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鏡の月へ

 ( 小説投稿城 )
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游月 昭☆qHTUEH4Y5X. ★iPhone=xa8D6y2lby

『鏡の月へ』


 今となっては当たり前になった飛行車だが、遠い昔、人々は飛べない車に乗って生活を送っていた。しかも、その原動力は、現在工場で生産されているバイオミートの素の姿、長い首のウマや角が生えたウシによる牽引で、それぞれバシャやギッシャと呼ばれた。当然のことながら、大気圏外飛行を遂げた者など皆無である。また、月は資源採取星ではなく、カガミと呼ばれる円盤状の月で、当時は巨大だったウサギが、食料であるモチを生産している姿が見られたそうだ。

関連リンク: ハインリッヒ軍曹 
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游月 昭☆qHTUEH4Y5X. ★iPhone=xa8D6y2lby

【一】時空落下実験

 北半球連邦組織が今回被験者を募集した【時空落下実験】に私は志願し合格した。私達被験者に求められる第一条件は《一方通行の承諾》のみだが、公開されていない第二条件は《優等者でない事》であると被験者達の間では囁かれている。私のような物好きな劣等者には、時空間連絡器で報告をするという約束と引き替えに、好きな時代の好きな場所に捨ててくれる約束が嬉しい。そして私にとっての「好きな」場所とは、遥か古代の《カガミ》の月である。

 時空落下に訓練などは必要ない。被験者が入ったカプセルを地下トンネルに落とし、電磁波のような網を破らせるだけである。どういう仕組みになっているかなど、劣等者の私達に分かる筈もない。だから数日前に配られた資料には殆ど目を通していないのだが、単にもっともらしい理由をつけて劣等者を次々にこの世から排除しているとも囁かれている。しかし、この実験から帰って来た者が一人もいないにも関わらず、世間では少しも騒がれていない。とはいえ、私にはもとよりどうでも良い。夢の場所へ行けると思うだけで幸せだからだ。
 実験の順番は直ぐに回って来た。その日は朝から少々風邪気味だが、穴を落ちるのに大した違いもないだろうと検査官には黙ってカプセルに乗り込んだ。間も無く天井の蓋が閉められたのだが、そのわずか前に、係員が奇妙な事を言った。
「アキラさん、体が逆さになったと感じたらそこのボタンを強く押すように。その時以外は絶対に触ってはいけない。いいですね。」
 私は素直に頷いた。蓋が閉まり何も聞こえなくなったダークグレーの室内で、ただ一つ赤いボタンを見つめながら頭をヘッドレストに預けると、額や上腕など体を固定するベルトが、恐怖心を煽るように素早く巻きついた。唯一外界が見える小窓から先ほどの係員が心配そうな振りで覗き込むが、私は白々しく思えて蝿を追い払うように手を振って微笑んだ。
 間もなく小窓に再び彼が現れ、私にプラカードを見せた。
《10秒前》
 いよいよ落下だ。私は大きく息を吸い込んでゆっくりと吐いた。係員の指が知らせる。
《3、2、1、》
 一瞬、体に力を込めマイナスのGに備える。小窓から光が消え、室内が真っ暗になった。胸が苦しい。赤いボタンなど見えない。押してしまわないようにもう一度位置を確認しておかなければと思うのだが。
 しかし、何の為のボタンなのか、落下に慣れて来た私はいくつかボタンの仮説を立てた。

[ボタンの仮説]
@カプセルの上下が逆になった場合に正常な向きに戻す為の噴射装置を作動させる制御スイッチ。
A逆さになった時が好条件。カプセルが落下速度を増すための加速スイッチ。(あり得ない。最初から逆に落とせば良い=却下)
Bプラシーボ・ボタン。ボタンを押すことは出来るが、何も起こらない。しかし、被験者に、カプセルを制御出来ると思わせ、精神的安定を維持する為に備えられた偽スイッチ。
C逆さになった状態では実験が続けられない。その場合、地中の奥なので回収が出来ない。よってカプセルを破壊する為の自爆スイッチ。

 では、逆さになった場合、押すのか押さないのか、ボタンの危険性について考えた。

[ボタンの危険性]
@逆さになる事自体が危険な場合、ボタンを押せば、
 1)爆発 2)危険でなくなる
A逆さになる事が好都合の場合、
 そうか、問題外だった。
Bプラシーボなら、
 1)無意味なら、押しても良いという事
C検討の余地なく
 1)爆発

 つまるところ、フィフティー・フィフティー。劣等者は優等者が行う実験を信用する他はなく、逆さ=スイッチONである。

7ヶ月前 No.1

游月 昭☆qHTUEH4Y5X. ★iPhone=xa8D6y2lby

【二】カプセルの不思議

 何の変化も現れない。音も光も無く、カプセルが落ち続けているのか止まっているのかさえ分からない。顔がむくんでいるし、体が軽いと感じるので、落ちているのだろう。また暇つぶしをやってみる。1時間ほど経ったが、穴の底との衝突による衝撃が無い。あとどれくらい落ち続けるのか計算してみる。

 地球の半径が6千キロ、落下速度を時速3百キロとすると、誤差があり過ぎるが、少なくとも二十時間以内に底に到達する。

 二十時間もの間トイレに行けない。飲食も出来ない。ふと、服を着る時に言われた事を思い出した。
《ポケットに……が入っています》
 よく聞こえなかったが、聞き返さなかった。どちらにしても腕は縛られている。と右腕を上げようとした時、ベルトが外れたようだ。続いて左、頭、そして全てのベルトが外れた。少々面喰らったが、直ぐに胸ポケットの中を覗いた。
「あっ!」
 突然の光に驚いたが、暗闇でも見えるようポケット内部に光る細工が施されていた。中には大気圏外携帯食が満タン。他のポケットには懐中電灯や水筒等。そして時空間連絡器と見られる電子機器。そのボタンを押すと画面が光り直接文字を書く様に出来ている。約束通り報告するために文を書いてみる。

〈現在無事(?)落下中(?) 、どれくらいで底に着く?〉

 これで送信されるかどうか分からないがもう一度ボタンを押してポケットに入れた。そして代わりに懐中電灯を取り出して窓からカプセル外を照らした。光が穴の壁に当たっているようだが、動いているか止まっているかの判別はつかない。しかし、よく考えると、落ちていれば力が打ち消されて無重力状態になる筈。しかし、懐中電灯の重さを静止状態でも感じている。右手に持った懐中電灯を左手に落とす。落ちた。
(はっ!)
 ある事に気付いて血の気が引いた。これまで少しも考えなかったが、高速で高度を下げるという事は、急激に気温と気圧が上がっている筈で、とても生きていられる環境ではないことになる。しかし、カプセル内に変わった所はない。あるいは、《変わった所はない》に到達させるために何らかのマイナスのエネルギーを投入し続けているとしたら、つまり重力による色々な変化を、時間の変化や空間の移動に換えているとしたらとんでもない実験という事になる。そんなことを考えなくても、過去の《カガミ》の月に行くという事自体、とんでもないと理解できる筈なのだが、そうは思はなかったという事は、自分自身、気づかないところで捨て鉢になっていたか、当局に思考を操作されていたかのどちらかだろう。実際のところ、私は《カガミ》の月に行きたいのだろうか。いや、もう考えるのはやめにしよう。どちらにしても、全自動で供給される庶民生活を続けるより刺激が得られることに違いはない。
 色々と考えていると腹が空いてきた。ポケットから携帯食を取り出して噛み付いた。旨い。旨いと思わせる薬品が入っているんだから当たり前なのだが。口を動かしながら懐中電灯が照らすグレーの景色を眺めていると眠気を催し、
 眠ってしまっていた。座ったまま寝入るのは学生の時以来か。相変わらず懐中電灯がグレーの室内を照らしている。ふと、どれくらい眠っていたのかと考えるが、エネルギー変換をを行っているとすればこのカプセル内で時間の計測は無意味だろう。懐中電灯を小窓に当てようと上を見てみると微かに光が瞬いている。慌てて懐中電灯を消して窓を覗くと、このカプセルに嵐が近づいている、そんな景色だ。その《嵐》とは何なのだろう。地球の外核に到達して焼かれる、いや、それはないだろう。外核と地上が蓋もなく繋がっているとすれば、液体岩石が地上に噴出する筈だ。では、地球内部の磁気とカプセルが反応する際の嵐に遭遇し、時空を超えて念願の《カガミ》の月面へ、という事になるのだろうか。私の胸中はマグマと化し、今にも噴火しそうなほどに脈打っている。

7ヶ月前 No.2

游月 昭☆qHTUEH4Y5X. ★iPhone=xa8D6y2lby

【三】時渡り

 小窓から稲妻が見え始めた。音はまだ何も聞こえないが、とてつもない嵐になって、カプセル内にも強い影響があるだろう。あるいは、それさえ打ち消してしまうのだろうか。稲妻は次第に大きさを増し、その音も少しずつ聞こえてくる。
「あっ!」
 揺れ始めたかと思うと、固定ベルトが強制的に体を定位置に戻し私を縛り上げた。
(いよいよか!)
 途端に音が大きくなり、カプセルが激しく揺れる。目を瞑り、必死で耐えていたが、これ以上耐えられないと思った時、カプセルが横に傾き、激しい衝撃と轟音の後静かになった。
 カプセル内は明るくなっていた。まもなくベルトが自動で外れたので、私は額から流れる汗を手で拭った。小窓を覗くと眩しくて目を細める。次第に見えてくる景色は湖のようだが、白く地平線まで続いており、カプセルが作った波紋がそこに向かっていた。青い空には所々に雲が浮かんでいて、波紋が去った湖面にそれを映し始めた。
(カガミの月面?)
 私は喜びを感じる前に宇宙服も無いことに気づき、ただ眺めているだけで終わるのかと思うと悔しくなった。
「しかし、美しい。」
 私がため息をつくと、蓋の辺りで音がしてひとりでに開いた。
「あっ!」
 私は咄嗟に口を尖らせ息を止めた。しかし、そんな間抜けなその場しのぎが何の役に立つだろうか。目を見開いて一度息を吐き、そして勢いよく大きく息を吸った。すると、苦しい事は少しもなく、今まで嗅いだことのない爽快な匂いがした。安堵して私は蓋から恐る恐る頭を出してみた。
 そこには浅い鏡の湖が広がっていて、風は無く、音が無い。耳に聴こえるのは自分自身の細胞が立てている生理的な音とでもいうのか、私だけが騒がしいことに気づかされた。
 カプセルから這い出て湖に足を踏み入れると膝下ほどの深さで、カプセルが落下した時に出来たようなクレーターは見当たらない。無かった物が有る状態になったというところか。
 それまで長時間腰掛けて疲労していた体を癒すため、私はその場で大手を広げて深呼吸をした。
「ナレハイズクヨリマイラレシカ?」
 いきなり背後から声がした。私は素早く振り向くと、白尽くめで頭の長い男(いや、長い帽子を被っている)が、湖面上の宙に浮いた箱の上から、私に細い棒を向けて見下ろしていて、箱の前には角が生えた生き物が繋がれている。私は瞬きもせずにその男を見つめたまま言った。
「い、やあ、何と言ったか聞き取れなかったんですが。」
「ん?卑しき国の者なるか?」
 今度は少し分かった。
「は?いやしい?そう言う高貴な貴方は月の人?」
 私が少し怒った顔を見せると、男も大方の意味を理解したようだ。
「ああ、汝(なれ)には深き故(ゆえ)あらむ。こと知らぬ我が無礼なるもてなし、赦したまえ。我は月の都の者なり。まづは案内するゆえ我に率(い)て来たまへ。」
 男が言っている事は半分ほどしか分からないが、「牛車(ぎっしゃ)に」と手を向けるので、言う通りに大きな車輪がついた箱《牛車》に入った。すると慌てて男が言う。
「あな、男、沓(くつ)を脱ぎたまへ!」
 私は驚いて両足を上げ、床を見ると、細い紐で細かく編んだマットだった。
「あ、ごめん、随分と文化が違うみたいで。えっと、これは、なに?」
 男は私の格好と仕草を見て声を立てずにしばらく笑い続け、そして言った。
「そは、畳なり。く、賤(いや)しき者は知らぬであろう。くく、」
 その言葉に私は靴を脱ぎながら呆れた顔で言う。
「はは、ワザと言ってるな。」
 男は牛を棒で叩き、牛車を進めながら、笑顔を見せて言った。
「さても、言葉、物のあやしさよ。互(かたみ)に赦しあわん。」
「んん、さっぱりわからない。で、今、どこへ向かっている?」
「ん?向かって?ああ、これより都の検非違使庁(けびいしちょう)に向かう。」
「卑しい所から来た怪しい言葉を話す賤しい男がこれからどうなるか楽しみだ。」
 牛車は車輪が回る音を立てながら、しかし揺れもせずに高速で進んだ。私はやる事もないので、ポケットから時空間連絡器を取り出し、これまでの事を報告した。やがて車輪の音が止み、男が声を掛けて来る。
「すはや、都の検非違使庁なり。出でよ。」
 靴を履いてギッシャを降りると、木製の建物の入り口に《検非違使庁》と大きく手書きで記されている。
「この検非違使庁というのは何をする所?」
 私が訊くと、彼は少し微笑んで言った。
「汝の人を尋ぬる所なり。」
「ああ、警察署ってことかな?俺は不法入国で死刑か?あ、いや、えっと、死ぬのか?」
 私が自分を指差して言うと、男はまた笑みを浮かべて言った。
「ことなき都に死罪無し。案ずることなかれ。」
「ふーん。で、貴方、名前は?俺はアキラ。」
 私がそう言って自分を指差すと彼は真っ直ぐこちらに向かって言う。
「我、衛士の湖番(えじのうみばん)と言はるる者なり。」
「ああ、湖の番人か。そのままだな。じゃあ、我は、時渡りと言う者なり。」
「心得たり。」
 二人は互いにお辞儀をして顔を見合わせて笑い、そして検非違使庁の門をくぐった。

7ヶ月前 No.3

游月 昭☆qHTUEH4Y5X. ★iPhone=xa8D6y2lby

【四】得意(とくい)

 私は、不審者として湖番に連行されているにもかかわらず、この先自分がどのような待遇を受けるのか楽しみでならない。見るものも珍しく、始終辺りを見回しながら歩いている。
 検非違使庁に入ると、屋敷はやはり木製で、柱の節や年輪がかなり浮き彫りになっていて、数十年経ったくらいでこうも彫りは深くならないだろう。内部は、入り口を数歩入った所で地面より一段高く出来ており、ここでも靴を脱がなければならない。
 湖番は懐から布袋を取り出して自分の履いていた薄っぺらな履物を入れるが、私は何も持っていないので片手に持って板張りに上がった。これから外に出ようとしている人がいるのでどうするか見ていると、やはり懐から布袋を取り出し、履物の準備をする。皆、布袋を持参しているのだ。
「この、靴を入れる袋が、私も欲しい。」
 私が湖番の袋を指差して言うと、
「やや、心なきを赦したまへ。すは、これを奉らん。」
 彼は懐からもう一つ出してにこやかに私へ手渡してくれた。
「おお、くれるのか?いやあ、ありがとう。」
 彼の親切がたまらなく嬉しい。
「汝は我が得意となりぬべきかな。」
「え?」
 いまひとつ鏡の月の言葉が分からないが、この男とは友人になれそうだ。
 入口からそう遠くない左手の一室に入ると、湖番が私を検非違使に紹介して取り調べが始まった。
「丈高き男、湖にて見つけけり。かたはらに大きなる卵子(かひご)ありけり。極めて殊なる衣なり。口づから〈時渡り〉となむ言いける。畳をぞ知らざる。月の者にあらず。また、卑しき国の者にもあらず。言葉殊なりて、何者か明らかならざり。」
 検非違使は他の者達の例にもれず、立派な髭を蓄えてはいるが、肌は艶々で随分と若いように思える。彼は湖番と私の顔を交互に見ながら、興味がない素振りを見せてはいるが、時折、不意に白目を向いて驚いた。どうしたものかと戸惑っているのは明らかなのだが、威厳を示すためか、若いエリートは平静を装っている。眉を軽く上げ、眠たそうな目を私に向けて言葉を発した。
「汝はいづくよりかおはしける」
 月に着いて初めて聴いた言葉を再び検非違使の口から聴いて吹き出してしまった。
「いや、御免、分からないんです。何を言っているか。えっと、」(地球の見えていた方向を指差して)「遥か未来の地球から、」(二人が天井を見上げる)「あ、いや、空から、えっと、卑しき国の、ずっと後の時代から、ああ、ダメだ、多分通じてない。」
 言葉が通じないのに言葉で説明しようとしても無理な事は分かっているからもどかしい。
「湖番さん、髪とペンを貸してくれないか?」
 私が紙に書く身振りをすると、彼は頷いて、木の板と黒いパレット、筆を用意してくれた。それに、年表の様な物を書き、月、地球、穴、カプセル、私、など描いて説明していると、板の上はだんだん真っ黒になっていき、自分でもサッパリ分からなくなった。しかし、湖番は何故か理解したようで、私と検非違使に話す。
「この現世より続く未来の世に、元は卑しかりけるが、空に離るる国〈地球〉ぞ華やかになりなむ。〈時渡り〉は彼の地より卵子に乗り、時を渡りてはべりけむ。」
 一瞬、間をおいて私と検非違使の声が揃う。
「おおーっ。」
 それがきっかけで検非違使の若者とも打ち解けた。おそらく彼の独断で私は〈赦免〉され午後から三人で月の名所見物に出かけることになった。月世界の人々の大らかさには驚くばかりだ。

7ヶ月前 No.4

游月 昭☆qHTUEH4Y5X. ★iPhone=izNmbbBfnj

【月世界観光への誘(いざな)い】

 不思議なことに、月の二人は名乗らない。彼らには名前が無いようだ。だから彼らをウミバンとケビイシと呼ぶ他はない。当然私は二人にトキワタリと呼ばれる。
 月の役所の人々は皆、昼には仕事が終わるらしく、どこかで低い鐘の音が鳴ると、一斉に屋敷を出るので、通りは大勢の人で溢れかえる。とても静かな街だが、この時ばかりは地面と履物の擦れ合う音で、渓流に来ているような錯覚を覚える。その事を二人に擬音と身振りで伝えると、ウミバンが立ち止まり、ゆっくりとした調子で歌い出した。
「いづくより〜流れ来たりし〜木の葉とて〜滾つ瀬(たぎつせ)に入り〜いつか解けなむ〜」
 ウミバンが気持ちよさそうに歌っているので、私もやんわり微笑みながらケビイシを見ると、彼は随分とうっとりした顔をしていたので、つい派手に吹き出してしまった。そしてまた皆で静かに笑い合う。
「解けなむ〜、ふふ。」とウミバン。
「解けなむ〜。」とケビイシと私が声を揃えて、また三人で笑い合う。
「すなはち、滾つ瀬に参らむ。」とウミバン。
「おほ、滾つ瀬に解けなむ。」とケビイシ。
「滾つ瀬、滾つ瀬〜。」と私。
 成り行きで〈滾つ瀬〉行きが決定した。

 乗り物は、朝も乗ったウミバンの飛行牛車。時々牛が嫌そうな声をはり上げる事を大目にみれば、子供が牛を操っているとは思えないほど、飛行車よりずっと快適な乗り物だ。都を離れ、白い並木が途切れると、通りの両脇は代わってとてつもなく長い木造の建物が続いている。
「この建物は何だい?」と私が指を指す。
 ウミバンは体を傾けて外を覗いた後、振り向きながら片方の眉を上げて言う。
「ああ、草片(くさびら)の園(その)なり。」
「くさ、その、植物園?デカいな。」
 ウミバンが右手を口に持っていくジェスチャーをして分かる。
「え?野菜?って事は水耕栽培の工場?意外だなぁ。」
 驚く私を見てウミバンは満足そうに微笑んで言う。
「滾つ瀬ぞ、なほをかしきものとならむ。」
 牛車はスピードを落とし、急な右カーブを上がる。が、複雑な力をコントロールする高度な装置が働いているのだろう、遠心力を感じない。牛車はまたスピードを上げて山道を難なく登って行く。しかし、けたたましく鳴く声が聞こえ、牛が懸命に頑張っているのが分かる。牛車は白い林の細道を真っ直ぐに高速で進んでいるが、風を切る音がしない。何か見えないバリアのようなものに包まれているのだろうか。月世界の技術は計り知れない。景色からスピードが急速に落ちたのが分かった。そしてウミバンが言う。
「音に聞く〈天の水鏡(あまのみずかがみ)〉に来着きたり。出でませ。」
 それを聞き、ケビイシが目を丸くして喜ぶ。
「あな、天の水鏡とな、ほー!初めて参りたり。」
「え?有名な所なの?」
 そう言ってケビイシに続いて出ると、太陽の光を忠実に照り返して銀色に輝く湖の光に言葉を失ってしまった。風紋の無い水鏡が美しい曲線を描いたその直ぐ先は快晴の青い空。三人は暫く黙って見とれていたが、私が最初に静寂を破った。
「ちゃー、これどうなってんだ?なぜ湖のすぐ先が空なんだろう。もしかして向こうは大きな滝になってるのか?」
「然(さ)なり。水の滝となりて落つる景気(けいき)もまた異(け)なり。いで、共に参らむ。」
 ウミバンはそう言うと、また牛車に乗るように私達を促した。彼なりのツアープランがあるようだ。

6ヶ月前 No.5
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