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切手

 ( プロ詩投稿城 )
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一輪車 ★I1wpISAuQ2_YD6

あの頃、わたしは世田谷にある仏教系大学の管財部臨時職員として
公園の裏手にある下宿屋から毎日徒歩で職場に通っていた。

ある朝、まだ田圃や小さな雑木林の残る、細いあぜ道を歩いて大学に向かう途中、
一匹のヒキガエルが道の真中にいるのをみつけた。
近づいても逃げなかった。堂々としてまるで塑像のように動かないので、
そのままカエルをまたいでいった。

昼どきになって散歩がてら下宿に戻ると、朝のカエルが同じ場所にまだ
じっと蹲踞(そんきょ)していた。あれから五時間はたっている。
これが爬虫類と親戚の両生類というものかと、おどろいた。

その夕方、カエルのことはすっかり忘れて、あぜ道にさしかかった。
あのカエルはバイクか耕運機に轢かれたらしく同じところから一ミリも
動かないで、ぺっしゃんこになっていた。
まるで一枚の切手のように。

脆いものだとおもった。しかも脆い存在であるのにあのカエルは身を防ごう
としなかった。
それどころか積極的に身の危険に存在をさらしていたとしかみえない。
では、あのカエルはいったい何のためにこの世に生まれて出てきたのか?

バカのように危険に身をさらし、バカのように身も蓋もなく死んでいった
一匹のカエル。
この出来事、この生には、一寸の意味もないのか?

意味がないわけがない。いや、無意味にしてはいけない。無意味にしないのが
人間が生まれてきた理由だろう。と、わたしは全力で思考する。

まずカエルはわたしにその死を見られている。このことは決定的だろう。
これが偶然であろうと見てしまった事実は覆らない。カエルの死は無意味ではない。
わたしはカエルの死を命がけで考察する。
無を有にする思考を綴らねばならない。

一瞬にして消えていくもの、それは詩もそうである。
ほとんど読まれず、読まれても泡のように次の瞬間には忘れ去られる。
また読まれるとしても出会うのは一瞬、一瞬の言葉の目撃の現場だ。
カエルと同じだ。詩はその弱さを裸で外界にさらしている。
ははは。

と、わたしは嗤いはじめる。カエルの"無よりも軽い生"と詩の宿命とどう違う?
いや、まて。
消える弱さ、ああ、そうだ、お笑い芸人がテレビでバカなことをいって叩かれて
いたな。
中国が尖閣列島に攻めてきたらどうする。明け渡します。沖縄に攻めてきたら?
明け渡します。ああ、アホな話だ。
カエルと同じだ。しかしこれがあるいは詩の場合は本質なのかもしれないぞ。

さっと散る桜のようなものだ。あれは、
地球に貼り付けられた切手だった。あのカエルはわたしだけのために現れ、わたし
への伝言をみずからを切手としてわたしに郵送したのだ。
まるで詩のように。





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黒髪 @kurokami00☆goIK5PGZO9Y ★HKukP6WvZP_gUY

一輪車さん

批評させていただきます。
切手っていう言葉は、明るく軽やかなイメージがあります。そのイメージを、ヒキガエルの轢死体に付与(与える、命名する、みなす)する
ことによって、人間存在の気持ち悪さを、少し軽くするものでしょう。
世田谷は、僕も住んでいたことがあります。郵便局で、フランス人の蓮見重彦夫人を見かけたことがあります。
こうして、世界が明らかになっていき、複雑な(それ故に生まれる?)悲劇が、明るいスポットを当てられた語り手とヒキガエルの
世界に、何らかの意味が生まれます。というのは、僕はこの詩に共感したのですね。
ニヒリズムの克服ということだと思います。

精力的に詩を書かれていますね。また少しづつ拝読させていただきます。

8ヶ月前 No.1

一輪車 ★I1wpISAuQ2_YD6

黒髪さん、コメントありがとうございます。

>ニヒリズムの克服ということだと思います。


じっと見ると目がやられて、なにもわからなくなりますね。
死というのはわたしにとっても差し迫った問題ですが、
考えれば考えるほど、なにかこう、蟻地獄のようにあとずさっていく。
考えないのが一番いいのだろうけど、それじゃアホみたいで嫌なんですよ。
アホになるか狂うかしかないのでしょうね、死という問題に直面すると。

8ヶ月前 No.2
ページ: 1

 
 
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