoep ★ViKPoyMeKJ_yoD

 今に至るまでの全てを語り尽くした。まるで過去を旅するように、一つ一つの出来事を振り返る。話せば話すほどにあの頃の感情が蘇るが、もうそれに揺さぶられはしない。どんな感情だって大切な思い出だから。長い旅を終えて、戻ってくるのがこの部室だという当たり前のことに、大きな安心感を覚えた。蝉の声はさらに大きく、地面を焦がす日差しも強くなっている。もう正午に近い時間だった。

「古賀くん」
 何度も呼ばれているはずなのに、何故だかいつもと違って聞こえる。気恥ずかしくて嬉しい。そんな気持ちになったのは俺だけではないのだろう。取り巻く空気の変化を肌で感じた。
「最初に少し触れたけれど、私たちね、せっちゃんにそれとなく聞いていたの。古賀くんから何か打ち明けられるかもしれないって。メールを見た時、嬉しかったけど不安でもあったんだ。話すことで古賀くんが傷ついてしまうかもしれないと思ってた」

 そんな心配をされていたとは思ってもみなかった。だけど、話すことで関係が変わってしまうことを恐れていた面も確かにあった。「傷ついてしまう」など被害者ぶるのもいいところだが、その未来を想像しては話すことを避けてきた。もし相葉由紀の存在がなかったら、高橋さんと話をしなかったら。打ち明けるのはもっと先になっていただろう。

「でも、こうして全てを話した古賀くんは嬉しそうで、それが一番嬉しい。話してくれてありがとう」
「坂本先輩……」
 傷つく可能性を考えていたのが今となっては馬鹿らしい。それほど話せて良かったと思えるのは、やはりこの二人だからだ。佐藤が何か言いたそうに俺を見て、決心したように息を吸った。その表情が、初めて部室に来た時の彼女と重なる。

「話してくれたことには感謝している。その点は朱里と同意見だ。ただ、一ついいか。思い通りにならないから逃げるなんて無責任だ。それも自分の撒いた種なのに」
 そうだ。俺は一度逃げ出した。そのことはもう変えられない。だからこそ変わろうと思った。あのときの「変えさせてやる」に応えようと――

「……だから、逃げた分をここで取り返せ。私と朱里がいるんだ。できないとは言わせない」
 言いたいことをそのまま言われた。逃げた分を取り戻す。ここでならできると。ふっと笑いが漏れると、「何がおかしい」と突っ込まれた。
「そうだな。きっとできる。ありがとう」
 礼を言われるとは思っていなかったのか、佐藤は照れくさそうに目を逸らした。坂本先輩もくすりと笑って、いつの間にか大きな笑いが俺たちを包んでいた。

 それから、二人の過去の話も聞いた。初めから話そうと思っていたのか、それとも俺の話を聞いてそうしようと思ったのか。いや、そんなのどっちでもいい。佐藤は小説を書き始めたきっかけ、伯母の話、約束の話を、まるで宝箱の中身を見せるように大切そうに語ってくれた。坂本先輩は俺と同じような経験があると言った。好きな小説に影響を受けて書いた小説が、多くの矛盾を生み破綻したこと。そして、下調べや設定を練ることの重要さを学んだこと。こんな話をするのは初めてだ。今までだってたくさんの感情を共有してきたけど、もっと深い部分まで分かり合えた。誰のどんな過去でも、少し何かが違えば今この時間は生まれなかったかもしれない。だから今初めて、この過去があって良かったと思えた。

 初めて部室に入ったときに懐かしさを感じたのは、過去にもここで同じように喜び悩んだ人がいたからなのか。……なんて、クサいことを考えてしまうのは、きっとこの空気のせいだ。

9ヶ月前 No.102

美桜 @hoep ★d0mFwX7eNV_mgE

「実は、打ち明けようと決心させてくれた出来事があったんです。……冤罪作戦を試したあの日、相葉由紀をよく知る人に会いました」
「それは……」
「本当か!?」
 もうひとつの重要な話は高橋さんについてだ。声をひそめる坂本先輩に、食い気味な佐藤の声が重なる。

「あの日のいつだ。私たちと別れたすぐ後か?」
「帰る途中、降りた駅で話しかけられたんだ。『あれは演技だったのか』と確認された」
「盗聴されているという私の読みは合っていたのだな」
「ああ。盗聴とメモの件も自分がやったと話していた」

言いながら席を立ち、カウンターに取り付けられた電気スタンドのコンセントを抜く。高橋さんは、この延長コードが盗聴器だと教えてくれた。本物はカウンターの引き出しの中だと言う。どこで見つけてきたのだろう、本物そっくりだ。「こんなところにあったとは」と驚く二人と話しながら、盗聴器と本物を入れ替えた。

「その人が本人のように思えるけど、そうじゃなくて『よく知る人』なの?」
 ここまで聞けば、本人が自白したと考えるのは普通だ。演技だと気づかれているとはいえ、当初の予定通り相葉由紀を釣れたと解釈できる。
「俺も最初は本人だと思ってましたが、違いました。本人は噂とは反対の人間だそうです」

 その人の名前は高橋美由といい、彼女が本物の相葉由紀の隠れ蓑となっていること。理解ある人間ならば正体を暴いてほしいと思っていて、俺たちを試していたこと。そして、自分の過去を相葉由紀に重ねて迷っていたが、今回の件で決意できたこと。ぽろぽろと溢れ出る言葉が世界を彩っていく。

「そこまで言われたら、見つけなきゃって思うよね。会って話さなきゃって」
「当然だ。何ならもう一作書かせてやる」

 あの日、俺の作文を見つけてくれた二人を見ているようだ。見つけてほしい、間違っていると言われたいと俺が思ったように、彼もまた、そう考えたのだろうか。「傷を癒してくれる人がいたっていい」――あの言葉は、そんな彼を映しているようにも思えた。

「しかし、他校の生徒となれば捜索は困難だな。性別しか手掛かりが……」
「いや、むしろ絞り込めた。……実は、こんなメールをもらっている」
 携帯を出して、二人に「詮索するな」のメールを見せる。なかなか話すタイミングがつかめずにいたが、消さなくて良かったとつくづく思った。

「あのメモと同じ言葉……」
「これについて、高橋とやらは何と言っていた?」
「自分は送っていない、まず俺のアドレスを知らないと言われた。だからこれは、本人からのメールだ」

 「センサクスルナ」と「詮索するな」。高橋さんがメモを仕込むことを相葉由紀は知っていたが、メールの存在を高橋さんは知らなかった。どうして伝えなかったのかは分からない。でも、これは大きなヒントだ。

4ヶ月前 No.103

美桜 @hoep ★IbI3Qun4jg_yoD

「アドレスが流出したと考えるより、アドレスを交換した知り合いと考える方が現実的か……。よし、電話帳に登録している他校の男を書き出せ」

 「私が見てやってもいい」と携帯を奪おうとする佐藤をあしらう。他校の男子生徒といえば、大半は中学のクラスメートだ。中学時代の友人知人で小説を書いていた人間はいないはず。いなかったから、ネット上で書くことに夢中になったのだ。さらに、中学時代から高橋さんと付き合いがあることも条件に加わる。それもただの知り合いではない、「大切な人」と言える間柄だ。頭の中を整理しても、条件に当て嵌まる人物はいない。

「ねえ古賀くん、私たちが探していることを他校の誰かに言った?」
「そうか……! 誰かに言っていれば、それが盗聴のきっかけになるな」

 ――詮索されていると最初に気付いたのは由紀です。
 そうだ。相葉由紀は他校の生徒であるにもかかわらず、高橋さんより先に詮索されていることを知っていた。そして俺のアドレスも知っている。ずっと気にしていた、情報が漏れた原因。盗聴とメモの原因が、俺かもしれないなんて。だけどそう考えれば、全て辻褄が合う。

「刹那には言ったが、他には……」
「あいつに話せばあっという間に広まりそうだが」
「ああ見えて言いふらすタイプじゃないんだよ」
 秘密にしてくれと頼んだわけではないが、それでも面白半分で広めるような性格じゃないことはよく知っている。仮に誰かに話していたとしても、俺のアドレスを知っているのはおかしい。どうあっても俺の知る人間のはずだ。

 ……いや、待てよ。家で部の話をするとき、相川もいなかったか……? 佐藤の話をしたあの日、俺はきっとその名前を口に出した。そして相川は、高校生になって知り合った他行の生徒だ。彼の中学時代は刹那も知らない。もしかしたら高橋さんとの繋がりがあったかもしれない。
 しかし、相川は刹那と同じ漫研に所属しているのだ。だから小説は書かないと言い切るつもりはないが、相川と相葉由紀が同一人物ならば、佐藤が好きな漫画と恋模様の作者も同一人物になる。恋模様は過去に書かれたもので漫画ではないと考えても、どうにも腑に落ちない。

「どうした? 何か思い出したのか?」
「……ちょっと心当たりがあるんだ。でもまだ確証が持てない。だから待っててくれないか」
「確かめる方法はあるの?」

 坂本先輩の問いに少し考えて頷く。相川と高橋さんに繋がりがあることを証明できれば、確定したと言ってもいい。会話の中でさりげなく聞いてみるか? メールを送るほどに警戒されているとはいえ、いざとなったら刹那に協力してもらうこともできる。ここまできたのなら確かめたい。

 さて、どうやって聞こうかと思考を巡らせていた帰り際、刹那からメールが届いた。明日のお昼には帰ってくること、そして。「今度打ち上げをやるんだけど、蒼依も参加しない?」の一文。部外者の俺が参加してもいいのかと返信すると、「人数は多い方がいいよ! 他に友達を連れてくる人もいるからね〜」と軽い文章が返ってきた。部活の打ち上げとしてどうなんだとも思ったが、これはちょうどいい。自然な形で相川に会える。意を決して、了承のメールを送信した。

21日前 No.104
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