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樹状

 ( プロ詩投稿城 )
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ハァモニィベル @eyesonly☆AVJdYWehU3w8 ★G29uuolDOu_Czx



両手で林檎を握りしめた手が、しっかり

大地に埋められて、そのまま、

全身が起立している様だ。
逆さに。

まるで、肢(あし)を枝にして樹状に。地球に。刺さってしまっている自分。


それなのに空を飛ぼうとしている。


両脚がけんめいに宙をノックする。駆け抜けるように。バタバタと羽撃いている。

アイニイキタイ
アイニイキタイ
アイニイキタイ
アイニイキタイ
アイニイキタイ
アイニイキタイ


クレヨンで書かれた返信は、薄っすらとディフォルメされて、
狂うほどに苦い終りを告げられた、
墓のように
どっしりと、居座っている


通り抜けていく
僕の中のいちばん柔らかな燐片が

高揚した風にのって

誰も/何も知らない砂浜を奔るように散乱していく

靴に入った小石のようにいつまでも異物感を奏でながら





関連リンク: わたげ 
ページ: 1


 
 

なつの ★GXjYbd8aO7_wDx

はじめて投稿させていただきます。

「両手で林檎を握りしめた手」が「大地に埋められて」いて、「全身が起立している」「肢を枝にして樹状に」「刺さっている」という情景が、すごいと思いました。「それなのに空を飛ぼうとしている」という一行は、力強く、かなしくこころをゆすぶられます。

「両脚がけんめいに宙をノックする。駆け抜けるように。バタバタと羽撃いている。」も、動きがこころにありありと浮かびます。その動きに、読んでいる人間も感情をかき立てられます。

その両脚の動きが「アイニイキタイ」というかたちでうごいているのだ、とわたしは感じました。

非現実的な情景なのに、ものすごく実在感があるなあ。。。と。詩の力ってすごいものですね。

「クレヨンで書かれた返信は、薄っすらとディフォルメされて、/狂うほどに苦い終りを告げられた、/墓のように/どっしりと、居座っている」

ここで、わたしにはよくわからなくなりました。詩の世界に没入できなくなった感じです。「返信」は「アイニイキタイ」という叫び?への返事なのだろうか、どこからどうやってこの大地に「刺さっている」手に届くのだろう。。。と、もやもやした感じになりました(ことばの組み合わせはとても素敵だと思ったのですが)。「墓のように」なにが「居座っている」のかなあ?と、ここでもちょっとイメージがわからず、混乱しました。

「僕の中のいちばん柔らかな燐片が」通り抜けていき、「風にのって」「散乱していく」というのは、とてもこころにしみる情景でした。「誰も/何も知らない砂浜を奔るように」というのも、それにつれて砂粒が巻き上がる様子が目に浮かぶようで、すごい描写だなと思いました。「誰も/何も知らない砂浜」というのも、かんたんなことばしか使っていないのに、すごくこころをゆさぶられます。

最後の「靴に入った小石のようにいつまでも異物感を奏でながら」で、また??となりました。その前にえがかれていた情景と、「靴に入った小石」の感触が、わたしのなかではどうしても、イメージとして調和しないのです。(もうすこし時間をおいて、また読み直してみると、なにかが見えるのかもしれません。)「異物感」を奏でる、という表現には詩として魅力を感じるのですが、あいだにはさまっている「靴に入った小石」の前後で、詩の世界、情景がわたしにとってはうまくつながってくれません。

いっしょうけんめい批評をかこうと思ったのですが、つたない感想みたいなものになってしまいました。ご不快に感じられなければよいのですが。。。

また、作者に答えをたずねるなんてとても失礼なことだと思うのですが、わたしがよくわからなかった箇所について、何かヒントになるようなことを教えていただけると、嬉しいです。ありがとうございました。

6ヶ月前 No.1

ハァモニィベル @eyesonly☆AVJdYWehU3w8 ★G29uuolDOu_Czx

なつの さんへ

とても丁寧に読んでいただき、ありがとう御座いました。

此処は自分勝手に書いている人が多いので、そのテの書き方でも表現の必然性のあるものが描けるか、模索してみた試作品です。

読んでお感じになられる通り、「アイニイキタイ」の連呼 に至るまで、の前半と、その後半(そしてとくに、最後の一行のところ)でトーンが変わっています。

前半はわりとくっきりと描かれており、マニエリスムの彫刻家 ジャンボローニャがこの姿の像を彫ってくれたら嬉しいなという感じ。後半は心象のメモ(書き置き)という感じになっています。

さて、

>作者に答えをたずねるなんてとても失礼なことだと思うのですが、
>わたしがよくわからなかった箇所について、
>何かヒントになるようなことを教えていただけると、嬉しいです。

以下に、幾つかヒントを書きます。


(1) アイニイキタイ(愛/逢い:生きたい/行きたい)の連呼の柱は、そのまま連ねると


     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
     アイニイキタイ
  キミニアイニイキタイキミニ
  キミニアイニイキタイキミニ
  キミニアイニイキタイキミニ
  キミニアイニイキタイキミニ
逢いに行きたいきみに君と愛に生きたい
逢いに行きたいきみに君と愛に生きたい
逢いに行きたいきみに君と愛に生きたい


こんな風に墓石のような形状になります。


(2) ただ、↑のように描いてしまうと「アイニイキタイ」という生の情念が興冷めします(むしろ別のものになってしまいます)ので、示唆にとどめています。
  この表現を採らないで、額縁に入るような抒情詩で書くこともできますが、
  この作品では、敢えて、このスタイルを核の部分で採用しました。
  それが、伝えたいマインドにいちばん即応していた(レアな機会ですが)からです。
  ただ、充分に情念が伝わればそこで十分ですから、過剰で饒舌な造形は私の趣味に合わず、
  この詩で間違いなく伝えたい部分は、カタカナの連呼の部分に至って完了しました。

(3) 逆さになったままでいると人間は死んでしまいます。昔の死刑みたいな格好でいる状態ですから、
  意識も朦朧となるでしょう。なので、その心象が、メモ(書き置き)のように、そのあと、飛躍した言葉で(メモだから)続いています。
  意識が花びらのように散っていくシーンで、ここだけで、1篇書けそうなところですが、今回は、額縁に飾る詩ではないのと、現在まだ、肢をバタバタさせている状態がメインなので、死を感じさせるこの部分は予感程度の描写になっています。


(4) しかし、逆さだったのに、最後の一行は、急に歩いてるイメージに変わりますが、
  これは、ずっと心象だったのを、日常の視点にもどした(夢から醒めた)わけです。
  そこを、説明抜きで書いてあるのは、後半はずっと、愛する人に書き残した「メモ」であって、他の人には分からなくても、このメモを渡す相手には伝わる筈、そういうメッセージとして書き手に意識されているからです。


額縁に入れる「作品」ではなく、「メモ」であることを、むしろ積極的に志向してみた(さくひん)の試み。そんな感じで書いてあるので、探偵を悩ませるかも知れませんが、


(5) 全体のまとまり、という点については、
  題名の「樹状」が、すべてのヒントになるようになっています。

 「樹状」とは何でしょうか?

  1. ひとつには、《亀裂》ですね。メモと言いましたが、破り捨てたメモ、手紙かも知れない。
  2. 作品が断裂しているように見えるのも、繋ぎ合わせた断片が足りないのかも知れない。
  3. そして、そもそも逆さまの起立。
     この時、肢を上にして「Y」字型に倒立しています。これが樹のようであると同時に
     《人間は、人生の分岐路で、どちらに歩いていくかを選択する連続だ》という象徴です。
  4. そして、心が《はり裂ける》直前のヒビ割れていく「樹状」。




がらくたの様な人間の心の痕跡でも、他人が見つめるときは、土器を修復するように繊細で丁寧な作業を必要としますね。



6ヶ月前 No.2

二川湯ん太郎 @nikawateta ★XYZwygRrEB_TnX

「両脚がけんめいに宙をノックする。駆け抜けるように。バタバタと羽撃いている。」

ここから鳥になりたい願望を観取しました。

「それなのに空を飛ぼうとしている。」

ここからもですが、そしてアイニイキタイの連呼、リフレーン。

クレヨンで書かれた返信など詩的表現が充溢していると思いました。

6ヶ月前 No.3

なつの @hagoromo ★GXjYbd8aO7_wDx

ハァモニィベルさま

わたしのばかみたいな質問に、ヒントという以上のくわしい解説をしてくださり、ありがとうございました。
もちろん、それでも、わたしにこの作品が「わかった」とは、いえません。そういうのは、さらに失礼なことでしょう。
それよりも、詩をかく時に、こんなにも緻密に考えを組み立てていくものなのか。。。というのは、わたしには気が遠くなるような、ちょっとした衝撃でした。
そういった面も含めて、いろいろと教えてくださったこと、ヒントを与えてくださったことに、あらためて感謝したいです。ありがとうございました。

6ヶ月前 No.4

ハァモニィベル @eyesonly☆AVJdYWehU3w8 ★G29uuolDOu_Czx

二川湯ん太郎 さんへ


 作品が向いている方向に立って、そこから読み味わうというのが、ごく素朴で自然なことであり、すぐれた批評の端緒だと(私は)思いますが、その為には、その作品がどっちを向いているかが、判らなくては、その素朴なことが実はできません。

 一見素朴なようでいて、じつは、適切な感度が必要なのであり、それもまた(私に言わせれば)味覚の一種です。そうした適切で柔軟な感度の持ち主から貰うコメントは、作者にとっては、《その感度と出会う悦び》に他なりません。

 二川さんは、作品の向いている方向を、ごく当たり前に自然にキャッチできる柔軟な感度の持ち主だという信頼感があるので、私も、頂いたコメントの言葉をたどっていろいろ考えてみることで、もう一度、自分の作品を客観視する機会が得られます。

 以上の意味を踏まえて、コメントに感謝します。味わって頂きありがとう御座いました。


因みに、蛇足ですが

「数の子というのは、音を食べるものだ」と言った人がいて、愉快で確かな味覚の持ち主でしたが、その言葉をいま一行詩だとすれば、

その作品が向いている方向は、当然(わかる/わからない )ではなくて、(歯ざわり/歯ごたえ) の、経験と記憶とそして発見でしょう。


6ヶ月前 No.5

ハァモニィベル @eyesonly☆AVJdYWehU3w8 ★G29uuolDOu_Czx

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6ヶ月前 No.6
ページ: 1

 
 
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