人が、流れ、 28日前 No.0
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詩が終わらない 即興は常に生まれている
人が、流れ、 28日前 No.0
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詩が終わらない 即興は常に生まれている
美しい作品です、ただ、ほんのすこし、きにいらない部分、あります、でも、それでも、美しい、です、
……きにいらない部分、きっと作者様ならきっと、だから、あえて、です。
高柳蕗子 は、私は、こわい部分を連想してしまうレトリック、で詠まれる、女流歌人 です、ね。私は、初めて目にしたとき、背筋がひえました。
複雑で、とても気になる短歌を詠まれる方、
この作品を私程度の知識では読み取れず、悔しい思いです、
ただ、美しい作品を読ませて下さり、有難う御座いましたとのみ、お伝えしたく、それだけ……
誠に有難う御座いました。
失礼致します。
くら @goburin ★iPhone=xMtA2CYZuX
こんばんは
昔々にお見かけした方に詩作の雰囲気がすこしばかし似ており、懐かしい気持ちになっていました。それもあって、どう読むべきかな。悩ましいところですが、三連と五連だけ。これは両方とも主観の語りだと思うので(まぁそんなに綺麗に分離してはいませんが、四連の私は薄いと思ったので)。
二連の、やや唐突な雨を受けて、三連は成立しているんですかね。ですが、全体のなかの挿入部としてもよく機能していると思います。ここでは視点変更というか、キャラクターの配置が行われていて、それが感情をざわめかせます。、と読むこともまぁできるし、そうしなくてもいい。やや実験的にも思えますが、うずうず書きたくなったパートに思えます。
五連。ががががごーんが何を狙っているか分かりません。音?運命の音では陳腐でしょうか。たぶん、詩には書けない(虫食い)、だと思いますが。だとしたら人間らしさを感じる。
五連は、連想というか言葉の抜き出しが精妙だと思います。適度な温度感、色の言葉を見つけるのはセンスですね。ちゃうか、技術なんかな。全体として詩的にみることも可能です(などと言っておく)。
とはいえ、僕がこれを理解するというのはちょっと無理そうです。読みようはあるし、拾い出すことはできますが、全体として整ったイメージを持つには、五連は奔放さが手に余ります。まぁ読む必要もないと思うんですけど、誰のなんの話なのかさっぱり分からなくてすみません。題材が普遍的である必要があるとも思いませんが、わたしに娘がいればまた違ったでしょうか。
三連と五連に比べて、他のところは弱いように思いますが、全体を引き締めてはいるのかもしれません。よく言えば調整、悪く言えば整え(どっちも一緒か)。とはいえ何回も読んでいたらこの温度差にも慣れてきました。
全体として、「おお、詩的やんけ」って感じ。
アートですね。
あと、読点の効果は様々なんでしょうが、ひとつ面白いと思っているのは、単語を無限に連想的にも、そうでないようにも繋げられる(ように見せかけられる)ということです。突飛なつらなりを成り立たしめる手腕は見事です。楽しげです。
それをしながら詩の空間やストーリーの奥行きを広げるのは案外と難しいので、なるほど、ぽこぽこぽこ、ぽこ、って感じですね。網の目みたいな発想ですね。
黒鍵は、
朝を
指先に、泳ごうと、
シャープな
波を
解体している
背すじの、、
に、微笑む、竜胆が
やたらに、
生ぬるい常春
うーんぽんぽんやるのは難しいですね。なんかが邪魔して全然できないや、ダメ。無理やり繋いでしまう。一回、一連の長めのフレーズを作ってから読点で分離していけばよいのかな。固有名詞とか具体を使って短く仕上げてみるとかも面白そう。ちょっとこの選語感覚や文調、読点の場合の一文のつなぎ方を勉強したくなりました。
(多分)久しぶりにありがとうございました。
ちょび ★QL78yfwE6T_ubH
はじめまして、ちょび、と申します。
ず、ずいぶん倒錯して下手な詩で威張ってくれて、ありがとうございます。
あんた、人が自分の悲劇を同じように体感してくれて、
そのうえで自分を救ってくれるものだと、勘違いしてねぇか?
人が、流れ、
流れて、また、
悲鳴だ、
松明の、様な、
なんのトリックもねぇよな
この間にあるのは、「人」と叫べば自分が救われるという、ま、
後半に向かい
わたしは、かつて、
運命の、ががががごーん、
甘え過ぎじゃねぇか? 君
わたしは、かつて、
運命の、ががががごーん、
わたしは、かつて、
運命の、ががががごーん、
わたしは、かつて、
運命の、ががががごーん、
わたしは、かつて、
運命の、ががががごーん、
で、政治信条的に、君は何が言いたい?
立腹しているということを、恨みを込めて言いたいのか?
下手くそを吠えて、そのうえで下らん批判をして、何を言いたいのか、聞かせて貰おうか