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 Lethe -レテ-

 ( オリジナルなりきり )
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ヤマダ ★axdLJaxhYl_f1k



 ――レテ・ストリートの朝は静かに始まる。



 地上に降り注ぐ雨粒の最初のひとしずくが地面に着地するように、南へ渡る鳥の群れが羽ばたく寸前の羽根のように、年老いた大きな犬が散歩から帰ってきてお気に入りのクッションに顎を埋めるように。町は慎重で物憂げな日の出を迎える。太陽よりも早起きな人間はほとんどいない。誰もが白んだ空を目撃することなく朝に目覚めるんだ。

 だからこの時期にだけ急増する観光客たちは、みんな驚くのだろうね。ミス・グリーンもそうだった。朝から期待を胸にホテルを出たというのに、フロントはもぬけの殻だった。当然のように朝食の準備も出来ていない。彼女はチョコレート・バーを自動販売機で購入して朝露に濡れる町に繰り出すけれど、カフェは一つ残らず門を閉ざしている。あくび交じりに洗濯物を取り込んだご婦人に声をかける前に、その姿がテラスから消えるのを見るだろう。
 レテ・ストリートの住民は怠惰だと気の短いやつなんかは怒るけれど、そうじゃないんだ。ここは自由で静かなだけ。ほんの少し忘れっぽい住民たちと、のどかな風景、広大な湖に面したおもちゃのようなスカイブルーの街、広い歩道、天気雨、町中に咲き誇る色とりどりのルピナス。たったそれだけのこと。



「何を忘れたくてここにきたの?」



 ようやく見つけた開店準備中の移動販売車で朝食を注文したミス・グリーンは口ごもる。邪気のない笑顔を浮かべた店員は、ホットドッグをオーブンに並べる作業で忙しく、質問をしたくせにちっとも視線をよこさない。
 彼女がホテルに置き去りにしてきた大きな旅行カバンの中には、たった4ページしかこの街のことを載せていないガイドブックが押し込まれていた。でもミス・グリーンは、ここに着いてから一度だってそれを開いてはいない。何度も読んで、中身はすっかり覚えてしまっていたから、もう必要ないんだ。



「……観光で」
「この時期に観光に来る人は、みんなレテの水が目当てなんじゃないかな」
「そう。でも、そんなの、迷信なんでしょう?」



 少年の面影を残した店員が声を上げて笑った。日に焼けたほおにくっきりと笑窪が浮かぶ。



「お待たせ。ホットドッグとアメリカーノのセットだよ」
「私が頼んだのは単品だったはずだけど……」
「そうだったっけ? 忘れちゃったな。いいよ、じゃあドリンクは早起きの君へぼくからのサービス」
「ありがとう」
「よい週末を。明日からマルシェが開かれる。忘れてなければぜひくるといい」



 暖かいアメリカーノとホットドッグを両手に抱えて、ミス・グリーンは上の空で返事をする。

 ――誰だって一つくらいは忘れたいことがあるはずだ。どんなことだっていい。あの時ママにぶつけてしまった言葉とか、見たくなかった恋人の表情とか、仕事のミスとか、ちょっとした後悔なんて尽きないだろう? 何の憂いもなく駆け抜けるには人生は長すぎるし、思いつめて正解を見つけるには短すぎる。それをきれいさっぱり洗い流して、新しい自分として生まれ変われることができたら、どれだけいいか。
 レテの水はそれを叶える。魔法のようにね。だけどそれは、許されない奇跡だ。彼女はそれを知っている。無論、君だって知っているはずだ。


 ”レテの水を飲まないと約束できる?”


 パンフレットに繰り返し出てきた言葉を思い出して、ミス・グリーンは紙コップに口をつけた。ようやく動き出した町の中で、彼女だけがひどく強張った顔をしている。預けられなかったホテルの鍵が、淡い黄緑色のコートのポケットで小さく鳴った。





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7日前 No.0
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