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Utopia of the underground world

 ( 小説投稿城 )
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すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

理想郷を求める者は、どんなに時が流れようと絶えることはない。


天をも穿たんとする霊峰の下、ずっとずっと下に、“それ”は存在した。密やかに窪んだ洞窟を通り抜けて、暗闇の中を進んで、道が続く限り足を進めて行けば、やがて古ぼけた扉の前にたどり着く。
其処には左右に獅子の銅像が設けられ、彼らのお眼鏡に敵えば扉は開き、彼らに認められなくば目の前の生き物は一瞬でその生を奪われるという。門番たる獅子が見定めるのは来訪者の経歴だとも、内面的なものであるとも噂されるが彼らは何も語らない。だからこそ、人は其処で躊躇うのだ。もしかしたら殺されてしまうのではないか、扉を開けてもらえないのではないのだろうか、と。
それは所謂試練なのだろう。人間とは試練を課される生き物である。否、生き物であれば誰しも試練を与えられるのだろう。それを乗り越えられなければ切り捨てられ、見事乗り越えることができたのなら彼らの望むものが手に入る。その摂理は太古の昔から変わることはなく、人が生まれ落ちてから幾度となく試練は与えられ続けた。これも過去に与えられた幾つもの前例に倣っているのだろう。
そういった訳で、無事に扉が開かれたのなら、その先にあるのは人の世を捨てたことさえ喜ばしく感じられるほどの、地底に創られた理想的な国家なのだという。二度と空を見ることが出来なくなっても構わないと思えるほどの場所。すなわち其処は理想郷。
安寧を、享楽を、もしくは前者以外の何かを求めて其処を目指す者は、口を揃えて皆こう言うのだ。


其の地の名はシャルヴァ。
地の底に在りし、神代を模した理想郷、と。

メモ2019/03/17 13:14 : すずり☆uVgy9R1pZdc @suzuri0213★Android-ti0IvmfI1e

【第1幕:さらば青空、向かうは地底】>>1-5

【幕間:シャルヴァなる地】>>6

【第2幕:王子の帰還】>>7-12

【第3幕:集落の営み】>>13-19

【幕間:焔が抱くは夢幻】>>20

【第4幕:本の杜への誘い】>>22-29

【第5幕:輪廻の忌み子と王子の記憶】>>30-34

【第6幕:緑纏う者たち】>>35-42

【第7幕:守り手の導き】>>43-47

【第8幕:神蛇の窖へ】>>48-52

【第9幕:旧き者たちの戦い】>>53-58

【第10幕:選定の儀】>>59-64

【第11幕:転機の訪れ】>>65-71

【第12幕:忌み子の憧憬】>>72-75

【幕間:其の日、彼女は生を求めた】>>76

【第13幕:王宮勤めの始まり】>>77-83

【第14幕:受難と薬師と可笑しな羅刹】>>84-92

【第15幕:雑色三人衆、初めてのお使い】>>93-97

【第16幕:離宮の住人】>>98-103

【第17幕:市場での再会】>>104-108

【第18幕:其は単なる波乱に非ず】>>109-114

【幕間:視えるが故の横恋慕】>>115

【第19幕:賽は既に投げられた】>>116-120

【第20幕:邂逅は偶然か、或いは必然か】>>121-126

【第21幕:惨禍の記憶は引き金となりて】>>127-131

【第22幕:少女の企て、揺れる思惑】>>132-137

【第23幕:事件は地底の昼下がりを揺らす】>>138-142

【第24幕:少女は胸に薔薇を抱く】>>143-150

【第25幕:彼の誤算と彼女の憤怒】>>151-154

【第26幕:取った遅れは戻せない】>>155-161

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すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

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1ヶ月前 No.227

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

今の時間帯はちょうど昼休みになるので、ヴィアレの働いている兵舎もゆるりとした雰囲気に包まれていた。談笑しているのはほとんどが雑色だろう。何せ兵士たちはエルトが率いている(とナラカは思っている)反乱軍の相手で必死なのだから。

「……兵士たちは戦をしているというのに……何故雑色たちは危機感を持っていないのでしょう」

そんな様子を見たアリックは訝しげ……というよりかは若干の苛立ちを含みながら形の良い眉を潜める。たしかにそれはナラカも思っていた。普通自国で戦が行われている時は、誰もが少なからず一種の緊張感を覚えながら生活をするものである。戦とは程遠い農民ならまだしも、兵士たちを間近に見ている王宮の者なら尚更だ。それなのにティヴェラの雑色たちは見事なまでに他人事というか、我関せずといった立ち振舞いをしている。可笑しいというよりは不気味なものに近い。

「……まあ、仕方ないでしょ。ティヴェラは内乱こそ起こりはしたけど、戦争の被害は全く被っていないんだから。戦に駆り出されない人間のほとんどは、戦の脅威を知らないよ」

ナラカとアリックの表情を見たのだろう。投げやりに言うのはスメルトだった。彼は雑色たちに視線をくれてやることもない。そもそもこれっぽっちの興味すら抱いていないように見えたし、実際抱いていないのだろう。

「とにかく、今はあの紅い子に会うのが先決だよ。行こ、ナラカ?」
「お待ちくださいスメルト殿。あなたはこの前兵舎に乗り込んだでしょう?また雑色たちを怖がらせたらどうしてくれるのです」
「別に僕は怖がらせてなんかいないけど。というかあっちが勝手に怯えてるだけでしょ?だったらそれで良いじゃない」
「良くありません。これはあなただけでなく、アロイス殿の沽券にも関わるんですよ?」
「……あの、私……行ってきて良いですか……?」

いつまでも兵舎の前でぎゃいぎゃいと揉めている訳にもいかない。スメルトとアリックの言い争いに介入したくはなかったが、時間を食わないためにもナラカはそうするしかなかった。スメルトとアリックは一瞬目を見開いたが、ナラカの言葉を聞くと渋々といった様子で言い争うのをやめる。

「……そうでしたね。私たちこそ目的を見失っていました。申し訳ございません、ナラカ殿」
「ごめんねナラカ、僕だって足止めしたくはなかったんだよ?ね、いっしょに行くよね?ねぇナラカ?」
「わ、わかりましたから……。ですから皆でいっしょに行きましょう?ね?」

このままでは主にスメルトが面倒臭いことになりそうだったので、アリックには申し訳ないがナラカはスメルトもいっしょに連れていくことにした。案の定スメルトは嬉しそうにしているので良しとしよう。
とにもかくにも一行は恙無く雑色たちの働いている兵舎へと足を踏み入れた。冴えない小柄な少女と絶世の麗人、そして凄まじい威圧感をかもし出す羅刹らしき大柄な青年……という絵面は色々な意味で強烈である。周囲にいた雑色たちは目を合わせないようにとしきりに下を向き始めた。ナラカとしては何だか申し訳ない気持ちになってくる。そりゃあたしかにこんな一団がやって来たら自分だって同じ行動を取る。

「あ……あの……」
「ひっ……!?な、何でしょう……!?」

とりあえず手近な場所にいた雑色の男にナラカは声をかけてみたが、彼はガタガタ震えながら後ずさった。まあ、逃げられなかっただけまだましなのだろうか。とにかくナラカは地味に傷付いた。もともと人見知りなこともあってたどたどしくなりながらも、ナラカは勇気を振り絞って雑色に尋ねてみる。

「えっと……此処に、ヴィアレさんって方がいらっしゃいますよね……?私はそのヴィアレさんに用があるのですが……その、今彼が何処にいるのかとか、わかりますか……?」
「ヴィ、ヴィアレを……?」
「……だからさっきからナラカはそう言ってるじゃない。これ以上余計な手間を取らせるなら君の頭蓋をかちわ……」
「スメルトさん!私は!大丈夫!ですから!」

今にも雑色の頭を掴んで握り潰しそうだったスメルトを、済んでのところでナラカは止めた。こんなところで流血沙汰は起こしたくない。いやどんな場所でも起こしたくない、というか起こしてはいけない。そんなナラカの決死の制止は功を成したのか、スメルトはやや不満そうな表情をしながらも雑色から離れた。そんな雑色の背中を優しく撫でながら、アリックは優しい眼差しを彼に向ける。

「ゆっくりで構いませんよ。私たちは急いでいる訳ではありません。あなたにはあなたの歩幅がありますから。ですから、どうか急がず、焦らず、あなたのやりやすいようにお話しください」
「ひゃ、ひゃい……」

突然絶世の麗人であるアリックから優しくされれば、男が乙女の表情をするのも当たり前……ということになるのだろうか。とりあえず目の前の雑色は乙女の表情になっていた。流石アリックさん、とナラカは良くも悪くも感心した。顔の良い人間って、つくづく恐ろしい。

「え、えぇっと……ヴィアレは、今、休暇を取っておりますぅ……」
「……休暇?」
「はい……。何でも、同僚のエミリオの実家にいっしょに行くとかで……」
「……そうですか……」

そういえば、真っ当な職には半年に一度の休暇があったのだった。この半年間で色々とありすぎてナラカは忘れていたが、たしかそんな説明があった気がする。宮廷薬師の手伝いはどうなのか知らないが、少なくともこの雑色の間では休暇を取ることが許されているのだろう。

「……わかりました。教えてくださってありがとうございます。行きましょう、アリックさん、スメルトさん」
「良いの、ナラカ?」
「いないものは仕方ありません。言伝てに出来るようなことではありませんし……。帰って来てから伝えても無理はないでしょう」

ヴィアレがいないのならこの話を表に出す必要もない。変に関係のない雑色を引き留めても時間の無駄だ。多少残念な気持ちもあったが、ナラカは潔くその場を去ることにした。ちなみに心の中でそういえば私の休暇は、という気持ちが燻りはしたが、今更自分に帰る場所などないことを思い出して深く考えすぎないようにとその考えを頭から追いやる。そうだ、もう旧アーカム領には帰れない。あんな決断をして、エルトたちに協力しないことを表明してしまったのだから。━━━━ついつい暗くなりかけた気持ちを振り払うためにも、ナラカは心持ち速く足を動かした。

1ヶ月前 No.228

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

肝心のヴィアレがいなかったので、一行は特にこれといった収穫のないまま薬師の住まいに戻ることにした。出来ることならヴィアレが向かったとかいう友人の家まで行きたかったが、外出の許可が出ていないままこの王宮を脱け出す訳にはいかない。少し残念ではあったが、ナラカたちは諦めて帰るしかなかった。

「しかし……ヴィアレ殿がいないとなると、ルタ殿が心配ですね。出来ればヴィアレ殿にはルタ殿と顔を合わせて欲しかったのですが」

しゅんとした表情でそう呟くのはアリックである。彼女の気持ちは隣を歩いているナラカにも痛い程伝わってきた。

(たしかに……ヴィアレさんと会えば、ルタさんも少しは元気になったかもしれない)

ルタはティルアが処刑されてから、その衝撃と悲しみからか発熱して寝込んでいた。今は熱こそ下がったものの、やはり寝台からはなかなか起き上がることが出来ないようで、ほぼ自室に閉じ籠っているような形である。アロイスが度々食事を持っていったり、身体を拭いてやったりしているが、ルタの体調は芳しくないままらしい。そりゃあよく慕っていた義姉のティルアを喪ったことは、ルタにとっては精神的にも肉体的にも苦痛であっただろう。しかし、此処まで不調となると医術の心得を持ち合わせていないナラカでも不安を覚えずにはいられなかった。

(少しでも早くルタさんには元気になって欲しいけど……どんな手を尽くせば良いんだろう)

素人があれこれと考えたところでどうにもならないことはわかっている。だが何もせずにいるというのも何だかもどかしい。滋養のある食べ物とかもっと覚えておけば良かった、とナラカは今更ながら後悔した。どちらにせよナラカに出来ることといったら限られている。今はおとなしくルタの様子を見守っていることしか━━━━。

「……っ、ナラカ殿、下がってください……!」

そんなことを悶々とナラカが考えていた最中、アリックが焦りを少し含んだ声音でそう告げてきた。その緊迫感にナラカも我に返る。何があったというのだろうか。自分を守るように前へと躍り出たアリックとスメルトの肩の隙間からナラカは辺りの様子を窺う。

「……んだよ、人を見るなりあからさまに警戒しやがって。其処までオレが怖いってのか?」
「━━━━!」

その声を聞いた瞬間に、ナラカの身体は震え上がる。ナラカにとっての天敵であり、災厄であり、視界に入れることでさえ辛い男。何よりも初対面から印象は最悪だった。ナラカは彼のことを何があったとしても忘れないことだろう。

(ラビス……!)

何故彼が此処にいるのかはわからない。とにもかくにもナラカにとっては最悪の邂逅でしかなかった。一度目は貞操を奪われかけ、二度目は殺されかけた。出来ることならもう二度と会いたくなかったし人生において干渉したくなかった男。ラビスならエルトと良い勝負が出来るはずだ。主にナラカが苦手としている分野という意味では。

「……何のご用でしょうか。私たちは道を急いでいるのです。ご用がないなら道を開けてはくださいませんか」

そんなラビスに対して、アリックは臆することなくそう言い放った。一度彼女はラビスに殺されかけているというのに、よく毅然と物を言えるものだ。ナラカはアリックの度胸に今更ながら感心した。

「そう身構えんなよ。オレの望む答えを寄越すなら殺しはしねェって」
「……その言葉に偽りはありませんね?」
「今のところはな。もし其処のチビだとか混血だとかが生意気なことを言ったのなら気が変わるかもしれねェけど」

ぶっちゃけナラカとしてはラビスの言葉など信じられない。はっきり何もしないと言っても、この羅刹ならあっさり殺しにかかってきそうな予感さえする。アリックも同じように考えているのだろう。ラビスとの間の距離を詰めようとはしない。━━━━しかし、スメルトだけは、ラビスに一歩近付いた。

「……混血、って……もしかして僕のこと?」
「はァ?手前以外に誰がいるってンだよ。それともあれか?手前は自分のことをちゃァンとした羅刹だって思ってンのか?」

良い獲物を見つけたとでも言わんばかりに、ラビスはスメルトを煽る。スメルトの表情からはいつもの笑顔は消え去り、ただラビスを睨み付ける鋭い視線のみがあった。その場の空気はきっと何度か冷えたことであろう。

(このままじゃいけない……!)

どちらが切れるのが先であれ、此処で羅刹二人が争うことになっては部外者にも迷惑がかかってしまう。何とかして止めなければ、とナラカは思うものの、この二人の間に入って生きて帰って来られる気がしない。そのため臆病者と笑われるかもしれなかったが、その場から恐る恐るラビスに問いかける。

「あの……!それで、ご用って……」
「あァ、そうだったな。この糞混血のせいで忘れるところだったぜ」
「……ナラカ、この阿呆面のこと煉瓦でぶん殴っても良い?」
「今のところは駄目です!!」

今にも一触即発といった空気のスメルトをなんとか抑えつつ、とりあえずはラビスが話を聞いてくれそうなことにナラカは安堵する。ラビスが敵意を剥き出しにしてきたらスメルトには一応防衛程度のことは許してやろう。あくまでも防衛程度で済ませて欲しいところだが。

「……とにかく、お話をお聞かせ願えませんか。まずは用件をお聞きしなければ、何も始まりません」
「ふん……まあ良いぜ、一応手前らンところにはお兄様がいるしな」

至極冷静に尋ねたアリックには、さすがのラビスも煽る気は起こらなかったらしい。頭をポリポリと掻きながら渋々といった様子でそう答えた。お兄様━━━━というのはアロイスのことなのだろう。あの二人は全く似ていないから、血は繋がっていないのだろうとナラカは考えている。何故ラビスがアロイスのことをお兄様と呼ぶのか。気になるところではあったが、今問うべきことではない。まずはラビスの用件を聞くのが先である。
ラビスは一瞬、何処か迷うように視線を下へと向けた。しかし意を決したのか、再び目線をナラカたちに戻す。そしてよく通る声で、一同にこう告げた。


「此度の反乱軍鎮圧に当たって━━━━お兄様を羅刹部隊に復帰させて欲しい」

1ヶ月前 No.229

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

アロイスがかつて羅刹部隊に所属していた、という話はナラカもエステリアから聞いていた。その際にスメルトの起こしたという内乱で、大切な弟を失い、そしてアロイスだけ助けられたということも。

(だからアロイスさんは……羅刹部隊を抜けたんじゃ……)

エステリアの話ではそのように言われていた。だからナラカはアロイスの過去について尋ねようとはしなかったし、アロイスが話してくれるまで知らない素振りを心掛けようと決めていたのだ。案の定アロイスは自身の過去や弟について話すことはなかったし、アロイスにとっては加害者に当たるスメルトの方も、自身が起こした内乱について話そうとはしなかった。

「……お言葉ですが、私たちは羅刹部隊とは何の関係もございません。私たちがアロイス殿の復帰を願い出たところで、それが受け入れられるとは思いませんが」

ラビスからの申し出に、至極真っ当な正論でアリックは返した。アリックの言うことにナラカも異論はない。自分たちはあくまでも宮廷薬師の手伝いをするだけの使用人に過ぎないのだ。それが羅刹部隊の内情などに口出し出来るとは思えない。いくらアロイスを羅刹部隊に復帰させて欲しいと言われても、ナラカたちにはどうすることも出来ないのである。

「わァッてるよ、ンなことはよ……。けどお兄様に直接言っても多分聞いてくれねェし、羅刹部隊なら尚更だ。特にあのエステリアみてェな糞真面目な奴等はよ」

アリックから正論をぶつけられたラビスは悔しそうに足下の小石を蹴った。エステリアは羅刹部隊の中では割りとまともな方なのだろう。たしかにラビスとエステリアを比べたら後者の方が圧倒的に常識がある。ナラカが一対一で話したことがあるくらいなのだから、当然と言っちゃ当然なのだが。
そんなラビスを、スメルトはただただ無表情で見つめていた。喜怒哀楽どの感情も内には含むことはなく、ひたすらに冷たい視線をラビスに送り続ける。

「……つまり、君は羅刹部隊でも孤立してるってこと?可哀想だね」
「黙れ混血。そもそもの発端は手前の反乱からじゃねェか」
「言っておくけど、あれは僕の責任じゃないから。勝手に皆が僕を担ぎ上げて、僕を頭領のように扱っただけ。僕は皆の言うことを聞いていただけだよ」
「手前が何を言おうが、手前がオレたちの仲間を鏖にしたことに変わりはねェだろうが!」

ダン、とラビスが地面を踏みしめる。彼に踏みつけられた地面は哀れなことにひび割れて、決して小さくはない亀裂が入った。思わず身震いしてしまうナラカを安心させようとしているのか、アリックがすっと彼女の前に手を出して守るかのように前に立つ。

「……言い争いならお二人で行ってはいただけませんか?私たちはあなたと口論するために此処を訪れたのではありません」
「はッ、そうは言うけどよォ……。手前ら、こいつの所業を知ったら同じことが言えるのか?」
「え……?」

突然話題がアロイスの羅刹部隊への復帰からスメルトのことに変わり、ナラカは戸惑うしかない。スメルトの所業。大まかなことは聞いていたし、彼が3年前の内乱の首謀者であることは既に知っている。だからスメルトは危険人物として離宮に隔離されていたのだ。

「手前らは知ってるのか?こいつが一体何人の同胞を殺めたのかを!こいつがどんな方法で同胞を殺めたのかを!それを知ったら、手前らだってこいつを同じ生き物とは思えねェだろうよォ!」
「……うるさいなぁ。僕が何をしたかなんてどうだって良いでしょ」

激昂するラビスに冷淡な眼差しを向けるスメルトの言葉には僅かな苛立ちが含まれている。またしてもぴりぴりとした空気がその場に流れ始め、ナラカの胸中には不安が生まれた。

(ちょ……まさか此処で殴り合ったりとかしないよね……?)

なんとかして止めなければならない。しかしただの小娘であるナラカに何が出来ようか。何か出来ることはないかとナラカは辺りをきょろきょろと見回してみたが、特に頼れそうな人間が通りかかることはなかった。というか昼休みなので通りかかるのは近場で働いている使用人たちばかりである。彼らは言い争っているラビスとスメルトを見て訝しげな視線を向けつつ通り過ぎていく。

「どうだって良い、だと……!?あれだけの同胞を殺しておいて、よくもまあそンなことが抜かせたものだなァ!」
「……だって君たち、はっきり言って弱いんだもの。あんなの知らないうちに勝手に死んじゃうって」
「手ッ前……!歯ァ食い縛れやァ!」
「お二人とも、落ち着きなさいませ!斯様な場所で言い争うなど見苦しいだけです!」
「うるせェ!」

最早これは止めようがない。ナラカがそう思う程度には、二人の口論は加速していた。アリックが止めに入ろうとしてもラビスは一蹴するだけである。いつ爆発するか。それすらもわからない不安な状況に、ナラカは少なからず戦慄する。必死に止めようとしているアリックには悪いが、此処は逃げるのがいちばんだ。このまま留まっていては此方まで巻き添えを食うことになる。そう彼女に告げようと、ナラカはアリックの服の袖を引っ張ろうとした。


「━━━━双方、其処まで!」


キン、と。決して耳障りではないが、その場の空気を一気に引き締めるかのような声量で、その声は割り込んできた。これには今にも掴みかかろうとしていたラビスも、彼を睨み付けるスメルトも、二人の間に入ろうとしていたアリックも、そしてアリックに逃げようと言いかけていたナラカも、思わず動きを止めてしまう。それだけの力が、その声には込められていたのである。

「……このような場所で、大の大人が何をしている」

かつん、かつん、と。金属製の靴音を響かせながら、その人物は此方へと向かってくる。彼の後ろには全身を黒い鎧に包んだ異形の武人━━━━シュルティラが付き従っていた。これだけで、たいていの人間……否、生き物は戦意を失うことであろう。

「……とにかく、皆此処は矛を収めなさい。話なら別所で聞こう」

ふぅ、と溜め息がひとつ。ティヴェラの宰相、アドルファスは一同のことをやはり乾いた視線で見つめていた。

1ヶ月前 No.230

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

一行が通されたのはかつてスメルトが居住空間として使っていた離宮の一室だった。さすがに揉め事を王宮にまで持っていくつもりにはなれなかったのだろう。むすっとした表情の羅刹二人を交互に見てから、アドルファスは至極面倒臭そうに眉間を揉んだ。

「……して、ラビスよ。何が気に入らなくてこのような行動に及んだ」
「……別に、オレは何も……」
「何もなければこの始末を招くことはあるまい」

アドルファスがラビスに向ける視線というものは非常に冷厳で、視線を向けられていないナラカでさえも思わず身震いしてしまう程だった。あの黒衣の宰相は慈しみだとか憐れみだとか、そういった感情を表に出すことが出来ないのだろうか。ついついナラカがそう思ってしまう程度には、アドルファスに温かみというものが感じられなかったのだ。

「…………」

そんな一同の様子を、シュルティラはただ黙って見守っていた。彼は何を考えているのだろうか。ナラカはその表情を窺おうとしたが、残念ながらその顔は兜に隠されていて覗き見ることは叶わなかった。

「……事の発端はこいつが羅刹君……アロイスを羅刹部隊に復帰させろとか言ってきたことだよ。僕たちはただ外出していただけだ」
「っ、手前……!」

躊躇いなくアドルファスに事の成り行きを口にしたのはスメルトだった。彼は仏頂面のまま、今にも牙を剥きそうなラビスを無視して彼の行動をアドルファスに告げる。いわば告げ口のようなものであった。スメルトが何ら悪いことや嘘偽りを言っていないのはわかっているが、状況が状況なだけにナラカは少しだけラビスに同情した。

「……詰まるところ、ラビス。君はアロイスの復帰を望んでいるという訳だね?」
「……そうだよ。何か問題でもあンのかよ」
「恐らくアロイスは羅刹部隊への復帰は望んでいないだろう。何よりも大切なのは本人の意志だ。望まぬまま無理矢理復帰させるのは、強制的な徴兵と変わりない」
「けど、けど……!お兄様が、アロイスがいなければ、羅刹部隊はもう駄目なンだよッ……!」

そう言ってアドルファスに詰め寄ろうとしたラビスだったが、瞬時に間にシュルティラが入ったことでそれは阻まれた。ぐ、とシュルティラに軽く肩を押されて、ラビスはもといた場所に戻ることになる。

「……駄目、ということはないだろう。今はエステリアのような新鋭もいる。君は従来の羅刹の在り方を何よりも尊重しているようだがね、戦術も時代と共に移り変わるものなのだよ」
「でも、それでもッ……!やっぱりアロイスがいなければ、羅刹部隊はその……本来の力を引き出せない……!エステリアなんて駄目だ、あいつは私情で動こうとしている!」
「……それは君の勝手な見解ではないのかね。現にエステリアは、真面目に任務をこなしているではないか」
「そンなことないッ!だってあいつは、エステリアは此処数日王宮を出たまンまなンだぜ!?」

それだけ捲し立てると、ラビスははぁはぁと洗い息を吐いた。少しの間だけではあったが、室内は沈黙に包まれる。それぞれが何を考えているのか、それはナラカの知るところではなかったが、少なくとも彼女の心の中に広がったのは純粋な驚愕だった。

(エステリアさんが、王宮を出ていったままだなんて……)

生真面目な彼女がそんなことをするとは思えないが、人には人の隠された一面なるものもあるのだろう。何事も先入観だけで判断してはいけない。……と思いつつも、あのエステリアにしては意外であることは確かだった。

「……っ、それはたしかに意外なことだが……。エステリアの居所はわかっているのか?」
「ンなもんオレが知るかッつーの。……ともかくだ、オレはこの非常事態に当たッてふらふらしてる奴がいるような部隊なんて無様に散るだけだと思う。それを容認してる奴等がいるなら尚更だ。だからお兄様……アロイスの復帰を望んだンだよ」

アドルファスでさえエステリアが戻ってこないということには戸惑いを隠しきれていないようだった。それを見たラビスはここぞとばかりにアドルファスに対して言葉の限りを連ねる。彼は何としてでもアロイスを羅刹部隊に復帰させたいようである。その熱心さから、彼がアロイスのことを並み一通りではなく尊敬し、力の程を認めていることがわかった。

「……アロイスは戻って来ないよ。多分、この先ずっと、あいつが戦場に戻って来ることはないと思う」

だがその意見を、スメルトは真っ向から否定した。何の感情も抱くことなく、ただ淡々とラビスに向かって告げたのだ。ぶちぶちぶち、とラビスの堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた……ように、ナラカには思えた。それだけ彼の怒りが伝わってきたということだ。

「アロイスを……お兄様を戻って来れなくしたのは、紛れもなく手前じゃねェか!」
「……だから何?僕は何一つ間違ったことなんてしてないじゃない。いい加減騒ぎ立てるのはやめてよ、耳が痛くて仕方がないから」
「そう思ってるンなら、どうして手前はそいつらに己が過去を隠してるンだよ!?間違ってねェなら、自慢気に話したッて良いじゃねェか!なのに話さねェってことはよ、少なからず手前が自分の行動を恥じてるッてことだろうがッ!」

ガン、とラビスが拳を壁に叩きつける。それに初めて、スメルトの身体がびくりと震えた。これまで物怖じすることなく淡々としていたスメルトが、初めて何かしらの反応を示したのだ。これにはナラカも目を見開いて、スメルトの行動を注視してしまう。

「……って」
「……あァ?ンだよ、言いたいことがあるならはっきり……」
「出てって!!」

スメルトの感情が爆発したのは突然のことであった。ラビスの首根っこを掴んだかと思うと、まだ新調したての扉に彼を投げ付ける。幸い扉が壊れることはなかったが、ラビスは強かに身体を打ち付けることになった。

「て……手前、何をッ……!」
「嫌、嫌、嫌、嫌っ!!皆出てって!僕の傍から出てって!!」

まるで駄々っ子のように、スメルトはラビスを━━━━否、この場にいる誰もを拒絶する。このまま居残っているとラビスと同じように投げ飛ばされてしまいそうな気迫すら感じられる。スメルトを放っておく気にもナラカはなれなかったが、身の安全を鑑みると此処は退避した方が得策だろう。

「……皆、一旦外に出なさい。あの状態のスメルトは危険だ」

アドルファスもナラカと同じように考えたのだろう。その場にいた面々にそう呼び掛けた。それを聞くや否やシュルティラが直ぐ様ナラカとアリックの前に立ち、早く行けとでも言うように顎をしゃくる。このままでスメルトは大丈夫だろうか、という不安を胸にしながら、ナラカは急いで部屋を後にした。

1ヶ月前 No.231

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第39幕:彼の血が乾く日は来ない】

思えば、自分は生まれた時から奇異の目で見られていた……気がする。というのも、生まれてすぐの記憶なんて勿論覚えていないからだ。ただ物心がついた頃には誰もが自分のことを遠巻きに見て、ある人は嘲り笑い、ある人は恐れ、ある人はあからさまに自分のことを避けていた。誰も彼もが、彼に対して良い感情など抱いてはくれなかった。

━━━━ねぇ、見て。混血の癖に外を出歩いているよ。
━━━━恥ずかしいとか、思わないのかねぇ。
━━━━思わないでしょう。だってあいつにはあの羅刹の血が流れているんだよ。人間と同じ感覚を持つ訳がない。

道行く人は、自分がいるだけでその場を離れて、こそこそと噂話をしたものだ。程よく耳に入るそれは、彼にとって不快なものでしかなかった。だから人々が出歩いているような昼間に外に出るのはやめて、人通りが少なく、皆の寝静まった真夜中に諸々の用事を済ませようと考えたのだ。だって人目についたら、それだけで嫌な思いをすることになるのだから。

━━━━どうして、僕はこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。

幾度となく考えた。幾夜も枕を涙で濡らしながら、自分が拒絶される理由を考えた。しかしいつも、その理由はたったひとつしか思い付かない。たったひとつの理由だけで、彼は村から弾き者にされているのだった。

━━━━僕が……混血だから、皆は僕を笑うんだ。

彼の母親は人間である。それは息子である彼もよく知っていた。しかし彼女は羅刹の子を身籠った。それは彼女が羅刹の男を愛していたからではなく、望まぬままに羅刹の子種を孕まされたからに違いなかった。
彼の生まれた集落はシャルヴァの北方に位置していた。この時栄えていたアーカム王国からもティヴェラ王国からも遠い、地底の中にある峡谷を超えた先にある小さな集落。地上からシャルヴァに続く道は北方にも存在していたが、いかんせん地の利というものが北方にはないに等しかった。たしかにヒマラヤの霊峰に見下ろされたティヴェラ側の道や、チベットの高原に位置するアーカム側の道も厳しくないと言ったらそれは嘘になる。しかし北方の地域ではまずシャルヴァのような地底王国があるという伝説があまり浸透していなかったのだ。言い伝え程度のものはあったかもしれないが、少なくともチベットや印度程シャルヴァの噂は広まらなかったのだろう。たとえシャルヴァに到達した者がいたとしても、其処での暮らしを選んで地上に戻って来ることはなかったから、当然と言えば当然である。
そんな環境下に置かれたその集落の周辺が栄えるはずもなく、いくつかの集落が点在しているような形であった。都に行くには険しい峡谷を越えなくてはならず、時間も手間もかかる。そんなことをしている暇があったら平穏な生活を維持した方がよっぽど良い━━━━。北方の住民たちは、皆そう考えて生きてきたのだろう。彼らはアーカムにもティヴェラにも行こうとはせず、ただ自分が暮らす集落での生活を第一としていた。

━━━━嗚呼、まだいるよ、あの混血。
━━━━早いところくたばるか出ていくかしてくれないものかねぇ。

どのような暴言を吐かれようと、どのような扱いをされようと、彼は自分がいる集落を出ていこうとはしなかった。否、出ていこうという思考にたどり着かなかったのである。集落の点在している地域を抜ければだだっ広い荒野があって、その先には険しい峡谷がある。それらを越えてまで都に行く意味が彼にはわからなかったのだ。

━━━━何より……荒野や峡谷には、羅刹が出るって噂がある。

彼が何よりも恐れていたもの。それは自らの血の半分を占める羅刹の存在だった。彼が12歳の頃に、彼の母親は何も言わずに家を出ていってしまった。それで彼はやっと、自分がただの人間ではないと、そしてそれが理由で自分は迫害されていると知ったのだ。
彼の母親は彼の素性をひた隠しにしていた。集落の住民に、ではない。自らの息子にである。家から出ることをほとんど許されず、自分が何者かを知ることも出来ないまま彼は12年という月日を過ごした。窓の外から聞こえてくる自分や自分の母親の陰口が何よりの情報源だった。彼らの心ない言葉によって彼は自分の生い立ちを知ったのだ。

━━━━僕が生まれることは誰も望んでいなかった。母さんも、集落の人たちも……。僕があの恐ろしい羅刹の血を引いているから、皆僕のことを避けるんだ……。

遂には母親に捨てられてしまった彼を、集落の人間は憐れむどころかさらに嘲笑った。それでも彼は死のうとは思わなかった。死ぬのが怖かったから、ではない。生きていく意味を見出だしていた、からでもない。そもそも彼は自害するということを知らなかったのだ。食を絶つということも念頭にはなかった。彼はあまりにも無知で、己が生死についても未だによくわかっていないままだった。もともと集落の伝統的な冠婚葬祭にも招待されていなかったので、それが尚更彼の知識の吸収を妨げたのだろう。

━━━━僕はどうして生まれたんだろう。どうして誰も僕が生まれることを望んでいなかったのに、僕は此処にいるのかな。

疑問が生まれても、それに答えてくれる人はいない。それを彼が悲しむことはなかった。憐れなことだが、それが彼の日常だったのだ。彼は今日も、何故自分がこの世に生まれてきたのかと疑問を抱えながら、独り寂しく過ごしていることしか出来なかった。

1ヶ月前 No.232

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1ヶ月前 No.233

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1ヶ月前 No.234

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こういった経緯で羅刹の仲間入りを果たしたスメルトであったが、半分人間の血が入っているということもあって羅刹の村ではかなり格下の扱いをされてきた。与えられる仕事も下働きがほとんどだったし、上手くいかなければ暴力を振るわれることなど日常茶飯事だった。だからスメルトは誰の機嫌も損ねまいと、必死に与えられた仕事をこなしていった。
羅刹たちは都合の良い小間使いが出来て面倒事が減ったからだろうか、スメルトを殺すことはなかった。そのため良い環境とは言えなかったがスメルトは三年近く羅刹の村で過ごしていた。羅刹たちの粗暴な訓練や命令に慣れていったスメルトの体は大きくなったし、またそれに付けられた傷は数えきれないくらいだった。それでも彼は羅刹たちの前で文句を言うことはなかったし、彼らの言うことは何だって聞いた。故に羅刹たちはスメルトに何だって言い付けた。その日も、羅刹の長はあまりにも軽々しいノリでスメルトにこう告げたのだ。

━━━━なぁスメルト。そろそろお前、人間たちに報復したくはないか?

唐突な長の言葉に、床掃除をしていたスメルトは一瞬きょとんとしてしまった。しかしすぐに答えなければまた暴力が飛んで来るので、慌てて首を縦に振る。それを見た長は得意気に口角を吊り上げた。

━━━━スメルト。この峡谷を越えたずっと南に、ティヴェラって国があるのは知ってるよな?
━━━━はい。
━━━━そのティヴェラが近々、北方に砦を築くらしい。峡谷の近くにはもう一つ目の砦が出来ているって話も持ち上がってる。人間共は俺たち羅刹のことを嫌っているからな、俺たちの村は潰されてしまうかもしれない。そんなの、スメルトだって嫌だよなぁ?
━━━━はい。
━━━━だからな、スメルト。俺たちは人間共に対抗しなくちゃいけないんだよ。けど何もせずに対抗するってなってもそれはただの烏合の衆に過ぎない。そのために、だ。お前には俺たちを束ねる頭領になって欲しい。

スメルトはわかりました、と答えるしかなかった。何故か、と問われればスメルトは問うた者をすぐにでも殺めていることだろう。自分は羅刹たちに歯向かうことなど出来ない。頭領になれと言われたのならそうするまでのことだ。たとえそれがお飾りのものであったとしても、やれと言われたのならやる。いや、やらなければいけない。スメルトがこの村で何かを否定することなど出来ないのだから。
スメルトの同意が得られたとなると、長は手早く準備を始めた。村の羅刹全員を集めて旅支度を整え、この峡谷を越えられるだけの荷物をまとめた。もとよりこの村は羅刹の若者たちによって成されたものである。頭の堅い老齢な羅刹たちはとうの昔に冥土送りにされていた。そのため長の言うことに反対する羅刹はおらず、あれよあれよという間に全ての支度が整えられていた。

━━━━スメルト、お前は何も考えなくて良いからな。小難しいことは俺が何とかしてやる。お前はただ、俺たち以外の生き物を殺していれば良い。
━━━━わかりました。

長からの指示はたったそれだけだった。殺せば良い。そうだ、敵を殺していれば長たちは何も言わないのだ。そうと決まれば話は早かった。スメルトは最初の砦に着くや否や躊躇うことなく侵攻を開始した。いや━━━━それは侵攻と言うよりかは、ただの鏖殺に近かった。

━━━━敵を殺していれば、僕は痛め付けられないで済む。だったら、敵がいなくなるまで殺さなくちゃ。

殺す。殺す。殺す。スメルトは武器らしい武器を持ってはいなかった。ほぼ徒手空拳で、ティヴェラの兵士に挑んでいったのだ。ティヴェラの兵士たちもそれなりに訓練を積んでいたが、そもそもただ“殺す”と決めたスメルトの勢いを止められる訳がなかった。助けて、命だけは、と訓練されたティヴェラの兵士たちが断末魔に叫ぶ程度に、スメルトは彼らを徹底的に殺害した。

━━━━な……何故、何故我々を襲撃したのだ……!?ティヴェラは決して羅刹を迫害などしない、むしろ部隊に組み入れるくらいだというのに……!

追い詰められた砦の最高責任者は、だらだらと汗を流しながら、スメルトにとっては命乞いとも取れる言葉を吐き出し続けた。ティヴェラは羅刹をアーカムのように迫害したり辺境の地に追いやったりしない、むしろ羅刹をちゃんとした戦力として見ている、としきりに主張した。しかしスメルトにとってそんなことはどうでも良い。どうでも良いのだ。ふぅん、と興味無さげに呟いてから、スメルトはその男の頭をもぎ取った。

━━━━ティヴェラに屈したって、僕が痛い思いをしない理由にはならないじゃない。

スメルトの行動原理は、出来る限り暴力を振るわれないことにあった。生まれて初めて味わった暴力は、スメルトを肉体的にも、精神的にも打ちのめした。もうあんな目には遭いたくないと、スメルトにトラウマを植え付ける程度には大きな痛みを与えたのだ。
だからスメルトは必死になって殺した。一日足らずで砦を制圧して、援軍の羅刹部隊が来ても彼らを返り討ちにしてやる程度には。長をはじめとする格上の羅刹たちは、そんなスメルトをにやにやと眺めるだけだった。彼らは言うだけ言っておいて、スメルトに何の支援もしようとはしなかった。主に戦っているのはスメルトを中心とした村の中でも“格下”の羅刹ばかり。きっと彼らも、スメルトと同じように決して癒えないトラウマを植え付けられたのだろう。向かってくるティヴェラの兵士たちや、羅刹部隊を容赦なく殺め続けた。スメルトの身体は返り血で真っ赤になったし、それを拭うような余裕も彼にはなかった。

━━━━おうおう、よくやってるじゃあないかスメルト。まさか此処まで上手くやるとは思ってなかったぜ。

戦闘が一通り終わったある日、何の前触れもなく長はスメルトに話しかけてきた。いきなり声をかけられるなんて思っていなかったスメルトは思わずびくりと肩を揺らしてしまう。今度は何を命じられるのか。自分の出来る範囲であってくれ、とスメルトはただただ祈り続けた。

━━━━直接的な戦闘にも疲れてきただろ?お前は無理しすぎるきらいがあるからな、今日から休憩がてら別の仕事をやって欲しいんだが……頼めるか?
━━━━はい。
━━━━それなら良いんだ。じゃあ……お前には俺たちが捕らえた羅刹共の尋問をしてもらおうか。

長たちが羅刹を捕らえていた、なんてことは知らなかった。スメルトは目の前のことに必死だったのだ。尋問、と言われても何だか納得がいかなかったが、長に頼まれたことなら断れるはずがない。スメルトは内容をよく理解しないまま、こくりと長の言葉にうなずいた。

1ヶ月前 No.235

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1ヶ月前 No.236

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スメルトはふらふらと、砦を出て荒野をさ迷っていた。何処に向かうのか。そんなこともスメルトにはわからなかった。ただ、憎いと思う気持ちだけはどんどん強まっていって、自分を嗤う生き物を殺さなければとしか思えなかった。飛んだ返り血も、棍棒の汚れもそのままに、スメルトはただ歩き続けて━━━━ぴたり、とその歩を止めた。

━━━━……君、誰?
━━━━…………。

それは人間……のような姿をしていたが、スメルトにはおおよそ人間とは思えなかった。上から下まで真っ黒な鎧に身を包み、その手に大きな槍を握りしめ、言の葉を発することもなく、此方を見つめている人物。人間……というか、生き物らしい温かみは全く感じられない、無機質な雰囲気。不気味だとは思った。しかしスメルトは恐ろしい、とは考えられなかった。この時は何かに対する恐怖よりも、自分の中で燃える憎しみの焔の方が強かったのだ。スメルトは棒立ちのその人物━━━━シュルティラに、冷えきった視線を向ける。

━━━━退いて。僕、これからしなくちゃいけないことがあるから。
━━━━…………。
━━━━ねぇ、何も話せないなら退いてくれない?それとも僕の声、聞こえないの?

何も答えようとしないシュルティラに、スメルトの苛立ちは募っていくばかりである。邪魔をするというのか。スメルトがどれだけ凄んでもシュルティラが臆する様子はなく、其処を動こうともしない。スメルトだってシュルティラの伝説は知っているが、この時ばかりは目の前にいる人物が誰であれ、邪魔をするなら殺さなければという衝動に駆られていた。

━━━━これ以上僕の邪魔をするなら……君もあいつらと同じように、血と肉に還してあげようか!

ぶん、とスメルトは棍棒を振るう。それをシュルティラは苦もなさそうにひょいと軽やかに避けた。まさか初手を避けられるとは思っていなかったので、スメルトの体はぐらりとよろめいてしまう。しかし此処で倒れれば自分が死ぬかもしれないので、スメルトは何とか足を踏ん張って踏み止まった。ぐっ、と足に力を込めて体勢を整えた彼だったが、時間を置かずに驚愕することとなる。

━━━━こいつ……一歩も動いてない……!

シュルティラはその場から一歩も動いていなかった。武器を振るうこともなく、スメルトの攻撃を避けただけで、スメルトに少しも近付いていなかった。かっ、とスメルトの中で憎しみ云々を抜きにした怒りが燃え上がった。何だこいつは。自分を舐めているのか。そうでなければ隙をついて攻撃でも何でも出来るはずだ。それなのにシュルティラは何をすることもなく、スメルトを見つめているだけである。本当に何をしにこの人物は此処にいるのだろうか。まさか自分を馬鹿にしているのではなかろうか。そう思うとスメルトの腸はいとも容易く煮えくり返った。

━━━━お前も、僕を、馬鹿にするのかぁッ!

スメルトは棍棒をシュルティラに向けて投げ付ける。絶対に殺してやらなければならないと思った。シュルティラは案の定スメルトが投げた棍棒をするりと避ける。其処をスメルトは狙った。だん、と地面を蹴るとそのままシュルティラに掴みかかる。この至近距離で槍を振るっても狙いは外れるだけだ。スメルトはシュルティラに掴みかかったまま、ごろごろと荒野を転がった。やがて二人が止まった時に、スメルトは自身の体の異変に気付く。

━━━━……動けない……!?

油断していた訳ではなかった。しかし現在、スメルトはシュルティラに組み敷かれる形になっている。何とか腕を動かそうとしても、シュルティラにがっちりと押さえ付けられているので身動きは取れない。力任せに動くことも出来ず、関節の外し方もわからないスメルトは、ひたすら焦りながらもがくしかなかった。

━━━━は……離して……!
━━━━…………。
━━━━何だよっ、何がしたいの……!?殺すなら早く殺せば良いじゃない、僕のこと舐めきってさ……!やっぱり僕が混血だからなの!?僕が純粋な羅刹じゃないから、こんなことをするっていうの……!?

シュルティラが何も言わないとわかっていても、だからといって黙っていられる程スメルトは忍耐強くはない。じたばたと暴れながらシュルティラの拘束から逃れようとしたが、どう足掻いてもシュルティラの力が弱まる様子は見えないままである。このまま殺されるのか。不思議なことに、殺されることへの恐怖はスメルトにはなかった。ただ、この憎しみを何かに発散することなく終わってしまうのが嫌で仕方なかったのだ。

━━━━…………。

そんなスメルトを見下ろすシュルティラは、何を思い付いたのか知らないが、す、とおもむろにその顔をスメルトへと寄せてきた。冷たい兜のひんやりとした感触がスメルトの頬を微かに撫でる。


━━━━哀れな死神。憎悪にも生きる意味を見出だせないならば……今はただ、眠るが良い。
━━━━……!?


ずるり。それまで全く眠くなどなかったのに、スメルトの意識は微睡みの中に沈んでいく。何か薬でも仕込まれたか。それとも知らず知らずのうちにシュルティラの攻撃でも受けていたというのか。何もわからないままに、スメルトの意識は急速に暗くなっていく。抗うことも出来ぬまま、反乱の首謀者という称号を着せられた混血の子は意識を手放したのであった。

(……そうだ。それで、気が付いたら王宮にいて……僕は、離宮に入れられたんだ)

━━━━いつの間にか眠ってしまっていたらしいスメルトは、自分の寝台の上で目を覚ます。此処で起床したのはいつぶりだろうか。しばらく薬師の住まいで寝泊まりしていたせいか、離宮の寝台は少し慣れなかった。

(……嗚呼、なんで僕はこんな夢なんか見たんだろう。もう、二度と思い出したくなんかなかったのに……)

体が怠いという訳ではなかったが、なんとなくスメルトは起き上がる気にはなれなかった。無機質な天井を見上げつつ、彼はラビスの言葉を思い出す。自分の行動を恥じている。それは紛れもない事実だ。スメルトは過去の自分を葬り去ってしまいたかったし、出来ることなら記憶ごと消却してしまいたかった。死ねばそれが出来るのかもしれなかったが、スメルトは死を選択することだけは避けていた。

(僕は……僕は、独りぼっちになりたくない。独りぼっちのまま、死にたくない。誰かに隣にいて欲しい。僕を混血とか、反乱軍の頭領だとか、そういった肩書き無しに見てくれる人と、いっしょに……)

誰もが“スメルト”という名前を聞くと、羅刹と人間の混血だとか、三年前の反乱の首謀者だとか、そういった肩書きを通して見てくる。それがスメルトは厭だった。ただのスメルトとして自分を見て欲しかった。そう“在ってくれた”のがあのナラカという少女だった。だからスメルトはナラカと仲良くなりたかったのだ。あの少女であれば、もしかしたら……と。スメルトは柄にもなく、微かな希望を抱いてしまった。

(でも……きっと、昔の僕のことを聞いたら、ナラカは僕を怖がるに決まってる。ナラカも、僕から離れていっちゃうんだ……)

そう考えると、スメルトは悲しくて仕方がなかった。ナラカとならば、肩書きなど気にすることなく、仲良くなれると思っていたのに。次から次へと嫌なことが重なって、スメルトはまたしても情けなく涙を流した。どう足掻いたって自分は過去から逃れることなど出来ない。それはスメルトの心を、キリキリときつく縛り上げるのだった。

1ヶ月前 No.237

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【第40幕:束の間の休息と菫の戦士】

頭上の曼荼羅の光がだいぶと弱まってきたことにエルトが気付いたのは、彼が何気なく天を仰いだ時であった。これまで多方からの報告を聞いたり陣形を考えたりしていて、時間について思いを馳せる暇がなかったのだ。もうこんな時間か、とエルトはしみじみ曼荼羅を見つめる。

(……此処のところ、時間など気にする間もなかったな)

エルトがティヴェラに対して反乱軍を興したのは数日前のことになる。もうすぐ一週間が経つだろうか。ティヴェラからの強襲を受けた旧アーカム領の人々をニーラムの力によって回復させ、兵士として戦場に出すのは案外容易いことだった。旧アーカム領の人々は自分の生活を再び破壊し、蹂躙し、強奪していったティヴェラを憎んでいる。中には大切な者を失った者もいた。そういった人間はエルトの誘いにあっさりと応じてくれた。エルトがかつての母国であるアーカムの王子ということもあったし、何よりティヴェラへの憎悪が再燃している状態だ。反乱軍の人数は一夜にして膨れ上がり、現在は数百人を超えた。ティヴェラからしてみれば烏合の衆に違いないが、それでも得るものは決して少なくない。少なくとも、ティヴェラ軍に占拠されていた集落の幾つかを取り戻すことが出来たのだから。

「……殿下。少しは休んだら如何か」
「……リリア殿」

きぃ、と立て付けの悪い扉を開けてそう声をかけてきたのはリリアだった。彼女もまた、先日にティヴェラ軍の強襲を受けたばかりだ。何とか命からがら“森の民”の森へと逃げ込んだ彼女は、旧アーカム領の怪我人を治療するニーラムの手伝いを主に行っていた。

「もう夕刻だ、働き詰めというのも体に良くはないだろう。食事が必要なら手近な者に持ってこさせるが……」
「……いえ。今日は皆と食事を摂りましょう。ずっと隠りっぱなし、というのも信頼関係に響くでしょうからね」
「そうか。では供をしよう」

ティヴェラの王宮から脱出してから━━━━いや、アシェリムが死んでからリリアはエルトのことを“殿下”と呼ぶようになった。口調こそやや尊大なままだが、リリアの態度ががらりと変わったことにエルトは気付いていた。きっと彼女はエルトの報復が成ることを何よりも期待しているのだろう。それはアシェリムを失った悲しみからか、それともそれによって燻っていたティヴェラへの憎悪が爆発したからなのか。エルトにはわからないが、彼にとってはそれで良かった。何にせよ、リリアが無事でいてくれたことと、彼女が変わらずに協力してくれるのならばそれで構わない。治療という治療をニーラムに任せっぱなしにしていては、彼女から文句が飛んで来ることは間違いないだろう。

「……それにしても、殿下。此処数日の我等の戦果はまさに快進撃といったところだな。妾は後方にいるしかないのでわからないが……何か、勝利の切り札となるものを手に入れたのか?」

皆が炊き出しをしているという広場に向かう道すがら、リリアがそんなことを尋ねてくる。彼女の言う通り、此処数日のところ、反乱軍は敗北を知らないと言わんばかりの快進撃を続けていた。ティヴェラがエルトたちのことをまだただの反乱軍と侮っていることも勝因のひとつであるとは思うが、反乱軍が絶好調ということもまた事実である。ノルドのようにもともと武術に長けた者ばかり……という訳にはいかないので先陣を切るのは大抵がレインの傀儡だが、その中に全く人間がいないという話でもなかった。

「そうですね……。私も指揮に回っていますからあまり大それたことは言えませんが……恐らく、“彼”の活躍が大きいかと」
「“彼”……?」
「ええ。……ほら、噂をすれば」

ちょうど広場にたどり着いたところで、エルトはす、と視線をある一点に向ける。其処には炊き出しに湧く人々━━━━から外れて、独りで黙々と食事をする一人の青年の姿があった。

「あれは……」
「彼はレイン殿の傀儡と共に隊を率いた我等が先鋒です。此処最近の勝利に、大きく貢献してくださっている方ですよ」
「ふむ……彼奴が……」

エルトやリリアの視線に気が付いたのか、青年がゆっくりと顔を上げる。緩やかに波打つ黒髪を長く伸ばした、やや痩せぎすの若者である。その肌は白く、視線は冷俐な刃物のようで、全体的に冷たさをかもし出している彼は、ぎろりとエルトたちを睨み付けた。そんな彼の威圧に怯むことなく、エルトは彼に近付いていく。リリアもおずおずといった様子でエルトの後を追いかけた。

「これはこれはイオニス殿。もしよろしければご一緒してもよろしいでしょうか?」
「……勝手にしろ」
「ありがとうございます」

イオニス、と呼ばれた青年の口振りは酷く素っ気ない。そんな彼の口調にリリアはむっとした様子だったが、エルトは特に気にも留めなかった。イオニスという男は、誰に対してもこのような調子なのだ。決して彼に悪気があるという訳ではないのだろう。初めこそ礼儀のなっていない粗野な男と思っていたが、イオニスの所作は決して粗野なものではなく、むしろきちんとしているものだった。そのため、この口調はヴィアレやリリアのそれと同じようなものだとエルトは考えたのである。

「イオニス殿。此度の勝利、貴殿の尽力なくしては手に入れがたいものだったでしょう。貴殿が我々に協力してくださったこと、心より感謝しております」
「…………」
「……貴様、殿下に対してその振る舞いはいささか不敬に当たるのではないか。殿下が自ら労いにいらっしゃったというのに、それに対してうんともすんとも言わないとは何事だ」

エルトの言葉に返事すら寄越そうとしないイオニスに、さすがのリリアも我慢ならなくなったのだろう。やや語気を強めてイオニスにそう告げたが、イオニスはちらと彼女のことを一瞥しただけであった。そして如何にも面倒だ、と言わんばかりに溜め息を吐いてから、「おい」とエルトに向き直る。

「……話はそれだけか?」
「いえ、そういう訳では……」
「ならば飯のひとつでも貰ってきたらどうだ。私との会話だけで腹は満たされまい」

要するに、飯も持たずに話して何になるのか、とイオニスは言いたいようだった。リリアはまだ不満げだったが、イオニスの言うことにも一理ある。エルトは一度彼の傍を離れて、食事を取りに行くことにした。勿論、イオニスをあまり快く思っていないリリアもエルトに続く。この数分の会話で、リリアはイオニスに良い印象を抱けなくなったようだった。

(……まあ、あの言動では仕方ないか)

内部の対立は決して良いとは思えないが、敵意を抱いていないのなら崩壊の火種にはならないだろう。そう思いながら、エルトはやれやれと小さく嘆息した。

1ヶ月前 No.238

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1ヶ月前 No.239

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オルガノスもスピロスもイオニスの部隊に所属しているらしい。彼らがイオニスのことを隊長と呼ぶのはそれが理由なのだろう。

「隊長はもともと謎が多い方でしてね。まあそういったところも大好きなんですけど」

特にオルガノスはイオニスに相当傾倒しているようで、その勢いはエルトが少し引く程度であった。傍にいるスピロスは慣れているのか、特に何の反応も示さない。まあずっとあの調子のオルガノスをいちいち突っ込んでいては誰であれ疲れるだろう。エルトはスピロスの心中を察して彼が憐れに思えてきた。今度何か差し入れでもしてやりたいところだ。

「しかし、あなた方はイオニス殿と共に私たちのもとへとやって来ましたよね。どのようにして知り合ったのですか?」

イオニスはたった一人でエルトに協力を申し出てきた訳ではなく、既に数十人の部下を連れていた。そのうちの一人がオルガノスやスピロスであり、イオニスとの付き合いは彼らの方がエルトよりも断然長い。勿論エルトはオルガノスやスピロスの経歴も知らないし、隊長のイオニスも同様だ。唯一わかるのは、彼らが旧アーカム領の出身であるということだけである。
エルトから問いかけられたオルガノスは、待ってましたと言わんばかりに渾身のどや顔を決めて見せた。顔が整っているので変に様になっているのが憎らしい。

「話せば長くなりますがよろしいでしょうかっ?」
「え……長くなるのか……」
「こいつの場合多分日を跨ぐことになるんで、俺の方から説明させていただきますね」

嫌な予感がしたらしいリリアが表情を曇らせると、そんな彼女の内心を察したのかスピロスが割り込んでくれた。彼が言うと本当に日を跨いでしまいそうで怖い。恐らくこれまでスピロスもオルガノスの長話に付き合わされてきた口なのだろう。

「俺たちはけっこうティヴェラの王都に近い、西側の集落の出身でしてね。まあ突然攻め込まれて、俺たちは為す術もなかったんです」

オルガノスとスピロスが暮らしていた集落はティヴェラの王都に近いこともあってか、兵士が乗り込んでくるのは一瞬のことであった。集落は瞬く間に蹂躙され、逃げ惑う人々をティヴェラの兵士たちは容赦なく鏖殺した。

「それこそ、俺たちの目にはティヴェラの兵士がまるで殺戮のためだけに造られた人形か何かのように見えましたよ。俺たちも何とか逃げようとしましたが、袋小路に追い詰められて、逃げ場すら奪われてしまいました。もう駄目だと諦めかけたその時に、隊長が現れたんですよ」

スピロスが言うに、まさに絶体絶命といった状況でイオニスが現れたのだという。彼は凄まじい剣さばきで二人を追い詰めていたティヴェラの兵士たちを倒した。一命を取り留める形となったオルガノスとスピロスに、イオニスは振り返ってこう言ったそうだ。

「『私はお前たちが着いてくることを強制しない。だが、たとえ露程でも戦う覚悟があるならば、私の背だけを見て進むが良い』……って!くぅ〜っ!!格好いい〜っ!!」
「……まあこんな感じで助けられたんですよ。あれからというもの、オルガノスの奴はいっつもこの調子で」

隊長最高、と一気に元気になったオルガノスを横目で見ながら、スピロスは話を締め括った。オルガノスの興奮ぶりには何とも言い難いが、スピロスが言うような体験をしたのならイオニスに惚れたって可笑しくはないだろう。実際に数多の作り物語ではこういった展開をよく目にする。それが眉目秀麗な王子━━━━ではなく身元不明の無愛想な青年であったとしても、それは変わらないのだろう。

「でも本当に、隊長には色々と助けられてきたんですよ。俺たち以外の隊員も皆隊長に助けられた人間だし、“森の民”の森に入るまで避難場所を教えてくれたのも隊長なんです。隊長がいなかったら、俺たちや、俺たちと同じようにティヴェラに襲われた村の奴等も助からなかったでしょう」
「スピロス殿……」

スピロスの語り口から、彼らが歩んできた道は決して生ぬるいものではないということがエルトにも理解出来た。現に、イオニスが連れていたのはオルガノスやスピロスのような兵士だけではなかった。老若男女、様々な人々を背中にしながら、イオニスはエルトのもとまでやって来たのである。彼に助けられた者からしてみれば、イオニスは英雄に他ならないのだろう。

「経歴とか、そういったことはわからないけれど……俺たちにとっては、隊長が全てなんです。あの人がいるから、今の俺たちがある。だから俺たちは、いつか隊長が隊長の過去を話してくれる日を待つしかないんです」
「……そう、なのですか」
「はい。ですから、俺たちが話せるのはこれくらいしかないんです。お役に立てなかったのなら、申し訳ございません」
「いえいえ、謝ることはないのですよ、スピロス殿。あなたの判断は決して間違ってはいません」

深々と頭を下げようとしたスピロスに、エルトはそう告げて彼が礼をするのを止めた。スピロスの言うことは尤もなことである。無理矢理聞き出そうとしたところで、あのイオニスが話してくれる確率は限りなく低いだろう。それならば多少時間がかかったとしても、イオニス自身から話してくれる日を待った方がずっと良いだろう。

「わざわざお話しくださって、ありがとうございました。イオニス殿は勿論、あなた方の活躍は我等が反乱軍にとっても喜ばしいものです。今後とも、よろしくお願いいたしますね」
「は、はい……!……ほらオルガノス、お前も」
「あ……ありがたき、幸せにございます……!」

ずっとイオニスのことを考えていたのだろう、ぼんやりとしていたオルガノスの肩をスピロスが軽く叩く。オルガノスもスピロスの言わんとするところを察して、エルトにぺこりと一礼した。そんな彼らに薄く微笑んでから、エルトはその場を後にする。

「……あれで良かったのか、殿下」

しばらく歩いたところで、後ろから着いてきていたリリアが小声で問いかけてくる。食べ終わった食事の入っていた器を共用のごみ箱に捨ててから、エルトは彼女に振り返った。

「……部下にも過去を語らないということでしたら、無理に聞き出すのは愚策でしょう。少し不安は残りますが、今は探りを入れるべきではないかと」
「しかしだな……。もしかしたらティヴェラからの斥候という線だってあり得ない話では……」
「その時はその時です。怪しげな行動に及んだら処すれば良いだけのこと。それまでは見守るしかないでしょう」

イオニスのことを個人的に気に入っていないのか、彼を危険視するリリアに、エルトはやんわりと、されどぴしゃりと釘を刺した。たしかにイオニスには幾つか気になる点があるが、今のところは保留にしておくのが最善だろう。少なくともエルトはそう考えていた。

「……リリア殿。私を案じてくださるお気持ちはわかります。ですが彼は我等が反乱軍にとって大切な存在。そう簡単には切り捨てられませんよ」
「……わかっている。妾も、少し大人げなかったな」
「お気になさらず。リリア殿が我々のことを思ってくださっていることはわかっていますよ。ですから、そのようなお顔をなさらないでください」

しゅんとした様子のリリアに苦笑してから、エルトは彼女と一言二言話して帰途についた。湿っぽい部屋から出て歩いたからだろうか、心なしか気分が良い。たまにはこのようなことも悪くないな、とエルトにしては前向きに考える辺り、この日の語らいは彼にとって少なからず有意義なものになったのであろう。

1ヶ月前 No.240

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

いくつかの集落を奪還したとは言え、反乱軍である以上いつティヴェラの急襲があるとも知れない。そのため、夜は集落の入り口に交代制で見張りを置くことになっていた。さすがに武術の心得のない者を置くわけにもいかないので、そこら辺は兵士として戦える者を置くようにしている。

「……ふぁぁ……」

この夜、欠伸をしながら見張りを行っているのはノルドであった。“選定の儀”で羅刹を倒した彼は反乱軍でも主戦力として戦っており、兵士たちの育成にも力を注いでいる。ティヴェラに攻撃を仕掛けない時は兵士たちに武術の手解きをしたり、このように見張りをしたりするなどして過ごしていた。

(……それにしたって、あのエルトが“殿下”ねぇ……)

眠気を噛み殺しながら、しみじみとノルドは此処最近の記憶を思い起こしてみる。ノルドはなんとなくむず痒いので今まで通りエルト、と呼んでいるが、最近は仲間が増えたこともあり彼のことを“殿下”と呼ぶ者が多くなってきた。特にリリアなんかはその一人だ。そのため、ノルドとしては急速にエルトとの距離が離れたような気がしてならなかった。

(たしかにあいつは王子様だし、身分なんて月とすっぽんだろうけどよ……。けど、なんつーかなぁ……)

別にエルトが王子であることにノルドは何の不満も抱いてはいない。むしろ、滅びた祖国の王子が生きていたということは本当に嬉しい知らせであった。しかしノルドはエルトをアーカムの王子というよりは、自分たちの仲間と見なしている。そのため彼のことはアーカム王国の元王子エルティリナ、というよりも仲間の青年のエルト、といった方がしっくり来るもので、それゆえに彼が“殿下”と呼ばれていることがなかなかしっくり来ないでいた。

(俺もそろそろ姐さんみたく“殿下”って呼んだ方が良いのかな……。いや、いきなりエルトのことを殿下って呼ぶのはなんかなぁ……いや、そもそもこのまま呼び捨てにするのもどうかとは思うけどさぁ……)

周りがエルトのことを王子として扱い始めたことに対して、ノルドは良いとも悪いとも言えない。各々が呼びたいように呼べば良いと思う。しかし自分だけがエルトに軽々しく接しているのかと思うと、どうにも気になって仕方がないのだ。周りに合わせるべきか、このままの姿勢を保ち続けるか。そんなことを悶々とノルドが考えていた矢先に、つん、と肩を軽く叩かれる感触があった。

「……そろそろ交代だ」
「……あー……もうそんな時間か」

ノルドの後ろにいたのは、彼と武功を競うのではないかと噂される精鋭のイオニスだった。ノルドはエルトの傍に付いているので噂程度にしか聞いたことがないが、何でもイオニスの先鋒部隊の活躍は目覚ましく、彼の部隊への配属を望む者も多いのだという。たしかにノルドが育成している兵士たちの中にも、イオニスのことを慕っている者が多い。部隊の違いからあまり接したことはないが、まあなんとなく凄い奴なのだろうとノルドは考えていた。
そんなイオニスの方は、特に何の感慨も抱いていなさそうな無表情でノルドのことを見上げていた。大柄なノルドと平均的な身長のイオニスとでは、自然と後者が上目遣いにならなければならないのである。そろそろ退くかとノルドが考えた矢先、ふわりと彼の鼻孔を柔らかな香りがくすぐった。

(ん……?こりゃあ、花の香り……?)

自分からそんな香りがする訳がないので、消去法でこの香りはイオニスから発せられたものということになる。ははぁ、とノルドの口元に笑みが浮かんだ。この無機質な隊長にも人間らしいところがあるのではないかと、仄かな期待を胸にしながら、ノルドはうりうりとイオニスをからかう。

「おいおい、そんなしかめっ面で女のところにでも通ってきたのか?男も女も笑顔がいちばん映えるものだぜ?」
「……?何を言っている」
「惚けんなって〜!そんな甘々しい香りを纏わせといて、何もありませんでしたなんて言わせねぇぞ〜!」
「……嗚呼、なるほど」

ノルドからからかわれたイオニスはしばらく腑に落ちない、といった顔つきをしていたが、少しして何かに納得したらしい。整った造形の顔をノルドに向けると、ぎろりと鋭い視線をくれてやる。

「……生憎、お前の望むようなことには及んでいない」
「へぇ、どうしてそう言いきれるんだ?」
「どうしても何も……私は女遊びにうつつを抜かす程幸せな頭をしていない。私には必ず果たさねばならないことがある。それだけだ」

どうやら期待の精鋭は機嫌を損ねてしまったらしい。こりゃからかいすぎたな、とノルドは内心で反省する。このイオニスという青年はどちらかというとエルトのように、冗談が通じない性分のようだ。今後気を付けよう、と思ったところで、イオニスが急に問いかけてくる。

「……ところで、ノルディウス。お前に少し、問いたいことがある」
「おう、なんだ?」
「━━━━ナラカという少女は、何処にいる?」

イオニスからの問いかけはノルドにとってあまりにも唐突過ぎるものだった。ナラカ。彼女と最後に会ったのは約一月前━━━━つまり、ノルドたちがティヴェラの王宮に忍び込んだ時のことだった。彼処でナラカやヴィアレはノルドの計画から離反した。それはノルドだけでなく旧アーカム領の者たちにとっても大きな出来事となった。

「……なんでそんなことを知りたがるんだよ」
「集落の者に聞いたのだ。かつてこの集落にはナラカという黒髪の娘がいたということを」
「そんな伝承みたいに言われてもだな……」

イオニスは大それた言い方をしているが、実際はナラカが離反してまだ一月程度しか経っていないのだ。尤も、ナラカが王宮勤めに行ってからは半年程が経っているので、集落の人間からしてみればかなりの日数が経っているようなものかもしれない。

(……けど、なんでイオニスがナラカのことを気にするんだ……?二人に接点なんてないはずだが……)

そもそもナラカは集落の中でも孤立しているようなものだった。ノルドやリリアには心を開いていたのか、共に市場に向かうこともあったのだが、それ以外の住民と関わることはほとんどなかった。……というのも、集落の住民がナラカのことをティヴェラの斥候ではないかと疑っていたからだろう。旧アーカム領の東方からやって来たという彼女は、はっきり言って謎しかなかった。本人は日ノ本という国から来たと言うが、集落の住民にとってはそんな国があることさえ知らないのである。ナラカが白い目で見られるのは当然と言えば当然のことであり、ナラカ自身も集落の住民たちを信用しようとはしていなかった。

「……ナラカなら、此処にはいない。どういう経緯であいつのことを知ったのかは知らないが、会える確率なんてないにも等しいぜ」
「しかし……その娘はまだ生きているのだろう?ならば居所だけでも教えてはくれないか」
「あのなぁ……なんでお前、其処までしてナラカのことを知りたがってるんだ?お前とナラカの間に面識はないだろ?」

イオニスの往生際の悪さに、ノルドは苛立つというよりも疑問を覚えた。何故其処までナラカに執着するのか。もともと何らかの関係があるとも言えないナラカに、この青年は何を求めているのか。ノルドにはわからなかった。故に不思議でしかなかったのだ。
しかしイオニスはノルドの問いかけに答えることはなく、ふいと顔を背けた。これ以上詮索するなとでも言うように、不機嫌そうな空気を身に纏わせる。

「……ならば良い。今の質問は忘れろ。私は見張りをせねばならない」
「け、けどよ……」
「私の中でこの話は終わった。わかったのなら疾く寝所に戻れ」

此処まで一方的に拒絶されては、もうノルドに取りつく島はない。はぁ、と溜め息を吐いてから、ノルドはその場を去る。その背中をイオニスは一瞥し━━━━ノルドがこれまで立っていた場所までてくてくと歩いていった。

1ヶ月前 No.241

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第41幕:深閑未だ来たらず、動乱未だ去ること無し】

その日も特にこれといったことのない、平凡で緩やかな昼下がりが過ぎようとしていた。ただナラカたち薬師の住まいの者たちにとってはそうでもない。離宮に昼食を運びに行くナラカの足取りはいつもよりも幾分か重かった。

(スメルトさん……あれからずっとご自分のお部屋に隠りっきりだけど……)

スメルトが薬師の住まいに戻らなくなってからもう三日になる。三日前、ラビスの言葉が逆鱗に触れてしまったのか、スメルトは突如怒って誰も彼もを遠ざけた。それから彼が薬師の住まいに戻ってくることはなく、ずっと自分の部屋にいる。勿論離宮に食事を運ばなければならないナラカは彼のもとにも食事を届けるのだが、スメルトが顔を見せることはない。奥の部屋に隠ったまま、声をかけても無反応といった状態なのだ。

(本っ当にあの馬鹿羅刹、余計なことしてくれちゃって……)

今日もスメルトが出てくることはなく、ナラカは内心で事の発端となったラビスを呪うのであった。ラビスがあの時お兄様がどうとか言って絡んでこなければこのような面倒な事態に陥ることもなかったはずだ。ラビスに指名されたアロイスは「あー、またか……」と呆れ顔をしていたし、スメルトはこの有り様である。相手が恐ろしい羅刹でなければナラカもガツンと言えた━━━━かもしれないが、相手があのラビスなのでナラカも黙っているしかない。出来ることと言えば彼の鼻の頭に大きな吹き出物でも出ますようにと呪……祈ることくらいだ。

(ルタさんはまだ回復しないしアロイスさんは何だか疲れてるみたいだしスメルトさんは引きこもりになっちゃうし……。元気なのは私とアリックさんくらいだよ全く)

本日何度目になるかわからない溜め息を吐いてから、ナラカはキラナの部屋へと入る。相変わらず物という物が散乱していて汚いことこの上ない。彼女の部屋を見てからナラカも反省してちょこちょこと部屋の掃除を始めたくらいである。反面教師とはまさにこのことだ。

「失礼します」

ひょいひょいと慣れた足取りでキラナの私物を避け、ナラカはいつも食事を置いている机に昼食の乗せられた盆を置く。キラナがどのような曲者であれ、いつも食事は完食してくれるので運搬するナラカとしてはありがたい。空になった食器の乗った盆を持ってナラカが部屋を出ようとした━━━━ところで、がたりと後方から物音が聞こえてきた。

「……ねぇ、ちょっと」

壁からそっと顔を出しているのは案の定キラナである。何かに怯えるように此方を警戒しながら、キラナはナラカに語りかける。

「……あ、あんた……少し、時間とかもらえたりする……?」
「は、はぁ……構いませんが……」
「そ……そう。じゃあ、こっちに来て……」

そう言うと、キラナは寝所になっているらしい奥の部屋へと引っ込んでしまう。こっちに来て、と言われたまでは良いが道のりはけっこうな悪路である。ナラカは盆を置いてから、様々なものを一生懸命避けながら何とかキラナのいるところまで進んでいった。変な姿勢になったせいか少し関節が痛い。明日筋肉痛になっても可笑しくはないだろう。つくづくキラナには掃除をして欲しいものだと思う。
とにもかくにもキラナの寝所にたどり着いたところで、ナラカはどうしたものかときょろきょろ辺りを見回す。玄関口よりはまだ綺麗……とは言え散らかっている室内である。椅子はあるものの足元に広げてある私物の山のせいでたどり着いたとしても座るのは難しそうだ。そんなこんなでおろおろしていたナラカを見て、寝台の上に体育座りをしていたキラナはちょいちょいと手招きをした。

「……多分、座るところないから。こっちに座って良いよ」
「あ……ありがとうございます……」

以前にもこんなことがあった気がするが、あの時とは安心感が違う。キラナがだらしない人間であることをナラカは否定しないが、いっしょにいる上で命の危機に瀕することがなさそうという点では誇って良いと思った。スメルトのことも嫌いな訳ではないが、彼はなんというか、色々と型破りなので常に身構えていないといけない気分になる。とりあえずいきなり近付くのは相手を怖がらせそうなので、ナラカはキラナから少し距離を置いたところに座ることにした。

「そ、それで、さ……。今、旧アーカム領で反乱軍とか、興ってるんでしょ……?」

しどろもどろになりながらキラナが切り出したのは、現在ティヴェラを脅かしている反乱軍についての話だった。たしかにアーカム王国の元王女のキラナが、かつての故郷で動乱が起こっているとなれば気にしない方が不自然だろう。特に誤魔化すべきことでもないので、ナラカはこくりとうなずいて肯定の意を示す。

「そ……それって、もしかして、うちの義弟……を名乗る奴が、首謀者だったりするの……?」
「詳しいことは私にもわかりませんが……でも、けっこうな数の拠点が落とされていると聞いているので、ただ者ではないと思います」
「そ、そっか……そうよね……」

ナラカが耳にしたのはあくまでも噂程度のことである。だから確証を持ってキラナに伝えられることではない。キラナもそれを理解しているのだろう、特に追及はしてこなかった。

「あの……もし、もしもよ?その反乱軍……が、王宮に乗り込んできたり、ティヴェラの要所を奪いまくったりしたら……。あたし、殺されると思う?」
「……え?」
「いや、仮に、仮にの話よ?その……あたしは一応、生存が明らかになってる唯一のアーカム王家の人間だから……。なんかこう、酷い目に遭わないか、不安で……」

段々と細くなっていくキラナの声を聞きながら、ナラカは内心で彼女に同情した。自分の故郷の者たちが蜂起したのだ、その被害を被るのは必ずしもティヴェラの関係者だけではない。部外者のナラカが何かを言うことは出来ないとわかっているが、今は恐怖に震えるキラナを何とかして励ましてやりたかった。

(えっと……こういう時って何て言えば良いんだろう……)

あたふたと脳内で良さげな言葉を考えてみるが、どれもこれもナラカの思うような出来にはならない。とりあえず何も言わないよりはましかと、ナラカはキラナに向き直る。

「あ……あの!部外者の私が言うのも何なんですけど、その……。あなたは、きっと━━━━」
「━━━━安心するが良い、小姐(お嬢さん)!御身を危険には晒させないとも!」

その声はあまりにも突然聞こえてきた。そのため何も予期していなかったナラカとキラナは二人して「ぎゃーっ!?」と可愛くない絶叫を離宮に響かせることとなってしまった。

「な、何だ?いきなり大きな声を出すな、此処は離宮だぞ?」
「あ、あんたこそいきなり天井から下りてくるんじゃないわよ!そもそも誰よあんた!?」

至極真っ当なことを言いながら震えているキラナに戸惑っているのは、先程天井から下りてきた少女━━━━紫蘭だった。吃驚こそしたものの現れたのが彼女でナラカは内心ほっとしている。紫蘭なら天井から現れても可笑しくはない━━━━いや、天井から現れる時点で色々と可笑しいのだが、そこら辺は保留しておこう。ともあれ不審者ではなく一応知り合いの部類に入る人間だったので、ナラカとしては一安心である。

「お、落ち着いてくださいキラナさん。この人はたしかに怪しいかもしれないけど、でも大丈夫です。一応私の知り合いです」
「一応とは何だ一応とは!私たちは紛れもない知り合いだろう!?」
「……なんかよくわからないけど、変な奴だってことだけはわかったわ……」

きゃんきゃんと子犬のように反論する紫蘭にキラナが呆れ顔をするのも無理はない。紫蘭は本当にこの調子で隠密をやっていけていることが素晴らしいと思う。恐らくアリックなら痛烈な皮肉でそう評価することだろう。

「とにかく、だ!ナラカ、私は貴様に用があって来た。特に急ぎの用事がないならば、早急に大姐の家まで戻るが良い!」
「わ、わかりました……」

とりあえず紫蘭がナラカを呼びに此処までやって来たようだったので、ナラカもそれに応じることにした。キラナを置いていくのはどうかとも思ったが、彼女の用件はもう済んだようでごそごそと寝台の中に潜り込んでいる。ナラカが言えたことではないが、たまには運動でもして欲しいものだ。そんなことをぼんやりと考えながら、ナラカはキラナの寝所を後にした。

1ヶ月前 No.242

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

紫蘭に言われて薬師の住まいへと戻ってきたナラカであったが、玄関を潜った瞬間に厄介事の気配を察して硬直してしまった。ぴしり、と石像のように固まったナラカを見て、室内にいたアリックが焦る。

「な、ナラカ殿!お気持ちはわかりますが、とりあえず中に入りましょう……!」
「そ……そうですね……」
「…………」

無言で睨み付けてくる硬直の元凶━━━━エステリアと目線を合わせないようにしながら、ナラカは扉をばたんと閉める。何故此処にエステリアがいるのか。彼女は今まで何処に行っていたのか。そして何故エステリアはハルシャフといっしょにいるのか。疑問は尽きなかったが、それを問うだけの勇気がナラカにはなかった。そのため、縮こまるようにしながら空いている席に座るしか出来なかったのだ。

「……それで、あの……一体、これは……?」
「……あー、なんつーか、話せば長くなるんだけどな……」

アロイスの表情から、今回の一件は決して容易いものではないということをナラカは瞬時に理解した。恐らく面倒事であろう。そんなナラカとアロイスの疲れきった表情を見て、あたふたとするのはハルシャフだった。

「あ……ご、ごめんなさい。わたしが、せつめいするの、うまくないから……」
「は、ハルシャフさんは悪くないと思います……多分。それよりも、まずはご用件を教えてくださいませんか?ね?」

なんとなくハルシャフがしゅんとした顔をしているとたいていのことは許してしまう。ナラカはもともと幼子と戯れるのが嫌いではないが、シャルヴァに来てからは半ば人外とも言えるハルシャフにもそういった部分が適用されるようになってしまった。顔立ちは憎いエルトにそっくりなので複雑だが、ハルシャフの人となりは嫌いではない。そのため一生懸命に何かをしようとしているハルシャフを相手にすると、自然と尖った気持ちも引っ込んでしまうのだった。
そんな二人のやり取りを見ていたのか、紫蘭がわざとらしくごほん、と咳払いをする。どうやら事の経緯は彼女が説明してくれるようだ。

「決して此処にいる人間……及び諸々の協力者以外には口外しないと誓うな?」
「は、はい……」

正直なところ、ティヴェラの王宮に知り合いらしい知り合いがあまりいないナラカに口外も何もないのだが、此処でぐちぐち言っているといつまでたっても終わらなそうなのでうなずいておくことにした。唯一の懸念はヴィアレだが、彼は今休暇を取っているので心配する必要はないだろう。

「……此処最近、旧アーカム領で反乱軍が興ったのは貴様も知っているな?」
「……はい。けっこう要所とか、攻め落とされてるんですよね?」
「そうだ。しかし、その反乱軍が興るきっかけとなった出来事を貴様は知っているか?」
「きっかけ……?」

紫蘭から投げ掛けられた問いかけに、ナラカは首を傾げる。きっかけ、と言われてもそれらしいものはいまいち思い付かない。反乱軍が唐突にティヴェラの要所を奪い始めたのではないのか。少なくともナラカはこれまでそのように考えてきた。

「うむ。実のところ、先に手を出してきたのは反乱軍ではない。奴等が進軍を開始する前に、ティヴェラが旧アーカム領の集落という集落を襲撃していたのだ」
「な……っ!?」

首を横に振った紫蘭から飛び出てきたのはあまりにも衝撃的な言葉だった。旧アーカム領のほとんどの集落が、ティヴェラ軍によって襲撃された。その事実は少なからずナラカに衝撃を与えることとなった。いくらティヴェラに報復しようとしているエルトが憎いとは言え、旧アーカム領はこれまでナラカが生活してきた場所である。袂を別ったと言えども、旧アーカム領に戻ったと思われるノルドやリリアの安否が心配でならない。

(ノルドさんやリリアさんは無事なんだろうか)

いくら“選定の儀”で羅刹に打ち勝ったとは言っても、それはあくまでも一対一での話である。彼の武才を知っているナラカも、一国の軍隊と戦ってノルドが圧勝出来るとは思えなかった。そんなナラカの内心を紫蘭が知るはずもなく、彼女は淡々と続ける。

「……その情報は恐らく国民にも……そして我々にも開示されていなかった。隠密部隊だけではない。宰相殿でさえも、ティヴェラが旧アーカム領を襲撃したことを知らなかったのだ」
「宰相殿……って、アドルファス様でさえも、ですか……!?えっ、でも、そうしたら、誰が……」
「……それを調査するために私たちが動くことにしたのだ」

一気に雪崩れ込んでくる情報にてんやわんやとしていたナラカの言葉を遮ったのは、これまでずっと黙っていたエステリアだった。彼女は端麗な顔を仏頂面一色に塗り固めつつ、絞り出すような声音で言う。

「私は……私は、あの日の屈辱を決して忘れはしない。そうだ、かの勇士……ノルディウスは必ず我が手で殺すと決めたのだ。……それだというのに、何の前触れもなく旧アーカム領が襲撃されたと来た。これではノルディウスを殺せなくなるやもしれんではないか……!私の……私の手で、ノルディウスを……!」
「待て待てエステリア、どうどう」

危なく感情が昂りそうになったエステリアを手慣れた手つきで鎮めるアロイスは流石としか言い様がない。エステリアもアロイスの言うことには従うのか、相変わらずむすっとした表情のまま大人しくなった。かつて堺で南蛮の商人が虎を上手く操っていたのと今の光景をついつい重ね合わせそうになり、ナラカはいかんいかんとその考えを頭から追いやった。

「と……とにかくだな。私たちは宰相殿のご命令で、あくまでも内密に此度の一件について調査を進めることにした。これが首謀者に知れたら私たちだけでなく、宰相殿まで消されかねんからな。そこで貴様らに助力を願いたく思って此処まで来たのだ」
「は、はぁ……。しかし、何故私たちに……?」
「決まっているだろう。宮廷薬師は中立の立場を取る。何処からも干渉を受けることがないからな。協力者にはうってつけだろう?」

とりあえず、紫蘭の中でナラカたちは既に協力者……ということになっているらしい。たしかに旧アーカム領が絡んでいるとなったら放ってはおけないが、果たして自分に出来ることはあるのだろうか。それにアロイスやアリックの賛同も得なければならない。直接問いかける訳にもいかなくて、ナラカは自信無さげに二人の顔を覗き見た。

「……まあ、あの宰相殿の頼みなら仕方ねぇな。反乱軍ってのも気になるし……俺は構わないぜ」
「私も同感です。きっとこれはある種の陰謀に違いありません。それは決してあってはならないことです。もしも父上が絡んでいた時のこともあります。私もお手伝いさせてください」
「……えぇ……」

割りと常識のある二人のことなので、紫蘭の要請に此処まであっさりと賛同しないと思っていたナラカとしては吃驚である。思わず間の抜けた声が出てしまった。

「ナラカ殿?」
「あっ、いや、何でもないです私もお手伝いします」

一瞬アリックに首を傾げられて、ナラカは慌てて誤魔化す。ちなみに、横を向きながらアロイスが吹き出すのを堪えるかのように小刻みに震えていたのは此処だけの話である。

1ヶ月前 No.243

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

「そもそも……ティヴェラの王様とは、どのような方なんですか?」

話が始まる前に、ナラカはまずこれだけは聞いておこうと思って挙手をした。ティヴェラのことを語る上で、現在の王のことを知らないとなれば色々と問題が生じるだろう。さすがに皆に置いてきぼりにされるのは辛いので、此処は勇気を振り絞ってみた。

「ええと……たしか、クルーファ殿、というお名前でしたよね?」
「お、アリックは知ってるのか。そう、今のティヴェラの国王陛下のお名前はクルーファ様っていうんだ。かれこれ即位なさってから20年くらいは経つんじゃねぇかな」

ナラカに続くようにして発言したアリックにうなずいたのはアロイスである。即位してから20年、となると、けっこうな治世である。尤も、ナラカの故郷である日ノ本では下克上の風潮もあった上にしょっちゅう権力者が変わることもあったから、20年も同じ国を治めている君主というのは珍しいものなのである。

「では、その……王様はそれなりにお年を召していらっしゃるのでしょうか?」
「いや、そうでもなかったはずだぜ。たしか先王はなかなかお子が生まれなくて、陛下がご生誕なさった時はかなり高齢だったからな。陛下が即位なさったのはまだ20にも満たない頃だったと思うぜ」
「そ……そうなんですね」

とりあえず現時点での王であるクルーファは其処まで高齢という訳ではなさそうだ。ナラカは頭の中でクルーファの名前を何度も繰り返して忘れないようにしておく。もしもティヴェラの国王の名前を間違えたなんてことになったら不敬にも程がある。ティヴェラ以前にシャルヴァ出身ではないナラカだが、一応働かせてもらっている身分なので文句は言えない。
前置きが長くなってしまったので、ナラカはもう大丈夫だと伝えようと紫蘭に目配せをした。彼女も別に苛立っている訳ではなさそうだったので一安心である。紫蘭が理不尽に怒り出す類いの人間でなくて良かった。

「まず、だな。此度の一件において、何よりも怪しいのが“旧アーカム領への襲撃を知っている者がほとんどいなかった”ということだ。私が知ったのは宰相殿から伝えられてのことだし、その宰相殿は旧アーカム領におけるかつての都……すなわちアーカムの王宮を改築した東の砦の兵士からの伝令で襲撃が行われたことについて知ったらしいからな」
「おいおい待ってくれ、なんでわざわざ旧アーカム領の兵士が、しかも襲撃の行われた後に伝令なんて送るんだ?撹乱にしたってそれはないだろ」
「……恐らく、その砦の兵士たちは襲撃に参加してはいなかったのだろう。実際に、襲撃があった当時に出兵したという砦はひとつもない。第一、そうであれば旧アーカム領の住民たちも襲撃に気づくはずだ」

アロイスの問いかけをエステリアは静かに否定する。だとすれば、ティヴェラの軍部は襲撃の首謀者とは考えにくい。一体誰が、何のために襲撃などを行ったのだろうか。戦というものを知ってはいれど参加したことのないナラカは、この時点で頭がこんがらがりそうだ。

「しかし、軍部が動いていないのなら大々的な襲撃は出来ないのでは?個人で私有している兵士にも限りがあるでしょうし……。それに陸戦なら、少なからず行軍に時間がかかるものかと思いますが」

次いで疑問を口にしたのはアリックだった。もしも海戦だったのならどうにかなったのか、という突っ込みはやめておこう。きっとイングランド大好きな彼女のことだから、海戦の話を振られれば10年と少し前にイングランドがイスパニアを破ったことを鼻高々に話し始めるに違いない。斯く言うナラカも詳しい訳でもない欧州情勢の一端だけを覚える羽目になった。きっと日ノ本においてかのアルマダ海戦を知っているというナラカと同い年の娘なんて、そうそういないものだろう。
そんなナラカの回顧を余所に、アリックとは犬猿の仲の紫蘭が「気にくわないが貴様の言も一理あるな」と悔しげな顔をする。

「私も初めは何者かの私有兵の仕業かと考えていたのだが……たしかに其処ののっぽの言うことも筋は通っている。……羅刹、貴様はどう思う?」
「……伏兵を潜ませていた、とか……」
「えっ……でも、旧アーカム領って一部を除いて荒野が広がってるんじゃ……」
「かくすところ、ない……」
「む……そう言われてみればそうだったな……」

エステリアの意見についつい旧アーカム領に暮らしていた者としてナラカとハルシャフはついつい口を挟んでしまったが、別段咎め立てられることはなかった。どうやらエステリアはノルドや羅刹部隊などの特定の話題に触れなければ基本的に常識のある羅刹らしい。とりあえずエステリアの前でノルドの話をするのだけはやめておこうとナラカは決意した。

「むむむ……こうなると埒が空かないな、うん。まずどのようにして兵士を動員したかということは保留にしよう。多分この話だけで半日は費やせるぞ」

紫蘭としてもこの手の話題は結論までたどり着くことが出来ないと考えたのだろう。そう言って話題の変更を促してきた。たしかにわからないことで時間を取るよりも、別の話題に切り替えた方がよっぽど有意義である。

「ではそうだな……誰が此度の襲撃を画策したかということについて話し合おうではないか。これも非常に重要なことだと私は思うぞ」
「いや、何よりも大事なのはそれだろ」
「う、うるさいぞ!私だって色々悩んでいるんだ、少しは気遣えっ」

紫蘭にいきなり正論をぶつけるのはよろしくなかったらしい。ぽこぽこと音が出そうな勢いで紫蘭はアロイスに膨れっ面を見せる。こうして見ると紫蘭のことをどうしても闇に生きる隠密部隊の一人……としては見られない。隠密としての技量はあるのかもしれないが、やはり何処か抜けている。

「ふ、ふん。まあ良いだろう、君子は寛大だからな。今のは閑話休題ということにしておいてやる。━━━━して、皆は誰が首謀者だと考える?」

気を取り直してなのか、またしてもわざとらしく咳払いをしてから紫蘭はぐるりと周囲を見回す。自分で考えてはいなかったのか。ナラカはそう突っ込みたかったが我慢した。こういった推理というのは難しいものである。安易に答えを導き出せるものではない。現に、ナラカも今回の襲撃の首謀者は誰か、と問われたら頭を悩ませる他ないだろう。ナラカはあくまでも下働きという立場だし、そもそもシャルヴァの出身でもないから、ティヴェラの要人のことなどさっぱりわからないのだ。

「誰が、と言われましても……。私はティヴェラの内政などについてはからきしですし……。アロイス殿は如何様にお考えで?」
「俺!?んー、そう言われると難しいな……。今のティヴェラってぶっちゃけ末恐ろしいくらいに平和だからな……。軍事に関わってない奴等は皆平和ボケしてそうだし、陛下に敵意を抱く輩ってのもなかなかいないんじゃねぇのか?」
「……三年前から陛下の姿勢はがらりと変わったからな。不穏分子らしい不穏分子はほとんどが排除されたようなものだ」

三年前……というと、スメルトが首魁となって起こした反乱のあった年だろう。詳しいことはよくわからないが、その時にクルーファが妃や親族のほとんどをティヴェラの王都から追放したということはナラカも知っていた。残された王族はティルアとルタのみらしかったが、ティルア亡き今はルタただ一人となっている。

「……でも、その場合の不穏分子って、あくまでも王様にとってのものですよね」

ぽつり。それはナラカの何気ない呟きだった。しかしああでもないこうでもないと議論を交わしていた一同からしてみれば、それは鶴の一声にも匹敵するものだったのだろう。一斉に皆の視線がナラカへと集まる。

「……どういう意味だ?」
「いえ、その……あまり役立つものではないかもしれないんですけど、もしかしたらそういうこともあるかなって……」
「憶測でも構わん。話せ」

ぎろり、とエステリアから鋭い視線を向けられたナラカは思わず竦み上がってしまうが、他でもない彼女から急かされて話の中心に躍り出ることになった。一同の視線を浴びて少なからずナラカは緊張したが、黙っていても始まらないのでおずおずと口を開く。

「あの、これはあくまでも私の憶測というか、仮説に過ぎないんですけど……。もし、もしも、三年前に王族という王族を追放したのは、自戒のためではなかったのだとしたら……。それは、もしかしたら王様でない人の企みなのではないかと、私は思ったんです」
「陛下以外の人物の企み……?」
「えっと、例えば……王様の周りの方々を排除することで、王様を傀儡として自分の思い通りに政を進めるとか、やろうと思えばそういうことも出来ますよね?だから、首謀者は三年前からずっと王様の傍にいて、要職を歴任してる方な好き勝手にやったことなのではないかな……なんて考えたんですが……」

上手くまとまらないままに言いたいことを口にしてしまったので所々しどろもどろになったナラカだったが、ふとエステリアの顔を見て発しようとしていた言葉のほとんどが吹き飛んだ。その時のエステリアの顔と言ったら、筆舌に尽くしがたい程の憤怒と確信に満ち溢れたものだったのだ。

「わかった……全てがわかったぞ……!首謀者はあの男だ、あいつしかあり得まい……!」
「な、何かわかったのか……!?」

エステリアのかもし出す凄みに圧倒されながらも、何とか問いかけるのは紫蘭である。そのまま机を叩き割ってしまいそうな勢いで、エステリアは憎々しげにその人物の名前を口にする。


「此度の襲撃……あの不埒者━━━━ルードゥスの仕業に違いない……!」

1ヶ月前 No.244

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

話題に上がったルードゥス、という人物のことをナラカは知らない。そもそもナラカが知っているティヴェラの重鎮といったら、宰相のアドルファスくらいのものである。怒りを滲ませているエステリアには申し訳ないが、まずはルードゥスという人物について聞いておかねば始まらない。

「あの、ルードゥス……というのは?」
「何だ、貴様知らないのか?ルードゥス殿といったら陛下の補佐官をなさっているお方のことだぞ」

怒りに震えているエステリアの代わりに答えたのは紫蘭だった。補佐官、というと宰相とはまた違った役職なのだろうか。いまいち役職はわからなかったが、とりあえずナラカはそのルードゥスという人物は偉いのだということを把握した。

「すごいひとなの?」
「凄い……のだろうか。気づいたら陛下の傍にいて、いつの間にか出世していた……というような形で現れたのがルードゥス殿なのだ。正直なところ、出自も何もわからない」
「隠密部隊なのに、ですか?」
「く、貴様に言われると無性に腹が立つな……。嗚呼そうだ、私たちでさえも知り得ないとも。多分大姐辺りなら知っていても可笑しくはなさそうだが……とにかく、ルードゥス殿の個人情報は恐ろしい程に謎の中なのだ。こればかりは私にもどうにも出来ない」

相変わらずアリックに煽られてはいたが、それでも噛み付いてこないということは、紫蘭は本当にルードゥスの素性を知らないのだろう。知らない間に現れて、いつの間にか出世していた人物。ナラカはそのルードゥスを知らないが、どう考えたって怪しすぎる。

「では、そのルードゥス殿という方はどのような人となりをしていらっしゃるのですか?いくら個人情報をうやむやにされていると言ってもその程度はわかるでしょう」
「貴様私のことを馬鹿にしているだろう!?隠密部隊を舐めるなよ!?……いや私はかなり隠密に向いていないと大姐から言われたが、私の武術にかかれば貴様など粉塵に帰すぞ!?」
「……粉塵はさすがにあり得まいが、この者の武術が並々ならぬのは事実だ。現に私はこの者によって伸びたことがあるからな。あまりからかうのは薦めない」

犬猿の仲とはこのことなのだろう、この状況でも対立しているアリックと紫蘭だったが、此処でエステリアが苦々しげにアリックを諌めた。その情報にナラカは吃驚する。あのエステリアを気絶させるなどという芸当が出来るものなのか。やっぱり隠密には向いていないだろうが、実力だけはあるということなのだろう。
驚いているのはナラカだけではないらしく、ハルシャフも童子のように瞳をきらきらとさせていた。心なしか尻尾もぶんぶんと振られている気がする。

「すごい!あなたは、つよい!」
「はっはっは、そうであろうそうであろう!我が祖国、中華の武術にかかれば羅刹も化け物も怖くないわ!その気になれば一撃必殺、だ!」
「あれ、でもお前たしかアリックにぶちのめされてなかったか?」
「そ、その件は忘れろ!大体な、此方が動く前に足掛けしてこられては元も子もないだろう!あれは武術じゃあない、賊の荒業だ!」
「何をおっしゃっているのか、私にはとんと理解出来ませんね。たしかにイングランドはかいぞ……ごほん、海軍に力を入れていますが、それはそれ。紳士淑女は各々で護身術を嗜むものなのです」

とにもかくにも、このまま力関係を表すとアリックが最強ということはわかった。改めてナラカはイングランドの強さと恐ろしさを思い知ると共に、何だか自分以外の人物全てが同じ人間だとは思えなくなってきた。まあ、うち半数は人間ではないのだが。

「話を戻そう。ひとまずルードゥスを警戒しておいて損はないと思う。彼奴は己の快楽のためなら何だってするからな」
「そ……それほど危険な方なんですか?」
「……彼奴は危険などという言葉では足りない程の気違いだ。常人が躊躇うようなことを彼奴は素面でやってのける。人間を人間として見てはいないのだろうよ。たとえ敵国の人間であっても、彼奴の手にかかったというのなら不憫でならない。……そう私に思わせるだけの外道だ」

……とまあ散々な酷評である。ナラカはこの数分で、エステリアがルードゥスに抱く猜疑心というか警戒心というか、とてつもなく深い負の感情を垣間見ることが出来た。一体どれほどの悪事をしでかしたのならこのような評価を与えられることになるのだろうか。ルードゥスが何をしたかなんてナラカにはわからないが、今の会話で出来ることなら彼とは関わりたくないと思うだけの威力はあった。

「とにかく……今のところはルードゥス殿を警戒する、ってことで良いのか?」
「うむ。あの方は本当に何なのかわからないからな。陛下も何故あのような素性の知れない者を傍に置いているのか……と言いたいところなのだが、少なくともルードゥス殿は私たちよりよっぽど格上故、私には何とも言えん。それに素性の問題で言ったら、宰相殿も人のことを言えないからな」
「え……アドルファス殿が、ですか?」

紫蘭の言葉の中に思わぬ人物の名前が出てきたことにより、ナラカだけでなくアリックも驚きの声を漏らす。何故アドルファスがこの話の中に出てくるのだろう。疑問を感じた地上出身の二人に気づいたのか、紫蘭は声を潜めて話を続ける。

「此処だけの話なのだがな。実は宰相殿も出自や素性ははっきりとしてはいないのだ。いつの間にか現れて、さも当然のように其処にいた。……まあ、宰相殿の場合、きっちりと政務に取り組んではくださっているのだが」
「そ、それって今回の襲撃云々以前に……色々と大丈夫なんでしょうか……」
「そう言われても、我等にはどうすることも出来ないのだ。全ては陛下のご意志だからな。陛下が追放でもしない限り、宰相殿もルードゥス殿もこの王宮を離れることはないだろう」

紫蘭の言葉に、ナラカはそうですか、と返すしか出来ない。自覚していたことではあったが、自分たちには何の権限もないのである。いちいち詮索したところで何かしらの問題が解決する訳でもない。ナラカはぐっと口をつぐんだ。

「とりあえず、我等だけでは色々と力不足だからな。王宮と繋がりのある外部の者たちに助力を頼んでおいた。それがこのハルシャフが所属する、ライオ・デ・ソル商会だ」
「ライオ・デ・ソル商会……というと、移動市場でよくお世話になっている彼処ですよね?」
「うん。フィオレッロはいそがしいから、きょうはわたしがきた。いまはヴィアレもいる」
「ヴィアレさんが……?」

休暇を取っているというヴィアレ。彼がライオ・デ・ソル商会にいるというハルシャフの言葉を聞いて、ナラカは首を傾げかけた━━━━が、それはばたん、という扉の閉まる音によって遮られる。


「━━━━何の、話をしているのだ?」


壁に手を付けながら、ゆっくりと歩いてくるその少年。その声に、一同は純粋な驚愕を顔に浮かべる。まさか彼が自分たちの会話に混ざろうとしてくるなど、誰も予想だにしていなかったのだ。

「……ルタさん」

奥の自室で臥せっていたはずの、唯一のティヴェラ王家の血族━━━━ルタの姿を見て、ナラカは無意識のうちに、彼の名前を呼んでいた。

1ヶ月前 No.245

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

意外な来訪者であるルタに驚きを隠せていないのは何もナラカだけではなかった。この場にいる全員が、驚愕からその目を見開くなり、はっと手を口元にやるなどしていた。

「おいおい、出歩いて大丈夫なのか?今朝も気持ち悪いって言ってたっつーのに……」
「……問題、ない。休んだら、だいぶと楽になった。それよりも、皆が何を話していたのか、気になるのだが……」

自らの身を案じるアロイスに力なく微笑みを向けてから、ルタはその場にいる一同に視線を走らせる。どうやら此処で話していた内容が気になって出てきたらしい。もしかしたらハルシャフやナラカがヴィアレ、と口にしたのを聞いて起きてきたのかもしれない。理由が何にせよ、ルタが起きてきたことは意外であり、そして心配でもあった。

(ルタさん、ずっと体調を崩してるからな……。無理だけはしてほしくないけど……)

ふらふらとしながら椅子に座るルタをはらはらと見つめていたナラカだったが、それもつかの間、その横から発せられる射抜くような視線にびくりと肩を震わせる。ルタの隣に座っているエステリアが、凄まじい形相でルタのことを見つめていた。

「……おい、これはどういうことだ……」
「な……何か気になる点でも……」
「この幼子が、あの殿下だというのかッ!?」

アリックの言葉さえも遮るような、びりびりと空気を震わせる程のエステリアの声。これにはルタも身を竦めて、怯えるように自らの身体を抱き締めていた。エステリアからナラカでさえも恐れを抱いたのだ。近くにいたルタはその比ではないだろう。

「……たしかにこの方はティヴェラ王家の血を引いていらっしゃるルタ王子に他ならないが……。それの何が気に入らないっていうんだよ、エステリア」
「だって、だって、だって……!殿下は、“今年で齢18になるはずではないか”!」

しん、と。エステリアの言葉を聞くなり、その場は水を打ったように静まり返った。誰もがぽかんと口を情けなく開けたまま、脳内でエステリアの言葉を繰り返していたに違いない。そしてそんなはずはないと、そんなことはあり得ないと、何らかの否定の言葉を練り出そうとしていただろう。しかしその静寂を破ったのは、他ならぬ話題の中心人物━━━━すなわちルタであった。

「……俺はたしかに今年で18になるが……これには、事情があるのだ。驚くかとは思うが、どうか受け入れて欲しい」
「「「は!!!???」」」

ルタの言葉に対して、さすがにナラカとアリックと紫蘭ははいそうですかと納得することは出来なかった。いやこの三人でなくとも納得は出来ないだろう。18歳。18歳である。その言葉の重みといったら何に例えるべきであろうか。驚天動地とはまさにこのことだ。

「どっ、どどどどういうことなのですか!?るっ、ルタ殿が、18歳……!?」
「落ち着けアリック!」
「落ち着ける訳あるか……ありますか!ではアロイス殿は知っておられたというのですか!?」
「いや、まあ……最初に見た時から違和感は覚えてたけどよ……。少なくともご生誕なさった時と噛み合わない見た目だとは思ったが、ありのままを受け入れるしか……」
「ぎっ、疑問を持つことは大事だと思いますよアロイスさん……!」
「わたしも、そうおもう……!」

アロイスもこうは言っているが、苦々しい顔をしている辺り納得し難いのだろう。それでも目の前の現実を受け入れる姿は最早生贄に出されることを受容した乙女のようでもある。……いや乙女にしてはあまりにもごつすぎるという突っ込みはやめておこう。さすがにそれは野暮というものだ。

「じゅ、18歳といったら私よりもひとつ年上ではないか……!この、この見た目で、17歳……ッ……!」
「私と……あまつさえ同い年の殿方に……私は、私は……あーん、などと……!これでは、紳士を通り越して……ただの、お馬鹿……!」

とりあえず犬猿の仲の二人は阿鼻叫喚だった。たとえ生まれは異なれど、反応はよく似たものである。アリックと紫蘭には本当に申し訳なかったが、ナラカとしてはちょっと面白かった。それでもルタが18歳だということは、ナラカにとっても衝撃である。自分よりも年上の人間の頬を寝ている間につついて楽しんでいたとは、口が裂けても言い出せまい。そういった部分ではアリックに共感するしかなかった。

「……まさか此奴等、知らなかったとは……」

溜め息を吐いてこめかみを揉んでいるのは、爆弾発言をぶちかましたエステリアである。彼女も此処まで反響が及ぶとは考えてもいなかったのだろう。この地獄絵図を前にしてはさすがの羅刹も意気消沈する他ない。というか教える相手が悪かった。

「知る訳ないだろう!殿下はこんな、こんな、幼子なのだぞ!?まさか自分よりも年上などとは、夢にも思わぬわ!」
「気に食いませんが紫蘭殿のおっしゃることはよくわかります!このような……まるで天使のような可愛らしいルタ殿が、まさか18歳だとは……!」
「「天子のように可愛らしい!!??」」

思わぬところで共感し合っていたアリックと紫蘭に、ナラカもうんうんとうなずこうとして━━━━アリックの発言に紫蘭と共に驚愕することとなった。ガッ、と直ぐ様紫蘭がアリックの肩を掴む。

「きっ、貴様!たしかにティヴェラは王国だし殿下は王家の人間に他ならないが、天子様と比べるのはその、あれだろう!というか様を付けろ様を!貴様が何時の天子様を思い浮かべているのかは知らないが、よりにもよって可愛らしいなどとは、不敬にも程がある!」
「は、はい?」
「アリックさん、アリックさんの故郷の最高権力者はそうではないかもしれませんが……!私とか紫蘭さんのご先祖様の故郷にはですね、王様よりも上位の天子様なる存在がおわすのです!たしかにルタさんは可愛らしいですが、天子様と同等に扱うのはよろしくないかと!」
「えっ……?天使……様が、女王陛下よりも、上位……?」
「お前ら落ち着け、多分そりゃあ同音異義語って奴だ!」

混沌を極めてきた一同を諌めたのはまたしてもアロイスだった。恐らく此処からもっと悪化したら彼の胃が四散するであろう。……そうナラカが思う程度にアロイスは苦労人という言葉がぴったりであった。
とにもかくにも一同がだいぶと落ち着いたところで、アロイスはごほんと咳払いをする。そしてルタへと視線を戻した。

「……それで、だ。……殿下」
「……今まで通り、ルタで良い」
「……じゃあ、ルタ。お前はどうしてそんな幼い姿のままなんだ?ぶっちゃけ、俺が離宮に入る前のお前の姿を見た時よりも小さくなってる気がするんだが……」

アロイスからの問いかけに、ルタは少しの間口をつぐんだ。そうするだけの理由があるのだろうか。ごくり、と思わずナラカも唾を飲み込んでしまう。

「━━━━エステリア殿!エステリア殿!」

しかし、ルタの唇は突然薬師の住まいの扉が叩かれたことによって引き結ばれることとなる。ちっ、と小さく舌打ちをしてから、エステリアは乱暴に扉を開けた。外でエステリアを呼んでいたと思わしき兵士はびくりと身体を揺らしてから、エステリアに向けて一礼する。

「何用だ?何度も何度も騒がしい……」
「も、申し訳ございません……!ですが、これより緊急の軍議とのこと、急ぎ参られよとの伝令が……!」
「……そうか。ならば仕方あるまい」

エステリアは悔しげな表情を圧し殺すようにして、兵士に対応する。そして薬師の住まいを後にしようとして、一度だけ皆の方にくるりと振り返った。

「……紫蘭。後のことは、貴様に任せた」
「……わかっている。君子を舐めないことだな」

ふん、と誇らしげに笑む紫蘭を見たエステリアは、安心したように一瞬だけ表情を緩める。そしてそのまま、出ていく間際に扉を閉めていった。

「……さて。殿下の話も気にはなるが、こうなっては私たちも事を進めなくてはならないな」

エステリアたちの足音が聞こえなくなってから紫蘭はふぅ、と息を吐いて立ち上がる。そしてつかつかと、ナラカのもとに向かって彼女は歩を進めてきた。ナラカの前まで来た紫蘭は、外に漏れないようにするためだろうか、声を潜めてこう告げた。

「……ナラカ。貴様に任せたいことがある」
「私に……ですか?」
「嗚呼。これは恐らく、貴様に任せるのが適任であろう」

何故自分なのか。困惑を隠しきれずにいるナラカに、紫蘭は不敵に口角を吊り上げる。彼女の微笑みに、ナラカは胸のざわめきを抑えきれないままこくりと首を縦に振った。

30日前 No.246

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第42幕:西方から来る切り札】

ライオ・デ・ソル商会はティヴェラでも五本の指に入る程の規模を誇る商会である。そのため毎日客足が途絶えることはなく、閉店時間になると慣れていない従業員はたいていくたくたになっていた。ヴィアレもその一人である。一日中様々な仕事に従事するヴィアレは、いくら何日か同じことをしているからといってまだまだ慣れることが出来なかった。

「お疲れ〜、ヴィアレ。どう、仕事は?」

けろりとした顔で労いの声をかけてくれるのはエミリオである。彼は主に売り子を行ったり、お得意様の相手をしたりすることなどを仕事としていた。さすがに短期就労のヴィアレには任せられない仕事なので、エミリオとは別々の場所で働いているのだ。そのためこうして仕事が終わると、ヴィアレは疲れた顔をエミリオに向けざるを得なかった。

「我などまだまだ慣れぬ……。商人とは凄いものだな、これを生業としているのか……」
「えっへへ、まあね。でもヴィアレのこと、けっこう皆は褒めてるよ。よく働いてくれてるって、頭もご満悦みたい」
「そうなのか?それなら嬉しい限りだが……」
「せやでー!ヴィアレちゃんはようやっとるわぁ」

ぱしん、と後ろから軽く背中を叩いてきたのはフィオレッロだった。唐突な登場は彼の十八番である。これには段々とヴィアレも慣れてきた……ような気がする。

「たしかに仕事の出来る奴っちゅーのもごっつ大事や。せやけどな、ヴィアレちゃん。何よりも大事なのはお客様への真心や。たとえお客様を相手にせぇへん仕事であったとしても、お客様を第一に考える。それが一流の商人っちゅーもんや。ヴィアレちゃんはお客様のことを思って仕事しとる。その姿勢だけでな、商会の空気も良うなるもんやで」
「ふぃ、フィオレッロ……殿。か……かたじけない」
「━━━━それにヴィアレちゃんはごっつ可愛えしな!ヴィアレちゃんのおかげで従業員の元気もモリモリや!」
「……頭、本当に一言多いよね……」

でれでれと頬を緩ませるフィオレッロに、ヴィアレは苦笑いを浮かべ、エミリオはじっとりとした視線を送った。フィオレッロの子供好き……というか“年下好き”は誰もが理解するところである。ヴィアレのような、もう一人でも色々と出来るような年頃の人間でさえ、フィオレッロは可愛いと評価して愛でる。特にエミリオへの愛は並々ならぬもので、これにはエミリオや古参の従業員であるミリアムたちも少し引くくらいのものだった。いちばん年少であるティノは黄昏た表情で「気を付けな」とヴィアレに忠告してくる辺り、フィオレッロから最大の愛情を受けているのだろう。

(……まあ、悪い人間のようには見えないから、本当に幼き者たちが好きなのだろうが……)

たしかにフィオレッロの嗜好は多少歪んでいるものかとは思うが、それでもその愛情は決してひねくれたものではない。本当に自分よりも年下の人間が好きで、それを心から愛している。それは男女のそれというよりかは、親が子供に向けるものに近かった。……まあ、自分の親の顔を見たことがないヴィアレがこのように言うのは、いささか生意気かもしれなかったが。

「ま、ヴィアレちゃんが良う働いてくれとるっちゅーのはホンマや。これからも頼むで」
「頭、一応僕たちは短期就労だからね!ずーっとやってる従業員とは違うんだから!」
「はいはい、わかっとるわかっとる。せやけどな、エミリオ。今の俺にとっては、普通の仕事っちゅーのがありがたくて敵わんねん。ほら、もう少しで大々的な戦争が始まるかもしれへんやろ?」
「……うん、わかってるよ」

ぽんぽんとフィオレッロから頭を撫でられたエミリオは、途端に表情を曇らせる。彼の顔から笑顔が消えてしまう理由は、ヴィアレもよくわかっていた。

(あの時……エステリアがライオ・デ・ソル商会に乗り込んできた時に、紫蘭はそう遠くないうちにティヴェラと反乱軍との大々的な戦が起こるだろうと言っていた……。きっとこの商会も、ティヴェラのために物資を届けに行かなければならないのだろう。そうなったら、今までのような商売はしばらく出来なくなる……)

ライオ・デ・ソル商会はティヴェラの王宮とも懇意にしている。毎月移動市場に赴くのもそれゆえであり、また戦争となればティヴェラに協力しなければならない。商人だからといって、戦争に関わらないと言ったら嘘になる。フィオレッロはそのことを案じているのではないか。少なくともヴィアレはそう考えていた。

(……しかし……紫蘭はフィオレッロに、何か別のことを頼んでいるようだった。ということは、フィオレッロはただ物資をティヴェラ軍に届けるだけではないということか……?)

だが今になってよく考えてみると、あの時のフィオレッロと紫蘭のやり取りにはどうも裏がありそうな気がしてならない。隠密である紫蘭がわざわざフィオレッロに何かを頼んだのだ。普通の仕事でないことは目に見えている。実際に紫蘭はやらなければならないことがあるとか言って、ハルシャフを連れていってしまった。彼女の真意がわからないまま、というのはヴィアレにとっても非常に気になる案件である。一体紫蘭は、そして彼女の後ろについていると思わしきアドルファスは何を考えているのか。考えることはいくらでも出来るが、どうもしっくりくる答えに行き着くことは出来なかった。

「……ヴィアレ?どしたの?」

黙り込んだヴィアレを心配するかのように、ひょこりとエミリオが顔を覗き込んでくる。それに気づいたヴィアレは、慌ててそちらに意識を戻した。

「あっ、ああ、少し考え事をだな」
「何やヴィアレちゃん、困っとることがあるならいつでも頭に言うてくれてええんやで?」
「いやいや、多分頭に相談とかしたら━━━━ひいっ!?」

にこにこしながらヴィアレの肩を抱くフィオレッロにエミリオは苦笑いしようとしたが━━━━言い終わる前に顔を青くさせてフィオレッロに抱きついた。一瞬わかりやすくでれっと表情を緩ませたフィオレッロだったが、いけないと思ったのかすぐに表情を引き締めた。片手でエミリオを抱き寄せる辺りが流石フィオレッロである。

「な、何だ……!?」

ヴィアレとしても驚きを隠せない。何故なら近くの床からにゅっと手が伸びたかと思うと、ぱかりと其処が開いたのである。まさか床下から何か現れるのではなかろうか。不安に胸を押し潰されそうになりながら、ヴィアレははらはらと成り行きを見守った。


「━━━━っ、ぷはぁっ!やはり外の空気とはからっとしているな、からっと!」
「…………死ぬかと思った…………」


其処から出てきた顔は三つ。清々しい表情の黒髪の少女━━━━紫蘭と、ハルシャフ、そして青白い顔をしながら亡者にも負けず劣らずの虚ろな目をしたナラカであった。

29日前 No.247

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

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28日前 No.248

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

「…………と、いう訳なのだ」

ライオ・デ・ソル商会の休憩室でちゃっかり茶菓子をつまみながら、紫蘭はこれまでの経緯を一同に説明した。要するにティヴェラの王宮からこっそりと抜け道を通って此処までやって来た、ということである。

「はぁ……そら、大変やったなぁ……」
「全くだ。ナラカは暴れるしハルシャフは尻尾を引っ掻けるし餅蜥蜴とかいう小さいのに至っては蜘蛛をばりばり貪ってな。おかげでナラカがうるさくて敵わなかった」
「当たり前でしょ!!」

ばん、とナラカは半ば切れ散らかしながら机を叩く。ちなみに抜け道の蜘蛛を豪快に食べていた餅蜥蜴は、紫蘭の皿の茶菓子をナラカの皿に移動させる作業に熱を入れていた。おかげで手を付けていないナラカの皿には茶菓子がこんもりと山を作っている状態である。

「……ともかく、此処に来たっちゅーことは、“始まりそう”なんやな?」
「……嗚呼。思ったよりも早い。これは此方も本腰を入れなければ間に合わないだろう」

紫蘭の真っ正面に座るフィオレッロの表情は堅いものである。それだけの何かが、紫蘭との会話の中に秘められているということなのだろうか。事情をよく知らないヴィアレは、固唾を飲みながら二人の会話に耳を傾けるしか出来なかった。

「……ほんなら、俺らもそろそろ頃合いっちゅーことやな。……ミリアム、今から“あれ”、出せるか?」
「ええ、何時でも。うちらも準備は出来とります、頭」
「よっしゃ。なら話は早いな。……エミリオ、それにヴィアレちゃん。お前らも着いて来ぃ。見といて損はあらへんやろ」
「う、うん……」
「……わかった」

フィオレッロに促されて、一同はぞろぞろとミリアムの後に続く。ライオ・デ・ソル商会の建物は何といっても大きいことこの上ない。ミリアムはそんな中を慣れた足取りで進んでいく。彼女は普段限られた従業員しか入ることの許されていない、商品倉庫の中でも特に厳重に保管されているという一室の前で立ち止まった。そしてくるりと紫蘭に向かって振り返る。

「……ほんまに、こいつらを使いはるつもりですか?」
「……宰相殿がそう命じたのだ。私はそれに従うまで」

特に躊躇う様子もなく淡々と告げた紫蘭に対して、ミリアムは小さく肩を竦める。そしてその倉庫の扉にかけられていた閂に鍵を差し込むと重苦しい扉を両手で開けた。

「な━━━━!?」
「━━━━これは……!?」

その室内を見て、ヴィアレとエミリオは思わず驚嘆の声を上げ、ナラカははっと息を飲み込んだ。ヴィアレは“それ”がどのようにして使われるものなのかを知らない。ただ、それがかもし出す異様とも取れる雰囲気から、日常生活で使われるようなものではないということは察することが出来た。

「……何て数の、種子島……」

ナラカはというと、ぎゅうと自らの胸元を握りしめて驚愕を隠せないでいるようだった。詰まるところ、彼女の言うところの種子島━━━━火縄銃が、所狭しとその倉庫には保管されていたのだ。

「……ほう。やはりこれほどの数の鉄砲を有していたか。貴様らもなかなか悪どいことをしてのける」
「……褒めても何も出ぇへんで。そいつらを此処に封じ込めた先代はもう天に召されはったさかいな」

にぃ、と微笑む紫蘭に対するフィオレッロの返答は淡々としたものである。しかし此処でヴィアレの中に疑問が生まれた。このような場所で聞くのもどうかとは思ったが、知らないまま話が進むというのもよろしくない。そのため、近くにいたミリアムに声をかけることにした。

「ミリアム……殿、あれを持っていては何か不都合なことでもあるのか?そもそも、あれはどのようにして使う道具なのだ?」
「……え、ヴィアレさん、まさか知らないんですか……?」

訝しげな視線を投げてくるのはナラカである。そんな彼女を「まあまあ」と嗜めてから、ミリアムはヴィアレに向き直った。

「ヴィアレちゃん、あれはな、鉄砲っちゅー武器や。中に鉄砲玉を込めて引き金を引くと、玉が飛んで行って敵をぶち抜く。そういう使い方をする物やで」
「有名なのか?」
「そりゃあもう。外界ではよう使われとるで。剣や槍なんぞもこの鉄砲があれば怖くはあらへん。それくらい強くて、使いやすうて、貴重な武器なんよ」
「そ……そうなのか……」

ヴィアレはほとんど外界から隔絶された遺跡の中で育ってきた。故に、太古の神話で行われた戦いで使われている武器は知っていても、現在の地上で使われている武器についてはとんとわからない。今初めて目にした鉄砲━━━━詰まるところの火縄銃なる武器に、ヴィアレの興味はむくむくと鎌首をもたげていた。

「……しかし、このように隠すということは、ティヴェラでは種子島の所持を禁じる法でもあるのですか?」

次いで問いかけたのはナラカだった。種子島、というのは鉄砲の別名なのだろうとヴィアレは考えた。ナラカの射抜くような視線に臆することなく答えるのは、ミリアムではなくフィオレッロである。

「残念ながら鉄砲の所持を禁じる法はあらへんけど……せやけどな、お嬢ちゃん。今の国王陛下は、鉄砲みたいな近代的な武器を三年前から嫌ってはるんや」
「三年前から……?」
「せや。羅刹の反乱で国王陛下が王族のほとんどを追放したっちゅー話は有名やろ?あれと同時にな、国王陛下は王宮におった外界からの人間を悉く処刑し、国中の鉄砲という鉄砲を廃棄するようにっちゅーお触書を出したんや」

フィオレッロいわく、それまではティヴェラにも多くの外界からの人間が滞在し、王宮に進出する者もいたという。フィオレッロを拾った先代もその一人だった。しかし彼は王宮にまで行くことは叶わず、故にティヴェラの王都で仲間と共に商会を結成した。それがライオ・デ・ソル商会なのだという。当時戦争だ何だで旧アーカム領やその周辺のティヴェラ領は荒廃しきっており、フィオレッロも其処で先代に拾ってもらわなければ飢え死にしていたかもしれないとしみじみ語った。

「……おっ、話がずれてもうたな。ともかく、三年前の反乱までは国王陛下も外界の技術に肯定的やった。何でも、外界の……何やったっけ、ごっつ遠い国からやって来た使者を外交顧問にしはったらしくてなぁ」
「えっ、それじゃあ外界の方をすごく寵愛なさっているじゃないですか……!」
「……うちとしては複雑な気持ちやけどな。先代やうちの出身はイスパニアっちゅー国なんやけど、王様に取り入ったのはあのにっくきイングランドの奴でな……。あいつら、まさかこのシャルヴァにまで植民地を広げるつもりかっちゅー話やった」
「……イングランドの……?」

その国名にはナラカも覚えがあった。……否、最近は常日頃耳にするようになっていた。友人であるアリックが何よりも愛する祖国。それこそがイングランドであり、彼女が言うにはイスパニアさえも破った最強で最高の島国……とのことだった。イスパニアに近しいミリアムが顔をしかめるのもわかる気がする。

(……まさかね……)

アリックが探している父親の安否に関して、ナラカの中で嫌な予感が駆け巡ったが、ぶんぶんと首を振ってその考えを遠ざける。今は火縄銃についての話をしているのだ。余計なことを考えてはいけない。

「せやけど、三年前の反乱で国王陛下も気が変わったんやろ。あの人は外界の物全てを排除するようになった。多分この鉄砲を見よったら俺たちの商会は解散、ついでに俺は良くて牢獄、最悪首チョンパやな」
「そ、そんなのやだよ頭!どうしてそれがわかってるのに、こんなに鉄砲を隠してるの!?」

あまりにも軽々しく縁起でもないことを口にしたフィオレッロを、エミリオが涙目になりながらそう責め立てる。フィオレッロはそんなエミリオの頭をわしわしと撫でながら、「せやけどな、エミリオ」と続けた。

「こいつらは、先代が地上から持ってきたごっつ大事な物やねん。それを国王陛下の気まぐれか何かで失うっちゅーのは、俺たちにとっちゃ先代の築いてきた物を破棄するのと同じや」
「で……でも……!」
「それになエミリオ。この鉄砲には、大きな力があるんやで」

フィオレッロはエミリオを慈しみながら、子に昔話でも語るかのような口調でそう告げる。火縄銃に秘められた大きな力。少なくとも火縄銃の存在を知らなかったヴィアレにとっては、非常に興味深い話題であった。この未知の武器には、一体どのような力が秘められているのだろうか、と。恐らくこの中にいるほとんどの者が気になって仕方のないことだろう。
フィオレッロは手近なところにあった火縄銃を一丁手に取った。そしてそれをいとおしげに撫でながら、一同を嚇と見つめた。


「この鉄砲……及び外界の、文明の利器にはな……シャルヴァの五大を破壊する力があんねん」

27日前 No.249

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

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26日前 No.250

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【幕間:見下ろせし者は何を思う】


━━━━その曼荼羅は、全てを見下ろしている。

時は来たれりと誰かが叫ぶ。それに湧く者たちがいる。今こそティヴェラへの報復を、あの日の犠牲に鎮魂を。故郷を失ったアーカムの民たちは、たった一人の王子を掲げてシャルヴァ唯一の王国━━━━すなわちティヴェラに立ち向かう。水の精霊を従えて、神代の力を従えて。彼らは前へ前へと進む。全ては失ったもののために。自分たちから大切なものを奪い続けた、憎きティヴェラに一矢を報いるために。彼らは真っ直ぐ、ティヴェラの王都を目指して行軍を続ける。
祖国を護れと誰かが叫ぶ。それに応えんとする者たちがいる。烏合の衆なぞに我が祖国を侵させて堪るものか。10年前にアーカムという国は滅びた。それを蘇らせて何となる。シャルヴァを治めるたった一人の王を讃えながら、彼らは亡国の使徒を迎え撃つ。羅刹部隊を引き連れて、神代の残り香を引き連れて。彼らは後ろを振り返らない。全ては彼らの祖国の偉大なる王のために。唯一の理想郷を創り上げた、誇り高きティヴェラを守護するために。彼らは真っ直ぐ、いずれやって来る反乱軍を見据えて砦を構える。

「━━━━戦、か」

彼は見ている。進軍する反乱軍も、それを迎え撃とうとするティヴェラ軍も、どちらの側に立つこともなくただ見ている。彼にとって戦とは正直に言ってどうでも良いものであった。人間同士が争うことを悲観することもなければ、憐れむことも、小馬鹿にすることも、愉快に思うこともなかった。何の感慨も抱かず、彼はただ傍観するだけだった。どちらの味方に付くつもりもなく、どちらの敵になるつもりもない。彼にとって、国の興亡などとは些末なことなのである。たとえこれでティヴェラという国が滅んでも、新しい国が興っても、はたまたティヴェラが存続しても。彼の表情は変わらないだろうし、これからしようとすることにも何ら変化はないだろう。

「……そうだ、そうなのだ。我が目的は、未だ変わらず」

彼はあることだけのために生きている。その目的を達成すること以外、彼は興味がなかった。いや━━━━そもそも、“興味などというものを抱くことすらしない”のだ。何が美しくて何が醜いか。何が好ましくて何が恨めしいか。何が正しくて何が間違っているのか。彼にはそういった、物事を分別する心がないにも等しかった。皆無、という訳ではない。しかしあまりにも希薄なのである。それを問題だと思うことはなかったし、第一それで彼は長い間やってこれたのだ。今更どうと思うことはない。

「嗚呼━━━━この戦に、“あれ”はどう思うのか」

彼は思いを馳せる。離れたところにいるであろう、決して放り出せないある人物を、心の中に思い浮かべる。彼はこの戦争を厭うだろうか。それとも好ましいものとして受けとるのだろうか。いずれにせよ彼は構わない。その人物がこのシャルヴァにいるのなら、同じ地底に在るのなら、ただそれだけで良かった。
声が聞こえる。人が駆ける。その全てを彼は見ている。其処にいる人々が、何を胸に、何を思い、何を感じるのか。彼らの隅から隅までを、彼は傍観している。

革命を叫ぶ者がいた。
共に死ねると思える相手を見つけた者がいた。
戦など早く終われば良いと思う者がいた。
アーカムの再建を心から願う者がいた。
ただひたすら悦楽に耽る者がいた。
自分なりの正義を為そうとする者がいた。
興味本位で戦に手を貸す者がいた。
守りたい者を救おうとする者がいた。
己が武を極めんとする者がいた。
全てを擲つつもりの者がいた。
ある者と対峙したくてたまらない者がいた。
想い人の無事を祈る者がいた。
ただ一人の者と戦場に立ちたい者がいた。
大切な友の死を恐れる者がいた。
戦に身を投じる者たちを憐れむ者がいた。
自分の居場所を守らんとする者がいた。
過去の血腥さを忘れられない者がいた。
任務の遂行だけを心に駆ける者がいた。
あらゆる負の感情に怯える者がいた。
それら全ての思惑を識る者がいた。

彼と、地底を照らす曼荼羅は見ている。彼ら━━━━シャルヴァに生きる全ての人々の言動、そしてその生きざまを。

25日前 No.251

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24日前 No.252

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23日前 No.253

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ナラカが知る上で戦場に出る女というのは、何かよっぽどの事情があってのものか、はたまた男性と同じように育てられた、もしくは“男性として育てられた”ようなものであった。詰まるところ女性というものは戦場に出るような存在ではないのだ。ナラカが読んできた幾つかの歴史物語には女戦士が出ることもあったが、それもほんの少し、あくまでも両手の指で数えられる程度である。もっと本気になって探せば幾らでもいるのかもしれないが、少なくとも今はそんなことをしている場合ではない。

(この女……戦場を舐めてるの……!?)

要するにナラカは、目の前で腕組みをしている女性の立ち振舞いが信じられなかった。武士でも何でもないナラカとて、この女性の立ち振舞いだけは見過ごせない。まず鎧も何も装備しておらず、防御力のぼの字もなさそうな羽衣と天女のような衣服を纏っているだけ。この時点で兵士としては落第である。ナラカでさえも流れ矢などが飛んできたらいけないからと、簡素であるとは言え重い鎧を身に付けているのだ。そういった観点から見るとこの女性は戦場を舐め腐っているとしか思えない。

(それに……この状況で手ぶらって、本当に何考えて此処に立ってるんだろう……)

ナラカは最終的怒りを通り越して呆れてしまった。武人ではないナラカが文句を言うのは生意気かもしれない。だがこの女性に対してはたとえ口に出さずとも文句を言わずにはいられなかった。鎧も身に付けず、武器も持たず、緊張感すら非ず。エステリアのような生真面目な武人だったら激怒していそうだ。

「……貴様、何者だ」

紫蘭が女性に対して向ける視線は鋭い。しかし睨み付けられている女性に臆する様子はなく、むしろ紫蘭のことを鼻で笑う程度には余裕を保っていた。

「敵陣に飛び込んでくるような愚か者に、わざわざ名乗る名前なんてないわ」
「…………」
「大方、うちの首領を暗殺でもする心づもりでいたのでしょうけど……。でも残念、物事というのはそんなに簡単に成るものではないわ。人生経験が足りなかったようね」

紫蘭は何も言わない。ハルシャフも、そしてナラカも、目の前の女性の言葉に反応することはなかった。それは彼女に返す言葉がなかったからでも、彼女の言葉に怒り震えていたからでもない。

(━━━━囲まれた)

自分たちがとっくに反乱軍の兵士に囲まれていることを、この場の誰もが理解していた。紫蘭やハルシャフが何も言わないのも、きっとそれゆえであろう。はっきり言って絶体絶命の窮地である。
この場をどのようにして切り抜けるか。ハルシャフに抱き抱えられる形のナラカが言うのも何だが、現在最も重要なことはそれだろう。まさに四面楚歌、といった状態である。しかしだからといって自身の首をはねるような度胸をナラカは持ち合わせてはいない。というか、最終的に死にたくないから渋々此処に立っている(正確には抱き抱えられている)のだ。罷り間違っても自刎など出来るものか。

(……撃つ……ことは出来ない……。これはあくまでも五大に対するものだし……無闇に出して対策でも打たれたら堪ったものじゃない)

そんなことを考えている最中にも、反乱軍の兵士たちはじりじりと距離を詰めてくる。これはまずい、まずすぎる。何とかしなければ、とナラカが焦燥感に駆られたその時、これまで黙っていた紫蘭が口を開いた。

「……反乱軍とやらはもしや……人手不足なのか?」
「…………はぁ?」

唐突な紫蘭からの問いかけに、女性はわかりやすく呆気に取られた。そしてすっとんきょうな声を出した。だがすぐにごほん、と咳払いをしてから、また不敵な笑みをその整った顔に張り付ける。

「そんな訳ないじゃない。ばっかじゃないの。人手不足ならそもそも反乱軍なんて結成出来ないわよ」
「ふむ、そうなのか。……しかし、“貴様のような年増まで参加している戦”など、私はこれまでに見たことがないのだが」

ぴしり。そんな不吉な音が聞こえた━━━━気がした。ナラカはその言葉の意味合いを瞬時に理解したし、ハルシャフは「はわ……」とその容姿には似つかわしくない声を上げていた。
要するに、そう━━━━紫蘭は目の前の女性のことを、何食わぬ顔をして平然と煽ったのである。

「…………ちょっとあんた、それどういう意味よ」

女性の表情は見えない。不気味な程影になっていて、ナラカたちのいる場所からはその表情を窺い知ることは出来ないのだ。それでもナラカにはわかる。この女性は機嫌がよろしくない。むしろ怒りかかっている状態に近い。それに畳み掛けるかのように、紫蘭はにやりと口角を上げて彼女を煽り続ける。

「そのままの意味だが?……嗚呼、しかし、年増に加えてそのような馬鹿では嫁の貰い手もあるまい。これは完全に行き遅れたな。哀れなことよ」
「っざけんじゃないわよ、あたしは誰にも嫁ぐ気なんてないんだから!大体あんたこそそんなちんちくりんじゃあ男のひとつも出来ないに決まってるわ!」
「それはどうであろうなぁ?少なくとも私には若さがある。だが貴様にはそれすらもなかろう!貴様の生い先など見えたも同然!このまま配偶者に恵まれることもなく寂しい老後を過ごすのだろうよ!」

ぶちり、と。これは確実に何かしらの緒が切れた、とナラカは確信した。いや、よっぽどの馬鹿でもこれに気づかない者はいるまい。もしもいたのだとしたらそれはいっそのこと尊敬に値する。

「……っ、この……この……」

ゆらり、と女性の体が揺れる。びき、びき、と何かが凍り付くような音が頭上から聞こえてくる。━━━━否、凍り付くような、ではない。実際に“凍り付いている”のだ。何が。“このシャルヴァの空気の中に混じった、全ての五大”が。それらは女性の憤怒に呼応するかのように、急速に氷を形成していく。


「この━━━━小娘風情が、あたしを……“ニーラム”を愚弄するか!!」


頭上に生まれた巨大な氷の刃の鋒は、紫蘭、ハルシャフ、そしてナラカを狙っていた。鋭く尖ったそれは、彼らを貫かんと真っ直ぐに狙いを定めている。さながら、罪人を串刺しにするかの如く。

「……ナラカ!」

紫蘭が叫ぶ。ハルシャフが視線を送る。それらを五感で感じ取りながら、ナラカは手早く懐からあるものを取り出していた。

「……!?何、あれ……!?」

女性が驚愕の声を漏らす。純粋に驚いたのだろう、氷はまだ落ちてくることはなかった。それを聞かず、見向きもせずに、ナラカはふっと火縄に息を吹き掛けた。するとたちまち火縄に火が点る。━━━━これはナラカが火吹きの才に優れていた訳ではなく、事前にライオ・デ・ソル商会から“息を吹き掛けるだけで火の点る粉”をもらっており、それを運用しただけに過ぎない。五大を打ち砕く火縄銃にシャルヴァでしか作り得ない━━━━要するに五大の恩恵によって造られた道具を用いるのは皮肉なものだ、と粉を入れた瓶をもらったナラカは思った。

(……絶対に、間違っちゃ、いけない)

自身の心に言い聞かせながら、ナラカは銃口に手早く弾丸を装填する。諸々の作業を終えれば火蓋を閉め、目標を見定める。狙うはあの巨大な氷の刃。あれを砕かなければ、自分たちの命はない━━━━。

(私は……私は、死にたくない!)

ナラカは躊躇いなく火蓋を切り━━━━そして思いきり引き金を引いた。銃口はその動作に合わせて火を吹き、詰め込まれた弾丸は氷の刃に向かって飛んで行く。

「なっ……!?」

女性が目を丸くする。それも無理はない。ナラカの持つ短筒から飛んで行った弾丸は今にも落とされんとされていた氷の刃にぶつかり━━━━そして容易くそれを“氷塵に変えた”。打ち砕かれた氷塵は季節外れの雪か何かのように、きらきらと煌めきを放ちながら一同のもとに降り注ぐ。

「う……嘘……あたしの、五大が……!?」

ニーラム、と名乗った女性はわなわなと震えながら降り注ぐ氷塵を眺めていた。周りの兵士たちも同様に、恐らく初めて見る“上空から降るもの”を不思議そうに見上げている。━━━━その隙を紫蘭は見逃さなかった。

「━━━━刀片(ダオレン)!」
「……っ!?」

しゅ、と紫蘭の懐から投擲用の短剣が舞う。それらは反乱軍の兵士へと確実に突き刺さった。ニーラムへも飛んで行ったが、彼女に飛んで行った短剣は不思議なことに“刺さる前に凍り付いた”。

「……今だ、着いてこい!」
「……うんっ!」

しかしニーラムの目を此方から逸らさせるには十分過ぎる時間である。紫蘭はその瞬間をたしかに捉え、兵士たちの雑踏に身を躍らせた。囲まれていたのが幸いしたのか、彼らの姿はすぐに兵士たちの中に紛れた。

「あっ、この……!待て……!」

ニーラムは彼らを追おうとしたが、この兵士の数にはどうすることも出来ないとわかったのか憎々しげにその形の良い唇を歪ませた。その表情は、シャルヴァの五大を司る精霊のものにしてはとてつもなく人間臭いものに見えた。

22日前 No.254

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

どうやらニーラムとかいう女性を撒くことは上手くいったらしい。次々と襲いかかってくる反乱軍の兵士たちを手慣れた様子で捌いていきながら紫蘭はハルシャフを先導していく。そのほとんどを徒手空拳で倒しているのだから恐ろしい。

(……もしかして、紫蘭さんって性格を抜きにしたら割りと凄い人なんじゃ……)

その手際の良さは忍とも良い勝負が出来そうなくらいである。また火縄銃を使うときのために粉を擦り付けておきながら、ナラカは今更ながら紫蘭を見直した。これであの性格でなければもっと出世出来ていただろうに……と、紫蘭からしてみれば余計なお世話かもしれないがそんなことを考える。
しかしその紫蘭の表情はというとあまり冴えなかった。……というか明らかに晴れたものではない。彼女は敵兵をある程度捌くと、さっと向かう方向を変える。しばらく走ったところで紫蘭はちょうど近くにあった小さな拠点のような場所へと飛び込んだ。恐らく簡易拠点、というものだろう。此処はティヴェラ軍が造ったものなのか、紫蘭たちが転がり込んできても特に何も言われることはなかった。

「……くそ、しくじった……」

補給だ何だでばたばたとしている拠点の兵士たちを余所に、紫蘭はぐったりとその場にしゃがみこんだ。その表情には明らかな疲労と後悔が広がっている。

「し、しくじったって……。でも私たち、敵を撒けたじゃないですか」
「……たしかに、それはそうだが……。しかし反乱軍があの女を味方に付けているのは予想外だった。おかげで来た道を戻るはめになったぞ……」
「え、あの人って凄い方なんですか……?」

たしかに物凄い五大の使い方をしていましたけど、とナラカは付け加えて紫蘭に問いかける。すると彼女だけでなく、ナラカを抱えていたハルシャフもさっと顔色を青くした。

「す、すごい、とかじゃない……!」
「そうだぞ!ニーラムと言ったらこのシャルヴァの五大を司る精霊の一柱だ!」
「せ、精霊っ……!?」

突然飛び出てきた衝撃的な単語に、ナラカも驚きを隠せない。精霊、たしかに精霊と紫蘭は口にした。精霊と言えば、以前“森の民”の森に赴いた際に出会ったテララが良い例である。性別もはっきりとせず、作り物めいた美しさのテララが精霊というのはすんなりと受け入れることが出来た。しかし、紫蘭からの挑発にあっさり乗ったり、彼処までむきになって大掛かり過ぎる五大の使い方をしたりと、ニーラムはあまりにも人間臭い。精霊というものは人間の営みからは超越したある意味孤高の存在━━━━という印象がナラカにはあった。

「つ……強がって精霊の名前を騙っているとか、そういった線はないんですか?」
「ある訳ないだろう!あの五大の使い方だぞ!?あんな使い方をしたら普通の人間はとてつもない疲労感を覚える!私たち如きにぶつける威力ではないのだからな!」

紫蘭の焦りようからして、ニーラムが精霊であることはシャルヴァの生まれではないナラカにも理解することが出来た。とりあえず内面はどうあれ、力量はテララのものと似たり寄ったりということなのだろう。紫蘭の挑発にまんまと乗せられていた彼女の姿は精霊らしからぬものであったが、中にはああいった精霊もいるものだ……とナラカは思うことにした。正直なところあまり信じたくはなかったが、周りがこう言うのだから仕方あるまい。

「何にせよ、ニーラムを味方に付けているとなると厄介だな……。私たちとしてもあまり大々的に行動は出来ない」
「でも、かくれるばしょ、ないよ?」
「それが何よりの問題なのだ。身を隠す場所はいちばん近くてこの拠点だからな。出来ることならティヴェラ軍にはもう少し進撃して欲しいところなのだが……」
「━━━━敵襲、敵襲だ……!!」

そう言いかけた紫蘭だったが、突如響き渡った怒号に二の句を次ぐことを阻まれる。休憩のつもりなのか、ナラカを抱えたまま腰を下ろしていたハルシャフも急いで立ち上がった。それゆえにぐらぐら揺れながらも、ナラカはハルシャフにしっかと掴まって辺りを見回す。

(嘘、もうこんなところにまで進軍してきたって訳……!?)

まさかニーラムが逆恨みして追いかけてきたのではないか。そんな不安を胸に、ナラカは冷ましていた短筒を外套の影に隠す。出来ることならこの存在はあまり露見しないようにしておきたい。

「なんて進軍の速さだ、まさかあの精霊ではあるまいな!?」
「ち、ちがうみたい……!」

紫蘭もナラカと同じように考えたようだが、彼女の言葉はハルシャフによってすぐに否定された。彼に持ち上げられているナラカも、時を待たずして彼の言葉が真実であることを知ることになる。

(あれは……反乱軍の兵士……!?)

反乱軍の兵士、と言っても皆が皆同じような格好をしている、という訳ではないらしい。先程戦場で見かけた兵士たちと、現在簡易拠点を襲撃している兵士たちは明らかに違う格好をしていた。それも、皆の格好が揃えられているという訳ではなく、一人一人の格好がそれぞれ違っている。言っては何だが、見た目からしてみれば烏合の衆に近い。

「別動隊か……!?ふん……まあ良い、敵であるなら同じこと!……ハルシャフ、貴様は出来るだけ下がっていろ!恐らくこいつらは五大の恩恵を用いることはあるまい、いざというときのために温存しておけ!」
「わ、わかった!」

そう言うなり紫蘭は襲いかかってくる兵士たちを相変わらずの徒手空拳で撃破していく。彼女はどちらかと言えば武器を使わない方が性に合っているようだ。隠密としては異色である。まあ、明には伝統的な武術があるとナラカは聞いたことがあるので、そこら辺の血を引く紫蘭がそういったものに精通していても可笑しくはないと考えた。

(明ってなんかそういった徒手空拳の武術とか発達してそうだし……。こんなことなら私も一応護身術とか習っておけば良かったのかなぁ……)

今更ながら自分の非力さ加減にナラカは腹が立ってきた。ずっとハルシャフに守られたままというのも情けない。下ろされたところで何も出来ないのが余計に腹立たしい━━━━。


そう思っていた最中に、ナラカの体は宙を舞っていた。


何が起こったのか、さっぱりわからなかった。ただ、嗚呼、私は浮いているという実感だけがあった。しかしぼんやりとしていられるのもほんの一瞬のことで、次の瞬間にはナラカの肢体は地面に叩きつけられていた。何とかして受け身を取ろうとしたものの、ナラカにそういった経験はないために前転する形になってしまう。

「は……はやく、にげて!」

後方から聞こえてくるハルシャフの声を聞きながら、ぐらぐらと揺れる頭を何とか押さえてナラカは立ち上がろうとする。一体何が起こったというのか。ナラカはまだはっきりとしない視界の中、慌てて周りをきょろきょろと見回してみた。


「━━━━ほう、これが伝承に聞くナーガか。聞いた通り、気に食わん顔をしている」


ハルシャフに刃を向ける青年。その敵意に満ちた視線の持ち主が敵か味方か。瞬時にどちらかを理解したナラカは、その凍てつくような眼差しに皮膚が粟立つのを感じた。

21日前 No.255

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20日前 No.256

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【第44幕:絡み合う思惑は吉か凶か】

ばたばたと慌ただしい反乱軍の陣幕。しかしその慌ただしさは決して焦燥から来るものではない。嬉々とした表情で戦争の近況を伝えに来る伝令の様子から、反乱軍の置かれている状況が芳しいことが見て取れた。

「やーっぱり、ボクの傀儡たちは大活躍みたいだね!噂に聞くところによると、ティヴェラ軍はすっかり押されてるみたいだよー?」
「……レイン殿」

ひょこり、とエルトのおわす陣の中に入ってきたのは、戦争という状況に置かれているとは思えない程明るい表情のレインだった。その言葉の通り、前線に出ている反乱軍の兵士のほとんどはレインの作成した傀儡である。傀儡は生身の人間ではないのでたとえ倒されたとしてもいくらでも替えがきき、そして敵に対する恐れがないので奇襲にはもってこいだった。

「おかげさまであっという間に形勢は此方側のものになりましたよ。レイン殿、あなたの存在なくしては、この結果は得られなかったでしょう」
「やっだぁ、殿下ってば褒めるのが上手くなったねー?よぉし、殿下にも褒められたことだし、ボクももっと頑張ろっと!せっかく傀儡造り以外の仕事も任せられてるんだし!」

レインはただ単に傀儡の作成だけでなく、捕らえた敵兵の尋問も行っていた。有益な情報を吐いてくれなければそのまま殺して傀儡にしても良いし、手のかかる拷問は傀儡がしてくれるからとレインはこの役目にご満悦である。というのも、他の反乱軍の仲間たちは汚れ仕事を好まなかったのでやむなくエルトはレインたちにやってみないかと話を振ってみた。するとレインは文句ひとつなくこの役目を引き受けてくれたのだった。

(子供に汚れ仕事を任せるのもどうかとは思ったが……。本人が楽しくやれているなら、それに越したことはあるまい)

尋問を楽しむ、というのはエルトとしてはあまり好ましいことではないが、戦争を有利に進める上で必要なことであるということはエルトも理解している。やらせていて良い気持ちにはなれなかったが、レインが満足しているのならまあ良しとしよう、とエルトは考えた。

「……殿下!伝令にございます!」
「……入りなさい」

そんな中で、本日何度目かになるかわからない伝令が入った。レインは出ていくつもりがないのか、そのままエルトの傍にちょこんと座る。エルトが入るように促すと、先日イオニスのことを語ってくれたオルガノスとスピロスがそそくさと入ってきた。

「これはこれは、オルガノス殿にスピロス殿ではありませんか。此度はどのような知らせで?」
「はっ。先程ティヴェラの拠点を落としました折りに、気になる者を捕らえました故に、殿下にお伝えせねばと参上した次第にございます」
「気になる者……?……此処に、連れてくることは出来ますか?」
「……えっ……」

エルトがそう問いかけると、オルガノスもスピロスもわかりやすく戸惑いの表情を浮かべた。しかしきょろきょろと辺りを見回して、二人で顔を見合わせてから何かを決意したようにうなずく。

「……はっ。承りました。二人、いるのですが……それでもよろしいでしょうか?」
「構いませんよ。……ところで、イオニス殿はどちらに?」
「あ……。た、隊長は、傷を負いましたが故に、治療の方に当たっております。そこそこの傷ですので、参上することは難しいかと……」

この場にはいないイオニスのことをエルトが問うと、オルガノスはさっとエルトから目を逸らし、スピロスはしどろもどろになりながらそう説明をした。そして二人とも逃げるように本陣を出ていってしまう。まるで、何か疚しいことでもあるかのように。

「……なーんか、二人ともこそこそしちゃって怪しくない?隊長とやらは出てこないし。これってあれかな、いわゆる不敬?」
「……いえ、きっとイオニス殿の隊にも色々と損害があったのでしょう。あまり気にしてはいけませんよ」

たしかに怪しさは満点だったが、変に疑うのもよろしくはないだろう。そのためエルトは二人を、そして隊長であるイオニスのことを疑おうとはしなかった。イオニスには幾つもの面で力になってもらっている。色々と気になる男ではあるが、警戒及び対立する程のものではない。

「……殿下!この者たちにございます!」

程なくして、オルガノスとスピロス、そして見張りのために伴っているのであろう何人かの反乱軍の兵士たちによって、気になる捕虜なるものが連れてこられた。手首を縄で縛られた二人が、引き摺られるようにして本陣の中に入ってくる。

「……!あなたは……!」

そのうちの一人に見覚えはなかったが、もう一人の捕虜の顔はエルトのよく知ったものであった。彼は、エルトとそっくりな━━━━いや、エルトと瓜二つ、何から何まで同じ顔を疲労と後悔に染めながら、掠れた声でエルト、と唇を動かした。

(何故、ハルシャフが此処に……!?)

かつて“森の民”のもとに行った際に邂逅したナーガ━━━━ハルシャフの姿に、エルトは驚愕せざるを得ない。他の反乱軍の面々が気まずそうな顔をしている辺り、ハルシャフとエルトの顔が同じことに戸惑っているのだろう。それゆえにイオニスはハルシャフのことを殺すことなく、捕虜としたのかもしれない。勝手な憶測に過ぎなかったが、少なくともエルトはそのように考えるしかなかった。とにもかくにもハルシャフに話を聞かなければ。そう思った矢先に、ハルシャフと共に連れてこられた少女━━━━紫蘭が口を開く。

「貴様が反乱軍の長か……!」
「おい、口を慎め!」

捕虜だというのに威勢良く叫んだ紫蘭の後頭部を、彼女を連れてきた兵士の一人が蹴飛ばす。ぐうっ、と紫蘭の口から苦悶の声が漏れた。彼女がどのような立場の人物なのかはわからないが、まずはハルシャフの話を聞くことが先である。エルトは立ち上がると、つかつかとハルシャフのところに近づいていった。

「……ハルシャフ。何故あなたが捕虜として此処にいるのです?あなたはティヴェラの王都で、一体何をしていたというのですか?」
「……エルト」
「答えなさい、ハルシャフ。あなたの答え次第では、隣の彼女の命運にも関わってくるのですよ」

ハルシャフと紫蘭の関係がどのようなものなのかエルトは知らないが、少なくともハルシャフは紫蘭を味方として扱っているということは理解出来た。ハルシャフはおろおろとエルトと紫蘭を交互に見てから、恐る恐るといった様子で口を開く。

「わ……わたしとこのこは、ティヴェラのみやこで、しょうにんとしてはたらいていた。いどういちばにでるくらい、おおきなおみせだった」
「…………」
「だから、ティヴェラのえらいひとたちも、わたしたちのはたらいているしょうたいのところにきた。それで、さいしょう……?っていうひとから、おかねをあげるから、せんそうにさんかしろっていわれた。しょうたいのえらいひとたちも、いけっていった」
「宰相に……?」

宰相と言えば、エルトの脳裏に思い浮かぶのはあの黒衣の男、アドルファスである。ハルシャフが言うには、彼と紫蘭はアドルファスの指示で戦争にやって来たということになる。それはあまりにも信じがたかった。だがハルシャフは兵士として雇われているようには見えないし、そもそも兵士になっているのならティヴェラの王宮で鉢合わせていても可笑しくはない。それにエルトがティヴェラから持ち出した兵士の名簿にハルシャフの名前は入っていなかった。

「━━━━あはははははっ!」

悶々とエルトが思考を巡らせていた最中、突然レインが高らかに笑い出した。あまりにも唐突なことだったので、その場にいた誰もがびくりと体を震わせる。

「……ふふっ、あーおっかしい。殿下、悪いけど“こいつら”は嘘を吐いてるよ。其処の蛇さんだけじゃなくて、イオニスとかいう奴の部隊の兵隊さんも」

ぐるり、と一同を見渡してから、レインは口元に笑みを浮かべる。心底愉しそうな傀儡使いは舌舐めずりをしてから、新しい玩具を見つけた子供のような目でこう言い放った。


「きゃはっ……本当は、イオニスのところに……もう一人、戦場から連れてきた捕虜がいるよ」

19日前 No.257

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18日前 No.258

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反乱軍の本陣は主にニーラムの尽力によって形成されている。風情も何もない荒野を嫌った水の精霊は、ちょっとした池などを勝手に作成した。何もない日などには憩いの場になりそうだが、戦争が行われているこの事態ではさすがに人気も皆無で、何処か寂しげな雰囲気をかもし出している。詰まるところ、一人になりたいエルトにとってはうってつけの場所であった。

「…………」
「……あなたは……」

しかし、運が良いのか悪いのか。この日はどういった訳か先客がいた。エルトの声を聞いた彼はくるりと振り返って、相変わらずの鋭い視線を寄越す。

「……こんなところにいて良いのか」
「ええ。少し休憩をしようと思いましてね」

そうか、とその青年━━━━イオニスは素っ気ない返事をしてから、再び視線を池へと戻す。其処にはニーラムが好き好んで植えたのだろうか、綺麗な蓮が鎮座している。エルトの母であるアルニールはかつて“白蓮の妃”と呼ばれていた。そのことを思い出してエルトは一瞬黙ったが、すぐに首を振って打ち消してイオニスの隣へと歩いていった。

「……怒っているか?」
「な、何です、藪から棒に……」

普段からあまり自分から口を開くことのないイオニスだが、この時は珍しく、エルトを驚かせる程度には唐突にそんな問いかけを投げ掛けてきた。イオニスの場合、何の脈絡もなく、かつ単語の数が少ないので尚更だ。

「私はお前を裏切ったようなものだからな。怒りを覚えたとしても可笑しくはないだろう」
「……いいえ。事情の方は先程伺いました。あなたが気に病むことはありませんよ」

どうやらイオニスはエルトのもとを離反したことを彼なりに気にしているらしい。エルトは宥めこそしたものの、イオニスの表情が和らぐことはない。ついでに言うとぴたりと口も閉ざしてしまった。こうなってくるとさすがにどうしたものか、とエルトは迷う。この何も話さない時間、というのはなかなかに辛いものである。もともとイオニスは口数が多い方ではないし、そもそもあまりイオニスのことをエルトは知らないので話題作りはお世辞にも簡単と言えるものではない。しかしこの沈黙は正直に言って辛い。辛すぎる。気まずさに耐えながら、エルトはおずおずとイオニスに声をかけた。

「……い、イオニス殿。貴殿は、花が好きなのですか?」
「……?何故だ?」
「いえ、何となく……。ずっと、池の蓮を眺めていらっしゃるものですから」

エルトの言葉を聞いて、イオニスははっと池から視線を逸らした。図星だったらしい。こういったところはわかりやすい御仁なのだな、とエルトは苦笑いした。そんなエルトの様子を見てイオニスはもごもごと口の中で何か弄ぶようにしていたが、やがて意を決したのかぽつりぽつりと言の葉を紡ぎ始めた。

「……妹が、な。好きだったのだ。花」
「妹さんがいらっしゃったのですか、イオニス殿」
「……嗚呼。もう、生きてはいないが……」

イオニスはそう言ってからそっとその視線を下に落とす。思いっきり過去形である彼の言葉からして、イオニスの妹が生きているとはエルトも思っていなかった。反乱軍には肉親をティヴェラとの戦によって失ったという者も少なくはない。むしろ多い方である。そのためエルトは特段驚かずに、そうですか、とだけ返した。エルトとて余計なことを言える立場ではない。
そのまま再び黙ってしまうかと思われたイオニスだったが、彼は意外なことに唇を閉ざすことはなかった。エルトの返事を聞いてから、あまり抑揚のない声で続ける。

「……私の妹の名前は、レヴァンダという。かつて、ティヴェラ軍がこの旧アーカム領を直接統治していた時代があってな。その折に、酔ったティヴェラの兵士たちに殺された」
「イオニス殿……」
「私はその時、母と喧嘩をして家を飛び出していた。……そのようなことが起こるとも知らずにな。本当に、あの頃の自分には腹が立つ」

ぎゅ、とイオニスは自らの拳を握り締める。其処からは並々ならぬ悔しさがにじみ出ていた。きっと彼は、家族のことを大切に思っていたのだろう。

「……それで、同じような境遇の方々をお集めになったのですか?」
「……まあ、そういうことになる。とは言え、ティヴェラからの襲撃があるまでは生きることに精一杯だった。人に言えるような人生を送ってはいないよ」

やけに含みのある言い方だ、とは思ったが、エルトはそれ以上詮索しようとは思わなかった。他人に言いにくい生涯を送ってきたのは自分も同じである。お互いに傷に塩を塗るような真似をしたくはないだろう。ならば無駄に聞き出そうとするのは無粋というものだ。
其処で一度イオニスは言葉を切ったが、何を考えたのかくるり、とその体ごとエルトに向けてきた。彼の菫のような色合いの瞳に、エルトの姿が映る。

「……妹に似た娘を見つけたんだ」
「え……そ、それはどちらで……?」
「ティヴェラから来たとかいう、お前によく似た顔のナーガを連れたあの一行だ。あの中の一人が、何となく妹に似ていた。……いや、顔はそれほど似ていないんだが……。けれど妹のような娘だった。あの娘にも兄がいるのやもしれん」
「そ……そうなのですか。奇遇なこともあるものですね」

そのまま流れるように話し続けるイオニスに、エルトは面食らってしまった。妹が絡めば饒舌にでもなるのだろうか。止める訳にもいかないので、エルトは相槌を打つことにする。

「その娘の顔を見た瞬間、私の中に雷が墜ちたかのようだった。本当に、本当に妹のような、いや妹の雰囲気を纏っていたんだ。驚いて、ついつい近付きすぎてしまった。案の定何度も殴られたがな」
「……まさかイオニス殿、あなたが負った傷というのは……」
「そのまさかだ。大した怪我にならなくて良かったが……その、何だ。今となっては、反省している」

そう言うと、イオニスは恥ずかしそうに顔を伏せた。たしかに年頃の少女に殴られて怪我を負ったなんて、戦場に立つ人間としてはあまり誇れるようなことではないだろう。というかエルトが同じ状況だったら非常に恥ずかしい。イオニスのような猛者を殴る少女がいるものなのかとエルトは悩んだが、はたとある人物の顔を思い出す。

(あのハルシャフと共にいた少女であれば……イオニス殿を殴るくらい容易いかもしれない。だがあれほどの威力を誇る武人が、すぐに治療出来る程度の怪我で済ませるだろうか……?)

真っ先にエルトが思い付いたのは紫蘭の顔だったが、先程の絶技を見せられてからだとどうも納得がいかない。紫蘭は他人に手加減をするような人間だろうか。少なくともエルトにはそうは見えない。あれは如何なる敵にも容赦なく当たる類いの人間だ。わざわざイオニス相手に手加減することもあるまい。

「……とにかく、私はあなたやあなたの部隊の人間に怒りを覚えている訳ではありませんよ。そのような事情があったのなら致し方ないというもの。ですから、イオニス殿もどうかお気になさらず」
「そう、か……。……感謝する」

イオニスは戸惑っているのか、少しの間視線をさ迷わせてから、控えめにぺこりとエルトに頭を下げた。その様子は何だか意外なもので、エルトも戦の最中だというのにほっこりしてしまいそうになる。……が、突然両横からかけられた声でエルトの意識はどちらに向こうか混乱してしまう。

「殿下!隊長!お話ししたいことが!」
「おい待て、此方もその男に話がある!」
「……お二人共、如何したのです?」

息を切らして駆け込んできたのはスピロスと紫蘭だった。二人とも何やら急ぎの用事なのか、我先にとエルトに何か話そうとしている。最終的には虫拳をしてスピロスが会話の主導権を握るという形になった。

「で、殿下!先程こいつが撃破したはずのレインの遺体が、何処にもないんです!」
「……何ですって?」
「それだけではない!別所に置いていた我々の連れも消えたんだ!」
「何……!?」

スピロスとの虫拳の結果にも関わらず割り込んできた紫蘭の言葉によって、イオニスがさっと顔色を変える。よっぽどその連れのことが気になるらしい。

「……っ、とにかくその連れの方がいらっしゃった場所まで案内を!イオニス殿もご一緒されますね!?」
「無論だ!」

とにもかくにも、現場に行ってみなければ話は始まらない。エルトはイオニスを伴って、二人の案内に着いていくことにした。

17日前 No.259

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紫蘭とスピロスの案内によってエルトとイオニスが連れてこられた場所は、反乱軍が簡易なものとして使用している寝所だった。この寝所は各々で施錠出来るようにもなっており、個人の時間を大切に出来るということでそれなりに好評である。

「……此処は……」

しかしたどり着いたイオニスの表情は晴れなかった。既に待機していたハルシャフとオルガノスも気まずそうな顔をしている。どうかしたのだろうか、と首をかしげているエルトに気づいたのか、紫蘭が躊躇うこともなくずばっと口を開いた。

「そうだ。貴様の寝所だな」
「ちょ、イオニス殿……まさかその、連れのお方を……」
「待て、私はまだ手を出してはいない!いや手は出さん!このことが露見したらまずいからと匿っていただけだ!」

必死に抗議しているところから見て、イオニスは本当にその連れの娘には手を出してはいないのだろう。しかしまだ、と言っている辺りがどうも怪しい。先程の話によるとイオニスはその連れの娘に自らの妹を重ねていた。それで“まだ”手を出していないという言葉を聞くと彼の嗜好が段々と不安になってくる。そのうち西方の神話じみたことをしでかさないか、エルトとしてはドキドキである。

「……とりあえず、此処に匿っていらっしゃった方が消えてしまったのですね。施錠もしているというのに」
「……うん。たぶん、だれかにつれだされたんだとおもう」
「自分で出た可能性はないのですか?」
「それはないだろう。あいつはそういった技術はほとんど持ち合わせていないように見えた。力業でこの扉を打破していれば何らかの痕跡が残るはずだが、それすらも見受けられない。となると、外部の人間に連れ出された確率が高いだろう」

ふむ、と顎に手を遣りながら紫蘭はそうエルトに伝えた。彼女の言葉からして、その連れの娘に大した戦闘能力はなさそうである。イオニスを絆した、という点では大手柄だが、それ以外となると戦場には適しない人物だろう。それなのに、どうして彼女をこのような場所に連れてきたのかエルトにはわからなかった。何かこの戦場において切り札になるようなものでも持っていたのだろうか。
エルトがそんなことを考えているとは露ほども知らないのであろう紫蘭たちは、思案する彼を余所にあれやこれやと議論(に入るのかわからない話し合い)を続けていた。

「そもそも外部の人間って、心当たりとかあるのか?」
「むむむ……まあ、あると言えばあるのだが……何というか……。その……ごにょごにょ」
「隊長、こいつ今口でごにょごにょって言いました!」
「ええい喧しいわ!私が何を言おうと私の勝手だろう!?今はな……ごほん、連れを探すことに精を出せ!」

何やら揉めているようではあったが、紫蘭とオルガノス、そしてスピロスはそれなりに打ち解けているようである。わちゃわちゃしている辺り、一応和解している……ということなのだろうか。とりあえず身内間で争わないでいてくれるならエルトとしては安心である。

「……あいつは敵意を抱かれるようなことがあったのか?」

その連れの娘についてはイオニスも気になるようで、相変わらず仏頂面ながら一同の会話に参加しようとしていた。普段は他人との会話に入ろうとはしない彼にしては珍しい。これには部下であるオルガノスとスピロスも一瞬驚いた様子を見せていたが、すぐにイオニスを会話へと引き込む。

「たしかに、ティヴェラの内部から目を付けられていれば、可能性もなくはないですよね!流石隊長です!」
「あっ、こいつのことは受け流してやってください隊長。……とりあえず、あの娘に敵意を抱いてる奴、ですよね。……お前ら、それらしい奴とか知ってるか?」
「てきいを、いだいてるひと……」

スピロスから問いかけられたハルシャフは、うーんと首を傾げた。彼なりに一生懸命考えているのだろう。そんな彼の様子を一瞥してから、最初に口を開いたのは紫蘭だった。

「ティヴェラの王宮に、そういった奴はいなさそうだった。ある程度妬んでいる人間ならいなくもなさそうだが……この戦に関われるような相手ではないだろう」
「ちょっと待て、あの娘さんってティヴェラの王宮で働いてるのか?ハルシャフと同じ何とか商会の人間じゃなくて?」
「嗚呼、貴様らには言っていなかったな。あいつはティヴェラの王宮で働いている。……とは言え、あまり大所帯のところではないからな。恨むも何も、此処まで来られるような人間というのがいないに等しいんだ。そうだよな、ハルシャフ?」
「うん。あのこのしりあいのめしつかいじゃ、ここまでこられないよ」
「たしかに、ただの王宮勤めじゃあ難しそうだよなぁ……」

どうやら話し合いは行き詰まりかけているらしい。件の連れの娘がどのような部署で働いているのかはエルトにもわからないが、たいていの部署の人間はこの反乱軍の本陣に潜り込むことは出来ないだろう。詰まるところ、ティヴェラの王宮の使用人が連れの娘を連れ去るということは不可能なのである。

(それにしても……その連れの娘とは、一体どのような人間なんだ……?此処まで必死になって皆が探すような逸材なのか……?)

そんな人間があの王宮にいるのか。エルトは考える。心当たりのある人間。それを脳内で探して、探して探して探して探し続けて━━━━。ふと、何処からか向けられた、誰のものでもない視線に気づく。

「……誰です?」

問いかける。自分への視線が向けられている方向に。誰が出てこようと構わない。其処にいる人物が何者なのか。ただ、それだけを問いかけた。

「……ふふ、あははっ、あははははっ!!流石だね、王子サマ!━━━━いや、アーカム王国第8王子、エルティリナと呼ぶべきか?」

その声は“途中までは”聞き覚えのある声色をしていた。これは可笑しい。エルトだけでなく、その場にいる誰もがそのように思ったことであろう。

「何故あなたが此処にいるのですか━━━━レイン殿」

近くの木陰から現れたその人物━━━━レインはくつくつと妖しげな笑みを浮かべるばかりである。その声音は今までのような可愛らしい童子のものではなく、声変わりを終えた成人男性のものに変わっていた。それだけでも不思議というか、違和感の塊なのだが、紫蘭にとってはより警戒心を強める別の理由が生まれたようだった。

「……っ、貴様、何をした!?」
「何を、と?……くく、可笑しなことを言うものよな、隠密。俺が何をしようと、あの宰相の配下である貴様には関係のないことであろう?」
「私が何処の誰に仕えていようと貴様を追う理由は変わらんぞ、“ルードゥス”!」

ルードゥス。その名前はエルトも知っていた。ティヴェラの王宮の中でも王であるクルーファの次に権力を持つのではないかと言われている側近である。名目上は補佐官、ということになっているらしい。一応調べはしたものの、エルトが掴めたルードゥスについての情報は極めて限られたものだった。
紫蘭はそんなルードゥスとの間に因縁でもあるのだろうか。彼の声をしたレインを射抜かんばかりに睨み付ける。

「くく……そう睨むものではないぞ、隠密。例の小娘であればまだ死んではいない」
「……我等の連れを何処にやった?」
「それほどあの小娘が大事か?たしか……ナラカとかいったか。あれでなくとも良かっただろうに……」
「……ナラカ……?」

レイン━━━━否、ルードゥスが発した言葉にエルトは思わず目を見開いた。ナラカ。エルトを憎み、わかりやすく敵対心を露にしてくるあの少女が紫蘭の言うところの連れだとは思ってもみなかった。ナラカのような戦闘能力のない少女が、何故この戦場に出ることとなったのだろうか。それを問いたい気持ちはあったが、今はそのような余裕はなかった。

「御託は良い、ルードゥス。ナラカを何処にやった?答えろ」
「それが王の側近に対する態度か?」
「私は答えろと言っているのだ!」

たん、と紫蘭が一気にルードゥスとの距離を詰め、彼の胸ぐらを掴む。しかしルードゥスに臆する様子はない。これまでの忍び笑いをやめることなく、彼は紫蘭の問いかけに答える。

「何処にやったか、だと?ははははは!!そんなものは己で探せ、この戯けめが!そもそも何故あのような小娘の安否を気にかける?貴様らとて捨て駒として連れてきたようなものではないか!」
「違う、我等は……!」
「それともあれか?あの小娘にはこの戦を止められるだけの力でもあるというのか?」
「……っ、黙れ!貴様に語ることなどない!」
「ならば話は終わりだ!せいぜい足掻くが良いわ!」

そう言い放つや否や、ルードゥス(姿としてはレイン)の体はがくりと力を失って地面に倒れてしまった。まるで糸の切れた人形である。咄嗟に手を離した紫蘭は、恐る恐るその体に触れた。ぺたぺたと何度か触っていた紫蘭だったが、ぺらりとその服を捲った瞬間にさっと顔色が変わる。

「……こいつ、人間ではない。……いや、人間の体を使ってはいるが……何処もかしこも継ぎ接ぎだ」
「……傀儡、か」

ぽつり、とイオニスが呟く。傀儡と言えば何を隠そうレインが操っていたものである。しかしそのレインもまた傀儡であった。それもあろうことかティヴェラの人間であるルードゥスの、である。悔しさに苛まれそうになったエルトだったが、はっとあることに気が付いた。

「……お待ちください。今、前線で戦っているのは……」
「……嗚呼。この傀儡が作った傀儡たちだ」

イオニスの言う通り、現在前線に出ているのはレインの作成した傀儡たちである。こうなると味方と言える兵士たちに対しての不安まで生じてくる。紫蘭とハルシャフが連れてきたのがナラカということにはまだ納得がいかないが、不穏分子が生まれた以上彼女らとの利害は一致している。そこでエルトは紫蘭とハルシャフに改めて向き直った。

「紫蘭殿、そしてハルシャフ。レイン殿のこともあります。あなたたちの同行を認めましょう」
「……良いのか?私たちはティヴェラの人間になるのだぞ」
「我等が勝てば、あなたたちは特殊な事情を持つ捕虜として扱いましょう。そして仮にティヴェラ側が勝てば、すぐにそちらに戻ってよろしい。……ただし、どちらが勝っても味方であり、疑惑のない我等の兵士に危害は加えないこと。これらを条件と致しましょう」
「……わかった。条件を飲もう」

こくり、と紫蘭がうなずく。斯くして、このような経緯でエルトたち反乱軍と紫蘭━━━━ひいてはアドルファスを中心とした調査団は手を結んだのである。

16日前 No.260

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15日前 No.261

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

スメルトが離宮を脱け出した。それだけでほとんどの兵士、そしてティヴェラの民は震え上がることであろう。かつてティヴェラを恐怖に陥れた死神。それが野に放たれたとなれば、きっとただ事では済まない。

「おいっ、それは真か!?」

そのためエステリアが思わず羅刹に詰め寄ってしまうのも無理はなかった。このまま放っておく訳にはいかない。もしかしたらスメルトは反乱軍に荷担するつもりなのではなかろうか。それでティヴェラの砦に向かっているのならば合点がいく━━━━。そう思っていたエステリアだったが、次なる羅刹の言葉に再度驚かされることとなる。

「は、はぁ……それは、そうなのですが……。スメルトは、もうこの砦を通りすぎているようです」
「……何……!?」
「何でも、馬に乗って颯爽と駆けていったそうで……。此方の兵士は震え上がってどうにも出来なかったようですが、それが幸いしたのでしょうか……。ともかく、スメルトは戦場に飛び込んでいったらしいですよ」
「……訳わッかンねェ……」

ラビスが戸惑う気持ちもわからなくはない。スメルトがティヴェラの砦を素通りしたなんて、どう考えても可笑しかった。スメルトはティヴェラを恨んでいても可笑しくはないし、かつてティヴェラに敵対した存在である。それなのに狙いは反乱軍だとでも言うのだろうか。考えても考えても、エステリアにはスメルトの思惑が全くわからなかった。

「……彼奴の狙いが反乱軍だとして……。此方は何か手を打ちはしないのか?このまま放っておく訳にもいかないだろう」

とりあえず、どちらに付いているにせよスメルトを放置しておく訳にはいかない。彼はまがりなりにも離宮に入れられている存在なのだ。勝手に脱け出されてはそれだけで困る。もしかしたら他の離宮の住人も同じようにして脱出を試みようとするかもしれない。
エステリアから問いかけられた羅刹は、「えっと……」と答えを捻りだそうとした。しかしそれ以前に、ぽん、とエステリアの肩に何者かの手が置かれる。

「……っ!貴様は……!」
「…………」

無言でエステリアの背後に立った人物。それは相変わらず純黒の鎧に身を包んだシュルティラであった。彼がこの戦場に送られるとは思ってもみなかったので、その場がざわりと驚きの色を帯びる。

「……シュルティラ。スメルトへの対策は貴様の出陣であると、そう言いたいのか?」
「…………」

エステリアからそう尋ねられたシュルティラはふるふると首を横に振る。違う、ということらしい。一応シュルティラともそう短い付き合いではないので、エステリアも彼の言わんとするところをなんとなく理解出来るようにはなっていた。

「違うのか?ならばどうするというのだ。スメルトを野放しにしておくのか?」
「…………」
「……なァ、手前、いい加減何とか言ッたらどうなンだよ」

何も言わないシュルティラに痺れを切らしたのか、ラビスが彼を睨み付ける。しかしシュルティラはラビスに対して特にこれといった反応を示すことはなく、ごそごそと何やら懐をいじり始めた。訝しげな目を向ける周囲のことを気にすることなくシュルティラがおもむろに取り出したのは、一冊の帳面と板に挟んでおいた黒鉛だった。

《あまり急かさないで欲しい》

そして帳面の真っ白い頁にそう書き付けた。筆談でエステリアやラビスたちと意志疎通を図ろうとしているらしい。シュルティラの意志は皆なんとなく察したのか、先程まで話の先を急いでいたラビスも渋々といった様子で黙った。その間にも、シュルティラはさらさらと黒鉛を動かしている。そしてある程度書いてから、また帳面を開いて一同に見せた。

《時間をかけさせたようですまない》
「だーッ、そういうのは良いからよ、話の本題に入ッてくれや!」

何処か遠慮した様子のシュルティラに、ついにラビスが痺れを切らした。彼の気持ちもわからなくはなかったが、エステリアはシュルティラの気性をそことなく理解してはいるのであえて突っ込まないでおいた。この輪廻の忌み子は変なところで気を遣ってくるから困り者だ。
先を急かされたシュルティラは彼にしては珍しくびくりと肩を揺らしてから、しゅんとした様子でつらつらと頁に言葉を連ね始める。その姿は何だか滑稽であった。

《手であれば既に打ってある。もうじきこの砦に来ることだろう》
「これから此方に来る……のか?ティヴェラの軍人は大体此方にいるものかと思っていたが」

エステリアの言う通り、反乱軍の鎮圧、そして殲滅に向けてティヴェラ軍は最大戦力をこの戦争に投入するつもりでいた。まだ羅刹部隊などは投入されていないが、何かあった時のために砦で待機させている、といった状態である。そのため言っては何だがティヴェラの王宮にいるほとんどの軍人が出払っているような形になるのだ。一応警備の兵士は置かれているが、スメルトを止められるような抑止力を持つ現役の軍人はいない。
シュルティラはエステリアの言葉を聞いてから少し思案してから、す、とある頁を見せた。質問された時のためにと、前もって書いておいたらしい。こういったところはやたらと用意周到である。

《投入されるのは現役の軍人ではない》
「現役の軍人ではない……?……しかし、退役した方々は皆相当な年齢になっていらっしゃられるのでは……?スメルトを止められるだけの方がいらっしゃるのか?」
「……いや、いる」

エステリアの言葉に答えたのは問いかけられたシュルティラではなく、彼女の隣にいたラビスだった。彼はその体をかたかたと震わせながらエステリアの方を向く。

「“現役の軍人ではない”奴ッて言ッたら、単に退役してる爺共だけに限られはしねェ……。だとすれば、一人……スメルトを止められる方がいるじゃねェか」
「……っ、まさか……!」

ラビスに説明されてやっと、エステリアは彼、そしてシュルティラの言わんとするところを理解した。現在生きていて、かつてスメルトと相対した者。そして彼の虐殺を唯一逃れた者。そんな人間……いや、羅刹は一人しかいない。

「し、しかし……あいつは本当に出陣に是と答えたのか?もう戦場には戻らないんじゃ……」
《勿論、双方合意の上だ。あの者も首を縦に振った》

シュルティラがそう記された頁を見せている間にも、ラビスはわなわなと震えていた。それは恐怖でも、憤怒でも、悲哀に満ちたものでもない。彼は心から歓喜していたのだ。普段尖った彼の表情はこれ以上ないくらいに晴れやかなものであった。ラビスは天を仰ぎながら、涙を流さん勢いで声高らかに叫ぶ。


「嗚呼━━━━お兄様、お兄様、お兄様!オレはまた戦えるんだ!お兄様と、お兄様と共に……!」


ラビスがお兄様と呼ぶ男。それはエステリアもよく知る人物である。だからこそ彼女は一抹の不安を覚えるのだ。スメルトを止めるための抑止力。其処に彼の反乱で捕らえられた羅刹でありながら、唯一の生存者でもある男━━━━アロイスがやって来ることに。

14日前 No.262

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戦場は鉄の臭いに溢れている。兵士たちの武器や鎧、そして彼らの流す血潮。それら全てが混ざりあって、つんと鼻を突く臭いに変わる。彼はそれをよく知っていた。むしろ三年前までは嬉々としてその臭気の中へと突っ込んでいた。首級を挙げることこそ我が誉、と叫びながら、幾多の敵を屠ってきた。

(……それが、今ではどうだ)

三年。たった三年、然れど三年。その間に、アロイスは戦場の臭いを好ましく思えなくなっていた。まだ殺し合いの行われていない砦にいる時でさえもこう思うのだ。アロイスはすっかり鈍ってしまっていた。それは自分でもよくわかることだ。きっと今期待している者たちも、やがてそれに気づくだろう。それをも承知で、アロイスは此処にやって来たのである。

(嗚呼、鎧はこれほど重かったか)

久しぶりに纏った鎧はやけに重苦しかった。ずしり、とアロイスの体にそれはのし掛かってくる。お世辞にも良い気持ちとは言えなかった。けれど一度決めたことなのだ。決めたからにはやり通さなければならない。途中で投げ出したらそれこそ戦士の名折れというものだ。

「━━━━お兄様!」

いつ出撃出来ても良いようにと馬に乗り、ぐるんぐるんと肩慣らしをしていたところで、アロイスに声がかかる。振り返って見れば其処には、嬉々とした表情のラビスと、彼に続く羅刹部隊、そして強張った顔をしたエステリアの姿があった。彼らが近づいてくることはなんとなく予想出来たので、アロイスはさして驚くこともなく彼ら━━━━否、ラビスに視線を移す。

「……その呼び名はもう止めろって言っただろ」
「う……も、申し訳ございません……。し、しかし、再びあなたと戦場に立てることを、心から嬉しく思います!」
「……そうか」

ラビスの表情は憐れなほど嬉しそうだった。まるで人生の指針でも見つけたかのように、その瞳はきらきらと輝いていた。だがアロイスはそれを喜ばしくは思わない。それゆえに、ラビスのことを直視出来なかった。あまりにも、痛々しかったのである。

「ラビス殿、そろそろ……」
「……ちッ、わァってるよ、ンなことはよ……。……では、我等、行って参ります!あなたの行く道の先にいる、ありとあらゆる敵を片付けてみせましょう……!」

そう告げると、ラビスの率いる部隊は戦場に向かって進んでいった。どうやらアロイスが進む道の敵兵を一掃するつもりらしい。あれほどまでに喜び勇んで行軍していったのも、アロイスの役に立てると思ったからなのだろう。ラビスとはそういう男だ。それはアロイスが何よりも知っている。

「……アロイス殿」

そんなアロイスに声をかけてきたのは、まだ彼の傍にいたらしいエステリアだった。てっきりラビスと共に進軍したのではないかと思っていたアロイスは少し面食らう。

「……お前、まだいたのか」
「はい。私はラビスのお目付け役ではありませんから」
「お前らは相変わらずだな……」

エステリアとラビスの仲が昔からあまり良くないことはアロイスも知っていた。生真面目なエステリアと基本的に奔放なラビス。二人のそりが合わないのは当たり前と言えば当たり前である。むしろ、あれだけ真逆の性格で仲良くなれたのならそれこそ奇跡というものだろう。
アロイスがぼんやりと自分たちの仲について思案しているとも知らず、エステリアは馬上のアロイスを見上げる。その顔は大人びてはいたものの、アロイスが知る幼い頃のエステリアの面影を十二分に残していた。

「……どうだ。ラビスは元気か?」

沈黙が気まずくて、アロイスはそんな不自然な切り出し方でエステリアへと話しかける。エステリア自身も話しかけられるとは思っていなかったらしく、驚いたように少し目を見開いてから、「そうですね……」と暫し考え込むような仕草を見せた。

「まあ、元気と言えば元気……なのかもしれません。大きな病気も怪我もしていませんし……。ラビスは昔から体だけは丈夫ですから」
「……そうか。それなら良かった」
「……でも、アロイス殿。あなたが羅刹部隊を去ってから、あいつは随分と気力をなくしたように見えます」

エステリアの表情は硬いままだ。その顔つきはアロイスを責めているようにも見える。やるせなさにぐっ、と拳を握り締めながら、アロイスは出来るだけ気にする素振りを見せないようにと心掛ける。そうでもしなければ自分への呵責が止まらなくなってしまいそうだった。

「……あいつはバルドとも仲が良かったからな。それもあるんだろう」
「……たしかに、あなたの弟が亡くなったことも関係しているのかもしれません。ですが、最もラビスにとって苦しいのは、やはりあなたが羅刹部隊を去ったことにあると……そう、私は思います」
「…………」

ちくちくと、エステリアの言葉は蕀のようにアロイスの胸を突く。わかっている、わかっているのだ。アロイスとて、自分の行動のせいでラビスが変わってしまったことくらい、とっくの昔に理解している。だから言い返そうとは思わなかった。ただ黙って、エステリアの言葉を受け止めることしか出来なかった。

「……そんな顔をしないでください」

アロイスの表情がお世辞にも晴れたものではないことに、エステリアも気づいたのだろうか。申し訳なさそうな顔で、その形の良い眉尻を下げてくる。

「アロイス殿、あなたのお気持ちは痛い程よくわかります。目の前で弟や仲間を惨殺されて、それでも戦おうとする者なんて、そうそういないことでしょう」
「…………」
「……でも、それでも。最後に、ラビスには……家族のように接してきた者には、何か一言言うべきだったのではないですか。ラビスはあなたや、あなたの弟にとても感謝していた。あなたのことは本当の兄のように慕っていた。……それなのに、黙って羅刹部隊を脱退して……」

そう言いかけてから、エステリアははっとして「……申し訳ございません」と謝った。自分の言ったことが相手を傷付けてしまったかもしれないとでも思ったのだろうか。その表情は、自分を責めるかのように痛ましげだった。

「……お時間を取らせてしまって、本当に申し訳ございません。……失礼します」
「お、おい、エステル!」
「……失礼しますっ!」

アロイスの制止も聞かず、エステリアはだっと駆け出してしまう。馬上にいるアロイスが無闇矢鱈と追い掛けることは不可能であり、はぁ、とやり場のない溜め息を吐いて別室に行ってしまったエステリアの後ろ姿を思い出すしか出来なかった。

13日前 No.263

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

勇気を出したつもりだった。意を決したつもりだった。少なくとも、彼女が頑張ろうとしたのは本当のことだった。

「はあ、はあ、はあっ……」

アロイスの待機していた陣列から、砦の中の別室に駆け込んだエステリアは、人気がなくなったところで立ち止まって乱れた呼吸を整えた。周りには誰もいない。誰も、エステリアのことを見る者はいない。誰も、誰も、エステリアの今の顔━━━━あまりにも情けない顔を、見ることはないのだ。

「……アロイス殿……」

憧れの人だった。目標とすべき人だった。そんな人に、何か気の利いたことを言いたいだけだったというのに。……それなのに、エステリアはアロイスを傷付けるようなことを言ってしまった。

(私は、なんて愚かなのだろう)

エステリアを苛むのは、限りのない自責の念である。何故あのような言葉しかかけることが出来なかったのか。あれではアロイスを慰めるどころか、責めていることに他ならない。そう考えると、傷付いたのは自分ではないというのに涙が滲んだ。

(アロイス殿は、私の敵になることなど一度もなかった。むしろ私の恩人だ。それなのに、私はアロイス殿に何も出来ないままで、あろうことか、追い詰めるような真似を……)

ぼたぼたと、エステリアの目から止めどなく涙は溢れ落ちる。なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。悔やんでも悔やんでも、エステリアの時間が戻ることはない。それが余計悔しくて、エステリアはぐっと唇を噛んだ。
本当に、本当に、エステリアはアロイスに会いたいだけだったのだ。だからラビスに着いていった。そりの合わないラビスとの、唯一の共通点。それは二人ともアロイスのことを慕っているということだった。

(お兄様……か……)

ラビスの言葉を思い出す。ラビスの表情を思い出す。いつも凶悪としか言い様のない表情をしている彼は、アロイスの前でだけは少年のような表情に戻る。アロイスの前でだけは、ただひたすらに彼を慕う少年に戻るのだ。
そんな彼と同じように、エステリアもアロイスを兄のように思っていた。ラビスのようにアロイスのことを面と向かって“お兄様”なんて言うことはなかったけれど、それでもアロイスのことが大好きだった。

(……そうだ。私はアロイス殿が大好きで、ラビスもアロイス殿が大好きで、バルドもアロイス殿が大好きで……皆、家族みたいなものだった。本当に本当に、楽しくて、温かかった)

羅刹の子供たちの大半は、羅刹部隊の隊員の子供である。物心がついた頃には子供たちだけで過ごしていた彼らにとって、自分たちよりもやや年上の羅刹が導き手のようなものだった。エステリアやラビス、そしてバルドにとってはアロイスがそれであり、彼らはアロイスの背中を追いかけて生きてきた。ラビスがアロイスのことをお兄様と呼ぶのは、アロイスのことを誰よりも慕い、そしてアロイスから本物の兄のような愛情を受けてきたことの証である。

(父の顔も母の顔も知らない。きっと何処かの戦場で死んだのだろう。だから私たちにとって、家族と言えるのは同じ世代の羅刹たちだけだった)

アロイスからは色々なことを学んだ。それこそ彼がいなければ今のエステリアはなかった。だからアロイスには感謝していたし、彼を助けたい、彼の役に立ちたいと思っていた。アロイスはいつでもエステリアを厳しく、そして優しく導いてくれた。ラビスやバルドにも同様にだ。生真面目なエステリアも、奔放なラビスも━━━━羅刹にしてはやや臆病で、いつも兄の背中に隠れているようなバルドにも、アロイスは分け隔てなく接し、それぞれを一人前の戦士に育てようとした。だから皆、アロイスの言うことを聞き、彼のような戦士になり、アロイスと共に戦場に立ち、彼の背中を守ろうと努力したのだ。
━━━━だが、その夢を叶えられた者はいなかった。バルドは死に、アロイスは羅刹部隊を抜けた。共に戦場に立つことは出来ても、同じ部隊で戦うことは出来ない。ラビスは先陣を、エステリアは後陣を任されていた。アロイスの隣に立つことは、誰も出来ない。

(誰も、誰も、アロイス殿と共に戦場に立つことは出来ず、アロイス殿は大切な弟を失った。あの戦は、何も生むことはなかった)

なればこそ、である。エステリアは戦のない、ただ純粋な武術だけが在る世を望んだ。理不尽な殺し合いではなく、規律を設け、正々堂々と戦うだけのもの。そんなものが生まれる世になれば良いと思った。ラビスのような羅刹からは鼻で笑われたが、それでもエステリアは構わなかった。羅刹らしくなくとも、たとえ夢物語のような話であっても、全てを諦めて生きるよりはよっぽど良い。
故にこそ、エステリアは立ち上がる。涙を拭いて、ふぅとひとつ息を吐く。こんなところで泣いていたエステリアはもういない。其処にいるのは、戦場に向かう羅刹部隊のエステリアである。

(……ノルディウスを殺す。そしてルードゥスの計画を止める。……そうだ、それこそが今の私の使命。戦がなくなれば、きっと誰もが幸せになるだろう。そうすれば、アロイス殿も、ラビスも……もとのように、過ごせるかもしれない)

そう考えれば、重い足取りもいくらか軽くなるように思えた。ノルドを殺し、ルードゥスの計画を阻止し、反乱軍の戦も無事に終えて、平穏を取り戻す。それがどれだけ難しいことか、エステリアだってわかっているつもりだ。だが、それでも━━━━それでも、エステリアは過去の平穏を過ぎ去りし思い出にしたくはないのである。

(……行かなければ。行かなければ、ならない。あんな風に望んだのならば、私には戦場に立つ義務がある)

エステリアは知らない。何も、知らないのだ。━━━━いや、この場にいる誰もが知らないことであろう。この先にはエステリアの、そして誰もが望むような未来などないことを。

12日前 No.264

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11日前 No.265

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10日前 No.266

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9日前 No.267

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

天花が燦と出会ってから、一月もしない頃であろうか。時の天下人、豊臣秀吉が死去したという話が天花の耳に入った。……とは言っても、天花がその死を知った頃には実際に秀吉が死去した日から数ヶ月が経っていたし、何よりも世の民や朝鮮半島に出兵している大名たちにその死は秘匿された。天花が秀吉の死を知ったのは、彼女の働く城が秀吉に近しい大名が治めるものだったからだろう。

━━━━良いですか、天花。このことは決して口外してはなりませんよ。太閤様の御逝去は秘匿とされているのですからね。

天花に秀吉の死を伝えた葵は、何度もそう天花を戒めた。彼女の気迫に押されて、天花は首を縦に振るしかなかった。
天花が燦と出会った日に号泣していた葵ではあったが、その後の彼女の様子には不思議な程そういったものは見られなかった。至っていつも通りの葵に、天花はあの日の母の姿は幻だったのだろうかとさえ思う。何が葵を彼処まで苛んだのか。未だにわからないまま、天花の周りでは特にこれといったこともなく、彼女としては平々凡々な日々を送っていた。

━━━━次は、いつ兄さんに会えるかな。

あれからというもの、天花は度々燦の住むあばら家を訪れるようになっていた。なんとなく葵には燦と会ったということを話しづらくて、彼女には秘密にしている。また迷うのではないかと心配した葵は天花のためにと簡易的な地図を作ってくれたので、天花が迷子になることはなくなった。それもあって、使いを頼まれた日はちょくちょく燦の住むあばら家に寄ることが出来るのだった。

━━━━兄さん、お邪魔しまぁす。
━━━━天花!いらっしゃい!

この日も、天花は少し離れた町への使いの帰りに燦の家を訪問した。燦はいつでも喜んで天花のことを出迎えてくれた。天花が来る度に質素ではあるが美味しいものを用意してくれて、それを美味そうに食べる天花を幸せそうに眺めていた。

━━━━どう、そっちは?最近何か変わったことはあった?

このあばら家で独り暮らししている燦は、町や城のことをよく知りたがった。無理もない、と天花は思う。こんなあばら家で独りの寂しい生活をしていたなら、人肌恋しくなるのは致し方のないことだ。白子である以上、燦は迂闊に外に出ることは出来ない。たとえ顔を隠していても、病人だ何だと忌避されてしまうだろう。そのため、そんな燦のためにと天花は彼に自分の周りの話をしたのだった。

━━━━私の周りは相変わらずだよ。大名様たちは何か揉めてるみたいだけど……。
━━━━そっか、政っていうのは大変なんだねぇ。

葵からきつく言い含められていたため、天花は秀吉の逝去については口にしないでおいた。最近の政について別段詳しい訳でもない燦は天花をそれ以上詮索することもなく、他人事のようにそう返しただけだった。燦にとっては遠くで起こった何らかの出来事、ということで一括りにされているようだ。

━━━━たしか、海の向こうでは戦が起こってるんだよね?
━━━━そうだよ。だいぶ泥沼化してるって聞くし、そろそろ終わるって噂されてるけどね。
━━━━そうなんだ……。……もし、もしもの話だよ?天花の働いているお城で戦が起こったら、僕は嫌だなぁ。

ぽつり、と。それは燦の何気ない呟きのように聞こえた。しかし天花の盗み見た彼の表情は、何故だか酷く悲しげなものに見えた。

━━━━だ、大丈夫だよ。戦なんてそう簡単に起こるものじゃないし……。
━━━━でも……。
━━━━じゃあ、戦が近くなったら、兄さんにも教える。私や母上はそう簡単にお城を脱け出せないかもしれないけど……でも、本当に本当に危なくなったら兄さんのお家に逃げても良い?
━━━━……うん。うん、わかった。天花や天花のお母さんのことは、僕が絶対に守ってあげるからね。

天花のそれは冗談のつもりだった。しかし燦は本気で受け取ってしまったらしい。まあ、嘘を吐いている訳でもないので天花はあはは、と笑っておいた。戦なんてそう簡単に起こる訳がない。だって、この広い天下は一度ひとつにまとまったのだ。また崩れるとしても、それには時間がかかることだろう。

━━━━あっ、もし天花にお婿さんが見つからなかったら、僕が天花のお婿さんになっても良いんだよ?
━━━━あはは、良いかもね。本当の本当に私が相手を見つけられなかったら、その時は頼むよ。

少なくとも、こうして燦と笑い合っていられるうちは戦なんて起こるまい。天花はそう楽観視していた。戦など見たこともなく、だいぶと天下がまとまった後に生まれてきた天花は、いっそ幸せなくらいに戦というものを━━━━人の世の移り変わりの速さを知らなかった。


━━━━戦が、起こるのですか。


二年。たった、二年である。いや、正確には二年も経っていなかったかもしれない。そんな僅かな時の間で、天花の周囲には戦が起こるのではないかと噂する者が格段に増えていった。
というのも、天花の働いている城の城主である大名がその戦の中心にいるということもあるのだろう。近いうちに大きな戦が起こる。周囲の者たちがそう思う程度に、日ノ本は張り詰めていた。

━━━━……わかりません。ですが、戦が起こるのは確実でしょう。あんな事件があったのですから……。

天花の問いかけに答える葵の表情は芳しいものとは言えなかった。あんな事件、というのが何を指すのかは天花にはわからなかった。何せ此処一年で物騒な事件が後を絶たないのである。やれ襲撃だ、蟄居だ、密会だと不穏な噂は留まるところを知らない。どれが真実でどれが虚偽なのか、天花にとってはどれもあやふやでよくわからない。とりあえずただならぬ状況だということは理解出来た。

━━━━母上、もしも戦が起こったら、私たちはどうなってしまうのでしょうか。

天花の不安は尽きなかった。だから葵にそう問うたのだ。戦というものがどのような影響を及ぼすのか、天花は大まかにしか知らない。だから聞くしかなかった。聞いて、知るしかなかったのだ。
葵は天花からの問いかけを受けて、酷く悲しげな顔をした。そして彼女の頭を優しく撫でながら、語りかけるようにして説明する。

━━━━戦とは、恐ろしいものです。勝つか負けるか、それさえも天運が決めるのです。ですから、私たちは殿を信じる他ないのですよ。
━━━━殿を……?
━━━━そうです。殿ならきっと上手く事を進めてくださるでしょう。何たってあの太閤様があれほど信頼なさっていたのですから。ですから……ね、天花。私たちは殿の大切なこの城を守ることで、殿を信じるのですよ。

天花はあくまでもただの侍女に過ぎない。だから、此処の城主がどれだけの軍才を有しているのだとか、どのような武将を仲間につけたのだとか、そもそも何処で戦が起こるのかとか、そういったことに関する知識は皆無であった。だから信じろ、と言われても素直にはい、とうなずくことは難しいのである。

━━━━どうして、母上はそんなに簡単に殿のことを信じられるのだろう。

天花は思う。布団の中で、母の背中を一瞥しながらそう思う。何故葵は城主のことをあっさりと信じるなんて言えるのか。これより来る戦は怖くないのか。天花は怖い。何が起こるかわからない未来が怖い。大切な人やものを奪われてしまうのではないかと思うと、すっと眠ることも出来ない。

━━━━私は、どうすれば良いのかな。きっと母上はお城を脱け出しちゃ駄目と言うだろう。でも、もしもお城が襲われでもしたら……。

其処まで考えて、天花は恐怖に震えた。そんなことになって欲しくなんかない。天花は逃げるようにして布団に潜り込むと、年甲斐もなく葵の背中に引っ付いて固く目を瞑った。

8日前 No.268

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

天花の不安に呼応するかのように、彼女が14の誕生日を迎えた秋にその戦は起こった。何でも日ノ本の中心で天下分け目の戦いが起こるのだという。
不安に駆られる天花を余所に、城の者たちは彼女程戦を恐れてはいなかった。……というのも、戦力は城主が所属している軍の方が勝っているという話が出ているからであろう。たしかに懸念はあったが、まさかすぐに負けることはあるまい。皆そのように思っていたのだろう。

━━━━大丈夫ですよ、天花。

浮かない表情の天花を、葵は何度も励ました。士気に関わるので天花は不安を煽るようなことは言うまいと口を閉ざしていたが、それが余計に葵を心配させたのだろう。天花の背中を撫でながら、葵は彼女を安心させようと言の葉を紡ぐ。

━━━━あなたの思っているような事態にはなりませんよ。天花、あなたは戦を知らないから恐ろしいのでしょうね。でも大丈夫、きっと殿は上手くやってくださいます。

━━━━だが、戦局はたった半日で決した。自軍の裏切り、主要部隊の瓦解と致命的な状況に追いやられた城主の軍は、最後には散り散りになって敗走するという結果に追い込まれた。城主の行方も未だにわからず、生死すら不明という状況に陥った。
戦場からそう遠くない場所にあった城には間もなくして多数の敵兵が押し寄せてきた。いわゆる籠城戦を強いられることとなった城内は揺れに揺れた。城主はいない。敵軍の戦力は此方のそれを遥かに凌ぐ。そもそも主要な兵士は皆城主に従軍している━━━━。状況は一気に絶望的なものへと転じた。

━━━━は、母上……。ど、どうしたら……。

がくがくと震えながら、天花は葵にすがり付いた。もうどうしたら良いのかわからなかった。天花は戦というものをよく知らない。だが今の状況がよろしくないものであるということは素人の彼女にもわかった。この状況を打開する方法なんてあるのだろうか。城主の一族は奮闘して何とか敵軍を押し止めようとしてくれているが、それも時間の問題である。いずれこの城は落ちるだろう。階下の怒号を聞きながら、天花はそう確信していた。
今にも泣き出してしまいそうな天花を、葵はそっと抱擁する。その腕はあまりにも穏やかで、あまりにも優しかった。どうして葵はこんなにも落ち着いていられるのだろう。天花はこのような絶体絶命の窮地にいながら、ついついそんなことを考えた。

━━━━……天花。この城はもうじき敵の手に渡るでしょう。そうなれば、私たちの身も敵に渡ってしまう。最悪無惨に殺されるか、辱しめられるかのどちらかでしょう。
━━━━そ……そんなの厭です……!
━━━━……わかっています。ですから……ね、天花。私たちが為すべきことはひとつです。

そう言うと、葵は天花の手を引いてすたすたと歩き出した。その足取りに迷いはない。天花は一抹の不安を覚えながら、葵に連れていかれるままに足を動かした。
葵に手を引かれてたどり着いた先は城主の部屋であった。躊躇いなくその部屋に入る葵に天花は驚いたが、手を引かれている以上彼女に着いていかない訳にもいかず、天花はどきどきしながら室内へと足を踏み入れた。誰かいるかもしれないと思ったが、正妻などはそれぞれの部屋にいるらしく、室内にいるのは葵と天花だけだった。

━━━━母上、殿のお部屋に、勝手に入ってよろしいのですか……?

もしかしたらきつく咎められるかもしれない。そんな不安から天花は葵にそう問いかける。しかし葵はそれに答えることはせずに、慣れた手付きで日用品などを収納しておくための押し入れを開けて、ひょいひょいと中身のものを取り出し始めた。

━━━━……天花。この押し入れはいざという時のための隠し通路になっています。此処を通れば山の麓にある古井戸に繋がり、城の外に脱出出来る。……此処を通って、逃げるのです。
━━━━に、逃げるって……。
━━━━……逃げることは恥ずかしいかもしれないわ。……でもね、天花。あなたは武士の子ではない。あなただけでも逃げて、戦とは無縁の、平和な暮らしを送ったって誰も咎めないはずです。
━━━━そんな、じゃあ母上はどうするのですか……!?

まるで天花だけを逃がすような葵の口ぶりに、天花は思わずそう言って彼女を問い詰めた。出来ることなら葵といっしょに逃げたい。しかしそんな天花の気持ちとは裏腹に、葵はふるふると首を横に振った。

━━━━私は逃げない。……いいえ、逃げられないのよ、天花。殿には恩があるもの。私はこの城と運命を共にしなければなりません。
━━━━……そんな、そんなの厭です、母上!私は母上といっしょが良い!だって母上は、母上は私の家族なのですよ!?こんなところで別れたくなどありません!

普段はあまり我が儘を言うことのない天花だったが、この時ばかりは引き下がれなかった。葵が死ぬなんて厭だ。自分だけ生き残りたくなどない。故に天花は駄々っ子のようにごねた。葵と共に逃げられないのなら言うことは聞かないと意地を張った。そんな天花に驚いたのか、葵は少し面食らったような表情をしながら、それでも彼女の言葉にうなずこうとはしなかった。

━━━━いけませんよ、天花。我が儘を言う子は嫌いです。
━━━━でも、でも……!
━━━━大丈夫。あなたには大事な片割れがいます。彼なら、あなたの助けになってくれるはずです。
━━━━え……は、母上……なんで、兄さんのことを……?

何故葵が燦のことを知っているのか。それを天花は問おうとしたが、それよりも先にばん、と先程閉めたはずの障子が開けられる音が室内に響いた。

━━━━貴様ら、何をしている!?

飛び込んできたのは城を守っている兵士であった。その後ろには、共に仕事をしていた侍女たちの何人かが控えている。

━━━━……っ!

葵はそれを見た途端、天花を守るように自分のもとへと抱き寄せた。すると兵士は葵を睨み付け、まるで敵兵でも見るように尖った空気をかもし出した。後ろに控えている侍女たちも同様だった。

━━━━貴様、やけに殿に近しいと思えば……貴様が情報を流したのか!
━━━━そうよ、きっとそうよ!あの女は敵軍と内通していたのよ!
━━━━違う、私は……!

葵は彼らの言葉を否定しようとしたが、皆葵の言うことを聞こうとはしなかった。誰も彼もが葵に敵意を向け、皆が葵を内通者と思い込んでいる。そんな状況に、天花は純粋な恐怖を覚えた。どうして誰も葵の言葉を信じてくれないのだろう。だって、今までずっと共に働いてきたではないか。何故こんなにも葵は疑われなければならないのか。天花は反論したかった。だが今此処で声を上げることは天花にはとても出来なかった。
何故か。それはあまりにも簡単な理由である。天花は恐ろしかったのだ。よく見知った人間に敵意を向けられて、天花は声を出すことも出来ない程に怯えてしまった。

━━━━内通者は始末しなければ!
━━━━そうだわ、きっと敵に情報を売りに行くつもりなのよ!
━━━━殺せ、あの娘も仲間だ!

怖い、怖い、怖い。天花は震えた。自分や母は殺されるのか。そう考えると涙が止まらなかった。嗚咽を漏らす天花を一瞥してから、葵は意を決したように目の前の者たちを見据える。

━━━━私は内通などしていません。ええ、天地神明にかけて、殿を裏切るような真似などするものですか。
━━━━黙れ!口では何とでも言えよう!

葵の言葉は最早天花以外の人間には虚偽にしか聞こえていないようだった。葵は諦めたように溜め息を吐いてから、天花を素早く押し入れへと突き飛ばした。

━━━━母上!
━━━━お行きなさい!戻ってきてはなりません!
━━━━でも、母上!
━━━━早く!早くお行きなさい!私の言うことが聞けない子はいりませんよ!

その言葉を最後に、押し入れの向こうから葵の声が返ってくることはなく、ただただ怒号が聞こえてくるだけであった。天花はぶるぶる震えながら、どんでん返しになっている壁を通って其処から続いている階段を駆け下りた。もしかしたらあの兵士たちが追ってくるかもしれないという恐怖から、天花は後ろを振り返ることなく一目散に走り続けた。

━━━━母上が言った通りに、兄さんの家へ向かおう。もうお城には戻れないし、戻っても皆から裏切り者扱いされてしまう……!

天花は駆けた。駆けて駆けて駆け続けた。隠し通路は幸いなことに一本道になっており、しばらく進むと行き止まりに突き当たった。これ以上前に進む道は続いておらず、真上に続く梯子がかけられていた。見上げてみれば、夕日の暮れかかった空が見える。

━━━━此処から……外に出られるんだ……。

思い残すことはあった。受け入れられないことも山程あった。しかしお行きなさいと葵は言った。ならば行かねばなるまい。天花は決意を固めて、かけられた梯子を上っていった。

7日前 No.269

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

天花が働いていたこの城は山城で、脱出口となった古井戸はその麓にあった。もう既に日は沈みきっており、辺りは木々が多いこともあってか見通しが良いとは言えなかった。だが逃げる天花にとってはむしろ好都合である。幸いなことに人気もほとんどなく、天花は敵兵に見つかることなく城を脱出出来た。

━━━━……城下町……は、危ないかもしれないから……。少し遠回りしていこう。

辺りを警戒しながら、天花は燦の住んでいるあばら家に向けて走り出す。道はもうわかっている。何処に繋がるのかも理解しているから、普段と違う道でも差し支えはない。
城で戦が行われているということもあり、天花はほとんど人と会うことなく燦の家を取り囲んでいる雑木林までたどり着くことが出来た。途中で通り過ぎる兵士たちを見かけたら、物陰や木陰に隠れなければならなかったので思ったよりもけっこうな時間がかかってしまった。いつもならこんなに全力で走ることもないから、天花の息は上がっていた。それでも、無事に雑木林までたどり着けたことはそれらの苦しみを相殺するだけの力を有していた。

━━━━もうすぐ……もうすぐで、兄さんに会える……!

天花は早く燦に会いたかった。燦ならきっと、自分のことを優しく受け入れてくれるだろうと思った。早く人の優しさに触れたかった。しかし、天花が足を踏み出そうとしたところで彼女は硬直することとなる。

━━━━う、うわぁぁぁぁぁっ!!??

見知らぬ男の悲鳴。そしてがさがさと足下の草を踏みつける音。誰かが此方に向かって走ってくる。天花は慌てて木陰へと身を隠す。間もなくして、二人の男がばたばたと駆けてきた。

━━━━やべぇ、やべぇよ……!俺たち、呪われたのか……!?
━━━━馬鹿、の、呪いなんて、ある訳ねぇだろ!
━━━━け、けど……あいつ、あいつは……!
━━━━良いからずらかるぞ!くそっ、何でこんなところに“あれ”が……!

男たちは天花に気づくこともなく、何かに怯えるように雑木林を出ていった。不審にこそ思えど、天花は特に二人のことを気にすることはなかった。どうせ梟の鳴き声か何かに驚かされたのだろう。そんな風に考えて、燦の住んでいるあばら家に到着した。

━━━━兄さん!私だよ、天花だよ!

いつもするのと同じように、天花は室内にいるのであろう燦へと声をかける。きっとすぐに燦が出てきて、自分を出迎えてくれるのだろうと信じたまま。
しかし燦からの返事はなく、彼が出てくることもなかった。天花が声をかけても、あばら家はしんと静まり返っている。可笑しい。この時間帯に燦が眠ることはさすがにないし、彼は滅多に外出をしない。こうも無反応なことはこれまでになかったはずだ。

━━━━……兄さん?

もう一度、天花はおずおずと燦を呼ぶ。しかし相変わらず返事は返ってこない。不安に思った天花は、とりあえずあばら家に上がってみることにした。

━━━━兄さん、兄さん?何処にいるの?

不安に押し潰されそうになりながら、天花は燦を探す。土間にも茶の間にも燦はいなかった。天花が今まで通された部屋を一通り回ってみたが、燦の姿は何処にもない。

━━━━まさか……お母さんの部屋……?

燦は天花を決して自分の母の部屋に通すことはなかった。天花に気を遣ったのだろう。何処にもいないとすれば其処しか行く先は当てはまらない。多少の躊躇はあったが、天花は足を止めなかった。場所ならわかっている。ぎっ、ぎっと床を小さく鳴らしながら、天花は件の部屋へと向かう。やがて該当の部屋へとたどり着き、天花は兄さん、と一度呼び掛けてから障子を開け放った。


そして天花の目に入ったのは、凄まじいまでの“あか”であった。


赤。朱。緋。丹。赭。果たしてそれの本当の名前は何という色なのか、天花は知らない。だがただただ真っ赤であることだけは確かだった。そのひたすらにあかい血溜まりの中に、燦は力なく横たわっていた。

━━━━あ……に……兄さん……?

天花は燦に近付いてみる。だが燦は答えてはくれない。燦の顔はもともと白かったが、今ではすっかり青白く、まるで人形のようだった。どくどくと彼の体から流れる血潮は真っ赤なのに燦にはもう温かみがない。━━━━詰まるところ、燦は死んでいた。何者かに斬り付けられて死んでいた。天花はふらふらと燦の傍らまで歩き、ぺたんとしゃがみこむ。天花が燦の死を理解するには、十分な距離である。


それは、天を突くかの如き慟哭だった。


天花は泣いていた。ただひたすらに声を上げて哭いていた。最早絶叫にも近いそれは、おおよそ普段の天花の喉から出るようなものではなかった。
身を引き裂かれるかのような悲哀と、強烈な痛みにもよく似た感覚が天花を襲う。どうして、どうしてと天花はしゃくり上げながら繰り返した。どうして燦が死ななければならないのだろう。涙はいくら流しても止まることはなかった。尽きることなき疑問と悲しみが天花の体を苛んだ。

━━━━嗚呼、私はどうすれば良いんだろう。この気持ちは、どのように形容すれば良いんだろう。

何もかもがわからなかった。理解なんてしたくなかったし、受け入れたくもなかった。だってこんなのあんまりだ。一体誰が、何のために燦を殺したというのだろう。
これは天花の預かり知らぬところではあるが、燦を殺したのは先程雑木林から逃げるようにして去っていったあの二人の男であった。あの二人は金儲けのために、民間人の首を敵軍のそれに見せかけて仕官しようと目論んでいたのである。しかし殺した相手がまさか白子だとは思わなかったのだろう。呪いでもかかるのではないかと恐れた二人は逃げ帰り、その途中に天花とすれ違ったのだった。

━━━━母上も、兄さんも……。私の大切な人は皆死んでしまった。……ならば、私は何のために生きれば良い?

生きる意味。それを今の天花は見失いつつあった。これまで生きる意味なんて天花にとってはほんの些細なものだった。何故生きるのか。そんな問いを投げ掛けられても、以前の天花ならわからない、と笑って答えただろう。優しい母と無二の片割れ。彼らといっしょに生きる穏やかな生活なら、生きる死ぬなんて考えなくても気楽に過ごせた。
だが今はどうだろう。誰も彼も、天花の大切な人は死んでしまった。天花に居場所はない。城にも戻れず、知り合いもつてもない。かつて仕えていた城主は賊軍扱いされるようになった。この状況で、たった一人の少女に何が出来るのだろうか。

━━━━私は死ぬべきなの?それとも母上や兄さんを奪った者たちに復讐すべきなの?私は……私は、どうすれば良いっていうの?

わからない。何もかも、全てがわからない。考えれば考えるだけ、天花の中はぐちゃぐちゃにかき回されるようだった。何も出来ない。天花には、何も出来ないのだ。それは天花がいちばんよくわかっている。こんな無力な腕で出来ることなんて限られている。だが、それらは今天花がすべきことには思えない。

━━━━ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私には、何も出来ない。私には、何もない。

天花はふらりと立ち上がった。燦の骸には近くにあった布団をかけておいた。死んだ者の処理なんて、天花にはわからなかったのだ。そのまま、天花は覚束無い足取りのままで、ふらふらとその場を立ち去った。

6日前 No.270

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【幕間:慈母が愛した花の真実】


ある女がいた。

その女は近江のとある戦国大名に仕える武家の娘であった。しかしその主君は時の権勢を我が物にした大名によって没落の一途を辿った。女の父は主君と運命を共にせんと戦場に飛び込んで討死し、母は女を連れて琵琶湖から多少離れたところにある小さな村に身を隠した。女手ひとつで母に育てられてきた女だったが、女が15になったある日に母が病でこの世を去り、結果的に天涯孤独の身となった。
それでも女は武家の娘としての誇りを忘れなかった。たった一人であっても、正しき生活をしようと努力した。


そんな女の転機となったのは、ある星の綺麗な冬の晩のことであった。


女はその晩、たまたま眠れなくてぶらぶらと散歩をしていた。すると、そう遠くない場所から何やら苦しげな男のうめき声が聞こえてきたのだ。これはきっとただ事ではない。そう判断した女は声のする方へと駆けた。
しばらく走っていくと、其処には腹からおびただしい量の血を流して踞っている男がいた。彼の傍には布にくるまれた赤子が転がっていて、火が点いたようにわんわんと泣いている。明らかに普通とは言えない状況に立ち尽くしている女に、男は血を吐きながら話しかけてきた。

━━━━お……お前、此処の村の者か……?
━━━━……そうですが。
━━━━すまない、すまない……。身勝手なことだとはわかっているんだが、お前に頼みたいことがあるんだ。

そう言って男が手渡したきたのは、武骨な印象を抱かせる一振の野太刀であった。後に農民からは取り上げられるそれだが、この時は安物であれば民衆が手に入れることも出来た。少なくとも、これまで女が見てきたものに比べると随分安っぽく見えた。

━━━━これで、介錯をしてくれ。痛くて、苦しくて、仕方がないんだ。
━━━━何故、腹など……。
━━━━うちの家内が、畜生腹だったんだ。しかも片方は白子ときた。だから、そうでない方を殺してこいと、言われて……。でも駄目だ、俺には殺せない。けじめのために腹を切ったが、痛くて痛くて堪らない。……だから、俺の介錯をした後に、その子を斬って欲しい。

男の片手には血塗れの短刀があった。恐らくそれで腹を切ったのだろう。女は何も言わずに、手渡された野太刀を受け取った。

━━━━身勝手な願いだって、わかってるよ。けど、もう駄目だ。だから━━━━。
━━━━良いわよ。

え、と男が声を上げる前に、その首は地面に転がっていた。吹き出す男の血に濡れながら、女は赤子を抱き上げる。そのままよしよしと赤子をあやしながら、女は首のない男の体を睨み付けた。


━━━━どのような子も生かさず、己が始末もつけられない下郎などに、子を抱く資格などあるものか。


そして女は自分を母親と偽って、その赤子を育て始めた。赤子には天花という名前を付けた。天上に咲く花のような心を持った子になって欲しいと思ったのだ。天花は決して完璧な子とは言えなかったが、素直で真面目な子だった。女のことを母上、母上、と慕う姿は何とも愛らしかった。
女は天花を愛し、天花も女を愛した。彼女が育った時に自分は本当の母親ではないのだと告げても、天花は女のことを母上と呼び続けてくれた。それがどれだけ嬉しかったことか。今でも思い出すだけで天花がいとおしくて堪らなくなる。

━━━━あの子にはどうか、幸せに生きて欲しい。あんなに素直な良い子なんだもの、傷付けるのも傷付けられるのもきっと向かないわ。

幸いなことに、女はとある城で侍女として働くことが出来た。……というのも、その城主の知り合いの親族が女の一族と同じ主君に仕えていたことがあり、その縁で紹介されるような形で雇われたのである。武家の娘である女は城主とも年がそう離れていないこともあり、時には城主の知り合いを招いた際に談笑することさえあった。賢く、そして気高い心を持った女は侍女の中でも特に目をかけられたが、そのあり方はどちらかと言えば友人のようなものに近かった。


それだけで、女は内通者と疑われた。


天花を逃がそうとしていたのは確かだ。それが武家の誇りに背くようなことだとはわかっていた。けれど、女は天花に生きて欲しかった。天花だけは、武家の道理や体裁などはなしに、ただ生きていてくれるのならそれで良かった。
だから逃がした。天花が嫌がるのはわかっていた。それでも天花が死ぬよりはずっとずっとましだった。彼女が片割れを見つけたのは知っていた。ある日を境に、彼女の様子が何処と無く変わったからだ。ずっといっしょに過ごしてきたから女にはわかった。だからその片割れと上手くやれているのなら、彼のもとで幸せに暮らして欲しいと願った。

━━━━……ごめんなさい、天花。

腹部から、口から、様々なところから凄まじい量の血を流して尚、女は立ち上がる。彼女を突き刺した兵士がひっ、と息を飲んだ。まさかこの状態で動けるとは思っていなかったのだろう。

━━━━ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私はただ、あなたに幸せになって欲しいだけだった。身の危険に脅かされることもなく、飢えることもなく、小さなことで笑い合えるような、そんな生活をして欲しかっただけなのに……。

ずるり。女は足を動かす。何処へ向かおうというのか。━━━━否、何処にも向かわない。女はそのまま床に倒れ込んだ。真っ赤な血液が床に染み込み、茶色い床はそれらによって赤黒く染め上がっていった。

━━━━天花。死んでは駄目。死んだら、何もかもが終わってしまう。どうか生きることを諦めないで。死という永遠に逃げないで。どんな方法を使ってでも生きて、私のようにはならないで、あなたが幸せだと思える生き方を見つけなさい。だから、お願い。たとえ死にたいと思っても、死んではいけない……。

女の意識は薄れていく。その目蓋の裏には、逃がしたはずの天花の姿があった。きっと彼女は不器用だから、上手く生きていくことは難しいだろう。それでも、それでも良いのだ。天花が生きて、自分の生き方を模索してくれるのならそれだけで良い。天花が生きたいと願ってくれるのなら、たったそれだけで━━━━。


女は━━━━葵という一人の母親は、そう思いながら息絶えた。血の繋がらない愛娘、天花の幸福を切に望んだまま、その短い生を終えた。

5日前 No.271

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【第47幕:朽ちた花弁は奈落に至る】


此処数日、海は時化が続いている。

何故この天気で船を出そうと思ったのか。何度も天花は思った。天花とて船に乗ったことがない訳ではないが、これほどまでに揺れるとは思っていなかった。おかげで何回海に向かって嘔吐したか知れない。船員も船酔いしていたため吐くのが許されたことが幸いであった。

━━━━……私、何してるんだろう……。

はぁ、と天花は溜め息を吐く。何故彼女は船に揺らされているのか。その答えに行き着くまでにはそれなりの複雑な経緯があった。
燦のあばら家を出た天花には、もう居場所らしい居場所はなかった。そのため天花も何処に行って何をすべきかわからない状態にあった。ひとしきり考えて、天花は一先ず大坂を目指すことにした。大坂は豊臣氏が治める大坂城を構えた都市であり、天花の働いていた城の城主はその豊臣氏に仕えていた。もしかしたら旧臣に仕えていた者として働き口が見つかるかもしれないし、他に行けそうな場所もなかったので、天花は大坂に向けて歩き出した。しかし手ぶらの娘が一人で近江から大坂に行ける……訳もなく、彼女は道の途中で出会ったならず者に捕まってしまった。乱暴でもされるのではないか。そう恐れていた天花だったが、そのならず者たちは幸か不幸か奴隷商人であった。せっかくの売り物を傷物にするような商人はおらず、彼らの手によって天花は船に乗せられて、何処へ行くのかわからないままに売られたのだった。

━━━━堺は最近使われなくなったみたいだから……行くとしたら長崎、とかかなぁ……。

時化に揺れる船の中で、転がっていかないようにと近くの柱にしがみつきながら、天花はぼんやりとそんなことを思う。天花の他にも奴隷として連れてこられたらしい者は何人か見受けられたが、彼らを気にしていられるような余裕は残念ながら天花は持ち合わせていなかった。
……というか、天花はあの日からぼんやりとすることが多くなり、他人のことをそもそもあまり考えなくなった。奴隷として売られても、乱暴をされなかったという点では一安心している辺り、天花は精神的にかなり参っているのであろう。何だか物事を考えることさえも億劫で、よっぽどのことがない限り反応らしい反応を示さなくなっていた。

━━━━おい、そろそろ港だぞ!降りる準備をしろ!

船員からそう声がかかり、天花はのそのそと動き始める。何処の港に着いたのだろう。少し気になりはしたが、些細な問題だろうと思った。どのようなところのどのような人間に買われたって、自分の人生なんてそう変わるものではなかろう。━━━━少なくとも、今の天花はそのように考えていた。
押されるようにして外へ出る。雨はまだ降り続けていたが、海はそれほど荒れていなかった。━━━━いや、荒れまくった日に比べての話、なのだが。いや、天花にとってそんなことは些末なことだった。彼女は目の前に広がる風景を見て、ぱちくりと瞬きをする。

━━━━……え?

ぽかん、と。口を開けて突っ立っていたら、早く歩けと奴隷商人から急かされた。とりあえず謝罪して歩き出した天花ではあるが、彼女の混乱は止まらない。

━━━━何此処、長崎とかそれ以前に……日ノ本じゃ、ない……?

周りからは吃驚する程日ノ本の言葉は聞こえてこないし、遠くに見える建物も日ノ本のそれではないし、何よりも近くにいる人間たちのほとんどが日ノ本の人間に見えない。南蛮の商人か明の商人か、はたまたそれ以外の国から来た者か━━━━。とにもかくにも天花を取り囲む人間たちは明らかに同郷の人間ではなかった。此処で天花はやっと、事の重大さに気づいたのである。


━━━━……私、海の向こうに売られた……?


南蛮の商人たちが奴隷貿易でたんまり儲けているということは日ノ本でも噂になっていた。だがまさか自分がその当事者になるとは思ってもいなかったので、天花はこの状況に混乱するしかない。飛び交う言語はわからないし、何処に向かっているのかもわからないし、とにかく全てがわからなくて、天花の頭の中はぐるぐるとかき回された。
そうこうしているうちに、何やら取り引きなどを行うらしい建物の前まで到着した。少なくとも、通り過ぎてきた建物の中でいちばん大きかったため、天花はそう解釈した。入れ、と言われて天花も中に足を踏み入れようとした━━━━のだが、急に後方がざわざわと騒がしくなった。

━━━━……?揉めてる……?

どうやら天花たちを率いてきた奴隷商人にいちゃもんをつけている輩がいるらしい。ちらりと見てみると、いかにもお高そうな傘が見えた。そういえば雨が降っていたんだっけ、と天花は今更ながら思い出す。小雨だからあまり気にしていなかったのだ。
暫し揉めていた奴隷商人とその相手だったが、これには奴隷商人が屈したらしい。渋々といった様子で、文句をつけてきた相手を通す。天花たちの先を行っていた奴隷商人も、天花たち奴隷にまだ建物の中に入らないようにと指示を出した。その人物はこの雨の中奴隷を見に来たようで、後方の奴隷から順繰りに見定めているようだった。

━━━━…………!

天花のところまでその人物は回ってきたが、その風貌に天花は思わず背筋を伸ばして、柄にもなく畏まってしまった。端的に言うと、その人物はあまりにも美しかったのである。男女どちらとも取れる艶やかな黒髪、端正な顔立ち、すべらかな肌。ふわりとその体からは花の香りがして、潮風に吹かれて全体的にしょっぱくなっている自分が恥ずかしくなってくる。着ている服は男物のようだから、一応は男性……ということで良いのだろう。
彼は正面から天花のことを見つめた。目を逸らしたら無礼だ何だと言われそうなので、天花も彼の黒曜石のような瞳を凝視する。しばらく二人は見つめ合っていたが、やがて男性の方から目を逸らした。きっと彼のお眼鏡にはかなわなかったのだろう。そう思ったのも束の間、男性はぐいっと天花の手を引いて彼女と共に奴隷商人のところへと歩いていった。そして、奴隷商人と何やら話をする。明の言葉はわからないので、天花はただその様子を眺めているしか出来なかった。

━━━━……お、お前、良かったな。この方が、お前のことを買ってくださるってよ。

話がまとまったのか、やや面食らった様子で奴隷商人が天花にそう伝えてくる。天花は冗談でも何でもなく、開いた口が塞がらなかった。この美貌の人が、自分を買うなんて思っていなかった。
戸惑っている天花を余所に、男性はるんるんとしながら彼女の手を引いて歩いていく。お付きの者は急いで彼に傘を傾けていた。嗚呼、自分もこの者のように肩を濡らしながらこの男の世話をしなくてはならないのか。そう思っていた矢先、男性が何やら話しかけてきた。

━━━━……?

しかし天花はその言葉がわからない。故に首を傾げるしか出来なかった。すると男性は一瞬残念そうな顔をしてから、はっと何かを思い付いたようにその美しい顔を輝かせた。そしてお付きの者の一人に何やら伝えてから、再びたおやかな笑みを浮かべる。

━━━━……何考えてるんだろう、この人……。

そんな彼の真意を知らない天花は訝しげな表情をするしかない。彼は一体何を問いたかったのか、そして何を思い付いたのか。それらを知らない天花は予想するしかないのだが、良い感じの考えは思い付かない。そんな天花を男性は楽しげに眺めながら、通りに停められていた馬車の中へと彼女を誘った。

4日前 No.272

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移動時間はそれほどかからないだろうと思っていた天花だったが、どうやらこの男性の家は遠方にあるらしく、度々休憩を挟みながら馬車は進んでいった。その途中で天花は男性の召し使いと思わしき女たちに体を洗われ、綺麗な服を着せられた。裾が長くて歩きにくかったが、その天花の姿を見た男性はご満悦といった様子だった。
馬車にしばらく揺らされていた天花だったが、そんな最中にふと男性が肩を叩いてきた。突然のことだったために天花はびくり、と思わず身構えてしまう。この馬車には天花と男性の二人きりだ。こんな状況だと何をされるのだろうかと警戒してしまう。

《我的名字是蔡浩宇》
━━━━……?

差し出されたのは一枚の紙切れだった。其処に男性が筆で文字を書いたらしい。しばらく手渡されたそれを眺めていた天花だったが、はたとあることを思い出す。

━━━━もしかして……この人の名前が、蔡浩宇というのかも……。

葵から薦められて漢詩文に触れたこともある天花は、朧気ながらその訳し方を思い起こした。間違っている可能性は高いが、相手の言葉がわからない以上憶測でも何でも試してみるしかない。天花はとりあえず筆が欲しいということを伝えようとしてみた。筆談であれば、ある程度の意志疎通は出来るかもしれない。

━━━━あー……その、それをですね……。

言語が通じないのであれば身ぶり手振りで意志疎通を図る他ない。天花は一生懸命体を動かして、浩宇が持っている筆を貸して欲しいということを伝えようとする。しばらくぱちぱちと瞬きしていた浩宇だったが、やがて天花の意図を察したのか、彼女に筆を手渡した。天花としては謎の達成感を感じてしまう。

《我名前天花》

とりあえず、伝わるかどうかはわからなかったが天花はそれっぽい文章を先程の紙切れの空いているところに書いて浩宇に返した。それを見た浩宇は天花の書いた文章に目を走らせて、そしてにこりと微笑んだ。ティェンファ、と浩宇が呟いたのを天花も聞いた。恐らく、明の言葉で天花の名前を呼ぶとそういった発音になるのだろう。

━━━━や……やれば出来るじゃない、私……!

相手に自分の言いたいことが通じた。それだけで天花の中には仄かなものではあるが希望が生まれる。天花の多少ではあるが明るくなった表情に、浩宇もまた表情を綻ばせた。そしてまた別の紙切れに何かをさらさらと書き付ける。

《我的房子在四川》
━━━━房子……って何だろう……?

四川はわかる。いつぞやに葵が語ってくれた明の話で出てきた地名だ。ということは、浩宇の家は四川にある……ということだろうか。自信はなかったが、浩宇は返事を待っている。もたもたしている暇はない。

《我思期待》

とりあえず、楽しみです、ということは伝えておこうと思った。そのため天花はそれらしい文章を書いて浩宇に再び渡す。するとまたしても浩宇は嬉しそうにその返事を眺めるのだった。

━━━━もしかしてこの人、お話するのが好きなのかな……?

何を返しても喜んでくれる……ということは、これはただの問いかけではなく、浩宇がお喋り好きなのだと天花は思った。自分のような何処の馬の骨か知れない人間ともこれほどまでに楽しそうに接するのだ。もしかしたらこの浩宇という男は無類のお喋り好きで、話し相手が欲しかったのかもしれない━━━━。あくまでも憶測に過ぎなかったが、そう考えると天花としても合点がいった。

━━━━そういうことなら、私にも出来るかもしれない……!

幸いなことに、天花は読み書きが出来る。漢字を書けばそれらしいことは通じるのだ。それならば浩宇の相手はそれほど難しいものではないだろう。そう考えた天花は、浩宇とのお喋りに積極的に取り組むことにした。
浩宇の屋敷に着くまで、二人は筆談をして過ごした。時折浩宇が口にする言葉はわからなかったが、簡単な意志疎通は出来るので天花としては特に気にはならなかった。聞けば、浩宇はまだ20代半ばだというのに役人として働いているという。もしかしたらこの人は出世頭なのではなかろうか、とさえ天花は考えた。未来の重役に仕えられるのなら、これほど嬉しいことはない。葵や燦との別れでどんよりと沈んでいた心が、少しではあるが明るくなったような気がした。

《是我的房子》

しばらくして、浩宇はそんな文を天花に手渡してきた。何だろう、と天花が思っている間に、浩宇は再び彼女の手を引く。詰まるところ、馬車の外に連れ出されたのだ。

━━━━……わぁ……!

目の前にあったもの。それは壮麗な外観をした大きな屋敷だった。朱塗りの壁、鳳凰を象った金属製の像、天上界のそれを思わせる池。一目見ただけで庶民のものではないとわかる建築物の数々に、天花は暫し呆気に取られていた。浩宇もそんな天花をにこにこしながら眺めていたが、家人から急かされて名残惜しそうに天花を屋敷の中に案内した。
天花はてっきり色々な部屋を案内されるものかと思っていたが、浩宇はそういったことはすることなく、真っ直ぐある部屋へと向かった。其処は外装に負けず劣らずのきらびやかさを有した部屋で、まるで皇族か何かが使うかのような華美な家具に溢れていた。

━━━━え……ええと……。

浩宇は何も言ってこない。ただ、天花を見て微笑んでいるだけである。彼は一体何を伝えようとしているのだろう。不安に思った天花は、先程彼からもらった紙切れを取り出して、近くにあった机の傍へと歩み寄った。着いてきた浩宇に再度筆を貸してもらい、一生懸命漢文らしい文章になるよう心掛けて彼への質問を書き付ける。

《此部屋有我?》

要するに、此処は自分の部屋なのか、と天花は問いたかったのである。浩宇は形の良い頤に手を遣ってしばらくむぅ、と考え込む仕草を見せていたが、彼女の聞かんとしているところを察したのか笑顔でうなずいた。

《正気?》

天花が思わずこのような低脳っぷりが炸裂している質問を投げ掛けてしまったのは致し方のないことだと思う。何せこの豪邸に加えてこの凄まじいまでに綺羅綺羅しい部屋だ。広州のとある港町で売られていた奴隷に与えるには過ぎたるものというよりは、与えられた相手が困惑する程度の豪華絢爛さである。天花でなくとも正気かと尋ねるだろう。
しかし浩宇はまたしても首を縦に振った。今度は間髪入れずに、である。何ということだろうか、天花は奴隷として売られたかと思いきや、そう時間をかけることもなくあっさりと華々しい住まいを手に入れてしまったのだ。

━━━━これは……なんというか、不安というか……。

翳っていた心が晴れかけていたことは素直に認めよう。だが、天花は決して安心など出来てはいない。種類は違えど、また新たな不安の種が生まれてしまったのだった。

3日前 No.273

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自分が召し使いとして買われた訳ではない、と天花が察し始めたのはそう遅くない頃合いであった。まずこの華美過ぎる自室だけでも十分に違和感を覚える。一介の使用人に与えられるようなものではない。そして天花が望むものは何だって浩宇が取り揃えてくれた。鏡が欲しいと言えば凄まじい螺鈿の装飾が施された鏡を渡され、紙と筆が欲しいと言えば大きな箱にあらんかぎりの紙と大小様々の筆と見ただけで高級品だとわかる筆記具の数々を簡単に手渡された。とにかく、天花が欲しいと望めば、浩宇は直ぐ様彼女が望んだものを与えたのである。
初めこそ至れり尽くせりだと天花は嬉しく思った。しかし、いくら欲しいものを与えられても天花にはしてはならないことがあった。天花はどうしてもそれに違和感を覚えずにはいられなかった。

━━━━この部屋の外に出てはいけない、だなんて……。

天花は自分の部屋から出ることを固く禁じられていた。お手洗いに行く時や体を洗うときには必ず浩宇が着いていき、お手洗いや水場の扉の前で天花がそれらを終わらせるまでじっと待っていた。そういった仕事は召し使いにやらせれば良いのではないかと天花は思ったが、浩宇は天花を召し使いの傍に行かせることも許さなかった。天花の傍にはいつも浩宇がいて、召し使いが天花に声をかけようとするとぎろりと睨み付けて追い払うなどしていた。

━━━━浩宇様は、一体私に何をさせたいんだろう。何のために私を買ったんだろう。

天花の部屋は二階にある。とてもではないが窓から外に出ることなんて出来ない。窓の外の景色をぼんやり眺めながら、天花はふとそんなことを考えた。
毎日美味しい食事が食べられる。欲しいと思ったものは何であれ手に入る。日によって違った服を着ることも出来る。━━━━だが、何故だか天花はその生活を満ち足りたものだとは思えなかった。我が儘を言っているということは自分でもわかっている。しかし、今の生活には、どうも首を傾げざるを得ない。

━━━━これ……生きてるというよりも、生かされてるって言った方が良いんじゃ……。

浩宇がいなければ天花は生きていくことすら出来ない。全て浩宇の力によって天花は生かされている。その感覚が、何処か気持ち悪かった。買ってくれたことに感謝はしている。良くしてくれることもありがたい。だが、これでは。こんな生活では、まるで━━━━。

━━━━飼い殺し、じゃない。

まるで、愛玩動物のような扱いである。そう考えてみると、これまで自分がされていたことが全て“そういった目的で為されてきたこと”のように思えてきて、天花は訳も少なからずぞっとした。
一月。たかが一月である。だがこの一月で、天花の生活は大きく変化した。外界の情報なんて入ってくる訳もなく、このだだっ広い部屋で生かされているだけの日々。まるで飼い主が愛玩動物にするかの如く髪を梳かれて、服も浩宇が選んだものを着る。それで浩宇が喜んでくれるのは確かだ。浩宇は天花を愛でるだけで、男女の営みまでは強要してこない。しかし、それが何よりも天花にとっては不気味だった。女を買うとはつまり“そういうこと”である。妻にするなり性処理の用途とするなり、そういった使い方をするならば嫌ではあるが納得は出来る。だが浩宇は天花に手を出すことはなく、ただただ自分好みに着飾り、愛でて、楽しんでいるだけのように見えた。

━━━━あの人は、一体何を考えているんだろう……。それに、私はどうすれば良いのかな……。

はっきり言って怖かった。このまま飼い殺しにされることも、外の世界を知らないまま死んでいくのも、此処にいた先の未来も、全て全て怖かった。今まで庶民として生きてきたこともあるだろう。しかしこの時ばかりはそういったことも抜きにして危機感を覚えた。

━━━━このお屋敷を出なきゃ。

これを他人が聞いたなら、奴隷として売り飛ばされることを一時は受容した人間が何を言っているのだ、と咎められることだろう。だが天花は決意したのだ。日ノ本に帰りたい。少なくとも、此処でずっと飼われたまま生活するなんて嫌だ。あの後日ノ本がどうなったのか、それを知ることの出来るところまでは進みたい。
しかし一概に脱出する、とは言っても今の状態のままではすぐに見つかって連れ戻されるか、最悪殺されるかのどちらかである。浩宇があっさり人を殺すような男には見えないが、人間は何を考えているのかもわからない。城を脱出したあの日から、天花はより他人を疑うようになった。いつもは穏やかな人間も、時として狂乱し、信じられないくらいに変貌することだってある。それを学んでしまった以上、何の根拠も無しに他人を信じることなんて出来ないのだ。

━━━━窓……からしか、出ることは出来ないよね……。

今のところ有力な脱出口になりそうなのは自室の窓くらいのものである。此処から屋根に移って下に降りる……ことは出来そうではあったが、明確な高さがわからない以上怪我をする可能性も低くはない。そうなれば移動にも支障が出るし、見つかるのも時間の問題になってくる。

━━━━だとしたら……一階に下りた時に逃げるしかないかな……?

天花が一階に下りられるのはお手洗いと水場に行く時のみだ。その時には必ず浩宇が同行するから、一人になれる時間はほとんどない。お手洗いにも水場にも、脱出口になるような場所はなく、扉の前には浩宇がいる。出て行くような真似は出来ない。

━━━━……大きめの窓なら、水場に行く途中にあるけど……。でも、やっぱり浩宇様の目を誤魔化すことなんて……。

うんうんと頭を悩ませていた天花だったが、此処である案が彼女の頭の中に浮かんだ。天花はこの豪邸の造りを思い出しながら、目を瞑って経路を確認してみる。完璧な作戦……とは言えないかもしれない。もしかしたらすぐに見つかるかもしれないし、余計に墓穴を掘るだけかもしれない。だが、此処で行動を起こさなければ、事態が変わることなんてないように思えた。

━━━━とりあえず……やれるだけのことは、やってみなくちゃ……!

ぐっ、と天花は拳を握りしめる。そうと決まれば早速準備に取りかからなくてはならない。もうすぐ例の時間が来ることだろう。それまでに一通りの準備を終わらせていなければ、この作戦は上手くいかない。
天花は立ち上がると、がさごそと箪笥の中のものを引っ張り出し始めた。華美な服は邪魔になるだけだからいらないだろう。売ればそれなりの金になるかもしれないが、天花に異国の通貨の知識はない。ならば必要最低限のものだけを持っていって、後のものは置いていくことにしよう。そんな風に考えながら、天花は必要なものを懐に入れていく。怪しまれないように、あくまでも装飾品を装えるものを選んだ。

━━━━……!

とん、とん、と。天花の部屋の扉が叩かれる音が響く。浩宇がやって来たのだ。基本的に天花の部屋は鍵がかけられており、浩宇を呼ぶときは天井から糸を通して彼の部屋に繋がっている鈴を鳴らさなければならない。天花の部屋にある糸を引っ張れば浩宇の部屋の鈴が鳴って、彼を呼びつける仕組みになっているのだが、一日に一回、呼ばなくても浩宇がやって来ることもある。

━━━━……体を洗う時間。これなら、浩宇様の目を盗んで脱出出来るかもしれない……!

諸々の道具に脱出のための道具を忍ばせて、天花は扉に向かって歩いていく。少しの油断が命取りになるのは天花がいちばんわかっている。すぅ、と深呼吸をしてから、彼女は浩宇に導かれるままに部屋を出た。

2日前 No.274

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るんるんとした足取りを装いながら、天花は浩宇に着いていく。いつも自分の三歩後ろを歩く天花が着いてきているか度々確認しながら、浩宇は相変わらずうっすらと微笑みを浮かべていた。天花のことを見つめて、それこそ小鳥でも愛でるかのように。彼の嗜好を天花は知らないが、もうこのような目で見られることのないようにと内心でこっそりと祈った。

━━━━……あ……!

此処で、天花は突然声を上げる。彼女の声を聞いた浩宇は直ぐ様立ち止まって、天花の傍へと歩み寄った。そしていつもと同じように、懐から紙切れと筆を取り出してさらさらと質問を書き付ける。

《怎□了?》

その言葉が何という意味を持つのか、天花は知らない。しかし浩宇の顔つきから、彼の言わんとしていることはなんとなく理解出来た。どうかしたのか、と尋ねたいのだろう。天花はすかさず返事を書く。

《我忘内衣》

要するに、替えの下着を忘れてきた、と天花は言ったのだ。それを見た浩宇は目を見開いてから、暫し悩むような仕草を見せた。水場まではあと少しでたどり着く。この広い豪邸だ、いちいち戻っていてはそれなりの時間がかかる。本来ならば使用人に取ってこさせるものだが、浩宇以外は天花の部屋に入ることを許されていない。そのため、取りに戻れるのは浩宇だけなのだ。

《来□。我会接受它》
━━━━……!はい……!

浩宇は書き付けた紙切れを天花に手渡すと、彼女の背中をそっと押した。先に行っていなさい、ということなのだろう。天花ははきはきと返事をして、水場まで歩いていく。そして付近の壁に身を隠し、浩宇が曲がり角を曲がったのを確認した。

━━━━……よし、今だ!

天花は浩宇の姿が見えなくなるや否や、ばっと着ていた上衣を脱いで身軽な格好になると、人が出ていけそうな大きさの窓を開けて外へと飛び出した。
時刻は夕暮れ時で、西の空が橙色に色づく時間帯であった。とにもかくにも一刻も早くこの屋敷を出なければならない。天花は全力一歩手前の速度で庭を走り、庭師などに見つからないようにと注意しながら出口になるような場所がないか、辺りを見回してみる。

━━━━出口にはきっと門番がいるから、彼処からは出ていけない……。なら、少し手間はかかるし怪我もするかもしれないけど、壁をよじ登った方が早いかな……。

迷っている暇はない。天花は手を出来るだけ傷つけないようにと袖を伸ばして手を覆い、その手を屋根になっている部分にかけて豪邸を囲む壁へとよじ登った。普段から運動をしていないのでけっこうな体力が奪われるが、これも火事場の馬鹿力というものなのだろう。いつもなら疲れて諦めてしまうような運動でも、こういった時はさくさく動くことが出来るのだった。
いつまでも壁の上にいる訳にもいかないので、人通りがあまりないことを確認してから、天花は登った時と同じように屋根の部分に手をかけて降りてみることにする。通りには背を向ける形になるが致し方あるまい。しばらくぷらぷらと足を揺らしてどのくらいの高さか確かめようとしたが、天花の腕力では長い時間ぶら下がっていることも出来ず、最終的に足から降りることとなった。そこそこの高さはあったが少し衝撃があっただけで足を捻ることはなかった。

━━━━とりあえず、お屋敷からは出られたから……。次は、私が買われた港町まで行かなくちゃ。

一先ず屋敷の関係者に見つかることだけは避けたかったので、天花は足早に屋敷から離れることにする。とにかく屋敷から離れた、遠いところに行かなければならない。そう考えて、天花は一心不乱に足を動かした。
とりあえず、此処が四川だということはわかっている。浩宇にねだって持ってきてもらった地図で場所を確認しながら、天花は日ノ本との大まかな距離を確認してみる。この時代の地図なので正確……とは言えないかもしれないが、当の天花が地図の正確さを知る由もない。彼女は歩きながら、日ノ本と四川の距離に愕然とすることになった。

━━━━嘘……こんなに遠いんだ……。まずはあの港町……なんか、蔵みたいなのがいっぱいあったところまで行かなくちゃいけないけど……彼処って何て町なんだろう……?

地名とかもっとちゃんと学んでおけば良かった、と天花は今更ながら後悔する。どれくらいの知識を有していたとしても、今はとにかく移動手段を得なければならない。そうでなければ直に浩宇からの追っ手が差し向けられることだろう。
しばらく町中を歩いてみた天花だったが、此処で町の出口らしき場所にたどり着いた。大きな門があり、荷馬車らしきものもいくつか停まっているから間違いないだろう。どれに乗れば良いのか天花が迷っていると、一人の老人が此方に近付いてきた。彼に事情を説明しようと、天花は持ってきた紙切れのひとつに固めた墨で文字を書く。

《我求多蔵有場所》

蔵のたくさんある場所、つまり港町を目指している、ということを天花は伝えたかった。老人は紙切れを暫しじっと見つめた後、わかったとでも言うようにこくこくとうなずいた。一応意志疎通は出来たようだ。

━━━━これで何処かしらの港町には行けるはず……!

老人の所有物らしい荷馬車の後ろに乗り込んでから天花は内心で喜ぶ。油断は大敵だということはわかっているのだが、此処まで上手く事が進むとは思っていなかったので気分が高揚してしまったのである。
しばらくして、天花以外の客も乗せてから、馬車はがたごとと揺れつつ出発した。今までこの町がどのようなものか天花は知らなかったが、自分が予想していたよりも大きな町であることが、皮肉にも町を出たことによって明らかとなった。豪壮な造りの門を眺めながら、天花はこれまで“飼われていた”町に別れを告げる。

━━━━悪い暮らしではなかった。むしろ外に出られないこと以外は安定していて、不自由のない暮らしだった。……でも、それでも。それでも私は、故郷に……日ノ本に、帰りたい。

言語の通じない国が不自由だと言えば嘘ではない。ただ、天花は純粋に日ノ本が恋しかったのである。たしかに悲しいことはあったが、やはり祖国の土をもう二度と踏むことなく死ぬなんて嫌だ。故郷の近江には帰ることが出来なくても、日ノ本の何処かでひっそりと暮らすことは出来るだろう。

━━━━だって、私は……私は、生きたい。自分の好きなように、望むように……全てが上手くいくとは限らないけど、それでも、張りのある人生を送りたい。だって、せっかく母上が生かしてくださったんだもの。母上を裏切るような真似は出来ない。

自分が今生きているのは、葵に救われたからこそだ。だから天花はむざむざ死にたくはなかった。精一杯生きて、葵に褒められるような生き方をしたい。そう願ったからこそ、天花は祖国への帰還を強く望んだのだ。

━━━━待っていてください、母上。私、少し時間はかかるかもしれないけど、必ず日ノ本に帰りますから。

今はもう天にいるのであろう葵に、天花は空を見上げながらそう伝える。きっとこの青空も、日ノ本に繋がっているのだと信じて。

1日前 No.275

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9時間前 No.276
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