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ママ

 ( 小説投稿城 )
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逆八の字 @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

虐待を受けていた子を養子として引き取った女性が、
その子に暴力を振るってしまうが、
その子に「ママ」と呼ばれることに救いを見出す話。

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逆八の字 @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

第一話 星

 佳織のお腹には、新しい命が宿っていた。
 今はもう、旦那は天国にいってしまったけれど、きっとこの子は、旦那からの贈り物なんだろうな、と佳織は思った。
 佳織の夫、孝之は、建設現場で仕事中に、不慮の自己に巻きこまれて、他界した。
 佳織の妊娠が発覚したのは、その後のことだった。
 佳織はお腹のなかの子を、自分よりも大切な宝のように、いたわり尽くした。旦那を失った悲しみはまだ癒えないけれど、その分だけ、この子を大切に育てようと思った。佳織にとってその子は、生きがいそのものだった。

 そこに不穏な影がさしたのは、妊娠六ヶ月目のことだった。
 医師は、お腹のなかの子が、この時期にしては小さいことを告げた。でも、と医師はつけ加えた。
「こういうのはよくあることだから。これから大きく成長すると思います。そんなに心配しなくてもいいですよ」
 だから佳織は、それほど気にしないようにしていた。
 とはいえ、やはり、この子には、元気にすくすくと成長してほしい、と願ってやまず、佳織は毎晩、月にお祈りするほどだった。

 妊娠十ヶ月目で、ついに陣痛が始まった。
 佳織は意識を失いかけながら、救急車に電話し、病院に運ばれた。

 結果は、流産だった。

 佳織はとてつもない喪失感に襲われ、何で自分ばかりがこんな目に、と自らの運命を呪った。描いていたヴィジョンがすべて、音を立てて崩れ去り、後に残されたのは、孤独な自分だけになった。

 そんな悲しみと喪失感に包まれた日々は二年つづいた。
 佳織は食が喉を通らず、どんどん痩せていった。それを見て周りの友人は心配するばかりだった。やがて、佳織は周りとの交流もどんどん断っていき、ついに孤独になった。
 そんな佳織の楽しみは、夜空を見上げることだった。きっと旦那も、あの子も、星になって私を見守ってくれているんだわ、と、夜空を見上げ、自分も早く、あなたたちのもとに行きたい、と何度も佳織は願った。

 そんな折、もともとスピリチュアルなものに興味の強かった佳織は、思いつきから、占星術の本を購入し、夫やわが子の誕生日をもとに、彼らの運勢を占うようになった。

 それからだった。佳織は、今はもういない彼らの存在が、とても身近に感じられるようになった。
 そうして佳織は、占星術にのめり込んでいった。

 いつしか佳織は、お金をもらって人を占うことができるまでになった。というのも、佳織がたまたまネットの知り合いを占ったら、それがよく当たっていて、評判になったからだった。

 佳織は以来、占い師を本職として、生計を立てるようになった。
 仕事は佳織の日々を充実させ、いつしか、佳織は、星になった二人の存在をただ悲しむだけの日々から抜け出せるようになった。今ではむしろ、彼らの見守ってくれていることが、大きな自信となっていた。

 それから十年くらい経ったときだった。佳織が唯一、交流を持ち続けていた、高校時代からの友人、麻美から、こんな話を聞いた。

「うちの親がさ、最近、養子をもらったって言ってるの。私、それをはじめ聞いたときはびっくりしちゃって。それで、ちゃんと育てられるの、って聞いたら、おまえみたいな子を育てられたんだから大丈夫だって」

 佳織ははじめ、その話を聞いたとき、雷に打たれたような衝撃を受けた。それがなぜなのかわからなかった。あの頃思い描いていたヴィジョンを、ふたたび始められるチャンスを、そこに見い出したからなのだろうか。ともかく佳織は、そこに一陣の新しい風が吹いたのを感じた。

3ヶ月前 No.1

逆八の字 @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

第二話 会

 そこはヒノキの香る一階建ての施設だった。子どもたちがはしゃぎながら、芝生の敷き詰められた庭を駆け巡っている。風に乗ってピアノの音が聞こえ、それに合わせて、子どもたちが元気よく歌っているのが聞こえる。
 とてもアットホームな雰囲気で、ここにいると暖かな空気が感じられる、と佳織は思った。とても雰囲気のいい施設だった。
 このなかに、将来、自分が育てることになる子がいると思うと、すこし緊張するけれど、そんなことはつゆ知らず、子どもたちは無邪気に好奇のまなざしをひたすら佳織に浴びせるのだった。
 そのなかの一人、電車のおもちゃを握りしめている男の子に、佳織は声を掛けてみる。
「こんにちは」
 すると男の子は、恥ずかしそうに目を下に向けて、離れていき、カーテンにぐるぐるくるまってしまった。
 その仕草に佳織は愛らしさを感じずにはいられなかった。ますます、子どもを育てたいという気持ちに駆られる。

「ここにいる子たちはですね、みんな、幼いときに、十分に親の愛情を受けていない子が多いんです」
 施設の職員が説明をしてくれる。
「だから、はじめは、佳織さんも、育てるのに苦労すると思うけれど、どうか、見放さないで、大切にしてあげてくださいね。ここにいる子に、悪い子はいませんから」
 佳織はうなずき、さっきのカーテンにくるまった子を見た。
 すると、その子がカーテンの影から、こちらの様子をじっと見つめていた。頬がぷっくりと膨れ、くりくりした目に愛嬌のある表情が浮かぶ。
「この子に、惹かれるものがありますか?」と施設の職員が尋ねる。
「はい。でも、大切な決定だから、もうちょっと、周りを見て、考えますね」と佳織は言った。

 佳織は食堂に足を向けた。
 そこでも子どもたちが、おもちゃを掲げて、元気よくはしゃいでいた。施設のおばちゃんが、彼らを柔和な目で見守りながら、夕飯の準備をしていた。
 ダイニングテーブルの隅に、一人の女の子が座っていた。他の子と比べてその子だけ、背が大きく、年が離れているように見えた。見た感じだと、もう中学生か、あるいは高校生にも見えなくはなかった。その子は、じっとうつむいて、絵を描いていた。佳織がばれないようにこっそりとのぞくと、そこには二匹の、鮮やかな鯉が描かれていた。それは仲睦まじくお互いの尾を追いかけている構図だった。
 佳織はその子に、異様な雰囲気を感じとった。他の子は、まだ幼く、元気よくはしゃぎまわっているのに、その子だけ暗く、殻に閉じこもっている感じがした。
 佳織は思い切って、その子に話しかけてみた。
「こんにちは」
 その子は視線を上げて、佳織の姿をみとめ、力なく首だけであいさつを返した。
「いくつかな」
 すると、施設のおばちゃんが、慌てて佳織に駆け寄って、小声で話した。
「悪いけど、その子は、言葉が喋れないんだよ。最近、入所したばっかでね。それまで、ずっと父親に閉じ込められてたっていうから」
 佳織は改めて、その女の子を見た。彼女は何事もなかったかのように、また絵を描き始めている。
「あの子はちょうど、今、十四になるわ」と施設のおばちゃんが言った。
 佳織はその年齢を聞いて、衝撃を受けた。というのも、佳織が流産したのが、ちょうど十四年前になるからだ。だから、もし、出産がうまくいっていたら、ちょうどあの子くらいの年の子が、娘にいるはずだ。
 佳織のなかで、何かがはじける音がした。それは、人生におけるあらゆる重要な選択を迫られるときになる音だった。佳織はそれを、今はもういない旦那のプロポーズを受け入れたときに経験していた。しかし佳織は、それを覚えてはいなかった。ただ、佳織のなかで、何か化学反応のようなものが起きたのだけはたしかだった。

 佳織がその女の子と向かい合って、無言で座っていると、施設の職員が話しかけてきた。
「どうですか」
 佳織は小声で、目の前にいるその子に視線を送って言った。
「この子を、養子にもらうことはできないでしょうか」
「え?」
 職員は驚きを隠せなかった。
 しかし、佳織の真剣なまなざしを見て、職員は深くうなずいた。
「この子を養子としていただくのは構いません。ただ、この子には、とても暗い秘密があります。それをきちんと受け止めたうえで、もう一度考え直してみてください」
 佳織は若干、戸惑った。
「その秘密って、なんですか」
 すると職員は、女の子の肩を優しく叩いた。女の子が顔を上げたので、職員はキッチンの物陰を指さした。女の子はうなずいて、職員と一緒に、そこに向かった。
 そこで一分ほど待っていると、今度は佳織が、職員に手招きされた。佳織は招かれるまま、キッチンの裏に足を運んだ。
 そこでは少女が、シャツをまくり上げ、裸の背中をこちらに向けていた。そしてその背中には、大きな龍の刺青が刻まれていた。
「どうも、この子の父親は、彫師をやっていたらしくて、この子の背中にこれを刻んだようなんです」
 龍は極彩色で、青い雲を掻き分け、髭をたなびかせながら、天へと昇る構図だった。鱗の一つ一つが鮮やかに色を注がれており、腸のようにうねる胴体がまんべんなく彼女の背を覆っていた。目は威圧的にこちらを睨み、そこには禍々しい意志が込められているようだった。
 佳織は息を呑んだ。そして、このような運命を十四にして背負わなければならない彼女を憐れんだ。
 おそらく彼女はもう、日の当たる世界で暮らすことは難しいだろう。それを思うと、胸が痛んだ。何とかしてやりたい。力になりたい。そんな思いが、腹の底から沸々と湧きあがってきた。
「どうされますか」
「この子を養子としてください。お願いします」
 佳織の判断には迷いがなかった。職員はそんな佳織の真剣さに打たれて、ふたたび深くうなずいた。

3ヶ月前 No.2

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第三話 暴

 佳織のもとに来た子は遥香といった。
 遥香はとても整った顔立ちをしていた。あどけなさの中に、芯の強さの窺える顔立ちだった。目は吊り目気味で、いつも口はきつく結ばれていた。鼻の筋はしっかりと通っていた。黒い長髪は動く度にさらさらと揺れた。
 遥香は徹底して無表情だった。まるで世界を虚ろに見ているかのような据わった目で、にこりと笑うこともなかった。
 佳織はそんな遥香をはじめ心配し、その心配はやがて義務感へと変わっていった。この子をちゃんと幸せにしなくちゃ、という義務感だ。それが、この子の養母としての責任だと佳織は思った。
 それはおよそ親が子に抱く素朴な愛情といったものとはかけ離れていたが、佳織はそれに気づくことがなかった。ただ佳織は、義務感のみから、遥香を大切にしようと思っていた。だからそれは、親子の関係ではなく、養母と養子の関係でしかなかった。

 ある夜のことだった。
 遥香はその日も一日中、絵を描いて過ごしていた。
 そこに出かけていた佳織が帰ってきた。佳織の手にはブランドのロゴが入った袋があった。それを佳織はソファに置き、家着に着替えたり化粧を落とした後、ふたたびその袋を手に取り、中から白のカーディガンをとり出した。
「ほら、遥香。これ、あなたによく似合うと思って」
 そう言って佳織は、遠巻きにそれを遥香の体にあてがい、ほほ笑んだ。
 しかし遥香は、その方をちらりと見るだけで、あまり興味なさそうにふたたび絵を描くのに取り組み始めた。
「ほら、あなた、お洒落にあまり興味ないでしょ。だから、ちょっとこの服着てもらって、お洒落に目ざめてもらおうかなーって」
 そう言って佳織は遥香に歩み寄り、はい、とその服を差し出した。
 しかし遥香は、その方を見向きもせず、ずっと絵を描くのに集中していた。
「ほら、ちょっと、持ってみてよ」
 佳織は強引に、絵を描いている遥香の手を取り、服を握らせた。
 そのときだった。
 遥香は佳織のもとへ来てからはじめて、表情らしきものを見せた。しかしそれは笑顔やはにかみのような微笑ましいものではなく、憎悪にあふれ返った、この世のものとは思えないしかめっ面だった。
 遥香の目は薄く開いて、そこに鈍い光が射し、くちびるは歯茎が見えるほどひきつり、眉間にはぎゅっと皺が寄った。
 そして遥香は、その服を勢いよく叩き落とした。
 彼女は獣のような声で唸り、佳織を睨みつけた。

 佳織は勢いで尻もちをつき、憎悪に満ちた遥香の表情を見上げる形となった。
 それを見て佳織は、心臓が縮み上がるほど驚いてしまった。佳織は軽いパニック状態になった。何も考えられなくなった。
 ひとまず、深呼吸し、佳織は体勢を立て直して立ち上がると、仰々しく服の裾を払う素振りをして気持ちを落ち着かせた。
 依然として傍らには、遥香が憎しみを露わに、突っ立っていた。
「わかったわ、私の勝手につき合わせてごめんなさい。いいから、座って」
 しかし遥香はまったく座る気配を見せない。
「いいから! 座りなさい!」
 佳織は声を荒げて、遥香に怒鳴った。
 すると遥香はまた、低く唸って、佳織を睨んだ。相変わらず、座るそぶりは見せない。
 平手の頬を勢いよく打つ音が宙に響いた。
 佳織は遥香に手を挙げていた。それは佳織にとって、半ば無意識に近い行動だった。
 それで一層、唸り声を高める遥香に、もう一発、手が出た。
 そうするともう、勢いが止まらなくなって、もう一発、佳織は遥香の頬を叩いていた。「何度言ったらわかるの! 座りなさい!」
 そこでようやく、遥香は椅子に腰を下ろした。しかし依然として、獣のような唸りは止まない。
 佳織は怒りに震え、もう一発、叩いてやろうか、と遥香を睨んだ。もうそこには、義務のかけらもなく、ただ憎々しい存在が目のまえにあるだけだった。

3ヶ月前 No.3

逆八の字 @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

第四話 愛

 以来、たびたび佳織は遥香に手を挙げるようになった。頬をひっぱたいたり、跡が残るほどつねったり、頭を叩いたり、それらは次第に勢いを増していった。
 遥香はなすすべもなく、ただやられるままで、反抗したことは一度もなかった。ただ遥香は、表情に欠いた虚ろな瞳を、やるせなく佳織に向けるだけだった。
 しかしそんな瞳を向けるられことも、佳織にとっては憎らしかった。
 もちろん、佳織は自分がいけないことをしている自覚はある。しかしなぜ、こんなにも自分が暴力的になるのか、それがよくわからなかった。
 暴力を振るっているときは、何かのタガが外れて、歯車が暴走して回っているような感覚だった。こんなこと、やめたい、と思っているのに、歯車が回転し、気がつけば手が出ている、という感じだった。
 次第に佳織は感覚がマヒし、打つときの激しさも増していった。勢いで転がる遥香のみぞおちを、ヒステリックを起こしながら何度も踏んづけるほどだった。
 だんだん佳織は、自分が自分ではなくなっていくみたいな感覚に襲われた。そしてそれをすべて遥香のせいにした。それで暴力はエスカレートしていくのだった。

 それでも遥香は耐えた。遥香は絵を描くことで夢の世界に没頭し、ひりひりするような現実から目を逸らすのに精いっぱいだった。
 どっちにしろ、自分にはもう、行く場所はない。私はあの人に為されるがまま。おもちゃのような存在なのだ。そんな自虐的な思いが、遥香の主体性をどんどんむしばんでゆくのだった。

 ある夜、遥香は不思議な夢を見た。
 遥香は海の真ん中にいた。板に乗り、波に揺られて、仰向けになって寝ていた。それは日ざしの心地よい昼間で、遥香は夢のなかでも、うとうとしていた。
 するといきなり海面が盛り上がり、遥香はそれに揺られて落ちそうになった。激しい揺れと水しぶきに耐えるように板にしがみついていると、やがて視界が開け、目の前に大きなクジラが現れた。
 クジラが何か言ったが、遥香にはそれが聞きとれなかった。それでもクジラは懸命に、遥香に何か訴えようとしている。その熱意が伝わってきたので、遥香も懸命に耳を傾ける。
 すると急に、クジラは泣きだした。聞いたこともないような悲しい色の声で泣きだした。
 そしてクジラは口を大きく開けて、海水を呑みはじめた。
 まずい、このままでは自分はクジラに食べられてしまう。必死で海水の流れに逆らおうとしたけれど、努力虚しく、遥香はクジラに呑まれてしまった。
 遥香はクジラの体内で、暖かな光に包まれていた。それは眩しくて、目も開けられないくらいだけれど、不思議と柔らかくて心地よい光だった。遥香はまた、その光に包まれながら、うとうとするのだった。

 勢いよくガラスの割れる音がして、遥香は目を覚ました。
 しかしまだ、夢見心地だった遥香は、依然として暖かい光に包まれているような心地で、また眠りに入ろうとした。
 しかし二度めのガラスの破砕音で、遥香は完全に現実に連れもどされた。
 なんだろう、キッチンの方で音がしたな、と遥香は耳を澄ましたが、沈黙だけが重く立ちこめている。
 遥香は布団から身を起こし、おそるおそるキッチンをのぞき込んだ。
 そこでは佳織が、ぼさぼさの頭を抱え、床にうずくまっていた。床には、お皿が粉々に割れた残骸が散らばっていた。
 遥香はゆっくりと佳織に近づいた。
「来ないで!」
 佳織は激しく叫んだ。
 遥香はまた打たれると思った。
 でも佳織はうずくまったままだった。
 やがて、しくしくと泣く声が、うずくまる佳織の体から聞こえてきた。
 遥香はどうしていいかわからず、その場にしゃがみ込んで、佳織を見つめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 佳織はしきりに、声にならない声で、そう呟いていた。

 本当はこんなはずではなかったのに、と佳織は何度も自分を責めていた。自分では振るうつもりがなくても、つい遥香に暴力を振るってしまう。佳織はそんな自分が嫌いになる一方だった。
 私は母親失格だ。もともと、そんな器ではなかったのだ。それなのに、この子の境遇を憐れんで、変に義務感に駆られて、この子をもらってしまった。それがいちばん、この子のためになると思っていた。しかし現実は逆だった。誰よりもこの子を苦しめるのが、自分だったなんて。自分がこんなにも恐ろしい悪魔だったなんて。もう嫌だ。やり直したい。自分には、この子を愛する資格なんてなかったのだ。
 そんな思いに駆られ、佳織はもう発狂寸前だった。

「ママ」

 はっとして佳織が顔を上げると、そこには心配そうに見つめる遥香の姿があった。
「ママ」
 たしかに、遥香は佳織にそう呼びかけていた。今まで、一度も喋ったことのない遥香が、喋ったのだ。え、と佳織は自分の耳を疑った。
「ママ」
 たしかに、遥香は喋っていた。しかも、ママ、と。
 そして遥香は、心配そうに佳織の顔をのぞき込み、うずくまる彼女の手を取って、やさしく撫でた。どこか怪我はないかと探すように。
「大丈夫だよ、遥香。ごめんね」
 遥香はかぶりを振った。
 佳織はその場で遥香を抱き寄せた。そしてぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね、遥香。もっと早く、こうしてあげればよかったのよ。私が愚かで、ごめんね」
 遥香は、くすぐったいような、不思議な気持ちに包まれていた。
「遥香、これはね、今まで私が注げなかった分の愛情」
 そう言って佳織はきつく遥香を抱き締めた。
「それで次はね、あなたが注がれてこなかった分の、たくさんの、たくさんの愛情よ」
 そして今度は、もっときつく、慈しんで遥香を抱き締めた。
 温かい、と遥香は思った。人って、こんなに温かいんだ、と。
「これからは心を改めるから、本当にごめんね」
 遥香は静かにうなずいた。

――完――

3ヶ月前 No.4
ページ: 1

 
 
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