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大正浪漫心中

 ( オリジナルなりきり )
- アクセス(5273) - ●メイン記事(153) / サブ記事 (203) - いいね!(19)

大正/恋愛/心中/仄暗 @sweetcatsx☆e0aRNqDUyEM ★iPhone=VHGaT7ZbKj


 ねえかみさま、この想いは許されますか?


 ***

 街に響く鐘の音。並木通りを歩きながら辺りを見渡す。右を向けば装飾豪華な洋館が立ち並び、左を向けば長屋や古い一軒家が肩を寄せ合うように建っている。この並木通りが、まるで境界線のようだ。あちらとこちらでは、まるで世界が違う、僕はただそう感じていた。

 これからも、ずっとこの街は二つに別れたままなのだろう。混じり合うこともなく、寄り添い合うこともない。住む世界が違うのだから。


 ***

 街に響く鐘の音。窓から見える風景を眺めながら息を吐く。此処はまるで牢獄だ。全てが決められた線路の上をただ歩かされているだけ。自分の意思なんてものは一切存在を許されない。窓の外、あの並木通りの向こう側は私の知らない風景が広がっているのだろうか。

 逃げることも出来ず、私は永遠に此処にいるのだろう。ただ無意味に、息を吐くように当たり前に。そこに希望も絶望も存在しない。ただそれだけなのだ。


 ***

「ようこそいらっしゃいました、貴方の安寧の地になれますことを神に祈っておりますわ」


 繋がる二つの世界、混ざり合うことの許されない二つの世界の末路はどのようなものなのだろうか。



 許されなくてもいい、それでも僕達はこの想いから逃れることなんか、できないのだから。




(閲覧ありがとうございます! 兎にも角にもサブ記事へどうぞ!)

1年前 No.0
メモ2018/01/08 20:22 : 最終章開始☆e0aRNqDUyEM @sweetcatsx★iPhone-VHGaT7ZbKj

概要 → http://mb2.jp/_subnro/15629.html-1,2#a

イベントお知らせ → http://mb2.jp/_subnro/15629.html-177,189#RES


→→→→ イベント

第一章【 其れは始まりの鐘の音 】>>1-42

第ニ章【 音を立て廻り始める歯車 】>>43-96

第三章【 交わる事は許されない】 >>97-109

最終章【 交わる世界の終焉 】>>110


【 登場人物 】

 富裕層 →

* 貴族の令嬢 → 月ノ瀬鳴(絡操さん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-68#a

* 皇族の三女 → 賢宮澪子内親王(夕邑三日月さん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-75#a

* 軍人 → 礒山醍醐(七角羊さん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-79#a

* 旅館の娘 → 朧塔子(真白蝶々さん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-85#a

* 婦人 → 荻原日和(神崎りりかさん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-154#a


 貧困層 

* 書生 → 水原祐太郎(日向月。さん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-37#a

* 没落貴族 → 篠宮暁千賀(ぽんぽこさん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-51#a

* 探偵 → 神無颯一郎(芙愛さん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-25#a

* 衣笠十朱(ししくれさん)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-70#a

* シスター・ホワイト(すれぬし)http://mb2.jp/_subnro/15629.html-4#RES

切替: メイン記事(153) サブ記事 (203) ページ: 1 2 3


 
 

日向月。 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=c6uNxXkWWm



【 水原祐太郎 / 聖ホワイト教会 】


 祐太郎はふと思った。世界にはどれほど沢山の神が存在しているのだろうか、と。この土地にある聖ホワイト教会で信ずる神と、自分たちのような庶民が信ずる神とでは何か違いがあるのかもしれない。そんなことを思った祐太郎は桜路図書館で借りてきたさまざまな宗教に纏わる本を返却しようとしていたが、生憎の雨では何だか気持ちが前に進まない。やらなければならないことだが今行くべきか迷っていた最中、ふと思い立って、数ヶ月前にも訪れたあの場所に向かうことに決めた祐太郎はすぐさま踵を返した。
 その時に返却予定の本と一緒に右手に収めていたのは小さな手帳だった。紐で閉じられた背表紙と、使い込まれたあとがよく分かるそれの間に挟まれているのはあの日の栞だ。雪の降り積もる日に桜路図書館であった出来事に祐太郎の心は揺れ動いていた。普段は平常を装い、お世話になっている一家の手伝いをしながら毎日欠かさずに勉学に励んだが、気が付くとこの和紙の栞を手にしてしまう日々を持て余してしまう。これは、自分には見合わない高価なもので、本来ならば貴重なものとして家の中で祐太郎が管理している棚へ、大事に仕舞っておくべきものなのであろうが敢えてそれをせずにいるのは簡単に手放してしまうのが惜しいと思われたからかもしれない。大事なものだからこそ、傍に置いておかないと心配でならないものだから自分の目に付きやすい手帳の間におさめて肌身離さず持ち歩くことにしたのだった。


 歩みを進めるとすぐにその場所は姿を現した。真っ白な外観と、その中に佇む真っ白な修道女が居る、其処は聖ホワイト教会。入り口に近付くと片手に携えた本や手帳を濡らさないように気をつけながら、器用に傘を閉じる動作をする。そして中に入ると目の前一杯に広がる白さに改めて驚きの表情を見せた。いつ見ても見慣れないし、いつ訪れても来なれない此処は雨宿りとしては何だか相応しくない場所のような気もしたが、この天気では傘を持っていても着物が濡れてしまうかもしれない。手持ちの本も、大事なものが挟まっている手帳も、濡れてしまってはいけないから少しの間だけ此処に居させて下さい、と心の中で神に祈りを捧げた後に建物の中へと足を踏み入れた。
 すると、建物へ入ってすぐの所に人影を見つけた。その髪も衣服も濡れてしまっているところを見ると、この雨の中で傘もささずに此処へ来たようだった。またもや驚いてしまった祐太郎だったが気になってしまったからには仕方がないと腹を括り、でもおずおずと、心配そうに声をかけた。


「……あの、そこの方。そんなに濡れてしまって、大丈夫ですか?」



>>暁千賀さん、周囲の貧困層おーる



【雨に濡れる暁千賀さんも素敵だろうなあと思ったら黙っていられなくて絡んでしまいました……めちゃくちゃかっこいい……!
 もし良かったらお相手よろしくお願いします】

10ヶ月前 No.101

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

【 萩原日和 / 桜路通り → 自宅(陽花町)と官庁 → 聖ホワイト教会 】

 曇天からしんしんと雪が降り注ぐ。
 探偵と視線がぶつかった瞬間、日和は時が止まったような感覚に陥った。ほんの僅かな対峙が永遠にして二人を周囲から隔絶していく。先に脱したのは神無のほうで、まるで何かから逃げるように身を翻すと乱雑に日和の視線を振り切った。
「なによ、あの態度」
 女の溢した言葉は白息に包まれ鉛の空へと消えていく。再会の挨拶を期待したのも束の間、自分が醜い吐き台詞を残していたことを思い出して急に恥ずかしくなった。数日前に起こった官庁での窃盗事件。あれが後味の悪いものであることに変わりはなかったが、大人気なかったのは確かに公衆の面前で怒鳴り散らした自分だった。

 羅卒が駆けつけ、事件が収束し始めたあとも日和は無意識のうちに神無の背中を追っていた。彼は事件に首を突っ込むわけでも被害者に近づくわけでもなく、野次馬たちの周りを行ったり来たりするばかりであきらかに不自然だった。その顔はどこか焦っているようだったが、同時にひどく疲弊しているようにも見える。男はどこか一点を見つめたまま忙しなく動いていた。
(あんな冷徹人間が何をしようと関係ないじゃない。放っておけばいいのよ、あんな人)
 そう心の中で連呼するもののその目はしっかりと探偵に照準を定めて彼を決して逃そうとしない。彼女の意見に反し、両足は取り憑かれたように神無のあとを追っていた。彼が造船会社と西洋料理店の間へ消えていくのを確認すると、日和は迂回するようにして路地裏を駆けていく。日和は自分が何をしているのかまるで分からなかった。探偵を追った先に何があるわけでもないのに、彼女の足は決して止まろうとしない。何かに引っ張られるようにして日和は帰路から大きく外れた道を向かっていった。

ドンッ

 唐突にして右肩に強い衝撃が走る。
 視線を上げるとあきらかに狼狽した男がこちらに目を呉れることもなく、背後ばかりを気にして日和の脇を通り抜けようとしていた。
 気色ばんだ日和が咄嗟に彼の腕を掴み、
「ちょっと、レディにぶつかっておいてごめんなさいの一言もないなんて失礼じゃない」
 と、叱責すると、男はビクリと身体を震わせ「う、うるさい。今はそれどころじゃないんだ」と早口で言い捨てた。しかしその視線が日和に向かれることはなく、ずっと後方を見つめている。不審に思った日和は掴んでいた腕を強引に引き寄せ、顰めた眉を男の顔に近づけた。よく見ると冬の寒い日であるのにも関わらず、男の額からは大量の汗が噴き出していた。
「……あなた、ひどい顔よ。どうかなさったの」
 そう尋ねた日和の胸の内で、第六感が激しく警鐘を鳴らしていた。この男と関わってはいけないという、えもしれぬ恐怖感が身体を支配する。次第に高鳴る鼓動を押さえつけようと、日和は深く息を吸ったまま男の顔を凝視した。
「いいから早く放せって」
 男は相も変わらず後ろばかりを気にしてこちらのことなど気にも留めていない様子だった。すぐにでもここから立ち去りたいのか、貧乏揺すりをして齷齪している。しかし日和は決して掴んだ腕を放そうとはしなかった。恐怖はあったが、不審に思えてならない男を放つことを正義感が許さなかった。
「……何かに追われているようならそちらにいる警察に伺うとよろしいわ。どうやら先程強盗があったそうで……」
 日和が静かに提案すると、そこで男は初めて女を初めて目視した。けいさつ。女のその言葉に過剰に反応した男は彼女の次の言葉を待たずして腕を強く振りほどいた。「くそう。お前、あいつの仲間だったのか!」血相を変えた男は狂瀾怒濤に喚き散らしながら走り去っていく。男が強盗の犯人であることを認識するのにそう時間はかからなかった。慌てた日和はそのまま男を追い、路地裏を抜けた人通りの多い道へ出た瞬間、大声を振り絞り周りに助けを乞いた。

 そこからは早かった。警察の快進撃により犯人は為す術なくして取り押さえられ、日和は羅卒に感謝されていた。いつのまにか事件にどっぷり首を突っ込む羽目になっていたものの、彼女の頭の中は私立探偵のことで埋め尽くされ、いつまで経っても姿を現さない彼に疑問を抱いていた。辺りをどれだけ見回しても、やはりあのインチキくさい袴姿は見当たらない。彼ほど目立ちたがり屋で頭の切れる男が事件を放っておくはずがなかった。何より犯人が発した「あいつ」という言葉。あれは神無のことを指していたのではないだろうか。
 日和は羅卒たちに軽く挨拶したあと、来た道を戻って神無が消えていった造船会社と西洋料理店の隙間を覗き込んだ。
 ーー確か、ここで彼を見失ったのよね。
 道とも呼べない薄暗い通りには埃や蜘蛛の巣が張り付き彼女の行く気を削ごうとしている。しかし地面にはくっきりと二つの大きな足跡が残っており、彼が通ったのは間違いなさそうだった。
 日和は大きく息を吸い、意を決して足を前へ差し出した。一歩、二歩と慎重に足を進めていく。なぜ彼を追うのか、なぜ彼を気にかけているのか。答えの出ない自問は変わらず頭の中を渦巻いていた。
 すると暗く深い路地裏をのなかで何か黒い物体が視界に写り込んだ。よく見ると神無が苦しそうに顔を歪めながら蹲っているではないか。
「もし、もし! 返事をしてちょうだい!」
 慌てて駆け寄り声をかけるも何ら反応がない。日和は咄嗟に耳を男の胸に当て、弱々しくも鳴る心音にホッと胸を撫で下ろす。しかしそんな安堵も束の間、彼が突然に激しく咳き込んだ。痰ともに吐き出された血が周囲の雪を朱色に染めあげていく。
 どうしよう。どうしよう。焦る心を抑えている間も神無は時折、何か譫言のようなものを呻いている。自分一人ではどうしようもできないと判断した日和は桜路通りへ戻り、偶然にもそこに居合わせた同僚である佐久間の力を借りて彼を路地裏から連れ出した。「こいつ、この前の私立探偵だよな」佐久間が問う。「そうよ」日和が答えると佐久間は「何から何まで迷惑な奴だな」と皮肉を込めて笑った。そうだ。確かに彼の言う通りであったが、釈然としない何かが日和の中で渦巻いていた。
 貧困層の男の身元なんて知る由もなく、結局日和は神無を自宅に連れて行くことにした。


* * *


 医師が言うに、神無は結核を患わせていた。それも末期症状らしく、有効な治療法も見つかっていない今はどうすることもできないらしい。
「あと」一つの和室で日和が恐る恐る尋ねる。「どのくらいでしょうか」
「長くはないと思います」医師が神妙な面持ちで答える。「もって一ヶ月、でしょうか」
「そうですか」
「私であればサナトリウムを勧めますが」
「そんな大きい金、私(わたくし)にはとても……」
「分かりました。まあ出来る限りの事はさせていただきます」
 手のうちようがないことを密かに暗示した医師の宣告。その余韻に浸る暇もないまま、彼を門の戸まで送り出すと同時にそれまで傍観していた母親の強烈な平手打ちが日和を襲った。その衝撃に耐えきれず、日和はその場に倒れこんでしまう。
「この恥さらしが」
 母親が恨めしそうに娘を睨みつけたまま叱責する。
「一家の責務を放棄するに飽き足らず、どこの馬の骨とも知れない溝鼠を拾ってくるなんて正気の沙汰とは思えません」
「違いますお母様。彼とは仕事で縁があっただけで、それ以上でもそれ以下でもありません」
「さあ、どうでしょうか」
 あなたの言うことなど信用できません、とでも言いたげな様子で母親は続ける。
「……とにかくあの死に損ないを早くお捨てなさい。あんな殿方の面倒を見る余裕なんて我が家にはありません。それに結核がうつりでもしたらどうするのです」
「治療費は私のお給料から払います。私の部屋からも出しません。ですからせめてあと数日だけここに置かせてください」
 懇願するように、額を地面に擦りつけたまま頭を上げようとしない日和を見てとうとう観念したのか、母親はわざとらしい溜め息をついてその場をあとにした。「お父様にはあなたから伝えなさい」引き戸を隔てた彼女の声からは落胆と失望の色が見えた。
 数週間が経った。師走も残り僅かとなり、凍てつく風が木立を氷花に変えていく。
 あれから神無の意識は一度たりとも戻らない。しかし日和は両親の反対を押し切り、彼の看病を続けていた。暇さえあれば月花町へ赴き、神無の親族を探しまわった。彼が営んでいたであろう「かみかぜ探偵社」を見つけることはできたものの、そこは既にもぬけの殻で彼を引き取る者は誰一人として見つからなかった。
 ーー私は一体、何をやっているのだろう。
 何日も抱え込んだ自問を未だに解けずにいた日和は悶々としながら日夜を過ごしていた。官庁に出勤すれば日頃の疲労が溜まり集中を欠いて失敗する。帰宅すれば父親が毎晩のように「あの出来損ないは何をやっている」「日和の非行はお前の教育がなってないからだ」と母親を怒鳴りつけているのを目の当たりにする。全てが明らかに悪い方向に向かっていた。しかし日和はどうすればいいのかわからなからず、ただ耐えることしかできなかった。
(全部あなたの所為よ)
 床に伏せた男を上から見下ろし、日和は語りかける。
(何も知りもしないで呑気に寝ちゃって)
 もちろん神無は答えない。肩で息を続けながら時折苦痛の表情を浮かべる男がどのような夢を見ているかなど、日和が知るわけもなかった。

「萩原くん」

 十二月二十九日。その日は篠突くような雨が地面を激しく打ちつけていた。
 いつものように官庁の電話交換台に向かって腰掛けていると、唐突にして上司の八代に呼び出された。日和に心当たりはなかったが、彼の深刻な面持ちを前に何も言い出すことができず、黙って男の後をついていった。長い廊下を抜け、会議室まで向かう道のりのなかで二人が言葉を発することはなかった。
「なんだこれは」
 扉を閉めた瞬間、男の静かな怒号が辺りを包みこんだ。差し出された一枚の紙には官庁の今月の経費が事細かに書かれている。よく見ると、一度だけ数千円という大金が下ろされていた。
「お前がやったのは分かっているんだ」
 八代は激しい剣幕で日和に詰め寄った。どうやら彼女が経費を流用し、虚偽の申告したのではないかと疑っているらしい。彼女の不正使用を告発した者が官庁内で現れたのだという。
「知りません。私ではありません」
 必死に弁解するも八代の心が揺るぐことはなく、ふつふつと煮えたぎった腹の中を抑えることがやっとのようで、二、三と荒々しい呼吸を繰り返すと八代は日和の腕を力任せに掴んだ。「きゃっ」あまりの痛みに日和は思わず悲鳴をあげる。
「お前といい貴美子といい、どうしてこう女は厄介事を持ち込むんだ」
「どうか話を聞いてください。私ではないのです」
「腹立たしい。また探偵でも雇えと申すのか。こんな忙しい時期に、お前の茶番に付き合っている暇はないんだ」
 そう言って彼女を突き放すと「今すぐ荷物をまとめて出て行け。二度とここに顔を出すな」と吐き捨て、八代は会議室から出て行った。あまりに唐突の出来事だった。ほんの僅か数分で、日和の将来は閉ざされてしまったのだ。
 拳を握りしめ、唇を強く噛む。あまりの理不尽さに日和は怒りさえ覚えていた。
 もう一度だけでも八代に話を聞いてもらおうと会議室を飛び出すと、突然、背後から肩を叩かれた。同僚の佐久間だった。
「この前の借りは返してもらったぜ」
 唐突に切り出される。
「え?」
「近いうちにお前のところに請求がくると思うけど、よろしく」
 そこまで言われて日和は初めて理解した。八代と佐久間が内通していたのだということを。二人が経費横領の罪を作為的に私に被せたのだということを。親指と人指し指で円を描きながら、ニヒルに笑う佐久間の顔を引っ叩こうと腕を振り上げて、寸前のところでとどまった。そんなことをしても意味がないということは、先日私立探偵を打って思い知っていた。
 外に出ると、相変わらずの雨が怒号と化して降り注いでいた。淀んだ灰色の雲が空を覆い、まるで日和の虚ろな心を写しているかのようだった。
(そういえば最後に太陽を拝んだのはいつだったかしら)
 傘を差す気にもなれず、日和は雨に打たれながら帰路に着いた。雨水が侵食し、持っていた鞄もみるみるうちに濡れていく。きっと仕事の書類も何もかもがずぶ濡れになっているのだろう。しかし最早そんなことなどどうでもよかった。もう二度とこの鞄を開けることもないだろうから。
 雨粒に視界を遮られ、重い足取りのまま辿り着いたのは我が家ではなく、以前誘いを断ったあの聖ホワイト教会だった。
 ーーなんでこんなところに来てしまったのかしら。神なんて信じたこともないのに。
 見上げれば憎いほどに純白な十字架がこちらを悠然と見下ろしていた。日和は力なく跪く。もう起き上がる気力など残っていなかった。
 ーー今更どの面を下げて家に帰ればいいのかしら。
 親に頼れば数千円などどうにかなるかもしれないが、口が裂けても願いを乞うことはできない。思えば家業を継がなかった時点で自分は間違っていたのかもしれなかった。男性社会で働く者から一転して借金に囚われ落ちぶれた哀れな女を、果たしてこの十字架はどう見ているのだろうか。
 ーー嗚呼。私は本当に、とんだ親不孝者だわ。
 溢れ出る涙は止まらない。打ちつける雨粒と共に頬を伝い、雫は地面へと流れ落ちていった。

(心の中で神無に縋っている自分に気付かないままに)


【返信が遅くなったうえに馬鹿みたいに長くなってしまい申し訳ありません……! 日和のレスはソロールでお願いします!大量にモブキャラを使用したのでサブ記事にて補足説明させていただきます】

※警告に同意して書きこまれました (出会い)
10ヶ月前 No.102

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

【 浅茅司 / 聖ホワイト教会 】

 十二月二十九日。
 今年ももう残り僅かとなった頃、浅茅は傘を片手に聖ホワイト教会を訪れていた。
 主日でないためか礼拝している者もおらず、荘厳な聖堂は孤高に、そして静かに聳え立っていた。月の光に照らされた雨は純白な聖槍と化して地に突き刺さっていく。まるで全くの次元を異した別世界のように、ここだけが神聖さをもたらしていた。
 浅茅が聖ホワイト教会を訪れたのは霜月の懇親会以来だった。あれから仕事がごたついていたせいで礼拝を怠っていたがーーもっとも、浅茅自身の背徳感が教会に足を運ぶのを拒んでいた、と言ったほうが正しいのかもしれないがーー百合子が好きだと言ったこの場所を、再びこの目に写しておきたかったのだ。

「たまに、行きます。教会に。信じているかみさまはいないんですけど、……たまに。たまに足が向かうんです」

 ふと浅茅は百合子の言葉を思い出す。
 ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐように語る彼女の顔は確かに憂いを帯びていた。まるで希望を全て捨て去ってしまったかのような、暗く深い瞳。茶房に従事することは、もしかすると彼女の望む将来ではなかったのかもしれなかった。
 ーー何か、俺に出来ることはないだろうか。
 浅茅は純白の十字架に向かって自問した。彼女は食べるため、そして生きるために全てを犠牲にしていた。生まれの出が貧しい、ただそれだけで彼女は夢を諦めることを強いられていた。どうにかしてやりたかった。初めて愛おしいと思えた女の微笑みを拝むことができるのであれば、浅茅はどんなものでも捨てる覚悟だった。
 ーー俺の手は汚(けが)れている。
 かの大戦で数多の人間を殺めた自身の手に視線を落とす。やはり今でも生温かい朱色の幻覚がねっとりと纏わりつき、全体に染みついていた。
 ーー地獄に落ちるであろう人間が、もし一度だけ人を救っていいのだとしたら。
 拳をきつく握りしめ、浅茅は磔刑にされた痩男に向かって投げかける。
 ーーアンタは俺を赦すか? それともただのエゴだと笑ってみせるか?
 そこまで言って浅茅は鼻で小さく笑った。カミサマの答えがどうであれ、自分の決意が揺るがないことは浅茅自身がよくわかっていた。

(お前の日常を奪おうとする俺の勝手を許してほしい)誰に言うわけでもなく、浅茅は小さく零す。(だがこの世界がまだ捨てたもんじゃないってことを、お前に見せてやりたいんだ)
 それは自身の想いを正当化したいだけの醜い戯れ言なのかもしれない。男の静かな決意は、傘の上で踊る雨音によってかき消されていった。


【二役ともソロールというのはいかがなものかと私自身も重々理解しているのですが、一月上旬までスレに顔を出せない可能性が高いので、今回もこいつの独白を投げ飛ばすだけにしておきます。よろしくお願いします】

9ヶ月前 No.103

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

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9ヶ月前 No.104

朧塔子 @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【朧塔子/饗月亭(回想)→聖ホワイト教会→(回収)】


 くるくると、くるくると。時は巡る、記憶は巡る、想いは巡る。

 狂々と、狂々と。さだめが廻る。いのちが廻る。しがまわる。

 だから見える、終わりが観える。それはまるで幻灯機(キネマ)のように。


 それは刺すように冷え込むある朝のこと。水気を多く含んだ牡丹雪が落ちてくる空はどんよりと仄暗かった。
 とある高級旅館の奥、その一室には寒さを追い出そうとするように骨董品の大きな火鉢が置かれているが、座敷全体を暖める事は到底出来ていない。御膳に乗せられた豪勢な食事も運ばれて暫くするとすぐに冷めてしまい、温かそうな白い湯気はすでに絶えていた。
 広い座敷に二人きり、向かい合って座るは、白というより銀に見える髪が特徴的な身なりの良い痩せぎすの男と、紅い牡丹一華(ぼたんいちげ、アネモネの和名)が染め抜かれた派手な着物を纏う女とも少女とも言えぬ齢の娘。男の名は朧土匡(おぼろただまさ)、陽花町でも有名な老舗の高級旅館饗月亭(きょうげつてい)≠フ主人。そしてもう一人は朧塔子、土匡の一人娘である。

「お父様、わたくし、恋をしたかもしれません」

 朝餉の席にぽつりと響いた呟きに、きん、と。空気までもが凍り付いたように、沈黙がその場を支配する。ぱたり、と小さな音がしたのは、土匡の手から漆塗りの箸が転げ落ちたからである。

「――そうか、それは喜ばしい事だ。お前の母がこの世を去ってからもう随分と経つ、婿の一人も探さねばと思っていたが、塔子、お前ももう色恋を知る歳か」

 一瞬表情を失くした土匡だったが、すぐにその顔に表情が戻る。それはにこやかな笑顔だった、しかし見る者が見ればその笑みが貼り付けた仮面のようだとすぐに気が付く事だろう。作り物めいた微笑みを向ける父に対して、塔子の表情もまた人形のようにぼやけて見える。押し殺した微笑と、曖昧な笑み。それぞれの真意は裏の奥、影の彼方に沈んで容易く見えはしない。

「それで、その相手というのは? 貴族の三男坊辺りか、それとも軍の将校か、はたまた異国の大使様かな?」

 座敷に満ちる張り詰めた空気を払おうとするように、箸を拾い上げた土匡は肩を竦めつつおどけたように言う。ただその目は全く笑っていない、氷に覆われた湖の底のごとき底冷えしそうな感情に満ち満ちていた。
 それに気付いていないのか、否、気付いているからこそなのか。両目を糸のように細めて楽しげに、塔子はかくんと小首を傾げる。

「薬売り」

 あっけらかんと言い放たれた、たった一言。あまりに無邪気なその言葉にすぐには反応出来なかったようで、少しの間呆気にとられたように瞬きを繰り返していた土匡だったが、やがてその顔からみるみる笑みが消えていった。

「何の冗談だ、何処でそんな輩と知り合った?」

 先程までの穏やかさが嘘のよう。もはやその冷淡な感情を隠そうともせずに、土匡は突き放すがごとき口調で塔子に問うた。

「教会ですわ、シスター・ホワイトの」

 作り物の表情が消え本性を露わにした父親に対して、塔子は相変わらず奥底知れぬ愉快そうな微笑のままで間を置かずに答える。

「……だからあんな場所に行かせるのではなかった。お前の乳母にはきつく申し付けておこう、二度とあのような下賤の者の集まる場所には行かせないように」

 普段、土匡は塔子に対してとても甘い。彼女が欲しいと言ったものは何でも買い与えるし、したくないと言った事は一切させなかった。母親を早くに亡くした娘への愛情と、それ以上の憐みを向けて土匡は塔子に向き合っていた。いや、彼女の方を向いてなどいない、日に日に母親に似てくる娘が何だか空恐ろしくて、だからこそ無碍には出来なかった。
 故に、こんなにも強く、こんなにも激しい言葉を父親から告げられた事は、塔子の記憶の中にはなかった。

「お父様、わたくしには、お言葉の意味が分かりません。先程、お父様は仰られたではありませんか、恋に堕ちるのは喜ばしい事であると。何故、その相手が薬売りではいけないのでしょう?」

 首を傾げた格好のまま、塔子はあえてとぼけてみせる。無知な子どものように、さも不思議だと眼球をくるくる回して見せながら、最期には天井を仰ぐのだ。
 父親の薄ら暗い感情に、野の獣のように第六感が鋭い塔子が気付かぬ訳もない、もっとずっと幼い頃から感じてはいた。

「塔子、お前程の歳になればもう分かっているだろうが、人には生まれつき身分の違いというものがあるのだよ。それはどう足掻いても、どんなに嘆こうとも永遠に埋まらない格差というものだ。誰であろうがその差を埋める事は出来ない、私も、そしてお前も」

 今、塔子は楽しんでいた。父親の滅多に見られない、その冷酷な本当の顔が見えられる事を。

「わたくしとて、世間の理を知らぬ程愚かではないつもりですとも。けれど、けれど。それでもやはり分からないのですわ、たとえ生まれながら存在に価値を付けられ、隔たれた命があるのだとしても。同じように食らい、夜は眠り、もがき這いずり幸福になろうと必死に生きる。その人生に差がありましょうか? その生き様に甲乙を付けるのはこの世のどなたなのでしょう? 誰であろうと、平等に恋をする権利はあるのではないのですか?」

 だからこそ、塔子は尚も食い下がった。滔々と語るその内容は普段の塔子であれば鼻で笑うような綺麗事であり、全てが本心という訳ではない。
 けれどその瞳に宿る異様に強い煌めきが、何処か熱を帯びているその姿は何処か普段と違っている。言葉を連ねながら、塔子の脳裏には確かにあの青年の姿が浮かんでいたからだ。唇の動きで塔子の真意を知ろうとする、あの青年の真っ直ぐな眼差し。拗らせたと、確かにそう告げられた。自分自身の事も、塔子の事も。塔子に欠けているのは他人を慮る心と、自分を愛する心だと、そう言っていたのをよく覚えている。
 二回、まだ二回しか会った事はない。それどころか相手の住所も知らなければ、次の約束さえもしていないのだ。そんな相手が、貧しげな薬売りの青年が、どうしてこうも忘れられないのだろう。彼が最後告げた言葉が、頭蓋の中で何度も響いて木霊するのだ。


『運命であれば、また』

 衣笠十朱、これが誠の運命ならば、それが命を懸けるべきひとの名。


「小賢しい」

 塔子の言葉を黙って聞いていた土匡だったが、しばしの沈黙の後、深い溜息と共に吐き捨てた言葉には明らかな失望と侮蔑が込められている。此処まで感情を露わにした父親の姿を見るのは、塔子も始めてだった。生粋の商人である土匡は、常に己の感情を胸の内の内に秘めてきた。それは娘に対しても同じこと。

 だから、塔子は土匡が嫌いだった、大嫌いだった。

「それはもう、わたくし、お父様の娘ですもの」

 大きな音がしたのと、土匡の前に置かれた御膳が派手に引っ繰り返ったのは同時だった。鶯色のいかにも高価そうな羽織が緑の風のように座敷を抜けたかと思った時には、鋭い音と共に塔子は畳の上に倒れ込んでいた。

「愚か者……娘が父に刃向うつもりか? お前も、お前までも……下民と一緒にこの俺を笑うつもりか、貴様の母と同じように!」

 娘の頬を打った父の手は、高く翳されたまま静止していた。その掌には、塔子が燃え盛る焔に似た痣を隠す為に塗ったドーランがべったりと付いている。
 あくまで平静を装っていた土匡の怒気が一気に膨れ上がり、最期の一言はほとんど叫ぶような怒声となって彼の口から飛び出していた。

「――――お母様と同じように? それは一体どういう意味です?」

 はっとしたように、土匡が片手の己の口を押さえた。その唇から飛び出したとんでもない秘密をせき止めようとするかのようだったが、最早遅い。言葉は、声は、吐いた側から消えてしまうが、その毒気は聞いたものの胸に澱んで留まり続ける。そしてじわじわその芯まで侵し、やがて容赦なく崩壊させるのだ。

 座敷に倒れ伏したまま、顔も上げずに問うた塔子の声は、まるで地獄の底から響いてくるような、深淵に似た闇そのもののごとく暗く重く土匡に迫った。

「……もういい、今のお前と話す事などない。暫くお前の外出を禁ずる、離れに籠って己の愚行を悔いるがいい」

 ぞっとした、背筋が凍るとはまさにこの事だろう。土匡は何故か拭い去れない娘への恐怖感と罪悪感を必死で押し込めるように、あえて強く言い切ると足早に座敷から出て行った。

 後に残された塔子はのろのろと、蝸牛を思わせる鈍重さで身体を起こす。淡い朱色に染まった左頬のそっと自身の手を当てると、その冷たさが感覚の麻痺した頬に心地よい。ドーランが剥がれたその右頬には、踊る業火のような紅い痣が斑になってたゆたうのが見える。まるで陽炎だ、この世で一番残酷な幻影。
 かくり、とその首が後ろに垂れ、天井を見上げて。ふっと、その唇が弧を描く。

「ねえお父様、人間なんて、生まれ落ちる事こそ愚行じゃありませんの?」

 くっくっと小鳩が鳴くような、妙に乾いてざらついた笑い声がいつまでも座敷から離れずにいた。


 それから、数日後。


 雨音以外、何も聞こえない。天地の全てを洗い流してしまいそうな土砂降りの中、ぽつんと大きな傘が一つ、聖ホワイト教会の扉の前で風に吹かれて小さく揺れている。
 塔子だった。いつも着ている華やかなドレスは雨に濡れてまるで萎れた花だ、その顔は大理石のように白く冷え切っているのが一目見るだけで分かるだろう。その手は微かに震えていた、それはもちろん寒さからでもあろうが、それ以上に、唇を噛んだままの何か強い決意を感じさせる表情からは仄暗い死相に似たものさえ感じられる。
 塔子はその手には厚い天鵞絨で巻かれた何かを抱えている、布が緩んだ部分から見えるのはどうやら古い書物か日記帳のようだ。
 叩き付ける雨の中、塔子は暫く立ち尽くしていたが、やがて一歩踏み出すと扉に手を伸ばした。ノブを握ろうとして一旦引っ込め、また伸ばす。いつも迷いなく行動する塔子にしてはひどく珍しい、だが暫くするとようやく決心したようにノブを強く握る。

 その時、強い雨の中でもはっきり聞こえる馬の嘶きと、馬車の車輪が近付いてくるけたたましい音が塔子の思考を掻き乱した。

 はっとして、ベールの奥で煉瓦色の目を見開いた塔子は身を翻し、扉から離れた。そのまま傘さえ放ると、災いから離れようとするかのように早足で何処かで去っていく。

 雨に紛れても、何処にも逃げられないというのに。

 運命からは、誰も逃れられぬというのに。


>>(ソロール)


【大変お待たせしてしまい申し訳御座いません……! 散々長くなってしまいましたが、今回はソロールで失礼します。最終章に向けて、塔子が破滅に導かれる伏線を張ってみました。衣笠十朱本体様と共に華々しく美しい終わりを描きたいと思っております、どうぞ引き続き宜しくお願い致します】

9ヶ月前 No.105

ししくれ @kmnkha☆/pH2qpQf7L2 ★ieluDUuGrE_3kg

【 衣笠 十朱/聖ホワイト教会 】


 寒さの中降る雨は中々酷いもので、傘だけでは体を守ることは難しい。雨が跳ね、裾が濡れていく中、十朱はぼうっと何を考えるでもなく突っ立っていた。ふわふわと宙に浮いたような気分だ。まるで夢心地で、それでいて気持ちが悪い。何を考えればいいのかさえよく分からなかった。頭が上手くまわらない原因はもちろん、彼女のことで相違ないことだけは明白である。此処にいても仕方がないと、家へ帰ろうとしたちょうどその時。一人の男が十朱の方へ歩み寄ってきた。

「やあ衣笠、そんなとこに突っ立ってちゃあ、風邪引くぜ。浮かない顔して、何かあったか?」

 男は十朱と昔から縁のある大工であった。名は唯代輝(ゆいしろあきら)、仕事はできるが何かと軽口の減らない男で、人よりも貪欲に他愛ない話を好む。十朱はそんな唯代と互いによく悪態をついたが、その反面で気の置けない相手を挙げるとするならば此奴なのだろうと思ってもいる。唯代は相も変わらず冗談混じった調子でそう話したが、お生憎様。今回ばかりは唯代のいう通り。何かあったという他どうしようもないのだ。けれど当然ながら、十朱にはそんなことを正直に言ってやるつもりはさらさらなかった。

「何にもないといえば嘘になるだろうさ。人間、生きていくうちに何もないなんてことはありえないんだからな」
「ふうん。……それにしても、今日は珍しく弱々しいな。もしや本当に風邪か? 薬売りが風邪とは笑えるな」

 平常通り煙に巻いたはずの今の自分の言動の何が唯代にそう感じさせたのか十朱には分からなかったが、ひどく舌打ちをしたい衝動に駆られた。この男はやけに鋭い。普段はただのお調子者のくせして、妙なところ飄々としているのだ。

「なあ唯代、お前は運命を信じるか?」
「運命、ね。突然どうしたよ、熱病にでもかかったか? ーーでもマア、お前サンがあると信じればあるんじゃないか」

 熱病という言葉が暗に色恋のことを指しているのは分かった。あまりにも易々と自分を曝け出した自分に驚きながらも、唯代のらしい答えに十朱の口元が緩む。全く、居心地の良い返事をくれるものだ。その答えはきっと十朱が自分一人だけでは導き出せなかった正解であるに違いない。そう確信が持てるほどに、それはすとんと十朱の胸の中に落ち着いた。
 嗚呼、私は彼女に恋をしたのか。歪に曲がった純粋を持って生きる、あの美しい人に。たったの二度しか会ったことがないと言えばきっと笑い種になるだろうが、それでもこれは確かに愛だろう。拗らせ歪な形に仕上がった二人はきっと惹かれ合い、共鳴したのだ。しかし決して隔りは埋まらず、二人が結ばれることはない。それならば二人を、そして運命を信じることくらい許して欲しいものだ。
 隣に並ぶ唯代へ「ありがとう」と、そう一言だけ残して十朱はその場から立ち去った。初めて感じる幸福は、泣きたいくらいに悲しい味がした。

 (>>回収)


【十朱のソロールです。唯代に関しましては後ほどNPCとしてサブ記事に詳細明記しに行きます。第四章では朧本体様と最期を迎えられたらと思っています……! そして皆さんの心中もとっても楽しみにしておりますので、どうか終焉まで宜しくお願い致します!】

9ヶ月前 No.106

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【神無颯一郎/萩原邸→聖ホワイト教会(現実)】


『嗚呼、神よ。どうか私をお許しください』
大雨に打たれる聖ホワイト教会の中から、粛々とした祈りの声が聞こえてくる。またしても、聖ホワイト教会の夢だ。けれど、どうしたことだろう、今日はあの女……萩原日和の姿もある。夢と分かっていてもおかしい。神なんて信じていなさそうな顔なのに……なんて、こんなことを聞かれたらまた怒られるのかもしれないな、と夢の中の神無は笑っていた。
けれど、今日の日和は変だった。彼女が、十字架を見て泣いている。初めて会った時も泣いていた。今度は、一体何があったのだろう……。

「けほっ、けほけほけほけほっ、……」
不意に気管に呼気が湧き上がり、神無は肩を震わせて咳をした。ひゅっと肺の音を鳴らして咳が止んだ時、現実世界の神無がハッと目を開けて天井を仰いだ。潤んだ漆黒の瞳が始めは頼りなく揺れていたが次第に焦点が定まってくる。
「…………此処は」
此処は、何処だ。
見知らぬ天井から左右の壁へと視線を動かす。随分と長い夢を見ていた気がする。犯人を追いかけて、倒れて……。此処は病院では無いらしい。ゆっくりと身を起こしたつもりが、また咳き込んだ。胸と口元を抑えて波が通り過ぎるのを待つ。汗ばんだ体は火照りから冷まされ、暑いのか寒いのかよくわからない。
「何だ……これ……っ」
神無は抑えた袷がいつもの着物ではなく清潔な室内着に変えられていることに気付いた。いつもの古びた衣服は折り畳まれて隅にやられている。見覚えのない布団、枕元の盥(たらい)と盆、濡れた手拭い、血の付着した枕。血の乾き具合から、看病してくれた人はだいぶ前に出て行ったのだろう。此処は何処で、今は何日で、誰が世話してくれたのだろう。珍しく狼狽した様子で、部屋の中をずるずると歩き回り手がかりを探した。家宅捜索など、探偵にとってはいとも容易い仕事であった。
「……此処はあの人の部屋……僕は此処で何日も何日も眠っていた……だけど、あの人が、僕を……? おかしい……」
神無は頭を抱えた。此処が萩原日和の家で、今日が十二月二十九日で、更には自分を診た医師の名前も、自分が余命僅かであることも、日和が神無の身寄りや探偵事務所を探し歩いてくれていたことまでも一瞬で真相を理解できたのに、あんなに探偵を忌み嫌っていた彼女が自分を助けてくれた心境だけは全く理解不能だった。
それにしても。外は雨が降っている。傘立ての傘と埃の一致具合を見るに、推理が正しければ部屋の主人は今日は傘を持って行っていない。そして、官庁勤めの人間が仕事から帰ってくる時間ならとっくに過ぎている筈だが、彼女の両親と思われる声はさっきから気付きもせずに言い争っているようだ。しかも「溝鼠」……差し詰め、この何処の馬の骨とも分からぬみすぼらしい不審者の事で。
彼女の心にどんな変化があったのか、「人の心が全く分からない」と言われてしまった自分には皆目見当もつかないが、どうやら自分が此処にいたことが大変迷惑だったらしいということは理解できた。本当は彼女に人の心とやらを訊いてみようかとも思ったのだが、ただでさえ良からぬ雰囲気である上流階級の御家庭内を、目を覚ました貧困層の胡散臭い男が感染症を振り撒いて彷徨いてはよろしくないだろう。自分は、此処に居てはいけない。

ーー前略=c…

神無は部屋の隅にやられていた荷物から筆記具を取り出すと、日和の机の上で置き手紙を書き記した。意外にも流麗な、か細く儚げな文字が並ぶ。内容は身に余る御厚意への礼と、長居をして迷惑をかけたことへの謝罪、留守中に黙って行くことへの詫びと、落ち着いてから改めて御礼の挨拶に伺う旨。それから、部屋は消毒して貰うように、と。
落ち着いてから、なんて、死んでなければ、だけど。と、神無は力なく咳き込みながら自嘲する。
「余命一カ月……か……」
着替えた袴姿の上にとんびコートを翻し、帽子と鞄を手にして、日和の部屋の隅に畳んだ布団を寂しげに見遣る。できれば、「貴女でさえ夢の中では聖母になっていた」と笑い話に教えてやりたかった。もう叱られるどころか二度と会うことも無いのかもしれないけれど。
初めて、人の気持ちというものを推し測った。自分の存在が、行動が、あの人にどう思われるかを。此処に自分が居たら迷惑だという事を。そういえばあの時……強盗犯を見抜いたのに声を上げられず走り出したあの時も、無意識に同じ思考が働いていたに違いない。

萩原家の屋敷を出て雨の陽花町を横切り、凍える貧民街の粗末な自宅を目指す。殺風景でひんやりとした何も無い探偵事務所を瞼の裏に思い浮かべた。病床に臥せっている間に足の筋はすっかり痩せ衰えて、緩徐に歩くのさえやっとだった。跳ね返る大雨に借りた傘は意味を成さず、白い息をごほごほと立ちのぼらせながら神無は肩で息をしてゆっくりと進んだ。黙って出ていく前にもう一度日和と言葉を交わしてみたかったという未練は、いつかこの身を亡霊にでもするだろうか。いいや、良家のお嬢さんにも才色兼備の職業婦人にも、高嶺の花に関わるのは止そう。これぐらいが丁度良い。
ふと目に飛び込んだ水たまりに映る白を辿り、視線を上げれば其処に聳え立つのは、鉛の空の下でも見惚れる程に白い、あの美しい教会だった。足を止め、暫し見惚れるように教会の前に黒い影を佇ませると、また元通りに背を屈め、とぼとぼと雨に打たれながら事務所の方へと向かって行った。

>(ソロール、宛先無し)


【最終章への布石として、置き手紙と事務所への撤退だけは置いておきたかったので、寝たきり探偵が夢の中から帰ってきました。滑り込みで追加ソロールです。スレ主様、最終章突入おめでとうございます。これからもよろしくお願い致します。日和さん、後は頼みました!()】

9ヶ月前 No.107

絡繰 @ne9rodoll☆V4.8X.AnvuQ ★wgm3NQbNwV_GYH

【月ノ瀬 鳴/聖ホワイト教会→???】

 雨は神様が泣いているのだと何処かで聞いたことがあった。だとすれば今日の神は何故涙を流しているのだろうか。哀しみか、憤りか、将又憐憫か。真白に包まれた聖堂、定まらない視点を虚空で迷わせながら、自分は只呆然と教会の隅で座り込んでいた。手の中にあるのは封の開いているビスケットの袋と、小さな巾着袋。

 月ノ瀬の名を捨てたあの日から、自分は暁千賀と共に荒屋で二人暮らしをしていた。着の身着のままのまま飛び出してきた自分には幾ら貴族の令嬢という肩書があろうと、家を出てしまえば只の無力な少女。出来ることと言えば最低限の家事程度だった。決して豊かではない生活でも、わたしは苦ではなかった。だって愛する人が傍に居るのだから。愛を通わせていれば、こんな苦難など何も辛くはない。毎日暁千賀が傍に居るという事実を噛み締め、稽古も勉学も暴力もない、ささやかな幸せに包まれる日々を過ごしていた。そして、本物の愛とは此れなのだと、今までの愛は偽りだったのだという確信を深めていった。しかし、冬の寒さも極まってきた今日、隣にあるはずの温もりがなかった。寝惚け眼で手を伸ばしても、あるのは冷え切ったシーツだけ。起き上がればそこはもぬけの殻で。慌てて周囲を見回せば枕元には袋が二つ。瞬時にこれが彼の持ち物であり、単なる忘れ物ではないということに気が付いた。さぁっと血の気が引き、背筋に冷えた汗がつたう。少し出かけただけかもしれない、そんな希望的観測が頭を過ぎるが、置いていかれた二つの餞別がそれを明確に否定していた。

「あ、暁千賀さん……どこ……?」

たどたどしい口調で零れ出た疑問は誰に答えられることもなく空中に消えた。途端に喉が締め付けられるように苦しくなる。わたしはもう、あなたがいないと生きていけないのに。あなたに要らないと言われてしまえばわたしは何処へ行けばいいの。胸からせり上がってこようとする想いは焦り、不安、哀しみ、切なさ、様々なものが折り重なっていて、今にでも吐き出してしまいそうだった。大して部屋数もない部屋を、暁千賀を探す為に慌ただしく駆け回っていた足を止めて、部屋の隅に力なく座り込み、彼が出て行った後の玄関を見詰める。久々に感じた完全な孤独に身が震え、歯の根ががちがちと噛み合わない。視界がどんどん滲み、とうとう涙が一粒零れ落ちた。その時、見つめ続けた扉が開き、暁千賀が顔を出した。咄嗟に弾かれたようにその扉に駆け寄るが、瞬きの間にその姿は儚く消えてしまった。強く其れを願いすぎた故の幻想だったということにぼんやりとした頭の中で気が付き、力が抜けたようにふらふらとその場へへたり込む。

 そして、待てども待てども帰ってこない暁千賀を同じ時を過ごした空間で待ち続けるのはあまりにも辛く感じ、逃げるように辿り着いたあの日の出会いの教会で、祈りもせずにただひたすらに思考を巡らせていたのだ。

ぎゅうと両手を握り占めても感じるのは布越しの硬い感触だけで、すっかり覚えてしまったはずの彼の温もりひとつも思いだせない。寂しくて仕方がなくて、ぎゅうと目を閉じる。神様、何故わたしと彼を引き離そうとするのですか。何も悪いことなどしていない。ただ、出会って、触れて、恋をしただけ。わたしはずっと欲しかったものを永遠にしたかっただけなのに。

 そこまで考えて、ふと思い至る。わたし達の間に在ったのは確かに愛だった。偽りも何もない真実の愛。そんな大切なものを放棄出来る訳もないはずなのだ。この世の全ては愛に収束するのだから。だってあなたを失って、わたしはこんなにも息が苦しい。あなたもきっとそうでしょう?……もし、暁千賀が自分のためを思って姿を消したのだとすれば。鳥籠から鳥を解き放つために、籠の檻を開けようとしたのならば、わたしがするべきことは。なんだ、冷静に考えればこんなに簡単なことだったのだ。

「帰る場所などとっくにあなただけなのに……もう、暁千賀さんったら。ふふっ、見てて下さいね、あなたへの愛、証明してみせますから」

突然納得した様にうんうんと頷きながら、今までよりも幾分か確かな足取りで立ち上がる。まるで私達を監視するように掲げてある十字架に背を向け、ゆるりと口の端を吊り上げた。

「ごめんなさい神様。わたし、あなたに御用はありませんの」

慈悲など要らない。懺悔など必要ない。わたしが欲しているのは彼の愛、それだけなのだ。


 随分と久しぶりに見る我が家。圧倒するようにそびえ立つ邸宅はこの家の性質をそのまま表しているようだと思った。土砂降りの雨の中、雨水に濡れながらこの家に居た頃とは想像もつかないような質素で薄汚れた姿の自分は、それでも幸せだった。この小さな手には、鋭く尖った大きな硝子片。ひどく純粋な笑顔を浮かべたまま、スキップでもしそうな程愉快な心持ちで、かつての鳥籠の中に足を進めた。

「さようなら、父様、母様。お二人は地獄へ逝ってしまわれるのかもしれませんが、わたしはあの方を地獄になど連れて行けませんので、あの世で逢うこともございませんね。ざんねんです」

もう二度と動かなくなった、偽りの愛を自分へ教えた二人を見下ろし、にこやかに告げる。嘘をつかれていた。その事実にはひどく憤っていたし、憎んでもいたが、彼さえ居ればそんなものは細事。どうでもいいのだ。だから、皮肉混じりに再会が出来ないことを残念がったりすることも出来たりした。


 数時間後、静まり返った屋敷から一人出てきた少女は身体の至るところに深紅の花を咲かせ、赤黒く染まった硝子をそれはそれは大事そうに抱え、雨の中に消えた。愛に盲目な彼女が犯した罪をすべて知っているのは誰もいない。月さえも雨雲に目隠しをされ、すべては霧中の出来事となった。

 わたしと彼が愛し合うのに誰の許しが必要だろうか。いいえ、誰の想いも咎めもそこには介在しない。必要なのはあなたとわたし、それだけなのだ。気持ちなど疑う余地もない。

 赤い足跡を点々と付けながら辿り着いた今の自分の居場所。何よりも大切な帰るべき場所。其処はもう冷たい鉄格子の鳥籠なんかじゃない。晴れ渡った青空が一望できて、しあわせの花が咲き乱れる小さな小さな箱庭。でも、其処にひとつだけ足りなくなってしまっている。僅かな期待を抱きながら扉を開けても暁千賀はやはり居なかった。きゅうと胸を襲った切なさを抑えつけて、大丈夫と言い聞かせるように呟く。身体や服にこびり付いたままの血痕もそのままに、薄く黒ずみ、使い込まれたベッドに飛び込んだ。ふわりと香るのは彼の残り香。優しくて包み込むような、それだけで甘味よりもずっとずっと甘やかに心を満たしてくれる。

 紅の華に彩られながらシーツの海に溺れた少女は縋るように冷えた足をすり合わせて、懇願するように、しかし確信を持ったような微笑みを湛えながら祈る。神になどではなく、心から愛したただ一人に対して。

「あぁ、愛しい愛しいわたしの暁千賀さん、わたし、待っていますから。……だから、だからどうか、帰ってきてくださいね」

そっと彼が置いていった巾着袋を指先でなぞり、愛おしげに目を細める。

「きちんと、物語どおりに、ね」

そう、彼女の中でもう物語の筋書きは出来上がっているのだ。感動の結末、満員御礼の客席に煌びやかな舞台、主役たちを引きたてる小道具。すべては既に揃っているのに、ただ一人の演者だけが足りない。彼がいなければ「鳴」という人間の物語は決して完結出来ないのだ。必要のない小道具はとっくの昔に舞台から退場した。退場をしぶる愚かな脇役は主役自ら引き摺り下ろした。次の章へと幕を開くにはただ二人だけが在れば良い。

ベッドに寝転んだまま、血に塗れた硝子片を窓から空に向かって透かせば、赤黒く染まった空が見えた。ふと、雨を降らせ続けている暗雲が途切れ、雲の狭間から月が顔を出す。硝子越しの深紅に染まった月はそれはそれは不気味で、美しかった。

「……死んでも、いいわ」

そっと呟いたその答えを促す言葉が彼の唇から出でるのを夢想し、微笑みを零す。

愛を極めた少女の結末まで、あと僅か。

>>ソロール(対象なし)

【遅くなってしまいましたが、ソロールでの滑り込み参加とさせていただきました。一人称三人称ごちゃごちゃで読みづらいものになってしまい申し訳ありません!】

9ヶ月前 No.108

すれぬし @sweetcatsx☆e0aRNqDUyEM ★iPhone=VHGaT7ZbKj

【 シスター・ホワイト / 聖 ホワイト教会 】


 嗚呼、神よ。何故人はこんなにも平等ではないのでしょうか。


 十二月二十九日が終わろうとした夜、聖ホワイト教会で一人、像の前で両手を組むシスター・ホワイトの姿はあった。ただ祈るのはこの教会に訪れた者達の幸福、未来。叶うことのない交わり。


「――――神よ、どうか彼等に慈悲を」


 許されざるその交わりを、最初はただ見守っていたいだけだった。そうすることが自分の使命である、この教会を神父様に預けられた自分の使命なのだとシスターは思っていた。だがしかし、自分もまた恋を知り愛を知った今、自分の欲が出ていることに彼女は気付いていた。

 がたり、と扉が開かれる音にシスターはゆるりと振り返る。灯籠を持つ数人の男性に小さく息を吐けば唇を開く。


「――――こんな夜分遅くに何用でしょうか」

「この教会の取り壊しが決まった」
「この教会はこの町に必要無い」


 男性達の言葉にシスターは少しばかり目を丸くさせ言葉を飲む。いつかはあることだとは思っていたがこんなに早いとは、脳内を駆け巡る色々な思考。


「此処は相応しくない、このような所があるからあの方達はあのような卑しき者に――――」
「神の前でそのような言葉はお止めくださいまし」


 吐き出す言葉を否定するようにシスターが言葉を遮るように言葉を発する。彼等は富裕層の出であり彼等の知人がこの教会から愛を知ったのだろう、二つの交わりを許さぬ者達。交わることの許されざる愛、ならばどのようにしていて彼等は、自分は、想いを遂げれば良いのだろうか。


「兎に角……! この教会は明日取り壊される! この決定は覆されることはない!」


 貴方達は、今度は私から教会を奪うのですね。

 去り行く男達の背中を見つめながらシスターはぽつりとそう呟いた。



 いつの間にか止んだ雨空の下、シスターは教会を見上げてかつての記憶を思い返す。


 ――――神の前では皆平等。

 ――――決して、人を憎んではいけないよ。

 ――――分かったかい、


 頭を巡るのはかつて自分を拾ってくれた神父様に言われた言葉。彼の最期。


「…………あの方を失い、拠り所さえも失った。…………私は、どうすれば良いのでしょうか」


 頭を埋め尽くすのはただ一人、初めて自分が愛した男性。それが軍人だというのが少しおかしな話ではあるが、それもまた運命なのかもしれない。


 シスターは教会を歩きながら何かを撒く。ゆっくりと何かを惜しむように、想いを馳せるように。



「――――さようなら、私の神。私の全て」


 教会の入口に立ったシスターは服の袖からマッチを取り出せば、炎を宿したそれを教会へ向けて放り投げる。油を巻いた教会はその炎に包まれ赤く色を付ける。


 ――――どうか願わくば、彼等の愛が、私の愛が、添い遂げられますように。


>> 〆(ソロール)



( 最終章に向けての最後の〆とシスターの〆をかけまして! ここまでお付き合いありがとうございます! 最終章、最高の最期に致しましょう! )

9ヶ月前 No.109

最終章開始 @sweetcatsx☆e0aRNqDUyEM ★iPhone=VHGaT7ZbKj

《 ??? / ??? 》


 昔々あるところに、貧困の差が目立つ町がありました。

 二つに分かたれたその町はきっと交わることなどないだろう、そう思われていました。

 交わることなど許されるわけがない、そう思われていました。

 けれど、一度交わってしまった二つは、二度と解ける事がありません。

 誰も、二人を止める事など、出来やしないのです。


 そうして二人は、永遠の愛を誓うのでした。例えそれが許されざるものだとしても、叶わぬものだとしても、ただ一つの方法で、永遠の契りを交わしたのでした。


「――――さてさて、これは悲劇か喜劇か。ハッピィエンドかバッドエンドか。物語の終幕は、誰にも分からないものなのです」



 その終わりは、神のみぞ知る。




 最終章『 交わる世界の終焉 』




(おまたせしました、最終章の幕開けです。ここまでお付き合い本当にありがとうございます! 残るみなさまが、素敵な最期を迎えられますよう、ともに死ねることを楽しみにしております。最終章についてはサブ記事をご覧くださいませ。では、最終章、開幕致します)

9ヶ月前 No.110

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

【 萩原日和 / 自宅 → かみかぜ探偵社 】

三ヶ月。七十九日。千八百九十六時間。
思い返したくもないような苦痛の日々だった。借金を抱え、実質官庁から解雇された私のことをお父様とお母様がそう簡単に許すはずもなく、私は文字通り箱入り娘としての生活を強いられた。家から一歩も出ることも許されなかった。お縄についた罪人のように全ての自由が奪われた。気に入っていたワンピースもお帽子も全部捨てられ、肩苦しい着物に締め付けられる毎日が続いた。数え切れないくらい程、床に頭を擦り付けた。お父様が営む老舗和菓子店のお得意様に引き攣った笑顔を振りまき続けた。お母様からの屈辱的な小言にも耐えた。見合い相手の賤しいお触りにも耐えた。生きる屍のようだった、と自分でも思う。時計が鳴らす一秒一秒を数えながらお父様が描くような淑やかな女を、お母様が望むような奥床しい女を、萩原家としての萩原日和を演じ続けるうちに私が私である所以たるものが侵食され消えていくように錯覚した。もがきたかった。逃げ出したかった。けれど背徳感と罪悪感が邪魔して私を更なる殻の内に閉じ込めた。心の断末魔が誰かに届くことは決してなかった。

神無颯一朗は私が解雇された日に姿を消した。
ずるい人だと思う。懸命に看病してあげたというのに、肝心な時にいなくなる卑怯な男。彼のように捻くれた人間にこそ聞いてもらいたい愚痴があったのに、上司と同僚がとんでもないお方だったと喚き散らしたかったのに、彼はその名前の通り、風のようにいつの間にか消えていなくなっていた。私に何も告げずに、あたかも最初からいなかったかのように、一枚の手紙だけを残して颯爽と消えた。お父様もお母様も、彼がいつ出て行ったのか分からないと言う。血が付着した布団が、看病に使った手拭いが、綺麗に部屋の隅に畳まれた彼の室内着だけが、彼がここにいたことを証明していた。
私は自分の手に視線を落とした。神無さんが魘(うな)されている間に、一度だけ触れた手。彼の手は骨格が見てわかるほどに痩せ細っていた。けれど確かに人の温もりを感じた。おそらく、私はその温かさに縋っていたのだろう。あの雨が酷かった日、もぬけの殻になった自室を見て私は明らかに絶望していた。置き手紙を読む気力も彼を追いかける気力も失うほどに、いつの間にか彼に何かを求めていたのかもしれない。

寂しい自室のなかを見渡す。やっぱり、今日も神無颯一郎は萩原家(ここ)に姿を現さなかった。

なんとなしに手にした鏡を見て思わず嘲笑した。
「……ひどい顔」
写っていた自分の目は真っ黒な隈に覆われ、頬は痩せこけ、それを全て隠し覆った化粧も荒れた肌によって綻び浮き彫りになっていた。汚かった。これから見合いを控えている淑女とはとても思えないほどに醜かった。けれどそんなことがどうでもいいように思えてしまう自分がいた。これから会う相手だって、どうせ私のことなんて見やしない。彼らが興味あるのは私の背景にある財産と地位と名誉であって、私という女には微塵も興味がないのだ。
けれど萩原家の恥になってはいけない、と根底に植え付けられた使命感に突き動かされ、私は蓬色の着物の皺を伸ばし、以前なら絶対つけなかったであろう真紅の口紅を唇の上に乗せた。これから私はこの唇を使って、見ず知らずの男に媚びを売らなければならない。全ては萩原家のため。失望させてしまったお父様とお母様のため。だけどこんなの私じゃない、と思う。萩原家の道具として死んでいく私を見て喜ぶのはせいぜいお父様たちだけだ。私はこんなもの、望んでいない。

ーー神無さん、……神無さん。
私はいつだって彼に助けを求めていた。何故かは分からなかったが、彼だけが私をこの牢獄から救い出してくれるような気がしていた。もう死んでいるかもしれない男に何を望んでも無駄なのかもしれないが、それでも求めずにはいられなかった。

壁の掛け時計を見る。十時三十六分。見合い相手が来るまであと二時間と少しある。
考えるよりも先に身体が動いていた。動きづらい着物のまま、気づいたら私は家を飛び出していた。桜路通りを過ぎて月花町へ向かう。息を切らしたまま辿りついたのは、あの男の探偵事務所だった。
「は……ははは……私は一体何がしたいの、よ」
突発的な自分の行動に笑わずにはいられなかった。力が抜けて思わず尻餅をつく。嗚呼もう、悪足掻きにもほどがある。ここに来たって、神無さんがいるとは限らないというのに。会ったところで何かが変わるわけでもないというのに。


>神無さん
【最終章突入おめでとうございます!最近読んだ本の文体に影響されるという持病が発生してしまい、突然の一人称の文章で失礼します。次からはいつも通りの文章に戻ると思います】

9ヶ月前 No.111

削除済み @sweetcatsx ★iPhone=VHGaT7ZbKj

【記事主より削除】 ( 2018/01/13 01:02 )

9ヶ月前 No.112

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

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9ヶ月前 No.113

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

【 萩原日和 / かみかぜ探偵社 】

聞きたくない声だった。聞いてはいけない声だった。もしかしたらこの地獄から抜け出せるのではないか、といらぬ期待を抱いてしまうから。
懐かしい男の低くしゃがれた声に日和は身体をびくりと震わせる。自分の耳を疑った。二ヶ月前に亡くなっているはずの男の声が聞こえるはずかない。そう自身に言い聞かせるも、反して胸は激しく高鳴っていた。一縷の望みに縋るように振り向くと、そこにはーー幻覚ではなく確かにーーあの偏屈な私立探偵が立って日和を見下ろしていた。

「なん……でっ……」

言葉が突然にして硬い鉛にでもなったかように咽喉に突っかかる。ようやく口から絞り出せたのはその三文字だけだった。次第に視界が霞んでいく。冷たいものが頬を伝って、そこで初めて日和は自分が泣いていることに気がついた。神無が萩原家から姿を消したその日から一粒も流れなかった涙が、今では簡単にポタポタと音を立てて地に落ちていく。日和はそれを拭うこともなく、嗚咽を漏らしながら無様に泣いた。自分がどうして泣いているのか分からなかった。周りの目など気にする余裕もなかった。
見れば神無は病に冒され、痛々しいほどに痩せ衰えいた。生きているのが不思議に思えるくらいに、その姿は人間離れしていた。時間が、病が彼を蝕んでいるのは明らかだった。

『良い顔になったね』
嫌味なのか、それとも率直な感想なのか。相変わらずの不気味な笑みを浮かべた神無は日和に賛辞の言葉を投げかけた。
また彼の頬を引っ叩きたくなるような、何ともデリカシーのない言葉だと日和は思う。痩せこけ、惨めで醜いこの姿を見て、果たして誰が「良い」と思うのだろうか。全然良くない。こんなの私じゃない。日和は心の中で叫ぶ。たとえ気を遣って選んだ言葉だったとしても、一番言われたくない言葉だった。一体誰のせいだと思ってるのよ。そう言ってやりたい衝動に駆られた。
しかし神無は日和を見ていた。その瞳で、萩原家の跡取りではなく、しっかりと一人の人間として萩原日和を捉えていた。もうそれだけで十分だった。

「……光栄だわ」
日和は皮肉を込めて言葉を返し、そして差し出された左手を掴んで立ち上がった。その顔は涙で化粧が剥がれ落ちぐしゃぐしゃだったが、以前の覇気をほんの少しだけ取り戻していた。


>神無さん
【あんな大作の長文にこんな陳腐な短文でいいのか、本当に不安というか萎縮しちゃいます……笑】

9ヶ月前 No.114

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【神無 颯一郎/かみかぜ探偵社】

「初めて会ったときも、貴女は泣いていたね」

重ねた左掌に力を込め引き寄せるようにして立ち上がらせる。顔が近づくと、化粧の崩れた素顔を更に近距離で眺める事ができた。飾りと言う名の鎧を取り払った萩原日和は、最初の印象よりも随分と弱そうに見えて、また漲っていた自信も潰えた為か幸薄そうにも見えた。それが却って好ましいと、神無は思っている。『何か大切なものを喪失した他人の顔』こそ哀愁を帯びた情趣と興奮と親しみを呼ぶ至高のうつくしさを孕んでいると、心から純粋に思っている。そんな心からの賛辞のつもりで贈った『良い顔』という言葉に、萎(しお)れていた嘗ての高嶺の花は、目に見えて不服そうな顔をした。そうなると見た目が多少変わったところで萩原日和に相違ないと判りやすく、思わず笑い出してしまった。其処に勿論悪意は無い。しかし日和の顔色から流石に悪いとでも思ったのか、くすくすと控えめに笑うようにする。笑いに震える肩が痙攣するようにびくびくと上下して咳が零れる。

彼女の身に何があったのか、如何して此処へ来たのか、何故この神無颯一郎を探していたのか……推測するのは難しくはなかった。平素であれば『真実を見抜いてわかりやすく説明してあげる』『莫迦でも解りそうな正解だけど莫迦にもわかるように説明してやる』などと嘯いて、子供のように饒舌に探偵物語の舞台の真ん中に躍り出てきた事だろう。けれど今日はそれ以上、何も言わなかった。
人の心と云うものが、少しだけわかるようになってきた。どうやら自分は、またちょっと彼女を怒らせてしまったらしい。

「きっと犯人は僕だな」

例の真黒な黒曜石の目を可笑しそうに細め、悪戯っぽく笑う。誰も受け入れてくれない余所余所しく冷めた世界の中で唯一人、放って置かなかった人。初対面で平手打ちを食らわせ、面倒臭く突っかかる説教を垂れ、その先の事件現場にまで姿を現し調子を狂わせ、自らの立ち位置を危うくしてまで助けてくれた人。
生い立ちも身分も違いすぎる互いが理解し合える筈もないのに。放って置ける筈が無かった。如何してあんなに熱く怒ったのか、如何してあんなに尽くしてくれたのか、如何していつも泣いているのか。長い間の謎が、探偵にとっての最難題が、やっと解けた気がした。答え合わせをする勇気なんて無い。
貴女に会って、貴女が居なくなって、寂しかったと言葉にするよりも早く、繋いだままの日和の左手を引いて「来て」と急に思いついたように短く声を上げる。右手で扉の解錠を済ますとそのままガタガタと襤褸さを鳴らして開き、秘密基地に縺れ込むように引っ張り込んだ。

其処は六畳と四畳半ほどの小さな部屋二つを極小さな廊下で連ねた木造アパートだった。空気はひんやりとしている。畳張りの四畳半のほうはがらんとして何も無く、脱け殻のように布団が横たわっているだけだった。小さな床の間には掛け軸はおろか一輪挿しの一つすら無い。六畳のほうは床張りに改装してあって、探偵事務所として使っているらしい。古びたカーペットに大きな本棚、机、ソファセットが置かれている。長いこと客人の出入りが途絶えた為かなんと無く空気が篭って埃っぽい。二畳程の台所には業務用廃品を安く買ったのか不釣り合いに巨大な冷蔵庫があり、その割に備蓄は大量の米と卵と梅干、それから安っぽい和菓子を詰め込んだ籠があるぐらいで、この男は毎日卵粥か饅頭でも食べているらしい。台所の足元には猫用の缶詰が幾つか転がっている。アパートの部屋の窓は西向きで、昼近くになった今はようやく何と無く明るくなってきた頃合いだ。大きな窓の外には桜の樹々の枝が、丁度良い高さに蕾をつけている。
間取りと調度品だけを見れば質素で殺風景な寂れた庶民の暮らしぶりといったところだろう。しかしこの空間にはそれだけではない、大いに異常で不気味な点があった。事務所として使用されていた洋間も、居室として使用されていた和室も、四方の壁に所狭しと紙を貼り付けられていたのだった。事件現場の写真、死体の写真、犯人の写真、手書きの文章、新聞記事、タイプライターでの書簡、人物相関図、訂正線だらけのメモ書き、ビニール袋に入った遺留品のような小物まで貼られている。床の近くから天井付近まで、古今東西の殺人事件の資料が部屋の壁という壁を覆い尽くしている様子はまさに狂気の沙汰。探偵の部屋というよりは、まるで猟奇的連続殺人犯の根城だ。正常な人間はまずこんな部屋に住もうとは思わないだろう。独りぼっちの探偵は毎日この部屋に引き篭もり、たった一人この気狂いじみた壁に囲まれて暮らしていた。そうなるように育ってきたのだった。

たいした説明もなしに人を引っ張り込んできておいて、神無は何をするでも無くあっさりとその手を解放した。一瞬の間の抜けたような空白を挟む。不気味にして純粋な漆黒のその眼をにっこりと弓のようにして、少しコミュニケーションを図りかねた少年のように「えっと、そうだお茶でも飲む?」と気安く訊ねる様子が、この空間の中では却って奇妙に浮いていた。

>日和さん


【いや、萎縮しないで! のびのびしましょうのびのび〜! 前半平和的解決と思わせておいてからの、なんだか不穏な後半(意図してなかった)笑】

9ヶ月前 No.115

日向月。 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=QlOac82Api



【 水原祐太郎 / 桜路通り 】



 穏やかに揺れる桃色の花弁たちを同じ場所から幾時間にも渡って眺める。この行為に意味はない。ただ桜の木が並ぶ道に沿って歩くことが疲れてしまったから、といえばそれも最もな回答にはなるが、そんなことは後から取ってつけた無意味で無価値な偽りでしかない。だがしかし、祐太郎の中にそれ以上の答えも考えもあるわけではないのだから無意味で無価値なことですら正解と言わざるを得ないのだ。例え、それが長くもあり、短くもある人生という名の時間を浪費していると嘲る者が居たとしても今の祐太郎にそれを否定することは叶わない。無言で意に反したことを肯定する他に成す術はない。どんなに悔しくても、苦しくても、悲しくても、祐太郎にはそれを肯定する以外の選択肢はないのだと分かっている。分かってはいながらも、望んではならないものを欲し、有りもしない希望に縋ることを選んでしまいそうになるほどに彼は疲れきっていた。
 大きな桜の木の根元に置かれたベンチ。その左側に腰を掛けた祐太郎の姿勢は普段とは異なり、現在では背を丸め、膝に両肘をついて頭を抱えている。時折手で顔を拭うような行動も見られるがその際に間見える瞳は何処か淀んでおり、眩さなどは見る影もない。今はただ、身体も心も、又精神までもが壊れかけてしまっているのだ。


 その原因は父親の死にある。父といっても本当の血縁関係にある方ではなく、祐太郎がこの桜路の地でお世話になっている下宿先の親父さんのことなのだが、祐太郎はその人のことも大事な父親だと思っていた。こんな未熟な自分にも暖かく接してくれたり、時にはきちんと叱ってくれた。祐太郎が思うに彼と彼の奥さんとの間にもし子供が居たならばきっと、彼は良い父親になっていたのだと思う。その為人に祐太郎は何度救われたことか。今思い返しても感謝の意を感じる他ない。その位、素晴らしい方だった。それでも別れというものは必ず訪れてしまうもので、丁度祐太郎の上に咲く桜が蕾を膨らまし始めた頃に持病の悪化により他界された。それと同時に下宿先の家は静かに軋んでいった。大黒柱を失った家は何れ崩れる運命にある。祐太郎にはまだ実感の湧かない話だがそうとも言っていられない事態に陥ることになる。


 今日、家を出る前に下宿先の母親でもある奥さんから『うちのことは気にせず、貴方のやりたいことをしなさい』と言われたことが抱え込んだ頭の中を何度も渦巻いて思考を支配する。優しい言葉なのに、酷く静かなものの裏に潜んだ悲しみや不安の音に祐太郎は思わず両手を耳に当てて塞ぎこんでしまいたいと思った。目元がじんわりと熱くなって感情が込み上げてくるのを感じ、このままではいけないと奥歯を噛み締める。
 実に憐れだと思った。自分の至らなさが恥ずかしくて、さっき噛み殺したはずのものがまた上り詰め、自制も虚しく瞳を濡らした。


「……本当に、情けないな」


 祐太郎は下宿先の奥さんの言葉を素直に鵜呑みに出来るほど無知ではないし、反論するほど愚かでもない。どうしたらいいか分からずに逃げ出してきてしまった祐太郎の頭の上にははらはらと散っていく桜の花びらが数枚積もり重なることにも構わずに、顔を落として溢れ出る感情に身を任せる。もし人が来たら、その時こそ、この感情を殺すつもりだが今だけはこの不安で仕方がない思いを吐き出すことを許して欲しいと願った。


>>澪子さん



【投稿が遅くなってしまい、申し訳ありません……! 珍しく落ち込んでしまっている祐太郎ですが心中が成功するように頑張りますので宜しくお願いします!】

8ヶ月前 No.116

篠宮暁千賀 @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=MNgMSKnMpI

【篠宮暁千賀/回想→荒屋】

 夜になっても雨は止まなかった。暁千賀は教会を後にした。冬の冷たい雨が、少し乾きつつあった外套を再び濡らす。もう二度と、鳴の待つあの荒屋に戻るつもりはなかった。桜路を彷徨い、使われていない厠の裏で眠った。ろくにものを食べていない体に、真冬の寒さが凍みた。願わくはこれが最後の夜であってほしいと目を瞑ったが、期待に反して朝は再びやってきた。愛する人をあの場所に残し、三日、いや四日ほど経っただろうか。彼女は家に帰ったのだろうか。まだあの荒屋で一人凍えてはいないだろうか。それを自分の目で確かめずにはいられなかった。
 強張る体を無理矢理起こし、暁千賀は足を摺るようにして町の方へ向かった。外套の上からでも一目見てわかるほどに痩せた体で、今にも倒れそうな足取りで桜路を進む。怪訝そうな目を向ける者はあっても、暁千賀に声を掛ける者は誰一人いなかった。

「怖いわねえ」
「お嬢さんだけでも無事に見つかるといいけど……」

 品の良い婦人のそんな会話が耳に入るが、特に気にも留めなかった。桜路を抜けて陽花町に入ると、懐かしく疎ましい街並みが広がっていた。ただ、今日に限っては妙に人が多く、そして不穏な緊張感が漂っていた。陽花町の住人ではなさそうな者も多くいた。だが、この町でなにかが起ころうとどうでもいい。篠宮の家を奪い去った貴族が現在どうしているかすらも、最早関心がなかった。鳴が屋根のある暖かな場所で、雨や雪に濡れずに暮らしていることさえ確かめられればそれで良かった。
 角を曲がった。月ノ瀬邸が視界に映った。しかし邸に近付くことは叶わなかった。物々しい規制線が張られ、それを囲うように陽花町内外の人間が集まっていた門の中にいる数人の男たちは揃って警官の制服を着ていた。

「何かあったのか」

 近くにいた中年の女に声をかけた。浮浪者同然の身なりをした男に話しかけられ、女は一瞬ぎょっとしたように眉をひそめたが、すぐに口を開いた。

「殺されたのよ。ご主人と奥さん。刃物でメッタ刺しだそうよ。なんて恐ろしい」
「夫婦の娘は?」
「娘さん? さあねえ、私もさっき来たところだから。でもこの町でこんな事件が起こるなんて……」

 殺された。鳴の父親と母親が。まさか鳴も巻き込まれたのか。まさか。
 そのときはっとした。道中で耳にした会話が甦る。鳴は見つかっていない。彼女もこの邸のどこかで殺害されているのか? いや違う。殺人鬼の手でどこかに連れ去られたのか? それも違う。

「鳴……」

 直接呼んだことのないその名を、思わず口走っていた。女性の言葉は途中から聞こえていなかった。話し続ける女性をそのままに、暁千賀は踵を返した。わかってしまった。自分が彼女のためにと起こした行動は間違いだった。焦燥が歩調を上げる。鳴がいる可能性のある場所は、一ヶ所しか思い当たらなかった。
 息を切らしながら立ち止まったのは、あの荒屋の前だった。乱暴に軋む戸を引き開ける。部屋の中央に佇む、探していた少女の姿があった。いつもと同じ円い目でこちらを見ていた。驚いている様子はなかった。むしろ待っていましたとばかりに微笑んでいるように見えた。一歩二歩と彼女のもとに歩み寄ると、暁千賀はなにも言わずに包み込むように鳴を抱いた。鳴の頬も、髪も、手も、衣服も、赤黒い染みで汚れていた。彼女の頬に顔を寄せると、鉄の臭いがした。
 嗚呼すまない。私が貴方を、壊してしまった。


 冬が過ぎた。日毎に暖かさは増していく。暁千賀は鳴とともに日々を過ごしていた。一見すれば、冬の始めに彼女と過ごした十日にも満たない甘い日々と同じだ。あのときと違うことがあるとすれば、私が死ぬことは許されない。もうこの先、鳴を一人にしてはいけない。彼女の心を壊し、罪を背負わせたのは自分だ。たとえ終わりが見えなくとも、鳴の傍に居続ける責任が私にはある。
 とある夕暮れ、暁千賀は酒蔵の清掃を終えて日当を受け取った。人格者とは縁遠い主人の下で働くことは屈辱的だったが、生きるには金が必要だった。裏口から出ようとしたとき、酒蔵の主人とその客とのやり取りが耳に入る。

「聞いたか、暮れの貴族殺し、あれ一人娘の仕業らしいぞ」
「そうなのか、おっかねえ嬢ちゃんだ。手塩にかけて育てた娘に切り刻まれちゃあ、浮かばれねえな」
「まあ箱入りの小娘だ。町中潰せば捕まるのも時間の問題だろうさ」

 暁千賀は僅かに息を呑んだが、振り返りはせず静かに酒蔵をあとにした。今まで平穏に暮らせていたのは、鳴が容疑者として目されていなかっただけのこと。警察が探せば、容易く見つかるのはわかりきっていた。重い足取りで荒屋に帰りつくと、静かに手を引いた。木の軋む音で鳴がこちらを振り返る。暁千賀は鳴の背後から腕を回した。いつにも増して優しく、鳴の体を包む。

「……警察が、貴方を探している」

 再び鳴と暮らしはじめてから、鳴が起こした事件のことに触れるのは初めてだった。暁千賀も鳴も、決して鳴の両親の話は出さなかった。鳴の体にこびりついた血痕を落とすときも、二人とも一切話題にはしなかった。不自然なほど、何もなかったように振る舞っていた。
 けれどもう、目を逸らしているわけにはいかない。暁千賀は何も提案はしなかった。鳴が決めたようにすればいい。ただ自分は絶対的な味方だと伝えたくて、鳴の前で、後ろから回した手をしっかりと組んだ。

>月ノ瀬鳴

8ヶ月前 No.117

澪子 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

 【澪子/桜路通り】

 わたくしは道具、日ノ本の国のために使い捨てられる道具の一つ。けれど、簡単には替えが利かないから、贅沢な牢獄で飼い殺される。生きてもいけない、死んでもいけない。管理と監視と束縛の毎日。作り物の笑顔と綺麗事の言葉を携えて、硝子篋の人形のように飾られて生きる。そこに個人としての自由などなく、そもそもこの呪われた血族の内に、個々の人など存在していない。生まれ落ちたその瞬間から、全ては臣民とこの国に捧げられている。澪子は人の名前などではなく、第三皇女を示すための記号。父の名も弟の名も、これまでもこれからもずっとそう。
 此の世界に澪子という少女は居ない、居てはいけない。分かっていた、解りきっていた、納得していた。その筈だったのに。

 ごめんなさい皆様。わたくしには、忘れられない人が出来ました。あなた方の期待には、もうきっと応える事が出来ません。賎しく浅ましい女と御笑いになって……その代わり、どうぞわたくしのことはお忘れになって。
 初めから何処にも居なかった澪子という女の子は、このまま虚無へと帰ります。


 皇居の桜が咲き始め、その花弁が部屋の窓を叩いた夜、澪子はそっと外に出た。部屋の中は病的なほど綺麗に片付け、本当に必要なものだけを小さな風呂敷包みに入れる。まるで最初から、その部屋を使っていた人間など存在しなかったかのように。
 澪子自身でも驚くほど私物に未練はなく、唯一持ち出したのは、路銀に変えるための着物一枚――それも、裏地に刺繍されていた宮号を拙い手で解いたものを。
 両親も家族も、皇女として過ごした人生の何もかもを置き去りにして、胸に抱くのはあの日の思い出だけ。彼の笑顔だけを糧に、澪子は窓から飛び降りた。下に茂みがあることは確認済みであったが、思ったよりも大きな音と足への衝撃が彼女の心を竦ませる。しかし、誰かに気付かれるという恐怖が勝り、痛む足を引摺りながら取り敢えず壁際まで走り抜ける。
 まさか皇女が窓から出て行ったとは思われなかったのか、澪子が物陰に隠れている間に皇居に大きな動きがあることはなかった。後は事前に確認しておいた見回りの経路を避けて動けばいい……それだけだ、と何度言い聞かせても、澪子の心臓は落ち着くことを知らない。
 けれどその鼓動こそ、澪子が生まれて始めて自分が生きていると感じられたものだった。
 一つ息を吐いて、澪子は今度こそ外に向かって歩き出した。振り返ることもなく、夜闇に溶け込むように、彼女は全てを棄てる決意をした。
 それが、最初で最後の、澪子という一人の少女の反逆。

 そうして安全な鳥籠を飛び出した世間知らずの16歳が、夜通し歩き続けて無事に済んだのは奇跡に近い。朝一番に駆け込んだ質屋で着物を売り払い、そこから最も近い駅に向かった。もう、自分が居ないことは気付かれただろうか……そんな不安に何度も後ろを振り返りながら見様見真似で切符を買い、コンパートメントで少しだけ眠る。
 そうすれば、もう、目指す桜の路はすぐそこだった。

 今度こそたった一人で桜路に降り立った澪子は、その現実を噛み締めるようにゆっくりと地を踏んで歩き出す。けれど直ぐに、その足は止まった。
 皇居を飛び出して半日以上。ただ一つ胸に抱いて心の支えとしていた笑顔の持ち主の事など何も知らないと、思い出すには遅すぎた。
 祐太郎という彼の名前以外、苗字も知らなければ何処に住んでいるのかも分からない。ただ彼と出会ったのがこの街の図書館だったというだけで、今も彼が此処に居るという保証もない。探す宛も伝もない。
 一瞬目の前が真っ暗になるような錯覚に襲われた澪子だが、直ぐにその迷いも消えた。
「……恋は盲目とは、本当ですね」
 居ないのなら、探せばいい。その為に自分は全てを捨てたのだ。出逢えなければ、人生さえもそれまでだ。
 つい昨日まで只管に個を殺して生きてきた澪子――彼女が開き直ってしまえば、ただ只管に強かった。

 そして、澪子の決心に心打たれてか、或いは悪足掻きを憐れんでかは知る由もないが、無慈悲な筈の神は此処に来て彼女に味方した。
 ふらふらと桜舞う通りを彷徨う澪子は、やがて辿り着いたのだ。今までずっと焦がれ続けていた――けれど、脳裏に焼き付いた姿とは違う、何処か痛々しい雰囲気を纏った存在の許に。
 桜の木の下で俯いている、祐太郎の所に。
「……こんにちは……また、お会い出来ましたね」
 何か思い悩んでいる様子の彼に、躊躇の末、澪子は小さく声を掛けた。顔にいつも通りの微笑を貼り付けて、家を出たことなど嘘のように。
「何か、悩んで居られるように見えました」
 さも、だから声を掛けたと言わんばかりに。

【何か予定より澪子がパワフルになりましたが、落ち込んだ祐太郎君を元気付ける為です、きっとそうです。此処から最終章とのことで、どうぞ最期まで宜しくお願いします!】

>祐太郎様

8ヶ月前 No.118

朧塔子 @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【朧塔子/聖ホワイト教会跡地】


 兎は寂しさに命を落とすとよく噂されるが、それは間違いだ。時に我が子を喰らってしまう程に凶暴で、同族の首に牙を突き立てるまでに野性的な面を隠し持っているという。そんな兎が最も猛々しく荒ぶるのが三月だ、兎にとってそれは恋の季節。異国には四月馬鹿という言葉に似て、三月兎などという酷い言い方もある。
 春訪れて、兎は狂う。兎が狂うなら、他の生き物が狂う事もあるだろう。それが人間だとしても、誰がそれを嘲笑う事が出来るだろうか。

 何せ恋とは狂おしきもの、そして愛とは堕ちるもの。
 堕ちるは奈落、誰も戻れぬ死出の旅。


 甘く香るは紅白の梅、吹き抜ける風の冷たさも和らいで。しかし完全に焼け落ちた聖ホワイト教会の周囲だけはまるでまだ冬のよう、暗い影が落ちたまま寒々しい空気が漂っていた。
 忌まわしい崩壊の気配を感じないように、聖ホワイト教会の跡地に一人ぽつんと立っているのは、少女とも女とも言えない微妙な年齢の女性。朧塔子、彼女は華やいだ季節に似つかわしくない、何処か冷めてぼんやりとした表情で其処に立ち尽くしていた。華やかなバッスルスタイルのドレスを選ぶ事が多かった彼女だが、今は質素ささえ感じさせる黒いビジティング・ドレス(訪問着)で身を包んでいる。以前よりも幾分か痩せた身体に黒の正装を隙なく纏うその姿、それはこの荒れ果てた光景の中では喪服で葬送に来たようにさえ見えた。

 昨年の終わりにとある〈秘密〉を知ってしまった塔子は、一時期抜け殻のようになってしまった。不敵な笑みを浮かべ、世界の全てを敵に回してもそれを消さなかっただろう塔子は、もう何処にもいなかった。どんなに斜に構えて世間を嘲笑していたとしても、所詮はまだ十代。大き過ぎる、抱えきれない〈真実〉に心を閉ざしてしまったのだ。
 薬売りという身分違いの異性に恋をしたと告白した娘に、一度は手を上げ冷たく接した塔子の父親土匡も、数日で別人のようにやつれた娘の姿には流石に驚いた。本当の原因は別にあったのだが、そんな事を知る由もない土匡は借りてきた猫を可愛がるようにまた塔子に優しくなり、彼女の好きにさせるようになる。しかしそれでも塔子に笑顔は戻らず、離れの自室に閉じこもって病人のように臥せってばかりいた。ただ異国の人形ばかりを眺めて、昼夜を問わず色硝子で出来た舶来品のランタンを灯し続けたのだ。
 土匡は高い金銭を払い様々な医者を呼んで塔子を診察させたが、皆一様に答えは同じだった。これは心の病です、と。

 そんな塔子に変化が生まれたのは、二月ももうすぐ終わるというある日のこと。
 いつまでも離れから出てこない塔子を心配した乳母が、よく効くと巷で評判の漢方薬を買ってきたのだ。乳母が差し出す薬にさえ首を横に振って最初は拒んでいた塔子であったが、ふと何かに気付いて乳母からひったくるように包装された薬を受け取った。
 苦く、甘く、辛い。枯れた花の匂い、乾いた草の匂い。初めて見る薬だったが、それは知っている香りだった。
 塔子は乳母を問い詰め、薬の出処を探った。塔子のあまりの剣幕に驚いた乳母は、実はそれが貧民街の薬売りから買ったもので、彼は行商人だから何処に住んでいて何時商売に来るかもわからないと答えたのだ。すぐにその薬売りを探しに行こうとした塔子だが、何か月も屋内に籠り続けた身体はすっかり弱り、満足に歩く事すら出来なくなっていた。
 しかし、そこからの塔子は人が変わったようだった。一切手を付けなかった食事を無理してでも食べるようになり、雨の日も風の日も屋敷の庭を歩く事で落ちた筋肉を取り戻そうとした。土匡も表向きは娘の変化を喜んだが、本当はその姿に執念を、むしろ妄執を感じて恐ろしかった。それを口には出来なかったが。

 そして遂に塔子は一人でも問題なく出歩けるようになったのだ。時はすでに三月の半ばとなっていたが、塔子にとってそんな事はどうでも良かった。それ以上の問題があったからだ、それは会いたい人が一体何処にいるのかわからないということ。最初は探偵を雇って調べさせようと思ったのだが、腕は確かだが人間性に問題があるという噂の探偵は肺の病で伏せってしまったのだという。では、どうするべきか。
 簡単な事だ、昔読んだ探偵小説にはこう書かれていた。

 犯人は必ず現場に戻る。

 彼は罪人ではないが、今、小説のように時が廻るとすればきっと原初まで遡る筈。非現実的な考えだが、最早頼るもののない塔子には自分の直観を信じる事しか出来なかったのだ。
 否、彼はやはり咎を犯したのかもしれない。

「あなたさまは、あたくしの全てを奪っていったのだもの。そうでしょう、ねぇ」

 これが誠の運命ならば、偶然ではなく必然で、彼は此処に来る。また逢える、此処で二人は。だってあの時、あの方はこう言ったのだもの。


『運命であれば、また』


「――――十朱さま」

 想うより早く、夢見るように身勝手に。塔子の口から、この世界で一等愛しい者の名が零れて落ちた


>>十朱


【大変遅ればせながら、最終章開始をお喜び申し上げます。美しき破滅の物語をお仕舞いまで紡げるように頑張りますね。十朱本体様、最後までどうぞ宜しくお願い致します】

8ヶ月前 No.119

ししくれ @kmnkha☆/pH2qpQf7L2 ★ieluDUuGrE_3kg

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8ヶ月前 No.120

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

【 萩原日和 / かみかぜ探偵事務所 】

 その手は三ヶ月前に触れたときより遥かに痩せ細っていたが、変わらずに温かくそして優しかった。
 神無に引き寄せられ、よろよろと立ち上がった日和は着物に付着した砂利を払い落とし、そのまま頬を伝う涙を乱暴に拭いた。
 彼女を見て笑う男の表情は柔らかく、苛立つのも何だか馬鹿馬鹿しく思えてしまう。日和は嘆息した。出会ってまだ日は浅いはずが、彼女の心と身体は強く神無を欲していた。苦しかったの。寂しかったの。貴方が消えて、私の世界は惨憺たる悪夢のように淀んでしまったの。日和はもう離さまいと神無の握る手に力を込めた。すると心なしか身体が少し軽くなったような気がした。
 温かい春風が二人をなぶって通り過ぎる。靡いた髪をかき上げながら日和は神無につられて表情を緩めた。不恰好だが男女の笑顔に確かな生力が宿った時、日和は柔らかな桜の香りを感じた。
 突として息がつまり、苦しそうに咳き込む神無の背中をさすりながら、日和は彼の貧弱さに死を悟った。看病していた頃よりも筋肉はさらに衰え、背骨が浮き出てしまっている。肩が上下する度に鳴る呼吸音もか細く弱々しかった。もう長くはないだろう、日和は思う。しかしそれを表に出すことはなかった。今の時間が壊れてしまいそうで恐ろしかったのだ。

 「来て」神無は短く促すと、繋いでいた日和の手をそっと引っ張り探偵事務所へと招き入れた。突然のことに驚くも、日和は拒むことなくされるがままについていく。中に入るとそこはこじんまりとしていて、男が一人住むには少し狭い印象を受けた。部屋には埃が立ち込め空気が淀み、病人に適した環境とはとても言い難い。そのうえ仕事で使用したのであろう死体の写真や遺留品、証拠品が一室に埋め尽くされており、ここにいるだけで気が滅入りそうになった。
 その数ある事件資料のなかから貴美子が犯した官庁窃盗事件の新聞記事を見つけた。神無によって明らかになったはずの真相が、記者によって歪められ記載されている。記事によれば悪者は貴美子ただ一人で、あの書記官による裸体写真の脅迫はなかったことにされていた。

 それを食い入るようにして見ていると、神無がこちらを向いていることに気がついた。いつのまにか繋いでいだ手も離れている。日和は慌てて姿勢を正し、「ご、ごめんなさい。殿方の部屋を訪れるのは、その、初めてで……」と言い訳した。しかし彼の顔を見れば見る程に恥ずかしくなり、みるみる赤面する。
「……他人様の自室をジロジロと見るのは失礼でしたわ」
 申し訳なさそうに頭を垂れると、林檎色に染まった顔を手で覆い隠す。よく考えれば神無と落ち着いて会話をしたのはこれが初めてだった。どうすればいいのか分からず、日和は神無の問いに対し「い、いいえ。どうかお構いなく」と、小さく呟いた。


>神無さん
【すみません、かなり遅くなってしまいました……!】

8ヶ月前 No.121

日向月。 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=aLWckz2LG4



【 水原祐太郎 / 桜路通り 】


 唸垂れた祐太郎に不安感と、躊躇いと、後悔たちが襲い掛かる。それに対抗することも叶わないほど弱りきった祐太郎は涙で頬を濡らしていた。元から強い方ではなかったけれどまさか此処まで精神をやられるとは思ってもみなかった。はらはらと落ちる桃色の花びらの合間で、人通りも少ないこの時間帯なら構わないだろうと思って泣くことを許した気持ちに対して自分も弱くなったな、と思う。


 唐突にこんにちは、と声を掛けられ、肩を揺らす。が、その声に聞き覚えがあったからそこまで驚くことはなく、ただ黙って袖口で涙を拭って、明るい表情を取り繕ってからパッと顔を上げてみせた。


「――こんにちは。えぇ、また貴女にお会いできて、本当に……」


 嬉しいです、と口にしたいのに唇が萎んでゆく。ふと彼女の顔を正面に捉えて見つめると、そこには何時もと変わらない笑顔があった。寸分も狂わない澪子の微笑みに祐太郎も応えようとして笑って見せるが涙を流したあとの目元の赤さは隠せないまま、不器用な笑顔を浮かべる他なかった。


 何が悩んでいるように見えると言われ、祐太郎の内心は慌しく揺れ動いた。正直、不味いと感じる。それがどうして不味いと感じなければならないのかは全く分からないがこの時はそれを強く感じたのだ。それは恐らく、目の前に居るのが澪子だったからなのかもしれない。尚のことこんな頼りない姿を見られるのが恥ずかしく思い、困り気味な笑みを零す。


「少し、困った事態になりまして。頭を冷やそうと思って出てきたのですが、こんな様です」


 今は仕方がなさそうに自虐気味な笑いを貼り付けた祐太郎がそんなことを語りながら立ち上がり、こんな様と言いかけた辺りで自らの身を見せつけるかのように両手をぎこちなく広げる。が、それもすぐに枯れてゆき、両手は祐太郎の横に戻った。途端に虚しくなってしまったのだ。人にこんな姿を晒して悦ぶほど落ちぶれてはいない。恥の方が勝るくらいならこんなことするべきではないと分かっていながらも、今はこうすることを自然と頭が選択したのだ。それは仕方がない。そう言い聞かせて今一度澪子のことを見直すと、気になったことを訊ねた。


「そう言えば、どうして貴女が此処に?」


 最初は桜路図書館で、次は此処で。偶然と言えば偶然かもしれないが、名前しか知らない彼女と二度も出逢うことがあるなんて、流石に不思議でならない。そうでなくとも彼女が何かしらの用事で此処を通りかかっただけなのならあまり引き留めてしまうのもよくないだろう、と思った祐太郎は澪子の方を見ながら小首を傾げた。

>>澪子様



【暫くお待たせしてしまって申し訳ありません。澪子さん、とっても素敵で大好きです……!】

8ヶ月前 No.122

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

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8ヶ月前 No.123

澪子 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

 【澪子/桜路通り】

 澪子の言葉に、顔を上げた彼の瞳は、赤く腫れていた。
 その微笑みは、舞い散る桜の花弁のように儚かった。
 澪子が焦がれ続けた、大輪の笑顔はそこにはなかった。
 だから――取り戻したいと、思った。
「……お隣、宜しいでしょうか?」
 聞くだけ聞いて、祐太郎の答えなど待たずにぽっかりと空いたベンチの反対側に、降り積もった花弁を払って腰かける。もう今更、着物の皺など気にしなかった。
「困ったこと、ですか……わたくしがお役に立てるとすれば、祐太郎さまのお話を伺うこと位でしょうが……それでも宜しければ幾らでもお聞きします。不要であれば何も言いません」
 敢えて祐太郎の方は向かずに、往来を見詰めながら澪子は言う。まさか追手がいやしないかと警戒する意味もあったが、それ以上に、澪子は今彼の方を向くべきではないと感じていた。言動の端々に見える自虐は、きっと彼の望む姿ではない。声を掛けておいて今更だが、本当は誰にも会いたくなかったのではないだろうか。それを、澪子は自分の一方的な感情で邪魔した……ならば、それ以上は弁えるべきだ。
 そう、だから祐太郎の途切れた言葉の続きは聞かない。ほんの欠片でも、彼もまた自分と会えたことに喜びを見出だしてくれていれば良いと願うだけ。

 しかし、続く問い掛けに澪子は僅かに目を見開いた。
 澪子が何故此処に居るのかという、当たり前と言えば当たり前の疑問。それに対する答えを、彼女は全く用意していなかった。流石に、「貴方にお会いしたくて家を飛び出してきました」などと有りの侭を告げるには少し抵抗があるが、それ以外の目的などまるでない。
 偶々通り掛かるのも変な話であるし、悪い人に追われていますなんて言うのも馬鹿な話だ。仕事というのも間違っているし、私用なのは間違いないが、祐太郎が尋ねたいのはそういうことではないのだろう。

「……わたくしは……探し物をしに、この町に来ました」
 暫く迷った末、しぼりだすように澪子は告げる。今度はしっかりと、問い掛けてくれた祐太郎の瞳を除き込むように振り返って。
「それを、わたくしは随分昔に失くしてしまいました。最初は失くしたことすら気付かずにいて、気付いた時にはもう取り返せないものになっていて……何時しか無いのが当たり前だと、そうして生きていくのが当然だと、昨日までずっと思っていました……そう、思い込もうとしていました。けれどわたくしは、あの日、あの図書館で、それを見付けてしまったのです。最初は気のせいだと思っていましたが、どうやらそれは本物だったようで……日に日にその存在はわたくしの中で大きくなって、何をしていても忘れられなくなりました……一度此の掌から零れ落ちて、疾うに諦めた筈の物を、結局わたくしは諦め切れてなど居なかったのです。だから決めました。次は何を失っても構わない、今度こそ本当に欲しかったものを探しに行こうと」

 澪子が失くしたのは、澪子自身。一人の人間としての感情と笑顔。それが、彼の隣でなら、探し出せる気がしたから。
「ですから……祐太郎さま。貴方にひとつお願いがあるのです。突然こんなことを言われても貴方はお困りになるでしょう……もしくは、訳のわからない女だとお笑いになるかも知れません。けれど……わたくしには祐太郎さまが必要なのです」
 知らず、澪子の手は着物の裾を握り締めていた。意識していたわけではないが、それは間違いなく、一世一代の告白だった。
「わたくしにはもう何もありません。生まれた家に帰ることもきっともう叶わないでしょう。もし……もし、それでも宜しければ」
 へにゃり、と。お世辞にも綺麗とは言えない笑顔を浮かべて。
「祐太郎さま、どうか、貴方の笑顔をわたくしに下さい」

【祐太郎君のシリアスな雰囲気を全力でぶっ壊してごめんなさい……m(__)m】

>祐太郎様

8ヶ月前 No.124

絡繰 @ne9rodoll☆V4.8X.AnvuQ ★Tablet=iiKTVigSmi

【月ノ瀬 鳴/荒屋→崖】

 日も落ちかけた夕暮れ時、彼の帰りを、この彼の香りで包まれた部屋で待つ甘やかな時間が好きだった。遠くから聞こえる子供がはしゃぐ声も、街の喧騒も、すべてが1枚幕を隔てた出来事のように伝わり、この世界だけが切り取られる。もうすぐこの家は二人だけの世界になるための準備をしている。それが伝わってくるこの時間は、わたしに甘美な幸せをもたらした。それが泡沫の夢だということも気付かせないまま。

 わたしの物語から歯車がひとつ欠けた日から、既に幾月も経っていた。底冷えした空気はいつの間にかほのかな暖かさを帯びており、優しく周囲を包み込む。
雨が降り止まなかったあの日、愚かな脇役を舞台から引きずり下ろしたあの日から数日後、暁千賀はこの家に帰ってきた。明らかに少し前よりも痩せ細り、立っているのもやっとのような姿を玄関の扉の先に見つけ、哀しさが胸を満たす。愛する人の苦しい姿を見るのは、誰だって辛いはずだ。でもそれよりも、彼が帰ってきてくれたことが嬉しくて、自然と頬が緩んでしまった。あぁ、やっと物語の続きを紡ぐことができると、安堵のまま帰宅を歓迎しようとしたその時には、もう既に彼に抱き締められていた。沢山の言いたいことを全て飲み込むように、何かに耐えるように黙って自分の身体を包む彼からは底なしの愛情が伝わり、力いっぱい抱きしめ返す。彼が頬に顔を寄せた時、漂った鉄の臭いにようやく思い出したかのように自分が血塗れの姿をしていることに気付く。自分はそれすらも彼のために尽くした証のように愛おしく思えるのだが、彼はそうではないだろう。慌てて身体を離そうとしたが、暁千賀がわたしを離すことは無かった。幾ら声をかけてもただ黙って、わたしを抱き締め続けたのだった。

 ふとあの日の抱き締められた感覚が蘇り、幸せな微笑みを零す。思わず再現するように自分の手で身体を抱き締めてしまいたい気分になるが、今は両手が食器で塞がっているので諦める。せっせと夕餉の支度を終え、机に並べていく。ふんわりといい匂いがしたことに我ながら満足気に目を細め、一息を吐いた。その時、背後の扉から彼の帰宅を告げる音が鳴る。おかえりなさい、と声を掛けようとしたが、其れは口から出ることは叶わない。
気が付けば、後ろから抱き締められていた。今さっき思い出していたあの日の抱擁のように、つよく。縋るように、やさしく。そして囁かれた言葉に目を見開いた。けいさつ、その言葉を脳内で反芻し、意味を呑み込む。最初に湧き上がったのは、焦燥でも怒りでもなく、憐憫だった。

「愛の証明を裁こうとするだなんて、愚かなひとたち……」

嘲るように呟いた言葉はすぐ傍の暁千賀にさえ聞き取れないほど小さく。本当の愛を知らないからそんなことが出来るのね、可哀想、そんな哀れみたっぷりの声色だった。不安に駆られてもおかしくないはずなのに、その口角は確かに吊り上がっていた。今まさに追い詰められようとしている人間とは思えない笑顔で、自分を抱き締めたまま動かない彼を首だけで振り返る。

「暁千賀さん、わたしといいところ行きませんか?」

暁千賀に投げられた言葉の答えにはまったくなっていない問いかけを返しながら、引き結ばれた彼のその唇に自らの唇を軽く重ねる。茶目っ気たっぷりなその表情で、渋る時間さえ許さないと言うようにその腕を引いて荒屋を飛び出した。

 軽やかな足取りでいっそ小走りと同じスピードを出しながら彼の手を引いて辿り着いたのはいつかの崖だった。わたしたちが再会した場所。初めて本物の愛を知れた場所。すっかり日も暮れ、昇った月は恐怖を煽るように黒く染まる海を優雅に照らし、そこは不気味なほどに美しい幻想的な場になっていた。

流れた沈黙を裂くのはささやかな波の音だけ。暁千賀と繋いでいた手を徐に離し、一人で僅かに崖の淵に寄った場所に立つ。海に背を向け、暁千賀を見遣ったその表情は、清々しいほどに純粋な笑顔を象っていたが、ほんの僅かに、切なさの色を瞳に宿していた。何も言葉にすることはなく、月を背負い彼を見詰める。いつの間にか片手は祈るように首から提げられた小瓶を握っていた。その小瓶は無色透明の液体で満たされており、一目見ただけでは水と遜色ないものだった。

「暁千賀さん、……月が、綺麗ですね」

静かに開いた口は、気付けばそんなことを宣っていた。全てを捨てたあの日、彼に伝えたかったこと。返ってくることの無い返事に胸を痛めた台詞。分かっているのに、今のあなたがどう答えるかなんて。ただ、後押しが欲しいだけだ。今から自分がすることへの、あの日からずっと決めていたことへの。

 さらに強く、固く握った手の中に収まるこの小瓶は、物心ついた時にはこの首に提げられていた。母はこの小瓶を何度も何度も忌々しげに見詰め、当たるように自分へ暴力を振るった。母ではない、ひとりの女性に、遠い遠い昔に貰ったものだという極めて微かな記憶だけが残っている。悲しげに、でも愛おしそうにわたしの頬を撫でたその女性は、「耐えきれなくなってしまった時は、待っているからね」そう辛そうにわたしに言った。顔も思い出せないその人物は、しかしひどく悲しそうだったということだけを鮮明に覚えている。

「……本来ならば、罰は下らないのです。それでも、逃れることは出来ないと言うのならば、罰されるのはわたしひとりで良いのですよ」

唐突に口から零れた脈絡のない例え話。その真意を知っているのは鳴だけであり、強く握り締めた小瓶の中身を知っているのも彼女だけである。片手に包まれた小瓶を開こうとする気配は未だ無く、彼の返答を待ちわびる。追っ手がこの崖に辿り着くことは有り得ないだろう。緩く流れる時間を惜しむように、崖の淵に立ち背中を押されるのを待つように、優しい眼差しで暁千賀を見つめ続けた。

暁千賀様>>

【お返事たいへん遅くなり申し訳ありません!心中に向け、佳境へ前進です…!】

8ヶ月前 No.125

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

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8ヶ月前 No.126

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【神無颯一郎/かみかぜ探偵社】

「ーーよりによって、君が求めたのとは真逆の、貧乏で偏屈で自己中心主義なエゴイスト、人でなしのろくでなしで死神に取り憑かれた死に損ないの探偵?」

溜息のように消えた声に続く句を諳んじるようにつらつらと詠みあげて、神無は冷ややかに嗤った。日和を詰ると言うよりは、それは自分への嘲笑でもあり此の期に及んで堕ちてまで未だそんなことを言っている嘗ての高嶺の花への嘲笑でもあった。心を見透かしたように な無機質な目を陰険に細め、今や君は此方側の人間だというのに、と口角を上げた。

「僕だって我儘で競争心の強い理想の高すぎる御嬢様は好きじゃない。上から目線で説教を垂れてくるような大人は依頼人にだって助手にだって要らないのに、それがーー」

仕返しのつもりか、わざと言葉を切った。
つんとした態度で機嫌を損ねたように日和にくるりと背を向け、台所に立つ。けたたましい笛吹き音と蒸気を上げている薬缶を火から下ろすと、二人の間には再び静寂が戻った。
神無はそれを持ったまま応接セットに戻ってきて、事件資料を眺めている日和の背後で茶を淹れ始める。先程卓の上に置いた湯呑みに白湯を注ぎ入れると、今度は茶葉を入れた急須にそれを注ぐ。空の湯呑みからは白い湯気がひとひら、名残のようにふわりと立ち昇った。
急須に蓋をする。焼物の擦れ合う音を鳴らしてから、まだ壁の記事を眺めている日和の横顔を盗み見る。また二つ三つ、神無は小さく肩を震わせ拳の中で堪えたような咳をした。過ぎたことだ。弱い者たちの干渉を受けず、過ぎて歪められ忘れられていく些細な事象。寂しい。虚しい。全ては夢の中の戯言、独りぼっちの妄言。寂しい。あんなに気楽で自由だった孤独が、振り返ればとても、寂しい。
いまやきっと彼女も、同じ虚しさに、同じ寂しさに取り憑かれているに違いないと神無は思った。以前の萩原日和には絶対に理解し得なかったであろう、負けて去りゆく者達の寂しさを。憂き世にすら長らえることの出来ない日陰の途中退場を余儀なくされた者達の寂しさを。彼女の孤独と絶望、退廃の引き金となった出来事に、神無はその持ち前の洞察力と推理力で薄々勘付いてはいた。けれどあの時と同じでそれをひけらかす事が出来なくなっていた。代わりに、今の日和ならこの孤独を理解してくれるに違いないと期待した。今の彼女なら救えると自惚れた。
埋もれていく、忘れられていく。面白味も興奮も呼ばぬありふれた真相に浪漫は殺されていく。己の存在した証も、声も、爪痕も、無かったことに、消されていく。此の命がもう長くないとわかってから、凡ゆる方法で余生を彩る術(すべ)を考えた。探偵として愛した浪漫の只中に死ぬ術を考えた。このまま彼奴と同じ病死だけは嫌だと思った。寂しくて、つまらなくて、見向きもされない。ーー……けれども結局。

「そうだよ。変わらない。結局、何も成せない……貴女も、私も」

聞こえなかったのかと思う程、その時には何の返事もしなかった癖に。日和の呟きへの答えは、突として氷のように冷たくその沈黙を切り裂いた。悟り諦めたような声は掠れて、空咳が混ざった。苦しげに口元と袷を抑えて尚、神無は笑っていた。先程の嘲笑じみた皮肉な微笑とはまた違う。世間の凡ゆる正解と成功を蔑み、凡ゆる美しいものに憧れ、凡ゆる幸福を諦め、凡ゆる堕ちてきた同胞を歓迎する、死神のような温かさで。

「……死ねば楽になる。狂ってしまった戯曲の幕引き。虚しさ、遣る瀬無さ、後悔の、特効薬」

若葉の青々しい香りを移した淡い黄緑の液体を、二つの湯呑みに交互に流し落として、その片方をそっと日和に勧めた。

>日和さん

8ヶ月前 No.127

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

【 萩原日和 / かみかぜ探偵事務所 】

「あら、心が分からない探偵さんが私の心を読み取ったつもり?」
 嘲笑する神無のほうを振り返り、日和も皮肉を込めて嗤った。そして小さく溜息をつく。

「……私は何も言ってないわ」

 神無の仕返しに特に怒るわけでも心痛するわけでもなく、日和の視線は再び新聞記事に向けられてた。官庁で働いていたときも、屋敷で縛られていたときも、嫌味は耳にタコが出来る程聞かされ続けていた。自分が我儘だなんて、そんなこと言われなくても知っている。言葉は日和の心に刺さらなかった。傷つくには、もう心に穴が空きすぎていた。
 茶筒が開く音に耳を傾けながら日和はこれまでのことを思い返していた。思い返しても意味はないのに、記事を見て何度も何度もあのときのことを思い出していた。虚しいと思う。陶器の擦れる音も、急須に液体が入る音も、神無の咳も、自分と神無の虚勢を張った啀み合いも、そして自戒するこの気持ちも。全ては空虚な渦に飲み込まれていく。全くの無意味。もう時は戻らないというのに、あのときどうすればよかったのか、自問自答ばかりを繰り返してしまう。

 なんとなしに溢した独口を汲み取った神無に日和は驚き再び振り返った。彼女を諭すなかで「私も」そう神無は言った。他人の事件にしか興味を示さない神無が、初めて自分のことを口に出した瞬間だった。日和は神無のことを何も知らない。同じ血の通った人間と思えなかった彼も、もしかしたら自分と同じように寂しさ、悲しさを感じているのかもしれない。根拠はなかったが、なんとなくそんな気がした。
 ゆっくりと湯飲みに緑茶が注がれていく。

「探偵にしては随分と乱暴な幕の締め方ね」
 自殺を促すような神無の物言いに日和は何だか可笑しくなり小さく笑った。しかし目は変わらず光を灯していない。

「……無理よ。萩原家の大事な見合いの前で自害だなんて、これ以上お父様たちに迷惑をかけられないもの」

 「ありがとう」差し出された緑色の鏡を眺めながら、日和はそっと湯飲みを持つ。掌にじんわりと熱さが伝わってきた。なぜ、唐突に神無は特効薬と言ったのか。もしかしたら目の前の飲料に毒が盛られているのではないかと疑惑が一瞬脳裏を掠めたが、それでも日和は一口、緑茶を啜った。


>神無さん

8ヶ月前 No.128

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【神無颯一郎/かみかぜ探偵社】

未だ乱れ無き襟元の前で、湯呑みを包み持った白い両手が上下するのを神無は暫く黙って見詰めた。白砂の如く透き通る肌に脆い桜貝のような爪を乗せてた指先を行儀良く揃えている。長年のうちに染み付いた所作振る舞いは、そう簡単には変えられない。些細な癖が、二人の間に横たわっていた深大な溝を思い出させた。まるで自殺教唆めいた話の流れと共に出される一服は、疑惑の香りがすることだろう。日和もやはり毒入りの線を疑うようなそぶりを見せた。しかし彼女は、予想に反して其れをゆっくりと啜り飲み下した。
「そう言う割には」
ごくりと極僅かに動く喉を、湯呑みのふちが離れることで現れた口唇を、一つ一つ観察し見届ける。神無もまた、自分の湯呑みを手に取った。
「毒かもしれない怪しい茶を、貴女は飲むのだね」

吐息の名残で湯温を冷まし、茶を自らの口に運ぶ。啜る。そしてまた似たように嚥下する。日和と神無の間に奇妙な沈黙が流れる。

「……こほっ。ふ、ふふふふ……けほっ、けほっ、君を変死体にして、私も変死体になろうかと思った」

この世界は小さきものたちを無視して廻り続ける。変わらない。何も成せない。虚しい。それが理不尽でも現実だと取り澄して。神無は噎せたように咳き込みながら芝居の筋書きみたいにまるで浮世離れした白状をし、笑い出した。その死に瀕した呼吸にさえ似た笑いは、苦しげで、酷くやぶれかぶれで、同時に何処か楽しげで幸福そうだった。その通り、そんな呆気無い死に方はさせない。
何も無い平和の中に眠るこの不幸を、なんの不思議もない退屈のうちに世界から名前さえも殺されるこの寂しさを、昇華させる方法があるとしたら、もはやこの一つしか残されていないと神無は思っている。
生き残れないなら、彩られた死ーーを以て、浪漫のうちに活き続けることだ。
自分への救い、恩人である日和への救い。
独りでは無いことへの依存、語り継がれるべき犯罪への慕情、美しく謎めいた死体への憧憬。
彼女は美しい。彼女は助かりようが無い。彼女のことをあまりよく知らない。赤の他人であるはずの自分と彼女が死んでいたら、みんなきっと訝しむ。詮索したがるだろう。世に有る限りは何も成せない、奈落の底のつまらぬ男女が、現(ゆめ)を離れた夢(うつつ)の中で、人々の頭を悩ませ思いを煩わせる。浪漫の住民達の嫉妬と羨望を集める。なんだか憧れる話じゃないか。心中。けれど此処には戀(こい)という名も、形も無い。彼女の名前すら、呼んだことがない。一度たりとも。それが良い。
ーー君を変死体にして、私も変死体になりたい。

「なんて……戯言だよ」
急に、ぽつりと吐息のような声に戻って、狂気じみた無用の冗談を撤回する。何も入っていない。毒も薬も。ただの茶だ。もはや心の死んだようになった日和を助ける楽な逃げ道として、死という選択肢を芝居紛いに提示した。しかしそれは簡単に却下された。あまりにも現実的で味気ない乾いた風が、一瞬にして灯った熱情を攫っていく。家の為。彼女が逃げたいか、生きたいか、そういう理由ではなく、結局家の為。飾り立てられた彼女を縛る鎖が見えた。

「見合いねぇ……ん? 君、オギハラって言うんだ?」
へらへらと笑っていた顔面から、笑みを消して立ち上がる。黒目がちな艶のない眼が珍しく剣呑な目つきで細められると、唐突に熱い茶を持った掌を返す。刺繍も美しい半衿から左肩に向かって、日和の着物に茶を浴びせかけるため。彼女の親が娘を飾るために設えたのであろう高級感漂う煌びやかな着物に、これから見合いにいく女の清く正しく整えられた襟元に、特効薬≠ヘ放物線の軌跡を描いた。
短絡的な行動は、まるで子供の所業だった。官庁で裸婦の写真をばら撒いた時と同じで、常識や社会適合性というものがまるで無視されている。

「……見合いなんてやめてしまえばいい」

>日和さん


【遅くなりましたっっ! 申し訳ない!】

7ヶ月前 No.129

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPad=MUiShf7G5m

【 萩原日和 / かみかぜ探偵事務所 】

『毒かもしれない怪しい茶を、貴女は飲むのだね』
 神無の言葉を聞いて、日和はふと我に返った。確かに湯飲みに毒が盛られている可能性は十分にあった。それは日和も重々に分かっていた。それなのに何故、自分は率先して口をつけたんだろう。見合いに戻らなければならないと口では言っておきながら、何故自分は毒が盛られているかもしれない緑茶を飲んだのだろう。日和は考える。

「……もしかしたら貴方の言う通り、本当は死ぬことを望んでいるのかもしれないわね」

 沈黙を破るように、日和はそっとその答えを呟いた。何が可笑しいわけでもないのに不思議と自虐的な笑みが溢れた。見栄を張って強がっているのは最早口先だけで、それ以外は、身体の全てが逃げ出したいと叫んでいた。もう自分の気持ちに嘘を吐くのもそろそろ限界のようだった。

 しかし寂寞とした静寂も束の間、日和の見合い≠ニいう言葉を聞いた瞬間、神無の顔から飄々とした笑みが途端に消えた。そして勢いよく立ち上がり、もの凄い剣幕で彼女を見つめたかと思うと、「な、なによっ……」日和が凄む暇もなく、次の瞬間には熱湯が彼女の着物に降り注がれていた。神無が自身の緑茶を日和に浴びせたのである。そのうちの数滴が彼女の首と頬にかかる。

「熱っ……ちょっと、なんてことをするのよ!」

 突然のことに驚きつつ、怒りを露わにした日和は立ち上がり、神無の頬を力一杯に引っ叩いた。乾いた音が探偵事務所の中に響き渡る。それからの数秒の間、お互いがお互いの瞳を無言のまま凝視していた。日和は少しだけ背伸びして神無を見上げていた。やはり神無の方が随分と背が高かった。日和が誰かを打つのは官庁窃盗事件に続いて、二回目だった。

「せっかくのお着物が……これじゃあお母様に顔合わせができないじゃない……」

 吐き捨てるように日和がつぶやく。本当はそこまで残念がっていないくせに、彼女の口はどこまでも意地っ張りで達者だった。


>神無さん
【レスの時系列って何だか平行世界って感じがするんですよね……あ、あとメビって傍点が付けられないのが腹立たしいなあって何年前から思っているんですが共感してくださる方はいませんか……っていうのは余談で、神無さん×日和ペアはお互いあと2レスくらい書けば完結に迎えそうな気がしますね】

7ヶ月前 No.130

篠宮暁千賀 @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=MNgMSKnMpI

【篠宮暁千賀/崖付近】

 警察――その言葉に反応してか、鳴が息を呑む。表情は見えなくとも、鳴を抱いた腕に伝わる呼吸からそれを理解した。鳴がごく小さな声で、何か呟いた。真後ろにいる暁千賀にすら、その言葉は聞き取れなかった。ただ感覚的に分かったのは、彼女の呟きには恐れも、焦りもないということだった。余裕という表現に近いものを感じた。鳴はいったい何を思っているのだろう。誰よりも愛しく、自分が守らねばならない存在。それは揺るぎないことだったが、暁千賀にな鳴の考えることが今だわからなかった。その要因の一つは自分が彼女に手を汚させてしまったからかもしれない。やるせなさを感じ、鳴の後ろ頭に視線を落とした。それとほぼ同時に、不意に鳴が振り向いて顔をあげる。

『暁千賀さん、わたしといいところ行きませんか?』

 自分を見上げるその眼差しは、無邪気な少女のそれそのものだった。鳴のこんな表情を見るのは初めてだった。嬉しそうに、楽しそうに、目をきらりと光らせる。嫌な予感がした。けれど暁千賀が言葉を発する隙さえ与えず、鳴は背伸びして自らの唇を暁千賀のそれに強引に重ねる。やがて唇を離したかと思えば、鳴はその細い指を暁千賀の手に絡め、素足のままに外へと駆け出した。
 手を引かれるままに行き着いた先は、鳴と再会したあの崖だった。夜の静けさに波のさざめきだけが響く。淡い月影に照らされた鳴が、胸元の小瓶を握りしめて言葉を紡いだ。月が綺麗、その言葉に秘められた鳴の真意はわからない。こちらを向いたまま徐々に後ずさる鳴は、あと半歩も下がれば足を踏み外しそうなほどまで崖に迫っていた。暁千賀は徐に鳴に近付いた。そして崖の縁に並んだまま、片腕を鳴の背に回した。

「あなたが一人で罰を受けるなど、私は許さない」

 鳴が海に身を投げるというなら、それが彼女の選択なら、止めるつもりはなかった。けれど一人で逝かせてなるものか。元々あのときに捨てたはずの命。彼女を一人この世に遺していくのでないのなら、惜しむ理由などなかった。もしかするとあの日彼女に出会って生き永らえたのはこのためだったのかもしれない、とすら思えた。

「……あなたは、本当に美しい」

 不意に思ったことが口を突いてでる。月明かりの下に立つ鳴の姿はさながら妖精のようだった。目の前にいる彼女の姿をこの目に焼き付けておかなければ。腕に伝わる彼女の息遣いも決して忘れぬよう。じっくりと鳴を見つめたのち、彼女の顔にかかる髪を空いている方の手で撫で上げ、静かに唇を重ねた。

>鳴

【こちらこそ大変遅くなりまして申し訳ありません……!迷ったのですが、瓶の内容については全く気付いておりません……!最期までどうぞよろしくお願いします!】

7ヶ月前 No.131

朧塔子 @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【朧塔子/聖ホワイト教会跡地】


 春の気配を孕んだ風が吹き抜けて、塔子は顔を覆い隠したベールが飛んでしまわないように、黒い絹の手袋を着けた右手で押さえる。崩壊した建物から漂う破滅と終焉の香りに両目を細め、風が流れていっただろう空を見上げた。

 嗚呼、怖い位に青い、なんて高く澄んだ空。

 その時だった。枯れた草を踏み分ける微かな足音とひとの気配に塔子が振り返りかけて、しかしぴたりと静止する。聞こえてきた声、それは渇望する程に望み、恋い焦がれたひとの声。耳朶を駆け抜け、通る側から三半規管を侵し、脳髄を焼き焦がす、声。
 返事をしようとして、塔子は急に渇いた喉に声が貼りついて出てこようとしない事に気付く。自分が考えてうた以上に、自身がただの恋に堕ちた女なのだと思い知って、もどかしさと気恥ずかしさに軽く唇を噛んだ。

 震える右手を左手で押さえつけ、揺らぐ爪先に踵を強く踏み込んで。ゆっくりと振り返り、しっかりと目を見開いて、其処に立っているのが確かに自身の待ち焦がれた想い人である事を確認する。幻だろうか、否、もしそうであればそれはそれで構わない。

狂っている事は自覚済みだ、なにせ恋だの愛だのとは熱病と同じ、死に至る病なのだから。

「十朱さま」

 ようやく音として発する事が出来たのは、ただ相手の名だけだった。意外に掠れもせず、密やかでありながらしっかりと通ったその声を自ら追うように、ふわりと一歩、また一歩と十朱の方へ歩んでいく。
 最後に十朱と別れた時よりも幾分か痩せたその身体は儚くも見えるが、ベールの奥で静かに薄ら笑むその瞳には燃え盛る業火のごとき情念が透けて見えていた。果たしてそれに、十朱は気付くのだろうか。

「……少し痩せられました?」

 十朱の目前、両腕を伸ばせば抱き締められる距離まで来て、塔子は歩を止めた。身長差から見上げる形になりながら、じっと彼の顔から目を離さない。十朱を見る強い視線、しかしその瞳は微かに揺れて震えていた。
 そっと、両手を上げていく。そのまま十朱の頬に触れようと手を伸ばし、しかしあと少しの所でその手を止める。触れた消えてしまうというように、指先が当たるだけで壊れてしまう繊細な砂糖細工を恐れるかのように、そのまま一度上げた手を下げる。しかし未練がましくも諦めらないのか、もう一度手を上げると、頬に触れるか触れないかのぎりぎりの位置で止めたまま、ふと囁いた。自身のやつれた容姿を棚に上げて、緩く口元をほころばせながら。
 触れずに、触れないままに塔子の淡い体温だけがうっすらと、空気を介して十朱の肌を擽った。

「運命だから、また逢えましたわねぇ……でも」

 ふっと、塔子の瞳の揺らぎが止まる。凪いでいた湖に吹く風が止んで、代わりに差していた柔らかな春の陽光が陰るがごとく、煉瓦色をしたその輝きがふいに褪せる。
 伸ばしていた手を緩々と下ろし、塔子は何処か諦めたような冷たい微笑を浮かべた。そして右手を顔の前まで持っていくと、人差し指を軽く噛み、そのままゆっくりと手を下ろしていく。するすると絹に手袋が外れていき、唇から滑り落ちて地面に落ちたそれはまるで命を失くした小鳥のように見える。
 右手の肌の上には、真っ赤な痣が揺らぐように刻まれていた。肌が白いからこそ其処にはっきりと浮かび上がる紅色がより鮮烈に見え、あまりの激しさは毒々しささえ見る者に感じさせるだろう。

「こんな、――――こんなあたくしと、本当に運命の糸で結ばれてしまって良いのですかぁ?」

 すうっと深く息を吸い、そして小刻みに震える唇を強く噛んで、震えを止める。滲んだ朱色の液体をちろりと舌先で舐め取ると、塩辛いような鉄の匂いを感じた塔子は決心を揺らがせぬようにんまり作り笑いを浮かべてみせる。
 手袋を外した右手で、塔子はベールをたくし上げた。日の下に晒されたその顔、その右半分に踊る焔の紋章。地獄の焔を思わせる、鮮やかな紅の痣。業の象徴のような、自らが犯してもいない前世の罪に下された、堕ちたる神からの罰。

 今まで家族以外の誰にも明かさなかった秘密を、遂に塔子は十朱に明かした。もう隠してはおけなかったのだ、これが運命だとすれば猶更。愛しいひとに、己のどうしようもない定めを否定し、拒絶させるのであれば早い方がいい。
 終わるならせめて自分の手で幕を引く、塔子の悲痛で悲壮な決意は、諦めを凌駕してすでに命を絶つ覚悟と同じだった。


>>十朱


【またも長い間お待たせしてしまい、本当に本当に申し訳御座いません……!】

※警告に同意して書きこまれました (性的な表現)
7ヶ月前 No.132

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【神無颯一郎/かみかぜ探偵社】

探偵事務所とは名ばかりの、寂れた木造借家の一室に、その乾いた音は響き渡る。左の頬に走る稲妻のような痛み。次いでじんじんと燃えるように脈打ち、熱を帯びる。神無は自らの指を熱い頬に這わせる。その感触を、生きている痛みを、触れた指先で確かめ噛み締めるように。
頬を駆け抜けた音と痛みは、まるであの時と同じ既視感を与えた。けれど神無はもう、驚かなかった。不思議そうな顔もしなかった。代わりに独り善がりに対する日和の暴行の全てを赦し、やさしい気持ちで見守った。頑なで感情的な彼女は気が付いていないのかもしれない。凍る夜のように冷たい眼差しが睨んでいたのは、日和ではなく彼女の肩越しに見えた背景。 地位と財産、格式と因習。変わり果ててしまった彼女を縛りつける家という鎖を目掛け、人で無しの幼稚な社会不適合者は熱い茶を放ったのだった。
神無は日和を見詰め、日和は神無を睨んで、暫く時が止まった。
先に沈黙を破ったのは日和で、その苦情にいけしゃあしゃあと応えるいつもの調子で神無は言った。

「……そうだよ。顔合わせする必要すら無くなるように着物を汚したんだから。その格好で見合いには行けないよね」

その悲しい鎖を憎んだからこそ、少しだけ、日和が怒りのままに取り繕いもしないで平手打ちを繰り出したことに神無は安堵した。自分の命は今日しも燃え尽きかけている、日和の身の上は今生の地獄ともいうべき絶望的状況に堕ちている。それでも未だ、人間的な温度をもった彼女に欠片ほどでも戻ったような、彼女が彼女に戻ったような、そんな気配が垣間見られたから。

「あーあ、これで君にはその……ハギワラだっけ? なんとか家≠フ飾りの価値も無い」

白熱する間に自ずと肘掛け椅子から立ち上がり睨み合っていた二人だったが、先に視線を外したのは神無のほうだった。書簡の宛名でしか知らなかった為にやっと読みを覚えた筈の日和の姓を簡単に忘れーー或いは忘れたふりをし、空になった湯呑みを柔らかな座面に放った。手のひらを離れたまだほのかに温かい湯呑みは、割れることもなく柔らかな綿布に飛び込んでいく。
流石に怒らせてしまったか、悲しませてしまったか、己の短絡的行動の後始末の仕方を考えていなかった神無は、襟元に薄いシミを印した立ち尽くす日和を無関心のふりからそっと見遣った。大きな悪戯をしてしまったあとの子供のような罰の悪さと、ささやかな独善的な満足感とが入り混じる。ただ、彼女に言えていない動機がまだ一つ喉の奥に残ったままだ。貴女を行きたくない見合いに行かせない為、貴女を縛る家の絆(ほだし)を邪魔だと思った故、貴女に邪魔物を断ち切る勇気が無いのなら僕が代わりにと思い上がった果て……それだけじゃない。

目を伏せ俯向く横顔だけを見せたまま、神無は言おうか言わまいかじっと考える。今だけならば分かりあえる気がする。否、一方で決して交わらぬ世界に生まれ育った者同士、死ぬまで分かり合えない気もする。おそらくはもうすぐ、死ぬというのに。
目を上げて、日和を振り返る。ただでさえ道中汚した着物に理不尽に茶を浴びせられ、洒落て短く揃えていた髪は無惨に一部が濡れて首筋に乱れ纏わり付いている。泣いて化粧の崩れた顔も、目の下に現れた隈も、痛々しく弱々しい。それなのに人を詰る気の強い眼差しが再び灯るのも、健気に背伸びをしている様子も、どのように意地を張り嫌味を言おうと思案してもーーなんだか清々しかった。
見合いを妨害した勢いで抱き寄せて囁けでもしたら、漢気もあっただろう。けれど此の期に及んでさえ、穢れた病躯で壊れ物のような小さな婦人に触れるのは躊躇われた。さっき玄関で彼女を助け起すのに手を差し出した事さえ嘘のように思えた。
「……それに」
結局日和の方に半歩戻っただけで触れることもない意気地なしだ。共感を願いながら、此の自分と此の孤独が誰かに理解される希望を信じることが出来ない。詰まりながら絞り出した言葉は、次の句を喉吹き抜ける風の音に攫われた。喉まで出かかった真相が胸郭の内で荒れ渦巻くように、堪え難い胸の熱さと圧が湧き上がる。神無は激しく咳き込んだ。さっきまでの空咳よりも酷く、その場に蹲ると椅子に腕をついて身悶える。暫くなりを潜めていた死の影が、蕾をつけた桜木の見える格子窓から覗き込む。口を塞ぐ己の手のひらを、温かく滑る鮮血が汚した。
「そ、れに……独、りにしな、いで欲し…………げほごほっ」
息も絶え絶えに、赤く濡れた唇で、神無はある日の譫言と同じことを言った。感情ではなく生理的に浮かぶ涙に視界を滲ませながら、椅子の足元に崩れ、背凭れに爪を立てた。
自らをもはや人ではないと、生きる屍だ亡霊だと自嘲しながら、孤独な死の前にしがみつかずにはいられない。恩人を助け楽な逃げ道に導きたいと嘯きながら、浪漫ある心中に巻き込みたがる癲狂を騙りながら、縋る身の惨めさをひしひしと感じた。

>日和さん

【そうですねー、あと二投ずつぐらい? 頑張りましょう!】

7ヶ月前 No.133

礒山醍醐 @nnir749☆A3LxctuN3d2 ★nXNfBmBWZd_m9i

【礒山醍醐/聖ホワイト教会跡地→庵(礒山邸離れ)】

この世に慈悲はあるのか。もしや、今生に慈悲など存在しないのではないだろうか。
燃え果て、今や消し炭となってしまった信仰の跡地を眺めながらそのようなことが、頭に過った。
彼女が救われる道は、いったいどこにある。


聖ホワイト教会が焼け落ちた日から数日後、軍での職務を終えた醍醐が帰る先は軍の近くに居を構える礒山邸ではなく、そこから遠く離れた、郊外に近い場所、予てより醍醐が立てさせていた礒山家の離れ――――醍醐と将来の妻が暮らす庵となっていた。

「房、今日はもう帰れ」

夜の帳が降り、もうすぐあたりが闇に包まれる兆しが見えつつある夕暮れ時。珍しく早くに帰宅した醍醐は既に食事や風呂を済ませ、その後片付けに励むこの庵の手伝いである女中の後ろ姿に声をかけた。

「あら醍醐様、しかし明日の準備がまだ終わってませんわ。」

夕食の後片付けを終えた質素な着物姿の女、房(ふさ)が少し驚いたように目を丸くして振り返る。かちゃりと皿を戸棚に戻し、布巾を畳む。

「明日の朝食の準備は終わっているだろう?それで十分だ、今日は家に帰って休め。」

ここ数日泊りがけだっただろう、と醍醐が珍しく労いの言葉をかける。房は、まだ住める段階としては準備が整っていなかったこの庵に急遽、この庵の主である醍醐とその醍醐が招いた客―――シスター・ホワイトがしばらく身を寄せることとなり、そのために食事や掃除、身の回りの世話を急であったため泊りがけで行っていた。教会が燃えたあの夜、行き場を失ったシスター・ホワイトを見つけた醍醐が寝泊まりをここでするといいと、彼女をこの庵に招いたのだ。
本来この庵は将来醍醐とその妻が暮らすための場所。醍醐が庵を空けている間は手伝いを頼むだけのつもりだったが、急な来客により駆り出されていたのだ。
そもそもそのような場所に突然女性を、しかも異国の方を連れ込むだなんて、決してあってはならないことだが、房は何も言わずにシスター・ホワイトを受け入れ、身の回りの世話を焼いた。
正直、醍醐の本心や何を考えているかは房は全くわからないが、知人の妹で行く当てがなく困っていると紹介されたときに疑問を抱かなかったわけではない。しかし何かよっぽどの事情があるのであろうと踏んだ房は、何も触れずに変わらずこの庵で働いている。

「もう暗くなる、足を手配するか」
「いえ!そのようなことなさらず!家は近くの通りにありますので!ですので私のことは気にせず、また明日お伺いします。」

醍醐の申し出をいそいそと断った房はにっこりと笑いながら、おやすみなさいませと一礼し、庵から帰路へ向かった。
ご苦労、と一言だけかけ、横目で庵から出ていく房を姿を見送った。庵の戸締りを確認し、一服するために縁側の方へと向かう。

夜空に輝く月をまんまると映し出す小さな池が見える縁側は醍醐が気に入っている場所でもある。今宵は月の眺めもいい、考えたいこともある。夜風に当たれば少しは頭もさえるだろうと思い、縁側に腰を下ろす。いつもは洋装に身を包んでいるが、庵では珍しく灰色の着流しを着用している。肌を見せない普段のきっちりとした装いよりも今はゆるりとしており、悩ましげでどこか仄暗く見えた。

庵の二階の一室に灯る光、その部屋の仮の持ち主であるシスター・ホワイトのことを想いながら、月を見上げた。彼女や自分のこれからの行く先に、思いを巡らせながら。

>>シスター・ホワイト様


【長らくお待たせしてしまい大変申し訳ございません;;後ほど場所やサブキャラクターについて説明を書かせていただきます。
 本当に遅くなってしまいましたが、最期に向け宜しくお願い致します。】

7ヶ月前 No.134

シスター・ホワイト @sweetcatsx☆2/Tw0gYxHcQ ★iPhone=VHGaT7ZbKj

【 シスター・ホワイト / 庵(礒山邸離れ)】

 聖ホワイト教会が焼け落ちて数日が経った。いくら自身の建物だとはいえ立派な放火罪であり、放火犯であるシスター・ホワイトはある場所で匿われていた。

 街の中心部から離れた場所にあるとある庵。其処にシスターホワイトは居た。あてがわれた二階の一室、窓の外で輝く月を眺めながらシスターホワイトは小さく息を吐く。普段の黒の修道服はあの炎の中に投げ入れ燃やしてしまった、代わりに真白の着物を身に纏い、脳裏に浮かぶのは自身を匿ったこの庵の主、礒山醍醐の事だった。軍人である彼、自身とは全く違った道を歩く彼、本来なら交わる筈のない彼。

「――――これから、どうすれば良いのでしょう」

 その問いに答える神はもう居ない。その神はもうすでに燃え落ち焼き尽くされた。信仰心とともに。もはや自分に頼れるものなど、何もないのだ。未来さえも、あの炎の中に焼べてしまったのだから。

 物音に振り返る。どうやら彼が仕事から帰ったようだ。シスターホワイトは緩やかに扉の方へと歩きその扉を開ける。居候の身、主人の帰宅に部屋に籠るなど出来るわけもない、という思い。そしてただ彼の顔が見たい、なんていう思い。双方の思いを抱えながら。

「……お勤め、ご苦労様に御座います」

 きょろきょろと辺りを見回しながら足を進めた先、夜空に輝く月と小さな池が美しいあの庭に面した縁側に座る灰色の着流しの男、礒山醍醐の背に声をかける。様々な思いを駆け巡らせながら。

 神に背いても、信仰心を捨ててでも、ただともにいたかった男。その思いが許されることはないのだろう。ならば、私達の未来はどこにあるのだろう。

>> 礒山醍醐さん


(わ〜〜!醍醐さんかっこいい!着流し最高ですね…! こちらこそ最後までよろしくお願いいたします!)

7ヶ月前 No.135

礒山醍醐 @nnir749☆A3LxctuN3d2 ★nXNfBmBWZd_m9i

【礒山醍醐 / 庵(礒山邸離れ】


生まれた場所も、人種も、価値観や生き方さえも違った二人が、ようやく見つけた共通点。それが共に罪を犯した者であることなど、なんと恐ろしいことか。
しかし、歪な形ではあるが、彼女とようやく道が合ったことにが、自分は喜ばしいとさえ感じる。

思わずこぼれた小さな笑みに、醍醐はハッとする。醍醐は今まで抱いたことが無い感情に食われていた。彼は物心つく頃から、いや自分の自由を奪われた時から人を愛したことなどなかったのだ。家に縛られ、一つの道しか選べなかった彼は嘆いたが、やがて一つの炎を灯し、元の自分の道を引き裂いた。周りにいた人間を犠牲にして。
そのような思いを抱えたまま長い時間を生きてきた彼は、彼女と出会い、言葉を交わし、触れて、忘れていたはずの心を思い出した。
それが善きことなのか善くないことなのかは、彼自身にもわからない。ただ、自分という人間を変えたその感情は、もう二度と忘れることはないだろうということだけはわかる。

改めて彼女について思い返していると、不意に後ろからかけられた声。紛れもない、シスター・ホワイト、彼女の声だ。いつもと変わらぬ表情でちらりと後ろにいる彼女に目をやり、少しすると前の縁側から見える風景に目線を戻す。

「……ああ。なに、いつもと変わらない仕事だ。」

退屈で退屈で、反吐が出そうになる仕事だよ。とシスターとは目を合わせずに、吐き捨てるように苦々しい声でため息交じりに言う。
礒山家は父の代から政府に従属し軍人として名を挙げてきた家だ。このように自分の仕事について話したのは、彼女が初めてである。

「――――よければ君も座れ。これからについて、話さないか。」

スッと軍人らしからぬ長く細い指で自分の隣を指さし、促す。これから考えなければいけないこと、シスター・ホワイトが思い張りつめていたことをについて話そうと、後ろにいる彼女を誘った。
思えば彼女とは、この庵に招いたが職務に追われロクに話しができていない。いや、今まで彼女とは実はロクに話したことが無い。最初の教会での出会いも、結局嫌みのようなことを言うだけの一方的なやり取りをした覚えはある。そんな相手が今自分の手の中だけはなく、心にさえも住み着いているとは。あの時は予想もしていなかったことの顛末を、はてさて、自分たちはどうこの道を進み、どのような結末を迎えるのか、それはこれから、二人で決めるのだ。

>>シスター・ホワイト様


【ワーッありがとうございます!シスターさんも真白の着物……素敵です……!
 そして投稿が3月を過ぎてしまいすみません;後ほど延長のご連絡をさせていただきます。】

6ヶ月前 No.136

ししくれ @kmnkha☆/pH2qpQf7L2 ★ieluDUuGrE_Xw0

【衣笠 十朱/聖ホワイト教会跡地】


 冷気を孕んだ春の風に乗って、待ち詫びた声が聞こえる。自分の名が呼ばれることをこれ程までに嬉しく思ったのは初めてに違いない。そう断言できるほどに、その声は何度も繰り返し頭の中で反芻し、終には擦り切れて原型がわからなくなるほどの、愛おしい声だった。あまりの喜びからか、先ほどまでの死にたい心持ちなどはすっかりと忘れ去られ、今ではなりを潜めてしまっている。
 此方へ歩み寄ってくる塔子は十朱の直ぐ手前で立ち止まると、口元を緩めながら言葉を紡ぐ。ベール越しに覗く瞳には何かが宿っているかのように熱を帯びながらも、何処か所在無さげに彷徨っている。どうにもそんな風に感じられた。それは、十朱に向かって伸ばした腕を静かに下ろしてしまったことも関係しているのかもしれない。傲慢さに似通った自信に散らばした様な彼女とは思えないそのためらいがちな行動に、違和感を感じた。胸の奥に何かが引っかかる様な感覚だ。塔子の掌は再び頬の傍まで近づいたが、その手は決して十朱に触れようとしない。まるで何かを躊躇う様な、壊れ物を扱う様なそんな調子だ。空気を介して伝わるほんの少しの温もりが喜びと微かな寂しさを引き連れて歩く。痩せたかと十朱に尋ねた彼女だったが、そういう彼女の方こそ随分と痩せた様に見える。彼女の行き過ぎたまでに細い体や、何処か靄のかかった様な言動には疑問が浮かんだが、彼女と言葉を交わせることがこの上なく幸せだった。

「あなたの方こそ、お痩せになられた」

 そう言った十朱が浮かべた微笑は、安堵とそれから僅かばかりの弱さが滲んだ。此れ迄の積み重なった心労や緊張が解かれたのか、今までのように自分の意図を伝える為にと精巧に作り上げられたものとは違う。どこか疲労の雰囲気もある。しかしそれは決してやつれているというわけではなく、子供を寝かしつける波の様に穏やかで安らかな表情だ。
 塔子は運命という言葉を口にしながらも歯切れが悪かった。さてはて、どうしてものかと考えている最中、突然塔子の顔から表情が消えた。それは十朱の知っている限り諦めのような何か。見ている方が悲しくなる様な目だ。十朱が異変を確信した直後、塔子はするりと右手袋を外した。黒く覆われていた部分が姿を表す。そこにあったのは、白い肌にはっきりと浮かび上がる真っ赤な痣。片手だけの手袋とは変わっていると思っていたが、アンバランスなその服装の原因はそれだったのか。最初十朱は妙に納得した気分になった。しかし塔子が絞る様にして放った言葉があまりにも悲痛で、言葉を発した彼女の口は震えていて。
 その時になって初めて、十朱は彼女の本質を理解した気がした。過剰とさえ取れる自信と余裕に満ちた行動。しかしそれとは裏腹に、儚く脆く、虚無に取り憑かれ、生き急いだ様な雰囲気はこの痣のためであったのだ。痣があろうと十朱には少しだって気になることではなかったが、世にはそれを快く思わない人もいるだろう。そうだというのに、それを消す術はない。永遠に生まれ持ったからだと付き合っていくしかないのだ。そういった定めのもとに生まれてきた彼女の苦しみは彼女以外の誰も計り知ることなど出来ないだろう。
 その秘密を打ち明けるのに如何程の勇気が必要だったのか。それが自分の想像を凌駕することだけは十朱にも分かる。怯えた様子で唇を噛みしめる彼女を、守りたいと、そう思った。その決心は、彼女の顔にも同じ様な火傷に似た紋様があったとしても揺らぐことはない。けれど痣が彼女の虚無を掻き立てているというのならば、それほどまでに彼女を苦しめるそれに憎悪さえ覚える。しかしそれと同時にそれが純白のままに孤独を抱く彼女を生み出したその痣が、十朱にはとても神聖なものに思えてならなかった。そう思う自分に嫌悪感を覚える中、塔子の唇から滲む血を見て、つい、手が伸びた。思考を整頓する暇も、この先について考えている暇もなかった。ただ、そうしなくてはならない気がしたのだ。そっと、塔子が拭い取れていなかったほんの少しの液体を拭う。

「貴方だからこそ、私は運命を信じるのですよ。貴方でなければ、意味がないんです」

 もう片方の手で、彼女の頬に触れる。こうして彼女に触れるのは初めてだった。柔らかな茶色の髪が手にかかる。それがようやく彼女の温もりを直に感じることができたことがとても嬉しかった。頬に何かが伝う感覚がして初めて自分が泣いていることに気づいた。そうして、もう自分が彼女無しでは生きていけないだろうことを悟った。けれど彼女が自分を求めないというのなら、私は独り死んでしまえばいい。それに今ならあまりの幸福で死んでしまえそうだ。しかし彼女をこのまま孤独の海に沈ませるわけにはいかない。もうこれ以上傷ついて欲しくないのだ。このまま、運命を信じるままの彼女でいて欲しかった。けれど、見えない壁で阻まれたこの世界で二人が生きることなど出来ない。大きな隔たりのあるこの世界に逆らわなければ、生まれるのは悲しみと死、たったそれだけだろう。その他に生まれるものなど何もない。ーーああ、それならば。この世界に救済がないのなら、二人で新しい世界を作ればいい。身分なんてものを気にすることのない世界を。

「……ねえ、塔子さん。私と共に生きてくれやしませんか?」

 悠久ではないこの時を二人で過ごし、貴方にはずっと思うがまま息をして欲しい。叶うならば、貴方と私、たったふたりの世界で。
 十朱は彼女から静かに手を離し、改めて手を差し伸べた。



 >>朧 塔子様
【お返事が一ヶ月近くも遅れてしまって本当に申し訳ありません……、最期までお相手していただければ幸いです。】

6ヶ月前 No.137

シスター・ホワイト @sweetcatsx☆2/Tw0gYxHcQ ★iPhone=VHGaT7ZbKj

【 シスター・ホワイト / 庵(礒山邸離れ)】

 退屈で反吐が出そうになる仕事、彼は自身の仕事についてそう言った。視線の合わないその背中をじいっと見つめ、その綺麗な指に誘われるままに彼のとなりに腰掛ける。並んだ背中はどう映るのだろうか、様々な思考が脳内を駆け巡る、全てが初めてのことだった。こんなにも、誰かを知りたいと思ったことも、触れたいと思ったことも。

「――――神に従した私と、国に従した貴方。本当にこんなにも、違っているのに、不思議ですね」

 ゆるりと唇を開き淡々と言葉を紡ぐ。思い返すのは自身の人生。これからについて、その言葉にそっと俯く。このままで居られる筈もない、既に物語は変わってしまった、神さえも分からないその結末を私は自身で考えないといけないのだとふと思う。そういえば、結局私は彼とほとんど話をしたことがなかった。あの教会から見た彼はいつも黒を見に纏った、冷たく寂しい人だと、そんな印象で。

「……私は、親の顔も知りません。このような容貌がきっと黄味が悪かったのでしょう。薄らと覚えているのは冷たい剥き出しのコンクリートと路地裏で生きた記憶だけ。……そんな私を神父様が拾い育ててくれました」

 懐かしむように空を見上げ目を細め、唇から零れ落ちる言葉は自身の過去。誰にも語ることのなかった、黒の修道服の下に隠した、薄汚く卑しい生い立ち。

「神父様は私に他者を憎むなとお教え下さいました。私を捨てた両親のことも、神の前では皆平等。……こんな私を、神父様は愛してくださいました。けれど、日本に来て桜路の前に居た町で、神父様は殺されてしまった。異教徒だと罵られても、あの方は最後まで神を信じ、人を愛し、召されていった」

 唇を噛み締める。最期の時まで信仰心を抱いたまま死んでいった神父を思い返せば胸に焼き付くのは怒りと悲しみ。修道女が抱くことを許されない感情だった。

「――――本来ならば、私は貴方の隣に立つことすら許されない、そんな生き方をして参りました。この身は汚れ穢れて、貴方に触れることなど出来ない。頭では理解しているのに……ままならないものですね、人間とは」

 自嘲するかのような弱々しい笑みを浮かべ、息を吐く。それでも触れたいと共に在りたいと願ってしまう。このまま永遠をと願ってしまう。

「きっと、いずれ私の居場所は突き止められてしまう。異教徒である私は死罪は免れないでしょうね。……そうなれば、貴方だって……」


>> 醍醐さん


(返信遅れてしまい申し訳ありません…! 大丈夫ですー!最高の最期を迎えるためのんびり(?)いきましょう…!)

6ヶ月前 No.138

日向月。 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=JLFJyM1ori



【 水原祐太郎 / 桜路通り 】




 隣に座っても良いか、と訊ねる声は祐太郎の返事を待つことはなかった。祐太郎も否定することもなければ肯定することもなく、ただ澪子が隣に座ることを黙認する。不思議と嫌な気分にはならなかったが、何故だろうか。今までの澪子に感じることはなかったものをほんの僅かに覚えながらも、それを確信付けるものが見当たらなかった祐太郎は視線を落とした。


「……不要、ではありません。むしろ……此処に現れたのが貴女で良かったと思うほどですから、そんなことは決してない、のですが……」


 一瞬にして驚いた表情を浮かべながらも澪子の告げる言葉を聞いた祐太郎は手の平を固く握り締め、必死に感情を整理させつつ言葉を絞り出す。まずは澪子の気遣いであろう一言に首を横に振り、反応を見せる。けれどどんなことを思っても行動に現れることはなくて真実を暈す。不要ではない。確かに此処に来たのが同級生や下宿先の人間ではなく澪子で良かったと思ったのも事実だ。けれど、貴女が必要だと求める事も叶わないのではないのかと不安になって魔が差し、誤魔化しの笑顔を浮かべた。








 先程の問い掛けに対して澪子が答えを語る。探し物をしに来た。その返答に大きな納得と、少しの寂しさが頭に浮かぶ。この桜路の土地は広い。様々な人が居れば、その人々がどういった理由をもって行動するかは個人の自由だ。それは言わずもがな当然過ぎることだと分かっているからこそ素直に納得することが出来たのだった。それでも、祐太郎の中にも澪子の面影を見出そうとすることがあったせいで不純な思いが過ぎりそうになったことを隠すかの如く、煩悩を宥めて自らを『納得』させようとしていたのに。澪子が祐太郎を真っ直ぐな瞳で見詰めて来るから後ろめたい気持ちをすべて見透かされいるのではないか、という緊張感に包まれる。


 お願いがある。そう言われても何という返事も出来ぬまま、とにかく真面目に、誠実に澪子の話を聞くことに専念した。何故か口を挟まない方がいい気がして。それに今、口を開いてしまうとボロが出てしまいそうで怖かった。ゆえに祐太郎は唇を固く結んだ。


 ぽろり、ぽろりと剥がれ落ちるかのように話される澪子の言葉に何度も瞬きを繰り返す。着物の裾を強く握り締めながら嘘偽りのない様子で懸命に語る話の中に自分のことを必要だと言う内容があったことに酷く驚かされた。
 そして、今まで見たこともない表情をしながら澪子は言った。祐太郎の笑顔を下さい、と。


「…………俺の笑顔なんか、貴女が思っているほどの価値なんてない」


 ぴしゃりとその場を凍てつかせるような低い声が響く。合わせていた視線を逸らし、再び地面を見詰めながら少しずつ口を開いた。


「俺は、何時だって自分の気持ちを偽って、他人の機嫌を伺うために笑ってきた。奥様や同級生達に嫌われないように、出来損ないだと笑われない為に、現状が更に悪化しないようにって、そればかり考えて…………馬鹿みたいに笑ってきたんですよ」


 目元に涙が滲みそうになる。自嘲的であるこの言葉に嘘偽りはなく、先程のように事実を適当に誤魔化すことなんて、もう出来なかった。祐太郎は声を張り上げて言いたかった。「貴女の羨むこの笑顔は偽物だ」と。でも、祐太郎の理性がそれは言うべきではないと止めた。嗚呼喉の奥が熱い。掻き毟っても消えることのない熱量に頭の中まで当てられてしまいそうで、怖くなってしまう。
 でも、だけど。祐太郎の心にいつの間にか芽生えて来た名も知らぬ感情が顔を出した。無垢で馬鹿なほど正直なその気持ちに、何時しか素直になりたい≠ニ思ってしまった。






「それでも良いんですか? こんな、嘘ばっかりの笑顔でも……良いのなら、…………――俺の笑顔、貰ってやってください」


 そう思った時には時すでに遅し。祐太郎は感情がごちゃ混ぜになって途中息が詰まりつつも、 覚悟を決めて己の旨を伝えた。涙を流しながら澪子の真似をして下手くそに微笑む。そしてそっと、澪子の手に自らの手を添えた。




 そんな時、近くで足音が響く。二、三人ほとか、もしくはそれ以上の足音があちらこちらで聞こえてきた。暫く黙って耳を澄ましているとそれは次第にこちらへ近づいて来ている様だった。時間的にひと通りが増えてきたのだろうかとも思ったのだがふと澪子の方を見遣ると背後に黒い影か蠢いているのに気が付き、添えていた手を強く握ってその身を手繰り寄せる。片手で抱き締めるように澪子の身体を包み込み、蠢く影から逃れるようにじりじりと後退りしながら距離を置く。
 辺りには緊張感が走る。空気がビリピリと神経を痛みつけているかのようだ。祐太郎はこのまま後退するか、前進するか。最悪の場合、この腕の中に居る澪子だけは生かさなくては――と頭を忙しなく働かせる。意識を張り巡らせ、固唾を飲む。


「一体何なんだ……」


 おそらくこちらが下手に動けば謎の影も動くに違いない。あちらの目的も、素性も知らないのでは手を出すことも出来ず、困り果てた様子で祐太郎が本音を漏らす。が、澪子のことだけは離すまいと抱き締めた腕の力を強めた。

>>澪子様



【大変長らくお待たせ致しました……毎度毎度遅くなってしまい申し訳ありません……!
 クライマックスに向けてアクションを起こさせていただきました。補足ですが、黒い影は澪子さんを追って来た使いの方で祐太郎視点だとそれに気付いておらず、身動きが取れないという状況です。好き勝手に設定を利用し、決定ロルを使用してしまいました。申し訳ありません。
 長くなりましたが最後まで宜しくお願い致します……!】

5ヶ月前 No.139

朧塔子 @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【朧塔子/聖ホワイト教会跡地】


 伸ばした手がその頬に触れずとも、胸の内が火のように熱くなる感覚を初めて知って。塔子は己が女である事を、いいや、恋に迷い愛に溺れるただの人間である事を思い知る。自分は他とは違うと思っていた、美しいものだけを欲して、世の醜さを嘲笑いながら一人朽ちていくものだと思い込んでいたのだ。けれどそれはただの思い違いで、傲慢な驕りに過ぎなかった。
 以前までの高慢さすら感じさせる自信に満ちた表情も今は鳴りを潜め、何処か陰りのある淡い微笑を浮かべたその唇は引き攣り歪んでいるようにも見えた。伏せた目の奥に水底に沈む水晶の輝きを秘めながら、今の瞳はまるで凪いだ沼のごとし。

「うふふ、痩せた、のかもしれませんけれど。肉も皮も骨も、所詮現世での仮衣装に過ぎませんわぁ。それを失ったとしても、人間には必ず残るものがある……魂は、不滅。誰かを想う心が、その気持ちだけが、きっとあたくしを此処に存在させているのです、――そして今、あなたさまへと導いた」

 疲れたような、けれど妙な艶を孕んだ、小鳥が鳴くに似た密やかな笑い声。まるで熱に浮かされた戯言のような物言いは以前と変わらないが、そこには荒涼とした諦めのごとき冷たい響きも含まれていた。
 それに相反して、十朱の浮かべた微笑みはあくまで優しかった。柔らかな幸福感を滲ませるその穏やかさに、塔子はまた目を伏せる。見てはいけないものを前にしたかのように。太陽の強烈な輝きを見たら目が潰れてしまう。それは哀れな向日葵のよう。
 ただ、十朱の笑みの中にも微かな疲労の色が見て取れた。その部分だけは二人に共通していて、塔子はほっとしたように一つ、浅く息を吐いた。

 やがて、此処までずっと隠し続けてきた己の赤い弱みを曝け出して、塔子は震える掌に爪を突き立てながら十朱の返答を待った。微かな震えも許せず、それを止める為に噛んだ唇からは未だにはらはらと薄い紅が零れ滴る。
 十朱が今、何を考えているのかは塔子に分からない。彼はそもそも表情の変化が大きな方でないらしく、星も降らない夜空を思わせる静寂が形になったかのようだったから。
 僅かな沈黙が、こんなにも恐ろしいとは。今は彼の静けさが、怖い。耐えようも、堪えようもない。爪先から消えて無くなりたいと願ってしまう位の、震え上がる程の無音。こんな時だけ、少しだけ冷えた春の風さえ息を潜めて。

 駄目だ、もう。逃げてしまおう、答えなんていらない。無慈悲で残酷で、弱った心をずたずたに切り裂くかもしれない返事なんて、聞きたくない。
 十朱を信じていない訳ではない、けれど、それでも、塔子は自分自身を信じていなかったのだ。
 だから、そう、今。くるりと踵を返し、走り出せばいい。そしてあの呪われた桜路湖に辿り着いたら、そのままこの身を投げればいいのだ。そうすれば全てから解放される、この醜い痣からも、変えられない運命からも、美しい沈黙が似合う彼からも。永遠に逃げ続けよう、この命を捨て、此岸での未来など捨て、彼への想い――恋心――も捨てて。

 さあ、甘い夢はお仕舞い。幕(ベール)を下げて、三流演者は舞台を去ろう。

 陽光の下で遂に十朱に見せた、焔の紋章。真っ赤な痣は塔子の精巧な仮面のような顔が歪むと共に、同じく燃えるように揺らいで。
 だが十朱に背を向けようとしたまさにその時、塔子は己の唇をそっと撫でた温かな指の感触にびくりと大きく身体を震わせる。後ずさりそうになりながらも何とか踏みとどまり、見開いた瞳に映ったのはうっすらと赤く染まった十朱の指先。
 ふわりと鼻孔を擽ったのは、苦く、甘く、辛い。枯れた花の匂い、乾いた草の匂い。

 そして鼓膜を揺らしたのは、望んでも絶対に聞く事など出来ないと思っていた、その人の声と、言葉。

 あなただからこそ。
 どれ程望んだ事だろう、誰かがいつかわたしだけを見てくれること。

 あなたでなければ。
 どれ程願った事だろう、叶うならあなたの一等大切な人になれたらと。

 右の頬に、十朱の手が触れる。指が赤痣を撫でる感覚に、再び身体が大きく震える。怖い、拒絶が怖い。触らないで、こんな醜い罪の痕に。焔のように痣が熱い、火照る肌が、恐ろしい。
 けれど眉間に寄せた皺もほんの一瞬のこと。己の頬に添えられた十朱の掌の温もりに、塔子は潤んだ両目で十朱を見上げる。あんなにも恐怖で燃え上がり、焼け尽きそうに激しく感じた熱が、十朱の慈悲そのものな温かさに溶けていった。彼の体温は、今まで感じた何よりも心地よく、心の傷を癒していく。

 そして見上げた先に流れる、十朱の涙。こんなにも麗しいものがこの世にあったのかと、塔子は瞬きも忘れて零れて落ちていく金剛石のごとき小さな雫を目で追っていく。
 言葉も出ない、清らかで、美しい光。
 頬を伝って落ちた涙を、意識せずに手を差し伸べた塔子は指先で受けた。そしてそのままそっと十朱の頬に手を当てると、彼の目元に触れてぎこちない手付きで拭った。

「…………何処まで共に生きられるかは、約束出来ないけれど。あなたさまとなら何処へでも行けるし、あなたさまとなら何処だって天国(ぱらいそ)ですわ……ああ、今だからようやく言えます、――――お慕いしておりますの、十朱さま」

 差し伸べられた手をじっと見つめた後、塔子は十朱へと真っ直ぐに顔を向ける。浮かべたのは屈託のない、今まで見せた事がない位の、咲き誇る満開の笑顔。大輪の花が綻ぶようで、しかしそれはあまりに無邪気で危うさを帯びた笑みである。
 片手を差し出し、十朱の手を握るかのように見えた、次の瞬間。一歩踏み出した塔子は、そのまま十朱の胸へと飛び込んだ。その胸に頬と両手を押し当てると、両目を閉じて彼の鼓動に耳を澄ませる。うっとりと、淡く薄い微笑のままで。

「ね、十朱さま。あたくし、提案しても宜しいかしら? とても良い事を思い付いてしまったのですもの、あたくしったら! いっしょに、ふたりで、此処から逃げてしまいましょう! しがらみもことわりも拭い捨てて、何処か遠く、綺麗な桃源郷にあたくしと行ってはくださいませんかぁ? どうせ此処でのあたくしたちは許されざる異端でしかありませんもの……一時間後に、また此処で集いましょうよぉ。旅の支度を整えて、一時間後に、此処で……あたくしお菓子や指輪や札遊戯(トランプ)だって持ってきます、だから十朱さま、どうか、お願い……」

 熱病に浮かされたような、甘く歌うがごとき口調で。塔子は目を閉じたまま、とても大きく想い言葉を軽々しく口にした。
 しかしそれがただの口から出まかせではない決意である事は、十朱になら伝わる筈だ。何故なら塔子のか細い指には異様なまでの力が籠り、十朱の肌に食い込みそうな程になっているのだから。


>>十朱


【お待たせしました……!】

5ヶ月前 No.140

澪子 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★R3lMq2ye0U_iR4

【澪子/桜路通り】

 此処に来たのが貴方で良かった。
 そんな祐太郎の言葉に、澪子は小さく瞠目する。それはきっと願ってもない言葉だったのに、そんなものが彼の口から自分に向かって紡がれたことが、ただただ信じられなかった。
 それは祐太郎さまも、わたくしに逢いたいと、そう思っていて下さったということ……?
 そう尋ねてしまうのは、最早開き直っているに近い澪子には簡単なことだったが、先程ある意味それ以上に大胆なことを告げてしまっている以上、今更聞いても無駄だと思った。だから澪子は、待つことにした。彼が、祐太郎が、自分の言葉に何と答えてくれるのかと。
 そうしてずっと待っていたからこそ、次の瞬間に響いた祐太郎の低い声に、澪子はびくりと肩を震わせた。
 澪子があれほど迄に焦がれた笑顔を、祐太郎は幻想であると否定する。あれは紛い物で、作り物で、価値の無いものだと。それは、その偽物を欲する澪子を拒絶する言葉でもあるというのに。
 何処までも暗く深い闇の底へと墜ちて行くような感覚に襲われながら、澪子の脳内では自信を責め苛む言葉たちがぐるぐると渦を巻いていた。
 嗚呼、一人で舞い上がって、家を飛び出して此処まで来て、自分は一体何をしているのだろう。たった一つ欲しいものだけの為に、何もかも捨てる覚悟で、事実何もかも棄ててやって来たのに、結局何一つ得ることが出来ないなんて。所詮道具としての自分に、何かを望むことなど赦されなかったのだろうか。道具としての役割すら放棄した自分には、これが相応しい罰だというのか。だとしたら、余りにも滑稽で、愚かで、哀れで、救われない。いっそこのまま駅まで戻って、次の列車にでも飛び込んでしまおうか。そうしたら、何もかもなかったことに出来るのだろうか……?
 けれど、刹那。澪子はその絶望が、杞憂であったことを知る。

「……祐太郎、さま?」
 強く強く、着物の裾を握り締めていた手に感じる温もり。その先には、祐太郎の手があって。そして目の前には、今までずっとそれだけを欲してきた、彼の、笑顔が。
 まるで祐太郎のそれと同調するように、澪子の瞳からも一筋の涙が零れ落ちる。安堵と歓喜と緊張からの解放と、その他到底言葉には出来ない感情が入り混じり、溢れ出した涙だった。
「えぇ……えぇ、祐太郎さま。わたくしは……澪子は、貴方が下さるものなら何だってきっと嬉しいのです。偽物でも本物でも、笑顔でも涙でも、貴方のすべて、受け止めて見せます。だから……」
 わたくしと、一緒に。
 その言葉の先が、紡がれることはなかった。

「ふえっ!?」
 次の瞬間、澪子の口から漏れたのは間の抜けた悲鳴で。強い力で、澪子の身体は祐太郎の方に引き寄せられ、先程手を添えられたときとは比べ物にならないような温もりで包まれる。抱き寄せられたのだと理解した瞬間、澪子は顔から火が出そうになって、その心臓も早鐘を打ち始めたのだが、辺りに流れる張り詰めた空気が、彼女を強制的に現実へと引き戻す。直に感じられる祐太郎の鼓動も乱れているのは、澪子とは全く別の理由であることは、火を見るよりも明らかだった。
 恐る恐る、腕の隙間から澪子は辺りを見渡す。往来の先に、此方を見ている影がある気がした。それは、何処かで見たことがある顔である気がした。まだ距離がある、まだきっと、向こうも確信を持っていない。けれど、澪子には、分かる。

 あれは、自分を追ってきた天皇家の家人達だと。

 分かっていた事だった。自分が逃げ出してただで済むはずがないと。追手が来ない方がおかしいし、寧ろ今まで無事でいられた方が僥倖であるとすら言える。
 けれど、嗚呼。此処で、捕まる訳にはいかない。やっと、やっと彼に逢えたのに、また離れ離れになるなんて耐えられない。やっと手に入れたのに、また喪うなんて考えられない。
 それに、百歩譲って自分が連れ戻されるのはまだ良い。けれど、今捕まれば一緒に居る祐太郎はどうなる? 誘拐だのなんだのあらぬ疑いをかけられ、その一生を台無しにされるに決まっている。あの猫のように、また、自分のせいで。
 そんなことは……もう、絶対に、嫌だ。

 ぎり、と血が出るほどに噛み締めていた唇を離し、小さく息を吐く。早すぎる心臓の鼓動は、治まっていた。敢えて静かな微笑を浮かべて、何でもない事のように澪子は告げる。精一杯背伸びして、何とか届いた祐太郎の耳元に唇を寄せて。
「祐太郎さま……あなたの笑顔が作り物だなんて、そんな悲しい事、もう言わないで下さいませね……あの日、図書館でお会いした時、お勉強が楽しいと笑う貴方の顔は、間違いなく本物でした。審美眼には多少自信がありますの……わたくし、実はお姫様なんです。だから」
 それは冗談めかした言葉だったけれど、瞳だけは、真剣に。

――わたくしと一緒に、逃げて下さいますか?

【祐太郎君イケメン過ぎて無事本体が死亡しましたが……二人の心中クライマックスまで是非駆け抜けていきましょう!】

>祐太郎様

5ヶ月前 No.141

絡繰 @ne9rodoll☆V4.8X.AnvuQ ★Tablet=iiKTVigSmi

【月ノ瀬 鳴/崖付近】

 じゃり、と足元の小石が不快な音を立てて、そのまま崖の下へ転がり落ちる。一瞬だけ、ふとこのまま落ちてしまっても良いのではないだろうかと思う自分を留めるように、背に暁千賀の腕が回された。月明かりの下、互いの背に腕を添えて佇む姿はさながら円舞曲を踊る男女のようで。なんて浪漫な光景なのだろうと他人事のようにうっとりと瞳が蕩けた。

 罪を背負ってひとりで消えることは許さない、そう強く発された言葉に思わず口角が上がる。分かっていた。きっと彼ならばそう言うであろうことを。そしてそれは詭弁でも欺瞞でもなく、同情でもなく、彼なりの本当の愛の示し方なのだということも、分かっていたのだ。だからこれは、わたしが今望むことは、ただの独り善がりなエゴだ。だからこそ、あなたのその言葉を待っていた。わたしがあと少しの決意をする為の、言葉を。
美しいと夢見心地のように呟いた彼の唇が重なる。そう言った彼の方が余程優しく気高く、美しいひとだと思った。触れ合った唇の感触が崩れ落ちてしまいそうな程甘美で、うっかり泣いてしまいそうなほどに愛おしい。掠れた温度が恋しくて、今この瞬間、きっとこの世の誰よりも近くに居るのに、もっともっとと貪欲にその体温を欲してしまう。我儘が許させるならば、もっとこの温度を感じていたかった。もっと彼と共に笑い合っていたかった。穏やかなだけでなく、激情のような愛を貪り合ってみたかった。そんな夢想は静かな波の音に攫われてしまう。残り僅かな時間を惜しみ、彼のすべてを記憶に焼き付けるようにその背中に縋った。

 肩に顔を埋めれば、あの日と同じ彼の香り。鉄錆の匂いを纏わり付かせたわたしを抱き締めた、あの日。自らがしたことを罪だとは思わなかった。だってこれは、愛の証明。何よりも尊くて大切な人を取り戻す為の行為だったから。何もかもが主役の道筋を引き立てる為の予定調和。脇役を舞台から滅してこそ、舞台の歯車は滞りなく回るのだ。
だから、あの時は確かに思っていた。愛は何ものにも勝ると。生も死も、愛の目前にはただただ無力。そう信じていた。否、確かにそうだったのだ。それなのに何故、今わたしはこんなにも胸が痛いのだろうか。愛する人の生を止めてしまうかもしれないと考えるだけで心臓が握り潰されるかの如く痛む。彼に生きて欲しい。生きて幸せになってほしいと、心から思ってしまった。彼にとっての最上の幸福を願いたくて仕方がないのに、それを阻むように一人は寂しいと泣き喚く自分も居る。

ぐちゃぐちゃで、ひどく醜くて、滑稽で、切実な。そんな感情の濁流に呑み込まれ、頭が痛む思いだった。そんな思考の狭間で、これが、これこそが本物の愛なのかもしれないと、確かに胸に残る愛おしさを目一杯抱き締める。

今まで彼の為を思えば何だって出来た。それこそ彼が望めばもっと様々なことまでやってのけたかもしれない。それでも、彼自身の命の歩みを止めてしまうことだけは、怖かった。罪も罰もどうでもいい。ただ、愛する人に生きていて欲しいと、聡明な彼を地獄になど連れて行きたくない、そんな自分勝手な我儘。

でもこれがわたしの愛のカタチならば、それを貫き通さなければならないのだ。

 惜しむ気持ちを抑え込み、暁千賀から身体を離した。首から提げていた小瓶を紐から外す。瓶を満たす液体は、きっとすぐにでもわたしを地獄に連れて行ってくれるだろう。

「どうか、許してくださいね」

ぽそりとそう呟き、小瓶の蓋をゆっくりと緩める。蓋がきゅるきゅると回るその音は、確実に近付くわたしの命の残り時間を数えているようだと思った。

わたしが初めて愛したひと、わたしに愛を教えてくれたひと、温もりを与えてくれたひと。あなたが隣に居るだけで、あなたが笑っているだけで、あなたが生きているだけで、わたしはこれ以上にないくらい幸せだ。そんな想いをすべて詰め込んだ言葉が、この世界にはあるのだ。なんて、素晴らしい。

「暁千賀さん…………愛しています」

わたしのすべてを伝えるべく、一音一音を大切に紡ぎ、目の前の彼に向けてきっと今までで最高の笑顔を向ける。涙が一筋、流れてしまったのはご愛嬌。

首から下げた紐から取り外された小瓶の中身は無色透明な液体。色も何も無いその液体はどんなものなのか、今のわたしは理解出来ている。之は毒薬だ。ゆっくりとゆっくりと眠るように、僅かな息苦しさと一緒に永久の眠りにつくための薬。毒で良かった。なるべく外形を崩さず、あなたの前で綺麗に逝くことが出来る。そんな安堵の笑みを浮かべ、最期の言葉の為に大きく息を吸い込む。

あなたへの愛だけを抱えて、わたしは今、果てる。

「さようなら」

静かに静かにそれだけを告げて、手にあった小瓶の液体を少しも残らず口に含んだ。

命尽きるその時まで、わたしは神になど祈ったりはしない。想うはあなたただ一人。どうかわたしが地獄に送り届けられてしまうその時まで、想い続けることを許して。





 死んだら、埋めてください。最愛のあなただけを墓標に置いてくだされば、そうして墓の傍で待っていてくれれば、

────また、逢いに来ますから。






暁千賀様>>

【お返事大っっっ変遅れまして申し訳ございません……!!】

5ヶ月前 No.142

篠宮暁千賀 @poko10☆sMzkA8RPRfw ★Android=rp39lsupOA

【篠宮暁千賀/崖付近】

 時が止まれば良いと思った。
 肩に顔を埋める鳴の背に手を回す。預けられた彼女の重みが、それは愛しく、心地よい。いっそこのまま、彼女の返事など待たずに後ろへ倒れてしまおうか。白の飛沫に飲まれれば、きっと私たちは永劫見つかることはない。鳴は永遠に、私だけのものになる。

 鳴を抱く腕に力を入れようとしたときだった。邪な思いを察知したかのようなタイミングで、鳴は体を離した。後ろめたさから、暁千賀の腕も自然と緩む。
 一、二歩後退った鳴は、首から下げた小瓶をまた握りしめていた。愛しています――その言葉はもう、幸せとは縁遠い別れの言葉にしか聞こえなかった。そこでようやく瓶の中で揺れる液体の意味に気づいた。鳴が口元へと小瓶を運ぶ。咄嗟に手を伸ばす。

 宙を舞った小瓶は、既に空だった。ならば――。

 鳴の頭を手荒く掴むようにして、無理やりにその唇を己のものに押し当てた。その衝撃で鳴の口から溢れた液体を今度は暁千賀が口に含む。ピリピリとした苦味。そしてこれまでに嗅いだことのない薬品の臭いが鼻孔を抜けた。唇を重ねたまま、その液体を躊躇いなく飲み下す。
 鳴のためなどではなかった。これは、ただの自分の我が儘に他ならない。彼女はそれを望まないだろう。そんなことは分かってる。ただ私は、彼女に残されたくない、それだけだった。乱暴に口を塞がれた鳴は、今も息ができなくて苦しいだろう。けれど我慢してくれ。もう私たちに呼吸などする必要はないのだから。

 どくん、と心臓が跳ねた。律動からは大きく外れた心音。息が詰まる。鳴の頭を押さえていた手が、ずるりと彼女の肩まで滑り落ちた。強烈な嘔気を覚え、鳴から唇を離す。しかし最早胃の内容物を吐き出すだけの力もなかった。俯いた口元からぽたりぽたりと滴り落ちるのは唾液だけ。肩を揺らしながら浅い呼吸を繰り返す姿はさぞ無様だろう。そうだ、私は、彼女にきちんとまだ伝えていない。

「鳴……、わた……も貴方……を」

 遅すぎたのだろうか。顔が上がらない。この言葉だけは彼女の顔を見て伝えたかったというのに。それどころか、痺れる体はその続きを紡ぐことすら許さないのか。
 鳴に枝垂れかかりながら、ずるずると崩れていく。せめて、と彼女の手を握ろうとしたが、力の抜けた指先は鳴の手の甲をなぞっただけだった。

>月ノ瀬鳴
【遂に、遂にですね……!確定ロルぶちこみまくってしまっているので、都合の悪いものはなかったことにしてくださいませ……!】

5ヶ月前 No.143

ししくれ @kmnkha☆/pH2qpQf7L2 ★FKRdQn4VzF_yb6

【 衣笠十朱/聖ホワイト教会跡地 】



 塔子の指が頬に触れてようやく、十朱は自分が泣いていることに気付いた。もうずっと涙なんて流さなかったものだから、そんなものは枯れたとばかり思っていた。
 お慕いしておりますの、という彼女の言葉に、また涙がこぼれた。十朱さま、と彼女の口から自分の名が出ることが十朱は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。自分の差し出した手に腕を伸ばしたかと思うと、胸の中に飛び込んできた塔子の温もりは尊く、何より愛おしかった。歓喜から涙が生まれるなんて是迄知らなかった。せっかく塔子が拭ってくれた頬も、またすぐに濡れてしまう。それほどまでに幸福だった。幸福というものがこの世に存在するというのなら、それは今この瞬間であると確信するほどに。

「ーーーーああ、その言葉をどれだけ望んだことか。……私はいつまでも貴方だけを想っているよ」

 下を見れば、塔子は笑っていた。その無邪気な笑顔に思わず十朱は彼女の髪を優しく撫でた。彼女に触れるたび、どうしようもなく安心する。その笑顔は十朱にとっての光そのものだ。彼女の存在が、十朱のこの先進む道を照らしていた。けれど、今の十朱は幸福の中に身を沈めてしまっていてその他の何も見えていない。塔子の笑顔の中に紛れた、いつ消えるともしれない空気を嗅ぎわけることなど出来はしなかった。
 ただ、塔子の口から紡がれる美しい話に身を委ねた。彼女の話す未来は鮮やかで、御伽噺のようだ。けれど十朱の体に食い込む彼女の指だけは確かに現実で。彼女が自分の語る話の重大さを理解しているのは明らかだった。それでいながらまるで絵空事のような調子で話すのは、彼女の弱さだろうか。どこか核心に触れることを恐れている。大胆に見えて臆病な愛おしい人。指に込められた力は無意識なのだろうか。弾む様な声が消え入る様に小さくなっていくのを聞きながら、十朱は地震に庇護欲なるものがあるのを知った。どこかすがる様な声は悲痛で、彼女をそんな風にさせる自分がやるせない。この人を幸せにしてやりたいのにーー
 彼女と、それから自分自身の思いを払拭するかの様に、十朱は微笑んだ。

「それはいいね、とても良いよ。トランプというのはとても面白いんだろう。話に聞いたことはあるが、実際にやったことはないんだ。……うん、とても、楽しみだ。貴方と二人なら何をしたって楽しいだろうね。貴方と一緒にいられるだなんて。…………まるで、夢みたいだ」

 自分の体に食い込みそうなほど力の入った手を掴んで、そっと体から離すと、両の手で彼女の手を包んだ。お互いに痩せてしまったせいか、触れ合った手と手は少しごつごつとしていたけれど、温もりは十朱の全身に巡っていく。開かれた塔子の瞳の、陽を取り込んで艶やかに輝く栗色をじいと見つめたまま、十朱は話す。

「一時間後だね。私も急いで身支度をしてくるから、また此処で会おう」

 慈愛に満ちた目を細めて彼女に笑みを向けながら、一言一言を丁寧にそう伝える。言葉の奥に彼女への愛を込め、必ず彼女を幸せにすることを決意して。そうして十朱は清々しいまでの青空の下、燃え尽きた教会を後にした。



 >>朧 塔子様

4ヶ月前 No.144

日向月。 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=Ht37eDoIdS

【 水原祐太郎 / 桜路通り→荒屋 】


 腕を掴み、抱きしめる前の澪子が何かを言いかけていた気がした。後半はちゃんと最後まで聞けずに終わってしまったけれど澪子の口から語られたのは祐太郎の笑顔も、不安も、至らない部分も全てを肯定する内容で。そして澪子の瞳から零れた雫はとても澄んだ色をしていた。素直な気持ちをぶつけても彼女は否定しなかった。誰にも明かしたことがなかった、八方美人になりすぎて何もかもを有耶無耶に肯定し続けた男の奥底にしまい続けてきた悩みを澪子は受け止めてくれると言ったのだ。それがどれだけの意味を持つのか、言葉にも例えられないほどの喜びと感謝の意をどうしたら良いか考えていたかったが、そんな悠長な事をしていられる暇はなかった。


 ある者達が祐太郎と澪子の事を囲む。ジリジリと迫り来る彼等にただならぬ焦りを感じながら祐太郎は必死に思考を巡らせる。どうすればいいか、どうしたら無事でいられるか、どうすることが最善か。本で得ただけの知識しか詰まっていない頭では到底考えきれない難題を目の当たりにした祐太郎が狼狽えそうになったその時。耳元で何かが起こっている事に気が付き、祐太郎は横目で耳元を見ればそこには背伸びをして顔を寄せる澪子が居た。だが、うっすらと見えた澪子の表情からは何やら訳があるのだと勘づいた。普段なら慌てふためいていそうな祐太郎でもこんな時は冷静に、澪子の言葉に耳を貸すことが出来たのは二人の間に確かな絆が芽生えたからなのかもしれない。
 自分でも小恥ずかしい事を思っている自覚はある。が、今だけは芝居かのような状況下で夢見心地になることを許して欲しかった。そう思い上がってしまいそうな現状に釘を打つかのように囁かれた澪子の言葉に目を丸くする。


「……おひめ、さま?」


 前半はなんて事なく、でも大切に聞いていられたが後半の、最後の言葉を祐太郎は確かめるかのように口にした。驚きのあまり、澪子が冗談を言っているのかとも思い、彼女の顔を再び覗くも彼女の瞳には嘘偽りの色はない。寧ろありのままの姿を晒し、自分の事を試しているみたいに思えた。絆は築けても信頼はまだ確かなものじゃない。こうして手の内に収めたとしても祐太郎は澪子のことをまだ何割かしか知らないのだからそれも当然のこと。だからこそ、澪子の言葉を此処で誰よりも信頼してあげられないような自分なら、受け止めると言ってくれた彼女の全てを受け止める資格はない。
 そんなのは、絶対に駄目だ。







 刹那、祐太郎は澪子の事を正面から抱き締めた。絶対に離しはしないという意思を込めて、外野に見せつけるかのような形で澪子を包み込む。そして、誰からも邪魔されないように「勿論」とこっそり耳打ちした。


「王子様ではない俺でもいいのなら、何処までも一緒に居させて欲しい。貴女を守らせて欲しいんです」


 自然と思考が穏やかになるのを覚えつつ、祐太郎は澪子の事を壊さないよう大事に抱き締める。言葉では補いきれない気持ちがこの抱擁で伝わればいい。長い一日の、たった数分。外野が騒がしくなってきたことで現実に引き戻された祐太郎は冷静に周りを見渡した。一瞬の隙を見て澪子を解放すると、今度は彼女の手を握って外野達の合間を風のように過ぎ去る。此処を切り抜けられれば此方のものだと言わんばかりに整備されていない脇道へ逸れ、西部目掛けて全速力で走る。民家を潜り抜け、人並みに揉まれてしまえば彼等のことはひとまず撒ける。だから月花町の中でも特に賑わう場所を――いや、そこにはいろんな人間が居る。もしかしたら彼等に関係する者が既に身を潜めているかもしれない。それならもっと見つかりにくそうな場所に行かねば……。祐太郎は出来る限りの記憶を辿っていくと、あるひとつの場所が思い浮かんだ。

「……彼処なら、もしかしたら――」


 ボソッと頭の中の言葉を漏らす。それに自覚症状がないまま、祐太郎は兎に角思い浮かんだ場所へ、足を進めた。



 そして、やっと辿り着いた。月花町の外れの外れに位置する小さな小屋のような家に。荒屋という言葉が相応しいであろうそこは嘗て祐太郎と、その友達が遊んでいた秘密基地だった。もう何年も住んでいないであろう家なのに何故だかついさっきまで人が住んでいたかのような不思議な感覚を覚え、よく遊びに来ていたがある日を境にめっきり足を運ばなくなってしまった。今では誰も寄り付かないこの場所こそ、二人が身を潜めるのにはぴったりだと思ったが澪子は此処をどう思うだろうか。目の前まで来て気に入らないと言われたらどうしよう等と思った時にハッと我に返り、後方へ振り返る。


「あっ、すみません、俺の勢いで突っ走ってしまって……大丈夫ですか?」


 祐太郎も軽く呼吸が上がっしまうほどの距離を有無を言わさず走らせてしまったことを祐太郎は申し訳なさそうに謝罪した。でも、脳裏に浮かぶのは自分達を狙う追っ手のことで。祐太郎は澪子の身を心配しつつも、全方位に視線を配り、辺りを警戒したがまだ彼等の影は見えない事に安堵する。


「ひとまず、辺りが落ち着くまでは此処に居るのが最適だと思ったのですが……」


 どう、でしょう? と不安そうに眉を下げる祐太郎がそう問い掛けた。

>>澪子様



【こんばんは! またまたまたお待たせしてしまってごめんなさい……!
 位置関係が問題になったら何かしらの足を使って移動するのがいいかなあと思い、ひとまず荒家まで直行コースにしました。ゴリゴリ進行優先にしてしまいましたがお付き合い下さると嬉しいです;;】

4ヶ月前 No.145

澪子 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

 【澪子/桜路通り→荒屋】

――王子様ではない俺でもいいのなら。

 祐太郎から掛けられた言葉に、澪子はぐっと拳を握り締める。そのまま彼の腕に体を預けて、全身全霊でその感触を、温もりを、呼吸と鼓動の一つ一つに至るまでを、自身の体に刻み付けた。
 王子様なんて要らない。地位も名誉も関係ない。そんなことは一切合切を抜きにして、ただ、貴方が欲しい。
「……わたくしには……貴方さえ居れば、それでいいのです」
 一緒に行こうと、澪子を守ると。そう力強く言い切った祐太郎に、澪子は瞳に涙を湛えて応える。
 嗚呼、きっと二人きりでなら何処へでも行ける。たとえ世界の果てだろうとも、地獄の底だろうとも。
 そして次の瞬間、澪子は祐太郎に手を引かれて走り出していた。二人を取り囲んでいた追手も、往来の通行人も、一陣の旋風のように抜き去って駆け抜けていく。
 追手とすれ違う一瞬、澪子は彼等に微笑んだ。唇だけで、さよならと告げる。
 それは普段の彼女と同じ、静かな笑みだった。唖然とするしかない彼等への嘲笑も哀れみもない、微笑みと形容するしかない表情。
 けれどそれは確かに、彼女が心から今の状況を楽しんでいるからこそ漏れた、心底からの微笑だった。

 そう、澪子は楽しんでいた。今までに一度だってしたことのない全力疾走も、天皇家の家人達から逃げるという命懸けの行為すらも。隣に祐太郎が居るという事実だけで、彼女に緊迫感を忘れさせた。
 尤も、忘れられたのは緊張だけで、体力の方はどうしようもなかったのだが。ただでさえ激しい運動に慣れていない澪子の限界は、直ぐに訪れた。何度も着物の裾に足を取られ、祐太郎の腕がなければとっくに転んでいただろう。がむしゃらに足を動かしながら、ぽつりと聞こえた祐太郎の声に、縋るように繋いだ指に力を込めた。向かう先は何処でも良いけれど、行き先が決まっているのは有り難い。
 そうしてやっとのことで辿り着いたのは、月花町の外れの空き家だった。ぜいぜいと肩で息をする澪子は祐太郎が立ち止まった直後にその場でたたらを踏んで、彼の方へと倒れ込んでしまう。
「……も、申し訳ありません……! 大丈夫とは言い難いですが……大丈夫、です」
 半ば自分から抱き付いたような形になってしまった澪子はまたしても顔を赤らめるが、それでも何とか呼吸を整える。袂から取り出した手拭いで額の汗を軽く押さえ、そっと辺りを見渡した。
「……あのお家にお邪魔させて頂きましょうか。そこで、落ち着くまでお話ししましょう? わたくしのこと、祐太郎さまのこと、これからのこと……全部」
 いっそ晴れやかに言い切って、澪子は歩き出す。そして、折角整えた呼吸が乱れるほど、息つく暇もなく話し出す。生家を抜け出してきたこと、きょうだいのこと。学校には通っていないこと、友達が居ないこと、猫が苦手なこと、本当は洋装もしてみたかったこと、初恋のこと。
 それと同じだけ、下手をすればそれ以上に祐太郎に質問もしながら、時間と環境が許す限り澪子は喋り続けた。

 足りないのだ、お互いのことを知るには。何もかもが、圧倒的に。

「そう言えば祐太郎さま……苗字は……お家のお名前は何と仰るのですか?」
 それは、澪子が生れつき持ち得ないものの一つ。それがもし、彼女に与えられるとすれば、それは。

【お話の内容はダイジェストとなりましたが、まぁ、お姫さまの件は濁した感じで……擬似結婚式やりたいです←】

>祐太郎様

4ヶ月前 No.146

朧塔子 @papillon☆0uO5mlUpCUns ★sAbT0rwP1n_mgE

【朧塔子/聖ホワイト教会跡地→饗月亭】


 男の人が泣いているのを、塔子は生まれて初めて見た。彼女の周りの男という生き物は皆高慢で傲慢で、脆く弱いくせに虚勢という名の防壁でいつも己を覆い護っているような者ばかりだった。大切な人を失った、そんな悲しみ泣いて叫べばいい時にさえ決して涙を流さずにいる、そんな強情な連中ばかり。そう、それはまさに、塔子の父親のような。
 だからこそ、塔子は隠す事なく素直に涙を零す十朱を猶更愛おしく思った。無論泣く事は恥じるような事ではない筈だが、男だからなどという下らぬ理由で己を偽ったりしない、その潔さをますます好ましく感じたのだ。

「――うふふ。この世に永遠なんて存在しないと、あたくしたくさぁん書物を読んでおりますからよく知っておりますけれどぉ……今まであたくしが読んだどの書物にも書いてありませんでしたよ、愛するという感情がこんなにも幸福なものだなんて!」

 自身が泣いている事すら意識していない十朱からすればとんだお門違いだったろうが、何はともあれ塔子の愛情は更に深いものへと変わったのだ。そう、深く深く堕ちて行く、もう引き返す事など出来ない不動の想いへと。

「ですから十朱さまとの〈いつまでも〉ならあたくし、疑いたくはありませんわ」

 十朱の胸の中で、壊れ物でも扱うように優しく、彼に抱き締められたまま。いっそ無垢過ぎて恐ろしい程に満面の微笑を浮かべて、塔子は髪を撫でてくれる十朱の手に自身の頭を擦り付ける。まるで愛でられるを喜ぶ猫のような仕草だが、しかし微かに俯いて十朱には見えないその顔からは瞬時に笑みが遠退いていた。塔子には分かっていたのだ、これから二人が歩む先、その道が茨に彩られた苦難の人生になる事が。きっと今の十朱には見えていない、満たされるという事を知らない彼に瞳には、恐らく今は幸せの七色しか映らない。けれど、それでも。

「……ええ、ええ、そうですとも! 勿論遊び方はあたくしがお教えしますわ、とぉっても愉快でしてよ! 十朱様がまだ見た事も聞いたことのない世界、味わったことがない食べ物も触れた事のないあらゆるものも……あたくしと一緒に知っていきましょうねぇ、二人でなら二倍、いいえそれ以上に素敵な人生にしていけますもの!」

 否、それだからこそ良いのだと、再び顔を上げた塔子はころころと鈴を振る澄んだ音色に似て、少女特有の周囲がぱっと明るくなるような無邪気な笑い方をしてみせた。無知を装い、あえて幼稚なままで。
 しかしそれも、十朱が塔子の手を両手で包めば脆く崩れる。彼から伝わる確かな温もりが、そのあまりに優しい熱の重みが、塔子の空っぽな輝きを打ち砕いてしまう。

「…………夢、だなんて。嫌ですわ、夢ではいつか覚めてしまう……いっそ夜の夢こそこの世のまことに変えてしまいましょうよ、現世(うつしよ)は残酷ですもの」

 震える唇のせいで、声までもが小さく揺れた。

「……はい。では一時間後に、此処で」

 離れていく手がひどく名残惜しくて、思わず勝手に指が追ってしまう。しかし十朱のあまりにも罪のない瞳を見てしまえば、いらぬ言葉を紡いでしまいそうな舌を軽く噛んでその顔に作り笑いを描いてみせた。

 いかないで、なんて。あたくしったら、なんて重い女。
 それでも、想いはまこと。

「必ず、此処で」

 愛しいひとの後姿を見送った後、塔子は何か決意したように唇を真一文字に結び、前だけを見据えて歩き出す。その顔は、まるで死地に向かうように青白かった。

 此処で会おう、その約束が果たされない事を知っているかのように。

 十朱と塔子が去った教会跡地、その近くにある藪がふいにがさりと動いた。其処から出てきたのはいかにも切れ者そうな若い男である。男は何かを警戒するように十朱と塔子の歩いていった先を暫く伺っていたが、急に何処かに向かって走り出す。その顔は、怖い位の無表情だった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 何処までも続く白壁に黒い屋根、朱い提灯に咲き誇る春の花。そして何より目立つのは、この時代には珍しい西洋から輸入した絡繰(からくり)の粋を集めた巨大な時計塔。その様は堂々として隙の一つもありはしないが、何処か仰々しく、全てが異形。まるで桃源郷、しかし何処かこの世の物とは思えぬ、幽鬼の居城のような。その建物こそが陽花町でも名高い饗月亭(きょうげつてい)、朧家が代々継いできた高級旅館である。

 今はしんと静まり返った饗月亭の裏口、その木戸がゆっくりと音もなく開いた。人目を忍んで入ってきたのは塔子であった。足音を立てないようにそっと歩を進めると、彼女は縁側から屋敷の中へと上がる。足早に、しかし誰にも出会わぬよう人の気配を伺いながら、塔子は自身の部屋がある離れ座敷を目指していた。
 家を捨て今から駆け落ちする不出来な娘だけれど、せめて母親の形見位は持って行きたい。その一心が塔子を突き動かしていた。
 幸い誰にも会う事なく、塔子は離れ座敷の前まで辿り着いた。離れは屋敷の池の中央にあり、母屋とは橋で繋がっている。誰にも見られないよう周囲を見回した後、塔子は素早く橋を渡り、離れの扉の鍵を開くと部屋に飛び込んだ。

 その先で、見たものは。離れには塔子が異国から買い集めた色も形も様々な無数のランタン、西洋や日本各地から取り寄せた珍しい人形、絢爛豪華な屏風絵や色鮮やかな西洋の油彩画、異国の風景を映し出す幻灯機、塔子の身の丈よりも大きな柱時計など塔子が愛する美しい物が置かれていた。しかし今やその全てが滅茶苦茶に壊されて床に散乱し、最早原型を留めていなかった。
 そして、廃墟と化した離れの真ん中に仁王立ちしていたのは。

「――――お父様」

 其処に立っていたのは銀色に見える白髪が特徴的な、身なりが良いがひどく神経質そうな男。男の名は朧土匡(おぼろただまさ)、塔子の父親である。
 まるで仮面を被っているかのように無表情な土匡は、塔子の驚きの声に答えはしなかった。ただふと、足元に市松人形が転がっている事に気付くと、何の躊躇もなくその頭部を踏み付ける。

「…………番頭にお前を見張らせていて良かった、まさかあんな卑しい身分の男と駆け落ちしようとするとはな」

 足に力を込めると、人形の頭部はみしみしと泣くような音を立てて軋む。そのままぐしゃりと踏み潰すと、表情一つ変えないままふいに土匡が塔子の方へ歩を進めた。

「お前も、お前の母と同じようにこの俺を欺き、裏切るのか。あんな身分違いの下郎と共に……たかが下賤の番頭など恋仲になり、逃げ切れぬと知るや桜路湖に飛び込み心中した、貴様の母親のように!」

 あまりの事に一歩も動けず立ち尽くした塔子に向けて、土匡は背後に隠し持っていた物を振り上げた。それは角材だった、木刀のようにさえ見える凶器を、土匡は容赦なく塔子に振り下ろした。

 ぱっと、真っ赤な花が咲いた。みるみる花びらが散って、漆喰の白壁に新しい花を増やし、其処に季節外れの曼珠沙華が咲き乱れる。

 床に倒れ伏し額を朱に染める塔子に向けて、土匡は再び角材を振り上げる。その顔は先程までとは全く違う、憤怒の表情に歪みまるで地獄の鬼そのものだ。
 その時、倒れたままの塔子の唇が、微かに動いた。

「何だ、今更泣き事か? ならば土下座して泣いて謝れ、俺がどんな気持ちで貴様を育ててきたか、分かりもしない恥知らずめ……父に背いた罪、今此処で謝罪しろ……!」

 長い髪が顔に掛かって表情はよく見えない、屈んだ土匡は塔子の髪を掴んで無理矢理顔を上げさせる。

「何だその目は!?」

 冷淡に叫ぶ土匡の目には、最早人間らしい慈悲の輝きは欠片も残っていなかった。
 そんな土匡を、塔子は真っ直ぐに見ていた。右の頬で燃え盛る紅の痣の奥で、明るい煉瓦色をした猫のような吊り目が強く、強く強く残忍な父親の目を見据える。

「…………あたくしは、知っている……全部、知っているわ」
「……何だと?」

 急に怯んだ土匡の表情に、隠しきれない動揺の色が浮かぶ。額を伝った脂汗を拭う手は、小刻みに震えていた。
 そんな怯えまで全て見透かすように、塔子は牙を剥くようにあえて大きく口を開いて、一言一言噛み締めるように、恐るべき真実を告げていく。


「知って、いますとも……お母様を殺めたは、――――おとうさま、あなたじゃありませんか」


>>十朱

3ヶ月前 No.147

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPhone=hWq7OA3GzI

【 萩原日和 / かみかぜ探偵事務所 】

 ずっと考えていた。私は何に囚われているのだろう、と。

 吐血し崩れ落ちた男を冷ややかな目で見下ろす。桜路通りで彼を助けたときとは違う、何かどす黒い感情が日和の胸中を掻き乱していた。もうあの頃とは何もかもが違う。地位も名誉も失って、気付けば周囲には神無しかいなかった。全てを失うきっかけを作ったのはこの男、神無颯一郎だというのに。彼を再び救うことは、自分の未来を大きく決定することに等しかった。

 緑茶をかけられ、神無を平手打ちした先程の不穏な空気がまるで嘘のように、探偵事務所は恐ろしく静かで空虚に包まれている。家の主が黙るだけで、こんなにもこの家は静かになるのか。

 ――私は、一体、何に縛られているんだろう。

 また自問自答を繰り返す。目の前で浅く呼吸を繰り返す男は何と無防備で無力なことか。ここで湯呑みを割って、その欠片を突き刺せばこの男は簡単に生き絶えるだろう。

 日和は神無の考えていることがまるで分からなかった。散々こちらを振り回しておいて、結局は日和の判断に身を委ねて沈黙する。まるで「君が何を考えようと無駄だ」と、「最後は私の思い通りになるのだ」と言わんばかりの悠然とした構えに今まで散々と翻弄されていたが、よくよく考えてみればこんな身勝手な男の戯言など本来は聞く義理も道理もないのだ。そうだ、別に何もここで彼の言う通りにしなければいけないわけではない。彼を救う必要もない。ここで彼を置き去りにして今すぐ両親の元へ向かえば(相手を待たせてしまっているものの)見合いには間に合うだろう。そうすれば私は晴れて萩原家の人柱としてこの身を捧げることができるだろう。それが日和の望む未来なのかと問われれば、言い返す言葉もなかったが。

「……」

 日和は数分の間、□(もが)き苦しむ神無の様子を黙って見ていた。彼のもとに留まるか、萩原家に戻るか、二つの地獄を天秤にかける。どちらに転んでも待っているのは絶望だけだ。それが分かっていても日和の感情は恐ろしいほどに冷静で達観していた。
 しばらくして腰を下ろすと、日和は先ほど神無が置いた湯呑みにそっと手を伸ばした。そして勢いよく腕を振り、

 ガシャン!

 と激しい音を立てて崩れ散った湯呑みを見届ける。日和はその欠片を一つ手に取って力強く握りしめた。尖った陶器が突き刺さり、朱く生温かい血が掌から零れ落ちていく。何故か痛みは感じなかった。

 ――このままコレを、この人の首に突き刺せば。

 普段では考えられないような歪んだ思考が日和を支配していた。神無颯一郎は日和が思い望んでいるような救世主ではない。彼と共にいたって自分の思い描くような幸せは訪れない。助けてくれない。現状を変えてもくれない。こんな好きでもない男。身勝手で独り善がりが先走っているような男。本来ならば絶対に出会うことがなかった男。……それでも何故か日和を気にしてくれる男。
 日和は大きく腕を持ち上げ、神無の首筋をめがけて湯呑みの破片を振り下ろした。そのまま突き刺そうとして、そして寸前のところで押しとどまった。手がわなわなと震えている。同時に頬が濡れて始めて、やっと自分がやろうとしていたことに気が付いた日和は陶器を手から滑らせた。ガン、と重い音を立てて凶器は床に落ちていった。

「な、何をしようとしていたのよ私……」

 手の震えが全身を伝っていく。怖い。どんどん自分が自分でなくなっていくような気がして恐ろしい。半年前までは何の失敗もなく女性としての最高地位を築き上げていたはずなのに、誰にも頼らずに済んでいたはずなのに、気が付いたら大嫌いな萩原家に縋ることでしか生きていけないような人間に成り下がってしまった。哀れな女。見ず知らずな自分を気にかけてくれた唯一の男までもを殺めようとした罪深い女。こんなの自分じゃない。自分が思い描いていた萩原日和じゃない。じゃあ自分は、自分は――……

 ――自分(ワタシ)は一体何者(ダレ)なの?

 しばらくして日和は乱雑に涙を拭いたあと、力なく微笑みながら床を掃除し始めた。割れた湯呑みの破片を一つ一つ掻き集めてゴミ箱に捨てる。そして神無をそっと抱き起こし、何事もなかったように黙々と看病をし始めた。
 濡らした手拭いを神無の額に乗せるとき、

「なんで、なんで拾ってくれた恩人が……貴方だったんでしょうね」

 そう小さく嫌味を零したのを最後に、日和は一切の強気な姿勢を見せなくなった。それから二週間、日和は典型的な女性像――献身的で受動的な、本来女性があるべき姿であり続けた。独りにしないで欲しい≠サう倒れる間際に神無が放った言いつけを守るように、独り善がりな女は独り善がりであることをやめて、独り善がりな男のために尽くす道を選んだのだった。



>神無さん
【自分の中で日和の考えていることがまるで分からなくなって、たくさん悩んで、ようやく出した答えがこれです。遅くなってしまって本当に申し訳ありません。一応話し合い通り二週間の時が経過したように致しました】

2ヶ月前 No.148

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【神無颯一郎/かみかぜ探偵社】

どうして、貴女はその路を選んでしまったのでしょう。
独りにしないでという声を、黙殺することだって出来たのに。


古びた木造家屋に寄り添う桜の木は、硬い蕾を綻ばせ柔らかな花弁を満開に咲かせた。淡い色の淡雪のような花房が吹き込む春風に揺れている。日和が転がり込んできてから、既に二週間の時が過ぎ、名残の冬の気配はいつのまにか溶けて消えていた。
日和を拾ったあの日から、孤独で病弱で我儘で偏屈な気狂い探偵の根城は様相を変えていた。埃っぽく陰気な黴臭さの篭った空気は今は春運ぶ風の匂いに入れ替わっているし、大きな氷を買って入れた冷蔵庫には神無の食べたこともない優しい味がする惣菜が僅かに入るようになった。嘗ては壁という壁を覆い尽くしていた殺人事件の資料は剥がれ落ち、そこには穏やかで寂しい西陽が差して、茜色の空の続きを映すようになっていた。がらんと空いた部屋の中から、ある日遂に神無は不吉な遺書のような書きかけの原稿を棄てた。独りぼっちではなくなった彼は、穏やかさの中で次第に透明になっていくようだった。

目を覚ませば、美しく健気な女性が夢幻のように傍に居て、話し相手になってくれた。世話を焼くだけではなく、隣に堕ちてくれているという感覚が、彼女にもまた自分が不可欠だという思い上がりの錯覚が、奇妙な共同生活に彼を酔わせた。夢のような幸福の時間が、けれどまやかしのような退廃的な時間がぼんやりと流れていた。

然れど、同居人の顔もまた晴れやかだったかと問う人がもしあれば、段々と彼は首を縦には振れなくなっていっただろう。他人の心の内を推し量るということが大凡出来なかったこの男は、肉体の死期が近付くにつれ、否日和と共に暮らすにつれ人でなし≠ゥら人の心を持つらしい何か≠ヨと変貌を遂げていくようにも見えた。小さな子供がそうするように突飛な質問や言の葉を日和に投げつける事はあったが、従順になった彼女が優しく接するうちに傍若無人の元探偵も覚えたてのやさしさを彼なりに向けるようになった。彼女のことを彼は「日和さん」と呼ぶようになった。出会ってからそれまで唯の一度も名前を呼んだことが無かったのだ。「ありがとう」と口にするようになった。けれど反対に、あの日以来同居人となった日和からは以前のような人間らしさは色褪せていったように思う。出会った日の神無が面白いと僅かに心動かされた鮮烈な光は消えていったように思う。従順に優しく受け身で、まるで普通の婦人のようになってしまった日和。本来の良家の息女の姿なのかも知れないが、それが何故か少し神無を寂しい気持ちにさせた。その漠然とした悲しい気持ちに神無は名前をつけることができなかった。
人の為を思い何か考えるようになったのは、あの日のお見合い前の日和に茶を浴びせたのがおそらく初めてで、けれどそれは物の見事に空振りをし、未だ上手くいかぬまま時折物思いに耽っている。儚く音もなく消え入りそうな蒼白い面を窓の向こうの桜の木に向けて寂しそうに考え事に沈んでは、日和の姿が近くにあるのに気付くと、ふと笑んで幾つかの呆れるほどしょうもない話をし、身体を震わせて咳き込んだ。


「ねぇ、僕はやっぱり病で頭まで悪くなってしまったのだろう。不自然な人の死を見ても、あまり楽しいと思わない。浪漫を感じない。可哀想と思う」
最期の日の前日、神無は届いた新聞の記事を読んで涙を流した。光のない夜の沼のような黒く大きな瞳から、生きながら既に屍のようになった雪色の肌の上を、掠れた赤がこびりついたままの唇の横を、温かな雫が転がり落ちる。読んでいたのは、名前も知らない親子の、子が親を殺す泥沼のような愛憎劇の顛末を語った、世にありふれた殺人事件の記事だった。


最期の日は、同居人からしてみれば唐突に訪れたのかもしれない。探偵事務所だった西向きの部屋で、二人はソファに並んでいた。
今日も死ななかった。今日も穏やかな一日だった。明日は、どうなるだろう。こうしてまやかしの様な幸せはじりじりと行き詰まり、けれどそれでも良いのだろうか。きっと、日和にゆくあてなどはとうに無い。自分が何の変哲もなく穏やかに、つまらないけれど幸せに病死してしまったのちの物語を考えていた。彼女がどうなってしまうのか考えていた。傾く陽射しに、終わっていく未来をずっと考えていた。独善だ。眩過ぎる日輪を、因果の糸で引き摺り落としてしまった罪滅ぼし。彼女の運命を自分が狂わせてしまったようなものだけれど、けれども、それを選んでしまったのは彼女だ。

幸せにはできない。助けられない。ずっとそばには居られない。
第一、僕は我儘だ。こんな状況でもなければ君のような女は好きでもないから一緒にいない。非論理的で、感情的で。自分は人と違う高いところにいると自惚れている、高慢で高飛車な可愛げのない女だと思った。自分は頭が良いとでも思っているのだろう自分は正しいとでも思っているのだろう、その輝きを自覚したような姿、すぐに人と張り合おうとする可愛げのない女と思っていた。自分らしく、だってその能力と魅力があれば生きていけるだろうにそのくせ自分の環境境遇を悲観し、家柄のせい職場のせい女であることのせい社会のせいにしようとするその女々しさ。羨ましくて全然好きじゃない。ーーけれど。この明日の命も知れぬ、しかも人格も仕事も生活力も塵芥のようなろくでなしの男を、身分からして口も利くべきではないような貧乏人を、その地位を犠牲にしてまで助けてくれた人。何度となく裏切られ泣かされ叱り飛ばし罵り合いにさえなったのに二度も見つけ出し何故か傍にいる人。何度だって出て行くタイミングはあったのに、離れずに居てくれる優しい人。
そんな本当はたいして逞しくもなく弱い彼女が、自分の亡き後には独り取り残されるのだろうかと、神無颯一郎は自分以外の為に、はじめて考えた。
彼のたった一つの取り柄であったはずの明晰な頭脳は、この際何の役にも立たなかった。

窓の外は見事な夕焼け。遠くに春嵐を呼ぶ雲を連れて燃える黄昏が貧しきこの町に迫る。風が立つ。満開の桜は命の限界を迎えたか橙色にはらはらと零れ始めた。
骨と皮ばかりになった薄い手のひらを、徐ろにそっと日和の頬に沿わせた。覇気の減ったその貌を慈しむように撫で、乾ききってしまったその髪を細い指に絡めてはまた撫でた。

終わりの刻は、突然に訪れた。
神無からすればずっと考えていたことなのだろうが、その行動は二人の間に急に降って湧いたように理不尽に振り下ろされた。

愛しむように若い肌を這っていた白い指が、日和の細い首元まで下りてくる。柔らかい喉に纏わりつくような十の指が、まだ優しく包むものを温めている。
それまでは、穏やかな一日が暮れていくと思っていたかもしれない日和の眼の中で、漆黒の瞳が、頷くように揺れる。

……僕は君に、何もしてやることはできない。
甲斐性はなくて、長くは生きられなくて、人の気持ちもさっぱりわからない。元々住むべき世界が違いすぎて、僕は多分君からしたら人間じゃない。
日和さんに出会って僕は変わって、そうすると此の行き詰まりに君を暗くさせるばかりなのがどうしても辛くて、君も僕も忘れられるのかと思うとどうしても悔しくて。人のほんとうの死は、息が止まった時ではない、誰からも忘れられた時がほんとうの死だ。ほんとうの独りぼっちだ。
だから。



ーーなんて。
そんなやさしげな独白を、
ゆめゆめ信じては、ならない。
そんな生易しい心変わりを、善人への転換を、この僕がするものか。
生まれ持っての悪の性根が、三つ子の頃から培われた癲狂の性が、ーーそう簡単に変わる筈ないだろう?


「日和さん。……僕は君がいないと駄目だ。貴女もそうかな」

神無は急にその指先に力を込めた。明日にも息絶えそうな病人の身とは思えない力で、骨だらけになった凶器の指は細い喉を締め上げた。

いつからが、どこからが虚構だったのか。
何処までは本当の自分と本当の日和だったのか。
昨夜の涙も、しばらくの人間らしい物想いも、美談とも言えそうなその変化も。全て嘘で本当は彼女の存在はこの人でなしには響かなかったのか。それとも、全ては彼の感情に起こっていた奇跡で、悪魔と天使は戦っていたのだろうか。或いは、それすらも自分に騙る偽りで其の実は日和のためを慮る神無であるのか。

「日和さんも僕がいなきゃ駄目だと嬉しい。……どうして君が泣くのか、前からわからなかった。興味があった。どうして一緒に居てくれるのか、わからなかった」

豹変した勢いで扼殺にかかりながら、神無は思い詰めたように捲し立て、げほげほと苦しそうに咳き込んだ。それでもその指を緩めることは無く、執念深く縋るような嗄声で囁き続けた。

「……ねえ今度生まれてくるときは僕にも、わかるかな、君の気持ち」

生まれも、育ちも、違いすぎて分かり合えない。ならばせめて巡り会わなければ良かったのに、懲りずにまた巡り合って分かり合いたいと願うのは、ある種の恋の病かもしれない。わからないものに焦がれるのが人の性なのかもしれない。首を絞める両手の代わりに咳を受けた着物の肩は鮮やかな朱に染まった。泡立つ血を口の端から落ちるままに、我が身は構わず指先に触れる頚動脈の拍動を味わった。まだ若々しく、ここで死ぬべきではない瑞々しい生命の感触を。自分一人の命さえままならぬこの身の上で、漸と支配した気になっている、美しい、人の命を。

ーー悪いが僕は完遂する。燃え尽きる生命の、最期の浪漫を。

探偵だった男は、怜悧な黒曜石の目に陰惨な光を宿したのち、被写体の姿を愛でるようにそして幸福を祈るようにその目を優しく細めた。

「君にもわかってもらえるかな、僕の……」


>日和さん



【無理難題を、すみません……ありがとうございます。いやしかし私もなかなか書くのが苦しかった(楽しいんだけども、楽しいんだけども考えすぎて)。すかっと気持ちよく、終わりにしましょう……!】

1ヶ月前 No.149

日向月。 @kafune☆01.vmkBoVYY ★iPhone=gvuiG3FWjP



【 水原祐太郎 / 荒屋 】


 澪子の手を取って桜路を駆け抜けた。息を切らしながらも自分の声掛けに応じ、握っていた手を強く握り返した澪子の事を愛しそうな眼差しで見詰めながらも、そんなことより澪子の様子を見るといかにも走り慣れていないのではないか、と感じた祐太郎は心配そうに澪子の顔を覗き込もうとした時に彼女の体がぐらりと揺れた。咄嗟に伸ばした腕で倒れそうになる澪子の体を受け止めることが叶った。祐太郎はほっと安堵の息をつくと、澪子が覚束無い呼吸を繰り返しながら大丈夫だと言うものだからまた心配になってしまう。目線を下にさげると手拭いで汗を拭う仕草が見える。その動作の合間からは白い肌とは対照的にほんのりと紅色に染まった頬が覗く。その姿に思わず見蕩れていたら、澪子の方から思いがけない言葉が飛び出してきたことに目を丸くする。確かにお互いのことを知らな過ぎる自分達にとってはとても良い提案だと思った。だがしかし、それと同じくらいに意外だという思いが湧き上がった。澪子はなかなか素を見せてくれない女性だと思っていた祐太郎は驚きをみせた後に今一度、澪子のことを見詰め直すとそこには以前よりもずっとずっと人間らしい表情を見せるようになった彼女が居て。それを見た祐太郎は思う。今、一緒に居るのが澪子で良かった、と。そしていつかのように何とは言わぬまま、無邪気な声で可笑しそうに笑った。


「はい。澪子さんのことも、俺のことも、それ以外のことだってたくさん話して、知っていきましょう」


 柔らかい微笑みを浮かべながら澪子の言葉に頷く。そうして耳を傾けて知ったことを忘れぬように心へ刻み込む。時には驚いて、時には相槌を打って、時には笑いながら澪子の話を聞いた。自分のことを聞かれた時には詰まり詰まりになってしまったが色んなことを話した。どんどんと質問を増す事に明るいことばかりではなく、自分が生まれた場所のことや、受けてきた待遇、今置かれている環境のことを少しずつ話していった。けれど暗い話の時に暗い顔をしていても仕方がないからなるべく笑顔を保つように心掛けた。




 すると、澪子からまた新たに訊ねられたことがあった。祐太郎の苗字を知りたいらしい。その時に祐太郎は、おや? と小首を傾げて少しだけ思考を巡らせた。澪子と出会った時から再会に至るまでをなぞるように思い出してみても祐太郎は自分の本名を名乗ったことは一度もなかった。だから納得した様子で再び目線を合わせて優しい声を上げた。


「そう言われてみれば、確かに名乗っていませんでしたね。えぇと……水原(みはら)、です。水原祐太郎。これが、俺の名前です」


 言葉だけでは分かりずらいかと思い、自分の左の掌に右手の人差し指を立てて本名の漢字をするりと描く。改めて名乗るというのは実に変な感覚で、祐太郎は少しばかり照れ臭そうにはにかんだ。


 そうしている内に陽はどんどんと沈んでゆき、代わりに月や星が顔を出す。穏やかな夜の始まりを知らせるかのように開かれた窓から差し込む月の光が二人を照らし出した。

>>澪子様



【擬似結婚式!めちゃくちゃやりたいです!!なんかそれっぽく月の演出()も入れてみたのでよかったらやりませんか、なんて……!】

1ヶ月前 No.150

澪子 @mistydark☆NIljAHmRyhk ★Android=GaTaMXF8bf

 【澪子/荒屋】

 二人が話し込んでいるうちに、日は翳っていた。赤い夕暮れが辺りを焼き付くし、名残の紫の空も消え、琥珀の月と星だけが浮かぶ紺色の夜。
 静寂が辺りを支配する。二人分の息遣いと囁き声、衣擦れの音だけが秘めやかに響く。まるでこの世界から、澪子と祐太郎だけが取り残されてしまったような――或いは、この世界できちんと生きているのは二人だけのような。
 そんな閉ざされた楽園の中心で、澪子はじっと祐太郎の手許を見詰める。その一瞬を、決して失わないように。
「……みはら」
 彼の右手が左手に書いた文字を真似て、澪子は床に手を伸ばす。うっすらと埃が積もったその場所には、確かに「水原」の二文字が刻まれた。もう今更指先が汚れることなど厭わなかった。
「……綺麗、ですね」
 字の形も、音の響きも。けれどそれはきっと、祐太郎の持ち物だからという意味合いが多分に含まれた感情でもある。

 苗字、それは澪子が持ち得ないもの。彼女の祖父の代で四民平等が謳われた後も、天皇家だけには与えられなかったもの。まるで道具であるお前たちには、そんなものは必要ないと言われているようで。
 幼い頃は――否、ついこの間までは、そんなこと気にしたこともなかった。気にしない振りをして諦めていたのかも知れないけれど、それでもこんなに焦がれたことなどなかった。自分は日ノ本の国を守るための道具だと、その生き方に納得していたつもりだったから。
 けれど、今は違う。全てを棄てた澪子が望むのは、ただの十六歳の女として生きること。恋した人と結ばれるのに何の障害もない、ただの人になること。
 たとえそれが、家族とこの国を――五千万以上の臣民を裏切ることであっても。それが、許される筈のないことであっても。それが、一瞬で覚める夢であっても。

 それでも澪子は、目の前のたった一人を選ぶ。

 そっと上げた目線の先で、星月の明かりが祐太郎の横顔を白く浮かび上がらせていた。彼に気付かれないように、水原の隣に小さく書き足したのは自らの名。
 そして次の瞬間、澪子は持っていたショールをバサリと広げ、祐太郎と自分を包み込む。ふわりと落ちたそれは、まるでベールのように。月や星にすら彼の顔は見せてやらないと、その全てを独り占めするように。或いは自らの子供じみた遊戯の痕跡を隠すように。
「祐太郎さま……貴方がお許しくださるのであれば、わたくしはたとえ明日この身が朽ち果てることになろうとも、最期まで貴方と共に在ります」
 けれど、そのお遊びが本物になればいいと願って止まないのもまた澪子自身であり。
 この捨てられた荒屋が、この世で一番神聖な場所であるかの如く、神妙に真剣に、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「此処に神様は御座しません……ですからどうぞ貴方とわたくし自身に誓わせて下さい。病めるときも健やかな時も、此処から先はずっとわたくしは……澪子は、祐太郎さまのお側で、祐太郎さまを支えて見せます」
 それは、いつか何処かで聞いた神父の言葉の真似事。あれは確か……数百年続くという触れ込みの貿易商に、従姉が嫁いだ時だっただろうか。
「ですから祐太郎さま……もし、もし貴方もそれを望んでくださるのでしたら……どうか、どうか」
 一息吐いた。ショールを握る手に知らず力が籠る。
 此処から先は、きっと誰にも許されない。そんなことをすれば、彼にも、彼の家族にも多大な迷惑をかけることになる。嗚呼、けれど、だから。
「今宵だけで良いのです。わたくしをどうか、あなたのお嫁さんにして下さい」

 もしそれが叶うなら。この美しい夢が終わるより先に、死んでしまおう。

>祐太郎様

【疑似結婚式強行しました、心中という名のゴールインまであと少しです!】

1ヶ月前 No.151

神崎りりか @else☆TYRYeuBpk3k ★iPhone=hWq7OA3GzI

【 萩原日和 / かみかぜ探偵事務所 】

 あの日、「萩原日和」は死んだ。

 自分が自分たる所以を失ったあと、彼女のもとに残ったのは神無の介添え役としての役目と、女としての器だけだった。
 かみかぜ探偵事務所が唯一の居場所となった女は、従順的に、そして献身的に神無を看病し続けた。そうすることでしか自己の存在理由を見出すことができなかったのだ。だから彼の病状が回復する度、女は自己を肯定されたような気がして嬉々とし、また悪化する度に繰り返し自分を責めた。神無が描いているであろう理想の女性像≠勝手に生み出して、それに沿って生きるように努めた。そして神無の瞳に映る自分の女らしい℃pを見る度、女はホッと安堵した。一日、そしてまた一日と、長い時を共に過ごしているのにも関わらず女は一度だりとも神無を見ようとしなかった。否、見ているつもりがまったく見えていなかったのである。結局、彼女は緑茶をかけられたあの日から変わらず自分の承認欲求を満たすためだけに神無を利用していたのだ。

 しかしある日、新聞を大きく広げて見ず知らずの他人(ひと)のために涙を零した神無を見た女は絶句した。女が自分に必死である間、神無は少しでも人の心に触れようと変わっていたのである。居候を始めてから二週間、病に苦しむ間も神無は進んで萩原日和に話しかけ、そして優しく笑おうとぎこちない表情をこちらに向けていた。本人が自覚しているのかはともかく、少なくとも彼は他人を想い、他人のために動いていた。そして遂に彼は殺人事件を聞いて「可哀想」だと言って泣いたのだ。今まであれほど執着していた事件の真相解明や犯人特定にも一切関心を向けることなく、純粋に、心の底から被害者に同情したのだ。

「……うん」

 女はそれを肯定することも否定することもなく、神無の言葉を静かに受け止めた。顔を上げて見渡せば、事務所の中は日和が転がり込んできた当時とすっかり様変わりしていて、のどかで温かい雰囲気が辺りを優しく包み込んでいた。女が盲目的に自分を可愛がっている間に、男も部屋も、そこにある全てが萩原日和のために変わっていた。女だけが自分を慈しんでいた。女は一人、取り残された気分になった。自分の独善的な浅ましさと孤独にようやく気が付いたのだ。

 神無がその翌日に女の首を締め上げたのも、結局は萩原日和のためだったのだろう。それまで優しかった態度を突如豹変させた神無は、まるで子どもが「もう大人になるから」と、過去と決別するためにお気に入りの玩具を壊すように萩原日和を扼殺せんとしていた。迷いのない瞳で萩原日和を見つめ、その指先に力を込める。今日、神無は彼女を殺すつもりなのだ。抵抗する暇もないまま彼の細い指先が女の皮膚に食い込んで、鈍い痛みと圧迫感が女の身体を支配する。くらり、くらりと次第に意識が朦朧としてきて、息をするのも苦しくなっていった。無意識に神無の腕を掴んだ女の両手が「まだ死にたくない」と叫び、彼を引き剥がそうと足掻く。しかし女の顔はどこか受け入れた様子で、ジッと神無の苦しそうな表情を達観的に見つめていた。不思議な感覚だった。まるで自分の中に二人の人間が混在しているようだった。

「き、昨日から……らしくもないわ……颯一郎さん」

 苦しみながらも精一杯の笑みを浮かべ、女は二週間前から呼んでいる彼の名を口に出した。女の首を強く締めながら「僕は君がいないと駄目だ」と、「君も僕が必要だと嬉しい」と、縋るように訴えかけてくる彼の姿はまさにヒトの心を持つ人間のそれだった。
 たとえ彼のその言葉が偽りだとでも。これから神無によって殺されるのだとしても。本当に今日、自分の命が散るのだとしても。彼がそれを望むのならば女が出す答えは一つしかなかった。

「……二週間前のことを思い出していたの」

 女は敢えて神無の問いに答えずに、掠れた弱々しい声で語り始めた。

「あのとき私は怒ったけれど、本当はちょっと驚いたの。私の見合いなんて、本来なら貴方には全く関係がないはずなのに。すごく感情的になって私を引き止めて……何だか初めて私のことを見てくれたような気がして嬉しかったわ」

 女の首を絞める神無の顔は、彼女の目の前にあった。彼の瞳が、鼻が、口が手の届くすぐそこにあって、まるで彼と一つになったかのように錯覚する。二人のか細い吐息が交じり合って、優しい温もりを生み出していた。

「……今の貴方なら十分分かるでしょう、私の気持ち。私が何を求めているのかを」

 そう言って女は握りしめていた手を離して神無の頬を触り、そして強引に彼の唇を奪った。僅かに血の苦味を感じて、それをゆっくりと噛みしめたあと名残惜しそうに自分の顔を放す。それは二人にとって初めての接吻だった。



「颯一郎さんと堕ちるのなら本望よ」



 それが女の本心なのか、それとも神無を慰めるために放った言葉なのか彼女自身も分からなかった。死ぬのが怖くないと言ったら嘘になる。だけど明日をまた生きたいかと聞かれたら多分素直に頭を縦に振ることはできないだろう。意識が何度も途切れるなか、嘘と誠の狭間で女はそれでも神無のための萩原日和を演じ続けようとしていた。それが彼のためなのか、それとも最期まで自分のためだったのか、それを知る者は誰もいない。

 しかし女はこのとき初めて、神無の瞳に映る自分の姿ではなく神無颯一郎という男だけを見つめていた。



>神無さん(締めレス)
【芙愛ちゃんが情景描写を入れてくれたので、同じことを繰り返すのもどうかと思い、ちょっと書き方を変えてみました。長かった心中スレもようやく完結まであと一歩というところまで来ました。今までご迷惑をおかけしました。そして本当にありがとうございました。これで安心して芙愛ちゃんに最期を任せられます。スレ主様さえよければ後ほどサブ記事であとがきを書かせてください。では、お先に失礼します】

1ヶ月前 No.152

神無颯一郎 @fue☆dTW3Rdrh5/. ★iPhone=uYwUDyqtCB

【神無 颯一郎/かみかぜ探偵社】

夢にまで願った、その眼差し。
踏み外した浪漫と孤独の病に焼かれていく此の身を見て呉れる、だれかのまなざし。
黄昏迫る寥々とした部屋の片隅。二人は恋人のように見つめ合って佇み、斜陽の名残火に燃ゆる桜吹雪は火の粉のように舞い込んだ。
夢まぼろしのような黄金色の日差しの中で、
神無颯一郎は萩原日和を扼殺し、自らもそのあとを追うように果てた。



夢幻泡影の風塵となって世界から掻き消え忘れられていくのは、本当は何も特別な悲劇ではない。なのに青年は実にありふれた最期から目を逸らし、生きながら亡霊のようになって道連れを探していた。一人で死ぬのは怖かったから。名探偵の棺を彩る花を集めきれなかったから。長閑な平穏は独りぼっちを益々世界の隅に追いやって、世の中の幸福と平和は無聊託つ異常者を詰り暗闇の中に閉じ込めた。浮世を徘徊する悪霊は、漸く差した一筋の光を、両手で包んで吹き消した。夢路彷徨う蜉蝣の身に、夜明けは余りに遠すぎる。

ーー愚かな呪いのような願いです。あわよくば貴女を、自失の病人のふりから押し倒し、私好みの変死体にして、私も変死体になりたかった。名も無き探偵の私を知る人は此岸にはもう貴女しかいない気がするのです。お逢いしたかったのです。名残火のように燃ゆる此の欲求を満たしたかった。然しながらもう、身体が儘ならぬのです。全ては夢の中の戯言、独りぼっちの妄言。あんなに気楽で自由だった孤独が、振り返ればとても、寂しかったのです。

生き急ぎ、沈み、揺蕩い、足掻き、巻き添えにして、死に急ぐ。貴女に焼き付けたい。世界に爪痕を残したい。貴女を救いたい。貴女を救いたい。そうやって、自分を救いたい。
誰でも良かったのか、と若し訊かれたのなら、肯定も否定も答えることは出来ない。出鱈目の、宿世結び。けれど、命散る今際のきわまで自分を見詰める眼差しに、生まれてはじめて人と心が通い合った気配に、神無は限りなく満足した。

幼子をあやすように、日和の優しく切なくか細い声は、分かるはずだと告げた。人の心の分からない孤独な悪霊のような男に、その心の解釈を託した。細い喉を締める指の力を緩めたとき、唇に温かく柔らかなものが触れた。それが、自分の唇を日和が奪った瞬間だと気付いて神無は瞠った目をそっと閉じた。神無はその間考えた。日和の気持ち、日和が何を考えているのかを。自ら考えたかのように錯覚し、そうして実のところは決め付けた。触れ合わせた唇から流れ込むのは、互いの温かさが、優しさか、自己の欲求か。

「……嗚呼」

離れていく気配にゆっくりと瞼を上げれば、じっとこちらを見上げてくる日和の視線があった。神無のほうから、或る時は興味深く愛らしいものを観察するように或る時は得体のしれぬものを推察するように見遣る事の多かった、日和の眼差し。今はそれが逆さになって、その瞳の中に映る己が身の姿に、不意に神無は恍惚と目を細めた。

救って欲しいのだね、虚しいこの憂き世から解き放って欲しいのだね、僕と一緒に逝きたいのだね。一人で残したりしない。悲しい未来から、絶望的状況から君を救いたい。堕ちてきた君を歓迎しよう。そうだ、僕と一緒に最期の夢物語を描こう。僕と君がいたことを忘れさせはしない。互いにとってこんな幸せはない。

「日和さん。やっと、わかったよ」

掠れた声が囁いた。
自らが解釈した日和の望み≠辿って、神無は指先に一層の力を込めて再びその首を絞めた。
骸のような指の下の、命の残響。残る生の脈打つ感触。柔らかな白い肌に浮かび上がる薄青い血管。命の凪いでゆく瞬間。夢にまでみた幸福の時だった。日和が認めてくれた、そう感じた事で、神無の表情に最早苦悩は無かった。人の心がわかる。好きな人の望んでいることがわかる。それは孤独だった自分との利の一致で、いま、その願いは叶えられる。
昂揚した。酔い痴れた。幸福だった。満足だった。
それがほんとうに、ほんとうに日和の気持ちに沿った答えだったのか、確かめる間もないまま、日和は死んだ。

糸が切れた操り人形のように、日和の身体から力が抜ける。崩れそうになる華奢な身体を抱き締め支え、神無はその表情を指先でなぞりながら心ゆくまで眺めた。奪って意のままにした人の命を、胸の内に沈めて愛でて味わって堪能した。彼女の遺体を取り巻く、何も無い空間を袖で切り、見えない糸を払った。萩原日和を操り、動かし、雁字搦めにしていた無数の糸を。解放したつもりになって、達成感に酔った。成し遂げた気になって、虚しさに襲われた。また独りぼっちになって、けれどもう怖いことはなくて。
探偵・神無颯一郎は物言わぬ日和の亡骸を抱き締め、桜散る逢魔が刻の薄闇の中で笑った。

悍ましい咳と夥しい喀血ののちに、神無は最後の仕事に取り掛かる。自分の為、日和の為、混ざり合うことの許されない心中の、果てしない浪漫の為に。
人生は、物語だ。

事の全てを終えた杜鵑(ほととぎす)。夜を籠めて、完遂する物語を歌う。
自ら無理心中の手に掛けた女の傍に寄り添って伏し、窶れた冷たい手に、死に損ないのまだ熱い掌を重ねた。以前倒れた神無を日和が萩原の家で看病してくれた時、同じようにして神無は夢うつつの心地で少年のように彼女の手に触れていた。
紅殻の格子窓から、雨雲越しの月光に濡れる桜の花びらが冷たい雨風に乗って舞い込んでくる。日和のことは雨曝しにならないところに寝かせて、よく眠れるように布団もかけてやった。手を繋ぎ横たわったまま、日和の死に顔と天井を舞う散り桜とをぼんやりと見つめている。

時が止まったような静寂の中で、昼下がりの微睡に落ちるように寝返りを打ち、目を閉じる。
「ーー解って、しまったのですよ」
呼吸音にさえ掻き消されそうな小さな声は、そう呟いたきり途絶えた。神無の白い着流しの、胸部を凶器が貫いて、夢の無い世界は暗転する。
萩原日和と神無颯一郎、二人の心中物語は幕を下ろした。


---

世に言うところの、迷宮入り怪奇事件。それは多くの市民に不気味さと恐ろしさと好奇心を、そして全ての次の探偵達に挑戦心と浪漫を焚きつける。

「……刺殺死体の男が、起き上がって恋人を絞め殺した? 愛ゆえに?」

現場に乗り込んだ邏卒等も、例によってまた捻じ曲げられた新聞記事を読んだ市民等も、物好きな探偵達も、皆挙って首を捻った。
桜路月花町探偵事務所男女殺人事件は、神無の目論見通り、たしかに世間に困惑の爪痕を残した。
これは、世界へのささやかな反抗だ。
日和の職場で起きた事件の報道に於いて「女や貧民からは何も変えられない」と悟った二人からの仕返しのつもりだった。世に名を残したかった探偵から後世への、エゴに満ちた謎かけのつもりだった。

第一発見者の大家が鍵を開けて目の当たりにしたのは、無残に荒れ果てたかみかぜ探偵社事務所と、そこに横たわる男女の変死体だった。開いた格子窓からは春の嵐が吹き込んで、床に散らばり放題だった悪趣味な事件記事や資料の数々も、雪原のように敷き詰められた桜の花弁も、二人が横たわる洋間の床板も、腐りかけ泥濘みそうなほどに水浸しになっていた。命を終えた桜の花は薄紅色が抜けて透き通りかけ、力無くふやけてしまっている。季節外れの白に染め抜かれた空間の中で転がっていたのは手を繋ぐ一組の男女の死体。女は扼殺、男は刺殺と見られる。一見すれば他に無いことも無い心中事件。しかし神無が最後の仕事として仕掛けたいくつかの罠が、事件を不可解で不気味なものとして印象付けた。


「死んでいたのは気の狂った探偵と、行方が分からなくなっていた名家の令嬢らしい」
「二人の関係は」
「さあ、恋人じゃないか」

「密室の現場から消えた凶器?」
「男の致命傷と一致する刃物は密室のどこにも無かった」

「女の首の扼殺痕は男の指と一致する。しかし、男が死んだと推定されるのは、女の死体の二日前」
「男が女を絞め殺し、第三者が男を刺すには密室が邪魔をする」
「それに、男は女が死ぬ二日前に死んでいる」
「すると、男が女を扼殺し自殺するのも不可能だ。自殺では凶器を隠せない」

「男が刺されているのを見つけた女が、絶望し、死んだ男の手を持って自らの首を絞めた」
「そんなことができるわけがない」
「……刺殺死体の男が、二日後に起き上がって恋人を絞め殺した?」
「馬鹿な」
「愛ゆえに」


世間というのは、勝手なものだ。
人は皆、自分の都合の良いように解釈をする。自分に関係が無く損害が無ければ、人の死でさえ面白おかしく語り出す。人が死んでいるんだぞ、なんて、そんな講釈説教は御無用。今好きなように語られている神無が、かつて他の事件をそうしてきたように。
人は皆、見たいように物を見る。多くの調査に関わる人々が、報道を聞いた野次馬達が、知りもしない二人の関係を「愛し合った恋人」と即座に決め込んだ。愛だ浪漫だ嘯いた。条件反射的に。神無と日和の繋いだ掌の間に横たわる真実を得て良い者など、生者の中には誰も居ない。
極め付けは、「死した探偵が愛のあまり恋人を迎えに来て、動く屍となって蘇り絞め殺した」などという莫迦莫迦しくもおめでたい幻想奇譚まで沸いている。その空想が甘美な理想なら、それも良いだろう。願望に寛容な世の中であったほうが、いまを苦しむ人々にはきっと生きやすい。

ーー……覚えていてもらえるのは、うれしいね

人を皆思い込みに縛り、迷宮に惑う後世の探偵達を見下ろしている。
相変わらずな世の中を、嘲笑う。
其処に在る気がした黒い陽炎が、空咳混じりの少年のような笑い声を立て、傍らのもう一人にそっと耳打ちすると、二つの幻影は桜の路の瓦斯灯の向こう、大正の風に吹き誘われるように消えていった。



>日和さん

(婦人×探偵 編、最終レス)


【ありがとう心中スレ! 一年ちょっと、長い道のりでしたが、婦人×探偵編はこれにて筆を置きます。最後まで一緒に完走して下さった日和さん本体の神崎りりか様(←呼び慣れない……)、読んで下さった皆様、素敵文でモチベーションを与えて下さった他ペアの皆様、そして素敵すぎるスレ考案と神管理をして下さったスレ主様、本当にお世話になりました。ありがとうございます。日和さんと神無はお先に退場しますが、皆様のラストシーンも一読者として心待ちにしておりますから、読ませてくださいね。ではでは。神無颯一郎を書かせていただきました、芙愛でしたー!】

23日前 No.153

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