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霧の都に葬送曲

 ( オリジナルなりきり )
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芙愛 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

煙る街は薄暗いまま、鈍色の空に輪郭を溶かしている。
片羽を切られた鴉達は、塒を恋いて啼けども飛べぬ。
そのまま街ごと夜霧に呑まれて、時計塔の鐘が鳴る。


「London Bridge is broken down,Broken down, broken down……」

齢七つほどの少年が一人、夜のテムズ河に向かってマザーグースを口遊む。
頭上には蝙蝠傘が揺れているのに、あの人に掛けてもらったフロックコートは霧雨に侵されて、重たい。
真夜中のタワーブリッジを跳ね上げる船は無い。闇夜に浮かぶ二つの塔を従えた橋梁の上で少年は、欄干に凭れたままいつまでも霧の都の夜を眺めていた。
河の向こうから、また大時鐘が深夜を告げる。

「みんな死んじゃった」

鐘の音が、血の匂いを連れて来る。
死神達の夜が来る。
濡羽色の傘の陰から、少年は寂しそうにぽつりと零した。夜に溶けてしまいそうな、儚い声だった。
けれど、もう死神も来ない。
雨と死の匂いに包まれたその街を、人は『霧の都』と呼んでいた。
霧の都には、嘗て恐ろしい殺人鬼達が住んでいて、夜な夜なこの街に怖ろしい血の雨を降らせていた。三年前に少年が彼等と出逢ったのも、こんな、今にも土砂降りに変わりそうな霖雨の夜だった。
少年にとって、霧の都を闊歩する死神達は皆、やさしい育ての親だった。
残酷で歪で優しい殺人鬼達は、雨と死ばかりのこの街で一人の親無し子を彼等なりのやり方で大切に育てて、それから彼を置いて一人残らず死んでしまった。

不気味に黒く沈んだ河の色を見ていた目を上げれば、霧のヴェールの向こうに、見知った背の高い黒いシルクハットの影が見えた気がした。少年はハッとして橋の向こうへと追い掛ける。けれど、靄の切れ間に足を止めれば、其処には誰の姿も無く、ただ青褪めた倫敦塔が処刑場の翳りをたたえて聳え立っているだけだった。
肩を落とし、傘を畳んで、降りしきる雨に身を任せたまま、石畳を踏む。刑場を通り過ぎM街を北上すれば、其処は彼の庭だった。
街に満つ夜霧の、遥か彼方。雨風が織り成す刹那の銀幕。映し出された遠い過去の幻想を恍惚と眺めて、もう傍には居ない彼等との思い出を振り返る。奇妙で幸福で残酷で猟奇的な、町中を恐怖に陥れていた悪人達≠ニの思い出を。

ーーLondon Bridge is broken down,My fair lady.

「嗚呼、それはですね、若いお嬢さんを人柱に埋めたそうですよ」ーー


【こんばんは。スレを建てさせていただきました芙愛と申します。当スレは殺人鬼企画≠ニして興した物語です。一文で紹介させていただくと、「なんか19世紀ロンドンっぽい街に殺人鬼達がいて、柄にもなく子育てなんかしていたが、まあ色々あってみんな死んだ」って感じの話です。興味と御縁がありましたら……注文はずいぶん多いでしょうが、どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。】

メモ2018/09/06 01:43 : 七角羊☆A3LxctuN3d2 @nnir749★nXNfBmBWZd_m9i

此処までの人物相関のまとめです。

後ろに何も書いていないのは確定しているもの、(許可待)となっているのはサブ記事で申し出があったもの、(相談中)となっているのは相談しているのを見かけたけれど正式にはまだ決まっていないものです。

特に「相談中」は私の思い違いや取り零しなどが沢山あると思うので当事者さんはメモで訂正していただければと思います。

また、正式に双方理解で決まったよーという方は、(相談中)や(許可待)を消していただければと思います。他にもこんな関係を作ったよーという方も、追加してください。


味付けはどうぞ、皆様各自で御自由に!


◯シャーロックの

・内縁の妻→スワン

・元嫁→ルーツァン

・お店の常連さん→メロウ、ミカエル

◯ルーツァンの

・弟妹のように可愛がっている同胞→ルイス

・元旦那→シャーロック

・東国同盟?→白雨(相談中)

・水面下で対立している同胞→

・時々生徒→メロウ

◯白雨の

・別れた元旦那→

・アトリエによく来る友人→ダニエラ

・人形作りの弟子→ミリヤム

・東国同盟?→ルーツァン(相談中)

・食事に誘う→シャーロック

・仲が悪い→ルイス

◯エディの

・知り合いの医師(臓器移植仲介人)→シチダンカ

・可愛がっている年下→スワン、ダニエラ

・酒飲み仲間→メロウ、ルーツァン

◯スワンの

・一方的に尽くしている相手→シャーロック

…続きを読む(41行)

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洗濯蟻 @arinohito ★iPhone=n7Rebp7mCv

【ドールホーン/某年4月9日/ドルーリー通り→聖アンダーソン教会】

意識が飛び飛びになり、昏睡と覚醒を繰り返すたびに景色は変わった。シャーロックが現れ、その肩を借りて歩いている場面や肩にかけられた彼の服の手触り。見も知れぬ誰かの声やダニエラの声。様々なものが走馬灯めいて意識の流れをかき乱す。

見知った景色から、教会の前庭。扉を開けて中に入る光景。名前を呼ぶ声と、泣き声が聞こえる。

「まだ……あっちには行かないわ……大丈夫よ」

まだ逝けない。やることが残っている。
自分にすがりつくジャックの顔。泣き腫らすその赤い顔に、意識を引き戻す。

踏鞴を踏んで、1人で起き立つ。

「ありがとう……シャーロック、ジャック。御土産よ。後で食べなさい……」

ジャックの頭を撫でて、抱えた紙袋とマフィンの包みを押し付ける様に彼らに渡して、ダニエラの方を見る。

「ダニー、其処の……本棚の引き出しを……真ん中の。……中に入っている封筒と、羽根ペンを持ってきてくださる?……メロウも、ああ、こんな時に済まないわね、……其処のテーブルを此処に」

ダニエラに封筒と羽根ペンを、メロウに聖堂の隅の小さなテーブルを持ってくる様に伝える。
そう長くは持たないだろう。それでも、やる事はある。遺す物がある。


>>教会ALL

【描写が飛び飛びですが本人の意識が朦朧としているために予断ならない状況であります

最終レスに向けて力を溜めておりますゆえちょっと短めですが投下。此方からの残りレスは2、3回です

最後に歌うマザーグースを決定しましたも】

3ヶ月前 No.167

七角羊 @nnir749☆A3LxctuN3d2 ★nXNfBmBWZd_m9i

【ダニエラ/某年4月9日/聖アンダーソン教会】

目を開けぬ彼女の名前を必死に呼んでいたら、いつの間にか目から涙が溢れ頬を濡らしていた。霧の都の死神が、ましてや過去に自分が半ば手にかけた者の死にゆく様に涙するなど、なんと滑稽だろうか。人はいずれ死にゆく。しかもワタシ達はその死と日常的にダンスを踊り、自分たちの首にもその悪魔の手が迫っていることを知っていたのに。早すぎる死の訪れを前にすると、こうして何もできず駄々をこねるように逃れられない死を否定することしかできない。ダニエラの中では彼女を手にかけた者への怒り、目の前の彼女を失う恐怖とそれを目に前にした時の自分の無力感など、複雑な感情たちがぐるぐると渦巻いていた。
ドールホーンの姿に息を飲んだ様子のメロウや、ジャックがドールホーンの名前を呼んでいると、ドールホーンが目を覚ました。ボロボロの体で気丈に起き上がるドールホーンの姿にハラハラし、"あまり動かないで"と咎めそうになるがその言葉を発する前にドールホーンから頼み事を受け取る。

「……ええ、わかったわ、ちょっと待ってて頂戴」

いつもの愛称で名前を呼ばれ、彼女がまだ生きていることに不意に安心してしまった。ドールホーンの願いを叶えるために、涙を流したためか若干震えた声色で返事をし、強く握っていたドールホーンの手を離した。ヒールをカツカツと鳴らしながら足早に本棚の方へと駆け寄り、言われた通りに本棚の真ん中の引き出しを開ける。中にはドールホーンの指示通り、封筒と羽根ペンが入っていた。見慣れた羽根ペン。彼女の執筆風景はよく見ていた。このペンで、ドールホーンは数多くの物語を綴ってきたのだ。カリカリと、物語たちを紡ぐその手と羽根ペンが原稿用紙を掠める音が非常に心地よくて好きだった。死の淵に立っているというのに、その手を止めるのはまだ早いというように何かを書くつもりなのは、とても彼女らしい。

頼まれた二つの品を持ってくると、それをドールホーンがすぐ手に取れるように、メロウが持ってきた小さなテーブルの上に置く。死にゆくその身体に鞭打って、まだ遺すことがあるというドールホーンの意志を尊重すべく、彼女の体を労わりながらテーブルの傍に腰を下ろし、潤んだ視界でその手元を見つめた。

>>教会ALL

3ヶ月前 No.168

洗濯蟻 @arinohito ★iPhone=n7Rebp7mCv

【ドールホーン/某年4月9日/聖アンダーソン教会】

教会にいた孤児たちが、聖堂の隅に積まれていた長椅子を引きずってきた。封筒を受け取り、テーブルに。

封筒の中身は数枚の契約書と原稿用紙、そして真っ黒に塗りつぶされた一枚の写真だった。

「……ジャック。あなたにこの教会の所有権を譲る……わ。私には……もう必要のないものよ……」

サラサラと契約書にサインし、自らの血を指につけて血判を捺印。他の何枚かの契約書にも同様にサインして封筒へ仕舞う。これはこの先ジャックが路頭に迷うことがない様に、お金に不自由しない様にと教会の所有権と自分の著書の印税の受け取り先を帰る為の物だ。
次に取り出したメモ用紙にはコテージパイのレシピと別れの言葉を短く書き連ね、封筒に畳んで仕舞う。

「……シャーロック、これはあなたに。後で見て頂戴」

さぁ、最後だ。
大きく息を1つ吸い、吐き出しながら原稿用紙にペンを走らせる。すでに半分ほど文字で埋まったそれの最後の数行に、結びを書き加える為に。

「……最終頁……。最後の一文。……漸とあの嫌味な編集長に報告が出来るわねぇ……、全く、随分待たせてしまったわ……」



_____玲瓏たる『塔』にも雨が降る。

吸血鬼は窓の外を見て憂い、魔女は洗濯物を取り込み、妖精達は頭を抱えて住処へ戻る。

今年の雨は長引きそうだと天上の人らは言う。降ったり止んだりを現に3日以上繰り返し、湿気の溜まる事この上無い。某妖精なら嬉々としている所で有ろうが、生憎良くは思ってない者が大半だ。

こう言った日は彼女に取っての稼ぎ時。食い逸れる事が無いように、憂いと空を晴らす為、彼女は今日も笑顔で首を吊る___。


“墓場で嗤うな少女達 〜Girl's Grave Garden〜” 最終号 完



最後の一文字を書き終えて、羽根ペンを置く。これで事は成った。もうこのペンを握る事はないだろう。

「これは……川向こうの出版社に。私のペンネームを出せばあとは勝手に向こうが何とかしてくれる……筈よ」

ああ、酷く疲れた。
抗いようのない眠気がする。
最期の時は刻々と歩み寄ってくる。
砂時計の砂が落ち切るまであと僅か。

長椅子に腰を落として、眠たい目をこすりながら懐から銀に鈍く光るモノを取り出し、ジャックを呼んだ。

「ジャック。あなたに渡して置くものがあるわ……」


>>教会ALL

【他の人の返信を待っていたら期限つきそうなので】
【次で全て終わる予定だが1レスに収まり切るか不安だ】

3ヶ月前 No.169

ジャック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【ジャック/某年4月9日/聖アンダーソン教会】

押し付けられるようにして渡されたマフィンの包みは、まだ仄かに温かかった。まだ逝かないと言われても、それが時間の問題だということくらいは、ジャックにも分かった。鼻をすするのをやめても、涙声をあげるのをやめても、どうして、どうしてと頬を伝う涙は雨のように止まない。黙したまま、空色の双眸から静かに雫がこぼれ落ちる。
メロウとダニエラが言い付け通りに持ってきた道具を用いて、今際の際の最期の仕事を始めた。常時ならばそばで話しかけ邪魔をしながらドールホーンの執筆業を見守るのが好きなジャックだったが、今は青褪めてて黙ったままそれを見つめている。マフィンの包みが、腕の中で次第に温度を失っていく。
シャーロックは、ドールホーンの遺産相続権がジャックに譲られたことに僅かに驚きの表情を見せたがそれだけで何も口を挟むことはしなかった。ジャックにはその価値重みは分からないかもしれない。彼等にとって今大切なのは、目の前で損なわれようとする仲間の生命だった。消えかけようとする風前の灯火だった。

「ドールホーン、一体、誰が……」

問いを、最後まで続けることはなかった。
此の期に及んで、原稿用紙に書き連ねられていく言の葉には、この現実に意味を持つものは一つとして無い。芸術を大切にする者たちからすれば小説家の鑑、素晴らしい情熱と賞賛されるべきなのだろうが、生憎その感性を持ち合わせていない殺人鬼シャーロックは、原稿用紙に並べられていく執念を悔しい気持ちで見つめていた。形見になってしまうであろうレシピと手紙を抱きしめたまま。
人々の嘆きの声、驚きの声、時々混じる啜り泣き。そのささめきの中に、羽ペンの先が紙の上を滑る音が脈々と続く。原稿用紙越しに机を叩く音が連綿と続く。小説家の最後の武器、ペンの先から流暢な物語が溢れ出てその人生を結ぶのを人々は物言わずに見守っていた。
彼女の遺作となってしまう物語は、遺稿などにせず必ずや編集者に届けるだろう。作家である以前に、432人殺しの殺人鬼であるはずなのに。なんて仕事熱心で作家らしく、最後まで他人のことを思い遣る優しい最期だろう。シャーロックがやりきれない思いでいると、名前を呼ばれたジャックが再び歩み出た。
その手の中の鈍色の光を見たとき、其れが何であるかを理解したか、ジャックは泣くのをやめて困惑の表情で固まった。

>all

3ヶ月前 No.170

洗濯蟻 @arinohito ★iPhone=n7Rebp7mCv

【ドールホーン/某年4月9日/聖アンダーソン教会】


「これを、あなたに渡しておきますわ、ジャック。……私を襲った、奴らが持っていたものよ。……これを如何するかは、あなたに任せる。……今は意味がわからないでしょうけどね……」

ジャックの手にズシリと置かれたのは、刃が折りたたまれた状態の剃刀。僅かに血に濡れて赤銀に鈍く輝いている。絵の部分に彫り込まれた『蝶』のレリーフが特徴的だ。

「……ジャック。泣きたいなら思いっきり泣きなさい。地に伏せて、誰かの胸に顔を埋めて、空を仰いで、何処か景色の良い場所で、1人でも誰かとでも。泣くのは悪いことではないし恥じる事でも無い。……誰かの為に流す涙の、なんて素晴らしい事か。…………」

そうだ、とドールホーンは何かを思い立った様子でふと宙を見上げる。視界の先にはステンドグラスがあって、向こう側から差し込む光が色鮮やかに目に映える。

「……ジャック、“ロンドン橋落ちた(London Bridge is falling down)”の歌、知ってるわよね?いつかあなたに……、教えるつもりだったのよ。全部……」

今がその時かもしれないわね、とドールホーンは目線を下に落とす。ジャックの顔。その赤い頬を流れた涙の跡を見て多少気力が湧いたあたり、流石の嗜好回路とも言うべきか。

息を整えて、ドールホーンはゆっくりと節をつけて歌い始める。これが最後の歌い聴かせだと言うが如くに。



London Bridge is falling down, Falling down, Falling down.
London Bridge is falling down, My fair lady.

Take a key and lock her up, Lock her up, Lock her up.
Take a key and lock her up, My fair lady.
How will we build it up, Build it up, Build it up?
How will we build it up, My fair lady?

Build it up with silver and gold, Silver and gold, Silver and gold.
Build it up with silver and gold, My fair lady.
Gold and silver, I have none, I have none, I have none.
Gold and silver, I have none, My fair lady.

Build it up with needles and pins, Needles and pins, Needles and pins.
Build it up with needles and pins, My fair lady.
Pins and needles bend and break, Bend and break, Bend and break.
Pins and needles bend and break, My fair lady.

Build it up with wood and clay, Wood and clay, Wood and clay.
Build it up with wood and clay, My fair lady.
Wood and clay will wash away, Wash away, Wash away.
Wood and clay will wash away, My fair lady.

Build it up with stone so strong, Stone so strong, Stone so strong.
Build it up with stone so strong, My fair lady.
Stone so strong will last so long, Last so long, Last so long.
Stone so strong will last so long, My fair lady.


ロンドン橋落ちた 落ちた 落ちた
ロンドン橋落ちた 愛しい君よ

人柱を捧げよう 捧げよう 捧げよう
人柱を捧げよう 愛しい君よ
何で造り直そうか?直そうか 直そうか
何で造り直そうか?愛しい君よ

金と銀とで造ろうか 金と銀 金と銀
金と銀とで造ろうか 愛しい君よ
金と銀では盗まれる 盗まれる 盗まれる
金と銀では盗まれる 愛しい君よ

針とピンとで造ろうか 針とピン 針とピン
針とピンとで造ろうか 愛しい君よ
針とピンではすぐ折れる 折れる 折れる
針とピンではすぐ折れる 愛しい君よ

木と粘土で造ろうか 木と粘土 木と粘土
木と粘土で造ろうか 愛しい君よ
木と粘土じゃ流される 流される 流される
木と粘土じゃ流される 愛しい君よ

丈夫な石で造ろうか 丈夫な石で 丈夫な石で
丈夫な石で造ろうか 愛しい君よ
それなら長持ちするだろう するだろう するだろう
それなら長持ちするだろう 愛しい君よ


全てを歌い終えた時には既にドールホーンの意識は途切れかけていた。椅子の下には血溜まりができて、ドールホーンの体にも力は入っておらず、唯そこにあるだけと言った有様だ。目も殆ど見えていないのか、誰かを手招く如く空中を彷徨う腕と共に、弱々しくもドールホーンは彼を呼んだ。


「……ダニー……、ダニーは……まだ……居るわよね……耳を……貸してくれるかしら?言っておきたい事が……ありますの……」


彷徨う手が彼を捉えたのは全くもって不思議だった。彼を思い切り近くまで手繰って引き寄せ、その顔と自身の顔を付き合わせる。

「……ダニー……。交換条件よ。……私の眼を見て」

顔を抑えて無理矢理にでも目線を合わせさせる。非常に近い位置に2人は居た。


「……この、残った目をあなたにあげるわ、ダニー。……その代わり、」


一拍おいて、ドールホーンは続けて口を開く。


「ジャックを、護って頂戴。……最後の最後まで、ね……?」


そして、その額に1つキスを送って、それきりドールホーンの手から力が抜け、顔は離れた。長椅子から身体も崩れ落ちて、ドシャリと重く湿った音が響く。最後の最期に血溜まりの中から教会の高い天井を見上げると、天井に描かれた絵が見えた。

「皆の事は……忘れないわ……」

最期に薄れ行く意識の果ての無意識で、ドールホーンは誰に聞かせるでもなく歌う。



Row, row, row your boat
Gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream.

Row, row, row your boat
Gently to and fro.
Merrily, merrily, merrily, merrily,
down the stream we go.

Row, row, row your boat
Gently down the stream.
If you see a crocodile,
Don’t forget to scream.


漕げ漕げお舟
優しく流れを下れ
楽しく 楽しく
人生なんて夢の様

漕げ漕げお舟
進んでは退き
楽しく 楽しく
流れを下って征こう

漕げ漕げお舟
優しく流れを下れ
もしもワニに出会ったら
忘れないで叫ぶ事



___人生なんて夢の様。

テムズ川を往く艀の如く、人の命は只々ゆっくり流れて過ぎ去っていくだけ。雨の一滴は寄り集まって川になり、やがては広い大海原に辿り着き、きっと雲になったり虹になったりするのだろう。涙も同じ。泣いた後には思いっきり笑うと良い。

ドールホーンの頬を温かい雫が伝う。
それが涙なのか血なのか、今となっては分からない。

意識はテムズ川の底の奥深くの安らかな泥濘に沈んでいき、二度と浮かび上がることは無いだろう。



ドールホーンは、目を閉じた。



>>教会ALL

3ヶ月前 No.171

ジャック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【ジャック/某年4月9日/聖アンダーソン教会】

手渡されたのは、凶刃。ドールホーンを殺した剃刀。
小さな手のひらにずしりと沈む、血濡れて赤銅に染まったそれを、ジャックは暫し黙って見つめていた。途方に暮れたような、迷い子のような、儚く揺れる小さな背中に、シャーロックはそっと手を掛けた。
殺人鬼の大人達に付いて回りたがる小さなジャックは、いつしか彼らの持つ仕事道具≠ノも興味を示すようになったこともあったが、過保護なシャーロックによってそれらは悉く小さな好奇心から取り上げられ遠ざけられていた。例えば、ダニエラが持っていたニードル、ドールホーンが教会に隠している鉈、シャーロックの厨房にある銀色のナイフ、エディが飼っている色鮮やかなペット……何人かの殺人鬼達には幼子に凶器を見せまいとする人間の良心が未だ残っていたようだったが、環境と時間には抗えない。店に来る荒くれ者の中には子供に面白がって武器を教え、シャーロックから手酷い制裁と出入り禁止を喰らうものもいた。そうやってジャックを身近な現実から遠ざけてきた彼も、今回ばかりはジャックの手から剃刀をはたき落すことは出来なかった。ドールホーンは、敵討ちを願うのだろうか、それとも護身用を渡す親心なのかそれとも、彼女がいたことをこの幼子に刻印しようとしているのだろうか……考えても答えの出ぬ問いを噛み締め、シャーロックは見守っている。

ドールホーンの優しい言葉に、ジャックはまた堰を切ったように泣き出した。こんな、分からない形で懐いていた婦人を失って、悔しさに泣く。悲しくて、泣く。受け取った剃刀の真意も分からず小さな手で握りしめ、目も鼻もぐちゃぐちゃにしてジャックは幼子は泣いた。
あやすような歌声が、ドールホーンの口から聞こえてくる。寂れ朽ち果てた大聖堂の、石造りの壁に反響して、その声は天井から降り注ぐ光のようにあたりに満ちた。
ロンドン橋≠ヘ、ジャックがドールホーンから最初に習った歌だ。ジャックはそれまで、歌の一つも知らなかった。初めは見慣れぬ幼子に近づいてこなかったドールホーンがこの詩を教えてくれた時、ジャックはそれを面白がってすぐに覚えた。そらから彼女は、ジャックの先生のように、いくつもの歌といくつもの物語を教えてくれた。その歌の続きが、この期に及んで歌われるとは。

ダニエラに何か囁いて、ドールホーンの体は崩れ落ちる。石造りの床にできた血溜まりがぐしゃりと踊っとを立てて広がる。
ーー人生なんて、夢の様。

力無く目を閉じたドールホーンを呼ぶ、ジャックの甲高い絶叫が響いた。

>all



【ドールホーンさん、洗濯蟻様、お疲れ様でした!
第二幕2ndイベントに参加してくださった皆様、ありがとうございます。3rdイベント(1レス完結)および、4thイベントの開始文は明日の昼過ぎに投稿したいと思いますので、2ndイベントの追いレスは今夜のうちにどうぞ!】

3ヶ月前 No.172

七角羊 @nnir749☆A3LxctuN3d2 ★nXNfBmBWZd_m9i

【ダニエラ/某年4月9日/聖アンダーソン教会】

流れるように、まるでこのことを予期していたかのようにスムーズに事は運ぶ。ジャックにこの教会の所有権を、シャーロックには手紙とドールホーンお手製のコテージパイのレシピが渡される。ああ、もう彼女のパイを味わうことはできないのかと思うと、目の奥がじんとまた熱くなった。
そして目の前で最後の執筆が行われる。大好きな小説の、最後の結末をこのような形で見ることになるとは。いつもならすらすらと流れる歌のように美しく、甘美に響き渡りながら頭に入ってくる原稿用紙の文字は、今のダニエラの脳内には一つも入ってこなかった。

彼女の最期の歌を俯きながらぼろぼろと涙をこぼして聴いていると、"ダニー"と名前を呼ばれる。いけ好かないと思われていたがダニーと愛称で呼んでくれるのは心地がよかった。いつもとは比べ物にならないほど弱弱しく呼ばれ、弾かれたように顔をあげる。

「なあに、ドールホーン。ワタシでよければ、何でも言ってちょうだい。」

涙混じりの震えた声で、今にも命の灯が消えそうな彼女の呼びかけにすぐさま答える。返事をすると弱弱しい声色で呼ばれたのとは裏腹、強い力でドールホーンに引き寄せられる。顔が、近い。まるで口づけができるほど。こんなに近くで彼女の顔を見たのは一度だけ。片目を奪った、あの時だけ。心臓の鼓動が早くなるのを感じていると顔を抑えられ目線を合わせられる。久しぶりに交わった視線は永遠を感じてしまう程穏やかで、視線が交差した瞬間、まるで二人の間だけ時が止まったようだった。泣き腫らしたダニエラの目に映った一つだけ光輝く碧色の瞳は、生気と色を失いつつあるが、それすらも美しかった。

ドールホーンから発せられた言葉に、思わず目を見開いて息を飲む。いいの、貴女、本当にお話が書けなくなっちゃうわよ。
ここでその条件を出すなんて、卑怯だ。ずるい。まるで悪魔との契約のようだ。彼女にとっての悪魔は自分であるはずだが、もう随分とっくの昔から悪魔は聖女に敵わないというのに。最初からドールホーンはとっくにわかっている筈なのに。ワタシが欲したものは、ワタシが愛したものは、その目だけでは無いことを。そしてワタシが彼女の、敬愛するセンセイの頼み事なんて断れる筈が無いのだ。
その目など、もう目などいらないからどうか生きてくれ、と無いものねだりのような叶わぬ願いを叫びそうになるのを必死にこらえ、彼女の目を見つめ直し、その瞼を撫でる。

「――――――ええ、貴女の代わりにワタシが護って、唄を歌ってあげるわ。」

愛するセンセイのオネガイだもの、モチロンよ。と安心させるようにドールホーンの耳元で囁き、熱を失っていく体を強く抱きしめた。何も心配はいらないわ、貴女は永遠になるもの。それに今度は貰うのではなくて、ちょっとの間だけ貴女を借りるわ。またいつか、お話が書けるように返しに行くから。
額に感じた唇の温度を享受する。そのキスは今まで受け取ってきたものの中で一番温かくて、寂しくて、切なくて、心に残った。貴女、こんな時にキスするなんて、本当にずるい。どうせならもっと早くしてよ。ワタシ、最後まで貴女の手の上で翻弄されっぱなしだったわ。けど、それが心地よくて楽しかった。

抱きしめたその体を解放すると、力無く血溜まりへと崩れ落ちた。まだ温もりが残るその手を掬い上げて、手の甲に口づけ、敬愛のキスを贈る。最期の歌を歌いながら目を閉じたドールホーンは、まるで本物の聖女のようで、まるで自分の中の神様が死んでしまったような、深い絶望とどうしようもない虚無感に包まれる。ああ、まるで悪夢。まるで夢のような現実。人生は泡沫の夢の様。きらめく星が一つ、空の彼方へと行ってしまい、見えなくなった。教会に響くマザー・グースは口を閉じた。ダニエラの目からまた一筋、涙が流れた。

「おやすみなさい、ワタシのマイ・フェア・レディ。」

>>教会ALL


【お疲れ様でした。ドールホーンさんの最期、悲しいけれど耽美でまさにマザー・グースのようでした。ダニエラのみならず本体も号泣しております。最後に素敵なキスをありがとうございました。】

2ヶ月前 No.173

語り @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【語り/某年4月11日/墓地】

激情のような春の嵐は爽やかな若葉色の風と木漏れ日を連れて来た。
二つ並ぶ真新しい墓標に、微睡みを誘う光の礫が降り注いで、天気雨が通り過ぎれば玻璃玉を散らしたように煌めいた。
嘗ては荒れ果て忘れられていた教会墓地には、花々の彩りが添えられ、花の蜜と焼き菓子の甘い香りが満ちるようになっていた。ーー死者への、献花だ。名も無き墓標の下に眠る、正体無き殺人犯への手向けの花。名こそ語り繋ぐ事は出来ねども、確かに霧の都に在った、彼女達の痕跡。祈りの花は毎日届けられている。
朽ち果てた聖堂から、マザーグースを歌うシスター姿の女の影は消えてしまった。小説家だった彼女が幼子に物語をする声も、今はもう無い。けれど、彼女と共に暮らしていた教会の孤児達も、彼女と共に過ごした嘗ての同胞達も、そして彼女が託した息子と呼ぶに近い幼子も、その追憶を手繰り唇にのぼらせて、彼女達が眠る教会から歌が消える事は無かった。

Life is but a dream.ーー人生とは儚き夢まぼろしの如くなり。

三つ目の墓標が加わる迄に、そう長い日は要さなかった。

ドールホーンが死んだ翌日、相変わらずの緑深い山道を、シャーロックは一人、急ぎ足で進んだ。昨夜の雨の名残の露が、綾なす樹々の間から溢れて肩や髪を濡らした。行き着いた先には、まるで童話から抜け出してきたような洋菓子店。店のオーナーを良く知る殺人鬼の男は、森に惑い腹を空かして料理店を見つけた猟師達よりも激しい勢いで中へ転がり込んだ。

ーー第三のターゲット。殺人鬼アルト。

……は、まだ店の奥でアップルパイの為の林檎の皮剥きをしていた。酷い剣幕で入ってきた馴染み客の紳士に「どうしたの」と尋ねる幼さの残る声はいつも通り。シャーロックは胸を撫で下ろし、相手の身に危険が迫っている事を必死に伝えた。今霧の都の殺人鬼達に起ころうとしている事を。彼等に迫り来るものを。
「この街から抜け出して、出来るだけ遠くへ逃げてください」
次は貴方の番だ、と言外に告げる忠告に、アルトは静かに首肯していた。

洋菓子店から帰る頃には、空はまた泣き出していた。店を出るシャーロックを見送り、傘を貸してくれた。
それが彼等が生前のアルトを見た最後になった。
彼は霧の都を脱し、誰も見ぬ土地で名前も過去も捨て生き延びるのだと思っていた。けれどその翌日、新聞に報じられたのは、洋菓子店happy applesのパティシエが森を抜けたところで何者かに殺害されていたという真実だった。霧の都を吹き渡る哀しい風の噂話では、その胸像のような白い亡骸は天使のように美しく、ただ、その胸像のような遺体からは、よほど鋭利な刃物が凶器だったのか両手が綺麗に切断されて消えていたらしい。
事件として処理された第三の殺人では、当然仲間達の元に遺体が帰って来ることが無かった。
殺人鬼達はまだ幼かった仲間の死を悼み、空っぽの棺に写真と、色とりどりの花やキャンディや果実や菓子を詰めた。盲目で花の彩りを知らないアルトに、その香りや美しさが届くようにと。甘く可愛らしい夢に見送られて逝けるようにと。
並んだ三つ目の墓標にも、相変わらず、ほんとうの名前は刻まれない。狼の群れは、互いの本当の名前を知らないからだ。あの頃の烏合の衆には、見えている真実と見えている虚構だけで充分だったからだ。
その日はもう皆帰ったのか誰もいない墓地で、シャーロックは左手に幼子ジャックの小さな手を、右手に取ったシルクハットを握り、雨に打たれて項垂れていた。

>1レスのみ〆


【第三ターゲットアルト様はキャラリセの御希望をされていましたので、愛情込めて語りソロール〆! イベントは無しでこのまま4thイベントに移らせていただきます。】

2ヶ月前 No.174

シャーロック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【シャーロック/某年5月14日/ハーマジェスティーズシアター】

クロークに三人分の荷物を預け、受付嬢に贈物の花束と宝石箱のような包みのチョコレートを預けて身軽になったシャーロックは、ラウンジのソファに座っているスワンの元へと戻ってくる。半歩前を歩いていたジャックが先に駆け出しスワンの膝元に甘えた。

ハーマジェスティーズ劇場。
ジャックは赤く分厚い絨毯を雲のように踏み、煌めく絢爛豪華なシャンデリアを物珍しそうに見ていたが、ようやく慣れてきたらしい。はしゃぎ回っていた疲れからか、開演前から既に少し眠そうだった。
シャーロック達は今宵、店の常連客が出演する歌劇に招待されていた。出演者一覧にも、あげられた祝いの花にも、会場内外に貼られたポスターにも彼の名前は大きく書かれている。……ルイスの表の顔は霧の都で知らない者はいない人気役者だった。なのにその本性が殺人鬼であることを知る者はおそらくこの会場には殆どいない。今も、カクテルドレスに身を包んだ若い娘達が今日のルイスの舞台に期待してきゃっきゃと黄色い声で愉しげに盛り上がっている。

「流石、ほんとうに凄い人気なのですね……」

知り合いのことで盛り上がっているファン達の行き交うロビーやラウンジを眺めながら、シャーロックは少し誇らしそうだった。もっとも、ルイスとの接点が殺人≠ナあることは全く誇れない点なのだが。
ある日のスワンとルイスの間にあった不穏とスワンの怖れなど全く気づきもせず、シャーロックがほのぼのと笑っていると、開演時間の近付きを告げる館内放送が流れる。

『間もなく、開演のお時間でございます。どうぞお席にお付きください……』

涼やかな声に、シャーロックはポケットから取り出した懐中時計を見遣り「おや」と声を上げる。

「そろそろ行きましょうか、スワン」

天鵞絨のソファに腰掛けた妻を誘うように差し出す相変わらずの白い手袋に、続く衣服はきちんとした正装に替えていた。日頃から身嗜みはきちんとしているシャーロックだったが、ブラック・タイのタキシードはルイスの為に、クローゼットから引っ張り出して久し振りに袖を通したものだった。揃えるようにして、ジャックも今夜は子供サイズの小さな紳士に着せ替えられている。それはあの日、ミリヤムと白雨に連れ出してもらった時に見繕ってもらった小さな英国紳士服だった。

重厚な作りの扉から、入った先は絢爛豪華な大ホールだった。用意された席は、二階席のドレスサークル席。一階客席を闘技場のように取り囲む半円を見渡し、自分達の席を探す。上手寄りの、二階最前列だった。並ぶ客席を数えチケットに記された席の目星をつけながら、まだ幕の上がらない舞台上を見つめる。
シャーロックのその表情は、さっきまでラウンジでスワンに見せていた純粋に友人の舞台を楽しみにする顔≠ナは無くなっていた。

ーー第四のターゲット。殺人鬼ルイス。

……だがしかし。第三の被害者アルトが殺害されてから、そこで殺人鬼を葬る刺客達の動きはぱったりと途絶えていた。次が自分の番だと知らされ逃げ出そうとしたアルトは、まるで逃げることを読まれていたかのように殺害されてしまった。だから今度は、というつもりなのか、シャーロックはルイスには何も言わずこの一ヶ月間彼の身の安全を隠れて見張るようにした。よく店に来ては酒を片手に台本を読んでいたルイス。美しい横顔で不意に真剣な眼差しになって、頁をめくっては何か呟き、役に命を吹き込んでいた創造の過程。その光景は今はもう見られない。ミカエルが死んだ日から西洋料理店は閉店したままになっていたし、ドールホーンに貰ったコテージパイのレシピを再現する気にもなれずシャーロックが厨房に立って今一つ美味しくない料理を作ることも無くなってしまった。店に入りたい者があれば拒まず、ウイスキーやワインぐらいは提供して好きなだけ居座ってもらってはいたが、かつての魔法の呪文のようなカクテルを作ることは無くなった。店主を困らせる彼の我儘な注文も、不意打ちに見せる子供のような笑顔も。全てが遠い日々の事のように思えた。けれど場所が変わっても、二枚目役者の仕事ぶりは健在だった。別にそれを見張ろうとしていたわけでは無いのだが、傷心していたシャーロックがそれに少し励まされていたところはある。数日前、ルイスはチケットを渡してくれて、シャーロックは「おめでとう、必ず観に行きますよ」と笑った。
結局、ルイスに魔の手が伸びることは無く、無事に公演の日を迎えることが出来た。本人にすら告げることが出来ないまま息の詰まる杞憂を抱えていたシャーロックには今日という日がとても嬉しかった。

オーケストラピットでは楽団がチューニングを始めた。Aの音を奏でるオーボエにヴァイオリンの音が重なり、木管楽器に金管楽器弦楽器、少し遅れてセロのゴオゴオという残響。数多の楽器の重ねる音が波紋のように広がり、やがて一つに収束して、ぴたりと鳴り止む。しんと張り詰めて訪れた静けさは、開演が間近であることを告げていた。

>all


【このレスをもちまして、4thイベント開始となります。概要はサブ記事にて書かせていただいた通りです。まずは皆様、大体こんな感じで、一張羅にお着替えの上、ハーマジェスティーズ劇場ロビーからホール内へお入りください。時間的にもし余裕があれば、絡みや捏造回想も是非是非どうぞ!】

2ヶ月前 No.175

ミリヤム @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

【ミリヤム/某年月日/自宅→ハーマジェスティーズシアター】

 この一ヶ月で3という数字が嫌いになった。このままいけばそう遠からず4も5も、数を数えるという行為そのものが嫌になるだろう。まるで初めて算数の宿題を課せられた、十年前のあの日のように。

 そんな陰鬱な思考を吹き飛ばすかの如く、今日のミリヤムはこれでもかと言うくらい着飾っていた。
 いつもより念入りに華やかにしたメイクアップ、いつもより丁寧に編み込んだ銀髪のウィッグ。彼女の正体を知っている人が見たら絶対に混乱するような体の凹凸を包み込むのは黒いイブニングドレスで、防寒具兼視線避けのレモンイエローのショールも羽織る。余り光らないネックレスに銀のパンプス、小さなパーティバッグには、オペラグラスを詰め込んで。
 鏡の中の自分の出来ばえに満足したミリヤムが向かうのは、ハーマジェスティーズシアター――今日は、仲間の一人であるルイスの晴れ舞台だった。
 彼の人気は大したもので、シアターに辿り着くと、開演までまだ余裕があるにも関わらず人でごった返していた。流石は世紀の大役者といったところか……それで大量殺人鬼なのだから笑えない。放っておいても人が集まるからこそ、殺人鬼たり得たのかもしれないが、そこら辺の事情は知らない。というか、ミリヤムと本日の主役・ルイスはそこまで親しくないと形容するのが正しい。
 それでも彼女がこの日劇場に足を踏み入れたのは、気晴らしか、それとも虫の知らせか。

 クロークにコートと、ルイスへとだけ添えられたカランコエの花を預けると、そのまま人波を避けるようにして指定された席に向かう。
 二階のドレスサークル席上手側。階段を上って通路を歩いて、そしてチケットと椅子の番号を見比べて……何度見てもその羅列は変わらない。

「……ハァイシャーロック。ジャックもスワンも綺麗におめかししてるのね、とぉっても素敵よ」

 そこにいた先客は、知合い以外の何者でもない親子連れだったのだ。隣の席でこそないものの、視界に映る範囲にめかしこんだシャーロック、スワン、そしてジャックの三人がちゃっかり座っている。ルイスから誘われたのだから当然と言えば当然たが……今日この付近に集まるのが殺人鬼達だとして、二階席を爆破すれば不幸の連鎖は一瞬で終わる。自分がこれ以上数字を嫌いになることもないだろう。
 そんな笑えない話を考えながらも、ミリヤムは指定された座席に上品に腰かけると、オペラグラスを膝の上に置いて開演を待った。

>all

2ヶ月前 No.176

みんと @milkywayy☆woNfuP/Psag ★iPhone=WsHBgyg92L

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2ヶ月前 No.177

シチダンカ @caim ★Vxqs1Pnm4y_mgE

【シチダンカ/某年5月14日/自宅→ハーマジェスティーズシアター】

 その便りを見つけた時、差出人の名前を見て驚いた。
 ――ルイス。俳優としての彼を、観客の一人として見かけたことがあった。それでも、それ以上の関係はなかったから、だから、驚いた。まさか、あたしにも招待状をくれるだなんて。ふと、思い出す。ハイドランジアの最期を。あの時、あの場所に居たあたし達は、仲間意識のようなものを感じ合っていたのかもしれない。だから、この封筒はそれを形にしたものだと解釈することにした。

 誘いを貰ったのならば、それには応えたい。それに、そこへ行けばシャーロックの店の常連の皆とも会えるような気がしていた。風の噂では、あの日からシャーロックの店は長く閉まったままだと聞いていた。ただ、集まる場所が少し変わっただけだけのこと。
 今日は朝から、連日の事件についての取材だった。精神科医シチダンカ先生の見解をと、とある雑誌社の記者が訪ねに来ていた。その記者とは何度か顔を合わせたことのある間柄ではあったけれど、自分が知り得たものを他へ明かす気持ちには到底なれなかった。勿論、思うことは色々とあるのだけれども。ハイドランジアの死から、まるで全てが変わったような感覚だった。けれども、そう思ったのはほんの一瞬だけで、またこうしてかつての日常が徐々に自分の心に溶け入ってきている。あたしは、あたし達は、変わらない。心の奥底に眠る本能や野望も、呼吸のように染みついた手口についても、変わることはできない。
 他人の温度が消え失せた部屋の隅に、寄りかかる。せめて、今は馴染みある人達だけで固まっていたかった。仮初の安心でも、包んでくれるのならば何だってよかった。


 どれだけそのままでそうしていたか、重い身体を引きずって、クローゼットへと向かう。今宵は少し冷えるようだからと、シャツの上に紺のベストを羽織り、その上から同色のジャケットと、ダークグレーのチェスターコートを重ねていく。軽く髪を梳かしながら、高い位置で一本に結った。こういった恰好は久しぶりだった。窓硝子に反射する自分の姿が妙に見慣れなくて、靴だけは普段と変わらないハイヒールを選ぶ。
 前に一度だけ、ハーマジェスティーズシアターへは行ったことがあった。何度か埋もれかけていた記憶に助けられながら、角を曲がった先で、まるで道案内の様に並ぶ本日の主役のポスターが見えてくる。――綺麗な人ね。
 入口に踏み入れ、視界に入り込む煌びやかな雰囲気に思わず目を細めた。赤い絨毯を、爪先に力を込めて歩く。まるで異世界のようだと、暫くその余韻に浸りたかったところだけれど、ホールの人影が次第に減っていくのを見ては、急いでクロークへ私物を預けた。

 クロークで聞いたドレスサークルへと向かう。階段を一段、また一段と上るにつれて、高揚感が身を包んでいった。人の密度が減り、観客の声がよりクリアに聞こえるようになった中、周囲から聞こえたルイスの評判に思わず口元が緩んだ。

「……あら、皆さんもうお集まりだったのね。失礼、隣いいかしら?」

 見知った面々を見つけては、少し歩幅を広めて近付いた。空いた席に腰を下ろす僅かな間に、無意識にシャーロックの姿を探していた。けれど、想像していた表情とは異なった様子の彼の姿を見て、安堵に目尻を下げる。心配事は、開演前に捨てておきたかった。

>周辺ALL

2ヶ月前 No.178

狼谷 @anima1997☆PMqTzZiUwVg ★iPhone=BN3hO8AmiJ

【メロウ/某年5月14日/ハーマジェスティーズシアター】

 ある日、居候先に一通の招待状が届いた。差出人は自分と同じく霧の都の殺人鬼、だが表向きは俳優を生業とする、ルイス。端正な顔立ちの彼とは、例の洋食店で幾度となく顔を合わせてはいたものの、残念ながら特別親しいわけではなかった。歳が近い割に、というか、近いからこそ何処か相容れないものがあったのかもしれない。自分はモラトリアムを謳歌する学生、そして彼は民衆の前に立つ俳優、住む世界がかなり違うのだ。しかし、同じ穴の狢でもある。
 彼から送られてきた招待状の中には、家主だけにではなく、自分に宛てられたチケットも封入されていた。思わず感嘆の声を上げ、チケットを大切そうに持ちながら自室への階段を駆け上がり、ベッドに寝転がりながら何度もチケットを眺めた。彼の公演が終わったら、次は自分から彼に何らかのアポイントメントを取ってみようかな、などそれを眺めながら思ったものだ。

 待ちに待った公演の日、メロウはこの日のために選んだエメラルドグリーンのミモレドレスに身を包み、早々と自室をあとにした。このドレスは、犬猿の仲の相手であるダニエラと共に選びに行ったものである。いつもは意見が合わず喧嘩になったり、討論が白熱し過ぎてトラブルを起こしたりしてしまうのだが、その時ばかりは意気投合して盛り上がっていた。彩り豊かなドレスに囲まれている時間はとても幸せで、最近起きた物事を忘れてしまうひとときであった。彼はスーツを着ると言っていたので、自分はドレスを着ることに決めたのだ。機会が無ければ、ドレスなんて着ることは無かっただろう。
 自慢の一張羅に、今までにないくらい機嫌良く鼻歌を歌いながら闊歩する。向かう先は劇場、ではなく、同胞への贈物を調達するために、街である。人目を気にして、暗色のコートを羽織って。


 小ぶりの籠の中に花が溢れんばかりの様子で咲き誇るフラワーアレンジメントを、受付嬢に手渡した。コートはクロークに預け、オペラグラスをレンタルする。どうやら幕間にシャンパンやワインをいただけるらしい。今すぐにでも、と飛びつきそうになる衝動もあったが、開幕前から飲むのは流石に気が引けたので我慢した。
 ホワイエの壁に面する柱に寄りかかり、余所行きの懐中時計の蓋をカチカチと開けたり閉めたりしながら、待ち人の姿を探した。こういった舞台には、初老の紳士淑女が集まるものとばかり考えていたが、妙齢の女性も多い。どうやら彼女達の話題の大半はルイスについてのようで、その人気に唸った。

「まあ、目的地は一緒だから先に行っても構わない、かな。もうすぐ始まるみたいだしね。」

 チケットに明記されている席エリアは、二階のドレスサークル。特等席だ、という知識はあった。折角なので、シアター内を満喫しようと思い、敢えて一階に続く通路を進む。開幕の時間が迫っていることを場内アナウンスで知ることが出来たが、そんなもので好奇心は止められなかった。立派な作りの扉の先には、話にしか聞いたことのない世界が広がっていて、思わず息を飲む。
 キラキラした空間を、瞳を輝かせながらゆっくりと歩き、そしてようやく目的地である二階のドレスサークルに辿り着く。

「皆さんごきげんよう。わお、ジャックもいるんだね。可愛いなあ、そのお洋服。誰に選んでもらったのー?」

 集まっていた面々に明るい調子で挨拶を交わした。その中に見つけた小さな小さな英国紳士さんに、身を屈めて顔を近づけては、とびきりの笑顔を浮かべた。ドールホーン、それに続くようにして起きたアルトの件から約一ヶ月が経とうとしていたが、その期間は学業でバタバタしていたので、こうやって余裕のある時にジャックを初めとするシャーロック達に会うのは久方ぶりだった。

 開幕前の劇場の雰囲気が好きだ。ドレスの裾を気にかけながら、自分の席に深く腰掛ける。だがすぐに、身を乗り出せるように浅く座り直した。はしたないだろうか。でも、今日ばかりは周りの視線だとかは無視して観覧したかった。だって初めての劇場だもの。
 そして小ぶりのバッグから、先程レンタルしたばかりのオペラグラスを取り出す。このオペラグラスというものは、思っていた以上に意匠が凝らされていて、一目で気に入ってしまった。にこにこ笑みを浮かべながら開幕を待った。

>>ALL



【ダニエラさんと一緒に向かう約束をしていたけれど我慢できずに先に行ってしまった、という感じで進めました!これでも宜しかったでしょうか……!】

>>七角羊さま

2ヶ月前 No.179

スワン @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【スワン/某年5月14日/ハーマジェスティーズシアター】

 暖かみのある光に包まれた、華やかで荘厳な由緒ある劇場。ただいるだけで非日常を感じられるような、そんな劇場のロビーの隅で、スワンは夫と幼子を待っていた。普段の身持ちの堅い服装とは打って変わっためかし姿。レースのあしらわれたベアトップのドレスに白いストールをふわりと纏い、編み込んだ髪はグレイッシュブルーのかすみ草で飾られている。普段は引かないアイラインを引き、ピンクのルージュも塗った。しかし霧の都のスターの舞台を待ちわびるにしては、その表情は複雑なものだった。
 ルイス――彼とあの日会う前から、その名は知っていた。ううん、きっと知らない人の方が珍しい。若く、美しく、役者としての才能までも授かった人気役者。けれどその正体は、血を啜って甘く微笑む、恐ろしい人。あの美し過ぎる眼差しは、足が竦むほどに怖かった。ルイスが店を訪れたときは、スワンは一階に降りないようにしていた。それなのに今日ここへ来てしまったのは、シャーロックさんに、それを伝えられなかったから。シャーロックさんがルイスのことを知人と思っているのか友人と思っているのかはわからないけれど、少なくとも好意的な感情を抱いているのは知っていた。だから結局言えず、断れず、こうしてついてきてしまった。でも、きっと大丈夫。彼のファンで溢れているこの劇場なら、ルイスが私の前に現れることはない。むしろこちらから近寄ろうとしたって無理な話だろう。

 足元に触れた気配でスワンは意識を戻した。膝元でこちらを見るジャックの姿がそこにあった。一丁前に小さな紳士服に身を包んでいる。彼に優しく目を細めてから、ジャックの背後から歩いてくる夫に視線を移す。彼は荷物と贈り物をクロークに預けにいってくれていた。

「ええ、シャーロックさん」

 差し出された手を取り、腰を上げる。彼について劇場内の二階席へと向かった。きらびやかで見惚れてしまう広い場内。シャーロックに促されるまま席にかけ、舞台を見渡した。
 間もなく、数人の観客が新たに入ってくる。どういうわけか、彼らは皆スワンの知った、もしくは見たことのある人物だった。シャーロックさんに内緒でこっそり取引をしている"人形屋"のミリヤム。名前は知らないけれど、幾度か店に客として訪れているのを見たことのある異国風の衣装を纏った女性。シャーロックさんが引き合わせてくれて定期的にお話しているシチダンカ先生。ご機嫌な様子で現れたメロウちゃんは、とても緑色のドレスが似合っていた。
 彼らの共通点を、スワンは知らない。見知らぬ他人ではないので、誰かがやってくる度に、シャーロックの陰で小さく会釈を続けていた。

>all

2ヶ月前 No.180

凍雨 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=gvuiG3FWjP


【 ルイス / 5月14日 / ハー・マジェスティーズ・シアター 】



 今夜のハー・マジェスティーズ・シアターはより一層賑やかな空気に包まれていた。開場の時刻を過ぎればシアター内には徐々に人が集まり出す。どの階も満遍なく人が入り、ステージ脇から覗いて見ても空き席は極僅か。それも時間の問題だとは思うが、とにかく観客が集まってくれたことに心から安堵する。自信家で生意気な態度を取ることが多いがこれでもれっきとした人間だからプレッシャーを感じない訳もなく、ここ数ヶ月はこの舞台のことで頭がいっぱいだった。現にさっきまでこの先のことを考えると指先が震え出す始末だったが不思議と今は起こらなかった。観客席に巡らせた視線が二階席で止まる。うっすらとだけれど見知った者の幾つか見えたような気がして、そうしたら突然笑いが込み上げてくるものだから片手で口許を抑え、もう片方では腹を抱えた状態でさぞ愉快そうに、でも堪え気味に笑うとその姿が目に入ったスタッフが不審そうな顔でおずおずと口を開く。


「ルイスさん、大丈夫ですか? お疲れになられているのでしたら後少しなら楽屋で休まれた方が……」
「――ああ大丈夫大丈夫。すみません、なんか心配させちゃったみたいで」
「いえいえそんな。ところで、なにかあったんですか?」


 傍らでは台本とタイムスケジュールを握りしめたスタッフと小声で会話をしていると、その人は小首を傾げて訊ね事をする。


「んー、ちょっと、ね。……そうだ。あそこ、あの二階席にいる人達ね、オレが招待したダイジなお客さんなんですよ。来ないだろうなーって思ってたのにちゃんと来てくれるなんて意外としっかり人間やってんだなーって思ったら面白くって。ホント笑っちゃいますよねぇ」


 あはは、なんて空っぽな笑い声を上げて談笑すると彼はいつものように笑っていた。けれどその顔には少しだけ素が入り交じっているようで、何処か優しさを覚える。そんな彼が満足したのか楽屋の方に戻ろうと踵を返した手前、何かを思い出したかのように再びこちらを振り返る。


「もし、この公演で何かあったら二階を優先してあげてください。あの辺は良席だからもしかしたらすごーく偉いひとがいるかもしれないですからねー」


 ふわりゆらりと軽口で言い残した言葉に返事を返す間もなく、それじゃあ、と居なくなる彼の後ろ姿が段々と人に飲まれて消えていった。





***





 開幕のブザーが鳴り響く。ステージの上に佇む役者たちの中心にそれはいた。薄ピンクの髪をかきあげ、顔の右半分を真っ白なマスクで覆った怪しげな男――に骨の髄まで憑依されたルイス。彼が身に纏った大きなマントを勢い良く翻したのを皮切りに、館内には誰もが知る不気味な音楽が響き渡る。ステージの上部に釣り上げられた模造品のシャンデリアがギイギイと不快な音を立てながら右へ左へと揺れ動き、その下では色鮮やかな衣装が一糸乱れぬ姿勢で舞い踊る。ターンする度に美しい円形を描くドレスを着飾った淑女たち。その隣で淑女たちの手を引いて新たなステップに誘うタキシード姿の紳士たち。それぞれがくりなす可憐なダンスに負けじとオーケストラが奏でる音楽は素晴らしい音色を紡ぐ。全ては誰もが魅了される、そんな最高の瞬間を創り出す為に彼らは必死に踊った。


 役者は舞台の上でこそ生きる。役に憑依して時には舞い、時には叫び、時には笑い、時には涙を零して、人々に夢のような世界を魅せる。背後にどんな苦境を抱えていようともステージ上ではそれを見せることなく、舞台に立つものはこの瞬間だけは誰もが平等で居られる。だから、此処が自分の唯一許された場所なのかもしれない。ルイスは眩くてクラクラするほどのスポットライトを全身に浴びながら目の前に広がる光景を愛おしそうに目許を細めた。



 そして役者たちが数々とひとつひとつの場面を無事に演じ終え、次のシーンに移ろうとして後ろを振り向いた時。大勢のキャストがステージ上を行き来する最中、ルイスもまた次なる場所に移動しようと踏み出した右足が何者かによって阻まれてしまう。


「……おい、何をし――――っ!?」


 恐らくリハーサルの時にきちんと移動の仕方を覚えておかなかったのだろう。にしても一体誰なんだ、と眉を顰めて顔を僅かにあげたその時、ルイスの腹部に突如として激痛が走った。右脇腹を貫く鋭い痛み。そこからじわじわと痺れが広がり、滲み出てくるような生暖かい赤色の血が豪華な衣装に滲み上がる。何もかもが唐突で追いつかない頭が情報を取り入れろと全身に信号を送ってから数秒後、やっと目線が下げられるようになった。その目が映し出した光景に思わず後退りしてしまう。目の前に現れたのは銀の刃。照明に照らされて光輝くそれは持ち手部分にまで繊細な模様が描かれたアンティーク調のもので。その柄にはに覚えがあったルイスは痛みに耐え忍びつつ、周囲を一瞥するとこちらの異変に気付いたキャストやスタッフが騒然としている傍らであるものが目に留まった。白いテーブルクロスが敷いてある机の上に丁寧に陳列された食器類だ。パーティ会場をモチーフに構成された演出なら本物の刃が模擬れていてもそれをいちいち確認するものもいないからか、などと考えていたがそうともいかないらしい。まるで考えること自体を拒むかの如く体が言うことを聞かなくなっていくのが分かる。このままでは舞台上で倒れてしまうのも時間の問題だ。現に今だって足が震え出している始末で、もう自分一人ではどうにもならないほどの痛手を負ってしまっていることを理解する。


 けれど、それでも、この舞台から降りることは出来ないのだ。
 ルイスはどこにいても、何をしていても常に舞台上にいて決して演じることを辞めてはならない。もしこの掟を破ろうものならルイスはたちまち自分自身を見失ってしまう。否、それ以前に『ルイス』という役柄すらも見失ってしまったら自分には何も残らない。ただただ自らよりも力を持った者に虐げられる奴隷のような――きっとそれよりも酷い弱者に逆戻りしてしまう。全てを奪われ、僅かな希望さえも握りつぶされて終わる。下手に何かを望めば欲したことを後悔する程の更なる絶望で塗り潰されてしまうなら、与えられたものを大人しく受けていた方が楽でいい。これ以上の痛みも、苦しみも、後悔も、オレには何も要らない。そう、思っていたのに。こんな屈辱はもう二度とあじわいたくなかったのに。ギュッと唇を噛み締めて肉体を襲う痛覚と精神を削る嘗ての記憶が齢十八の少年の身も心も余すことなく喰い荒らそうとする現状に吐き気がして、その場に腰を降ろす。膝を僅かに曲げて腹を抱えるように座り込んだルイスは霞んでいく視界の中でキャストに紛れた鬼を探すが次第に広がっていく痛みによって遮られてしまった。ぱくぱくと唇が何かを紡ごうと動くのに、声が上手く出せない。次第に漏れ出した嗚咽がマイク越しに観客まで届いてしまいそうで。


 死期を悟ったルイスはうっすらと瞳を閉ざした。その姿はまるで眠りにつくかの如く、何かを来ても拒まないと言わんばかりの姿勢で静かに呼吸だけを繰り返した。


>>館内オール



【諸用により投稿が遅れてしまい、申し訳ありません。あと1レスでルイスは〆にしますのであと少しだけお付き合い下さればと思います】

2ヶ月前 No.181

シャーロック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【シャーロック/某年5月14日/ハーマジェスティーズシアター】

間も無く開演のアナウンスに誘われて、シャーロック達の周りの席も人で埋め尽くされていく。ミリヤムや白雨、シチダンカにメロウ……他にも続々と見知った顔が現れる。皆ルイスからの招待状に応え、華やかな服装に身を包み、オペラグラスやチケットを握り声を掛けてくる。中には、めかした様子が見違えるようで一瞬誰だかわからなかった仲間もいたぐらいだ。チケットをくれたルイスの計らいか、いつもの仲間達は皆この二階席の前方の良席一画に集められていた。少し浮かれたその光景は、夢を見る前の幸せな微睡みのようだった。スワンと初対面であろう仲間に話しかけられた時には、傍の美しい淑女を「妻です」と紹介し、ジャックはジャックで、メロウに服装を褒められると、「ミリヤムと、シラサメシショー だよ」と誇らしげに見立て人の名を言って「ね?」と二人を振り返る。こうしていると、本当にただの家族と、ただの友人達のような錯覚を覚えそうになる。その平凡な理想の安寧が、本当だったのならどんなに良かったか。

開演のブザーが鳴り、客席を闇が包んだ。
照らされる舞台上。全ての視線が高まる期待と共に釘付けになる。固唾を飲み、胸を踊らせ、目を輝かせて。観客達の熱視線が、空間を焦がす。
壮麗なオーバーチュアとともに幻想奇譚は開幕する。頭上のシャンデリアが瞬き、観客達は舞台上に現れた夢の世界へと誘われた。

ルイスの舞台は、評判通りの素晴らしいものだった。ルイスが有名な役者であることも知っていたし、彼が店に台本を持ち込んでブツブツやっていたのも見ていたが、本番を目の前で見るのはシャーロックにとって初めてのことで、期待以上に圧倒されている自分がいるのを感じた。
世の中にはこんなに面白く美しく素晴らしいものがある。こんな殺人鬼の群れの中で育つ運命に蹂躙されている傍の幼子にも、本当はもっとこんな歌劇や芸術に触れさせてやりたかった筈なのに、とシャーロックはこんな時でさえ思った。殺人現場や仲間の死などではなく、人間の美しさで織り成された美しいモノを。本当は。

そのときだった。
それまで優しい眼差しで友人の活躍を見守っていたシャーロックが、訝しげに目を細め次の瞬間には瞠いた。暗闇の中でも爛々と光る獣のようなその目は、遠い舞台上のルイスの異変を捉えた。僅かだが不自然な動きと、何処か庇い何かを探すようなそぶり……疑念を誘った僅かな変化は、次の瞬間には誰もが分かる一大事の異変へと変わっていた。
糸が切れた人形のように力無く座り込むルイス。それが物語の筋書きで無いことは素人目にも分かる。
演出か、いやそうじゃない、というどよめきが、一階席から波のように広がっていく。上演中という奇妙な圧迫感、ねじ曲げられた日常感から観客もまだ誰も大声を上げることが出来ないでいるが、抑え切れない無言の騒めきの波が、却って酷く煩く観客席に疑念の濁流を呼ぶ。

舞台上のパーティ会場。文脈から外れた殺人のシナリオ。誰の目にも開け放たれた、けれど部外者は誰も出入りできない、舞台という密室。

「(……ルイス……!)」

助けに行かなくては。そう思うのに、此処は舞台から余りにも遠く離れた二階席だ。目の前で起きている惨事が、余りにも遠い。身を乗り出すのに、影を客席の闇に縫い付けられているかのように動けなかった。
目の前なのに。目の前で繰り広げられている、舞台の上なのに。誰にも、駆寄ることも助ける事も許されない。ただただ、夢から悪夢に変わったその光景を、網膜に焼き付けるか恐ろしさに目を瞑るかの二択しか与えられていなかった。

>ルイスさん、all



【うわぁぁぁ……ルイスさん……!!!!】

2ヶ月前 No.182

スワン @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【スワン/某年5月14日/ハーマジェスティーズシアター】

 開演を告げるブザーが響くと、ざわめいていた会場は一気に静まり返る。静寂に包まれた真っ暗闇の舞台。少しの間をおいて、舞台がライトに照らし出された。同時に奏でられる壮大な音楽。オーケストラの演奏に合わせて、役者たちは華麗に舞い踊る。その中心となり、誰よりも強いスポットライトを浴びているのは、ほかでもない、あのルイスだった。
 スワンは文字通り、息を呑んだ。初めて見る彼の舞台は、呼吸をするのも忘れそうなほどに素晴らしいものだった。ルイスという男への恐怖心すらも、今は忘れていた。ただ、彼らが紡ぐ舞台に魅入られていた。

 スワンがその異変に気付いたのは、一階席の前の方から不穏なざわめきが出始めた頃だった。舞台の真ん中で座り込むルイス。初めは次の踊りに繋げるための演出か何かかと思ったけれど、それは余りに長く、不自然なものだった。
 何が起きたの? 何が起こっているの? ルイスさんは、どうしてしまったの?
 視線を舞台上のルイスに奪われたまま、スワンの左手が隣に座るシャーロックの袖をつかんだ。つかんだ袖の端を、ぎゅっと握りしめる。

「……ねえ」

 縋るようにシャーロックさんの方へ顔を向ける。ルイスさんの異変に気付いて、という意図だったけれど、考えてみたら私が気付いたことにシャーロックさんが気付いていないはずはなかった。
 演劇というものに触れたことのないスワンでも、目の前の舞台という空間が、観客席とは切り離された別世界であることは理解していた。だから、シャーロックですら動くことができないのだろう。それでも、スワンには夫の袖口を握りしめることしかできなかった。

>ルイスさん、シャーロックさん、all

2ヶ月前 No.183

ミリヤム @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_gaI

【ミリヤム/某年5月14日/ハーマジェスティーズシアター】

 次々とやって来る、シャーロックの店で顔なじみになった者達。その一人一人に小さく会釈して、一張羅のことでジャックに自慢げに振り返られればそうねと微笑んで。
 やがて世界が暗転し、日常は非日常へと切り替わる。
 ミリヤムはこれまでにまともな演劇を見たことが無かった。それらしいものを挙げるとすれば、せいぜい子供たちのお遊戯くらいのものである。だから、その全てにミリヤムは引き摺り込まれ、惹き込まれ、魅入られた。
 圧巻だった。言葉なんて出て来なかった。豪奢な衣装も、スポットライトの光も、細部まで作り込まれた舞台セットも勿論素晴らしかったが、その全てが役者の迫真の演技の前では――ルイスの前では霞んでいた。プロの演奏家たちが研鑽を積んだオーケストラの演奏だって、その声色一つに叶わない。どんなに優れた名画だって、その表情一つに及ばない。
「凄い」
 久し振りに、物凄く久し振りに、生きている人間が美しいと思えた。思わず呟いたミリヤムは、食い入るように舞台を見詰め、次に紡がれる物語を今か今かと待っていた。
 けれど、彼女が待ち焦がれた瞬間は、終ぞ訪れることはなく。

 最初は、周囲のざわめきだった。何かがおかしい、と目を凝らせば、舞台上のキャストやスタッフも慌てふためいている。オペラグラスの中では、真白な仮面の男が――否、ルイスが、真っ青な顔で喘いでいた。
「……そん、な」
 衣装のシャツを濡らす真っ赤な染みが、見えた気がした。

>ALL

2ヶ月前 No.184

シチダンカ @caim ★Vxqs1Pnm4y_mgE

【シチダンカ/某年5月14日/ハーマジェスティーズシアター】

 幕が開いた瞬間に、その世界観に心はすっかり飲み込まれていた。いつもの二つの顔も、残してきた仕事も、その他の山の様に積まれた考えなければならない事柄も、すべてを頭の片隅に置き去りにして。観劇経験は、片手で数えるくらいだった。だから余計に、名も知らない高揚感が心臓を震わせるのかもしれない。例えるのならば、まるで魂にでもなったような気分だった。魂になって、重力もなく、自由に壁をすり抜けて、好きな視点から誰かの生きる世界を追体験しているような、そんな気分であった。ただ自分の中にあるリアリティーは、身を焦がすような興奮と、普段と異なった衣装の下で鳥肌を立たせる皮膚だけだった。それ以外は、まるで実体を持たない幽霊になったような不思議な感覚だった。
 それは、実在していたらいいと憧れを抱く反面で、決して踏み入れられず、仮に踏み入れてしまったとなれば現実では味わうことのできない後悔を提供してくれるような世界。何十もの人生が書かれた筋書が、寸分の狂いもなく人生を模して展開し、交差されていく。

 ――けれど、一瞬でその筋書は塗り替えられた。美しく飾られた脚本は、人生のような痛みによって綻びを生じさせていく。

 明らかに、異変を覚えるような接触だった。何よりもそれを異変だと捉えさせたのは、その後の仮面の下に現れていた動揺が、恐らくルイス本人のものであったから。演出なのか、否か。その曖昧な境目が、客席に沈黙の混乱を抱かせていた。唇の端が引きつる。震えるようにして、何度も。――嗚呼、流石ね。この完成された演出を計画し、実行した人物に対しての素直な感想だった。舞台上で現実が演出されることはないだろうという安心は、こうして完璧に崩れ去ったのだから。
 左右の舞台袖に交互に視線を振る。舞台上の演者たちがもはや仮装となった表情を脱ぎ捨てた姿を見て、目の前の非日常だったものを映し出していた画面から身を引く。そうして、客席を視線のみで見渡した。
 永遠に終焉を迎えることのないルイスの舞台。未完成にして、完成。
 今目の前で、自分の想像した通りの事件が起きているのならば、恐らくあの出血量では彼は助からない。それならば、最期を、彼が生きる世界で、皆に観せたいと思った姿の彼を看取ろう。
 震えの止まった唇で、弧を描く。悲しむよりも、笑顔の方がいいじゃない。その方が称賛に似合っていると思うから。


 頭のどこかで理解していた。あたしたちは、生きてはいけないのだ。誰かの生を奪った者たちは、人間の面を付けて生きることを許されない。例え、他に秀でているものがあろうとも。ショウ、マスト、ゴー、オン。もしも、これから起こる運命づけられたすべてがショウであるのならば。エンドロールには死者が笑顔で出てきて、並んで、お辞儀をして、そうして万雷の拍手を受け取ることでしょう。

>ALL

2ヶ月前 No.185

七角羊 @nnir749☆A3LxctuN3d2 ★nXNfBmBWZd_m9i

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2ヶ月前 No.186

凍雨 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=gvuiG3FWjP


【 ルイス / 5月14日 / ハー・マジェスティーズ・シアター 】




 美しい衣装に赤色が滲み出る。ぽつりぽつりと布に新たな染みが広がるのと同じように、客席にも不穏な空気が流れ始めていた。演者が、しかも主役たる存在が上演中にステージ上でしゃがみ込んで黙りを続けているのだから観客の反応は容易に想像出来た。開演前とは異なったざわめきがシアター内に漂い、舞台裏ではスタッフたちが慌てふためいているようだった。ステージ上の他のキャストも指定された位置から外れ、舞台袖から緊迫した表情を浮かべている。互いに目配せし合っていた。恐らくこの状況をどうするべきかを考えているのだろう。舞台のことも、ルイスのことも彼等は必死に悩んでくれているがどうしたって彼等にはなす術はない。だって、ただの人間相手にアレは止められない。目線を上げてゆらりと首を動かす。そう言えば自分を刺した奴は何処へ行ったのか。観客の方からは不自然な声は聞こえてこなかったということは舞台袖の方に違いない。左右に目を配り、不審な影を探そうと何度も努力を試みてもそれらしいものは見当たらないまま時間だけが刻一刻と過ぎ去っていく。焦りと不安に苛まれたルイスは大勢の人間の前で珍しく心の底から絶望に駆られた表情を浮かべて、また目線を下げる。


 ――どうしよう。この一言がルイスの頭の中を埋め尽くす。でもルイスが考えているのは自分のことでも、刺客のことでもなく、舞台のことだった。目の前で大勢の観客たちがこの舞台を心から楽しみに来てくれたのにも関わらず、こんな結末になって有耶無耶に終わらせるなんてしたくはない。否、絶対にしてはならない。どんなことをしてでもルイスはこの舞台を刺客の手から守り抜かなくてはならないのだ。


「…………この神聖な場所に悪しきものが踏み入れてはならない。それは勿論、例外なく全てのものに適応されなくてはならないんだ」


 ルイスはぼそりと床に向かって吐き捨てる。彼らしくもない固い口調で淡々と、真面目に紡がれていくものだから他の人からみたらこれも台詞のひとつのように思うかもしれない。そして鉛のように重たい体に鞭を打ってよろよろと立ち上がろうとする。大量に体外へ漏れ出した血はルイスの衣装も患部を抑えていた手元も真っ赤に彩られ、グロテスクな見た目になってまでもルイスは諦めなかった。普段のようにおちゃらける元気はとうの昔に尽き果てた。今はただ真後ろまで迫った死を知らんぷりをして、死ぬ直接だとしても演技というものに心底溺れている男の振りをしたい。ルイスという名を与えてくれた少女との約束を果たす為にも、黙って朽ちていく訳にはいかないのだから。






 ふらふらと覚束無い足を叱咤し、しゃんとした姿で佇むルイスは真剣な面持ちを観客に見せる。白いマスクを外し、火傷の痕をリアルに再現した醜態の塊を自身の未熟さに重ねてしまったルイスは、その偽りの傷を指先で撫でると指のあとをなぞらうように一筋の涙が流れた。


「――彼女を愛することすら許されない、こんな醜い存在は地獄に落ちるのがお似合いなんだ」


 腹に傷を受けたことと顔の痕を役自身のコンプレックスに置き換えて、話を続けようと試みる。ここまで悲惨な事態に大勢の人間を巻き込んでしまった罪滅ぼしとしてルイスは脚本にはない新たな物語を即興で演じ続けた。荒削りで筋書きなんて知ったものかと言わんばかりの抵抗を言動で示す傍らで衣装のポケットから取り出していた代物を静かに首元にあてがう。それを見たものは驚きの声をあげるだろう。演技と現実が絡み合う中で台本には到底登場するはずのないことをしようとしている自分自身に呆れてしまいたいくらい、狂っている選択だと思う。首にあてがわれた手に握っているのはルイスの握り拳よりも僅かに小さな手榴弾なのだから。留め具の輪の部分に人差し指を入れ、それを引けばいつもの様に爆発が起こる。けれどこれなら最小限度の被害に収められるに違いない。どうせ未熟者がぶち壊してしまった舞台なのだ。その責任を負うのは自分一人でいい。舞台袖に控えたキャストと観客の間合いを横目で一瞥したがこれなら言うほど大きな被害は出ない筈だ。二次被害が出るほどの威力を持たないものを緊急時用に忍ばせていたルイスはやはり、人にはなりきれなかった殺人鬼に過ぎなかったらしい。最高のステージに立っても欲求を満たす為に武器を持つだなんて役者失格だ。そんな情けないものはさっさと片付けてしまおう。人差し指に力を込め、引き抜く手前に恐れからか情けなくなってしまった顔を上げる。涙と血で濡れたルイスは最期に寂しそうに笑いかけて、僅かに口を開く。








「――――醜い罪は、地獄へ」


 台詞のあとに金属の留め具が外される音が鳴る。その後に館内を数秒間包み込んだ静寂の中、ルイスは二階席を覗き見た。肉眼では見えないが同胞たちは一体何を思いながら自分の死に様を見ているのだろうか。そう考えた時に頭の傍らでエリーの最期を思い出した。幾万の死体たちよりも生々しくて美しかった彼女の死と、風の噂で聞いたドールホーンとアルトの死。それらに比べたら見苦しい最期になってしまうな、なんて他人事のように捉えながらその時を待つ。
 唯一、許せないことと言えばこの舞台の幕を無事に何事もなく下ろしてやれなかったことだ。これだけは死んでも悔やむことになるだろう。天から与えられた才能を悪しき相手から見出され、嫌々足を踏み入れた世界がまさかこんなにも素晴らしいものだとは思いもしなかった。うっすらと瞼を閉ざしながらルイスは神に乞う。罪人が許しを求めるわけではない。永遠に誰からも許されないまま、どれだけ償ったも消えない呪いのような罪を背負うことになっても構わない。だけどこの劇場と中に居るものだけは救ってくれ。そしてどうか、俺の居場所を奪わないでくれ、と。
 そう願いながらルイスは目を閉じた。









 館内に爆発の轟音が響いた。手榴弾の威力はルイスの肉体を破壊して見るに堪えない姿に変えた。が、周囲への被害は予想外のものにも及んでいた。頭上に飾られた模造品のシャンデリアがあろう事か屍を目掛けて落下し、その下敷きになってしまったのだ。爆発の影響と接続部に弱った部分があったらしい。豪華に飾り付けられたシャンデリアは舞台本編で描かれたものの様に破損。その破片が周囲に散らばってしまった。舞台袖や一階席最前列辺りの客席にその破片が散らばり、館内は再び騒然とする。飛び交う悲鳴と怒号の声。一部の客は席から立ち上がり、この場から立ち去ろうとする者も居たがその行動を制御しようと館内のスピーカーから主催者と思われる者の声が震え混じりに響いた。


『大変申し訳ありません。今回の上演は非常事態が発生した為、勝手ながら中止とさせて頂きます。つきましては係員の指示に従い、二階席のお客様から順次避難を開始して――』


 放送に合わせて館内のドアが開かれる。そして、時期に係員が避難誘導を始めるだろう。優良席とされる二階のドレスサークルの名を真っ先に挙げ、次に被害が大きかった一階席、最後に三階席と次々に避難を始める中である観客たちが悲しみに打ちひしがれる中、これはルイスの起こしたテロ行為だ≠ニいう者が紛れているがその真偽を知る者は数少ない同胞のみとなってしまった。


 未完成にして、不完全な作品は壊れたシャンデリアのように歪な形になって人々に語り継がれるであろう。名俳優ルイスの初主演舞台の幕は永遠に下りることはなく、終わりを迎えるのだった。








【私情ですが、あまりの筆の遅さに昔話を省き、ルイスの最期を書かせて頂きました。最後の最後まで迷走していて申し訳ありません……!
 沢山の殺人鬼さんたちに遊びに来てもらえてルイスもわたしもとっても嬉しかったです!
 最後になりましたが、これにてルイスは退場致します。最後までお相手して下さり大感謝です、本当にありがとうございました!】

2ヶ月前 No.187

ルーツァン @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【?/某年某日/下水道内地下迷宮】

 水音が木霊する。湿った薄暗がりの中、反響し続ける冷たい雫の調べを掻き消すがごとく聞こえてくるのは、火が点いたように激しく荒い呼吸音。それはまるで、躾のなっていない負け犬の呻き声。

 饐えた水の匂いが蔓延し、湿気と冷気が同時に流れ込んで背筋を凍らせる煉瓦造りの古い下水道。迷路のように入り組んだその突き当りの一つに、煌々と輝く大きなランタンが一つ置かれている。
 鈍い金色の光に照らされて、天井から床へと伸びる太い柱の側で何かが蠢いていた。それはぼろぼろの衣服を纏った男である、今はぼろきれのようだが洋服の生地自体はかなり高級な物だ。髪はくしゃくしゃに乱れ、きちんと整えていただろう自慢の髭も今や萎れた朝顔の蔦のよう。目隠しと猿ぐつわをされ、手足を太い鎖で柱に縛りつけられた男はそれでも何か言葉にならない呻き声と共に身を捩らせて拘束から逃れようとしている。

「…………惨めデ、哀れだコト。カメリア卿が御覧になったらサゾお嗤いになるのでしょうねエ」

 いきなり響いたのは、低く押し殺すような笑いを帯びた女の声。柱に縛られた男はもがくのをやめ、まるで辺りを見回すかのように首を何度も動かす。
元々人が息を潜めていた気配はなかった、ましてや近付いてくる足音も衣擦れも聞こえはしない。忽然と現れた女に、男はかたかたと小刻みに身を震わせる。

「ワタクシは全て知っていますワ。カメリア子爵が闇の使者ドモと交わした後ろ暗い盟約の事モ、それを突然反故にして影の輩タチを裏切った事モ。ソシテアナタが、ワタクシ達死神の化身を嘲笑った事もネ」

 こつ、こつ、と。高いヒールの靴音を響かせながら女が柱に近付いて行く。何も見えない常闇の中に居る男は必至にその身体を動かすも、金属の鎖はびくともしない。手首が擦れて滲む血を、飢えた獣のように真っ黒な瞳が捉えた。

「みんなみんな調べましたノ、ぜぇんぶ知ってしまいましたのヨ……残念ながらワタクシはシャーロックと違って気が短い上ニ、自制心もありませン。ですから今宵、ワタクシはアナタを此処にご招待したのでス、――このウツクシイ死の夜に、悪魔と夢魔が腕を組んで踊る魔の夜(ワルプルギス)ニ」

 男の手首が唐突に掴まれる。女の爪が擦り傷に食い込み肉が抉られ、そのまま捻られる拷問の激痛に、口を塞がれたままの男が豚のような悲鳴を上げた。

「こんなモノではなかったでしょうヨ。ワタクシの愛しい堕ちた天使ガ、童謡が得意だったあの聡明な淑女ガ、綺羅星のように魅力的な二人の紳士が、今わの際に味わった悲しみと痛ミ……そして無念。アナタには分からないでしょウ、いいエ、――――オマエナンカニ分カッテタマルカ」

 乱暴に目隠しが外され、男はあまりの恐怖にその両目を見開いた。彼の視界には、ただ何処までも続く闇が広がっていた。他には何も見えない、ただその漆黒は彼を飲み込む為にぽっかりと大きな口を開いているようで。それは、目だった。顔が付きそうな程近い距離にある女の瞳、その漆黒が、男をじっと見据えていた。睨んでいるのではない、ただあまりにも冷酷に、見ていた。

「ですから今度はアナタに差し上げまス」

 女の顔がさっと離れる、まるで汚らわしいものに近付いてしまったとでも言いたげに。
 女が親指と人差し指で輪を作るようにし、そのまま指を軽く咥えた。次の瞬間、鋭い笛に似た音が下水道中に響き渡る。笛の音が止むと同時に、何処か遠くから幾つもの足音が近付いてくる事に男は気付く。人間のそれではない、鋭い爪が煉瓦を引っ掻きながら、四足の足音はみるみる迫ってくる。地獄の業火を更に煽る鞴のような、熱い飢餓に燃える息も聞こえる。その主が何なのか悟ってしまった男の顔が、みるみる青ざめていった。

「ワタクシガ、絶望ヲ」

 青を通り越してすでに紙のごとき白に染まった男の顔が、その目が女を見る。許してくれ、助けて、と。言葉にせずとも、その表情が物語っている。
 女の唇が、耳まで裂けたかと思う程に吊り上がった。あまりにも、残忍な微笑。

「可愛がってもらいなさいネ……骨の髄まデ」

 残酷な最終通告と共に、女は踵を返して颯爽と去っていく。男は激しくもがきながら奇声を上げ、女を呼び戻そうとするがその背は闇に溶け消えていく。
 女と入れ違いに唸りながら飛び込んできたのは、三頭の真っ黒な大型犬だった。飢えているのだろう、真っ赤な目を爛々と輝かせ、剥き出しの牙からはてらてら光る粘液が際限なく垂れ流されている。縛られた男の方へじりじりと近付くその姿は、まさに三つ首の魔犬ケルベロス。

 そして遂に、無慈悲にも再び、悪魔が来たりて笛を吹く。

 鳴り響いた甲高い指笛の音色が合図となって、黒犬達は一斉に飛び掛かる。哀れな犠牲者、以前シャーロックを罵倒し嘲笑したカメリア子爵の秘書。彼は涙に濡れた目を裂けんばかりに見開いたまま、迫る鋭利な牙と爪を恐怖に染まったその瞳に映す事しか出来なかった。

 そして、轟くは絶叫。

2ヶ月前 No.188

ルーツァン @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

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2ヶ月前 No.189

ミリヤム @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

【ミリヤム/某年6月11日/倫敦塔】

 死が、近付いてくる。一歩一歩、ご丁寧に大きくその足音を響かせながら。それは最早、誰にも疑いようのない事実。
 最期にロリータと呼んだ少女が死に、ドールホーンが死に、アルトが死に、ルイスが死んだ。
 みんなみんな、あの店に――シャーロックの下に集った仲間たち。歪な家族ごっこを続けていた、いつの間にかかけがえのないものに代わってしまっていた仲間たち。
 その中から自分一人抜け出すことが出来るだなんて、よもや誰も思って居まい。

 そのせいかミリヤムは、嘗ての思い出を一縷の希望の如く握り締めて過ごすようになっていた。開店休業ならぬ閉店開業状態のシャーロックの店に足繁く通い、隙あらばジャックを連れ出し、白雨の工房、スワンの居る天文台、主の居ない研究室を訪ね、廃教会、パティスリー、劇場に向かい、時には墓前に花を供える。そんな、繰り返しの薇仕掛けのような日々。
 勿論ルーツァンの所にもこれまでと同じように通っていたが、Wildcatで同胞を見送って以来、彼女とはまともに顔を合わせていない。別の仕事が忙しいのか、ミリヤムには会いたくもないのか、彼女の愛娘達を殺した存在を血眼になって探しているのか……それは分からないし、分かりたいとも思って居なかった。
 一つ、溜め息を吐く。それは嘆息でもあり、着物の帯を締め上げた為に肺から漏れ出した空気でもある。
 あの時霧雨呉服店で買った着物は、もうすっかり着なれてしまった。和装で写真を撮りに行くという約束だけは叶わないまま、今日もミリヤムは綺麗で穏やかな思い出に縋り付く。
 愚かに、無様に、そして憐れに。
 紺色の江戸小紋に、蘇芳色の帯、帯締め、瑠璃色の帯留、天色の飾り襟、銀の草履。敢えての金髪を、繊細な作りの簪で結い上げて。
「……行ってくるわね、“ミリヤム”」
 鏡に……否、鏡写しのように寸分違わぬ人形に告げて、ミリヤムは自室を後にした。

 今日も雨だった。この町の名に違わぬ霧雨が、辺りを白く煙らせる夜。シンと静まり返った夜闇は、生きとし生ける者の世界ではなく、姿なき亡霊達が蠢く世界――殺人鬼に殺された者達の世界。
「そしてそれは、アタシ達の世界」
 ロリータも、ドールホーンも、アルトも、ルイスも。
 待っていて、どうせアタシ達も、直ぐに逝くから。

 行く宛などないような、それこそ幽鬼のような足取りで入り組んだ路地を抜け、やがてミリヤムが辿り着いたのは倫敦塔。その陰に隠れるようにして、彼女は帯の隙間からサバイバルナイフを取り出す。
 殺せ、と言われていた。今晩其処に居る女を必ず仕留めろと。他の殺人鬼達が次々と屠られる中、変わらず舞い込んでくる依頼。
 嫌気が差さなかったと言えば嘘になる。けれど今更、ミリヤムごときにはどうしようもない。
 地を蹴った。雨だか霧だか分からない水滴に紛れて、頚動脈を引き裂いてもっと確かな血の雨を降らせる。それで終わり……終わり、なのに。
 嗅ぎ慣れた匂いが、鼻をついた。
「はっ」
 思わず、乾いた笑いが漏れた。そうだ、知っていた、解っていた。アタシ達が踊るのは、何時だって滑稽なトラジコメディ。全部全部、きっと奴等の掌の上。

「……一応、聞いてあげる」
 屍の山の中に一人佇むその黒い影に、ナイフを突き付けて。

「どうして貴方が此処に居るのかしら……」
 闇に浮かぶ髪は銀、僅かに見開かれた瞳は闇よりも尚深い漆黒。それを覆い隠す仮面に、真っ黒なドレス。
 それは、十年前に自分を拾ってくれた人のもの。何もかもが、これまで色々なことを教えてくれた人のもの。

「ねぇ、ルーツァン?」

>ルーツァンさん

【フィフスイベント開始おめでとうございます……今回は何と、ルーツァンさんとの殺し愛をさせて頂くこととなりました。役不足にも程がありますが、もう少々お付きあい宜しくお願い致します。】

2ヶ月前 No.190

ルーツァン @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【ルーツァン/某年6月11日/倫敦塔】


 撃たれた腹部から流れる紅い液体が、止まらない。溢れ続けるそれを片手で乱暴に押さえたところで、ルーツァンの意識がふっと流れる。

 考えるよりも早く、身体が動いていた。

 ルーツァンはチャイナドレスの裾を大きく払うように捲ると、黒い革のベルトで大腿部に固定していた銀色の棒のような物を素早く引き抜く。引き抜いたと同時に大量の真っ白な煙を吹いたそれは奇妙な機械音と共に長く伸び、先端に幅広な刃を構築する。蒸気機関を利用した機械仕掛けにより、突如として出現したのはスコップである。しかしそれはただ土を掘る為の道具ではない、とある戦線では人を殺める為の道具として立派に機能したという記録も残されている。またそれは葬送の為に墓を掘る、死を司る道具ともいえよう。いわば、墓守を気取る死神の得物に相応しい。

 白煙に覆われた倫敦塔の中庭は仄暗い、塔の窓から微かに漏れる蝋燭の灯りだけが光源だ。しかしその場に集うは常闇の申し子達である、まるで夜行性の獣のように夜目が利く。小さな灯りさえ、かえって煩わしい位だろう。
 迫る気配、それは強い殺気を帯びていた。そしてその麗しいまでに純然たる殺意には、悲しい位に覚えがあった。

 冷たい霧雨が舞う中庭の対峙した黒い影二つ。片方は鋭利なナイフを翳し、もう片方は銀のスコップを突き付ける。

「……ミリヤム?」

 からからに乾ききったような、聞き覚えのある笑い声。それだけで、語り掛けられる前からルーツァンは対峙した相手が誰なのか悟る。否、それ以前に感じた気配だけでも確かに相手を認識していたが、彼女としては珍しく普段は信じる己の直観を、彼女自身の感情が認めたがらなかったようだ。
 しかし仮面の奥で少しだけ見開いた漆黒の瞳には、確かに艶やかな着物姿のミリヤムが映っていた。仮初の金髪を見事に結い上げ、青を基調とした和装は彼によく似合っている。そして今宵も、見事な黄金に煌めく、その瞳。けれど今のルーツァンにそれを深く意識する程の心の余裕はない。

 何故彼は今、ナイフを手にしているのか。何故自分は今、彼に凶器を向けているのか。

「アナタこそどうして此処ニ?」

 まさか。

「それは彼等と同じ理由?」

 それは、つまり。

「反逆者たるワタクシを始末する為ニ?」

 否、きっとそれだけではない。

「それとモ、疑いたくはなかったけれド。もしかしテ、やはリ」

 ルーツァンの脳内に、ミリヤムと過ごした日々が、その濃密な時間が高速で流れていく。それは異国でいう走馬灯に近いものなのかもしれない。

 もう随分と昔、彼と出会った路地裏の、雑多な屋台に並んだ花の鮮やかな色。
 彼に文字を教えている時の、何処か苦いインクと燻るランプの香油の匂い。
 彼の為に料理して二人で囲んだ食卓の、使い慣れた母国の香辛料の味。
 彼が初めて観るという歌劇で聞いて、後から二人で口ずさんだオペラの一節。
 起きたばかりで乱れたままの彼の髪を梳かした時の、若草を撫でるような柔らかい手触り。

 そのどれもが、あたたかかった。

 そもそもルーツァンが貧しい孤児達の慈善事業を表の顔に選んだのは、外部から疑われにくいという理由が大きかった。子どもが対象だと、ご立派な立場にある富んだ者達は皆、急に善人ぶるようになる。自分がいかに人格者であるかを世間に知らしめる為に、そもそも異人であるルーツァンを疑いもしないし、寄付金も惜しみなく払いたがる。だから彼女はこの仕事を選んだに過ぎない。

 だから最初はそれ程特別な訳でも、大きな存在という事もなかった。捨てられた仔犬を拾った程度の認識しかなかったような気もする、思い返してみれば。
 生活を共にするには随分と難しい子どもだった。ルーツァンも舌を巻く程に利口で機転が利くが、境遇もあってか疑い深く、隙を見せれば喉元を掻き切られそうな牙を隠し持っている。外見の美しさや可愛らしさとはかけ離れた、獣のような一面を抱えた幼子だった。けれど逆に、だからこそルーツァンは彼に惹き付けられたのだ。自身と同じように、ただの人間ではない、何かもっと野性的な香りを秘めたその少年をルーツァンはいつの間にかひどく気に入っていた。

 そうしてあっという間に歳月は流れ、いつの間にか重ねれば塔が出来そうな位の思い出が二人の間には聳えている。膨大な記憶が映し出された写真のような、ただくだらないだけだと思っていた日々を思い出してみれば、ルーツァンは自覚する間もなく己の唇が緩く綻んでいる事に後から気付く事となる。
 一人ではなかった、いいや、文字通りの一匹狼ではなかったのだ。気付けば彼と共に在った。見事な満月の晩、真夜中に一人で杯を傾けていると、親とはこんなものなのかと柄にもなく思ったりしたものだ。傍らのベッドで寝息を立てる、寝顔だけはまだあどけない彼の顔を見れば、猶更。

 しかしそれらを掻き消すように彼女の胸の内を過ぎるのは、死と狂気の記憶。
 最も思い出したくない、けれど忘却する事すら出来ない、あの日あの時あの瞬間の、絶望。

 両手が蛍光色の生温かい液体に満たされ、代わりに少しずつ熱を失っていく小さな身体。
 弱っていても尚甘い、その仔猫の鳴き声に似た笑い声が徐々に遠くなっていく。
 あんなにも美麗な、何度も抉ってしまいたくなるのを必死で抑えた、あの瞳からみるみる輝きが消えていく。
 羽根をなくした天使の魂が遠く、手の届かない場所へ行きつつあるのが、見える。

 どす黒い感情が、目の前を真っ黒に染めた。

 顔の半分を隠す仮面をはぎ取り投げ捨てる。
 嗚呼、其処にはもう何もなかった。

 ルーツァンの左腕に、闇の色をした何かが浮かび上がる。それはルーツァンが彼女の祖国で彫り込んだ特殊な刺青、興奮するなどして体温が上昇すると肌に浮かび上がるのである。
 腕に巻き付く真っ黒い龍は、霧のような雨に濡れて泣いているかのように見えた。

「オマエが全ての元凶カ、そして次ハ、ワタクシの番カ?」

 瞳の色が更に深まり、漆黒を更に重く遠い闇へと沈める。
 過去の優しい思い出達を、死者への想いと、深淵のごとき悲壮が一瞬で塗り潰して。

「――――オマエだけは〈   〉だと思っていたヨ」

 止めどなく溢れる血液に濡れて、真っ赤なルージュで染めたような唇。その隙間から零れ落ちた、一番伝えたかったコトは、間の悪い渡り鴉の鳴き声に掻き消されて。

 思うよりも早く、身体が動いていた。

 かちり、と。ルーツァンの人差し指が、スコップの柄に目立たないよう隠されているボタンを躊躇なく押した。次の瞬間、聞いた事もないような奇怪な破裂音と同時に真っ白い蒸気が噴き出して、スコップの先端にある幅広の大きな刃が凄まじい速度で撃ち出される。刃は後方から蒸気を吹き出し、撒き散らしながらさらに加速し、ミリヤムに向けて真っ直ぐに向かっていく。

 それは容赦の欠片もない、愛情に満ちた過去との決別の証。

 あまりにも、無慈悲な。


>>ミリヤム


【私の事情で大変お待たせしました、ごめんなさい。こうしてまた魂を削り合うような互いの最期を描けて、私は光栄です。
そして改めましてスレ主様、参加者の皆々様、長らくお待たせしてしまい申し訳御座いませんでした。あと数レス、もう暫くお付き合いいただけたら嬉しいです】

2ヶ月前 No.191

ミリヤム @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

【ミリヤム/某年6月11日/倫敦塔】

 闇の中に立つ彼女は、まるで――否、文字通りの手負いの獣。その瞳に浮かぶ驚愕と一瞬の愛惜は瞬く間に塗り替えられ、どす黒い憤怒へと変わる。
 きっと、あの時と同じようにこの惨状がミリヤムのせいだと思っているのだろう。ロリータが死んだあの忌まわしい夜と同じように。
 陶磁の肌に闇色の紋様を浮かび上がらせて、鈍重な筈の凶器を何の苦もなく振りかぶる様は、美しくさえあった。当たり前だ、彼女は“本物”だ。猟犬の一族の娘、彼女はそう在るべくして生まれてきたのだから。彼女の前に立たされてしまえば、自分など獲物ですらない、塵芥のように飛ばされて消える以外の道はない。そうだとしても。

 アナタこそどうして此処ニ?――頼まれたから、それだけ。

 それは彼等と同じ理由?――彼等ってそもそも誰のこと?

 反逆者たるワタクシを始末する為ニ?――貴方が反逆者だと言うのなら、アタシはきっと、もっとずっと罪深いモノ。

 オマエが全ての元凶カ、そして次ハ、ワタクシの番カ?――あぁ、そんな筈ないじゃない。貴方も俺(アタシ)も、所詮舞台の上の……いいえ、舞台にすら上がれないマリオネット。それにどちらかと言えば、貴方じゃなくてアタシ(俺)の番。

 オマエだけは〈 〉だと思っていたヨ――貴方が何を言っているのかは分からない……解るのは、もう、手遅れだということだけ。

「……貴方が何を言っているのか、アタシには全く以て分からないわ。けれどねルーツァン、貴方がそう思うならそうなんじゃない? 真実なんて所詮自分の中にしかないのよ……アタシ」
 今更言葉の応酬など何の意味も成さない。ならばそれがどんなに無謀で愚かなことであろうと、正面から受け止めるしかないのだ。
 そう、どうせ逃げられやしないのだから、母とも呼ぶべきその人の憎しみは、せめて、全て、この体に。

 蒸気機関を利用して、目にも止まらぬ速さで射出された刃は、諦めたように両手を広げるミリヤムの体を脆くなった戸板か何かの如く易々と貫いた。骨と臓腑の潰れるグロテスクな音がして、気道と言わず食道と言わず、鉄錆の固まりがせり上がってくる。その勢いに耐えきれず血反吐を吐き出しながらも、ミリヤムの右手はサバイバルナイフを……そして左手は自らに突き刺さるシャベルの柄を、確と握り締めていた。
「……ほら、これで……捕まえた」
 ずるり、と足を前に出す。刃が更に体の奥深くを侵す。それでも。

 あぁそうだルーツァン。アタシの番が終わったら、次はきっと貴方の番。たとえ次じゃなくても、貴方の番はやってくる。ロリータを手に掛け、アタシ達を絶望の底に叩き落とした輩の凶刃に倒れてしまう。そんなの美しくない、認めない、絶対に。貴方はアタシにとっての“絶対”だ。貴方が誰かに殺されることなんてあってはならない、そんなこと夢にも思いたくはない。
 だから、そのくらいなら、いっそ。
「アタシが、あの子達の所へ連れて逝ってあげる」
 距離を零にしたルーツァンの体。その脇腹の傷口に、サバイバルナイフを突き立てた。
「……サヨナラ、“母さん”」
 敵の弱点を突くのは悪ではないと、教えてくれたのも貴方だから。
 親を知らない、きっと本当の名前さえない何者かに、家族を教えてくれた貴方だから。
 もうぼやけて見えない倫敦塔よりもずっと大きく、流した血よりもずっと温かいものを教えてくれた貴方だから。
 せめて、引導は“俺”の手で。

 そうしてミリヤムの意識は暗転する。

>ルーツァンさん

【まだ死んでませんが次か次の次で死にます、ルーツァンさん素敵な思い出の数々をありがとうございましたm(__)m】

2ヶ月前 No.192

ルーツァン @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

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2ヶ月前 No.193

Nameless @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

【Nameless/某年6月11日/路地裏】

 最初の記憶は、四角く切り取られた空とその大半を埋め尽くす金髪金瞳の少女の顔。二番目の記憶は酷く痛む頭と、伸ばした手を濡らした生暖かいアカ。
 全力ですっ転ぶなり何処からか墜ちるなりして、頭を打ったのだと理解するまで数秒。
「ちょっと貴方大丈夫?」
 目の前の少女の口が動いた。大丈夫なことは大丈夫だったけれど……参った、自分の事が全く分からない。名前も過去も今どうして此処に居て何をしているのかも、血と一緒に綺麗に流れ落ちてしまったようだ。
 それを告げると、少女は一瞬目を丸くして、口の中だけで呟いて、そして。
「あらあら、忘れちゃったの? あたしはミリヤム、貴方……ウィルのお姉ちゃんよ」
 いやいやいや、それはない。流石にそれはない。幾らなんでも最初の態度と矛盾している。絶対今思い付いただろそれ。大体起き上がってみれば彼女の方が推定十歳くらいの自分より小さいくらいだし、血溜まりに映った顔が違いすぎる……瞳の色以外の共通点が何処にもない。
 けれどそんな主張は受け入れられず、乱暴に頭の手当てをされ、ミリヤムの寝床の廃屋に引っ張って行かれた。記憶もなく他に行く宛などない自分はそうして“ミリヤムの弟のストリートチルドレン・ウィル”になることを余儀無くされたのだが……多分、彼女が名乗る前に口走った、「良かった」という言葉は、死んでも忘れないだろう。

「お姉ちゃんだから」
 それがミリヤムの口癖だった。お姉ちゃんだから自分が前に出る。お姉ちゃんだから半分にした大きい方をウィルにあげる。お姉ちゃんだから泣かない。お姉ちゃんだから、お姉ちゃんだから、お姉ちゃんだから。彼女の行動指針は全てそれで、何なら存在理由さえ「ウィルの姉であること」以外ないように思えた。
 有り体に言えば彼女は“ウィル”に甲斐甲斐しく尽くし、そして依存し、自分はそれを甘んじて受け入れた。当時の自分はミリヤムが何処からか――恐らく非合法な手段で――持ってくる食べ物や金銭の恩恵を受ける以外に生き延びる術などなかったのだから。
 そうして五、六年が経過した頃、ミリヤムは自分にとって特別な存在になっていた。姉とは違う、もっと原始的な感情を抱く相手。向こうには全くその気はなかったから、決して悟られないように気を配ってはいたけれど……多分それがいけなかった。
「じゃあ、お姉ちゃん仕事行ってくるから。お留守番宜しくね」
 少女と女性の境目位まで成長したミリヤムは、体を売って日銭を稼いでいた。明言はしないが、何となく察することは出来る。何度も止めようとしたけれど、自分は一生ミリヤムの「お姉ちゃんだから」には勝てない。
 そうして何時ものように出掛けたきり、ミリヤムは帰って来なかった。ほうぼう手を尽くして探し回ること二週間、彼女は今とある富豪の別宅に居るらしいと聞いた。
 小間使いとして雇われたのか、気に入られて養女にでもなったのか、詳しいことは分からない。けれど彼女が、このゴミ捨て場のような場所から抜け出すことが出来たのなら、それを祝福するべきだ。
 最後に一目会ったなら、この歪な姉弟ごっこも終わりにしよう。そう思って聞き及んだ住所を訪ねた……正攻法では門すら叩けないのは百も承知なので、勿論裏口から不法侵入である。別宅というだけあって、余り人の気配はなく、そこらを勝手に見て回っても誰にも見付からなかった。そう……リビングにもベッドルームにもバスルームにもウォークインクローゼットにもミリヤムの姿はなく、遂には地下室まで辿り着いてしまい、そこで。

 透明な液体の中に沈んだ、ミリヤムと出逢った。真っ白な素肌には傷一つなく、生きている訳がないのに生きている時と何一つ変わらなかった。

「……ミリ、ヤム?」
 呼掛けても、二人を隔てるガラスを叩いても、彼女はぴくりとも動かない。まるで精緻な人形のように、彼女は生きたまま死んでいて、死にながら生きていた。
 きっとそれは、おかしな趣味を持った富豪の仕業だったのだろう。自分から大切な人を奪い、殺し、その死体さえ冒涜する。それは筆舌には尽くしがたいほどの怒りを伴う事実であったけれど、それ以上に全てを飲み込む圧倒的な美しさがあった。
 あぁ、そうだ。“ウィル”は確かに、愛する少女の死体を、美しいと思った。
 暫くして別宅に戻ってきた男を、自分は殺した。殺してミリヤムの死体を自分だけのものにした……それが、彼の最初の殺人。

 そして次からは復讐だった。ミリヤムの遺した服を着て、ミリヤムの遺した化粧品を使って、彼女に似せた金色のウィッグで町を歩く。裏声に釣られて彼女を買った汚い男達を、何人も何人も殺した。姉のミリヤムと弟のウィルを一人で演じ分けながら、最愛の少女の死体――後にそれが、俗に言うホルマリン漬けであったと知ったのだが、下手に取り出そうとしなくて本当に良かったと今でも思う――と暮らす。我ながら狂気の沙汰だ。
 そうして殺した男達の数が両手足の指でも足りなくなった頃、まだ夫婦だったシャーロックとルーツァンに出会い、表と裏の両方の稼業で拾われた。復讐ですらない単なる殺戮と化していた殺人は、決して良いものではなくとも多少の意味を持つようになって“ウィル”の命を首の皮一枚で繋いだ。
 名前が必要だった。ミリヤムの弟のウィルだからウィリアムと適当に名乗り、ミリヤムの名もまた冠したままで生きる。これまで全く縁の無かった勉学というものにルーツァンを通して触れ、多少は賢くなったと思う。
 シャーロックは自分を対等な仕事仲間として頼りにしてくれたし――これも今思えば、ある程度の年齢に達しているように見えたからなのかも知れないけれど――、ルーツァンはそれこそ本当の息子のように温かく接してくれた。ミリヤムと居たときのような歪な関係ではない何かが確かにそこにはあったし、それはとても美しかったけれど……それでもどうしても、死んでしまった彼女に勝てない。
 そうしてまた二人を通して白雨に出会った。剥製師を生業とする彼女に師事し、ターゲットを練習台兼資金源としながら何とかミリヤムをホルマリンから助け出すに至ったのは、実は割と最近の話である。白雨も自分と同じようなタナトフィリアだったからか話はあったし、彼女もまた自分の技術を受け継ぐ存在をある程度は特別視してくれたのだと思う。友人のような師弟関係は、新鮮でとても居心地が良かったけれど、どうしても彼女に勝てない。
 そうして気付けば十年が経ち、仲間が増えて仕事が増えてついには息子まで増えて。それでも未だ誰も、彼女に勝てない。そう思っていた。
 尤もその頃にはもう、自分がウィルなのかミリヤムなのか、愛しているのは生きていたミリヤムなのか死体のミリヤムなのか分からなくなっていたけれど。
「でも、間違いなく……今のアンタは綺麗だよ、ミリヤム」
 そう告げて家を出たのは、今日もだったか昨日だったか、それとももうずっと前なのか。


「あー……せめて死ぬ前に姉さんは土に還したいね」
 多分今も、綺麗なまま部屋で笑っているミリヤムくらいは。
 腹を押さえて、ズルズルと歩く。伝う壁も、歩いてきた道も、下手くそな塗装のように赤黒く染まっていた。あの場所から大して離れてはいないのだから、きちんと歩けているのかも怪しいものだが。
 走馬燈を見終わって奇跡的に――或いは絶望的に――目が覚めると、質の悪い夢のようにルーツァンの姿は消えていた。何故か体には血塗れの黒いローブがかかっていて、腹の傷は消えてくれない辺り、先程の闘争は歴とした現実で、相変わらず死の匂いは濃厚だったけれど。
 ずるり、と下駄の鼻緒が切れて落ちた。前のめりになった体を支えるだけの力も最早なく、そのまま路地裏に崩れ落ちる。
 思い出の着物はボロボロだった。腹と一緒に切り裂かれて大穴が開き、血と泥に汚れて、簪も落ちて見る影もない。これではきっと、ジャックとの約束も守れない。
 地面に体を打ち付けた影響だろうか、再び喉からせり上がってくるものがあったが、もうこれ以上汚れたくない一心で無理矢理飲み込んだ。

「どーせ俺を殺すなら……世界で一番、綺麗な死体に……してくれよ」

 ごろり。と仰向けになって。四角く切り取られた灰色の空に手を伸ばした。

>スワンさん、all

【ちょっと無理矢理過去編と捏造設定ぶっこみましたごめんなさい。
 一応スワンさんと待合せを予定しておりますが、ミリヤムの無様な最期を嘲笑したい方はどうぞ。次レスで彼の物語は幕引きとさせて頂く予定です。】

2ヶ月前 No.194

スワン @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【スワン/某年6月11日/路地裏】

 霧の都の乾いた空気が、今宵は湿っていた。スワンが自宅である料理店を出たのは、細かな雨がようやく止みつつある頃だった。
 少女の――ミカエルの一件以来店を閉めたシャーロックさんは、考え込むことが多くなったようだった。何をするでもなく、眠るジャックを物憂げに見ながら、じっと腕を組んで座っている。それは時が経つにつれて、特に劇場でのことがあってからは尚、顕著に見えた。
 今夜だって。ベッドに向かう気配もなく、シャーロックさんは椅子にかけていた。私もいつものようにテーブルを挟んだ向かいに座っていたのだけれど。雨のせいか何なのか、なんだかとても悲しかった。ちょっと散歩に行ってきます。真夜中に腰をあげた私に、シャーロックは一言「気をつけて」と、そう言った。シャーロックさんの目には、もうジャックしか映っていないようだった。私は一人で階段を下りて家を出た。

 雨上がりの空にはまだ雲が広がっていて、星なんて見えるはずがない。けれど、自然と足は天文台の方向へと向かう。そこの他に向かう場所なんて、私にはない。
 ふわり。不意に甘い香りが鼻を抜けた。酔ってしまうようなとろける程の甘美さはないけれど、無自覚のうちに慣れてしまったその香りに思わず引き寄せられていく。大通りから街灯のない細い路地へと足を進める。甘い、血の匂いが強くなっていく。そこに"彼女"は倒れていた。

「ミリヤム……さん……?」

 夜闇でもわかる金色の髪は、テムズ川の畔で初めて出会ったときとも、そのあと彼女が料理店に現れたときとも違うものだったけれど、それがミリヤムだと認識するのは容易だった。彼女とは何度も、時にはシャーロックさんにも内緒でこっそりと会っていたから。

「どうして……? 何が……?」

 ミリヤムの傍らに膝をつく。彼女の肩に手を回し、その上半身を抱き起こした。助けを呼ぶとか、医者へ運ぶとか、そういうことは頭を過りさえしなかった。ああこの人は死んでしまう、と感覚的にわかったから。
 手に触れるミリヤムの衣服は、触り慣れない硬めの生地でできていた。すっかりぼろぼろになっていたけれど、段々と思い出す。ジャックが新しいお洋服に身を包んで帰ってきた日、送り届けてくれた彼女が着ていた異国の衣装。それが見る影もなる汚れて壊れてしまっていた。

>ミリヤムさん
【遺言聞きに参りました……!】

2ヶ月前 No.195

ルーツァン @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【ルーツァン/某年6月11日/裏路地→西洋料理店Wildcat前】


 徐々に強くなっていく雨は、今や無数の針のよう。それでいて噎せ返る程に生温いままの空気は、路地に漂う濃厚な紅い匂いを消せないままでいて。
 覚束ない足取りで、まるで彷徨う不吉な泣き女(バンシー)のように。無遠慮な雨に濡れ続けるルーツァンは一歩、また一歩と目的の地を目指して進んでいく。歯をきつく食い縛り、眉間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべてはいるが、その闇の色をした瞳は爛々と異様な輝きを放っている。諦めていない、命果てるその時まで、諦めは其処に欠片も存在していない。
 やがてルーツァンの霞み始めた目に、ようやく見覚えのある風景が映し出された。もう少し、あと少し。あの角を曲がれば、最早懐かしくさえあるあの店が見える。

 しかし運命は最後まで無慈悲に奪い去る、一片の赦しさえ彼女に与えずに。

 雨音に掻き消されたのか、それとも彼等は本物の亡霊なのか。音もなく、いつの間にか囲まれている事に気付いてルーツァンは歩みを止め、ゆっくりと背筋を伸ばして周囲を一瞥した。

「…………ようやク、お出ましですカ」

 しばしの沈黙の後、深い溜息を吐いたルーツァンが呟く。
 ルーツァンの前方と後方、逃げ場なく彼女を取り囲んだのは、黒いローブで全身を覆った死神もどき。先程倫敦塔でルーツァンを襲った者達とは訳が違う。何せ今、彼女を取り囲んだ黒衣の集団からは殺気はおろか、生気すら感じられはしない。まるで機械仕掛けの自動人形(オートマタ)だ、ただただ対象を消去する為だけに動く地獄の機械。

「というよリ、流石だト、称賛すべきでしょうかねエ……後を追ってきタ、訳ではなさそウ、ですシ……ワタクシが最後に向かう場所ガ、ココしかないト、予測した上デ、待ち伏せしていたのでしょウ?」

 顔すら影に隠れて見えない黒い群れに対して、ルーツァンは両腕を広げて舞台上の役者のように、何処か楽しそうな笑顔で語り掛ける。しかしその顔にはどす黒い液体がこびりつき、その唇からは絶え間なく真っ赤な雫が滴り落ち続ける。凄惨にして、妖気迸る艶。その笑みには圧があった、何者をも寄せ付けない荒ぶる猛獣の威圧感が。

「……結局、ワタクシも随分、――甘くなったという訳ですわネ」

 黒衣の者達がローブの中から何かを取り出した。その手に握られていたのは、奇妙に湾曲したナイフである。彼等の存在の歪さそのものを表すように、鈍く光るその刃を構えて。しかしルーツァンの殺気の波動に圧されているのか、彼等は其処から一歩も踏み出そうとはしない。

「ヤレヤレ……ココまで来テ、ドイツもコイツも何だそのザマハ?」

 ルーツァンの顔から、笑みが消えた。ぐうっと口角が下がり、その目がみるみる吊り上がる。その表情、まさに鬼。その姿は朱に塗れてただ、壮絶。

「此処は何処ダ、今は何の時間ダ? 感じ取レ、思い出セ、本能で悟レ……此処は戦場、その最前線! 今こそ闘争の時、喜々として開始を告げヨ! 魂が魂を焼き、血で血を洗うこの瞬間、命で命を削り合う今この時にこそ我等の存在理由があるのだろうガ!? 散らし散らされる生命の輪舞ニ、今こそ歓喜の歌を歌エ……どうしタ、聞こえないゾ」

 ルーツァンの手に武器はない、何故なら愛用してきた凶器のスコップはミリヤムの墓標代わりに倫敦塔の中庭に突き立ててきたからだ。死に向かう彼に何の手向けも出来ぬ事を愁いて、せめてもの餞にと最愛の戦友たる自らの得物を置いてきたのだった。
 手ぶらの、しかも放っておいても直に果てる者を前にして、それでも挑みかかれない黒衣の集団に、ルーツァンの闘争本能に火が点いたようだ。あまりに情けない、その一言に尽きる。饒舌な挑発は彼等を鼓舞する為、そう、彼女は最後まで誇り高い猟犬の娘で在りたかったから。

「死ニゾコナイの狗一匹仕留められぬ腑抜けドモガ、恥を知レ!!」

 文字通り、牙を剥いて。最早吐き切れぬ程の血で紅蓮に燃える唇を裂けんばかりに開き、霧の都に響き渡るその咆哮は不甲斐ない闇の使徒達を一喝した。
 憤怒の叫びに奮起する、黒衣の群れ。それが狡猾な狗が仕掛けた罠に迂闊にもかかる愚行とも気付かずに。
 ローブの裾を翻し、雨粒を逆流させる程の勢いで。黒衣の者達はほぼ同時に踏み込み駈け出すと、黒妖犬の身体に四方八方から容赦なく刃を突き立てた。

 雨音だけが響く、他には何も聞こえはしない。息遣い、さえも。

 しかし、重過ぎる沈黙は唐突に破られる。掠れて今にも消えそうな、がさがさと嗄れた笑い声に。

「馬鹿ドモメ」

 表情すら見えない黒衣の者達が、ざわりと戦慄したのが肌で、気配で、伝わる。
 胸や腹のあちこちを刺されて尚、ルーツァンは身動ぎ一つせず立っていた。その顔には、先程までとは質も凄味も一段と増した、狂気じみた獣の微笑。

「捕マエタ」

 黒衣の者達が身を引こうと後ずさりかけるが、ルーツァンの身体に突き刺さった刃が抜けずに思わずその場で立ち竦む。締め上げた筋肉が、その身を貫いた凶刃を放しはしない。まるで強靭な狗の顎のように、喰らい付いて放さないのだ。刃を捨てて逃げればいいのに、流石の死神もどき達も一瞬の判断が遅れた。それこそが命取りだ。

 ルーツァンの、がたがたと震えて覚束ない指が、己の懐から何かを摘まみ出す。

「コレに見覚えはないカ? 天使の忘れ物なんダ、オマエタチには勿体ない代物だがくれてやル、特別だゾ、――――存分に味わエ」

 それはただの試験管に見えた。中には異様な蛍光色に煌めく、とろりとした不気味な液体。手の中で小さく振ってみせるとルーツァンは満面の笑みを浮かべ、それを薄汚れた腐敗の大地へと叩き付ける。次の瞬間、眩い閃光と同時に生命を冒涜する猛毒の煙が路地に蔓延した。誰一人、逃げる間もなかった。

 それが、すでにこの世から去った少女の形をした堕天使が猟犬の娘に遺したお守りだったと知る者は、最早この世にたった一人だけになってしまっていた。
 そうして彼は、血の繋がらない娘と、元伴侶にして元相棒の、二人の影を永遠に失う事となる。



 あれ程強く降っていた雨が止んだ。
 静寂の戻った路地の奥から、何者かが歩み出る。いや、それはもう歩くというより這いずるに近く、黒とも紅ともつかぬ汚れの色に塗れた女の姿はすでに幽鬼と大差ない。ルーツァンの生命の灯火は消えかけていた。闇を司るがごとき黒の瞳は毒に侵され光は薄れ、赤く染まっているからこそ際立つ青白い肌からはすでに血の気が失せている。
 それでも尚諦められず。未だに諦めきれないその身はただ、気力という言葉さえ生温い業を孕んだ執念に突き動かされ、山猫の名を冠する料理店へと蛞蝓が這うような速度で近付いて行く。
 その時、ふいに聞き慣れた声で名前を呼ばれて、ルーツァンが思わず振り返る。


 すでに感情さえ裏路地に置き忘れてきた筈のその両目が、あまりの驚愕に大きく見開かれた。


「――――ナゼ、アナタガ、ココニ?」

 次の瞬間、ルーツァンの喉に小さな黒い点がうまれた。虫眼鏡を太陽に向け、そのレンズから差し込んだ強い光が画用紙の一点を焼いていくように。じわじわと喉元に広がった赤黒い穴から、小刻みに震える弱々しい息が漏れ出す。
 薄い煙を吐く、小さな銃口。己に向けられたサイレンサー付きの小型拳銃の意味が、ルーツァンには最後まで理解出来なかった。

 この世で最も恐るべき恐怖から逃れるように、ルーツァンがよろよろと振り返る。首元を片手で押さえ、もう片手を精一杯に上げて、西洋料理店Wildcatの呼び鈴を押そうと必死で指を伸ばす。しかしその身体には、己の体重を支える力すら最早残されてはいない。真っ白な指は呼び鈴のボタンを掠っただけで、ついに鳴らす事は出来なかった。扉に背を預けて、彼女の身体は重力のままにずるずると下がっていく。
 扉に寄り掛かったまま手足を投げ出し、打ち捨てられた操り人形のように座り込んだルーツァンは、顔を斜めに傾けたまま目だけを前方に向ける。其処には誰も居なかった、先程彼女の眼前に突如として現れた人物など幻だったかのように。

 真犯人を、全ての裏切りの黒幕を、声を張り上げて背後の店の主に伝えたかった。だがそれはもう叶わない、声帯が傷付けられた今となっては。

 だが、しかし。それ以上に、今となっては。

 終わるのか、此処で。
 終わるのは構わない。
 ただ、悔やむべきは。
 たったひとり産まれ、愛される事なく育ち、愛する術も知らずに生きた。
 そして今、ひとりで終わっていく。
 否、ただの一匹で終わる。

 嗚呼、なんて。

 いたいな。
 さみしいな。

 かなしいなあ。


「畜生」


 お仕舞いの呪詛は音にならず、空気だけを震わせて。脆く弱く、冷めた涙に濡れた漆黒の瞳は、見開かれたまま完全に生気を失った。
 最期の最期、誇りを胸に生を駆け抜けた猟犬の娘の心に吹き抜けたのは、堪えようもない程冷徹で空虚な後悔だった。

 そこにはもう、来世でまた生まれて母となり、愛しき者の魂を今度こそその身で孵すという約束すら、残されてはいなかった。



 もう動かない哀れな犬の側に、いつの間にか小さな黒いものが寄り添っていた。それはまだ仔猫である、ジャックと名づけられた幼い命。それは犬の冷たい手に頭を摺り寄せ、撫でてくれと言いたげに何度もその指を揺らす。しかしもう、その肌に温もりが戻る事は二度とない。
 やがて悟ったのか、それとも飽きてしまったのか。黒い仔猫は最後に一度だけ犬の亡骸を見上げると、小さくにゃあと鳴いてみせる。そして器用に壁に爪を掛け、雨どいを上り、屋根に飛び乗ると、開け放たれたままの窓からするりと店の中へ戻っていった。


>>(〆)


【最後までお付き合いいただけましたこと、心より感謝致します。皆様の魅力的で素敵なお子様方と、美しくも悲しい霧の都で共に過ごせた事を嬉しく思います。スレ主様、参加者の皆様、本当にありがとうございました。これにて猟犬の娘、その舞台の幕引きでございます】

2ヶ月前 No.196

ミリヤム @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

【ミリヤム/某年6月11日/路地裏】

 灰色だった視界が、不意に色付いた。ただでさえ霧に煙っているのに血も足りていないせいで、ぼやけてはっきりしない世界の中で、それでも明瞭なピンク色。
「……ス、ワン?」
 顔が分かったかと問われればそうでもない。けれど、聞こえた声は、恐らく彼女のもので。
 雨の中駆け寄ってきてくれた彼女に抱き起こされたと気付いたのは、視界が僅かに動いたからだ。もう、体の感覚も殆どなかった。
 それでも、目の前にいるのがスワンであるのならば……初めて会った時にそうだったからか、言葉は彼女のものではなくて、彼本来のものになる。
「……触んない方が良いよ、アンタも……汚れ……」
 汚れてしまう、と。掠れた声では最後まで告げることも出来なかった。世界はこの瞬間にもブラックアウトしそうで、この体は鼓動も呼吸も止めたがっている、全ての繋りが断たれようとしている。
 だから、だからこそ。伝えたいことは、沢山あった。
「……俺の家に、さ……まだ、何体かあるんだ……人形。全部……アンタの好きにして、良いよ……アンタには、色々、世話になった……し……人形以外も、まあ、何か、あれば……」
 実際のところ彼等にはそこまで未練はなかったけれど、スワン相手の対価にはなるのではないかとぼんやり思った。これから頼みたいことの対価には。
「その代わり……いっこ、頼んでも良いかな……俺、さ……俺もさ……綺麗に、なりたかったんだ。こんな……血反吐まみ、れ、の、汚い……じゃな……くて、あんな、人形、みたいに、綺麗な……」

「綺麗な死体に、なりたかったんだ」

 ルーツァンがきちんと殺してくれてたら、そんなこと思わなくて済んだのに。頼まなくても諦めがついたのに。けれどあの時目覚めてしまったのだから、最期にそのくらい願っても良いだろう?

 体を支えていた手が無くなった。スワンがその願いを聞き届けてくれたのか、また別の誰かに託しに行ってくれたのか……或いは呆れて放り出されたのかは分からない。しかし、伝えられたなら満足だ……どうせ生きていれば叶わない願いだ、もうどうでもいい。
 自分の命はもう、風前の灯火よりも僅かしか残されてはいない。とっくの昔に冷えきった体に降り頻る雨が、一欠片の熱も血も残さぬように奪い去っていく。雨に流れていく深紅は、意識や記憶まで溶かして薄めていく。
 瞳を閉じれば、もう二度と開けないと悟った。悔いはなかった、筈だった。
「……死にたく、ないなぁ」
 こんな惨めで、無様な姿で。
 ジャックが見たら、笑うかな、と。約束の一つも守れない、ダメな大人でごめん、と。
 いつか自分を迎えに来てくれるのは、ミリヤムだと思っていた。
 けれど結局、途切れる寸前の意識が最後に求めたのは愛しい姉の姿ではなくて――Wildcatにまだみんながいた頃の、何気ない瞬間だった。

 そうして路地裏に転がるのは、呼吸を止めたヒトガタ一つ。

>スワンさん、all

【若干確定ロルっぽくて申し訳ありません。何とか無事ミリヤムの物語に幕を下ろすことが出来ました。ご協力頂いた皆様、素敵な世界を提供してくださったスレ主様、本当にありがとうございました。】

2ヶ月前 No.197

シャーロック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【シャーロック/某年6月11日/西洋料理店Wildcat】

戸を開けると支えを失った冷たく黒い塊が、どさりと足元に崩れてきた。それは、良く知る……余りにも良く知る女の無惨な亡骸だった。


零れ落ちていく。
何もかもが。

あの日。ルイスが死んだあの時も、結局、何も出来なかった。
舞台の真ん中で独りでもがき喘ぎ苦しみ、爆ぜて、崩れ落ちたシャンデリアの下敷きになった友を救うことが出来なかった。甲斐性無しの面をさげて、自分は彼方から見ているだけだった。ルイスの最後の図らいだったのか、悲劇的な惨事に見舞われた劇場から逃げ果せても、彼等は煙を上げる劇場を何度も何度も振り返った。
シャーロックは左腕にジャックを抱え、右手でスワンの手を取って仲間達と共に劇場を脱出した。身体的疲労よりも遥かに心的被害で乱れた呼吸を落ち着かせていると、石畳の上に降ろしたジャックは純真無垢な顔でこう言った。

「ばくはつ、きれいだね。 ないふ、きれいだね」

シャーロックの血相がさっと変わった。
その美しく澄んだ空色の丸い瞳を、凄い眼で見つめた。憤りとも驚きとも違う、後ろめたさと後悔の滲む、狼狽し深く傷ついた眼で捉えた。

「あのひと、うごかないの? しんじゃったの? うごかない、ほし に ならないね。ドールホーンやミカエルと いっしょだね。……しんじゃうと、ジャックもうごかなくなる?」

シャーロックは、初めてジャックに……ーー初めて子供に、手を上げた。
高く乾いた音を立てて、それまで一度たりとも幼子を傷つけたことのない大きな手の平は、仮初めだった息子の頬を打った。理性の仮面が硝子の様に粉々に砕けて剥がれ落ちた。抑え込み続けてきた獣の本性、衝動と動揺を遂に一瞬だけ、抑え損ねた。どうかしていた。今更、人の死を悼むことを父親面して教えるつもりか。真っ当な人間のふりをして教えるつもりか。道徳も、矜持も、餓狼は持たぬ。出来るなんて思う事自体間違いだった。
ただ親に問うたつもりの純粋な目をした幼子は、茫然とシャーロックを見上げ、やや遅れて火が付いたように泣き出した。涕泣の声にハッと呼び覚まされ我に返った時にはもう、取り返しがつかなかった。

ーーそのように育てたのは、殺人鬼(じぶんたち)なのに。

もう戻らない瞬間を、やり直そうと足掻いたって無駄だろうに、今更ジャックを引き寄せ強く抱きしめた。ジャックの言動に悪意が無いことが、苦しかった。この子の育ての親たちは今や霧の都全てを敵に回す極悪非道の殺人鬼達なのだから。

ーーこうまでして守りたかったものなのに。
……壊してしまった……

己が罪を確かめるように、小さな身体を抱きしめて。胸中に苦く辛く広がるのは、ルーツァンがこの心に刺した忠告の棘の名残だった。
ーー『いずレ、最後に気付ク、――オマエ自身の過ちニ、ワタクシ達の罪深さニ』
ジャックを攫ってきたシャーロックに、ルーツァンだけは初めから面と向かって反対を唱えてきた。時にはシャーロックの目を欺いてジャックを勝手に陽の光の下に帰そうとしたことさえあった。
それは彼女がジャックを疎んでいたからでは無い。シャーロックがジャックを守ろうとしたように、ルーツァンもジャックを守ろうとしていたからだ。聞かずとも本当は分かっていた。元妻にして、愛情を持ったことは一度も無かったけれど、仕事上では絶大な信頼を置くパートナー。だから、分かっているつもりだった。
愛する者を守れるという過大な自信が、大切な人を救えるという無謀な理想が、足元を見誤らせ、忠告を聞かず二人は意見を違えた。

けれど今や、大切な娘のようだった嘗てミカエルと呼ばれた少女を亡くした。ドールホーンを目の前で喪って、ジャックの心に深い傷を残した。目の中に入れても痛くないほど可愛がっていたアルトを助けようとしたのに徒労に終わり、結局亡くした。そしてルイスの時は何も出来ず一部始終を幼子を含む全ての人の目に焼き付ける形で……。
無関係な幼子を殺人鬼の巣窟に連れ込み、親子ごっこをしたかと思えば、シャーロックがジャックに見せた世界は、思い返せば地獄絵図ばかりではないのか。親ならば守るべきだったであろう幼心を踏み躙り傷つけ壊して、汚しきっている。あの時忠告したルーツァンは咎めるだろう。シャーロックだって、いま、己を責めている。


ルイスの死からひと月近くが経っても、シャーロックは自責の念と後悔の淵に沈んだままだった。ジャックのほうは、穏やかな紳士に戻った育て親との間柄はすぐに修復されたようでいつも通りに戻っていた。以前よりも頻繁に来てくれるようになっていたミリヤムに連れ出して貰うのが楽しみになっている。嘗ては皆が居た西洋料理店Wildcatも、あの日以降看板を下ろしてからはすっかり静かになってしまっていた。

一人目のミカエル、二人目のドールホーン、三人目のアルト、四人目のルイス……ここまで来れば、誰も口にこそしないがこの法則はもう明らかだろう。

誰かの生を強制終了させてきた生が、他の誰かに強制終了させられていくのはまた理なのか。
……より多く、殺した者から。
次の筋書きは、きっとこうだ。
ーー第五のターゲット。殺人鬼ミリヤム。
けれどそうはさせまいと、シャーロックは必死に暗躍した。監視し、まだ自分の元に残ってくれている殺人鬼の仲間を影から付かせ、毎晩寝る間を惜しんで次の一日を生き延びてもらう方法を考えた。第一のミカエルが襲撃され店にたどり着いた時、犯人はミリヤムなのではないかという疑惑が持ち上がった。言い出したのは、ルーツァンだった。確かに、凶器のナイフはミリヤムの使用武器と同じものだったが、シャーロックはそうは思わなかった。ひとときは家族のようなものだった、などという情に絆されるシャーロックでは無い。けれど、ミリヤムは犯人ではない。母と子のようだったルーツァンとミリヤムの仲が音を立てて崩れていくのを、元夫に見せつけられているようだった。
壊れていく。同志の間柄も。
元々互いを知っているようで知らぬ烏合の衆だ。
だとしても、こんな破滅の仕方は悲しすぎる。
悪意や裏切りに晒されて内側から崩れていく。
とめどなく瓦解していく、壊滅を嘆く。

ジャックだけでなくミリヤムを守ろうとするその動きの中で、一報の不穏の兆しが舞い込んできた。
「……ルーツァンが……仲間を集めて政府に謀反を企てているだと……?」

天掻き暗す黒雲のように急に舞い込んだ噂はそのままの勢いで瞬く間に真となった。

ルーツァンが変わり果てた姿で店の前に転がっていたのを、明け方も近い朝霧の中でシャーロックは見つけたのだった。

真夜中に出て行ったきり、妻スワンがまだ帰ってきていなかった。この不穏な情勢下で雨降る夜半に散歩などと言われれば、いつものシャーロックならせめて止めるかついていくかぐらいしただろう。けれどその時は考え事にぼんやりとしていて、ルーツァンの不穏な動きとミリヤムの事とジャックの事で頭がいっぱいで、何日もろくに寝ていない疲労困憊で……今思い返せば、なんて間抜けな事をしたのだろうと思う。なんと言ったのかすらも覚えてもいない適当な返事をした。
スワンが悲しげな顔で席を立つと、テーブルに向かって物思いに耽ったままいつしか浅い眠りに落ちた。

覚醒したのは、いつのまにか部屋の中に入ってきていた黒猫が、足元に小さな身体を擦り寄せて触れてきたからだった。ジャックが自分と同じ名前を付けた小さな黒猫。ルーツァンと、一人と一匹のジャックが戯れているのを見かけることはしばしばあったが、この小さな生き物がシャーロックに纏わりついてくることは殆ど無かった。猫は執拗に足の周りをぐるぐると回る。促されるように立ち上がると、階段を降りて一階の店に向かった。時計を見ればもうじき東の空は白む頃だろうが、窓の外はまだ暗い。
スワンはまだ戻ってきていないようだった。
店の入り口から裏玄関に至る無駄に長く九十九折になった廊下を進み、扉を開いた。

夜霧朝靄が、冷たく流れ込んでくる。通りの向かいも白く烟り、朧げな輪郭しか辿れぬほどの雨上がり。
戸を開けると支えを失った冷たく黒い塊が、どさりと足元に崩れてきた。それは、良く知る……余りにも良く知る女の無惨な亡骸だった。

血飛沫に汚れた真っ白なかんばせがごろりと仰向けになる。もう何も映さない伽藍堂の濁った瞳が、天井を見ている。しなやかだった小さな身体は折れ曲がったまま硬直して、彼女の魂がもう此処に存在しないことは明白だった。喉に開いた風穴から漏れる呼吸の音は当然、ない。霧の中に目を凝らせば、開け放った扉の向こうに引き擦るように続く血痕の道。茨の道のようになった帰路を身体中に深手を負ったルーツァンが辿る光景を思った。最期の最期に、自分の元に帰ろうとした、けれど叶わなかったその想いを思った。

全てが、この手をすり抜けていく。
その場に膝から崩れ落ち、もう動くことのない元伴侶の亡骸に縋り付く。
置いてきた過去を追いかけ、追いかけているようで責苦から逃げ、赤い霧に濡れた細い肩を抱き、震えながら深く深くこうべを垂れた。

>ルーツァンさん、all(〆)



【ルーツァンさん、ミリヤムさん、お疲れ様でした! ルーツァンさんの御遺体発見シーンを以って、此方サイドは〆させていただきます。次イベントについてはサブ記事で詳しく書くのですが、次もスレ主はあまり仕事をしませんので、ミリヤムさん編から続くスワンさん白雨さんとの流れに乗って引き続きでお願い致します!】

2ヶ月前 No.198

みんと @milkywayy☆woNfuP/Psag ★iPhone=WsHBgyg92L

【 白雨 / 某年6月11日 / 自宅工房→ 西洋料理店Wildcat方面 裏路地】


 からころ、と下駄を鳴らし歩く絢爛豪華な紅色の着物の纏った黒髪の女性、白雨。工房で片付けをしていたのだが少し気分転換に、と外に出て同胞が集うシャーロックの料理店を目指し唐傘と紙袋を抱いて歩いていた。

 一人、また一人と同胞が消えていく。あの劇場での出来事はある意味で白雨の心に深く爪痕を残していた。大嫌いだった青年の最期は美しく、だからこそその散り際まで自分は彼が嫌いだった。勿論、物言わぬ骸となった今も、きっと愛することなんて出来やしない。

「わっちが愛してるんは、今も昔も、たったひとり」

 黒髪が美しかった男、自分に手を差し伸べてくれた男、脳裏に焼き付いた思い出に思考が奪われていたが唇から零れ落ちた咳に、我にかえる。

「……ミリヤムはん、シャーロックはんのところにいてはるやろか」

 ぽつり、と呟くのは自分を師と呼ぶ彼女の事。最近はまるでなにかを惜しむようによく工房に顔を出してくれた彼女の姿。無意識か足早になる足取りが、ふと止まる。鼻腔を擽る鉄の匂いに白雨の足は裏路地へと進んでいく。

 きっと、たぶん、予感はしていて、
 それでもわっちは、信じたくなかったんやと思います。


「――――――みりやむ、はん?」


>> スワン、ALL


(ということで遺言を果たしにまいりました!)

2ヶ月前 No.199

スワン @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【スワン/某年6月11日/路地裏】

 掠れた声で、ミリヤムが私の名前を口にする。その目は薄っすらと開いていたけれど、焦点は定まっていないように見えた。
 汚れてしまう、きっとそう言おうとしたのであろうミリヤムの上半身を、スワンはさらに抱き寄せた。彼の顎を自分の肩に軽く乗せるような体勢で、弱々しく紡がれるミリヤムの言葉に耳を傾ける。
 ミリヤムさん、貴方は汚くなんかない。そう返そうとしたけれど、思わず込み上げそうになる涙を押し止めるために、小さく息を吸って黙って目を瞑った。

「……わかったわ」

 徐々に失われていくミリヤムの温もりを惜しむように、スワンはミリヤムをそのままじっと抱いていた。やがて静かに瞼を持ち上げ、ミリヤムの体をそっと地面に横たえる。
 死にたく、ないなぁ。それがミリヤムの最期の言葉だった。親しくなっても何を考えているのかわからない人だったけれど、それはきっと、彼の本心。

 わかった、と答えたものの、死体の美しい処理方法など、スワンが知るはずもなかった。手にかけた愛しい幼子たちの亡骸は触ってきたけれど、私がしてきたのは彼らの愛の名残を取り出すだけ。あまり気にしたこともないけれど、彼らの肉片はお人形さんには程遠いものになっていた気がする。
 懐から取り出したレースのハンカチで、スワンはミリヤムの顔を拭った。口元を汚す血を丁寧に拭き取る。金色の髪に指を通すと、少しずれたウィッグの隙間から、紅い髪が見えた。初めて出会った日以来目にした血のように美しい紅。

「……綺麗な赤ですね」

 慈しむように、繰り返しミリヤムの髪を撫でる。彼の最期の願いをどうしても聞き届けたい。けれど、そうしたくてもここからどうしていいのかわからなかった。
 そのとき、背後から女性の声がした。ミリヤムの名を呼ぶその声。女性がこちらに歩み寄ると、からんころんと独特の靴音が響く。聞き覚えのある音だった。そう、ジャックが新しいお洋服に着替えて帰ってきたあの日、ジャックとミリヤムさんと一緒にいた、美しい人。

「ミリヤムさん……綺麗なお人形になりたい、って」

 座り込んだまま、スワンは白雨の方を見上げてぽつりと口にした。普通に考えれば、人の遺体を前にわけのわからない言葉。スワンは白雨の素性も人となりも知らなかったけれど、ただなんとなく「死と無縁の一般人」ではない直感はもっていた。だから、ほとんど見知らぬ彼女にミリヤムの最期の願いを零したのかもしれない。

>白雨、all
【ミリヤムさんお疲れ様でした(´;ω;`)白雨さんミリヤムさんのご遺体をよろしくお願い致します…!】

2ヶ月前 No.200

みんと @milkywayy☆woNfuP/Psag ★iPhone=WsHBgyg92L

【 白雨 / 某年6月11日 / 裏路地→自宅工房】


「――――あんたはんも、死んでしもたんやね」

 見るも無惨な姿になってしもて、小さくそう吐き出す。いつだったか共に入ったあの呉服屋で買った着物は彼女によく似合っていたのに、もはや布切れと変わらぬ衣を纏ったミリヤムだったものへと歩み寄りながらそう呟く。

 わっちを師と呼んでくれた彼女は、
 わっちと同じ、骸しか愛されへんかった彼女は、
 もう、この世にはいない。

「……弟子が、師匠より先に死んでしもて…………ほんま、酷いお人どすなぁ」

 けほ、と唇から乾いた咳が零れる。溢れ出しそうな思いを飲み込みながら初めて彼女を弟子と、自身を師匠と言った。ミリヤムの傍らに座るスワンの言葉に少し目を丸くする。それは、ミリヤムが残した最期の思い、最期の望み。

「……わっちに、その望みを叶えさせてください。弟子の最期の思い、叶えてあげたいんどす」

 白雨は座り込み、紙袋を地面に置く。もしかしたらわっちはこのためにこれを持ってきたんかもしれまへんなぁ、なんて、そんなくだらない戯言を飲み込んで物言わぬ骸を見つめる。


 肉を裂き、中身を取り出し代わりに防腐剤加工を施して、外側の汚れを拭き取って、丁寧に、大切に、自分の持てる技術全てを施して、彼女を人形に作り変えていく。きっとこれが、自分の最後の仕事になるのだから。

 何時間が経っただろうか、ミリヤムを剥製へと仕立て上げた白雨は彼女の金髪のウィッグを外し紅色の、本来髪を撫でる。

「そっちの方が、美しいどすなぁ」

 言葉と、咳と、そして頬を伝う何か。ボロボロの布切れと化した着物を抜き取り、紙袋から取り出した京紫色の着物を着せていく。足を運んだ呉服屋で見かけたもの、きっと彼女に似合うだろう、と。

 鮮やかな京紫の着物、黒の帯、紫の下駄、一つ一つ綺麗に着付けていけば最後にその唇に紅を差す。そこにいるのは、汚れ無惨に散り果てた骸でなく、永久的に美しく残り続ける一体の人形。冷たくなった頬を撫で、瞳から零れ落ちる涙が人形を濡らさないよう指で拭う。

「――――シャーロックはんの奥方はん、この子はわっちが貰うていきます。あんたはんもはよ此処から離れた方がええとおもいますよ」

 ――――ありがとう、この子の最後の望みを教えてくれて。

 ――――ありがとう、この子の最期を看取ってくれて。


「……そうや、シャーロックはんに伝えといてくれはります?」

 今まで、ほんまにありがとう、さようなら。

 小さな微笑を残して、そう言えば人形を抱えて裏路地を後にする。其処に残ったのは、彼女が生きていたことを示す血の跡だけ。

>> スワンさん、ALL


(ミリヤムさんの遺言を回収させていただきました、ありがとうございます!! ミリヤムさん、ルーツァンさんの最期、とても美しく涙がとまりません。本当にありがとうございます!)

2ヶ月前 No.201

みんと @milkywayy☆woNfuP/Psag ★iPhone=WsHBgyg92L

【 白雨 / 某年6月11日 / ベイカーストリート外れ(自宅工房前) 】

 ――――鳥籠から出た鳥は、結局長くは生きられない。

 ベイカーストリートの外れ、古びた建物の一室を見上げる。看板すらない其処は、白雨の工房であり自宅でもあった。その腕の中にいるのは、艶やかな紫を基調とした着物を纏う一人の殺人鬼だったもの、今は物言わぬ骸となったそれは白雨の手により永久に残り続ける剥製(にんぎょう)と生まれ変わった。それを大切そうに抱きかかえる白雨は、普段と変わらぬ豪華絢爛な着物を纏っているがその姿はどこか儚げで、今にも消えてしまいそうだった。

「――――ミリヤムはんも、死にはって、次はわっちの番どすなぁ」

 紅百合のように美しかった少女が死に、駒鳥のように歌う女性が死に、幼く無邪気だった少年が死に、白雨が唯一嫌悪感を示していた青年が死に、だからこそ、きっと、彼女が死んだ今、次は自分なのだと、白雨は確信していた。けほけほと乾いた咳が唇から零れたのと背後から聞こえた足音が重なる、緩やかな動作で振り返り視界に入った人影に白雨は小さな微笑を浮かべた。

「そんな急がはって、大変どすなぁ」

 まるで他人事。くすくすと笑いながら人影が白雨に向ける銃口。それでも白雨は動かなかった。乾いた咳を零しその口元を袖で拭う。

 ――――袖は、紅色に汚れてしまっていた。

 いつからか、だんだんと痩せ細っていった。
 いつからか、咳込むようになった。
 いつからか、咳に血が混じるようになった。

 白雨はこの症状を知っていた。かつてまだ日の本の国にいたころに、同じ家にいた姐さんが同じ症状にかかっていたから、そして、その哀れな末路も。

「――――まだ、わっちの命はあげられへんのどす。まだ、やり残したことが、わっちにはあるんやから」

 銃口に背を向け、自宅工房に向かい一歩、一歩と進んでいく。余裕綽々といった白雨の様子に一旦拍子を抜かれたような暗殺者は引き金に背を引きその背を狙う。放たれた銀の銃弾は白雨の背を撃ち抜く。

 それでも、白雨は進んだ。ぽたりぽたりと地面に紅色の雫を落としながらもその足は古びた建物内にある自身の工房へと向かっていた。

 そしてその扉を開け、何人たりとも入れぬよう、鍵を閉めた。


「鳥籠で飼い慣らされた鳥は、自由を手に入れたとしても結局長くは生きられへんのどす」

 小さく小さく言葉を呟く。普段は彼方此方に部品などが散らばるその部屋は綺麗に片付けられ、作りかけの剥製も、売り物の剥製も其処にはなかった。あるのは、ソファーに座った、一体の男性の剥製だけ。

 そこにいるのは、一体の男性の人形と、一体の殺人鬼の人形と、痩せ細った女のみ。

>> ソロール


(師弟コンビが連続での最期とはまさに運命的……! といいたわけで7thイベントを開始させていただきます。白雨は次レスで死にますので最期を見届けてもらえればなー、と思いますのでよろしくお願いいたします! 白雨は部屋に立て籠もりましたが周りには暗殺者の方々がいるかと思いますので倒すなり隠れるなりお好きにしてもらえればな、と!)

2ヶ月前 No.202

スワン @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【スワン/某年6月11日/裏路地→西洋料理店Wildcat】

 人気のない明け方の通りを、足音もなく歩く。力なく垂れた手は血で汚れていた。衣服も、髪も。ミリヤムさんが、死んでしまった。
 彼が息を引き取った直後、偶然――なのかどうかもわからないが――通りかかった女性は、ミリヤムさんのことを弟子と言った。二人の関係はわからないけれど、彼女は怖いくらい慣れた手さばきで、ミリヤムさんの冷たくなった体を裂いて、何かの処理をしていた。とてもそれを見ていることなんてできなくて、その間はずっと目を伏せていた。
 何時間もそうしてから、女性の言葉でようやく顔を上げると、彼女は大きな、とても綺麗なお人形を抱いていた。それがミリヤムさんだとわかるのに少し時間がかかった。綺麗な、お人形さん。ミリヤムさんが私に売ってくれたもののような。ミリヤムさんから買ったお人形を見ても、綺麗、素敵、としか感じたことはなかった。なのに、その美しいお人形さんになったミリヤムさんを見ていると、こんなに綺麗なのに、なんだかとても悲しかった。
 女性がミリヤムだったものを抱えて去っていく。その姿が完全に見えなくなってから、スワンもとぼとぼと歩き出した。家に、帰ろう。

 自宅である料理店の前に着き、スワンは静かにノブを回した。玄関前にも血だまりの跡があったが、スワンの目には映っていなかった。ただいまの言葉もなく帰宅するのは、多分初めてだった。店内はカーテンを閉ざしたままで、電気も点いておらず、静まり返っていた。足を摺るようにして、流しの方へ向かう。手を、洗わなくちゃ。髪も、洗わなくちゃ。着替えなくちゃ。血で、血で、ミリヤムさんの血で、べとべとになってしまったから。
 そのとき、微かに自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。続けて「おかえり」と弱々しい声が、今度ははっきり聞こえた。驚いて振り返ると、すぐそばの客用のテーブルセットに佇む、細長いシルエットが見えた。

「シャーロック……さん……」

 その名を口にした途端、視界が潤んだ。ぼろぼろと涙があふれ始める。このお店で少女が亡くなったときも、そのあとシャーロックさんから知人が死んだと聞かされた時も、悲しくないわけではなかったけれど、どこか他人事だった。ルイスさんのときは驚いて、怖くて、あの景色に現実味がなさすぎて、ルイスさんが死んでしまったというのさえもどこか別世界の出来事のように感じていた。でも今回は――ミリヤムさんは目の前で、死んでしまった。弱々しく言葉を絞り出した彼の体は温かかったのに、それがみるみる冷たくなっていくのを肌で知ってしまった。

「ミリヤムさん、死んじゃったの。お人形さんに、なっちゃった」

 溢れる涙を拭いもせず、しゃくり上げながら、まるで幼い子どものように口にする。

「お姉さんがミリヤムさん、持っていっちゃった。ほんまにありがとうって、さようならって、シャーロックさんに伝えてって、言ってた」

 たどたどしくそう口にするだけで、今は精一杯だった。ミリヤムさんの最期の願いを叶えてくれた人から、伝えてと頼まれた大事な言葉。

>白雨さん、シャーロックさん、all
【ルーツァンさんのご遺体回収後の認識で書いてしまいましたが大丈夫でしたでしょうか…;】

2ヶ月前 No.203

シャーロック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【シャーロック/某年6月12日/西洋料理店Wildcat】

夜が明けたらしい。締め切られたカーテンの隙間から覗く空の断片が、段々と暁から東雲の色へと変わっていく。それでも雨の気配に愚図つく天は未だ殆ど暗い。嘗ては破落戸(ならずもの)の仲間達で賑わった店のホールにぽつりと置き去りにされた影が、いよいよその黒を濃くして頼りなく佇んでいる。
扉をあけて此方に近づいてくる足音が誰のものかは、振り返らなくてもわかった。音や気配を消していても、今この状況で帰ってくるのは、彼女以外に考えられない。
「スワン」とシャーロックは声を掛ける。殆ど囁きに近いひどく小さな声だったのに、すり歩くその足は歩みを止めた。
本当は今、顔を見られたくなかった。こんな現実を報せたくなくて、こんな有様を見られたくなくて、声を掛けないつもりだったのに、つい求めてしまった。一人では抱えきれなくなりそうで、脆く精神がぐらついた。観念したように、暗闇に浮かぶ輪郭に向かって次の句を紡いだ。
「おかえり」

けれど、振り返った妻の顔を見た瞬間、その後悔と憂慮は忽ちに無意味になった。シャーロックの名を呼ぶなり、妻が先にぼろぼろと涙を流し始めたからである。驚き面食らい、そして結局、聞き役に徹する。

ミリヤムが死んだ。

それは此処ひと月ばかりずっとシャーロックの心に重くのし掛かっていた事柄だった。信じられない、などと生易しい事は言わない。ミリヤムがもう此の世の何処にも居ないことも、彼の事も守ることが出来なかったことも、ルーツァンとミリヤムと嘗ては家族のように過ごした事さえある同胞を一夜にして二人同時に喪ってしまったことも。全ては現実だと身に突き刺す程わかっているのに、鋭利な見えざる刃は痛過ぎて、いっそ全てが悪い夢のようにさえ思えた。実感が湧かないわけではない、しかし胸の内に穿たれた風穴のような虚無感はもう二度と埋まらない気がした。
子供のように泣き□るスワンの後頭部を掻き抱き、自らの身に押し付けるようにして抱きしめた。しゃくり上げる声がくぐもったまま、肌越しに伝搬し、喉元にを伝って反響するようだった。
有明の月もかからぬ薄闇。白と黒の二つの人影は寄り添い重なるのに、決して、幸せなんて其処には無かった。

「……ルーツァンも死んでしまった」

シャーロックは静かに、先妻の訃報を告げた。人形になってしまったというミリヤムの最期を一つずつ拾い集め大切に仕舞い込むように頷き、全てを聞き終えてから。幼子のようなスワンの慟哭の狭間に、ぽつりと零した言葉はそれ以上は続かなかった。彼女がどんな最期だったのか、何処でどんな姿で見つかったのか、それを語ることは無かった。誰もが予測したであろう順序とは違っている、おそらくはミリヤムと刺し違えた……即ち同胞討ちではないかという事も。
ーー第六のターゲット。殺人鬼ルーツァン。
元妻であることよりも殺し屋として最高にして最強の相棒と思っていた女の事を、妻スワンは知っていた筈だがこれまでシャーロックから彼女の話題に触れる事は殆ど無かった。いや、これが最初で最後だったかもしれない。胸に縋り付くスワンの髪をあやすように撫でながら、本当はやはり、いまの顔を妻に見られたくなかった。

「……白雨だ」

ふと、我に帰るようにシャーロックはその名と共に顔を上げた。スワンの豊かな薄紅色の髪に埋めるようにしていた顔を上げ、妻からは見えないその表情を険しくする。スワンが真似たその独特の喋り方で、該当する人間は白雨以外に考えられなかった。

ーー『シャーロックはんに伝えといてくれはります? 今まで、ほんまにありがとう、さようなら』

馴染みの深い艶やかな声が、霧追う風の悪戯か耳元で聞こえた気がした。日の本の国という遠い東の島国の訛りで。柔らかく霞む月下に咲いた花のような微笑と共に。
剥製師である白雨は自分の弟子としていたミリヤムを剥製にして連れ帰ったに違いない。そして彼女は今、自分の順番と死期を悟っている。
シャーロックはハッとスワンから身体を離し、外套を手に店の出口へと向かった。もう長い間空いたままの客席に掛けられた上着を手に取れば、椅子が寂しくがたりと鳴いた。朝の中へ飛び出す勢いで駆けて行こうとして、はたと気付いて店内を振り返る。心許無く淋しげに佇む不安定な妻を顧みて、思いは揺れ千々に乱れた。

「……すぐに帰るから」

妻も殺人鬼だ。けれどそれを認めても、それでもまだ危険に巻き込みたくないと思っていた。しかしその一方で、大切な同胞を見捨てるなど出来る筈も無かった。元来シャーロックは情に熱い男ではない。物腰は柔らかく人当たりはとても優しいが、冷淡で冷酷な一面のある男だった。これは己の蒔いた種だから、自分の所為だから、償いきれぬ負い目があると思っているから、彼は巻き込んだ張本人として同志白雨の為に駆けなければならなかった。

シャーロックは眼前を覆う靄を切り裂いて駆けた。
ーー第七のターゲット。殺人鬼白雨。
「さようなら」は、「会いに来て」の空耳を残す。
靄に乱反射し燃えるような朝焼けが、遠くから軈て霧の都に迫る。






シャーロックはジャックをコートに隠すようにして、白雨の工房の裏手に居た。足元には、既にシャーロックによって物言わぬ姿に変えられた黒フードの男が三人。まだこの工房の周囲に残っていた暗殺者の気配も、気圧されたか退散の号令が下ったか、少しずつ同心円状に離れていく。
白雨の名を呼び、扉を引こうとしたのは数十秒前。白雨が自ら鍵をかけたのか、古びた家屋に人の気配はあるのに戸はびくとも動かなかった。

「白雨! 聞こえているのですか! 『さようなら』なんて、如何いうつもりで……白雨!」

「シショー! シラサメシショー!」
シャーロックが抱えて居たジャックが、窓枠を掴み中を覗き込むようにして白雨の名前を呼ぶ。白雨のさよならが如何いう意味であるかわからないシャーロックでは無かった。彼女と同じようにその死期を悟り、彼は、敢えてその最期にジャックを立ち会わせようとしたのだった。これまで、シャーロック凡ゆる殺人現場からジャックの目を塞ぎ見せないよう隠すようにばかり考えて来た。それが育て親として幼気な汚れ知らぬ子供にしてやるべき事だと。ダニエラが初めてジャックの目の前で殺人を犯した時、それに続くようにほかの仲間たちが次から次へと情操教育上宜しくない事件をやらかした時、シャーロックはいつもそれを厳しく叱り嫌な顔をしてジャックを遠ざけた。見てしまったものは忘れさせようとした。殺人鬼の群に置いておきながら、血の赤色に記憶を染めないようにと。
殺人鬼としての自分の顔を仮初の息子にだけは見せないように偽り続けてきた。ミカエルと呼ばれた少女が店の中で死んだ時はスワンに二階に連れていくように頼み、ドールホーンの壮絶にして見事な死に様をジャックに見せてしまった時は深く悔いていた。死んだ人間は空の星になると誤魔化し、墓に備えた花や食べ物はあの世に届くと偽り、幼子の記憶に悲しみはあっても残酷さは残さないようにとしてきた。つもりだった。
……ルイスが死んだあの夜、全ては無駄だったと思い知らされた。そして生きていれば必ずやこの行いを咎めたであろうルーツァンは、折しも昨夜死んでしまった。

「シラサメシショー!」

どうして内鍵がされているのか理解できないのだろうジャックは、懸命に窓越しに名を呼び続ける。幼子を抱え霧の都の死神、ジャックの育て親はその小さな耳に向かい静かに囁いた。残された時間の中で、この子に教えられると思う事の限りを。

「……ジャック。……よく、見ておくのです。息絶える人間が、どれほど悲しいのか。それが、どれだけ痛いのか。よく見ておくのです」


>スワンさん、白雨さん、all様



【というわけで、シャーロック&ジャック見参です!イベント参加の皆様、表口ではまだ敵と戦えるように、裏口では戦わずに扉の外まで押しかけられるようにしてあります!】

1ヶ月前 No.204

みんと @milkywayy☆woNfuP/Psag ★iPhone=WsHBgyg92L

【 白雨 / 某年6月12日 / ベイカーストリート外れ(自宅工房) 】


 窓枠に腰掛けた白雨は空を見上げる。暗く淀んだような空の色、太陽は雲に隠され陽の光も射し込まない。傍らのソファーに座る男性の隣に弟子を座らせる。二人を見つめ、薄らと笑みを零す。弱々しい笑み、儚く消えそうな、微笑。

「――――嗚呼、ちゃあんと伝言、伝えてくれはったんどすねぇ」

 窓から見えたシャーロックとジャックの姿に小さな微笑を零す。唇から紡がれる言葉は咳が混ざり掠れたような呼吸音が零れ落ちる。なんでそんな必死な表情してはるんどすか、だってこれは、もう変えられない事実やないですか。自分の名前を呼ぶジャックに僅かな微笑を零しその肌をなぞるように窓越しに手を伸ばす。

「シャーロックはん、ほんまお世話になりました。あんたはん等とおれて、わっち、ほんまに幸せどした。……ジャックはん、強う生きて、どうか、幸福に生きて、わっち等の分まで、どうか、強い男になってください」

 けほけほと乾いた咳を零し、唇から紅色を吐き出して、弱々しく笑った。叶うなら忘れてしまって、こんな、女は忘れて、ただ幸福に、そう願うように。

「かんにん、ね…………ミリヤムはん、連れていくことになってしもて」

 窓越しにシャーロックを見つめそう呟く。せっかく美しく、永久の人形にしたのに、悪い師匠を許して、囁くように、嘆くように。これはわっちのわがままやから、と。

 もう意識も曖昧で、今にも眠ってしまいそうで、視界が霞む。それでも白雨は窓の外に見える同胞を、傍らの二つの人形を、見つめる。


 わっちを日の本の国から、あの鳥籠から連れ出してくれたあの人は、わっちを置いて死んでしもうた。

 わっちを師と呼んでくれた、こんなわっちの側にいてくれた弟子も、わっちを残して死んでいった。


「――――わたしは、愛した人と、いっしょに死にたかった」


 あんな暗殺者に、病気なんかに、わっちの命を渡すわけにはいかへん、小さく呟いた言葉は力強く、ふらつきながらもポリタンクの中身を部屋の中へと撒いていく。唇から零れる紅を拭って、何度も足を縺れさせながら。

「これで、ぜんぶ、おしまい」

 窓際に体を預ける。脳裏に浮かぶのは楽しかった日々、幸せだった日々。仲間、と呼べる存在ではなかったけれど、たしかにそこに絆はあったのだと、そう感じていた。窓越しに自分の最期を見届け用としてくれる優しい同胞に、笑みが零れる、心からの笑み、貼り付けたような微笑でもない、幼子のような、笑み。

 手のひらに握った小さな箱から取り出したそれは、マッチ。火の付けたそれを、見つめ、微笑む。これでやっと、自由になれる。やっと、眠れるのだ。愛しい人とともに。

「――――はん、みりやむはん…………おやすみなさい」

 手の中から、それが零れ落ちる。床に巻いた灯油に引火し、部屋の中が炎で包まれていく。


 部屋に残された二体の人形と、一体の痩せ細った女は、炎に包まれる。その炎は跡形もなく三人を包み何一つ残さず灰にするのであろう。

「――――あいしてます、えいえんに」


 死体を愛した白雨は、二つの愛した骸とともに永遠の眠りに落ちるのだった。


>> 〆


(ありがとうございました、これにて白雨の幕引きとさせていただきます! 一緒に灰にしてしまうこととなってしまったミリヤムさん、それを許してくださった夕邑さんありがとうございます。そしてスレ主様、参加者様、みなさまありがとうございました!)

1ヶ月前 No.205

シャーロック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【シャーロック/某年6月12日/ベイカーストリート外れ・白雨の工房】

制止の声なんて、もう届かない事は分かっていた。
此の声にはもはや、誰の運命を抑止することもできない。
『待ってくれ、貴女まで逝かないで。これ以上、僕を置いていかないで……』そんな台詞は、罪穢れなき幼子が憤(むずか)る時にしか許されない。見えない鎖は喉に声帯に絡みつき、シャーロックは殺人鬼を統べる殺人鬼としての言葉と、ジャックの親としての言葉以外を封じられた。
窓の向こうの寂しい部屋に、小さな焔の明かりが灯る。対面するガラスが、橙に染まる。ジャックを抱き上げ支える手が、温度を失い震えだす。我が子にはよく見ておけと言ったばかりの殺人鬼は、今は掲げたその小さな背の陰で目を伏せ唇を噛み締めていた。蛇の舌のようにちらちらと揺らめく赤い光は、友の命をこれから奪おうとするものなのに、何故かとても蠱惑的に美しく見えた。雲に燻る鈍色の朝焼けの中で、マッチの灯りは花の顔(かんばせ)を艶色に彩る。夜露に濡れたようなその黒髪、月を縁取る漆塗の夜空のようなその瞳。目尻を蕩かし酩酊に潤おすような紅色の化粧。唇に差した紅から零れ落ち擦れた血潮の朱(あか)。総てをこの世のものとは思えぬ美しさに照らし、そして総てを焼き尽くし奪わんとする脅威をちらつかせる。
粛々と行われる生きながらの火葬に、シャーロックとジャックはなんの手出しも出来なかった。

「シラサメシショー! シラサメシショー!!」

ジャックがガタガタと窓を叩く音で、なんとか冷静さを保っているようなものだ。幼いジャックには分からないのかもしれないが、白雨の覚悟の表情を前に、もう何も変えられないという事実は明白だった。目を見開き振り返るジャックに、シャーロックは力無く首を横に振る。

「よく見ておくことです。そして…………」

白雨は助からない。白雨は、助からない。
たとえ何らかの形で彼女の足元に火が落ちるのを食い止めることができたとしても、彼女の負った凶弾の負荷では彼女を死に至らしめる。たとえ鍵のかかった部屋に突入してその傷口から流れる血を止めたとしても、彼女を蝕む肺の病はそれより長く非道な苦痛を与えて白雨を死に至らしめる。死ぬことがさだめだと云うのならば、せめて最期は望むやり方を肯定し見守るべきなのか。本当は助けたくて仕方がない、助けられないことが痛くて苦しくて叫びたい。けれどミリヤムだった亡骸と、おそらく大切な存在なのであろう知らぬ男の亡骸に囲まれて子供のように綺麗に笑う彼女は、あまりにも、幸せそうで。

「…………幸せだったなんて、言わないでください…………」

ごめんなさい。ごめんなさい。その幸せを奪ったのは、ーー……私なのですよ。
ほんとうの言葉は、窓の向こうまでは届けられなかった。届かなくて良かったと思った。盾にするように抱いた幼子の背に跳ね返り、懺悔の声は地に落ちる。

「……ごめんなさい。御別れです、白雨……」

折しも刹那に、白雨の袖の上からマッチがはらりと床に落ちる。

突如にして昼のような明るさが閃光となってジャックとシャーロックの視界を焼く。
白雨の工房は瞬く間に火の海と化し、白雨の影は忽ちに火達磨と化した。

シャーロックは翻した漆黒のコートにジャックを包み込み、跳び退がるように熱風から身を離した。丁度いつかの雨の夜、ジャックを燃え盛る邸宅から攫った時のように。……あの晩から比べたら、随分と大きくなった。だから、安全な距離を取ると育て親は息子の目の前から目隠しの守りの外套を解いた。
白雨もミリヤムも白雨の大切な人も包み込んで、少年の大好きだった人達を包み込んで冥界へいざなう禍つ火が、黒々とした煙を上げて有明の天を焦がしている。まだ白雨達が中にいるであろう工房が瓦解し、炎の中でシルエットが残酷に崩落していく。

「そして、ジャック。……あなたは強く生きて、幸福になることです」

早朝の大火を澄んだ大きな瞳に映す幼子に、仮初めの父は白雨の遺言を今一度繰り返した。

>白雨さん、(7thイベント〆)


【白雨さん、みんと様、お疲れ様でした!本当に、特にジャックが、大変お世話になりました……!!ありがとうございました!!
これをもちまして、7thイベント終了とさせていただき、そのまま8thイベントに物語は進みます……! サブ記事にてまた告知致しますね!】

1ヶ月前 No.206

シチダンカ @caim ★Vxqs1Pnm4y_mgE


【シチダンカ/某年6月16日/シチダンカ宅・一階】

 連日の事件については、もちろん耳には入っていた。否、厭でもその手の話題を拾ってしまう程には神経が研ぎ澄まされてしまっていた。自らの足で赴く必要すらない程に、この話題は厭でも己の決心を揺さぶろうとこの身に流れ込んでくる。だから、上手くやる必要があると思っていた。そう、これまで以上に。


 実際に診療所として使用しているのは二階部分。一階部分は主に生活スペースとして使いつつも、記録物はすべて一階のリビングの壁側の棚に収納していた。患者との面談が終わり、彼女の背中を見送った後で一つ確認を行おうと一階へと下りる。白いペンキの塗られた正方形の小さな扉を開けて、見知った名前の書かれた患者ファイルへと手を伸ばした。今の自分には、物事の順序を改めて練る必要があった。けれど、鼓膜を揺さぶった別の音に、伸ばした手は空を掴むだけだった。
 雨音に隠されたそのノックに気付くことができたのは、その独特な存在の表し方を覚えていたからかもしれない。

「あら、久しぶりね。会いに来てくれたの?」

 ドアを開けて、その灰色のフードの下に見えた唇は、相変わらず何も形作らなかった。彼は以前、人からの視線が怖いと言ってこの診療所へ来た患者の一人だった。このフードに隠れた双方の瞳が、未だ正義感に燃えていた頃を知っている。彼はかつて、記者だった。たった一つ、手を出してはいけない領域に手を出してしまい、それから彼は筆を取ることを一切止めた。謂れのない言葉に惑わされるよりも、自身の正義感を否定されたことで、彼は全世界から居場所を無くしたのだと思い込むようになっていた。だから、そうして、あたしと出会えた。暫く連絡を寄越さなかった彼をつまらない情で繋ぎ留めたくないと思ったあたしは、他の患者に対してと同じように、ただこの場所で待つだけだった。だから、こうして、また会えた。

「さあ、入って。温かいお茶を淹れるわ」

 招き入れるように廊下の先を歩きながら、このひと時が幻ではないと自身を安心させるために後方の足音に耳を澄ませる。彼を此処へ呼び寄せる術は持ってはいないから、もしもう一度会うことが出来たのならば、ずっと頼もうと思っていたことがあった。伝えるとしたら、今が頃合いだと踏んでいたから。

 湯気の立つ紅茶をリビングへと運ぶと、彼は二人掛けのソファーの左側に腰を掛けて、あたしの姿に僅かに視線を上げた。二つのソファーの間の背の低いテーブルに、二つのカップと、買ったばかりのスコーンを置く。食を受け付けなくなったと語る彼の、衣服からも読み取れる細腕を見た瞬間に鼓動が速まったような気がした。雨音に区切られるように、此処は静かだった。告げるべき言葉を頭の中で繰り返す。切り出す直前の逸る気持ちが余計に静けさを際立たせた。

「あたしの記事を、書いてほしいの」
「先生の記事を、書きたい」

 それは、殆ど同時のことだった。
 その言葉が真実であるのならば、お互いがお互いの発言の意味を探り合う必要はなかった。ただ、それでもどこか目の前に鋭い空気を感じていた。彼が閉じられたフードの懐へと手を入れる様子に、僅かに身構える。けれど、そうして取り出されたのは見覚えのある雑誌の数々だった。表紙が日に焼けた古い雑誌が、テーブルの上に三冊並べられていく。

「懐かしいわね」

 思わず口からそう出ていた。そう、目の前に並べられたものは、全て自分が彼からインタビューを受けた回だった。内容はどれもこの都で起きた殺人事件について。
 ――シチダンカ先生は、どう思われますか?
 ――恐らく、先月に起きた事件と同様の手口でしょうね。ただ、気になるのは、どうして両足が切断されていたのかという点。単に目的を果たすためだけならば、必要性を感じない行為ですからね。
 ――そこに示された意味はあるのでしょうか?
 ――両足への攻撃は、心理学的観点から考えても、行動を制限したいという気持ちの表れとも考えられます。後に入った情報からしても、自分の方へと向かせたいというような気持ちが犯行を招いたのかもしれません。周囲の人間関係を探れば、割と早めに犯人の絞り込みができそうな事件だと思われます。
 ――最後に、被害者となった方は、シチダンカ先生の患者であったそうですね。どのような方でしたか?
 ――……それは、自分の口からは答えられません。被害に遭った彼を、今は語れません。捜査に誤解を与えてしまう恐れもありますので。全て解決した後で、また回答させて頂きます。

 ――ねえ、先生。
 ――さっき、最後に、って言ったばかりでしょう。
 ――これは、妄想と取ってもらって構いません。昔に、四肢を切断した遺体が連続した事件があって。それにとある教団が関わっていたという噂を聞いたことがあったのですが……先生は聞いたこと、ありますか? これって、もしや、その手口と……。
 ――止めましょう。この話題は、あなたが願わない敵を作りかねないわ。


 つまらない回想を止める。自分の犯行以外のインタビューもあったけれど、記憶に強く残るのはやはり教団の一件を聞いた時のものだった。その一件以来、教団について聞かれることはなかったけれど、あの日からあたしは彼を試していた。野望を公表してくれる担い手になり得るかどうか、を。だから、患者の一人でもある彼をターゲットにしなかった理由は、あたしの思惑に気付きかけていると確信したから。信じないよりも信じる人間を傍に置いた方がやりやすいもの。
 全患者のリストは全て頭の中に入っている。全員で三十人と、少し。数人取り逃がしたところで、あたしの目的は十分に果たせる。だからあたしは、この状況を前にして、まだ笑っていられた。回復期を迎えた患者から、一人ずつ……。

「一つ、記事にしてほしいことがあるの。これからあたしが起こすことについて」
「……」
「次はあなたの番よ。あなたは、あたしの何を書きたいの?」
「先生」

 呼び止められた後、それきり開かれないその唇を見て、小さく首を傾げる。この時ばかりは、此方が優位だと思っていた。
 もう一冊と差し出された雑誌と、フードの下の表情を笑みを携えたまま交互に見る。沈黙に痺れを切らして彼が差し出した一冊に右手を伸ばすと、あたしの右手の上から、彼は包み込むようにして空いた方の手を上から重ねた。先生。もう一度呼ばれたその言葉には、――本能的な冷たさを覚えた。危機を察知し咄嗟に手を離そうとした瞬間に、手首に鋭い痛みを感じた。服の繊維、それとも静電気か。その二択を真っ先に除外したのは、目ざとく彼の袖の下にある金属筒を見てしまったから。注射針。咄嗟に二つの懸念が脳裏に引きずり出される。――一つは麻酔類、あるいは……。

「先生のやってることは、悪いことだ」

 雨音を背後にして、静かに正義と正義がぶつかり合う。食うか食われるか。次の一手を探り合う間にも、彼の正義が電流の様にあたしの体内を這い回っていく。それはまるで毒のように。押し負けた方が、悪と呼ばれることは明白だった。

「……あと、どのくらい?」

 フードの下に見えた唇が形作ったのは、この先あたしに残されていただろう未来から予測してみるには、それと比べると遥かに短く、これから訪れるであろう痛みに耐え抜くのならば辛うじて我慢できるであろう時間だった。それが、あたしに残された時間。死刑執行の、時間。
 シャツの下が、厭に汗ばむ。此処で確信したのだ、今まで自分が信じていた正義が他人の手によって閉ざされたことに。こうなった今、一体どこまでを世に曝すべきなのか。冷えていく両の指先を隠すように、核である心臓を守るようにして自分の懐に寄せる。

「じゃあ、最期の暇つぶしに種明かしをしましょうか。あなたが知りたいことを、一つだけ教えてあげるわ」
「先生、どうして? 全部、先生の仕業だったんでしょう?」

 そこまで気付いていたのね。嗚呼、やはり始末しておくべきだった。

「仕業? 救いを求める人に救いを与える、それっていけないこと?」

 小さく震えるフード下の唇を見て、勝ち誇ったような嗜虐心を覚える。それは、縋り付く手を振り払い、雨曝しの中へ冷たい身体を蹴り飛ばすような感覚だった。

「教団の目的は知っていたの?」

 教団、それが何を示すのか彼はすぐに察したらしい。患者と記者の表情が綯交ぜになる姿をどこか上の空で見下していた。

「迷える人々の苦しみからの解放。そして、その担い手となること。……あたしね、神様に会ったことがあるの。神様と過ごした最後の夜に、神様はあたしに言ったわ。明日からは、君が私の代理人だ、って。私が人々を救ってきたように、これからは君がそうしなさい。もし君が百の魂を救えば、その褒美に君が会いたいと願う魂を一つ呼び戻してあげよう、って。それで約束したの、あの甘い夜に誓って」

 求めていた答えとは違うと、想像した目の前の双眸は拒絶の色を示している。

「ねえ、最期に聞かせて。どうして、あたし……いや、あたしたちを?」

 フードの下の表情は相変わらず読めない。けれど、何かあたしの分からないところで葛藤をしているだろうことは真横に結ばれた唇から読み取れた。彼がわずかに立ち上がって、あたしに身体を寄せる。寄り添うようにして、薄い唇に耳元を近付けた。――けれど、そこで告げられたたった六文字の言葉は、想像していたよりも遥かに無責任で陳腐なもので。数々の死の記憶を脳裏に浮かべる傍ら、溢れ出る怒りを塞き止めるためにわざと笑顔を選択した。

「あ、っは、なに……そんな、くだらないことのために?」
「くだら、ない?」
「だって、そうでしょう? あと残り、二十四人も救わなくちゃいけないのに。その最中にとんだ邪魔が入ってしまったんだもの」
「……先生、終わりだ。もう、おしまいだ」

 それは、酷く怯えたような声色だった。

「それで、あたしを止めようって例の組織に加担したっていうのね」
「先生は、あんたは、誰も救っちゃいなかったんだ」
「……じゃあ、あなたの正義は、一体誰を救うっていうの? 矛盾してるってことは分かった上で言うけれど、殺しは、殺しよ。人を殺める感覚は、一生あなたにつきまとうことになる」

 紫色に震える唇とは対称的にあたしの口角は吊り上る。あたしのすべてを無意味と言いのけた彼に、あたしの野心は負けてなどいない。最初からあたしに注射針を打つことを念頭に置いてドアを潜ったというのならば、これから死へ向かう者の一人として、生者へ生涯を添い遂げるであろう呪いを授けておきたかった。まるで呼吸という行為が千の針になるような、呪いを。そして独善的な理想へは、現実を叩きつけてやらなくては。

「……今すぐ、出て行って。もう、おしまいなんでしょう? 最期は、一人で居させて」

 ――先生を救いたかったんだ。
 そんな幼稚で独りよがりな言葉は、あたしの耳には届かなかった。最期の最期まであなたの大好きなシチダンカ先生になりきることで精一杯なの。名残惜しそうに玄関手前で爪先を揃える姿すら、疎ましかった。水滴の付いた背中を小さく押して、無言で念を押す。どうか、帰って。あたしの心から、出て行って。ドアが開くと、水滴の移った掌が夜風に当たってとても寒く感じた。閉まった後のドアノブには、大小の雨粒がいくつか混じり合っていた。
 ドアに額を押し当てて、息を殺す。扉を挟んだ向こうで二の足を踏む気配がもどかしい。早く、お願い。じっと、無言で額をドアの質感で削る様に上下に擦り付けていく。整ったネイルが崩れることすら気に留めず、ドアに爪を立て先端を削る様にして指先に力を込める。がりがりと、厭な音が鳴った。

1ヶ月前 No.207

シチダンカ @caim ★Vxqs1Pnm4y_mgE

【続き】


 そうして、ややあって、彼の足音が完全に遠のいたと理解した瞬間、吠えた。指先を内に巻き込むようにして気が済むまで拳でドアを殴り、床を踏みつけるように廊下を越え、リビングへ差し掛かると同時に視界に入った白い壁を蹴り破った。その間にも、叫ぶことは止めない。体内に押し込まれた痛みの波と鼓動が同調して、増幅していく。その増幅したものは、まるで実態のない凶器のように時たま鋭利的になって、出口を求めるようにこの体内を這い回っていく。幾ら喉を焼付けようが、拳を痛めようが、この悪魔の凶器の前では何の制止にもならない。――毒。その単語に誰かを思い浮かぼうとして、それすらも痛みにより遮断された。

「……一瞬、で、こ……ろせよ、……クソ、ガ、キ……が……」

 殺意と救済心が、同調していく。否、自分の中に眠るその二つこそがイコールであったのだと、気付かされた。

 ――自分は、理性的な人間だと思っていた。痛みを受け流そうと騙し騙し呼吸を続ける自分の愚かな姿を見下すことになるまでは。
 肩を彼方此方にぶつけながら、あてもなく二本の足で室内を歩く。時々、目に見えたものを蹴り上げながら。

「ってぇ、いて、ぇ、よ……あぁ、あ……いつ、お……わる、んだよ……」

 両腕を手で擦りながら行き止まったそこに、硝子に映る人影に、肩を震わせた。本能的な恐怖に思わず立ち止まる。父親と同じ形をした目が、此方を睨んでいる。驚いた顔をしたままで、肩を震わせてオレを見ていた。どうしてお前が。張り上げたはずの声は、出てなどいなかった。一歩踏み出すだけで、躰が大きく傾く。その傾きすらをも利用して、素早く牛刀を抜刀した。そうして、一閃。狙い通りに硝子窓が割れた瞬間に、それが幻覚であったことに気が付いた。そして同時に、自分の精神がいかに参っているのを知る。
 あの男は死んだんだ。オレが殺して、死んだんだ。――救ってやった、の間違いだろ。嗚呼、そうだ。救ってやったんだ、遠い昔に。
 冷気を含む霧雨が室内へ入り込んでくる。頬を掠める冷気を、首から下が感じない。躰が機能を失いつつあるのだ。それでも、酷く寒気を感じていた。牛刀の柄を握る指先に、もう感覚は残されていない。行き場のない感情のままに薙ぎ払うと、布のかかった姿見が、刃先に引っかかる様にして床へと倒れた。わずらわしく何かを反射する鏡に皹が入る様をその場で見ているしかなかった。

「あ、あたら、し……の、を」

 買う必要なんて、ないくせに。死人に未来はないくせに。

 その姿見と恰好を同じくするように、転がる様に両膝をその場に付いた。皹で、終わってくれたらいいのに。自分の、躰も。――躰を前傾させる過程で前腕をべったりと床に付ける中、ふとある一点に目が留まった。右手首の、小さな点。周囲が円形にやや赤くなっている。此処だ、此処に注射針を打ち込まれたのだ。だったら……。ふふ、と乱れた呼吸の中で、乾いた笑みをもらした。
 左手に握ったままの牛刀を、振り上げる。右前腕を、その下に置いたまま。この手すら消し飛ばせば、オレの躰は皹で済む。今の痛みよりはマシだろう。そう思い振り下ろした一刀は、右肘を歪に湾曲させただけだった。完全に切り離すには、この工程を何度か行う必要がある。

「……は、っは……は……勘弁し、ろ……よ」

 二刀目に訪れるだろう痛みを想像して、絶望した。過去に救済した人間共の顔を、思い出す。その想像の中の全員が、オレにむかって同じことを言っていた。ざまあみろ、と。
 何がいけなかった、何処から間違えたっていうんだ?
 あのドアを開けなければ良かったのか?
 あのノックを無視すれば良かったのか?

 ただ、ママに会いたかっただけなのに。もう一度、抱きしめてほしかっただけなのに。よく頑張ったわねって、褒めてほしかっただけなのに。



 ――ママが死んで、すべてが変わった。最近よく耳にしていた、流行り病だった。
 ――日に日にやつれていく父親を見ているのが辛くて、オレは髪を伸ばした。ママが遺した形見で化粧をして、ママがそうしていたように、最後に乾燥した唇にルージュを引いた。オレにも、父親にも、ママが必要だった。
 ――やがて、オレはママの代わりに父親に愛されるようになった。ママが居なくなって時を止めた父親の腕時計は、オレの存在によってもう一度時を刻み始めた。けれど、ママを裏切っているようで少し寂しかったのを覚えてる。
 ――ママになったオレ、あたしは、それからも愛され続けていた。父親がくれた赤いワンピースは、未だあたしには少しだけ大きかった。あたしはその期待に応えるように、ママと同じシチダンカの名を名乗るようにした。でも、前にあたしだった心は居場所をなくしていった。
 ――そんな生活が続いたある日、父親はあたしの長い髪を撫でる手を静かに下ろした。その瞳は、父親の目をしていた。「見ないでくれ、お願いだ」そう何度もあたしを拒絶した後、小さくすまない、とだけ言った。父親の中には、やっぱりママだけが生きていた。あたしは、偽物にしかなれなかった。だから、殺した。これ以上、その手が偽物に触れないように、その足が幻を追わないように。魂を、穢れから救うために。
 ――父親を殺した部屋の片隅で、あたしは気付いてしまったのだ。あたしはもう、父親よりも強くなってしまっていた。血濡れの両手が、何よりもの証明だった。

 ――だから、強い者に愛される必要があった。弱い者にあたしのこの野望に溢れた心は満たせない。そんな時に神様に出会った。霧の都で蹲っていたあたしを見つけて、拾ってくれた。愛情をくれた。希望をくれた。あたしを、救ってくれた。


 冷たい床に転がって、鋭い痛みで目を開けた。全身が、ひりひりしていた。ボロボロの爪を見て、首を傾げる。

「ママ……?」

 返事はない。キッチンの方から、良い匂いがする。今日は父さんとオレ、どっちの好物が並ぶ日だろう。眠りすぎたのか、躰が重い。部屋を見渡すと、相変わらず出張を繰り返す父さんの部屋は汚かった。今度、掃除してあげなくちゃ。そう思ってごろりと横に転がった先には、ママの顔があった。夕飯の支度を終えたら、あなたが気持ちよさそうにお昼寝していたから。ママが、そう笑った。ママの綺麗な唇が好きだった。父さんも褒めるその赤色の唇に、憧れていた。

「ねえ、オレも口紅塗ってみていい?」

 ママは、まあと笑うだけだった。男の子なのになんて、言わずに。
 ――私が塗ってあげるわ。白い指先に付着した口紅を塗ってもらおうと、オレは這うようにしてママに顔を寄せた。オレの唇を縁取る指先の感触が、心地良い。あら、少し出しすぎちゃったみたい。唇からはみ出た朱をママが小指で拭いながら、優しい顔で笑っていた。

「ママ、ありがとう。オレ、似合う? ママみたいに、似合う?」

 ええ、よく似合ってるわ、×××ちゃん。あなたのお顔は、綺麗だから。

「ママ、オレね、友達が出来たんだよ。ジャックとハイドランジアっていってね、今度……ママ、に……も、あ……わせ、た……」


 手を伸ばした先、ママの頬は冷たくて、ごつごつしていて、ヒビ割れたように凹凸があった。どうしてだろうと疑問に思う隙もなく、やがてその時間は平等に訪れた。



 ――愛されたかったのは、あたしだった。
 ――救われたかったのは、オレだった。



『窓硝子が割れ、ドアが歪み、破壊された家具で散乱した部屋の中に転がる遺体。右腕は肘関節辺りから無理やり力任せに千切られたかのように切り離され、その切断面の筋組織は酷く潰れていた。遺体の真横に転がる牛刀が凶器と考えられる。そして、倒れた姿見に左指先を伸ばしたままになった遺体の顔下半分には、被害者自身のの血液が塗りたぐられていた。切り離された右手の指先にも同様に被害者の血液が付着しており、この猟奇的な犯行の解明が急がれている。

 また殺害現場の状況からも、ここ数年連続していた四肢の一部を切断された事件との関連性についても現在調査中である。今回の被害者であるカウンセラー・シチダンカの患者も、かつて同様に殺害された事件が多数上がっており、関係者による犯行ではないかとの声も上がっている』

 霧の都に出回る新聞や雑誌記事には、どれも似たような文面が溢れていた。中には、かつて霧の都に存在したとあるカルト教団との繋がりを示唆した記事もあったが、ほぼ無名の記者による投稿であったために単なる売名によるゴシップだろうと片付けられ、それはやがてすぐに埋もれていった。


>〆
【8thイベント、これにてシチダンカの最終レスとさせていただきます。寂しいようなすっきりしたような、そんな不思議な気持でもありますが、皆様今までありがとうございました! 皆様と関わり、またその最期に触れる内にシチダンカの心境も変わっていき、当初想定していたよりも人間味の溢れるキャラクターとなっておりました。シチダンカの命は此処で終わりですが、引き続き一読者としても今後も霧の都の展開を楽しみに拝読させていただきますね……! 自宅一階は鍵のかかっていない状態であるため、もし宜しければお立ち寄りくださいませ!笑】

1ヶ月前 No.208

スワン @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【スワン/某年6月17日/シチダンカ宅前】

 昨日の雨は嘘のように、空は澄んでいた。今日はシチダンカ先生とお喋りをする約束の日だった。悲しいことがあったから聞いてもらいたくて、こんな早くから来てしまった。シャーロックさんはあの日から、もっと悲しそうに見えた。私に何ができるか、シチダンカ先生ならきっと一緒に考えてくれる。

 シチダンカ先生とお話をするようになったのは数年前の年の暮れからだった。雪に彩られたクリスマスが終わると、シャーロックさんが散歩に行こうと、ここへ連れてきてくれた。いつもよりなんだか優しくて、嬉しかったのを覚えている。この診療所は友人がやっているんだと言って、シャーロックさんはその扉をノックした。出てきたのはとても綺麗な人だった。初めはつんとして見えたけれど、お話してみると優しくて楽しくて暖かくて、お母さんみたいな人だと思った。シチダンカ先生は精神科医だと言っていた。きっと大変なお仕事なのだろうと、そう思った。
 またお話ししましょうね、とシチダンカ先生は言ってくれて、私はシャーロックさんと一緒に、ここへ遊びに来るようになった。

 戸を叩いても返事がなく、中から開けられることもなかった。それでもスワンは首を傾げたまま、気長に扉が開けられるのを待っていた。少し早く来すぎてしまったかしら、なんて呑気なことを考えながら。

>(ジャックくん)、all
【シチダンカさんの最期の姿を見届けさせていただきたく、まずは家の前まで失礼します。翌日にしてしまいましたが、もし不都合があればシチダンカさん死亡当日として扱ってください。】

1ヶ月前 No.209

ジャック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【ジャック/某年6月17日/シチダンカ宅前】

その日は随分と良い天気で、ジャックはスワンに連れられて歩き、二人はシチダンカの診療所兼自宅の前に並び立っていた。シチダンカの家は二階は心療内科カウンセリングの診療所、一階は住居となっていて、ジャックも何度か此処に招かれ訪れたことがある。

「シチダンカ、こないねぇ」

呼び鈴を押しても応える声はなく、残響は虚しく空に溶けてゆくのみ。やけに澄んだ空も、遠くの鳥の囀りも、ぼんやりと待ち惚けに立つ二人を嘲笑うよう長閑だった。のんびりと首を傾げるスワンの横で、ジャックも倣ってカクンと首を傾げた。良く晴れた空色の大きな目が、陽光に揺れている。左手には、するりと抜け落ちそうなほどぶかぶかの腕時計が、不釣り合いに煌めいている。シャーロックとスワンと三人で出かけた時に買ってもらった余所行きのお出かけ服の小さなジャケットの袖の中にしまわれていたのを、そっと腕まくりして見つめた。
シチダンカが腕時計をくれたあの晩。シチダンカと初めて出会ったあの晩。ジャックがシチダンカとどのような会話をしたのか、幼い子供の記憶の中ではすでに朧げに霞んできていた。この街にかかる霧のように、淡く儚く、幽かな思い出に変わりつつあった。けれど断片的に残った記憶の中で、シチダンカがこの腕時計を贈ってくれながら、いつか此処においでと誘ってくれたことは忘れなかった。その後も何度もこの診療所には遊びに来たが、あの夜金の泡を浮かべたグラスを傾けながら言っていた『会いたい人への会い方』をシチダンカが教えてくれることは終ぞ無かった。そういえば、白雨とミリヤムと一緒に着物で写真を撮ることも、ルーツァンと一緒に遠くへ旅立てる夜汽車に乗ることも、シャーロックが言っていた『大きくなったら教えてあげますよ』のどれか一つでも教えてもらうことも、ないままだった。
細い腕には大きすぎる文字盤を、太陽にかざし、宝物としてそっと袖の中にしまった。

「おーい、シチダンカー」

じっと佇み行儀よく家主の迎えを待っているスワンを差し置いて、ジャックは心の向くままに、背伸びをしてドアに手を掛けた。ドアは歪み、僅かに隙間ができていた。体重をかけるようにノブを引けば、目的の扉はすんなりと開いて二人を出迎えた。しかし、いつもなら聞こえて来るはずの、シチダンカの声はない。そしていつも招かれるシチダンカ先生の家≠ニ明らかに様相を異にする荒らされた玄関と廊下。乱暴な嵐の過ぎ去った後のような爪痕。まるで獣の通った足跡。何かがらあったと誰の目にもわかるその痕跡は、リビングへと続いていた。ジャックはスワンの制止よりも早く、何も気付かぬ顔で廊下を駆け抜け、割れたガラスと血潮の飛散したリビングの入り口で氷漬けに遭ったように動きを止めた。

>スワンさん、all


【シチダンカ先生! 崎山様! お疲れ様でした!! 現場へ向かわせていただきました!】

1ヶ月前 No.210

スワン @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【スワン/某年6月17日/シチダンカ宅】

 首を傾げて開かない扉を見つめるスワンの隣で、ジャックも同じように首を傾げていた。しばらくそのままじっとしていたが、やがて痺れを切らしたようにジャックはドアノブに手をかけた。あ、待って。スワンがそう口にするより早く、開いた扉の先にジャックは消えていく。少し迷ってから、スワンもジャックの後を追った。

「先生、お邪魔します……」

 家の中に一歩立ち入った途端、その匂いをスワンは感じ取った。シチダンカ先生の纏う甘い香水の香りと、それに相反する生々しい血の香りが混ざり合っていた。リビングルームの入り口でぴたりと立ち止まったまま動かないジャックを避けて、スワンは中を覗いた。部屋中に飛び散った血。そのほとんどは既に凝り固まったように黒く変色していたが、大きな血だまりはまだ一部鮮やかさを残していた。その中で向こうを向いて倒れる一つの塊。その奥に置かれた姿見が、遺体の顔を映していた。

「……シチダンカ、せんせい……?」

 鏡へと伸ばされた左手。縋るように見開かれたままの目。血の塗りたくられた口元。気品があって頼もしくて美しい、よく知るシチダンカ先生の姿はそこになかった。
 血まみれ。死んでる。怖い。そういう感情が沸かないではなかったけれど、スワン自身理由もわからないままに、シチダンカの元に吸い寄せられていく。シチダンカの顔の傍に屈んだスワンは、その髪に指を通した。血で固まった部分を解すように、優しく何度も繰り返す。事切れて時間が経ったその亡骸はとうに血色を失っているはずだったが、血の塗られた唇は、辛うじてまだ朱さを残していた。その唇に、スワンはそっと指を触れた。彼女がどうして、誰に殺されてしまったのかなんてわからないけれど、ただ、何故だかそうせずにはいられなかった。

「シチダンカ先生、おやすみなさい……」

 スワンの指が、シチダンカの瞼を撫でる。苦し気に必死に見開かれていた瞼は、安らかに閉じられた。

>〆(ジャック)
【最後に立ち会わせていただきありがとうございました……!シチダンカ先生の最期ほんとうに好きでした…泣】

1ヶ月前 No.211

ジャック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【ジャック/シチダンカ宅】

むわりと血の匂いのこもった無風の室内でさえ、スワンの衣服の裾は薄い花弁のようにふわりと踊った。直立のまま棒立ちになったジャックの傍を、すり抜けていく羽衣の白をジャックは目で追いかけた。

シチダンカせんせい、と、不意に言葉を詰まらせた声を背中越しに聞いて、ジャックは凍りついた足が溶けたように動き出した。機械仕掛けの人形のように、ぎこちなかった。幼子の目にする現実は、悲惨なものだ。倒れているシチダンカに吸い寄せられるように近寄っていくスワンの後を追いかけて、その横に並び立つ。屈み込むスワンと同じぐらいの目線の高さから、その遺体を見下ろした。廊下を過ぎ現場へと入室すれば、割れた窓硝子から微風が吹き込んで血の匂いを掻き回していた。鏡の向こうから、シチダンカの光無い伽藍堂の瞳が此方を見ている。
物言わぬ骸と変わり果てたシチダンカは、丁度その見開いた目をスワンの優しい手で伏せられるところだった。ジャックはいま一度、シチダンカと出会ったあの夜のことを思い出していた。記憶は薄れてもぼんやりとした黄金色と大人達の笑い声は薄れない。とても賑やかな夜だった。今はもう二度と戻らない、楽しい夜だった。
殺人鬼達の好奇や警戒の目を物ともせずシャーロックと話していた凛とした横顔。初対面で己に向けられた牛刀のこと。それから、子供のようにママの話をしていたこと。自分にくれた腕時計。会いたい人に会えるという、本当の秘密なのかそれとも出鱈目なのか、夢見せるような、夢に魅せられたような誘惑のこと。
小さな足の細かい歩幅で、ジャックはシチダンカの亡骸に手が届くところまで歩み寄る。左腕の時計は、留め具を外さなくても小さな拳からするりと抜けた。シチダンカに託された旅する腕時計を手に、ジャックはぺたりとその場に座った。

「シチダンカ…………ママに、あえた?」

その手を取って、小さな手が不慣れに腕時計を嵌めようとすると、拾い上げた冷たく硬い手首には、肘から先の続きが無かった。ジャックの青く澄んだ大きな目から、大粒の涙が零れた。一つ落ちれば、また一つ。後から一つ、止まらずに一つ。堰を切ったようように、そのあとは幾つもの涙が頬を転がり落ちた。

「シチダンカぁ…………!」

白雨の焼死自殺を目の前で見たことで、幼子の中で死≠ニいうものへの感情は変わったのだろうか。人が死ぬ時にはどれほど痛いのか。人に死なれたらどんな心地がするのか。人は死んだら何処に行くのか。人は何故、死んではいけないのか。人は何故、殺してはいけないのか。それなのに何故、彼等は殺し殺されるのだろうか。
今はなりを潜めている霧の都の雨雲のように、顔はぐしゃりと歪み、ジャックは声をあげて泣いた。

>スワンさん、(シチダンカさん)、all様

(〆)


【シチダンカ先生、スワンさん、ありがとうございました……! 8thイベント〆とさせていただきます。9thイベント10thイベントまで暫しお待ちください。】

29日前 No.212

語り @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【シャーロック/某年6月21日/倫敦塔】

轟々と悲鳴のように鳴り渡る風の慟哭が、包み込む雨音を割いて責め立てる。
罪科を、犯した過ちを、絶望的な未来を、踏み外した過去を、裏切りを、責め立てている。

仲間ごっこ。或いは家族ごっこ。
全ては虚妄に過ぎなかったのかと、爪先で踏みつけた屍が詰る。
艶々と磨かれていた品の良い革靴は血と泥に塗れて、雨滴を吸って足枷のように重たくなっていた。長い外套も、背の高いシルクハットも、冷たい雨を滴らせ、重く黒く惨めに濡れていた。

止まぬ夜雨に濡れて、目の前の十三階段は仄白く光っている。階段の向こうに悠然として佇んでいるのは、歴代の極悪人共が其の命散らした倫敦塔の断頭台だった。冷たい正義の銀の刃が、この首を胴と切り離す裁きの刻を待ち構えている。

嘘吐き。裏切者。足元に折り重なる幾つもの死体から罵倒され唾棄される心地のするまま、諸悪の根源たる男はゆっくりと俯向き脱帽した。優雅に波打っていた深い緑の髪が今は黒々と濡れて、頬にも首筋にも肩や背にも貼り付いている。青白い額から、すっと通った鼻筋、疲れに落ち窪んだ眼から幾分か窶れた頬へ、雨粒が幾筋も流れ落ちた。視界が烟りそうなほどに。それでも哀しい眼差しは深い霧の中、処刑場である倫敦塔の景色を一望する。嗤う貴族と役人達の顔、その中にはこの殺人鬼集団を飼っていたカメリア子爵の顔もある。恨みと復讐の眼差しを向ける遺族達の顔、これは自分達が幾百もの命を奪った事で遺されることになった者達。そして多くは、何も知りはしない、ただ殺人鬼というだけで恐がり憎み、煽動されて騒ぐ無関係の民衆達。

ーー「 」

名前を呼ばれた。それは今となっては聞きなれぬ、シャーロックと名乗る殺し屋の、本当の名前だった。
一歩、一歩と階段を上る。枯れ木のような長身痩躯の、細く長い漆黒の影を操って。
死への階段は、人の屍で出来ていた。固さを残しながらも不快に沈む死人の背に靴底を掛け、靴音の響かぬ不安定な島に己の身の置き所が無い事を知れば、また次の一段へと進まざるを経ない。死へ、死罪への罰へ、近付かざるを得ない。
五段目を踏んだ時、見知った人影が前を横切った気がして、シャーロックは暫し足を止めた。
六段目を踏んだ時、その幻は目の前に現れた。ーー目の前に立つ亡霊は、シチダンカだった。
七段目を踏んだ時、傘を持つ艶やかな和服姿の女性の後ろ姿が現れて、手を伸ばせば、白雨が振り返った。
八段目では、白雨と師弟で揃いのような和服を纏ったミリヤムの姿が。
九段目で現れたルーツァンに、遂にシャーロックはこらえきれず声を掛けた。

「ルーツァン…………すまなかった。僕が、悪かった…………」

しかしルーツァンからの返事は返って来ず、亡霊のように目の前に漂うルーツァンは静かに首を横に振るだけだった。
十段目で現れたルイスは、あの爆発で跡形もなく爆ぜた筈だったが、今は昔の美しい姿で佇んでいる。

「……あの時はありがとう。私達を助けてくれたのですね」

ハーマジェスティーズ・シアターで最期にルイスが皆を崩落の危機にあった劇場から逃がしてくれた事への礼がまだ、できていなかった。けれどやはりルイスも何も答えず、黙って其処に佇んでいるだけだった。
ふと、足元の階段が、硬く冷たい人工物の質感に変わっていることに気が付いたシャーロックは、視線を落とした。九段目まで人の屍の生々しい柔らかさがあった十三階段は、十段目に来て急に、滑らかな板床の質感に変わっていた。たじろいだ足が、じゃり、と何かを踏む。
それは、粉々に割れたクリスタルガラスの欠片だった。虹色の宝石のような破片が、足元に散らばっていた。それだけではない。儚く砕け散った硝子に混ざって、点々とした紅い血と肉片が飛び散っている。
……これは、シャンデリアの破片だ。あの劇場の、シャンデリア…………。

そこまで気が付いた時、シャーロックの蒼褪めて生気をなくしていた顔から、叫び声が上がった。後悔と、怒りと、恐怖と、絶望が入り混じる絶叫が、長く鳴り渡った。
そこまで己が上ってきた死への階段を振り返れば、この足が踏み進んできた屍は、此処に至るまで自分が踏んできたステップは、全て、仲間達の屍だったのである。だから、ルイスのいた筈のこの段だけは、人の肉体では無かったのだ。
皆が消されるのを知っていた。こうなることは分かっていた。時流に抗えぬ殺人鬼が消えなくてはならないことを。この物語に希望など無かったことを。
階段を駆け下りて帰る道など無い。
罪人に帰る場所などもはや無い。
けれど、受けるべき裁きの死に至る道に、あと、誰の死体が残っているのかを知っている。誰を踏まなければならないのかを。

シャーロックは唇を噛み締めて、十一段目として横たわる、白く愛らしい顔をして眠るアルトの屍を見詰めた。その向こうには、ドールホーンが着ていた血塗れの修道服が見えた。政府と通じていたシャーロックが、かつての仲間を踏み台にしてきたと、責めているのか。揶揄しているのか。息が上がる。膝が震え、ガラスの破片だらけのその場に膝をつきそうになる。何も知らないくせに、群衆が野次を飛ばし罵声を浴びせて急かす。お前達に、何がわかるというのだ。シャーロックは固唾を飲み、目を閉じて、一思いに残りの三段を駆け上がった。爪先で瞬きの間に蹴るようにしても、ヒトを踏んだ感覚は生々しかった。機械を潰す音と共に十三段目を登り切って、断頭台の前に膝から崩れ落ちた時、シャーロックは其処に天使の姿を見た。
泥水を跳ねあげてコートの裾を浸し、涙にも雨にも濡れるがままになっていた顔を上げると、彼女は目の前にいた。

「…………アシュリー…………」

自分が少女に付けた名前を、二度目に呼んだ。嘗てミカエルと呼ばれていた、今は幾つもの愛された証たる名を持つ、殺戮の天使。その前に跪坐く姿勢で、シャーロックは彼女を見上げた。彼女が死なせてしまったことが、そも全ての始まりだった。皆が消される悲劇の始まりだった。何処からともなく、きらきら星の歌が聞こえる。ドールホーンの声だった。あの春の嵐の夜と同じ。自分も今宵ようやく星になるのだろうかと考えて、それから、あの日仮初めの息子に否定したのと同じように、きらきら光る星の夢を自ら拒絶した。自分は、星になって死んでいった皆に顔向けなどできない。

「……私のせいだ」

立ち上がり見下ろせば、自らが踏み越え歩んできた十三階段を振り返る。一番下の段にいる人影に、目を細めた。

「私にも、守りたいものがあったのです。……けれど、これでは」

これでは許されない。
閉ざす目蓋の裏に揺れる、幼子の面影を追った。振り返る黄金色の光を。霧の都には無い空の青さをした瞳を。
たった一人の家族となった、柔らかな光を持つ妻の姿に変わった。誰よりも愛らしい少女だった頃からあまり変わりない、幸せそうな笑顔を、春の陽だまりのような純真な眼差しを。
まるで賑やかな仲間達のようだった、店に集う荒くれ者達の姿が夢幻に蘇った。嘗て相棒として霧の都に血の雨を降らせた、誇り高き猟犬の娘の事を幻影の中に思った。まるで纏まりのない烏合の衆は恐怖の殺人鬼集団で、大切なゲストで、ばらばらの方向を向いていながら血よりも強い絆を本能的に感じる、同胞達だった。
皆が消えていく。

シャーロックは堪らずに、名前を呼んだ。

冷徹に刃物を滑らす、終焉の音が聞こえた。
銀の薄刃の光が、雨の中に幕を下ろす。


---


微睡みの淵から目を覚ましたのは、もう夕刻の事だった。誰もいない店の客席で、シャーロックはびくりと体を震わせて飛び起きた。時計の秒針が刻む音だけが静かな空間を満たしている。厭な目覚めに、シャーロックは両手で顔を覆い冷や汗を拭って深い溜息を吐いた。
このところもうずっとこの調子だった。彼がベッドで眠ることはほとんど無くなり、夜な夜な考え事をしたり出かけたりしながら起きていて、昼間の変な時間になって短い微睡みに堕ちる。決まって、悪い夢を見た。酔生夢死の生きる屍のような、全く生気の無い状態で日々を繰り重ねた。
そんな中でも、今日の寝覚めは最悪だった。

寝てしまう前にテーブルの上に出したままにしていた新聞記事がそのまま、嫌な記憶を掘り起こすように目に飛び込んでくる。
第九のターゲット、殺人鬼リリィの訃報が届いた。
ウエストミンスター寺院の墓地に、身元不明の死体が不法に埋葬されていたのを墓守が見つけ出し、調べたところ身元は町外れの裏路地で彫刻アトリエを営む男性、リシェルタ=リボレアルだと判明した。凶器は毒薬。不法埋葬・遺棄されてから遺体は六時間足らずで発見されて掘り起こされたらしい。
彼……否、彼女と面識があったシャーロックには、その彫刻家がリリィの事だと分からない筈は無かった。人に知られぬ埋葬性愛を持っていた彼女が最後に綺麗な死体のまま勝手に墓場に土葬されていたというのは、そして安らかに眠ることを許されずまた一度叩き起こされてそれから葬り直されるというのは、皮肉な話だった。

夕暮れを過ぎた逢魔ヶ刻の空は既に薄暗い。
シャーロックは漆黒のコートを手に、黙ったまま店の裏玄関から外へ出て行った。



---



日の入り果てた名残の空は、橙に紫に、燃え残りの火のような僅かな息吹を持て余していた。巣を恋う鴉共の鳴き声が、何重奏にも物悲しげにこだまする。倫敦塔に囲われた、翼を切られた鴉達。何を泣いたって、鳥は飛んでも星になんかなれないのに。辺りを潤していた小雨は軈て夜霧に変わり、辺りには生温かい濃霧が白く妖しく立ち込めた。
雨と血の匂いの立ち込めるこの街を、誰が『霧の都』と呼んだのか。それは余りにも、言い得て妙だった。

街に浸潤していく深い深い霧の中に、時計塔の鐘が響き渡る。前後不覚の雲の中のような世界で、霧の都中何処からでも聞こえてくるような、大時計の鐘の音。

黒いシルクハットに黒いコート、細く長い、まるで影そのもののような殺人鬼。シャーロックは、この街の霧に惑わされもせず、真っ直ぐにタワーブリッジの向こう岸、倫敦塔へと歩みを進めた。夢の中と同じ佇まいで、それは霧の中に在った。青白く聳え立つ、魔窟の処刑場。悪人であれば結界に触れるかのように嫌がりそうな正義≠フ独壇場。その門を、殺人鬼の彼は物ともせずに通り抜け、真っ直ぐに中へと歩みを進めた。

「……御無沙汰しておりました。霧の都もなかなか物騒になりましたが、如何しておいでかと。貴方様とどうしてもお話ししたく、押し掛けて申し訳ございません。ーーーー……カメリア卿」



>宛先無し(ソロール)



【このレスをもちまして、9thイベントの代わりとし、此処から10thイベントスタートとさせていただきます。ますます不穏になってきましたが……生き残りの住民の皆様、此処からもよろしくお願いいたします!】

27日前 No.213

エディ @d0ap ★iPad=qTOmkAVEvD

【エディ/某年6月22日/自宅→西洋料理店Wildcat】

時の流れは無情だ。あの日、天使の名を持つ彼女が逝ってしまってからもう幾日経っただろうか。あの晩、エディはとうとう彼女の願いを叶えることはなく、目の前で起こっている出来事を只々傍観することしか出来なかった。目まぐるしく変わっていく事態に理解が追い付かないまま、乾いた唇から漏れたのはーー言葉になり損ねた吐息だけだった。

あれから今日まで、何をして過ごしてきたか……否、何もせず只呼吸を繰り返すだけの日々を過ごしていた。通い詰めていた洋食店へ出掛ける事は疎か、そこそこ知名度のあるフレグランス専門店の入り口は閉ざされたまま、今日も開く様子は無い。自分はこれ程脆かっただろうか。殺人鬼として暗躍していても、所詮ただの人という事か……。己を嘲笑するかの様に唇が歪む。そんなエディが唯一身体を動かす時、それは最低限の生命活動と郵便受けへの小さな物音だった。
凭れ掛かるように座っていたソファーから気怠い身体を引きずって郵便受けへと手を伸ばすと、何通かの封筒と一緒に入る新聞へと真っ先に目を通した。あの日を境に、霧の都では殺人事件が度々起きる様になった。とある小説家が、洋菓子店のオーナーが。人気俳優からの招待状が届いた数日後、劇場での爆発事件はそれは大きな見出しとなっていた。居候の彼女に招待状を渡した時の様子が脳裏に浮かぶ。エディも気分転換に行こうと思い夜会服を新調したけれど、結局足を運ぶことはなかった。

一人、また一人……。表舞台から次々に姿を消す住人達の共通点を知るエディは、ミカエルの遺した『順番』という言葉の意味を否応無しに理解させられた。どんな順番かなんて考えたくはなかったが、死神は確実にエディへと歩を進めて来る。そんな時よく見知ったカウンセラーの名前を新聞で見つけ、背筋を嫌な汗が流れた。彼女にはとある取引先の仲介役を担ってもらっていたから。もしかしたら次は、次は……っ!

「冗談じゃない……!」

手の中でぐしゃりと紙の潰れる音と共に唸るような声が響いた。何故自分達がこんな事態に陥っているのか。このまま易々と最後を迎える訳にはいかない。先程まで仄暗い影を写していた瞳は、鋭く異様な目つきへと変貌した。



ーーー



立ち込める夜霧を一掃する様にコートを翻し、エディは足早に歩き慣れた道を進む。……一つの疑惑を胸に。


昨夜もこんな深い霧だった。あの記事を目にした日からじっとしていることはできず、今までの事件の記事を読み漁り、この事態の真相を黒幕を探っていた。そんな中で再び起きた殺人事件。凶器の欄を目にした時、ふと一人の男が頭に浮かんだ。けれどすぐに頭を振って否定する。そんな訳がない、と。安易な考えだと思ったが、そういえば……今までの自分達のターゲットは全て彼が政府から請け負ってきたものだということを思い出す。

「…………まさか、ね……」

彼に会わなければ。きっとただの勘違いだと、彼に会えばこの疑惑の念は払拭されるはず。そう思い足を向けた矢先、見覚えのあるシルクハットが深い霧の中へと向かって行くのが見えた。方角は倫敦塔。歴史深い宮殿にして罪深い処刑場。その意味を思い出し、気が付けば倫敦塔の門の影に身を忍ばせていた。深い夜霧が丁度よくエディの姿を闇に隠す。有り得ない、と頭で否定はしていても、身体がこの場から動かない。大丈夫、見間違えただけだ……。

「…………っ!!」

けれど思いも虚しく、打ち砕かれた。倫敦塔の門から現れたのは紛れも無いシャーロックの姿。何故……此処に。国家の深い闇を担うこの塔に。やはり、お前がっ……!


肥大した疑惑を胸に慣れた足取りで扉へと進み手を掛ける。開かれた扉の先には空席の目立つ店内と店主であるシャーロックの姿が其処にあった。重い足取りと神妙な面持ちでシャーロックへ目線を向けることなくカウンターの席へと着く。

「…………貴方に、聞きたいことがあってきたの」

数分の無言の後、徐ろに口を開くと俯き加減のまま、まるで嵐の前の静けさを思わせる様な声色で切り出した。

>シャーロック

【10thイベント開始おめでとうございます!早速シャーロックさんへ不穏な内容ですが、暫しお付き合いよろしくお願い致します】

24日前 No.214

シャーロック @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【シャーロック/某年6月22日/西洋料理店Wildcat】


Wash your hands before meals.=[ー食事の前には手を洗いましょうね!

白磁の洗面台と鏡の隣には、ポップな漫画調のポスター。「雨に濡れた体を拭いてください」「煙草は消してください」「武器は置いてください」「手を綺麗に洗ってください」……相手は泣く子も黙る霧の都の殺人鬼集団だというのに。嫌気がさすほどの子供扱いと遊び心は、もう誰にも鬱陶しがられることもないのだろう。西洋料理店Wildcatはあの春雷の鳴く夜からずっと閉店し続けたままだった。仲間の誰かが来店したいと要望すれば臨時的に開けることはあったが、もう昔のように皆が集まって酒を片手によるを明かすことは無くなった。
この長い廊下も、あの凶事の晩に、蛍光色の血に塗れたミカエルと呼ばれていた少女と、その事件のことであらぬ疑いをかけられたミリヤムが駆け込んできて以来、良い報せを運ぶ事は殆どなくなっていた。あの子もミリヤムも、今はもういない。一度だけ、人気俳優ルイスの舞台公演の宵には父母子と虚妄の家族のような出で立ちの三人が表情を明るくして出かけて行った事があったが、そのルイスもその晩帰らぬ人となった。玄関先に行き倒れていたルーツァンの凄惨な亡骸をシャーロックが抱えて歩き、血だらけに汚れたスワンが途方にくれて通り抜けた。店から殺人鬼達の足が遠のき、死の直前までジャックを連れ出してくれていたミリヤムが消えてから後はいよいよ遊んでくれる大人達が居なくなってジャックは寂しそうにしていた。
西洋料理店Woldcatに嘗ての騒々しいまでの輝きはなくなっていた。

洗面台の向こうの重厚な扉を開けばそこには、古めかしいバーカウンターと幾つものダイニングテーブル、落とした照明の赤茶けた光、ずらりと並ぶ酒瓶、壁に掛けられた絵画……そして、新着更新されることのなくなった殺人依頼ボード。 エディを迎え入れた店の内装、何もかもが昔と変わらないそのままの姿を保っている。あれから、僅か三ヶ月ばかりしか、経っていないのだ。此処が嘗て、殺人鬼達が依頼を取る窓口や、彼等が公にできない取引をする現場になっていた。世間からは恐れられ排他されるべき悪……人殺しの有象無象が、政府に飼われることで居場所を得て、慎ましい狼のような群れを作り、恐ろしい者達なりに生を謳歌してきた。あまり美味くもない飯を食らい、酒を交わし、時に笑い、時に啀み合い、時に共闘し、時に互いの殺人(しごと)ぶりを称え合いながら。
今は、古びた西洋料理店は空っぽの箱だけを残して、セピア色の空蝉のようにそこに横たわっていた。


店主シャーロックが、カウンターのさらに奥にある厨房から顔を出した。

「おや、珍しいですね、いらっしゃい」

以前と何ら、変わらない様子で。

波打つ緑髪は此処のぼやけた照明下ではほとんど黒に見える。いつものように後ろで一つにまとめ、表向きの仕事用のエプロンを身に付けながら。エディの久しぶりの来店に嬉しそうに笑った。まさか昨日の自分の行動を見られていたとはつゆ知らず、能天気に笑った。
ーーいいや、違う。いつも通りなどではない。
シャーロックは努めて以前と変わらない様子を演じて見せてみたが、どうしたって無理はあった。以前と同じであればどんなにか良かっただろう。人の出入りした気配が全く無い店内、火の気の途絶えて久しい厨房、隠しきれぬほどの翳りを帯びたシャーロックの表情。店内の定位置にいつも居たジャックの姿は無く、シャーロックが笑顔で迎えてもエディとは目も合わない。

「……いらっしゃい、エディ。久しぶりですね。残念ながらもうお料理は作って差し上げられないのですが…………何か飲んでいきませんか? お酒…………」

しかし返事はおろか相槌すらも帰っては来ず、シャーロックは言葉を切って困ったように眉尻を下げた。
「エディ……」
カウンターのいつもの席に座るエディは、もう懐かしい風景の一部だった。けれど決定的に違うのは、エディが酷く思いつめた表情でじっと俯きカウンターのテーブルばかり見つめている事だ。

深刻な表情で黙ったままのエディといつまでもそうしているわけにもいかず、けれどどうして良いかもわからず、シャーロックは背後にある酒瓶の中からウォッカを手に取った。背の高いウォッカの瓶は透き通る氷のように美しく、其処から小さな小さな一杯を計り取る。氷で満たした銅製のマグカップにライムを絞り、ピキリと小さな皹がささめくのを聞くと、ウォッカを入れてステアし、ジンジャービアで満たす。硬い氷の溶け始める音が其処彼処で輪唱を始めれば、金属性のカップの表面は霜がつきそうなほど爽やかに冷えた。誰もが知る人気のカクテルは、憂鬱な雨の日にも気分を晴れやかにするとよく注文されていた。
けれどコースターに乗せたモスコミュールをそっと差し出して見てもこの沈黙に効果は無かった。きんきんに冷えていたカップは次第に露を結び、山猫のシルエットが描かれた店のコースターはしっとりと哀しく湿っていくのだった。

二人の間に、店内に、気まずい沈黙が降りて、一体何分経った事だろう。途方に暮れたシャーロックが溜息をつくのと殆ど同時で、エディが沈んだ声でようやく切り出した。
聞きたいことがあってきたのだ、と。

シャーロックはゆっくりと瞬きをし、今度は本当に深い溜息を吐いた。その表情、このタイミング、あの嫌な沈黙、責めるような視線……聞きたい事は其処からなんとなく推測できた。きたか、そう思わざるを得なかった。
店主はカウンターについていた両手から片方だけを離し、真正面に捉えていた客人から視線を横向きに逸らした。
エディの唇がゆっくりと形を変え、胸の内に閉じ込めていた疑念を吐露するのと殆ど同時に、もう彼は答えた。

「みんないなくなってしまった」

顔を横に背けたまま、シャーロックは続けた。

「死んだんだよ。あの晩のあと、ドールホーンが死んで、アルトが死んで、ルイスが死んで、ルーツァンもミリヤムも死んだ。白雨も死んだ。シチダンカも死んだ。昨日、リリィが死んだ」

それは酷く淡々とした、感情が無いかのような無機質な言い方だった。まるで酒のオーダーでも繰り返すかのように、冷徹な機械のように諳んじたのは犠牲になった仲間達の名を連ねた死者のリスト。何も思っていないのではない、けれどそれを他人の前に表す術も、そのつもりも無かった。

>エディさん

23日前 No.215

エディ @d0ap ★iPad=qTOmkAVEvD

【エディ/某年6月22日/西洋料理店Wildcat→フレグランス専門店Sweetie・自室】

閑散とした店内のカウンターの奥からいつもの様にシャーロックが顔を出す。いつもの様に声を掛け、いつもの様に自慢のカクテルがカウンターに置かれた。いつもと違うのは……エディだけだった。抱えた疑念は彼と話をすれば払拭されると思った。けれど返ってきた言葉と、淡々とした無機質なその物言いに沸き起こる怒りと共に疑念の炎は瞬時にして燃え上がる。気が付けば、冷えたグラスはシャーロックへと投げ出されていた。

「よくもそんな……っ!大体こんな事態になったのだってお前のせいじゃないのか?!突然次々とみんな狙って消されていくなんて、可笑しいだろ!!シャーロック、お前政府と繋がってるんだろ?じゃなきゃ昨夜、倫敦塔に、あんな国絡みの処刑場に出入りなんかしないよなぁ!!」

吐き出されていく言葉達は取り戻せない。冷静さなどそこにあるわけも無く、感情のまま勢いよくカウンターへと掌を打ちつけながらシャーロックを射抜く様な眼差しで睨み付けると、荒々しく罵声を浴びせた。見開かれたギラギラと異様な光を放つ瞳がこの時初めて翳りを帯びた彼の表情を捉えたが、感情も発せられる言葉ももう止まる事は無かった。

「冗談じゃない……っ!誰にも俺を殺させやしない……最期まで、俺は俺のものだ!!」

激情に呑まれた思考が働くわけもなく、普段なら決して見せることのない表情や口調で一方的にシャーロックを責め立てると、そのまま勢いよく扉を開けると叩きつける様にして店を後にした。


そこからの記憶は酷く朧げだった。足が地につかず、脳が痺れた様な感覚に陥りながらも気が付けば自室のソファーでウィスキーの瓶に口をつけていた。足下に散らばる新聞紙が身動きする度に音を立てる。目線を落とせばそのどれにも書かれている殺人鬼達の末路。いずれこの中に自分も……。死を待つというのはこんなにも心を削られていく事なのか、と乾いた笑いが溢れた。ふと、シャーロックに言い放った言葉が頭を過る。誰かに期限を決められるくらいなら、いっそのこと……。それはとても名案のように思えた。だってそれは最期の一瞬まで『エディ』として生きるという事だから。

自室にある二つの水槽の蓋を開け両手を伸ばす。エディの仕事道具にして愛する相棒達は伸ばされた手や腕へとその身体を這わせる。それは飼い主の意図を知ってか、首や顔を狙って。愛しい相棒達をその身に纏いながらエディが引き出しから取り出したのはダガーナイフ。ゆったりとした動作でソファーへ戻ると既に口元にまで及んでいたレイチェルを片手で包みながら引き寄せるとその粘液で覆われた身体へ躊躇いもなく唇を寄せた。

「最期まで……俺は、俺のものだ……」

ソファーに身体を沈めたまま空を見つめ譫言の様に呟くと、その瞬間首を狙って鎌首を擡げたエリザベスが噛み付いた。毒牙の痛みに顔を歪めつつダガーナイフを振りかざすと、躊躇なくエリザベスごと自身を貫いた。途端、鋭い痛みと喉の奥から溢れ出した生暖かい血液がごぽっと零れ落ちる。

「っ……は、っ…………は、ぁっ……!」

鼓動が酷く早くなり訪れる毒の苦しみにもがき、堪らず胸や喉を掻き毟る。もがくうちに身体はソファーからずり落ちてしまい、散らばる新聞紙を赤く染め上げた。荒く引き攣るような呼吸に、全身が痙攣を起こしているかの様に震えた。次第に末端から冷えていくのが分かる。手放しそうになる意識の中、閉ざしていた過去の扉が開く音が聞こえた。




母は物心つく頃には既にいなかった。
父は先代から続く男爵家の当主だったが、見栄っ張りで横暴で傲慢な人だった。
僕の事を母代わりにみてくれたのは年の離れた三人の姉だった。跡取りとして父に厳しく接せられる僕を見て、姉達はよく慰めてくれた。二言目には「お父様は貴方が産まれてくれてとても嬉しいのよ」と、どこか寂しそうに微笑みながら。けれど僕にはそんな風に思えなかった。少しでも父の気に障れば、それが理不尽なことだったとしても怒号と共にとても厳しい折檻がまっていたから。屋敷の地下に造られた牢に押し込まれ、それは身体の目立たない所に深く幾重にも刻み込まれた。そこに愛情は感じられず折檻後、父は決まって「お前は跡取りなんだからな!!」と言うのが口癖だった。
成長するにつれて父の監視と関心は益々僕に向けられた。父にとって姉達は政略結婚の道具でしかなく、関心を持つ対象ではなかったから。徹底された教育、自由のない生活、増え続ける身体の傷。それでも父の期待に応えようと努力を重ねたけれど、父が満足することはなかった。
姉達は適齢期になると社交場に綺麗に着飾って行き、やがて父の望む相手と結婚した。けれどそれ以外に制約はなく、僕には許されない自由を彼女達は持っていた。一人、また一人と結婚して屋敷を出て行く姉達が、僕には鳥籠から飛び出していく鳥に見えた。それがとても羨ましくて……妬ましかった。最後に残っていた姉が屋敷を出る日「お父様をよろしくね」と僕に告げた。それは僕にとって絶望でしかなかった。僕が男で跡取りだから逃れられないの?姉達は女だから僕より自由なの?僕はずっと跡取りとして此処にいるの?……男じゃなくなったら、跡取りじゃなくなる?

誰もいなくなった姉達の部屋に転がる口紅を見つけた。忘れ物の様だったけれど、それが僕にはとても魅力的に見えた。思い出される姉達の姿。確かこうやって……。記憶の中の姉達を思い出して唇にのせたそれは、綺麗な赤色をしていた。
それから時々口紅を塗っては鏡の中の自分を見つめることが増えた。この時間だけは父が望まない『僕』という存在を確かに感じることができた。父に対してのささやかな抵抗。けれど、それも長くは続かなかった。

記憶に残っているのは、激しい罵倒。強い衝撃に崩れ落ちる身体に、それでも繰り返される暴力。抉られる傷の痛みに止め処なく上がる呻き声。結局、父にとって僕はただの駒にすぎなかった。ーーこの日、張りつめられていた糸が切れる音がした。

父が望む僕になれなかった。父が望まない僕はいらないでしょう?
赤い口紅を塗って、僕からアタシになるの。誰のものでもない自分の為に。初めて持った拳銃は猟銃と違って軽かった。パンッと軽やかな音と共にアタシはやっと解放された。炎に包まれる屋敷を背に、自由を取り戻した喜びに震えた。




今、震えているのは死の苦しみから。けれど不本意に殺されるわけじゃない。自分の意思で最期を迎える。全ては自分の為。だから何も後悔なんてしていない。

呼吸が意識と共に遠くなり、軈て何も発しない骸へと成り果てた。
最後に香るのは紫薔薇とハーブ。無数の香水瓶が並ぶ中、何故かこの二つだけ蓋が開けられていた。

>〆

【大変大変お待たせしてしまい申し訳ありません。これにてエディの最終レスとなります。エディと素敵な関係、絡み、協力を頂いた皆様へ感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。最後に、エディの自室及びお店の入り口はうっかり空いておりますので、どなたかエディの発見者になって頂けたら幸いです。本当に最後までありがとうございました。】

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