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詩の心

 ( 詩人掲示板 )
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★4sD2evAAPT_KMC

「心を表現する為に詩を書いてみたい」
そんな思いが、まっさらなスタートでした。
だから、濁点一つにも意味を作り上げ、弄りまわして
自己慰安でも他者に「読んで貰えるような」そんな作品作りをしようと
心掛けるならば

そのはじめのいっぽは、詩を書くそのまっさらな動機が宝物でその動機を育てることは、書く意識を高めることにも繋がると感じます。

此処では、そんなはじめのまっさらな詩に対する気持ちを、数行書いてみては、自分の作品を振り返るそんな場にしたいとそう思っています。

自由な言葉で綴っていきたいです。

宜しくお願い致します。

決まり事が出来たら、メモに書き込みます。

5年前 No.0
メモ2013/03/19 22:08 : 泪☆WyiG5SlLvem3 @rrrui1117★4sD2evAAPT_nXr

まだ決まりごとはありません。


*自由にご自分の気持ちを描いてほしいと思います。

*気軽に気楽に 書きたいことをお願いします。

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☆WyiG5SlLvem3 ★4sD2evAAPT_nXr

森田さん

うん

例えば鍵盤にめちゃめちゃな状態で向き合うとしようよ

唯音だけを聞いているんだ

録音だけして ね

なぁ〜んにも考えない

ドもレもミも無い世界の中で

芸術家になれると思わない?

でも、その曲、二度と弾けない よ

人に説明する為には、誰よりもその曲を理解していなければならない

5年前 No.4

森田拓也 ★BqmXDZTCwN_zxH

泪さん

ジャズの、ジョン・コルトレーンが、晩年、日本の寺で、座禅を組んだりして、無音の世界を探求したみたい。

ジャズ・ギタリストの、ジョージ・ベンソンは、練習をしっかりして、舞台上で、その練習を全て忘れて、心のままに、演奏しろ、って言ってる。

この言葉について、泪さんは、どう思う?どう感じる?

5年前 No.5

☆WyiG5SlLvem3 ★4sD2evAAPT_nXr

>>3 >>5

森田さん

溶け合う感覚を思います。

例えば音が降ってきて
例えば息をするように自然に
楽器と一体化して周りの空気までもを巻き込んで

それはエネルギーだ

その姿に見ている方はのまれて

心と音は繋がっているから
身体と音は繋がっているから



ここまでは感覚。
例えば、あ〜と叫ぶにも其処には解釈が隠れていて歌いながらそれを理解する

不安だったら、不安な声が出る
意図的に感情を込めれば、音は不安な音に変わりそれが全体的な印象になる

練習では感情は弊害になる
安定した音を出す練習をするべきで、そこには心は要らない
ミスを減らし、完璧な演奏に出来る様に練習を重ねて

それ以上は、歌う人の心の解釈の仕方で変わってくると思う
心だけは制御出来ない

そういった曲の最後のさじ加減は、実際に舞台に立って、声を発するまで解らない

だから、心の部分だけとっておいて、舞台上では心のままに演奏しろと言ったのだと思います。

舞台上では、心の無い演奏は、求められていないから
溶け合う感覚は、心が生み出していると思っているから

5年前 No.6

森田拓也 ★BqmXDZTCwN_zxH

泪さん

いい感じ方してるね。
泪さんの感じ方に、おれも同意する。

詩に大切な感受性を泪さんに感じました。

5年前 No.7

☆WyiG5SlLvem3 ★4sD2evAAPT_nXr

森田さん


同意嬉しかったです。有難う御座います。

5年前 No.8

黒髪☆goIK5PGZO9Y ★ZOCnHsffrb_1m5

詩なんて特に好きだって思ってなかったぜ
高2の時に買った中原中也の詩集なんて、3ページ読んだら恥ずかしくなって、ベッドの下に放ってしまった。
でも僕は病気になって、目の前が暗くなった。その時に、ふと題名に目を止めた中島らもの『バンド・オブ・ザ・ナイト』。回復するなんて思ってなかったから、どうせやることもなくてページをめくってみた。
首狩りママの、クルミ大の脳みそや、王になった少年のことが、短いフレーズの羅列で綴られていた。
世界がわからない僕に、なぜかそれらは語りかけてきた。夏のこと。愛、だったのかな。誰も見えなかった
僕の目に映った、唯一の世界。だから僕は生きられた。詩っていうものが、広い世界だと知るのはまたそれからいく年か過ぎてからの話だ。

5年前 No.9

★Android=DgdvQMqQnA

森田さん
素敵ですね。詩の魅力、もっと探求していきたいです。

5年前 No.10

★Android=DgdvQMqQnA

黒髪さん
中島らもさん…、そうだったのですか 詩の力って、すごいですね。本当にすごい

5年前 No.11

森田拓也 ★eVc0GtMpCp_Zos

泪さん

おはようございます。
おじゃまします。

世界と、なぜ、繋がらないといけないのか?っていうことを、

ぼくなりに、まとめました。

まあ、森田個人の、未熟な意見です。

http://mb2.jp/_poem/276.html-631#a

4年前 No.12

★GOIyf1JicJ_Xty

森田さん
有難うございます。
世界が消滅するってどんな感覚なのかなと思います。
元々世界と私は分断されてはいないのに、私は世界と断絶していると思うその心理が不思議です。
外面的な断絶と内面的な断絶は違うのかと思考してみましたが、それもまた少しニュアンスが違うように思えて、いつも思うのは、私は唯の空っぽな器で、唯そこにあるだけのものなのですが、そこに意味を持たせるのは、その私の一部分だという事実であって
それはPCで言ったらプログラムのようなもので私は空っぽな私の器に日々プログラムを書き込み続けているようなものなのかなということで
だから、いつも思うのは、器と脳は別だということで
私は器等不要だとどうしても感じてしまいます。
森田さんは、世界とつながろうとする時、器を意識しますか?私は、意識する時としない時で分かれますが、そのどちらの場合でも、私の居場所を感じることはないです。
世界は唯々そこに浮揚しているもので、私はそこに唯置かれている存在だから
世界と繋がったコードではなくて
私は世界を左右しないからです。
繋がるということが上手くイメージ出来ない私の問題点は、そこにあるのかもしれないと思いました。
丁寧なご返信、本当に深謝致します。
失礼致しました。

4年前 No.13

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_xX0

まっさらな気持ち!今まさにそのことを思い、このスレを思い出しました。
生活する上で感じる詩的瞬間。それは風が冷たかったりとか日が陰った瞬間の心がびっくりした動きとか、
もっと抽象的なことだと、夢の願いを他人に認められた瞬間とか。
こうした種をいくつも感じること、それは文にするとより良くより深くあじわえますが、詩的瞬間
というものは、いくつになっても変わらないと思うのです。
自分の感覚に正直であれば、それが拙い技術であろうと伝わるし、嬉しいのだと思います。

4年前 No.14

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_rAp

チャールズ・シミック。

「詩人とは、午前二時に半分空っぽの、煙がもうもうとたちこめる安酒場で『身も心も』の百万回目の演奏をしに舞台に上がる
テナーサックス吹きと実のところそんなに変わらない。要するにみんな、伝統の重みを背負って演奏するわけだが、それと同時に、
客を楽しませるため、自分でも楽しむために演奏する。縛られていて、かつ自由でもある。即興なんだけど、そこには制限が、
従うべき形がある」(1984年のインタビュー)。

わかりやすい。そしてロマンチック。ジャズの心が詩心を作る。何回も演奏しよう。それが与えられた自由だ。
本当のところは演奏から推測できる。形式と即興、形とイマジネーションの絡み合い。練習するのは、それを
いかにして展開するかといういちかばちかの行動を楽しむこと。

「神が恐れるのは不眠症患者であって、悪魔ではない」



「散文詩を書くことは、暗い部屋で蝿をつかまえようとするのに少し似ている。蝿はたぶんそこにいさえしない──
蝿は君の頭のなかにいるのだ。それでも君は、いろんなものにつまずき、ぶつかりながら、そいつを激しく追い続ける。
散文詩とは、大きな家具と衝突して生じる言葉の炸裂だ。」

こういうことをするのは、自分という牢獄から逃れるため、だという。

「神に向かって祈る人もいる。僕は偶然に向かって、僕自身という名のこの牢獄からの出口を示してくれるよう祈るのだ」(「与太郎の
詩学」)

偶然に賭けるとは、いかにも芸術家らしいではないか。牢獄の中から手を伸ばし、声を上げる。一生を過ごすために。
抒情詩とは、一つのイメージのまわりで時間を止まらせたいという願望であるともいう。

4年前 No.15

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_rAp

詩を書いていると心に直面せざるを得ない。正確に言えば、心がかいま見え、捉えられてしまう。
そのように、わかったことが多い。現実というのはくせものなのだ。なぜならそれは人を拒まないから。
人間がその性格や心で表したいと思うことが、現実に覆い隠されてしまう。正確に言えば、自然というものが、
心を圧倒するような事態が起こっている。

僕たちは、孤独である。それは歳を重ねるほど明らかになってくる。なぜかそれだからこそ逆に愛が、悲しみが、
感情が、素晴らしい物が、出現され得る。節度など守っていてはいけないのだ。すべての時間にすべての可能性を
すべての人々が、すべての距離のために損なわれる事のないように、自然の不自然さを撃ち落として、
せめてもの自己を抱いて触れ合わなければ。

詩を書いていると嬉しい事が多い。だから詩を書き続ける。

4年前 No.16

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_rRN

正しいことを言うのは難しい。
言葉を選ばなければ詩を作るのはかんたんだ。
ある言葉を持ってきて、適当にデザインしてまとめて発表すればいい。
だが、その言葉が文脈において評価されるとして、背景を捕まえておらねば、発言することさえ出来ない。
むろん詩とは言葉自体を問題にするから、文脈を無視した言葉というものも、大きな意味を持つ。
そして、各人の限界の内側をためすようながむしゃらな詩だって、馬鹿にしたものではない。
各人の内側で醸成された感情とか、感動とか、発見、工夫といったものは、形にする意味がある。
だが、いろんな詩のなかで、残る詩というものはどのように可能になるのか。
取捨選択や、直観、音、意味などといったものをかんがえなければならない。

4年前 No.17

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_nb8

基本的な要素は時間である。堆積する時間の感覚が、表すべき良いものである。時間の経過を味わうことで、
死に向かう自分たちという共通項をくくることが出来る。成長や感情の持続や、なにがしかの感覚が、時間の中
で感じられる。時間の外に生きている人間はいない。日頃一番身近なのが時間である。時間を豊かにすること、
時間を楽しむこと、それが大人というものであるし、子供がコントロールすることを試みるものである。
愛にも時間が関係あるし、憎しみだってそうだ(フォークナーの小説の中で、四十年ずっと
憎んでいたお婆さんが出てくる)。

4年前 No.18

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_nb8

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4年前 No.19

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_SMQ

記憶の単位はなに?フレーズや、瞬間であると考える。一瞬の景色に詩を読み、色んなフレーズで記憶を豊かにする。
正しい言葉遣いというものは、かなりの程度まで常に存在する。自分にとっておかしくない言葉ということだ。
フレーズを増やし、景色を増やす。それが僕にとっての「詩的」だ。

3年前 No.20

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_SMQ

言葉の記憶を増やすことは、直線的に能力と比例するわけではない。限られた言葉でも自分の力があれば、かなりの程度
十分に間に合う。
むしろ、風景を増やすべきだ。さらに、身体を取り戻すことだ。失われた身体に対して、使わなかった筋肉が
動くようになるということは、一冊の詩集を読む以上の価値がある。

3年前 No.21

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_SMQ

記録はさまざまにされる。
自分の思ったことを表現によって具体化し、人とコミュニケーションしたり、自らのメモをとったりできる。
一つの世界を作るということは、積み木遊びと本質において同じだ。
記録は、声や文字や、映像などによる。
形而上なんて概念が意味を持つのは、記録方法と思考が一致しないところからくる。記録できないものが形而上だ。
世界の声を聞き、その後に自らが主体的に関わる。

3年前 No.22

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_U2d

成功体験を追想し、未来の夢を描いて、自らを鼓舞する、のか。頼りない帰納的蓋然性、なにか本当から遠ざかるんじゃない。人に頼ったり、
社会の中で生きたり、人によったらそれでもいいさ。でも僕は新しいものを作ることを考えて、自分だけにしかないものを作りたいと思う。
ロックの精神とはそんなものなんじゃないか。つまりロックは必然的人生を指向するのだ。自由かつ必然、最強だろ。

3年前 No.23

明日 @ashi ★iPhone=3uFeiscEJC

心穏やかにしたいものだ。、

3年前 No.24

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_I3M

対象を決めて言葉を発するが、自らの内の存在を無視した言葉は、制限を受ける。自分に向かって言葉を発する
事を考えたい。孤独こそ、僕が愛してやまない、得難い時間なのだ。そのためには心を強くし、独立心
を養わなければならない。

3年前 No.25

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_eAQ

ふつうのことはしゃべる意味がない
気持ちの良い会話は意味がない
怒らせたり不快感を起こさせたり危険な言葉を使うべきだと思います
ご飯みたいな詩はいらないと思います
薬をやってみたいとは思わないですけど
中学生の頃そんなものに憧れてました
だから僕はナチュラルハイでもなんでもいいから
危険な言葉で戯れるだけじゃなくてハイを与えたいです
時は限られていて
意味はほぼ無限(新しいものを含めれば)です
健全なおとなになるべきでしょうが
健全な音楽を聞く意味は無いでしょう
ゴンチチにしたってクレイジー
君の心が求めるのもクレイジー
病気のクレイジーは根絶するべきです
病気なんて存在しないって言われました
では僕にはなにも根絶する対象がないわけです
それじゃ何が出来るんでしょうか
怒りの葡萄を読んでみよう
響きと怒りを読んでみよう
これが僕の頭の普通なんです
慈悲深い神さまにあげたいものはそんなものなのです
怒りの世界が次のものを生むでしょう
安全保障の方法を開発して下さい

3年前 No.26

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_9PM

孤独であるから詩を詠むのである。
詩の中にはなにか、美しさというものがある。
とびきりの詩はとびきり孤独を癒す力があり、
孤独の中に響く音として、我々が意味あると認めるもの、それが詩であろう。
このような世界を知ってしまったら、もう後戻りはできない。
それだけのために生き、それだけのために死ぬような、
本当の力を、詩は備えている。
なぜなのか。
言葉が何故そんな力を持っているのか。
答えは詩を読む心のなかに宿っている。
誰もが、あこがれを持ち、崇め、尊敬し、親しむ。
人間の心が、詩を映すとき、その心は喜びに震える。
本当の答えは詩の中にしか無い。
本当の答えは心のなかに埋もれている。
あとはそれを彫刻するだけである。
優れた芸術を作る理由はそういったものだ。
喜びの共有、孤独な生において、嘘ではないもの、それが詩なのであるから。

3年前 No.27

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_9PM

言葉は多義的なものであり、意味には本当と嘘の二面がある。本当の意味だけを目標とされるのが詩だが、
多義性により多義的な作者があるので、個人を超越した本当でなければ、良い詩としてはうつらない。
だから、作品を作る上では、本当のことを得るため、正しい言葉を選ぶこと、またそのためには正しい
思考をして、正しい行動をすることが必要となる。正しさへの意志を、忘れがちではないだろうか。
また正しさというものは、詩にとどまらず、日常的な生活において迷った時に指標として頼れるものである。
自らの価値は、真実への貢献度によって決まってくるのであろう。

3年前 No.28

黒髪 @weedishair☆goIK5PGZO9Y ★SllwzbkfTT_9PM

詩を書くために必要とするべき事柄はたくさんある。
まず、テーマ設定は自分にとって本当に切実なものか、あるいは多くの人にとり興味深いものであるかどうか。
また、言葉は正しく選ばれているか。自らの能力は十分についているか。

もし上記のなかで自分に改善が当てはまることがあれば、それは詩を書くにはまだ力が足りないのであり、
詩を読むことを優先するべきなのではないだろうか。

3年前 No.29

黒髪 @kurokami00☆goIK5PGZO9Y ★E010Nhe510_her

感性を育てなければ詩が悪くなってしまう。一番基本的な感性とはどういうものか?
それは、強弱である。言葉を、あるところは強く、あるところは穏やかに、といった、
強弱をつけると、詩が輝きを増す。作る上では、難しいが、読むとき、面白く読むには、
重要なところや盛り上がるところは強く、秘めた思いのところは、弱くといったことに
気を付けると、より豊かな表現になるだろう。

2年前 No.30

るるりら ★Android=7dpVyEtP9M

黒髪さんのお話。音楽みたいだなあと、思いました。

2年前 No.31

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

私の貧しい思い出の中にしか、詩の引き出しは無い そして、思い出は、いつだって、数瞬前の過去だ
過去から回想して、未来に理想を追う
そこに、現在という時は、申し訳なさそうに、寄り添っている

2年前 No.32

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

愛猫は、きっと、寄り添いたいのだ
寄り添うことのみで、何割かの心の問題が、解決することを本能的に知っている
寄り添うことが愛なら、動物は、本能的に愛を知っている

2年前 No.33

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

瞑想を、始めようと思う 治癒には、それが必要であるからだ

2年前 No.34

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

草に覆われた青紫色の菫 菫は、こんなに美しかったろうか。今まで見たどんな花よりも、草に覆われた青紫色の菫が美しく見えた。
薄灰色の爪の先程の蝶が、アスファルトの貧しい窪みの隅でひらひらしているのを目にして、心動かされそうになったり
道行く目の端で見てしまった汚い犬小屋に繋がれて、直射日光を避けながら暑さに身を丸めて気の遠くなる生を生きている痩せた哀れな犬を見て、心動かされそうになったり
心動かされそうになると、スローで時が巻き返されるみたいに 心の残像が私の手を引く

2年前 No.35

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

人は、感情の動物 やっぱり、どうしようもないことは、転がっているんだ

2年前 No.36

@uui ★7kyackzvgR_M0e

清貧と復興 土光敏夫

2年前 No.37

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

私は、お湯を注ぎ足す注ぎ足す注ぎ足す
熱湯を注ぐ

2年前 No.38

★xid5JxK0I0_M0e

どんな人との関わりにも学びがある

2年前 No.39

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

読むことを始めて、触れられない作品が数多くあることに気付く 意識してしまえばそれらはひどく私を責め立てる 読むことは、苦しい

2年前 No.40

★xid5JxK0I0_M0e

本を読もう

2年前 No.41

@uui ★Android=rcBq9eCwBW

もう、暗く考えるのは、お仕舞い。明るく明るく、涙を拭いて、前を向きます。

2年前 No.42

★xid5JxK0I0_M0e

詩の世界(文字の世界)も、絵の世界もとても、静寂で、静かな空間だということ
そこに身を置いているということ
それは、とても愛しいこと
なのではないかと
思うのです
静寂を愛して
安寧を求めて
詩を絵を綴っている
それは精神的な土壌
わたしの中の大地
その大地は、いつかきっと雄大に動物たちが駆け回る
それはきっと自由な
解き放たれた場所であってほしい
きっとだから、綴りたくなるのです
わたしの言葉で
わたしの大地を

2年前 No.43

★xid5JxK0I0_M0e

ジョンは言った
なんで書くんだい
わたしは言った
だって、キャラクターが、とびまわって、書いてくれってうるさいのだもの
ぽこぽこぽこって、うまれては消えていくものたち
書き留めてくれってうるさいものたち

2年前 No.44

★xid5JxK0I0_M0e

余白の美しさ

2年前 No.45

ねことバス @nekoneko10 ★Android=bTRFkWhWb4

カモメのジョナサンをこの歳になって初めて読んだ。
若い頃、読む機会はあったのだけれど、あの時読んでいたら、たぶん僕は間違いなく、もっと我に固執していたのだと思うのだ。

最近、愛について考えてしまう。
奇しくも、ジョナサンが愛を知ったように。

2年前 No.46

Om ★iPhone=UqUTWIok4I

赤いムササビ 振り落とす雪

2年前 No.47

るるりら ★Android=7dpVyEtP9M

竹ますぐなるもの地面にはえ
竹垣のわきにたてかけられ
なお ますぐに 生かされる

2年前 No.48

黒髪 @kurokami00☆goIK5PGZO9Y ★rqS6psGcx6_her

自我とは、視点の一貫性のことだ。バラバラな自我とは自我ではなく、「主観的な我」と自我は違うのだろう。
主観的な我の働きが、洗練された表現となることで、自我として誇ったり、提示したりできるような形の意味が、
客観的に現象として記されることになる、それを自我として判断したくなる。

言葉と言うものは、必ずその収斂する意味において、正しさが無意識的に判断されるものであるということが、先験的な思考手段という言い方で意味される。
その代表は、数字である。印象において、印象を間違いと言えるような視点、などは、おそらく、存在しない。
言葉などのツールにおいても、感じたことは感じたことなのであり、その印象は、決して否定されない。

上記の事を前提としたとき、一貫性は、印象をまとめ上げる際の、有効な方法としてある。一貫性は、洗練されるということの、
「洗練」と言う言葉の持つ強い意味において適用される。そういうことは、より高度に文化が展開されていくことがなぜそんなにも起こりうるのか、
ということを考える際には、しっかりとした足場になるだろう、と考える。

間違った踊り、というものを、ずっと続ける人は、いないのだと思う。同じことを二度繰り返せば、そこにあるのは洗練という、自己表現の満足において
基本的な向上なのであって、上手い踊りと下手な踊りがあるといっても、自分の踊りというものがある、ということは、自己の身体の実在性が、
明らかに保証し、それゆえに安心できるところの、自己実現と言うものなのである。

そして、詩は、きっと、意識の向こう側を見せてくれる。視点の徹底において、神が姿を見せるのだ。それは、執念とも、奇跡とも
呼ばれる、絶対的な体験であるのであって、その神的領域を語り合い、拡大していくことにおいて、その文化は、脱自的な、
集団性を帯びた体験を現実化することによって、瞬時に消え去ってしまう法悦の瞬間を、形にして残すことが可能となるだろう。
それが、宗教の起源においてあったことであり、失われてしまった過去の記憶について、その記憶の残滓から立ち上げねばならない、
浄土あるいは、天国の、現実化、共同化なのである。

2年前 No.49

るるりら ★Android=7dpVyEtP9M

黒髪さん。

法悦といえる 詩に 掬われた体験のいくつかを、思い起こせました。ありがとう。

2年前 No.50

黒髪 @kurokami00☆goIK5PGZO9Y ★rqS6psGcx6_her

満足するために生きているわけではない。そういう気持ちが、見失うことを、恐れるくらい、不幸に見舞われてきた。では、満足できないことが、
もしそれが自分をあれかこれかと選択することを促した場合にどうするか?すべての可能性を考慮する、それがいいことだと思う。
あることを選んで、そうではない人生のことについて考える。詩にしたってそうだ。別に詩にすべてをささげたというわけではない。
捧げることに何の意味があるのだろう。

必要なのは、現実を正しくなして行こうという知恵だ。僕は、純粋さや契約によって救われた経験はない。現実は、はるかにそれらの、個人的、
気持ち的な原理を越え、難しくややこしくある。表現に殉ずるなどということは、若者の愚かな間違いだ。心の痛みがささやくことを、
上手くとらえ、方向を変えられる人もいるだろう。僕はそうではない。いつも、論理と合理性によって、行動を反省するタイプだ。

無いものをあるかのようなそれからの享受を得られるなんてことは、まったくない。だから、何かを作ろうと、摂取しようとするのだ。
その運動は、あらゆる場面で生き方となる。だが、もっと複雑な事、ある物ごとへ、自分をささげるなんて言うことは、どうなんだろう。

誇らしいことが生きる原動力になる。また、愛は心の一番奥の所を、あらわにさせる。それらの魔法に対して、鈍感なわけではない。

だが、死の危険に直面したとき、人はどうするのか。日常的な些細な場面で、死が大きくあぎとを開け、善人や万人を呑みこもうとして、
待ち構える。それら恐れに、打ちのめさせられるような気持ち、すなわち不安をどうにかしたい。

そのために、保険に入るとか、死を受け入れるとか、不安への対処法を作り上げるとか、必死になって自分を守ろうとする。
結局のところ、上手くやることと、心を強く持つことが必要なのだろう。

自分だけの世界、こう言った場合、陶酔と、後ろめたさが、自分の頭を引き裂く。そのとき、どちらかを選ぶのではなく、両方の
想定を行うべきである。それを引き受けることが、責任と言う重責を何とか乗りこなしていくための、現実的心持であるのだから。

透明にひらけていく空、雨雲の落とす涙にびしょびしょになりながら、僕はそれでも、全てを良くしようとするよ。
SABISHII___  だがみろよ、雨はいつしか上がるだろう、その時には、耐えることが報われるものなんだと簡単に、
二つ並んだ世界に、それぞれの権利を与え、どちらかを滅ぼそうとはしない、ただ、業なき生を、安心して、微笑んでいられるだろう。

2年前 No.51

痛い人 @itaiitai ★Android=mVBokNj9Af

こころこそ こころまどわす
こころなれ

こころにこころ こころゆるすな



詠み人知らずか、幼い頃きいたような気がします

引用元しらず

2年前 No.52

黒髪 @kurokami00☆goIK5PGZO9Y ★rqS6psGcx6_her

村上春樹のカタルーニャ国際賞受賞記念の講演によると(https://www.youtube.com/watch?v=Hxw5ONkWFuE)、彼は、効率(efficiency)が物事、
人々、自分をゆがめると言っているようである。
効率を上げることが、一つの安易な目標であると言っているのだろう。効率的と言うのは、陥りやすい過ちである。それに従うと、
人はどこかがなんとなく間違っているという不安に駆られるのだろうと思う。

詩を書く際に、なるべく効率よく物事が進むやり方を教えよう、その価値を伝えようというようなことを無意識的に考えているのでは、
消費になってしまう。

日々の関わり合いの中では、効率という自分が、他者と、効率を上げるようなやり取りを目指しているのでは、価値がかすんでしまう。
もっとゆっくりと構えて、大事なものを温めないといけない。そこには、自分の中にあっても自分ではない者への敬愛のまなざしが、
浮かび上がってくるのだと思われる。

論を立てようとすれば、いくらでも立つのであるが、それが意味あるものとして、自分と他人に対して、何かを救おうとするときには、
無人的、没人間的意味によっては、何事もその上に進めてはならない。

苦しみの中に埋没しないようにするためには、よくよく気を付けて、競争的になってしまってはいないだろうかと、自問する必要がある。
誰も責めていない、自分も責めていない、自分は憎まれてはいない、そう知るべきなのであろう。
虚偽的な、錯視によって自らをゆがめるような不安は、気にしすぎることから生まれる。自分の中の気にしすぎは、人に見られ、人に応えられる
ことになると、その虚偽的な意味という現実を与えられてしまい、虚偽がむなしい現実になってしまう。それではいけない。
もっと、人々の間で現実となるべきこと、そのセレクションには、前向きのことがなければいけない。
良い子供が、正しい親によって承認を与えられるようなことが必要であり、自らのあやふやさを叱る、虚偽的で過剰な否定性という
むなしい力が、プライドを持つことになり、強い偶像的な権力を持つようになれば、誰かがその支持のための犠牲(スケープゴート)として、
損なわれることになる。それはいけない。
自らの意志によって、それらを暴いていかないといけない。そうすることが、不安と損を、自分にもたらすことになるだろう、と不安になることもある、
その不安は、本当に自分にとって恐るべきことであるかと問うべきで、新たな目標、効率ではない目標を、自らの自由な能力として持つべきだ。

集合的な価値創造は、固く決められた立場の遵守によっては可能とならない。各個人が、できる範囲、限られた範囲での、しかし嘘ではない、
虚無的ではない、論理的に押し付けられた、他者の権力によるものとは違う、本当の喜びある気持ちによって、進んでかかわっていけるような、
平和で豊かな社会を築いていくのだ。効率を否定することで、自分の豊かな気持ちが可能になる!そのようにして、不安で悲惨な現実に
打ちひしがれてしまっていた自分が、本当に独り立ちして、飛んでいけるように。飛ぶことの喜びと、秘めていた力は、どこまでも自由な、
美しい行為だ。

モデルに自己を当てはめることで、社会人となった、やったね、そんな小説がかかれたためしはないであろう。それが、必要であると思うのではない。
それが、不必要であると思わなければ。やるべきことは、自分がやっていることだ。それが、だれだれよりも正しいぞ、と主張することに、
何の正当性も見当たらない。いや、見当たることはあるのだが、それを押し付けられたら、拒否されるべきことだ。心理学的な自然さを
利用して、人を貶めるような、行為を自らがなしているのだとしたら、その仕事には、のちの世からしっかりとした「駄目」の烙印を
押されるべきである。

不安になるのは、自らの安定性を、奪われるような気がするからだ。各個人のペースを、誰もが知っているわけではない。複雑さを
無視して、従わせるようなやり方を、進めるような事がないようにするべきなのだ。

2年前 No.53
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