老いと死と柔らかく揺れる蝶の羽 2年前 No.0
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老いと死と柔らかく揺れる蝶の羽 2年前 No.0
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老いと死と柔らかく揺れる蝶の羽、
読み手を掴んで離さないこの1文に震えました。その後に続く描写もとても好きなのですが、血管の浮いた、という表現は全体的にある幽玄で淡く切ない世界観に少し不似合いなのではないかなと思いました。童話のワンシーンのようでもあり、日常の1部でもあるようなこの詩が好きです。ありがとうございました。
瞼さん、ありがとうございます。
老いと死と柔らかく揺れる蝶の羽
薄い月
斑のガラス
煤けたレース
幽光が老婆の顔を照らす
節くれ
血管這う
紫の手がベッド柵を握り
起こしてくれと泣く
硬い椅子に座った私も同じ光の中にいる
いつものように老婆に問う
どうして
いつものように老婆は言う
「家さいぐ」
窓から見える花はモノクロで
蝶は何処かで眠っている
と、してみました。
良くなっていると、良いのですが。
どこか硬い雰囲気が浮き上がるようで、不思議な感覚に陥りました。
もう少し、この作品に沈み込みたいので、少し時間をおいてから、また、読みに来させてくださいませ。
失礼いたします。
この作品の何が不思議って、音がないのです。
それがどうしようもないずれとなって私の中で巡る
そう、止まっている。
この作品をつかむ言葉を私はまだ持てないでいる
すみません、もう一度来させてくださいませ、
次で説明できるようにいたします
たぶん伸びが無い
や、炭酸さん、ご無沙汰してます
そ、いつもながら辛らつですが、
冒頭から言わんことは分かるが、伸びが無いのです。
なんらかの倦怠感と+何かを述べるにあたってですよ、
老いと死と柔らかく揺れる蝶の羽
これでアナタ、発起できていると考えているようですが、
残念ながらそれは無理です。
老いと死や
と書くほうがより直線的であり、そう、このあたりなんです
どうして筆を斬る、ということが何故出来ないのか?
それはアナタの発起が弱いからです。
次行、次に続く言葉を選べずにいる挙句、
蝶だなんだと余計な美辞麗句か詩的だとされる常套句を「使ってしまう」
老いや死や
いいじゃないですか。
斬る。という手法というのはですね、
次、を確実に分かって打つ手なんです。
そういう散切りを使うアッケラカンなところ、あなたにはあったと思うのですけれど?
今晩はです、と記載しそうになり、もうおはようの時間帯だわと……何度も申し訳御座いません。前回の発言通り、思考を纏めてまいりました。
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私が前回、音がないとお伝えした部分を自分で読み返し、もしかしたら、その言葉のニュアンスを誤った形で表現してしまったのではないかと反省をしております。作者様のお言葉がないので、これは全て私の妄想に過ぎず、違っていれば申し訳ないです。
音がないと表現したのは、この作品上に漂う、死や老いを思いながら記載したものではないのです。本当に文字通り、音がないと感じてしまったと記載しています。
そのことを私なりに考えこみました。そうして、イメージの食い違いに違和感を感じ取っているのだと、ひとつの過程を記載しようと思います。
……作者様は、死や老いを生(なま)で接したご経験がもしかしたら、薄いのではないかしら、と失礼ながら、想像いたします。
……何故なら、私が経験上知っている、老いや死は、決して穏やかなものではないからです。
私の薄っぺらな経験の中でもそうなのです。もっとご年配の方が目にされればもう少し深いご意見を頂けるのではないかと想像致します。……ここで言葉を書いている者が私で、申し訳ありません、
……つまり、私が何を言いたいのかというと、音がない=感情の波が見えない と言いたいのだと思います。
ここで、作者様は敢えてそのような技術を使われたのではないかと思考し、その方向性で、次、思考致しました。
つまり、老婆は何かのニュアンス。鍵となるもの。そう、タロットカードの死神のような何かを示す存在なのかしら、という読みです。
>『硬い椅子に座った私も同じ光の中にいる
いつものように老婆に問う
どうして
いつものように老婆は言う
「家さいぐ」』
ここで、>「家さいぐ」という老婆の放った言葉を目にして、私が受け取ったメッセージは、>家
というイメージそのものでした。
つまり、老婆は、何かのメッセンジャーとしての役割をこの詩作品の中では行っており、そこでは、>家というのは、大きく意味のある言葉らしい、ということです
>『 窓から見える花はモノクロで
蝶は何処かで眠っている』
モノクロの花というものは現実世界では存在せず、蝶は見えていないらしいと解ります。つまり、
>『蝶は何処かで眠っている』
このお言葉は、隠喩なのではないかと読みました。つまり、どこかで眠っている蝶とは、どこかで眠っている私を隠喩しているのではないかという読みです。
つまり、この詩作品は、夢の話だと示してくださっているのだと思うのです。
この詩作品には、様々なメッセージが鍵として散らばっている詩作品なのだと私は最終的に読みたいと思います。つまり、この詩作品に感情というものは必要なく、老いも死も何かを示す鍵に過ぎない。だから、メッセージとしての機能しか必要ないということなのではないかしらと思考致しました。
そして、私は、こう思えたのです。この詩作品が伝えたかったものは、
>『薄い月
斑のガラス
煤けたレース
幽光が老婆の顔を照らす
節くれた
血管の浮いた
紫の手がベッド柵を握り
起こしてくれと泣く』
この部分ではないのかと、
>『幽光が老婆の顔を照らす
節くれた
血管の浮いた
紫の手がベッド柵を握り
起こしてくれと泣く』
ここには唯一の感情と動き、表情といった、生(なま)が見えるからです。けれど、ここの描写には、老いという描写はあっても死そのものの描写というには弱い。どちらかというと、死に向かう可能性のある老いを見るように思います。
ばらばらにちりばめられたメッセージが描写し、示すのは結局は、夢ということと、家ということなのではないかと私は想像いたしました。
つまり、家に帰りたいのだろうなと。
夢に沈む中で、そしてその夢を覗き見る私は、老婆の家に帰りたいという思いを見たのではないかと想像致します。
情景は、病室のベッドで祖母を見つめる年若い子のイメージを思います。
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……妄想だと指摘されても反論出来ない読みを申し訳御座いません。けれど、私自身は、本当に読ませて頂けて感謝の気持ちでいっぱいです。
素敵な作品を読ませて下さり、有難う御座います。
失礼致しました。