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Psychiatric hospital

 ( 小説投稿城 )
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ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

何もかもが嫌になっていた。
この社会も人間関係も自分の境遇や歩んで来た人生も。

25歳の時に仕事のストレスが原因で鬱病を罹患した。
その頃から、さっさと死にたい、早く人生を終わらせたいと強く思う様になった。
精神科へは何度か足を運んだが、精神薬で余計に頭がおかしくなると感じた私は通院をやめて、鬱症状を誤魔化す為に酒に溺れるようになった。

26歳のある夜、私はマイカーで港に来ていた。
対岸の石油コンビナートから発せられる光を黒い海面が断片的に反射させて輝いていた。
真っ暗な車内に差し込む街灯の光が球切れ間近なのかチカチカと点滅していて、まるでこれから消え行く私の命を暗喩していた。
助手席には市販の睡眠薬の空箱が大量に散乱していた。
睡眠薬は全てブラックニッカで喉へ流し込んだ。
そう、私は自殺をする為にこの場所へやって来たのだ。
カーステレオから流れるHIP HOPの音量を全開にあげた。

「さあ、死ぬぞ!親父、お袋、あゆみ(当時の恋人)、ちゃま(飼い猫)、皆ごめん!そしてさようなら!」

海に向かって一気にアクセルを踏み込んだ。
タコメーターの上昇に伴ってどんどんと海が眼前に迫る。
「うおおおおぉぉぉーっ!」
迫り来る"死"に戦慄し奮い立った私は悲鳴のような雄叫びを上げた。

しかし、水没まであと寸前のところで私の生存本能が全身に警告を発した。
胸を締め上げるような緊張感と共に全身が硬直した私は、無意識にブレーキをめいいっぱい踏んだ。

キキキキーッ!!

アスファルトとゴムタイヤの甲高い摩擦音が閑静な夜の港に鳴り響いた。
海まで僅か1メートル程の所でマイカーは停車した。

胸を手で押さえるとバクバクと激しい鼓動が伝わってきた。
私はゆっくりギアをパーキングにいれるとドアを開け、車外へ出て泣き崩れた。
「死ぬこともできないのかよ...。俺は駄目だ、本当に駄目な奴だ、いつもこうやって肝心な時に腰が抜けて何も成し遂げれない...。」
26歳の男は夜中の港で1人悔しさを胸いっぱいにしながら地面を殴打していた。

メモ2019/04/02 15:09 : ちきぽん @tikipon★WiiU-AVQKlTHLh6

【 題 名 】

 Psychiatric hospital (サイキアトリック ホスピタル)


【 登場人物 】

・桐部 由紀彦 (きりべ ゆきひこ) : 主人公の男性。自殺志願者。無職の37歳。


・斉藤 侑華 (さいとう ゆか) : 薬学部に通う女子大生。20歳。


・尾向 敏治 (おむかい としはる) : 自営で学生服専門の服屋を営む男性。52歳。


・常深 健児 (つねみ けんじ) : ゴムタイヤの製造メーカーに工員として勤める男性。23歳。


・西口 孝文 (にしぐち たかふみ) : 十代で統合失調症を発症し、以後精神病院に入退院を繰り返す無職の男性。30歳。


・富坂 芳弘 (とみさか よしひろ) : 可愛池(えのいけ)病院の院長。テレビの出演経験もある有名な男性医師。72歳。


・古宮 正毅 (こみや まさき) : 可愛池病院の男性看護師。桐部の担当ナース。36歳。


・篠垣 美羽 (しのがき みわ) : バンギャ風の金髪少女。耳ピアス、口ピアス。17歳。


・松村 俊弘 (まつむら としひろ) : 白髪まじりのボサボサ頭、無精髭、口臭、不潔爺。60歳。


・中室 一馬 (なかむろ かずま) : 可愛池病院の男性医師。桐部の主治医。35歳。


・村木 知恵美 (むらき ちえみ) : 可愛池病院の女性看護師。温かくて親切で面倒見が良い女性。42歳。


・菰田 優香 (こもだ ゆうか) : 故人。桐部の元カノ。22歳で自殺してしまった。

関連リンク: 夢日記 
切替: メイン記事(30) サブ記事 (2) ページ: 1

 
 

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

あれから、時は流れ私はもう37歳になっていた。
自活力が乏しく社会人として自立できずにいた私は相変わらず実家に依存していた。
日々、絶望や厭世観、希死念慮に苛まれて酒量がどんどんと増えアルコール依存症が深刻なレベルにまで亢進していた。
そしてアルコールの弊害は精神面だけに留まらず、身体面にまで影響を及ぼし始めた。
5月のある日、以前からキリキリと痛んでいた右足が急に腫れ上がり激痛を生じた。
まるで骨折したかのような痛みが延々と続き便所へいくのも這い蹲って行くザマだった。
私はインターネットを検索して痛みの原因を突き止めようとした。
調査の結果、どうやら痛風である事が分かった。
サイトには激痛はだいたい3日で治まりその後に続く緩慢な痛みと腫れは凡そ2週間ぐらいでひくと書かれてあったので、医者に行くのはやめにした。
痛風発作を回避する為には断酒する必要もあった、そして放置すると様々な合併症を引き起こす事も分かった。
合併症の代表的な例が糖尿病だった。
私は愕然とした。

「このまま、親や他人に迷惑を掛けながら生き続けるぐらいなら死んだ方がマシだ...。況してや糖尿病なんかを患った日には...医療費や介護の面で身内に負担を強いる事になる...。」

痛風で晴れ上がった足では便所に行くのが大変、更には食事の為に1階のダイニングへ行こうと思うと、2階の自室からは直線の長い階段が難所として憚っているので介助なしには無理が大きかった。
だからでは無いが、私は緩やかな自殺をする為に絶食をする事にした。
お袋が心配して食事を部屋まで運ぶと提案してきたが、私はその親切を拒否した。
結局、絶食は14日間続いたが、足の腫れがひくと共に自由に動き回れる様になった私は食欲に負けて食べ物を口に入れてしまい、餓死は失敗に終わった。

27日前 No.1

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

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27日前 No.2

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

お袋の通報で駆け付けた5人の警察官がどかどかと家に上がってきた。

「君!馬鹿な真似はやめるんだ!」
警察官は私に直ちに刃物を放棄するように命令した。

床に膝まずいて全身が脱力していた私は力なくナイフをポロリと床へ落とした。
私がナイフを放棄したのを見届けた警察官は、二人掛かりで私を抱え起こした。
二人の警察官に抱えられる様にして玄関を出た私の目に飛び込んで来たのは、パトカーや警察の単車、救急車で騒然となった自宅前の光景だった。

私はそのまま救急車に乗せられ、ストレッチャーの上に寝かされた。
「動かないでね。」
救急隊員の男性が私の服を脱がせて傷口を確認している。
車外ではお袋と警察官が何やら真剣な面持ちで会話していた。

ピーポーピーポーピーポー...

救急車がサイレンを鳴らすと共に動き始めた。
揺れる車内でサイレンの音をを聞きながら私はとんでもない事をしてしまったのではないかという不安に駆られていた。
しかし極度に憔悴していた私はそのまま酔い潰れて寝てしまった。

「...べさん...りべさん...桐部さん...」
目を開くと見慣れない灰色の天井と蛍光灯の眩しい光があった。
私を呼ぶ声の主は白いナース服に身を包んだ20代ぐらいの茶髪の女性看護師だった。
「桐部さん、処置は終わりましたので、エントランスの方に行きましょうか。」
私は咄嗟に自分の腹を確認した。
腹にはガーゼが貼ってあり、ガーゼを引っ張って中を確認すると傷口が黒い糸で縫い付けてあるのが分かった。
手術なんて全然気がつかなかった...私は何時間こうして眠っていたのだろう...。
窓の外を見るとすっかり日が暮れて夜の闇が辺りを支配していた。
私はベッドから立ち上がると看護師に付き添われ、エントランスまで移動した。

どうやら現在私がいる場所は国道沿いにある藤竹第一病院であることが分かった。
エントランスではお袋と二人の警察官が私を待っていた。
私を心配そうに見つめるお袋のハの字に下がった眉を見て、自分が情けない気持ちになった。
「怪我の具合はどう?これから君を別の病院へ移送するけど大丈夫そうかい?」
30代ぐらいの男性警察官が私にそう尋ねた。
「ああ、はい...大丈夫です...」
「じゃあ、ついてきて。」
忙しなく車が行き交う夜の国道はヘッドライトと排気音で賑やかだった。
国道に面した病院の駐車場で二人の警察官の後を着いて行く私とお袋、その行く手には大きなシルバーのワンボックスカーがあった。
「さあ、この車に乗って。」
警察官は車の後部のスライド式ドアを開いた。
私は後部座席に30代ぐらいの警察官と一緒に、お袋は助手席に其々乗って、20代ぐらいの若い警察官の運転で車が動き始めた。

27日前 No.3

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

何分ぐらい車に揺られていただろう、発車してからというもの誰も口を開く者はおらず車内はシーンと静まりかえっていた。

「まだ死にたいって思ってるの?」
突然沈黙を破ったのは右隣に座る警察官で、私の顔を覗き込む様にそう尋ねてきた。
「いえ...。」
「どうして、自殺なんてしようと思ったの?」
「...何だか全てが嫌になって...。」
「人間そう簡単に死ねるもんじゃないよ。」
虚脱感に全身を支配されいた私は車窓越しに流れる景色を漫然と眺めていた。
丁度、藤竹警察署の前を通っていた。
「この車、どこの病院に向かってるんですか?」
顔の筋肉という筋肉を弛ませて虚ろな顔のまま、警察官に尋ねた。
「可愛池(えのいけ)病院だよ。」
可愛池病院は知っている、確か、私が25歳の時に鬱病で暫く通院していた精神病院だ。
病床数850床で藤竹市内の精神科では最大手だった。

前方の暗闇から病院の明かりが見え始めた。
真っ暗な闇夜を病室の窓から漏れる四角い灯りが規則的に並んで照らしていた。
「さあ、到着したよ。何で自殺しようとしたのか、医師に自分でちゃんと説明するんだよ。」
そう言って警察官は私の肩を軽くポンと叩いた。
広い敷地内に立つ大きな病院のうっすら灯りが漏れる玄関の前に私達の乗ったワゴン車が停車した。

車を降りた私は、お袋と一緒に再び二人の警察官の後を着いて行った。
病院内に入り急に視界が明るくなった。
いかにも病院という佇まいだが、あの特有の薬臭さがない。
容器に入った果物が描画された大きな絵画が飾ってあるエントランスでは二名の男性看護師が私達の到着を出迎えた。
「桐...部さんですね...?」
男性看護師は同行した警察官に確認をとると、腰を低くしてこちらへどうぞと手を水平にかざした。
私達四人は看護師達に小さな事務室へと案内された。
事務室の中には白衣を着た70代ぐらいの男性医師が椅子に座っており、その正面に一脚、更にその後方に三脚のグレーの事務用回転椅子が並べられていた。
白衣の医師の名前は富坂 芳弘(とみさか よしひろ)、この病院の院長で、テレビの出演経験もある有名人だった。
私は医師の目の前の椅子に腰掛け、お袋と警察官二名は後方に用意された椅子に座ると富坂医師が喋り始めた。
「桐部くん?自殺しようとしたんだって?」
「ええ...。」
「刃物で自分の腹を突いたとか?」
「はい...。」
「どれ、お腹みせて見なさい。」
私はTシャツを捲り上げて医師に腹を見せた。
富坂医師は傷口に貼り付けられたガーゼをはがし、中を確認した。
「ああ...そんなに深くはないようだね...どうしてまたこんなことを?」
「生きているのが嫌になりまして...。」
「今日になって突然そう思ったの?それとも以前からそういう気持ちがあったの?」
「以前から...というか、二十代からずっと。」
「二十代に何かあったの?」
「仕事のストレスで鬱病を患いまして...。」
「そうか、桐部くんは確かに過去にうちの通院歴があるね...。その死にたい気持ちはどんなの?」
「どんなの...って言われましても...絶望感とか厭世観とかですかね...。」
「他には不安とかある?誰かに狙われてるとか。」
「ああ、ありますね。私の事を邪魔だと思ってる人間はたくさんいて、その人達は私が早く自殺するように集団で嫌がらせをしてると思います。」
「ほうほう、他には居ない筈の人の声が聴こえるとか、その場に無い筈のものが見えるといった事はない?」
「それはないです。でも...他人の感情が自分の中に入って来るような感じがあります。」
「ほう、具体的にどんな感じ?」
「あの〜訳もなく他人がきっと今こういう風に思っただろうなっていう感じがするんです。」
「そうかそうか、で、今はどう?まだ自殺したい?それとも、ちょっとは落ち着いた?」
「落ち着きました。」
「桐部くんがうちの病院に入院することはもう決まってるんだがね...。」
そう言って富坂医師は書類ケースから一枚の文書を取り出して私に手交した。
そこには「医療保護入院」と書かれてあり、精神保険福祉法に準拠した入院の具体的な法的根拠や入院制度について詳細に記述してあった。
文書を読む私を見ながら富坂医師は再び尋ねてきた。
「どう桐部くん?入院してゆっくり治そうか?3ヶ月ぐらいだけど、入院してみたいと思う?」
「は、はい...。」
「分かった、じゃあ君の病室まで彼が案内するから、彼に着いていって下さい。」
そういうと富坂医師はその場に居合わせた30代ぐらいの男性看護師を指差した。

27日前 No.4

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

巨大な病院だった。

天井に直列して設置された蛍光灯の白い光を反射させるウレタン樹脂の長い廊下を私は男性看護師に続いてひたすら歩いていた。
曲がり角を曲がり階段を上がりエレベーターを乗り降りし、紆余曲折した経路を辿ってやっと辿り着いたのが、鉄製の枠で縁取られた分厚い硝子の扉だった。
看護師は扉の前で立ち止まると、腰に携えた鍵の束を手に取りチャラチャラと扉の鍵を探し始めた。
暫くして、看護師が一本の鍵を指で摘まむと、それを鍵穴へ差し込みガチャリと扉を解錠した。

扉の中へ入ると真っ暗な空間が広がっていた。
闇の中で唯一明かりが点っているスペースがあり、そこがナースステーションだということが分かった。
ナースステーションは分厚い壁と硝子窓付きのカウンターで仕切られていた。
看護師はナースステーションの前まで行くと再び立ち止まり鍵で扉をあけると、私を中へ誘導した。

26日前 No.5

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

「こちらへお掛けになって下さい。」
そういって、看護師は事務机の前に置かれた一脚の椅子を指で指し示した。
私は椅子に腰掛け、男性看護師を改めて見上げた。
先程までは後ろ姿しか見て無かったが、こうやって明るい場所で見ると彼の風体がよく分かる。
看護師といっても薄緑のTシャツが仕事着のようで、ズボンは白いナース用のズボンを着用していた。
年頃は私と同世代ぐらいで頭髪は暗めの茶髪でセンター分けでセットしていた。

「桐部さん、携帯電話や財布等の私物をお持ちでしたら机の上に出して貰えますか?」
携帯電話と財布は昼間スーパーへ買い物に行った時にポケットに入れっぱなしだったのを思い出し、私はそれらを取り出して机の上に並べた。
「これらの私物は退院するまで病院側で預からせて頂くか、ご家族の元へ返却させて貰う形になりますが、いかがいたしましょうか?」
「病院で預かっておいて下さい。」
「わかりました。あ、あとその時計もこちらで預からせて貰えますか?」
といって、看護師は私の左手につけた腕時計を指差した。
こんなものまで取り上げるのかよ...。
私は渋々腕時計を外すと看護師に手渡した。
「いい時計つけてますね...。」
腕時計は単に見た目ばっかり派手な安物のGショックだ。
「いや、そんなことないですよ、安物ですよそれ。」
「え〜でもお洒落で格好いいと思いますよ〜。」
「・・・。」
私は看護師のおべんちゃらに調子を合わせて付き合える程の精神状態ではなく無言で返した。
今日の昼間まさに私は自殺しようとしたのだから。

26日前 No.6

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

看護師は私から受け取った携帯や財布等の小物をまとめて袋に入れた。
「では、これらは私物制限という形で桐部さんの退院の日まで病院で預からせて貰いますね。」
看護師はそう言ってニッコリと笑みを浮かべた。
それにしてもやたらと笑顔の多い男である。
好印象ではあるが、少々作り笑いの様な感じにも受け取れる。
これも、精神科でマニュアル化された患者への対応なのだろうかと直感的に感じた。

看護師は少し間を置いた後、私の身体を頭のてっぺんから足のつま先まで舐める様にジロジロと見回した。
な、何だよ、まさかそっち系なのか?私はノン気だぞ...。
夜半前の静まり返ったナースステーションで看護師の男と二人きりなシチュエーションが余計に不安を掻き立てた。
「桐部さん、そのズボンに紐とか付いてないですかね?」
私の服装は白いTシャツに黒のジャージの短パンというラフなスタイルだった。
「紐?紐は多分付いてないと思いますが...。」
「確かめさせて貰っていいですか?」
「ええ、どうぞ...。」
「ではちょっと立ち上がって貰って宜しいですか?」
椅子から立ち上がると看護師は私の腰の付近を両手でベタベタと触り始めた。
「このズボン、ちょっと裏側を確認させて貰いますね?」
看護師は片手で私のTシャツを捲り上げながら短パンの上端のウエスト部分を指で摘まんで軽く捲った。
「紐は...大丈夫そうですね...。それより、お腹の怪我は大丈夫ですか?出血は止まってるようですが、ガーゼ貼っときますか?」
そういえば腹に貼ってあったガーゼは先程の富坂医師の視診の際に剥がされたままになっていた。
「はい、お願いします。」
看護師はピンセットでエタノールに浸された綿を摘まむと私のお腹の傷口に塗って消毒し、薬箱から取り出したガーゼを貼り付けてくれた。
「Tシャツが血で真っ赤に染まっちゃってますね...。」
自分の服を見るとナイフを突き刺した部分が破れ、その辺り一帯が血で真っ赤に染まっていた。
なんともグロテスクな光景だった。
これでは、誰かに刺し殺されそうになったか、或いは自分のお腹を刺した頭のおかしい異常者みたいだ。
「はぁ〜っ・・・」
私は大きなため息をついた。

26日前 No.7

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

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26日前 No.8

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

「では桐部さんの病室へ案内しますので、僕の後に着いて来て貰っていいですか?」
私が食事を終えたのを確認すると看護師はそう言って歩き始めた。
食堂を抜けナースステーション脇の長い廊下に出る。
廊下はナースステーションの明かりが届かず真っ暗だったが、一番奥の突き当たりが非常口になっており、そこからうっすらと月明かりが差し込んでいたので、向かい合わせになった病室のドアが並列して奥まで続いている様子が窺えた。
腰に携えた鍵の束をチャラチャラ鳴らして先導する看護師の後ろ姿がまるで監獄の看守の様に見えた。
看護師は突き当たりの左手前の部屋のドアを開いてこちらを振り替えると、
「ここが桐部さんの病室になります。どうぞ。」
と笑顔で案内した。
部屋は薄暗い常備灯で照らされており、中に入ると綺麗なビジネスホテルみたいな雰囲気だった。
「桐部さん、今日は大変お疲れのことと思います、ゆっくり睡眠をとって下さい。」
白いベッドには『桐部 由紀彦 様』と私の名前が書かれたプレートが掛かっていた。
「初めは制限が多くて不自由だと感じるかも知れませんが、桐部さんの状態が快方に向かえば主治医の判断で制限も徐々に解除されていきますのでご安心下さい。」
「私の主治医って富坂院長ですか?」
「いえ、桐部さんの主治医はまだ決まっていません。桐部さんが来院される時間が時間でしたので、医師も皆帰宅しており院長はその間に合わせで、取り敢えずの入院の応対だけさせて頂く形になりました。」
「そうだったんですか。」
「あ、僕、古宮 正毅(こみや まさき)といいます。桐部さんの担当で退院までサポートさせて頂きますんで、何かわからない事がありましたら僕に何なりと聞いて下さいね。」
「あ、はいわかりました。」
私がベッドに腰掛けると、古宮看護師は静かにドアを閉めた。

25日前 No.9

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

私は服に付いた血の汚れがベッドシーツに移らない様にTシャツを脱いでベッドに寝転んだ。
ベッドよりちょっと高いぐらいの箱形の床頭台(しょうとうだい)と立端が180cmぐらいありそうな収納棚、それ以外は何もない。
窓の外は真っ暗で静まりかえっている。

Tシャツの血、洗いたいな...。

そういやさっき部屋に入る時にふと目に止まったんだが、入り口を隔てたすぐ外側に洗面台があったように思う。
あそこで水洗いだけでもするか...。

私はベッドから起き上がるとTシャツを掴んで洗面台まで持って行きジャブジャブと雑に洗濯した。
血は滲んでちょっとぼやけたけど、完全には洗い落とせなかった。

つか、手を拭くタオルもねえし。
どうすんの、この濡れた手...。
まあ、いいや。

手に付着した水分を自分の身体に擦り付けて拭くと私は再びベッドへ戻り寝転んだ。
「はぁ〜しんど。。。」
ぼんやりと天井を眺めていると何か機材が取り付けてあるのを発見した...何だあれは?
一見、天井に取り付けるタイプの火災報知器のようにも見えるが火災報知器ではない...台形の機器本体の中央にハニカム構造(※)の穴が無数に空いており、まるでマイクの様な形をしている...。
もしかして、集音器というやつか。
仮に今ここで、発狂して奇声でも発したら看護師が飛んでくるという訳か...。
これじゃあ奇声は愚か独り言も漏らせないな。
この部屋でする会話も全て筒抜けってことか。
じゃあ、さっきのあの古宮っていう看護師との会話も例外なく誰かに盗聴されてたってことかよ...。
うかうか下手なこと喋れねーじゃねえか。

ちっ!プライバシーなんてあったもんじゃねえ!

何だよここ...まるで独房じゃねえか...。

監視カメラもどっかに付いてんじゃねえの?
私はそう思って天井を隅々見渡したが、それらしいものは見当たらなかった。
とはいえ...24時間監視体制下に置かれていることに変わりはない。

はぁ...これじゃあここに入院してる以上、自殺なんてできねえわ。

富坂院長に入院したいかと尋ねられた時に安請け合いするんじゃなかった。
まあ、でも強制入院だから断ったところで無理矢理入院させられたんだろうが。
じゃあ、何で入院したいかなんて聞いてきたんだろう...。
あくまで患者の意思を尊重しますという病院の建前的な態度だったのかな...。
まあ、どうでもいいやそんな事。
兎に角、今日は疲れた...。

その日の私は精神的にも肉体的にも疲労困憊で、まるで見えない岩を身体の上に乗せられてるかの如くベッドに押し付けられていた。
できることならもう、このまま二度と目を覚ます事がありませんように...。
そんな事を考える中、意識は次第に遠退いていき眠りに落ちていった。


※ハニカム構造 : 六角形の穴が蜂の巣状に密集した状態。

25日前 No.10

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

胡蝶の夢の微睡みのなか、見慣れない灰色の天井がぼやけて目に映った。
何処だここ...ああ、そうだ、私は昨日入院したんだっけ。

コンコン...

ノックの音がした。
扉の方へ目をやると40代ぐらいの女性看護師が覗き窓からこちらを見ていた。
看護師は私と目が合うと、申し訳なさそうに会釈して、ゆっくり扉を開けた。
「桐部さん、朝食の準備ができましたので食堂まで出てこられます?それともここまでお食事を運んで参りましょうか?」
食堂って、昨日飯食ったあの場所か...どうしよう...
なんか、外から人の声がするな...他の患者がみんな起きて食堂へ集まってるのか...
つか、他人と一緒に飯食う気分じゃないな...
食欲もあんまりないし...
「朝ご飯いいですわ。」
「えっ?具合が悪いんですか?」
私が拒否すると驚いた表情で看護師が尋ねてきた。
「具合が悪いというか、あんま食欲ないんで...。」
「そしたら体温測りましょうか?」
なんだよ、食欲ないぐらいで体温測るって...めんどくせえなぁ。
「分かった、じゃあ食べます。」
「ほんとに食べれます?ここにお食事持って来ましょうか?」
「はい、お願いします。」
看護師の食事を取りに行く背中を目で見送りながら私は考えていた。
なんか、あれじゃあ食事は絶対食わなきゃ駄目って雰囲気だったな。

窓から朝日が差し込んでる。
私はふと目線を窓の外へやった。
なんと、窓ガラス一面緑一色...窓の外は雑木林が広がってるだけだった。
なんだこれ。

私は窓の付近まで行って詳しく外の景色を観察した。
遥か遠くに地面がある。
どうやら、六階か七階ぐらいの高さに自分の病室がある。
病院の真横に山があって、その斜面が窓に映っていたようだ。
せっかく高い位置の部屋にいるのに、山が邪魔で何も見えない。
これじゃあ、風情も何もあったもんじゃないな...。

「はぁっ...」
大きなため息をついて私は再びベッドに腰掛けた。
こんな場所に閉じ込められるぐらいなら、首吊りとかもっと確実に死ねる方法で自殺するべきだった。
馬鹿だった...。
てゆうか今何時だ?部屋に時計が無い。
腕時計も携帯も昨日没収されたから時間がわからない。
見知らぬ場所で時間もわからないという不安は耐え難いものがあった。
部屋の外に出て食堂の方へ出てみるか?
いや、他人と関わるのがダルいからやっぱりやめとこう。
其れにしても昨夜、飯食ってから歯磨いてないんで口の中が気持ち悪い、歯磨きしたいけど歯ブラシも歯磨き粉もない...。
顔洗いたいけどタオルもない。
何にもできない。

24日前 No.11

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

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23日前 No.12

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

玉子焼きもお浸しも、鯖の塩焼きもどれも味気無いものばかりでご飯のお供にならない。
取り分け、鯖の塩焼きに至っては歯応えが硬すぎる。
昔、足を骨折して入院した時もそうだったが、病院で出てくる焼き魚ってどうしてこんなに硬くてパサパサしてるんだろう。
あの当時は精々2週間程度の入院だったからまだ耐えれたが、今回は最低でも3ヶ月間は毎日こんな食事なのかと思うとウンザリした。
私はまたもやご飯に味噌汁をぶっかけて口へ掻き込んだ。
猫まんまにでもしないと、味が薄すぎてご飯が進まない。
日用品は家族の差し入れって事だが、この調子じゃ、ふりかけセットが欠かせないな。
お袋に言って、ふりかけセットを差し入れて貰いたいところだが携帯も取り上げられてるし、どうやって連絡とれば良いんだろう。
私は富坂院長から渡された「医療保護入院」と書かれた文書を思い出して取り出した。

私物制限...あなたの私物の所有を制限します。
行動制限...あなたの行動を一定の範囲内で制限します。
面会制限...ご家族やご友人等のあなたへの面会を制限します。

面会謝絶ときたか、参ったなこりゃ、連絡手段も無いのかな。
どうしよう...。
しかしこのプリント(医療保護入院と書かれた文書)、どうして黄色に着色してあるんだろう...。
まあどうでもいいか、そんな事。
私は食べ終わって空になった食器を床頭台の上に置き、プリントを収納棚へ戻すと再びベッドに寝転んだ。

ここ警察の留置場かよ...。
でも全て私が悪い、私が死のうとしたから、今こういう状態になってるんだ。
自業自得だ。

朝食を食べて余計に口の中が気持ち悪くなった...歯磨きしたい...。

22日前 No.13

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

空調が効いてるのは有難い事だがTシャツを脱いで半裸状態の私には少々肌寒く感じた。
まだ服も乾いてないだろうし、何か着るものが無いか看護師に尋ねに行くにも半裸で部屋から出たら他の患者や看護師達になんて思われるかわからない。
村木さんは平然としてたが、流石に医療関係者は人の裸に慣れているんだろう。

私は布団に潜り込んだ。

精神病院に隔離されたところで、消えたい気持ちに変わりはない。
自殺する為には自分で自分を死へ追い込む必要があった。
それは、生との決別だ。
仕事を辞め恋人とも別れ、友人知人との連絡を断ち自ら孤立の道を行く。
そして次は大事にしていた物の処分だ。
マイカーは売却し、携帯もアドレスを消去し、手紙やアルバム等の思い出の品々も処分した。
もう死ぬ決意を決めた人間にはそれらの人や物に必要性はなかった。
そうやって身辺整理をしていよいよ後は死ぬだけとなった状況で今回自殺しようとしたわけだ。
だから今の私は徒手空拳(※)...。

若い頃からずっと死にたかった。
30歳の頃にも自殺しようとして、警察に保護された事があった。
山で首吊りをしようとして、木にロープをかけたところを狙いすましたかのように、暗がりから警察官が飛び出して来て取り押さえられた。
私が自殺に選んだ場所は人気の無い山頂の駐車場だったが、どうしてこんな場所に、しかも夜中に警察官がいるんだと喫驚した。
警察官いわく、その場所に深夜に車で訪れて薬物を乱用する若者が数名いるとの事で警戒していたらしい。
丁度そこへ私が訪れて自殺しようとした訳だ。
薬物の乱用を疑われた警察に車内の捜索や、尿検査をされたが私から薬物など出てくる訳がない。
だって私は只の自殺志願者だ。
警察に自殺を疑われ、木にロープを引っ掛けた理由を問い質されたが、泥酔していた私は自分でもそれが分からない等と言って頭の混乱を理由に誤魔化した。
今回こんな病院に閉じ込められたのも、もしかするとあの頃から警察にマークされてたからなのかもな...。

しかし、昨日大酒を飲んだせいか酷く喉が乾いている...。
朝食の牛乳は流石に飲む気にならずに残したのでお茶かせめて水でも欲しいところだが...。
何か飲むものは無いのか古宮さんに尋ねに行きたいが、半裸で外へ出るのも気が引ける。
服が乾くまで我慢するしかないか...。


※徒手空拳 : としゅくうけん。手に何も持ってない状態。手ぶら。又は、地位や名誉や財産が何も無い裸一貫の状態。

22日前 No.14

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

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22日前 No.15

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

余り人との馴れ合いは好まない。
人にああだこうだ言われたくないし、他人の事にも興味がない。
だからああやって人のセンシティブな心の領域にずかずか上がり込んで来る西口君みたいなお節介野郎は苦手だ。
西口君は今までの人生で一度も死にたいと思った事が無いのだろうか。
自殺未遂した人にあんなデリカシーに欠ける態度を取れるんだから無いのかもな。
服を貸してくれたり、お茶を汲んで来てくれる親切な面もあるが、敬語を知らなかったり無神経で思いやりに欠ける部分も目立つ。
あの感じじゃ仕事もしてないんだろう...。
彼女が三人もいるとか、本当なのか?
そんな風には見えなかったけどな。
何処にでもいそうな平凡な顔なのに...。

まあ、彼の事はいい。
興味もないし考えたって仕方ない、利用できる部分だけ利用させて貰えばいいか。

コンコン

ノックの音に反応すると覗き窓に村木さんの姿があった。
恐らく食器を下げに来たんだろう。
「失礼しますね〜。」
それにしても人の出入りが多くてゆっくり出来ない。
ところで、どうして婦長の村木さんがこんな雑用みたいな仕事をしてるんだろう...私の担当看護師は古宮さんの筈なのに。
「気になってたんだけど、桐部さんはどうして服を着てないの?」
村木さんは食器を引き下げ立ち去り際に私に尋ねてきた。
「ああ、着てたTシャツ汚れてたから昨夜そこの洗面台で洗って、まだ乾いてないんですよ。」
「そうなの。暑いのかなと思ってたわ。でもクーラー効いてるみたいだし変ね〜って思って...。」
「まあ、普通そう思うでしょうね...。」
「それにしても桐部さん若く見えるわね、院長のカルテを拝見させて貰ったけど37歳なんでしょ?私とそんなに変わらないのに初め見た時は20代ぐらいに見えたわ。」
「ああ、それ昔から良く言われるんですよ。歳相応の貫禄が無くて舐められるから困ってるんですよ。苦労は人一倍してきた積もりなんですがね。」
「ふ〜ん、そうなの...あ、着る服無いなら病院のパジャマ出してあげようか?」
「いや大丈夫ですよ、さっき西口って人が自分の服貸してあげるって...」
その時、西口君が部屋に入って来た。
「桐部さん、はいこれ。」
西口君は灰色のTシャツとお茶の入ったコップを渡して来た。
お茶は緑茶で少し甘ったるい味がした、あんまり好きな味ではないが乾いた喉には何でも美味しく感じた。
其れより西口君は灰色のTシャツを沢山持ってるんだな...灰色が好きなのか?なんか私が借りたものも、西口君が今着てるTシャツにそっくりだし。
「ペアルック見たいね。」
Tシャツに袖を通した私と西口君を見比べて村木さんは笑いながらそう言い残し部屋を出て行った。

「食堂の方に行く?」
「いや、しんどいから寝るよ...。また後で気が向いたらでるわ。」
「そっか。」
やっと一人になれた...西口君が部屋を出ていくのを見送りながら大きく安堵した。

22日前 No.16

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

私は再び布団に潜り込んだ。

他人に「死にたい。」なんて絶対に言ってはいけない。
大体、「死にたい。」なんて普通の人に言えば自分のもとから去って行くか、「頑張って生きろ!」と言われるだけである。
社会の多くの人が自殺志願者に対して「社会への甘え」だとか「ただの承認欲求」だとか、「構ってちゃん」だとかいう歪んだ偏見を持っていて、構う必要なし、甘やかせば本人の為にならないとして冷たく見捨ててしまう。
酷い場合、心の無い者だったら「死にたいならさっさと死ね。」なんて暴言を吐く者もいる。
なのに、いざ自殺をして失敗すると急にヒューマニスト(※)のように変貌して「命を粗末にするな!」とか「頑張って生きろ!」とか説教し始める。
死にたい人にとって「生きろ。」という言葉ほど辛いものはない。
生きたいと思って生きている人に死にたい気持ちなんて理解できないのは私が身を持って経験してきた事だ。
だから、死にたい人は黙って死ぬしか無いのだ。

まだ希死念慮を抱いていなかった21歳の頃に交際していた優香が突然、仕事を辞め引き籠り状態になり音信不通になった後、暫くして自殺してしまった。
私は立ち直れないほどのショックを受け仕事がまともに手につかなかった。
そして彼女の死は後の私に強いウェルテル効果(※)をもたらした。
私の今までしてきた数々の自殺未遂には彼女の死への後追いの感情も含まれていたからだ。

当時の私は何故彼女が死んだのかいくら考えても分からなかった。
落ち込んでいる様子も窺えなかったし、まさか死ぬとは思っていなかった。
でも今になれば彼女が黙って死んだ理由がなんとなくわかる。
当時の彼女も今の私と同じ様な気持ちで同じ様な事を考えていたんだろう...。

日本国憲法に定められた生存権は個人の「生きる権利」というよりも「生きる義務」というパターナリズム(※)的な意味合いが強い。
安楽死に反対する知識人は、終末期病患者や乳児、重度の障害者等、そのまま放置すればすぐに死んでしまう者達の生存権について、受動的な権利(※)は無いとしてこれを切り捨てるのでは無く、周囲が積極的に生きれる様に支援して権利行使をさせるべきだという認識を持っている。
また、死ぬ権利(※)については、人は自分の意思で産まれたのでは無いから自分の生命や身体に所有権は無いとしてその処分を否定している。
パターナリズムは個人の自己決定権を蹂躙するので、社会に於いて望ましいものではないが、医療機関に限っては黙認されている。

つまり簡単に言えば医師や医療関係者は弱者に生きる事を強制する考え方を持っているのだ。(そもそも、そういう考えの人が医療関係の仕事を選ぶ。)


※ヒューマニスト : 人道主義者。道徳や人間愛を重んじる人。

※ウェルテル効果 : マスコミが自殺事件の報道を流せば、自殺が増える現象。有名人の自殺等は多くの後追い自殺を発生させる。死の同調圧力。

※パターナリズム : 権力者が個人や弱者の利益の為に良かれと思い、本人の意思を無視して援助するような体制。

※受動的な権利 : 権利行使は本来、本人の自発的な意思表示に基づいて行われるべきもので、誰かに強制されるような受動的なものではない。

※死ぬ権利 : 死の選択権や死の自己決定権ともいう。自分が死にたい時に安楽な死を選ぶ事が出来る権利。安楽死が認められている国は個人にこの権利が保障されている。

22日前 No.17

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

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21日前 No.18

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

頭がモヤモヤしていてスッキリとしなかった。
きっと昨日のアルコールの影響もあるんだろう、二日酔いとまではいかないが若干頭痛もする。
身体も全身が怠いから今日はこのままずっとベッドで寝ていよう...。

コンコン

またノックの音だ...。
今度は誰だ、本当に忙しい。
覗き窓の方へ目をやると、見慣れぬ中年女性の顔があった。
女性は目が合うと軽く会釈して部屋の中に入って来た。

女性は袖が濃紺で胴体部分がグレーのTシャツに同じくグレーのズボンを履いていた。
私服というより作業着っぽいので他の入院患者ではないだろう、恐らくこの病院のスタッフだが見たことの無いユニフォームだ。
「何か用でしょうか?」
「あの〜ベッドのシーツ交換をしたいので、すいませんがそこ退いて貰えませんか?」
ベッドのシーツ替えや洗濯なら高校生の時にホテルのバイトでやっていた...という事はこの人はリネン管理のスタッフか。
やれやれ、このまま寝ていたいけど仕方がない...外へ出るか。

私は扉を開けて病室の外へでた。
昨夜、通って来た暗い廊下の光景が今回は明るくはっきりとに目に映った。
薄いベージュの壁に挟まれたライトグレーの地面の廊下が続き、その先の一番奥に広いスペースが広がっている。
きっとあれが昨日夜食を食べた食堂なのだろう。
病室のドアとドアの間には絵画が展示してあり無機質な廊下を赴きのある空間に飾り立てている。
これも富坂院長の趣味なのだろうか、こういう絵画は無いよりあった方が心が和む。

そういえば、今何時なんだろう...。
朝から時計が無いから全く時間が把握できていない。
部屋から出たついでに時計を探すか。

私は食堂の方へ向かって歩きだした。
ちらほらと他の入院患者とすれ違う。
パジャマ姿の高齢者が多いようだ。
すれ違う患者が例外なく私の顔を物珍しそうに見てくる。
きっと私が新入りで見慣れぬ顔であるからだろう。
食堂まで行く途中に三畳ほどの広さの畳張りのスペースが地面から50cm程競り上がって仕切られており、その上に靴を脱いで上がった患者達が各々寛いだ格好でテレビを見ていた。
多分、休憩スペースだろう。

休憩スペースを通りすぎて食堂に向かっていると西口君の姿があった。
何やら金髪の少女と二人で親しげに会話している。
それにしても男女の立ち話にしては二人の距離が異様に近い様な気がする。
カップルか?

「あ、桐部さん!」
目を合わせず通り過ぎようとしたが私を発見したのだろう、西口君の呼ぶ声がした。
「あ、...ぉぉ...。」
私は西口君を横目でチラ見した後、適当に素っ気ない返事を返し、そのまま歩みを止めることなく二人の前を通り過ぎた。
二人は私を目で追っていたが、今は人と話すような気分ではない。
デリカシーの無い西口君とは尚更だ。

そして、そのまま私は食堂へと出た。

21日前 No.19

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

食堂は四人掛けの食卓が縦横3卓ずつ合計9卓が整列させて並べられているとても広いスペースだった。
突き当たりの壁は硝子張りで夏の明るい日差しが燦々と差し込みそこから街が一望できた。
食卓には大勢の患者が着席しており、食堂は人の話し声で騒然としていた。

皆の視線を感じる...。

きっと私が新顔で珍しいんだろうが、大勢の人に注目されるのは圧迫感があり気分の良いものではない。
食堂に居心地の悪さを感じた私は取り敢えず食堂内を一回り見回って適当に時間を潰してから部屋に戻ろうと思った。
壁に大型のテレビが皆に見えるよう高い位置に一台取り付けてあって、その上に時計があった。

午前10時12分.....。

まだそんな時間か...もう、昼ぐらいになってると思ってたが。
硝子張りの壁の前にはソファーがあって、数人の患者がそこに腰掛け街の景観を観賞しながら談笑していた。
私もその隣にいって街を見下ろした。

この病院自体が山の麓の小高い場所に建てられており、その六、七階ぐらいの高さから見下ろす街は絶景だった。
時間が止まった状態の自殺未遂者にはお構い無く、街は慌ただしく車が行き交い煙突から白い煙を吐きながら一生懸命経済を回して呼吸していた。

弱者を置き去りにするクソ社会。

それが正直な感想...何故か街の景色が歪んで見えた。
自分で死のうとしておきながら失敗して、その様に街を冒涜する私は理不尽なのかも知れない。
でも綺麗事で自分の気持ちに嘘を吐いたところで何の意味もない。

私はその場を離れると食堂の入り口らしき扉の前まで移動した。
鉄製の枠で縁取られた分厚い硝子の扉...昨日、古宮さんがナースステーションに行く際に鍵を開けて私を中に連れて入った扉だ。
どうせ開かないんだろうなと思って取っ手に手をかけたが、

ガチャリ、ガチャリ.....。

押しても引いても鈍い金属音がするだけで開かなかった。
これ以上先には出られないって事か...。


「そんなドア開くかい!開けれるもんなら開けてみい!」

突然私の背後から野太い罵声が飛んできた。
ゆっくり振り返ると白髪混じりでボサボサ頭の六十代ぐらいの高齢男性が私を睨み付けていた。

また面倒臭いのに絡まれた...。

「お前ここが閉鎖病棟やと知らんのかい?」
「・・・。」
私は直立不動で硬直したまま男性の問いかけに無言で返した。
「知らんのかい、と聞いとるんや!!」
「・・・。」
段々暴言がエスカレートしてくる...きっとこの男性は自分の暴言を自分で聞いて自ずと興奮を高めているんだろう。
「お前新入りか?ええ年してろくに挨拶も出来ん男か!?」
暴言を重ねる度に鼻息が荒くなっている...それにしても酷い口臭だ。
これ以上興奮させて臭い暴言を吐き掛け続けられるのも嫌なので私は簡単に挨拶をする事にした。
「桐部といいます。」
「初めからそうやって挨拶しとけばええんや。」
「そうですね、すいません。」
この男性は夏なのに長袖トレーナーを着ている。
顔も無精髭がボウボウで不潔極まりない。
衆人環視の中堂々と大声で新人を怒鳴り付けるこの男性は、ここの患者達のボス的存在か...?

なんだ、この爺さんは...。

「はいはい、松村さん部屋に戻りましょうか。」
そう言って目の前の男性の両肩に手をのせたのは古宮さんだった。
「桐部さん大丈夫ですか?」
「えぇ、まぁ...。」
私の返事を聞いて古宮さんはニッコリ笑うと男性を連れて病室の方へ去って行った。

あの爺さん松村っていうのか、覚えとこう。

20日前 No.20

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

いい年してろくに挨拶も出来ない男か.......
逆にいい年した大人が新入り相手に挨拶がどうとか恫喝して、いじめてるのもどうかと思うが。
それこそ中学生の喧嘩かよってな...あんな思いっきりメンチ切られたの子供の頃以来だわ。

しかしあの松村って爺さんは、初対面で私の事を何も知らないのに、あんなに怒鳴り付けるって事はよっぽど私の外見が憎たらしかったのか、やっぱりこんなんだから私は....

いつもの自己嫌悪が始まった...また死にたくなった...。
生きていたってろくな事がない...さっさとこんな病院、退院して死んでやろう...。

今の私は少し刺激に敏感になっている、先程の松村さんの怒鳴り声で余計に調子が悪くなった...不安定な気分でこんな場所に突っ立ってたって仕方ない...部屋に帰ってベッドで寝るか...。

部屋に戻る途中ナースステーションに色んな貼り紙がしてあるのが目に止まった。

―――1日の流れ

7 : 30  起 床
8 : 00  朝 食
9 : 00  朝のお薬服用
10 : 00 O T(※)
12 : 00 昼 食
13 : 00 昼のお薬服用
15 : 00 間 食
17 : 00 夕 食
18 : 00 夜のお薬服用
21 : 00 消 灯

OTや間食はある日とない日があります。
――――――――

へえ、21時で消灯なのか...早いな。
つか、薬飲むのと飯食う以外にやることなさそうだな。
こんな狭いエリアでこんな退屈そうな生活が今日から最低3ヶ月も続くのかと思うとゾッとした。

ナースステーションには一週間の献立表等他にも色んな貼り紙が貼ってあった。
不味い病院食の献立なんてどうでもいいわ...。

私は再び自分の病室に向かって歩き出した。

先程の休憩スペースに差し掛かった時、テレビからニュースキャスターの声が聴こえてきた。
「――容疑者は刃物で被害者の腹部を複数回さして殺害しました。...」
私は立ち止まってテレビ画面を眺めた。

この容疑者、刺すなら自分の腹を刺してみればいい、そしたら他人の腹みたいに簡単に刺せるものではない事が理解できるだろう。
その事はつい先日の自殺未遂の体験から私が誰よりも一番良く理解している。
自分の腹を刺して、自分が被害者にどれだけの事をやったのか、腹を刺すとはどういう事なのかを身をもって知れば良い。
他人を消したいくらい憎いなら自分が消えれば一番簡単に解決するのだ。

腐った感情がこみ上げてくる。
はぁ、部屋に帰ってふて寝するか...。

「君、新入りさん?」
部屋に帰ろうとした時、私にそう問いかける男性の声がした。
振り向くと、50代ぐらいの中年太りの男性が休憩スペースの上に胡座をかいており、そのすぐ隣に10代か20代ぐらいの若い女性が座っている。
「ええ、桐部って言います、貴方は?」
「ああ、尾向っていいます。どうして入院してきたの?」

またこの手の質問か...簡潔に済ませてとっとと部屋に戻ろう。
「自殺未遂ですね。」
「えぇっ!命は大事にしなきゃ駄目だよ〜まだ若いのに〜どんな方法で?」
「・・・。」
正直、腹を刺したなんて言いたくなかった。
況してや、目の前のテレビであんなニュースが流れているこの状況で。

「答えたくないなら答えなくていいよ?」
尾向さんは言葉を詰まらせた私を気遣ってくれたようだ。

「自殺未遂...あたしと一緒。」
突然そう言って話に割り込んで来たのは尾向さんの隣に座る若い女性だった。
ちょっと茶色がかった黒髪のロングヘアーで小振りで端正な顔立ちをしてる。
私は少し驚いた、こんなに容姿に恵まれて人生エンジョイしてそうな印象の娘でも死にたいって気持ちが湧くもんなのか、と。

「そうなんですか、お名前は?」
「斉藤です、大学生やってます。」
「お互い命は大事にしましょうね。」
「あ、はい。」
「じゃあ、私は部屋に戻るんでこれで。」

そう言い残し私は休憩スペースを後にした。



※OT : 作業療法のこと。投薬以外の方法で病状の回復を試みる治療。運動や工作や芸術や調理等。

19日前 No.21

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

「お互い命は大事にしましょうね。」

部屋に戻った私はベッドに潜り込み先程斉藤さんに掛けた言葉を思い出していた。
その場凌ぎとはいえ、我ながら歯の浮くような台詞を吐いてしまった...お互い命は大事にしましょうね〜だなんて、つい昨日自殺しようとして失敗した自殺志願者の私がよく言えたもんだ。
思い返すと私は忸怩たる思いでいっぱいになり赤面した。
でもだからと言ってあのシチュエーションで「お互い楽に死ねたらいいですね。」なんて、絶対に言えない。
そんな社会性を欠いた挨拶は公の場で許される訳がない...しかも尾向さんが「命を大事にしなきゃ駄目だよ〜」と言った傍からだと尚更だ。
やっぱりあの場を言い繕うのは「お互い命は大事にしましょうね。」が、ベストだったのかも知れない。
大体、自殺志願者同士の挨拶なんて存在しない...。

それにしても寝れない.....まあ、さっき起きたばかりだから無理もないがトイレに行きたくなった。

再び廊下へ出た私は休憩スペースの近くでトイレを発見した。

入り口で尾向さんに再び出会った。
「ああ桐部君。」
「あ、どうも。」
「ここの生活は退屈だろう?」
「まあ、そんな感じだと思いますが、まだ1日目なんで余り実感ないですね...。」
「休憩スペースの横に図書コーナーがあるから、暇な時はそこで本でも読んでるといいよ。」
「あ、はい。」
「じゃあね。」

トイレで用を済ませた後、尾向さんの言ってた図書コーナーとやらに足を運んでみた。
休憩スペースの横に仕切りで区切られた小さなスペースがあり、中へ入ると図書がぎっしり収まった本棚が2台並べられ中央に丸テーブルと4脚の椅子が配置されていた。

その内の1脚に尾向さんが腰掛け読書していた。
「ああ、来たんだね、適当に棚から本を取って読めばいいよ。」

本棚を物色していると「旅館夫婦」という題名の小説があった。
旅館夫婦?...何だろう?

私は旅館夫婦の小説本を手に取り席に戻った。

「隣いいですか?」
声のした方を見上げると右手に大きな分厚い本を抱えた斉藤さんが立っていた。
「あ、どうぞ。」
そう言うと、斉藤さんは私の横に座って読書を始めた。
何やら難しそうな参考書を熱心に読んでいる。
窓辺から差し込む日光を斉藤さんの黒髪が白く反射させて綺麗なエンジェルリングを形成していた。
暖色系のスラッとしたワンピースを着た斉藤さんの背筋の通った読書スタイルは実に賢しげで、勉学に勤しんできたであろう彼女の過去を物語っていた。

死にたくても我慢して今まで一生懸命に勉強を頑張ってきたんだろうな...。

私はそう思うと手に持った旅館夫婦を開いて読み始めた。

――――――――――――――――――――――――

浴場は白い湯気が立ち込めていた。
今日は休館日で男湯も女湯も関係ない。
何年も前から浴槽のリフォームを考えていた謙三は摂子の一声が後押しして、今晩漸く工事を決心した。
謙三は浴槽の縁に両手を広げ心地良い気分で寛いでいた。
適度に熱いお湯が謙三の疲れをほぐし身体を芯から温めた。
「あなた、浴槽を広げると、こういう体勢が楽になるのよ。」
霞がかった湯気の向こうから摂子の白く艶かしい女体が近づいて来た。
摂子は股を開き徐に謙三の腰の上に乗ると片手で優しく後頭部を愛撫した。
たわわに実った摂子の豊饒な乳房に謙三は顔を埋める。
汗と湯気で湿った摂子の柔らかな肌が謙三の顔を優しく包み込んだ...。
こうやって浴槽で妻を抱くのは何年ぶりだろう、摂子を下から穿たんとするムラムラとした衝動が...

――――――――――――――――――――――――

なんだこりゃ、官能小説かよ。
何でこんなもんが置いてあるんだここ?
しかも、謙三や摂子ってまたネーミングセンスが昭和チックで古臭いな...いつの時代の小説本だこれ?
旅館夫婦を読むのをやめた私はテーブルの上に小説本を軽くほり投げた。

19日前 No.22

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

私は部屋へ帰りたかったが、斉藤さんが横に座った事で図書コーナーの出入り口まで行けなくなっていた。
反対側から回ろうと思っても尾向さんが座っているのでそっちも通れない。
ちょっと退いて下さいと言うのもトイレ等の急用があるならまだしも、用事もないのに読書を妨害してわざわざ席を立って退いて貰うのは二人に悪い様な気もする...。
他の本を本棚から取ろうにも、二人が本棚までの道を遮っている。
このまま時間を潰すには、旅館夫婦を読まざるを得ない。
でも、官能小説はエロスを高めるから余り読みたい気持ちになれない。
とはいえこのまま手持ち無沙汰で漫然と時間を徒過するのも不本意である。

仕方ない、旅館夫婦を読むか...。
私はテーブルの上に放った旅館夫婦を再び手に取り読み始めた。

旅館夫婦は大まかにいうと謙三と摂子が風呂場で夫婦の愛を深めながら、共に力を合わせて経営難の旅館を立て直すという物語だった。
旅館夫婦の性的な刺激もあって、先程から続いてた希死念慮が若干治まった様な気もする...。
でも所詮はリア充のお話...性に憧憬を抱いたところで、無職の自分に劣等感が増すだけだ。

読書して一時間ぐらい経っただろうか、尾向さんが読んでいた週刊誌をテーブルの上に放ると、両手を上に上げて「うぅ〜っ...」と唸りながら伸びをした後そのまま腕時計を確認した。

「さて、そろそろ昼飯の時間かな...まだちっと早いか。」
尾向さんの声を聞いて斉藤さんが読んでた本を閉じ尾向さんと喋り始めた。

「いま何時ですか?」
「11時40分だねぇ、まだちょっと早いかな。」
「そういえば尾向さんって、入院してどれぐらいになるんですか?」
「もう、かれこれ2ヵ月ぐらいになるなぁ...」
「...そんなにいるんですか...まだ退院の目処は立って無いんですか?」
「立ってないねぇ...もうそろそろだと思うんだけどなぁ...」
「やっぱり1ヶ月くらいで退院するとか無理ですよね...」
「ん〜斉藤ちゃんは何入院だっけ?」
「...何入院って?」
「え〜っと、任意入院とか保護入院とかあるでしょ?」
「え〜ちょっと分からない...お母さんに連れられてここに来たから...。」
「あ〜あのほら、入院する時に貰った紙あるでしょ?あれ何色だった?」
「青だったと思います。」
「青なら任意入院だね...主治医の先生に退院させて下さいってお願いしたら出してくれるんじゃない?」
「何回も言ってるんですけど、状態がよくなるまでは無理だって言われるんです...学校も休学しちゃってるし勉強も遅れちゃうし、どうしようかと...。」
「あ〜斉藤ちゃんの場合、入院の理由が理由だからなぁ〜。」
「自殺未遂ってそんなに悪いんですか?」
「悪いとおもうよ...そんな事絶対にしちゃいけないよ?」
「分かってますけど...」
「どうやって死のうとしたの?」

その質問を受けて少し俯き加減に下を向いた斉藤さんは二の句を継げない様子だった。
暫く間をおいて彼女は顔を上げ、意を決した様に喋り始めた。

「...OD(※)...。」
「...苦しくなかったの?」
「胃洗浄が特に...」
「斉藤ちゃんの専攻って薬学部だったよね?」
「はい。」
「あ〜じゃあ専門知識を持ってるから余計に深刻だ。」
「・・・。」

黙って二人の会話を聞く私にも耳の痛い話だった...自殺未遂は任意入院でもそれだけ深刻なら同じ自殺未遂で保護入院の私は一体どうなるんだろう...3ヶ月で本当に退院出来るのだろうか。
そして、二人の会話は続く...。

「早く出たい気持ちも分かるけど、先ずは病気を治す事が先決だよ?」
「......尾向さんはどうして入院したんですか?」
「儂はなぁ、家内が儂の経営方針が悪いっていって、こんな場所に閉じ込めたのさ。」

経営方針が悪いぐらいで人を閉じ込めるって精神病院は社会の邪魔者や厄介者のごみ捨て場かよ...。

「服屋さん...でしたよね?」
「ああ。」
「大丈夫なんですか?」
「もう商売に味噌つけちまってるよ。」
「だったら早く退院しなきゃですね...。」
「学生服専門の服屋なんてそんなに儲かる商売じゃない...薄い利益を何年もかかってちょっとずつ積み上げて来たのに、この入院のせいで全部パーだ...。」
「・・・。」

重い話だ...精神病院ってのはどうにもならないドン底の身の上を語り合う場所なのか...。

辺りがガヤガヤと騒がしくなり始めた...どうやら、病室から患者が一斉に出てきて食堂へ向けて廊下を歩き出したようだ。


※OD : オーバードーズと読む。睡眠薬や精神薬等の薬の過剰摂取のこと。

18日前 No.23

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

「お、そろそろ昼飯かな。」

尾向さんがそう言って立ち上がり図書コーナーを出て行くと、斉藤さんもその後を追って行った。

私はそのまま椅子に座って先程の尾向さんと斉藤さんの会話を思い出していた。
何故なら其れが、自分への苦言の様に聞こえて耳が痛かったからだ。
やはり死にたいと思った事のない人や、人間は何があっても生きるのが当然だと思っている人が自殺志願者へかける言葉は強引で配慮に欠けデリカシーに乏しい。
死のうとしたからと言って私や斉藤さんの死にたいという気持ちや、死ぬしか逃げ道がない切迫した状況や、自殺企図にまで至った経緯を何も聞こうとしないで、無責任に上から「生きろ」だの「死ぬな」だの「自殺は悪」だだのと押し付けがましく説教するのは幾らなんでも不躾ではないか。
死ぬ以外に解決策があるようなら誰だって自殺なんてしない。
まさに死のうとしてる者に救いの手を差しのべる訳でもなく、見せ掛けだけの美辞麗句を並べるくらい誰だって出来る。
単に上辺だけの正義感を振り翳して自分に酔っているだけじゃないのか。

斉藤さんは今の話をどの様に受け止めたのだろう...。

心に疑念を抱きながらゆっくり立ち上がると私は図書コーナーを後にして食堂へ向かった。


「桐部さんこっち!こっち!」
食堂の開いてる適当な席に座った私に大声でそう呼び掛けたのは、遠くの席から手招きをする西口君だった。

「皆、座る席が決まってるんですよ!桐部さんの席は俺の隣!」
「ああ、そうなの...。」

渋々立ち上がった私は西口君の側までいくと、確かに隣の開いてる席に私の名前を書いた紙がセロテープで貼り付けてあるのが分かった。

私は食卓の中に収められた椅子を片手で引き出すと、ゆっくりそこへ座った。

食卓は四人掛けの大型のもので、私の向かいには先程、西口君と立ち話をしていた十代後半ぐらいの金髪の少女が此方を向いて微笑みを湛えていた。
まだ子供のあどけない面影が残る愛愛しい顔付きの少女はその幼さとは裏腹に口と耳にピアスを空けていた。
お金が掛かってそうな艶やかなブロンド髪は肩までさがり、メーカーは詳しく分からないが、バンドギャルがよく着てそうな派手めの白いTシャツに丈の短い黒のショートパンツと黒の膝下までのニーソックスといった風貌だった。
勝手に見るのもどうかなと思ったが、彼女の前に貼ってある名前の紙に目をやると『篠垣 美羽』と書かれていた。

「桐部さん、無視とか酷いよ!なんで無視するん?」
椅子に座るや否や間髪を容れずに私にそう言ったのは西口君だった。
「無視なんていつした?」
「さっき俺が呼び止めても、無視して通り過ぎたじゃん?」
「ああ、あの時は...眠たくて人と会話する元気がなかったんだよ、別に君を無視した訳じゃないよ。」
「そうなの?それなら良いけど...。」

......はぁ、やれやれ。これから毎日西口君と一緒に飯食う羽目になるのか...落ち着いてゆっくり食えたもんじゃないな...。
そう思うと私は気分が暗澹となって深く嘆息した。

17日前 No.24

ちきぽん @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

「美羽ちゃん。この人が桐部さんっていってさっき言ってた自分でお腹を刺した人だよ。」
西口君はそういって私を篠垣さんに紹介した。

呆れた奴だ、そんな紹介の仕方があるのか、人のマイナスイメージを宣伝しやがって、これでは篠垣さんからすれば第一印象から私のイメージが悪くなる......。

イメージが悪いどころか、完全に頭のイカれた男だ。

まあ、確かに私が自殺しようとしたのは事実だから、言い返す言葉は何も見当たらないが、そうだとしても他人への最低限の気遣いはあるだろう。
とはいえ、別に篠垣さんに気に入られたいという気持ちが無い事に気付いた私は全てがどうでも良い投げ槍な気持ちになり、西口君に反論して名誉を回復しようという気にもならなかった。

「えぇ〜〜...痛くなかったん?...」

篠垣さんは憐憫の表情を浮かべながら私にそう尋ねてきた。

「刺した時はあんまり...でも1日経った今はズキズキ痛むかな...。」
「なんでそんな事したん?...」

死にたい気持ちなんて他人に言っても伝わらない、況してやこの様な年端もゆかぬ小娘に説明しても理解できんだろう、あまつさえ西口君の前だから弱みを見せる訳にはいかない。
そう判断した私は適当にその場を言い繕う事にした。

「いや、それがね、酒でへべれけだったから、あんまり良く覚えて無いんだわ...ハハハ。」

山で首吊りをしようとした時に保護された警察官相手に使った逃げ口上だった。
警察官ですらそれ以上掘り下げて追及できなかったんだ、小娘相手のその場凌ぎには上等すぎる文句だろう。

「お酒入ると死にたくなるん?」

まさか、そう来るとは思わなかった。
こんな場合どう返せばうまく話を纏めて終わらせられるんだろうか...そうだ、酒だ、全部酒の所為にしてしまえ。

「死にたくなるんだろうか?......ベロベロだったから其れすら自分でも良くわからない...。」
「お酒よく飲むん?」
「ああ、毎日飲んでるよ。」

毎日飲んでるのは嘘だった。
私は5月に痛風を発症して以来、酒は断っている。
しかし嘘も方便、この場を取り繕うには適当だろう。

「じゃあもうお酒飲んじゃ駄目だよ。」
「・・・。」

吃驚のあまり言葉を詰まらせた。
まさか小娘が、私の酒を飲む権利を制限してくるとは思いもしなかったからだ。

「わかった?」

篠垣さんはムスっとした顔で二の句を継げずに困惑している私に語気を強めて再度意思確認してきた。
一回り以上も年下の小娘に説教されているようで釈然としない気持ちでいっぱいだったが、元より酒は断っているんだし、こんな病院に閉じ込められている以上は飲酒は出来ないんだから、ここは反抗するより素直に認めて、このつまらない自己紹介を早々に終わらせよう。

「わかった。」
「わかったんならよろしい。」

篠垣さんはまるで悪戯坊主を諭す母親の様に私にそう言った。
やれやれ、まるで子供扱いだ...これでは年上男としての貫禄や威厳なんてあったもんじゃない。

クスクスクス......

横を見ると西口君が私の方を見ながら手で自分の口を押さえ、含み笑いをしていた。
全く、西口君はいい加減にして欲しい。
私の事を馬鹿にしているのか...

気分が更に悪くなった。
こんな気分だったら、ただでさえ不味い病院食が更に不味くなる事だろう。

13日前 No.25

徒花 @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

そんなこんなで時間が過ぎて看護師が患者の前に昼食を配膳し始めた。
私に昼食を持って来たのはにっこり笑顔の古宮さんだった。
古宮さんは私の前に食事を置くと胸のポケットからペンとメモ帳を取り出し少し真剣な面持ちで私を見つめた。

「ああ、そうそう、桐部さんってアレルギーとかあります?」
「いや〜特に無いですね...強いていうなら生海老かな...あれは口ん中が痒くなります。」
「わっかりました〜海老ですね〜。」

そう言って古宮さんはメモ帳にペンを走らせる。

「あ、調理済みの海老は大丈夫ですよ?」
「あ、はい〜...りょ〜かいでっす〜...。」

そう言い残し古宮さんは別の患者に食事を配膳する為、スタスタ早足で去って行った。

昼食は主食の豆ご飯に副食のメインが茄子田楽で後は大根おろし、温野菜、冬瓜の吉野煮、お味噌汁と続いていた。
相変わらず全ての味付けが薄い...豆ご飯だけはまだ塩味がきいてなんとか食べれる味だった。

「おいボケェ!塩化ナトリウムないんかい!」 ドーーーンッ!!

驚愕した私と西口君と篠垣さんは一斉に野太い男の怒鳴り声と衝撃音の方に注目した。

其処には看護師に暴言を吐いて机を殴る松村さんがいた...。
またあの爺さんか...。

「あそこまでいくと無茶苦茶だな...。」

西口君が小声でボソッと呟いた。
その言葉を聞いて無神経な西口君でも常識はあるんだなぁと、少し感心した。

ふと前を見ると篠垣さんが左手に箸を持って口にご飯を運んでいた。
箸を持つ手と茶碗を持つ手がテレコになっている不思議な光景だった。

稀に見る左利きというやつか...。
篠垣さんの姿は『世界にはどうして右利きと左利きがいるのだろう...』と、素朴な疑問を私に抱かせた。

それにしても昨日から歯磨きをしていないから、口の中が気持ち悪い...昼食を終えてさらにその不快感が増した......。

ああ、歯磨きしてぇ...。

食事を終えた後の食器の後片付けは各自でする決まりになっていた。
食堂には厨房が隣接しており食事の際はその厨房前に移動式のシンクが置かれて、食事を終えた患者から順にそのシンクの中に食器を種類別に重ねて返却するのが手順なのだが、食事が始まって20分ほどもすればもうシンクの前に長蛇の列が出来ていた。

列はシンクを挟んで二列出来ており、食事を終えた私が列に並んでいるともう一方の列に斎藤さんの姿を発見したので、彼女をぼんやりと眺めていた。

本当に賢そうで美人な女性だな...自殺するなんて勿体無いぐらい...。

「何を見てるんすか?」

振り向くと西口君がいつの間にか後ろに並んでいた。
こんな奴に斎藤さんを眺めてたなんて正直に言うとどんな冷やかしを受けるかわからない。
それに、私は斎藤さんを綺麗だとは思うが、だからといって特段彼女が好きだとか、付き合いたいという恋愛感情は持ち合わせてない。
西口君に変な誤解をされては余計にややこしい事になるのでここは穏便にはぐらかそう。

「んや...別に。」
「ほんとっすか?なんか女の方を見てたような気がしたんだけど...」
「女なんか見てないって。」

西口君はニヤニヤ笑いながら私に懐疑の言葉をかけてきた。
本当に疑り深くてしつこい男だ...。そう思った私は食器を手際よく返却すると、足早にその場を後にした。


病室へと帰る道すがら廊下で再び斎藤さんと出会った。
私は同じ自殺未遂で入院した彼女に親近感を覚えていた。

「あ、斎藤さ...」

斎藤さんは言葉を遮るように、私を流し目で軽く一瞥すると、くるっと背を向けて去って行ってしまった。

はて、何か彼女に嫌われるような事をしたり言ったりしたかな...。
それとも、単に気付かなかったのかな...。

いずれにせよ、美人にああいう態度をとられると精神的にかなり堪える、不味い食事で悪くなっていた気分が更に悪化したので私はさっさと自分の病室に戻ることにした。

9日前 No.26

徒花 @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

前から歩いてくる村木さんは私に気付くと明るい笑顔で喋りかけてきた。

「あら桐部さん、自分で食堂まで行ってお食事されたんですね?」
「あ...はい。」
「また、部屋まで持って行こうかと心配してたから...少しは元気になったのかしら?」
「元気って言われると其処までの自覚はありませんが...。」
「そうなの、まあゆっくり治していきましょうね。」
「はい。」

挨拶を終えて村木さんは微笑みを湛えながら通り過ぎていった。
やはり妙齢の少女とは違い、気心の知れた壮年の女性は親しげで打ち解け易い。

病室に戻った私はドカッとベッドに倒れると布団に潜り込んだ。

それにしても冷房が効き過ぎているのか異様に寒い...。
てゆうか、この寒さは種類が違う様な気がする...妙に背筋にビリビリきて鳥肌が立つ様な感じだ。

子供の頃は幽霊等信じていなかったが、22歳の時に友人と肝試しに行った心霊スポットで雑木(ざつぼく)の上に浮かぶ顔から上だけの女性の亡霊を目撃してからというもの、私の霊感は感度を増していった。
最初は幻覚かと思ったが、居合わせた友人も同じものを見ていたので議論した結果、俄に信じがたかったが幻覚とも切り捨てられず、あれは幽霊だったのではないかとの結論に帰結した。

霊感って伝染ると耳にしたことがあるが、25歳の時に霊感が強い女性とお付き合いしたことで、私の霊感は更に研ぎ澄まされていった。

そう、昨日からこの病院でちらほら感じてる妙な寒気はこの手合いのものなのだ。
日本人の九割以上が病院で終末を迎えるというが、終末期病患者を受け入れている大きな病院ならまだしも、このような精神病院でご臨終する患者がいるんだろうか?
精神病は死の病ではない、自殺するにしてもこの様な自殺対策が徹底された環境では不可能である。

何時間ぐらい布団で考え耽っていたことだろう...昼食からは長い時間が過ぎたように感じていたその時、

コンコン

ノックの音がした。
村木さんかなと思い、覗き窓に目をやると其処には誰の姿も映っていない。
西口君が覗き窓に顔が映らないように隠れて悪戯でもしているのだろうか...小学生の頃に流行ったピンポンダッシュのように...。
まあ、別にノックの主が誰であるかに特別、興味は無いが...。


ノックの後、扉を開けて部屋に入って来たのは意外にも篠垣さんだった。
身長が低いから覗き窓に顔が届いていなかったのだ。

「ねえ。」
「ん?」
「図書コーナーでタカと岩田って人と皆で集まっておやつ食べながら話してんだけど来ない?」
「タカ?って誰かな?」
「西口。」

西口君か......どうせロクな話じゃないだろう...あんまり喋りたい気分ではないな...。
其れに、先程私が斎藤さんをボケッと眺めていた事なんかを冷やかされでもしたら厄介だし。
岩田って人がどんな人かは知らないが、朝から初対面の人間ばかりと出会い続けて、挨拶するのも自己紹介するのも大方疲れてきた頃合いだ、これ以上は面倒だから今日のところは勘弁して貰いたい。

「いや、しんどいからここで寝とくよ。」
「あっそう。」

淡白な返事を残して篠垣さんの後ろ姿は扉の外へ消えて行った。

8日前 No.27

徒花 @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

友人、知人、元彼女、元職場の同僚、上司、そして家族、親戚...今まで出会ってきた人達の顔が頭に浮かんでは消えていった。
社会から隔離されたこの状況に疎外感を感じてる訳ではない、寧ろその逆で妙な安心感を覚えていた。
社会との唯一の接点であった携帯電話も今は手元にない...持ってる時は私の番号を知っている誰かからかかってくる心配が常につきまとっていたが、取り上げられた今はもう其れを危惧する必要もない。
また、家に居る時は誰かが訪ねて来るのではないかという心配が常にあったが、病院にいて面会謝絶である今の状況ではその不安もなくなった。

携帯電話は壊して捨てようかと思っていたが、もしもの時の為に持っていた。
20代の頃、休日でも就寝中でもお構い無く電話を架けてくるパワハラ上司がいて、仕事を辞めた後も其れが続いたので一度、怒りに任せて携帯電話を床に叩き付けて壊した事があった...。

しかし若い頃に別れた元内縁との間にできた子供の養育費のことがあったので、直ぐに新しい携帯電話を契約した......そんな訳で今まで携帯電話だけはどうしても手離す事が出来なかったが......

携帯電話がなくなった今、私は全ての責任から解放された気持ちになっていた。
そしてノックの音がする、

コンコン

覗き窓に顔がない...篠垣さんかな。
扉を開けて入って来たのは案の定、篠垣さんだった。
篠垣さんは私の部屋に入って来たまでは良いものの、何かを言い出そうとして、それを言えずにモジモジしている感じだった。
左手には白色の袋菓子が握られている。
篠垣さんは身長が低く顔も幼いから、中学生みたいに見える...取り分け袋菓子を片手にモジモジしている様子は実に子供っぽくていじらしい。
そういえばこの娘、何歳なんだろう...。

「どうしたの?」

ベッドから上半身を起こした私は、今度は此方から篠垣さんに声を掛けた。

「これ、タカが桐部さんにあげといてって...」

そう言って篠垣さんは持っていた袋菓子を差し出してきた。
袋には『ポテコ』と書かれてあった。

「西口君がこれを私に?」
「うん、食べて。」

西口君は本当に親切なのかお節介なのか良くわからない性格をしている。
思い遣りがあるのか無神経なのか掴み所がない...。
とはいえ西口君の好意を押し返す程の理由も私にはなかった。

「ありがとうって伝えておいて。」
「うん。」

袋菓子を受け取った私は1人でこれを食べるのは何か西口君に負い目を感じるようで気が引けた。
何故なら朝からTシャツも貸して貰って、お茶も汲んできて貰ってたから...おまけにお菓子まで頂くとなると彼におんぶに抱っこの状態になるからだ。

「一緒にこれ食べない?」
「え?いいの?うん、食べる!うちそのお菓子好きなんだ!」

こんなに食い付きが良いとは思わなかった、まあこれで少しは西口君への罪悪感も薄れるだろう。

「ねえ、桐部さんの奥さんや子供さんは今回のこと悲しんだりしてないの?」
「え...あぁ...私は独身だからね、妻や子はいないよ...。」

篠垣さんが出し抜けに踏み込んだ質問をしてきた事に私は面食らって少々動揺した。

「彼女さんは?」
「もう別れていないよ。」
「それでも、家族の人とかいるでしょ?」
「あぁ、うん、まあ...。」
「きっと悲しんでるよ!」
「・・・。」

何も言い返せなかった。
篠垣さんに死にたい気持ちなど理解出来ないだろうし、多分その短い人生で『死にたい』と本気で考えた経験もないだろうから、そういう事は言うだけ野暮だとも思った。

7日前 No.28

徒花 @tikipon ★WiiU=AVQKlTHLh6

私が沈黙してから暫くの時間が流れた後、痺れを切らした様に篠垣さんが切り出した。

「立ってるのしんどいから座っていい?」
「ん?いいよ。」

私の部屋には座る場所なんてない、ベッド以外に頭床台と収納棚しかないこの部屋の何処に座るのだろうか、頭床台の上に座るのか、其れとも地べたにへたり込む気でいるのか、何処に座る積りでいるのかは判然としなかったが取り敢えず生返事で承諾しといた。
すると篠垣さんは私が寝ているベッドの上にちょこんと腰掛けた。

驚いた...男の寝床に女が座ってくるなんて恋人か家族以外にあり得ない。
況してや、初対面で自分より一回りも年上の男相手にだったら尚更である。
というより男女問わず普通は他人のパーソナルエリアには足を踏み入れないものだ。

この娘は男に対して誰にでもこの様な節度のない接し方をしているのだろうか、其れとも若くて未熟故に男との距離の置き方が分からずに軽率な行動をしているだけなのだろうか。

今朝、廊下で初めて篠垣さんを見掛けた時は西口君と立ち話をしていたが、二人の立ち位置が恋人並みに近かった様に覚えてる...。

そういえば10代の頃、男子のパーソナルエリアにづかづか侵入してくるタイプの女子いたよな...なんだか篠垣さんは男慣れしてる感じだ...男好きなのかな...女盛りだもんな...

「うちね、自分のお父さんのこと煩いから大嫌いだけど、仕事して家を支えてくれてる部分だけは感謝してるよ。」
「・・・。」

其れを言われちゃ返す言葉が何も見当たらない...今更になって気付いたが、篠垣さんは私のことを父親を心配するような目で見ていたのか...。

「あの...」
「ん?」
「名前、篠垣さんでよかったっけ?」
「うん、どうして?うち言ったっけ?自分の名前?」
「ああ...昼食の時にね、机に貼ってあった名札を見たんだ。」
「そうだったんだ。でもうち苗字で呼ばれるの余り好きくないんだ。」

そういえば、西口君も『美羽ちゃん』って呼んでたな...。

「じゃあ、美羽ちゃんでいい?」
「うん、なんでもいい。」
「そういえば、美羽ちゃんっていくつなの?」
「そんなこと知りたいんだ?うちに興味あるの?」

自分からベッドに上がり込んで来といて「うちに興味あるの?」って聞き返す態度も珍妙に感じたが興味が無いと話を終わらせるのも彼女に悪い気がするので素直に認めることにした。

「うん、何歳かなって。」
「アハハ、17歳だよ。」

17歳か..........生き別れになった私の娘は何歳になっているんだろう...。

私と元内縁が出会ったのはお互い19歳になる年のだった。
二人はすぐに同棲を始めて元内縁は翌年に子供を身籠り学校を辞めて20歳で出産した、女の子だった。
所謂できちゃった婚というやつで私も学校を辞めて働き、お互いすぐにでも結婚する積もりでいたが自分の親にも相手の親にも反対されて破局した。

初めの内は年に1、2回子供に会う機会があったものの、元内縁が結婚してからはそれも叶わなくなり、今では娘が何処で何をしているのかわからない。
多分今頃、16か17ぐらいになっているんだろう、花の女子高生やって青春を謳歌しているのだろうな...。

「私にも美羽ちゃんと同じ歳くらいの娘がいるよ。」
「ええ?独身じゃなかったの?」

「一緒には住んでないよ、別れた内縁さんが連れて行った。もう連絡をとらなくなって久しいから今では何処で何をしているのか分からない、私に残されたのは『綾香』って名前だけで、その子が今なんて苗字を名乗っているのかすらも分からない。」

「綾香さん、きっと桐部さんに会いたがってると思うな。うちが綾香さんならきっとそう思う。」
「そうとは限らんよ、綾香がどう思ってるかなんて分からない。」
「だって、自分の血の繋がった親に会いたいじゃん!其れが子供の素直な気持ちだよ...」
「まあ、その可能性もなきにしもあらずだけど...」
「いや、絶対会いたがってる!自殺なんてしちゃ駄目!綾香さんが可哀想!」

自分の娘ほどの年頃の少女に説教されている自分が情けなくなった。
余計な事をカミングアウトするんじゃなかった。
美羽ちゃんが自分の娘の様に見えてついポロっといらぬことを言ってしまった...
孤独は誰よりも飼い慣らしていたのに、うっかり人情に流されるとは、私も焼きが回ったな......。

7日前 No.29

徒花 @tikipon ★WiiU=rzjuVikP3L

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6日前 No.30
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