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自分の作品について

 ( 詩人掲示板 )
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klein★DKgQ/TaEY.A

詩を時々書いてます。
一日に100個書くときもあれば、時間がなくて1作書いて
立ち去る事もあります。
そうして作ってきた自分の詩について
いつも思うのですが

結局、作品は作品であり私自身では無い。ということです。

私は詩で自己表現をしているわけでも
思想を訴えているわけでもないのですから
詩を褒められたからと言って
私を褒めてもらったとは考えません。
(ただ「作品」はお礼を言えないので、作品の代理人として感謝の言葉をお返しします)
ただ適当に、キーボードを打っているだけです。

詩が良い感じだから、書いている人も…と思われると
とても困惑します。自己表現をしているわけではないので、
詩=私の思想 にはならないのです。

私と私の作品には「著作権」という関係しかありません。
その著作権にしたところで、web上に載せた以上は
大して多くの権利は残っていない筈です。

正直に思うのですが
私が書いているような詩は、ぶっちゃけ誰でも書けます。
ちょっと言葉を飾ったり
奇妙な言い回しをしているだけです。
私だから書けているなどとは、思っていませんし
そんなことはありえません。

…と、思うのです。

2006/03/08 12:45 No.0
ページ: 1


 
 

重永栄治

そうですか。では私は、kleinさんを勘違いしていました。『詩を書く』というkleinさん欲求【欲求とは言えないのかな?】は、自己表現ではなく、それ以上のものに私は見えました。『それ以上のもの』そこにあなた、kleinさんが立っているのだと…私はまなざしを得ていたんです。私の勘違いによりご迷惑おかけしましたm(__)mしかし、アナタは作品を書いて行くべき人ですよ。アナタのためじゃなく大衆のために。すると、『作品』の在り方が変わってくるのではないですか?

2006/03/08 15:32 No.1

klein★DKgQ/TaEY.A

あ、謝らないで下さい〜!
ネットは文字だけの場なので、誤解が生じるのは
仕方の無いことだと思います。
今回は説明の記事を書く時間がとれたので
私自身も良かったと思ってます^^
時間が無いと「もう来ません」とかいう対応を
するしかなくなるので…そのような対応でなく、こうして
記事をかけて「良かった」という意味です。

うーむむ
過分な褒め言葉(おすすめの言葉、と表現したほうが良いのかしら…)をいただいて
じゃっかん戸惑っています。

ええと
「アナタは作品を書いて行くべき人ですよ。アナタのためじゃなく大衆のために。すると、『作品』の在り方が変わってくるのではないですか?」
というお言葉が
よく解らないのです…
(オフラインでは、趣味でBL小説や漫画を書いている人間なので)
私はそのような在り方は、別に望んでいない…のですが、いかがでしょう。

2006/03/08 16:30 No.2

重永栄治

望んでいないのであれば、仕方ないですよね。とりあえず私は“kleinさんの詩”が好きなんだ!!!!ともあれ、私は、詩人になりたいと本気で思っているんです。そのため、私はそういう仲間が欲しかっただけかも知れません。

2006/03/08 16:50 No.3

klein★DKgQ/TaEY.A

仕方ない、と納得して下さって
安心致しました^^
ありがとうございます♪

私が書くようなタイプの詩でしたら、
色々な方が著書やWEB上でも
書かれていると思いますので(世間は広いそうですから…)
そのよう方々の
私よりも、もっと洗練された素敵な詩に
重永栄治さんが、この先も出会えることを
心からお祈りいたします。
最後になりましたが
詩人になりたいという夢、とても素敵だと思います。頑張って下さい♪

それでは、長々と失礼致しました。
ご理解くださったこと、心からお礼を申し上げます。

2006/03/08 17:40 No.4

重永栄治

これからもkleinさんと親交を保っていきたいです!!私、最近友達にサイト作ってもらったんです。できればkleinさんに見てもらいたいです。それが可能なら見てくださいますか?

2006/03/08 17:59 No.5

klein★DKgQ/TaEY.A

大変光栄なお誘いをいただいたのに、申し訳ありません…

実は、今日を最後にネットから離れるのです。
詩を書くことも、今書いている記事が最後だと思います。
(現実世界での執筆は一切しない予定なので)

パソコンが自分の物でない以上、
本当はもっと早くこうするべきだったのですが
ずるずると投稿してしまいました。

ですが、現実世界も忙しさを増し
最近は投稿する時間も、あまり取れなくなりました。
それで今日を最後に
ネットを離れる事になっていたのです。

言いそびれてしまい
大変申し訳ありません。

2006/03/08 22:51 No.6

重永栄治

私たちは現実世界に生きているんですよね。その通りです!!やはり私はkleinさんが好きです。私は「e-j」として頑張っていきます。

2006/03/08 23:51 No.7

削除済み

この投稿は削除されました】 BY すが☆削除役

2006/09/02 21:15 No.8

ぷーちゃん ★YEpJGVeCusA

私は人間だ!私は、大空に広がる雲でもなければ、森の中で地をまたぐ熊や象でもなければ、書店に売っているけしゴムでも無い人間だ!!この世に生きるその瞬間から、命がかけてしまうまでの初め一歩をもう進んでいる。だから、生きていられる・今の自分でいることのできる時間がかぎられている。一秒でも今しかできない事をする。「何もしない」なんてありえることじゃない。自分に対して真剣勝負で毎日どんなことにも情熱をかけるんだよ !!ばかばかしいとか言ってられないんダヨ。この時間は、無制限のゲームなんかじゃないんだよ!!「私は不幸な人間なんだ」。何を基準にしているの?人間は、そんな事ばかり気にしているの?ダメダメ。ダメだよ!ポジティブシンキング!ついてない時がたくさんある日もあるけどそれはそれでもう終わり。いつもマイナスにことを考えるのは、人間だからなのかもしれない。でも今、この姿の私にしかできないことを砂時計のように落ちていく砂のような今!このときに精一杯してみよう!人間に生まれてきた私だからこそ!!

2006/09/23 22:12 No.9

★b6WEpnfMwK_NYW

『詩作』と『作品』の違いを先ず考える。
とはいえ「自分の詩作」は「“自分の詩”を作る事」とは異なる。
「自分の作品」は「自分の、詩を作る事[詩作]に依る、作品[品]」なのだから。
「自分の詩作」は「“自分の作品”を詩とする事」なのでも無い。
何かを“詩とする事”と何かを“作る事”とは異なるから。
だから『自分の詩を作る事』と『自分の作品を詩とする事』も異なる。
とはいえ“自分の作品”と“自分の詩”は異なるだろうか。
『自分の、詩を作る事[詩作]に依る、作品[品]』と
「自分の、“(品として)作る事”に依る、詩」は異なるだろうか。
自分の詩作に依る品[作品]と、自分の品作[作る事]に依る詩は、異なるだろうか。
“自分の品”と“自分の詩”は異なるだろうか。

「自分の作品[自分の品]」に於いて、
或いは「自分の詩」に於いて、
自分が作品や詩では無いならば。
自分を作品や詩に含め得ないならば。

『詩作』こそ自分らしく在るだろう。

5年前 No.10

★F3tZQImChi_rtI

次に「品-作」と『作-品』の違いを考える。
或いは『詩-作』と「作-詩」の違いを考える。
品格ならば未だしも“詩-格”は問い得るか。
或いは“品-作”など果し得るのか。

何故、詩作ならば問い得るのか。
『作品(≠品-作)』とは何か。
では、品格は作り得るのか。
品は作り得るのか。

『品として作る事』と「品を作る事」の違いを考える。
しかし格として作ったり格を作ったりは考えない。
だから品格を作る事(≠品を作る事)は考えないが、
(品を)作る事に依る格は考える。同様に、
詩(を)作(る事)に依る、品格や格や品を考えよう。

さて、此処で詩が品であるならば、
詩作に依る品とは品作に依る品と為る。
『品[作品(≠品-作)]』とは何か。
詩は果して、品で在り得るのか。

 +

“作-詩(≠詩作)”は何故、作-品では無いらしいのか。

5年前 No.11

@migraine ★yH7BaMbSGL_goM

http://mb2.jp/_poem/258.html-97

《詩-作者と品-作者》

私達は品-作者では無い。
詩-作者は品-読者を作るのでは無い。
品-読者が読みたいものを詩と呼び得るのでは無い。
詩-読者こそを作りたいが故に、私達は“作者”を作り得る。
品-作者では無く、我ら“詩-作者”こそを。

5年前 No.12

@migraine ★yH7BaMbSGL_goM

http://mb2.jp/_poem/34.html-11

 ――詩が“わからなく”なるのは作る事に重きを置くから。詩を“知らなく”なる訳では無いのだ。作-詩、作-品、どちらも「作る事」こそがわからなければ為し得(たとは少なくともみなされ)ない。/一方、詩-作や品-作は「詩」や「品」が何なのかの『説明』を先ず為し得てからでないと、わからないだろう。何を作って良いのかわからないだろう。
 違いや違いの付け方は読んでみれば判るでしょう。最も明らかな違いはアクセントでしょう。――『詩作』を「開く」の様には読まないし、『作詩』を「策士」の様にも読まない。(ただ、英語だとかのアクセントの付け方の癖が染み付いてしまっていたりするとアクセントだけに頼るのは確かに酷かも知れないけど。



“土台”ってこういうことじゃないん、?

5年前 No.13

@migraine ★iPhone=ioS36K14w6

>>12 (928)

でも書こう、伝えよう、信じよう、信じられよう、受け容れよう、与えよう、そして考えよう、

けれども考えずに措こう。考えない。伝えない。
なのに伝わって居る。信じようとする前に伝わって居る。
考えて居るからなのか。何故、考えて居るのか。
『考えずに措こう』としたにも拘らず何故考えて居るのか。
或いは、考えて居るのか、考えるのか。

(考えて)居る事を考えるのか、
考える事を(考えて)居るのか、

+

《(考えて)居る事を考えるのか、と、考える事を(考えて)居るのか》

私達は『考える事を(考えて)居る』のでは無い。
(一方、)『(考えて)居る事を考える者』は
「考える事」の読者を作るのでは無い。
「考える事の読者」が読みたいものを
「(考えて)居る事」と呼び得るのでは無い。
「(考えて)居る事の読者」こそを作りたいが故に、
私達は「居る事を考える/考えて居る」を作り得る。
『考える事を(考えて)居る者』では無く、
我ら『(考えて)居る事を考える者』こそを。

4年前 No.14

僻猫 @migraine ★iPhone=ioS36K14w6

泣け無い
泣か無い

行方不明
行方非明

何処へ
何処かへ

何を
何かを

+

僕はずっと『薄暗がりを聴く』という事を考え続けて居るのですが、
今の僕が考え続けて居るという訳ではどうも無くて、
泣か無かった僕が、
泣け無かったかも知れ無い僕を
ずっと思い出し続けて居る。

4年前 No.15

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

最近の私は、全く同じ詩をかく人間はいないのだからどんな詩をかいても良い、と思っています。
自分が詩をかいてしまうというか、詩的表現に文章がそういう風になってしまう。
そういう文章表現が好きで、もう好みの問題です。

>正直に思うのですが
>私が書いているような詩は、ぶっちゃけ誰でも書けます。
>ちょっと言葉を飾ったり
>奇妙な言い回しをしているだけです。
>私だから書けているなどとは、思っていませんし
>そんなことはありえません。

それでも私と全く同じ詩をかける人間はいないですから別に良いでしょう。
連詩のスレッドがあり、そこで他人の詩を適当に(ほんと適当に)解釈して改変して、置きますが、
技巧的に私より優れたものがたくさんあるわけです。
これは技巧がどうの、という意味でなくて、それがより私の好みに近いということですが、
つまり、私の好みの味を自分で作りたい、みたいな。
とりあえず、私よりより良いものになっていたりするんですね。
逆に失望することもあります。あぁ、私の詩は私の詩だった、というような。
ちょっとした言葉の飾り、選び方、奇妙な言いまわしは誰にでもマネ出来るようで、
いや、実際マネ出来るのだけど、
その人は私をマネするほど私に興味はないのです。
自分の好みを再現するというか、自分の味が一番楽しい。
だから、自分の詩は自分の詩で、それが稚拙で内容のない飾り立てた白紙でも良いと思うのですね。
じゃなかったら、トランスフォーマーロストエイジなんて誰も観ませんよ。
それと詩を褒められたら、それは私を褒められているのだと思います。
褒められるような私でないと思うのは思いますけどね。
いやー、2006年の記事ですが、僕もこういうことは考えたりしたこともありますが。
なんでしょう、向上心なんですかね。義務感?

4年前 No.16

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

いや、トランスフォーマーロストエイジは失言でした。
あれはすごいCGです。

4年前 No.17

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

書きたいものがあるとして、
その意味を読者に読ませてしまいたいという欲は
詩を詩でないようにしてしまうみたいなのですが、
僕は意味の取れない抒情詩崩れみたいな物と
意味が、あるいは言葉が雄弁に語る歌詞崩れと、
どちらを書くべきなのか悩んだりします。

語りすぎてもいけないし、
意味が無さ過ぎても、(僕は)いけないと思うし
あるいは、その意味を、欠片も読めないもの
感覚を再現するような雰囲気詩も、それでいいとは思わない
メッセージ性は必ずしも必要とは言わないけれど
詩を貫くイメージ、テーマ、
これくらいはしっかりと書きたい(とは当たり前ですが)

多分、良い詩を書けばいいだけで
正直何をどんな風に書いても、良ければ良いんですけど
欲が出てくるので大変困ります
良い詩を書いて、満足したいものですね。

4年前 No.18

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

昔の自分の作品を見ると
謙虚になれます
案外、昔の作品の方が体裁は整っていたり。
僕は今の僕の方がやはり好きですが。
とはいえ、体裁の綺麗な読んで美しい、って、
みなさん、よく僕の詩なんて読んでくださったなぁ
僕が読んでも意味分からないの結構あるのに
有難い話ですね。

4年前 No.19

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

そもそものところは詩を読むところにあるのでしょうか
つまり、僕は読む際に、自分の詩に似た詩を好むのですけど
最近になって
良さがわからなかった詩の良さが分かるようになる個人的体験がありまして、
ふーむ、つまり、こういう詩を読めるということは
書けるということでもあるわけで
僕はあらゆる詩をかける詩人になってみたいと思うことがあります、
あざとく、媚びず、一人だけの、大衆的な。

4年前 No.20

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

それから僕はやはり、思想をぶちこんで良いと思います。
そうでなかったら、いざというときに自分を詩人と呼べるのか疑問です。
自分は詩人であると自称するならば、
読者を考えさせないといけないような気もします。
それが全く出来ないので困っているのですが、
つまり、 >>0 にもある通り、詩っぽい自己満足なら
それは見せて、批評される意味があるのか。
そういう悩みに苦しみます。
稚拙で内容がない詩も書くべきですが、
同時に、そうでない詩も自分には必要です。
詩は、時々、哲学でなければならないと思います。
哲学の意味するところは
別にプラトーやデカートをやりましょうという意味ではないです。
つまり、ただ、何かについて真剣に考えたり。
透徹した目とよく言われますが、それをもって詩を書くことを
時々でもいいから、しなきゃならないと思っています。
良い詩とか良い詩人が何かは分かりませんが、
透徹しない詩は、あるいは正確に切り取られなかった詩は
いつまで残るのか。
それはあたかも、あらゆる設定が大量に消費される娯楽小説と同じ、
あるいは、そういう娯楽的な時代の内にいることだと思います。
そこでの自分と、詩人である自分とは、
多少の隔たりをもって、省みられるべきである、気がします。
しかし、詩でもって透徹するのは大変難しい気もします。
それには読み手の協力が不可欠でしょうし、
うーん。よく分からないです。

4年前 No.21

体内都市 @ookumo1310 ★z80q9lxKhR_jwI

詩は自分にとってあくまでも娯楽的趣味である。映画を見る、読書をする、散歩をする、といった程度のものである。
しかしながら、記録として残るものであり、その時々の自分の状態や考え方を知ることができ、生きている時間内での日記的な立ち位置かもしれない。
よって、自分の詩は、芸術的、文学的などの「作品」群を創作するという性格から外れているし、つまり、自分は怠け者詩人だと思う。
 なるべく、他者に害を及ぼさないよう、趣味としての範囲のなかで、いくらかの上達を意識しつつ、今後も続けていくつもりだ。

4年前 No.22

僻猫 @migraine ★iPhone=ioS36K14w6

僕は最近は殆ど来れ無いのですが書いてみます

+

僕は先ずハンドルネームを消します。
それから触れます。
触れ方は舌先でも良いし指先でも良いし、
そして息を吹きかけます。
揺れます、其れが揺れるというより、
揺れたのが其れです。
其れについて書きます。

だから『先ず』する事と「書く」事には隔たりがあります。
それから『僕』を考えて、ハンドルネームを決めます。
すると書いて行けます。
何故なら僕について書くのだからです。
先ず触れる際、息を吹きかける際、
僕を未だ知ら無い。
未だ出会って居無い。
僕が居無い訳では無い。
何故なら僕を知って居たからとかじゃなく、
『僕』とはそういう定義だからです。
定義は存在し無いらしいよ。

さて、
触れるのは
動いたからです。
動かなければ触れないのでしょうか。
其れは動けなくなってみないと判りません。
動いたかも知れ無いからです。
”心”が動いたかも知れ無いからです。

此処で出てきたのがココロですが、
ココロとは空であると僕は考えます。
そうすると考え易いからです。
ココロとは何か、空とは何か、僕とは何か、
言葉とは何か、そういう名付けに先立って其れらは在ります。
だから其れらをそう呼ぶ必要はありませんが
区別したり差別したりして考え易くして考えます。

+

動きます。
すると触れます。
其の前にハンドルネームを消します。
何故ならハンドルネームが記録されて在り、
僕も其の事を記憶していたからです。
触れる前に動く前に消す前に記憶して居る。
しかしながら僕にとっては未だ
”記憶していたというだけ”の事です。
記憶とは何か、さえわからないのですから。
ところが記憶や記録と僕らは其れらを呼び、
記録や記憶ではない何かと区別や差別をします。
きっと僕らが触れる何かは記憶や記録では無いのでしょう。

しかし書くと其れは記録となります。
僕は記録したことを記憶するでしょう。
記憶やら記録やら呼ぶ其の行為とは何かを僕らは知ら無い。
だが其れをする。

そしてきっとまた動き触れ息を吹き掛け
揺れた何かが其れとなる。
僕らは何が揺れるかを知ら無い。
ココロが動き触れ息を吹き掛け何かが揺れた其れが何かを知ら無いが書く。
何故。
何故かを考える前に一連の出来事は起こる。

+

其の一連の出来事の前からなのか
後でなのかはわからないが
『思想』と呼ばれる何かがあるらしく、
僕は其れを簡単に「考え」と呼ぶ。
そして其れは「誰かの考え」とされる。
誰かには責任やら自由やらが生じるとされ
やはりこういった一連の出来事は
”考える間も無く”起こる。

寧ろ考える前に起こる。
或いは考えながら誰かに起こる。
誰かに起こり、其の誰かが僕かも知れ無い場合、
やはり僕は動き触れ息を吹き掛け揺れた何かを其れとする。
息を吹き掛け無いかも知れ無いが
ココロはまったく動かないかも知れ無いが、
とにかく何かを其れとする。
何かを其れとする前に其れには何かが起こる。
例えば揺れる。
僕は、或いは僕らは何かを
単なる『其れ』ではなく
「揺れた其れ」と呼んだり考えたりする。

+

だから『言葉』について考える際も、
「コトバニスル」とは何か、から先ずは考えたりしよう。

4年前 No.23

@migraine ★iPhone=ioS36K14w6

「コトバニスル」事と「コトバを作る」事は異なるだろう。
同様に、
「詩にする」事と「詩を作る」事も異なるだろう。
だが、
「言葉を作る」事と「詩を作る」事は異なるのだろうか。

+

此処で『言葉』と『詩』の違いを考え出すと遠回りになる。
どちらを作るにせよ、或いは
どちらを作り得るにせよ、
『作る』とは何かが問題である
のだが、このままでも遠回りであった。

「何を作るのか」が問題であった。
だからといって『何』を考え出せば始めと同じ、
つまり言葉とは何か詩とは何か違いは何かでは遠回りだ。
だから少し変わった表記をする。
《何'か'を作るのか》、此れが今の問題だ。

+

そして「作ろうとするのかをそもそも迷う」のでは
モチーフや動機の問題に逆戻りである。
或いは「作るとは何か」をまた問い続けるだろう。

もう「作るとは何か」なんて後回しで良い。
一通りの説明や納得で十分だ。

4年前 No.24

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

つまり、良い詩を書ければ良いわけですが
どんなに筆を入れても絵画には空白の余地があるように、
詩にも無限の空白があると思います。
良い詩をどこまでも越えていけると僕は信じており、
しかし、ある作家がいうように
年齢を重ねた僕が手を入れなおした作品は
良くなると同時に良いものを失っているのです。
とはいえ、その詩の欠点(内容あるいは芸術的な)
を見つめ直すことは無意味ではないです。
あらゆる欠点を見つめ直すことで
より、深く見ることが出来るようになります。
完璧な作品を書くことは誰にだってできないでしょうが、
だからと言って、完璧に見える作品で満足はしないでしょう。
書くならば、飢え続けていたいでしょう。
完璧には程遠いとしても、満足
満足のいく作品まで、ずっと歩いていきたいでしょう。
それは手直しとは違う方法で。

自分を動かしたすべて、あるいは
すべてに動かされることにも同様の飢えがあります。
そもそも、動機が無意識的に起こることに
僕は極めて懐疑的です。
(いや、正確には、詩を書く動機に限っていえば)
純粋経験と呼ばれるもの、
それがたとえあるとしても、
言葉がそこにある時点で純粋経験は失われました。
あらゆる認識、思考の枠組みで、それは言語化されます。
前期の言語ゲームの枠内から取り出されません。
それは真実在であるとは言えない。
それがどうしたという問題でもありますが、
あえて、ややこしくするとそういうことになります。
この辺りの解決には、僕のより深い理解を待たねばなりません。
人生は長いのでゆっくり待ちます。

4年前 No.25

明日 @ashi ★iPhone=3uFeiscEJC

タイトルを海苔で巻いて
節分は近い

4年前 No.26

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

ああいうものは書けないから、困る
なんて言ったらいいか分からないけど、空しい
越えられないし

4年前 No.27

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

そういう言葉がどれだけ本当なのか
心の底から何も語れないじゃない
本気で君が光だなんて思うわけないじゃない
君が宇宙一可愛いと思えたとしてもさ
感情なんて綺麗なもんじゃないでしょう
愛してるなんてどこまで愛なのか分からないでしょ
分離しちゃった言葉の上澄みだけ掬い取っても空しいだけじゃないか

4年前 No.28

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

愛されたいとも、必要とされたいとも、つかない思い。
それがなんなのかは分からない。

4年前 No.29

くら ★iPhQZgO0fc_mgE

まったくもって意味が分からん

3年前 No.30

僻猫 @migraine ★iPhone=ioS36K14w6

少なくとも主題板では、或るテクストが詩で在るかどうかは、不在な作者でも読者でも無く、投稿者やコピペ者が決めて居る。

3年前 No.31

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

>>31
なるほど。

3年前 No.32

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

詩を書いているときに、言葉を操る気持ちになることがあります。
私は宙返りするようなギミックはあまり仕掛けないし、
勿論、得意だけど封じているというようなこともありません。
散文の、音と視覚的な心地よさを頼りに詩を書きます。
ぶつぶつきれきれよりは、リズミカルな方が良いなとか。

激しいリズミカルな衝動と僕が連れだってアフリカに追いやられるとか、
りずみかるな、ふれ合いが僕にこだましてしまうから、とか

何を頼りに詩を書いているか。

私の場合は全く、「裏」に何もありません。
モチーフや、イメージや、テーマはともかく、
難しい話は込めてませんし、込めれませんし、
とにかく、そこまで余裕がありません。

まぁ、そんなことは今はいいんです。

詩の書き方、つまり、詩職人としての私の腕前を評価されるとき。

これは私は重く受け止めます。
コンスタントに、「良い感じ」の詩が書けないということです。
「良い感じ」の詩?たましい見せろや!って言われるかもしれませんが、
たましいがあるかどうかと、詩としての完成度が高いかは今は別です。

詩としての完成度、これが何で決まるか。

それを探りにプロ詩を見てるというのはあります。
しばしば、腕だけで書いていると言われるのは、良い詩ではないでしょうし、
ひょっとすると、詩ですらないのかもしれないですが、
しかし、私にとっては、それは詩職人としてうらやましいです。

書きたいことを形にして書けるのと、そもそも書けないのでは雲泥です。
それに心や感性は簡単に出来上がりません。
小手先でも何かを書けるということは必要条件であると思います。

詩において、何を目指すべきか。そもそも、目指すべきか否か。

やはり、訴えかけることでしょうか。
私は今は小奇麗に仕上げることに全力を傾けて、でっちあげするような、
気持ちで一つの詩を書いています。

訴えたいことは少しくらいありますが、それをそのまま詩にして、
私は何度も痛い目を見ています。
自身に拭いきれぬ幼稚さを感じ取りますから。
詩で訴えるのはとても難しいことです。
だから、私はとりあえず、それを目指したり、します。

それにしても、自身の詩が幼稚に思えるのは、
それが詩で訴える程の大事ではないからだという気もします。
余談ですが、私が訴えたいことは、訴えたい人に、その言葉で伝えてきましたし、
好きの言葉を回りくどく、自分に酔って言う気持ちにはなりませんでした。
詩は言葉です。言葉は頭を通ります。
そうなると、それは考えられた広告でしかなくて、愛しさはなくて。

だから、
好き好き好き好き好きーみたいな詩があったら、
私は、ああ、この人好きなんだなぁって思うし、
でも、これ、詩というにはあまりにも職人仕事じゃないなぁとも思うし、
結局、好きは分かったけど、特に言うこともないなぁ、って思います。

難しいなぁ。

3年前 No.33

kura ★iPhQZgO0fc_mgE

そんなことより歌を歌おう!!!

3年前 No.34

僻猫 @migraine ★iPhone=ioS36K14w6

>>10

或る時点で振り返った処で
其の方々を御前は道だと言えるか

僕には言え無い。
詩作は飽く迄も自分らしく在るに過ぎ無い。

3年前 No.35

雨降り☆AbEaVPaDAL0x ★SOFTBANK=EGRcmTx5Om

【はなくそ】


ほじって
丸めて

世人の九割九分には
何ひとつ価値を持たぬ
そんな分泌物を
嬉しそうに弄り回し

ほじって
丸めて

今度は善い形になったと
大威張りでひけらかし

私達の鼻糞は
今日も世界に溢れる。

3年前 No.36

僻猫 @migraine ★iPhone=ioS36K14w6

そんなにほら」と「ほらそんなに

ってぜんぜんちがう。

3年前 No.37

僻猫 @migraine ★iPhone=ioS36K14w6

Q:何故『自分の作品について』のスレへの”不快な”感想や批評やゴシップを「スレ主と呼ばれ得る作者とされる者」は勝手に削除し得無いのか。

A:ネットに『中心』は無いから。

+

正しいかなぁ?

2年前 No.38

蛾兆 ★SOFTBANK=1EUZJOYJie

非表示になっている拙作について(プロ詩)。

・この作品は、先日、主題詩に即興で投稿した同名の作品とは、主題、フレーズ、構成の異なる別作品です。

・自動的な判別スクリプトにより、本文のみ非表示となったようです。

・この作品は、他サイトには投稿予定はありません。

・この作品は、『タイトルしか読めない作品』として、この形で完成稿とします。
『ロンメル将軍』や『詩の構造に関する覚え書き』などに先行事例のある、『タイトルだけの詩』と類似構造をもつ詩の一つに『なった作品』としてご鑑賞頂けると幸甚です。

2年前 No.39
ページ: 1

 
 
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