Google
    
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▼レス(342) >>

Utopia of the underground world

 ( 小説投稿城 )
- アクセス(2535) - ●メイン記事(342) / サブ記事 - いいね!(29)

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

理想郷を求める者は、どんなに時が流れようと絶えることはない。


天をも穿たんとする霊峰の下、ずっとずっと下に、“それ”は存在した。密やかに窪んだ洞窟を通り抜けて、暗闇の中を進んで、道が続く限り足を進めて行けば、やがて古ぼけた扉の前にたどり着く。
其処には左右に獅子の銅像が設けられ、彼らのお眼鏡に敵えば扉は開き、彼らに認められなくば目の前の生き物は一瞬でその生を奪われるという。門番たる獅子が見定めるのは来訪者の経歴だとも、内面的なものであるとも噂されるが彼らは何も語らない。だからこそ、人は其処で躊躇うのだ。もしかしたら殺されてしまうのではないか、扉を開けてもらえないのではないのだろうか、と。
それは所謂試練なのだろう。人間とは試練を課される生き物である。否、生き物であれば誰しも試練を与えられるのだろう。それを乗り越えられなければ切り捨てられ、見事乗り越えることができたのなら彼らの望むものが手に入る。その摂理は太古の昔から変わることはなく、人が生まれ落ちてから幾度となく試練は与えられ続けた。これも過去に与えられた幾つもの前例に倣っているのだろう。
そういった訳で、無事に扉が開かれたのなら、その先にあるのは人の世を捨てたことさえ喜ばしく感じられるほどの、地底に創られた理想的な国家なのだという。二度と空を見ることが出来なくなっても構わないと思えるほどの場所。すなわち其処は理想郷。
安寧を、享楽を、もしくは前者以外の何かを求めて其処を目指す者は、口を揃えて皆こう言うのだ。


其の地の名はシャルヴァ。
地の底に在りし、神代を模した理想郷、と。

メモ2019/05/25 13:25 : すずり☆uVgy9R1pZdc @suzuri0213★Android-ti0IvmfI1e

【第1幕:さらば青空、向かうは地底】>>1-5

【幕間:シャルヴァなる地】>>6

【第2幕:王子の帰還】>>7-12

【第3幕:集落の営み】>>13-19

【幕間:焔が抱くは夢幻】>>20

【第4幕:本の杜への誘い】>>22-29

【第5幕:輪廻の忌み子と王子の記憶】>>30-34

【第6幕:緑纏う者たち】>>35-42

【第7幕:守り手の導き】>>43-47

【第8幕:神蛇の窖へ】>>48-52

【第9幕:旧き者たちの戦い】>>53-58

【第10幕:選定の儀】>>59-64

【第11幕:転機の訪れ】>>65-71

【第12幕:忌み子の憧憬】>>72-75

【幕間:其の日、彼女は生を求めた】>>76

【第13幕:王宮勤めの始まり】>>77-83

【第14幕:受難と薬師と可笑しな羅刹】>>84-92

【第15幕:雑色三人衆、初めてのお使い】>>93-97

【第16幕:離宮の住人】>>98-103

【第17幕:市場での再会】>>104-108

【第18幕:其は単なる波乱に非ず】>>109-114

【幕間:視えるが故の横恋慕】>>115

【第19幕:賽は既に投げられた】>>116-120

【第20幕:邂逅は偶然か、或いは必然か】>>121-126

【第21幕:惨禍の記憶は引き金となりて】>>127-131

【第22幕:少女の企て、揺れる思惑】>>132-137

【第23幕:事件は地底の昼下がりを揺らす】>>138-142

【第24幕:少女は胸に薔薇を抱く】>>143-150

【第25幕:彼の誤算と彼女の憤怒】>>151-154

【第26幕:取った遅れは戻せない】>>155-161

…続きを読む(38行)

ページ: 1 2 3 4


 
 
↑前のページ (292件) | 最新ページ

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.293

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

ナラカの立ち去った陣内は今度こそしんと静まり返った。はぁ、とエルトは大きな溜め息を吐く。どっと疲労感に襲われて、彼はくしゃりと前髪を掻き上げた。

(……何故、あの娘に此処まで……)

何故ナラカに彼処まで心を掻き回されるようなことになったのか。それはエルト自身にもわからない。ただ、先程出会ったナラカはこれまでエルトが見てきた彼女とは酷く違って見えた。いつも何かに怯えながら、日陰で生きてきたようなナラカが、今日はどうしてかあまりにも大きく見えた。

(あの後、王宮で何かあったというのか……)

エルトがティヴェラの王宮から脱出した後のことは、勿論反乱軍の中で知る者はいない。そのため、ナラカに何らかの心境の変化があったとしてもエルトはその契機になるような出来事を知らないのだ。今のところは敵対する予定はなさそうだが、あのナラカのことだから放っておく訳にはいかない。もしかしたら此方の足を掬われるようなことがあるかもしれない。そう考えると、エルトは一層ナラカが気になって仕方がなかった。勿論良い意味ではないのだが。

「……エルト」
「……!」

陣幕の向こうからおずおずと声がかけられる。エルトは一瞬身を強張らせたが、その声が誰のものかを把握するとほっと表情を弛めた。

「……ハルシャフですか。入りなさい」
「うん。ありがとう」

エルトに擬態したナーガ━━━━ハルシャフはきょろきょろと辺りを見回しながら陣幕を潜ってくる。口調はまだたどり着くものだが、以前と比べてみると随分と流暢になった。エルトはそんなハルシャフを微笑ましく思いながら、彼に先程ナラカが座っていた椅子に座るよう促した。

「それにしても、あなた一人でどうしたのですか?何か私にお話ししたいことでもあるのですか?」
「う……うん。エルトとあうの、ひさしぶりだから。こうして、おはなししたくて……」

照れ臭いのかもじもじとしながら、ハルシャフは「だめ……?」と首をかしげる。自分と同じ目鼻立ちをしていながらあざといことをしてのけるものだ、とエルトはしみじみ思った。ナラカと違ってハルシャフはエルトに敵意を抱いているような言動を見せたことはない。というか始終べったりくっついているようなナーガだ。そのため危険性も低いとエルトは考えて、ハルシャフからの申し出には是と答えることにする。

「構いませんよ。ちょうど済ませねばならないこともありませんし。ハルシャフさえよろしければ、是非お話ししましょう」
「よかった、ありがとう」
「ふふ、礼などいりませんよ。あなたは私の配下でも何でもないのですから。前のように気楽にいきましょう」

エルトは自分の王子という立場を十二分に理解しているつもりでいる。だが、これまで親しくしていた者たちからも最近は殿下、殿下と畏まった呼び方をされるようになった。ノルドなど一部の人間はそのままの対応を続けてくれているが、特にリリアは見ている此方が申し訳ない気持ちになるくらいである。そのため、せめて配下でも何でもないハルシャフには気楽に接して欲しかった。
ハルシャフはこくり、と首を縦に振ってから、やや言いにくそうに口をもごもごとさせた。しばらく悩んでいたようだが、やがて意を決したのか唇を開く。

「あ……あの、あのね、エルト」
「何ですか?」
「え、ええと……。こたえたくなかったら、こたえなくてもいいんだけど……。エルトは、どうしてはんらんなんておこしたのかな、って……」

戸惑いがちに話すハルシャフの語尾は段々と尻すぼみになっていく。大方、紫蘭やナラカと共に行動しているから聞きづらいのだろう。エルトはそんなハルシャフに苦笑してから、出来るだけ平静を装って答える。

「私はね、ハルシャフ。我が王家を再興させなければならないのです」
「さいこう……?」
「そうです。アーカム王家は10年前の戦争でほぼ断絶しました。今現在、このシャルヴァに存在しているアーカムの血筋とは微々たるものです。私は大好きな祖国を取り戻したい。それゆえに、この反乱軍を結成したのです」
「……それって、もしかして、だれかにいわれたこと?」

つらつらと己が指針について語っていたエルトであったが、ハルシャフからの問いかけを受けてその唇はぴたりと閉じる。そんな質問をされるなんて考えてもいなかったのだ。ハルシャフは相変わらずエルトとそっくりな顔つきでこちらを見つめてくる。エルトは気を取り直すように咳払いをしてから、何とか笑顔を作って彼に向き直った。

「そんなこと、ある訳ないでしょう?私は私の意志で動いています。それは何時だって変わりません」
「……ほんとに?」
「ええ、本当に。本当に、これは私の意志ですよ」
「……それじゃあ、どうしてエルトはなきそうなかおをしてるの?」

つ、と。酷く優しい手つきで、ハルシャフはエルトの顔に触れようとする。其処に他意がないということはエルトにもわかっていた。

「……っ!?」

だが、エルトは避けた。ハルシャフの手から逃げたのだ。案の定ハルシャフはぽかんとしてエルトを見つめている。何があったのかわからないといった表情で、ただただエルトの目を見ているだけである。

(……いけない)

反射的なこととは言え、ハルシャフには悪いことをした。そういう自覚がエルトにはあった。ふぅ、と息を整えてから、何とか強張っていた表情をもとに戻そうと努力する。そうでもしなければ、ハルシャフが訝しく思うだろう。

「……申し訳ありません。少し、驚いてしまいました」
「あ……ごめん、エルト……」
「良いのです。お気になさらず」

申し訳なさそうにしゅんとした顔をするハルシャフに、エルトは自分に出来うる限りの笑顔を向ける。作り笑顔が得意な方とは言えないが、少なくともナラカよりは得意な自覚がある。あの少女の場合は本当に能面の口元だけが不気味に歪んだような顔つきになるので恐ろしい。
閑話休題。笑顔を向けられたハルシャフはというと、エルトの内心に気づいてしまったのかあわあわと困った様子であった。次に何を言えば良いのかわからず、必死で次ぐべき二の句を考えているのだろう。焦りながらも、ハルシャフはエルトに話しかけ続ける。

「ごめん、ごめんね、エルト。でも、わたしのめにはエルトがつらそうにみえる。だから、その、あんまりむりとかしないでね」
「わかっていますよ。ハルシャフこそ、疲れたでしょう。遠慮せずにゆっくり休みなさい」
「う、うん。エルトも、ひとりでがんばらないでね。エルトがつらいと、わたしもつらくなるから……」

眉尻を下げながら、ハルシャフはそそくさと出ていった。その後ろ姿が見えなくなるまでエルトは眺めていたが、ふとハルシャフからかけられた言葉を思い出す。

「……誰かに言われて……か」

それは何気ない呟きだった。其処に感慨やこれといった思い入れはなく、ただ空虚に溶けるだけの呟き。それなのに、どうしてか今のエルトにとっては何故だかその呟き、そしてハルシャフの言葉はずしりとした重石になるのだった。

1ヶ月前 No.294

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第52幕:神代の名残は狂騒を憂う】

「……どうだった?」

一応食客という扱いになっている紫蘭たちには部屋が与えられていた。……とは言っても、実際には部屋ではなくて、もともとナラカが家として使っていた建物で寝泊まりすることになっただけである。面倒なのか見張りも置かれていない。そのため何だか放っておかれている感じが否めなかった。
そんなナラカの家に集まっているのはナラカたち三人とウィルデ、そしてスメルトである。スメルトは今のところナラカたちのもとで身柄を拘束した……ということになっている。いざとなったらそのままティヴェラに引き渡してしまおうというのが紫蘭の魂胆だ。尤も、それをスメルトが受け入れてくれるかはわからないが。

「……ごめん、やっぱりよくわからなかった……」

紫蘭から問いかけられたハルシャフは、悲しげな表情で肩を落とす。何だか此方が責めているような構図になってしまったので、ナラカは慌てて「良いんですよ」とハルシャフに声をかける。

「あの馬鹿みたいに気難しい奴のことなんですから、お話が出来ただけでも万々歳だと思います。私には警戒心ましましでしたし」
「でも……」
「情報を仕入れるのは簡単な仕事ではないからな。まあ、そう気を落とすな」

ぽんぽん、と紫蘭が慰めているつもりなのかハルシャフの背中を軽く叩いてやる。しかしハルシャフの表情は晴れないままだ。

「それは、わかってるけど……。でも、エルトのげんきがないのは、けっこう、しんぱい……」
「へぇ、あいつ、気落ちでもしてるのか?」
「わからない……。でも、すくなくともわたしのしってるエルトは、あんなかなしそうなかおしてないから……」
「悲しそうな顔……?」

大抵むすっとした仏頂面で過ごしているナラカが言うのも何だが、エルトは感情の起伏に乏しい。喜怒哀楽を表に出すことはあまりないし、常に気難しげな表情をしていることが多い。顔の造形が整っているから許されているようなものの、近寄りがたさはそれなりのものだとナラカは思う。実際にナラカはエルトの笑顔らしい笑顔を見たことがない。見たことがあるのはわざとらしい作り笑顔だけだ。ナラカも人のことを言えないぎこちない作り笑顔しか出来ないのだが、一旦それは置いておこう。

「……うん。なんだか、ここにきてからみるエルトはいつもつらそうなんだ。なにかにおいつめられてるみたいで、かわいそう」
「追い詰められてる、じゃなくて、追い詰めてる、の間違いなんじゃない?だって反乱軍はもうティヴェラの本陣の間近にまで迫ってるんでしょう?」
「たしかに、そうだけど……。でも、ちがう。それはエルトひとりのもんだいじゃないもの。おいつめられてるのは、エルトひとりだけ……」
「……つまり、エルトは個人的に何か悩みを抱えている……ということか?」

スメルトとの問答に興じていたハルシャフにそう言ったのは紫蘭である。ハルシャフは彼女の意見にこくり、と首を縦に振った。

「……あいつが……個人的な悩み……?」
「ナラカ、気持ちはわからんでもねぇが今その顔はやめておこうな」

そんなのある訳ないだろ、というナラカの心の声が外に漏れていたらしい。ウィルデから苦笑いされながら突っ込まれてしまった。どうやら先程のナラカは見せてはならない系統の表情をしていたらしい。

「珍しいことなのか?」
「いや……あいつ、いつも無表情でしれっとしてる印象があるので……。いざ悩みとか言われてもあんまりしっくり来ないというか……」
「あー、貴様に聞いた私が悪かった」

とりあえず紫蘭はエルトとナラカの確執の程度を初心者ながらに理解してくれたらしい。ウィルデは言わずもがななのでやれやれと肩を竦めるだけである。ちなみにスメルトは一度エルトのことを敵として認識しているが、まだナラカが話していないので二人の関係性については知らない。ハルシャフに至っては理由はわからないが二人の仲は良くないことは知っている、といった何とも言えない状態になっている。出来ることなら初日にエルトからされたことを洗いざらい話してやりたいところだが、なんとなくハルシャフに言うのは良心が咎めるので言い出せずに今に至る。姿形はそっくりでも、中身の違いでこうも扱いが変わるものだ。

「とにかく、ハルシャフが心配しているのだからあの頭領……エルトの様子が可笑しいことは確かだろう。今のところは様子を見ておいた方が良いな」
「いつか寝首を掻けるかもしれないからね」
「しっ!スメルトさん、静かに!」

にこにこと笑顔で物騒なことを言うスメルトの口を慌ててナラカが塞ぐ。周りを見渡してみると誰もが「私は聞いていませんでした」と言わんばかりの苦々しげな顔をしていた。この場にいるのがこの面子で良かったと改めて思う。

「……それにしても、スメルトはともかく貴様は此処にいて良いのか?貴様ら“森の民”は何処の組織にも属さず、あくまでも中立という立場を重んじているのだろう?私たちと共に行動して咎められないのか?」

改まって紫蘭が視線を向けた先にいたのはウィルデだった。彼女はスメルトや紫蘭の治療の手伝いをしてくれたし、先程は皆のために夕食まで拵えてくれた。ナラカとしては大助かりなのだが、たしかにウィルデの立場が気にならないと言ったら嘘になる。此処まで自分たちに肩入れするような真似をして、テララから咎められないのか。それはナラカにとっても疑問に思うことだった。

「んー、とりあえず俺はどっちかの戦力になるような真似はしていないからな。守り手様もなんだかんだで緩いからさ、いちいち細かいことを気にはしねぇって」
「でも、“森の民”は中立を重んじているんでしょう?だったら君、早く帰った方が良いんじゃないの?」
「それはそうしたいところなんだけどな。守り手様から、ある調査を任されててさ」
「調査……?」

良いから早く帰れ、というスメルトからの圧力に屈することもなく、ウィルデはポリポリと頭を掻く。彼女の言うところの“調査”というものが何なのか、ナラカは気になって鸚鵡返しに尋ねた。

「何でも、ティヴェラを中心とした五大の流れが可笑しくなってるとかでな。いつもより濃密になってるんだと」
「それって、何か私たちに影響が及ぶものなんですか?」
「今のところは特にこれといったことはなさそうだけどよ……。けど、このまま五大そのものの濃度が高まっていけば、少なからず人間は五大に押し潰されて自壊するだろうな」
「「「「「はぁ!!!!!?????」」」」」

此処で、偶然にもその場にいた全員の声が重なった。━━━━ちょうど外にいた人物のものも含めて。

「そ、それって、どういうことなのよっ!?」
「な、なんで手前まで……!?」

バァン、と扉を開けて飛び込んできたのは水の五大を司る精霊のニーラムであった。彼女はぜぇはぁと肩で息をしながら、きっと一同を睨み付ける。

「ちょっとあんた、あたしにも詳しく説明しなさいよ!そんな大事をあたしが知らないなんて許せないわ!」
「ま……まさか貴様、先程からずっと盗み聞きでもして……」
「してないわよ!断じて!盗み聞きなんて!……とにかくあたしも入れなさい。そうしたら今の無礼は全部見逃してあげるから」

とにもかくにも自分も話に入れろ、ということらしい。多少……というかかなり強引ではあるのだが、ニーラムの気持ちもわからなくもない。この場にいる大多数の人間は呆れ顔であったが、ニーラムを話の輪に入れることに関しての反対意見は不思議と出なかった。

1ヶ月前 No.295

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

ニーラムいわく、せっかく精霊様が来てやったのだから茶菓子でも出さないと不敬、とのことらしい。案の定スメルトは「知らないよ」と言ってニーラムの背後から椅子を振りかぶろうとしていたが、ナラカの必死の制止によって事なきを得た。血の気が多いと色々と大変である。

「まったく、あんたの周りには脳筋と馬鹿しかいない訳?」

ナラカが戸棚から引っ張り出してきた干し芋を食みながら、ニーラムは家主たるナラカを半目で見てくる。肯定したくはないが虚偽でもない辺りが悲しい。ウィルデはまだましな方だと思いたい。

「……まあ良いわ。あたしは寛大だもの。母なる水を司る精霊だからね、これくらいのことは許してあげる」
「は、はぁ……」
「何よ、その目は?言っとくけど、精霊の中でちゃんと性別が与えられてるのはあたしとウシュナ……火の五大を司る精霊だけなのよ。他の精霊には性別も何もない。ほら、あの緑の馬鹿も男か女かよくわからない見た目をしてるでしょ?」
「馬鹿呼ばわりはどうかと思うが、たしかに守り手様の性別はずっと不明なままだな……」

ウシュナ、と呼ばれる精霊のことはよく知らないが、ニーラムの口振りからすると大抵の精霊は性別を有していないらしい。思い出してみると、たしかにテララの性別は一概にはわからない。正直どちらとも取れる見た目をしているため、ナラカはあまりテララの性別について深追いしないことにしていた。詮索したらしたで恐ろしい目に遭いそうな気もしたのだ。

「とりあえず、今はその、五大が可笑しくなってることについて話しなさいよ。そんなことシャルヴァが出来てから一度もなかったんだから」
「……それは真か?一度くらい均衡が乱れていても可笑しくはないと思うが」
「あのねぇ、五大はあたしたち精霊がいれば基本的には乱れないのよ。つまり、五大の濃度が可笑しくなったってことは、五大を司る精霊のどれかに何かあったと見るのが普通なの」

ニーラムによると、シャルヴァの五大はそれらを司る精霊たちの存在があることによって自動的に均衡を保っているのだという。シャルヴァの始祖は精霊たちに人間らしい姿や言語、ニーラムとウシュナには性別などを与える代わりに彼らを五大という器に当て嵌めた。その結果、五大というものは揺らぐことのない絶対的なものとしてシャルヴァに君臨することになったのだとか。

「じゃあ……せいれいのだれかが、きえちゃったってこと……?」
「……考えたくないけど、そうなるわね。あたしとテララは抜きにすると、やっぱりティヴェラに接収された奴等の可能性が高いか……」

はぁ、とニーラムは溜め息を吐く。なんだかんだ言ってはいるが、同列である精霊たちのことは気にかけているのだろう。いちいちテララに突っ掛かるのもそれゆえかもしれない。

「そもそもの話だけど、どうしてウシュナもアーリダーサも接収にホイホイ着いていったのかしら。あたしなら普通に逃げるのに……」
「……あの……アーリダーサって……」
「たしか、かぜのごだいのせいれい……」
「其処、こそこそ話してるんじゃないわよ!そういったことは後で話し合いなさい!」

シャルヴァの精霊についてよくわからないナラカはこそこそとハルシャフに耳打ちしていた。ハルシャフは律儀に教えてくれたが、どうやらニーラムは地獄耳らしく、指を差されて叱責を受けてしまった。

「……とにもかくにも、テララは異変を感じ取ったのね?あいつの気のせいってことはないわよね?」
「嗚呼、守り手様はそういったことに関しては人一倍敏感だからな。……ってか、お前はわかんないのかよ?」
「馬鹿ね、精霊にだって得意分野とそうでない分野があるのよ。あいつはシャルヴァという大地に己が体を広げてるようなものだから、シャルヴァの異変には気づきやすいの。まあ、そのせいであいつはあの森から出られない訳なんだけどね」
「あ……だからあの時……」

ニーラムの言葉を聞いたナラカは、かつてノルドが“選定の儀”を勝ち抜くために“森の民”のところを訪れた日のことを思い出していた。ハルシャフの住む洞窟について説明したテララは、森の入り口までは着いてきたが、その外に出ようとはしなかった。あれは自分の意志で出ていかなかったのではなくて、そもそも森からは出られなかったということか。今更ながらナラカは合点がいった。

「では、貴様は何に特化しているというのだ?貴様も一応精霊なのだから、それらしいことは出来るのだろう?」
「ぐっ……本っ当にあんたってムカつく物言いをするのね……。そんな口ばっか利いてたら友達出来ないわよ」
「ふん、貴様にだけは言われたくないな引きこもり年増女。私にだって友人はいる。……そうだろうナラカ、ハルシャフ!」
「私たちって友人扱いだったんですか!?」

衝撃の事実に思わずナラカは声を上げる。ハルシャフも驚いたのか尻尾をぴんと立てている。友人。まさかの友人扱いである。ハルシャフはともかく、たしかにナラカと紫蘭は年が近い。ついでに紫蘭の先祖の出身地とナラカの出身地は国こそ違えど同じ極東である。共通点ならエルト以上に、下手したらアリックよりもあるかもしれないのだが、それでも友人と呼ぶのは些か疑問が残る。

(未だに“貴様”呼びなのになぁ……)

貴族でもないのにやたらと紫蘭の口調が尊大なので、てっきりナラカは彼女に見下されているものかと思っていた。しかし紫蘭の物言いはどのような時であっても変わらず、最近になってナラカはそれがもともと染み付いたものだと察したのだった。それでも“貴様”なんて呼ぶ相手を友人だと言うとは思っていなかった。もしかしたら紫蘭さんの前世は何処ぞの王候貴族なのかなぁ、とナラカはぼんやり思う。

「な、何だ。同じ井戸に飛び込んだ仲ではないか。これを友人と言わずして何と言う」
「…………心中?」
「やめろやめろ、物騒なことを言うな!さては貴様、あの時のことを根に持っているな!?」
「結局友達でも何でもないんじゃないのよ……」

ニーラムが呆れるのもなんとなくわかる気がする。とりあえず何だか紫蘭が可哀想になってきたので、これからは一応友人として付き合ってあげようとナラカは決意した。

「まったく、話が逸れちゃったじゃないのよ。良い?今は精霊の話をしてるの。次に話を脱線させたら足の先から凍らせるから」
「わぁ、大きく出たね〜」
「スメルトさん、しっっ!!」

話を逸らされて苛立っているニーラムの怒気はナラカでもよくわかるものであった。それなのに彼女に向かって平気で煽るようなことが言えるスメルトは色々な意味でなかなかの大物である。本当にこの人(正確には羅刹)の肝っ玉はどうなっているんだろう、とナラカは素直に疑問に思った。

1ヶ月前 No.296

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

とりあえず、次に話が逸れたら酷い目に遭うとのことだったので一同は話を戻すことにした。いくら相手に強者の風格があまりないからといって、何でもかんでも軽んじるものではない。少なくともナラカはそう学んだ。紫蘭やスメルトがどうかはわからないが。

「……で、シャルヴァの五大を司る精霊の特性についての話だったわね」

ごほん、と気を取り直すように咳払いをしてから、ニーラムは先程消えかかっていた話題の続きを話し始める。スメルトが欠伸をしようとしていたが、ナラカが目線でお願いだからそれだけはやめろと訴えると頑張って噛み殺してくれた。スメルトとてやれば出来る子なのだ。

「まずはあんたたちにも馴染みのあるテララからかしら。……あいつのことは、其処の緑の餓鬼の方が詳しいんじゃない?」
「もう餓鬼って年じゃねぇんだけど」
「うるさいわね。あたしからしてみればあんたくらいの年の奴は大体餓鬼みたいなものよ」

また紫蘭に年増といじられそうな要因をさらっと作っておきながら、ニーラムはウィルデに進行を投げる。ウィルデは何とも言えなさそうな顔をしていたが、任されたからにはきっちりとこなす性分らしく、渋々といった様子で話し始めた。

「守り手様は前にも言った通り、このシャルヴァの地に当たる五大を司る精霊だ。あのお方の存在があるからこそ、地底であるシャルヴァにも植物が生えるんだよ」
「じゃあ、あの森も……?」
「そうだ。いや、あの森はむしろ“守り手様そのもの”って言った方が正しいな」
「そのもの……って?」

こてん、とハルシャフが可愛らしい仕草で首をかしげる。ぺちぺちと床を軽く叩く彼の尻尾を一瞥してから、ウィルデは彼の質問に答える。

「そのまんまの意味だよ。あの森は守り手様の霊力を膨張させることによって創った……要するに、守り手様の体の一部みたいなものなんだ。今の守り手様は人間らしい姿をしてるが、あれもあくまでも守り手様の一部に過ぎない。言っちまえば、あの森全体を含めて守り手様の体なんだよ」
「あいつ、昔から体を変化させることだけは上手かったものね。その代わりかは知らないけど自分の体にかかる負担に鈍いったらないわ。そのせいであいつ、あの森から出られなくなってるのよ」
「……良いんだよ。守り手様は好きでああしてるんだ。余所者が文句を言えることじゃない」

揶揄るような視線を向けてくるニーラムから、ふいとウィルデは目線を外した。まるで何か言いたくないことでもあるような、これ以上探りを入れるなとでも言うような━━━━そんな、拒絶に満ちた振る舞いであった。これにはナラカも思わず目をぱちぱちとさせる。

「……まあ良いわ。とりあえずテララの話は此処までにしましょう。次はあたし、ニーラムね。あたしはあいつと違って変化はあまり出来ないけど、その代わりに住み処を自由に変えられるわ。あくまでも水がある場所、に限られるんだけど」
「テララのような精霊ならともかく、特に縛りがなければ住み処なぞ誰だって自由に変えられるものではないのか?」
「馬鹿ね、よく考えなさいな。精霊ってものは基本的にさすらうことがないの。流浪の精霊なんて聞いたことないでしょ?精霊は自分の司るものがある場所にしか移動出来ないの。だからあちこちに神殿とかが造られたのよ」

ニーラムいわく、精霊は自分の司るもの━━━━すなわち“依り代”がなければ移動することは基本的に出来ないのだという。故に古代の人間は自分たちも精霊の恩恵を受けられるようにと、自分たちの近くに神殿を設けた。自分たちの傍にも精霊を呼ぶために。

「火や風は世界に溢れてなどいないでしょう?だっていつも起こるものじゃないもの。でも、水は色々な場所にある。様々な姿で、水は存在している。液体としてだけではなく、氷や蒸気にもなる。だからあたしはそれらがある場所に行ける。つまり、行動範囲が他の三柱よりも広いって訳ね」
「嗚呼、だからティヴェラの接収からもとんずら出来たのだな」
「……あんたのその口はよっぽどの下手物を食べてきたんでしょうね。でなきゃこんなにあたしを苛立たせることはないわ」

きっと紫蘭は彼女なりにニーラムを褒めているつもりなのだろう。しかしニーラムからしてみればやはり揶揄られているようにしか聞こえないらしい。びきびきと関節を鳴らしながらも、何とか平静を保つようにして彼女は続ける。

「水ってものは万物が生きるためになくてはならないものでしょう?だからシャルヴァが出来る前から、あたしは女性の姿をした精霊として崇められていた訳ね。それをシャルヴァの始祖も知ってたから、あたしに体を与えた際に性別も与えたのよ」
「……性別って、そんなに簡単に与えられるものなのかよ?」
「さあね。シャルヴァの始祖も純粋な人間ではなかったみたいだから、そういったことはお茶の子さいさいだったんじゃないの?さすがにあたしにもその辺りはよくわかんないわよ」

ウィルデは疑問に思っているようだったが、この口振りからすると、ニーラムは本当によくわかっていないのだろう。たしかにナラカだって何故自分が双子の片割れとして生まれたのかなんて知る由もない。要するに、運命の巡り合わせのようなものなのだろう。生まれた時からもともと与えられていたもの、と腹を括るしかない。

「次に脳筋馬鹿……ごほん、ウシュナについて話すわ。こいつは本当に脳筋馬鹿としか言い様がないから。ええ、本当に」
「……なか、わるいの?」
「あっちが突っかかってくるだけよ。あたしに非はないわ」
「あっ……」

次いで火の五大を司る精霊の話になった訳なのだが、このハルシャフとの短い掛け合いでなんとなくナラカは二柱の関係を察してしまった。詰まるところ、水と油のようなもの、いわゆる犬猿の仲なのだろう。ウィルデもナラカと同じように思ったらしく、何処か哀愁に満ちた表情をしていた。

「ウシュナはとにかく馬鹿ね、馬鹿。あいつ程戦闘に特化した奴はいないと思うわ。ほら、火って触れるだけでも生き物を傷付けるでしょ?ウシュナはまさにそれを体現したかのような奴なの。だからあたしはもともとあいつがそんなに好きじゃなかったのよ」
「嫌いではなかったのだな」
「べ、別にそんなことどうだって良いでしょ。いちいち突っ込まないでくれる?」
「あっ…………」

ふい、とニーラムが顔を背ける。その頬は何故かほんのりと紅く染まっていた。これでナラカはまたしても余計なことを察してしまう。

(強がり……なんだろうなぁ……)

こういった人間はよくいるもので、それは精霊も同じなのだろう。好いた相手についつい強がりを言ってしまうのは乙女の悩みでもある。恋愛だ何だといったことには全く縁のないナラカもそれくらいの知識はあった。かつて城で侍女として働いていた時に、同僚たちの恋煩いについて幾度となく聞かされてきたのだ。当時は下らないと一蹴していたが、今となっては何だかしみじみさせられる。

「けど、ウシュナの戦闘力はあたしたちの中でも最たるものだったわ。殴り合いであいつが負けたことなんて、多分シャルヴァが出来た時の一回しかなかったんじゃないかしら。とにかくあいつは力だけが取り柄だったからね。おかげでしょっちゅう祭壇なんか造られてたわ」
「そんなに強い精霊なのに、ティヴェラに接収されちゃったの?」
「……其処が腑に落ちないのよ。アーリダーサならやたらとお人好しだからなんとなくわかる気がするの。でも、ウシュナは馬鹿なだけじゃなくて自己中心的で、何でも自分一柱のために動いていると思ってるような奴なのよ?そんなあいつがあっさり接収されたって聞いて本当に驚いたわ」

ニーラムの口振りから、ウシュナという精霊は良くも悪くも他人の誘いに着いていくような精霊ではないということがわかった。それゆえにニーラムは疑問を隠せないのだろう。何故ウシュナはティヴェラに易々と接収されてしまったのか、と。

「して、残りの……アーリダーサは、どのような精霊なのだ?貴様の言うところからして、精霊なのに人が好いようだが」
「嗚呼、アーリダーサね。あいつはあんまり精霊らしくないのよ。人間に試練を与える役目を任じられたはずなのに、やたらと人間共を気にかけてね。まあ、優しい奴だったことに変わりはないわ。アーリダーサはとにかく成長する分野において長けてるから、大きくも小さくもなれた。時に人を和ませるそよ風になったり、時に人を苦しめる暴風になったり……ほら、風の種類って多いでしょう?あれはアーリダーサが自由に成長してることを意味してるの」
「たしかに、風の五大は自由を司ってるらしいですからね」

シャルヴァに来たての頃、簡単にではあるがノルドたちから五大については教わっていたのでナラカはニーラムに相槌を打つ。風の五大は主に移動において多用されているので、ナラカにも馴染みがないとは言えない。

「……とにかく、精霊についてあたしから言えるのはこれだけね。あたしだって言ってしまえば“創られた”側だもの。何でもかんでも知ってる訳じゃないわ」
「……あの」

ふぅ、と一息吐いたニーラムには悪いと思ったが、ひとつ気になることがあったのでナラカはおずおずと挙手をした。ニーラムは無視することもなく、面倒臭そうに振り返る。

「何よ、まだわからないことがあるって訳?あたしに話せるのはこれだけだって言ったじゃない。良いからさっさと五大の変質についての話を━━━━」
「━━━━シャルヴァを構成する五大……そのうちの“空”を司る精霊は、どのような方なのですか?」

五大。それは地水火風、の四つに“空”という概念を足したものである。それなのにニーラムの説明からは“空”が抜けていた。だからナラカは可笑しいと思ったのだ。“空”を抜きにして、果たして五大と言えるのだろうか、と。
それは何気ない気持ちから発せられた問いかけに過ぎなかった。━━━━にも関わらず、ニーラムはさっと顔を青くする。そして勢い良く立ち上がって一同を睨み付けた。

「……っ、知らない。そんなの知らないわ。ええ知りませんとも。空の精霊についてなんて、あたしはちっとも知らないから」
「ニーラムさん……?」
「……帰る。今日はもう疲れたわ」
「あ、ちょっと……!」

有無を言わせぬ間に、ニーラムはその場を立ち去ってしまう。ナラカは追いかけようと腰を上げかけたが、ハルシャフがそっとその前を自らの手で防いだ。

「……だめだよ、ナラカ。ふかおいするのは、よくない」
「は……はぁ……。わかりました……」

ハルシャフの言葉は決して強い語気のものではなかった。だが、其処に秘められた言い知れぬ重みは、ナラカをうなずかせるには十分な力を有していた。

1ヶ月前 No.297

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.298

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第53幕:少年の初恋は泡沫と消えるか】

一日という時間は早いもので、その時はあっという間にやってきた。ライオ・デ・ソル商会の建物の前には決して少ないとは言えない人数のティヴェラの兵士が集まり、道行く人々は何があったのだろうかと横目で見ながら通り過ぎていった。まあ、結局のところは触らぬ神に祟りなし、という奴である。一瞥する者は多くとも首を突っ込もうとする者はいなかった。

「ふん、やっと此方に従う気になったか。手間をかけさせおって……」

しゃらしゃらと豪奢な装飾品を揺らしながら入ってきたのは案の定ルードゥスだった。その視線の先にはフィオレッロを始めとしたライオ・デ・ソル商会の一同と、じっとルードゥスを睨み付けるアリック、そしてぎゅっと自らの服の裾を掴んで不安そうな表情をしているヴィアレがいる。ルタは奥の部屋にいるのか、この時は姿を見せなかった。

「……ほんまに、ヴィアレちゃんには何もせぇへんのやろな?」
「嗚呼、此奴を傷付けるようなことはしないとも。初めからそう約定したではないか」

フィオレッロにいつもの明朗快活とした雰囲気はない。ただ警戒心だけにその表情を染め上げている。さすがにルードゥスの手前なので火縄銃を持ち出すような真似はしないようだが、彼が余計なことを少しでも言おうものなら撃ち殺してきそうな気迫さえ漂っていた。
彼が此処までぴりぴりしているのにはそれ相応の理由というものがある。……というのも、短期就労中とは言え、従業員の一人であるヴィアレを生贄に出すような形でルードゥスに差し出さなければならなかったのだ。

「何、これで貴様らへの密告は免除されたようなものだ。安心して普段通り愚かに生きるが良かろう」
「…………っ!」
「……頭、抑えて。あんたの気持ちもようわかるけど、此処は穏便に、や」

揶揄るようなルードゥスの口振りにフィオレッロは今日何度目になるかわからないくらいに逆上しかけた。その度に隣に控えているミリアムがどうどうと彼を宥めている。それを横目に見ながら、ヴィアレは唇を噛み締めた。

(フィオレッロ……新参者の我にまで、此処まで心を砕いてくれている。……だからこそ、此処で我が儘を言って迷惑をかける訳にはいかない)

正直に言って、ヴィアレはルードゥスに着いていきたくなどなかった。あのような訳のわからない相手に着いていって、何をされるかもわからないとなれば誰だって尻込みするものであろう。事実、すぐに決断出来なかったヴィアレには一日という猶予が与えられた。その間に今後どうするかを決めるようにと言って、昨日のルードゥスは手を引いたのだ。
ルードゥスに着いていかなければライオ・デ・ソル商会が潰されてしまう。フィオレッロは気にするなと言ってくれたが、ヴィアレにも物の道理はわかる。ヴィアレ一人の安全とライオ・デ・ソル商会の命運を天秤にかけて、どちらの方が重いかなんて言うまでもない。

「くく……異論はないようだな。━━━━“御霊宿りの子”よ、此方に来い」
「……わかった」

そんなヴィアレの不安やフィオレッロの苛立ちを面白がるようにくつくつと笑みながら、ルードゥスはヴィアレに向けて手招きをする。向かいたくはなかったが、此処で立ち止まっていればライオ・デ・ソル商会に迷惑がかかる。恐怖と不安を圧し殺して、ヴィアレはルードゥスのもとまで歩いていった。

「くく……やけに従順ではないか。すっかり狗に成り下がったな」
「……だから何や。お前がこう望んだんやろ」
「そう睨むな。貴様らにも対価はくれてやる。……貴様ら、この商会を検問せよ」
「……っ!?」

ルードゥスの言葉は短いものであった。しかしそれが意味するものを、ヴィアレもアリックもライオ・デ・ソル商会の者たちも十二分に理解している。

「……っ、どういうことです!?ヴィアレ殿を手渡せば、この商会はありとあらゆる密告を避けられるのではなかったのですか!?」

いちばん最初に声を上げたのはこれまで静かに立ち尽くしていたアリックだった。彼女が焦る理由は後にも先にもひとつだけだろう。━━━━アリックは、ルタが見つかることを懸念している。
そんなアリックをルードゥスは一瞥して、至極つまらないとでも言いたげに鼻で笑った。言うなれば、道端に転がっていた小石を蹴飛ばしたくらいの感慨なのだろう。

「いくら免除すると言えど、疑わしきは捨て置けぬ。少しでも疑惑があるのならば、それを明らかにせねばならないだろう?」
「約定が違います!これでは話が……!」
「文句ならば其処な兵士に言え。貴様の戯言にかまけている程俺も暇ではない」

尚も追い縋ろうとするアリックを、ルードゥスは面倒だと言わんばかりに突き放した。ルードゥスを追いかけようとしたアリックだったが、その道は彼に付き従ってきた兵士たちによって防がれる。その間にも、ルードゥスはヴィアレの手を引いてライオ・デ・ソル商会の建物を出ていってしまっている。

「くそ……!あの性悪補佐官……!」
「貴様、その言葉は不敬罪に値するぞ!」

思わず口汚い罵倒が飛び出そうになったアリックだったが、近くにいたティヴェラの兵士に睨み付けられてぐっと口をつぐむ。アリックとて決して腕っぷしが弱い訳ではないが、これではさすがに多勢に無勢という奴である。そのため今は悔しくとも唇を噛んでいるしか出来なかった。
そうしている間にも、ティヴェラの兵士たちはずかずかと建物の奥に進んでいく。フィオレッロやミリアムは慌ててそれを追いかけた。

「ちょ、ちょっと……!いくら何でも勝手に入られたら困りますっちゅーとるやろ……!」
「黙れ!そうも追い縋るとは、何か疚しいことでもあるのか!?」

ミリアムが兵士たちを止めようとするが、彼らは聞く耳を持とうとしない。そしてまるでライオ・デ・ソル商会の建物の構造は理解していると言わんばかりに一直線にある場所へと向かっていく。いくらこの建物を所有しているからといって、ミリアムたちもそう簡単に追い付けるものではない。

「み、ミリアムさん……!」
「このままじゃ……!」

ライオ・デ・ソル商会の者たちが不安そうな表情でミリアムに耳打ちしてくる。彼らの言いたいことはミリアムだけでなく、部外者であるアリックにもよくわかった。このまま進めば火縄銃を保管している部屋にたどり着いてしまう。それをティヴェラの兵士たちに見つかってしまえば一巻の終わりだ。
しかしミリアムは表情を変えることなく、至極気丈な様子でティヴェラの兵士たちに聞こえないくらいの声音でライオ・デ・ソル商会の者たちに返した。

「阿呆、あんまり騒がんとき。いざという時には頭が言うてた通りにすればええんや」
「でも……」
「ええから、頭を信じるんや。あいつ、普段はけっこうなすっとぼけやけど、やる時はごっつやる男やさかい」

そうこうしているうちに、ティヴェラの兵士たちは件の倉庫の前にたどり着いてしまった。止めなければならない。だがミリアムやアリックたちはもう追い付かない。ミリアムは駆ける。ライオ・デ・ソル商会の者たちも駆ける。けれどもティヴェラの兵士たちは、鍵を持っている訳でもないというのに無慈悲に倉庫の扉を開けて━━━━。


「━━━━やはり、来たか」


ティヴェラの兵士たちが倉庫の中に入っていくことはなかった。バリン、と何かが轟くような音が聞こえたかと思うと、前列にいたティヴェラの兵士たちが皆どういう訳か床へと崩れ落ちていった。

「なっ……!?」
「━━━━退きぃ!!」

驚愕に息を飲むアリックの肩に、とん、と一瞬だけ体重がかかる。声からしてこれはフィオレッロだろう。恐らく彼が自分の肩を踏み台にしてティヴェラの兵士たちのもとへ飛び込んでいったのだ、とアリックが気づく前に、彼女の耳には銃声が入ってきている。

「はっ、ルタちゃんが言うた通りやな。こいつらは全員お人形や!鉄砲で撃てば動かんくなる!」
「お人形……!?」

フィオレッロはそう言っている間にも手際よく火縄銃に弾を込めている。しかしアリックはこの一瞬で状況が見分けられる訳がなく、急いで辺りを見回してみる。どうやらフィオレッロ以外のライオ・デ・ソル商会の者たちも火縄銃を有しているらしい。途中からフィオレッロの姿が見えなくなっていたのはこの時のためだったようだ。

「アリック、僕たちはルタ君を助けに行こう!あの子、具合悪いのにずっと一人で倉庫に待機してたから……!」
「っ、それを先に言いなさい!」

後ろから駆けてきたエミリオの言葉に、アリックは顔色を変える。どうやら倉庫の中で待ち伏せしていたのはルタのようだ。彼と共に行動してきた者として放っておく訳にはいかない。アリックはすぐに気づくことが出来なかった自分に歯噛みしながら、エミリオと共にティヴェラの兵士を相手に奮闘するルタのもとへと駆け出した。

1ヶ月前 No.299

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.300

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.301

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.302

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.303

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

シュルティラ。その名前を口にすることは、アーカムだけに限らずシャルヴァの人間ですら憚るものだとアリックは聞いていた。それだけシャルヴァにとっては大きな人物なのだということはアリックにも理解出来ていた。輪廻の忌み子、なんて仰々しい渾名が付いているのだ、まずただ者ではないことは確かである。そんな人物からルタは五大について教わったというのだから、皆一様に驚愕する他なかった。

「ルタちゃん、しゅ、シュルティラと知り合いなんか……!?」

まずはじめに尋ねたのはルタを膝に乗せているフィオレッロである。外界からやって来た人間に拾われたとは言え、もともと彼はシャルヴァの出身だ。きっと、シュルティラの伝説についても幼い頃から教わってきたのだろう。
しかし分かりやすく焦りを見せるフィオレッロに動じることなく、ルタは彼に対して淡々と答える。

「うん。シュルティラは、けっこうな頻度で俺の暮らしていた離宮を訪れていたからな。たまに俺の部屋も覗きに来てくれた」
「こ……怖くなかったの……?」
「全然。むしろ、穏やかで徳のある人間に見えた。俺が離宮を脱け出してからも、時々様子を見に来てくれたんだ」
「それはそれは……その、割りとお優しい方だったんですね……」

伝承で聞いていたシュルティラの人物像とルタからの情報が上手く噛み合わなくて、とりあえずアリックはそう返すしかなかった。シュルティラはアーカム王国に敵対する者としての定めを強いられ、生まれ変わる度にアーカム王国に敵対しなければならない運命を背負っている。これまでは不遇なままに人生を終えたというから、アリックとしてはてっきり陰鬱とした人物なのかと思っていた。

「他に、シュルティラから何か言われたり教わったりはしなかったあるか?」
「む……。そうだな、後はこの、鳥瞰の目についていくつか教わった。この目を手に入れたのは離宮に入ってからだから、シュルティラからしても未だに謎が多いらしいが……」
「その目を……千里眼を得た心当たりとかないあるか?千里眼を得るのはシャルヴァだけに限らないある。地上でもたまに千里眼らしき能力を持つ人間がいるネ。その理由が瑞英は知りたかったりするある」

ずい、と瑞英が前屈みになってルタへと問いかける。その勢いからして、瑞英がそれなりの期間、千里眼について思いを馳せてきたことがアリックにもわかった。たしかに人智を超えた能力がシャルヴァだけでなく、地上でも見受けられているというのなら気にならないことにはならないだろう。
瑞英から唐突に迫られたルタは分かりやすく戸惑っていた。しばらく視線をさ迷わせてから、言いにくそうにもごもごと口を動かす。

「……これは俺の憶測に過ぎないのだが……。多分、“一度精神が死にかける程度の出来事に直面する”ことがきっかけになるのだと思う」
「な、何ですかその物騒なきっかけは……」

ルタの口から飛び出てきた言葉の重さに、思わずアリックも一歩退いてしまう。精神が死にかける、なんてよっぽどのことがない限り表現として使うことはないだろう。しかもそれがルタの経験に基づいているのなら尚更心配になってくる。

「……っちゅーことは……。ルタちゃん、ルタちゃんは一度でも精神が死にかけたことがあるんか?」
「……うん。心当たりは、ある」

こくり、とルタは静かにうなずく。誰もが唇を引き結んで、彼の言葉を待った。

「……三年前。羅刹たちの反乱が起こった際に、俺は父上に……陛下に離宮へと入れられた」

ルタいわく、離宮に入れられるということはそれまでの名誉や地位を剥奪されるに等しいのだという。勿論全ての人間がそうとは限らないのだが、ティヴェラにとって厄介な人間だと烙印を押されることに変わりはなかった。これまでティヴェラの王子として大切に育てられてきたルタだったが、彼もまた、腫れ物のように扱われるようになった。

「陛下は俺を離宮に閉じ込め、妃たちを追放した後、新しい妃を入内させたり養子を取ったりすることは一度もなかった。どれだけ信の置ける臣下から催促されたとしても、だ。妃も子も取らず、たった一人の王族としてティヴェラに君臨した」

血族内で揉めることがなく、王に権力が集中する、という点ではある意味良かったのかもしれない。しかし、出世を図る者たちにとっては厄介でしかなかった。何故陛下は世継ぎを望まないのかと彼らは悩みに悩んだ。世継ぎがいなければ、クルーファの死後、ティヴェラがどうなるか知れない。せっかくシャルヴァを統一したというのに、これではまた混沌の渦に巻かれてしまう。彼らの焦りは尋常ではなかったことであろう。

「……そして、最終的にその原因と見なされたのが俺だった。俺の存在があるから、陛下は世継ぎを求めないのだと皆口を揃えて言った」

いくら離宮にいるとは言え、それらの話はルタの耳にも入ってきた。いっそ面と向かって文句を言ってくれるのならばその方が良かった。来る日も来る日も何処かで誰かがルタのことを批判し、貶し、侮辱した。隣室のティルアも日々それを聞いては涙を流していたという。

「その頃、隠密部隊の長がまだ決まっていなかったから、宮廷薬師は隠密部隊ではない、比較的高位の文官が務めていた。……だから、きっと何処とでも繋がることが出来たのだろうな」

ある日のルタの食事に、当時の宮廷薬師はどういう訳か毒を盛った。飲み込んだ瞬間に毒だとわかる程、それは強いものだったらしい。

「焼け付くような痛みが喉に張り付いて、毒に疎い俺も、これは一服盛られたのだと気づいた。苦しくて苦しくて仕方がなかった。目の前の景色がぐにゃぐにゃに歪んで、苦痛と嫌悪感が絶え間なく押し寄せてきた」

ルタの語り口はあまりにも淡々としていた。それがかえってアリックには彼の話に臨場感を持たせているように思えた。まかり間違っても、まだ二十歳にも満たない少年が覚えるような痛みではないはずだ。アリックは当時の宮廷薬師に強烈な怒りを覚えながらも、ルタの話の続きに耳を澄ませる。

「もしかしなくても死ぬと思った。誰も助けになんて来てくれるはずがないと思った。人間という生き物が恐ろしくて仕方なくなった。いっそこのまま死んだ方がましかとさえ思えた。……でも、俺は死ねなかった。いいや、死ななかったんだ。ある者が、助けに来てくれたから」
「ある者、とは……?」

ごくり、と唾を飲み込んでから、アリックはルタに問いかける。ルタは目を伏せたまま、言いづらそうな表情で唇を開く。

「……それが、シュルティラなんだ」
「シュルティラが━━━━!?」

誰もが息を飲んだ。あの輪廻の忌み子は、何の理由があってルタを助けたのだろうか。アーカムを、下手すればシャルヴァ自体を何度も壊しかける程の力量を持ち、ただアーカムへの報復だけに生きると思われているような人物が人助けをしたなんて、到底信じられることではなかった。

「……あれから、俺はまともに人間を信じられなくなった。……いや、“人間というものにとんと興味がなくなった”んだ。他人が何をしようとどうでも良くなったし、自分の生きる世界が全て灰色に見えた。宮廷薬師は隠密部隊の者に変わったし、それから毒を盛られることもなくなった。けれど、五大が暴れたからか俺の体は幼い頃の姿のまま止まり……そして、俺は手に入れたくもない千里眼を手に入れてしまった」

鳥瞰の目。ルタの持つその千里眼は、離れた場所に意識を飛ばして此処ではない場所の景色も見ることが出来る、というものだった。一見色々な分野で役立ちそうな能力だが、ルタからしてみればそれは疎ましいものだったという。

「この鳥瞰の目は、決して任意で使えるものではなかった。決まって、俺の大切な人間が死ぬ時は望まなくてもその光景が見えた。だから、俺は千里眼など早く手放したかった」

それでもルタが己の目を潰そうとしなかったのは、ヴィアレという人の姿を見られなくなるのが嫌だったからだ。彼と出会ってからルタの見る景色は一変したという。これまでは関わることのなかった、ナラカのような人間とも話すようになった。だから、ルタはヴィアレに多大な感謝を抱いてもいた。

「ヴィアレがいなければ、俺は自死を選んでいたかもしれない。人生に絶望していたかもしれない。今の俺があるのは、ヴィアレと……そして助けてくれたシュルティラのおかげなんだ。あの二人がいなければ、俺は此処にいなかっただろう。だからあの二人にだけは、危険な目に遭って欲しくない」

ぎゅ、と自分の服の裾を握りしめながら、ルタは切実に語る。そんな彼の様子を見て、アリックは胸が詰まるようだった。ルタの想うヴィアレは、つい先刻にルードゥスに連れていかれてしまったのだから。

「……おい、何処行くねん」

おもむろに立ち上がったアリックに、フィオレッロが訝しげな目を向ける。エミリオは心配そうな表情で上目遣いにアリックを見ている。しかしアリックは彼らに目もくれず、扉の傍まで歩みを進めていく。

「アリック……!」

そのまま出ていこうとしたアリックに、エミリオはいてもたってもいられなくなったのか声をかけた。ぴたり、とアリックの足が止まる。此方に向き直った彼女の翡翠のような瞳には、ある種の覚悟が孕まれていた。


「━━━━ティヴェラの王宮に行きます。あなたたちは、ルタ殿だけを預かったことにすればよろしい」


アリックは今度こそ振り返ることなく、その脚を動かした。ぱたん、と木製の扉の閉まる音だけが、室内に響き渡った。

1ヶ月前 No.304

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.305

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

建国の長弓、と呼ばれる弓がある。

それはアーカム王家が何物にも代えようとしない至宝であった。理由はあまりにも簡単なことだ。“シャルヴァを拓いたアーカムの祖が、常に携えていた弓”なのだから。
聞くところによると、アーカムの祖は二人といない弓の名手であったという。まあ彼が生きていた時代はどう足掻こうと神代なので、弓以前に凄まじい武力を有する者など何人もいたことであろう。神代とはそういうものだ。今では考えられない出来事も、きっと日常的に起こるに違いない。生と死の前に、創造と滅亡が隣り合わせにあった時代。それが、神代というものなのだろう。少なくともエルトはそう認識していた。

(……私がこの弓を使うことになろうとは)

武具の支度を整えたところで、エルトは建国の長弓に視線を向ける。本来ならば、エルトが持つべきものではないのだろう。10年前、ティヴェラ軍の侵攻を受けたアーカムの王宮だったのだが、この長弓は傷ひとつなく宝物庫に安置されていた。今はティヴェラの砦となっている王宮の一部をそのままにしているとはエルトも思ってはおらず、存外に驚いたことをよく覚えている。

(……其処までして尚、遺しておきたいと望まれたのだろうか)

真偽の程はわからない。もしかしたらティヴェラ軍の誰かが所有していたものなのかもしれない。だがアーカムの王宮を落とした今となっては考えたとて詮なきことだ。今はティヴェラ軍を━━━━シュルティラを倒すためだけに、この長弓を使うのだから。

(伝承に聞けば……かつてアーカムの祖はこの長弓でシュルティラを倒したという)

アーカムの祖に敵対したことからシュルティラは忌み子と呼ばれて忌避されるに至った。この長弓は輪廻する前のシュルティラ━━━━まだ彼がシュルティラと呼ばれていなかった頃、その命を奪ったとされる。どのような武器でもシュルティラにまともな攻撃は通じない。ならばかつてシュルティラに止めを刺した武器を用いるのが得策だ。エルトはそう考えた。

(義母上や義兄上、義姉上の命を奪ったあの忌み子を……私は生涯、許すことはないだろう)

ぐっ、と唇を噛み締めてエルトは陣幕を出る。シュルティラを人間と思ってはいけない。あれは戦闘力以前に、鬼のような心を持っている。はたして人間の常識が通じるだろうか。いや、通じることはないだろう。幾度もアーカムに殺されてきた彼は、きっとアーカムを赦しはすまい。エルトがシュルティラを許さないのと同じように━━━━いや、エルトすらも計り知れない程の恨み辛みが、其処には込められているのかもしれない。

「……ノルディウス殿。準備が整いました。参りましょう」
「おう、良い意気じゃねぇか。じゃ、俺の馬車の後ろに乗りな。そんなでかい弓を引くなら其処の方が良いだろ」

さすがに馬車を操りながら弓を引く、なんて器用なことはエルトには出来ないので、ノルドの場所の後ろに乗らせてもらうことにした。ノルドの腕であればよっぽどのことは起こらないだろう。
他の部隊の準備も整ったようなので本陣を出ることにする。これまでいくつもの襲撃に参加してきたエルトだが、この戦争において戦場に出るのは初めてである。そのため、いくら普段から冷静沈着な彼とてそれなりに緊張していた。

(……シュルティラは、どう出るのだろうか)

輪廻の忌み子。そして恐るべき力を持つ武人であるシュルティラに、はたして太刀打ち出来るのだろうか。エルトはそんな不安を覚えつつあった。かつて王立図書館で邂逅した折りには、手も足も出なかった。加えて、“気”だけで追い払われたことに納得がいかずにいた。あれだけのアーカムの王族を殺めたシュルティラなのだから、自分のことだって殺すのだろうと思っていたのだ。

(あれは……シュルティラは、何を考えているのだろうか?)

表情を全く見せることのない漆黒の鎧兜。常にそれらに身を包んだシュルティラは言葉すらも発することがない。だからシュルティラの真意をエルトは知らない。彼が何を思い、何を目的として動いているのか。それが微塵もわからない。故にシュルティラという男は酷く不気味であった。

「……そんなにシュルティラのことが気になるのか?」
「……っ!」

藪から棒ににノルドからそんなことを問いかけられて、エルトは思わずびくりと肩を揺らす。ノルドは此方を向かぬまま、馬車を操りながら続けた。

「いや、なんだか刺々しい雰囲気をかもし出してたから、ついな。エルト、前からシュルティラのこと気にしてただろ?」
「……まあ、気にならないと言ったら、嘘になりますが……」

此方の顔が見えていないのはわかっているが、なんとなくエルトは顔を伏せてしまう。詰まるところ、図星だったのだ。自分の心を読まれたようで、エルトとしては良い気持ちになれなかった。

「……シュルティラは強敵です。そしてアーカムの王族の仇でもあります。ならば、同じアーカムの者として、シュルティラは私が討たねばならないのでしょう。……だからこそ、私はこの弓を取ったのです」
「そうかい。ま、10年前の惨劇については俺も聞き及んでるけどな。……でもよ、本当に良いのか?シュルティラはまがりなりにもエルトの実兄だろ?」
「…………」

ぐ、とエルトは拳を握りしめる。たしかにシュルティラはエルトを生んだのと同じ女の腹の中から生まれた。それを否定するつもりはない。━━━━だが、エルトからしてみれば“それだけのこと”なのだ。ただ、同じ女の腹から生まれてきただけ。それにいちいちこだわれる程、エルトはシュルティラと親しくないし親しもうとも思わない。

「……あのような男を兄と思ったことは一度もありません。兄らしいことをされた記憶もなく、家族として接した記憶もなく━━━━あるのはただ、アーカムの王族を鏖にしている記憶のみです」
「……そうか。ま、そんな記憶だけならシュルティラを恨んでも仕方ねぇのかもな」

そう言ってから、ノルドは小さく肩を竦める。エルトとしては何だか腑に落ちなかったが、理解されないことをいちいち気にしてはいられない。まずシュルティラと接したことのある者という方が少ないだろう。其処は妥協せねばなるまい。

「……そういえば、サヴィヤはどうしてるんだろうな」

ぽつり、と。何の気なしにノルドが呟いたのをエルトは聞き逃さなかった。再び顔を上げて、ノルドの背中に向かって声をかける。

「……あの者はティヴェラの兵士だったようですね。此方の戦略が漏洩していなければ良いのですが……」
「いや、サヴィヤに限ってそれはないだろ。あいつに謀略とか密告は似合わねぇよ」
「いいえ、わかりませんよ。戦となれば人は何を起こすかわからないものです」

エルトはあのサヴィヤという青年をいまいち信用出来ないでいた。まず生業など一切の情報が不明だというのに、旧アーカム領の集落においてひとつも疑われていなかったことが気にかかる。彼女を擁護するつもりはないが、ナラカとてティヴェラの斥候ではないかと疑われていたのだ。ましてや、ティヴェラからやって来ているサヴィヤなど怪しさの塊だろう。それなのに彼は旧アーカム領で受け入れられていた。それがエルトには解せないのだ。

「どんなに善き者に見えていたとしても、サヴィヤはティヴェラ側の人間です。懐古することを責めはしませんが、あまり油断なさらないように」
「おうおう、わかってるよ。……ほら、そろそろ戦場だぜ。気にするならそっちを気にした方が良いんじゃねぇのか」

なんとなくあしらわれたような気がしないでもないが、ノルドの言う通り戦場となっている地区にたどり着いたのは確かである。エルトは一度深く深呼吸をして、良くも悪くも逸る気持ちを落ち着けようと心がけた。

1ヶ月前 No.306

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

普段シュルティラは馬車に乗っていると聞いたことがあるが、今回の戦では意外なことにそういったものには騎乗していなかった。途中で乗り捨てたのか、あるいは徒歩で来たのか。後者であれば色々な意味で恐ろしい。シュルティラならやりかねない辺りが洒落にならない。

「……身一つで出るつもりなのか、あれは……」

千里眼を有しているエルトは常人よりも優れた視力を有している。故に、多少離れたところにいたとしてもシュルティラの姿はしっかりと捉えることが出来た。そもそもシュルティラの戦闘力からして、人間と思ってはいけない。そのためにエルトはノルドに一先ず距離を取るようにと告げたのだった。迂闊に近づいてまとめて殺されては一巻の終わりという奴である。

(……奴の得物は矛か。また大層な長物を持ってきたものだな)

見たところ、シュルティラの手には矛のようなものが握られていた。さすがにないと思いたいが、あれを投擲でもされたら堪ったものではない。シュルティラの武芸の才は神すらも震撼させるという伝承がある程度だ。矛や槍といった長物は勿論、剣や弓の扱いにも長けているという。それで馬車も駈れるというのだから怖いものなしだろう。
す、とエルトは目を細める。はたしてこの矢でシュルティラを射ることが出来るだろうか。弓の修練も剣と同じくらい積んできたつもりではいる。しかし相手はシュルティラだ。まずは慎重に行かなければならない。一手でも間違えれば、きっとエルトの命は容易く刈り取られてしまうことだろう。

「…………」

ゆっくりと、矢をつがえて狙いを定める。敵はシュルティラただ一人と考えねばならない。そうでもしなければ周囲の状況ひとつひとつに心が揺り動かされそうであった。ぎち、とエルトは弓を引く。そして━━━━。


「━━━━っ!」


ばきぃ、と。飛んで行ったエルトの矢はシュルティラによって薙がれた。しかしエルトにとってはむしろ好機である。ティヴェラの兵士はシュルティラを畏れているのか、彼の周りにはいるものの何処かおずおずとしている。それゆえシュルティラは自分の周囲にも注意を払っていた。しかしエルトの一矢でシュルティラの意識は一点に逸れる。当然、一瞬ではあるが周囲から目を離す隙が生まれる。

「━━━━突撃なさい!」

エルトは有らん限りの声を上げて、自分がいる拠点の兵士たちに号令を出す。その瞬間わっ、と拠点から反乱軍の兵士たちが飛び出した。もともと傀儡たちに苦しめられているティヴェラ軍としては望まぬ展開であろう。

「うっ、うわぁぁぁぁ!?別動隊か!?」
「良いからシュルティラ様をお守りするのだ!そう命令されているだろう!」

ティヴェラ軍からは怒号や悲鳴が飛び交った。その間にも飛び出してきた反乱軍の兵士たちはティヴェラ軍に突っ込んでいく。きっと勝機があると見て安心したのだろう。

「よっしゃ!弾かれはしたが効果は抜群だぜ、エルト!」
「ええ。ですが気を抜かないように、ノルディウス殿。万が一の事態があってはなりませんからね。それから、此処から離れてもいけませんよ」
「へいへい、わかってるっつの」

ノルドが拠点の外に出たい気持ちもわからなくはない。だが相手はあのシュルティラなのだ。いつ何が起こったって可笑しくはない。そのため、迅速な撤退が出来るようにとエルトは拠点から弓を引いている。この拠点は今現在最もティヴェラの本陣に近い場所にある。上手くいけばこのまま本陣に切り込むことが出来るかもしれない。

(ならば……まずはシュルティラを何とか退却させねばならない)

シュルティラを今此処で倒すことは不可能だろう。さすがにエルトも其処まで突っ走りはしない。だが退却させるだけなら出来ないことはなさそうだ。シュルティラが退却したとなれば、ティヴェラ軍の士気は大きく下がる。其処を反乱軍が叩けば本陣までは一直線、というものである。

(兵力ならば此方の方が圧倒的というもの。多少強引に押してでもシュルティラを退却させねばなるまい……)

エルトは再び弓に矢をつがえる。この矢には自分の“気”を微量ながら纏わせている。そのため普通の矢と違って確実にシュルティラのところまで飛んでいく。━━━━まあ、間に障害物が出来たりシュルティラに防がれたりしては元も子もないのだが。
エルトの放った矢は真っ直ぐ、シュルティラに向かって飛んで行った。高めに射たから他のティヴェラの兵士に刺さることはなさそうだ。間を空かせないようにと、エルトは次なる矢に手をかけようとする。


「━━━━え?」


しかし、どういった訳か、エルトの動きは一瞬止まった。まるで西域の神話における蛇の怪物にでも睨まれたかのように、一瞬だけだが動けなくなったのだ。

「……おい、エルトっ!?」
「……!いえ、何でも……!」

異様な雰囲気を感じ取ったのだろうか。声をかけてきたノルドに、エルトは何でもありませんよ、と返そうとした。しかし、その言葉すら喉の奥に引っ込んでしまう。


シュルティラが、エルトを見ていた。


エルトとシュルティラの間には十分過ぎる距離がある。だから千里眼を持っているか、はたまた桁違いに視力の良い者か……少なくともそれくらいの人物でなければ、エルトの存在には気づかないはずであった。
それなのに、シュルティラは確かにエルトのことを見つめていた。その黒い兜は、明らかにエルトの方を向いていたのだ。何も言うことはなく、片手で敵兵を屠りながら。

(あいつ……!)

ぐ、とエルトは唇を噛む。シュルティラは気づいている。この拠点にエルトがいるということに。あれほどの距離を有していようとも関係ないと言わんばかりに、此方をただただ見つめて━━━━。


刹那、戦場に焔が駈ける。


一薙ぎ。たった一薙ぎで、シュルティラは目の前にいた反乱軍の兵士たちを“己が矛から発せられた焔”で滅した。反乱軍の兵士たちの悲鳴が響き渡る。それは焼け死んだ者のものではない。シュルティラに薙がれた者は、一瞬にして生命を奪われている。恐らく、苦しむ暇もなかっただろう。

「……まずい……!」

これはまずい。エルトの直感はそのように告げていた。たった一薙ぎで反乱軍の士気は大きく落ちた。兵士たちの中には逃げ出そうとする者さえいる。ぎちぎちと歯軋りしたくなるのを抑えつつ、エルトは尚もシュルティラに弓を構え続ける。こんなところで諦めてはいられない。そんなエルトの思惑を知ってか知らずか、シュルティラは矛を振るい続ける。赤い焔が揺れ続け、馬車を操るノルドでさえもごくりと唾を飲み込んだ。

(やはり人間ではないな、シュルティラ……!)

シュルティラはエルトを見ている。矛を振るいながら、それでもずっとエルトの顔を見つめている。それが不気味でならなかった。どうしてこの忌み子は自分のことを凝視しているのか。鳥肌が立った。素直に恐ろしいと思った。それでもエルトは決してシュルティラから目を逸らさないようにと心掛けた。目を逸らしてしまえば、其処で敗北が確定してしまうような気がしたのだ。
再びシュルティラが腕を振りかぶる。彼が焔を繰り出すことが出来るのは、火神の加護を受けるアーカム王家の血を引いているが故のことである。嗚呼、なんと皮肉なことか。彼の焔が、アーカムを滅ぼしたティヴェラのために振るわれることになるとは━━━━。


「何ぼさっとしてるのよ、馬鹿!」


ざあっ、と。エルトの頭上から水のようなものが降り注いだ。滝のように、一気に水が降ってきた訳ではない。ぽつ、ぽつと降ってくるそれを、エルトは知っている。

「……雨……!?」
「そうよ雨よ!シャルヴァで降ることなんかないのに、よく知ってるのね?」

ふん、と小馬鹿にしたように鼻で笑うのはニーラムであった。どうやらシュルティラの焔を消すために上から水を━━━━地上における雨のようにして降らせたらしい。思わぬところからやって来た救援に驚きつつも、エルトは感謝の意を込めてニーラムに向けて微笑んだ。

1ヶ月前 No.307

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

シャルヴァの人間にとって、雨とは最早未知の領域であろう。ティヴェラ軍の兵士も頭上を見上げてそれぞれ驚きの表情を浮かべている。そもそも空を知らない彼らが雨というものを知るはずがなかった。

「…………」

しかしシュルティラは黙したまま、おもむろに頭上を見上げるだけであった。それだけでもエルトからしてみれば十分である。あの化け物のような強さを誇るシュルティラに、一瞬でも隙が生まれたのだから。
ひゅ、と風を切ってエルトの放った矢が飛んでいく。シュルティラとて気づかない訳がなかったが、何分気づくのが一歩遅かった。シュルティラは長物を得物としており、ある程度の距離があれば自分に向かって射られた矢を薙ぎ落とすことも出来るだろう。だが間合いが一定水準を越えてしまえば、その矢を薙ぎ落とすことなど出来ない。━━━━詰まるところ、シュルティラが此方から目を離す瞬間が必要だった。

「…………!」

エルトが放った矢はシュルティラの肩口を掠めた。エルトの“気”を纏ったその矢はシュルティラの黒き鎧を破壊することは出来ずとも、それに傷を付けることならば出来る。つぅ、と一筋シュルティラの肩口から血が流れた。

「や、やった……!」

シュルティラに傷を付けることが出来た。それはエルトにとっても大きな意味を有する。思わずそう声を上げてしまうくらいに、エルトの気持ちは高揚していた。あの憎きシュルティラに傷を付けることが出来たのだという現実が、エルトにとっては酷く心地よかった。

「皆さん、この機を逃してはなりません!速やかに進撃を開始するのです!」
「はっ、殿下!」

此処から一気に畳み掛けねばなるまい。そんな思いからエルトは迷わず号令を出す。意気込んだ反乱軍の兵士たちは我先にとシュルティラのもとへ突撃していった。後方にいるニーラムがシュルティラの焔を抑えつけてくれるという安堵があるからであろう。

「よし、良い感じになってきたじゃねぇか!こりゃあ上手くいくかもしれないぜ!」

馬車を操るノルドも、この状況に意気揚々としている。彼にも勝機が見えてきたのだろう。反乱軍の主戦力であるノルドがこう言ってくれたなら、それ以上に頼もしいことはない。兵士たちの士気はぐんぐんと上がっていった。

「…………」

シュルティラは、そんな反乱軍の様子を黙って見ていた。べたり、とエルトから付けられた傷を撫でて、その手に付着した己が血を一瞥してから。まるで他人事のように、自らが率いる軍に向かってくる反乱軍の兵士たちを見据えていた。

(……相も変わらず気味が悪い)

何を考えているのかさっぱりわからないシュルティラの行動を訝しく思いながらも、エルトは追随の手を止めはしない。どうしてかティヴェラ軍に酷く攻め込んでいるという傀儡たちの姿は一向に見えないが、反乱軍は生身の兵士も決して少なくはない人数を有している。そのためレインの作成した傀儡がおらずとも戦場を駆けることは出来た。━━━━のだが、いくら好機といってもエルトには……いや、反乱軍には腑に落ちないことがあった。


シュルティラが“動かない”のだ。


先程まであんなに苛烈に矛を振るっていた輪廻の忌み子は、どういった理由からかその場に棒立ちになっていた。勿論、反乱軍の兵士が斬りかかればいなす程度のことはしている。だがシュルティラは“反乱軍を相手にする気がなくなった”ように見えた。

「あいつ……何考えてるのよ……?」

ニーラムでさえもそんな言葉を漏らしたくらいだ。ましてやシュルティラを何よりも憎むエルトは恐ろしさすら感じていた。きっとニーラムにも、ノルドにも、反乱軍の兵士たちにもわからないだろう。シュルティラが戦場の真っ只中で突っ立ってまでしていることを。

(何故……何故私のことを見続ける……!?)

シュルティラはエルトから視線を外そうとしなかった。彼はずっと凝視しているのだ。何があろうと、決してエルトからは視線を逸らすことなく、ひたすらに顔を彼に向けている。それを知るエルトの背中には思わず冷や汗が流れた。

(私がアーカムの末裔だから……滅すべき対象だから此処まで凝視しているということなのか?確かに私はシュルティラが憎いが、奴とは関わりらしい関わりを持っていない。第一まともに話したこともないのだ。このようにじろじろ見られる筋合いはないというのに……!)

認めたくはないが、エルトはこの10年で変わった。地底から出たせいで太陽に焼かれた肌は浅黒くなり、すっかり地上の空気に染まってしまった。しかし10年という年月がエルトを変えたのは悪い意味だけではない。武術を学び、心身を鍛え、アーカムの再興のために様々なことを学んだ。そうして此処に、シャルヴァに戻ってきたのだ。今更シュルティラの視線などに怯んでなどいられない。

「……ノルディウス殿。馬車を前へ。シュルティラに追い討ちをかけます」
「良いけどよ……大丈夫か?あっちはまだまだ元気っぽいぜ?」
「構いません。そのために兵士たちやニーラム殿がいるのです。……頼めますね?」
「……まったく、精霊使いが荒いったらありゃしないわ」

溜め息を吐きつつもなんだかんだで協力してくれる辺り、ニーラムも心を開いてきたということだろうか。とにもかくにもニーラムの援護はありがたい。アーカム王家の血を引くシュルティラは火の五大の恩恵を受けている。それを打ち消すことが出来るのが、水の五大を司るニーラムであった。要するに、五大の相性で言えばニーラムの方が圧倒的に有利なのだ。

「……今日こそ、あの忌み子に一矢報います。ノルディウス殿、前進を!」
「おう、承った!」

エルトの号令にノルドの馬車も動き出す。シュルティラとの距離を詰めるのは危険も伴う。しかしシュルティラを討つには今しかない。エルトに迷いや躊躇はなかった。この際多少傷を負ったとて構わない。愛しき家族を奪った、輪廻の忌み子に報復出来るのであれば━━━━!

「……っ!」

射つ。射って射って射ち続ける。指が痺れてきたが差し支えはない。この日のために鍛練を積んだのだ。この日のために艱難辛苦を嘗めてきたのだ。目的が達成出来るのであれば、エルトの指など些細な問題だ。

「決して許しはしないぞ、シュルティラぁ!」

エルトは叫ぶ。有らん限りの声を張り上げて、忌み子への恨みを叫ぶ。シュルティラはそんなエルトをも、何も言わずに見つめていた。矢を打ち払いながら、微動だにせずにエルトの方だけを向いている。

「貴様は、貴様だけは!この私の手で断罪する、断罪しなければならないんだ!」
「…………」
「何故私を見る、シュルティラ!それほど私の姿が愚かしく見えるとでもいうのか!答えろシュルティラ━━━━!」

何も反応のないシュルティラに、エルトはある種の怒りを覚えた。その激情のままに、彼は弓を引き続ける。だいぶと腕が疲れてきたが気にしない。シュルティラを追い詰めなければという感情があれば、痛みや疲労など苦にもならなかった。

(今仕留めねば、次はないかもしれない……ならば、今すぐに奴を殺さねば━━━━!)

なかなか当たってくれない矢に焦燥感を覚えつつ、エルトは弓を引き絞る。残りの矢も多くはない。早いうちにもう一発くらい決めておかなければ。シュルティラに狙いを定め、エルトは何発目になるかわからない矢を射た。


「━━━━何してる!」


しかしその矢はシュルティラではない誰かによって打ち除けられた。自分に向かって放たれたのであろう怒りを含んだ声音に、シュルティラは初めてエルトから目線を離す。

「撤退、撤退だ馬鹿!こんなところでぼんやりしててどうする!?あっちもこっちも陥落してるんだ、お前にまで死なれたらティヴェラはそれこそ終わりって奴だ!」
「…………」
「あぁくそ、お前までどうしちまったんだよ本当に!とにかく撤退するぞ、わかってなくても砦まで走れ!」

シュルティラを叱りつけたのは何時だかティヴェラの王宮でエルトの千里眼を看破した羅刹の青年━━━━アロイスであった。彼はシュルティラをあろうことかずるずると引きずるようにしながら、周りの兵士にも撤退するようにと呼び掛けている。

「へぇ、あの羅刹、やたらと手際が良いな」

その撤退の素早さには、ノルドも思わず感心する程だった。エルトとしては敵兵を褒めるのはどうかと思ったが、今は突っ込んでいる場合ではない。あっという間にティヴェラ軍はシュルティラを連れて撤退してしまった。

「……随分と思いきりが良いのね、あいつら。どうするの、このまま追いかけたらぎりぎりで追い付くかもしれないわよ?」

嘆息してからそう告げるのはニーラムである。彼女はシュルティラやティヴェラ軍を逃がしてしまったことを何気に悔しく思っているのか、いつもやる気が無さげだというのに今回はやたらと積極的な意見を出してくる。

「……そうですね。追撃するのが妥当でしょう。出来ることならティヴェラの本陣も落としてしまいたいところです」
「ふん、そうこなくちゃ。さ、早く行くわよ」

エルトの言葉にうなずいてから、ちゃっかりニーラムは馬車の後ろへと乗り込む。よっぽど乗り気になってくれたらしい。ともあれ、この調子だとティヴェラ軍の敗走も間近である。エルトは矢筒に矢を補充しながら、ティヴェラ軍が撤退していった方向を強く睨み付けた。

1ヶ月前 No.308

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第55幕:追撃の先に見たものは】

何とか本陣まで逃げ帰ってきた形になったシュルティラたちであったが、敵の追撃はやはり容赦がなかった。ちらりとその様子を本陣の窓より一瞥してから、シュルティラの救援に駆けつけて彼を本陣まで無事に撤退させた羅刹の青年━━━━アロイスはちっと舌打ちした。

「くそ、こりゃあ完全に負け戦じゃねぇか……!おいシュルティラ、傷はどうだ?」
「…………」
「良いから見せろ。お前が傷つけられるなんて相当だからな」

沈黙を貫くシュルティラだったが、アロイスに言われては抵抗出来なかったのか、渋々エルトに射られた箇所を彼に見せた。大した怪我ではなさそうだが、それでもティヴェラ軍からしてみれば重大なことである。アロイスとしても早急に手当てをしたいところだろう。

(……意外と綺麗な肌してるんだな)

おずおずと差し出されたシュルティラの腕は、アロイスの予想以上に白く、きめ細やかで綺麗なものだった。シュルティラの体格がもう少し華奢だったら女性のものと間違えていたかもしれない。細くはあるが適度に筋肉のついたそれは明らかに男性のものだった。

(此処に他の兵士たちがいたらどんな反応してただろうな)

この室内には幸か不幸かアロイスとシュルティラの二人しかいなかった。いくら味方とは言え輪廻の忌み子と畏れられるシュルティラに着いていこうとする者はいなかったし、反乱軍の追撃の相手をするのでてんやわんやしていたこともあって、シュルティラの手当てはアロイスに一任されたのだ。アロイスとてシュルティラが恐ろしくない訳ではないが、任された以上はやるしかない。相手がどのような人物であれ、ティヴェラ軍の一員ということに変わりはないのだから。
とにもかくにも、手当て自体はそう難しいものではなかった。シュルティラの負った傷は大きいものではなく、止血のための薬を塗って包帯を巻けば事足りた。ただ、“シュルティラが傷を負った”ということが問題なのだ。これまで無双の強さを誇ってきたシュルティラに、かすり傷であれど傷を付けられる人間。そういった者が出たという事実は、ティヴェラ軍を震撼させたことであろう。

「…………い」
「……あ?」

諸々の道具を片付けていた矢先、シュルティラの兜の奥から何やらもごもごと声のようなものが聞こえてきた。シュルティラは喋らない、と聞いていたアロイスは思わず己が耳を疑う。しかしこの空間にはアロイスとシュルティラの二人きりである。アロイスでなければその声はシュルティラのものなのだろう。

「……色々と手間をかけさせてしまったようで、すまない」

聞き返されたと思ったのか、シュルティラは先程よりも声量を上げてそう告げてきた。あまりにも謙虚というか、控えめな言葉にアロイスはついずっこけそうになってしまう。

「……あのなぁ、戦の時は自分の命がいちばんなんだからよ。そういうのは勝ってから言うものだぜ」
「……そうなのか……」
「あとお前、喋れるならもっと積極的に声出してけよ。そっちにも一応事情とかはあるんだろうが……。けどよ、戦闘中に声出せないってのは辛いだろ?」

相手が相手なので多少の躊躇いはあったが、黙っているのも気持ち悪いので、アロイスは思いきってそう口に出してみる。此処でシュルティラが機嫌を損ねでもしたらアロイスの命はない訳だが、なんとなく大丈夫だろうという確信があった。何故だかはアロイスにもわからない。ただの直感である。

「……気遣い、痛み入る」

シュルティラから返ってきたのはそんなおとなしい答えだった。そっと籠手を着け直すシュルティラを横目で見ながら、アロイスは続ける。

「お前、喋れば割りと普通の人間じゃねぇか。……あ、馬鹿にしてるとかじゃないんだぜ。輪廻の忌み子、なんて仰々しい渾名付けられてるから、もっと色んな意味で神サマじみた奴かと思ってたんだよ」
「……詰まるところ、人間らしい、と?」

くるり。シュルティラの頭がアロイスの方を向く。真っ黒い彼の兜に、アロイスの姿が映っていた。これには思わずアロイスも、ごくり、と唾を飲み込む。

「……まあ、そういうことになるな」

嘘を吐く訳にはいかない。アロイスの直感はそう告げていた。だから簡潔に、率直に、それだけを答えた。シュルティラはそれを聞いてからゆるりとした動作で立ち上がる。

「……そうか。俺は人間らしいか。……少し安心した」
「安心……?」
「嗚呼。俺は昔から人ではないものとして扱われてきた。それを恨みはしないが、俺は人間が好きだからな。好きなもののようだと言われるのは、やはり嬉しい」
「お前、人間が好きなのか……?」

俄には信じられなかった。シュルティラが、人間を好きだと言うなんて。アロイスだってシュルティラの伝説はある程度知っている。輪廻の忌み子として畏れられ、疎まれ、憎まれ、非業の死を遂げ続けて尚シュルティラとして生まれ変わり続けるその生涯は、決して生半可なものではないだろう。それなのに、人間を好ましく思えるというのか。アロイスのそんな気持ちに気づいているのかいないのかはわからないが、シュルティラは答えを紡ぎ始める。

「好きだ。人間の営みや、その人生、在り方はどのようなものであれ尊いものだ。少なくとも、俺はそう信じている」
「……そいつらに殺されても、か」
「勿論だ。人には人の持つ宿命というものがあろう。それにいちいち固執していては、輪廻など出来んよ」

シュルティラの言葉尻には一種の悟りのようなものがあった。故にアロイスは感じ取ったのである。シュルティラが“人として扱われない理由のひとつ”を。

(こいつ……あまりにも、“慈悲に満ちすぎて”いやがる━━━━!)

人間を慈しみ、個々として尊ぼうとする心。すなわち慈悲の度合いが、シュルティラは素人目に見ても凄まじかった。アロイスも尊敬を通り越して畏怖すら覚える程である。

(普通、あんな人生送ってたら人間を憎むようなものだってのに……!やっぱりこいつ、どうかしてる……!)

実際、シュルティラを輪廻の渦に送り込んだという呪術者は、有り余る負の感情に己が身を投じたのだろう。そうでなければ、あれほど長期間に渡る呪いが成り立つはずがない。だがシュルティラはこのようにいたって穏やかだ。それがアロイスとしては何よりも解せなかった。これまで人間から散々な目に遭わされてきたというのに、シュルティラは人間を恨む様子が見受けられない。あろうことか自分を排斥し、忌み子にし、幾度となく殺してきたアーカムに対しても、である。

「……さっき棒立ちになってたのも、人間が好ましいからか?」

故にアロイスはシュルティラにそう問うた。先程、戦場で手傷を負ったにも関わらず、シュルティラが動かなかったのをアロイスは知っていた。ただ一点を見つめて、彼は突っ立っていたのだ。戦場ではまずあり得ない行動である。アロイスが救援に駆け付けなかったらどうなっていたことか。
問いかけられたシュルティラはふむ、と口にしてから自らの手を顎に遣った。暫し考えてから答えるつもりのようだ。

「……あれは、違う。単に人を好いているからではない」
「ふぅん。だったら尚更気になるな。なんであの場から動かなかった?」

ずい、とアロイスはシュルティラに一歩近づいてみる。シュルティラに対しての畏れがなくなった訳ではないのだが、単純にシュルティラの動かなかった理由というものが気になって仕方がなかった。アロイスから詰め寄られる形になったシュルティラは、黒き兜に隠された顔を伏せてからぼそぼそと呟くような声量で言った。


「━━━━俺に傷を負わせたのが、実の弟だったからだ」


シュルティラの答えを聞いたアロイスは一瞬沈黙した。シュルティラの弟━━━━というと、十中八九アーカム王家の人間、なのだろう。実の、と付けたところからして、同じ母親から生まれてきた弟ということらしい。アロイスはよく知らないが、たしか最後のアーカムの王には何人かの妃がいたとは聞いている。シュルティラを産んだのもそのうちの一人だろう。

「……あっちはお前のことを酷く睨んでたみたいだったけどな。お前にとっては、可愛い弟ってことか?」

やや揶揄るような意味合いも込めて、アロイスはシュルティラに視線を向ける。あの青年の顔をはっきりと見てはいないが、恐らくかつてティヴェラの離宮に忍び込んだ者だろうとアロイスは推測していた。見たところ千里眼を有していたから、容易く倒せるような相手ではなさそうである。

「……お前に話すべきことではない」

これまでの謙虚な物言いに反して、シュルティラは拗ねたようにそっぽを向いた。これにはアロイスも目をぱちくりさせる。そうこうしているうちに、シュルティラはすたすたと歩き出している。

「……手当ては済んだだろう。ならば戦場に戻らねばなるまい」
「お、おい……!」

アロイスの言葉を聞こうとする様子も見せず、シュルティラは部屋を出ていってしまった。ばたん、とやや強めに閉められた扉を暫し見つめてから、アロイスは溜め息を吐く。

(……ありゃあ、完璧に琴線に触れちまったみたいだな……。それにしても、あいつの声、何処かで聞いた気がしないでもないような……)

シュルティラの声はアロイスにとって何処か聞き覚えのあるものだった。決して大きくはないが、聞き心地の良い声。最近聞いたような気がしないでもなかったが、どうにも上手く思い出せない。

(……まあ、あいつの言うことが間違ってるって訳でもないしな)

ぐっ、と伸びをしてからアロイスも部屋を後にする。戦争はまだ終わっていない。シュルティラがこの戦争に何を思うのかは知らないが、少なくとも身の上の関係を拗らせるのだけはやめてくれよ、とアロイスは内心で密かに祈った。

1ヶ月前 No.309

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.310

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1ヶ月前 No.311

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

羅刹たちはこれが防衛戦になることをわかっているようだった。というか、わかっていなかったら大問題だろう。実際に羅刹たちは突撃するようなことはせずに、此方に向かってくる傀儡や反乱軍の兵士を迎撃しているような形を取っていた。

「さすがに羅刹たちも慎重ですね。それだけ戦況が切羽詰まっているということでしょうか」

戦場の様子を眺めながら、エルトは状況を分析する。普段血気盛んと囁かれている羅刹たちがあれだけ守備に徹しているということは、そうまでしてもこの本陣を守らなくてはならないとティヴェラ軍の上部が判断しているということに相違ないだろう。それだけティヴェラは追い詰められているのだ。反乱軍を率いるエルトからしてみれば、上々の首尾と言えよう。

「━━━━だが、油断は出来ない」
「…………!」

唐突に、何の予兆もなく隣から声をかけられたエルトは思わずびくりとその身を震わせる。見てみれば、ノルドの馬車と並走する形で乗馬したイオニスが此方を見つめていた。相変わらず感情の起伏があまり感じられない目をしているイオニスだが、声をかけてくるだけでもエルトにとっては意外であった。

「彼方にはシュルティラもいる。せいぜい気は抜くなよ」
「……わかっております。イオニス殿も、本陣の攻略には参加なさるのですか?」
「……一応はな。私にもやらねばならぬことがある。お前の邪魔は出来る限りしないつもりだから安心しろ」

離反するような形を取ったからだろうか。イオニスの口数はかなり増えたと思う。もともとエルトのことを主と仰ぐような素振りを見せていなかったが、彼なりに遠慮していた、ということなのだろうか。別に殿下、と呼ぶことも主として仰ぐこともエルトは強要するつもりはないので、イオニスに心境の変化があっても驚くだけでどうこう言うことはない。彼なりに反乱軍のために動いてくれるならそれで十分である。

(……尤も、イオニス殿が反乱軍のために動いてくださるかはわからないが……)

何故かナラカに妹の姿を重ねているイオニスが反乱軍に加勢してくれる可能性は高いとは言えなかった。だが、ナラカたちは一応反乱軍の食客ということになっている。少なくとも反乱軍の邪魔になるようなことはしないで欲しいものだ。
とにもかくにも、この砦を突破しない分には話が始まらない。羅刹部隊は厄介な敵だが、防衛戦を強いられている以上奇想天外なことはしでかさないだろう。ひとつの行動だけで命取りになることだって吝かではない世界なのだ。羅刹たちも仕える国の一大事において、上部からの命令を無視するようなことはしないだろう。

(……それにしても、ナラカたちは何処にいるのだろう)

てっきりイオニスと共に行動しているものかとは思ったが、乗馬しているイオニスの後ろにはいつも通りにスピロスとオルガノスが付いているだけである。ナラカやハルシャフ、隠密の紫蘭に昨日保護したとかいうスメルトの姿は見受けられない。

「……どうした?」

思っていたことが顔に出ていたのか、イオニスが訝しげな表情でそう問いかけてくる。いちいち口にすべきことでもないので、エルトは「何でもありませんよ」と茶を濁した。

「とりあえず、イオニス殿。あなたはあなたの為すべきことを為しなさい。決して深入りはしないように……」

余計なことだけはしないように、とイオニスに告げようとしたエルトだったが、その言葉は最後まで言うことが出来なかった。ひゅ、と隣でイオニスが息を飲む音が聞こえてきた。そしてノルドが無理矢理に手綱を引いたのか、エルトの乗っている馬車は突然に方向転換した。

「……っ、何です!?」

がたがた揺れる馬車に必死になって掴まりながら、エルトはノルドに問いかける。何故彼は突然馬車を走らせるような真似をしたのか。そんなエルトの疑問に、ノルドは振り返らずに、叫ぶようにして答える。

「何って、羅刹だ!羅刹がこっちに向かって突っ込んできたんだよ!」
「羅刹が……!?」
「応、その羅刹だ!単騎だぜ、ありゃあ!」
「単騎……ですって……!?」

ノルドの言葉にがばり、とエルトは身を乗り出して先程までいた場所の方向を覗き込む。其処には警戒した様子で馬上で剣を抜いたイオニスたち部隊の者たちと、彼らと向き合う一人の羅刹の姿があった。

「……何だ、貴様は」

馬上から、イオニスは相変わらずあまり抑揚のない声で羅刹へと尋ねる。問いかけられた羅刹は、今にも噛みつきそうな勢いでイオニスを睨み付ける。

「うるせェ。何もクソもねェよ、早くスメルトを出しやがれ」
「スメルト……?」
「惚けるンじゃねェよ。手前らが保護したとかいうあの人間と羅刹との混血だ。あれはお兄様が捕まえるように命じられたンだよ。死にたくなきゃさッさと出せ」

羅刹の男━━━━ラビスは、大剣を握り締めたままイオニスにそう強要した。スメルトを出さなければ殺す、とでも言うかのように。きっとラビスを目の前にしている人物はよっぽどの肝っ玉でも持っていない限り、恐怖に震えることであろう。それだけラビスの全身からは凄まじい殺気が発せられていたのだ。
だがイオニスは決して怯むような様子を見せなかった。スピロスとオルガノスが冷や汗をかいている中、イオニスだけは表情を微塵も変えることなくラビスを見据え続けていた。

「……残念ながら、私がスメルトを貴様の前に出すことは出来ない」
「ンだと……!?」
「何故なら━━━━“スメルトはもうこの戦場に出ている”からな」

イオニスがそう口にした瞬間、ふっとラビスの頭上が薄暗くなった。遠目から見ていたエルトとノルドにはその全貌がよく見えている。ラビスの頭上を覆った影が、どのようなものであるのかを。


「そんなに僕を必死に探して━━━━一体何のつもりなの?」


ラビスは、いや━━━━エルトやラビス、イオニスもその声を聞いたことがあった。それはつい昨日、反乱軍に保護された男のものだった。

「スメルト……!」

ラビスの表情が憎悪や憤怒をない交ぜにした、複雑な色に染まる。スメルトが頭上から飛びかかってきたというのに、ラビスは動きを止めることはなかった。ぐん、と体を捻るとスメルトの体当たりを回避する。そして体勢を直ぐ様立て直し、スメルトを斬りつけようと手にしている大剣を振るう。

「わぁ、危ない」

しかし、そんなラビスの斬撃をスメルトは軽々とした様子で避けた。そしてそのまま脱兎の如く駆け出していく。

「あッ、手前……!」
「……行かせん」

スメルトを追いかけようとしたラビスだが、その道はイオニスの部隊に阻まれてしまう。その間にスメルトはすたこらさっさと兵士たちの中に紛れて行った。戦闘力も凄まじいが、足も速いとなると本当にスメルトは厄介である。一度でも敵対していたことが今思うと恐ろしくてならない。

「ノルディウス殿、私たちもティヴェラの本陣へ向かいましょう。単騎とは言え羅刹が突っ込んできたのです。此処に留まっていては危険極まりない」
「おうよ、しっかり掴まっとけ!」

ラビスのことはイオニスたちが相手にするようだが、相手は一人とは言え羅刹である。形勢がすぐに逆転したって可笑しい話ではない。そのためエルトは一ヶ所には留まらず、自分たちも進軍することを決意したのだ。

(イオニス殿が、少しでも長くあの羅刹を足止め出来れば良いのだが……)

エルトとて、一介の人間が羅刹を殺すことが出来ると思う程思い上がってはいないつもりでいる。それゆえに、イオニスが無事であることはのっけから祈らなかった。戦には犠牲が付き物だ。それをいちいち悲観していてはアーカムの仇など取れない。━━━━きゅう、と締め付けられるような感覚がする、いわゆる心臓のある部分にぐっと拳を押し付けて、エルトはただ前に聳えるティヴェラの本陣である砦だけを見据えた。

30日前 No.312

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

エルトは馬術もそこそこ嗜んでいる……と自分では思っている。そのため多少無理をしてでも馬を走らせるくらいの余裕はあるつもりだった。ティヴェラの兵士たちはエルトが総大将ということに気づいてはいないだろう。それゆえに攻撃を仕掛けられることもあったが、そのほとんどをエルトは千里眼で回避した。

(目指すは本陣、何としてでもシュルティラに一泡吹かせなければ……!)

シュルティラを倒す。少なくとも、10年前に彼に殺されたアーカム王家の者たちの仇を取る。それがエルトの目標であり、指針でもあった。輪廻の忌み子はアーカムの王族が倒さなければならない。シュルティラが輪廻する度に、アーカムの男児がそれを倒してきた。エルト以外の男児が亡くなってしまった今、その役目を全う出来るのは生き残った末子のエルトしかいないのだ。

「ちょっとあんた、何してるのよ!?」

そんなことを考えていた矢先、エルトの頭上から焦ったような声が聞こえてきた。エルトが視線を上に向けるより早く、馬を走らせる彼の隣にふわりと浮いて並走してくる者がいる。

「ニーラム殿……!?」
「馬鹿、あんた自分の立場わかってるの!?単騎で突っ込むなんてどうかしてるわよ!あの御者の男は何処行ったの!?」
「……ノルディウス殿はやむなく戦闘にもつれ込みました。これは彼から借り受けたものです。いくら危険と言えど、この機会をみすみす逃す訳には参りません」

ニーラムから責められるのも尤もなことであった。反乱軍の総大将たるエルトが単騎でティヴェラの本陣まで向かうなど危険極まりない。いつ何処で命を落としたって可笑しくはない状況なのだ。そりゃあニーラムだって焦るだろう。彼女には申し訳ないと思いつつも、エルトは前だけを見据えてきっぱりと言い放つ。

「今が好機なのです、ニーラム殿。羅刹たちは反乱軍の将を相手にしている。きっと他の羅刹たちは、何処ぞへ駆けていったスメルトを追いかけていることでしょう。ならば彼らの目は此方に向かない。今ティヴェラの本陣を攻めれば完膚なきまでに叩くことだって吝かではありません」
「あんたの気持ちもわからなくはないわよ?でもあんまりにも無茶が過ぎるわ。あたしが来たから良いようなものだけど……もし間に合ってなかったらと思うと寒気しかしないわよ」
「その節は本当に申し訳ございません。ですが足を止めている暇もないのです。幸い、本陣は傀儡たちが攻め込んでいる真っ最中。たとえ少人数でも有利に立つことなら出来ます」

ニーラムの言葉に答えながらも、尚意志を曲げようとしないエルトに彼女は肩を竦めた。これ以上言っても意味はないとでも判断したのだろうか。しかし心配なのは変わらないようで、馬を走らせるエルトにふよふよと着いてきた。なんだかんだ言いつつも、エルトを守るつもりはあるらしい。
ニーラムが着いてきてくれたおかげで、その後もわらわらと群がってくる雑兵を蹴散らすことが出来た。それもあって、ティヴェラの本陣の前までたどり着くのは案外に容易いものであった。

「……此処が、ティヴェラの本陣……」

目の前に聳え立つティヴェラの本陣をちらと見上げながら、エルトは思わず呟いた。ティヴェラ。此処10年間、滅ぼさなければならないものとしてエルトは必死にそれを追いかけてきた。それが、倒すべき目標が、目の前にあるのだ。エルトとてつい武者震いしてしまう。

「ふぅん、此処が本陣ね。此処を落とせば良いって訳?」

ニーラムは特にティヴェラに思い入れがある訳ではなさそうで、そう言ってから一瞥しただけであった。とりあえず落とせば良い砦、くらいの認識なのだろう。エルトとしてはそのくらい軽い認識でいてくれた方がむしろありがたい。

「とりあえず、まずは砦の中に入らねばなりません。傀儡たちが攻め込んでいるでしょうが、それはそれ。今は私たちが進攻することのみを━━━━」

進攻することのみを考えましょう、とニーラムは口にしようとしたのだろう。しかし彼女がそのように言う前に、エルトははっとその目を見開いていた。彼の視線は既に黒き鎧兜を身に付けた輪廻の忌み子━━━━シュルティラの方へと向いている。

「シュルティラ……!」
「ちょ、ちょっと!?」

ニーラムの声も聞かずに、エルトは弓に矢をつがえていた。シュルティラはティヴェラの本陣を背にして立っている。ならば、どうあっても彼を越えなければなるまい。エルトにとっては丁度良い機会とも言えるだろう。だから躊躇いなくシュルティラに向かって矢を放った。

「…………」

エルトの放った矢を、シュルティラは少し首を捻ることで回避した。そのいやに余裕ぶった態度に、エルトは少なからず苛立ちを覚える。まただ。またシュルティラは動こうとしない。此方が近づいたら迎撃するつもりなのだろうか。だとしても、動かないなんてことはないはずである。

(格下に見られているということか)

きっとシュルティラはエルトが生きていることなど知らないだろう。少なくともエルトはシュルティラに知られていないと思っている。シュルティラからして、今のエルトは反乱軍の将の一人に過ぎないはずだ。ならば手加減などする必要はない。敵軍の将であれば倒さなければならないのが戦の道理というものだ。エステリアがノルドに怒っていたのも、此処が戦場でありながら気遣われたということにある。しかし、ノルドはエステリアに惚れているという理由があるからまだ良いようなものだ。

(シュルティラが私に手加減する理由など、何処にもないというのに……!)

事実上は兄弟、ということはエルトもわかっている。だが兄弟以前に、シュルティラはアーカムに敵対する運命を背負っているに等しい。それなのにエルトを殺そうとしないのはあまりにも可笑しい。それに納得がいかない。エルトはこんなにもシュルティラを憎んでいるというのに、これまで幾度となくアーカムに殺されてきたシュルティラはエルトに攻撃すらしない。エルトにとってはそれが何よりも腹立たしくて仕方がなかった。

(もう一撃……!)

エルトは必死に矢を放つ。シュルティラに当たるようにと狙いを定めながら、何発も。しかしそれら全てをシュルティラは避けた。そして一歩一歩、徒歩でエルトに近づいてくる。

「ふざけた真似を……!ニーラム殿、援護を!あの忌み子を殺すつもりで頼みます!」
「はいはい、ムキになっちゃって……」

そんなことを言いつつも、ニーラムは空中からシュルティラとティヴェラの兵士たちに向かって氷柱を降らす。シュルティラはそれらを自身の矛で打ち払っていたが、やはり隙は生まれるもので、エルトはその機を見逃さなかった。

(次こそは……!)

絶対に外しはしない。そういった思いを込めてエルトは矢を放つ。それは真っ直ぐシュルティラの心臓に向かって飛んでいく。シュルティラが気づいたとしても、対応しようとしている頃にはもう遅いだろう。
━━━━しかし、エルトの放った矢はシュルティラに届かなかった。途中で割り込んできた人物が咄嗟にシュルティラを突き飛ばしたのだ。シュルティラは体勢を崩しながらも転倒せずに二、三歩動く形となった。

「無事かシュルティラ!?」
「…………!」

シュルティラが珍しく驚いた様子を見せたのもわからなくはない。其処にいた人物━━━━シュルティラを咄嗟に庇ったのは、先程も彼を救った羅刹、アロイスだったのだから。

「お前って奴は、二度も同じ理由で死ぬつもりか!俺が言うのも何だが、ちったあ自愛しやがれ!」
「…………」

アロイスに叱られるような形になったシュルティラは、目に見えてしゅんと項垂れる。どうやら彼なりに凹んでいるらしい。しかしエルトにとってはそんなことはどうでも良いのだ。怨敵であるシュルティラを仕留め損なったことに変わりはない。今度こそあの忌み子の息の根を止めなければ。そんな思いから、エルトはシュルティラに矢を向け━━━━ようとして、自らの身に迫った異変に気づく。

「……っ、何をするのです、ハルシャフ!」
「エルト、ごめん……!」

エルトを後ろから羽交い締めにする者。それは紛れもなく、彼に擬態したナーガであるハルシャフだった。姿が見えないことに気づいてはいたものの、まさかこのような形で邪魔を入れられるとは思ってもいなかった。

「うんうん、そのまま押さえておいてね。そいつに動かれたらどうしようもないから」
「貴様は……!」

そしてハルシャフの後ろからのほほんとした様子で現れたスメルトを、エルトは思いきり睨み付ける。しかし押さえ付けられたままではそれくらいしか出来ず、スメルトもそれがわかっているのかいつも通りに微笑むだけだった。

「お前たち……一体何のつもりなの?」

何もされていないニーラムは空中に氷柱を生成してその切っ先をスメルトに向ける。いくらティヴェラの人間とは言え彼らは反乱軍の食客ということになっていた。それが反逆する形になったのだから、ニーラムの怒りは尤もだ。

「何のつもり……って。それはこっちの台詞なんだけど。君たちこそ、あの傀儡を放りっぱなしじゃない。この戦争を終わらせる気あるの?」
「……終わらせるために、ティヴェラの本陣を攻めているのでしょう。それに、あなたたちに口出しする権利はないはずです。良いから離しなさい、ハルシャフ。でなければ━━━━」

でなければあなたを敵と見なします。エルトはそう言おうとした。しかしその前に前から胸ぐらを掴まれて、エルトの言葉は比喩でもなくぐっと詰まってしまった。


「この阿呆がッ!!」


それは、びりびりと響き渡るような怒声であった。普段は高く細いはずのその声は、どういった訳か今は地を震わす雷のそれに似ていた。

「……なるほど。あなたなら、私に叛いても可笑しくはありませんか」

皮肉のこもったエルトの視線。それを前にしても尚、彼を叱咤した少女━━━━ナラカは毅然とした眼差しのまま、エルトのことを睨み続けていた。

29日前 No.313

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

いつもならエルトに怯んでいるはずのナラカだが、何故かこの戦場に訪れてからはそういった様子が少なくなった……とエルトは思う。実際に今のナラカは明らかにエルトに対して挑むような目をしていた。そうでなければこの控えめな少女が胸ぐらを掴むなんて行動には及ぶまい。

「……まあ、そうですね。私は信用されていなくて当然ですし」

エルトからの言葉に、ナラカは顔色を変えずにしれっとそれを肯定する。無論、エルトには掴みかかったままだ。その手を離す様子は微塵も感じられない。故にエルトはやや苛立ちを含んだ声音でナラカに告げる。

「……わかっているのならその手を退けなさい。不敬が過ぎますよ」
「この状況で不敬も何もありますか。はっきり言いますけどね、あなたのやり口は勝利に結び付くものではありませんよ」
「……何ですって?」

ぶちり。エルトの中で何かが切れる音がした。それはいわゆる堪忍袋の緒というものなのだろう。ハルシャフに羽交い締めにされたままなので身動きは取れないが、エルトは出せる限りの怒気をナラカに向かってぶつけた。

「では逆に問わせていただきますが、あなたごときに何が言えるというのです?私とて他人のことは言えませんが、少なくともあなたよりは戦について熟知しているつもりでいます。あなたはこの戦の勝敗にどうこう言えるような立場ではないでしょう?ならば口を慎みなさい」
「口を慎むのはあなたの方です。あなたは傀儡を止めもせず、黒幕の言いなりになっているようなものではありませんか。これでは何の解決にも繋がらない。待っているのは破滅だけなのでは?」
「…………何も知らない小娘の分際で、よくそのようなことが言えたものだな!」
「何も知らないのはお前の方でしょうが、この馬鹿!大馬鹿!」

段々とエルトとナラカの言い争いは激化していった。これにはエルトを羽交い締めにしているハルシャフも困惑を隠しきれない顔をし、ニーラムやシュルティラやアロイスも無言でその様子を見守っているしかなかった。ついでにスメルトは相変わらずにこにこしているが、エルトが何かしら口を開く度に握り拳を作っている辺りが恐ろしい。ナラカに何かあったらあの拳が飛んで来るに違いない。

「本当にお前は物分かりの悪い奴ですね!良いですかっ、一度しか言わないからよく聞きなさい!」

ついに業を煮やしたのか、がくがくエルトを揺らしながらナラカが叫ぶ。エルトはいつもの彼とは打って変わって、「はぁ!?」と声を荒げる。すぅ、とナラカは息を吸い込んでから、エルトの顔に自らのそれを近付けて大声で彼に告げる。


「シュルティラさんはね、お前を舐めてるんじゃない!お前が弟だってわかってるんだ!」


しん、とその場は静まり返った。エルトは一瞬ぽかんと口を半開きにしていた。そして何度かぱちぱち、と瞬きをすると、密やかな笑い声を漏らす。

「……何を言い出すのかと思えば……そのような下らないことでしたか。ふふ、そんな訳がありますまい。勘違いにも程がある」
「……信じない、というのですか」
「当たり前でしょう。シュルティラが私を弟だと思っている?そんな話、冗談でなければ何だと言うのですか?」

くすくすとエルトは笑う。さも可笑しそうに、それでも何処か品のある仕草で、彼は密やかに笑い続ける。そして━━━━氷のように冷えきった視線をナラカに向けた。

「━━━━全く、戯れ言もいい加減になさい。このような状況でなければ、あなたの首は飛んでいたことでしょう」
「知りませんよそんなこと。というかお前は分からず屋な上にかなりのひねくれ者だったんですね。シュルティラさんのことが其処まで嫌いですか?」
「……嫌いなんて甘ったれたものではありませんよ。あなたにはわからないでしょうが、私はシュルティラが“憎い”のです。それはシュルティラとて同じはず。幾度となく自分を殺してきたアーカムの人間など、生かしているだけでも虫酸が走ることでしょう。そんな男が、今更私のことを弟として見ることなどありますまい」

エルトの目は爛々として、自信に溢れているように見えた。絶対にシュルティラは自分のことを兄弟として見てはいない、と。それがナラカにとっては腹立たしかった。だからナラカは目を吊り上げて、エルトがわかるまで退かないとでも言うかのように彼に詰め寄る。

「何故わからない、いや、わかろうとしないんですか!?こんなの見るからにお前を思ってのことでしょう!お前がどれだけシュルティラさんを嫌っていようと、憎んでいようと、シュルティラさんは━━━━!」

ナラカは叫んだ。何故この王子は理解しようとせぬのかと。そのままエルトの眉間に頭突きでも食らわせてやろう━━━━とした、まさにその時であった。


轟、と地が唸った。


ぐらりぐらりと地面が揺れる。これには誰もが体勢を崩し、揺れる地面に踊らされているしか出来なかった。

「なっ、何……!?」
「地面が……揺れてる……!?」

反乱軍もティヴェラ軍も関係ない。突然の出来事に誰もが戸惑い、困惑した。シャルヴァの何たるかを知るニーラムでさえも揺れる地面に戸惑っている。エルトを羽交い締めにしていたハルシャフも、どてんと地面に倒れてしまった。

「皆さん、地面に伏せて頭を守って!揺れが収まるまで動いちゃ駄目です!」

素早く地面に伏せながら、ナラカが分かりやすく焦った様子で皆に呼び掛ける。生まれが生まれなのでこういった災害には慣れているのだろう。いちばん最近だと伏見での地震があったなぁ、なんてナラカはするつもりもなかったがついつい回顧してしまった。慶長伏見地震はやたらと余震も多かったので、色々な意味で印象深い。
そんな風にナラカが回顧している最中、先程まで彼女から詰問されていたエルトはぎゅっとその目を瞑って揺れが収まるのをひたすら祈っていた。こんな体験は何せ初めてなのだ。何が起こっているか確認する余裕なんてなかった。情けなく思うが、必死に身を縮めて、地に踞っているしか出来なかったのだ。

「……!?」

ひやり、と。たしかに“それ”はエルトの肌に触れた。冷たく、硬く、金属らしさを多大に秘めた感触。エルトの目は思わず開いてしまう。そして、自分に触れる“それ”の正体を、彼は嫌が応にも目にすることになる。

「な━━━━何故、貴様が」

信じられなかった。信じたくもなかった。だが目の前の光景はたしかな現実となってエルトの前に立ち塞がった。


シュルティラが、エルトを守るようにして覆い被さっていた。


きっと彼はナラカの言葉を聞いて動いたのだろう。そうわかっても、エルトはただただ驚愕するしかなかった。シュルティラは、今エルトと触れるか触れないかの位置にいる。その気になれば首を絞めることだって出来るだろう。それほど二人の距離感というものは近かった。

「しゅ……シュルティラ……?」
「…………」

エルトが呼び掛けても、シュルティラは一向に反応を示さない。そしてエルトの上から退こうともしなかった。エルトは彼にしては珍しく困惑した。シュルティラのしていることが理解出来なかったのだ。

「ちょっ、何あれ……!?」

しかしいつまでもシュルティラのことを気にしている訳にもいかなかった。まだ揺れが収まらない中、ニーラムが声を上げたのである。それに呼応してかシュルティラがさっと立ち上がったので、結果的に彼はエルトから離れることとなった。

「う、ううっ、怖いよう……!」
「おいっ、どうしたってんだ!?てかお前、大丈夫かスメルト!?」
「だ、誰だって慣れてなければこうなりますから……!ですから今は彼方を……!」

アロイスも何とか立ち上がったが、真っ先に気になったのは何よりもナラカにしがみついてぶるぶる震えているスメルトのようだった。たしかにスメルト程の大男が此処まで怯えていれば嫌でも気になるというものだ。しかし状況が状況なのでナラカもさすがにアロイスに突っ込みを入れた。

「茶番劇は良いから、あんたたちは早くこっちを見なさい!とてつもなくまずいことになってるから!」
「とてつもなくまずいこと……!?」

何時になく焦燥感に駆られているニーラムを放っておく訳にもいかず、一同は彼女の指差す方角に視線を向ける。━━━━そして、その場にいた誰もが戦慄せざるを得なかった。


遠くに見えるティヴェラの王宮。其処は、この距離でも目に見えてわかる程度にははっきりと、ゆらりゆらりと揺れる陽炎のようなものに包まれていた。

28日前 No.314

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第56幕:王の位に座す者】


時は、四半時程前に遡る。

ルードゥスによって半ば強制的にティヴェラの王宮に連れてこられたヴィアレは、憂鬱な面持ちのまま目的地に到着した。あの後、ライオ・デ・ソル商会の者たちがどうなったのか。それを思うといてもたってもいられなかった。今すぐにでも駆け出して、商会の建物まで突っ走りたかった。

(……だが、それは出来ない)

ヴィアレの傍にはずっとルードゥスが控えている。彼からは何故だか逃げられる気がしない。むしろ逃げれば逃げるだけ追い詰められるような気がするのだ。今だって、ルードゥスは密やかに笑みをたたえながらヴィアレのことを見下ろしている。酷く美しい顏だというのにぞっとしてしまうのは、きっと彼が生半可な手では太刀打ち出来ない相手だと、すぐにわかったからなのだろう。少なくともヴィアレはルードゥスに反抗しないし、反抗出来るような状況にはない。したくないのか、と問われれば首を横に振るのだろうが。

「くく、王宮に戻るのは嬉しくないか?」

そんなヴィアレを揶揄るように、ルードゥスは問いを投げ掛けてくる。ヴィアレは肯定も否定もせずに、ルードゥスの言葉を無視した。何らかの答えを示せばルードゥスの思うつぼだ。ならば口をつぐんでいた方がよっぽど良い。

「黙りを決め込むか、“御霊宿りの子”よ。それほどまでに、あの商会での暮らしは愉快だったのか?」
「……何故それを知っている?」

くすくす笑うルードゥスに乗せられるようで腹立たしかったが、ヴィアレは問わずにはいられなかった。何故ルードゥスがヴィアレがかつて“御霊宿りの子”と呼ばれていたことを知っているのか。外界でしか呼ばれていなかったはずの名だというのに、ルードゥスが知っているのは明らかに可笑しい。
ヴィアレからの問いに、ルードゥスは待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。そして横を歩くヴィアレの前に回り込み、その蛋白石のような瞳を細める。

「知りたいか?“御霊宿りの子”。何故己がこの場に呼ばれたのかを」
「……うむ。何も知らぬままというのは歯痒いものだからな。せめて詳細を教えてもらわねば不公平ではないのか」
「くく、不公平……不公平、か。知らぬ間に随分と生意気な口を利くようになったな。俗世に染まるのは楽しかったか?」
「……少なくとも、あの狭苦しい神殿で死を待つよりは、ずっと楽しい時間であったな」

まるで全てを知っているかのようなルードゥスの口振りに、ヴィアレも負けじと彼にしては強気な口調で返す。神殿での暮らしは決して辛いものではなかったが、ヴィアレにとっては酷く味気ないものであった。決まった時間に食事を出され、神官たちの見繕ったやけにきらきらしい衣服を着させられ、自分がどのような生き方をするのかも選択出来ず、世界を知ることも出来なかった鳥籠。それがヴィアレにとっての神殿だった。思い出したくない程酷い場所だった、という訳ではないが、今の生活と比べるとよろしくなかったのは事実である。

「くく……そうかそうか、神殿は退屈だったか。その気持ちはわからなくもないぞ、“御霊宿りの子”。俺とてあのような、ましてや人間にああだこうだと言われる檻の中で生を全うしたくはない」
「……何故、シャルヴァの人間があの神殿のことを知っておるのだ」
「知っていては悪いか?情報に対して貪欲であることを責める筋合いはあるまい」

ヴィアレに問われても、ルードゥスは答える様子をこれっぽっちも見せようとしない。ただ、からかうようにのらりくらりとかわすだけである。そんな相手ではヴィアレも言い返すことが出来ず、悔しげに唇を噛むしかなかった。

(ルードゥス……思った以上に厄介な相手だ。まともに相手をしていては、此方の気力が削がれてしまう)

思えば移動市場で出会った時から、ルードゥスからはただ者ではない空気が滲み出ていた。それこそ、関わってしまえば最後、決して後戻り出来ないところまで連れていかれるかのような恐ろしさを。ルードゥスが何処に向かうのかわからないまま、ヴィアレは彼に着いていくことしか出来ない。

(それにしても……何だか、王宮が静かすぎるような気がする)

これまでティヴェラの王宮を進んできて、ヴィアレはほとんど誰ともすれ違わなかったことに疑問を覚えた。普段なら人通りの多いはずの道も、今日に限ってはがらんとしている。回廊に響くのはルードゥスとヴィアレの足音だけで、他の人間が通る気配は微塵も感じられない。人払いでもしているのかと思ったが、それにしたって可笑しい。ヴィアレはルードゥスの背中に着いていきながらも、辺りをきょろきょろと見回した。

「そう急いて人を探す必要はないぞ、“御霊宿りの子”。今、この王宮で動く人間は俺と貴様くらいのものだ」
「…………っ!?」

ルードゥスの言葉に、ヴィアレは思わず歩を止めてしまう。そして、彼の紅い双眸はきっとルードゥスを睨み付けた。

「……王宮の者たちに何をした」
「さぁ?それは俺に聞いても答えられんな。俺は命じられたことを遂行したまでだ。貴様にどうこう言われる権利はないにも等しい」
「このようなことをしておいて、許されると思っておるのか……!?」
「許すも許さないも俺には関係のないことよ。━━━━何せ、俺にこう命じたのはこの国を統べる王……クルーファなのだからな?」

つ、とルードゥスが流し目でヴィアレを見る。クルーファという名前はいくら世間知らずのヴィアレでさえも知っていた。だからこそ、彼は背筋が寒くなるのを抑えきれなかったのだ。

(クルーファ……この国の王が、命じたというのか……!?)

そんなことはあってはならない、とヴィアレは思う。だってティヴェラの王宮に仕える者たちは━━━━否、シャルヴァの人間は皆“ティヴェラの民”に等しい。心の中で誰が何を考えているのかは個人の自由だが、少なくともティヴェラがシャルヴァを統一した現在は、理論上そういうことになる。まがりなりにもティヴェラの王が、無辜の民を傷付けるようなことがあってはならないのだ。

「……国王は乱心したのか?」
「くく、その愚かなほど真っ直ぐな物言いは嫌いではないぞ。だがクルーファはいたって正気だ。間違っても乱心などしてはいない。それに━━━━乱心などしていたら、貴様を呼ぶ余裕などあるまいて」

ヴィアレの瞳が驚愕に見開かれる。それを待ちかねていたかのように、ルードゥスの口角はつり上がった。


「心して聞け、“御霊宿りの子”。貴様はこれから、この国の王と面会することとなる」

27日前 No.315

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

26日前 No.316

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

25日前 No.317

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

24日前 No.318

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第57幕:相応しき在り方というもの】

地震は10分程続いた……ように思えた。少なくとも、この時間が異様に長く感じたのは誰もが同じことであろう。比較的地震に慣れているナラカだって危機感を覚えたのだ、地震など経験したことのないシャルヴァの人間にとってはどれだけ不安に駆られたか知れない。

「……収まった、のか……?」

地面に片足を付きながら耐えていたアロイスがきょろきょろと辺りを見回しながら、誰にでもなく問いかけた。その場にいた者たちはひとまずもう揺れていないことを確認する。兵士の中には酔ったのかえずいている者もいた。

「……っ、収まったのなら王宮に向かうわよ!攻め込むとかそれ以前に、あれは可笑しすぎるから……!」

最初に駆け出そうとしたのはニーラムだった。王宮の異変を一大事と認識したのだろう。しかし彼女の腕は何者かによって掴まれ、ニーラムはぐらつきながら立ち止まることとなった。

「な……何するのよ!?」
「……何って、止めてるだけだよ?反乱軍の人間が王宮に入るなんて、危なっかしいにも程があるでしょう?」

ニーラムを強引に引き留め、睨み付けたのはスメルトである。地震に怯えてナラカにしがみついていた彼だが、収まってしまえば普段通りの様子に戻ったらしい。相変わらず笑顔を浮かべながら威圧する辺りが恐ろしい。だがニーラムもたかだか一人に圧倒されるような精霊ではないようで、分かりやすく、然れど静かに怒気をかもし出す。

「……じゃあ、聞くけど。あんた、あれの異質さをわかっててそんなことを言ってるの?何にせよ、あれは放っておいて良いものじゃない。放っておけばそれこそ大惨事に繋がりかねないのよ。━━━━あんな膨大な量の“気”、人間にはむしろ毒だわ」

ティヴェラの王宮から立ち上る湯気のようなもの。それが尋常ならざる“気”の塊であることをニーラムはいち早く理解したに違いない。だからこそ、誰よりも焦っているのだろう。そんな彼女を理解しつつも、ナラカは立ち上がってニーラムに告げる。

「……危険な状態ということはわかっています。ですが、スメルトさんの言う通り、私たちはあなたを……反乱軍を信用することは難しい。あなたたちをティヴェラの王宮に向かわせて、王宮ごと陥落させられたら堪ったものではありません」
「だったらどうしろと言うの?何も手を打たなければ、それこそ愚行の極みという奴よ?」
「……まず、ティヴェラの王宮に直行せずにこの場での解決策を練るべきでしょう。それに、万が一のために私たちの方からティヴェラの王宮に先行させている方もいます。初めに、あの五大に如何にして対処するかを考えた方がよろしいかと」

ナラカの口調は決して落ち着いたものではなかった。焦りを圧し殺して、無理に自分を落ち着かせようとしているような━━━━そんな雰囲気が彼女からは感じ取れた。それをわかってかそうでないのかは不明だが、スメルトはずっとナラカを守るようにして立っている。さながらナラカの盾か何かのようだった。

「先行って……まさか、あの小娘を?あいつで大丈夫なの?」
「……その辺りに関しては答えかねます」
「ふん、黙りを決め込もうって訳?もしそれで失敗したらあんたの責任になるのよ?」
「…………善処します」
「あんたもしかしてもしかしなくてもあたしの話にまともに答える気ないわね?」

いくらニーラムに問い質されても無表情を貫く辺りは流石ナラカといったところだろうか。しかしこのまま言い合っても埒が空かない。そう気づいたのか、アロイスも前に進み出る。

「……事情はいまいち掴みきれてねぇんだが、とりあえずナラカといっしょにいる奴等は信用して良いのか?」
「……まあ、一応は。私に協力していただいているのは事実ですし……。……その、ごめんなさい、アロイスさん」
「良いんだって、気にすんな。そいつは後で一発かませればそれで良いからよ」
「あわわ……けんか、よくない……」

和やかなようで剣呑としたナラカとアロイスとのやり取りに、傍で聞いていたハルシャフがあわあわと取り成そうとする。アロイスの言うところのそいつ、というのはスメルトのことなのだろう。まあ、当のスメルトはアロイスに反論することもなく、事の成り行きを見守っているだけである。

(自分に口を出す余地はない……とでも、思っているのだろうか)

端から見ていたエルトにはそんな風に思えた。今でこそナラカに付いているスメルトだが、昨日までは勝手に離宮から脱け出して戦場で暴れ回っている、いわばお尋ね者のような状態だったのだ。それに三年前の反乱のこともある。アロイスがスメルトを殴りたい、というのは至極尤もな見解だろう。

(あれでも抑えているということか)

いくらアロイスであっても、我慢出来ないことはあるだろう。実際に、エルトは預かり知らぬところだが、アロイスは弟をスメルトに殺されている。仇を取りたいと思ったって可笑しくはない。それでも激情に流されず、冷静な判断が出来ている辺り、アロイスも一応自制しているのかもしれない。そういった部分は尊敬に値する、とエルトはぼんやり思った。

「とにかく!今あたしが求めているのはあの莫大な“気”をどのようにして消すかってことだけよ。あんなの、ちょっとやそっとでは消えないと思うわ。ぶっちゃけ何をしたらあんな“気”が出せるのか不思議で堪らないわよ!」

とりあえず、蚊帳の外になりそうだったニーラムとしては早急に対処したいところらしい。いつまでも放っておいては面倒なことになりそうなので、ナラカはニーラムの話も聞いておくことにする。

「あの、私は“気”とかその辺りに関して詳しくはないんですけど、普通“気”ってどのくらい発せられるものなんですか?」
「どのくらい、って……。そんな質問されても困るわよ。“気”っていうのは、人間が吐く息のようなもの。人間の中にある五大が、自然と出るようなものなの。常に出ているって訳じゃないけど、五大の恩恵を受ける時には必ず使われるものよ」

ニーラムいわく、“気”は人間の知らず知らずのうちに放出されているものだという。しかしそれはあくまでも可視化されない程度での話であり、そもそも“気”は可視化される程強く放出されることはないらしい。

「人間の体内に存在する“気”にはある程度の限度があるわ。それを越えれば、少なくとも人間は“気”を消耗し過ぎてぶっ倒れるか、最悪命を落とす。だからね、人間の“気”が目に見えることなんてそうそうないの」
「……ってことは……あの“気”は、人間のものじゃないってことか?」
「そうなるわね。あたしとしては、接収された精霊の線が強いと考えているけど……。まあ、現実って何が起こるかわからないものだし?よっぽどのことじゃなければ驚かないわよ」

本当かなぁ、とナラカは首をかしげたくなったが、表に出したら絶対にややこしくなるので黙っておく。段々とニーラムの扱いにも慣れてきたようだ。……精霊の扱いに慣れることが良いことなのかはわからないが、それはそれである。細かいことを気にしてはいけない。

「それで、対処法は?君、精霊なら知ってるよね?」
「なんであんたはいちいち煽りながら急かすのよ?あたしが寛容だったから良いようなものだけど、他の精霊にかかってたら首が飛んでたからね?」
「寛容……?」
「しっ、スメルトさん!気持ちはわからなくもありませんが抑えて!」

ニーラムが寛容だということに関して疑問を抑えきれない様子のスメルトを、ナラカは何とか宥める。なんだかんだ言ってはいるが、ニーラムとは敵対している状態と言っても過言ではないのだ。迂闊な一言で死にたくはないし殺されたくもない。

「……気に食わない発言があった気がするけど我慢してあげるわ。あたしは寛容ですもの。……解決策……って言われてもねぇ。“気”を打ち消すには同等かそれ以上の“気”をぶつける他ないわ。相殺しないと“気”は消えきらないし、普通は空気に溶け込むものだもの」
「同等の“気”……?」
「そうよ。あれと同じか、それくらいの“気”。それを用意しなくちゃ、あれは止められないでしょうね。それか発している元凶を殺せば終わる話だけど、元凶が殺せる相手かも不安なところだからね。ぶっちゃけると解決策なんてごくごく限られてるのよ」
「おい、ならどうしろってんだよ……!?解決策がねぇならあの馬鹿でかい“気”はどうやって止めれば……!」

いつになく後ろ向きなニーラムの言葉にアロイスは突っかかりそうになったが、彼の前にすっと進み出てきた者があった。“彼”の姿を見たエルトは、目をぱちくりとさせながら彼の者の名前を呟く。

「ハルシャフ……?」
「だいじょうぶ。ほうほうなら、ある。ぜったいに、あれは……あの“き”は、とめられる」

ハルシャフの目は確信に満ちていた。絶対に、あの“気”は止められるのだという確信が、たしかにハルシャフの目にはあった。その瞳に、恐らくこの場にいる誰もが射抜かれたことであろう。そう感じさせるだけの決意が、ハルシャフからは滲み出ていたのだ。

23日前 No.319

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

とりあえず、ずっと戦場で立ち話をしているのもどうかと思うので、エルトとニーラムはひとまず手近なところにある反乱軍の拠点まで戻ることにした。反乱軍の拠点……と言っても、それはつい四半時前までティヴェラ軍の拠点だったものだろう。反乱軍の兵士たちがいそいそと片付けなどをしていた。

「……戻ったか」

件の拠点でエルトたちを出迎えたのは治療をしてもらっているイオニスだった。その近くには彼を心配そうに見つめるスピロスとオルガノスがいる。ラビスと当たっていたので正直無事では済まないだろうとエルトは思っていたが、ひとまず生きて帰ってくることは出来たらしい。

「イオニス殿、ご無事で何より。そちらは如何ですか?」
「……まあ、まずまずといったところだ。ティヴェラの王宮の件に比べたらどうということはない。……スピロス、オルガノス」

くい、とイオニスが首を動かして合図をする。何か持ってこさせるつもりなのだろうか、その合図に従ってスピロスとオルガノスは一旦イオニスのもとから離れた。二人の姿が見えなくなってから、イオニスの治療をしていた女性━━━━リリアが口を開く。

「……はぁ、全く。先程までは部下がいた故言わなんだが……。お前はもう少し痛がる様子を見せんか」
「そんなものは私の勝手だろう」
「勝手も何も……。殿下の御前というのもわかるが、お前はそれなりの手負いなのだぞ。あの羅刹と戦ってしれっとした顔をされては、此方が不安になるわ」
「……して、あの羅刹はどうしたのです?」

包帯を巻くリリアにそっぽを向くイオニスに、エルトは恐々と尋ねた。イオニスの相手をしていた羅刹━━━━ラビスは控えめに言っても強敵となり得る存在である。イオニスが生き残れただけでも幸いというものだ。しかし、ラビスを殺すことはラビスと戦って生き残るのと同じくらいに難しそうな印象がある。ラビスがどうなったのか、エルトも素直に気になった。
問いかけられたイオニスはというと、「嗚呼、あいつか」と無表情のままに呟いた。そして、そのままつい、と視線だけをエルトに向ける。

「あいつなら、今スピロスとオルガノスが持ってくる。少し待っていろ」
「え、持ってくるって……」

ニーラムが言い終わるか言い終わらないかのうちに、スピロスとオルガノス、ついでに数名の反乱軍の兵士が戻ってきた。━━━━何やら人間のようなものを抱えて。

「……え……」
「……何ですか、これは……」

エルトとニーラムが絶句したのも無理はなかった。麻縄でぐるぐる巻きにされ、猿轡を噛まされた人間……のようなもの。詰まるところ、完全に身動きの取れない状態にされたラビスは、もごもごと何やら叫ぼうとしながら反乱軍の兵士たちに運ばれてきた。この光景を混沌と呼ばずして何と呼ぼうか。

「一応生け捕りには出来たが、予想以上に暴れるものでな。ひとまず痺れ薬を打って、下手な動きが出来ないように縛っておいた」
「えっと……大丈夫なの、それ……?」
「問題はなかろう。固結びにするのが上手いオルガノスに頼んだのだ。五重の固結びを破る程こいつも余力を残してはいまい」
「えへへ、隊長ってば、そんなことありませんよぅ。ほとんどは隊長の功績ですから!」

イオニスから褒められた……と認識したらしいオルガノスは、相変わらず隊長への愛が炸裂している。固結びが上手い……というのが正直褒め言葉なのかはわからないが、まずは置いておくことにしよう。

「と、とりあえず……。生け捕りにしたのは良きことです、イオニス殿。痛み入ります……」
「気にするな。そちらの騒動に比べれば羅刹の捕縛など些細なもの。……して、そちらで何があったのかを知らせて欲しい」

恐らく不敬を咎めたいのだろうリリアがイオニスを横目で睨んだが、当の本人は素知らぬ顔つきである。エルトもそんなイオニスの振る舞いには慣れてきたので、特に気にすることなく彼にこれまでの経緯を語った。

「……つまり、何らかの理由で膨大な“気”が出現し、それを止めるために動き始めた……ということか」

イオニスが話を飲み込むのは早かった。反応が薄いのは時に面白みがないと評されることもあるが、こういった時には逆に助かる。唐突な情報に慌てられては、その後の動きにも支障が出るというものだ。

「そうなります。手だてはほとんどないとの話でしたが、ハルシャフ……例のナーガは、どうやら何か思い付いたようです」
「ほう。して、この場にいない者は皆そのナーガに着いていったと?」
「はい。……心苦しいことではあるのですが、シュルティラや、彼に付いていた羅刹も賛同して同行することになりました。たしか……アロイスとか言いましたか」

そうエルトが口にした瞬間、ラビスの目が見開かれた。そしてじたばたと暴れ始める。……とは言え、痺れ薬を打たれている上に見ての通りぐるぐる巻きにされている状態だ。ラビスが拘束を逃れることはなかった。

「……アロイスという羅刹と、知り合いなのですか?」

此処まで大きな反応をされては黙っている訳にもいかず、エルトはラビスに問いかける。ラビスは勢い良く首を縦に振った。

「知り合い……ってことは、そのアロイスって羅刹も羅刹部隊の一員なんですかね?」
「さあ、その辺りはよく知らないけど……。でもシュルティラに同行してたし、それなりのお偉いさんではあるんじゃないの?」

スピロスとニーラムが話しているのを小耳に挟みながら、エルトはアロイスたちの動向について思案する。あれから、アロイスとシュルティラはハルシャフに付いてティヴェラの本陣まで引き返すようだった。勿論ナラカもそれに同行している。今までは、彼女が何をしようと一向に構わなかったが、今はそのように楽観してはいられない。ナラカもこの戦争に介入する立場になったのだ。これまで以上に注意をしなければ足を掬われることもあるだろう。

「……あり得ん程の“気”の発生、か……」

ぼそり、とイオニスが呟くのを、エルトは聞き逃さなかった。何か思い当たることでもあったのだろうか。ひとまずエルトはイオニスに問いかけてみることにする。

「何か思い当たる節でもあるのですか?」
「……ただの憶測だ」
「憶測でも構いません。何か気になったことがあるのなら、お話しいただけませんか」

イオニスは、彼にしては珍しく言いにくそうにそっと瞳を左右に泳がせた。しかし一応上司という立場にあるエルトに頼まれては断れなかったのだろう。目を伏せながら、ぼそぼそとした口調で話す。

「……解決策が、“気”をぶつけるしかないというのなら、だ。奴等は神代の何かしらを王宮を取り巻く“気”にぶつけようとしているのではないかと思ってな」
「神代の……?」
「察しの良いお前ならなんとなく予想はつくだろう。あの“気”を御するための手っ取り早い方法━━━━すなわち、“神代に生きた者が自爆すれば良い”のだ」

ぞわり、と。エルトの背中に鳥肌が走った。イオニスが何を言いたいのかはすぐにわかった。神代に生きた者。それに該当するのは、今のところ二人しかいないだろう。

(シュルティラと、ハルシャフか)

イオニスの憶測が正しいとは言い切れない。だが、あの者なら……あの、幼さと無垢な心を忘れていないナーガなら、イオニスの憶測のような手段を使うかもしれなかった。自分一人の犠牲で皆が助かるのなら、それで良いと微笑むかもしれなかった。

「誰ぞ、馬を━━━━!」
「……やめておけ。あくまでも憶測だ。……それに、もしも私の憶測が当たっていたとしても……あのナーガは止められることを望みはしないだろう」

すぐに拠点を出ようとしたエルトを、イオニスが止める。その制止を振り切りたいのは山々だったが、エルトは彼に言い返すことが出来なかった。その場にへなへなとへたりこみながら、エルトは呼吸を荒くしながら一心に祈る。━━━━願わくばどうか、イオニスの憶測は外れていてくれ、と。

22日前 No.320

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

エルトが何を考えているかなど露程も知らないであろうハルシャフは、出来るだけティヴェラの王宮に近いところまで連れていって欲しいと頼んだ。彼らを乗せる馬車を操っているのは、意外なことにシュルティラである。彼は馬術にも通じているようで、乗り心地も悪いものではなかった。

「……この辺りはまだティヴェラ軍の領域だからな。ハルシャフ、お前が何をしたいのかは知らんが、迷惑にならない程度だったら好きにやって良いぜ」
「……うん、ありがとう。えっと……アロイス」

ハルシャフに顔を向けないまま、アロイスは彼にそう伝えた。それを聞いたハルシャフは、礼儀正しくぺこりと頭を下げる。そんなハルシャフを見て、ナラカはぐにゃぐにゃと口を曲げる他ない。

(……本当に、やるつもりなのかなぁ……)

この時のナラカたちは知る由もないが、イオニスの憶測は当たっていた。ハルシャフはティヴェラの王宮から立ち上る“気”を打ち消すために自爆することを申し出たのである。勿論初めはナラカも反論した。もっと他の方法があるはずだと。しかしハルシャフは首を横に振るばかりだった。

(あんなに頑なに主張されたら、止めるのも何だか悪い気はするけど……。でも……)

よりにもよってハルシャフが犠牲になることはないのではないか。ナラカはそう思うのだ。かつて戦の絶えなかった国で生まれたにしては甘い、と評されそうだが、ハルシャフに死んで欲しくないというのがナラカの本音だった。ハルシャフは何も悪いことなどしていないし、ましてやあの“気”とは何の関係もない。必ずしもハルシャフが体を張る必要はないのだ。それなのに、ハルシャフは自分が止めると言って聞かない。

(普段はこんなことないのに、こういう時だけ頑固なんだから……)

ちら、とナラカは横目でハルシャフを見る。……と同時に、ハルシャフの顔も此方を向いた。運が良いのか悪いのかはわからないが、ばっちり目が合ってしまったのだ。するとハルシャフはすすす、とナラカに近づいてきた。ナラカの後ろにいるスメルトが軽く身構えたのは気にしないでおく。最早日常茶飯事だ。

「どうしたの、ナラカ?」
「え、どうしたのって……」
「なんか、しんぱいそうなかおしてたから。やっぱり、こわい?」

こてん、とハルシャフは首を傾げて問いかけてくる。彼が懸念しているのは、自分が死ぬことではないのだろう。

(……ハルシャフさんが本当に上手くやれるか、私が不安に思ってるように見えるのか)

ぐっ、とナラカは奥歯を噛み締める。ナラカが不安になっているのは嘘ではない。だが、それはハルシャフが上手くやれるかどうかではなくて、ハルシャフが自爆しようとしていることに対してである。何故ハルシャフがわざわざ犠牲にならなくてはならないのか。それがナラカには理解出来なかった。ただ神代の生物だというだけで、このような仕打ちを受けなくてはならない道理などない。

「……ええ、不安ですよ。不安ですとも。だってあなたは死のうとしてるんだから」

意を決してナラカは言い放った。ハルシャフがぽかんと口を開けたのがわかった。ナラカが恐れているのはハルシャフが“気”を止められるか否かではない。ハルシャフがそれだけのために死のうとしていることなのだ。

「ハルシャフさんに否はないのに、あなたは平気で死のうとしている。自分に訪れる死を恐れることもなく、知らない人たちのために自らの命を擲とうとしている。それが怖いんです。それがわからないんです。何も、あなたが死ぬ必要はないのに。あなたは何も悪くないのに」
「ナラカ……」
「……甘い、ですよね。わかってます。ハルシャフさんのしようとしていることは善きことと見なされるのでしょう。他人のために自らの命を擲つなんて、普通に出来ることではありませんから」

ひねくれたことを言っているのはナラカも承知の上だった。時と場合によっては、きっと何処からか批判が飛んでくるだろうともわかっていた。でも、それでもナラカはハルシャフを止めずにはいられない。引き留めずにはいられないのだ。困ったように眉尻を下げる彼に、ナラカは尚も続ける。

「ハルシャフさん、あなたが其処までしたい理由って何ですか?自分が犠牲になってまで、このシャルヴァを守りたいのですか?それに……あなたが死んだら、“エルトは誰が救うというのですか”?」

ハルシャフはエルトのことを心配していた。悲しそうな、辛そうな顔をしていると、彼に擬態したナーガは言っていた。エルトのことが好きではない……というか嫌いなナラカにはそうは思えない。多少葛藤していてもああそう、くらいの感慨である。それでも、ハルシャフにとってエルトは大切な人間に違いないことはナラカにもわかる。

「私は正直エルトなんてどうなったって構わないけど……でも、あなたにとってはそうではないでしょう?エルトは大切な人間なんでしょう?あいつを助けないで逝くつもりなんですか?多分エルトをあなたの言う意味で助けられる人間なんてそうそういませんよ」

ハルシャフが心配しているのは、エルトの内面なのだろう。たしかに彼はナラカから見ても分かりやすく何やら悩んでいる様子だった。なんとなく原因はわかるが、その辺りは口にしないでおく。この馬車を操っている者が動揺でもしたら大変だ。
ナラカの言葉に、ハルシャフは一瞬だけ口をつぐんだ。思い止まってくれるだろうか。ナラカは少しだけ期待した。何か別の方法で解決しよう、とハルシャフが言い出さないかと。

「……でも、これはわたしにしかできないことだから」

しかしハルシャフは首を横に振って、ナラカの言葉に否定の意を示した。少し期待していたナラカだったが、ハルシャフが否定しないだろうとは思っていなかった。だが、それでもナラカははいそうですかと納得は出来ない。

「……そんなことはないはずです。そんなことはないんです。シャルヴァには神代の名残がたくさんある。だから、同じような方を探して……」
「だれかをぎせいにするのは、いやだし……。それに、いまここであの“き”にたいこうできるのは、わたしか、シュルティラしかいないもの」
「……!」

神代の名残となるもの。それが決して多くないことはナラカだってわかっているつもりだ。けれど今すぐにではなくたって、いつか何処かで見つかるだろうと思っていた。

「たぶんね、じかんはもうないとおもうんだ。はやくしないと、あの“き”はどんどんこくなってく。だから、できるだけはやくとめなくちゃいけない」
「……それは、わかるけど……」
「ナラカは、やさしいんだね。わたしみたいなかいぶつにたいしても、かなしんでくれるなんて。うれしいし、でもちょっとふくざつ」

ハルシャフは少し照れ臭いのか、エルトと瓜二つの顔ではにかむ。それがナラカにとっては悲しかった。ハルシャフには死への恐れがない。だから自爆しようなんて考えられる。
ナラカが口をへの字にしたのがわかったのだろうか。ハルシャフは、そっと彼女の手を握る。ナラカが触れられるのを苦手としていることを知っているからか、何処か恐る恐るとした握り方だった。

「ねぇ、ナラカ。わたしはだれかのやくにたちたい。そうおもうのは、みんなによくしてもらったから」
「……でも」
「これからのこと、まかせっきりにしてほんとにごめんね。……だけど、わたしはまもりたいんだ。こんなところで、だいなしになんてさせたくないんだ」

ハルシャフは微笑んでいた。駄々っ子を宥める慈母のような眼差しで、彼はナラカを見つめていた。ナラカは何かを言おうとして━━━━然れどすぐに口をつぐみ、目元が見えなくなりそうなくらいにうつむいた。

21日前 No.321

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

20日前 No.322

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

がたごとと馬車に揺られながら、ナラカはうつむいていた。それを、横に座るスメルトがおろおろと見つめる。声をかけようとしない辺り、本気でどのような言葉をかければ良いのかわからないのだろう。いつもは歯に衣着せぬ物言いのスメルトだが、こういった場の空気はさすがに読むようだった。

「……そんなに悲しむことはねぇんじゃねぇのか」

そんなナラカに声をかけたのは、彼女に背中を向けて座っているアロイスだった。彼は一度もナラカの方を見向きはしなかったが、なんとなく彼女がどのような様子でいるのかわかっているように見えた。

「……あいつは望んでああいった結果に至ったんだ。シャルヴァの人々を助けたいと、そう願って死んでいったんだよ。……事実、王宮を覆ってたあの靄は消えた。あの水の精霊が言っていた通り、“気”同士で相殺し合ったんだろうな」
「…………」
「だから、よ。ナラカ。悲しいのはわかるが、落ち込んでばかりもいられねぇだろ。あんまり沈むことねぇって」

ナラカはアロイスからの励ましに何も言おうとしなかった。ただ、膝を抱えて、ぐすぐすと洟を鳴らしながらうつむいているだけだった。ナラカは泣いているのだ。ハルシャフが自爆したことに。ハルシャフが、もう二度と戻ってはこないことに。

「な、ナラカ……」

おずおずと、傍にいたスメルトがナラカに近づく。彼なりに励まそうとしているのだろうか。人間なんて糞食らえ、とでも言いたげな態度だったスメルトが此処まで軟化したことに、アロイスは内心驚いていた。ナラカがスメルトを説得したという話は聞いていたが、まさか此処までとは思わなかったのだ。
だが、ナラカの様子は変わらない。スメルトもナラカが他人から触れられることを苦手としているのがわかっているのか、空中であたふたと手を動かすしか出来ないようだ。これは相当堪えている。背中から感じる空気でアロイスはそう確信した。

(そりゃあ、ずっと反論してたもんなぁ……。それだけ、あのナーガには死んで欲しくなかったってことか)

ナラカとハルシャフがどのような関係なのか、アロイスはよく知らない。ハルシャフの顔がナラカたちと敵対し、そして反乱軍を率いているエルトと瓜二つなのはあえて気にしないでおいた。……というのも、ハルシャフは同行している最中もちょくちょくナラカを気にかけているようだったし、ナラカもナラカでハルシャフのことを信頼しているように見えたからである。そのため、アロイスもハルシャフのことをエルトと似ているが別人、という扱いにしようと思ったのだ。

「……なぁ、スメルト。俺たちはこれからティヴェラの王宮の方に行く。戦場で戦えとは言われたが、正直あの状態の王宮を放っておくつもりにもなれねぇからな。……お前はこれからどうするんだ?」
「どうするかって……。そんなの、ナラカに着いていくに決まってるじゃない。もしかして僕が君たちの仲間になるとでも思ったの?」
「いいや、これっぽっちも思ってないぜ。お前のことは常々殴りたくて仕方ねぇんだ、そんなほいほい仲間にしようとなんて思うものかよ」

とりあえず、スメルトがいつも通りなのはある意味アロイスにとって救いだった。ナラカが完全に凹んでしまっているので、スメルトもその煽りを受けていないか内心心配だったのだ。だがスメルトは相変わらずナラカ以外には煽り文句を向けてくるので、アロイスは大丈夫だと解釈した。常日頃から一発殴りたいと思っている人物を心配するアロイスもアロイスなのだが。

「ねぇ、ナラカ。あいつらは王宮に行くんだって。もう、砦に着いちゃったけど……ナラカはどうするの?僕は何でも構わないよ」

まだぐすぐす泣いているナラカを気遣うかのように、スメルトはそっと声をかける。するとナラカはこくり、と小さくうなずいてから、蚊の鳴くような声で答えた。

「…………きます」
「え……?」
「……私も、行きます。ティヴェラの王宮に、行きます」

そう言ってから、ナラカはごしごし腕で目元を拭いながら顔を上げた。スメルトの言う通り、もう馬車は砦に到着している。もうすぐで反乱軍もこの砦に入るだろう。それもあってか、砦はてんやわんやの大騒ぎだった。恐らくティヴェラの王宮の異変に気づいた者は、そう多くはないだろう。

「お前がそう言うなら止めはしないけどよ……。けど、ナラカお前、本当に大丈夫なのか?」
「……はい。私は……」

私は大丈夫です、と。ナラカが口にする前に、彼女の前に黒い影が立ち塞がった。それは先程まで馬車を操っていた人物━━━━輪廻の忌み子たる、シュルティラであった。

「な……!?」
「…………」

ナラカが驚きを口に出せないでいる間に、シュルティラは身振り手振りでスメルトとアロイスに何やら伝えようとしていた。スメルトは小首を傾げていたが、アロイスはなんとなくシュルティラの言いたいことを察したのか、うんうんと相槌を打つ。そしてぐい、とスメルトの腕を引っ張った。

「……ちょっと、何するの」
「ナラカと二人で話したいことがあるんだと。俺たちは離れてようや」
「駄目だよ。ナラカに何されるかわからないのに……」
「良いから良いから。お前だって、ナラカと二人で話したい時に外野がいたら落ち着かねぇだろ?それと同じだよ」

不満げなスメルトを無理矢理に引っ張って、アロイスはその場を去っていった。それを確認すると、シュルティラはすたすたと歩き始める。何も言われていなかったが、なんとなく着いていかなければならないような気がして、ナラカは彼の後を追った。

「…………」

シュルティラが立ち止まったのは、誰もいない空き部屋の中でだった。ほとんど物らしい物も置かれておらず、殺風景な印象を与える部屋である。一応ナラカは扉を閉めてから、シュルティラに向かって問いかける。

「……何か、私にお話でもあるんですか?」

ナラカの口調がついつい刺々しくなってしまうのは、まだ下手したら涙が溢れてしまいそうだったからだ。つまりは精一杯虚勢を張っているのである。そうでもしなければ、シュルティラにまたみっともないところを見せてしまいかねなかった。

「…………」

シュルティラは何も言わない。それはわかっていた。ナラカにとって、シュルティラとは“喋らない者”ということになっている。だから彼が何も言わなくても、それが当たり前だと考えていた。きっと、何も言わずに、ただ自分のことを見つめるだけなのだろう、と。良くも悪くも、ナラカはシュルティラに慣れつつあった。


「━━━━っ!?」


だが、シュルティラはナラカの予想を大きく外れた行動に及んだ。す、とナラカに近づくと、その体を優しく抱き締めたのだ。突然のことにナラカの体は硬直する。

「しゅ、シュルティラ、さん……!?」
「…………」
「あの、一体、何を……!?」

焦るナラカのことなど気にする様子もなく、シュルティラはそっと彼女の頭を撫でた。その手付きはあまりにも優しく、そして慈愛に満ちたものだった。そう━━━━まるで、泣く子をあやす母親のような。

「……な、何で、こんな……」
「…………」
「何で、こんな私を、あなたは、あなたはぁ〜〜……!!」

恥はあった。こんなことをしてはならないという思いもあった。だがナラカの涙腺が決壊する方が幾分か早かった。優しさに満ちたシュルティラの腕の中で、ナラカは火が点いたようにわんわんと泣き出した。

「いつも、いつもこうだ!私に優しくしてくれた人は、私が好ましく思う人はすぐ死んじゃって、皆私を置いていくんだ!ハルシャフさんは良い人だったのに!ナーガだけど、人間じゃないけど、そこら辺の人間よりも優しかったのにぃ……!」
「…………」
「何で死んじゃったんだよ!何で、何で先に逝っちゃったんだよ!あんな、あんな平気そうな顔で……!うっ、ううっ、馬鹿、馬鹿、ハルシャフさんのばかぁぁぁ〜〜〜!!!」

みっともなく泣くナラカを、シュルティラはよしよしと撫で続ける。言葉こそ発することはなかったが、彼の心中はその仕草から十分汲み取ることが出来た。何も言わず、ただ黙って、泣きじゃくるナラカのことを慰めるように、その頭を優しく撫で続けていた。
どれだけ泣き続けたことだろうか。もう声を出す気力もなくなって、ナラカはシュルティラにしがみつきながらぐすぐす洟を鳴らすしか出来なくなっていた。正直なところ、疲れてしまったのである。泣くことは存外に体力を使うものなのだ。疲れてきたら頭も冷えるもので、ナラカは今の自分が何をしているかを理解してしまう。

「ひっ……!も、申し訳ございません!」

シュルティラに抱きついていただけでなく、彼の前で幼子のように泣きじゃくった。その事実は後からナラカの心に不安を染み込ませていった。何ということをしてしまったのだろう。ナラカの頭の中は後悔でいっぱいだった。

「…………」

シュルティラは焦るナラカについ、と近づく。まさか首でも絞められるのかとナラカは身構えたが、彼の手がナラカに伸びることはなく、ただ顔を耳元に近づけただけだった。

「……良い。悲しむことが、親しき者への餞にならぬとは限らない」

ぼそり、と。小さく、くぐもってはいたが、たしかにシュルティラはそう口にした。ナラカの顔が驚愕に染まる。シュルティラが喋った。それ以外にも、ナラカにとっては色々と予想外であった。かつかつと音を立てて部屋を出ていくシュルティラを、ナラカは必死に追いかけようとする。

「待って、あなたは━━━━!」

しかしナラカが部屋の外を見た時には、シュルティラの姿は忽然と消えていた。走って行ってしまったのだろうか。ナラカは泣き腫らした目のまま、ずるずると力なくその場にへたりこむ他出来なかった。

19日前 No.323

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第58幕:傀儡蠢く王宮へ】

ティヴェラの王都は混乱に包まれていた。何せ王宮から謎の靄のようなものが立ち上ったかと思いきや、王都の東側━━━━すなわち戦場の方からは青白い光が此方に向かってきたというのだから。事の成り行きを知らないティヴェラの民たちは、皆一様に慌てる他なかった。

「ちっ……やっぱり騒ぎになっているか。面倒なことになったな」

ざわめく市街地を、悔しそうに舌打ちしながら駆ける少女が一人。……とは言っても、それは先にティヴェラの王宮に向かうように言われていた紫蘭に他ならなかった。彼女は人混みに揉まれてきたらしく、この時点で既に酷く疲れきった顔をしていた。
まあ、紫蘭が疲労するのも無理はない。彼女は戦場からティヴェラの王都まで、休み無しに突っ走ってきたようなものだ。いくら体力と戦闘力だけは自信のある紫蘭と言えども、その道のりは決して軽いものではなかっただろう。それで王都に戻ったらこの通りの混乱状態なのだ。溜め息のひとつやふたつも吐きたくなる。

(……だが、休んでいる暇はない)

ふぅ、と一息吐いてから、紫蘭は顔を上げて歩き出す。なるべく人気の少ない道を選んでいるつもりではいるが、やはり誰もいない道というのは見つけづらい。仮に見つけたとしても目的地にたどり着くまでに結構な時間がかかってしまう。それだけは避けなくてはならない。
幾度も疲れた、面倒だ、と繰り返しながら紫蘭がたどり着いた先。それは彼女が目指すように言われていたティヴェラの王宮━━━━ではなく、王都にある少し大きめの建物だった。その店先の看板には、でかでかとした文字で“ライオ・デ・ソル商会”と記されている。

「……失礼する」

自分たちの協力者━━━━ライオ・デ・ソル商会の建物の扉を紫蘭は開く。ぎぃぃ、と音を立てて扉は開いたが、その中の様子は以前に紫蘭が訪れた時と大きく異なっていた。

(……誰も、いない……?)

以前訪れた時には賑わっていたライオ・デ・ソル商会の建物だが、この日はどういう訳かがらんとしていた。受付窓口には客どころか、人っ子一人いない始末だ。しかもざっと見ただけでも、室内には幾つもの傷跡のようなものが存在している。以前にはなかったはずの、剣戟や乱闘によって出来たのであろう傷跡が。

(どういうことだ……?私たちが戦場へ行っている間に、何があったというのだ……?)

訳がわからない。紫蘭は分かりやすく困惑していた。一体何がどうなっているのか、紫蘭にはとんと見当もつかなかった。とりあえずこのまま帰るわけにはいかないので、恐々とではあるが建物に足を踏み入れる。

(賊でも入ったか……?いや、でもこの商会は割りと大通りの近くにあったはずだ。それに賊が入っても壊滅するような柔な奴等ではないというのに……)

ぎし、ぎしと床を鳴らしながら、紫蘭は辺りを見回して室内を歩いてみる。見てみると所々には銃痕のようなものも確認出来る。まさか、と紫蘭の中で嫌な予感が過った。信じたくはないが、このライオ・デ・ソル商会はこの混乱の中で、何者かの襲撃でも受けたのではなかろうか━━━━。

「……っ!?」

ひゅ、と首もとを何かが通り抜ける感覚。其処に殺気が含まれていることに気づかない程紫蘭も素人ではなかった。むしろこの類いの雰囲気には慣れている……つもりでいる。紫蘭は咄嗟に身を翻すと、そのまま勢いに任せて蹴りを繰り出す。

「……へぇ、中華の武術あるか。……ということはお前、ティヴェラの隠密部隊か何かってことで良いあるね?」
「……なんだ貴様は」

紫蘭を急襲してきた相手は、可笑しな訛り……というか取って付けたような口調の持ち主であった。その物言いに紫蘭は眉を潜める。

「なんだって……もしかしてお前、図星だったあるか?」
「……黙れ。答えるのは貴様の方が先だろう」

相手から十分に距離を取ってから、紫蘭はその人物を睨み付ける。長い黒髪に、無愛想だが整った顔立ち。身に纏っている衣服は色鮮やかな中華の伝統的なものだった。声も高くもなく低くもないもので、一目で性別が判定出来ない。加えて、あの言葉遣いである。紫蘭にとってその人物の第一印象は、胡散臭い以外の何物でもなかった。故にこうして警戒しているのだ。

(こいつ……見たことのない顔だ。もしかしてライオ・デ・ソル商会を壊滅でもさせたのか?いいや、すぐに疑うのは良くない。万が一ライオ・デ・ソル商会の関係者だった場合、殺してしまっては後味が悪い)

恐らく勝つことは出来る、と紫蘭は予想していた。動きであれば此方の方が速い自信がある。不意討ちでも避けることが出来たのだ。紫蘭の実力であれば、この中性的で胡散臭い人物を組み伏せることなど難しくはないだろう。だが、もしもライオ・デ・ソル商会の関係者ならば、そういったことには及べない。さすがに紫蘭も常識はわきまえている……つもりでいる。無闇やたらと人を殺すのはこう見えて好きではないのだ。こう見えて。

「今一度問おう。貴様はライオ・デ・ソル商会の関係者か?答えねば貴様の何処かしらの骨を折る」
「やれやれ、最近の若者は乱暴者ばかりあるねぇ。…………舐めた口を利くのも大概にせよ、小娘」
「なっ……!?」

この空気ならライオ・デ・ソル商会の関係者と認めるのではないか。少なくとも紫蘭はそう考えていた。しかし目の前の人物は彼女の予想外の行動に出る。━━━━すなわち、紫蘭に向かって飛び掛かってきたのだ。

(こいつ……まさか、中華の拳法か何かの使い手か……!?)

中性的な人物が繰り出してきた突きを避けながら、紫蘭は歯噛みする。紫蘭とて中華流の武術の使い手だが、何せ流派というか、戦闘形式は数えきれないくらい存在している。紫蘭は単純に破壊だけを重視する形式を取っているが、この中性的な人物に至ってはそうではない。

(こいつの突きは何といっても速い。これまでの動きからは予想出来なかったが、こいつ、さっきまで私に手加減をしていたな。━━━━正面から見ていなかったら、私は胸を一突きされて死んでいた)

詰まるところ、この中性的な人物も紫蘭のことを本気で当たらねばならない相手と認識したのだろう。だとしたら紫蘭としては臨むところである。いちいち手加減をされたままというのは気持ちの悪いものだ。やはり当たるなら本気でいかなくては。

「……なるほど、貴様、それなりに手練れのようだな」
「それなりに、とは……。やはり礼儀のなっていない小娘か。君子であるならば、年上には敬意を払うものであるぞ」
「よく言う、貴様のような男か女かもわからぬ者に敬意など払えるものか」

お互いに睨み合いながらも、二人の東洋人は口元に笑みを湛えていた。一対一の戦いとはこうでなくてはならない。辛気臭い顔で死ぬよりも笑って死ぬ方がよっぽど良い。そういった部分は二人とも同じように思っているようだった。
じり、と二人は技を繰り出すための構えを取った。勝敗が決まるのは刹那に過ぎない。故に、誰よりも速く、誰よりも先に、相手を捉えなければ━━━━!


「…………あのー、お二人さん。盛り上がっとるところ悪いんやけど、喧嘩は全部終わってからにせぇへん?ただでさえこの建物、この前の騒ぎでがたが来とるんやし」


━━━━そんな中、言ってしまえばその場の空気をぶち壊しにするような声が響き渡った。これには紫蘭もがくっと拍子抜けするしかない。中性的な人物はというと、はぁ、と溜め息を吐いて肩を竦めた。

「……勝負はお前の勝ちあるね、ミリアム」
「勝ちも何もあらへんて。……紫蘭ちゃん、やったっけ?話はある程度聞いとるで。とりあえずライオ・デ・ソル商会は無事や。差し支えがないなら、奥に上がり」

ミリアム、と呼ばれた女性は快活な笑みを浮かべて紫蘭にそう呼び掛ける。これには先程までの熱も冷めるというもので、紫蘭はおとなしく彼女に着いていくしかなかった。

18日前 No.324

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

紫蘭を急襲してきた胡散臭い中性的な人物の名前は瑞英というらしかった。……というのも、瑞英本人の一人称がそれだったからだ。今時一人称が自分の名前とはどうなのだ、と紫蘭は思ったが、此処で口を出したら面倒なことになりかねないので黙っておいた。
閑話休題、ミリアムが案内した先は、従業員しか入れないのであろう店の裏側だった。以前紫蘭たちも通された場所なので知らない場所ではない。倉庫や従業員の休憩室には、ライオ・デ・ソル商会の従業員たちがちゃんといた。彼らは何やら忙しそうに荷造りのようなことをしている。

「頭ー、この前の隠密ちゃんやで」
「おう、そろそろ来る頃かと思っとったわ。久しぶりやなぁ」

ライオ・デ・ソル商会の頭であるフィオレッロも特に大事はないようで、額に浮かんだ汗を拭きながらひょっこりと現れた。どうやら従業員たちは皆裏手に回っていたようだ。だから表を見ても誰もいなかったのだろう。

「……単刀直入に聞くが、貴様らは今、何をしているのだ?表に誰もいないから驚いたぞ」
「その点についてはすまんと思うとるよ。せやけど、俺たちにとっては急がなあかんことやさかいな」
「急がなければならないこと……?」

フィオレッロの眼差しはいつもの陽気なものではあったが、其処には若干の焦燥感のようなものが含まれていた。疑問に思った紫蘭は、ついつい鸚鵡返しに尋ねてしまう。


「俺たちは、近いうちに……このシャルヴァを脱出しようと思っとる」


表情を少しだけ堅くして、フィオレッロは紫蘭にそう告げた。紫蘭の瞳は見開かれ、ひゅっ、と近くにいればわかる程度の音で息が飲み込まれる。紫蘭はあまりにも分かりやすく驚愕していた。もともと彼女は感情を隠すことは得意ではない性分なので、仕方ないと言えば仕方ないのだが、それでも隠密らしくはないと思う。少なくとも、この場にいる面々はそう思ったことであろう。

「シャルヴァを、脱出とは……。つまり、“外界落ち”を決行するというのか……?」
「……地底から地上に“落ちる”という表現はどうかと思うあるが……まあ、簡単に言えばそういうことあるな。今のシャルヴァは素人目に見ても可笑しいある。異変に満ちた場所に留まり続けるのは得策じゃねーある」

どうやらシャルヴァからの脱出を提案したのは瑞英らしい。取って付けたような片言で、先程よりも流暢に話す。それでも紫蘭ははいそうですかと納得は出来なかった。

「貴様らのところには、シャルヴァ出身の者もいるのだろう?そういった者たちが外界に慣れるまでにどのくらいの時間がかかると思っているのだ?たしかに今のシャルヴァは異変まみれだ。だが、それを解決するために私は動こうと思っている。現に宰相殿が動いてくれているではないか。戦況はたしかに不利だが、まだ出来ることは━━━━」
「━━━━無理やねん」

まだ出来ることはあるはずだ、と。口にしようとした紫蘭だったが、その言葉はフィオレッロによって遮られた。フィオレッロは紫蘭からつい、と目線を逸らしながら、悔しげに眉根を潜めながら続ける。

「……宰相はんの計画は露見しはったみたいでなぁ。王様からは逆賊として扱われ、今は罪人よろしく捕らえられとる。加えて、ヴィアレちゃんは王様の補佐官だとかいうルードゥスっちゅー男にあれこれ理由を付けられて連れてかれてもーた。ぶっちゃけ、もうティヴェラは頼れんのや」
「ヴィアレ……とは、あの赤髪の小僧だな?何故あいつが……」
「さあ、そこら辺は瑞英たちもよくわかんねーあるよ。ただ、ティヴェラのお偉いさんたちは何だかよからぬことを考えてるみてーある。下手に首を突っ込むのはよろしくないネ」

やれやれ、とでも言いたげに瑞英が嘆息する。しかし紫蘭としては其処まで割り切ることは出来なかった。アドルファスが捕らえられた。それは彼の管轄にある隠密部隊の存在にも大きな影響を及ぼすことになるだろう。……となれば、今から紫蘭がティヴェラの王宮に潜入することへの弊害も少なからず出て来るという訳だ。

「な……何故、陛下はそのようなことを……。陛下はルードゥスの専横を見逃すというのか……!?」
「……それは俺たちにもわからへん。せやけど、悩んだって状況が変わる訳やあらへんし、苦肉の策でも身を守ることは大事やと思ってな。このままじゃ、いずれ俺たちにも悪影響が及ぼされかねへん。……まあ、イングランドから来たアリックとかいう奴は、いてもたってもおられへんっちゅーて王宮に走ってったけどな」
「あの馬鹿……ごほん、アリックが……!?」

アリックとは犬猿の仲なのでついつい名前が挙がるだけでも罵倒してしまいそうになる紫蘭だが、此処は何とか抑えて(?)彼女の顔を思い浮かべる。アリックは一見冷静沈着な紳士に見えないこともないが、ああ見えて激情に身を任せて生きている。一度でも故郷であるイングランドを馬鹿にされれば瞬きする間もなく怒りを露にするだろうし、唯一の友人であるナラカが危険な目に遭ったと知れば、何も考えないままに彼女を助けにすっ飛んでいくことだろう。アリックはそういう人間なのだ。進んで知ろうとした訳ではない紫蘭も、それくらいとうの昔に理解している。……昔と言ってもたかだか半年程度の話なのだが。

「おう、何でもヴィアレちゃんを取り戻すとか言うてな。絶対に取り戻すー言うて駆け出してったわ。……まあ、当たり前の話やけどまだ戻って来ぃひん」
「……何故あの馬鹿は其処までして……」
「━━━━それは、俺のせいなんだ」

呆れ顔で眉間を揉んだ紫蘭の後ろから、か細く弱々しげな声が聞こえてきた。振り返ってみれば、其処にはエミリオに抱き抱えられているルタの姿があった。彼はぜぇぜぇと苦しげな息をしながら、潤んだ瞳で紫蘭のことを見る。

「アリックは、きっと、俺がヴィアレに会いたいって言ったから、王宮に向かったんだ。父上を探すとも言っていたけれど……。とにかく、アリックはヴィアレを取り戻して、自分の父上の行方も掴もうとしてる。はっきり言って無茶なんだ。王宮では、何が起こってるのかわからないのに……」
「……要するに、貴殿は何が言いたいのだ?言葉にせねば私にはわからない」

相手が一応貴人ということもあってのことだろうか。いつも相手のことを“貴様”と呼ぶ紫蘭にしては珍しく畏まった口調で、彼女はルタに問いかける。ルタは何とか息を整えてから、真っ直ぐに紫蘭の瞳を見据えた。

「……アリックを、助けて欲しい。本音を言うとヴィアレのことも連れ戻して欲しいけれど、無理なようだったら構わない。……頼む、アリックは、アリックのことは、絶対に助けて欲しいんだ」
「…………」
「それから……王宮には、俺のことも連れていって欲しい」
「ちょっ、ルタ君……!?」

付け加えられたルタの頼みに、彼を抱き抱えたエミリオが声を上げる。まさかルタまで同行したがるとは思っていなかったのだろう。特に瑞英は眦を吊り上げている。

「……ルタ、言ったはずある。お前の体は消耗してるある。下手に動けばお前の体調に影響が出るある。無茶はやめるよろし」
「しかし……このままでは、“紫蘭をティヴェラの王宮に送り込むのはライオ・デ・ソル商会ということになってしまう”だろう?」
「何……?」

ルタの顔に不安はなかった。何処か挑むような目付きで、紫蘭のみに視線を向けている。この王子が18歳だと言われても、きっと今の紫蘭なら納得出来るに違いない。それだけの力がルタの目にはあった。

「もしも俺が着いていったのなら、いざというときは俺が命じて紫蘭をティヴェラの王宮に送り込んだことに出来る。そうすれば……たとえ窮地に陥っても、全てを“俺だけの責任”にすれば紫蘭やライオ・デ・ソル商会の皆は逃げられるかもしれない」
「……貴殿は、まさか」
「これは俺の我が儘だ。俺が自分のために頼んでいるに過ぎない。故に━━━━俺が犠牲になる覚悟は出来ている」

紫蘭は王族ではない。それゆえに、王族の心得や矜持などは知らないし、知るつもりもない。だが、この時のルタは、そんな紫蘭から見ても明らかに“王族の風格”と呼ぶにふさわしき雰囲気を身に纏っていた。それだけの覚悟が、紫蘭にもひしひしと伝わってきたのだ。

「……私は別に構わんぞ。貴様程度であれば、共に連れていくとて大きな支障はないだろう」
「ほ……本当か?」
「……其処の奴等がどう言うか、だがな」

そう言ってから、ちら、と紫蘭がフィオレッロやミリアム、瑞英のことを一瞥する。彼女に承諾されたことにぱっと瞳を輝かせたルタだったが、彼らのことを思い出したのかすぐに表情を翳らせた。

「……其処までの覚悟があるんなら、俺は構へんけどなぁ。ルタちゃんが怪我するかもしれへんっちゅーのは不安やけど」
「うちも異論はないで。……瑞英はどない思う?」
「頭が良いって言ってるのに断れると思うあるか?……まあ、ルタが良いならそれでよろし。後でどうなっても瑞英は知らないネ」

ふい、と瑞英がそっぽを向く。これは承諾したということで相違ないのだろう。今度こそルタは瞳を輝かせて、一同に向かって「感謝する」と柔らかく微笑んだ。

17日前 No.325

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

16日前 No.326

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

ほとんど力業で入ったようなものだが、少なくとも紫蘭は特に気にする様子もなく物色を始めた。ルードゥスの執務室は執務室と思えない程にきらびやかであり、並べられている宝石の煌めきにルタは頭がくらくらした。王族ではあるが、いかんせんこういった装飾品に触れたことはあまりないのだ。

「……見事なまでに書類がないな。ルードゥスの奴、本当に仕事をしていたのか?」

信じられない程大きな机を漁りながら、紫蘭は溜め息を吐く。たしかにルードゥスの机は物こそたくさん置かれてはいたが、書類らしきものはぱっと見ても見受けられない。そのほとんどが装飾品や衣類、そして目映いばかりの宝物の数々だった。貢ぎ物なのかルードゥス自身で購入したのかはわからないが、凄まじい値段だということは見ただけでわかる。

「ヴィアレの居所のひとつでも書き留められているかと思っていたが……。駄目だな、これは。はっきり言って大損だ」
「しかし……何も持っていないということは、さすがにないのではないか……?いくら不真面目とは言えルードゥスはティヴェラの王の補佐官なのだ。与えられた仕事に纏わるもの全てを持ち歩くのは不可能だろう」
「む……たしかにそれはそうだが……」

あまりの証拠のなさにお手上げ状態の紫蘭とルタではあるが、だからといってこの部屋の探索をやめるのも何だか不自然な気がしてならなかった。補佐官に与えられる仕事は決して少なくはないはずだ。それなのに書類も何もないのは明らかに可笑しい。他人に任せている、または押し付けているとしても最終的に提出するのはルードゥスのはずである。そもそもルタの言う通り仕事に纏わるもの全てを持ち歩くことは不可能であり、此処にないとすれば処分されてしまったか、何処かに隠しているという説が濃厚になる。

「ルードゥスのことだから、何処かに隠し部屋があるかもしれない。近くに、怪しいものはないか?」
「怪しいものと一概に言われてもだな……。私からしてみれば、ほとんどが怪しく見えるぞ」
「そ、その辺りは吟味してくれ。ほら、隠密の勘で」
「あのなぁ、隠密と言ったって何でも出来る訳ではないんだぞ。それぞれ得意分野があってだな……」

ぶつぶつと言い訳する紫蘭は差し置いて、ルタは四つん這いになって机の下などを覗いてみることにした。なければないでそれまでの話なのだが、少しでも手がかりになるようなものがあるのなら得ておきたい。ぶつぶつ言っていた紫蘭もルタに続いて、床に這いつくばって隠し部屋の手がかりを探し始めた。

(それにしても、此処まで高そうなものを、ルードゥスは何処から仕入れているのだろう)

時々机に頭をぶつけそうになりながら、ルタはふとそんなことを考える。ルタがルードゥスと会った回数はそう多くない。……というのも、ルタが離宮に入れられるか入れられないかの時にルードゥスという名前が話題に挙がり始めたからだ。実のところ、ルードゥスがいつ頃仕官して、登用されたのかはわかっていない。それは単にルタが知らないのではなく、ティヴェラの王宮に度々出入りしているフィオレッロや、アロイスでさえも知らないのだ。詰まるところ、気になってルタは周りの大人に尋ねてみたが、誰もルードゥスの詳細な情報を持ってはいなかったのである。

(……つくづく、謎の多い男だ。加えてあの所業となれば、厄介なことこの上ない)

ルタは滅多に他人を恨むことはない。そう割り切らなければならないのだと、王族ながらに理解していた。━━━━だが、今回ルードゥスがヴィアレを連れ去ったことに関しては話が別だった。ルタはヴィアレを取り戻すまでそのことを根に持つだろう。それだけ腹が立ったのだ。だから絶対に、ヴィアレを探し出す手立てを見つけなければならない━━━━。ルタはそう考えていた。

「いったぁ!!」

━━━━矢先に、そう遠くない場所から紫蘭の悲鳴が聞こえた。悲鳴と言って良いのかわからないが、少なくとも何かしらの接触を受けたことは確かである。ルタはのそのそと潜っていた机の下から這い出て、紫蘭のもとへと近づいて声をかける。

「大丈夫か、紫蘭?」
「う、うぅ……。面目ない、頭をぶつけてしまってな……。自分の大きさを把握しきれていなかった私の不手際だ……ぐすん……」

相当痛かったのか、答える紫蘭は涙目である。普段から図太い━━━━もとい、気丈な彼女にしては珍しい。生憎受ける五大が風、その中でも雷に分類されるルタは回復を行うことは出来ないので、よしよしと紫蘭の頭を撫でてやるしか出来なかった。

「お前が粗相をするなんて珍しいな。何処を探していたのだ?」
「……彼処の、戸棚を……。上の棚を、開けっ放しにしていて……」
「……あぁ……」

なんとなく経緯はわかった気がする。閉め忘れとは誰にでもあるものだ。そんな同情の視線を紫蘭に向けていたルタだったが、その時室内に異変が起こったことを決して見逃しはしなかった。

「紫蘭……何か、聞こえないか?」

正確に言うならば、ごごご、とかその辺りの重苦しい音が、たしかにルタの左右の耳には入っていた。紫蘭もこの音には気づいたようで、頭を押さえながらもじっと固まっている。しばらくして音は止んだので、二人は立ち上がって辺りを見回してみる。

「あ……!あれは……!」
「おっ、お手柄だぞ、紫蘭!」

見てみれば、ルードゥスのものなのであろう衣類が所狭しと収められた衣装棚の一部が動いてぽっかりとした道を造っていた。これはいわゆる隠し部屋というものだろう。どうやら紫蘭が頭をぶつけたことが鍵になったようだ。幸運なのか不運なのかはわからないが、とにもかくにも手がかりになりそうなものに近づいた。怪しさは満点であったが、だからといって何でもかんでも避けていては何も始まらない。二人は隠し部屋に入ってみることにした。

(此処にヴィアレの手がかりになるようなものがあれば良いのだが……)

隠し部屋の中は薄暗く、少しでもぼうっとするとそれだけで何処かに躓いて転んでしまいそうだった。そのため、ルタも十分に注意を払って前へと進む。姿こそ幼子のようなものだが、中身はれっきとした18歳である。いくら強いと言えども年下の少女の手を借りるのは何だか恥ずかしいのだ。そのため、むしろ自分が手を引くような形で紫蘭と手を繋いでいた。

「どうやら此処は書庫のようだな。此処なら良さげな資料も見つけられるかもしれない」
「そうか、それなら━━━━」

それならヴィアレの手がかりも見つかりそうだな、と紫蘭は言おうとした。しかし、その言葉は言い終わる前に途切れることとなる。隠し部屋が現れた時と同じ、重苦しい音が室内に響き渡ったのだ。━━━━詰まるところ、二人は閉じ込められる形となった。

「なっ……!?」
「おいっ、これはどういうことなんだ!?」

紫蘭が決死の体当たりを敢行しようとはするものの、扉が閉まる方が僅かに速かった。結局紫蘭は閉まってしまった扉に体を強かに打ち付けただけだった。

「…………離れていろ。この怒りを拳に乗せてこの扉を叩き割る」
「い、いくら紫蘭でもそれは無理だと思うのだが……!」

だから落ち着け、とルタは怒りに身を任せようとする紫蘭を宥める。力ある者のふとした行動というものは本当に恐ろしい。ルタはこの時、改めてそう実感させられたのだった。

15日前 No.327

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

さすがにずっと怒りっぱなしという訳にもいかないので、とにもかくにもルタと紫蘭は脱出口を探すことにした。ルードゥスの執務室でやっていたこととほとんど変わりはないが、やはり危機感というものが違う。紫蘭に至ってはぶつぶつと呪詛めいたことを呟きながら作業に取り組んでいた。最早此処まで来るとナラカやアロイスや最悪スメルトも恋しくなってくる。せめてアロイスがいてくれたならまた状況は違っただろうな、とルタは遠くを見つめた。

「……目ぼしい資料はないな。……まさかこの部屋、嫌がらせのために作られたのか?」

周辺に林立している本棚の資料を手に取りながら、紫蘭は眉間の皺をより一層深くする。そんなことはないだろう、とルタは否定したかったが、ルードゥスのことだからあながち間違っていなさそうなのが恐ろしい。あの補佐官は他人の怒りを増幅させることに関しては一級品なのだ。

「おい、そっちはどうだ?手がかりになりそうなものとか、脱出口は見つかったか?」

どうやら紫蘭は自分側の捜索を諦めたようで、ひょこひょことルタの方に回ってきた。黙っているとルードゥスへの怒りでも湧いてくるのだろうか。何にせよルタからしてみれば、紫蘭は割りと短気なのだなぁ、くらいの感慨だった。これくらい割り切らねばやっていけない。

「今のところは、特には……。しかし、資料は山ほどあるから、探せば有用なものが見つかるかもしれない」
「それはそうだが……この状況であまりゆっくりもしてはいられないぞ。私たちがこうしている間にも、彼方は何をしているかわからんのだ。ヴィアレを助けたいならば尚更だろう」
「……わかっている」

紫蘭の言うことは真っ当だ。こうしている間にも、ルードゥスがヴィアレをどのようにしているか知れない。ルタたちは一刻も早くこの部屋を脱出して、ヴィアレを見つけ出さなければならないのだから。
先程はルードゥスの執務室からの光が入ってきていたために薄暗い隠し部屋であったが、扉が閉まった瞬間に付近の机に置かれていた燭台が突然点火したため、明るさに関しては不思議な程問題なかった。むしろ先程よりも快適なくらいだ。

(先程は戸棚にぶつかったことが鍵となった。……ならば、今回も何かしらの仕掛けがあるはずだ)

そうであってくれと祈りながら、ルタは本棚をいじったり壁に触れてみたりしてみる。大体こういった部屋は壁の一部か凹んでいたらそれが鍵になるものなのだ。━━━━これはあくまでもルタの持論なのだが。離宮にいた時に暇潰しに読んだ書物から学んだことだ。

「……なぁ、少し此方に来てくれないか?」

そんな最中、後方からそう紫蘭が声をかけてきた。ルタはふらつく足元に気を付けながら、彼女の方へと向かう。

「何かあったのか?」
「此処に、ひとつだけ色の違う床板があったんだ。ほら、見てみろ」

紫蘭の指差したところには、たしかに不自然な程周りの床板と色合いの異なるそれがあった。ずっと本棚の方を注視していたから気づかなかったのだろう。紫蘭が見つけていなかったら見落としていたかもしれない。

「それにな、この床板、さっきいじってみたら案外簡単に取れたんだ」

ルタが紫蘭に感心していた━━━━のも束の間のことで、彼女が唐突にその床板を持ち上げたことで彼女に向ける感情は感心から驚愕へと変わった。きっと外れるだろう、とは思っていたものの、目の前でいきなりやられるとそれはそれで驚くし心臓に悪い。せめて何かしらの前置きをしてから行ってほしかったものである。

(……梯子がある……ということは、この下に繋がっているということか)

恐々と床下を覗いてみると、其処には地下へと続く梯子が立て掛けられていた。ティヴェラの王宮の地下に何があるか。それは此処三年間ずっと離宮に入れられていたルタもよくわかっている。

(……まさか、此処から地下牢に行けるのか?)

ティヴェラ王国にとっての罪人を入れておく場所━━━━それが地下牢である。ルタの義姉であるティルアも、処刑されるまでは地下牢に入れられていた。彼女が処刑される日に、ルタは其処で彼女と面会したのだ。

「昔から、ティヴェラの地下牢には大罪人が入れられると聞く。……ということは、反逆罪で捕らえられた宰相殿も此処にいるかもしれない」
「……!アドルファスか……!」

自分たちの最大の協力者━━━━アドルファスはティヴェラの国王たるクルーファに対して反逆を図ったとして投獄された。初めこそ驚きはしたが、今となってはむしろ好都合である。すぐに処刑されていたら出来ることも限られていた。少なくともまだアドルファスが生きているならば、何か出来ることはあるかもしれない。
そうと決まればいつまでも此処でうろうろしている訳にもいかなかった。紫蘭の後に続いて、ルタも梯子を下りることにする。紫蘭が初めに向かったのは、下で何が待ち受けているかわからないからだろう。もし先程のような傀儡がいたら堪ったものではない。

「……今のところは誰もいないな。とりあえず下りてくる分には大丈夫そうだから、そのまま下りて来い」

ルタが梯子の半分程まで進んだところで、紫蘭は地下へとたどり着いたようだった。下から反響してくる彼女の声を聞きながら、ルタはそろりそろりと梯子を下りる。動けるとは言え、ルタの体調は本調子とは言いがたい。少しでも気を抜いたら足を滑らせてしまいそうだった。
いつもに増して心配しながら下りたおかげか、ルタは何事もなく無事に地下までたどり着くことが出来た。周りがよく見えない中できょろきょろと辺りを見回していると、ぼわっと暗闇に紫蘭の顔が浮かび上がる。どうやら松明を拝借してきたらしかった。

「アドルファスの入れられている牢屋の場所はわかるのか?」
「わかる訳ないだろう。……だが、特に罪の重い罪人は奥に入れられていることが多いと聞いたことがある。きっとアドルファスは其処にいるに違いない」

紫蘭の言葉はかなり大雑把だったが、もうルタは気にしないことにした。これからどのような事態に陥るかわからないような状況なのだ。多少紫蘭が奔放でも目を瞑ろう。
初めは本当に此処が地下牢なのかという不安もあったが、どうやら間違ってはいなさそうだった。━━━━しかし、その風景は明らかに普通ではない。

(……牢屋に入れられているはずの罪人が、何処の牢屋にもいない)

二人の通る道の左右には牢屋が設置されているが、その中はどれももぬけの殻だった。王宮の召し使いたちといい、皆何処に行ってしまったのだろうか。一応幾つかの牢屋には声もかけてみたが、やはり反応はなかった。

「……これも、ルードゥスの仕業なのだろうか」

自分たちの声と足音しか響かない地下牢を進みながら、ルタは不安げに呟いた。紫蘭は「そうだな」と、前を見据えたまま答える。

「詳しいことは私にもわからんよ。……だが、真相は自ずと明らかになるだろう。誰が首謀者であっても、それはティヴェラの平和を脅かしていることに他ならない。詰まるところ、私たちの敵だ」
「……わかっている」
「貴様にまで戦えとは言わん。ヴィアレを見つけたら、あの商会と共にシャルヴァを出るのも悪くはないだろう。……まあ、せいぜい悩めば良い」

そう言ってから、紫蘭はぽん、とルタの頭に片手を置いた。もうそんな年齢ではない、と反論する元気はルタにはなかった。紫蘭の言いたいことは、聡いルタにはすぐにわかってしまったのだ。

(誰が首謀者であっても━━━━たとえ、この事態を招いたのが父上であっても、臆してはならない)

ルタが誰よりも尊敬し、目標としていた男。すなわちクルーファが、この一連の騒動の首謀者であったとしても、紫蘭たちにとっては敵と見なされる。そうあって欲しくないというのが切実な願いだが、そんなことを言ってもいられないだろう。嫌ではあったが、それを割り切らなければならないという自覚はルタも持ち合わせていた。
しばらく地下牢を歩いていくと、ひとつだけやけに広い牢屋の前までたどり着いた。これまで運が良かったのか傀儡に襲われることはなく、二人はほぼ無傷で地下牢の最下層までやって来ることが出来た。これも仕組まれた上でのことなのかと思うと寒気がするが、そのようなことをいちいち気にしていられる程悠長にしてはいられない。

「宰相殿!」

周りに誰もいないことを確認してから、紫蘭は牢屋に向かって声をかける。しかし返事は帰ってくることはなく、ただ虚しく紫蘭の声が響くだけだった。

「宰相殿もいないのか……?」
「……いや、待ってくれ紫蘭。この牢屋、閂が壊されている」

そう告げるルタの目線の先━━━━紫蘭の松明ではまだ照らされていない部分には閂があったが、どういう訳か何かで穿たれたような破壊痕があった。要するにこの閂は使い物にならなくされていたのだ。これなら牢屋を出ることは難しくはないだろう。

「どういうことだ……?他の牢屋の閂は問題なかったぞ」
「もしかしたら、アドルファスは何らかの方法で閂を壊して牢屋を出たのかもしれない。アドルファスは消えたのではなくて、自発的に脱獄したのではないか?」
「だが……この状況で脱獄する理由があるのか?王宮には傀儡が屯しているというのに……」

ぶつぶつ悩みながら牢屋の中を松明で照らした紫蘭だったが、間もなくしてひゅっと息を飲んだ。照らされた牢屋を見たルタも、思わず目を見開く。


《不測の事態が起きた。詳細は省くが、私は牢屋の外にいる》


何やら黒いもので、牢屋の壁にべったりと記された文字。恐らくもともと記されていたものではないのだろう。何で記されているのかは全くもってわからないが、字として読み取ることは容易だった。

「これは……アドルファスが書いたものなのだろうか……?」
「……わからんが、そう取るのが妥当だろう。誘導であったのならそれはそれで厄介だが、宰相殿が此処にいないのは事実だ。一先ず外に出てみるのが得策だと思う」

疑わしいところを挙げればキリがないが、今の二人に出来ることは限られている。紫蘭の言うように、まずは外に出てアドルファスを探すのが良いだろう。なんとなく不安な部分もあったが、とりあえず二人は地下牢から出ることにした。

14日前 No.328

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

13日前 No.329

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第59幕:苛み咎めるは昔日の影法師】

ナラカとスメルトがティヴェラの王宮にたどり着いたのはかなり曼荼羅の光が弱まってからのことだった。シュルティラとアロイスは一足早く王宮に向かったようで、シュルティラを探すナラカに伝令の兵士は「二人ならもう砦を出発なさった」と報告してきた。シュルティラに声をかけたいナラカはすぐに追いかけようとしたが、スメルトに止められて軽く食事を摂ってからティヴェラの王宮に向かうことにした。

「……ねぇ、ナラカ。本当に、大丈夫なの?」

乗って来た馬を停めてから、スメルトは心配そうにナラカを見つめてくる。気持ちはわからなくもない……が、彼はナラカの顔を見る度にこう言ってくるのだ。心配性にも程があると思う。

「大丈夫ですよ。シュルティラさんにお話は聞いてもらいましたから。今はもうすっきりしてます」
「本当に?酷いことされたとかじゃないよね?もしそうだったらちょっと走ってぷちってしてくるけど……」
「ほ、本当に大丈夫ですから……!だから、まずは王宮の調査に専念しましょう?シュルティラさんたちとは後から合流出来るかもしれませんし……!」

心配してくれるのはありがたいのだが、スメルトの場合其処に不穏な発言も付け足されるので気が気ではない。一体シュルティラの何をぷちっとするつもりなのだろうか。考えるだけでも恐ろしいし、シュルティラに立ち向かおうとするその気概には色々な意味で言葉を失う。神代の名残とも言われるシュルティラを相手に立ち回れる自信は少なくともナラカにはない。
とりあえず、ナラカが宥めたところスメルトは素直に従ってくれたので二人はティヴェラの王宮に足を踏み入れることにする。いつも賑わっていた王宮は水を打ったようにしんと静まり返っており、辺りには人っ子一人いなかった。

(なんで、使用人の人たちがいないんだろう……)

いくら戦争が起こっているからといって、此処まで静かになるものなのだろうか。いや、そもそも使用人たちは何処へ行ってしまったのか。疑問は尽きなかったが、立ち止まってもいられない。ナラカは一先ず人のいそうな場所を順繰りに探してみることにした。

「……此処もいない……」

まずいつも人が屯しているはずの兵舎や、その近くにある大浴場を除いてみたが、其処は言葉の通りのがらんどうであった。誰もおらず、ただ道具だけが先程まで使われていたかのように散乱している。その光景は、奇妙を通り越して不気味だった。

「……スメルトさん、この王宮って、一時的に避難するような場所とかありましたっけ?」
「ううん、なかったはずだよ。ティヴェラは馬鹿だからね、あの砦で何とか食い止められるって思ってるんだ。だから王宮にそんな設備はないよ」
「な、なるほど……。そうなんですね……」

スメルトがティヴェラに対して辛口なのは突っ込まないでおく。彼の経歴をナラカは知らないが、反乱軍の頭領だったことがあるのなら仕方がないようなものだ。
とにもかくにも、ティヴェラの王宮には今のところ大勢が隠れられるような場所はなさそうである。普通、攻め込まれる場合を鑑みて城には緊急時に大勢の人間を籠城させられるような設備を備えておくものだが、ティヴェラは生憎シャルヴァを統一したためそういった心配はしていなかったようだ。落とされた城で過ごしていたナラカが言うのも何だが、もう少し危機感を持つべきだと思う。

(……でも、まだ反乱軍は王都まで進撃していない……。それなのに、どうしてこんなもぬけの殻なんだろう……?)

もう一年近くシャルヴァで暮らしているので、ナラカもその文化だとか風俗に慣れてきたつもりでいる。故に━━━━これはあり得ない、と思ったのだ。

(シャルヴァの人々が、この“理想郷”からいなくなるなんてあり得ない)

シャルヴァとは理想郷だ。穢れた地上から逃げてきた人々が創り上げた楽園のはずだ。だからシャルヴァの住民はシャルヴァからいなくなるはずがない。だって、地上は苦しみに溢れた場所であり、それを捨てて皆理想郷にやって来たはずなのだから。全ての人間がそうであるとは断言出来ないが、少なくとも大多数の人間は理想郷を求めて地底まで潜ったに違いない。ナラカのような人間の方が少数派に決まっている。だから、きっとティヴェラの王宮で働いていた人々は外に出てはいない。……というか、出るはずがないのだ。

(……でも、こんなにがらんとしてる王宮の何処に人がいるっていうんだろう……)

きょろきょろと辺りを見回しながら、ナラカとスメルトは大方調べ終わった食堂を後にした。此処には今日の献立だけでなく、食べかけだったのだろう食事がそのままにされていた。人間だけが忽然と消えた風景は、正直に言って薄気味悪かった。

「…………ん?」

食堂の風景を思い出して憂鬱な気分になっていた矢先、ナラカの視界にあるものが映った。隣を歩いているスメルトの脇腹をつんつん、とつついてナラカは前方を指差す。

「スメルトさん、スメルトさん。あれ、人じゃないですか?」
「わぁ、たしかにそうだね。それより、さっきのはちょっとくすぐったかったかな。ナラカが楽しいなら僕はそれで良いし、ナラカがそういう嗜好なら一向に構わないんだけど」
「あっごめんなさいそういうのじゃないです、肩に手が届かなくて」

にこにこと何処と無く嬉しそうに言ったスメルトに、ナラカは全力で首を横に振って否定の意を示した。今のはスメルトをからかったとかではなくて、ただ単に彼の背が高くて肩まで手が届かなかったために近場にあった脇腹をつついただけに過ぎないのだ。決して疚しい気持ちはない。……まあ、スメルトの方はナラカに疚しい気持ちがあってもこのままの笑顔でいそうなのだが。
とにもかくにも、人が見つかったのは幸先が良い。おーい、とナラカはそのまま手を振ろう……としたが、その手の前にす、とスメルトの腕が遮るように出された。

「……待って、ナラカ。あいつ、何だか可笑しいよ」
「……?スメルトさん……?」

何が可笑しいのだろう、と頭を悩ませた矢先、此方に気づいたらしいその人影は凄まじい勢いで駆けてきた。━━━━その手に、出刃包丁を持って。

「なっ━━━━!?」

何だあれは、とナラカが叫ぼうとするかしないかのところで、スメルトは既に人影に向かって駆け出していた。そして、その右の拳を人影の顔面に叩き込む。呆気に取られているナラカの前で、スメルトに殴り付けられた人影は結構な距離を飛んでいった。半ば唖然としているナラカに、スメルトは至って変わったところもなく戻ってくる。とりあえず彼が無事なら一安心である。

「ど……どうしたんですか、スメルトさん……」
「あぁ、あいつ、人間じゃなかったから。ええっと、何だっけ……人間を材料にした操り人形みたいな……」
「……傀儡、ですか?」
「そうそれ。傀儡だったんだよ〜。顔も土気色だし、何よりも生きてる人間にあるはずの生温さが感じられなかったもの。それに、ちょっと殴ったらすぐに動かなくなっちゃったし」

あれの何処がちょっとなんだ、とナラカは突っ込みたくなったがさすがに我慢した。スメルトとナラカの基準はその身長差と同じくらいかけ離れたものなのだ。とにかく今は、傀儡についての話を進めなければなるまい。

「でもあの方、別に反乱軍の兵士じゃありませんでしたよね……?どうして王宮に傀儡が……」
「うーん、よくわからないけど、ルードゥスとかいう奴の手下なんじゃない?ほら、反乱軍にもあいつの手下の傀儡が忍び込んでたらしいしさ。本当にむかつくよねぇ、あの補佐官。ナラカに酷いことばっかりするんだから」

笑顔で言うには威圧感に溢れすぎているが、自分のことを思ってくれているのはわかるので、ナラカは「そうですね」とだけ返しておいた。やっぱり王立図書館であったことを愚痴感覚でスメルトに話すべきではなかった。ナラカは今更ながら後悔の念に苛まれた。

「と……とりあえず、また傀儡が出てくるかもしれません。王宮の方を探しつつ、慎重に進みましょう」
「はーい」

先程傀儡一人を吹っ飛ばしたとは思えないゆるさである。そんなスメルトを見てナラカは思わず苦笑いしつつ、王宮の探索を再開した。

12日前 No.330

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

使用人たちの使う建物や施設は一通り見終わったので、ナラカとスメルトは王宮に入ることにした。何処もかしこも人はおらず、たまに傀儡が飛び出してくるばかりだった。その度にスメルトが素手で殴り飛ばしていたのが良くも悪くも印象的だ。

「ここら辺にはもう誰もいないみたいだねぇ。皆王宮にいるのかな?」

襲いかかってきた傀儡の頭を動かなくなるまで変な方向に曲げながら、スメルトはのほほんとナラカにそう告げた。あまり直視出来るような光景ではないので、ナラカはスメルトから目を逸らしておく。先程食べた軽食が逆流してきたら堪ったものではない。いくら戦乱の時代……の最後の方を生きていたからといって、そういったものに耐性がある訳ではないのだ。

「そうですね、もう王宮を見て回って良い頃合いかもしれません。……ですから、その……傀儡は、そろそろ置いても良いのでは……?」
「だって、どのくらい懲らしめれば動かなくなるのかわからないんだもの。万が一のことがあったら嫌だから、ね?」
「は、はぁ……」
「でも急がなくちゃいけないのもわかるよ。待っててね、今仕上げするから。よいしょ」

よいしょ、の後にボキ、と聞こえた気がしたが気にしないでおこう。少なくともナラカは聞こえなかったことにした。下手に考えると寒気が止まらない。
傀儡の始末も終わったようなので、今度こそ二人はティヴェラの王宮に向かった。いつも歩いていた回廊も、今日は不気味な程しんと静まり返っている。なんとなく恐ろしくなって、ナラカはスメルトの後ろに隠れるようにして進んでいった。心なしかスメルトが嬉しそうだったのはナラカの知らぬ話である。

「……此処にも、誰もいませんね……」

王宮内で鍵の開いている部屋を幾つか見てみたが、結果はどれも同じだった。こうも人がいないと段々気落ちしてきてしまう。もしかしたらこの王宮にはもう誰もいないのではないか、とさえ思えた。

(これ、まさか王様もいなくなってるとかじゃないよね……?)

ティヴェラの王であるクルーファがおわす玉座の間は二階にある……とナラカは聞いている。探せるだけ探してもしも誰も見つからなかったのなら、駄目元で玉座の間に行くしかない。主に不敬罪で訴えられることが怖いが、背に腹は代えられない状況だ。多少の不敬もクルーファが許してくれることを祈るしかない。

(……そういえば、シュルティラさんとアロイスさんはどうしてるのかな……?何処かで合流出来たら良いんだけど……)

自分たちより先に行ってしまったシュルティラとアロイスのことを考えて、ナラカは表情を曇らせる。特にシュルティラにはまだ話したいことがあった。何処かで早く合流して、この騒動が一段落したら、少しでも良いから話をしたくて━━━━。

「━━━━っ!?」

直後、ナラカは己が頭を押さえて床に踞った。それをスメルトが見逃すはずもなく、すぐにナラカに駆け寄ってくる。

「どうしたの!?大丈夫、ナラカ!?」
「あ……頭が、痛くて……!」

そう伝えるナラカの表情は苦しげだった。実際に苦しかったのだ。頭に岩でもぶつけられているかのような痛みが、何の前触れもなしに襲いかかってきたのだから。もともと天気が悪いと体調を崩すこともあったナラカだが、シャルヴァに来てからは地底ということもあってかそういったことはめっきりなくなっていた。だから突然の酷い頭痛に動けなくなったのだ。

「くく、相変わらず無様に喚きよる。生きているのが実に惜しいな」
「……っ……!お前は……!」

ナラカを嘲るようにして現れた男。その声をナラカは聞いたことがあった。━━━━忘れもしない、あの王立図書館で。

「ルードゥス……!」
「……くく、さすがに俺の名は覚えていたか。貴様の矮小な脳味噌ではその程度だろうが」

相も変わらずルードゥスは此方を見下しながら嗤うのみである。出来ることなら思いきり睨み付けてやりたかったし、最悪と思われるかもしれないが唾を吐きかけてやりたかったが、この頭痛ではどうすることも出来ず、ナラカは踞ったままルードゥスを見上げるしかなかった。

「……ナラカに何をしたの?」

ナラカの傍にしゃがみこんだまま、スメルトはルードゥスに冷ややかな視線を向ける。しゃがんでいても大柄なものだから、スメルトの体が影を作ってナラカを覆っていた。
スメルトから問いかけられたルードゥスは、一瞬ぱちぱちと瞬きをした。そして、何が言いたいのかよくわからない、とでも言うように肩を竦める。

「俺は何もしてはおらぬよ。まあ、大方“気”にでも当てられたのではないか?侵入者にとってあれは効かぬ故な」
「“あれ”……?」
「なぁに、簡単なことよ。“多量の気を与え、生きた人間をそのまま傀儡にする”。どうせならば貴様らや、先に会うた隠密の小娘にも有効であれば尚良かったのだが……。さすがにその辺りは妥協せねばなるまい」
「っ、お前……!」

ルードゥスの言葉を噛み砕けない程ナラカも愚かではなかった。度々王宮で見付けた傀儡たちの正体を、この補佐官は口にしたようなものである。━━━━すなわち、王宮の人間たちは皆自らの手で傀儡にした、と。

「何故、そのようなことを……!」

あまりにもおぞましい事実に、ナラカは脂汗を流しながらルードゥスを詰問した。生きた人間を強制的に傀儡に変えるなんて狂っている。彼らはまだ、人間として生きていられるはずだったというのに。この補佐官の行ったことは紛れもなく重罪に値すると、シャルヴァの法に詳しくないナラカでさえも確信した。

「何故、何故、と……。貴様らは問うことしか出来ないのか?」
「……うるさいよ。ナラカが質問しているんだから、早く答えたらどうなの?」

はぁ、と溜め息を吐いたルードゥスをナラカの代わりに睨み付けたのはスメルトだった。ナラカ以外の人物に対しては基本的に素っ気ないというか、煽るような発言しかしないスメルトではあるが、その相手がナラカの敵らしいのならば尚更だった。少しでもルードゥスが余計なことを口走ればそのまま襲いかかりそうな勢いである。要するに、スメルトの目には明確な殺意が存在していた。
しかしルードゥスが動じるはずもなく、彼は至極面倒臭そうに顔を歪めただけだった。美人というものはどのような表情をしても様になるもので、ナラカとしてはいやに腹が立つ。

「言うまでもなかろう。それが王の勅命だったのだ。逆らえば俺の命がない」
「へぇ、ついに王様は乱心したって訳?」
「クルーファも俺も乱心などしてはいないよ。むしろシャルヴァのためにと腐心している。貴様らのような愚物にはわかるまい」
「よく言うよ、ナラカをこんなにしておいて」

スメルトの目が完全にルードゥスを捉える。この男を殺す、と彼の纏う空気が語っていた。そして、スメルトがだん、と床を蹴りつける音が響き━━━━。

「軽々しく触れてくれるな、混じり物め」
「ぐっ!?」

何かが倒れるような、お世辞にも聞いていて心地が良いとは言えない音がナラカの耳に入ってきた。頭痛のせいで朦朧とした視界の中に、彼女は何とかスメルトの姿を見つける。

「スメルトさん……!」
「くく、所詮人の血が混ざった羅刹など俗物に過ぎぬ。いつまで持つか見物だな」

スメルトの大きな体は、上から何かに押さえ付けられているように地に伏していた。何とかして立ち上がろうとしているのはナラカにもわかるが、どうにもそれが出来ないらしい。スメルトに一体何が起こっているのかはナラカにはわからなかったが、少なくともナラカがルードゥスへの敵意を膨らませるには十分だった。頭痛と恐怖でがくがく震えながらも、ナラカは懐に手を伸ばそうとする。

「━━━━あぁ、貴様もお揃いが良いのか?」
「うぁっ……!?」

べたん、と。スメルトと同じように、ナラカは床に倒れ込んだ。本当に、何が起こっているのかわからない。だが、自分の体重が五倍くらいになったのではないかと思うくらいに、体が重くて仕方がなかった。

「くく、無様よな。俺の夢に従っていればこうはならなかったものを……。そら、もうひとつ、置き土産をくれてやろう」
「な……何を……!」
「なぁに、辛ければ助けを求めれば良いだけのことだ。尤も━━━━貴様が助けを求めれば、其処な混血の男が死ぬことになるがな」

そう言ってからルードゥスはぱちんと指を鳴らす。すると、何処からかぞろぞろと兵士の格好をした傀儡たちが現れてナラカとスメルトを取り囲んだ。それを確認すると、ルードゥスはゆるりとした足取りでその場を去っていく。

「ま……待て……!」

ナラカは必死に手を伸ばす。逃がしてはなるものかと、腕を伸ばしたところで、ルードゥスに届くことはなかった。━━━━その前に、“あり得ないもの”が現れたのだ。

「っ、に━━━━」

ナラカの瞳が驚愕に見開かれる。止めどなく痛み続ける頭も、重くて重くて堪らない体も、この時ばかりは感覚を忘れた。ナラカの目の前にぼんやりと浮かび上がる人影は、本来ならば“其処にあってはならない”ものだったからだ。


「━━━━兄さん?」


かつて喪った白子にして双子の兄。燦の姿が、其処にあった。

11日前 No.331

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

ナラカは幽霊を信じる性分ではない。昔から同僚に怪談を聞かされて怖がることはあったが、幽霊などいないという確信が心の何処かにはあった。だからシャルヴァに来て、精霊やら傀儡やら不可思議なものを目の前にして、なんとなく今まで通ってきた常識が覆されたような気がしてならない。
それでも、自分の前に燦が現れたことに対しては、これはあり得ないと断言出来た。だって燦はもう死んだのだ。シャルヴァで死んだのではない。地上で……ナラカの故郷の日ノ本で死んだのだ。だから此処に出てくるはずがない。燦とシャルヴァの間に、繋がりなんてひとつもないのだから。

「なんで、兄さんが……」

しかし、ナラカは彼に呼び掛けるのを堪えられなかった。放っておくことなど、ナラカには出来なかったのだ。たとえ目の前にいる燦が現実でも幻でも、ナラカは同じように兄上、と呼び掛けることだろう。

━━━━なんで、って。そんなの、僕が死んだからに決まってるでしょ?

燦の声は、ナラカの頭に直接響いてきた。頭痛と組み合わさって、ナラカの頭にはとてつもない苦痛がのし掛かる。それでも、ナラカは燦から目を離そうとしなかった。━━━━いや、離せなかったのだ。

━━━━僕だって、好きで死にたかった訳じゃないんだよ?出来ることなら、君といっしょに理想郷に行きたかった。でも、僕は死んでしまったんだ。残念なことにね。

燦は微笑む。その温かな微笑みは生前のものと同じだ。嗚呼、懐かしい。ナラカは再び兄上、と呼んで彼に手を伸ばそうとした。


━━━━けれど、僕は君のせいで死んだ。


ぞわり、と。背筋を凍らせるかのような声音で燦は告げた。伸ばされたナラカの手と、その表情は硬直する。それだけ燦の言葉はナラカの心に深く突き刺さった。

━━━━君がうだうだ迷っていないで、早くお城を脱け出していてくれたのなら……。それなら僕は今も生きていられたんだよ?それなのに、君はどうでも良いことでもたもたして……結局僕は為す術もなく殺された。これを君のせいだと言わずに誰のせいだと言うの?
「……っ、ごめんなさい、ごめんなさい、兄さん……!でも、仕方なかったの……!だってお城には母上もいて、大変なことになっていたものだから……!」
━━━━君の言い訳なんて聞きたくないよ。あの後、僕の後を追って死んでくれたのならまだ合点がいった。でも君は、今ものうのうと生きている。……それって、可笑しくないかい?

燦は床に伏せたままのナラカを見下ろしながら淡々と告げる。その顔に、表情らしい表情は浮かんでいない。無機質で、あまりにも冷ややかな顔つき。まるで、此処まで生き永らえたナラカのことを見下しているかのようだった。

━━━━君はさぁ、事あるごとに死にたくないって言うよね?そう言って、ずうっと死から逃げ続けて。その間に、どれだけの人が死んだと思っているの?君が生を望む代わりに、どれだけの人が犠牲になっていると思うの?
「だ……だって、それは……」
━━━━だって?だって、何だと言うのさ。君は生きていて何を成し遂げたいの?成し遂げたいこともないのにただ生き続けたいだなんて、ただの傲慢に過ぎないよ。

燦は突き放すように言う。だがそれにナラカは反論出来なかった。これまで死にたくないと言って生きてはきたけれど、何か成し遂げたいことがある訳ではない。何がしたいから生きてきたという訳ではなく、ただ無惨に死にたくないから生きているだけ。其処に目的や志なんてものはない。

━━━━君が何か、本当に成し遂げたくて堪らないことがあるのなら、その行動原理もわからなくはないよ?……でも、君は何もしていない。何もしようとしない。そんな人間に、生きる価値ってあるのかな?
「そんな……価値、なんて……」
━━━━ない、よねぇ?君の生きる価値なんてものはさ。君が生きていたって、誰も喜ばないし、嬉しくもないよねぇ?
「……うるさいっ!」

頭が痛い。苦しくて堪らない。あんなに焦がれていた燦が目の前にいるのに、今はいなくなって欲しくて仕方がなかった。“これ”は燦ではない。燦の姿をした幻影だ。あの忌々しきルードゥスが作り出した幻影に過ぎない。ナラカは自分にそう言い聞かせた。
燦からの返答は返ってこなかった。しかし、ほっとしてもいられない。むしろ、ナラカの表情は再び驚愕に染まっていた。


━━━━愚かしい。


ぴしゃりと突きつけられた言葉。その声の主にナラカはわなわなと震える。自分を凍てついた目で見下ろす“彼女”は、ナラカにとってあまりにも馴染みのある人物だった。

「母……上……」

ナラカの━━━━天花の育ての親である、葵が其処に立っていた。隣に立つ燦とは対照的に、然れど冷たい視線は同じまま、葵は怒りに顔を歪める。

━━━━あなたには生きようとするだけの大志があるものかと、ずっと信じていたのに……。嗚呼、なんて嘆かわしいことなのかしら。私の娘が、ただ怠惰に生き続けていただけだなんて。到底、許せることではありません。
「母上、私は━━━━」
━━━━あなたの御託など聞きたくもありません。何を成すこともなく、死した者たちの菩提を弔うこともなく、ずっと無意味に生き続けた穀潰しなど、私の娘として認められるものではないわ。こんなことなら、あなたなど生かさずに、私だけが生き延びれば良かった。

侮蔑の視線がナラカを襲う。いつもナラカを優しく、時に厳しく導いてくれていた慈母は其処にはいない。ナラカの━━━━いや、天花の生を望んでくれていたはずの葵は、今や彼女を生かしたことに深い後悔の念を抱いているようだった。

━━━━あなたには誇り高く、気高い女に育って欲しかった。けれど、もう駄目ですね。あなたは堕落し過ぎてしまった。
「ちが、母上……!」
━━━━ええ、あなたには失望しましたよ。せめて自分の片割れくらい助けたら良かったというのに……。それさえも見捨てて去るとは、言葉も出ませんよ。
「あ、うぁぁ……」

涙が溢れた。今まで母にこんなことを言われたことなど一度もなかった。もう、これは幻だと自分に言い聞かせることすら出来なくて、ナラカは無様に涙を溢すしか出来なかった。大好きだった葵と燦にまで自分の人生を否定されたのだ。ナラカの心はずたずたに切り裂かれたようなものだった。

━━━━僕だって死にたくなかったのに。僕だって生きていたかったのに。
━━━━どうして、どうしてあなたのようなろくでなしが生きているのかしら。

声は重石となってナラカの頭を痛め付ける。次第にそれは葵と燦だけのものではなくなっていった。かつて同じ城で働いていた者たち、日ノ本にいた頃の知り合い、その全ての声が重なって、ナラカを責め苛む。


━━━━お前が死ねば良かったのに。
「……厭、厭ぁぁぁぁぁ!!」


ナラカは叫んだ。これ以上ないくらいに、地に這いつくばりながら、矜持も体裁も関係なく、ただただ否定されることに対して泣き喚くしか今の彼女には出来なかった。

10日前 No.332

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

ナラカの見ている燦と葵、そしてその他諸々の人々は幻覚である。━━━━何故なら、隣で這いつくばっているスメルトには、一切合切それらが見えていないからだ。彼には、隣でナラカが何かに怯えながら泣き叫んでいるようにしか見えなかった。

「な……ナラカ……!?」

スメルトはナラカの泣いているところを見たことがない。彼がナラカの前で泣いたことはあるが、スメルトの前でナラカが涙を溢すことはほとんどなかった。いつもむすっとしているか、わたわたと慌てているかで、けれどもそんなナラカをスメルトは気に入っていた。自分のことを助けてくれた少女。スメルトにとって、ナラカはそんな位置付けだった。
そんなナラカが、スメルトの目の前で、しかもまるで幼子のようにわんわんと号泣しているのだ。ナラカのことが第一なスメルトが衝撃を受けないはずがなかった。どうしてか思うように動いてくれない体を必死に奮い立たせて、スメルトはナラカに近付こうとする。

「ぐぅっ……!?」

しかし、動こうとした矢先に傀儡の一人がスメルトの背中を踏みつけた。スメルトの口から思わず苦悶の声が漏れる。ぎりぃぃ、と決して小さくはない歯軋りの音を響かせながら、スメルトは後で覚えておけと言わんばかりに傀儡を睨み付ける。勿論、感情のない傀儡は何処吹く風だ。彼らはあくまでも、ナラカが「助けて」と口にした時にスメルトを殺すだけの要員に過ぎないのだから。

「ナラカ……!早く、早く助けてって言ってよ……!」

ナラカに届くことはないとわかっていても、スメルトは苦しげながら彼女に呼び掛ける。これ以上ナラカが苦しむところなんて見ていたくはない。ナラカがずっと苦しんでいるくらいなら自分が死んだ方が良い。自分の命ひとつでナラカが助かるのなら、それ以上に喜ばしいことはない。

「お願い、お願いだよナラカ……!助けてって、助けてって言うだけで良いんだよ……!僕が死ぬだけなんだから、早く言って……!」

ナラカは泣いている。苦しそうに、悲しそうに涙を流している。だがその唇は、嗚咽や慟哭を漏らしはしても決して「助けて」とは口にしなかった。苦しいはずなのに、辛いはずなのに、助けを求めようとしないのだ。

「やだよ……ナラカ、泣かないで……。僕、君がずっと辛いままなんて嫌だよ……。たしかにルードゥスの言いなりになるなんて気に食わないけど、仕方ないことだってあるよ……。ね、お願いナラカ、助けてって言ってよぅ……。僕が死んだって、君に支障はないんだから……」

ついにはスメルトまでもが泣き出した。しくしくと、ナラカに向けて懇願するように声をかけ続ける。しかしナラカは応じない。きっとスメルトの声は聞こえていないのだろう。だが、それでも彼女は「助けて」と言えば良いことは知っているはずだ。知っているはずなのに、決して「助けて」とは言わない。スメルトはそれがもどかしかった。ナラカには早く助けを求めて楽になって欲しかった。自分はどうなったって構わないから、ナラカだけには助かって欲しかった。

「ナラカ……お願い、早く……。早く、楽になって、良いんだよ……」

伸ばした手は届かない。ナラカはスメルトを見てはいない。それでもスメルトは、彼女に助かって欲しくて、一生懸命に手を伸ばす。早く自分を殺せと、ナラカに訴えかける。その声が届かないとわかっても、いつか、何かの弾みで口にしてくれればと願いながら━━━━。


「『━━━━おお神よ、我らが慈悲深き女王を守りたまへ』」


ナラカもスメルトも涙を流す中、突如その場に響き渡ったのはそんな歌声だった。歓喜と祝福に溢れた歌詞。しかしそれを口ずさむ声は、何処と無く呂律が回っていなかった。

「『我らが気高き女王よとこしへにあれ、神よ女王を守りたまへ』」

ばきっ、と何かが蹴り飛ばされる音がする。訝しげに歌声のする方向を振り返った傀儡が地面に倒れ伏した。人間でいう心臓のある部分を攻撃されたのか、その傀儡はもう動くことはなかった。

「『君に勝利を、幸福を栄光をたまはせ、御世の長からむことを』」

“彼女”は歌う。敬愛する女王を讃えながら、愛する国に思いを馳せながら。輝く金髪を揺らして、張りのある声を響かせる。しかしその翡翠色の瞳はなんとなく焦点が定まっておらず、顔はどういった訳か真っ赤だった。それでも機嫌は良いのか、彼女は歌うのをやめない。きっとこれまで何度も口ずさんできたのだろう、彼女はその歌詞を完全に暗記しているようだった。

「『神よ、女王を守りたまへ』」

彼女は一通り歌い終わったようで、そう口ずさむと一度口を閉ざした。そして此方を警戒する傀儡の首根っこをむんずと掴むと、にっこり目を細めて微笑んだ。

「……手前、何処の手の者だ?」
「…………?」

何を言われているのかわからない、といった風に傀儡は首を傾げる。彼女は未だ微笑んだまま手に込める力を強めた。

「イスパニアか?それともポルトガルか?……あぁ、もしかしてネーデルラントか?もしそうだったのなら、女王陛下が手助けしたってのに恩知らずな奴だな」

傀儡は答えない。━━━━否、彼らは答えられないのだ。言葉を話すように設計されている者もいるが、生憎彼女の目の前に立つ傀儡たちはそうではなかった。彼らはスメルトを殺すためだけに配置されたようなものだ。言葉なんて話せないし、ナラカが言う「助けて」以外を聞き取ろうとはしないだろう。

「おい……手前、まさかフランスの手先じゃねぇだろうな?」

何も言わない傀儡たちに、ついに彼女の方が業を煮やした。眉を吊り上げながら、彼女は憎々しげに傀儡たちを睨めつける。

「答えねぇってことは、どのみちイングランドに逆らうってことだな?女王陛下を讃えず、俺の問いにも答えず、うんともすんとも言わねぇのなら、“そういうことで”良いってことだよなぁ?」
「…………」
「だったらとっととくたばれよ、この××××野郎!」

人前ではまず口にすることを憚るような言葉を平気で吐き出してから、彼女は傀儡に銃口を向ける。ぱぁん、と鉛玉の弾ける音が響き、傀儡の頭部が悉く四散する。周りにいた傀儡たちの視線が、一斉に彼女へと集まった。

「おいっ、大丈夫か!?」
「き、君は……!」

後方で何者かが傀儡を相手に暴れていることはわかるものの、体を動かせないスメルトは自分に声がかけられるまで状況を把握することが出来なかった。何とかして視線だけを動かしてみると、其処にはアロイスと紫蘭の姿がある。

「なんで、君たちが……」
「話は後だ!とりあえず、“深く息を吸え”、スメルト!傀儡たちの中から少なからず“気”が出てるはずだ、それで金縛りは解ける!」

未だに泣き続けているナラカを放っておくのもどうかと思ったが、体を動かせないのは厄介なのでまずはアロイスの言う通りにしてみる。すると、あれだけ重かったはずの体が一瞬にして軽くなった。試しに腕を回してみたが特に異常はなさそうだ。

「ちょっと気に食わないけど、まあ助かったし感謝するよ。……だから、早くナラカをどうにかして」
「い、いちいち威圧するな!まったく、貴様は元気になったと思えばこれだ……!」

隣でぷんすこと怒るのは紫蘭である。後ろから聞こえてくる傀儡の破壊音を、スメルトはてっきり彼女によるものかと思っていたが、どうやら違うようだ。
……というか、スメルトが何よりも心配しているのはナラカに関してである。早く彼女を楽にしてやらねばならない。急いでナラカのもとに駆け寄ったスメルトだったが、其処には彼よりも先にナラカの顔を覗き込む者がいた。

「……何で君がいるの?」

無言でナラカを見つめていたのは、彼女になついていたよくわからない生き物━━━━餅蜥蜴であった。餅蜥蜴はスメルトにしては珍しい純粋な疑問を受けながらも、それに反応することはなかった。というか、ずっとナラカのことを見つめている。━━━━と思っていた矢先に、餅蜥蜴は口から何か液体のようなものをナラカの顔に吹き掛けた。現と幻の区別がついていないナラカも、これには「ぶっ!?」と反応する他ない。

「ちょっと、何するの!?」
「落ち着けスメルト、それは毒じゃねぇ!」

餅蜥蜴を捕まえてびよーんと伸ばそうとしていたスメルトを、アロイスが間一髪で止めに入った。餅蜥蜴は引っ張られても相変わらずけろっとした顔をしている。この生き物には感情がないのだろうか。スメルトとしては、こうも無反応だとなんとなくやりにくい。何がとは言わないが。
とりあえず、出来ることなら餅蜥蜴をぺらぺらになるまで引き伸ばしてやりたい衝動に駆られたスメルトだったが、ナラカの様子を見てすぐに考えを改めた。気を失ってはいるようだったが、ナラカの呼吸は安定しており、表情も和らいでいる。餅蜥蜴の吐き出した例の液体には催眠効果でもあったのだろうか。どちらにせよナラカが無事ならスメルトはそれで良い。

「よし、ナラカは大丈夫そうだな。スメルト、悪いがナラカのことを運んでやってくれ。俺が退路を確保する。殿は紫蘭とアリックに任せるから、とりあえずお前は俺に着いてこい」
「……え?アリック?」

予想外の人物の名前に、スメルトはその目をぱちぱちと瞬かせる。なんとなく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。スメルトは恐る恐る、傀儡たちとの戦闘が行われているのであろう後方を振り返る。


「『おお主よ、神よ、立ち上がられよ!汝と君の敵を消散せしめたまへ!打ち砕きたまへ!彼らが策を惑はしたまへ!彼らが騙し手を挫きたまへ!我らが望みは汝の上に!神よ我等を救いたまへ!』」


後方で、高らかに歌いながら傀儡に鉛玉を撃ち込み続ける若者。それは紛れもなく、スメルトの知るところのアリックであった。━━━━ただし、いつもの紳士然とした立ち振舞いは皆無である。其処にあるのは傀儡への敵意と、自らの故郷への愛国心だけ。

「アリック!撤退だ!帰るぞ!」
「あぁ!?こいつらまだ残ってるだろうが!サーに怒られたらどーしてくれるんだよぅ、コノヤロー!」
「あぁくそ、これだから酔っぱらいは嫌いなんだ!とにかく行くぞ馬鹿!」
「誰が馬鹿だ手前の方が馬鹿なんじゃねぇのかばぁぁぁぁぁか!!」
「暴れんな!帰るぞ!」

まるで年端もいかない悪童のように暴れるアリックをずるずると引きずる紫蘭も紫蘭である。あの二人に殿を任せて本当に良かったのかと疑問に思いつつ、スメルトはナラカを抱えてアロイスの背中を追いかけた。

9日前 No.333

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

一先ず一行は、王宮で働いていた使用人たちが共同で使っていたらしい部屋へと身を滑り込ませた。アロイスの撤退が素早かったおかげか、残った傀儡たちの目を眩ませることは出来たようだ。

「……それで、君たちは一体何がどうなってそういった惨事に至ったの?」

眠っているナラカに膝枕をしてやりながら、スメルトは何に包むこともなく正直な言葉をぶつけた。もとよりこの男は良くも悪くも素直な性分である。紫蘭は「貴様なぁ……」と呆れていたが、アロイスは慣れているのか特に意に介した様子はなかった。

「まあ、色々あってな。一言で言うのはかなり難しいんだが……」
「おい、其処のでっかいお前。イスパニアか?それともポルトガルか?」
「……餅蜥蜴、アリックにも例の奴吹き掛けてやってくれ」

スメルトを見た瞬間に絡んできたアリックに、アロイスは肩を竦める。スメルトとしてはナラカの友人を名乗るアリックとは対立することも少なくはないので、喧嘩を吹っ掛けられたのならそれはそれで受けて立つつもりでいる。……のだが、アロイスとしては其処まで許容するつもりはなかったようで、餅蜥蜴に仕事を与えた。餅蜥蜴はナラカの胸元からもぞもぞと出てくると、先程ナラカにしたのと同じようにアリックの顔に何か吹き掛ける。若干ナラカにするよりも力強かったような気がするのは気のせいだろうか。

「……きゅう……」

そして吹き掛けられたアリックはというと、真っ赤な顔のまま横向きにばたんと倒れてしまった。これがナラカなら急いで支えてやるところだが、相手はアリックなのでスメルトは放置する。今の彼はナラカの膝枕をするので忙しいのだ。

「……いや支えてやれよ」
「嫌だよ。だってこいつ、勝手にナラカの友人を名乗ってるじゃない。君がどう思うかは知らないけど、少なくとも僕は気に食わないね」
「男の嫉妬は見苦しいぞ?」
「女の君に言われたくないんだけど」

にやにやしながら揶揄ってきた紫蘭をスメルトは一睨みする。自分が嫉妬深いのはスメルトとて一応理解しているつもりではいる。それでも他人からそれを指摘されるのは気分の良いことではない。もしもナラカが指摘してきたのなら素直に改めようとは思うが。……というか、紫蘭はスメルトを何だと思っているのだろうか。この頃やけに馴れ馴れしくなってきた気がする。スメルトからしてみれば鬱陶しいというか、あまりナラカと自分のことに口出しして欲しくはなかった。妙に先輩面しているように見えるのも腹立たしい。紫蘭はスメルトよりも年下だというのに。

「とにかく、説明しないなら其処に倒れてる人の介抱でもしてあげれば?放っておいたらナラカが悲しみそうだし」
「支えなかったのは貴様だろう?というかこいつのこと、心配してやってるのか?」
「別に心配なんかしてないよ。ただ、ナラカと仲良いから少し大目に見てやってるだけ」

ふいっ、とスメルトはそう言ってからそっぽを向いてしまう。その仕草は拗ねていじけている子供のようだった。これは弄りすぎたかもしれない。その場の空気を読み取ったのか、ごほんと咳払いをしてからアロイスは口を開く。

「俺は王宮を探索してたらシュルティラとはぐれて、適当にうろうろ回ってたら其処の二人と合流した感じだ。……尤も、俺がたどり着いた時にはもうアリックがだいぶ出来上がってて、其処ら辺の傀儡相手に大暴れしてたんだけどな」
「私も同じようなものだ。何とか傀儡を捌こうと思っていたらこいつが突っ込んできたんだ。危うく私も殴られそうになったぞ」
「……アリック君は爆発するまで止まらない爆弾なのかなぁ?」

二人の話を聞く限り、共通しているのは“気づいたら何故か酔っ払ったアリックがいきなり突撃してきた”ということだけである。いくらスメルトでもすぐに理解することは出来なかった。そもそもこの二人の言葉からわかるのはアリックが暴走していることだけだ。スメルトからしてみれば嬉しくも何ともない情報である。

「あいつが酔っ払うと面倒なことになるのはわかってたけどよ……。まさかああなるとは誰も思わねぇよな」
「応……。私は強敵との戦いに楽しみを見出だす方だが、あれはとてもではないが敵に回したくはないと思った。下手したら地平線の果てまで追いかけられそうで怖い。そんなことをされたら多分私は金髪の人間が怖くて仕方なくなるだろう……」
「……君たちの思いはわかったからさ。とりあえず、この王宮で今起こってることについて教えてくれる?」

このまま話していても埒が空かない。そう思ったスメルトは珍しく先を急かした。基本的にナラカ以外のことに興味関心のない男なので、当たり前と言えば当たり前なのだが。

「見ての通り、この王宮に残っていた人間はほとんどが傀儡にされてるみたいだな。どんな方法で、って聞かれたらさすがに俺も答えられねぇが、シュルティラはさっき王宮から溢れ出てた“気”と何か関係があるんじゃねぇのかって言ってたぜ」
「へぇ、シュルティラって喋れるんだね。ちょっと意外だなぁ」
「まあな。俺も驚いたよ。あいつは口が利けないものだと思ってたからな。とりあえず意志疎通は出来るし、シュルティラの奴、意外と常識あるから話してて苦にはならないぜ」
「……もしかして、シュルティラって僕よりもまとも?」
「まともだな」

即答したアロイスに、スメルトはそっかぁ、とだけ返した。スメルトとて、自分がまともでない自覚はある。何せ羅刹と人間の混血として忌み嫌われて、スメルト自身も生きているものを嫌って、今まで幾多の生き物を殺めてきたのだから。それでも、なんとなく“輪廻の忌み子”と呼ばれるシュルティラには到底及ばないと、心の何処かでは思っていたのだ。だから、シュルティラがナラカを連れていこうとした時には何よりも警戒した。まさか取って食う気ではあるまいか、と。

(シュルティラが、まともかぁ)

自分がまともではないことはもとからわかっていたから、比べられた点については特にこれといった感慨はなかった。だが、シュルティラがある程度まともな人間だったと聞いて、スメルトは少しではあるが安心した。まともではない人間がナラカと接していたなんて、考えるだけでも殺意が沸き上がってくる。スメルトの心配だとか懸念は、全て殺意に変換されるので厄介なことこの上ない。

「俺たちから言えるのは此処までだな。大体のことはアリックが知ってそうだが……こいつ、しばらく起きそうにねぇもんなぁ……」
「起こすか?」
「いや、もう少し寝かせとけ。あんだけ暴れてたんだ、多少なりとも疲れてるんだろうよ」
「うーん、じゃあナラカが起きたら起こそう?話をするなら皆で聞いた方が効率的だし」

膝枕しているナラカの頭をよしよしと撫でながら、スメルトはそう提案する。皆、と言ってはいるが何よりも優先されているのは案の定ナラカだ。それはアロイスもわかっていることだったが、特に反論すべきこともないので、此処はスメルトの提案にうなずいておくことにした。

8日前 No.334

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

7日前 No.335

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

6日前 No.336

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

地下牢の中は不気味なくらい静かだった。かつん、かつん、とアリックとキラナの靴音が虚しく響くのみだ。途中で牢屋の中を覗いてみるなどしてみたが、どれも中はもぬけの殻だった。

「王宮の方々だけでなく、囚人の方々も行方不明ですか……」

がらんとした牢屋を一瞥してから、アリックは物憂げに溜め息を吐く。その横顔をちらちら盗み見ながら、キラナはアリックに付いてきていた。アリックよりも幾分か背の低い彼女は、やや早足にならないと距離が生まれてしまうようだ。勿論、アリックはキラナに出来るだけ歩幅を合わせて歩いている。

「こ、これって……さすがにアドルファスまでいない、なんてことはないわよね……?」
「それは進んでみなければわからないことでしょう。今の私たちに出来るのは、アドルファス殿がいらっしゃることを信じるのみです」
「そ……そうよね……」

不安げなキラナを供にしながらも、アリックは冷静に地下牢を進んでいった。途中で傀儡にでも鉢合わせしたらどうしたものかと思ったが、不思議なことに誰ともすれ違うことはなく奥まで進むことが出来た。これを奇跡と言って喜ぶべきなのか、それとも何か仕掛けられているのではないかと疑ってかかるべきか。アリックが選んだのは後者だった。慎重に牢屋の中をひとつひとつ確認しつつ、キラナの様子にも注意を向けておく。もしも彼女に何かあったら一堪りもない。

「……此処は……」

そうこうしているうちに、二人は一際大きな牢屋の前までたどり着いた。此処がアドルファスの入れられている牢屋ということで間違いないだろう。何かあってはいけないので、アリックはキラナを背中に守るようにしながら、牢屋の中の様子を窺う。

「……!?君は……!」
「あ、アドルファス殿……!」
「嘘、本当にいた……!」

またもぬけの殻だったらどうしようかと思っていたアリックだったが、幸運なことに牢屋の中にアドルファスはいた。以前に比べるとやはり痩せ細り、顔色もよろしくはないが、ある程度動いて話すことは出来そうだ。

「アドルファス殿、私は宮廷薬師のもとで働かせていただいているアリックという者です。今回の騒動に際しまして、貴殿を救出しに参りました」
「宮廷薬師……小鈴君……いや、アロイス君のところか。わざわざすまないな」
「どうか頭を上げてください。私がアドルファス殿を助けたいだけなのです。少々お待ちください、今この閂をどうにかしますから」

申し訳なさそうに頭を下げようとするアドルファスを宥めてから、アリックは閂を何とかして破壊出来ないか手に取ってみる。金で出来てはいるが、所々錆び付いた閂だ。見るからに年季が入っている。

「ど、どうにかするって言っても……。それ、たしか何かの術がかけられているんじゃなかったかしら。ほら、新制度になってから、補佐官が無駄に色々刷新してたじゃない……」
「……認めたくはないが、そうだな。その閂にはルードゥスの結界に近いものが纏わせられている。五大でも打ち砕くことは……」

アドルファスがそう言い終わる前に、アリックは動いていた。自身の武器でもある鉄砲の銃口を閂に押し当てたのだ。そしてそのまま、躊躇うことなく引き金を引く。ぱぁん、と乾いた銃声が地下牢に響き渡った。

「なんだ、ちゃんと壊れるじゃないですか」

壊れた閂を見て微笑んでから、アリックはさらりと牢屋の中に入った。また閉まってはいけないからと、アリックは扉にもたれ掛かって自分の背で押さえておく。それを見たキラナは、恐る恐るといった様子でアリックに続いて入ってきた。

「アドルファス殿、このような場所にいてはお腹も空かれるでしょう。私、軽食ではありますが食べ物を持ってきたのです。よろしければいかがですか」
「……気遣い、痛み入る。どれ、それでは甘えさせてもらおうか……」

表情をぴくりとも変えずにアリックの取り出したものに手を伸ばそう━━━━としたアドルファスだったが、その手はどういう訳かぴたりと止まった。キラナも思わず「ひっ」とか細い悲鳴を上げる。

「…………アリック君。その……不躾な問いだとはわかっているんだが……。━━━━一体何だね、それは」

アドルファスが指差したもの。それはアリックの持ってきた“食べ物”に他ならなかった。━━━━いや、そもそもそれは食べ物として扱えるのだろうか。アリックは何食わぬ顔でそれを“食べ物”と称したが、アドルファスやキラナには到底そうとは思えなかった。何せ黒い。全体的に黒すぎる。焦げているというにはあまりにも黒すぎて、もとからそういった色合いだったのではないかと思わせるくらいの代物だ。かろうじて周りはまだ原色を留めていたので、一応パイ……のようなものであることは二人にもわかった。これをパイと呼んで本当のパイを侮辱することにはならないか、という不安もあったが。

「あっ、これですか?これは私の故郷でよく食べられているパイです。普通はお魚を使うんですけど、何分シャルヴァでは手に入れることが出来なくて……。お肉などで代用してみたのですが、可笑しかったでしょうか……?」
「あ、いや、そういった問題ではなくてだね。その……パイは、君が作ったのかな?」
「はい。昔食べたものを、見よう見まねで作ってみたんです。少し失敗してしまいましたが、ちゃんと火は通しましたから、傷んではいないと思います。ご安心を」
「……安心……?」

思わずキラナが反芻してしまったのも無理はない。アリックの作ったというパイ……らしきものは、安心なんて言葉とは程遠い見た目をしていた。要するに真っ黒である。キラナからしてみればこんな色の食べ物に安心出来て堪るか、といったところだろう。かつては王族として良いものばかりを口にし、ティヴェラの離宮に入ってからも宮廷薬師の作る美味しい料理を食べてきた人間が、この真っ黒焦げのパイに安心出来る訳がなかった。ちなみに小鈴が亡くなってからは、アロイスが離宮の住人の食事を作っていた。小鈴程細やかではないが、素朴で味わい深い彼の料理はキラナも嫌いではない。
さて、アリックからとんでもない代物を勧められたアドルファスはというと、何かを悟ったような表情をしてそれを見つめていた。そして、その顔のままアリックに向き直る。

「……気持ちはとてもありがたいが、いきなり固形物を腹に入れるのは良くないだろう。後程いただくことにするよ」
「なるほど、言われてみればたしかにそうですね。では、食事は何か飲み物を手に入れてからにしましょうか」
「……あぁ、その方が助かる」

さすがにアドルファスも、厚意で作ってくれたものを無下に断ることは出来なかったようだ。恐らくアドルファスは飲み物を探すつもりはないだろう。見つかればきっとアリックがパイを差し出してくるに違いない。

「……と、とりあえず、よ。今の王宮はかなり可笑しいことになってる。これって、一体どういうことなの?」

早くパイの話から離れたいのか、目線を泳がせながらキラナがそう尋ねた。きっとこれはアドルファスに向けられたものなのだろう。さすが元王女と言うべきか、良いことなのか悪いことなのかはさておき宰相に対しても態度が全く崩れない。
幸いアドルファスの方は細かいことは気にしないようで、キラナを咎め立てるようなことはしなかった。ふむ、と顎に手を遣って、何やら考える仕草を見せる。

「恐らく……いや、これは十中八九ルードゥスと陛下の仕業であろうな」
「陛下……って、この国の王が……ですか?」
「ああ。そうだ」
「それって、だ、大丈夫なの……!?あ、あたしたち、まさか、何か大変な陰謀に巻き込まれたって訳……!?」

キラナが慌てる気持ちもわからなくはない。アリックだって彼女程ではないにしろ戸惑っている。これまで憶測として、この騒動にクルーファが関わっているのではないかと考えることは出来たが、はっきりと口にされるのはこれが初めてなのである。しかも相手はティヴェラの宰相だ。その言葉の重みといったら、到底言葉では言い表せない。

「……国王陛下は、何をお考えなのでしょうね」
「それは私も預かり知らぬところだ。知っていたらこのように投獄される前に何かしらの手を打っていた。それに……あの陛下は、“陛下であって陛下でない”」
「……?それは、どういう……」

どういう意味なのですか、とアリックが問いかけようとしたところで、遠くの方から足音のようなものが聞こえてきた。地下牢は一本道だから、音だけは離れていてもよく聞こえるのだ。

「……どうやら此処で話している暇はなさそうだな。一度外に出よう」
「で、でも、そしたら木偶人形に突っ込んでいくことになるんじゃ……!?」
「その点についてはご心配なく。私の方で道を作ります」

アリックがキラナを宥めている最中、アドルファスはアリックの作ったパイに指を突っ込むとその指を何やら壁に擦り付けていた。真っ黒なパイは墨のようだ。

「……急ごう。恐らく陛下やルードゥスの為そうとしていることはティヴェラに大きな影響を及ぼすことになる。裏切り者の汚名を着ることとなろうとも、必ず阻止しなければなるまい」

一通りの作業を終えてから、アドルファスは躊躇う様子もなく歩き出す。彼としては、のんびりしてはいられないようだ。びくびくとしているキラナの手を引いて、アリックもアドルファスの後を追いかけた。

5日前 No.337

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

案の定、地下牢の出口では傀儡たちが待ち伏せしていた。先に歩いていたアドルファスが止まり、アリックに目配せをしてくる。かなりの数だ、とその目は言っていた。

(ざっと見て10……いや、20はいるか)

戦争において動員される兵士に比べたら可愛いものではないか、と言われるかもしれないが、海賊として幼少期を過ごしてきたアリックからしてみれば、あの数は全然可愛くなんかない。むしろ面倒だ。アドルファスは見ての通り身一つだし、キラナも戦闘が出来るようには思えない。詰まるところ、戦闘要員はアリック一人だけになりそうだった。

「……アリック君。キラナ殿は私に任せて、君は戦闘に集中してくれ。全て倒す必要はない。血路を拓くことが出来るのならそれだけで良い」
「……わかりました」

アドルファスの指示にこくりとうなずいてからアリックは己が得物の鉄砲を構える。予備の弾薬ならまだまだある。ライオ・デ・ソル商会から幾つかくすねてきたのだ。フィオレッロからは何も言われなかったので、気づかれていないか見逃されているかのどちらかだろう。とにかくこの場を切り抜けられるだけの準備はしてある。

「……行きます!」

だん、とアリックの足が床を蹴る。そのまま彼女は傀儡の中へと突っ込んでいった。まずは一体、アリックの鉄砲が火を吹いて仕留める。そしてアリックに気づいて襲い掛かってきたもう一体は、鉄砲そのもので殴り付けられて頭部を破壊された。

「アドルファス殿!」

今です、とアリックはアドルファスに呼び掛ける。その機を逃す程アドルファスもどんくさくはなかった。わたわたと慌てるキラナを、流れるような手付きで抱き上げる。

「なっ、ななな……!?」
「失礼、姫君。ご容赦を」

今まで異性に抱き上げられたことなんてないのだろう。顔を真っ赤にして手足をじたばたさせるキラナに無表情でそう告げてから、アドルファスは傀儡の間を駆け抜ける。キラナは今にも口から魂が飛び出てしまいそうな表情をしていた。そりゃあ、異性に抱き上げられただけでなく、そのまま全力疾走されれば初な女性としては堪ったものではないだろう。それでも今は致し方のないことなのだ。
アドルファスが無事に通り抜けたのを確認してから、アリックは近くに寄ってきた傀儡を撃ち抜いて、彼の後を追いかける。どうせなら出来るだけ傀儡を倒しておきたいが、今はアドルファスとキラナの身の安全を優先せねばならないのでこのくらいに止めておく。貴重な弾薬を無駄遣いするのは得策ではない。

(それにしても、この傀儡は一体何処から湧いてくるのだろうか)

次々に現れる傀儡、そして忽然と消えた王宮の者たち。このふたつの条件から、アリックの脳裏を嫌な予感が掠めた。だが真相がまだわからない以上、憶測だけでものを考えるのはよろしくない。アリックは頭を横に振って嫌な考えを一旦脳内から排除する。一先ず、今はアドルファスに合流しなければならない。
追いかけてくる傀儡を振り切り、地下牢の一本道をアリックは駆ける。きっとアドルファスは外にいるはずだ。そう信じて、アリックはただひたすらに足を動かした。

「━━━━アリック君!伏せなさい!」
「……っ!?」

そんな矢先に、外からアドルファスの叫ぶ声が聞こえてくる。アリックはその声を聞くや否や素早く床に伏せた。━━━━のとほぼ同時に、彼女の頭上を一条の光の筋のようなものが通り抜ける。

「な……!?」

何だあれは、とアリックが驚いたのも無理はなかった。その光の筋は追いかけてきていた傀儡たちにぶつかるとそのまま爆発したのだ。アリックを追いかけていた傀儡たちはこれで全滅したことになる。

「……無事か、アリック君?」

暫しの後、扉の影からひょこりとアドルファスとキラナが顔を出した。アリックは二人のもとに駆け寄ると、彼らに怪我がないことを確認してまずは一安心する。

「私は無事です。お二人もお怪我のないようで何よりです。……して、先程の一撃は……?」
「あぁ、あれはキラナ殿だ」
「キラナ殿が!?」

てっきりアドルファスによる助太刀かと思っていたアリックは、彼女にしては珍しく大きな声を出してしまう。恥ずかしがるかのように顔を伏せたキラナに代わって、アドルファスが説明をしてくれた。

「キラナ殿とてアーカムの王族だ。五大を使いこなすことくらいは出来るだろう」
「そ……そうだったのですね……」
「……何よ、あたしが五大使えちゃまずいことでもあるの?」

じとり、とキラナが半目でアリックのことを睨み付ける。口が裂けても彼女が戦えると思っていなかった……などとは言えない。あの光で射抜かれたらさすがにアリックでも生き残れないだろう。アリックは五大の恩恵などひとつも受けていないのだから。

「いいえ、何も悪いことはございません。このような状況では、戦えること以上に命綱となることはない。ですから、どうか胸をお張りなさい、キラナ殿」
「はっ、はひ……」

無自覚とは本当に恐ろしいものだ。アリックから紳士の微笑みを向けられたキラナは、恋する乙女のような表情で頬を染めていた。勿論アリックに“そのつもり”はない。たったひとつの微笑みだけで、此処まで他人の心が動くのだ。美形とはつくづく厄介である。

「……二人とも、話し込むのは構わないが、まずは移動しないかね?アリック君の連れも先を急ぎたいようだからな」

そんな二人を見かねてか、アドルファスがこほん、と咳払いをする。見てみると、アリックの衣嚢の中にいたはずの餅蜥蜴がいつの間にか肩に移動してきていた。ぺしぺし、と尻尾を当ててきているところからして、早く進めとでも言いたいようだった。
アドルファスの意見にアリックもキラナも反対しなかったので、三人は場所を移動することにした。ずっと長居していてまた傀儡に追いかけられるのは御免だ。アリックとて無駄な戦闘は避けておきたい。

「……そういえば、アドルファス殿。先程おっしゃっていたこととは、一体どういう意味なのですか?」

やや無粋な気もしたが、アリックは歩きながらアドルファスに尋ねる。キラナを下ろして身軽になった彼は、少し眉根を動かしこそしたものの特に気にする様子はなかった。

「……陛下のことか?」
「はい。私は国王陛下のことをあまり存じ上げません。国王陛下に、何かあったのですか」

国王であるクルーファのことを、アドルファスは陛下であって陛下でないと口にした。それは一体どういう意味なのか。クルーファは何を以て、この騒動に及んだのか。そして、消えた王宮の人間たちは何処に行ってしまったのか。知りたいことは山程あった。キラナも気になっているのか、無言で聞き耳を立てていた。
アドルファスは一度辺りを見回してから、ふぅと息を吐いた。そして、重々しく口を開く。

「……国王陛下は、三年前にお亡くなりになられた」

その言葉は、短いながらもあまりにも衝撃的なものだった。その証拠に、アリックもキラナも分かりやすく絶句している。それでもアドルファスは口をつぐむことはなかった。

「今の国王陛下は、クルーファという男ではない。クルーファと名乗っているだけの別人だ」
「そ……それなら……今国王を名乗ってるのは、一体誰なのよ……?」

恐る恐る、といった様子でキラナがアドルファスに問いかける。それはアリックも知りたいところであった。クルーファを名乗る別人とは、一体何者なのか。アドルファスがこれまで口に出来なかった程のことなのだ。アリックとしても放ってはおけないし、下手したらティヴェラの未来にも関わる。部外者であることは重々承知の上だが、アリックはこの一件を何とかしなくてはと考えていた。

「……信じてもらえるかはわからないが……。今の、国王陛下は━━━━」

アドルファスが言葉を紡ぎ出そうとしたちょうどその瞬間に、“それ”は飛んで来た。いくらアドルファスでも“それ”に気づかないという訳にはいかず、キラナを庇いながらさっと避ける。そして、ころころと地面を転がる“それ”を一瞥してから、アドルファスはある方向をきつく睨み付けた。

「……相変わらず悪趣味だな。それが一国の姫君に向ける態度か」
「くく……貴様は何時でもお堅いな。その鉄面皮、剥がしたくて堪らんよ」

アリックも、そしてキラナもその声の主を目にした瞬間体を強張らせる。予想は出来ていた。だが、やはりいざ相対すると緊張に襲われる。そんな一行を舐めるかのように見つめながら、その男━━━━ルードゥスは、淫靡な美貌に笑みを浮かべた。

4日前 No.338

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

3日前 No.339

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

アドルファスは分かりやすく焦っていた。それは人の顔色など此処数年ほとんど窺っていないキラナにもわかる程であった。いつも顔色を変えない彼は、この時凄まじい量の汗を流し、歯の根をがちがちと言わせてひたすらにアリックを凝視していた。明らかに尋常ではない。
対するアリックはというと、ルードゥスが離れてもぼんやりと虚空を見つめていた。その目の焦点は定まっていない。ぽつぽつと、譫言のように時折何かを呟いている。そんなアリックの様子を見ながら、ルードゥスは至極愉しそうに目を細める。

「くく、母の幻影を見ているのか。物心つく前に母親を亡くすとは、哀れな奴だな。貴様もそうは思わんか?アドルファス」
「……黙れ。何故あの子を標的とした」
「おぉ、そのような目で俺を見るなよアドルファス。何故か、だと?そんなもの、貴様の心を折るために決まっている」

地に伏せるしかないアドルファスを、ルードゥスは嘲り笑いながら見下ろした。アドルファスからしてみれば屈辱極まりないことだろう。それでも怒りを露にしないのは、彼なりの矜持からだろうか。

「あれは死者の幻影を見ている。親しき者、自らが手にかけた者……まあ、死者であれば必ず出てくることだろうよ」
「…………」
「おっと、そう睨むな。幻影から逃れる方法ならなくもないぞ。簡単なことだ、一度でも“正気を失えば良い”。そうすれば、あの幻影は追ってこなくなる」

詰まるところ、あの幻影から逃れられる方法はないに等しかった。つくづくルードゥスは悪趣味だ、とアドルファスは思う。出来ることならこの補佐官を一発殴り付けてやりたいが、アドルファスの体は動いてくれない。そうこうしているうちにも、アリックは追い詰められてしまう。アドルファスの焦燥感は加速する一方だった。

(せめて……せめて姫君だけでも、逃がすことが出来れば……!)

ちら、とアドルファスはキラナの様子を盗み見る。キラナはアドルファスの後ろで、顔を真っ青にさせながらうつ伏せに倒れていた。何とか顔だけは上げているが、それでも辛いのであろう。額には脂汗が滲み、瞳からは今にも涙が溢れ落ちそうだった。

「さて、泣き出すならそろそろか?アドルファス、貴様もよく見ておくと良い。これが無様に泣きわめき、許しを乞う姿をな」
「貴様……!」
「くく、これの心が折れるのが先か、貴様の心が折れるのが先か。見ものよなぁ、アドルファス?」

アドルファスが射抜かんばかりの視線を送っても、ルードゥスは気にする様子もなくくつくつと笑うだけだった。アリックの唇がおもむろに開かれる。其処から紡がれる言葉を、アドルファスは聞きたくなかった。だが、耳を塞ぐことは出来ない。目を瞑ることも出来ない。体は思い通りに動いてくれず、ただただアリックの姿を目に映すしか、彼には出来なかった。

「……そうですね」

ゆっくりと、アリックの口が動いた。しかしその口振りは、思っていたよりも随分と落ち着いている。ルードゥスの眉がぴくりと動いた。

「私には、たしかにせねばならぬことがあります。それを放り出して、祖国を飛び出してきたことは事実です」

アリックは語る。訥々と、アドルファスには見えない何か━━━━恐らく、彼女が産まれてすぐに死んでしまった母親の幻影に向かって。だがアリックは泣こうとはしない。取り乱すこともない。先程までと同じような口調で、彼女は話している。

「ですが母上━━━━いいえ、母上を騙る影法師よ。あなたは何もわかっていない。私のことを、何も知らない。だから、そのような甘ったれたことが言えるのです」
「……」

ルードゥスの表情は段々と曇っていく。それだけ、アリックの反応は芳しくないものなのだろう。アリックの心が折れた様子はない。というか、むしろより確固たるものになりつつある気さえする。アリックは焦点の定まっていない目のまま、虚空に向かって話し続ける。

「たしかに私は過去に人を殺しました。伴侶を見つけることもせず、この18年間生きてきました。そして、無謀なことだとわかっていながら育ての親であるサーのもとを飛び出して、この地底王国━━━━シャルヴァまでやって来ました。それはきっと、あなたからしてみれば愚かな行いに見えるのでしょう。ですが、私の行動は決して向こう見ずなものではありません」

地に伏せたアリックは立ち上がろうとする。体は上手く動かないはずなのに、未だに幻影を見ているはずなのに、それでも立ち上がろうとしている。まるで、見えない誰かに何かを告げるかのように。

「殺したのはイスパニアやポルトガルの人間です。彼らはイングランドの邪魔をしようとしましたから。彼らをのさばらせておけば、イングランドには多かれ少なかれ弊害が出たことでしょう。伴侶を得ようとしなかったのは、結婚などすれば私の成し遂げたいことが遠ざかると判断した上でのこと。今しなければ一生出来ないという訳ではないのです。そう急くことでもないと思います。━━━━最後に、私は父上を捜すためにシャルヴァを訪れた。これは、私が何としてでも成し遂げたかったことです。このまま、何も知らないまま生きているよりは、多少危険を冒しても父上について知りたかった。それは、嘆かわしい愚行でしょうか?」

澱みなく、高らかに、アリックは告げる。その翡翠色の瞳はこの場にいる誰に向けられたものでもない。それでも、少なくともアドルファスは、アリックの言葉が何処か自分たちに向けられているように思えてならなかった。

「私は父上が好きです。母上のことも、大切に思っています。ですが、だからと言って母上の姿を取るのは早計でしたね。私は母上の姿なんて知らないのです。肖像画で見ただけの女性や日落ちの国の破落戸に責められたところで、残念ながら何とも思いませんよ」

にぃ、とアリックの口角がつり上がる。それと同時に、彼女の顔はたしかにルードゥスの方を向いた。見えていないはずだ。彼女の視界は幻影に支配されているはずだ。それでもアリックはルードゥスを見た。そして笑った。


「私は、イングランドを愛している」


しん、とその場が静まり返る。きっとルードゥスや、アリックの事情を知らないキラナは何を言っているんだこいつは、と思ったことであろう。

「愛しき故郷。私の全て。あのブリテンの地を再び踏み締めることこそ私の喜び。再びかの地に降り注ぐ雨が私を打つのなら、女王陛下の御威光が再び見られたのなら、私にとってそれ以上の幸福はありません」

アリックの表情は幸福感に満ちていた。きっと彼女は本当に祖国を愛しているのだろう。イングランドという国を知らない者も、アリックの顔つきからそう読み取ることが出来た。それくらいに彼女は分かりやすかったのだ。
穏やかな微笑みは其処にはない。紳士も淑女も其処にはいない。それでもアリックは笑っている。彼女の目指す姿とは大きく異なる顔つきでルードゥスを見つめている。


「私の心を折りたいのなら、イングランドを殺してからでないと無理ですよ、馬鹿」


アリックの口調は柔らかである。だからこそ、その表情はあまりにもおぞましかった。全てを嘲り笑うかのような笑み。微笑の枠を越えてつり上がった口角。品などなく、善意も皆無、獲物を狙う獅子のような目をした彼女は、劣勢に立たされていながらも酷く堂々としていた。

「……っ、何だ貴様は……!?意味のわからないことを並べ立ておって……!」

ルードゥスの方は完全に不機嫌になってしまったようで、妖艶な美貌を歪めてアリックを憎々しげに睥睨する。そのまま腕を振れば、すぐにでも彼を取り巻く傀儡たちがアリックを襲うことだろう。いくらアリックが立ち向かおうとしていたって、形勢は未だルードゥスが有利なことに他ならないのだから━━━━。


「━━━━“アリシア”!」


しかし、思わぬところからアリックに救援が入った。決死の力を振り絞ったのか、アドルファスがアリックの方に何かを転がしてきたのだ。アリックは何とか足でそれを踏みつけて自分のところに留め置く。見てみれば、それは中に何やら液体の入った、紐で結びつけられた小さな二つの小瓶だった。ひとつには何も書いていないが、もうひとつの小瓶には何やら絵のようなものが描かれている。

「アドルファス殿……!?」
「絵のない方の液体を飲みなさい、早く!」

アドルファスに促されるまま、アリックは小瓶のひとつの蓋を開ける。この液体が一体何なのかはわからない。だが、匂いを嗅いでみた限り知らないものではなさそうだ。━━━━故に、アリックは小瓶の中身を一思いに飲み干した。
━━━━瞬間、アリックの視界がぐらりと揺れる。そのまま、アリックはばたんとその場に倒れてしまう。そして、倒れたっきりぴくりとも動かなかった。

「……く。くく、アドルファス。貴様、なかなかに面白いことをしてくれたな」

ルードゥスの顔に笑みが甦る。心底可笑しくて堪らないとでも言うように、ルードゥスは片手で自らの顔を覆った。さも愉快そうにくつくつ忍び笑いするルードゥスに、アドルファスも笑顔で返す。

「うむ。貴様には感謝している。したくはなかったがな、ルードゥス」
「くく、そうだろう?ようやっと従順になったな、アドルファスよ」
「ふふ、そうだな。━━━━本当に、感謝しているよ。貴様の口の軽さにな」

何、とルードゥスが振り返る前に、彼女は立ち上がっていた。そしてそのままルードゥスに銃口を向けて、躊躇いなく引き金を引く。その場には銃声が轟き、ルードゥスの盾となって間に飛び込んだ一体の傀儡が動かなくなった。

「……アドルファス、貴様」
「“正気を失えば良い”と言ったのは貴様だろうルードゥス。私を恨むのはお門違いというものだ」
「だからと言って……あれに“消毒薬を飲ませて酔わせる”とは、一体どういった了見だ?俺に反旗を翻したようなものではないか」
「先に動いたのは貴様だろう?」

ざっ、と動いた傀儡たちによって、アドルファスは取り押さえられる。だが彼の表情に後悔はない。むしろ晴れ晴れとした顔をしていた。

「…………うぃ、ひっく。あぁ?なんだぁ、こいつら……?何処の国が攻めてきたんだ……?イスパニアか……?ポルトガルか……?」

顔を真っ赤にしながら、呂律の回らない舌でアリックはふらふらしている。しかし其処に頼りなさはなく、むしろ視界に入った人物を全て攻撃しそうな雰囲気を身に纏っていた。……詰まるところ、悪酔いしているのである。

「“アリシア”、一旦外に出なさい!其処で、皆が待っている!」
「ひっく……皆……?サーも、いるのか……?」
「おい、喚くなアドルファス。余計なことをしてくれおって……。……連れていけ」

ルードゥスが分かりやすく不機嫌なのは単にアリックの幻影を解いたというだけではない。アリックが解放された際にルードゥスの気が逸れたのか、キラナがいつの間にかいなくなっていたのだ。アリックの拘束を解かれただけでなくキラナを取り逃がしたとなれば、ルードゥスとしては全く面白味のない展開だろう。

「急げアリシア!とにかく走りなさい、これも女王陛下の御為だ!」
「女王……陛下、の?そ、それなら……今は、撤退しといてやるよ。ひっく。イングランドは偉大だからな」

此処が何処だかもわからないのか、ぼんやりとした表情のままアリックは走り去っていく。その後ろ姿を、アドルファスは何処か満ち足りたような表情で眺めていた。

2日前 No.340

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

【第61幕:禁断へと誘う嘲笑を背に】


「……そういった訳で、私は気づいたら此処にいたのです」

一通り話し終わったアリックは、溜め息を吐いてそう締め括った。これは当然のことだが、アリックが話したのはあくまでも彼女の記憶がある部分だけである。そのため、ナラカたちが聞いたのは彼女がイングランドへの愛を叫んで記憶を失ったところまでだ。とりあえず愛国心ってすごいなぁ、とナラカは他人事のようにぼんやり思った。

「うん……とにもかくにも、貴様は相変わらずで安心したぞ……」
「な、何ですかその目は。どうして気まずそうな顔をするのですか」

そっと目線を逸らす紫蘭に、アリックはずいと詰め寄る。紫蘭が目を逸らしたくなる気持ちはナラカだけでなく、この場にいるアリック以外の全員が共感出来ることであろう。それくらいアリックの酔っぱらいぶりというか、暴れようは凄まじかったのだ。笑いながら近くに置いてある花瓶をぶつける、倒れた傀儡の脚をゴキゴキ言わせながら舵に見立てて「面舵いっぱ〜い!」と叫ぶ、挙げ句の果てには歌いながら発砲してひたすらイングランド万歳と繰り返すなどの奇行に走った彼女を相手に笑っていられる精神力は誰も持ち合わせていないだろう。さすがにあれを見せつけられては皆一様に口を閉ざす他なかった。

「と、とりあえず、だ。アリック、お前の持たされた小瓶って、結局何が入ってたんだ?」

何とも言えない空気になってしまったのを打破するかのように、半ば無理矢理にアロイスが割って入る。たしかにそれはナラカも気になる。餅蜥蜴から吹き掛けられたものが何なのか、知らないままでいるのはなんとなく怖い。……ちなみに餅蜥蜴から何かを吹き掛けられたということはスメルトから聞いた。こんな状況じゃなかったら引き伸ばしてた、と笑顔で言う彼に何と言えば良いのかわからなかったが、今は置いておくことにしよう。

「……その、お恥ずかしい話なのですが……。私が最初に飲み下したのは、酒だったようです」
「……あー……」

恥ずかしそうに語るアリックを前に、ナラカはなんとなく全てを理解してしまった。アロイスも何処か悟ったような表情をしている。特にアロイスさやっぱりか、という思いもなくはなかったようだ。

(アリックさん、酒乱の気があるもんなぁ……)

アリックの性別がわかったのも彼女が酔っぱらってナラカに泣き付いてきたことが原因だし、それ以降アリックは特に酒を勧められても飲もうとする様子はなかった。彼女なりに気にしていたのだろう。今回は結果的に助かったのでまだ良い……ということになるのかもしれないが、大暴れしたことに変わりはない。むしろ新たな伝説を残してしまった。

「恐らく、アドルファス殿は消毒液として持っていらっしゃったのでしょう。いくら罪人と言えども、地位のある方だったのなら消毒液を持っていても可笑しくはありません」
「ま、まあ、そうだな。それで、もうひとつの小瓶の中身は何だったんだ?」
「それが……わからないのです。この子が口に含みましたし、吹き掛けられた私や……ナラカ殿も無事なので、一応毒でないことはわかるのですが……」

もうひとつの小瓶についてアロイスから尋ねられると、アリックはしゅんと肩を落とした。件の小瓶の中身は既に空っぽだ。……というのも、ナラカとアリックのために使ったからなのだろう。これに関してはナラカも文句を言えるような立場ではないことはわかっていた。

「まあ、わからないことを聞いても仕方ないからな。まずは今後の行動方針について話さないか?酔っぱらっていた奴の話にも限界があるだろう」

ごほん、と咳払いをしてからそう切り出したのは紫蘭だった。さりげなくアリックを煽っている辺り、やはりこの二人は犬猿の仲と言うべきなのだろう。慣れてきたナラカとしては野良猫の喧嘩くらいに思えてくる。野良猫程可愛らしいものではないのだが。

「いちばんの課題は何と言っても宰相殿だな。アリック、貴様は宰相殿をあの場に置いてきたのだろう?」
「……はい。その辺りに関しましては、とんと記憶がなく……。しかし、私もアドルファス殿を捜さねばならないと思います。あの方には、数え切れないくらい助けられてきましたから」

ぎゅっ、と胸元を握りしめながらアリックは紫蘭の意見に同調する。それだけアドルファスに恩義を感じているのだろう。二人の間に何があったのか、ナラカは正確には知らないが、少なくともアドルファスがアリックの命の恩人であるということは先程の話で把握していた。出来ることなら、ナラカもアドルファスをどうにかして助けたい。

「けどよ、キラナ殿の方はどうするんだ?アリックの話だと、頃合いを見計らって逃げたらしいが……。一人にしておいて良い方でもないだろう」
「たしかに……この状況では、狙われかねませんもんね……」

アロイスが提示したのは、アリックたちと行動を共にしていたキラナについてだった。キラナが五大の恩恵で戦える、というのは意外だったが、何にせよ一人にしておいて危なっかしい人間であることは確かだ。何度か彼女と接したナラカも其処には自信を持ってうなずける。あのルードゥスに狙われでもしたら、それこそキラナにとっては地獄だろう。

「では、キラナ殿を捜索する者とアドルファス殿を捜索する者で分かれてはどうだ?幸い此方には五人もいるし、手分けをした方が効率的だろう」
「おっ、そうだな。俺もそれで良いと思うぜ」

キラナの意見に反対する声は出なかった。アドルファスの捜索と同じようにキラナの捜索も重要だし、彼女を放っておいてはいけないと皆判断したのだろう。━━━━スメルトに至ってはナラカの意見に同調するだけなので、内心ではどう思っているのかわからないが。

「して……どのように分かれるのですか?私は一刻も早くアドルファス殿のもとに向かいたいのですが……」
「わかったわかった、じゃあアリック、お前は宰相殿な。だったら俺はキラナ殿の方に行く。一応顔を合わせたことはあるから、それほど警戒はされねぇだろ」
「ほほう、ならば私はアロイスに付いていくことにしよう。其処の酔っぱらいの世話は私には不向きのようだからな」
「……君、さりげなく面倒事をナラカに押し付けようとしてない?」

自然とナラカがアドルファスの捜索に分けられそうになっていることに対してスメルトが待ったをかける。先程ナラカを救いたくても救えなかったのが尾を引いているのだろうか。ナラカが目を覚ましてからもずっとくっついている。其処までしなくても、とは思うが、心配をかけたのは事実なのでナラカも特に引き剥がすような真似はしなかった。というかしたくても出来ない。

「私はアリックさんとごいっしょでも構いませんよ。アドルファス殿にはお世話になっていますし、無実の罪で拘束されているのも納得がいきませんから」
「ナラカがそう言うのなら僕も付いていくよ。何処ぞの酔っぱらいが粗相でもしたらいけないからね」
「いっ、いちいち私のことを酔っぱらい扱いするのはおやめください。私だって不可抗力だったんです。……ともかく、これで行き先は決まりましたね。各々、気を付けて参りましょう」

なんとなくアリックの扱いが酔っぱらいで決まりつつあるような気がしてならないが、何はともあれこれからの方針は決定した。アドルファスとキラナの捜索。一同はそれぞれの方針のために、一旦此処で別れることにした。

1日前 No.341

すずり @suzuri0213☆uVgy9R1pZdc ★Android=ti0IvmfI1e

アドルファスが何処にいるのかはナラカやスメルトからしてみれば無論ではあるが知らぬことだ。そのため、まずは先程までアリックがいたという回廊に行こうという話が持ち上がった。途中で傀儡たちに襲われるかもしれないという不安はあったが、背に腹は変えられない。前をアリックが先導し、後ろをスメルトが歩く形で一行は進んでいった。

「……本当に、此処なんだよね?」
「はい……そのはず、なのですが……」

しかし、件の回廊にたどり着いてからの一同の顔色は晴れなかった。スメルトに至っては凄まじい威圧感をかもし出す始末である。ナラカがいなかったらそのままアリックに飛び掛かっていたかもしれない。

その回廊には、人っ子一人いなかった。

アドルファスも、傀儡も。ついでに言うとキラナもいない。スメルトがアリックに苛立つ気持ちもわからなくはなかった。だって他の場所と同じように、もぬけの殻なのだ。先程まで人がいた形跡など全くない、しんと静まり返った空間。これでは手掛かりも何もないようなものである。

「と、とりあえず、場所を移動しませんか。此処にいらっしゃらないのなら、別の場所にいらっしゃるのでしょう。もしかしたら、ルードゥスに連れていかれたのかもしれませんし……。少なくとも、他の場所を捜して損はないと思います」
「そうだね、ナラカの言う通りだよ。此処で右往左往してても意味ないしね」

これ以上この場の雰囲気がぎすぎすするのも良くないので、ナラカは二人の間に入ってそう提案した。案の定、スメルトは即答で賛成してくれたのでまずは一安心する。アリックも黙って付いてきてくれた。
しかし気まずい空気はなかなか晴れてくれないもので、それぞれの足音だけが回廊に響くばかりの時間がしばらく続いた。いつも気さくに話しかけてくるアリックは、どういう訳か黙りこくっている。ナラカだって自分から話し出すような性分ではないし、スメルトはいつ何を言い出すかわからない吃驚箱のような存在だ。誰かが声を上げなければずっとこの沈黙が続くのだろうが、嫌なことに誰も口を開かない。

(気まずい……)

アリックを黙らせるだけの出来事がなかったとは言えない。むしろ、ナラカの心が折れそうになった幻影に、アリックは愛国心ひとつで耐えたのだ。話す気になれないのもわからなくはない。……が、やはり捜索するなら会話のひとつやふたつくらいあったって良いはずだ、とナラカは思う。そもそも、ナラカとスメルトはアドルファスに会ってすらいないのだから。

「……ナラカ殿」
「はっ、はい!?」

そんなことを悶々と考えていた矢先にアリックから声をかけられて、ナラカはびくりと肩を揺らした。まさか此処で話しかけられるとは思っていなかった。不覚である。

「……唐突な質問になってしまって、申し訳ないのですが……。ナラカ殿のご家族は、今、どうしておられますか?」
「家族……?」
「はい。ご両親や、ご兄弟のことです」

アリックに悪気はないことはナラカもわかっている。アリックはナラカの事情などこれっぽっちも知らないのだ。だからこうしてナラカに問うたのだろう。家族はどうしているのか、と。ナラカは一瞬迷ってから、うつむいて誰の顔も見ずに答える。

「……両親は私を捨てました。ですから、今どのように暮らしているのかはわかりません。母上……いえ、育ての親も亡くなってしまいましたし、兄弟も今はいません。ですから、家族と言えるような関係の方は、もう……」
「……そう、だったのですか。申し訳ございません、ナラカ殿。此方の配慮が足りませんでしたね」

やはり聞いていて気持ちの良いことではなかったのだろう。アリックはわかりやすく眉尻を下げてそう謝罪した。一時は刺々しい殺意をあからさまにかもし出していたスメルトも、謝罪したアリックのことは一応許したらしい。相変わらずナラカを守るようにくっついてはいるが、余計な手出しをすることはなかった。

「私事ではあるのですが……。ずっと探していた私の父が、もう少しで見つかりそうなんです」
「アリックさんのお父上が……!?」
「……はい。そのためには、アドルファス殿を見つけなければなりません。アドルファス殿が無事でいてくださったのなら、それ以上に心強いことはないのですが、どうにも不安になってしまって」
「……それで、君はナラカにあんな質問をしたんだね」

合点がいった、とでも言いたそうにスメルトが口を挟む。アリックはそれに肯定も否定もしなかった。

「で、でも、お父上の手掛かりが掴めたのならそれ以上に嬉しいことはありませんね。アリックさんがシャルヴァに来た目的でもありますから」

いつもとは異なり憂い顔のアリックに不安を覚えながらも、ナラカは何とか彼女の纏う空気を和らげようと励ます。いくら大人びていたとしても、アリックはまだ二十歳にも満たない少女なのだ。そんな彼女が父親を捜すために一人でこのシャルヴァに来たというのだから、不安を覚えない方が可笑しい。これまで気丈に振る舞っていた分、反動だって決して小さいものではないだろう。
頑張って励ますナラカに、アリックはふにゃりと力なく微笑む。彼女にしては、やけに気弱な表情だった。

「……そうですね。父上を見つけ出す糸口を手に入れたのです。立ち止まってはいられません」
「そ、そうと決まれば、どんどん進まなければなりませんね!えぇと、アドルファス殿の執務室ってもう調べましたか?地下牢の方はもう回ったんですよね?」
「ええ。執務室はまだ回っていませんし、そちらの方に向かいましょうか」

とりあえず、アドルファスの執務室に行くということで行き先は決まった。これを機にもう少しアリックが話してくれると良いなぁ、とナラカはこの場の雰囲気に関しては彼女任せな意見に至った。もともとナラカは場の空気を読むことは出来ても、変えることはなかなか出来ないのだ。むしろ今回は頑張った方なので褒められても良いと思う。

「……ねぇ、ナラカ」

歩いている最中、後ろから声をかけてきたのはスメルトだった。何だかやけに悲しげな表情で此方を見ている。頭幾つ分かわからない程大きい彼がする顔にしては弱々しい。

「ど……どうかしたんですか、スメルトさん」
「……ナラカ、辛かったんだね。だから、さっきもあんなに苦しそうだったんだね。……ずっと、わからないまま接してきて、ごめんね」
「す……スメルトさん?」

スメルトは今にも泣きそうな表情をしている。ナラカはおろおろと視線をさ迷わせるが、アリックに止まる気配はない。此処で立ち止まったら置いていかれそうだ。彼女にもこの会話は聞こえているはずである。しかし、きっとアドルファスを捜し出すことがアリックにとっては大前提なのだろう。彼女の気持ちもよくわかるため、ナラカは無粋とは思いつつも歩きながらスメルトの話を聞くことにする。

「わ、私、そんなに昔のことを気にしてませんから。だから、スメルトさんが悲しむことはないんですよ」
「でも、でも……。僕、ナラカがいっぱい、大事なものを失ってるなんて知らなくて……。それに実の親から捨てられるのって、本当に辛くて悲しいもの。気にしてなくたって、忘れられることじゃないよ……」

スメルトの表情はどんどん曇っていく。以前にこのようなことなどあっただろうか。異性と手を繋いだこともろくにないのに、目の前で泣かれそうになるなんて、ナラカとしてはもうどうして良いのかわからない。

(スメルトさん、普段は物騒で不穏なことばっかり言うけど、本当は優しい人なんだなぁ……)

他人の気持ちに共感することは出来ても、それに本気で悲しむことはなかなか難しい。普段の言動からついつい勘違いしてしまうが、広い目で見ればスメルトにだって優しい一面はあるのだ。ナラカには出来ないことを平然としてのける辺り、怖がっているばかりではいられない。おずおずと、ナラカはスメルトの手を握る。彼の肩が小さく震えたのがわかった。

「……ありがとうございます、スメルトさん。そのお気持ちだけで、私は嬉しい」
「な、ナラカ……」

スメルトの瞳が泳ぐ。どうして此処までこの方は焦っているのだろう、とナラカは首をかしげた。手汗が酷かったのなら申し訳ないことをしたな、なんて思っていた矢先に、アリックが右腕を出して二人に制止を呼び掛ける。

「……ナラカ殿、スメルト殿。警戒を。……奴がいます」
「奴……?」

ナラカがふっと視線をずらしたその瞬間に、彼女たちの周りを一斉に傀儡たちが囲んだ。ぐっ、とスメルトの手を握るナラカのそれに力がこもる。自分たちにとっての敵。つい先程、ナラカを過去の苦悩によって弄んだ男。


「……ほう、まだ生きていたか。脆い癖に往生際が悪いのは実に人間らしい。━━━━反吐が出るぞ、小娘」
「━━━━ルードゥス」


ナラカの口から男━━━━ルードゥスの名が漏れる。ナラカたちを見つめるルードゥスの極彩色の目は、静かな苛立ちと嫌悪を湛えていた。

9時間前 No.342
ページ: 1 2 3 4

 
 
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▲ページ上 >>
★必ず ローカルルールメビウスリングのルール をご覧ください。
 ▼スタンプ▲スタンプ
※スタンプはいちどに 3個 まで使えます  ×閉じる
注…感想・コメントはこの記事ではなく、サブ記事に書き込んでください。(小説カテゴリでは必須です)