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Utopia of the underground world

 ( 小説投稿城 )
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すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

理想郷を求める者は、どんなに時が流れようと絶えることはない。


天をも穿たんとする霊峰の下、ずっとずっと下に、“それ”は存在した。密やかに窪んだ洞窟を通り抜けて、暗闇の中を進んで、道が続く限り足を進めて行けば、やがて古ぼけた扉の前にたどり着く。
其処には左右に獅子の銅像が設けられ、彼らのお眼鏡に敵えば扉は開き、彼らに認められなくば目の前の生き物は一瞬でその生を奪われるという。門番たる獅子が見定めるのは来訪者の経歴だとも、内面的なものであるとも噂されるが彼らは何も語らない。だからこそ、人は其処で躊躇うのだ。もしかしたら殺されてしまうのではないか、扉を開けてもらえないのではないのだろうか、と。
それは所謂試練なのだろう。人間とは試練を課される生き物である。否、生き物であれば誰しも試練を与えられるのだろう。それを乗り越えられなければ切り捨てられ、見事乗り越えることができたのなら彼らの望むものが手に入る。その摂理は太古の昔から変わることはなく、人が生まれ落ちてから幾度となく試練は与えられ続けた。これも過去に与えられた幾つもの前例に倣っているのだろう。
そういった訳で、無事に扉が開かれたのなら、その先にあるのは人の世を捨てたことさえ喜ばしく感じられるほどの、地底に創られた理想的な国家なのだという。二度と空を見ることが出来なくなっても構わないと思えるほどの場所。すなわち其処は理想郷。
安寧を、享楽を、もしくは前者以外の何かを求めて其処を目指す者は、口を揃えて皆こう言うのだ。


其の地の名はシャルヴァ。
地の底に在りし、神代を模した理想郷、と。

メモ2018/10/17 18:36 : すずり☆uVgy9R1pZdc @suzuri0213★Android-ti0IvmfI1e

【第1幕:さらば青空、向かうは地底】>>1-5

【幕間:シャルヴァなる地】>>6

【第2幕:王子の帰還】>>7-12

【第3幕:集落の営み】>>13-19

【幕間:焔が抱くは夢幻】>>20

【第4幕:本の杜への誘い】>>22-29

【第5幕:輪廻の忌み子と王子の記憶】>>30-34

【第6幕:緑纏う者たち】>>35-42

【第7幕:守り手の導き】>>43-47

【第8幕:神蛇の窖へ】>>48-52

【第9幕:旧き者たちの戦い】>>53-58

【第10幕:選定の儀】>>59-64

【第11幕:転機の訪れ】>>65-71

【第12幕:忌み子の憧憬】>>72-75

【幕間:其の日、彼女は生を求めた】>>76

【第13幕:王宮勤めの始まり】>>77-83

【第14幕:受難と薬師と可笑しな羅刹】>>84-92

【第15幕:雑色三人衆、初めてのお使い】>>93-97

【第16幕:離宮の住人】>>98-103

【第17幕:市場での再会】>>104-108

【第18幕:其は単なる波乱に非ず】>>109-114

【幕間:視えるが故の横恋慕】>>115

【第19幕:賽は既に投げられた】>>116-120

【第20幕:邂逅は偶然か、或いは必然か】>>121-

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すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

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3ヶ月前 No.1

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3ヶ月前 No.2

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3ヶ月前 No.3

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3ヶ月前 No.4

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3ヶ月前 No.5

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【幕間:シャルヴァなる地】


日の目を見ながら暮らす人々は、必ずこう言ったものだった。

━━━━シャルヴァ、それは地底に築かれた理想郷。五大の恩恵を受けし神代の都。其処に行けば、地上で味わうような苦しみは二度とない、と。

だがしかしそれは全くの虚偽である。シャルヴァの中は地上と然程変わりない。数十年前までは幾つもの小国が連なっており、各々の国ごとに内政は異なっていた。ある国は善政を敷いていたかもしれないし、またある国は圧政を敷いていたかもしれない。今となっては詮無きことだが、その辺りがどうだったのか、知りたいと思わない訳ではない。
ただ、最終的に残ったのは二つの大きな国だった。シャルヴァの東側を領地としたアーカム国と、西側を領地としたティヴェラ国。どちらの国も長き時を駆け抜けてきただけの技量は持ち合わせていた。だからこそ、小競り合いはあっても大々的にぶつかることなどほとんどなかった。このシャルヴァでは力なき民よりももともとシャルヴァの生まれの者に多い神代の名残とも言える戦闘力を持った人間を兵士として扱う風習がある。そのため民が徴兵されることはなく、戦争といっても民にはあまり実感のないものだった。いざとなれば強国に逃げれば良いし、たいていの力なき民はたとえ敵国の者であれ恭順の意を示したのなら受け入れてもらえるようになっている。実際に戦争らしい戦争というのはほとんど起こることはなく、民の減少に国家が立ち行かなくなり、その国の王族が強国に降伏する形が多かった。無辜の民の殺戮などなく、最終的には平和的に解決する。まさに理想郷と、何も知らない民は謳ったものだ。


━━━━だが、それが通じたのはあくまでも10年前までの話。


10年前、突如ティヴェラ国はアーカム国に戦争を仕掛けた。何の前触れもなく軍を挙げたティヴェラ国と、戦争が勃発するなど予期していなったアーカム国。アーカム国の領土は日に日に蹂躙されていった。如何に国土が広かろうと、アーカム国が慌てて軍を挙げようとも、戦力差が埋まることはなかった。挙げ句の果てには出陣した王と何人もの王子が討ち死にしてアーカム国軍は内部から瓦解していったというのだから本末転倒だ。
王宮に残っていた妃や王女たちも、その後王宮に進軍してきたティヴェラ国軍によって殺害された。一説には、ティヴェラ国軍の兵士たちが駆けつけた頃にはもう王族はほとんど死亡しており、瀕死の者が殺してくれと嘆願していたという話も聞く。大方、王族のうちの誰かが狂乱したのだろうと噂されているが、真偽は定かではない。王族全員分の遺体がなかったことから外界落ち━━━━シャルヴァから地上世界へと逃げたのではないかとまことしやかに囁かれているが、これもあくまで仮説に過ぎない。アーカム国の王族が滅亡するはずがないと信じたい人間によるものなのだろう。
こうしてシャルヴァの地はティヴェラ国によって統一された。とはいってもアーカム国の領土であったシャルヴァの東部は捨て置かれたにも等しい。今もこうして限られた地域でのみ商業を許され、廃れ、寂れた地で細々と故郷を捨てきれなかった人間が生活しているのみだ。

だからあえてこう言おう。シャルヴァが地底に創られた理想郷などという話は真っ赤な嘘である。シャルヴァというのは、むしろ地上よりも醜悪な地獄に過ぎないのだから。

3ヶ月前 No.6

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

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3ヶ月前 No.7

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

馬車の持ち主である青年はノルディウスと名乗った。シャルヴァの生まれではあるのだが、遠いご先祖様がどうやら西方の生まれだったらしくそっち系統の名前を付けられたのだという。彼によるとシャルヴァが存在するのは東はチベットから西は印度まで、つまりヒマラヤ山脈の真下にあるから、やはりそこら辺の文化が強いらしい。ノルディウス、という名前は少々堅苦しく本人としても居心地が悪いので、彼は周りに自分のことを愛称の“ノルド”と呼ばせているとのことだった。

「俺たちの住んでる東側はチベットに近いな。あんたらが入ったのは十中八九印度側だろうよ」
「待ってくれノルド。我は地理に詳しい訳ではないが、印度からチベットに行くのはさすがに無理があるのではないか?そんな、馬車で行くには気軽すぎやせぬか?」

事も無げに言ってのけるノルドではあったが、世間知らずなヴィアレでさえもそれには突っ込まざるを得なかった。チベットから印度の距離なんて、こんな荷馬車でなんとかなるものではない。たしかにシャルヴァには地上のような山々がないのでいくらか旅路を阻むものが減るのかもしれないが、それでも限度というものがあろう。
そんなヴィアレからの指摘に、ノルドは「まあ仕方ないわな」と苦笑いを浮かべる。

「にわかには信じられないかもしれんが、このシャルヴァには五大の力が未だに働いててな。ちょっと工夫さえしちまえば地上じゃ無理だと言われることだってけっこうさらっと出来るもんなんだ。それに俺たちの住んでる集落はあの市場からそう遠くないからな。飛ばしていけばすぐだぜ、すぐ」
「五大、とはなんなのだ?」
「その点については私から説明しましょう」

再びノルドに問いかけたヴィアレの言葉に被せるようにして、横でこれまで一言も発することなく静かに馬車に揺られていたエルトが口を開いた。

「シャルヴァはもともと神と人との関わり合いが強かった時代……すなわち神代において、この周辺で権勢を誇っていた国の王族が、隠居の場として開いたものです。そのため今では魔法やまやかしと呼ばれる力も同時に持ち込まれました。当時の王族は神々とも密接に繋がっていましたからね、それくらいのことは造作もなかったのですよ」

そしてエルトによると、五大というのは印度において発達した哲学における、あらゆる世界を構成しているとされる五つの要素のことだという。俗に言う地水火風の原理、其処に“空”と呼ばれる性質が加わったものがいわゆる五大と呼ばれるものである。
大地・地球を意味し、固い物、動きや変化に対して抵抗する性質を持つ地、流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質を持つ水、力強さ、情熱、何かをするための動機づけ、欲求などを表す火、成長、拡大、自由を表す風。これらに加えて、虚空、空間、天空を意味し、しばしば悟りの境地を表すこともある空。これらはあくまで地上では自然界を構成する要素として扱われるものだが、神代の力を絶やすことなく閉鎖的な存在を保ってきたシャルヴァでは、自然的にそれらの恩恵をある程度受けられるだけでなく時に個人の力として手にすることもできたという。

「シャルヴァで生まれた人間にはある程度五大に対する適性があるのですが、それはまだ人間の範疇での話です。個人の力として五大の力を手に入れた者は、その要素を元として人間離れした能力を得ることとなります。もっとも、そういった人間はたいていが要職に就いているものですから、そう身近な存在とは言えないかもしれませんがね」
「つまり、一部分だけに特化した魔法使いのようなものなのか?」
「そういうことになるな。シャルヴァで使われている馬車は、大体が風の適性を持つ職人が造ったものなんだ。だからこうやって地上の数倍の速さで進むことが出来るんだよ」

エルト及びノルドからの説明を聞いて、ヴィアレはまだしっくり来ない部分もあったがなんとなくは自分の示した疑問点について納得することができた。何はともあれ郷に入れば郷に従えという奴だ。シャルヴァの慣習や常識はこれから覚えていけば良い。とりあえず概要は理解できたので一段落だ。

「エルトは凄いな、シャルヴァのことならなんでも知っているのではないか?何も見ずに斯様な説明が出来るなんて只人の所業ではないぞ」
「……あなた、それは褒めているんですか?」
「まあまあ嬢ちゃん、ぴりぴりしなさんな。そっちの紅い嬢ちゃんはあんたのことを褒めてるんだろうよ。俺からしてみても此処まで調べ上げた奴なんてそうそういないからな。感心せずにはいられるかっての」
「……そういうものなのですかね。私にはわかりかねます」
「ははは、まあ考え方は人それぞれだ。嬢ちゃんが好きなように受け取ってくれて構わんさ。……ほら、見てみろ。あれが俺たちの集落だ」

片手で器用に手綱を操りながら、ノルドは前方を指差してみせた。ヴィアレは身を乗り出して注視し、興味なさげなエルトもちらと視線をノルドが指差した方向へと向ける。
見えたのは幾つもの簡素な日干し煉瓦の家々である。どれも小ぢんまりとしていて明らかに大きいものは見受けられず、村ではなくあくまで人が暮らすための集落であることが二人の目にも理解できた。段々と近づき行く集落にごくりと生唾を飲み込む音がノルドの耳に入ったが、彼はそれが誰のものかを察することはできなかった。

3ヶ月前 No.8

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

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3ヶ月前 No.9

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

一方その頃、エルトからチラシ配りの任務を命じられたヴィアレは一足先に広場に到着していた。というのも、皆手慣れた手付きで作業に従事しており、とてもじゃないがヴィアレが入る余地などなかったのである。とりあえず渡された分だけチラシを渡しては来たものの、はてさて人が来てくれるものか。別にヴィアレは呼ばれているわけでもなんでもないのだが、他にやることもないので広場に積み上げられた煉瓦の上に腰掛けて足をぶらぶらとさせていた。やることがない時間ほど暇なものはないが、生まれてから閉鎖的な空間で過ごしてきたヴィアレにとって新天地というものは暇さえ感じさせない魅力に溢れている。そのため不思議と退屈を感じることはなく、ヴィアレは天上の曼荼羅を眺めていた。地底だというのに明るいのは、この曼荼羅がうっすらと光っているからなのだろう。しかも時間が経つにつれて光の強度も変化しているらしく、シャルヴァに入ったときよりも光が弱まっているように思えた。

「……まるで太陽だなぁ」

ぽつり。そんな風に呟いたヴィアレの言葉に反応するかのように、目の前に積み上げられていた別の煉瓦の山からかたりと小さな音が聞こえた。思わずヴィアレはそちらに視線を向ける。

「あ……そなたは」
「……!」

積み上げられた煉瓦の後ろに隠れてひょこりと顔を出していたのは、市場で出会ったあの少女だった。先程のエルトとのやり取りを知らないヴィアレは、彼女の姿を見つけるとにこりと笑顔を浮かべる。しかし少女は表情を強張らせたままヴィアレを睨み付けるばかりだ。彼女からしてみればヴィアレもあの恐ろしい女装男の仲間のようなものなのだろう。大方エルトから何かされるのではないかと不安になって急いで広場に向かってきた、といったところだろうか。にこにこしながら近付いてくるヴィアレを前にして緊張の色を濃くしていくばかりである。

「そなたと会うのもさっきぶりだな!何故斯様なところに縮こまっておるのだ?良ければ我と話そうではないか!」
「…………そ、そういうの、いいので……」
「遠慮するな、少しくらい良いではないか!ほれ、近う寄るが良い!」
「ちょ……!?」

ぐいぐいと引っ張られて、少女は明らかに戸惑いの色を顔に示した。しかし彼女はなんだかんだで受け入れるエルトとは違い、抵抗をやめようとはしなかった。引っ張られているのとは反対方向に逃げようとしている。まるで綱引きでもしているかのような光景である。

「な、何故逃げるのだ!?我はただそなたと親睦を深めようとだな!」
「ふっ…………深めなくて良いですから!あなたはあの糞女装野郎とでも仲良くしてれば良いでしょ!」
「く、糞女装野郎!?なんだそれは!?」
「あなたの傍にいた死んだ魚みたいな目の煮卵みたいな色の肌をした踊り子じみた格好をしてた野郎ですよ!私に構ってる暇があったらあいつのところにでも行ってなさいよ!!」
「あー…………ナラカ?」

余程必死なのか、声を張り上げてなんとかヴィアレを引き剥がそうとしていた少女だったが、背後からかかった声にぴたりと彼女の動きという動きが止まった。そしてきりきりきり、と壊れかけたゼンマイ仕掛けの人形のように首がゆっくりと動いていく。

「……悪いな、取り込み中に……。今のことは忘れるからよ……」
「ふむ……ナラカ、お前でもそのような声を出せるではないか。見直したぞ?」
「リリア姐さん、たぶんそれ逆効果だぜ……」

ナラカと呼ばれた少女の視線の先にいたのはノルドと、彼に寄り添う妙齢の美女だった。黒髪を太腿辺りまで長く伸ばし、喪服のような黒い飾り気はないが品のあるドレスを纏っている。流麗な流し目は何処か揶揄るような余裕さえたたえ、口元に浮かんだ微笑も相まって大人の貫禄のようなものを感じさせる。踵の高い靴を履いているからか、ナラカと比べると随分と背が高かった。
ナラカはかあっと一気に頬に紅葉を散らし、もじもじしながら縮こまった。先程までの威勢は遥か彼方に飛んで行ってしまったらしい。この変貌ぶりにはヴィアレも驚いて、つい彼女から手を離してしまった。

「な……ど……どうして、此処に……」
「そこの嬢ちゃんから渡されたチラシを読んだんだよ。リリア姐さんも同じでな、ついでだからいっしょに来たって訳さ」
「リリアさんも……ですか……?」
「うむ。意外だったか?それとも妾が表に出てはいけなかったか、ナラカ」
「いえ……決して、そのようなことは……」

つ、と何処と無く艶かしい仕草でリリアと呼ばれた美女はナラカの頤に指をかける。ナラカはしどろもどろになりながらすすすとさりげなく後退した。リリアのこういった行動にはある程度慣れているらしい。本人もナラカをこれ以上弄ることはなく、ヴィアレの方へと視線を向けた。

「其処のお前、名を何と云う?」
「我か?」
「お前以外いなかろう、紅い童よ。渡すだけ渡して留まらぬものだからな、名を聞きそびれてしまったではないか」
「そうか、そういうことだったのならすまなかった。我はヴィアレ、つい先程シャルヴァにやって来た。よろしく頼むぞ、リリア」
「ふふ、妾に名乗らせぬと申すか。なかなかに肝の座った童よな」

ちゃっかり名前を覚えているヴィアレに、リリアは言葉とは裏腹に満更でもなさそうな微笑みを浮かべた。妖艶に見えた表情も、よくよく見てみればヴィアレの言動を微笑ましそうに見ているようにも感じられる。艶やかさの中に垣間見える謎の母性といったところだろうか。
そんなやり取りをしていると、一人の連れを伴ってエルトが広場にやって来た。びくり、とナラカの肩が大きく震える。エルトは先程と同じ踊り子姿だった。そのため事情も何も知らないヴィアレはどうしてナラカはそこまでして驚くのだろうか、と微かな疑問を胸中に浮かべる。
そしてエルトが連れてきたのは彼よりも幾分か背の低い人物だった。真っ黒なローブを頭から羽織り、目元から下をまたしても黒い布で被っているのでいまいち性別だとか、顔立ちだとかがはっきりしない。しかし集落の人々はその人物を知っているらしく、特段驚くような素振りを見せる者はいなかった。

「皆さん、お待たせしました。お集まりいただいたところ恐縮ですが、此処で立ち話もなんですので、此方のアシェリム殿のお宅にてお話を進めたく思います」
「そういうことだ。故に皆、疲れているとは思うが一旦私の家まで移動してくれないかね?」

アシェリム、というらしい人物は声色からして男性だということがわかった。しかし男性にしては小柄……というか体型が小ぢんまりとし過ぎている。エルトと並ぶとそれがよくわかるし、ついでに言うと彼はリリアよりも小さかった。まあ突っ込むべきところではないのでこれ以上掘り下げないようにしようとヴィアレは内心で決めて、家へと歩いていくエルトとアシェリムを追いかけた。

3ヶ月前 No.10

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3ヶ月前 No.11

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

「……話が逸れましたが、それはさておき本題に入るとしましょうか」

ヴィアレの突然の性別暴露によって一時室内が騒然としたが、エルトが咳払いをしてなんとかこのおかしくなってしまった空気をもとのものへと戻した。先程まで「本当に男なのか」と詰め寄るノルドに証拠を見せてやると言わんばかりにまっ平らな胸を見せつけていたヴィアレは申し訳なさそうな顔をして正座している。さすがにあの主張の仕方は色々と問題があったと自覚しているのだろう。おかげでノルドは少し顔を青くさせており、リリアやアシェリムから憐れみの視線を向けられていた。

「確認ですが……皆様は、この者から手渡されたチラシを見て広場に集まった、という認識でよろしいでしょうか?」
「ああ、そうだとも。ノルド君とリリア君も同じかね?」
「うむ。とは言え妾はノルドのものを見て、だがな。直接貰ったわけではない」

エルトからの質問に対して、ナラカ以外の面々は揃って首を縦に振る。ナラカだけはぐっと唇を噛んで膝にかけた腕に力を込めた。自分は半ば脅されて来たのだ、と言ってはやりたいものの何をされるかわからないので怖いのだろう。ただただそっぽを向いて小さな抵抗に徹していた。
ちなみにヴィアレが配ったチラシには整った文字で『山羊の角譲ります』と記されており、その下に何やら判子のようなもので印が捺されていた。最初にヴィアレが見たときには山羊の角を欲しがる者なんているのか、と疑問に思ったものだ。まさか人が集まるとは考えてもみなかった。

「成る程、それならよろしい。では聞きますが、この中で山羊の角が欲しい方はいらっしゃいますか?」

一同の反応を見てから、エルトはそんな風に問いかけた。しかし誰もそういった意を示そうとはしない。ナラカは「……?」とこいつは何を言っているのだとでも言いたそうな表情でエルトを一瞥したが。

「……なぁ坊っちゃん。山羊の角ってのは、正直言って偽の知らせだろう?本当ならこの印……王家の押印に意味があるんじゃないのか」

つ、とノルドがチラシを手にしたままエルトに近付く。彼の顔には不敵な笑みが浮かび、そんな人間に迫られようものなら普通の人間は萎縮してしまうものと思われた。
だがエルトはそれに気圧されることはなく、むしろふっと口角を上げてみせた。そして懐をごそごそと漁ると、金色に光る小さな判子を取り出す。素人目から見てもそれが一般人の持つべきものではないことがわかるくらいの輝きを放つ一品に、その場にいる誰もが息を飲んだ。

「大当たりですよ、ノルディウス殿。山羊の角など私は持っていません。本来の目的はまた別のところにあるのです」
「……して、君の本来の目的とは何なのだね?」

唯一見える目を細めて、探るようにアシェリムが問いかける。それはヴィアレも、ノルドもリリアも知りたいところだった。ナラカは相変わらず目を逸らしていたのでどうだかわからなかったが、この場にいる以上関わらなければならないことは確かだった。
エルトは判子を弄んでいた手をぴたりと止めて一同に向き直った。その真っ黒な瞳に感情が映ることはない。何を考えているのかもわからない、まるで深淵をそのまま体現したかのような瞳は見た者を射竦めるほどの力を持っていた。それだけの威圧感を込めてエルトは此方を見つめたのである。


「10年前に我が故郷アーカムを滅ぼした、ティヴェラ国への報復ですよ」


エルトの口調はぽつりと呟くようなものであった。しん、と室内が静寂に包まれる。荷馬車の中でエルトから話を聞いていたのでヴィアレも概要はわかっていた。やけに詳しいとは思っていたが、まさかエルトがその滅ぼされたアーカム国の出身だったとは。ごくり、と生唾を飲み込むヴィアレには見向きもせず、淡々とエルトは続ける。

「我が名はエルティリナ。アーカム国の第八王子の位を有していた者です。此度はティヴェラ国への報復に当たり、外界よりこのシャルヴァに舞い戻った所存にございます」
「……ふむ、アーカム国の王族が外界落ちしていたという噂は真だったか」

顎に手を遣りながら、感慨深そうにリリアがエルトを見やる。しかしヴィアレとしては疑問点が幾つかあった。

「ノルドよ、外界落ちとはなんなのだ?」
「嗚呼、このシャルヴァから外の……地上世界に出ることを外界落ちというんだ。尤も、理想郷たるシャルヴァから出ようなんて思う人間はほとんどいなくてな。たいていは複雑な事情を抱えた奴だよ」
「地上に行くのに落ちるのか?」
「それは言葉の綾って奴だろ」

細かいところはまだよくわからないヴィアレだったが、とにもかくにもエルトはもともとシャルヴァの出身で、10年前の戦争により外界落ちせざるを得なくなった王族であるということは理解できた。王族と聞くと普通は萎縮してしまったりそれなりの敬意を表したりするものなのだろうが、そもそも階級やら何やらについて疎いヴィアレはいまいちその偉大さをわかっていないようだったが。

「私はこの地にて同胞を探し、報復を実行するつもりです。皆様を此処に集め、我が素性を明かしたのもそのために他なりません。━━━━力をお貸しいただけますか」

一同を見据え、エルトはそう問いかける。きっぱりと、然れど何処か探るような口調。それは単に彼の思慮深さと自信が相反してのものなのだろう。遠慮する気持ちがないわけではないがエルトには人よりも強い自信がある。これらはそれゆえの言動であろう。
何も言うことなく、まずはノルドが立ち上がった。次いでリリア、アシェリムも腰を上げ、エルトのもとへと近付いていく。そして相対する形となったエルトとノルドだったが、数秒間の沈黙の後にノルドが口を開いた。

「いいぜ、王子様。俺たちはこれからあんたに着いていく。俺たちも故郷を奪われた身だ。折角の機会だ、生きているうちにやれるだけのことはやっておかなきゃな」
「ノルディウス殿……。……しかし、その、王子様、というのは……」
「わかってるよ。外ではあんたのことを新入りとして扱う。そのための女装なんだろ?」
「……はい。ありがとうございます」

目を臥せ、薄く微笑むエルトに、ノルドもにかっと歯を見せて笑う。アシェリムも心なしか微かに目を細めているかのように思えた。円満な雰囲気がその場に流れ、ヴィアレも「勿論我も手伝うぞ!」と元気よく宣言する。こういった雰囲気も悪くない。誰かと力を合わせて何かを成し遂げるなんて、素晴らしいことこの上ないではないか━━━━。報復の意味合いをよくわかっていないヴィアレは、そんな風にこれから行く先を前向きに考えていた。……考えていた、のだが。

「……ナラカ。お前はどうするのだ?」
「…………あ、わた、しは……」

リリアがナラカにそんな質問を振ったために、一同の視線という視線が一瞬でナラカに突き刺さった。これまで部屋の隅っこで何も話さず我関せずといった風でやり過ごしてきたナラカだったが、さすがに最後までそうはいかなかったようだ。合計十個の目から放たれる視線に、口をもごもごとさせながら彼女は目を泳がせる。そして俯きながら、やっとのことで喉から声を絞り出した。

「私、も……皆さんに、協力したい……です」
「よっしゃ、じゃあ決まりだな!もうすぐ炊き出しの時間だし、キリよく終わって良かったぜ」

バシバシとノルドがナラカの背中を叩くのは友好的な理由なのだろうが、ナラカは顔を下に向けたまま何も言うことはなかった。皆がやんややんやと賑々しく騒いでいる間に、ナラカはふらふらしながらアシェリムの家を出ていってしまった。仲間を得たことに湧くノルドや、彼と話をしているヴィアレやアシェリムは彼女に気づくこともない。リリアだけはそんなナラカの様子に気づいたのだろうか、彼女がいた場所に目を向けたが、既にナラカが去っていった後であった。

3ヶ月前 No.12

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3ヶ月前 No.13

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

一方エルトはというと、リリアに連れられて調理班として活動していた。女装しているということもあってか集落の女性たちは比較的気さくに接してくる。芋の芽を包丁で取り除きながらエルトは小さく溜め息を吐いた。

(出来ることなら、必要最低限の人物としか話したくはないのに)

必要のない話、つまり雑談というものがエルトは苦手だった。そんな無駄なことをしているよりも、もっと有意義な時間の使い方というものがあるのではないか。人付き合いが大切でないとは言わないが、表面上だけの関係を構築することに何の意味があるのか。エルトはそう思えてならない。だから黙々と作業に徹することにしたのだ。真面目に作業をしていれば自然と話しかけづらい雰囲気が生まれる。そうすれば業務連絡以外で声をかけられることもなかろう、と。
しかしそんな風に考えていると、なぜだか自分がひどく惨めに思えてならなくなってしまう。なんだかんだと言ってはいるが、本当は人との関わり合いが怖いだけではないのか。そんな声が自分の内側から聞こえてくるような気がするのだ。そんなことはないと言い聞かせてはいるが、エルトの胸の内が晴れる気配はない。むしろどんどん靄は広がっていく。ふるふると首を振ってから作業に従事するものの、エルトの気は収まる気配を見せることはない。むしろ悪化してきている気がする。苛立ちからなのか眉間に皺を寄せるエルトからは明らかに近寄りがたい空気が発せられていた。

「……っ……!」

ひゅ、と息を吸い込む音が聞こえる。思わず振り返ってみれば、其処には怯えた表情でそそくさと立ち去るナラカの姿があった。どうやら何かしらの作業をしに来たらしいが、エルトを見て逃げ出してしまったようだ。しばらく何も言わずにナラカの去っていった方向を見つめていたエルトの肩をぽんと叩いたのはリリアであった。

「お前があまりにも怖い顔をするものだから逃げられてしまったではないか。何があったかは知らぬが、そうぴりぴりとするものではないぞ?」
「……別に、大したことではありません」
「そうか?妾にはそうは見えぬがな」

くすくすと密やかに笑いながらも、リリアの目線はナラカが駆けていった方向へと向けられている。彼女の様子がそれほど気になるのだろうか。再び作業に戻りながら、エルトはなんとなしに口を開いた。

「……あのナラカという少女、何者なのですか?」
「どうした、藪から棒に。彼奴のことが気になるというのか?」
「それは此方の台詞ですよ。……ただ、同胞のことを知っておきたいと思いましてね」

エルトは決してナラカを同胞とは思っていないが、それでも彼女について知りたいというのは紛れもない本心である。ナラカは意図せずしてエルトの秘密を知ってしまったが故に無理矢理にこの計画に立ち入ることとなった、いわば予想外の不安要素なのである。見たところ他の集落の住民と気さくに話せるような人物ではなさそうだし、この計画の差し障りになるような能力の持ち主という訳でもなさげだ。しかし一応基本的な情報は掴んでおきたい。それゆえにエルトはリリアにそう問いかけたのだった。

「ナラカはシャルヴァの人間ではない。まあ詰まるところは外界から来たのだ。たしか極東の……日ノ本とかいうところから来たと言っていたな」
「日ノ本……。ああ、あの東の果ての島ですか。黄金がわんさと採れるとかいう」
「恐らくその日ノ本だろうよ。ナラカは半年前にこの集落の近くで倒れていた。それをノルドが見つけて集落まで運び込んだという訳だ。にわかに信じられぬ話だが、東の洞穴から此処まで歩いてきたようでな。我らも吃驚したものだった」
「……東の洞穴から此処まで、ですか?それはあり得ません、だって彼処からティヴェラの都までは、馬車を使っても一週間はかかるんですよ?それをあの少女が歩ききったなど信じられません」
「だが現にナラカは此処にいるのだ。初めは東の砦からの斥候かとも思うたが、どうもそうは見えぬ。今では皆火事場の馬鹿力でも出したのだろうと言うておる」
「……東の砦……とは?」

リリアから釘を刺されて一瞬エルトは口をつぐんだが、直後に聞き慣れぬ単語を耳にして彼女へと尋ねかける。

「嗚呼、お前は知らないのだな。アーカム国が滅んでから間もなくして、その王宮を改築してティヴェラ国が砦にしたのだ。大方旧アーカム領の民を見張るためであろうな。加えてあの砦が出来てからというもの、東の洞穴からやって来る者がいなくなった。減ったのではない、“いなくなった”のだ」
「それは……外部からの入国者を、砦の兵士が殺害しているということですか?」
「確信は持てぬがな。可能性としては入国者を兵士として雇っているという線もありえなくはないが、やはり始末されている方が現実味があるというもの。故にこそ、ナラカの存在は我々の中でも異質なのだ」

一通り話し終えると、リリアはふぅと一息吐いてからやっとエルトの顔を見つめた。睨み付けているような、それでいて何処かに不安を潜めているような、言葉で形容することが簡単ではない表情をしながら、リリアはエルトの真っ黒な瞳を見上げる。
エルトは何も言わなかった。ただ、無言で目線を逸らすことしか出来なかった。リリアの視線はどうしてか此方を咎めているようにも思えて仕方なかったのだ。「材料を運んできます」とだけ告げてから、エルトは芋を入れた笊を持ってリリアから逃れるようにその場を離れる。先程ナラカがしていたのと同じ行動をしていることが、エルトとしては腹立たしくてならなかった。

3ヶ月前 No.14

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「はぁ〜っ、手伝いというのは清々しいものなのだな!」

ふかした芋をもぐもぐ頬張りながら、ヴィアレは頬をゆるゆるに緩ませて相変わらずの大きい声でそう口にした。隣では同じように芋を貰ったは良いものの、食べないためかずっと懐紙に包んだまま手に持っているサヴィヤがそんなヴィアレを見守っている。この麗しい見た目なので謎の母性すら出せそうだ。ヴィアレがそのように思うことはきっとないのであろうが。

「それにしても、サヴィヤは色々なところを手伝っているのだな。集落の者たちにも顔が広くて驚いたぞ!」
「……まあ、そうだな。これが俺の趣味と言っても良いから、知り合いはそれなりにいる」
「お疲れ様、だな!我もサヴィヤと同じくらい有名になれるよう働かねば!」

ぐっ、と握りこぶしを作って見上げてくるヴィアレに、「皮が付いているぞ」とサヴィヤが口許を拭う。その姿はやはり兄弟、と言うよりは親らしいものを感じさせてしまうもので、ヴィアレも気恥ずかしいのかはにかんでいた。作り物めいた美貌の持ち主であるサヴィヤだが、やることはどうにも人間臭い。それでもわざとらしさや嫌みったらしさがないので不思議なものだ。
そんなサヴィヤとの話はヴィアレにとっても楽しいようで、まだ出会ってからそう時間も経っていないというのに二人は随分と打ち解けていた。人懐っこいヴィアレと、それを難なく受け止めてくれるサヴィヤは相性が良いのかもしれない。仲良く並んで歩きながら和気あいあいとしていた二人だったが、その空気にはそぐわない仏頂面が前方から歩いてきた。

「あっ、エルト!……どうしたのだ?」

初めは元気よく声をかけたヴィアレだが、エルトの纏う雰囲気に気圧されて遠慮するかのように彼の顔色を伺う。エルトはむすっとした表情のまま、「……いいえ」とだけ口にした。

「な、何かあったのか?」
「……何もありませんよ」
「明らかに何かあった風だが」
「……あなたは何なのです?」

恐る恐るといった様子で尋ねるヴィアレとは対照的に、遠慮のえの字もなく割り込んでくるサヴィヤにエルトはぎろりと鋭い視線を向ける。サヴィヤは数秒間じっとその真っ青な瞳でエルトを見つめていたが、何事もなかったかのように自己紹介を始めた。

「俺はサヴィヤという。先程このヴィアレと出会い、共に行動していたという訳だ。お前はヴィアレが言っていたエルトか?」
「……ええ、そうですが」
「そうか。ヴィアレからは随分とお人好しな人間だと聞いている。もしもこの集落のために何かをしてくれるというのなら俺も有り難い」

サヴィヤは全くの無表情で淡々と話すので、正直ヴィアレは気が気ではない。余計にエルトの機嫌が悪くなっているように見えて仕方がないのだ。サヴィヤにそんなつもりがないことはわかっている。しかしエルトの表情は明らかに良いものではない。ヴィアレは本人に会う前にエルトのことを話してしまった自分を悔いた。用心深いエルトのことだ、自分たちの計画が少しでも漏れることを恐れているのだろう。此処に来る前も念入りに口止めをされた。だからこそ安易に紹介などしたヴィアレに苛立っているのかもしれない。……まあ、エルトが苛立っているのにはまた別の理由もあったのだが、其処はヴィアレの知らぬこと。今は自分に責任があると思い込んでしまっている。

「それでは私たちは失礼します。……行きますよ、ヴィアレ」
「え、エルトっ!?」

口をへの字にしたエルトから唐突に腕を掴まれ、引き摺られるようにして引っ張られていくヴィアレ。姿はどうであれエルトは健康な青年なのだから、当然力もそれに見合ったものになる。そのためヴィアレはよたよたとしながら道すがらエルトに抗議する。

「な、何をするのだエルト!怒っておるのはわかるが、あのような去り方をせずともよかろう!」
「だから怒ってなどいません。私はただ、あの者の在り方が気に入らないだけです」
「在り方とはなんだ、サヴィヤの何が嫌だと言うのだ!?」

無理矢理に引っ張られたことが腹立たしいのか、ヴィアレの口調も何処と無く強気なものになっていた。そんな彼の言葉を聞き、エルトの足がぴたりと止まる。そしてきっ、と此方を振り返って思い切り睨み付けた。

「良いですか、彼奴はこの集落の……いえ、旧アーカム領に住んでいる人間ではありません。彼奴は外部からわざわざこの集落にやって来てはああいったことをしているのです」
「ひ、人助けをすることは良いことではないか」
「たしかにそうでしょうね。集落の方々も口々におっしゃっておられましたよ。『サヴィヤ殿のおかげで助かっている』とね。しかしそれは本当に純粋な善意から行われているものなのでしょうか。むしろ裏があると考えるしかないのではないですか?そうでなければ、このような寂れた場所に“理想郷”の方がいらっしゃる訳がないのですから」

吐き捨てるように、あまりにも苦々しそうに。悪意と敵意を込めながらエルトは棘をふんだんに交えて言葉を紡ぐ。これには眉をつり上げて抗議していたヴィアレもたじろぎ、明らかに圧されていることがわかる。

「それに、この東部地域に入ることの出来る人間というのは限られています。私たちのように隠密に此方へ潜入するならともかく、あの男は恐らく合法的な手段で此処に来ている。そうなると、彼奴はかなりの富裕層か軍人ということになります。身なりからして後者の可能性の方が高いでしょうね。ですから、あのように軽々しく接して良い存在ではないのですよ」
「しかし……計画が露見した訳ではないのだ。普通に付き合っても、秘密さえ守れば差し支えはなかろう?」
「ふとした瞬間に勘づかれたらどうするのですか。この計画は他の住民にも知られていないのですよ。先に外部の人間に知られたらどうなるか、あなたならわかるでしょう」
「……まあ、警戒せねばならぬのは、我もわかっているぞ」

間髪を入れさせないエルトの猛攻に、さすがのヴィアレも手を上げた。眉尻を下げて視線を下に向けながらもにょもにょと口の中のみに抑えながら話すヴィアレに、エルトは「それならよろしい」とだけ告げてすたすた去っていった。なんとも言えない雰囲気にヴィアレは彼を追いかけることも出来ず、何とはなしに握っていたままだったふかし芋を一口かじった。

3ヶ月前 No.15

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炊き出しに湧く広場から少し離れたところにある木の傍。其処にしゃがみこみながら、ナラカは唇を悔しげに噛んでいた。その理由は言わずもがな、広場でエルトの姿を見て逃げてしまったことにある。
脅されて半ば強引にあのティヴェラ国への報復計画に加わることになってしまったということもあるが、ナラカは何よりもエルトから逃げることしか出来ない自分にいちばん苛立っていた。たしかに不運なことにも偶然に偶然が重なってエルトの秘密を目にしてしまったが、あれは脅される前になんとか出来たのではないか。いくらでも対処する方法はあった。それなのに恐怖に震えるばかりで、エルトの思うがままに事は進んでしまった。しかも信じられないのはエルトの計画に皆納得しているということだ。

(……たしかに、皆はティヴェラ国から酷い仕打ちを受けたのかもしれない。けど報復って、平たく言えば復讐ってことじゃない)

ナラカはシャルヴァの生まれではないので、10年前の戦争については未だにわからない点も少なくはない。それに誰かに聞くのはなんだか申し訳ないのと、出来るだけ人と話したくないということもあってそもそも集落の住民と関わる機会自体が少なかった。それでもノルドを初めとして集落の住民たちはナラカに良くしてくれた。手助けをしてくれた。あれほど自分たちを避けている余所者に対して肯定的でいられる人々だというのに、どうして笑顔で報復に乗り気でいられるのか。それがナラカには理解出来なかった。あのヴィアレとかいう馴れ馴れしい少年はよくわかっていないような節もあるのでなんとも言い難いが、それでもノルドやリリアやアシェリムが異議ありと言わないことがわからない。そこまでしてティヴェラ国に報復したいのか。報復、なんていう曖昧な目標だけで良いのか。

「どうせなら国でも興せば良いのに。無計画なままじゃあ自滅するだけだ」

はっ、と鼻で笑ってみるものの、それをエルト本人に対してナラカが言えるわけではない。だから誰もいないところでこうやって吐き出していくしかないのだ。ナラカは独り言が多い。それは自分でもわかっていることだし、改善しなくてはならないとも思っているのだが、もはや癖のようになってしまっているのか自然と口をついて出てきてしまう。その癖相手と対すると途端に口が回らなくなるから困り者だ。

「あんな奴、一人で突っ走ってティヴェラの兵士にでも捕まってしまえば良いんだ。こっちの事情も何も知らないで勝手に巻き込みやがって」

人と話すときには緊張と相手の機嫌を損ねないためにと丁寧な口調を心がけているナラカではあるが、その実本心を口にするとやけに言葉が汚いものになる。だからこそ聞かれたくないし聞かせるつもりもない。ただ下を向いて、ぶつぶつ吐き捨てて、それで苛立ちを鎮めるだけのことだ。そうしていかないとこの場所ではやっていけないし、あのいけ好かないエルトにも冷ややかな視線を向けられそうだった。それだけはなんとしてでも避けたい。というか、あわよくばエルトに何処かでへまをして欲しい。他人の不幸を願うことが良いことではないとナラカも理解しているが、そうすることしか彼女には出来なかった。

「すかした面しやがって、あのくそったれめ。そのうち雷にでも撃たれちまえ」
「此処に雷が落ちるなんてことはそうそうないぞ」
「ぐ、たしかにそれはそうだけど…………っ、ひぃっ!?」

誰に聞かせるでもない独り言へと返ってきた正論に、つい言い返そうとしてナラカはこの言葉を誰かに聞かれていたということに気づいて悲鳴を上げた。ついでに思い切り尻餅をついた。じわじわと痛む腰と臀部に顔をしかめていると視界に驚くほど真っ白な手が映り込んでくる。

「……大丈夫か?」

見上げた先、目の前で自分に向かって手を差し伸べてくれている青年の美しさに、ナラカは言葉を失った。もともと人付き合い自体を拒んできたナラカなので、突然現れた美の結晶に呆然としている。彼女の脳内で幾度となく世界が滅びそして再生した。それだけの威力だったのだろう。

「……?どうかしたのか?顔色が良くないぞ」
「いっ、いえ、綺麗だったのでつい」
「…………え」

心配そうにナラカの顔を覗き込んできた美男子━━━━サヴィヤだが、かえってそれは逆効果といっても良かった。焦りと気恥ずかしさで顔を背けながらついナラカの口から出てきてしまった言葉は良くも悪くも素直なもので、これにはサヴィヤもきょとんとする。目を見開いて此方を見つめてくるサヴィヤに、ナラカもようやっと自分の発言がどれだけ衝撃的なものかを理解した。

「あ、いや、これはですね!ちっ、違うんです、私、私は……!その、えっと……!」
「…………俺は、綺麗なのか?」
「それはもう!!」

必死に誤魔化そうとするナラカだったが、サヴィヤからの問いかけには即答であった。サヴィヤは「……そうなのか……」と呟いて自分の頬をむにむに弄っている。何と言って良いのかわからず膝を抱えてうつむいているナラカの隣に腰掛けて、サヴィヤは何処と無く目を輝かせながら彼女に声をかける。

「面と向かって綺麗と言われたのは初めてだ。なんだか面映ゆいものだな」
「…………そうですか……」

この美貌でこれまで綺麗だと讃えられたことがなかったという話が真実ならば、彼の周りの人物は余程見る目がなかったか変わった嗜好をお持ちだったのだろうとナラカは推測する。彼女としては早く立ち去ってほしかったが、サヴィヤにその様子はない。というかずっと此方を見てくる。居心地の悪さを感じたナラカはそっぽを向きながらサヴィヤへと尋ねる。

「……行かなくて良いのですか」
「……何処にだ?」
「広場、とか……その、炊き出しをしていますから。私に構っていたら、食べ物がなくなってしまいますよ」
「それなら問題はない。先程行ってきたからな。……それよりも、だ。俺はお前と話がしたい。少し付き合ってはくれまいか」

こてん、と首をかしげるサヴィヤの姿は何処か幼さというか、可愛らしさすら感じさせるほどのもので、不覚にもナラカの心の柔らかい部分にきゅんと来た。つまりはちょっとときめいてしまった。精緻な美貌は人を遠ざけることも有り得るが、こういう風に人間らしさのある言動に走られると途端に親近感を覚える。あわよくばお近づきになってみたいという思いが頭をもたげてくるのだ。ナラカもそんなサヴィヤの魅力が刺さってしまった訳で、無論彼の頼みを断ることは出来ずに首を縦に振ったのである。

3ヶ月前 No.16

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お互いに自己紹介をして名前を確認し合うと、サヴィヤは「……ふむ」と何か言いたげにその形の良い頤に右手を添えた。どのような格好をしてもやたらと絵になるから顔の良い人間というのは狡いとナラカは思う。今もまさにそんな気分だった。ただ、サヴィヤの顔立ちというのはあまりに人間離れしたものなので妬むにも妬めない。むしろ達観できるという点では良いものなのだろうか。

「ナラカ、お前はシャルヴァの出身ではないのだったな。何処から来たのだ?」
「……日ノ本、から」
「日ノ本か。東の果ての黄金の島だな。では今の外界がどうなっているかもわかるか?大まかにで構わん」
「今の外界……ですか。私も、よくわからないのですが……南蛮の国々が、こぞって東に乗り出しています。東の果てを通り越して、西に行ってしまった方もいらっしゃると聞きました。私の故国にも、伴天連の宣教師がやって来ているらしいです。見たことはないのですが」

サヴィヤからの質問に初めは戸惑っていたナラカだったが、話していくうちに舌がどんどん回り始めた。国の風景を思い出しては、あんなことがあった、こんなものを見たととりあえず口に出してみる。そのため話がまとまっているとは言い難いもので、ナラカ自身も話し下手な自分が恥ずかしくもあったが、サヴィヤはじっとナラカの話を聞いてくれていた。だからナラカも段々と楽しくなってきたのだ。この人は私の話を真摯に聞いてくれる、私が話しても良いんだという安心感からのものだろう。

「私の故郷は都に近くてですね、そっちの噂もたくさん聞こえてきたんです。たしか堺とかいう街では、南蛮人が熱心に商売をしているらしくて……。東洋のヴェニス、とか言われているみたいですよ」
「ヴェニス……嗚呼、水の都か。俺も話には聞いたことがある」
「とても賑わいのあるところだそうですよね。きっと良いところなのでしょう」
「……ナラカ」

表情を綻ばせながら話し続けていたナラカだったが、何の前触れもなくサヴィヤが唐突にその頬に手を伸ばした。細く、それでいて男性らしい硬さを併せ持った美しく、驚くほどに真っ白い手。陶磁器のようにひんやりと乾いたそれに頬を撫でられて、ナラカの肩がびくりと跳ねた。

「さ、サヴィヤさん……!?」

ナラカの顔はすぐに真っ赤に染まり、明らかにその声も上擦っていた。対するサヴィヤは全くの無表情というもので、よくよく見れば少し目を細めているようにも見える。何も言わず、サヴィヤの目がナラカを見据える。あまりにも真っ青なそれに、ナラカは吸い込まれそうな予感すらして━━━━。

むにゅ、と。

効果音にしてみればそんな感じだったかもしれない。むにゅむにゅ、ぷにぷにと。サヴィヤの手はナラカの頬を優しく弄っていた。ナラカは何度か瞬きをしてから、今自分が置かれている状況を理解する。

「……あの、サヴィヤさん。これは……?」
「…………」
「サヴィヤさん……」
「……!……すまない、少し夢中になっていた」

本当に熱中していたのか、サヴィヤは表情にこそ出さないが目を大きく見開いてナラカへと謝罪した。まあ彼に悪気とか下心がないのはナラカにもわかっていたし、そもそも自分のような人間に下心を抱ける者というのがいるかもわからなかったので特に気にしないことにする。触られるのが好きとは言えないが、悪い気はしなかったので良しとしよう。

「やはり笑った顔の方が良いものだな、うん」
「そ、それと私の頬に何の関係が……?」
「顔の筋肉を弛めようとしていたのだが……駄目だったか?」
「駄目…………では、ないですけど。その、無言は辛いです」
「成る程……無言は辛いのか。……そういえば、お前は先程まで浮かない顔をしていたが……。何か嫌なことでもあったのか?」

ナラカの言葉を反駁してから、サヴィヤは何処も飾ることなく普通の人間からしてみれば割りと聞きづらい類いの質問に出てきた。浮かない顔、というのはサヴィヤなりの気遣いなのだろう。彼が見たのは一人で涙を流しているナラカでも、物憂げな表情をしたナラカでもなく、愚痴やら不満やらを思いのままに地面にぶつけているナラカだったのだから。たいていは此処でドン引きして見なかったことにするのだろうが、サヴィヤにそのような様子はなく、むしろ近付いていった。そして相手の機嫌をそれなりに良くしてから質問に打って出たのだ。
ナラカ自身も自分の醜態を目撃されたことはわかっているので、ぐっと言葉に詰まってしまう。それにエルトからは固く口止めをされているので、もしあの計画の情報を少しでも漏らそうものなら自分がどんな目に遭うかという問題もある。しかしサヴィヤは見たところ変な気持ちは更々なくて、ただ“気になった”からこうして尋ねてきただけのように見える。

「……あの、サヴィヤさん。あなたは、ティヴェラ国をどう思いますか?」
「……ティヴェラ国を……?」

おずおずと、言葉に細心の注意を払いながら、ナラカはそんな質問を投げ掛けた。疑問を表情に出すサヴィヤの顔を見ずにナラカは続ける。

「私の周りには、ティヴェラ国を良く思わない方がたくさんいらっしゃるようです。私も最近知ったばかりなのでどうこう言える立場ではないし、それに外界の人間ですから、此処のことはよくわかりません。でも、なんだか身近な人の暗い部分を見つけてしまったみたいで、不安になってしまったんです。皆、ティヴェラ国に対して否定的なのかな、って」

ノルドやリリアから教えて貰ったのは最低限のシャルヴァの知識だけなので、正直に言ってナラカは10年前の戦争や、その時に滅んだアーカムという国のことはまだ掴みきれていない。そんな状態のままずっと過ごしてきたので、今日いきなりあのような事態に陥って混乱している自分がいる。ナラカが言いたいのはそういうことなのだろう。本当ならエルトにされたことを洗いざらい話してしまいたいところだが、彼からの制裁が怖いのでやめておくことにする。
サヴィヤは暫し目線をナラカから外すと、再び彼女に向き直った。

「俺は旧アーカム領の住民ではないから、とやかく言う権利はないかもしれない。だが、こうして此処に来ている以上、アーカムに思い入れはあるのだ。ティヴェラが憎い訳ではない。アーカムが滅ぼされたことは良いこととは思えんが、そういう流れだったのだろう。だからシャルヴァの統一に対して抵抗が有ったり、反乱を起こしたいと思ったりすることはない」
「……そう、なんですか」
「しかし、だ。人間は誰しも、何処かに暗い部分を持っている。お前の周りの人間はそれがティヴェラへの不満だったのかもしれない。それは致し方のないことなのだろうな。お前がそれを無理に知ったり、共感したりする必要はないが……理解したいというのなら、歩み寄るのも手かもしれん」

一気に答え終えると、サヴィヤはおもむろに立ち上がる。そしてナラカの手に何かをそっと握らせてから、その場を立ち去ろうとした。その背中に向かって、思わずナラカは身を乗り出した。

「サヴィヤさん、つ……次は、いつ、此処に来れますか!?」
「……次、か。そうだな、仕事が忙しくなければ一週間程後、かもしれない」
「あ、あの、あの……!もし、時間があったら、またお話ししても良いですか!?」

自分で言っておいて何だが、こういったことを誰かに言うのは初めてなもので、ナラカも内心で己が行動に驚いていた。サヴィヤは一瞬きょとんとしていたが、すぐにこくりとうなずいて、「嗚呼、また話そう」と微笑む。その返事がたまらなく嬉しくて、ナラカは思わず両手を握り締めそうになったが、サヴィヤから何かを手渡されていたことに気づいてはっと視線を両手に向ける。其処にあったのはサヴィヤが貰っていたふかし芋が包まれた懐紙である。バレた、とでも言わんばかりに眉尻を下げるサヴィヤに、ナラカはくしゃりと苦笑いを向けた。

3ヶ月前 No.17

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エルトと別れた後、ヴィアレは他の住民のところを手伝っていたが、やがて仕事らしい仕事も終わり皆のものよりも僅かに量が多目になった食事を貰うに至った。なんでも新しくやって来たというのにこれほどたくさんの部署を手伝ってくれた人間というのは珍しいという。少なくとも住民たちはヴィアレの仕事ぶりに感謝しているようだった。ヴィアレとしてはまだ働き足りないのだが、褒められるのは素直に嬉しい。そのためエルトとのやり取りもすっかり忘れたとまでは言わないがうきうきとした気分で食事にありついていた。ほくほくとしたふかし芋と豆と赤茄子の羮といった組み合わせはヴィアレにとって初めてのもので、今まで冷めた食事ばかりだったのもあってかぺろりと平らげてしまった。
ご馳走さまでしたの意味を込めてぱちんと手を合わせてから、ヴィアレは手元に残ったごみを片付けに行く。広場には共用の屑籠が設置されているので住民の多くは其処にごみを捨てているのだ。気分の良いヴィアレは、先に屑籠にごみを捨てていた者の背中を見つけてぱっと瞳を輝かせ、その人物の肩をパァン、と勢いよく叩いた。

「ナラカ!先程ぶりだな!」
「……!?」

突然のヴィアレからの挨拶(と言って良いのかわからないがヴィアレからしてみれば挨拶なのだろう)に、ナラカはわかりやすく驚きをその顔に映し出す。そして切れ長の目をややつり上げながらヴィアレを睨む。

「……何のご用ですか」
「姿を見つけたので挨拶をしようと思うてな。特に用らしい用ではないぞ」
「……私に話しかけて何が楽しいんです?」
「むぅ……言葉で形容するのは難しいものだな。我は生まれてからこれまでまともに人と話したり、関わったりという経験が皆無だったのだ。このシャルヴァに来てからの出会いは我からしてみればかけがえのないもの。故にそなたとまた再会出来たことが嬉しくてな。ほら、そなたはきっと我と年も近かろう?親近感、という奴を感じたのだ」

じっとりした視線を向けられたにも関わらず、ヴィアレは怯むことなくナラカからの皮肉とも言える質問に朗々と答えきって見せる。その言葉に嘘偽りがないことはわかる……というか目に見えすぎているのだが、元来ひねくれている上に後ろ向き、否定的、自虐的と三拍子揃っている人間ことナラカはずいっと綺麗な顔を近付けてくるヴィアレを「近い近い」と自分から遠ざけるように押し退ける。別にヴィアレのことが嫌いな訳でも、エルトのように怖がっている訳でもないナラカだが、この前向きというか、無垢すぎる少年はどうにも苦手だ。何というか、出会ってからの距離が近すぎる。これはどう見たって出会ってから一日の距離ではない。

「……あなた、なんであのガングロ女装男とつるんでるんです?」
「ガングロ女装男……?」
「エの人ですよ、エの人。あなたといっしょにいるあの人です」
「ああ、エルトのことか?」

どうあってもエルトの名前を呼びたくないナラカなのでヴィアレの理解力にはそれなりに感謝している。というか言葉の意味をいまいちわかってくれていないのも有り難い。告げ口をされたらそれこそ酷い目に遭いそうである。だったらもう少し柔らかい言い方にすれば良いのだろうが、生憎ナラカにそこまでの慈悲はない。嫌いな相手に与える慈悲など知らないのだ。

「エルトは良い奴だぞ。我を此処まで連れてきてくれたのもエルトだ。彼奴は何でも知っているし、とても有能だからな。きっとこれからも我等を助けてくれるのだろう」
「……随分と肩入れしていらっしゃるんですね」
「肩入れ……なのだろうか。我が外に出て初めて出会った人間というのがエルトだからな。何とも言えぬところだが」

しみじみと感慨深そうに語るヴィアレだが、ナラカはどうにも納得できない。純粋無垢なヴィアレのことだから、きっとエルトの陰の部分を知らないでいるのだろう。自分を導いてくれた人間を、彼が疑うはずもない。だからエルトのことを“いい人”と肯定的に見ることができる。なんとなくだが、ナラカはこの少年を憐れに思った。これではいいように利用されたっておかしくはない。それを助けようとは思わないし、ヴィアレに対してナラカ自身も何か思い入れが有るわけでもないのだが。

「そういうナラカはどうなのだ?エルトはああ見えて良い奴だぞ。物言いは杓子定規だがな、我を連れ出してくれるくらいにはお人好しだからな」
「……彼は王子様なのでしょう?まあせいぜい不敬罪と見なされないような対応を心掛けますよ」
「そうですか。その心掛けは良い判断です」

皮肉っぽい笑みを浮かべながら吐き捨てるように口にしたナラカの後ろから、あまりにも唐突にエルトが声をかけてきた。ナラカはびくりと肩を震わせて咄嗟に二、三歩後退し、ちゃっかりヴィアレを盾にするような形を取る。ヴィアレも驚いたようで、「エルト、吃驚したぞ……」と苦笑いしている。

「驚かせたのなら申し訳ございません。ですがあなたに用がありましてね」
「な、なんですか……?」
「……此方は、あなたの持ち物でしょう?」

エルトが手渡して来たのは井戸場で出会った時にナラカが落としていった荷物である麻袋だった。ナラカはばっと引ったくるようにしてそれを奪うと、ごそごそと中身を確認する。どうやら何かを盗まれていないか不安になったようだが、彼女の心配は杞憂に終わった。何も盗まれていないし、弄られた痕跡もない。それでもエルトのことなのでまた何かされるのではないかとナラカは身構える。そんな彼女を見てエルトは肩を竦めた。

「あなたのお荷物には何もしていませんよ。……して、あなたにひとつ、頼みたいことがあるのですが」
「……頼みたい、こと……?」
「ええ。あなたのお家に案内していただきたいのです」

エルトからの唐突な頼みに、ナラカの口が明らかに「無理」の形に動く。しかしエルトの「ノルディウス殿やリリア殿も賛成なさっておりましたよ」という言葉に、ぐっと悔しそうに唇を噛み締めた。

「私はこのような格好をしている身ですのでね。男性の家に滞在していれば自然と怪しまれます。あなたのお家にいれば変に勘繰られることもないでしょう。それゆえ、私たちをあなたのお家に滞在させていただきたく思いましてね」
「……ノルドさんや、リリアさんが……本当に、賛同なさったんですか?」
「ええ、勿論」

葛藤するかのように唇を噛んだり歪めたりしていたナラカだったが、エルトの言葉を聞いて無言でこくりとうなずいた。そして後ろを向くととぼとぼと、何処か諦めの感情を抱いているかのように歩き出す。着いてこいということなのだろうか。若干の疑問は拭いきれないものの、エルトが進んでいったこともありヴィアレもその背を追いかけた。

3ヶ月前 No.18

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ナラカの家は成人していない少女が使うにはやや広めの石造りのものだった。周りの家々はほとんどが日干し煉瓦で出来たものなので珍しい部類に入るのかもしれない。ナラカは木製の机が置かれた茶の間らしき部屋に二人を通すと、少し時間を置いて茶を出してきた。

「……?なんです、これは」
「……お茶、ですが。私の故郷流の抽出法を用いているので……」

出された湯飲みを目にして疑問を投げ掛けるエルトから顔を背けたまま、ナラカはもごもごと口の中で留めるような声量で答えた。まあ、いわゆる緑茶という奴である。緑茶はナラカの故郷である日ノ本や明で一般的に飲まれているものだが、エルトには珍しいものだったようだ。ヴィアレは躊躇いなく一気飲みして「美味い!」と率直な感想を述べていた。彼には好き嫌いというものがないらしい。シャルヴァに来てから渡された食べ物全てを美味そうに食べている。
対してエルトは初めて口にする緑茶の渋味からか少し眉を潜めていたが、飲めないという訳ではないようでちびちびとゆっくり飲んでいた。ナラカは座ることもなく、相変わらず下を向いたままぼそぼそと言葉を紡ぐ。

「……お部屋は彼方の空いているところをお使いください。飲み終わった湯飲みは軽く濯いで置いておいてくださると助かります。家にある道具は好きに使っていただいて構いません」

それだけを言うと、ナラカはさっさと別室に引っ込んでしまった。そんな彼女を案じるような視線を向けているヴィアレを、エルトはちらと一瞥する。今のところヴィアレはエルトとナラカの関係性に気づいていないようだが、もし事が露見したら彼はどのように思うだろうか。ヴィアレは年が近いと思わしきナラカに近付こうとしている節が見られる。ナラカはそれをなんとかしてはね除けようとしているようだが、其処に根っからの悪意は感じられないので彼女がヴィアレを嫌っているという訳ではないのだろう。鬱陶しいけれど心底から嫌いな人間ではない、といったところか。
ヴィアレは純粋だ。神殿という閉鎖的な空間で、世の中の穢れを知ることなくこれまでを過ごしてきたのだろう。生け贄に捧げられるという恐怖を背負っていながら、決して臆することなくむしろ逃げることを選んだ彼は行動力にも恵まれている。もしもエルトのやり方にヴィアレが疑問を覚えたら、彼は何をしてくるのか。エルトにはそれがわからない。ヴィアレという人間の思考を読み取れきれないのだ。あまりにも真っ直ぐで、無知で、前向きな彼は、時に此方の予想外とも言える行動に打って出ることがある。

「……エルト?どうしたのだ?」

真顔で考え込むエルトを、ヴィアレは訝しげに眺める。エルトはすぐにそちらを向いて「何でもありませんよ」と答えたが、内心は何でもなくないのが本音だ。正直、ヴィアレがナラカと接しようとするのは計算外だった。其処で誤算が生まれたというわけである。

「……ヴィアレ。ヴィアレは、あの少女……ナラカと仲良くなりたいのですか」
「うむ。……何故、左様なことを問うのだ?」
「いえ、ただ……あなたがあの少女を、やけに気にかけているように見えましたので。少し気になっただけですよ」

エルトからしてみれば、あのナラカという少女は何の変哲もない、ただの臆病で人見知りな娘に過ぎない。集落の住民によると滅多に話しかけてくることもなく、たいていは独りで行動していることが多いという。ノルドには少し気を許しているのか、手伝いなどをしているところを見るが、それでも口数が少ないことに変わりはない。無表情、ぶっきらぼう、内向的。そんな言葉の似合う人間、というのがエルトの評価である。だからエルトはナラカを使い捨ての駒としてしか見ることが出来ない。自分の計画にナラカを入れる箇所が見当たらないのだ。

「……エルト。我は外で、ナラカから似たような質問をされたぞ。何故我はエルトとつるんでいるのか、とな」
「はあ……」
「そなたたちは用心深いのかもしれんな。何処か似ているところがあるのではないか?もしかしたら友になれるやもしれぬぞ」
「まさか、そんなことはないでしょう」

いたずらっ子のように唇の端をつり上げるヴィアレの言葉をエルトは即座に否定する。自分があのナラカという少女と友になるなど槍が降っても有り得ない。ナラカはエルトを恐れているし、エルトはナラカを機会があれば盾にする、くらいの認識でしかいないのだから。

「ふぁ……我はもう寝るが、エルトはどうするのだ?」
「私はもう少ししたら床に入りますよ。先に寝るなら床を整えていただけると有り難いですね」
「了解した。お休み、エルト」
「ええ、お休みなさい」

欠伸をしながら用意された部屋へと向かうヴィアレの背中を見送りながら、エルトはふと自分が彼に手を振ろうとしていたことに気がついて慌ててそれを引っ込めた。今までこんなことをすることなどなかったのに。微かな疑問を覚えながら、エルトは残っていた茶を飲み干した。

3ヶ月前 No.19

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【幕間:焔が抱くは夢幻】


それが夢だという自覚はあった。

城が燃えている。逃げ惑う下男や侍女、飛び散る血潮。辺りには兵士たちの骸が散らばっており、誰かの悲鳴がこだまする。阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな言葉がよく似合う、見るも無惨な光景。
わかってはいたのだ。それはあくまでも過去の光景を再生しただけで、実際に経験している訳ではないのだと。しかしそれにしても其処には言い知れぬ違和感があった。此処は自分の知っている場所ではないし、逃げ惑う人物の中にも見覚えのある者はいない。それなのに胸が締め付けられるのはどうしてだろうか。どうして自分はこんなにも必死になって誰かを探そうとしているのだろうか。

━━━━これは夢だ。

わかっている。わかっているのだ。だってこんな場所は知らないのだから。こんな、異国の城に入ったことなんて今までにないのだから。
それでも駆ける。駆けて駆けて駆けて、何処かを目指す。誰かを探す。これは本当に自分なのだろうかと疑わしくさえ思う。自分にはこれほどまでに大切に思う人なんていないはずだ。人付き合いなんて障害になるだけだからと避け続けて、ある時には独りになりたいとさえ思い、ずっと独りであったならと考えたこともあったのだ。そんな自分が必死に誰かを探すなんて、まず有り得ないことであり、そんな人物がいたのなら今のようにはなっていまい。

嗚呼、それなのに、どうして自分は涙を流しているのだろう。

死んでほしくない、そう思えるだけの人間がいるのだろうか。誰のことかはわからないのに、止めどなく涙は溢れ出る。やめてくれ、こんなことをするのは自分ではない。自分はきっとこんなことはしない。しかし涙は溢れる。溢れて溢れて溢れ続ける。頬を濡らす液体を無理矢理に拭いながら、それでも自分は足を止めない。無駄だとわかっているのに。どうせ助からないと心の何処かでは諦めているのに。それなのに、一体どうして。

━━━━早く醒めてくれ。

そう願うしかなかった。そう願うしか出来なかった。目を閉じたくても閉じることは出来ず、立ち止まりたくても立ち止まれない。だから早く、外の自分が目を醒ましてくれと、流したくもない涙を流しながら自分は願ったのである。

3ヶ月前 No.20

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【記事主より削除】 ( 2018/07/09 15:06 )

3ヶ月前 No.21

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3ヶ月前 No.22

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3ヶ月前 No.23

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アシェリムの手配した馬車に乗り込んで、一行は王立図書館を目指す。これには乗り気ではなさそうに見えたナラカも同行していた。相変わらず隅っこで膝を抱えて過ぎ行く景色をぼんやりと眺めている。ただ黙って座っていることがヴィアレは得意ではないので、この機会になんとかしてナラカに話しかけてみたいとは思うものの、彼方がそういうつもりでないこともわかっているのでもどかしい。

「……随分と気に入られているようだが、何かあったのかね?ナラカ」

ちらちらとヴィアレがナラカに視線を遣っていることに気づいたのだろうか。揶揄るような口振りでアシェリムがナラカに尋ねる。ナラカはむっとした表情で振り返ると、ふるふると首を横に振った。

「……私は、別に何も。あっちが勝手に私に絡んでくるだけです」
「しかし、興味を抱かれているというのは事実なんだろう?それなら君にも要因はあるんじゃないのかい」
「要因なんて……わかりません」
「むぅ、我はただ、友になりたいだけなのだが!」

早く話を終わらせたい、そんな気持ちを表面に出しまくるナラカにヴィアレは詰め寄る。ヴィアレの距離感はナラカからしてみれば近すぎるもののようで、顔を背けながら「……意味がわからないのですが……」とナラカは唇を尖らせる。

「あなたと友になりたい人なんて、私以外にたくさんいるでしょう。他所を当たれば良いと思いますが」
「そういう訳ではないのだナラカ。我はナラカと友になりたいのであって、他の者はまた別の話だぞ」
「……そもそも、どうして私なんかと友になりたいんです?」

自分の主張を頑としてでも曲げないヴィアレを不思議に思ったのか、ナラカは若干口調を緩めて彼に問いかけた。それを聞いたヴィアレはぱあっと飾り気のない、何処までも天衣無縫な笑顔を浮かべる。

「我はな、ナラカ。そなたの話を聞きたいと思うておる!」
「私の……話?」
「うむ!そなたの故郷や、好きなものや、これまで経験してきたことを、我に聞かせて欲しいのだ!我は無知だ、果てしなく無知だ!だから出会った者の話を聞いて、様々な知識を吸収したい。それに出会いとは必ずしも偶然ではないからな。我は皆と縁を結びたく思っておる!」

がっ、と手を握られて、ナラカの上半身が仰け反った。まるで子供だ、と思う。他人に此処まで興味を抱かれたことなんてこれまでなかったので対応に困る。目線をきょろきょろと泳がせて、明らかに困惑するナラカの様子を察したのか、アシェリムが「まあまあ」と割って入る。

「ヴィアレ君も、あまり勢い良く行くのはどうかと思うよ、うん。ナラカが吃驚しているだろう?」
「そ、そうか……すまぬな、ナラカ」
「……別に、大丈夫ですから」

ふいっ、と再び顔を背けるナラカだったが、不思議と彼女が機嫌を損ねているようには見えなかった。なんだかんだ言いつつ満更でもないらしい。そのまま何かを誤魔化すかのように流れる風景に目線を投じる。
そんなナラカを眺めながら、ヴィアレはふと、先程の彼女の言葉を思い出した。私なんかと、という卑下を込めたナラカの言葉。それがどうにもヴィアレには理解出来ない。これまで見てきた限り、(ヴィアレからしてみれば)ナラカはしっかりと仕事をこなし、礼儀正しく、立ち振舞いに無礼なところもない。まだ彼女のことをよく知らないということもあるが、ナラカが時折口にするような自虐的な言葉はあまり似合わないような気がしてならなかった。

「……アシェリム殿。彼方が王立図書館で間違いありませんね?」

それまで静かに御者の役目を果たしていたエルトが口を開く。アシェリムはよいしょと呟いてからエルトに近づき、「どれどれ」と様子を確認し始める。

「……エルト君。まさかとは思うが……君は、此処から図書館が見えるのかい?」
「……?ええ。彼処の、いちばん大きな建物でしょう?」

す、と利き手ではない左手である一点をエルトは指差す。その向こうにはたしかに背の高い建物がそびえ立っているのがわかる。……わかるのだが、此方からしてみれば目を細めてやっと見えるくらいのもので、普通はこの時点で確認するものではない。アシェリムはほう、と感心したかのように息を吐いて、エルトの双眼をちらりと一瞥する。

「君は余程の視力をお持ちのようだね。目が良いのは利点だよ。さ、目標も見えてきたことだし、このまま突っ走っておくれ。何、多少速度を上げたとてこの程度は咎められないさ」
「……アシェリム殿、楽しんでいますね?」
「…………まあ、うん。だって仕方ないじゃないか、気分が上がってしまったのだからね」

ちょんちょん、と両手の人差し指を合わせて上目遣いにエルトを見上げるアシェリム。そんな彼の年にそぐわない行動に溜め息を吐きつつも、エルトは速度を緩めることはせず、むしろ加速に洒落込んだ。

3ヶ月前 No.24

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

エルトが馬車を飛ばしたこともあってか、図書館まではそう時間をかけることもなく到着することができた。馬車を停めてから、一行はもともとは真白かったのであろう煤けたその造形に目を遣る。これまでシャルヴァで見た建物は印度や西域などを思わせる造形をしていたが、この図書館はそれらとは異なり東方の文化に似たものを含んでいるように見えた。
アシェリムいわく鍵はいつでも開いているとのことで、見た目の重厚さに反してあっさりと入ることができた。薄暗く、外から僅かに入ってくる曼荼羅の光だけが室内を照らしている。館内は吹き抜けになっており、二階、三階の様子も下から見ることが可能である。一階は広場のようで、本棚はなかったが幾つか椅子や机が見受けられた。

「では、手分けして書物を探すとしよう。気になったものがあったのなら持ってきてくれ。勿論、趣味や個人で気になるものがあれば、そこら辺は各々に任せるよ」

アシェリムの言葉を皮切りに、それぞれが移動を始める。とは言っても書物の彼是をよくわかっていないヴィアレなので、いつものことながらエルトの後ろをぱたぱたとついていくことにした。こういった頭を使う仕事は彼の専門分野である……と勝手にヴィアレは思っているので、期待全開といった眼差しでエルトを追いかけている。

「……そんな目をしたって何も出ませんよ」

呆れたようにそう忠告するエルトだが、そんなことはヴィアレとて百も承知である。こくこくとうなずきながら後をついてくるヴィアレを引き離すことはできないとエルトも察したのだろう、それ以上何も言っては来なかった。
エルトの背丈よりも高い本棚に所狭しと並べられた書物を見上げながら、ヴィアレは良さげなものがないかと探す。何と言ってもノルドの命運が懸かっているのだ。羅刹……ヴィアレにとってのラークシャサと戦うなんてにわかには信じられないが、アシェリムやエルトの口振りからしてシャルヴァに羅刹がいることはそう珍しいことでもないのだろう。まず地底にこんな都市が栄えている時点で信じられないが、慣れとは恐ろしいものである。

「……エルト、少し気になったのだが、シャルヴァではどのような文字が遣われているのだ?」
「なんです、急に改まって」

ふと真面目な表情になって、ヴィアレはくいっとエルトの服の裾を引っ張った。この少年は聞いたところ御年16になるらしいのだが、やること為すことはどうにも幼げである。

「今更な気もするが、我は思ったのだ。シャルヴァに来てから言葉は通じているが、文字は一体どうなのだろうと。我も一応読み書きの手解きは受けているが、知らぬ文字が遣われていたのなら書物を読めぬ」
「その点については心配ありませんよ。シャルヴァには“通じない言語がない”のですから」
「そっ、それは一体何事か!?」

目の色を変えることもなくしれっと重大なことを言ってのけたエルトに掴みかからん勢いでヴィアレは彼を問い詰める。通じない言語がないなんてにわかには信じられない。ヴィアレのいた村の近くにも度々旅人が迷い込んでくることがあり、彼らの言葉を聞いてみようとはしてみたは良いが、全く意味がわからなくて難儀した記憶がある。それに世界の言語はひとつではないのだから、様々な言語が飛び交うのが普通なのだ。少なくともヴィアレにとってはそういった認識だった。

「シャルヴァが始まったのは今から二千年程前だとも、それ以前とも言われていますからね。五大の恩恵のひとつというのが一般的な説ですが、時にはバベルの塔が破壊される前にシャルヴァが創られたために、言語の差異がないと言う人もいます。どちらにせよ、此処に通じない言語はありません。ほら、あのナラカという少女とも、普通に話が出来るでしょう?」
「う、うむ……よくわからぬが、とりあえず読めぬ書物はないのだな?」
「ええ、そのはずですよ。ですから安心して探しなさい」

ヴィアレとしてはいまいち腑に落ちないところもあったが、細かい部分まで追究する気にはなれなかったので、彼は“そういうこと”として認識することにした。シャルヴァだから、で済むというのは正直末恐ろしいものである。気を取り直して、ヴィアレは再び良さげな書物がないものかと本棚に視線を移した。

3ヶ月前 No.25

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ヴィアレとエルトが書物探しに勤しんでいる一方で、ナラカは彼らから離れて一人で書庫を回っていた。もともと書物を読むのは嫌いではない。幼い頃には母が何処かから貰ってきた源氏物語の写本を何度も読み耽ったものだった。だからこの空間の雰囲気はナラカにとっても心地よく、せめて今だけはと、一人の時間を楽しんでいた訳である。
行く宛は特になかったが、ぶらぶらと見て回っているだけでも面白い。ナラカとてノルドを見殺しにしたい訳ではないが、一度目を奪われると他のことが見えなくなってしまう質なので、書物探しのことはすっかり忘れている。いつもより随分と弾んだ足取りで、ナラカは身の丈をゆうに越す本棚の森を歩く。相当機嫌が良いのか、くるりと回転なんかもしていたりする。そういった面では、ナラカも年相応の少女と言えるのだろう。

(見たことのない書物ばかりだ)

とりあえず目に留まった本棚に駆け寄って、其処にあった書物を適当に抜き出してみる。アシェリムいわく此処から書物を持ち出して一定期間借りている人間も少なくはないというし、良いものがあったら数冊借りていこう。そんな風に思いながら、ナラカは片手に気になった書物を抱えて、空いている方の手で他の書物を抜き出す。それらは特に決まった事柄という訳ではなく、ただ本当に背表紙だけでナラカが選んだものだった。主題となっているものがあまりにも違いすぎる。あるものは歴史書であり、あるものは画集であり、またあるものは読本のような作り物語の書物であった。
取るだけ取ったナラカは鼻唄なんかを口ずさみながら、本棚の側面に寄り掛かってそれらを開き始める。手始めに開いたのはシャルヴァの歴史書だった。そういった類いのものはいくつも置かれていたが、ナラカが手に取ったのは単に背表紙が綺麗で気に入ったものである。歴史を学ぶのは嫌いではないので、ナラカはるんるんしながら頁を捲る。

(シャルヴァが創られたのは神代……か。ノルドさんやリリアさんは数千年前に遡るかもって言ってたけど)

他人から聞いた話だったり、書物に記されていたりすることでも、其処まで規模が大きいといまいちピンと来ないというのがナラカの意見である。数千年前、と言われても実感が湧かないし、せいぜい明が分裂して戦をしていた頃だっけ、くらいのものだ。今の日ノ本とそう変わらない状態だった、それ程の知識でしかない。ナラカはまかり間違っても高貴でやんごとない生まれではないのだから、多少無知でもそれは致し方ないこととしか言いようがなかった。
それからぱらぱらと頁を捲り、シャルヴァに最初に出来た国家が例のアーカム国であること、一度アーカム国は滅びかけたがとある名君とその仲間たちによって復興したことなどを知ることができた。正直ナラカにとっては、それが現実の出来事なのか、それとも誇張が入っているのかを判断することは不可能である。普通ならあり得ないことでも、此処シャルヴァなら日常茶飯事という事態もおかしくはない。昔のこととは言えども突っ込まざるを得ない表現が多いのは困り者だったが。

「…………ん?」

そんな中、ふとナラカは異変に気がついて目を凝らした。ある年を境に、書物の中に黒塗りされている箇所が現れ始めたのだ。それをなかったことに出来るほどナラカも大人ではない。紙が薄いのを良いことに、裏側を透かして文字を確認するという行動に走った。だいぶ古いものなので透かせば案外簡単に文字を浮き出させることが出来るようだ。

「んー……しゅ……シュルティラ……?」

目を細めたり見開いたりしながら、ナラカはぼんやりとだが浮き出た文字を復唱してみる。シュルティラ……誰か人の名前なのだろうか。それにしてもどうして黒塗りにされているのだろう、と疑問を覚えながらナラカは何と無しに再び頁を捲ろうとした。

ぎぃ、と。

それは下の階から響き渡った。これまで静謐としていただけあってその音はよく聞こえ、思わずナラカも面を上げる。

(……誰?)

この図書館は今はもうまともに使われていないはずだ。それなのに自分たち以外にこの図書館を利用する者がいるというのか。とりあえずナラカは床に書物を広げているのは良くないと判断して急いで書物を片付けようとする。他の集落の人間だったのなら自分の住んでいる集落の評判が落ちてしまうかもしれないし、仮にも管理人が来てしまったら出禁を食らうか、酷ければティヴェラの罰を受ける可能性だってある。ばたばたとしながら書物をまとめようとしていたナラカの頭上を、突如黒い影が覆った。

「……え……?」

ナラカが見上げた先。其処に在ったのは本当に真っ黒なものだった。上から下まで真っ黒な鎧に身を包んだ人物。唯一見える二の腕にはギラギラと煌めくほどの装飾品が身に付けられている。ナラカが床に座り込んでいることとその人物がけっこうな上背のせいで言い様のない威圧感がかもし出されている。


そして、その手には弓、腰には剣、背には長槍が携えられていた。



(━━━━殺される)

殺される。殺される。殺される殺される殺される殺される死にたくない死にたくない死にたくない厭だ厭だ厭だ━━━━━!!
それは心からの悲鳴だった。ナラカは形振り構うことなく逃げ出そうとする。腰が抜けてしまったのか、立ち上がることが出来ずにいたが、それでも必死に逃げようともがく。しかし上手く動けないが故にばたりとうつ伏せに倒れてしまった。

「あ……あ……厭……」

半ば泣きそうになりながら、ナラカはがくがくと恐怖に震える。彼女の見上げる先には、何も言うことなくゆっくりと歩みを進める黒衣の人物の姿があった。

3ヶ月前 No.26

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書物は読めてもその内容をうまく把握しきれないということもあって、ヴィアレは書物の調達を担当し、彼が持ってきた書物を読み込む係をエルトが請け負っていた。そのためヴィアレは気に留まった書物をせっせと選んでは運びを繰り返している。それでも疲れた表情ひとつ見せないのは、単に彼がこの状況を楽しんでいるからなのだろう。書物なら神殿にもたくさんあったので読むことや探すことは苦でないし、何より誰かの役に立てるのならそれで十分嬉しかった。エルトもエルトで読む速度が速いのでヴィアレの運んできた書物を手早く読み込み、要点を持ってきた帳面に書き留めている。

「やあ、進捗はどうだい?」

そんな最中、何冊かの書物を抱えてアシェリムがやって来た。彼も彼で気になったものを見つけたのだろう。心なしか声色が弾んでいるようにも思える。

「上々といったところですよ。アシェリム殿はどうなのです?」
「私も幾つか気になる文献を見つけてね。此処で読むだけじゃ足りなさそうだから、少し借りて集落に持っていくことにするよ。……そういえば、ナラカは此方に来ていないのかい?あれから一回も姿を見かけないけれど」
「え、我はてっきり、そなたといっしょにいるものかと思うていたが……」

ヴィアレも入り口で別れたきり、ナラカの姿を見かけてはいなかった。もしかしたらアシェリムといっしょに見て回っているのかもしれないと考えてエルトに着いていったのだが、まさか単独行動に走っていたとは。エルトからしてみれば想定内の出来事だったが、ヴィアレとしてはなんだか心配になってしまう。ヴィアレから見たナラカは、まだ幼さの残るか弱い少女なのだ。ヴィアレでも背伸びをしなければ届かないほどの本棚だ、もし怪我でもしていたら大変である。我が探しに行く、と口にしようとしたヴィアレだったが、不意に異変に気がついて咄嗟に口をつぐんだ。

扉の開く、重苦しい音。

そして間もなく、かつ、かつと、おもむろに階段を上ってくる足音が聞こえてきた。間違いない、自分たち以外の来訪者だ。気が付けばヴィアレはエルトに襟首を引っ張られて、本棚の影へと連れ込まれていた。

「……これはまずいな」

共に隠れているアシェリムが、やや焦りを含んだ口調でそう呟く。足音は此方へとは近付いてこないため、来訪者とヴィアレたちがすぐに鉢合わせする可能性は低くなった。しかし、それでもアシェリムの目付きは浮かないものであった。訝しげに形の良い眉を潜めて、エルトがアシェリムに耳打ちする。

「……何がまずいというのですか」
「此処にはたまに検閲にとティヴェラの兵士がやって来ることがあるんだ。こんなところ、訪れる奴なんて私たちくらいなのもそれが理由だよ。ティヴェラ国は未だにアーカム国が何か情報を隠し持っていることを恐れているんだろうね、こうやって過去の施設にまで兵士を送り込むんだ」

聞く限りでは足音は一人のもののように思えるが、まだ油断は出来ない。三人はじっと息を殺して身を潜めていたが、完全に足音が聞こえなくなったところでそっと本棚から顔を出して辺りの様子を窺った。

「……よし、誰もいないな。今のうちにナラカを呼んで脱出しよう。馬車は裏手に停めているから目立たないだろうけれど、万が一ということもあるからね。なるべく早くナラカを見つけるんだ」
「わかったぞ!」
「しっ、声が大きいですよ」

アシェリムの言葉にやたらと大きな声で返事をするヴィアレの頭をエルトが軽く叩く。だいぶ彼の扱いにも慣れてきた、といったところだろうか。そんな行動にむくれるヴィアレには気も留めず、エルトは溜め息を吐きながらナラカを探しに出ていった。

3ヶ月前 No.27

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3ヶ月前 No.28

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無我夢中で図書館を駆け抜け、階段を転がり落ちるようにして降りた三人が門を潜り抜けた先には、アシェリムが一足先に馬車を近くまで移動させていてくれた。其処になんとかして乗り込むと、直ぐ様アシェリムが手綱を引き、ぐんぐんと図書館が小さくなっていった。

「ふぅ……どうなることかと思ったけれど、皆無事のようで良かった」
「それにしても……アシェリム、そなたは馬車を操れたのか?」
「今は私の内部の“気”を五大に変換して風の恩恵を受けているからね。少し疲れるが、一晩眠ればどうということはない。精神力を体力や技術に変えているようなものだ」

そう言ってアシェリムはけっこうな速度を出しながら馬車を飛ばしているが、エルトとナラカの表情は浮かないままだ。特にエルトといったら何処かぼんやりとしているようで、ずっと下を向いたまま顔をしかめている。ナラカは怯えているというか、まだ緊張が解けないのか二の腕を擦って深呼吸を繰り返していた。

「……エルト君、何かあったのかい?」

そんなエルトの様子はアシェリムも不審に思ったのだろう。訝しげな声音でそう問いかけてきた。ヴィアレは先程大声で叱り飛ばしてしまった手前言い出しにくいのか、「えーっと、そのだな……」としどろもどろになっている。ナラカはもとより話す話す気がない、といった風だ。しばらくの沈黙の後、エルトが喉の奥から絞り出すようにして答える。

「……図書館で、シュルティラに出会いました」
「シュルティラに……?あの男が、図書館にいたというのか?」

エルトの返した言葉に、手綱を駆りながらアシェリムが驚きの声を上げる。しかし気まずそうにしながらもヴィアレは疑問点があるまま話が進むのは気持ち悪いらしく、おずおずといった様子で質問をしてきた。

「あー……話しているところすまないのだが、その、シュルティラというのは、何者なのだ?」
「……何故私に聞くんですか?」

……あろうことか、ナラカにである。さすがにエルトやアシェリムに直接問いかけるのは憚られたのか、ナラカの服の裾をくいくいと引っ張ってそう尋ねていた。案の定ナラカはじっとりとした視線をヴィアレに向けている。しかしエルトとアシェリムにもヴィアレの声は届いていたらしく、うつむきながらもエルトが口を開いた。

「……シュルティラは……アーカム王家の血を引いていながらも、ティヴェラに与した反逆者です。それ以上言うことはありません」

その突き放したような口振りに、ヴィアレも「そうか……」と返すことしか出来なかった。アシェリムも空気を読んでのことか、何も言うことはない。居心地が悪くなったのか、ヴィアレもおもむろに膝を抱えた……が、彼の頭がこつんと軽く小突かれた。

「……ナラカ?」
「……私も、そのシュルティラとかいう奴のことはよく存じ上げないのですが。とりあえず、この頁を読んでおいたらどうです?あ、黒塗りのところは恐らくシュルティラという名前が入るのでしょうから、其処は己で噛み砕いておいてください」
「ナラカ、この書物は……」
「べ、別に借りていったら駄目とか言われてないでしょう?ちょろまかした訳じゃないんだから良いんです!」

ナラカがヴィアレへと差し出したのは、先程彼女が図書館で手にしていた書物だった。どうやら撤退の際にちゃっかり持ってきたようだ。自分のしたことに後ろめたさを感じているのか、ナラカは割りと意味のない弁解に走る。それでもその場でナラカを咎めようとする人物はいなかった。むしろヴィアレはナラカの肩をがっしと掴むと、そのままぐらぐらと彼女を揺らす。

「大手柄だぞナラカ!よくやった!あの状況で書物をちょろまかすなど、我にはとうてい出来ぬ所業だ!」
「……は、はあ……」

正直褒められているのか貶されているのかわからないナラカだったが、ヴィアレの機嫌が良さげなので前者だと思うことにした。早く早くと目線で急かしてくるヴィアレのために、ナラカはやや焦りながら手にしている書物の頁を捲った。

3ヶ月前 No.29

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第5幕:輪廻の忌み子と王子の記憶】

シュルティラ。その名前を聞いただけでも、エルトは虫酸が走るような思いを抱く。シャルヴァに舞い戻った以上、出会わないというわけにはいかないとは思っていたものの、やはり彼処までいきなりの邂逅を果たすとは考えもしていなかったものだから、今でも心臓が僅かに跳ねているような感覚がある。
ヴィアレとナラカが書物を読んでいるのを横目で眺めながら、エルトはかつてのシュルティラという人間を思い出す。思い出したくもない存在だが、いずれまた相対さなければならない人物だ。そう自分に言い聞かせなければ、シュルティラの姿を思い出すことに嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

シュルティラ。アーカムに仇なす輪廻の忌み子。

エルトも詳しくは聞いたことがなかったが、それでも幼心にシュルティラが危険な存在であるということは認識していた。兄や姉たちが、よくエルトに言い聞かせてくれていたからだ。
かつてシャルヴァがまだ存在していない頃に、地上で大きな戦があったという。戦と言っても内乱のようなもので、世界全土を巻き込んだという訳ではなかったらしい。それでもシャルヴァにとっては鍵となる戦いであった。何しろ、その戦いはシャルヴァを建国する祖の一族を中心としていたのだから。

(そして、我らが祖にシュルティラは敵対した)

その頃はシュルティラという名前ではなかったようだが、アーカム王家の祖にとって重要な人物が彼によって何人も殺害された。戦というのだから故意に殺められた訳ではないのだろうが、それでも単騎で両手には収まりきらない程の敵兵を討ち取ったというのだから、その強さや恐ろしさは言わずもがなである。人間の戦とは言えど神代の出来事なのだ。たったひとつの戦によって世界が滅びかけることも珍しくはなかった。そのためシュルティラとなる人物の本当の名前はシャルヴァでは呼んではいけないことになっている。シュルティラという名前でさえも人々は呼びたがらない。
閑話休題、そのシュルティラとなる人物は最終的に討ち取られたらしいが、此処である問題が発生した。その人物にかつて助けられたことのあるという呪術者が現れたのである。呪術者はシュルティラの死を嘆き、そしてアーカム王家の祖を酷く恨んだ。そうして自らの命を投げ棄てるほどの呪いをかけたのである。


シュルティラとなる人物はアーカム王家が存在する限り転生を繰り返し続け、必ず彼らに敵対することになるだろう。アーカム王家が滅びない限り、その人物もまた輪廻の渦から抜け出すことは出来ない、と。


そんな呪いを初めは信じていなかったアーカム王家の祖たちだったが、シャルヴァが創られてからその呪いは実現することになった。シャルヴァが建てられてから少し経った頃、その初めの王国であるアーカム国の存在を快く思わない者が反乱を起こしたのである。彼らは幾つもの砦を凄まじい勢いで踏破し、危うくアーカムの王宮というところまで迫ったという。
その中にいたのがシュルティラ━━━━かつて地上においてアーカム王家の祖と敵対した人物だった。彼は前世に負けず劣らずの戦果を挙げたが、やはり多勢に無勢。かつて自分がそうされたのと同じように討ち取られ、アーカム国は存続したのである。これによってアーカム国はシュルティラを大きな驚異と見なし、彼が転生する度に打ち倒し続けた。どんな生まれであっても、どんな人物であっても、シュルティラである限りアーカム国は彼を討ち取った。彼がどのような名前だったとしても、アーカムの人間らシュルティラとして扱ったのである。
シュルティラもシュルティラでアーカム国に立ち向かい続け、その伝説はシャルヴァ全体に知れ渡ることになった。シュルティラはたとえアーカム国に生まれていなかったとしても、必ず何かの機会にアーカム国に敵対したのだ。それは偶然とは言い難く、むしろシュルティラがアーカムとの戦を望んでいるようにも思えた。シュルティラはアーカム国にとっては恐ろしく、そして忌むべき存在だった。そう、今も昔もこれからも、そのように扱われるものだと、万人が考えていた。


シュルティラが、アーカム王家の子として生まれてくるまでは。

3ヶ月前 No.30

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

━━━━嗚呼、あなたが生まれて来なければ、私の生きる意味は無くなっていたでしょう。

幼い頃、エルトはそう言って涙を流す母に抱き締められたことがある。その時は母が何を思っているのかもわからずに、ただ母にこれ以上悲しい思いをしてほしくなくて、震える彼女の背中にそっと手を回した。
エルトの母親は名前をアルニールといい、アーカム国の王でエルトの父親であるリシュラーニヤの第二王妃だった。波打つ豊かな黒髪に白い肌、そして常に純白の衣装を纏っていたことから“白蓮の妃”と呼ばれていたという。控えめで思慮深く、慎ましやかな性格に加えて上記の美貌もあって、リシュラーニヤからの寵愛も厚かったらしい。妃として幸せな人生を送る美女。アルニールはそのように思われていたし、彼女自身もそう思っていたのかもしれない。

しかしそれは彼女が第一子を生んだことで失うこととなった。

アルニールが生んだ子は、彼女にもリシュラーニヤにも似つかぬ姿をしていた。それに加えて背中には奇妙な痣……というか、刺青に近いものがあったのだ。龍の紋様を中心とし、その周りを囲むようにして存在する金色の模様。それは目のようにも思えた。宮廷の医官はそれを見た瞬間に卒倒した。『シュルティラだ、シュルティラが生まれた』と。詳しくは不明だったが、シュルティラは輪廻転生の数だけ目にも似た模様の痣が背中に浮かび上がるらしい。書物には記されてあったが、それを知るのは年配の者が大多数で、アルニールはそのことを理解していなかった。しかしこれにはリシュラーニヤも彼女からその赤子を引き離すしかないと判断した。ただでさえ王家にとっては敵でしかないシュルティラが転生しただけではなく、王家の人間として生まれてしまったのだ。他の王族や貴族たちはすぐにシュルティラを殺すべきだと主張した。
しかしリシュラーニヤはシュルティラを殺さずに生かすことを宣言した。王宮の離れにある離宮にシュルティラを隔離し、ある程度成長するまでは其処で育てて、年齢がそれなりのものに達すれば外界へと追放しようと提案したのだ。勿論これに反対する者もいたが、王たるリシュラーニヤが相手では皆遠慮せざるを得ない。そしてリシュラーニヤも、愛する妃であるアルニールが必死にシュルティラの助命を嘆願してきたことを無下には出来なかった。
シュルティラを生かすのか。アルニールはそんな抗議の視線を、シュルティラは嫌悪と忌避の視線を浴びながら過ごした。アルニールは部屋にこもりがちになり、リシュラーニヤへの謁見も極めて少なくなった。それでも彼女が王宮に居られたのは、リシュラーニヤの寵愛が冷めぬものだったからであろう。珍しいことに、リシュラーニヤはアルニールの部屋に自分から赴くようになった。アルニールが望まずとも、毎日jアルニールの部屋にリシュラーニヤは向かったのだ。そしてシュルティラを生んでから三年後、アルニールは一人の男子を産んだ。


彼の王子の名はエルティリナ。後に彼がエルトと呼ばれ、外界落ちしてから再びシャルヴァに戻ることになる人物である。

3ヶ月前 No.31

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

正直な話、エルトはあまりシュルティラと関わったことがない。いや、エルトでなくても関わったことがない兄弟や姉妹は少なくないであろう。むしろ関わりのある人物の方が珍しいとも言える。
シュルティラは忌み子として扱われていたためだろうか、決してその顔を見せぬようにと頭部に黒い布を被せられていた。そのため彼の顔を見ることは出来なかったし、何より見ようとも思わなかった。シュルティラは不吉な存在。だからその顔を見てはいけない。シュルティラは万人が震え上がるような、言葉には形容出来ないほど恐ろしい目をしている。━━━━アーカム国ではそのように伝えられていた。その言い伝えは使用人たちもよく知るところで、離宮に立ち入る使用人も極めて少なかった。もっとも、シュルティラが離宮から出てくることも稀で、使用人の中にはシュルティラと会ったこともない者もいた。そもそもシュルティラに興味を持つ者の方が珍しかった。エルトが知っている限り、シュルティラに近しいところにいた王族は一番目の兄のモクシャか、一番目の姉のキラナくらいのものだった。
モクシャはリシュラーニヤの第一王妃、ニナルカの一番息子で、兄弟や姉妹のことを誰よりも気にかけていた。面倒見も良く、エルトもよく彼に世話を焼かれたのを覚えている。エルトに武術の指南をしてくれたのもモクシャで、彼自ら武器を取って教えてくれていた。そんな性格からだろうか。兄弟姉妹に慕われているモクシャは、忌み子であるシュルティラのことも案じていた。彼のところに食事を運んだり、身の回りの世話をしていたらしい。よく両親や使用人に隠れてこっそりと離宮に向かっていた。それをエルトが見つけた時に、彼は苦笑いを浮かべながらも諭すように腹違いの弟の頭を撫でた。

━━━━罷り間違っても兄弟なんだ。忌み嫌う前に、一度は話しておかないと。

そう言うモクシャの心がエルトは未だにわからないでいる。どうして其処までシュルティラを心配できるのか。兄弟以前に、シュルティラは幾度もアーカム王家を脅かしてきたのだ。下手したら殺されるかもしれないというのに、恐れずになどいられない。モクシャが平然として離宮へ向かう度に、どうして兄上は彼処まで平気でいられるのだろう、と疑問に思ったものだった。
キラナはしっかり者のモクシャとは正反対に、何処か頼りない王女だった印象が強い。母親は同じニナルカだというのに、モクシャや他の兄弟とは似ても似つかなかった。王女としての責務は荷が重すぎると言って、第一王女であるにも関わらず部屋にこもってばかりいた。塞ぎ込んでいるという訳ではなくて、ただ人前に出たくなかっただけのように思える。それゆえエルトもキラナの姿をあまり見たことがなかった。ニナルカはそんな娘の行く末を心配していたようで、キラナの年齢が重なっていく度に彼女に厳しく接するようになっていった。それが辛かったのだろう、キラナは母親のことを避けるために、彼女が絶対に入りたがらない場所へと逃げ込んだのだ。


そう、すなわちシュルティラの生活している離宮である。


使用人たちもキラナが離宮にこもっていることには頭を抱えていたらしく、度々エルトはそういった話題を耳にした。キラナを連れ出すには忌み子のいる離宮に入らなければならない。誰もが離宮に入ることを躊躇った。結局キラナは本当に重要な用事の時にだけモクシャが連れ出すことになった。さすがのキラナも兄の言うことを無視するわけにはいかず、渋々といった風で外に出ていたようだ。
此処までが、エルトが見た限りでのシュルティラの周囲だった。忌み子と恐れられ、離宮から出ることもほとんどなく、顔を見せることもないシュルティラ。そんな彼をエルトが酷く憎み、恐れる理由は別にある。彼が忌み子でなかったとしても、実の兄でなかったとしても。どのような背景を抱えていようとも、エルトは決して、シュルティラを赦すことが出来ずにいるのだ。

3ヶ月前 No.32

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

━━━━それは、アーカム国が滅ぼされる半年程前のことだった。

その日、エルトはいつも通りにモクシャから武術の稽古を受けていた。たしか、槍術を習っていた気がする。一通り稽古を済ませてから、エルトはモクシャと他愛ない話をしながら休憩をしていた。モクシャは聞き上手で、まだ幼さの抜けきらないエルトの話もいつも嫌な顔せずに最後まで聞いてくれる。そのためエルトもモクシャと話すのは好きだった。そんな兄弟を、近くにいる衛兵たちも微笑ましげに眺めていた。
すると、珍しいことに、離宮の窓からシュルティラが此方に視線を向けていた。向けていたといっても、彼は相変わらず顔に布を被せていたので表情まではわからなかった。身を強張らせるエルトとは正反対に、モクシャは笑いながらシュルティラへと手を振った。

━━━━おぉい、シュルティラ。良かったら、お前もこっちに来ないか。

そんなモクシャの誘いに、シュルティラはこくりとうなずいて返答した。シュルティラは基本的に言葉を発することがなく、エルトも彼が喋っているところを見たことがなかった。だから勝手にエルトはシュルティラは喋ることが出来ないものだと思い込んでいた。
とことこと、ゆっくりとした足取りでシュルティラはエルトとモクシャのいる中庭へとやって来た。警戒する衛兵たちを視線で下がらせて、モクシャはシュルティラのもとへと駆け寄っていった。エルトは彼のようにシュルティラに近付くことは出来ずに、遠目から見ていることしか出来なかったが。

━━━━お前がこっちを見ているなんて珍しいな。もしかして、お前も稽古を付けてほしかったのか?

他の兄弟にするのと同じようにシュルティラの頭を撫でながら、モクシャはシュルティラそんなことを尋ねた。シュルティラは暫しの間を置いてから、おもむろに首を縦に振った。モクシャはそれが嬉しかったのか、ますますシュルティラの頭を強く撫でた。モクシャとシュルティラの年齢は6つも離れていたので、モクシャからしてみればシュルティラも可愛いものだったのだろう。だからそのように、軽々しく稽古を付けようと思えたのかもしれない。
シュルティラはモクシャから手渡された竹製の槍をじっと凝視していた。布を被っていても、それがよくわかる程に。見ていたエルトは不安でならなかった。竹槍を持ったシュルティラが、いつモクシャの首筋を狙うかわからなかったからだ。

━━━━まずは好きに打ってみると良い。勿論手加減なんてするなよ。

にこやかに言って軽く竹槍を回すモクシャに、シュルティラはおずおずといった様子で構えの姿勢を取った。遠慮しているのだろうか。そう思いながら、ついエルトはそちらに視線を送ってしまった━━━━次の瞬間だった。


一切の音を立てることなく、シュルティラはモクシャの竹槍を弾き飛ばした。


そんなことが出来るはずない、とエルトは思っていた。だってモクシャは強い。自分に武術を教えられる程に強い。だから年下の小僧に負けるわけがない。軽くいなされるわけがない。そうだ、今のは何かの間違いだ。そうエルトは信じたかった。モクシャが一瞬で不利な状況に陥るなんて信じたくなかった。
シュルティラは信じられない速さで竹槍を構え直すと、そのままモクシャの首もとにそれを突き立てるかの如く前に突き出した。兄上、とエルトが叫んだのは覚えている。何もかもが速すぎて、声を上げることしか出来なかった。
幸いなことに、衛兵たちが直ぐ様シュルティラを取り押さえてくれたのでモクシャは怪我をせずに済んだ。エルトは火が点いたかのようにわんわんと泣いてモクシャに抱きついた。当の本人であるモクシャは心此処に在らずといった様子で、ぼんやりとしてエルトに抱きつかれても何も言わなかった。それほど衝撃的だったのだろう。まだ幼い義弟が、自分を瞬殺出来るだけの武芸の才を有しているなんて。
それ以降、モクシャは離宮に寄り付かなくなってしまった。シュルティラがそれから外に出ているところを見ることはなかったし、エルトも深くは考えないことにした。偶然起こってしまった事件。それだけで良いのだと、自分に言い聞かせた。

3ヶ月前 No.33

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

これまでのシュルティラとの関わりで、彼が恐ろしく、そして脅威となる存在であることはエルトも十二分にわかっていた。しかし恐ろしいだけで、一切憎らしい、恨めしいといった気持ちはなかったのである。もっとも、その時のエルトはまだ10歳であったから、そういった感情が上手く働かなかったのかもしれない。
けれども、彼の感情はある一件によって大きく揺り動かされた。10年の月日が経っても、依然としてシュルティラを憎まなければならない理由が出来てしまったのだ。

忘れもしない、10年前の戦火。

あの日、エルトは母親のアルニールと、その侍女と共に王宮で待機していたが、もうじきティヴェラ軍が王宮に迫り来るということで、苦肉の策ではあるが外界落ちを決行することになった。アーカムの王族にとって外界落ちは屈辱的な行動でもある。アーカム王家の祖たちは地上を捨ててまで楽園を、理想郷を創ろうとシャルヴァに移り住んだにも等しいのに、再び捨てたはずの地上に戻らなくてはならないのか。アーカム王家の者として、エルトもそれはよく理解していた。地上は住みにくく、苦しみに満ちた醜い世界だと聞いている。果てのない空と、いつ墜ちてくるかわからない星というものと、何もかもを焼いてしまうのではないかと思わせる程の熱を放つ太陽なる存在が頭上に浮かぶのだという。地上の人間からしてみればそれが当たり前なのかもしれないが、それらを一度も見たことがなく、また誇張して伝えられたエルトにとっては不安材料でしかなかった。

━━━━エルティリナ、きっと大丈夫ですよ。さあ、他の王妃様……レトヴィティー様や、彼女のお子様たちもお呼びしましょう。

不安に顔を染めるエルトを、アルニールは何処か疲れたような笑顔で励ました。この時、王であるリシュラーニヤやモクシャ、第二王子のベールディーは既にティヴェラ軍との戦いで戦死している。それもあってか、アルニールの心痛はその表情に現れるまでになっていた。それでも気丈に幼い我が子を励ますのは、それが一人の母親としての責務と考えていたからだろうか。
リシュラーニヤには三人の王妃がいた。一人はモクシャやキラナの母親であるニナルカ、二人目はアルニール、そして三人目はレトヴィティーという、王妃たちの中ではいちばん子沢山な女性だった。レトヴィティーは忌み子であるシュルティラを産んだアルニールを嫌悪しているようだったが、エルトはアーカム王家の血を引いた子ということもあってか彼女から何をされることもなかった。むしろ他の子供たちと共に可愛がられていたと言っても良い。レトヴィティーの子たちにも可愛がってもらっていたため母親とは反対にエルトはレトヴィティーが苦手ではない。彼女やその子供たちも自分たちと同じくまだ王宮にいる。アルニールは彼女らに自分たちと共に外界落ちしないかと誘いをかけるつもりのようだった。ニナルカは第一王妃ということもあって誘うのが難しいと考えているようで、彼女の名前を出すことはなかった。まあニナルカは男勝りで勝ち気、リシュラーニヤに物を言うことの出来る数少ない人物だったので、アルニールの保守的な提案に乗る可能性はエルトも低いと考えていた。
そういった訳で、エルトとアルニール、そして数人の侍女はレトヴィティーの部屋に向かったが、彼女の自室には人っ子一人いなかった。子供たちの部屋も見て回ったが、どれももぬけの殻だった。既に脱出してしまったのだろうか。そんなことを思いながらエルトたちは一先ず自分たちだけでも王宮から外界に繋がる洞穴まで移動しようと決めた。侍女はアルニールとエルトの前後に付き、前方の侍女たちが様子を窺いながら進んでいった。まだティヴェラ軍は王宮にまでは侵入していない。混乱に巻き込まれないようにと、一行は隠し通路を通っていた。この隠し通路は一階の広間に繋がっている。広間に着いてしまえば外に出るのは容易い。

━━━━アルニール様、先に広間の様子を見て参ります。

前方を歩いていた侍女の一人がそう言って、それに続く形で他の侍女もひょいと広間に出ていった。壁の向こうはえらく静かで、何も起こっていないのだと自分に言い聞かせてもエルトは恐ろしくて仕方がなかった。アルニールは自分も不安であるのだろうに、そっとエルトを抱き締めて頭を撫でてくれていた。そんな母親の優しい手付きが心地よくて、エルトは思わずアルニールにくっつく。


だが、悲鳴が響き渡ったのは、あまりにも突然のことであった。


恐らく広間に出ていった侍女のもの。唐突な出来事に身をすくませるエルトを抱き上げて、アルニールは咄嗟に広間へと出た。その後を後方に付いていた侍女たちが慌てて追いかける。

━━━━何があったのです!?

先に広間に出ていった侍女たちは、ガクガクと震えながら床にへたりこんでいた。アルニールは直ぐ様彼女たちのもとへと駆け寄ってそう問いかける。侍女たちはぶるぶる震えたまま、何も言わずにゆっくりと目の前を指差した。アルニールとエルトもすぐにそちらを向く。


血の海とは、まさに目の前の光景のことをいうのだろう。


侍女が指差した方向に広がっていたのは、身体の何処かしらからおびただしい量の血を流して倒れ伏すレトヴィティーとその子供たち、そしてその衣服や手にしている剣を血に濡らしながらその場に立ち尽くすシュルティラだった。今まで侍女たちに気を取られていたせいでこの地獄絵図に気づけずにいたアルニールは声にならない悲鳴を上げ、彼女に抱かれるエルトは衝撃のあまり目を見開いていることしか出来ずにいた。

━━━━シュルティラ……?

掠れた声で、アルニールは自分の産んだ子へと呼び掛ける。後方から着いてきていた侍女たちが王妃様、とアルニールを制止しようとする。しかしアルニールは、唇を震わせながらシュルティラに呼び掛けるのをやめようとはしなかった。

━━━━何故、このようなことを……シュルティラ、あなたは王族なのですよ。アーカム王家の血を引いているのですよ。それなのに、それなのに……あなたは一族までもを滅ぼすというのですか……?

シュルティラは答えない。何も言うことなく、こくりとうなずくだけだった。アルニールの喉から嗚咽が漏れる。これ以上は危険だと判断したのだろうか、後方に付いていた侍女たちがアルニールを無理矢理促して一行はバタバタと広間から出ていった。


━━━━忘れるものか。


エルトはあの日、初めて誰かを憎いと思った。絶対に報復しなければと思った。幼い心に癒えぬ傷を作るには、もってこいの状況だったのである。
レトヴィティーやその子供たちを殺したシュルティラ。血の繋がった兄のシュルティラ。忌み子のシュルティラ。母親を泣かせたシュルティラ。それら全てをエルトは許さない。決して赦すことはない。彼を殺してティヴェラ国に報復するまで、この憎悪の焔が消えることはないのだろう。少なくとも、これまでの10年間で、彼の心からシュルティラへの憎しみが消えることは一度もなかった。

3ヶ月前 No.34

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第6幕:緑纏う者たち】


王立図書館に赴いてから一日が経った。

あの時、エルトはシュルティラに何らかの術かなにかで吹き飛ばされて打ち身を負い、集落に戻るとすぐにリリアのところに引っ張られていった。そのためヴィアレは昨夜は悲しく一人寝したということになる。人肌恋しいという奴なのだろうか。ナラカのところに行ってみようかとも思ったが、彼女が嫌がるかもしれないのでやめておいた。ついでに言うとナラカは帰ると倒れるように眠ってしまったので起こすのが躊躇われた、というのもある。疲れたのだろう、ヴィアレにもその気持ちはよくわかった。

(……まさか、シュルティラがエルトの実の兄とは……)

馬車の中で口には出さなかったが、ヴィアレはシュルティラとエルトの関係性に驚きを覚えずにはいられなかった。例の書物は割りと最近のことまで記されており、エルトが生まれたことまでは記録に残っていた。それによってエルトが20歳ということを知ることができたし、彼が王族という話は真実だった。
何故エルトがシュルティラを見てあそこまで取り乱していたのか、ヴィアレにはわからない。何らかの事情があるのだろうとは予測するが、深入りするつもりもなかった。エルトにはエルトの事情というものがあり、彼が話すまではそれを聞き出さない。ヴィアレはそう決めていた。

「……ヴィアレ、聞いておるのか?」
「むっ!?も、勿論だぞ!?」

真剣に考え事をしていたところ、ぺしっと後頭部を軽く叩かれてヴィアレはすっとんきょうな声を上げる。見上げた先には呆れ顔のリリアがいた。それによってヴィアレはエルトの見舞いにと彼女の家を訪れていたことを思い出す。たしか先程リリアがエルトに面会の許可を尋ねてくると言って、その間に茶の間に通されて茶を飲んでいたところだった。

「そ、それで……どうなのだ?エルトの様子は」
「うむ、身体の方は問題ない。骨も折れておらぬし、やはり打ち身だろう。今日一日安静にすれば、明日には立って動けるだろうよ。……ただ、面会は遠慮するとのことだ」
「そうか……感謝するぞ、リリア」
「構わぬ。どうせこの集落で最も医学に精通しておるのは妾だからな。この程度の手当ては朝飯前よ」

リリアは自分の分の茶も入れてヴィアレの隣に座る。ぼふん、と彼女の豊かな胸元が机に乗っかる形になった。ヴィアレはそういったものへの耐性がなくとも其処に劣情を覚えるほど精神的に成長している訳ではないので、重くないのかとか、肩凝りが酷かろうとか考えるくらいである。

「……そういえば、ナラカはどうだ?彼奴は怪我をしてはおらぬか?」
「ナラカは大丈夫だそうだ。昨日帰り道に聞いてみたが『大丈夫』の一点張りでな。目立った傷もなかったぞ」
「そうか、それなら良いのだが……。彼奴が着いていったと聞いて驚いたものだよ。ナラカは普段外出をすることが少ないからな」

いつも見るのはつんと澄ました気高さすら感じさせる表情のリリアだが、ナラカの話をするときだけは彼女の表情が幾分か和らぐ。口元が僅かに緩んで普段の引き締まった顔つきがなんとなく親しみのあるものに変わるのだ。ヴィアレとしてはこちらの表情のリリアの方が好ましく思える。彼は母親の顔を知らないから、母親とはこういったものなのかとふと思うことがある。もっとも、リリアはヴィアレの母親と言うにはやや若すぎる気がしないでもない。あくまでもヴィアレの想像である。

「……どうした?妾なぞを見てもお前に利はあるまいに……」
「いや、リリアはナラカのことが心配なのだと思うてな」
「お前に言われたくはないぞ、ヴィアレ。ナラカと友になりたいなど、また大きく出たものだな。上手くいったら祝ってやろう」
「言うたなリリア!?その約束、忘れるでないぞ!」
「あまり騒ぐな。患者が怒る」

ひらひらと手を振りながら苦笑するリリアに笑みを返してから、ヴィアレは出された茶をぐいっと飲み干して席を立つ。律儀に「ご馳走さまだぞ!」と口にしてから、彼にとっては普通に歩いているつもりなのであろう小走りでリリアの家を出ていった。

「……若いものよなぁ」

そんなヴィアレの後ろ姿を眺めながら、リリアは感慨深そうにそう呟く。その瞳には憧憬にも似た感情が浮かんでいるようにも見えたが、灯台もと暗し、リリア本人はそのことを知らぬまま食器の片付けに入った。

3ヶ月前 No.35

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

エルトが目を覚ました時、真っ先に彼の目に映ったのは薄暗く、だがしかし真っ白だとわかる天井であった。徐々に体の感覚も戻り始め、自分の肩から下が心地よい冷たさの水に浸かっていることを思い出す。ぴちゃ、と小さな水音を立てさせながらエルトは右手を上げる。昨日強かに打ち付けたはずだが、不思議なことに痛みはなくなっていた。

「……起きたか」
「……!リリア殿……」

きぃ、という僅かに扉の開く音と共に、リリアの声がエルトの耳へと入る。エルトは咄嗟に身を起こそうとしたが、自分が一糸纏わぬ姿であることに気づいて上半身をもたげるだけに留めた。たしかにリリアは今更エルトの裸など見ても動じることはなさそうだが、これはエルトの意地のようなものだ。王族たるもの、その玉体を容易に平民に見せるべからず。そう教わってきたではないか。ナラカには見せてしまったがあれは事故なので仕方ない。

「……別に取って食いはせぬ。それよりも、だ。ヴィアレが来ているが……面会させるか?」
「そのようなことは……っ……。……ヴィアレが、ですか。……いえ、面会は遠慮すると、お伝えください」
「わかった。そう伝えよう」

リリアの言葉に困惑しながらも、エルトは彼女の問いかけに答える。ヴィアレが自分を心配して来てくれたことはわかっていたが、今はなんとなく彼と会いたいと思えなかった。醜態を晒したくないから、ということも勿論あるが、エルトとしては昨日彼に叱咤されたことが強く印象に残ったのである。
あの時エルトは錯乱していた。と言うよりは、目の前のシュルティラに夢中になって周りが見えていなかった。そして彼の“気”によって為す術もなく吹き飛ばされた。ヴィアレが怒る気持ちはよくわかる。自分だったら怒る間もなく見捨てて逃げていたかもしれない。それだけ自分は愚かなことをしたのだという実感があった。いくらシュルティラが目の前に現れたからといって、あそこまで先走るべきではなかった。近くにはナラカもいたというのに、目先のことに気を取られて突っ走ってしまった。

(……だが、シュルティラは私やナラカを殺そうとはしなかった)

右手を眺めながら、エルトはそんなことを思い出す。たしかにシュルティラは五大以前の……シャルヴァの人間が五大の恩恵を受けるに当たって必要とする性質のようなものをぶつけただけだった。ぶつけただけとは言っても、そもそも“気”を操るだけでも相当な手練れである。剣術で言うところの峰打ちのようなものだ。エルトには何故シュルティラがそういった行動に出たのか疑問だった。シュルティラは血族でも何でも容赦なく殺めるような人間ではなかったのか。手加減するだけの理由でもあったのか。エルトの身分を知らないとは言え、彼は平民を襲わないのだろうか━━━━。それらの疑問はエルトの脳内をぐるぐると回り続ける。

(……心変わりでもあったというのか?あのシュルティラに……?)

エルトはシュルティラが誰かと接しているところをあまり見たことがないが、彼が何らかの形で意思の伝達をするのだろうということはなんとなく理解していた。シュルティラは基本的に言葉を口にしようとしないが、耳は聴こえるらしくモクシャの言葉にも反応を示していた。キラナはエルトもあまり姿を見かけなかったが、彼女とも関わりがあったのだろうか。そもそもキラナはあまり人と関わることを好んでいなかったようで、それゆえにシュルティラがいることも顧みずに離宮にこもったのだろう。図太いのか人見知りなのか、エルトにはわからない。

(……考えていても仕方がない。今は打ち身の療養に集中せねば)

ちゃぷ、と顔を拭ってから、エルトは再び宙を仰ぐ。恐らくリリアは水の恩恵を受けているのだろう。エルトが浸かっている浴槽の水も彼女によって治癒機能が施されたものと思われる。リリアによれば明日には動けるようになるとのことだった。だとしたら、今は我慢して水に浸かっているしか出来ない。エルトは目を瞑り、とろとろと微睡みの中に落ちていった。

2ヶ月前 No.36

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

ヴィアレがナラカの家へと戻ると、さすがに寝起きのよろしくないナラカも既に起床して朝食にありついていた。恐らくノルド辺りから分けてもらったのであろう。何もない時は貰い物を食べると聞いていた。基本的に自分から料理をすることはないらしい。

「……お帰りなさい。エルトさんのところ、ですか?」

気だるそうな表情を隠すことなく表面に出しながら、ナラカは口をもごもごさせてそうヴィアレに尋ねる。彼女とヴィアレは昨日、アシェリムとも協力して集落に帰ってきてから馬車の中で既に気を失っていたエルトを頑張ってリリアのところまで運んだのである。ナラカは文句を垂れながらもなんだかんだ言って手伝ってくれた。疲れきったアシェリムとヴィアレだけでは色々と危ないかと思われたが、ナラカがいたおかげで無事にエルトを送り届けることができた。

「うむ、明日には動けるとのことだ。骨も折れておらぬようだな」
「そうですか……。……ヴィアレさん、ひとつ聞いても良いですか?」
「んっ?なんだ?」

ずい、とナラカにしては珍しく此方に身を乗り出してきたために、ヴィアレも思わず彼女と見つめ合う形になる。ナラカはじっとりした視線をさらに強めながら、ごくんと噛んでいたものを飲み込んでから口を開く。


「羅刹の対処法は見つかりましたか?」


一秒、二秒、三秒。ヴィアレとナラカは見つめ合ったまま、しばらく沈黙していた。そうだ、そうだった。シュルティラとの遭遇でばたばたしていたが、肝心なのはノルドを如何にして羅刹に勝たせるか、少なくとも彼が死なないようにするにはどうしたら良いかを考えることだった。というかそのためにわざわざ王立図書館に行ったのだ。ヴィアレはあの時読んでいた書物は図書館に置いてきたままだし、勿論それの内容を一語一句覚えてはいない。そもそも羅刹がどうとかいう頁まで至っていない。ヴィアレの頬にたらりと汗が流れる。完全に忘れていた。これはナラカに責められても文句は言えない。怒られたら素直に謝ろう、そうヴィアレは覚悟を決めた。

「……まあ、私も上手くは見つけられなくて……これからどうしようかと思っていたんです。お互い様です」
「そ、そうだな、うむ!あれは仕方なかった、シュルティラと会うなんて我らにはわからぬしな!」

しかしナラカの対応は思ったよりもだいぶと柔らかいもので、ヴィアレも慌てて彼女に同意を示す。ナラカは朝食の芋団子を全て食べ終えてしまうと、ふぅと息を吐いて立ち上がった。

「ともかく、今はシュルティラとかより羅刹のことを考えないと駄目ですね。ノルドさんのこともありますし」
「うむ、そうだな。ナラカ、そなたのちょろまかした書物には羅刹のことは載っていなかったのか?」
「少しだけ。でも、対処法まではありませんでした。羅刹がどういった存在なのか、くらいしか……。それを見て余計危機感が生まれたというか、なんというか……」

口元をもごもごとさせながらうつむくナラカの表情は浮かない。それほどノルドのことが心配でたまらないのだろう。普段はぶっきらぼうで無愛想だが、やはりナラカは心優しい少女なのだとヴィアレは改めて実感する。そうでなければノルドのために書物を読み込んだりはするまい。ヴィアレはそんなナラカを励ましたくて、彼女の頭をわっしゃわっしゃと撫でた。案の定ナラカはびくりと身体を震わせて、驚いたようにヴィアレを見た。

「な……何を……」
「いや、他意はないのだ。我はそなたを励ましたくてな。吃驚させてしまったのならすまぬ」
「は、はあ……そういった時は事前に一言言うものなのですよ。そうしないと誤解されてしまうこともありますから……」
「成る程そうなのか!勉強になったぞ」

ナラカもナラカでヴィアレの扱い方というものをなんとなくわかってきたのだろう。若干驚きを隠しきれずにはいるが、その口調は今までよりも落ち着いたものだった。やめて、と言わないところから見て心配されたことは別に嫌ではなかったらしい。ナラカの控えめな制止と忠告に、ヴィアレはやはりくそ真面目かつ前向きに対応した。

「……私はこれから外に出てきますけど……ヴィアレさんはどうしますか?」
「我も行くぞ。して、何処へ向かうのだ?」
「ノルドさんのところに、お皿を返しに行くんです。帰りに会えたらアシェリムさんのところにも寄るつもりでいます」
「あいわかった!」

元気よく返事をしたヴィアレを一瞥してから、ナラカは荷物を持って家を出ていく。ヴィアレも軽い足取りで、自分のものよりも華奢なナラカの背中を追いかけた。

2ヶ月前 No.37

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

ナラカによれば、ノルドの家は広場のすぐ近くにあるとのことだった。彼女は料理が出来ないためにノルドの家からお裾分けしてもらうことが多く、それもあって彼の家を覚えてしまったらしい。覚えていなくてもノルドはこの集落の中心的な人物なのでそのうち他の住民から教えてもらえるでしょう、とナラカは口にした。

「でも、あなたはともかく、私は気味悪がられている身でしたからね。ノルドさんがいらっしゃらなければ、こうして普通にやっていくことは難しかったかもしれません」

やや自虐的な笑みを浮かべながら、ナラカはヴィアレにそんなことを言った。ヴィアレとてナラカが東の洞穴からやって来たせいで、ティヴェラ国の斥候か何かかと彼女が疑われていたことがあることはエルトから聞いていたので知っている。だからなんとなくだが、ナラカの言葉に胸の内がもやもやとしてしまう。ナラカも集落の住民から避けられていることを彼女なりに気にしているのだろうか。
そんなことを考えていると、ナラカが「あっ」と唐突に声を上げた。ヴィアレが思わずそちらに顔を向けると、ナラカが小走りで駆けていくのが見えた。彼女が行く先には広場で何やら竹槍のようなものを振っているノルドがいる。どうやら自稽古のようなことをしているらしかった。

「おう、ナラカ!お前にしては早いな、どうした?」
「お、お皿を返しに。……ノルドさんこそ、朝からお稽古ですか?」
「ああ。“選定の儀”も近いからな。体が鈍ったらいけないだろ?」
「……そう、ですね」

からりとした笑顔を浮かべるノルドとは対照的に、ナラカの顔は浮かない。どうしてノルドはもうすぐ自分が死ぬかもしれないというのに、こんなにも快活な笑顔を浮かべていられるのだろう。怖くはないのだろうか。嫌ではないのだろうか。ナラカがもし同じ状況に置かれていたらこうも笑ってはいられない。
ヴィアレはそんなナラカを少し離れたところから眺めていた。彼女の気持ちは痛いほどよくわかる。何故、どうして。そんな感情がありありと顔に表れている。ナラカは普段無表情だが、一度表情が浮かんでしまえば内心が非常にわかりやすい。この三日間でナラカがヴィアレの扱い方をわかり始めたように、ヴィアレもナラカの感情の起伏を理解し始めていた。

「おっ、ヴィアレもいるんじゃねぇか。お前らもしかして良い仲なのか?ん?」
「何言ってるんですかノルドさん……。そんな訳ないでしょう……」
「そうか?我はそなたとそこそこ仲良くなれたものかと思っておったが……」
「余計なこと言わんで良いので其処は笑って誤魔化しといてください!!」
「ナラカ、お前そんな表情も出来たんだな……」

一言多いヴィアレをきっと睨み付けるナラカにノルドは意外そうな顔をする。恐らくノルドはナラカのこういった表情を見たことがないのだろう。そういえば、一昨年ヴィアレが初めてナラカと出会ったときも同じような対応をしていたような気がする。ナラカはというと顔を真っ赤にしながら顔の前で両手をぶんぶんと振って全力で否定の意を示している。

「ち、違うんですノルドさん……!あの、えっと、これはですね……!」
「……ヴィアレとはなんだかんだで打ち解けてきたからそれなりに物を言えるようになった、ということか?」
「ばっ、な、何を……っ!!」

ノルドに必死の弁明をせんとしていたナラカだったが、横合いから図星とも言える言葉を放たれて一瞬動きが固まった。しかしすぐにナラカは振り返って抗議の声を上げようとし━━━━再び固まった。

「さ……さ、サヴィヤさん……?」
「一昨日振りだな」

どうせこんなことを言うのなんてヴィアレくらいのものだろう、ナラカはそう考えていたのかもしれない。だが振り返った先にいたのはヴィアレではなく、炊き出しの際に出会ったこの世のものとは思えぬ美男子━━━━そう、此方に手を振るサヴィヤだったのである。彼となら上手く話せるし、何より話していて楽しいと思えるから、また会いたいとナラカが密かに思っていた相手。それが今目の前にいる上に図星を突かれたのだ。下手したらナラカはさらさら砂になって飛んで行きそうな雰囲気をかもし出している。
そんなナラカとは対照的に、ヴィアレとノルドは明るくサヴィヤに手を振り返した。それを見たサヴィヤは満足気に口元を綻ばせる。

「サヴィヤ、思ったよりも早かったな。仕事が一段落したのか?」
「今のところは、だが……まあ、そうだな。これから大仕事が入るからと、休暇を貰えた。もしかしたら次に来るのは少し後になるかもしれない」
「そうかよ。お前も大変だな」
「大変……なのだろうか。だが、心配させたのならすまなかった。……ところでノルド、鍛練などしてどうした?此処等の集落は狩りをしないものだと聞いていたが……」

ノルドとサヴィヤは以前から気心が知れた仲なのだろうか、気さくに話していたが、ふとサヴィヤがノルドの鍛練に訝しげな視線を向ける。彼は知らないのだろう。ノルドが“選定の儀”に選ばれてしまったことを。ヴィアレもナラカも言い出しづらい中、がしがしと頭を掻きながらノルドが切り出した。

「いやぁ、そのよ……。俺、“選定の儀”に選ばれちまったんだ。だからこうして毎日鍛練をしてる」
「“選定の儀”……?勝ち目は、あるのか……?」
「……今のところはない。けど、やらなきゃいけないだろ。だったら俺に出来ることをするだけだよ」

そう言うと、ノルドはサヴィヤやヴィアレ、ナラカに背を向けて歩き出そうとする。ナラカが咄嗟に追いかけようとしたが、その前にサヴィヤが口を開いた。


「“森の民”を頼れ」


その言葉に、ノルドが勢い良く振り返る。ヴィアレとナラカはサヴィヤの口にした言葉の意味がわからずに首を傾げたり眉を潜めたりしていたが、ノルドにとっては重大なものだったらしい。ずんずんと大股でサヴィヤのところまで戻ると、彼の細い肩をがばりと掴んだ。

「……本当に、いるのか?作り話じゃ、なかったのか?」
「それは俺にもわからない。だが、一度彼らの住むという森を訪れてみるべきだ。羅刹に勝てる手段などごく限られている。そのためなら、藁でも何でも掴むしかあるまい」
「……そりゃあ大層な大博打だな。……良いぜ、乗った。俺は何をすれば良い?」
「……俺も行ったことはないからわからないが……とりあえず、野営に必要なものは揃えておくと良いだろう。あの森はティヴェラ軍も容易には入らない。どんな危険が潜んでいるかわからないからな」

そのサヴィヤの言葉に、ノルドは彼を掴んでいた己の両手をおもむろに離した。そして何かを思い立ったように駆け出してしまう。再び彼を追いかけようとしたナラカだったが、ぐっと何かを堪えるように立ち止まる。そんなナラカの肩に、サヴィヤはぽすんと無言で片手を置いた。

「……ありがとう、ございます。サヴィヤさん」
「我からも礼を言おう。忝ない」
「俺はまだなにもしていない。……だから、礼を言われる権利はないにも等しい。……ヴィアレ、そういえば、エルトは何処だ?まだ寝ているのか?」
「……エルトは、少し怪我をしてな。リリアの家で療養している。明日には完治するらしいが……」
「そうか。わかった」

まだ話は終わっていないというのに、サヴィヤは簡潔に返事だけするとすたすたとリリアの家の方角に向かって歩いていってしまった。ヴィアレはそんなサヴィヤの背中を複雑な面持ちで眺めるナラカに肩を竦めてから、彼女の肩を軽く叩いて家に戻ろうと促した。

2ヶ月前 No.38

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2ヶ月前 No.39

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ノルドやエルトが言っていた通り、“森の民”がいるという杉の森まではけっこうな距離があるようで、一行は途中で休憩を挟みながら目的地を目指した。途中でナラカが馬車に揺られて酔ってしまったのか、それからずっと青い顔をしている。それでもエルトの近くには居たくないのか、縮こまるようにして馬車の隅にうずくまっていた。
そうこうしているうちに馬車は杉の森の前までたどり着いた。太陽が出ているわけではないのでどのくらいの時間が経ったのか具体的にはわからなかったが、とにもかくにも相当な時間がかかったのはヴィアレにもわかる。途中で居眠りしてしまって、はっと意識を取り戻した時にはエルトがじっとりした視線を此方に向けていたのは良い思い出だ。別にエルトが運転しているわけではないのだし、ノルドが良いのなら別に眠ったって良いではないか、とヴィアレは抗議したかったが、口喧嘩でエルトに勝てる気がしなかったので申し訳なさそうな顔はしておいた。ヴィアレもここ数日で学んだらしい。

「此処からは馬車で入れないから徒歩で進むことにするぜ。必要なもの以外は布をかけて隠しておくから準備しておきな」

ノルドに促されて、ヴィアレたちは馬車に乗せていた荷物を分けたり背負ったりと準備を始める。ナラカもまだ調子が悪そうだったがよろよろと立ち上がって荷物をまとめていた。

「おい、ナラカ……お前、本当に大丈夫か?」
「……行けないというのなら此処で待っていてくれても構いませんが」

そんなナラカの様子を見たノルドは彼女に駆け寄って背中を擦る。ずっと馭者として馬車を操っていたためにナラカの様子を見ることが出来ずにいたのだろう。ノルドとは対照的に、エルトは至極冷淡にナラカへと声をかける。使えない人間はいらない。そんな響きを含んだ声音にその場の空気がぴりっと固まる。ナラカはノルドに背中を擦られながらも、エルトを睨み付けるのを忘れない。

「……私は大丈夫です。行けます、いっしょに行けます。だから心配しなくても良いです。大事なのは“森の民”に会うことですから……」
「そ、それなら良いんだけどよ……」
「無理はせぬようにな、ナラカ。辛くなったら我が背負うぞ」

まだ心配なのか複雑そうな表情を浮かべるノルドに続いて、ヴィアレも彼女の顔色を窺う。顔色こそ悪いものの、エルトに言い返すことが出来ている辺り重症という訳でもないのだろう。それだけの元気があれば良いのだが、と思いながらヴィアレは時折此方を振り返りながら先に進むノルドと、それに続くエルトの背中を追いかける。一瞬ナラカを最後尾にしてはいけないのではと考えたが、ナラカにはナラカの調子というものがあるのだろう。気にするなと言わんばかりにしっしと手を振られた。実に素っ気ないというか、可愛いげのない行動だが、ヴィアレがそれに否定的な感情を抱くことはなかった。それがナラカという少女の性分なのだろう、そんな風に肯定すら出来ている。人間の汚い部分をついこの間までよくわかっていなかったヴィアレだからこそ、これほどまでに前向きでいられるのかもしれない。

「……それにしても、この杉の森はどのくらいの大きさなのでしょうね。私も実際に見たり入ったりしたことはないので不安ではあります」
「具体的にどのくらい、とは言えないんだけどな。おおよそだが、恐らくこの森はちょっとした国程度の大きさがあるものと思われている。横に長いから進み方によっては遭難もしかねないらしいな」
「……成る程、それだけの大きさがあるのなら住民がいても可笑しくはありませんか……」

ノルドの話を聞いていたエルトは顎に手を遣りながらふむふむと考える素振りを見せた。エルトも噂にしか聞いたことがないのでこの森についてはいまいちわかっていない。そのためある程度の情報は得ておきたかった。
エルトが今回ノルドに同行したのは、彼という戦力を失わず、かつ伝承にあった“森の民”を手中に入れるためである。かつて彼らがティヴェラ軍を食い止めたという噂が真なら、ティヴェラへの報復を目指すエルトにとっては大きな力となるだろう。味方としては十分な戦力になる上に、万が一の事態に陥ったとしても彼らの森へと逃げることだって出来る。攻めでも守りでも利用価値のある存在。手に入れられたらどれだけの利益になることか。考えるだけでもエルトの口角は上がりそうになる。

「しばらく歩いて良い場所が見つかったら其処で野営にするぜ。その時は手伝ってくれよな」
「わかりました」
「うむ、了解だ!」

ノルドからの言葉にエルトとヴィアレは返事をし、ナラカは返事こそしなかったもののこくりとうなずいた。曼荼羅から発せられる光が薄まってきているためだろうか。シャルヴァの時間の感覚は未だに掴めなかったが、ヴィアレはなんとなく納得出来ている自分がいるような気がして、僅かながら笑ってしまったのである。

2ヶ月前 No.40

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2ヶ月前 No.41

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囲まれてしまっている以上、エルトは下手に打って出ることは下策と考えた。ひとまず視線を周囲に走らせてから、エルトは自分たちを囲んでいる人数を大まかにだが把握する。恐らく10人から15人。大方の武器は弓矢を主とした飛び道具だろう。ノルドを投げ飛ばした人物は短刀を得物としているようだったが、まだ武器を仕込んでいる可能性だってあり得る。短刀一本と判断してはいけない。

「……何のつもりですか。私たちはあなた方に敵意を抱いてはおりませんが」
「それは此方の台詞だ侵入者めが。どうせあのティヴェラの手の者だろう。俺たちは他国の民に屈服しねぇと伝えな、そうしたら生きて帰してやらなくもないぜ」

口を開いたのは先程ノルドを投げ飛ばした人物だった。口調は粗野で荒っぽい感じが否めないが、何処と無く幼さの残る声音もあってか不思議と違和感を覚えさせるようなことはない。ただ、此方に敵意を向けていることは明らかであり、のっけからティヴェラ国の手の者と決め付けている。これにはエルトもぎりっと奥歯を噛み締めた。

「誰が、何の手下だと……!?」
「え、エルト!喧嘩は止めよ、今は争っている場合ではなかろう……!」

相手からの挑発に乗りかけるエルトをなんとかして止めようと、後ろからヴィアレが制止の声を上げる。しかしエルトにとってティヴェラ国の手の者と認識されたことは屈辱でしかなく、その瞳には明らかに憤怒の炎が燃えている。ナラカは見たくもないといった様子で彼からそっと視線を外す。まあ、視線を合わせても良いことはないだろうからそれが得策なのだろう。怒り狂った人間に無闇に関わっても良いことなど有りはしない。
緑色の外套を身に纏った者たちは、じりじりとエルトたちとの距離を確実に詰めつつある。飛び道具が武器である以上、こうなっては下手に動けない。ちょっと動いただけでも射られてしまいそうだ。がちがちがちがち、と背中側から歯を鳴らすような音が聞こえてきた。ヴィアレか、それともナラカのものか。恐らく後者であろうとエルトは推測した。ナラカは此処に来てからずっと怯えた風な態度しか示していない。それが誰に向けられているかは場面によって異なるのだろうが。

(どう動けばこの状況を覆せる……!?)

剣を構えながら、エルトは必死にこの状況を打破するための策を練る。しかしさすがのエルトでも打開策を献ずることは出来ず、悔しげな舌打ちが漏れるだけだった。このままティヴェラの者と認めなければならないのか。そう考えるだけで虫酸が走る。いっそのこと敵中に我を顧みず飛び込んでいってしまおうか━━━━。そんな無謀な考えに至るほど、この時のエルトは憔悴していた。━━━━そう、この時までは。

「がっ!?」

それは恐らくエルトたちを囲んでいた者たちの一人の声だったのだろう。どさり、と地面に何かが崩れ落ちる音が聞こえると共に、緑色の外套の者たちの照準が一気にエルトたちから外れた。勿論その隙を見逃すエルトではない。一気に近くにいた者との距離を詰めると、弓を奪い取って遠くに投げ捨て、足を引っ掻けて地面に倒す。ヴィアレもちゃっかり近くにいた外套の者に体当たりをして弓矢を奪っていた。使えるわけではなさそうなのであくまでも武器を奪うだけのようだった。

「ど、どういうことだよ……!?救援か……!?」
「━━━━まあそういうこったな。俺を見くびったお前らの失策だ!」

エルトと会話をしていた外套の者の言葉に、間髪入れることなく戻ってくる返事。彼(もしくは彼女)がはっとして振り返った時にはもう遅い。外套の者の体は地面に押し付けられ、腕を逆手に押さえられていた。ぐ、と外套の者の口から苦しげな声が漏れる。じたばたと手足を動かしてみるも、がっちりと捕まえられているので身動きが取れないようだ。

「なっ……なんで、お前が……!?さっき、俺に蹴っ飛ばされたはずだろ!?」
「そうだな、でも俺は普通の人間よりも“ちょっとばかし体が丈夫”でな。この程度じゃあ傷は負えないみたいだ」

首だけなんとか動かしながら抗議する外套の者を押さえ付けながら苦笑するのは先程蹴飛ばされていたはずのノルドだった。不思議なことにその体には土こそ付いているものの傷のようなものは見受けられない。血だって一滴も流れていなかったし、むしろぴんぴんしている。他の外套の者を御しながら、エルトは半ば唖然としてノルドに声をかけた。

「の、ノルディウス殿。ご無事ならそれで良いのですが……一体何がどうなっておられるのですか……?」
「んー、諸々のことは落ち着いてから話す。とりあえず今はこの状況をどうするか、だな。……おいお前、周りの奴等が攻撃して来ないんだが、これは敗けを認めたってことで良いのか?良いんだよな?」
「っざけんな、まだ敗けちゃいねぇよ……!お前らも何ぼさっとしてんだ、まだ攻められるだろうが!」

ノルドに押さえ付けられながらも叫ぶ外套の者だったが、周りの仲間はおろおろとして動こうとはしなかった。しばらくざわついてから、仲間の輪の中から一人が出てきてノルドに頭を下げる。

「……此方の敗けを認めます。だから、そのお方を放してやっちゃくれませんか?」
「おいティルダ、お前何言ってんだよ……!?俺たちはまだやれるだろ……!」
「長、俺が言えたことじゃあありませんが、少しはご自愛ください。あんたは俺たちの長なんだ、無茶されちゃあ此方が困る。此処は守り手様のところにご案内しましょう。話はそれからですよ」

ティルダと呼ばれた仲間の一人は、あか抜けていながらも長と呼んだ者に敬意を払いながらそう諭した。年若く感じられたが長と呼ばれている以上その者はこの中ではいちばんのお偉いさんという奴なのだろう。その矜持もあるのか、悔しげな表情はしながらもティルダの言葉に反論することはなかった。その様子を見てもう大丈夫と判断したのか、ノルドが長を解放する。長は外套についた汚れを払うと、不本意極まりないといった表情で立ち上がった。

「これから俺たちの里に行く。文句がなけりゃ着いてきな」

反撃されたのがよっぽど気にくわなかったのだろうか、長の足取りは地団駄を踏むそれと似ていた。ティルダや他の仲間たちにとっては日常茶飯事なのだろう。ぽかんとするヴィアレたちの肩を叩くと、いつものことだと言わんばかりに肩を竦めて見せた。

2ヶ月前 No.42

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2ヶ月前 No.43

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取り巻きを下がらせたことで急にがらんとした洞内だったが、それでいきなり室内が沈黙に包まれるということはなかった。いや、ヴィアレたちはなんとなく話しかけづらいのか口は開かなかったのだ。にこにことしながら何処と無くはしゃいだような雰囲気さえ纏っているのは、言うまでもなくテララである。

「それにしても、先程の立ち回りは見事なものだったよ。一体全体、どのような手を使ったんだい?」
「え……先程の場に、あなたはいたのですか……?」

まるで先程の森での邂逅を知っているかのようなシルファの口振りに、エルトが訝しげな表情を浮かべる。ウィルデとその仲間こそいたものの、テララの姿は見受けられなかったはずだ。それなのにどうしてこのように話していられるというのか。そんな意図を含んだエルトの問いかけに、あくまでもテララは穏やかに答える。

「僕はこの森の守り手、だからね。一応この森で起こっていることは全て把握しているんだ」
「その、守り手……というのは?」
「……なんだ手前、そんなことも知らないで此処に来たのか。守り手様はシャルヴァが創られた頃からこの森をお守りなさっている精霊だよ。守り手様がいらっしゃることでこの森は形成されてるんだ」

守り手という単語に関してはウィルデの方から説明をされた。精霊、という単語に少なくともヴィアレは驚愕したものだが、シャルヴァの民にとっては珍しくもなんともないことなのかもしれない。エルトもノルドも驚きを見せることはなかった。ナラカは相変わらずうつむいていて表情が掴めなかったが、きっと自分と同じように驚いていることを願いたい。

「ほら、手前らの質問には答えてやったんだ。今度は手前らが守り手様のご質問に答える番だろ。さっきはどんな小細工を使って俺たちを伸したんだ?」
「こらウィルデ、そんな言葉を遣ってはいけないよ」
「……申し訳ございません」

此方を睨み付けながら声を潜めて迫るように当初の問いかけに及んだウィルデだったが、直ぐ様テララに制止の声をかけられたからか唇をもごもごさせながらも謝罪の言葉を述べた。尤も、その謝罪は守り手たるテララに向けられたものなのだろう。長であるウィルデもテララの言うこと為すことには逆らえないようだ。このやり取りでなんとなくノルドも二人の力関係を察してしまったのか、ばつが悪そうにしながら口を開いた。

「俺の家系はもともと地の力の恩恵を受けていてな。その中でも俺は体の頑強さにその恩恵が割り振られちまったらしい。だからちょっとやそっとの攻撃じゃ怪我を負わないし、痛みも感じないんだよ」
「へぇ、なるほど……。それはとても良い恩恵を受けたんだね。でも、それだけの能力を持っているのなら、都で要職にでも就けるんじゃないのかい?」

笑みを崩さずにそう問いかけたテララとしては、その質問は本当に何気ないものだったのだろう。しかしそれを聞いた瞬間、一瞬ではあるがノルドの表情が翳った。普段明るく快活なだけに、その異様さといったらナラカがはっと目を見開くほどのもので、辺りにぴりっとした雰囲気が漂う。ノルドはすぐに表情を戻したが、場の雰囲気もそうはいかない。真っ正面に座っていたテララもノルドの異変を感じ取ったのだろう、彼を案ずるような視線を向ける。

「……大丈夫かい?何か、嫌なことを言ってしまったかな……?」
「あぁ、いや、そういうのじゃないんだ。ただ、俺の家系は代々アーカム国に仕えてた武官だからさ……。ティヴェラがシャルヴァを統一しちまった以上、まともな働き口ってあんまりないんだよ」

なんとなく話しづらいのだろう、ノルドはテララから視線を外しながらも、訥々と事情を説明した。ノルドがアーカム国に対して良い感情を抱いていることはそれとなくわかっていたヴィアレだが、まさか彼が武官の家の子だったとは思いもよらなかった。エルトは知っていたのだろうか。気になりはしたが、今聞くべきことではないと判断して、ヴィアレは口をつぐんだ。

「……込み入ったことを話させてしまってごめんね。話を戻すけれど、君たちはどうして此処までやって来たんだい?何か目的があるというのなら、聞かせてほしいな」

申し訳なさそうに眉尻を下げながら、それでもテララは臆する様子は見せずにノルドへと尋ねる。姿形こそ優美なれど、テララはこの森の守り手。来訪者の目的を聞くのは当然の役目なのだろう。ノルドはすぅ、と息を吸ってから、普段の明朗な彼からは想像出来ない、酷く静かな声音で言った。


「羅刹と戦って生き残る術を教えて欲しい」

2ヶ月前 No.44

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羅刹と戦う。それはきっと、普通なら有り得ぬことなのだろう。テララでさえをひゅ、と息を飲み、これまでテララの後ろで大人しくしていたウィルデは血相を変えて立ち上がった。

「しょ、正気か!?羅刹なんて本来戦うべきものじゃない、あいつらは化け物だ!戦った時点で殺されるに決まってる!」
「……ウィルデ、落ち着いて。彼はたしかに“戦う”とは言ったが、“戦って勝つ”とは言っていないよ。つまり、“勝ち負け関係なしに生き残りたい”ということだろう?それならウィルデ、君とほぼ同じ状況なんじゃないのかい?」
「同じ、状況……?」

声を荒げるウィルデをやんわりと止めるテララの言葉にノルドは引っ掛かったらしい。同じ状況、つまり羅刹と対しなければならないということか。風の噂では、今のところ“選定の儀”で羅刹を打ち倒した者はいないと聞いている。誰もが羅刹の強大な戦闘力に敵うことなく、無惨な最期を遂げた、と。それなのにウィルデは今目の前で生きている。それは一体どういうことなのか。そんなノルドや他の面々の疑問を感じ取ったのか、テララが苦笑しながら答えた。

「君がどんな事情を抱えているのかはわからないけれど、ウィルデも昔羅刹に目をつけられたことがあってね。あれはたしか……10年前の、戦争が起こった時だったかな」
「……ティヴェラとアーカムの、ですね?」
「うん。あの時に、ティヴェラ軍は進軍の邪魔になるからと言って、この森を焼こうとしたんだよね。そのためにまずは羅刹を投入して、森の様子を窺わせたらしい。けれど羅刹というのは基本的には闘争本能の塊だ。斥候の役割よりも、僕たちを鏖にする方がよっぽど魅力的だったんだろうね。そんな奴等と運悪く遭遇してしまったのが、ウィルデだったんだよ」

テララの口調こそ穏やかだが、その顔に先程まで浮かんでいた微笑みは存在しない。ウィルデは桜色の薄い唇を噛みながらうつむいていた。伝承に聞いただけでも凄まじい戦闘力を持ち、狂気とも取れる闘争欲求を持つという羅刹と対峙した時のことは、ウィルデにとっても忘れられないものなのだろう。

「……それで……どうやって羅刹を切り抜けたんだ?」

ごくり、と生唾を飲み込みながら、前のめるような姿勢でノルドはテララの続く言葉を待つ。きっとウィルデは話してくれないとわかっているのだろう。話し始めたのもテララからだし、ウィルデの過去を掘り下げるつもりもノルドにはなかった。テララは真剣そのものといったノルドの表情を見つめながら、至極当然のことのように口にした。


「簡単なことさ。走って逃げたんだよ」


その場が静まり返ったのは言うまでもなく、誰もがテララの言葉を一瞬理解できないでいた。走って逃げた。羅刹の話を聞けば凄烈なものしか聞かないというのに、それから“走って逃げられる”というのか。羅刹のことを大まかにしかわかっていないヴィアレやナラカも呆気に取られてしまう。そんな簡単に、逃げるなんて言い切れるものなのか。羅刹は人間が走って逃げられるくらいの鈍足なのか。それとも他に何か理由でもあるのか。そういった一同の疑問を代読したのは、ノルドの隣に座っていたエルトであった。

「……あの、走って逃げたとは、一体……?」
「そうだね、“森の民”は皆生まれつき足が速いんだけど、それに加えてこの森で育った草木を使った草履を身に付けているから、其処に土がある限り常人よりも速く走れるし、身軽に動けるんだよ。ウィルデもその草履を履いていたから、羅刹から逃げ切ることが出来たんだ」
「その、逃げ切った後は……どうしたんだ?羅刹が逃げられたからって見逃す訳ないっつーのに……」
「其処は“森の民”の秘密。とにかく、アーカム国にはこの森の自治権を貰った恩がある。突貫になるけど、君には草履を作ってあげよう。……えーと……」
「ノルディウス。ノルドで良いぜ」

まだ名乗っていなかったからか、呼びづらそうにするテララに、ノルドが簡潔に名乗る。テララは「ノルド、ノルドか」と何度も呟くようにして彼の名前を覚えていた。間違えたらいけないと考えているのだろうか。

「じゃあノルド、それに皆も、今日は此処に泊まってお行き。幸い空き部屋は幾つかあるからね、一人部屋が良いって人がいたら遠慮なく言っておくれ」
「わかった、感謝する」
「それから、其処の君。君はすぐに休んだ方が良い。顔色も悪いし……あまり睡眠を摂れていないんだろう?あっちに部屋を用意するから、早くお休み」
「え……私、ですか……?」

テララからそんな忠告を受けたのはこれまでずっと喋らず、動かず、うつむいてじっとしていたナラカだった。自分を指されたことに驚いたようで、掠れた声でそう口にしてから、すぐにはっとして目を伏せた。今この場の主導権を握っているのは紛れもなくテララだというのに、そんな彼(もしくは彼女)に異を唱えるのはよろしくないと思ったのであろう。口をつぐんでしまった彼女に、変わらずテララは苦笑いする。

「大丈夫、他意はないから、安心しておくれ。ウィルデ、部屋まで案内しておやり。一人で行かせるのは良くないだろうから」
「……承知致しました。……着いてこい」
「は、はい……」

ウィルデから促されて、やや慌てた様子でナラカは洞から出ていった。少しばかり足元がおぼつかないようにも見えたのは気のせいであろうか。ヴィアレはそんなナラカに少しでもゆっくりして欲しいと思いつつ、自分たちの部屋へと律儀に案内してくれるらしいテララへと謝礼を述べてから、彼(もしくは彼女)を追いかけるために腰をもたげた。

2ヶ月前 No.45

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2ヶ月前 No.46

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2ヶ月前 No.47

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【第8幕:神蛇の窖へ】

翌日、朝食を出すからとウィルデが各々の部屋に声をかけたこともあってか、一同は昨夜テララと会話したあの洞に集まっていた。ヴィアレは相変わらず寝起きが良いから朝から元気だったし、ノルドは欠伸をしてはいるが特に具合が悪そうにも見えない。ナラカは昨晩に比べるとだいぶと顔色が良くなっていた。エルトだけは何やら神妙な表情をしており、ヴィアレはそんな彼を不思議そうに眺めていた。

「おはよう。ささ、朝御飯をお食べ。腹が減ってはなんとやら、だからね」

笑顔で洞に入ってきたテララの後ろには、器用なことに片手に朝食が乗っかった大皿、もう片方の手に人数分の杯と茶の入っているのだろう水差しを持っているウィルデがいた。下手したら落としてしまいそうな姿勢なのに、よくもまああそこまでひょいひょいと扱えるものだ、とヴィアレは感心してしまう。自分だったら絶対に落としている。

「この朝食って、お前が作ったのか?」
「……なんだよ、文句でもあるってのか?」
「いや、長なのに料理とかするんだなって思っただけだよ」

ノルドの質問にウィルデはぎろりと彼を睨み付ける。昨日のいざこざはまだウィルデの中で燻っているらしい。やはり根に持つ性分なのだろうか。

「この洞に住んでるのは俺と守り手様だけだからな。俺が作らなきゃどうしようもねぇだろ。それにもともと料理とか家事は嫌いじゃないからさ。日課みたいなもんだよ」
「なるほど、ウィルデは母のようなものなのだな!」
「……手前、それ本気で言ってるのか?」

ヴィアレには勿論悪気なんてないのだが、それでも彼の発言は直球に過ぎる。案の定ウィルデは瞳の笑っていない笑顔を浮かべてじりじりヴィアレに詰め寄る。だが其処に本気の敵意はなく、変なことを言ったヴィアレを軽く叱っているようにも見えた。さすがとでも言うべきなのだろうか、ヴィアレは意識していないのであろうが他人の懐に入るのが巧すぎる。

「そうだ、ノルド。はいこれ。例の草履だよ」
「お、おぉ、これが……!」

何気ない所作でテララがノルドへと手渡したもの、それは昨夜テララが作ることを承諾した件の草履だった。見たところ何か変わったようなところは見られない、何処にでもありそうな草履である。思わずヴィアレは身を乗り出して覗き込んだが、不思議と特別な感じはしなかった。むしろ普通過ぎて、他の草履に交えたらわからなくなってしまいそうだ。
それでもノルドにとっては重要なものに変わりはないのだろう、頭を床に擦り付ける勢いで謝礼を述べていた。テララはにこやかに「良いんだよ」と告げてから、付け加えるように続ける。

「そうだ、ついでだから、僕からひとつお願いをさせてくれないかな?」
「お願い……?」
「そう、この森から北に進んだところに洞窟があるんだけど……。其処を調べてきて欲しい。どうやら彼処に何かが住み着いているみたいだからね、猛獣でもいたらまずいだろう?だから君たちに様子見を頼みたいんだ」

テララはあくまでも強制することはなく、本当に“お願い”としてノルドたち一行に頼んだ。ノルドは草履を作ってもらったこともあってか軽く「おぅ、良いぜ!」と返していたし、ヴィアレもわくわくしているのか表情が明るい。“それにエルトは危機感を覚えた”。どうして、出会って1日2日の人間とも言えない存在の頼みをこうまでしてすんなりと聞くことが出来るのか。エルトは事情を知っているからまだ良い。しかしテララは先程、“猛獣かもしれない”とも口にしたのだ。そんな危険が付きまとう場所へ行くことに、何故彼処までの早さで二つ返事が出来て、楽しみに思うことが出来るというのか。

「……あの」

おずおずと。消え入ってしまいそうな声量で、それでも何とか伝えようと、挙手をした者があった。テララの視線がゆるりとそちらに向く。

「……の、ノルドさんは、“選定の儀”を間近に控えているんです。だから……その、危ない場所に行くのは、どうかと思うのですが……」

意外なことに、声を上げたのはこれまで黙々と朝食に集中していたナラカだった。彼女はノルドを兄のように慕っている。だからこそ、今回同行し、ノルドが羅刹に勝てる術を見つけたことを喜ばしく、そしてこれからの“選定の儀”を不安に思っているのだろう。この時初めてエルトはナラカを見直した。この小娘は少なくとも愚かではない。

「大丈夫だよ。此方からはウィルデを付けるし、いざとなったら逃げても構わないんだからね。言うなればノルドの草履の試し履きみたいなものだ。そうだろう、エルト?」
「……っ……はい、そうですね」

突然自分に振られるとはわからずに、エルトは彼にしては珍しく上擦った声を上げる。ナラカはそんなエルトを見て表情をますます固くしたが、これ以上反論しても無駄だと考えたのだろう。「……わかりました」とだけ素っ気なく言うと、また朝食を口に運び始めた。

2ヶ月前 No.48

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2ヶ月前 No.49

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ナーガが棲むという洞窟は、“森の民”の暮らす森を抜けて少し時間をかけたところにある岩山の中に存在した。至るところにぽこぽこと穴が開いているが、その中でもいちばん大きいのが件のナーガの住み処なのだろう。馬車を停めて伸びをしながら、ノルドが眼前に広がる岩山を見上げる。

「此処に何かいるって話だったな。とりあえず入ってみようぜ」

ナーガという存在すら知らないノルドは、そんな風に軽い調子で言ってからひょいひょいと岩山の突起を飛び越えながら洞窟に向かって進んでいく。岩山にいるとは思えないほどの身軽さに驚きを覚えながら、エルトやヴィアレも彼の後に続く。ナラカも躊躇いを隠しきれないようだったが、渋々といった様子で一同の背中を追いかけた。一行が進んだのを確認してから、ウィルデが最後尾を行く。
やはり体力的なものもあるのだろう、エルトも格好の割りに疲れた様子は見せず、ヴィアレもそんな彼にぴったり着いていけている。しかしナラカはもともと体力がないこともあってか、途中で息を吐いてからなんとか前にいる者たちを追っていた。その速度は御世辞にも速いとは言えないものだ。しかしそんなナラカを抜かすことなく、ウィルデはずっと彼女の後ろに付いていた。ウィルデの表情に疲れはなく、足取りもしっかりしている。ナラカとしてはどうしてウィルデが自分を抜かして行かないのか不思議でならず、ちらとウィルデを一瞥してから視線を逸らして声をかける。

「……あの、もし遅かったら、抜かしていって良いですよ……」
「俺は守り手様からお前らを任されたんだ、誰かを置いていくなんて出来るわけねぇだろ。俺は別にどのくらいの速さで進んでも構わねぇから、お前も気にすんな」
「……けど……」

さらりと、本当に気にしていないのであろう口振りで口にしたウィルデだったが、それでもナラカは納得がいかなかったようだ。何かを言いかけて、はっと口をつぐむ。そんなナラカの姿にウィルデは「……あー、くそ……」と小さく悪態を吐いてから、唐突に彼女の体を小脇に抱えた。それはもう、少し大きめの荷物でも抱えるかのように、あっさりと。

「えっ、えっ、ウィルデさん……!?」
「飛ばすぞ、口閉じときな!」
「ウィルデさん!?」

ウィルデの突然の行動に戸惑いを隠せない様子のナラカだが、すぐにウィルデから言われた通りに口を閉じることになった。何せウィルデはナラカを抱えたまま凄まじい勢いで岩山を上っていくのだ。その速さといったら尋常ではなく、下手に口を開きでもしたらうっかり舌を噛んでしまいそうだった。これが草履の効果だったらテララが末恐ろしいし、ウィルデ一人の実力だというのならナラカはこれからウィルデのことを同じ人間とは思えなくなるだろう。要するに速かった。とんでもない俊足だったのだ。
ウィルデの足は間もなくヴィアレたちに追い付くこととなった。最後尾だったヴィアレの隣まで走るとウィルデは速度を落とす。いきなり並走してきたウィルデにヴィアレは一瞬目を見開いたが、すぐにむっとむくれた表情になった。

「ウィルデばかりずるいぞ、我とてナラカを運べる!」
「運ばなくて良いですってば!……あの、ウィルデさん、そろそろ下ろしていただけませんか?ずっと抱えていただいているのも、ちょっと……」
「気ィ張るなよ、お前下ろしたらまたくたくたになるだろうが。洞窟に入るまで休んでろ。足下見えてりゃ俺も運べる」

ウィルデに対して謎の対抗心を見せるヴィアレに反論してから、ナラカはウィルデに自分を下ろすようにと願い出た。しかしウィルデからこう言われてしまってはぐうの音も出ない。幸いエルトは此方を見向きもしないから、ナラカが苦手なあの視線を浴びることもないだろう。此処はウィルデの言うとおり、ナラカは大人しく運ばれることにした。隣でヴィアレが交代だなんだと言っていたのは、聞かなかったことにしよう。

2ヶ月前 No.50

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無事に全員が洞窟の中に入ったのを確認すると、やっとウィルデは小脇に抱えていたナラカを地面を下ろした。洞窟の中は薄暗く、奥に進んでいくほど足場が悪くなることが予想されたからだろう。ノルドはもう手に松明を持っている。彼のそばにいればひとまず暗闇に取り込まれることはないだろう。

「……それにしても、本当にこんな洞窟に生き物なんているのか?見たところずっと真っ暗だぞ」

訝しげに言いながらも、ノルドが歩みを止めることはない。松明に照らされる洞窟内は薄ぼんやりとして、不気味な雰囲気が漂っていた。普通洞窟というと、中に蝙蝠だとか虫だとか、少なくとも夜行性の生き物が住み処としているはずである。しかしこの洞窟は不思議な程に生き物の息遣いや気配が見受けられない。ただの自然物だとしても、其処に暮らす生き物がいるのが普通だというのに。暗闇というものは意図せずとも人間の恐怖心を煽る材料となる。ナラカは肩から掛けていた鞄を握り締めていたし、ヴィアレでさえも辺りをしきりにきょろきょろ不安そうに見回していた。

「ひゃあっ!?」

と、一行が用心しながら進んでいたところ、突然ナラカがそんな甲高い悲鳴を上げた。洞窟の中に彼女の声が反響して、ナラカが望まずともそれはよく聞こえた。

「どうしたナラカ!?」
「わ、私の服の中に、何かが……!」
「何です、もしや蛇ですか!?」
「は?蛇?」

まずナラカの方を振り返ってノルドが彼女を案じるが、直ぐ様駆け寄ってきたのは意外なことにエルトであった。ナラカの両肩を掴んで詰め寄り、案の定彼女の喉からは「ひいっ」とか細い悲鳴が漏れる。エルトの口にした蛇という単語に疑問を覚えつつも、ノルドは手に持っていた松明でナラカを照らした。
ナラカの胸元、其処からひょっこりと顔を出していたのは、あまりにも奇妙としか言いようのない生き物だった。餅のような丸みを帯びた体に、つぶらな黒い目と真一文字に引き結ばれた口が付いている。大きさは手のひらに乗る程度だろうか。少なくとも地上にはいなさそうな姿形をしている。奇妙ではあるが何処と無く可愛らしさも感じさせるその表情は、引き締まった場を弛ませそうな雰囲気をかもし出していた。

「……なんだこりゃ」
「あぁ、こいつぁ餅蜥蜴って奴だな。地上の蜥蜴とは似ても似つかないが、俺たちの間ではそう呼ばれてる。街中じゃあ生息してないみたいだが、此処等じゃ割りと珍しくない生き物だよ。毒も害もないし、歯もないから触っても大丈夫だぜ」
「おぉ、もちもちだな!」

何が入ってきたのかと気色ばんでいたノルドは拍子抜けしたようだったが、ウィルデの解説を受けたヴィアレは早速頭を出す餅蜥蜴をつんつんとつついていた。餅蜥蜴は何度かつつかれるとヴィアレの指をぱくりと食わえたが、歯がないこともあって痛みは全くなかった。むしろもちもちとして気持ち良い。唾液が付くこともなく、本当にただ食わえただけのようだった。

「それにしても、どうしてこんなところに……。返した方が、良いのでしょうか?」
「いや、なついちまったみたいならそのまま連れてった方が良いだろ。こいつらは人懐っこいからな。それに……」

胸元でヴィアレの指をはぐはぐと食わえる餅蜥蜴を眺めながら、ナラカは困ったようにウィルデに問いかける。しかしウィルデはナラカの意見をやんわりと反対し、一旦口をつぐんだ。そして数秒後勿体ぶってから、やっと口を開く。


「可愛いだろ?」


ウィルデのその言葉に、一瞬だけではあるがその場が静まり返った。可愛い。たしかに餅蜥蜴は可愛い。だがそれをウィルデが言ってしまうと何とも言えない違和感に襲われてしまう。皆が一瞬言葉を失ってしまうくらいには。

「……とにかく、先に進みましょう」

ごほん、と咳払いをひとつしてから、エルトがそう釘を刺して一行は再び歩き出した。とりあえず餅蜥蜴は連れていく方針で誰も異存はないらしい。相変わらず餅蜥蜴はナラカになついているようで、胸元から出てくると肩が気に入ったのか其処にちょこんと鎮座した。

「……それにしても、この洞窟はどのくらいの広さなんだろうな。岩山の中にあるってことは、一応果てがあるって見方で合ってるんだろうがよ」

時折辺りの様子を窺いながら、ノルドが呟くようにそう口にする。彼としては独り言のつもりだったのだろうが、その声量が大きかったために皆がその声を聞くこととなった。

「さぁ、どうなのでしょう。私も此処までは来たことがないのでわかりかねますが……ウィルデ殿、あなたなら知っているのでは?」

顎に手を遣りながら、エルトは何気なくウィルデへと問いを投げ掛けた。しかしそれに返ってくる言葉はない。ずっと前を向いて歩いていたエルトも、さすがに無視されるのは気に食わなかったのだろう。ウィルデ殿、とやや語気を強めて後ろを振り返った。

だが其処に、ウィルデはいない。

ウィルデはたしかに、先程までノルドやエルトたちの数歩後ろを歩いていたはずだった。隣にナラカがいたのも覚えている。しかし、現にウィルデはいないのだ。ウィルデだけでなく、その隣を歩いていたナラカも、忽然と姿を消していた。

「ど……どういうことなのだ……!?まさか、はぐれたのか……!?」
「いや、そんなはずはない!だって此処はずっと一本道だったじゃねぇか、はぐれる余地なんて何処にもないはずだ!」

不安を思いきり表情に乗せて、ヴィアレはナラカとウィルデの姿を探すが、ノルドの反論でぐっと口をつぐむ。そうだ、たしかにこの洞窟は横道がなく、自分たちはずっと一本道を歩いてきた。はぐれる要素なんてなかったはずだ。それでもウィルデとナラカはいなくなってしまったのだから、もうどうしようも出来ない。

「……此処は、先に進むしかないでしょう。今の私たちに出来るのは洞窟の探索だけです。引き返して迷っても本末転倒というもの。ならば目の前の道を歩いていくしか手立てはありません」

だからこそ、エルトはそのように提案するしか出来なかった。ナラカはともかく、ウィルデと離れることになってしまったのはエルトにとっても誤算だが、それを悔いていても仕方がないというものだ。エルトの判断にヴィアレやノルドが反対することはなく、三人は再び洞窟の果てを目指して歩き出した。

2ヶ月前 No.51

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2ヶ月前 No.52

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2ヶ月前 No.53

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2ヶ月前 No.54

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2ヶ月前 No.55

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2ヶ月前 No.56

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2ヶ月前 No.57

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ノルドが馬車を飛ばしてくれたおかげで、良くも悪くも“森の民”が住まう森には早めにたどり着くことが出来た。エルトやウィルデやナラカはげっそりとしていたが、ナーガの青年はご満悦といった様子で、ヴィアレといっしょにきゃっきゃとはしゃいでいた。二人が喜んでくれたことにはノルドも満更でもなかったらしい。後ろで青い顔をしている面々が見えていないくらいには。

「おかえり、皆。……うん、話はおいおい聞かせてくれるかな?」

それもあってか、一行を出迎えたテララは珍しいことに苦笑いを浮かべていた。手負いの者には治療を施すからと、ウィルデ、ナラカ、そしてナーガの青年はティルダによって別室に連れていかれる。

「エルト、エルトは大丈夫なのかい?」

ノルドとヴィアレが共に湯浴みに行ってしまったので、少なからず手持ちぶさたであったエルトだったが、テララに声をかけられたことは救いでも何でもなかった。エルトはテララのような、掴み所のない者が得意ではない。全てを見透かしたかのようなテララの瞳に見つめられると、どうしても其処から逃げ出したくなってしまう。目を逸らさずにはいられない。情けない話だが、エルトは恐れているのだ。自分の弱さをテララに見抜かれそうで、恐ろしくて仕方がない。たった20の若造が、テララのような精霊に誤魔化せることなどないように思えてならない。

「……私は、大丈夫です。怪我もありません」
「そう、それなら良かった。きっとあの二人が湯浴みを終えるまで時間があるだろうし、少し話をしないかい?僕の部屋まで案内するよ」
「……わかりました」

穏やかでありながら有無を言わせぬテララの物言いには、エルトも首を縦に振るしかない。そのままテララの部屋まで案内されて、エルトは其処にあった椅子に腰掛けるようにと促される。テララは椅子がないからと、エルトが座った椅子の傍にある寝台に腰掛けた。

「それで……一体、何があったんだい?見たところナーガは君のことが大好きそうじゃないか。彼が暴れた訳ではないんだろう?」
「……何故、わかるのですか」
「ん、それはね、ナーガは気に入った生き物に擬態することが出来るんだよ。あのナーガ、明らかに君に擬態していただろう?完全に君の姿を取ることは出来ずとも、姿を似せるのは友愛の証だ。きっと君の力になってくれるだろう」

テララは特に気にすることもなく、ゆるりとした様子で語るが、エルトとしては気が気ではない。テララの真意は何なのか。もしかしたら、今日ナラカを見捨てようとしたことを言及されるかもしれない。自分だけ怪我をしなかったことを責められるかもしれない。思い当たる節はいくらでもあった。だから怖かったのだ。何を言われるかわからない。どう対処するのが最善なのだろうか。どうすれば、この場を乗り切れるのだろうか。

「……エルト、大丈夫かい?」

思い詰めていたのが顔に表れてしまっていたのだろう、テララが心配そうにエルトの顔を覗き込む。はっとしてエルトは誤魔化すように咳払いをした。その様子を見たテララは、くすりと密やかに微笑む。

「やっぱり何かあったみたいだね。決して口外はしないから、僕に教えてくれないかな」
「……っ……実は……」

一瞬躊躇ったものの、エルトの口はするすると動いた。ナーガの青年を見つけた後、ウィルデたちが羅刹の襲撃に遭っていたこと。ナーガの青年の力を以てしても羅刹には敵わなかったということ。ナラカが襲われそうだったというのに、自分は彼女を見捨てて逃げようとしていたこと。間一髪のところでシュルティラに助けられたこと。テララはそんなエルトの話を静かに聞いていたが、一段落したところでやっと口を開く。

「……エルト。君は、一体どうしたいんだい?」
「どう……とは……」
「ナラカを見捨てるなら、君は早急に見捨てることが出来たはずだ。それなのに君は迷っていたね。迷うことが悪いこととは言わないけれど、場合によっては命取りにもなる。優柔不断でいるのは若者の特権だけれど、いつまでもどっち付かずではいられないよ」
「それは……」
「嗚呼、ごめんね。君をいじめたい訳じゃないんだ。今日は疲れただろう、泊まってお行き。“選定の儀”も近いんだろう?だったら今くらいはゆっくり休まなくちゃ」

言い淀むエルトに微笑んでから、テララは話を締め括った。エルトはこれ以上何も言うことが出来ず、逃げるように「……失礼しました」と部屋を出ていく。自分の部屋までの道のりが、やけに長く感じられた。

(……私は、やはり甘い)

自分でもわかっていることだった。見捨てるだなんだと言っておいて、結局エルトは逃げ切れなかった。ナラカの怒声を聞かずとも良かったというのに。後ろめたく思っていたのは事実だが、逃げる暇などいくらでもあったはずだ。それなのにエルトの体は動かなかった。言い訳はしない。ナラカに圧倒されていたのだ。彼女の言い分は尤もだった。自分がどれだけ最低な人間か、嫌でも思い知らされた。

(……どう、すべきなのだろうか。私は)

エルトは片手で顔を覆う。嗚呼、本当に、私はどうすれば良いのだろう。そんな葛藤に押し潰されそうになりながら、エルトは重い足を動かした。

2ヶ月前 No.58

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2ヶ月前 No.59

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各々朝食も食べ終えて、準備が済んだこともあり、無事に“森の民”の森を出ることが出来そうだった。見送りにはテララとウィルデ、ティルダたちも来てくれて大所帯だ。ティルダからはナラカの傷に塗るようにと薬まで貰った。ナラカとしてはありがたい限りである。傷跡が残るのはナラカでも好ましいことではない。同居しているのがヴィアレとエルトで、エルトに頼りたくない以上自分で何とかするしかないナラカだが、医術についての知識はからきしなので此処でティルダに薬を貰えて助かった。

「それじゃ、気を付けて。君が“選定の儀”を潜り抜けられると信じているよ」
「すまねぇ、感謝する。ウィルデとティルダも色々とありがとな」
「おう、死ぬんじゃねぇぞ」

別れの挨拶を済ませたところで、ノルドの馬車は出発した。さすがに昨日の逆落としで所々傷付いた部分があったらしく、突貫ではあるが“森の民”によって修理をしてくれたとのことだった。五大における“風”の力を込めた部品を使ったからとテララが言っていたので、前よりも早く集落に着くかもしれない。
ガタゴトと馬車に揺られながら半時程で集落が見えてきた。行きは半日かかったというのにこの早さである。これにはノルドやエルトも突っ込まないことにした。“森の民”凄すぎる。もう様々である。これには行きに思いきり酔っていたナラカも餅蜥蜴をふにふにいじっている間に到着してしまったのでなんとも言えなかった。

「あ……エルト」
「どうしたんです、ハルシャフ?彼処が私たちの暮らしている集落ですよ」
「……なんか、ざわざわしてる……」

ハルシャフがエルトの袖を引きながら指差した先、それは明らかにノルドたちの向かっている集落だった。彼の言うように集落の入り口には人だかりが出来ている。何頭かの馬が繋がれているのもわかった。

「ノルド、普段はこれほど人が集まることなどあるのか?」
「いや、ないはずだ。あったとしても、一月前にティヴェラの兵士たちが来たときくらいで……」

言いかけてから、はっとノルドは目を見開く。彼の言葉からして、嫌な予感はしていた。間もなく集落にたどり着くと、ノルドは「悪いが馬車を頼んだ!俺はあっちの様子を見てくる!」とすぐに駆けていってしまった。その場に取り残されたエルトたちだったが、彼らにぱたぱたと近づいてくる人物の姿があった。

「皆、なんとか間に合ったようで良かったよ……!ノルド君はもう行ったのかい?」
「アシェリム殿……。はい、ノルディウス殿なら、先程集落の中央へと向かわれました。何かあったのですか?」

厚着なのに急いで来たからか、はぁはぁと肩で息をするアシェリムの背を擦りながらエルトは質問に答えると共に自分の気になった点をアシェリムに問いかける。アシェリムはけほけほと小さく咳き込んでから一息吐き、落ち着いてから口を開く。

「そうかい……それなら良かった。……いや、ノルド君にとっては良いことでもないか。明日に予定されていた“選定の儀”だったんだがね、どういう風の吹き回しか、ティヴェラの兵士や羅刹たちは今さっきこの集落にやって来たんだよ」
「今さっき……!?しかし何故……」
「理由は私にもわからないよ。ただ、彼らが急いているだけなのかもしれない。……それで、何か収穫はあったのかい?」
「ええ、ありましたとも。詳しい話はおいおい致しましょう、私はまずノルディウス殿のところに行きたく思います」

やはりノルドの様子が気になるのだろうか、この時のエルトはやけに焦っているように見えた。アシェリムもそんな彼の意思を汲んだのだろう、「わかった」と首を縦に振る。

「“選定の儀”は広場で行われるはずだ。皆も恐らく其処に集まっていると思うよ」
「ありがとうございます。では行きましょう」

簡潔に謝礼の言葉を述べてから、エルトは早足で広場へと向かって歩いていった。エルトにくっついているハルシャフも釣られる形で着いていく。ヴィアレとナラカも急いで彼らの後を追いかけた。

2ヶ月前 No.60

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昨日出会ってしまった羅刹がいたらどうしようかと思ってヴィアレの背中に隠れるようにしていたナラカだったが、広場を見る限りあの羅刹はいなさそうで安心した。集落の人間が入ってこられないようにと規制する柵があり、関係者以外はその柵の向こうに行けないようだったから羅刹が此方に干渉しやすいとは言えないのだろうが、それでもあの乱暴な羅刹なら何をしてくるかわからない。肩で頬を擦り寄せてくる餅蜥蜴に少し心が和らいだナラカだが、ノルドがこれから命を賭した戦いに挑まなければならないことに対する不安は拭いきれなかった。

「準備は滞りなく進んでいるようだな」

兵士たちの指揮を取っているのは昨日の羅刹の男やシュルティラに比べるとやや小柄な人物だった。全身を重厚な鎧で覆っているので体格もいまいちわからないし兜が頭部の半分を占めているために顔つきもわかりづらい。ただ、声変わりしていない声音からまだ成人していないのではないかとエルトは推測した。

「エルト、あんな若者でも要職に就けるものなのか?」
「しっ、聞こえたらどうするんです。……まあ、たしかに良家の者であれば若くして出世することもあるのでしょう」
「ほう……そうなのか……」

ヴィアレの場を憚らぬ問いかけに注意しながら説明してやると、彼は興味深そうに鎧の人物を見つめていた。何か気になることでもあるのだろうか。そうしているうちに、何処に行っていたのかは不明だがリリアもエルトたちを見つけたのか合流を果たすことが出来た。

「リリア、久方ぶりだな!」
「ふふ、お前は相変わらず元気よな。……エルトよ、“選定の儀”の方はどうなっている?」
「一通りの準備は終わったようです。……しかし何故、“選定の儀”は今日開催することになったのでしょうね。予定では明日だったはずでは?」

エルトがそうリリアに問いかけると、彼女はふるふると首を横に振った。そして何処か諦めのような感情を含んだ声色でその問いかけに答える。

「ティヴェラの王の側近とやらが急に予定変更をせよと言い出したらしい。その側近はやたらと権力を恣にしておるようだからな、兵士たちも逆らえないようだ。大方王の愛人か何かなのであろうよ」
「愛人?……ということは、女子でも側近にまで出世出来るのか!?」
「いや、それはなかろう。女でもある程度の出世は出来るだろうが、妃になるのが真っ当な道であろうな」
「しかし、愛人なのであろう?」
「あの……もう止めにしませんか……?」

愛人というのは女性だけと考えているのだろうか、疑問を包み隠さずリリアに問い続けるヴィアレをなんとかナラカは止めることに成功した。リリアが口元に微笑をたたえている辺りからして、彼女が良からぬことを考えているのはよくわかった。ナラカの故郷では男色は珍しくなかったが、さすがに無垢な少年に伝えようとは思えない。ましてや中性的で美しい容姿をしているヴィアレのことだ、これを真に受けたら大変なことになりかねない……とナラカは思う。ナラカが止めたおかげでヴィアレは「そうだな、これから“選定の儀”が始まる故な」とあっさり引き下がった。それもあるがとりあえず引き下がってくれて良かった。リリアが少し残念そうな顔をしていたが気にしないでおこう。あの人はたぶん面白がっているだけだ。

「リリア、君はこの“選定の儀”をどう見る?」

ナラカが一人謎の責任感に苛まれる中で、アシェリムはそうリリアに尋ねた。リリアは艶やかな黒髪をさらりと揺らしながら、「そうさな……」とアシェリムに向き直る。

「芳しいものとは思えぬな。急な予定変更も気になるところだ。ノルドが“森の民”の支援を受けているならばまだ勝ち目はあるのやもしれぬが……妾が見てきた中で勝者の有る“選定の儀”などなかったぞ」
「ふむ……しかしノルド君を信じるしか僕たちには出来ないだろう。そのために手を尽くしはしたのだからね」
「アシェリム、お前にしては後ろ向きだな。いつもは変に余裕ぶっているというのに、怖じ気付いているのか?」
「ノルド君の心境に比べれば私の不安なんて些細なものさ。ほら、そろそろ始まるみたいだ」

アシェリムが指した先には、いつもの服装の上から簡素な鎧を身に付けたノルドが広場に入ってきた光景がある。手には普段愛用しているという槍が握られているから、きっと今回もそれが彼の獲物となるのだろう。対するは、先程見かけた鎧兜に身を包んだ人物。……ということはあの人物が羅刹ということで間違いないのだろう。彼、もしくは彼女の手に有るのは身の丈には合わない二振りの棍棒。あれで殴られたらひとたまりもないことであろう。いくら体が頑強なノルドもあれでは大怪我を避けられまい。
二人は無言で前へ出る。そうして打ち合わせをしていたのかわからないが、ほぼ同時に一礼した。広場の傍に設置されていた高台にいたティヴェラの兵士が、そんな二人の様子を見下ろしていた。


「━━━━始め!」


兵士のその言葉、そして次いで鳴り響いた銅鑼の音を皮切りに、“選定の儀”は始まった。

2ヶ月前 No.61

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2ヶ月前 No.62

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激昂した羅刹の目は赤く染まるというが、その伝承は本当のことだったようだ。両目を真っ赤にした羅刹は先程の隙のなさなど何処へやら、持てる力の全てを用いてノルドに襲い掛かっていた。防御を捨てているのかと言わんばかりの積極性である。ノルドはなんとか避けてはいるが、それだけで手一杯のようだった。

「お、落ち着けって!たしかに変なこと言ったのは謝る!けどお前は本当に綺麗だと思うぞ!」
「黙れ!死ね!」

戦いながら必死に繰り出したノルドの弁明も徒労に終わった。 むしろ逆効果と言っても良いだろう。羅刹の少女の殺意はますます燃え上がり一撃も乱暴なものに変わっていく。避けることは前よりも容易になったが、あれは当たったら腕が持っていかれる奴だ。ひとまずノルドはもう一本の棍棒のところまで駆けると、落ちていた自分の槍を取った。とりあえず武器を取り戻すことは出来た。後はどうやってあの羅刹の動きを止めるかだ。

(この“選定の儀”ってどうすりゃ終わるんだ……!?)

たいていは挑戦者が羅刹に殺されて終わりだが挑戦者の勝利はどの時点で決まるのだろうか。ノルドは目の前の羅刹を殺したくはない。ついでに言ったら嫁として貰いたい。そんなことを言ったらますます羅刹は怒り狂うと思われるので口には出さなかった。まあ、つまるところの一目惚れである。

(とりあえずあっちの意識を失わせれば良いのか……?女の子を殺すなんて俺はやりたくねぇぞ……!)

いくら羅刹とは言えど目の前にいるのはノルド好みの美しい少女なのだ。どうにか殺さずに事を終えることは出来ないものか。彼方は殺す気満々のようだが、それはまず置いておこう。まず目の前の羅刹を気絶させることを考えよう。気絶させることは殺すよりも難しいものだが、こうなってはやるしかない。ノルドも腹を括った。せっかく一目惚れしたのだ、惚れた力でなんとかしてやる。
きりりと引き締まったノルドの表情に、見物人やティヴェラの兵士はごくりと生唾を飲み込んだ。たしかに先程の彼の言動は羅刹に挑む者としてどうなんだよ、と誰もが思ったが、今のノルドの状況を考えてみるとなんだか立場など関係なくノルドを応援したくなってくる。ナラカは前に読んだ物語の中に似たような状況があったなぁ、なんてぼんやり考えてしまった。いつの時代であろうと勇者は何かのために戦うものなのだ。

「殺す、殺す、下郎めがッ!!」

先程から何度目になるのかわからないくらい「殺す」を連発する羅刹の少女は棍棒一本で戦うと決めたらしい。転がっているもう一本の棍棒には目もくれず、ひたすらノルドを狙って攻撃を繰り返している。あの棍棒で頭でも打ち砕かれたらさすがのノルドでも死ぬ。それくらいの勢いで羅刹の棍棒は打ち出されていた。
だが、しかし。逆に考えてしまえば、羅刹は目の前のノルドを殺すことで必死なのである。つまりは先程よりも隙は増えたということになるのだ。見極めれば、羅刹の隙を突くことが出来るかもしれない。

(隙を、ねぇ……)

ノルドは考えた。ひとつ、実践出来そうなことはあった。しかしそれは危険が高い上に後からどうなるかわかったものではない。下手したら羅刹の動きを封じても殺されることになるかもしれない。けれど今此処で死ぬよりはずっとましだ。恋した少女に殺されることを好ましく思う者も世の中にはいるかもしれないが、少なくともノルドは嬉しくない。どうせなら好いた女と添い遂げて死にたいものである。
やるしかない。ノルドは覚悟を決めた。羅刹の棍棒が向かってくる。しかしノルドが臆することはなかった。だん、と地面を思いきり蹴り付けて、羅刹の懐へと飛び込む。此処まで近付かれては羅刹も棍棒を振るうことは出来ない。唐突に近付いてきたノルドに、一瞬羅刹の目から殺意が消えて、驚愕だけが映し出される。ノルドは勢いに任せて羅刹を押し倒す。羅刹がノルドよりもだいぶと小さいこともあってか、組み敷くのは容易だった。がしゃん、と鎧が地面とぶつかる音が響くとほぼ同時、羅刹の目が大きく見開かれる。

ノルドと羅刹の唇は、短い間ではあるが重なっていた。

その場の空気はわかりやすく固まった。ヴィアレはぽかんとして口を開きっぱなしにしていたし、エルトはこめかみに手を遣ってやれやれと首を振り、ナラカは頬を染めて口元を手で覆っていた。

「な……な、何をするのだ、貴様……!」

唇を離された羅刹の顔も真っ赤だった。ノルドの頬をばちん、と思いきり張り飛ばすと、逃げるように後退する。

「う、あ、うぁぁぁ、あぁぁぁぁぁ!!何故私に!あっ、あのような、あのような……っ!!ぐっ、うぅ、貴様を殺して私も死ぬ!!」
「お、落ち着いてくだされエステリア様!“選定の儀”はまだ終わってはおりませぬ!」
「五月蝿い!」

エステリアと呼ばれた羅刹を宥めようと駆け寄ったティヴェラの兵士は彼女に拳で殴り付けられてけっこうな距離を飛んでいった。たぶんあの哀れな兵士は脳震盪を起こして気を失っていることだろう。彼の今後に影響がないことを祈りたい。

「…………」

見物人の中を掻き分けて、一人頭を抱えて叫んでいるエステリアの肩を優しく叩いたのは、紛れもなくシュルティラであった。彼もまた“選定の儀”にやって来ていたらしい。あまりにも人間的な登場に一瞬見物人は突っ込みそびれたが、やがて「シュルティラだ……!」とざわめき始めた。この集落はアーカム出身の者がほとんどなので、シュルティラの伝承も少なからず知っているのだろう。皆それまでの雰囲気は何処へやら、シュルティラに怯えるばかりだった。

「しゅ、シュルティラ……!なんだ、貴様も私を凌辱しようというのか……!?」
「…………」

相当トラウマになってしまったのか、ガタガタ震えながらシュルティラに掴みかかろうとするエステリアに、彼はふるふると小さく首を振って否定の意を示した。そして、指で小さく×印を作ってノルドの方を見る。

「……嗚呼、そうだな。“選定の儀”があった。貴様はもう終わりだと言うのか、シュルティラ」
「…………」

こくり。何故シュルティラの意図をエステリアが理解できたのかはわからないが、彼は“選定の儀”はこれにて終いと伝えに来たらしい。エステリアは腑に落ちなさそうな表情をしていたが、やがて小さく深呼吸をしてから、高台で事の顛末をはらはらと見守っていたティヴェラ兵士に向けて告げる。

「“選定の儀”はこれまでとせよ。かの者は奮闘した。私がそれを認めよう。故に引き分けとするが良い。この勝負に勝者はいない」
「は、はっ……!仰せの通りに……!」
「それから、先の事は他言無用とする。口外すれば貴様を殺す」

良いな、と念押ししてから、エステリアは早足でティヴェラの兵士の中へと紛れて行ってしまった。これ以上ノルドの姿を見たくはなかったのだろう。その証拠に、去り際の彼女の耳は酷く紅かった。
見物人の歓声が響く。ティヴェラの兵士たちも我がことのように喜んでいた。これまでの“選定の儀”では、人間はただ羅刹に惨く殺害されるだけだったのであろう。ノルドはへらり、といつも浮かべている快活な笑みを浮かべてから柵の向こうにいる集落の面々に向けて駆け出して行く。歓声と労いの言葉に包まれながら集落の人々に囲まれるノルドは、さながら何処かの勇者のようだった。

2ヶ月前 No.63

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ノルドはこれから怪我の治療をしてから集落で執り行われる祝宴に呼ばれるらしい。ヴィアレたちはノルドを追いかけて集落の方に戻ってしまったが、ナラカは人がほとんどいなくなった広場できょろきょろと辺りを見回していた。大体のティヴェラ兵は皆後片付けを終えてくたびれた表情をしている。

「……今なら、行けるかな?」

肩に乗せた餅蜥蜴に、小さくそう尋ねてみる。餅蜥蜴は基本的に鳴かないのでナラカに頬擦りしただけだった。ナラカは広場に積み上げられた煉瓦の壁に隠れながら、そっとティヴェラ兵たちの様子を窺う。此方には気づいていないようだったが、ナラカの会いたい人物は其処にはいなかった。

(何処にいるんだろう……。出来るなら早く会って早く済ませたいんだけど……)
「……何をしている?」
「ぎゃっ!?」

こそこそと広場を見ていたナラカの背後から唐突に声がかかったことにより、ナラカは15の娘とは思えない可愛らしさの欠片もない叫び声を上げてしまった。ばっ、と振り返って見た先には一人の男が中腰になって此方を見ていた。当初会いたいと思っていた人物ではないが、ナラカの表情がぱっと華やいだ。

「サヴィヤさん……!」

人間離れした美しさの青年、サヴィヤのことはナラカも嫌いではない。むしろ男性が苦手なナラカでもまともに話すことの出来る数少ない人物である。彼と会うのは“森の民”の森に行く前が最後だった。この日のサヴィヤは他のティヴェラ兵と同じ鞣し革の鎧を纏っていた。それにナラカが気づかない訳がなく、あれ、と口にする。

「サヴィヤさん、もしかしてティヴェラの兵士だったんですか?」
「……嗚呼、そうだ。集落の者たちには、秘密だが……」

ナラカからの質問に、サヴィヤはもごもごと語尾を小さくする。そして所在無さげに視線を泳がせる彼を見て、ナラカはなんとなくサヴィヤの言いたいことを察した。要するに黙っていて欲しいのだろう。この集落の者たちは、大体がアーカム出身の者だ。そんな彼らがサヴィヤの職業を聞いたら、彼に冷たく当たるかもしれない。特にあのいけ好かない女装男などは、あからさまにサヴィヤを冷遇するだろう。そう考えながら、ナラカはサヴィヤにぎこちなく微笑みかける。笑顔を作るのは難しいものだ。

「大丈夫ですよ、私、誰にも言いませんから。それに、サヴィヤさんがティヴェラ国の兵士でも気にしませんよ。だって私、シャルヴァの人間じゃありませんし」
「……すまないな、ナラカ。そう言ってもらえると、俺も助かる」
「謝らなくて良いんですよ。だってサヴィヤさんにはお世話になってるし、これくらい当然です」

サヴィヤはそんなナラカの様子を見て、安心したように「……そうか」と呟いた。そしてナラカの肩に乗った餅蜥蜴をじーっと見つめてくる。ナラカが餅蜥蜴を肩から下ろして手のひらに乗っけて差し出すと、サヴィヤは恐る恐るといった様子で餅蜥蜴を撫でた。

「ところで、ナラカ。お前は祝宴に行かなくて良いのか?」
「あ、えっと……。実は、会いたい人がいるんです。その方にお会いできないかと、此処で待っていたんですけど……」
「成る程、出待ちか」
「……はい」

歯に衣着せぬサヴィヤの物言いにナラカは少し気恥ずかしくなる。出待ちに変わりはないのだが、なんとなく違う。餅蜥蜴に気に入られたのか、はぐはぐ指を食わえられながら、サヴィヤは次いで問いかける。

「して、会いたい者とは誰だ?俺で良ければ伝えておこう」
「いや、その……。たぶん、サヴィヤさんには難しい相手だと思います……」
「難しい相手……?」
「…………シュルティラさん、なんですけど……」

今度はナラカが言いにくそうに、俯きながら消え入りそうな声で答える。果たしてこれまでシュルティラに会いたいなどという人間がいたのだろうか。話を聞く限りシュルティラは忌み嫌われていたようだし、彼に会いに行こうとする人間も少なかったのではあるまいか。サヴィヤは驚いたのかひゅ、と息を飲むと、暫し思案しているのか口をつぐむ。そしてまた無表情に戻ると、「成る程……」と口を開いた。

「シュルティラに会いたい、か。たしかにそれは、俺も難しいな……」
「で……ですよね……」
「だが方法はある」
「ですよね…………はい!?」

てっきり無理だと否定されるものだと思っていたので、ナラカは釣られてしまいそうになるが、済んでのところで突っ込むことが出来た。あるのか。あのシュルティラを相手に、方法があるというのか。驚愕するナラカを余所に、サヴィヤは懐からごそごそと何かを取り出した。

「……それは?」
「帳面と、黒鉛を木で挟んだものだ。これでシュルティラに手紙を書く。そしてそれを俺がさりげなく奴のもとまで持っていく。会うことは出来ずとも、伝えたいことは相手に送ることが出来るだろう」

むふー、と音が聞こえてきそうなくらいにサヴィヤは自慢げな表情をしていた。たしかに、とナラカも一瞬納得しかけたが、いやいやいやと首を振る。たしかに良い案だとは思う。しかし内容をよく考えてみるとサヴィヤが滅茶苦茶大変なのではないか。シュルティラのところまでこっそり持っていくなんて出来るのだろうか。エルトみたいに吹っ飛ばされてしまわないだろうか……と、ナラカの心配の種は尽きない。どうだろうか、と言いたげな視線を向けてくるサヴィヤに、ナラカはおずおず申し出る。

「たしかに、名案だとは思うんですけど……。その、サヴィヤさん、大丈夫なんですか……?シュルティラさんの近くとかに行って、怪我とかしませんか?周りに怪しまれたり気味悪がられたりしませんか……?」
「その点についても案ずるな。シュルティラには基本的に誰も近寄らない。そしてシュルティラは基本的に何もすることがなければ何処かをぶらぶらしてぼんやりしている……と知り合いの兵士が言っていた。故に奴の荷に手紙を紛れ込ませるのはそう難しいことではない」
「そ……そうなんですか」

誰から聞いたんだろう……と若干疑問に思うナラカであった。サヴィヤの話だとシュルティラは意外とぽわぽわしている感じである。普段自分が抱いている印象とは違うが、本当に大丈夫なのだろうか。しかしサヴィヤが此処まで言うのだ、彼の厚意を無下にする訳にもいかない。

「……わかりました。サヴィヤさん、お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
「そう畏まるな。さ、手紙を書くが良い。俺は彼方を見ているから、書き終わったら教えてくれ」
「あ……ありがとうございます」

さっと背を向けたサヴィヤに感謝しつつ、ナラカは渡された帳面の頁を一枚だけ切り離して其処に言葉を連ねていく。餅蜥蜴が飛ばないようにだろうか、頁の端に座ってくれていた。

(えっと……まずはお礼、だよね。洞窟では、助けてくださりありがとうございました。感謝してもしきれません……。あとはなんだろう……お陰様で私は元気です……?いや、身元は明かしておくべきなのかな……?でもたぶんシュルティラさんも身に覚えはあるのでは……?だったら良いか、えーと……。シュルティラさんも、お体を大事に……って、アーカムの人にしばかれそうだなこれは……。まあいいや、折り畳んでおくから書いておこう)

試行錯誤しながらなんとか手紙を書き終えたナラカは、頁を封筒の形に折り畳んでから「終わりました」とサヴィヤに呼び掛ける。サヴィヤはくるりと此方を振り返ると、ナラカの差し出した頁と帳面、そして黒鉛を受け取った。

「承った。俺からシュルティラのところに持っていこう」
「はい、本当にありがとうございます。サヴィヤさんにはお世話になりっぱなしですね」
「……そうだな。では、俺はそろそろ行くとしよう。ナラカ、お前も早く祝宴に行くと良い」
「はい、サヴィヤさん。また」

ぺこり、とナラカが一礼すると、サヴィヤは小さく手を振って駆けていった。その後ろ姿をぼんやりと眺めていたナラカだったが、いつの間にか肩に移動していた餅蜥蜴に頬擦りされたことではっと我に返る。そうだ、祝宴に遅れたら皆に訝しまれる。ナラカも駆け足で祝宴が行われているノルドの家へと向かった。

2ヶ月前 No.64

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【第11幕:転機の訪れ】

“選定の儀”から数日が経ち、湧きに湧いていた集落もやっともとの平穏を取り戻しつつあった。ノルドはさすがに無傷というわけにはいかなかったようで、リリアいわく「此奴が頑強でなければ平手打ちされた時点で歯が数本吹っ飛んでいた」とのことだった。本当に羅刹の相手が彼で良かった、と誰もが思ったことだろう。幸いながら骨は何処も折れていないようだったし、一週間程休めば治りそうだという。それでも祝宴には包帯だらけで参加していたので、ノルドの怪我は決して軽いものではないのだろう。

「いやぁ、悪いな。手伝いなんてさせちまってよ」
「何を言う、当然のことをしたまでだ!ほら、ノルドは休んでおれ!」

そのため、この日ヴィアレはエルトとナラカ、そしてハルシャフを引き連れてノルドの家の手伝いに来ていた。言い出しっぺ……というのは怪しいが珍しいことにナラカが外出しようとしているところをヴィアレが捕まえて、彼女がノルドの家の手伝いをしようとしていることが明らかとなったのだ。ナラカとしてはエルトがいることに対しては不満を隠しきれないようだったが、さすがに文句は言わなかった。というかまず言えない。エルトが料理を担当するとのことで、掃除を担当するナラカと離れることになったのは幸いだった。

「……おい、しい?」

エルトの作った粥を食べるノルドの方をじっと見ながら、エルトに着いてきたがどうすることも出来ずエルトから「ノルディウス殿のお側にいて差し上げなさい」と言われたハルシャフはそう問いかける。ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、いかにも「お粥食べたい」と言いたげな瞳でノルドを見つめている。そう言うハルシャフは今朝エルトの作った食事をぺろりとたいらげていた。要するにエルトの作るものはなんだって好きらしい。

「ん、美味いぞ!ハルシャフも食うか?」
「……!い、いや、だめ。わたしは、たべない」
「本当か〜?」
「ほんと。たべないったらたべない」
「じゃあ俺が全部食っちまおうかな〜」
「あ、だ、だめ!ひとくち、ひとくちたべる!」
「……何してるんだろう、あの人たち……」

掃き掃除をしていたナラカが思わず呟いてしまうほど、ノルドとハルシャフはすぐに打ち解けている上にじゃれあっていた。ハルシャフはエルトの口調を真似しようとしているのか、頑張って彼らしく喋ろうとしている。なんというかまあ、微笑ましいものである。

「……ノルド、居るか?」

和気藹々としていた室内だったが、リリアが入ってきたことでなんとなく気まずい雰囲気が流れる。ノルドにお粥をあーんしてもらっていたハルシャフだけが口をはふはふとさせていた。リリアもリリアで何とも言い難そうな表情をしながら、椅子に座っているノルドの傍へと近付く。

「ノルドよ、“選定の儀”の報酬があるそうだ。広場にティヴェラの者が集まっている。立てるか?」
「ああ、行けるぜ姐さん。それにしても、報酬なんて本当にあったんだな。俺はてっきり、放っておかれるのかと思ってたぜ」

よっこらせと立ち上がりながらノルドは茶化したような口調で言う。しかし彼の言い分もわからないでもない。“選定の儀”が終わるや否やティヴェラの兵士たちはさっさと後片付けをしていたし、もうこの集落には戻ってこないものかと思わせるような雰囲気を漂わせていたからだ。

「お前らも来るか?嫌ってんなら無理強いはしないけどよ」
「我は行くぞ!」
「私も同行させていただきます」
「エルトがいくなら、わたしもいく」

ノルドの呼び掛けに、ヴィアレとエルト、そしてハルシャフは是と首を縦に振った。そうなると自然と一同の視線は返事をしていないナラカに向けられる。

「……私も、行きます。着いていきます」

ナラカは居心地悪そうにしながらも、こくりと小さくうなずいた。ナラカなら待っていると言いそうなものだったが、彼女にも彼女なりの考えというものがあるのだろう。「よし、じゃあ皆で行くか!」というノルドの掛け声と共に、ヴィアレたちは広場へと向かうことにしたのである。

1ヶ月前 No.65

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1ヶ月前 No.66

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ヴィアレとハルシャフがナラカを探しに行くほんの少し前。ナラカは足早に人気のないところを目指して歩を進めていた。後ろからはがしゃりがしゃりと金属音が鳴る。無理もない、“彼”は全身を黒い鎧に包んでいるのだから。

(誰にも見つかりませんように、誰にも見つかりませんように……)

ナラカがそう願う理由はただひとつ。彼女の後ろを着いてくるのが何を隠そうシュルティラなのである。輪廻の忌み子としてアーカム地区では恐れられ、忌み嫌われるシュルティラだ。もしもナラカが引き連れていたなんてわかったらたまったものではない。村八分にでもされたらどうしよう、とナラカとしては気が気ではなかった。
そんなナラカの心中を察しているのかどうかはわからないが、人混みでごった返す中で彼女はシュルティラにつんつんと肩をつつかれた。集落の者たちは件の用紙とやらに夢中で気づいていなかったらしい。しかし立ち話なんて出来ないので一先ず着いてくるようにと手招きしてからナラカはなるべく人のいない場所へとシュルティラを案内した。とは言うものの結局何処へ向かえば良いのかわからずに家の裏手に来てしまった訳だが。まあシュルティラに「此処が我が家です」と紹介する訳ではないので良いだろう。紹介して闇討ちにでも遭ったら困る。主にナラカが。

「そ、それで……何か、私にご用ですか……?」

立ち止まってから数秒深呼吸をして、ナラカは恐る恐るシュルティラに問いかけた。一度助けてもらった身ではあるが、シュルティラがナラカに友好的であるかどうかはわからない。恐らく内容はあの手紙のことだろうとは思うのだが、どうしても不安は拭えない。

「…………」

シュルティラは無言のまま、ごそごそと懐から何かを取り出した。何を出すつもりなんだと身構えたナラカだったが、シュルティラが取り出したのは一冊の帳面だった。彼はそれを両手で持つと、ナラカに向けて頁を捲る。

《手紙を読んだ》
「あ、は……はぁ……。それは、どうも……」

開いた頁にでかでかと書かれた文字。それはシュルティラが発したい言葉なのだろう。なんとなく彼の意図を理解したナラカは、おずおずとだがうなずいた。シュルティラもこくりとうなずいてから、次の頁へと移る。

《お前が無事で何よりだ》
「あ……ありがとうございます。お陰様で……」
《俺は嬉しい》
「そ、そうですか……。そうおっしゃっていただけると、私も嬉しいです……」

シュルティラは頁を捲ろうとして、ナラカの顔と次の頁を何度か見比べた。どうやら返したい言葉と合わなかったようだ。いきなりしゃがみこむと、地面に指で文字を書き始めた。

《あまり無理をするな》
「え、どうしてですか……?」
《思い悩むような顔をしていた》
「えっ、わ、私が、ですか……?」
《何かあるなら話して欲しい》

そう地面に記してから、シュルティラはぱらぱらと帳面の頁を捲って《嫌なら無理に話す必要はない》と書かれた頁を開く。何故それは書いていたのだろうか。シュルティラは意外に気を遣える性格らしい。ナラカは少し迷ってから、やや声を潜めて口を開く。

「あの、私、実はですね……。王宮勤め、やってみたいんです。でも、あんなに人がいる中に入っていくのが怖くて……。なかなか、用紙を取りに行けなかったんです。そんな自分が嫌で、なんかこう……自己嫌悪していたというか……」
「…………」

どんどんしどろもどろになっていくナラカの顔をじっと見つめてから、シュルティラは地面に指を滑らせる。

《そういうこともある》
「は、はい……」
《だが後ろ向きに考えるのはおすすめ出来ない》
「はい……?」
《お前は一歩を踏み出せなかったのではない》

さらさらさら。シュルティラは籠手を着けた指を滑らせる。ナラカも思わず、そんな彼の言葉を真剣に見つめてしまっていた。

《皆に順番を譲ったのだ》
「……シュルティラ、さん」

シュルティラは記し終えると、立ち上がって地面に付けていなかった方の手でナラカの頭をぽすぽすと撫でた。ナラカに兄弟がいたことはないが、兄がいたのならこのようにしてくれたのだろうかとふと思ってしまった。尤も、シュルティラはあのいけ好かないエルトの兄ということになるのだが。

「シュルティラさんは、前向きなんですね」
《そうだろうか》
「はい、とっても。とっても、とっても前向きだと思います。それは、本当に、凄いことです」

それは決して媚びへつらいではなく、ナラカの本心から出た言葉だった。ナラカの見ている世界と、シュルティラの見ている世界は大きく違っている。どうしてそのように、誰も傷付かないような考え方が出来るのだろうか。ナラカは不思議でならない。シュルティラは誰よりも、このシャルヴァという世界の中で、傷付く立場にいるというのに。どうしてそんな優しいことが言えるのだろうかと。
なんとなく目のやり場に困ってうつむいてしまったナラカのことを、シュルティラはしばらくじっと見つめていた。兜を被っているからわからないが、シュルティラはどんな顔をしているのだろうか。伝承によればシャルヴァにいる誰もが竦むような目をした、とてつもなく恐ろしい見た目をしているという。

(そんな風には思えない)

しかし、実際に接してみればシュルティラは優しい人間だった。少なくとも、ナラカにとっては恐ろしい人間などではなかった。シュルティラの姿は不気味だが、彼は自分から進んで誰かを傷付けるようなことはしなかった。嗚呼、そうだ。シュルティラは自分から誰かを攻撃などしなかった。あくまでも、戦ったとしても、防戦のつもりなのだろう。

(この人、もしかしたら大きな誤解をされているのかもしれない)

そう気づかされたのはナラカにとっても大事なことなのかもしれない。シュルティラと話す機会を得られたのは僥幸だった。サヴィヤには感謝してもしきれない。
とん、と。ナラカの肩をまた痛みを感じない程度にシュルティラは優しく叩いた。帳面の頁を捲って、ある頁をナラカに見せる。

《俺はそろそろ行く》
「あ、そうですよね……!ごめんなさい、長々とお話しすることになってしまって……」
《構わん》
「そ、それなら良いんですけど……。き、気を付けてお帰りくださいね……!本当に、ありがとうございました……!」
《お前と話せて良かった》

最後にそう書かれている頁を見せてから、シュルティラは四つ折りにされている何かをナラカの手の中に置いて、広場の方へと戻っていった。家の影に隠れながら、ナラカはそっとシュルティラに手渡されたそれを開いてみる。

「…………!」

急いで握り締めてきたのか、所々くしゃりとした皺があるその紙。それはナラカが持っていくことの出来なかった、仕官及び王宮勤めの応募用紙だった。

1ヶ月前 No.67

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1ヶ月前 No.68

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1ヶ月前 No.69

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ナラカの家には無事に到着し、ヴィアレとハルシャフはいつものように若干立て付けの悪い扉を慣れた様子で開けた。中にはナラカがいて、机に向かって何か書き物をしていたようだったが、二人が入ってきたのを見ると慌ててそれを隠した。

「あ……お帰りなさい」
「嗚呼、ただいまナラカ。先に帰っていたのだな」
「は、はい……人混みはその、苦手なので……」

思い切り目を逸らしながらナラカは机の上を急いで片付け始める。それはそれはもう、わかりやすさ満載で。それを見たハルシャフは、とことことナラカに近付いていく。

「なにしてたの?」
「な、なんでもありません」
「なにかしてた?」
「なんでもありませんってば!」
「は、ハルシャフ。そなたはエルトにナラカが戻っていたことを伝えてはくれまいか。何も言わぬままでは心配をかけるであろう」

悪意も何もなく問いかけ続けるハルシャフに、ナラカはぶんぶんと首を振りながらも明らかに気圧されていた。見かねたヴィアレが声をかけると、ハルシャフは「ん、わかった」と返事をしてまた玄関を潜っていった。ふぅ、というナラカの息が聞こえる。

「……して、ナラカ。何をそんなに焦っていたのだ?」
「だから、なんでもないと言ってるでしょ」
「す、すまぬ」

改めて尋ねたヴィアレだったが、ナラカから即答されてさすがに引き下がるしかなかった。ナラカは居心地悪そうにきょろきょろ辺りを見回してから、また椅子へと腰を下ろした。ヴィアレも彼女の向かいの席へと座る。

「ナラカ、その、だな。聞きたいことがあるのだが」
「……なんですか」
「ナラカは何故、エルトに協力しようと思ったのだ?」

不機嫌そうな表情をしていたナラカだったが、ヴィアレからの問いかけを聞いて驚いたように目を見開いた。何故。ナラカの口はそう動いていた。ぎゅ、と胸元を握りしめて、ナラカはヴィアレから視線を外す。その様子は見るからになにかを抱え込んでいるようにしか見えなかった。しばらくの沈黙の後、ナラカはやっと口を開く。

「……あなたには、関係ないでしょ」
「いいや、ある。そなたはいつも、戦うことや傷付くことを恐れているように見える。それなのにエルトに協力しようと決めたのは不自然極まりない。何故そう決意したのか、教えてはくれまいか」
「わ……私は、私は……」

ナラカは下を向きながら、もごもごと口を動かそうとする。言いたいことはあるのだろう。しかしどうしてかそれを口にすることは出来ないようだった。

「……ナラカ?」
「……ヴィアレさん、は……。ヴィアレさんは、エルトさんのことを仲間として慕っているでしょう」
「そ、そうだが……」
「それなら、私の話はどうか聞かないでください。この質問はなかったことにしましょう。何をどう思ったのかは知らないけれど、あなたも皆のところに戻って……」

なんとかしてヴィアレを遠ざけようと、ナラカは出来るだけ平静を装ってそう彼に告げようとしたつもりだった。しかし彼女の言葉は途中で引っ込む。ナラカは臆したのだ。真っ直ぐに自分を見つめてくるヴィアレの瞳に。焔のように紅い彼の眼は、吸い込まれてしまいそうな美しさはもとより、ヴィアレ自身の意志の強さも秘めていた。隠せない。ナラカがそう思うくらいには。

「ナラカ」

ずい、とヴィアレはナラカに顔を近付ける。中性的な美しさばかり目についていたヴィアレの顔だが、何処と無く前よりも凛々しくなっているような気がした。少なくともナラカには。

「……っば、馬鹿、馬鹿、ばーか!!」

そのため、ナラカはそのように叫ぶことしか出来なかった。馬鹿馬鹿馬鹿、と繰り返しながら彼女は立ち上がってどんどんと地団駄を踏む。そのまま隠していた紙やら筆記具やらを掴むと、ずかずかと自室に向かって歩いていこうとして、ぴたりと扉の前で止まった。

「…………あの、ヴィアレさん」
「なんだ?」
「……私は、ただの人間です。あなたもそうでしょう?……だから、こんな地底の人の感情は、よくわからない。報復がどうとか、私には関係ないし、するつもりもありません。あなたは、ティヴェラ国をこのまま滅ぼすことが良いことだと思いますか?」

後ろを向いたまま、ナラカはヴィアレに問いかける。彼女の背中は酷く頼りなさげに見えた。ヴィアレは一瞬息を吸い込んでから、なんでもの背中に向けて答える。

「エルトは我が恩人だ。故にエルトが望むことなら、我は手伝いたい。……手伝いたいが、それが誰かを酷く傷付け、犠牲を産み出すようなものであるならば、考え直すこともあるやもしれん」
「……そうですか」

きぃ、ぱたん。ナラカは短く答えてから、自室へと入っていく。その背中は、先程に比べて幾らか肩の荷が下りたようにも見えた。

1ヶ月前 No.70

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1ヶ月前 No.71

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1ヶ月前 No.72

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王が鎮座する部屋のことをティヴェラでは“玉座の間”と呼んだ。其処はたいていの者は入ることの出来ない空間であったが、シュルティラは入り慣れているのか躊躇いなく重苦しい扉を開けて中へと入る。その後ろから着いてきていた男も彼に続く。

「……来たか、シュルティラ」

扉を潜ってすぐに目に入ったのは黒衣を纏った堅い表情の男━━━━宰相であるアドルファスだった。そして彼の傍で玉座に座っている、何処か不気味な霊鳥を模した仮面を着けた人物が黙ってシュルティラを見ている。アドルファスから少し離れたところには、“選定の儀”でノルドと戦った羅刹の少女━━━━エステリアがむすっとした表情で佇んでいた。

「……ルードゥス、貴様は着いて来ずとも良かったものを……」
「何を言う、俺だけ仲間外れにするなど無粋にも程があろう?して話とは何なのだクルーファ、疾く話せ」
「貴様、殿下に向かって何という口を……!」

アドルファスからルードゥス、と呼ばれた男はクルーファと呼ばれた仮面の人物に友人を相手にするかのような口振りで話を促した。それを快く思わないのであろうエステリアはルードゥスに射殺さんばかりの表情で彼を睨み付ける。しかしルードゥスは臆した様子もなく、彼女をあしらうように口角を上げただけだった。クルーファは特に気にした様子もなく、玉座から動かずにエステリアを制するつもりなのか片手を上げた。

「良い、エステル」
「ですが殿下、この者の言動はあまりにも目に余ります!そのように見逃していては、いずれ……!」
「余が構わぬと言っているのだ。気にするなエステル、此奴は余には逆らえぬ」

エステル、というのはエステリアの愛称なのだろうか。とにもかくにも気色ばんでいたエステリアはクルーファに宥められたことで不本意そうではあったがルードゥスに向けていた敵意を鎮めた。クルーファは視線をエステリアからシュルティラへと移す。

「……シュルティラよ。先日のラビスの件は済まなかったな」
「……いえ、当然のことをしたまで」
「クルーファよ、こんな素振りをしてはいるが、此奴は襲われかけた小娘が相当気にかかっている様子でな。心配で見に行ったら手紙を貰ったのだと。くく、愉快よな。あの輪廻の忌み子が、人の子を気にかけるとは」
「ルードゥス!」

シュルティラに対して密やかに笑いながら揶揄るルードゥスに、再びエステリアが声を荒らげる。今にもルードゥスに飛びかかりそうな勢いだったが、彼はそれを恐れる気配など出さず、むしろ楽しんでいるかのようにエステリアへと視線を向けた。

「貴様も貴様で人の子に情を向けるのか?かつては人をも食ろうた羅刹がなぁ。時の流れとは残酷なものだ」
「……何が言いたい」
「エステリア、貴様は臭い。人の臭いが付きすぎている。嗚呼、もしや先日の接吻でより人に近付いたか?」
「貴様ぁっ、殺されたいのか!?」
「……双方落ち着かれよ。このまま騒ぎを収めぬのなら退室願いたい」

今にも一触即発、といった雰囲気を感じ取ったのか、アドルファスがルードゥスとエステリアへ静かに制止の言葉をかけた。決して大きな声ではないが、彼の言葉はよく響いた。ルードゥスは全く反省していないのかわざとらしく肩を竦め、エステリアは悔しげに唇を噛んだ。ひとまずこの場は収まったということで良いようである。沈黙していたクルーファは、再びシュルティラへの問いを続ける。

「……して、シュルティラ。お前に頼みたき儀がある」
「……それは如何なる用件か」
「そう難しいことではない。近々旧アーカム領より王宮勤めの志願者がやって来るであろう。その際に、怪しい者が居らぬか見定めてほしいのだ」

クルーファはシュルティラに身を屈め、面の下からくぐもった声で彼に頼む。シュルティラは同じく顔が見えないクルーファに、何も言わずこくりとうなずいた。

「お前なら請け負うてくれると思っていたぞシュルティラ。見定めるとは言うても殺すまでには至らずとも良い。あくまでも不安要素が無いか確認するだけ故な」
「……承知」

短く返事をすると、シュルティラはすたすた何処かに向かって歩いていく。段々と遠ざかっていくシュルティラの背中に、「……何処へ向かうつもりだ?」とアドルファスが声をかける。

「……姉上のもとへ」

シュルティラの答えはただそれだけだった。アドルファスは眉間を揉みながら溜め息を吐いていたが、止めない辺り彼の行動を制限するつもりはないようだった。止められぬシュルティラはそのまま玉座の間を出ていき、また扉の閉まる重苦しい音が響いた。

1ヶ月前 No.73

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1ヶ月前 No.74

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━━━━昔のことは、よく覚えている。


離宮を出て、シュルティラは結局もといた噴水まで戻ってきた。他に行きたい場所がないのだ。自室に行ってもやたらときらきらしくて落ち着かないし、かといって気軽に話せるような友もいない。せいぜい姉である先程の女性━━━━元アーカム王国第一王女である、キラナくらいとしか、シュルティラは込み入った話をすることは出来ない。他の面子はなんとなくそういった話が出来るような人間ではない気がしてならないのだ。
そうだ、シュルティラには気軽に話せる人間などこれまでいなかったような気がする。いや、かつてシュルティラ以外の名を与えられていた時代、つまりは地上で生きていた頃はそういった人間もいた。あの頃の名前は、シャルヴァでは口にしてはいけないことになっている。そのためシュルティラもその名を名乗ることはなくなってしまった。

(……嫌いな名ではなかった)

これはシュルティラの本心である。まだ神代と呼ばれていたあの時代に生きていたシュルティラは、決して恵まれた人生とは言えなかったがそれなりに楽しくやれていた。友人もいた。家族も一応、いた。腕を競い合える好敵手だっていた。家族に関してはあってないようなものだったけれど、今となっては些細な問題だ。当時はやたらお家柄を気にしていたけれど。
あの時代、シュルティラがまだ忌み子として扱われていなかった頃。それを思い出す度に、彼は何とも言えない気持ちに襲われる。なんだろう、この感情は。回顧だろうか。それとも後悔だろうか。シュルティラにはわからなかった。昔ならわかったのかもしれない。だが数千年も輪廻を続けてきた彼は、時を経るごとに人間的な感情というものに疎くなっていった。他人の気持ちが量れない。それをどうしようと思うことも、最近ではなくなっていった。同じような人生の繰り返し。そう、繰り返しなのだ。シャルヴァに生まれ、忌み子として扱われ、そして最期はアーカムの人間に殺される。決まりきった構図だった。殺されることに対する恐怖というものもシュルティラにはなかった。そうあるならば受け入れるしかない。一種の諦めを抱きながら、シュルティラは己を殺める人間に何の感情も抱きはしない。

(……嗚呼、しかし、俺は羨ましい)

ふと、脳裏に浮かんだのは一人の少女の姿であった。頼りなく、決して目立つような見た目ではなく、いつも何かに怯えているような。シュルティラが触れてしまえば、すぐにぽきりと折れてしまいそうな少女。シュルティラに手紙をくれた少女のことを、彼は事あるごとに思い出す。彼女が羨ましくて仕方がない。

(羨ましい。俺も、俺も見たい。俺も、出来ることならば━━━━)
「思索に耽るとは珍しいな、シュルティラ。先の姉との会話が其処まで愉快だったか?」

ぼんやりと天井の曼荼羅を見上げていたシュルティラの視界に入ってきたのは、またしてもルードゥスだった。流麗な顔立ちはやはり何処か厭らしい笑みを浮かべているせいで淫靡なものに見える。シュルティラが何かを言う前に、勝手にルードゥスは彼の隣に腰かけた。

「あの曼荼羅が気になるか?」
「…………」
「そう身構えるな。ただ質問をしただけではないか」

警戒しているのか何も言わないシュルティラの肩を軽く叩いてから、ルードゥスはちらと曼荼羅を一瞥した。光の入らないシャルヴァを照らす曼荼羅は、さながら太陽のようである。これはただの比喩ではない。この曼荼羅は太陽を体現したかのように1日の中で光度を変えるのである。そのためシャルヴァの人間はこの曼荼羅に合わせて生活を営む。曼荼羅が輝き出したら起床し、逆に光が弱まり始めたら各々が家路につくのだ。

「あれは地底における太陽らしい。シャルヴァが創られた頃はまだ神代が続いていたからな、火神でも太陽神でも、あるいは精霊であっても人間と関わる機会はあったのだろう。一説には神の血を少なからず引く者の遺品を天井に埋め込んだらあの曼荼羅が出来たとも言うぞ」
「……何が言いたい?」
「くく、場合によっては貴様の知己が天井に埋められておるやもしれぬな。シュルティラ、貴様も一応神代の生まれ。神々に見初められた人間は何人も見ておろう?」
「……知らんな。心当たりはない」

左様か、とだけ呟いて、シュルティラの答えが面白くなかったらしいルードゥスは立ち上がって何処かへ歩いていってしまった。飽きっぽい彼らしいと言えば彼らしいが、シュルティラとしては彼と話した意義を見出だせずに話が終わってしまうのは少し不愉快だった。

「…………」

曼荼羅に向けて、シュルティラは手を伸ばす。籠手に包まれた己が真っ黒な手は、曼荼羅の光を吸い込んでしまいそうに思えた。嗚呼、これが太陽だったなら。つい、そう思ってしまうシュルティラは、今は遠い天道を思いつつ兜の下の目を細めた。

1ヶ月前 No.75

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1ヶ月前 No.76

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【第13幕:王宮勤めの始まり】

その日の集落はまだ朝だというのに酷く賑やかだった。それもそのはず、この日は王宮勤めを望む者たちが都に向かうことになっているのだから。王宮からやって来た馬車には乗り切れないほどの人数が押し掛けてきたため、運搬はかなりの時間を有していた。混雑を避けるためにヴィアレとエルトはノルドの馬車に乗ることにした。

「いやぁ、まさかお前らが王宮勤めに行くなんてな!俺は向いてないから送ってくしか出来ないけど、王都に行けるってのは羨ましいぜ!」
「まあ、何月か一度は帰ってこられるとの話であった故、完全に離ればなれという訳ではなかろう。その時には土産を持って行くぞ!」

そうヴィアレが言うと、ノルドはにししと笑ってから彼の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。それを見たエルトはなんとなく微笑ましい気持ちになる。ああいったことは昔兄たちによくしてもらっていたため懐かしい。末っ子のエルトは腹違いの兄たちにもよく可愛がられていたのだ。
今回、ヴィアレとエルトは王宮に仕える下男として王都に向かうことにしていた。そのためエルトも今回ばかりは男性の出で立ちをしている。集落の面々の中には「あんな奴いたっけ……?」と訝しげな表情をしている者もいたが、どうせ王宮に行くのだからあまり構わず気にしないことにした。変に関わったり誤魔化したりするとそれこそ勘づかれる。

「そういえば、ナラカはどうしたんだ?あいつも王宮勤めに行くなら、いっしょに連れていくけどよ」
「さあ……私たちが家を出た時にちょうど起きて来ましたが、特に何か言ってはいませんでしたよ。此処に来てからも姿を見かけませんし」
「そうか……ならあいつは集落に残るのかな。ナラカらしいっちゃナラカらしいが」

ナラカは朝に出ていこうとするエルトたちに一瞥もくれなかった。エルトとしては当たり前のことなのだが、ヴィアレは彼女ともいっしょに行きたかったのか、エルトにもう少し待とうもう少し待とうとごねていた。しかしそれでもナラカはのろのろと準備をしていたので、見かねたエルトはまだ待とうとするヴィアレを集落の入り口まで連れてきたのである。初めはしょんぼりとしていたヴィアレだったが、ナラカの性分から彼女は王宮勤めに行かないだろうと自分で納得したのかもしれない。今ではいつも通りの元気な様子を見せていた。

「ヴィアレ君、エルト君!」
「アシェリム、それにリリア!来てくれたのか!」

荷物を馬車に詰め終えたところで、ヴィアレは此方にぱたぱたと駆けてくるアシェリムと、その後を着いてくるリリアの姿を見つけて大きく手を振った。アシェリムは厚着なこともあってか肩で息をしながら、ヴィアレの手を握る。

「君たちが王宮に行くとはね。どうか、くれぐれも無理はしないでおくれ」
「大丈夫だ、アシェリム!そなたこそ、怪我は大丈夫なのか?」
「嗚呼、それについては安心してくれ。リリアに治して貰ったからね。あの時は色々とすまなかった、私としたことが切羽詰まってしまったみたいだ」
「……アシェリム」

アシェリムは穏やかに微笑んでいたが、ヴィアレの表情は優れない。事情を知らないエルトは何と言えば良いのかわからず、ノルドにちらと視線を向けるしか出来ない。浮かない表情のヴィアレに声をかけたのは、アシェリムでもノルドでもなくリリアだった。

「妾が見た限りアシェリムの怪我は完治した。お前が心配せずとも良いのだぞ」
「しかし……」
「王宮に行くのだろう?ならばそのようなしけた顔をするな。門出というのは笑って行うものだぞ」

リリアの言葉は優しい。その優しさがヴィアレにとっては不服だった。それでも彼女に何かを言い返すことは出来ずに、ヴィアレはこくりとうなずく。それを見て安心したのか、アシェリムは「体には気を付けるんだよ」と声をかけてヴィアレから手を離した。

「さあ、行っておいで。君なら出来るはずだ」
「……かたじけない。帰ってきた時には、必ず良い知らせを持ち帰ろう!」

そう告げてから、ヴィアレは馬車へと乗り込んだ。エルトも一礼してから、ヴィアレに続いて馬車に乗り込む。たった一月、然れど一月。生活を営んだ集落は、風を切る馬車により離れつつあった。

1ヶ月前 No.77

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1ヶ月前 No.78

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話している中で、アリックは旧アーカム領から来たわけではないと語った。王宮勤めを求めてやって来たものの、この行列を無視する訳にもいかず混ざり込むしか出来なくなってしまったのだという。特に選別などはなさそうだが、分けられているのなら困る、と彼は語った。

「噂によれば、王宮に入る前に審査を受けるようです。怪しい人間はその場でお縄のようですよ」
「そ……それは怖いな。怪しまれぬようにせねば……」
「心当たりでもあるのですか?」

まるで我がことのように震えるヴィアレを、エルトがじろりと横目で見る。あのアドルファスとかいう宰相の顔つきから厳しい審査を受けるような予感はしていたので、エルトは細心の注意を払って持ち物を揃えてきた。そのため剣などの武器はナラカの家に置いてきている。恐らくナラカやハルシャフが使う機会はないだろう。

(そういえば、見送りにハルシャフがいませんでしたね……)

ふと、エルトは見送りにハルシャフがいなかったことに気づく。ばたばたしていて気にしていなかったが、不思議なこともあるものだ。昨夜は離れたくないと言わんばかりに引っ付いてきたというのに。

「ご心配なさらず。余程のものをお持ちでなければ引っ掛かることはありませんよ」
「……何故そう言い切れるのです?」
「私の知り合いが昔に王宮に入ったことがあるのです。その際に準備を手伝ったのですよ。武器などを持ち込まないのは当たり前ですが、危険性がなければたいていのものは持ち込みを許されるようですね」
「そうなのか……それなら良いのだが……」

やけに詳しいアリックをエルトは訝しむが、彼はどうやら知り合いが王宮勤めに行ったことがあるらしく、エルトはこれ以上問い詰めるようなことはしなかった。いきなり出会って此処まで馴れ馴れしいとエルトとしては警戒してしまうのだが、今のところアリックに裏は見られない。彼がまだ本性を現していないのか、もしくは本当にただ友好的なだけなのか。これまでずっと他人に対して気を張り詰めていたからか、エルトは何かあるとすぐに他人を疑うようになっていた。

「あ、見えてきましたよ。あれがティヴェラ王国の王宮です」

アリックが声を上げたことで、ヴィアレとエルトは彼の指差す方向へと視線を動かす。ティヴェラの王宮。それはシャルヴァ生まれのエルトも見たことがなかった。
アーカムの王宮はチベットなどの文化を想起させるような造形をしていたが、ティヴェラの王宮は印度など南亜細亜の建築物に似た造りだった。玉ねぎのような膨らみを持つ建物が幾つも連なっている光景は圧巻である。王宮の前には堀が巡らされており、跳ね橋を下ろさなければ行き来出来ないようになっているようだった。アーカムの王宮は土を盛って小高い丘のようなものを造ってからその上に宮殿を乗せる造りだったので、これにはエルトもほうと感嘆の吐息を漏らす他ない。白い外壁には曼荼羅の光がかかり、うっすらと曼荼羅の模様が浮かび上がっている。アーカムの王宮も美しいものだったがティヴェラのそれもなかなかだ。

「これは凄いな!我の住まいより大きい!」
「当たり前でしょう、王宮なのですから。いつまでもはしゃいでいないで、審査を通れるよう準備をしておきなさい」
「ふふ、エルト殿はヴィアレ殿の母上のようですね」

ヴィアレとエルトのやり取りを微笑ましそうに見守るアリックをエルトは睨み付けようとしたが、彼の穏やかな微笑みにそれを向けるのは難しく、呆れたようにこめかみを揉むしか出来なかった。つくづくやりにくい相手。アリックに対するエルトの評価はその一点に限った。

1ヶ月前 No.79

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跳ね橋が下ろされ、王宮勤めの希望者は無事に王宮内に入ることが出来た。入れたからと言ってそこから審査があった訳だが、ヴィアレとエルト、そしてアリックは特に問題なくそれを通過した。審査と言っても簡単な持ち物検査のようなもので、武器などを持ってきていない三人は案外するりと通り抜けられた。そもそも追い返される人間がいるのであろうか。下心丸見えな人間ならあり得なくはないが。

「これからどうすれば良いのだ?」

無事審査を通り抜けられたことに安心したのか、明らかにほっとした表情でヴィアレが尋ねる。そんな彼にアリックがくすりと微笑みかけた。

「先程の審査の際に、用紙を渡されたでしょう?其処にあなたが配属された部署と、これから過ごすことになる部屋が記されているはずですよ」
「どれどれ……我は雑色らしいな。エルトはどうだったのだ?」
「私は文官のものでの下働きのようですね。あなたとは別の部署です」
「そ、そんな……!」

何がどうなったら同じ部署に入れると思っていたのだろうか、ヴィアレは心なしか顔を青くさせて本気で驚いているようだった。やれやれと言いたげなエルトには目もくれずに、ヴィアレは勝手に彼の用紙をふんだくると隅から隅まで目を走らせる。せめて部屋が同じなら、とでも思っていたのだろうか。しかしヴィアレの希望はすぐに打ち砕かれることになる。真剣そのものだったヴィアレの表情は絶望一色といった様子に様変わりしていた。

「部屋も……別……」
「残念でしたね」
「ぜ、絶対思っておらぬだろう!」
「まあまあヴィアレ殿。部署は異なりますが、あなたと同室なのは私ですよ」
「…………へ?」

横から口を挟んできたアリックの言葉に、一瞬ヴィアレがきょとんとした表情を浮かべた。そしてすぐにぱあっと笑顔の花を咲かせる。童子のそれにも似た無邪気な表情に、アリックは少しだけ驚いたようだった。

「それは真か!?……うむ、うむ!真だな!そなたと同室とは嬉しいこともあるものよ!これからよろしく頼む!」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」

用紙を覗き込んできただけではなくいきなり手を取ってぶんぶんと強めの握手をしてくるヴィアレに、アリックは相変わらずたおやかな笑みを浮かべる。ヴィアレより幾分か背の高いアリックは慈しむような視線をヴィアレに向けていた。一体どのような素晴らしい教育を受けてきたらこのような物腰でいられるのだろうか。端麗な容姿に加えてこの立ち振舞いとなれば、そのうちアリックは女性たちからとんでもない人気を誇ることになるであろう。

「……と、いう訳だ。我は独りぼっちではなかったぞ!」
「はいはい、それは良かったですね」
「エルトは誰と同室になるのであろうな!怖い者だったら我の部屋に来ても良いのだぞ?」
「なんですか怖い者って……。何のために審査をしていると思っているんです?物騒な方がいらっしゃる訳ないでしょう」
「いいや、わからぬぞ。神殿で読んだ書物の中には、素手で首をねじ切る猛者もいた。そういった者と同室になったらエルトはどうするというのだ?」

独りぼっちの王宮勤めを避けられたからか、ヴィアレは得意気にエルトを見上げてくる。例えが独特すぎて何処をどう突っ込めば良いのかわからない。エルトは溜め息を吐いて、「そういった方は兵役の方が適しているでしょう」と釘を刺した。

「とにかく、まずは部屋に向かって荷物を置くのが先でしょう。これから部署ごとに説明もあるのですから、素早い行動を心掛けねば」
「ふふ、たしかにエルト殿のおっしゃる通りですね。さ、参りましょうヴィアレ殿」

微笑みながらやんわりとヴィアレを導くアリックはさすがとしか言いようがない。まだエルトと話していたかったヴィアレも、彼に促されては抵抗も出来ないというもの。わかった、と渋々ながらうなずいて、アリックの後に続いたのであった。

1ヶ月前 No.80

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1ヶ月前 No.81

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1ヶ月前 No.82

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きゃいきゃい言いながらも休憩時間まで仕事をしていると、雑色の仕事が終わる時間帯になっていた。王宮にある使用人用の食堂があるとのことで、ヴィアレたちは其処で共に夕食を摂ることにした。

「僕、こんな賑やかなところでご飯食べるのって初めてだよ。いつもは仕事が終わり次第個人で、って感じだったからね〜」
「お前、仕事してたのか……?」
「な、なんなのその顔は!僕だって仕事くらいしてたよ!」

恐らくグラネットはエミリオがこれまでまともな職に就いていないものだと思っていたのだろう。彼の言葉に神妙な表情を浮かべた。たしかに先程の仕事中にもエミリオはことあるごとにヴィアレに話しかけてきてグラネットからお叱りを受けていたので、彼が真面目に仕事をしている姿はヴィアレも想像しにくかった。

「もう、グラネットったら酷いんだから。僕皆のご飯取って来るね。二人は席取っといて」
「良いのか?一人では辛かろう」
「いーの!これくらい出来ないとさすがにカッコ悪いじゃん?僕だって可愛い子の前でカッコつけたいもん!」
「お前喋んない方が全然ましだな……」

なんだかんだ言いつつ食事を取りに行ってくれたエミリオを見送ってから、ヴィアレとグラネットは手近な席を取っておいた。四人掛けだからエミリオを入れても余裕があるだろう。別に相席になっても構わないので、広々とは使わず席はひとつ空けておくことにした。

「それにしたって、けっこうな人だよな。一気に雇うっては聞いてたけど、驚かずにはいられねーや」
「グラネットは旧アーカム領から来たのではないのか?」
「おう、オレはもともとティヴェラの生まれだからな。ヴィアレ、お前は旧アーカム領から来たのか?」

グラネットの問いかけに、ヴィアレはこくりとうなずく。旧アーカム領から来たとは言っても其処出身ではないので多くは語れない。エルトによれば外界からやって来たということは極力話さない方が良いとのことだった。ティヴェラ国だけではなく、シャルヴァ全体も含めて外界の人間に差別意識を抱いている民も少なくはないという。外界へ出ることを“外界落ち”と呼ぶのはそれもあってのことなのだろう。だとしたら落ちる、なんて言わない。
うなずいたヴィアレを見たグラネットは、彼から気まずそうに目線を一瞬外した。そのままきょろきょろと所在無さげに視線をさ迷わせてから、またヴィアレの顔を見つめる。

「その……そっちって、今はどんな感じなんだ?やっぱり、まだ荒れてるのか?」
「うぅむ……たしかに、都に比べたら廃れているかもしれない。だが、決して寂れている訳ではないぞ。民もいるし、集落もある。それに、ティヴェラとも完全に遮断されているという訳でもないからな」
「そ、そっか。やっぱり、そんな感じなんだな……」

やや挙動不審なグラネットに、ヴィアレは訝しげな表情を浮かべる。どうしてグラネットは焦るような素振りを見せているのだろうか。ヴィアレは彼の顔を覗き込む。グラネットの碧い瞳と、ヴィアレの紅い瞳がかち合った。

「我はティヴェラの者を何とも思うておらぬ。そもそも戦のこともよく知らなんだ。そなたが気にすることではないぞ、グラネット」
「そ、そうだけどよ……」
「……?そうだけど、どうしたのだ?」
「うわぁ〜〜〜ん、どうしよう二人ともぉぉ!!僕、僕やらかしちゃった〜〜〜〜〜!!!」

気まずそうな雰囲気の中に突然割り込んできたのはなんとも気の抜ける泣き声だった。振り返ってみれば、ちゃんと人数分の食事をお盆に乗せて持ってきたエミリオがいる。彼の左頬にはなんとも痛々しい赤い手形があった。要するに誰かに平手で打たれたのだろう。しくしくめそめそと泣きながらやって来たエミリオを、周囲の者たちは奇異の目で見ていた。

「どうしたのだエミリオ!?何があった!?」
「うぇぇん、ご飯貰いに行く途中にすっごい可愛い子がいてさぁ……。でもなんかよくわからないけどずぶ濡れで……可笑しいな、不思議だな、可愛いな、胸おっきいな〜って思って声をかけてみても、全然振り返ってくれないの。聞こえてないかもって思って肩叩いてみたら、物凄い勢いでぶたれちゃった……。どうしよう、僕可愛い子に嫌われたとか信じたくないよぅ……!」

何があったのかと真面目に問うたヴィアレだったが、エミリオから返ってきたのは彼の予想に反するものだった。途中まで真剣に聞いていたグラネットは溜め息まで吐いている。とりあえず、ヴィアレはめそめそと泣くエミリオの頭をよしよしと撫でてやった。

「……要するに、ナンパが失敗しただけじゃねーか。自業自得だろ」
「う、うん……。まあそれはわかってるよ……何度も声とかかけたらさすがに怖いよね……。本当にどうしよう、明日から僕はこんな気持ちで過ごさなきゃならないのか……」
「き、きっとその子も申し訳なく思っているはずだ!明日、また食堂で会うたら謝りに行こうぞ。我とグラネットも伴する故な!」
「おい、なんでオレまで巻き込んでんだよ!とにかく飯食うぞ飯!腹が減っちゃあどうにもなんねーからな!」

おら座れ、とエミリオを席に促してから、グラネットは一人一人の食事を分けていく。言葉は荒くとも彼なりにエミリオのことを気遣ってやっているようだった。エミリオもそれを理解しているのだろう、ふにゃりと笑みを浮かべると食事に手を付け始めた。

1ヶ月前 No.83

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【第14幕:受難と薬師と可笑しな羅刹】



何を間違ったのだろう。


ナラカは思う。自分はどの時点から間違っていたのだろうか。どうしてこんな惨めな思いをしながら、独りとぼとぼと歩いていかなければならないのだろうか。考えても考えても、結局最後は“最初から間違っていた”という結論に追い込まれる。それがどうにも受け入れられなくて、受け入れたくなくて、ナラカはまた泣きそうになる。
お腹が空いた。先程から何度もきゅるる、と腹が鳴っている。その度に、胸元に隠れている餅蜥蜴が此方を心配するように顔を出してくる。餅蜥蜴のつぶらな瞳には、濡れ鼠の惨めな小娘しか映っていない。

(どうして、私がこんな目に遭わなきゃならないんだろう)

餅蜥蜴を人差し指で撫でながら、ナラカは今日何度目になるかわからない程にまたそう考えてしまう。こんなことを考えたって、誰が励ましてくれる訳でもないというのに。ただ独りで悲劇の姫君になろうとしているみたいで厭だったけれど、この状況を打破出来ない限り考えることをやめられなかった。
周りの下男や下女たちが、不審そうな表情で歩いていくナラカに視線を遣る。何やらひそひそと噂話をしている者もいた。何を話しているのかはなんとなく予想がつく。大方ナラカの聞きたくない話なのだろう。だからナラカは彼らのことを無視して、足を早めに動かすことにした。出来るだけ遠くへ行かなければ。出来るだけ人のいない、静かな場所に。そんな場所がこの王宮にあるのかはわからなかったが、それでも探し続けなければならない。こんなところにいたっていつまでも辛いだけだ。だったら独りでいた方がよっぽど良い。

(何処に行けば、独りになれるだろうか)

知り合いがいない訳ではない。しかしヴィアレやエルトには王宮勤めに行くことすら伝えなかったし、此処に来てまでシュルティラに頼るのはどうかと思う。今のところ味方と言える存在は胸元の餅蜥蜴だけ。餅蜥蜴がいなければ心が折れていたかもしれない。これほどまでに小動物に感謝する日が来るなんて思っていなかった。
しばらく歩いていると、途端に人通りが少なくなった。それと共につんと鼻をすえる臭いが漂い始める。嗚呼、ごみ捨て場が近いのかとナラカは考えた。服に臭いが付くとか、そういったことは最早気にしなくなっていた。とにかく今は独りでいたかったのだ。そのまま歩を進めていくと、やはりごみ捨て場にたどり着いた。朝方に燃やすのだろう、この時間帯はけっこうなごみの量だった。

「……!」

ぼんやりとしていたナラカだったが、突如はっと目を見開いてごみの入っている大きな籠の中を覗き込む。そして躊躇することなくその中へと手を突っ込んだ。
ナラカが引っ張り出したのはごみで薄汚れた麻の鞄だった。いつもナラカが首から下げているものである。ナラカは汚れや臭いを気にせず、鞄をぎゅっと抱き締めた。

(……嗚呼、本当に、どうして)

嘆いていても仕方がない。泣いていても誰も振り向くことはない。慣れているはずだ。慣れているはずなのだ。それなのに、どうしてこんなに辛いのだろう。ナラカは鞄を抱き締めながらほろほろと涙を溢していた。本当なら声を大にして泣きじゃくりたかったけれど、そんなことが出来るはずもない。ナラカは声を抑えるようにして、ただ嗚咽を漏らすことしか出来なかった。

1ヶ月前 No.84

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━━━━時は、今日の朝方まで遡る。

ナラカはヴィアレとエルトが出ていくや否や、素早く準備を整えて広場に向かい、王宮から出された馬車に飛び込んだ。既にぎゅうぎゅう詰めだったが気にしない。酔わないようにと梅干しは食べてきたし、そこまで大きな荷物は持っていないからかさばることもないだろう。出入口から振り落とされないようにと、ナラカは出来るだけ奥に体を動かした。

(ティヴェラ国の都……。どんなところなんだろう……)

動き出した馬車に揺られながら、ナラカはまだ見ぬ王都に思いを馳せる。ナラカはノルドたちに着いていって市場に赴いたことはあるが、都市部までには入ったことがなかったのだ。噂に聞けば、其処は理想郷をそのまま具現化したかのようなところだという。ナラカの胸は高鳴りを抑えられなかった。
ナラカの暮らしていた集落からティヴェラの都まではそれほどの距離を有していないので馬車は程なくして目的地に到着した。押し出されるようにして外に出たナラカは、とにもかくにもはぐれないようにと人の波に揉まれながら着いていく。恐らく前方に案内の兵士か何かがいるのだろう。彼らによって自分たちは王宮まで案内されるようだった。

「……ナラカ」

くい、と。歩いていたナラカが下げていた鞄の紐を、後ろから軽く引っ張られた。ナラカは後ろに倒れそうになるのをなんとか堪えてから、慌てて後方を振り返る。かかった声には聞き覚えがあったのだ。

「な、なんで此処にいるんですか……!?」
「……エルト、いなくなってたから……」

ナラカを呼び止めたのはナーガの青年、ハルシャフだった。尻尾を隠すためなのか、腰に布を巻き付けている。それでも尻尾が動けば布が不自然に動くのでナラカからしてみれば隠していても意味がない。どうせなら手の鱗も隠した方が良いと思う。

「ハルシャフさん、あなたも用紙を貰ったんですか?」
「ようし?」
「これです、これ。王宮勤めに行く人は、これを書かなくてはならないんですよ」
「…………もってない」

ナラカが用紙を見せると、ハルシャフはしゅんと眉尻を下げた。やはり彼は用紙を持っていなかったらしい。

「ナラカ、それ、もらっちゃだめ?」
「だ、駄目ですよ……!それにもう名前とか書いてしまいましたし……。ハルシャフさん女の子じゃないでしょう?」
「うん……そうだよね。ごめんなさい……」

下手したら奪われてしまうのではと危惧したナラカは必死で用紙を守ろうと身構えたが、ハルシャフは案外あっさりと退いた。それでも悲しそうな表情であることに変わりはない。あの憎きエルトと全く同じ顔だが、なんとなくナラカも可哀想に思えてくる。

「い、今なら大丈夫です。けっこう歩いて来てしまったけれど、馬車のところまで戻れば帰れると思います。きっとノルドさんたちもいらっしゃいますから、その馬車に乗せてもらったらどうでしょうか」
「……でも」
「エルトさんに会いたいなら、集落で用紙を貰ってください。そうでないと王宮勤めは出来ないんですから。エルトさんだって、不正な手段でハルシャフさんには入ってきて欲しくないと思います」
「……うん。わかった」

ナラカの言葉にハルシャフはこくりとうなずいて、とぼとぼとした足取りで来た道を戻っていった。彼も連れていけることなら連れていってやりたいが、違反者になってまで連れ込むつもりはない。きっと集落にもまたあの用紙は補充されるはずだ。そう信じてハルシャフに戻るよう言う他、ナラカには手段がなかった。

(……仕方ない。仕方のないことだったんだ)

一生懸命そう自分に言い聞かせながら、ナラカは再び歩き始める。間もなくすれば王宮に到着するだろう。これからは実質知り合いのいない場所で働くことになるのだ。気を引き締めるためにも、ナラカはぐっと目の前を見据えた。

1ヶ月前 No.85

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跳ね橋を渡ってから、ナラカは他の面々と同じように審査を受けることになった。この点については心配はない。刃物などは持ってきていないし、そもそも武器なんてひとつも持ってはいない。食べ物も保存の利く質素な非常食だけである。此処はあまり心配せずに通ることが出来るだろう。そう考えていたナラカの胸元が、何やらもぞもぞと動いた。

「……!?」

胸元からひょこりと顔を出したのは、何を隠そう餅蜥蜴であった。嗚呼、そうだ。朝はばたばたしていた思いっきり忘れていたけれど、自分には餅蜥蜴がいたのだ。いつも気づかないうちに服の中に潜り込んでいて、突然出てくる度に驚いていたものだ。しかも今回は自分の審査の二番ほど前。ナラカは声を出しそうになるのを必死に我慢しながら、餅蜥蜴を奥に押し込もうとする。

(なんで今日は出たがるの……!?)

しかしナラカの思惑とは裏腹に、餅蜥蜴は押し込まれてもすぐにまた顔を出してしまう。そうこうしているうちにナラカの順番が迫りつつあった。なんとか餅蜥蜴を隠そうとしながら審査している面々を覗き見たナラカはひゅっと息を飲む。

(シュルティラさん……!?あの人ってけっこう偉い方なんじゃ……!?)

なんと、審査に立ち合っているのがかのシュルティラだったのである。今日も今日とて完全武装の彼にナラカの震えは止まらない。もしかして、違反者はシュルティラに処罰されてしまうのではないか。そんな疑念が生まれてしまい、ナラカの背中を冷や汗が伝う。何としてでも隠すべきか。いや、後から餅蜥蜴を忍ばせていることが露見して処罰されたらどうするのだ。いっそのこと正直に餅蜥蜴を出したまま審査に進むべきなのか━━━━。ナラカの心中は破裂してしまいそうだった。

「次!」
「はっ、はいぃ……!」

そうこうしているうちにナラカは誘導の兵士に呼ばれてしまった。声は裏返るし、振る舞いもなんとなく挙動不審になっている気がする。現に右足と右腕を同時に出してしまったから、周りの面々に訝しげな顔をされた。餅蜥蜴は最後の最後まで引っ込んでくれなかったため、ええいままよと吹っ切れて肩に乗せておくことにした。ナラカはかちこちに固まりながら審査官とシュルティラの前まで歩いていく。

「えー、まずは鞄を…………の前に、その肩の生き物は……?」

やはり餅蜥蜴は何とも言えない存在感を放っていたのだろう。平静を装って鞄を下ろそうとしていたナラカはその質問に顔を青くさせた。やっぱり突っ込まれた。そりゃあたしかに気になるだろう。ナラカはぶるぶる震えながら餅蜥蜴を手に乗せる。

「あ……あの……。家で、飼っていたんですけど……。なんか、着いてきてしまって……。あ、その、草食ですから、害はないと思います……。そ、それに、とてもおとなしいですし、鳴き声も発しません……。糞もそこまで大きくないし、草食なので臭いもありません……。とても飼いやすいです……。それにほら……こう、近くで見ると、とても可愛くて……」

慌てるあまり謎の宣伝のような口調になりながら、ナラカは審査官に餅蜥蜴を見せた。審査官はどう対応して良いのかわからないようで、戸惑いながらシュルティラに「い、如何致しましょう……?」と尋ねる。

「…………」

ぐっ、と。シュルティラは無言で親指を立ててからうなずいた。是、ということなのだろうか。審査官も彼の真意はよくわからなかったらしく、「で、ではその通りに……」と戸惑った様子を隠さずに首を振っていた。シュルティラが何も言わないところから見て、審査官の判断は間違っていなかったのだろう。

「では、鞄の中を拝見させていただきますね」
「ど……どうぞ……」

ひとまず餅蜥蜴の持ち込みが通ったのは良いとして、次ぐ手荷物検査にナラカはごくりと生唾を飲み込む。此方で引っ掛かったらどうすれば良いのだろうか。……という心配は杞憂に終わった。ナラカの手荷物は数分確認されてからすぐに戻ってきた。特に気になるものはなかったらしい。

「最後に、あなたは学問において、何か特別な教養をお持ちですか?」
「学問……?ええと……読み書きは、出来ますけど……」
「読み書きの他に、詩作の経験だとか、文学作品の暗誦だとか……。そういったものをお持ちでしたら、此処で教えていただきたいのですが」
「……一応、源平の戦のお話は、覚えていますが……」

審査官からの問いかけに、ナラカは頭を悩ませながらそう答えた。源平の合戦。眠れない時によく聞かせてもらった覚えがある。だから大体の話の内容は覚えているし、頼まれれば語り聞かせることも出来る。審査官は源平、なんて聞くのは初めてだったのだろう。ナラカに「少しお聞かせください」と頼んだ。

「……はい、わかりました」

すぅ、と息を吸い込んだ。何度も何度も、微睡みの狭間で聞いた節。ナラカの口からはすらすらと淀みなくそれらが流れ出た。本当に初めの、触りの部分。それを語り終えるのは案外早いものだった。審査官はぽかんとしてナラカを見つめていたが、すぐにはっと我に返ったのか手元の書類を書き始める。

「素晴らしい!このような戯曲は聞いたことがありませんでした。これからの王宮勤めも、頑張ってください」
「は、はぁ……。ありがとうございます……」

なぜだかひどく絶賛されていることに首を傾げながら、ナラカは妨げにならぬようにと審査官から渡された用紙を受け取って前へと進んだ。餅蜥蜴は先程までは外に出ようとしていた癖に事が終わるとまたナラカの胸元に潜り込んでしまった。

「……全く、何なんだろう……」

そう呟きながら、ナラカは自分の部屋に向けて歩みを進める。これから自分がどうなるかなど、その時の彼女は考えてすらいなかった。

1ヶ月前 No.86

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自分の部屋に荷物を置いてから、ナラカは仕事場に向かうことにした。たしかナラカの配属先では、王宮の要人たちの衣服を洗濯することを仕事としていたはずだ。一見地味な仕事のようにも思えるが、貴人と触れ合えるという仕事内容からしてけっこう上の立場と言っても良い仕事らしい。用紙の裏に記してある地図を見ながら、ナラカは仕事場を目指した。

(もしかして、私ったら思いもよらず出世する感じ……?)

期待していた訳ではない。決して出世しようだとか、良い地位が欲しいだとか、そういった感情などナラカにはなかった。ただ、王宮勤めという新しい環境に身を投じたかっただけだったのだ。しかしその滑り出しがなかなか良い感じで、ナラカの胸には淡い期待が生まれつつあった。ティヴェラの王族や貴人についてはまだまだわからないけれど、もし気に入られたら。そう思うと、いつもは頑なに動かない表情筋が少し弛んだ。
いつもより少しだけ弾む足取りで、ナラカは仕事場に向かう。こういった仕事はやはり性別が分けられているようで、周りには同性しかいなかった。

(……?雰囲気悪っ……)

しかし彼女らはナラカを見ると何やらひそひそと小声で話をしたり、あからさまに距離を取ったりしてナラカから離れていた。そんな彼女らの様子にナラカは疑問を覚える。どうして彼女らは自分を避けるのだろう。たしかに自分の容姿に自信はないし、旧アーカム領の人間だからティヴェラの人間からしてみれば余所者なのだろう。それでもこんなに遠巻きにされる理由がわからない。

「━━━━ナラカ」

かつ、かつと床を鳴らす靴音が聞こえた。見れば、険しい顔をした女性が此方に近づいてくるではないか。周りにいた同僚たちは先程よりもナラカとの距離を広げた。

「返事をなさい、あなたがナラカなのでしょう?」
「は、はい。私が、ナラカですが……」

厳しい面持ちと刺々しい口調でそう告げられてナラカは思わず身をすくませる。何か悪いことでもしただろうか。全く身に覚えがない。けれど目の前の女性は相変わらず此方を睨み付けている。ナラカは彼女の様子を窺うように、唇を震わせながらその顔を見上げる。

「ナラカ。何故此処にいるのです?」
「え……何故って、先程此処に配属されて……。あの、もしかして、場所を間違えて……」
「いいえ。あなたは先程不正行為によってこの部署への配属を可能にしたとの連絡が入りましてね。故に、此を以て配属を取り消しとさせていただくことにしたのですよ。さあ、早く出ていきなさい」
「配属……取り消し……?」

ナラカは女性の言っていることが理解出来なかった。嘘だ。そんなことあるはずがない。だって自分は認められたのだ。不正なんてしていない。どうしてそんな話になったのだろう。ナラカの頭は情報を処理出来ず、ぐるぐると渦を描いて回り続けていた。そうしている間にも、女性は踵を返して遠ざかっていく。慌ててナラカはその後を追いかけた。

「ま、待ってください!私、不正行為なんて何もしていません!これは何かの間違いです、間違いなんです!この紙、この紙には私の配属が記されています!こんな短時間で配属が取り消しになるなんて、私聞いてません!」
「はしたないですよ。早く下がりなさい」
「違う、違うんです!誤解です!私は正当な手段で此処に入れてもらったんです!そんな、いきなり取り消しだなんて認められません!そういったお話が出るとしても、こんなすぐに出るはずがない!ですから私は━━━━!」

必死に女性に食い下がろうとしていたナラカだったが、突如腹部に鈍痛を感じてその場に倒れ伏した。げほげほと咳き込みながら、ナラカは腹部を蹴飛ばされたのだと認識する。

「恥を知りなさい、亡国民めが!」

なんとか頭をもたげて女性を見上げると、彼女は心の底から軽蔑し、二度と顔も見たくないといった風な表情でナラカを見下していた。それと同時に周りからはきゃはは、くすくすと嘲笑の声が上がる。

(嗚呼、なるほど)

ナラカは理解した。不正行為なんていうのはただの建前。本当は、彼女らは旧アーカム領からやって来た自分を同僚になんてしたくなかっただけだったのだ。そう思うと無性に腹が立って仕方がなかった。自分はアーカムの人間なんかじゃないのに。どうして何も知らない奴らに嘲笑われなくてはならないのだろう。なんとか力を振り絞って立ち上がると、ナラカはぎりっと自らを嗤う者らを睨み付ける。

「こっち見るんじゃないよ!」

何処からともなくそんな声が上がって、ばしゃりと何か冷たいものがかけられた。水、だろうか。ナラカにはわからなかった。ただ、濡れ鼠になった自分を誰もが嘲笑っていた。

「……っ!」

居てもたってもいられなくなって、ナラカは出口に向けて駆け出した。途中で何度も足を引っ掛けられたし、踏みつけられたし、数えきれない程地面と接吻したが、それでもなんとかナラカは外に出た。独りになりたい。ただそれだけで、ナラカは息を切らしながら駆けるのをやめなかった。

1ヶ月前 No.87

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1ヶ月前 No.88

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1ヶ月前 No.89

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1ヶ月前 No.90

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1ヶ月前 No.91

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「……で、だ。ナラカ、お前、これまで何があったか覚えてるか」

気を取り直して、小鈴はナラカにそう切り出した。ナラカとしては思い出したくもなかったがいかんせん自分のことなのでうやむやにも出来ない。とりあえず最後の記憶だけを呼び起こすことにする。

「たしか、ごみ捨て場で倒れて……」
「そうだ。怖くも何ともないこいつに土下座したらしいな。わかりやすく落ち込んでたぞ」
「小鈴、お前なぁ……」

くすくすと密やかに笑む小鈴に、アロイスがじとりと視線を送る。しかし小鈴はそんな彼を気にする素振りを見せることもなく、再びナラカに向き直った。

「お前、何があったのか知らないがずぶ濡れだっただろ。熱は出してるわ擦り傷だらけだわ、ついでになんか臭いわでこっちは大変だったんだからな。感謝しろよ」
「はぁ……ありがとう、ございます……」
「いまいち納得いかなそうだけどな、お前は幸福者だぞ。なんたって私は宮廷薬師だからな。普通なら治すのに一週間かかる熱を二日で治してやったんだ」
「え……二日……?」

小鈴の言葉を聞いて、ナラカは絶句する。二日。二日も寝ていたというのだろうか。いや、たしかにナラカは寝起きがよろしくない。お昼過ぎくらいに起きて、夜眠れなくて夜更かしして、またお昼過ぎくらいに起きて……という生活を送っていたことだってなくはない。けれど丸々二日も爆睡していたなんて、さすがのナラカも信じられなかった。だからあんなに腹が減っていたのか。信じたくはないがなんとなく納得出来てしまうところが辛い。

「まあお前の配属されてる部署には連絡入れといてやるからよ。そう心配するなって」

絶句しているナラカを励ますつもりだったのだろう。アロイスが俺に任せろ、とでも言いたげに逞しい胸板をどんと叩く。だがそんなアロイスの厚意もナラカにとっては皮肉にしか聞こえない。

「あの……私、初日に配属を取り消されてしまって……。今は、何処にも配属していないんです……」

口にするのも辛かったが、嘘を吐いてもなんの利点もない。そのためナラカはもごもごと口の中に溜め込むようにしてアロイスにそう伝えた。誇らしげにしていたアロイスは「え」と表情を固まらせる。

「しょ……初日に?そんなことってあるのか?何かの手違いなんじゃねぇのか?」
「いえ……。配属された部署に行ったら、追い払われてしまったんです……。私、何もしていないはずなんですけど、不正行為をしたと言われてしまって……」
「……お前、何処の部署に配属されたんだ?」

信じられないといった表情で声を潜めて尋ねるアロイスにナラカがうなずいていると、横から小鈴が口を挟んできた。ナラカは少し考えてから、「貴人たちのお洗濯をするところだった気が……」と答えた。すると小鈴は目を見開き、ずいっとナラカに詰め寄った。

「それ、本当か?」
「はい……。審査で、私の祖国の軍記物語を朗読してみたら、其処に配属されて……。あの、やっぱり曰く付きの部署なんですか……?」
「曰く付き、って訳じゃあないんだがな。彼処は良いところのお嬢さんだとか、それなりの教養を受けた奴が入れられるところなんだよ。お前、旧アーカム領から来たのか?だとしたらとんでもない快挙だぞ。まず普通の人間はあの部署に入れない。文学作品の朗読なんて、ただの人間は出来ないはずだからな」

小鈴は相変わらず淡々とした口振りだったが、いきなり口数が多くなったことから僅かに高揚していることがナラカにもわかった。思いもよらず、本当にけっこうな地位につけていたらしい。まあ今となっては配属が取り消しになってしまったので後の祭りだが。

「たぶん部署のお偉いさんとか、部署の中で力のある奴としては気に食わなかったんだろ。だから無理矢理にお前の配属を取り消した。一旦部署に入ってしまえばあとは上司の好きに出来るからな。上には適当な理由でもつけて言い訳するだろ」
「じゃ……じゃあ、私は特に悪いことはしてないってことで良いんですよね……?」
「今のところはな。でも自覚がない上に1日で取り消しなんて異常事態からして、私にはそうとしか思えない」
「そうですか……」

とりあえず心当たりも何もないまま不正行為をしたということにならなくてナラカはホッとしたが、安心している場合ではない。何にせよ、配属が取り消されたことに変わりはないのだ。このままではナラカの収入はないし、王宮にいる意味もなくなる。

(どうしよう……!)

ナラカは焦った。何のために王宮勤めをしに来たのか、これではわからなくなってしまう。他に雇ってくれるところなどあるのだろうか。ずっと小鈴のところに世話になる訳にもいかないし、一体どうすれば良いのだろう。あわあわと目線を泳がせるナラカをじっと見つめ、声を発したのはアロイスだった。

「なぁ小鈴。こいつ、此処で働かせたらどうだよ」
「……!?」

唐突なアロイスの提案にナラカはがばりと彼を見る。そんな軽いノリで雇ってもらえるものなのか。そもそも彼は何故そのようなことを言い出したのか。謎が多すぎて混乱するナラカを余所に、小鈴はあっさりと首を縦に振った。

「良いんじゃないのか。お前だけじゃ色々大変だからな。雇ってやらんこともない」
「えっ、えっ、良いんですか!?本当に!?」

あまりにも早く勤め先が決まってしまい、ナラカは思わず小鈴に大声で尋ねてしまう。何故こんなにもすぐに決めてくれたのだろうか。正直に言ってナラカは素性のよくわからない、容姿が特別優れている訳でもない、ついでに言うと厄介にも程がある人間である。そんな人間でも良いのかという疑問がナラカの中では生まれていた。勿論即決してくれたことは素直に嬉しいし、きっかけを作ってくれたアロイスにも感謝している。だが予想以上に決定が早すぎたのだ。

「お前さえ良いなら私は構わないぞ。ちょうど人手が欲しいところだったからな」
「そうそう、こんな可愛いげのない奴と二人きりよりはお前みたいな子がいた方がいででででで」

ナラカの問いに答えつつ、小鈴はアロイスの方を見ることなく彼の頬を引っ張った。なんとなくナラカは合掌したい気分になる。羅刹って頬っぺた引っ張られるんだ、と新たな発見が出来た。

「ええと、その……。お二人とも、よろしくお願いいたします……」
「おう、わかんねぇことは何でも聞いてくれよな!」
「あ、じゃあ……ひとつ良いですか?」

片手で頬を押さえながらも快活に微笑むエヴァルトに、ナラカはおずおずと控えめに切り出した。アロイスは「いいぜ!」と元気よく答える。

「…………お手洗いに行きたいのですが」
「…………突き当たりを左だぜ!」

アロイスの言葉を聞くや否や、ナラカは直ぐ様寝台から下りて、物凄い勢いで部屋を出ていった。唖然とするアロイス、やれやれと肩を竦める小鈴。とにもかくにも、ナラカの勤め先はひとまず決まったのであった。

1ヶ月前 No.92

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1ヶ月前 No.93

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食堂での朝食を終えて、ヴィアレは自分の仕事場へと向かう。アリックとは別方向だからと食堂で別れた。ここ二日でわかったことだが、グラネットもエミリオもヴィアレより早くは出勤して来ない。二人ともいつも遅刻ぎりぎりでやって来るのだ。ちなみに三回遅刻をすれば何やらきつい仕置きが待っているとのことなので、グラネットとエミリオは汗だくになりながら駆け込んでくる。この日の二人も仲良く肩を並べながら全力疾走してきた。

「ま……間に合った……!」
「なんとか、遅刻、回避……!」

息も絶え絶えなグラネットとエミリオに、ヴィアレは苦笑いしながら「おはよう」と挨拶した。ぜぇぜぇはぁはぁ言いながら飛び込んでくる二人は雑色たちの中では名物になりかけている。今日も同僚たちからは微笑ましげな視線を向けられていた。

「二人は何故いつもぎりぎりの時間にやって来るのだ?朝に弱いのか?」

兵士たちの使うであろう鎧を拭きながら、ヴィアレは床にぶっ倒れている二人へと尋ねる。するといち早くグラネットが「ちっげーよ!」と跳ね起きた。

「エミリオは寝坊だけどオレはちげーからな!オレは早起きしようとしてるんだよ!」
「しかし、遅刻ぎりぎりではないか」
「オレがいつも遅刻しかけるのは同室の奴のせいなんだよ。あいつ、自分だけ起きてさっさと出ていきやがるからな。おかげでオレは寝坊助扱いだ」
「それって多分グラネットが寝坊助なだけなんじゃないかなぁ……」

ふん、と鼻を鳴らしながら主張したグラネットだったが、横から同じく寝坊助仲間のエミリオが口を挟んだ。「うっせーバーカ」とエミリオのよく伸びる頬を引っ張りながらグラネットは続ける。

「たしかにオレだってさ、早起きに慣れてないから寝坊するのは理解してるよ。だから同室の奴には声かけてくれって頼んでんだ。けどあいつはこの二日間何の反応も示さねぇ。要は無視だ無視、ガン無視だ!オレなんか見えてねぇみたいな目ぇしやがる!」
「それは……。……まあ、気持ちは、わかるけど……」

エミリオの言いたいこともわかる。そんな人間に二日間頼むのもどうなのだろうか、と彼は言いたいのだろう。彼の頬がまた引っ張られないようにと、ヴィアレは急いで口を開いた。

「ならば、こういうのはどうだろうか?そなたが我に部屋の位置を教えて、我が毎朝起こしに行く。さすれば、同室の者が居らずとも起きられよう?」
「え、良いのか?つか、お前早起き出来んのか?巻き添えとか食らわないか?」
「案ずるな!我はこう見えて朝には強いのだ。これまでも、厄介な寝坊助は相手取ってきたからな。人を起こすのには慣れている」

ヴィアレが言っているのは勿論ナラカのことである。ナラカはなかなか手強い相手だった。朝に弱いだけではなく、寝起きの悪さも一級品なものだから、毎朝ヴィアレは彼女と布団の争奪戦に洒落込んでいた。ナラカもナラカで根気強く朝からうるさいヴィアレには苦戦を呈しており、最近ではなんだかんだ言いつつヴィアレが来ると起きるようになったのである。ナラカに何が起こったのか、そしてまだあの集落にいると思っているヴィアレは、彼女が一人で起きられるようになっただろうかと思いを馳せた。

「えー、そういうことなら僕もヴィアレに頼もうかなぁ。僕と同じ部屋の人は起こしてくれてるみたいなんだけど、記憶がなくて……。気づいたら出勤時間の鐘が鳴ってるんだよね〜」
「そうなのか。ではエミリオも我が起こしに行こう」
「わぁい、やったー!可愛い子に起こされるなんて最高だよ!」
「お前はまず同室の奴に謝っとけよ」

ぎゅっとヴィアレに抱き付こうとするエミリオの額にグラネットがデコピンを食らわせる。モロに食らったエミリオは「ふぇっ」と言って尻餅をついた。

「もー、何するのさグラネット!」
「お前は野郎にべたべたし過ぎなんだよ!散ったぁ男らしくしやがれ!」
「男らしくって何だよぅ!僕は僕で個性を立たせてるからいーのー!」
「おいおい、じゃれ合うなら余所でやってくれよ。仕事をサボるんなら上司に報告しちまうからな」

ぎゃんぎゃんと騒ぐグラネットとエミリオはいつものことなのでヴィアレも苦笑しつつ眺めていたが、見かねたらしい兵士がわざわざ注意にやって来た。初めはなんだテメー、と言いそうなグラネットだったが、兵士の言葉を聞いて「ひいっ」と縮み上がる。

「す、すんませんっした!後生ですから報告だけはご勘弁を!」
「お、おう。わかったのなら良いんだ。でさ、お前らって雑色だろ?だったらひとつ、頼みたいことがあるんだが」

光の速さで謝罪したグラネットに多少戸惑いながらも、兵士はある提案を持ち出してきた。これにはヴィアレとエミリオも、なんだなんだと耳を傾ける。

「兵舎にある傷薬と包帯が足りなくなっちまったんだ。悪いが、宮廷薬師のところに行って貰ってきて欲しい」
「宮廷薬師?」
「この王宮で働いてる薬師だよ。此処からずっと東に行ったところ……離宮の近くに、石造りの小さな家がある。其処が薬師の住まいさ。薬師は厄介な奴だが、悪人ではない。事情を話せばすぐに手筈を整えてくれるだろう。あっ、領収書は必ず貰ってこいよ。じゃないとツケが通じないからな」
「あいわかった!任されよ!」

一通りの話を聞き、真っ先に返事をしたのはヴィアレだった。宮廷薬師。どんな人物なのかはわからないが、聞いただけでも興味をそそる。行くぞ、とグラネットとエミリオを促して、ヴィアレは薬師の家を目指して歩き出した。

1ヶ月前 No.94

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1ヶ月前 No.95

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薬師の家の内部は異国情緒漂う不思議な空間となっていた。窓という窓は丸く、室内に入り込む光もヴィアレたちが普段見るそれとは違って見える。棚には所狭しと薬瓶のようなものが並べられている。硝子の小瓶が窓から入ってくる光を浴びてきらきらと輝いていた。人の営みというものは感じるが、何処と無く妖しげな雰囲気すら漂わせる空間に、ヴィアレたちは息を飲むしか出来なかった。

「まあ茶でも飲んでろ。俺は薬師を呼んでくるからよ」

丸い机に案内された一行はアロイスによって淹れられたのであろう花茶と菓子を出された。アロイスは薬師を呼ぶために一旦別の部屋へと入っていった。薬師の家は奥が住居となっているようだった。

「…………」
「……?どうしたのだ、アリック?」

花茶を見て何やら気難しげな表情をしているアリックに、横にいたヴィアレが問いかける。アリックははっとして、すぐにいつもの微笑みを浮かべた。

「いえ……特段これといった問題ではないのですが、私が慣れ親しんでいる茶とは違ったものだったので……。違和感を覚えずにはいられなかったのです」
「なんだよ、お前もしかして良いところのお坊ちゃんか?わがまま言うなっつーの」
「ちょっと、グラネット。可愛い子に向かってそんなひどいこと言っちゃ駄目だよ〜」

横から口を挟んできたグラネットを注意したのは、意外なことにエミリオだった。彼からしてみれば一見女性にも見えるアリックは“可愛い子”の中に入るのだろう。エミリオとアリックは同じくらいの背丈なのだが、それでも可愛い子は可愛いらしい。可愛い子、なんて言われたアリックは少し驚いたように目を見開いた。

「私はもう、可愛いなんて言われる年ではないのですが……」
「えーっ、可愛いよぅ!それに可愛い子っていうのに年齢は関係ないからね!おじいちゃんになっても、おばあちゃんになっても可愛い子は可愛いの!」
「そ……そう、なのですね。なるほど。たしかに気持ちはわかる気がします」

エミリオの可愛い子論を聞かされたアリックは顎に手を遣ってふむふむとうなずいていた。どうやら納得してしまったらしい。アリックにも心当たりというか、同じように思う場面があるようだ。

「ところで、二人は何処で知り合ったのだ?共に行動しているように見えたが……」
「えっとねぇ、逃げてる最中に曲がり角を曲がったら向こうからこの子が歩いてきたから案内しようと思ったんだぁ。ほら、可愛い子って遠目からでもわかるじゃん」
「お前なぁ、オレらが捕まってる間に……!」

先程までの青ざめた顔はどこへやら、ほのぼのした調子で話し出すエミリオのこめかみをグラネットはぐりぐりと拳骨で押す。たしかにグラネットの気持ちもわからなくはない。しかしヴィアレはこの数日間でエミリオという人間をなんとなく理解してしまった。普段は怖がりで臆病だが、可愛い子が絡めば彼も男らしさというものを発揮するのだろう。その可愛い子が男女どちらであっても、だ。だからヴィアレはエミリオを責めるつもりはない。かといってグラネットに反論する訳でもない。要はどっちもどっちである。

「……おい、ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんうるさいぞ。客ってもんならもっと静かに茶を飲むべきだろうが」

段々と騒がしくなっていた室内に、抑揚はなかれどもひどく苛立ちを含んだ声が通った。決して大きくはないが、聞いた者が身体を竦ませてしまうくらいには威圧感を含んだ声音。案の定ヴィアレたちも一斉に口をつぐんだ。
がちゃり、と音を立てて奥にあった扉が開く。其処からはアロイスと、彼の後ろで腰に手を当てて仁王立ちする少女━━━━小鈴がいた。威圧感の主は勿論小鈴である。静かになっている一同の前までずんずん歩いてくると、睨み付けるように彼らを見渡す。

「……で、傷薬と包帯が欲しいって奴はどいつだ?」
「わ……我らだが……」

小鈴はヴィアレよりも小柄だというのに、何故かヴィアレは萎縮せずにはいられなかった。小鈴は「ふぅん」とヴィアレに視線をくれてやってから、戸棚から幾つかの容器と包帯を取り出して箱に詰める。

「ほら、持ってけ」
「か……感謝する……」
「あざっす……」
「ありがとうございますぅ……」

決して小鈴が口にしていた訳ではないが、なんとなくお礼を言わなければろくでもない目に遭いそうな気がして三人はほぼ同時にぺこりとお辞儀をした。

「それで……お前は何の用だ?薬が欲しいならそう言え」
「……私は……」

次いで小鈴が目を向けたのはアリックだった。彼は一瞬だけ目を伏せてから、がばりと顔を上げる。


「私は、此処で働きたいのです!」
「…………はぁ?」


狭い室内に響き渡ったのはアリックの凛とした声と、小鈴の呆れ返ったような声の二つであった。

29日前 No.96

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突然のことに頭の整理が追い付いていないヴィアレを余所に、アリックはもう一度「お願いいたします!」と深々と頭を下げた。小鈴はそんな彼を見下ろしながら、ぱちぱちと何度か瞬きをする。

「……お前、薬がやりたくて志願してる訳じゃあないだろうな?」
「なっ……!?」
「たまにいるんだよ、そういう奴が。たしかに私は薬師だが、人を酔わす薬は作らない主義なんだ」

小鈴の言葉に、頭を下げていたアリックはぶるぶると震え出した。エミリオが思わず「ふぇぇ……」と言いながらグラネットに抱き付く程度には不気味な光景だった。アリックは突如頭を上げると、ずいっと小鈴に詰め寄る。

「私が!この私が!麻薬に手を染め酔いしれるような下劣な人間に見えると!あなたはそうおっしゃりたいのですか!?」
「いや、何もそこまで言ってないが……」
「星と精霊と祖国に誓って、私は麻薬に手を染めなどしない!いざとなったら売るかもしれませんが、それでも自分は使いません!決して、決して使いません!!」
「売りはするのか……」

あと星見えねーけどな、とぼそりとアロイスが呟いたがアリックに気にする様子は見られない。あまりの勢いに小鈴も一歩下がった。それを追い詰めるかのようにアリックも一歩前に出る。ヴィアレたちも固唾を飲んでその様子を見守った。なんだかこう、自分たちが手出しを出来るような状況ではない。そう直感が告げていたのだ。

「わかったわかった、お前が薬やってないのはわかったから。で、お前何処配属だ?まさかまた配属取り消しになったんじゃなかろうな?」
「運搬です。運搬配属です」
「あー……あそこか。なら仕方ないな。専属になりたいって奴か」

小鈴はアリックの勢いに半ば気圧されながら、彼の配属されたという部署を近くにあった紙にさらさらと書き付けた。アリックは未だに小鈴に詰め寄ったままである。なんというか、圧が凄まじい。小鈴が居心地悪そうな顔をしているのも理解出来る。

「ほらよ、書類。此処に名前書け」
「……認めて、くださるのですか」
「そりゃあ、あんなに詰め寄ってきたのはお前くらいなもんだからな。彼処まで主張されたらこっちも退けないだろ。自分の言葉には責任を持てよ」
「……!ありがとうございます!」
「いいから書け」

今にも小鈴に抱きつきそうな勢いだったアリックに書類を押し付けてから、小鈴はやれやれと言いたげに溜め息を吐いた。そして視線を黙って見守っていたヴィアレたちに向ける。

「おい、お前らも茶ぁ飲み終わったらさっさと帰れよ。うちにはもう一人新人がいるんだ、そいつにいつまでも奥に引っ込んでてもらう訳にはいかないからな」
「新人?」
「まあ成り行きでな。本当は別の部署に配属されてたんだが、此処で働くことになった奴がいるんだ」

こぽこぽと自分の分の花茶も注ぎながら、小鈴はヴィアレの問いかけに答える。なんとなくヴィアレは小鈴の言葉が引っ掛かった。アリックのような事情を持っている人間ならともかく、こんな短期間で部署が変わるようなことがあるのだろうか。雑色の中でそんな話は聞いていないので、少なくともヴィアレの配属された部署の話ではないのだろう。しかしどうにもヴィアレは気になって仕方がなかった。

「気になるか?」

浮かない顔のヴィアレが気になったのだろうか、アロイスが彼の顔を覗き込んでくる。羅刹ではあるのだろうが、アロイスの瞳は赤くはなかった。それは彼が平静であることを物語っている。夜明け前の空のような、深い紺の中に一滴青を垂らしたような色合いの瞳。素直に綺麗だと思ってしまったヴィアレだったが、まずは彼の問いに答えるのが先である。

「多少は……気になる。このような短期間で部署が変わるなど、聞いたことがないからな」
「んー……まあそうだよなぁ。けどよ、坊っちゃん。そいつにもそいつの事情があるからな。いつかうちの新人と会うことがあったら、何も聞いてやるなよ。これはうちの新人の問題であって、坊っちゃんが口を挟むべき問題じゃねぇからな」

そう言ってから、アロイスはぽすぽすと優しくヴィアレの頭を撫でた。何故だろうか、相手は羅刹だというのにその手付きはひどく柔らかく慈愛に満ちたもののように感じられた。

「なぁ、そろそろ行こうぜ。あんまりのんびりしてるとサボりだって勘違いされちまわぁ」
「そうだね〜。ヴィアレ、行こう」

程々に菓子も摘まんだらしいグラネットとエミリオは、ヴィアレに戻ろうと促してきた。まだアロイスや小鈴に聞きたいことはあったが、今は仕事の最中である。ヴィアレは「茶と菓子をありがとう。美味かったぞ」と告げてから立ち上がった。

「あ……アリック」
「?なんです、ヴィアレ殿」

出口まで歩いていこうとして、ヴィアレは一度アリックを振り返る。彼は相変わらず麗しい顏で、優しくヴィアレを見つめていた。ヴィアレはもごもごと口をもごつかせてから、なんとか開いて言葉を紡ぐ。

「が……頑張るのだぞ」

こういう時にはどのような言葉をかけて良いのかわからず、ヴィアレの口から出てきたのはその一言だった。それでもアリックは微笑んで、「ヴィアレ殿も、お仕事頑張ってくださいね」と声をかけてくれる。こくりと一度だけうなずいて、今度こそヴィアレは扉を開けた。

28日前 No.97

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27日前 No.98

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

「薬師の仕事は何も薬を作るだけじゃない」

二杯目の花茶をぐびりと口にしてから、小鈴はそう話し始めた。ナラカも自分で茶を淹れようか悩んだが、ものを飲みながら話を聞くのは無礼になるのではないかと考えてやめておくことにした。

「私の立場はあくまでも中立だ。故に離宮にいる奴ら……この国が“幽閉せねばならない”と判断した奴らの世話も私たちが行う」
「それは……罪人、ということなのでしょうか?」
「いいや、違わないが違う。離宮にいるのは単に罪を犯した者じゃない。ティヴェラが滅ぼした国の貴人が主だ」

若者━━━━後にアリックと名乗った彼の問いかけに、小鈴はふるふると首を横に振った。つまるところ、あの離宮には何処かしらの国の王族だとか貴族だとか、そういった類いの人間が幽閉されているということなのだろう。ナラカもなんとなく理解出来たので、こくこくと何度かうなずいておく。

「一介のティヴェラの人間に毒でも盛られたらたまったもんじゃないからな。そんな訳で、私たちはそいつらへの食事を作って離宮まで運んでやっている。それがお前たちの新しい仕事になる」

さすがに素人に薬は作れないからな、と付け加えてから小鈴は花茶を飲み干した。薬師と言われるとやはり薬を作るものかと思っていたのでナラカも少し心配ではあったのだ。料理すらまともに出来ない自分に薬など作れまい。作れたとしても劇薬だろう。

「食事も、私たちが作るのでしょうか」
「いいや。食事は私とアロイスで作る。お前らを疑ってる訳じゃあないが、万が一に備えておかないといけないからな。まあ、台所くらいなら貸してやるよ」

丁寧に挙手をして尋ねたアリックには小鈴が答える。アリックは料理が出来るのだろうか。少なくとも彼の口振りからは出来るように聞こえた。今まで面倒臭がって料理をしてこなかったナラカは彼の言葉がなんとなく自分に刺さるような気がしてならなかった。少しでもやっておいた方が良かったのだろうか。いや、思えばナラカの周りには料理の出来る人間が多すぎたのである。だから決して惨めな思いをする必要はない。ナラカはそんな言い訳で自分を慰めた。なんとなく悲しい気持ちになった。

「そんな顔するなって……。別に料理出来なくても俺が美味いもん作ってやるからよ……」
「……ありがとうございます……」

隣で慰めの言葉をかけてくるアロイスのせいでナラカの心はどしゃ降りの雨模様であった。このままだとそのうち吹雪になりそうな勢いだ。料理ってそんなに大事だろうか、そうナラカが思うくらいには衝撃は大きかった。年頃の乙女というものの心は複雑なものである。

「……で、だ。ナラカ、アリック。お前らにはこれから離宮に食事の運搬をして欲しい。中にいる人間とは会話をしなくても大丈夫だ。食事だけ置いて帰ってくれば良い。やらんとは思うが変なものは盛るなよ?」
「盛りませんよ。先程星と精霊と祖国に誓ったではありませんか」
「お前売るとか言ってたけどな。……まあ良い、とりあえず食事を置いてくるだけで構わないからな。離宮の奴等はほとんどが話の通じる人間だが、たまに暴れる奴もいる。そういう奴には関わらないのが得だ」
「……はい」

仕事の内容はわかった。わかったのは良い。けれどナラカは離宮の人々というのがどうも不安でならなかった。たまに暴れるだなんて、小鈴はどうやって対処してきたのだろう。いざというときのためにアロイスがいるのはなんとなくわかるが、それでも小鈴一人でどうにか出来るようには思えない。やはり熟練の技とか、そういう対処法があるものなのだろうか。

「……殿、ナラカ殿?如何なさいましたか?」
「……!……い、いえ、なんでも……」

考え事をしていたのが表に出てしまっていたらしく、ナラカは心配そうな表情をしたアリックから声をかけられた。まだ彼の顔を直視出来ないまま、ナラカはもごもごと小さな声で受け答えする。

「とりあえず、まずはやってみないとわからないだろうからな。お前たちには今から離宮に行ってもらう。ちょうど昼飯の時間だからな」

小鈴が言い終わるか言い終わらないかのうちに昼時を知らせる鐘の音が外から聞こえてきた。どきどきとナラカの心臓は早くなったが、それをなんとか押さえつけてナラカは小鈴に向けてうなずいた。

26日前 No.99

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

離宮は四階建てになっており、ナラカは三階と四階を担当することになった。アロイスやアリックは疲れるだろうから自分が、と言ったが一階と二階は部屋の数が多いのでそちらを任せたいとナラカは申し出た。食事をいちいち一階まで戻って運ばなければならないのはたしかに重労働だが、ナラカにはそんな重労働を選んだあるひとつの理由があった。

(あまりたくさんの人には会いたくない……!)

そう、どんな人間であれ、幽閉されている人物が恐ろしいと思っているナラカは出来るだけ関わる人数は少なくしたかった。そのため人数の少ない三階と四階を選んだのである。階段を上り下りするのはたしかに辛いが、良い運動になると考えれば誤魔化せる。食事の置かれたお盆を両手で持ちながら、ナラカはまずひとつ目の部屋の扉の前に立った。

(三つ扉を叩いて、お辞儀をして入って、ご飯を置いたらすぐ帰ろう。叩く、お辞儀、置く、帰る。よしいける)

何度か深呼吸をしてから、ナラカはお盆を持ち直すと片手で三回扉を叩いた。部屋の向こうから返事が返ってくる気配はない。ナラカは早鐘を打つ心臓を鎮めながら「し、失礼します……」と部屋の中に入る。
その部屋の中は本当に人が住んでいるのかというくらいには無機質だった。家具は置いてあるが、生活感というものがまるでない。どれもこれも綺麗なままなのだ。もう何年も使われていないかのように、埃だけが周りに溜まっていた。

(誰も、いない……?)

あまりに静かな室内を不審に思いながら、ナラカはそろそろと足音を立てぬように気を付けて歩く。ある程度部屋の中に入っていくと机があったので、その上にお盆を置いた。もっと奥に進むことも出来たが、恐らくこの部屋の主人は其処にいるのだろうと考えてナラカはこれ以上進まないことにした。もしかしたら寝ているだけなのかもしれない。わざわざ起こして面倒なことになるのは避けたいところだった。

「失礼しましたぁ……」

帰り際に一応挨拶はしておいて、ナラカは足早に部屋を出た。がちゃん、と扉を閉めてから、すぐに施錠する。離宮を守っている兵士たちの他に、宮廷薬師にも離宮の合鍵は渡されるらしい。戸締まりはしっかりしとけよ、とアロイスに念を押され、ナラカは彼の言うとおり直ぐ様鍵を閉めた。万が一脱走するようなことがあってはならない。

(……よし。次に行こう)

三階と四階は二部屋ずつ部屋が存在している。次の部屋で三階はひとまず終わりだ。ナラカは階段を下りながら、次も部屋の主人が出てきませんようにと祈る。
同じようにお盆を持って、もうひとつの部屋の前で深呼吸する。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてから、ナラカは扉を三回叩いた。はぁい、と中から透き通った女性の声が返ってくる。

「……失礼します」

まさか返事が返ってくるとは思っていなかったので、ナラカは少し面食らいつつも部屋の中に入った。今度はナラカの祈っていたのとは逆に主人が出てきてくれたようである。ぱたぱたと部屋の奥から足音が聞こえてきた。

「いつもわざわざありがとう!あの薬師様の作るご飯はいつも美味しいから好きなのよ!」

やって来たのは今にも周りに花が咲いてしまいそうな、とてつもなく可憐な女性だった。少女としての瑞々しさと女性の気品を併せ持った、限りなく銀に近い金髪に碧い瞳の彼女は、ナラカを見て「あら!」と声を上げる。

「見ないお顔ね!もしかして新人さん?」
「は、はぁ……」
「お仕事お疲れ様。疲れるとは思うけれど、頑張ってちょうだいね。そうだわ、私(わたくし)はティルアというの。何かこの離宮のことでわからなかったら、いつでも聞いてね!」

ティルアと名乗ったこの部屋の主人は、にこりとナラカに微笑みかける。なんだこの馴れ馴れしさは。いや、不快ではないのだ。むしろ心の柔らかい部分がふんわりと暖かくなるような、どんなに気分が悪くたって身体に力がみなぎってくるような、そんな不思議な効果がティルアの笑顔にはあった。しかし人付き合いというものが苦手なナラカにはあまりにも眩しすぎた。思わず「うわ眩しっ」と口にしてしまいかねない程に眩しすぎて、ナラカはなんとも言えない居心地の悪さと申し訳なさに襲われた。

「あ……ありがとうございます……。お気持ちだけ、受け取っておきます……」

そのためナラカは名乗ることもせずに、足早にティルアの部屋を出た。何故だろう、あの空間に自分がいてはいけない気がしてならなかったのである。あんな浄化された空間に、自分のような濁った存在がいては空気が悪くなってしまう。施錠しながらナラカは息を吐く。

(……あと、二部屋)

この調子で残りの部屋も済ませてしまおう。憂鬱な気持ちを圧し殺しながら、ナラカは階段を下りた。

25日前 No.100


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