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千年京異聞録

 ( 小説投稿城 )
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夕邑三日月 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_qxX

 アヤカシ――それは、人とは異なる理に生きるモノ。それは、気紛れに人の生活を脅かすモノ。それは、滅されなければならないモノ……そして、今を共に生きるもの。

 陰陽師――それは、人とは異なる理に生きるモノ。それは、意図的にアヤカシの存在を脅かすモノ。それは、屠らなければならないモノ……そして、何時の間にか隣に在ったもの。

 京都という古の都で、人ならざるモノと人に非ざるヒトの運命は、幾度となく交じり合った。互いに闘い、奪い、傷つき、守り。互いを癒し、憎み、愛し。
 世界を巻き込んだ戦乱もあった。たったふたりにだけ通じる誓いがあった。主従の絆と、仲間との夢と、忘れられない願いがあった。地獄の業火に焼かれる夜と、木漏れ日の穏やかな昼下がりがあった。

 これはそんな幾億の物語から零れ落ちた、ほんの小さな欠片たち。

【当スレッドはオリジナルなりきり「千年京とヘマトフィリア〜名無しのアヤカシ〜」(URL→  http://mb2.jp/_nro/13445.html  )の本編中で描き切れなかった物語を補完するための外伝集です。従って基本的な世界観や用語は上述のスレッドに準じます。また、基本的にはスレ主の叶こと夕邑三日月が自己満足の為に書き上げた作品を放り投げておく場となりますが、参加者様からの依頼があれば当スレッドを解放する、代理投稿を行うこともあるかもしれません。その時はよろしくお願い致します。最後になりますが、クリック・タップ有難うございました、拙い文章ではありますがどうぞゆっくり楽しんでいってください。】


メモ2017/01/04 01:36 : 夕邑三日月☆NIljAHmRyhk @mistydark★R3lMq2ye0U_qxX

 ひぃ、本編始まる前からいいねが……有難うございます!


【目次】

1雪影遺文(セツエイイブン) 暗雨編>>1 初雪編>>2 残雪編 翠影編 

切替: メイン記事(7) サブ記事 (1) ページ: 1


 
 

夕邑三日月 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_qxX

【雪影遺文】

―暗雨編―

 1853年、夏、京都。
 とうの昔に夜の帳が下りた街を、闇よりも濃い影が駆ける、翔ける。
 追われているのは、一人の男。辻斬りの被害にでも遭ったかのように、右の二の腕からは血を流しながら、必死の形相で人気のない路地を逃げていた。死に物狂いの男とは対照的に、追い掛ける影は呼吸一つ乱さず、ただ冷静に冷酷に塵芥でも見るような瞳で男を見詰めながら、足を前に進めていた。
 男は通りを走り続け、一条戻橋の辺りで力尽き、頽れる――否、遂に黒い影は彼を捕え、背後から迷うことなく、心の臓に脇差を突き立てた。その剣を引き抜き男から離れるまでの動作を一瞬でやってのけたがために、彼は勝手に倒れ込んだように見えたが……影の一丈ほど先で、男は事切れていた。
「……アヤカシなんぞに媚び諂うから、こんな目に遭うんだよ莫迦が」
 今度はゆっくりとした足取りで男に近づき、足蹴にして転がしながら顔を確認した影――黒い装束に仮面で顔を隠した青年は、既に唯の屍と化した相手に吐き捨てた。そうしてそのまま、橋の上から堀川に向かって死体を蹴り落とす。
 暗い水面に全てが飲み込まれる音は、闇の中に掻き消されていく。

 この世界には、アヤカシが居る。気紛れに人を襲い、人間を弄ぶ異形が居る。
 男は、数百年の時を越えて京の町を、ひいては日本をアヤカシから守護する陰陽師の一人だった。尤も、自分の命が惜しいが為に、以前の戦闘で敗北したアヤカシに仲間の情報を売っていたらしいのだが。
 男が内通していることを知った陰陽師の統括組織・陰陽寮の上層部は、青年に彼の処分を命じた。そうしてその仕事を、青年は完璧にこなして見せた。
 仕事を終え、仮面外して一息ついた青年――暗殺や密偵など、陰陽師でありながら対人間の仕事をこなす暗部の人間の頬を、小さな雫が濡らす。彼が空を見上げた瞬間、大きさも勢いも先程とは比べ物にならない水滴が、青年の顔に、体に、全身に向かって落ちてきた。
「……雨、か」
 丁度良い、と青年は口角を上げる。
 今夜の痕跡は、この雨が全て流してくれるだろう。橋の上の血痕を消す手間が省けた。
 そう結論を下した青年は、くるりと踵を返す。

 浦賀沖に現れたペリーが自国にもたらした混乱などどこ吹く風、ただただ国内の……自らの任務にのみ没頭する一人の男が、其処には居る。
 彼の名前は芦屋道影。陰陽師の御三家の一つ、芦屋家の頭首の息子の一人でありながら、頭首争いとは最も遠い所に居る存在だった。

4ヶ月前 No.1

夕邑三日月 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★UqSK0FK9ug_mgE

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4ヶ月前 No.2

夕邑三日月 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_qxX

 女性の名は、淡雪と言った。生まれた時から体中の色素が欠乏する病を患っており、銀の髪と赤い瞳を気味悪がった家族に、物心つかぬうちに見世物小屋に売られたらしい。十六年間あの薄汚い屋敷で暮らした淡雪は、気付けば他の面子の姉代わりのような存在になっており、半年ほど前に連れてこられた子鬼にも懐かれていたようだ。
 その子鬼を取り返すべく仲間たちが見世物小屋を襲撃したのが事件の発端であり、その主人は役人に引き渡され、当然その稼業は廃業に追い込まれた。
 そして現在……件の子鬼と淡雪は、道影の屋敷に部屋を与えられてひっそりと暮らしていた。あの場に居た者たちは陰陽師のほうぼうの屋敷に引き取られたり親元に返されたりしていたのだが、この二人の面倒を見るとは、道影が進んで言い出したことだった。彼をよく知る者は珍しいこともあるものだと首を傾げたのだが、太陽の光に弱い淡雪の保護に責任を持てる者はほかになく、結局彼に一任された。
 道影としても、どうして自分がそんな気になったのかはよく分からなかったのだが、あんなにも儚くて今にも消えてしまいそうだったくせに、真っ直ぐで強い瞳を見てしまえば、捕らわれない人間はいない気がしていた。
 そして、表と裏の仕事で忙しく家を空けがちで、殆どと言っていいほど自分に干渉をしてこない道影の在り方は、淡雪たちにとってもまだ居心地が良かったようで。

 それは、彼女たちが屋敷に来てから、二月ほど経ったある日の夜のことだった。
「あーっと……調子はどうや?」
 仕事から戻り、着替えやら何やらを済ませた道影は、襖の向こうの二人に声を掛ける。すると僅かな時間をおいて、内側から襖が開かれた。
「お陰様で、変わりありません」
 道影のすぐ下で、灰色の地味な着物に身を包んだ淡雪が微笑を浮かべていた。彼女が「りく」と名付けた子鬼は、部屋の奥で猫か何かのように手毬にじゃれ付いている。
「あ、えと……それは、何より、です」
 自分で聞いたくせに、若干言葉を詰まらせながら道影は答える。母を早くに亡くし、男ばかりの三兄弟の中で育った道影は、仕事以外で女性と接することに殆ど免疫がなかった。
「……外は冷えますから、どうぞ中へ」
「いやあのそんなお構いなく! ってか此処俺の家やけど……あのな、今日ちょっと渡したいものがあってん」
 首を傾げる淡雪から目を逸らし、道影は荷物持ちをさせていた部下を振り返り、彼から大きな包みと紙袋を一つ受け取る。因みに、彼はそれで下がっていき、最後まで何でもない風を装ってはいたものの、最後まで上司の様子に吹き出すのを堪えるのに必死だった。
「この間の仕事、江戸やってん。何や色々ごたごたしとるけど、やっぱ向こうの方が良ぇもん揃うからなぁ……ほれりく、何故か江戸で売っとった長崎のかすていら」
 道影に自分の名が呼ばれると、まだ一瞬怯えたようなそぶりを見せるりくも、甘いものと聞いて飛んできた。目を輝かせながら袋をひったくっていく様子は、本当にただの子供である。
「りく、ちゃんと道影さんにお礼を……」
「いや、構へんて。あの子は俺に対して思う所も多いやろうし、ご機嫌取りせなあかんのはこっちやし」
 淡雪の言葉を遮った道影は、彼女の前に残った包みを置いた。
「んで、こっちは君に。家まともな女居らんからな、母親の、何十年も前の着物ばっかりやと流石に悪い思てな……あ、俺選んでへんから、ちゃんと女の子に任せたから!」
 脈絡のない言葉を告げるだけ告げると、道影は逃げるように部屋を出ていった。

 取り残された淡雪は一体どうしたものかと意味もなく視線を彷徨わせていたのだが、答えを呉れる者は辺りに居ない。そこで取り敢えず、包みを解いてみることにした。丁寧に紐を解き、折られた紙を開いていく。畳の半分はありそうな大きな包みだったが、開くのにそう時間はかからなかった。
「……綺麗」
 思わず、淡雪はそう漏らす。
 包みの中から出て来たのは、彼女が今までに目にした中で最も美しい着物だった。浅葱色の布地で、足元に鈴蘭が描かれたそれは、控えめでありながらも上品な存在感を放つものだった。そこまで高価なものでもないのだが、これまでずっと見世物小屋で暮らしてきた淡雪には、まるで姫君が袖を通すようなものに思えた。
 何処か恍惚とした表情で着物を見詰める淡雪に、りくは袋を抱えたまま近づいてくる。
「……姉サン、アイツ、好キ?」
 丸い瞳を僅かに陰らせて自分を見上げるりくの様子に、淡雪はふっと微笑むとその頭を撫でた。
「私たちを助けてくれた方よ、嫌いになんてなれる訳ないじゃない」
 りくは淡雪の手の平の温かさに安堵した表情を浮かべながらも、ぷいと視線をそらしてしまう。
「オレ、アイツ、嫌イ。アイツ……血ノ匂イスル、怖イ」
「……仕方がないでしょう? 世の中にはそういうお仕事だってあるの……それにあの人は……本当はとっても優しい人よ。ただ、不器用なだけだと思うの」
 淡雪は着物を脇へ避けて、りくを膝の上に抱いた。そうして彼に言い聞かせるように、自分の願いを唇に乗せる。
「優しい、人だから……平和に暮らして欲しいの」
 恩人に対する些細な願いは、夜闇に飲まれて消えていった。

 それから数カ月、共に過ごしていくうちに淡雪は道影の不器用な優しさに触れ続け、彼に命の恩人に向ける以上の感情を抱くようになっていた。そして道影もまた、今まで彼自身が生きてきた世界とは余りにも異なる安寧を手にし、それを生み出す淡雪を守りたいと思った。当人たちが、そして傍から見ても、二人が恋仲になるのに時間はかからなかった。

4ヶ月前 No.3

@mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_qxX

 季節も変わり、京都の茹だるような暑さも彼方に消えた、底冷えのする冬。
 火鉢を置いた座敷の端で、道影は文机に向かっていた。その反対側には、彼の邪魔にならぬ位置で淡雪も座っている。そして当然りくもその傍に……居たのだが、思い立ったように彼は道影の方へと歩き出した。
 資料とも日記ともつかぬものを書き散らしていた道影は、ちょいちょいと着物の袖が引かれる感覚に視線を移す。
「ん? 何やりく」
 この数カ月の間に、多少の蟠りは消した二人だが、それでもりくが進んで道影の注意を引くことは少なかった。不思議そうに問いかける道影とともに、淡雪も珍しいことがあるものだと言う顔をしていた。
 一人、何かを決意した強い瞳をしているりくだけが、道影をじっと見詰めていて。

「オレ、山、帰ル」
 唐突に、そう言い放った。

『え?』
 部屋の両端、道影と淡雪の声が重なる。
「山、マダ、仲間居ル。ソレニ」
 困惑している道影の方に手を伸ばし、りくは彼の胸倉を……掴もうにも届かなかったのでもう一度着物を引っ張って顔を近付けさせた。その状態でりくは道影にそっと耳打ちする。
「オレ、邪魔者。オ前モウ、血ノ匂イシナイ……姉サン、任セタ」
「りく……お前……」
 話が聞こえていない淡雪を余所に、男同士の友情が芽生えた瞬間だった。
「ま、まぁ……りくがそう言うんやったら引き留めはせんけどな……せめて、もうちょい暖かなるまで待たんか? もう如月も終わりやし、あと一週間もしたら山の雪も溶けるやろ」
「そ……そう、ですね。私もそれが良いと思います。ね? りくも、突然出て行ってしまうなんてことはないのでしょう?」
 当惑こそしているものの、淡雪もりくの意見を尊重する気持ちは変わらないようだった。それを理解している彼もまたゆっくりと頷き、もう暫くの間だけは道影の屋敷に留まることを決めた。

 その一週間は、本当にあっという間に過ぎて行ったのだけれど。
 暦が弥生に変わった頃、桜の蕾さえも膨らみ始めた山道を、道影はりくを抱いて登っていた。淡雪は着いてきていない。一緒に行けば別れるのが辛くなるからと、一人部屋に残っている。
 子供一人を抱きかかえるよりずっと軽いりくを抱き上げ、そのぬくもりに触れながら、道影はぽつりと呟いた。
「なぁ、りく……昔の俺って、そんな血の匂いぷんんぷんさせて歩いとったんか?」
 りくは答えない。ただ複雑そうな表情をして、ふいと視線を逸らした。
「まぁ……仕事が仕事やもんな。しゃーないわ……確かに俺の両手は、疾うの昔に朱に染まっとる……アヤカシも人間も殺し過ぎた。俺かて一匹の夜叉やってん……そのことに疑問もなかったし、罪悪感とか、後悔もあらへんかった。それがあった所で勿論、俺の罪は、一生かかっても消えへんやろうけどなぁ……それでも」
 道影は、言葉を気っていったん空を仰ぐ。雲一つない、何処までも続きそうな晴天だった。
「俺が……欠片でも人間らしさを取り戻せたんは……普通に暮らして、普通に幸せになりたい思えるようになったんはな、お前と淡雪のお蔭やねん。有難うな」
 それだけ言うと、道影は適当な岩陰にりくを下ろした。
「この辺で良ぇやろ? ほな、達者で暮らせよ」
 唇を引き結んだままのりくに背を向け、道影は来た道を戻ろうとする。振り返るまい、彼はそう決めていた――決めて、いたのに。
「……道影!」
 初めて名を呼ばれ、その決意はいとも容易く翻った。初めてりくに笑顔を向けられ、自責も全て吹き飛んだ。
「マタナ」
 手を振って闇の中へと消えて行ったりくに、道影もまた軽く右手を上げて応えた。

__________


 陰陽寮内部に設けられた特別会議場。御簾で隔てられた座敷の中で、高官達が秘密裏に話し合いを行っていた。

「……芦屋家の三男坊の事だが……彼奴の所業は、最近目に余る物がある」
「ふむ……確かに、以前の様な無慈悲で正確な技術は鳴りを潜めて居るようだのう……」
「アヤカシの処遇もそうじゃ。近頃の奴は手緩い……アヤカシにせよ裏切り者にせよ、見逃せばどうなるのか分からぬ訳でもなかろうに……!」
「先日は何処の馬の骨とも知らぬ娘と一緒に守手でもないアヤカシを引き取り、挙句は野に放ったとか何とか……」
「奴は……良くも悪くも陰陽寮に深く関わり過ぎて居る。此の儘放っておく事は出来ぬ」
「矢張りそうなりますな……こうなってしまっては致し方ない。早急に処分を」

3ヶ月前 No.4

夕邑三日月 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_dB9

 1855年、冬。

 道影がりくと別れてからの一年は、あっという間に過ぎて行った。日本はついに米国と和親条約を結び、激動の時代が幕を開けようとしていた。その渦中に飲み込まれたのは陰陽師とて例外ではなく、まさに目の回るような忙しさだった。長兄・直道が次期頭首にほぼ決定している道影ですらも、本家と幕府及び朝廷との会合に駆り出されることもあり、更に警備が手薄になった場所でのアヤカシ退治などを含めると、休む暇も無いと言っても過言ではない。それでも、彼が倒れることもなく一年間を乗り切ったのは、淡雪の献身的な支援があったからなのだろう。
 そうして、露西亜との和親条約締結も目前に迫ったある日、道影の屋敷を彼の次兄である道孝が訪ねて来た。

「すまん道影、明後日の近江の仕事、代わりに行ってくれんか」
 彼は道影の家の敷居を跨ぐなり、そう告げて頭を下げた。丁度出かけようとしていた所に鉢合わせして、何のこっちゃと目を白黒させる道影の様子を知ってか知らずか、道孝はそのままの姿勢で畳み掛ける様に理由を述べる。
「いや、どうってことないアヤカシ退治なんやけどな、俺も俺で兄貴に親族会議の代理しろ言われて行かれんようになってなぁ……何、お前だったら造作もない低級アヤカシ共の群れだ、直ぐに片付く。その間は家のことも淡雪さんのことも俺が責任もって面倒見るから、な、頼む。後生だ」
 そう、実の兄に泣き付かれてしまっては、道影としても断る理由はない。奇跡的に、明後日は道影も仕事が入っていない一日だった。背後の淡雪を振り返り、彼女が頷くのを確認してから、了承の意を告げる。
「別にそのくらいやったら構へんて。孝兄が血相変えて来るから何事かと思ったわ……んで、折角来て貰うたとこ悪いんやけど、俺ちょっと野暮用があんねん。ま、お茶くらい飲んでってや」
「おぅ、悪い。恩に着る……そこはお構いなく、と言いたいところなんだけどな……ちょっと喉渇いたから、上がらせて貰うわ」

 そうして道影が出て行くのと入れ違いに、道孝は淡雪の案内で座敷に通された。上座の席をすすめた後に淡雪は一旦席を外し、番茶とお茶菓子を持って戻って来たのだが……そこに居たのは、先程までの道孝ではなかった。雰囲気が違う、それは襖を開けた瞬間に淡雪が立ち竦んでしまうような、重苦しいものを背負った横顔で。
「……どうか、なさったのですか……」
 かすれた声で問い掛ける淡雪に、ゆっくりと道孝は向き直る。そして。
「頼む、淡雪さん……明後日、弟が出掛けたら直ぐに、あんたも逃げてくれ」
 道孝が吐き出した言葉は、到底淡雪が理解できるような代物ではなかった。
「え……」
「身内の恥である以上申し訳ないことこの上ないんだが……彼奴は……道影は今、陰陽寮に命を狙われてる。あんただって、彼奴が今までどういう仕事をさせられてきたか、知らない訳じゃないんだろう? そっち方面で役立たずになったからって彼奴は此処に居たら、間違いなく殺されちまうんだよ、上の糞爺共にな。そこで奴らが用意した筋書きはこうだ。明後日の夜、芦屋は親族会議で留守、俺は遠方でアヤカシ退治。唯一残った道影の家を狙って賊が押し入り、家人共々皆殺しにしたうえで金品を奪い去る。芦屋にしろ安倍にしろ塚守にしろ、貴族一歩手前の家系だからな。立派な強盗事件の出来上がりと言うわけだ」
 恐るべき計画――その内容そのものにではなく、それを淡々と語る道孝の様子に、淡雪は手にしていた盆を取り落した。派手な音を立てて湯呑が割れ、畳に零れた水滴がゆっくりと吸い込まれていく中、彼女は震える唇を開く。
「それで……道影さんと私を逃がして……お兄様はどうなさるおつもりなのですか」
「そりゃぁ、この家を蛻の殻にしておいたら意味がないからな。仕事に行くのが道影なら、家に居るのは俺だろう」
「ですが……そんなことをしたら……」
「んなことは百も承知だよ。勿論大人しく死んでやるつもりも無いけどな……何にしたって、ただ俺の自己満足だってことも理解してるさ。それでも……俺は彼奴にしてやれるのはこのくらいなんだよ。頭首候補は兄貴に任せて、汚れ役は弟に押し付けて、ただ一人のうのうと生きて来たんだ俺は。最期の最期まで、弟に理不尽な運命ばっか押し付けられるかよ。第一道影にはあんたが居る……彼奴はまだまだこれから人並みの人生を送れるんだ。俺には誰も居ないし、無関係のあんたを巻き込むわけにもいかない」
 道孝の瞳に秘められた決意は強すぎて、覆すことなど不可能だと悟った淡雪は、崩れ落ちそうになる体を支えながら屈み込んだ。そうして、足元に散らばった破片を集め始める。

「……そのような事情がお有りでしたなら……私も、此処に残ります」
 平静を装って告げる声。その予想外過ぎる内容に、今度は道孝が呆然とする番だった。

「あの人の身代わり……いくら実の兄弟と言った所で、傍に私が居なければ怪しまれるでしょう。日中であっても碌に出歩けない私が、わざわざ夜分に家を空けるのも可笑しな話ですし……逃げ遂せた所で私はあの人の重荷にしかなりません」
 しかし驚愕の中にあってさえ、淡雪の指先が震えていることに、気が付かない道孝ではなく。
「そんな事してあんたに傷一つでも負わせてみろ、道影が俺を殺しに来るだろうが! 第一それで彼奴が生き残ったって喜ぶ訳がない。あんたは彼奴をたった独りでこの世界に放り出すつもりなのか?」
「それは、お兄様も同じ事でしょう。私はどうせ、もう幾度となく死んだ身ですから……あの人の為ならば、付随した最後の夢であるこの命など惜しくはありません。あの人と過ごしたこの二年で、私はもう十分すぎるほどの幸福を手に入れました。あの人も……もうきっと、大丈夫ですから」
――私が居なくても。
 その一言を口に載せるのは、淡雪にも出来なかった。それを察して尚、道孝は食い下がるけれど。
「それでも……あんたが死んだら彼奴は悲しむ。きっと、俺なんかよりも道影はあんたが大切だ。あんたは彼奴を、夜叉から人間に戻してくれたんだ……」
「だからですよ。私の役目はもう終わりました……あの人に未来があると言うのなら、それは私ではない誰かとのものであるべきなんです」
 拾い集めた破片を載せた盆を床に置いて、淡雪はそっと自身の下腹を撫でる。
「私は、子が成せません。そんな女を……あの人は一瞬でも妻と呼んでくれた……だからもう、良いんです」
 誰にも告げたことが無い、けれど道影ならば察していたであろう告白に、道孝はついに言葉を失くす。そうして片付けを全て終わらせた淡雪は、自身の名前そのもののように、淡く儚く微笑んで見せた。
「大丈夫です……あの人は、私の言う事なら何でも聞いてくれますから……もう二度と、何も壊させはしません」

 この時既に、全てが壊れ始めていたのだと解るのは、もう少しだけ先の話。

1ヶ月前 No.5

夕邑三日月 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_dB9

 三日後、道影は兄に頼まれた通り近江国でのアヤカシ退治にあたっていた。彼を入れて五人で向かった、本当に雑魚としか呼べないような小物の調伏――それは道影が、ひいては道孝など其処に居る必要もないような。
 おかしい、とは思った。けれど、一応自分たちは本家の人間なのだから、そういうこともあるのだろうと宥め賺した。昼過ぎには全ての仕事を終え、道影は何処か釈然としないものを抱えたまま帰途につく。

「お疲れ様です」
 宛がわれた宿の縁側で呆けていると、盆に湯呑を乗せた同僚、安倍涼夏が立って居た。仕事の労をねぎらう様に微笑みながら差し出された湯呑を受け取り、そのまま口元へ運ぶ。熱い――香ばしいほうじ茶の香りが鼻を突く。
「わざわざ近江まで来たってのに、呆気なかったですねぇ」
「……せやな」
 遠くまで足を運ばされた挙句雑魚の相手をさせられたことに、涼夏は少なからず憤っているようだった。何時の間にか隣に腰を下ろして、愚痴を零し始めている。適当に相槌を打ちながら聞き流しておくのが無難だろう。道影の口からは、あぁとかうんとかほうとか、どうでも良いと言わんばかりの吐息が漏れている。

「……それで道影さん。最近どうなんですか? 例の……ほら、小雪さんだか淡雪さんだかって言う女人とは」
 ゴフゥ、と。今度は道影の喉から奇妙な音が漏れた。ほうじ茶にむせている、という事に彼が自分で気付くのには、僅かながらの間があった。
「なっ……何やねん、いきなり、藪から棒に」
「だって、道影さん完全に上の空じゃないですか。私にいきなり着物選んでくれって頭下げたくせにそれから何の音沙汰もないですし。いやぁ、あの時は吃驚しましたよ……衆道疑惑も引っ込むほど男にも女にも興味示さなかった鬼の道影が、いきなり着物贈りたいだなんて」
「昔の事はどうでも良えねん、放っとけ!」
 涼夏は腹を抱えて笑っている。いちいち否定すると余計に面白がられるようだ。かと言ってだんまりを決め込んでも、彼女の人となりを考えると何らかの言質を取るまで食い下がるのだろう。
 その姿がありありと目に浮かんだので、道影は諦め、盛大な溜息を吐いてから応えた。
「淡雪は……俺の、人生の伴侶や」
 次の瞬間、笑い転げた涼夏の頭を思いっ切りはたいた彼に非はないだろう、多分。

______


 それは一瞬だった。
 夕餉の片付けを終え、普段あの人とそうしているように、彼の兄とお茶を飲んでいたその時に、破滅の使者はやってきた。
 土足で屋敷に上がり込んできた男たち……視認できたのは四人。自分を庇うように立ち塞がったあの人の兄は、目にも止まらぬ速さで刃を振るい、向かってくる男の一人に深手を負わせる。それでもそこは多勢に無勢……自分という荷物まで抱えて、彼が耐えられる筈も無く。あの人によく似た背中が朱に染まる。逃げろ、という言葉が聞こえたけれど、身体は動かない。ただ茫然と、目の前の惨状を見詰めていた。畳も、障子も、あの人と過ごした大切な場所は、とめどなく溢れる深紅に汚されていく。そうして自分の首元に、冷たい……いや、誰かの血を吸ったばかりの、生温かい刃が触れる。皮膚を切り裂いて異物が体の中に入って来る悍ましい感覚、飛び散る、熱。頽れる二つの体。汚れてしまう……あの人が呉れた着物が……折角の綺麗な浅葱が、赤く紅く染め上げられる。これは、私……それとも、あの人の兄のもの?
 嗚呼……足音が遠い。これ以上私たちの住む場所を汚さないでと思うのに、声は出なかった。ひゅうひゅうと途切れ途切れの息が漏れる。ぼんやりと、自分の命が尽きようとしていることを感じる。恐ろしくはなかった。
 ぽたり、と。瞳からこぼれた雫が畳を濡らした。赤の上に落ちる透明なそれは、他でもない自身の涙だった。

 怖くはない。そして覚悟は出来ていたはずなのに、何故自分は泣いているのだろう。走馬灯のように思い出されるのは、あの人やりくと過ごした楽しい日々ばかりだというのに。生まれた時から両親に疎まれた自分が、地獄で出会った家族……可愛いと弟と、愛しい背の君。二人には沢山の物を貰った、雪女として嘲られてきた自分が、人として生きられる場所をもう一度与えてくれた。そんな二人を……あの人を。自分は守ることが出来ただろうか。この命一つで、あの人の安寧を守れただろか。
 そんな最期なら、何も思い残すことはない。
 最後の力を振り絞って、この一年間書き続けてきた日記に手を伸ばす。十寸も離れていないはずのそれに、指先が触れるまでが異様に長い。

「ありがとう……さようなら……」
 ありがとう……私を人間にしてくれて。さようなら、私は今日まで、とてもとてもしあわせでした。

1ヶ月前 No.6

夕邑三日月 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_dB9

 久々に眠れない夜を過ごしたのは、淡雪が其処に居ないからか。それとも、虫の知らせだったのか。

 報告を一緒に居た陰陽師に任せ、早々に屋敷に向かった道影が最初に感じたのは、最早嗅ぎ慣れてしまった錆の……血の匂い。刹那頭を過ぎった最悪の状況を振り払い、道影は走り出す。
 けれど其処には、悪夢しかなく。
 蹴破らんばかりの勢いで扉を開けた瞬間、絶望が辺りを支配する。真っ白になりそうな視界を無視して、感覚で駆ける。吐き気がした。そんなことが在って堪るかと、泣き喚く本能を理性が嘲笑する感覚。
 分かっている、解っているのだ。淡雪と道孝が灯も点けず、戻って来た道影を出迎えもしない事など、普通の状況では有り得ないのは。
 それでも、認められる訳がなかった。認めてはいけなかった。
 胸が引き裂かれそうな思いを味わいながら、三丈にも満たない廊下を走る。その時間は、異様なほどに長くて。
「淡雪! 兄さん!」
 叫んで奥の間の襖を開けた道影の目に飛び込んできたのは、荒らされた室内と一面の朱……そして、折り重なるように倒れ伏した‘家族’の姿。
 以前、道影が贈った浅葱色の着物を深紅に染め上げた淡雪と、彼女を守るように或いは守られるように事切れている道孝。無残に切り殺された、二人の遺体。
「何で……何でや……」
 膝を付き、嘔吐きながら、全てを悟った道影は慟哭する。
「死ぬんは……俺やった筈やろぉ!?」

 喪ったものが大き過ぎて、余りにも突然過ぎて、道影は怒りのやり場すら失くした。現状に少しも頭が追い付かない。解っていた、解っていたのに感情が追い付かない。陰陽寮の自分を見る目がおかしい事には疾うに気付いていた。こうなることだって想定していなかった訳ではない。けれど、寄りによって二人が巻き込まれるなどということは、道影にとってあってはならない事だった。だから、考えることを放棄していた。
 淡雪を喪う未来など。優しかった次兄が居なくなる事など。
 茫然自失状態になりながら、道影はただ部屋の中央に蹲っていた。暗かった空が白み始め、日が昇っても尚、ただ其処で二人の姿を見詰めていた。

 そうして、どれほどの時が経ったのかも分からなくなった頃、道影は淡雪が何かを抱えていることに気付く。ふらふらと彼女に近付き、そっと取り上げたのは彼女の日記帳だった。今際の際に引き寄せたのか、血で汚れてはいない。
 触れた体は恐ろしいほど冷たかった。けれど、何時か笑顔で道影を見送った時と、何一つ変わらぬ美しい横顔だった。
 其処に記されていたのは、事の顛末と淡雪が道孝に語った道影への想い。感謝の言葉で埋め尽くされた頁を捲る度に、道影の瞳からは涙が零れ、そして。

『わたしがしんでも、だれもうらまないでください。けっしてふくしゅうなどしないでください。あなたは、わたしがあいした‘ひと’なのですから』
 最期の、淡雪の遺言に、道影の自身の心を凍り付かせた。


1ヶ月前 No.7
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