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マナーは守らなければならないのか

 ( 議論掲示板 )
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ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_IyU

マナーとは何か。

マナーは法律とは違うので、守らなくてもペナルティはない。

しかし、マナーを守らない人が多数を占めると、社会の秩序が守れなくなる。

本当にマナーは守らなくてはいけないものなのか。

みんながマナーを守ることが実現した社会と
みんながマナーを守らないことが実現した社会で、

何が違うのか。

マナーに関するありとあらゆることを議論していきましょう。

メモ2019/06/26 11:56 : ザビビのふくろう★CZPpJSpIQU_TnX

[「マナーとは何か」を議論するにあたって、共有が望ましい事項のまとめ]

※いずれも、辞書・辞典、学術書・論文等からの引用。


【マナーとは】

□マナー(manner)

態度。礼儀。礼儀作法。「マナーのいい人」「テーブルマナー」

(デジタル大辞泉の解説)

□礼儀作法 れいぎさほう

人がその社会生活を円滑に営み、社会秩序を保つために用いる規範と実践の総体。

(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

□【礼儀】れいぎ

@ 社会の秩序を保ち、他人との交際を全うするために、人としてふみ行うべき作法。礼節。 「 −正しく挨拶する」 「 −作法」 → 礼@

(大辞林 第三版の解説)

□【作法】さ‐ほう

&#13008;物事を行う方法。きまったやり方。きまり。しきたり。「婚儀は旧来の作法にのっとる」

&#13009;起居・動作の正しい法式。「礼儀作法」

(デジタル大辞泉の解説)

□作法【さほう】

言語動作,起居振舞などの規準。一般に礼儀と併称して礼儀作法とも。

(百科事典マイペディアの解説)

********************************

【作法・マナー(manner)/礼儀/エチケット(&#233;tiquette)】


◆総論

□「衣食住・冠婚葬祭における適切な所作や言葉遣いなどを指定する社会的規範。マナーやエチケット、礼儀、行儀、躾などと同属」(貫[2012:486])

□「礼儀やマナーには、エチケット、作法、行儀など、多くの同属概念がある。しかも、それぞれが長い歴史を持っている。礼儀や作法は古代中国に発し、マナーはある時期の英語から、エチケットはフランス語から出た言葉である」(越智[2006:877])


◆特徴

□「正義や善悪ではなく、所作の「美しさ」「適否」「礼儀正しさ」「洗練」の問題であり、違反ししても、法におけるような刑罰はなく、たかだか周囲から敬遠されるだけである。道徳や倫理のように目に見えない「良心」ではなく、目に見える言動が問題となる。「躾」や模倣によって身につく習慣であり、状況に応じて自然発生するが、「小笠原流」や「マナー集」のように体系化されることもある」(貫[2012:486])


…続きを読む(41行)

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Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1012 を読む限り「ザビビのふくろう氏は『マナーとは何であるか』について、根本的に理解できていない」と判断せざるを得ない。

つっこみどころは数多くあるが、一番端的な発言は以下。

>マナーは、あくまで外面的行動規制として働く具体的・客観的規準であり、ルール(広義)として明文化されている場合も多く、その適否に演技か否か、心の中でどう思っているか、は原則として関係ない。


メモ欄より、
>□「以下のような特徴がある。

>(1)礼儀やマナーは、他者に対するものである。自分自身に対するマナーや礼儀は、通常は存在しない。礼儀を通して、自己自身を制することはあっても、その振る舞いはつねに他者を予想している。

>(2)それゆえ、礼儀やマナーは、外に現れるものでなければならない。心の中で完結する内なる礼儀は存在しない。かえって、心の中で思うことをそのまま外に出さないという表現方法が礼儀やマナーになる場合が多い。それゆえ、話し方、振舞い方、さらには身だしなみなど、礼儀やマナーは身体的な表現を伴う。

(中略)
>(4)美的評価が合理的な評価とはならないように、礼儀やマナーは合理的根拠を欠く場合が多い。それらは、たとえ自覚されなくても、特定の文化やその歴史と密接な関わりをもち、その中で・・877 培われた習俗や慣習、常識や通念などによって支えられている。

>(5)それゆえ、礼儀やマナーは人為的に教え、学ぶという営みがなければ、存続しえない。子どもに対してそれらを教える過程は、一般に「しつけ」と呼ばれる。その場合、しつけを国字で「躾」と書くように、礼儀やマナーは、知的に学ぶのではなく、身体的に学ぶ(=身に付ける)ものとして理解されている」(越智[2006:877-878])


自分自身でこのようなメモを貼っておきながら、「その適否に演技か否か、心の中でどう思っているか、は原則として関係ない」と結論づけてしまうとなると、自分で貼っておいて読んでいないのか、鳥頭で貼ったことすら忘れてしまっているのか、目が節穴なのか、あるいは頭のネジが緩んでいるのか、そもそも人間ではない(ゾンビの類(?)な)のか、そもそも他者とは何か理解していないのか、はたまた、「私は引用文献に対して批判的に読んでいる」などと開きなおるつもりなのか...想像が付かないけど、マナーに対する無理解ぶりを露呈してしまったことには代わりはない。

マナーとは、他者に対する敬意や思いやりの表現(行動様式)が社会の中で共有されたものだ。( >>409 )
「他者に対する敬意や思いやり」と紐づいているからマナーとして意味があるのであって、そうでなければ意味がない。


>マナーというのは、このように、むしろ本心を抑制して振る舞いに表出しないことが必要とされる場合も多い(ビジネス・マナー)。


無理解そのもの。恥ずかしい。

4ヶ月前 No.1033

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1032

>それは承知している。

>ただ、ザビビのふくろう氏は、相手の言っていることの趣旨を正しく理解できていないくせに、相手の言葉尻を捉えて、相手に対して「全然わかっていない」などと発言することが多く見られるので、そのスタイルをまねて「ザビビのふくろう氏は『マナーとは何であるか』について、全く理解できていない」と言ったまで。


要するに、ディスりたかっただけだってことかな。

>つまり、ザビビのふくろう氏のスタイルで、相手に対して「全然わかっていない」というと、相手からは「(話の趣旨が)全然わかっていない」と受け取られるということだ。それを指摘したくて、


指摘されなくてもわかっているけど?それを意図して言ってるんだから。

>であれば、その旨を書くべきであった。(あるいは、適切な接続詞を用いるか。)


いや、書いているつもり。

>引用を批判的に受け止める場合、まずその引用に対する批判を書き、それを元に自分の意見を述べないと意味がとおらない。


「批判的に受け止める」というのは、そういう意味ではなく、鵜呑みにせず、クリティカルに読むこと。いわゆる批判的思考で臨むこと。

【批判的思考とは】
「「批判的思考」という字面から、「否定的に」や「非難するつもりで」などの意味合いに受け取る人もいるだろうが、実はまったく逆である。
ここでいう「批判」とは、「論理的・合理的・多面的に評価を下すこと」といった意味であり、批判的思考とは、「適切に批判対象を理解し、より高度な判断を下す」ための思考プロセスである。
*************************
>引用に対する批判をぜず、自分の考えを述べたいだけなら、あの引用文は余計だったのではないだろうか。


そんなことはない。上に述べたことに加えて言っておくと、
柴崎は「自己への志向性を内包する」ということを述べている。
これは私が調べた限りでは、他では見られない指摘であり、私は、それに対する私自身の解釈を提示した。

>それは同意する。しかし、引用文献のニュアンスではエチケットの方が広くなっているので、そのように解釈したまで。


よっぽどディスりたいんだね。
でも、自分でちゃんと考えてないから、全く批判になってないわけ。

>これは、「AはBである」に対し「CはBでない」と反論するスタイルの典型。私の述べたことに対する反論になっていない。


もっとちゃんと書かなきゃ、何のことかわからんね。

>>1031,1032
>以下、読む価値なしと判断。

(いつものとおり、人の話の趣旨を理解しようとせず、独断に基づきディスりに終始している文言が続くものと思われる。(例えば、「よく考えもせず鵜呑みにしている」とか「文献の見解に依拠して私をディスっている」とか)

あのさ、よっぽど私を貶めたいみたいだけど、きちんと読みもせず、ディスったって意味ないってことがわからないの?
>>1032 でMobiusさんの言っていることは、01000君が私を罵倒して述べてたこととおんなじなんだよね。あなたは知らんかもしれんけど。
だから、私の >>1011-1013 は、そのことを十分に意識して書いたもの。
既に、その批判に応えるべく書かれた文章なんだよ。
あなたはディスることしか頭になく、表面的にしか読めないから、そのことが全く読み取れていない。
私は、この01000くんの批判の論点についてクリアに述べることを特に今回は重点をおいて記述した。むろん、この点をきちんと述べないと、私のメインの主張がきちんと整合性をもったことにならないからね。
そして、それは十分に述べられたと自分では思っている。
むしろ、自分としては、ここをきちんとクリアに記述できたことが最大の成果であると考えてさえいる。
なので、何もわかっていないMobiusさんに「恥ずかしい」と言われても、へとも感じない。
*****************
というわけで、Mobiusさんのレスは、本来、反論するに値しないもの。
ただ、一応違うって言っとかないと認めたと思われると困るので、レスをした。
しかし、以後は、これまでと同じくただディスりたいだけのレスには、ちゃんとしたレスを返さないからそのつもりで。
「論外」とかね。
よろしく。

4ヶ月前 No.1034

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1034
#私に対する人格攻撃はやめて戴きたい。人格攻撃は、議論の邪魔にしかならない。私はあなたをディスったりしていない。いいがかりはいいかげんにして欲しい。たいへん不愉快だ。第一、私にはあなたをディスる動機がない。あなたをディスって私になんの得があるのか?

------------------------------------------------------------

> >それは承知している。

> >ただ、ザビビのふくろう氏は、相手の言っていることの趣旨を正しく理解できていないくせに、相手の言葉尻を捉えて、相手に対して「全然わかっていない」などと発言することが多く見られるので、そのスタイルをまねて「ザビビのふくろう氏は『マナーとは何であるか』について、全く理解できていない」と言ったまで。


>要するに、ディスりたかっただけだってことかな。


> >つまり、ザビビのふくろう氏のスタイルで、相手に対して「全然わかっていない」というと、相手からは「(話の趣旨が)全然わかっていない」と受け取られるということだ。それを指摘したくて、


>指摘されなくてもわかっているけど?それを意図して言ってるんだから。


これを書いてしまうということは、「私(ザビビのふくろう)は、議論相手をディスる意図で投稿しています」と言っているようなものだけど、大丈夫でしょうか?

まぁ、とにかく、あなたのスタイルをまねてあなたに向かって返信したら、あなたは「ディスられた」と感じた、ということですね。
私はあなたをディスる意図など全くないのだけど、あなたはそのように受け取り、それに拘泥して >>1034 を書いてしまったということですね。
冷静になって下さい。冷静にならないと議論になりませんから。
(ただ、あなたがおっしゃるように、議論相手をディスる目的で投稿しているのだとしたら、それは迷惑行為なので、止めて戴きたいと思います。)

(閑話休題)
------------------------------------------------------------
> >>1032 でMobiusさんの言っていることは、01000君が私を罵倒して述べてたこととおんなじなんだよね。あなたは知らんかもしれんけど。

>だから、私の >>1011-1013 は、そのことを十分に意識して書いたもの。

>既に、その批判に応えるべく書かれた文章なんだよ。


>私は、この01000くんの批判の論点についてクリアに述べることを特に今回は重点をおいて記述した。むろん、この点をきちんと述べないと、私のメインの主張がきちんと整合性をもったことにならないからね。

>そして、それは十分に述べられたと自分では思っている。

>むしろ、自分としては、ここをきちんとクリアに記述できたことが最大の成果であると考えてさえいる。


これだけ書いても伝わらないですよね。01000さんの批判の論点についてクリアに述べることが目的なのであれば、まず01000さんの批判の論点を書き、それに対する反論という形をとらないと第三者に伝わりません。

整理してみましょうか?

>>847
> >>792

> >正直こめる心・気持ちはなくても、完璧にマナー(葬儀の作法)に適う行動はできる。

> >そして、そのこと自体が、故人に対する敬意・礼節を十分示すことになると思う。

>一応、外形的に作法に則った態度で礼儀正しく見える態度をとっても

>誠意の欠けているものを虚礼と言うらしいぞ。

>礼節とは外形的なものだけではなく心が伴っているものみたいだぞ?


>>897
>このふくろうとか言うのは「偽善だろうが虚礼だろうが上辺だけ礼儀正しくしていればマナーを弁えた人間だと思われる」

>と言いたいだけか。これだけの事を言いたいがために無駄な長分を書くなよな。

>しょーもないな。なんか00100と同レベルに見えるw

> >>894

> >>0 のメモでは

> >どのようなマナーで振る舞うかは、その人の持つ規範意識や道徳性と関係があると考えることができる。

>て書いてあるけど。


>>948
>小笠原流礼法のHPを見ても礼儀の心と作法の動作が補い合って礼儀作法になると書いてあるわな。

>心の持ち方は「この腐ったゴミめが!」と思いながら作法だけすれば「礼節を尽くしたことになる!」とか

>馬鹿か。作法は礼儀の心を示すとか言ってもありもしない礼儀を示すことはできないだろ。本当に礼儀があってそれを作法で示すと言うことだろw

>笑っちゃうよね。お笑い低知能猿にはw


全部を見たわけではないが、確かに私の指摘とほぼ同じだ。

平易な言葉で述べると、
ふくろう氏の主張は「形だけ上辺だけでもマナーに適っていれば、マナーを守っていることになる」。それに対して01000氏の主張は「上辺だけでは(心を伴っていなければ)意味がない」。

01000氏の指摘のポイントは「作法は礼儀の心を示すとか言ってもありもしない礼儀を示すことはできない」だと思う。
私の指摘もほぼ同様。礼を示す社会合意された行動様式がマナーなのに、礼を込めなければその行動様式自体が意味を失う(つまり、形骸化する)。

あなたの主張には、これらに対する有効な反論がない。

だいたい、あなたが貼り付けたメモには、あなたの主張を否定することが書かれている。それに対する有効な反論もない。

あなたは、あなた自身が「マナーは上辺だけ形だけでいい」と思っていることを述べるだけでは不足で、「世間一般的に考えて『マナーは上辺だけ形だけでいい』といえる」ということを理由を添えて示す必要がある。それをしないと反論したことにならない。

4ヶ月前 No.1035

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>86

><マナー問題の本質>

>・ある社会の中で、ある行為を「マナーだ」とみなす人と、「マナーではない」とみなす人が居た場合、それは「マナー」であろうか? 「マナーではない」のであろうか?

>ある行為を「マナーだ」とみなす人は、その行為を「マナー」とみなすであろう。

>ある行為を「マナーではない」とみなす人は、その行為を「マナーではない」とみなすであろう。

>故に、議論は平行線をたどり、決着することはない。


言い換えると、
「『何がマナーか』についての合意がないこと」

なぜ『何がマナーか』についての合意が取れないのかというと、「美的評価が合理的な評価とはならないように、礼儀やマナーは合理的根拠を欠く場合が多い(メモ欄より)」から。

-----------------
ここに来て、そもそも「『マナーとは何か』について合意できていない人」が(約1名)現れたわけだが、彼の主張には明確な根拠がなく、世間一般の認識や専門家の見解ともずれているようであるので、今のところ取り上げるに値しない状態であると考える。

よって、 >>86 は、まだ覆っていないと考える。

4ヶ月前 No.1036

★O15rKxw3eG_n3h

>>1036  Mobiusさんへ

> 「『何がマナーか』についての合意がないこと」


これは、通常の社会では当然のことだと考えますね。

「マナーだと考える」人は、そう考えます。
「マナーではないと考える」人は、そう考えます。
「マナーだともマナーではないとも考える」人は、そう考えます。
「マナーだともマナーではないとも考えない」人は、そもそも考えません。

ここでこれ(何がマナーか)が合意に至る環境は、一つだと考えます。

同じ世界観、価値観の者同士が議論(会話=確認作業)をした場合には、合意に至りますね。それ以外は、合意には至らないでしょう。

これを統一的なものにするのであれば、例外を認めつつ、一部の考え方を排除してルール化するしか方法がないのではないでしょうか。

4ヶ月前 No.1037

★IkFhdH7u9f_n3h

>>1037  追記です。

『何がマナーか』・・・そもそもマナーはあるのか?と言う事を含めて考察してみます。

辞書によると、マナーとは、行儀。作法。とあります。(広辞苑)

マナーとは、行儀作法の事ですね。そして、社会生活の中でこれ(マナー)はあります。

そしてこの行儀作法であるマナーが、時と場所、状況によって多種多様な事柄に当てはまり、同時に、各人の世界観により分離します。例えば、レストランでフランス料理を食べるときのテーブルマナー、電車に乗った時に携帯電話の使用を控えるというマナー。等々、数限りなく無数にその状況が発生します。

そこで統一的な定義を生み出そうと試行錯誤すると、いろいろな定義が、その人物の世界観により作り出されます。例えば「マナーは、社会集団(公共)における礼儀作法、気遣いです」「マナーは、ルールです」「マナーは、社会生活を送る上での、潤滑剤です」「マナーは、相手に対する思いやりの心、敬意 等を表現するための、社会的に共有された行動様式です」等々です。

言葉での定義ではなく、マナー(行儀作法)は、何を目的としてそこにあるのか?と言う事を考えますと、やはりそこには、人間関係において互いに円滑な生活ができることを目的としているように思います。

ですので、マナーとは「人間関係(社会生活)において互いに円滑な生活ができることを目的とした行儀作法」とも言えるように思われますね。そしてこの「円滑な生活」も各人の世界観により、その様相が違ってきます。

そこで各人により分かれるこの世界観の違いにより、現実的にも何がマナーかという論争に至ったりします。例えば「エスカレーターは右を空けるのがマナーだ」という世界観の人の前に、右に立っている人がいると「右を開けろ!マナーだぞ!」と、時には舌打ち、時には故意にぶつかると言う事で、相手のことを思いやれない言動を発します。そしてそれに対して注意を受けた場合に、この人物は責任を転嫁します。「いやいや、右に立っているのがマナー違反だ!」と。と言う事は、最初に「怒りを発した方」が、マナーを身につけていないとなるでしょうか。

ここで、先に書きました「マナーとは」を振り返りますと

・「マナーは、社会集団(公共)における礼儀作法、気遣いです」
・「マナーは、ルールです」
・「マナーは、社会生活を送る上での、潤滑剤です」
・「マナーは、相手に対する思いやりの心、敬意 等を表現するための、社会的に共有された行動様式です」

等々と書きましたが、この中で「怒り」の言動の正当化は、どれにも当てはまりません。

つまり、マナーのトラブルは「怒りの言動」がその発端であり、それを排除するためには、各人の心の問題と通じることだろう思われます。

さて、世界観や価値観の違いにより心の中で自然発生する各人の「怒り」。これを排除することができるでしょうか?時として現実の生活の中で、マナーに関して他に対する怒りが発生した場合には、自らがマナーを守ることができない可能性があるように思われます。注意したいものですね。

そういえば、ネチケットという表現があったように思いますが、これはもはや死語なのでしょうか?

4ヶ月前 No.1038

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1035
どうでもいいのは全部スルー。
*******************
ほんとに的外れなことばかり。
私は01000君に反論なんかしてないよ。するつもりもない。もう相手にする気がないから。
もともと何か1つの問題についてお互いがそれぞれ意見を提出し、論争しているのではなく、私が自説を提出し、彼が批判した、というもの。
私はその批判は無理解に基づくものであり、妥当ではないことが分かるように、ポイントをわかりやすく整理した形で自説をのべ直しただけ。

>>あなたは、あなた自身が「マナーは上辺だけ形だけでいい」と思っていることを述べるだけでは不足で、「世間一般的に考えて『マナーは上辺だけ形だけでいい』といえる」ということを理由を添えて示す必要がある。


何でそんなことを示す必要がある?あるわけない。
>>1011,1012 のタイトルとして示したように、私は【マナーとは何か、何であるべきか】について述べているのだから。
私はメモその他を批判的に考察し、マナーの本質について自分なりの哲学的見解を述べた。
そして、自説の根拠も十分に示した。
Mobius さんは読む価値がないといってちゃんと読んでいないからそういう的外れなことを言うんだよ。
反論の形をとっていなくても、 >>1012,1013 でのレスをちゃんと読めば、次のような意見になるはずがないんだよ。
反論していなくても、内容的に批判には答える形で、自説を明確にしている。

>あなたの主張には、これらに対する有効な反論がない。

>だいたい、あなたが貼り付けたメモには、あなたの主張を否定することが書かれている。>それに対する有効な反論もない。

>あなたは、あなた自身が「マナーは上辺だけ形だけでいい」と思っていることを述べるだけでは不足で、「世間一般的に考えて『マナーは上辺だけ形だけでいい』といえる」ということを理由を添えて示す必要がある。それをしないと反論したことにならない。


批判したいなら、ちゃんと読まなきゃ。
読む気がないなら、どうせ価値なんてないと思ってるんだからスルーすればいいじゃん。
読んだと言うなら、まったく理解できていない。
だから、Mobiusさんは反論すら述べていない。
********************
>ふくろう氏の主張は「形だけ上辺だけでもマナーに適っていれば、マナーを守っていることになる」。それに対して01000氏の主張は「上辺だけでは(心を伴っていなければ)意味がない」。

>01000氏の指摘のポイントは「作法は礼儀の心を示すとか言ってもありもしない礼儀を示すことはできない」だと思う。

>私の指摘もほぼ同様。礼を示す社会合意された行動様式がマナーなのに、礼を込めなければその行動様式自体が意味を失う(つまり、形骸化する)。

>あなたの主張には、これらに対する有効な反論がない。


先にも述べたが、私の >>1011-1013 を読んでの発言とは全く思えない。
仕方がないので、Mobiusさんのために、この考えにわかりやすく反論の形で述べよう。

考えてみてほしい、店員の接客マナーが完璧か否かの判断する際に、知ることの不可能なその人が内心どう思っているかどうかなんて関係するの?
例えば、「あの店の店員の接客マナーは素晴らしいよ」といったことを普通に我々は言うけど、このとき、それぞれの店員の内心なんて評価規準のわけがないよね。
明らかに、外形的判断だよ。心の中なんてわからないんだから、それしかありようがないじゃん。
「こいつ気色悪」と内心思っていても、演技で完璧な笑顔を見せて「いらっしゃいませ」と言ったら、そのふるまいは表現として、「歓迎の心」を意味する。
内心とは関係ない、と言っている。表現の目的としての意味は失われないんだよ。
心を籠める籠めないは、接客マナーに適うかどうかは関係ない。
その礼儀作法に適った振る舞い自身が、表現の意味として振る舞いの心を示す。
いわば、型どおりの振る舞いの形に、心は宿るのだよ。
だから、接客マナーが完璧なロボット(ヒューマノイド)店員は存在しうる。
テーブルマナー、温泉入浴マナー、映画館でのマナー等も同じ。
心を籠めなくても、このマナーが指示する型どおりの振る舞い自身が、“他者への配慮(の心)”を示している。いわばそのふるまいが“具体化された心”なんだよ。
だから、礼儀正しい紳士のロボット(ヒューマノイド)は存在しうる。

あなた方は、心を籠めないと、マナーは形骸化して意味をなさないと思い込んでいるが、そうではない例を私はいくつも挙げて、それが間違いであることを示している。
マナーはそもそも具体的型を抽出し、指定するもの(エチケットの語源参照)。
その意味でマニュアル化されているもの。
しかし、その型にきちんと従って行為すれば、具現化したその振る舞いは形の美しい所作となり、それは単なる形骸化にはならない。
それに適う振る舞いを行えば、本来の目的を実現するから。けして本来の意味を失わない。
つまり、映画館でのマナーに従えばほかの人に迷惑をかけないし、バスでお年寄りに席を譲ればたすけになるし、客に笑顔で接すれば気持ちよく買いものをしてもらえる。テーブルマナーに外形的にきちんと従っていれば、同席者は気持ちよく食事できる。葬儀でのマナーも同様。
つまり、これらはそれ自体、“他者への配慮の心”を、具体的形として表した・現した・顕したものである。これらはいわば目に見える形に具体化された心。これは「内心どう思っているか」とは別物。
いわば感謝の心を、プレゼントを贈ることで示すようなもの(例.お中元)。
>>1033 でMobiusさんは、メモ欄を引用しつつ、次のように述べている。

>自分自身でこのようなメモを貼っておきながら、「その適否に演技か否か、心の中でどう思っているか、は原則として関係ない」と結論づけてしまうとなると、自分で貼っておいて読んでいないのか、鳥頭で貼ったことすら忘れてしまっているのか、目が節穴なのか、あるいは頭のネジが緩んでいるのか、そもそも人間ではない(ゾンビの類(?)な)のか、そもそも他者とは何か理解していないのか、はたまた、「私は引用文献に対して批判的に読んでいる」などと開きなおるつもりなのか...想像が付かないけど、マナーに対する無理解ぶりを露呈してしまったことには代わりはない。


私としては、むろんずれはあるにしても、Mobiusさんの言うほど、メモ欄に書かれたことに反することを書いたとは思えない。例えば次など。
『個人の内面的原理である道徳と、形の問題として現れるマナー』

>だいたい、あなたが貼り付けたメモには、あなたの主張を否定することが書かれている。


その具体的箇所の指摘もなく、根拠なく断定しているだけ。

他方、モラル(社会道徳・宗教的道徳)は目に見えない、他者にはわからない良心など「心」に基づいてその行為が行われているかどうかが、それに適う・適わないの成立規準となる。
だからマナーの場合と違って、神様や閻魔様じゃない他人が外形を見ただけでは、その行為が道徳的善行為かどうか、その適否はわからない。
マナーとモラルとのこの著しい対照が、これらの本質的差異を表していると私は言っている。
その端的なモデルが「偽善者の紳士」。
それを、私は「マナーには完全に適っているが、モラルに適ってはいない振る舞いをなす演技者」としているわけだよ。
だから、バスで足元がおぼつかない杖をついた老人が乗車してきたとき、さっと立って席を譲る行為は、たとえ偽善であってもマナーには適っている、と言ってよい、というのが私の主張。
あなた方の立場だと、これは心が伴っていないのだから、マナーにも適っていないことになるよね。違うの?
接客マナー、乗り物でのマナー、映画館のマナー、温泉入浴マナー、テーブルマナーについてもどうなの?
心がこもっていなければ、マナーに適わないと思うの?他人の内心なんて見えないのに?
それと、礼儀正しいロボットは存在しうるか?
これにも理由つきで答えてもらいたい。
あなた方の立場では、存在しえないことになると思われるけど?
とにかく、私の考えに反対なら、根拠を述べて反対しなさいよ。
自分の考えを言いなさいよ。
******************
もう少し念押しの意味で、言っておこう。
我々は実際、人の振る舞いがマナーに適っているかどうかを判断するとき、外形だけで判断している。
ほんとうに指示された型(マニュアル)どおりのきちんとした振る舞いは、内心とは独立にその目的を実現し、有意義であって、単なる形骸ではない。
その形の振る舞い自体が、目的を意図する心の表現だからだ。
それは私が挙げたいろんな例で明らか。
道徳的行為や宗教的儀礼における作法など、この見解と一見不整合に見えるものも、広義の「マナー(外的規準)には適っていても、モラル(内的規準)には適っていない」と解釈することが可能である。
つまり、それは不整合ではなく、観点(規準)の違いにすぎない。
************************
少し、論理的に突っ込んで考えてみよう。

例えば、具合の悪そうな他人に対して「大丈夫ですか?」と他人に言葉をかけたとして、
実際はまったく相手のことを心配なんかしていない偽善行為であったとしよう。
このとき、「相手の心配」など実際は全くしていなくても、このように言葉をかけることは、「相手を心配している」ことの表現である。
けして無意味ではない。
つまり、実際は心配していなくても、この行為は相手への心配を表現しているのであり、この行為は、表現としては有意義である。
すなわち、この声掛けは、私はあなたを心配しています、という意味を有している。
そして実際は心配していないのなら、明らかにこれは虚偽である。
だからこそ、偽善なのだ。
ほんとうは心配していないとしても、この声掛けは最初から形骸化した無意味なのではない。
表現として有意味かつ、それが内心・本心と矛盾するから、嘘なのだ。
本心と矛盾する意味を有する振る舞いだから偽善なのだ。
最初から無意味なのではない。
これは偽善行為一般に言えることだ。

だから、同様に、厳密に作法に即した儀礼におけるふるまいは、それ自体礼節を示す行為である。
外形的に作法に即したお焼香の所作は、本心とは独立に、それ自体、精神と肉体の穢れを取り除き「死者を弔う」という意味をもつ表現行為である。
だからこそ、「死んでくれてせいせいするぜ」と本心で思っていたら、嘘の礼法、すなわち虚礼になる。
弔う気持ちがないのに、弔いの気持ちを示す振る舞い(表現)をするから虚礼なのだ。( >>1013 の最終パラグラフ参照)

表現の背後に心はなくても、表現そのものが心を表現している。
作法に外形的に従う行為は、実際ありもしない心(嘘の心)を表現するのである。
接客マナーに外形的に即した演技の「ありがとうございます」は、ありもしない感謝の心を表現する。

よって、結論。

>「作法は礼儀の心を示すとか言ってもありもしない礼儀を示すことはできない」

>礼を示す社会合意された行動様式がマナーなのに、礼を込めなければその行動様式自体が意味を失う(つまり、形骸化する)。


という意見は間違っている。

4ヶ月前 No.1039

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1037,1038 時さん、返信ありがとうございます。
実は、 >>1036 を書いた後で、時さんの >>1003 を思い出し、考え直そうと思っていたのでした。

おっしゃるように、「何がマナーか」については、いろいろな出自の人が居ますので、ぴったり合うことは無いでしょう。でも、 >>1003 でおっしゃられたように、マナー意識を身に着けた人同士であれば、互いに干渉するようなマナーについては互いに触れないように気遣い合うでしょうから、「何がマナーか」に関する合意がなくてもトラブルにはならないでしょう。

エスカレータの右側で立ち止まる人(関東圏)、女性専用車に乗る男性等に対して、いやがらせをしたりすることはないでしょう。

逆に、マナーの本来の意義を理解せず、「形」の部分でしか理解できていないような人は、その「形」に嵌めることが“正義”で、そこから外れることは“悪”だとみなすので、トラブルになるのだと思います。

4ヶ月前 No.1040

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1039
つまり、「“『他人の内心は知りえない教』の信者”の立場でみると、世界はそう見える」ということの表明か。

それならわかる。でも、世間一般の人は“『他人の内心は知りえない教』の信者”ではないので、あなたの言っていることはほとんど理解されないだろう。

マナーが成立するのは、「表出された外面は内面を反映している」という了解が一般にあることが前提である。世の中“『他人の内心は知りえない教』の信者”ばかりだったとしたら、「表出された外面」が「内面を反映するもの」でなくなるので、「礼の表現としてのマナー」は成立しない。

従って、

4ヶ月前 No.1041

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

いない間にだいたい言われた笑

>>1027

>その当然のことがしばしば見失われ、混乱が生じているというのが、私がこのスレで行われている議論についての診断です。


その点について混乱は生じていませんよ。ケースバイケースというような意見が生じるのは、ある社会の中では自分の納得の行かないマナーでもその社会の中では守ることが前提になっていることを認識しているために生じる意見です。要するにマナーは原理的には守るものって見解は当初よりあるんですよ。なので、その点については混乱は生じていません。議論になっているのは複数の社会が交わり、それぞれの正とするマナーがぶつかっているからです。どちらも正なので合意は取れません。合意がとれていないのはその通りですが「その上でどうするか」ということが対話されているという認識です。

大前提であろうこの部分が誤っているため、少なくとも、他者のレスの捉え方については、考察が誤っています。

>私はそもそも >>1011-1013 では、あなたの見解に少なくとも明示的に言及していません。


だからこの流れの一番最初に「その上で」と記載したでしょう?「その上で」っていうのはですね。
複数の社会の間では、法とか、契約とか国や会社間等、通貫で共通理解を持てるものもあれば、マナーのように年代、地域、会社学校など独特な慣習によって派生し他社会と共通理解の得られないものもあります。それらに対して「合意が取れていない」とき、どうするか?唯一解を求めるのか、妥協点を探るとか、拒否するとか、前提条件として相手の社会を尊重する否定する変更を求めるとか利用するとか、取るべき態度は様々なときにどうするかということです。

>繰り返しますが、私は >>1011-1013 では、理論についてしか話していないのです。最初から分離しているのです。


社会的規範をどのような粒度で捉えるのか?複数社会をまたがること前提であるなら、ふくろうさんのいう原理論の中に「その上で」が含まれないのはおかしい。ふくろうさんの認識する社会の中だけでふくろうさんの認識する理論を他社会で強制しようとしているということなんでしょうか?「違う」というなら現段階において

>これは議論の前提であって、反対意見など、はっきり言って問題外だというのが私の認識です。


問題外でもなんでもなく、ただ単にふくろうさんが唯一と勘違いしているだけ。また原理論あるいは理論の展開途中だというなら

>>1022
>もっと言えば、規範、あるいは規範意識について、否定的であるとしか私には思えません。

>>1027
>私がこのスレで行われている議論についての診断です。


下記発言やMobiusさんへのレスにあるような他者批判は未だ行える状態ではありません。既に同様の指摘がありますね。

>マナーは広義のルール(規則)ですが、言うまでもなくイコールではありません。ルール(規則)の一つです。


しかしながら、上記発言があり、本当にイコールでないということを理解しているなら、こんな社会性のない論理展開にはならないでしょう。
この流れはすでに指摘のあるマナーは外面的行動規制という話にもつながる。
このレスをまとめているとき >>1039 の記載があったようですが、それでもこの見解は変わりません。無数に存在するマナー(礼儀をを示す方法)は俯瞰的にみてただのイチ動作でしかない、ということを表したいのでしょうが、それは俯瞰的に観た人の一つの価値観ですから、上辺だけでは(心を伴っていなければ)意味がない、を否定できる要素ではない。

なお、社会性のない論理展開とは批判したものの、様々な価値観を否定せずに受け入れるふくろうさんなりの価値観が「様々なマナーを単なる動作として受け入れる」というようにも解釈はできるので、その点においては社会性がない、は言い過ぎかもしれない。ただそれを統一的な社会的規範にしようとすることは少なくとも個の尊重という世間の流れには反している。統一的にしてもよいが、だったらルール化すればよいだろう?統一化したいという意志があるならなんで文化毎という特性をもったマナーとわざわざ述べるのだ?が個人的な疑問点。

話を戻すが、ふくろうさんによればマナーとは「目的実現のために遵守が必要となる方法としての規範」ということのようだ。映画館のマナーをあげてみると、その目的は快適な鑑賞の実現だが、例えばそれは「映画館ではお静かに」では実現できません。コメディ映画を見たときに漏れる自然な笑いは不特定多数が集まる快適な鑑賞空間の構築のためにはある程度許容する必要がありますからね。(閑話休題だからおしゃべり禁止であってお静かにではないんですね)他のマナーもそうですが多少の差はあれど礼儀を表すという目的のために相反する動作が同時多発的に存在しうるので、「目的実現のために遵守が必要となる方法としての規範」としたところで、今の議論は止みません。やはり原理論に「礼儀を表すという目的のために相反する動作が同時多発的に存在しうる」が含まれていないのはおかしいと考えますね。

最後に「マナーに外形的に即した演技」はある意味よくわかる。私は徒人ですから敬意を示す相手と思わない人の前では演技しますからね。だからこそ、それは道徳や倫理を含む社会的規範にはならないと考えます。まぁ言えてせいぜい、処世術ですかね。

4ヶ月前 No.1042

★IbtTT2uuCE_n3h

>>1040  Mobiusさんへ

> エスカレータの右側で立ち止まる人(関東圏)、女性専用車に乗る男性等に対して、いやがらせをしたりすることはないでしょう。


> 逆に、マナーの本来の意義を理解せず、「形」の部分でしか理解できていないような人は、その「形」に嵌めることが“正義”で、そこから外れることは“悪”だとみなすので、トラブルになるのだと思います。


仰る通りだと思います。嫌がらせの場合には、その個人の中に形成された「正義」を通したいが故の行動の一つなのでしょうね。そしてその正義は、型としてマナーを覚えてしまった弊害なのでしょう。同時にその型からはみ出すことは「悪」でしょうからね。恐らくは、その本人はそれに気づけませんね。それと、この場合にもお相手のマナー意識が、トラブルには大きく関係するように思います。それが、双方の心の中にある怒りの感情です。トラブルは片方だけでは発生しませんね。ですので、トラブルになる場合には、双方向のマナー意識の問題だろうと考察しました。

躾は、やはり大切なようですね。返信をありがとうございました。

4ヶ月前 No.1043

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1042
(#相変わらずお見事です。ほれぼれします。閑話休題、)

>最後に「マナーに外形的に即した演技」はある意味よくわかる。私は徒人ですから敬意を示す相手と思わない人の前では演技しますからね。だからこそ、それは道徳や倫理を含む社会的規範にはならないと考えます。まぁ言えてせいぜい、処世術ですかね。


これを読んで、ちょっとわかったことがあります。
私は、「演技をしてみせる」ということ自体が「敬意の表れ」だ、と思っていることに気づきました。
本当に「敬意を表するに値しない相手」なら「演技をする必要がない」ので、「演技をしない」と考えられるからです。

アメリカ人は、どんなにつまらない質問を受けても「Oh! it's a good question!」って言いますからね。まさに礼儀であり、エチケットであり、マナー(?) なのでしょう。
それに対して、日本人は、いちいちそんなことは言いません。でもアメリカ人は、そんな日本人に対して「Why don't you say "it's a good question" ?」なんて言いません。言わないのも「思いやり」でしょうね。


「上映中に大声」とか「係員につまみ出されるレベルのふるまい」を「マナー(違反)」と呼ぶのは、私的には違和感があります。

4ヶ月前 No.1044

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1041

>つまり、「“『他人の内心は知りえない教』の信者”の立場でみると、世界はそう見える」ということの表明か。


んなわけないでしょ。
マナーに適っているか否かの判断を、我々はあくまで外的に表出される客観的行動を見て判断している。モラルとは異なり、内心・本心がどうであるかなど関係ない。
それは事実である、ということだよ。

>マナーが成立するのは、「表出された外面は内面を反映している」という了解が一般にあることが前提である


だから、それは型通りの所作そのものが、たとえ本心とは異なっていようと表現として意味を持っている、という私の主張と実質あまり異ならない。
*****************
反論にも反批判にもなっていないし、私の質問に対する答えもない。
ただの揚げ足取りのレベル。
読みま違いをただすことしかこちらはすることがない。
はっきり言って、論外。

4ヶ月前 No.1045

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1042

>>>その当然のことがしばしば見失われ、混乱が生じているというのが、私がこのスレで行われている議論についての診断です。

>その点について混乱は生じていませんよ。


それはあなたの判断であり、しかも、「マナーとは何か」をよくわかっていないがゆえの「間違った判断」にすぎません。

「その上で」というのは、「わかった上で」ということが成立していなければ意味がありません。
ところが、わかっていないのだから、あなたの言う「その上で」の議論に混乱が見られるというのが私の診断です。

>大前提であろうこの部分が誤っているため、少なくとも、他者のレスの捉え方については、考察が誤っています。


大前提であろうこの部分が誤っているため、以下のtさんの主張はほとんど誤っています。

以上の点(私の診断がなぜ正しいと言えるのか)について、詳しくは改めて後述します。
*******************
>社会的規範をどのような粒度で捉えるのか?複数社会をまたがること前提であるなら、ふくろうさんのいう原理論の中に「その上で」が含まれないのはおかしい。ふくろうさんの認識する社会の中だけでふくろうさんの認識する理論を他社会で強制しようとしているということなんでしょうか?

>>これは議論の前提であって、反対意見など、はっきり言って問題外だというのが私の認識です。

>問題外でもなんでもなく、ただ単にふくろうさんが唯一と勘違いしているだけ。


あなたは未だ私の【マナーとは何か、何であるべきか】という問題を理解していません。
これはマナーの本質を問う問いであり、一般性、普遍性を含意します。
特定の社会、共同体、文化に相対的な問題、つまりあなたの言う「粒度」が問題になるようなものではなく、私が行っているのは、それらに共通して用いられる「マナー」という概念の概念分析です。
文化等に相対的な具体的な無数のマナーに共通する性質を、その具体的性質を捨象して抽出する、というもの。
このことがわかっていれば、次のような的外れなことは言わないでしょう。

>複数社会をまたがること前提であるなら、ふくろうさんのいう原理論の中に「その上で」が含まれないのはおかしい。


原理論だということはあくまで「その前に」を論じる、ということです。
「その上で」論じられるのは、既に実践的適用の問題であって、原理論ではありません。

以上の基本的なことが理解されていないので、レスの半分以下の議論は、すべて、間違っているか的外れです。めんどくさいので、個別には指摘しません。
***********************
さて、上で予告した「私の診断がなぜ正しいと言えるのか」について、詳細を述べます。

>>その当然のことがしばしば見失われ、混乱が生じているというのが、私がこのスレで行われている議論についての診断です。

>その点について混乱は生じていませんよ。


あなたが「マナーとは何か」を理解していないため、そのような判断をするわけです。
逆に言うと、あなたのこの判断が、あなたが「マナーとは何か」「モラルとの違いは何か」を十分に理解していないということを証明しています。

>>585 でtさんは中学校の学習指導要領を引用しました。
それを受けて、まず00100さんが >>587 で次のように(間違った意見を)述べました。

>>中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編

>ここは完全同意ですね。またこれって正にマナーは型であるという事を真っ向から否定したものになりますね。


そしてこの00100さんのレスとtさんのレスを受けて、時さんが >>603 で次のように述べました

>>中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編

>中学校学習指導要領解説は見たことがありませんでしたが、00100さんも仰るように、型としてのマナーを否定しているようですね。

>> 横ですが、標識として書かれているようなマナーは明文化された事により上記デメリットが発生してしまっているのですよね。そもそも明文化とは暗黙的とか価値観とは反する行為です。

>その通りだと思います。もともとマナーは、明文化されないものではないでしょうか。その本質は、個々人に備わり、その人が生きてきた環境等で育まれた他人に対する思い遣りのことだと思うからです。それを道徳の授業等で教師が教える場合に「思い遣りがマナーですよ」といった場合に分かり難いでしょうから、例えばと言う事で「バスではお年寄りに席を譲りましょう」とか「映画館では、静かにしましょう」という事例をもって何とか教えていこうとしていたのだろうと想像します。ですが、それが反って「バスでお年寄りに席を譲るのがマナーだ」という型として認識されてしまっているように感じます。

>私の認識では、マナーは、簡単に言ってしまうと相手に対する思いやりから生まれる言動のことですので、それは個々人の心の中にあり、相手に対して押し付けることではないと思います。


これらは「マナーとは何か」に対する無理解に基づく間違いです。
「マナー」とはメモ欄を見てもわかるように、またエチケットの語源を見てもわかるように、外的に現れる行為を具体的に型や様式として規定する規準となるもの、もしくはマニュアルです。
中学校の道徳教育もこのことを否定していません。んなわけありません。
映画館で「上映中、話をしない」というのも、温泉入浴の際かけ湯をすることも、しばしば書かれていますが、正しくマナーです。
だから、マナーは明文化されないものでもないし、思いやりのような心の中にあるものでもありません。

いいですか。
私は、この時さんの発言が「個人的道徳観」や「モラル」に関するものであれば、同意できるところもあります(だとしても全面的には受け入れられませんが)。
例えば、思いやり=利他的動機に基づく行為であることが、道徳的行為の本質である、型ではない、というよう主張なら受け入れ可能です。
しかし、マナーはモラルと異なり、その本質が「…の状況では〜しなさい」という具体的に規定するものであり、むしろ、外的規定された型なのです。
だからここでの時さんの「マナー」について述べられたことは間違いです。
すなわち、ここには、マナーとモラルの混同があるのです。
そして、この時さんのレスに対して、tさんは間違いを指摘せず、むしろ同調する議論を行いました。そして今回も、混乱がないと言いました。
ということは、tさんも、モラルとマナーを混同している、ゆえに、これら概念についてきちんと理解ができていない、ということです。
そしてそれを絶賛するMobiusさんも、理解できていないということ。
よろし?
*******************
「その上で」の話を、以下ではしましょう。

>複数の社会の間では、法とか、契約とか国や会社間等、通貫で共通理解を持てるものもあれば、マナーのように年代、地域、会社学校など独特な慣習によって派生し他社会と共通理解の得られないものもあります。それらに対して「合意が取れていない」とき、どうするか?唯一解を求めるのか、妥協点を探るとか、拒否するとか、前提条件として相手の社会を尊重する否定する変更を求めるとか利用するとか、取るべき態度は様々なときにどうするかということです。


ラフに言えば、いったいどういう行為を、守るべきものとしてのマナーとすべきか、という問題、べき論です。
エスカレータ問題で言えば、左空けをマナーとすべきか、右空けをマナーとすべきか、あるいは、そもそも片側空けをマナーとすべきか否か、といった問題。
この際、マナーはルール(広義)ですから、それが成立・適用範囲となる共同体等に相対的であって、絶対的なものではない。
その相対性を忘れて、絶対化することは許されない。
その具体的適用に関しても、その適用可能性が状況等に依存するため、フレキシブルな対応が必要である。
例えば、身体的に左空けができないような場合は、規範の適用外になるので、強要はむろんできない。(∵規範というものは、それに従うことが可能な者にしか適用されない。)
マナーはもともとモラルに比しても固定的であるから、その運用・適用には注意が必要。

以上述べたことは当然のことであり、これと同趣旨のことであれば、異論はない。

しかし、マナーを適用すべきでない相手、適用すべきでない状況で、それを強要すべきではないことは言うまでもないことだが、
マナーが本質的に「従うべきもの」であり、マナー違反をしている者に対して、マナーに従うよう要求することが、イコール「押し付け」になる、というような見解には反対である。
ちゃんとフォローしているわけではないが、これまでのあなた方のやりとりを見ている限り、そのような論調が見られるように思う。
マナーもモラルも、規範意識や良心に訴えることでしか強制・制御力を発揮しないので、規範意識の低い者に対して要求したところで無駄であるというのは事実としてあること。
しかし、相手に要求することが直ちに押し付けになる、というのは間違い。
マナーもモラルも規範であって、それは適用範囲(共同体等)に含まれる者は原則としてそれに従うべきであるから、相手がそれに違反している場合、従うように要求してもよい。
これが、個人的道徳観・価値観と、規範との違い。
規範はあくまで共同体等において間主観的、あるいは客観的に成立している「きまり」であって、個人の道徳観・特定の価値観に基づいて個人が「きめるもの」ではない。
このあたりは以前も指摘したが、相変わらず混同があるように思われる。
個人的道徳観は押し付けられないが、規範として成立している社会道徳やマナーは、本来それが規範として成立している「きまり」であって、個人の道徳観に基づいて「きめるもの」ではないのだから、共同体の成員は従うべきなのである。
例えば、みんなが順番を守ってきちんと並んでいるところに自分が横入りして怒られたとしても、理不尽ではない。
映画館で上映中、話をしていて怒られたら、悪いのはマナー違反した自分であって、「マナーを押し付ける相手」ではない。

尻切れトンボだけど、長くなったので、このへんにしておきます。

4ヶ月前 No.1046

★2hCJeFFUOZ_n3h

>>1044  Mobiusさんへ

> >最後に「マナーに外形的に即した演技」はある意味よくわかる。私は徒人ですから敬意を示す相手と思わない人の前では演技しますからね。だからこそ、それは道徳や倫理を含む社会的規範にはならないと考えます。まぁ言えてせいぜい、処世術ですかね。


> 私は、「演技をしてみせる」ということ自体が「敬意の表れ」だ、と思っていることに気づきました。

> 本当に「敬意を表するに値しない相手」なら「演技をする必要がない」ので、「演技をしない」と考えられるからです。


私は、演技(マナーに外形的に即した演技)することは、その外形を装ってその場での、少なからずの不要なトラブルの発端の回避という目的があるように思いますね。ですので、tさんの仰るように処世術だと言う事になるでしょうか。このような場合は、少なからずありますね。

本当に「敬意を表するに値しない相手」なら「演技をする必要がない」ので、そのまま軽く笑顔か無表情でスルーでしょうか(笑)

そして、本当に「敬意を表するに値する相手」なら「演技をする必要がない」ので、私自身の言動にそのまま敬意が現れているでしょう。

このように感じました。

4ヶ月前 No.1047

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1041
ふくろうさんに援護射撃だー

>それならわかる。でも、世間一般の人は“『他人の内心は知りえない教』の信者”ではないので、あなたの言っていることはほとんど理解されないだろう。

それは逆だよー
私の内心はこれですよー
って表すのがマナーなんだからー
世間一般の人はエスパーじゃないんだから嬉しいときは嬉しがって怒ってるときは怒って相手を思いやるときはマナーを守るんだよー

>マナーが成立するのは、「表出された外面は内面を反映している」という了解が一般にあることが前提である。

だからマナーは狭いコミュニテーでしか通用しないんだよー
食事だって箸をつかう国もあれば手づかみの国もあるでしょー

4ヶ月前 No.1048

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1047

>そして、本当に「敬意を表するに値する相手」なら「演技をする必要がない」ので、私自身の言動にそのまま敬意が現れているでしょう。

その敬意を相手が読み取れるとは限らないよー
その敬意は時さんが勝手にきめた敬意の表れなんだからー
相手に分かりやすく表したのがマナーだよー

4ヶ月前 No.1049

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1045

>マナーに適っているか否かの判断を、我々はあくまで外的に表出される客観的行動を見て判断している。モラルとは異なり、内心・本心がどうであるかなど関係ない。


「〜〜に適っているか否かの判断を、我々はあくまで外的に表出される行動を見て判断する」というのは、そのとおり。

モラルもまた然り。ある人の行為がモラルに適っているかどうかも外的に表出される行動を見て判断される。

>「社会のうちから生まれた外的要請と個人の内的自発性が一致する地点においてモラルは成立する。[伊藤勝彦]出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) (byコトバンク)」


ここでいう「内的自発性」も、それが「本心・内心・心の底から」かどうかは関係ない。たとえ意に沿わなくても、外から強制されずに自発的に実施されているのであれば、それは「モラルに適っている」と判断される。

(ここまでが前提)

> >マナーが成立するのは、「表出された外面は内面を反映している」という了解が一般にあることが前提である


>だから、それは型通りの所作そのものが、たとえ本心とは異なっていようと表現として意味を持っている、という私の主張と実質あまり異ならない。


前者(Mobiusの主張)と後者(ザビビのふくろう氏の主張)が「実質あまり異ならない」ということであれば、「本心・内心・心の底」は、マナーやモラルの議論には「影響を全く与えない」「不要な要素」ということだ。

「不要なもの」を議論に持ち込むから混乱する。

---------------------------------------------

例えば、挨拶にしても「失礼な挨拶」というのがある。「全く同じ型の挨拶」であっても受け手によっては、「失礼」になったり、「適礼」になったりする。「わざと不適切な挨拶」をすることで、相手への侮蔑を示すこともできる。わざとでなくても「不適切な挨拶」をすれば、「失礼なヤツだ」と思われることもある。相手が敵意・悪意・害意を抱いていたら、いくら「完璧な型の挨拶」をしても、「裏の意図」を感じさせてしまうかもしれない(「裏の意図」があってもなくても)。

このように、「外見の型としての挨拶」は、いくら「外見の型」が同じでも 相手との関係性において意味合いが変化してしまう。
「本心・内心・心の奥底」は影響ない部分だとしても、それよりもっと外側の「心」、ふるまいに現れない「相手との関係性(好悪の感情等)」は、大いに影響するのだ。

エスカレータで右側に立ち止まる人が腹立たしいのは、その行動に「無神経さ」を感じるからだ。エスカレータで右側に立ち止まる人に対して思いやりの心を持っていれば、腹が立たないだろう。

ザビビのふくろう氏のいう「本心・内心」は“関係ない”かもしれないけど、「心」は大いに関係する。「心」を排除してはマナーは語れない。「マナー」は「心遣いの表現」である。
「本心・内心」と「心」は似た概念だから、両者を分けて議論したいなら、きちっと定義して切り分けてから使わないと混乱する。
前者がこの「マナーの議論」に「全く関係ないもの」なら、混乱を招くだけなので、この場に持ち出すべきではない。

4ヶ月前 No.1050

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>1046

>私が行っているのは、それらに共通して用いられる「マナー」という概念の概念分析です。

>文化等に相対的な具体的な無数のマナーに共通する性質を、その具体的性質を捨象して抽出する、というもの。


私は上記を明確に否定しています。抽出はできない、という意見です。原理的に考えて、礼を表す、という価値観から表層へ現れる行動を様式化したマナーは、価値観が合致しない限り共通理解を得ることはありえないからです。そして内心は不明であるという原理原則に合意するなら、共通理解は得られないままとなります。ふくろうさんはこの「共通理解を得られないもの」を「共通理解を得られないもの」のままにせず、インモラル紳士の存在や”「外形的に即した行動」がマナーである”と理解しようと試みています。これらは原理論ではなく「そうとしか捉えられない」という感性をもったイチ意見に過ぎません。それを証明するためにシンプルに質問してみましょう。なぜマナーを内心は不明という原理原則に基づき「共通理解を得られないもの」のままにしなかったんですか?メモ欄のマナーの定義はこの点に触れていませんね。

おそらくですが、共通理解を得られるものにしないと、共通意識は生まれずに規範がていをなさず、社会が成り立たないから、と答えるのではないかと想像します。そこで、ふくろうさんは個別の価値観を排除し”「外形的に即した行動」がマナーである”としたのでしょう。その論理的帰結(あるいは展望)として、ある動作の意味(心根)を定義しないからこそ、あらゆるマナーは正しい述べることができ、これこそが社会性の獲得だと。私を規範意識を否定していると批判することからも、そう述べたいのだと読み取っています。しかしこれはふくろうさんの否定する実践的運用です。いくらこれを原理論だと強調したところで原理原則に反することは明白です。


以下、細かな指摘に入ります。
”「外形的に即した行動」がマナーである”という共通項を抽出した原理論ということですが、例えば本来の茶道の目的すなわち原理論である「人をもてなす際に現れる心の美しさ」と合致する必要があります。が、しかし合致していません。この時点で「外形的に即した行動」がマナーだ、を主張してしまうと、茶道の価値観を否定する様相を呈しています。しかしながら最終像は社会性の獲得「だから」、”「外形的に即した行動」がマナーである”と論理展開するなら、やはり、”「外形的に即した行動」がマナーである”はふくろうさん自身が否定する実践的な運用に位置する見解です。

また、”「…の状況では〜しなさい」という具体的に規定するものであり、むしろ、外的規定された型なのです。”とありますが「…の状況では〜しなさい」は無限数存在するので文字列としておこされていても規定はできているというレベルではありません。例えば、マニュアル化、規定ができるならエスカレーターの立ち止まり運用の話題は生じませんし、そもそも片側明けは明文化されていません。かけ湯は、シャワーでも良いが浴槽の湯か、かけ湯専用の槽を使うかは地方にもより、それが有効な「…の状況では〜」は無限に存在します。これに対し、揚げ足取りだ、ある一つの否定要素を上げたところで、、、という反応が予想されます。しかし原理論であり”「…の状況では〜しなさい」という具体的に規定するものであり、むしろ、外的規定された型なのです。”とする限り避けて通れない問題です。少なくとも私は、この問題があるからマナーは暗黙的だとしています。

>それは適用範囲(共同体等)に含まれる者は原則としてそれに従うべきであるから、相手がそれに違反している場合、従うように要求してもよい。


ふくろうさんはっこのように述べますが、前述の2点にあるように要求するにはあまりにも曖昧だから統一的に「守るべきもの」と言えないと述べています。

しかしながら同意できる部分もあります。それはマナーと呼びながらも「…の状況では〜しなさい」と厳密に定義できるものもあるということです。例えば映画上映中に継続的なノイズとなるおしゃべり禁止のマナー。これは人や場所が変わっても言えることです。「…の状況では〜しなさい」と厳密に定義できるもの「も」ある、これは事実でしょう。

繰り返しになるが私が疑問をていしているのは、だったらマナーって言わなきゃいいだけでしょう?という点です。

4ヶ月前 No.1051

★POaG5uqLH3_n3h

>>0

マナーとは、礼儀、作法。(広辞苑)
礼儀とは、@社会生活の秩序を保つために人が守るべき行動様式。特に、敬意をあらわす作法。
敬意とは、うやまう気持。
作法とは、@物事を行う方法。(広辞苑)

> マナーとは何か


辞書的な解釈をするのであれば、マナーとは、社会生活の秩序を保つために人が守るべき行動様式であり、”特に”他者を敬う気持ちをもって物事を行う方法の事。となりますね。

> みんながマナーを守ることが実現した社会と

> みんながマナーを守らないことが実現した社会で、

> 何が違うのか。


みんながマナーを守ることが実現した社会では、人間関係でのトラブルが最小限度になり、物事がスムースに行われるでしょう。

みんながマナーを守らないことが実現した社会では、人間関係でのトラブルが最大限になり、物事がスムースに行われなくなるでしょう。

潤滑油をたっぷり含んだ歯車同士(人間)の関係が、摩擦(トラブル)が極限に少なくスムースに動く大きな機械(社会)と、潤滑油を全く含まない歯車同士の関係が、すぐにその摩擦熱で動かなくなる大きな機械の違いのようですね。

> 本当にマナーは守らなくてはいけないものなのか。


個人的には、マナー自体はできるだけ守ろうと思いますが、後は、個々人でその答えは出せば良いのではないでしょうか。以上です。

4ヶ月前 No.1052

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1050

>>「社会のうちから生まれた外的要請と個人の内的自発性が一致する地点においてモラルは成立する。[伊藤勝彦]出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) (byコトバンク)」

>ここでいう「内的自発性」も、それが「本心・内心・心の底から」かどうかは関係ない。>たとえ意に沿わなくても、外から強制されずに自発的に実施されているのであれば、それは「モラルに適っている」と判断される。


間違い。
ここで言う「内的自発性」とは良心、内心の命令のこと。

>モラルは良心や内心の命令として、個人の決断によって生み出される。( [伊藤勝彦]出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) (byコトバンク)」)


関係ないどころか、「内的自発性」が内心そのもの。
だから、自発的に実施されているかどうかは、外からではわからない。
良心(利他的動機)に発するものではなく、利己的動機に基づいた行為かもしれない。
したがって、席譲りの行為が「親切な行為」のマナーに適っていて、「親切な人だ」と判断されても、本当はその判断が間違っているということがありうる。
しかし、「親切な行為」としての乗車マナー、つまり、お年寄りに席を譲るというマナーに適っているかどうかは、内心など関係なく、事実席を譲れば客観的に正しいということが確定する。モラルの場合のように、覆ることはない。
つまり、道徳的ではなくても、紳士的であることは、客観的事実として判断可能。
道徳的善人であるか否かは、それは無理。そのように他人が判断しても、間違っているということがありうる。

>> >マナーが成立するのは、「表出された外面は内面を反映している」という了解が一般にあることが前提である

>だから、それは型通りの所作そのものが、たとえ本心とは異なっていようと表現として意味を持っている、という私の主張と実質あまり異ならない。

>前者(Mobiusの主張)と後者(ザビビのふくろう氏の主張)が「実質あまり異ならない」ということであれば、「本心・内心・心の底」は、マナーやモラルの議論には「影響を全く与えない」「不要な要素」ということだ。

>「不要なもの」を議論に持ち込むから混乱する。


モラルについて語るには必要だ。
モラルの場合には、その『「表出された外面は内面を反映している」という了解』が、誤解である、ということがありうるから。

>(ここまでが前提)


明らかにモラルとマナーの違いがわかっていない。

>>「不適切な挨拶」


その「不適切」であることは、客観的事実だよね。
例えば、マナーというのは「状況込みの行為の指示」だ。
だから、ふさわしくない状況で同じ言葉を発したとしても当然マナーに適うことにならない。当然のことだよ。

>ザビビのふくろう氏のいう「本心・内心」は“関係ない”かもしれないけど、「心」は大いに関係する。「心」を排除してはマナーは語れない。「マナー」は「心遣いの表現」である。

>「本心・内心」と「心」は似た概念だから、両者を分けて議論したいなら、きちっと定義して切り分けてから使わないと混乱する。

>前者がこの「マナーの議論」に「全く関係ないもの」なら、混乱を招くだけなので、この場に持ち出すべきではない。


たとえば、私は >>1013 で次のように述べた。

>具体的行動を規定するからといって、いかなる心情とも無関係ということではない。

それ行為自体、例えば「ありがとうございました。」は感謝の意を表す行為であり、
>「いらっしゃいませ」は歓待の意味の表出である。

>マナーに則した言葉・態度の持つ意味は、心の中でどう思っているかということと独立である。

>それ自体が、表現として意味を有している。

>だからこそ、仮に店員が心の中で「うっとおしい客だ」と思って居ようと、接客マナーに適う対応を行い、「いらっしゃいませ」と言えば、歓迎を意味している。

>同様な意味で、席譲り(のパフォーマンス)は親切さの表出であるし、作法に則したお焼香(のパフォーマンス)は祈りの表出である。

>それが良心や宗教心に基づかない演技であろうと、その行為自体は他者のためになる行為であったり、死者を弔うという意味をもつ行為であることに変わりはない、ということ。


このように、私は最初から、「内心」と「マナーに適うふるまい自体が表現の意味として表す心」をきちんと区別している。
というか、そこを重点的に述べている。
>>1039 でも、この点について詳論している。
これで混乱するというなら、それはMobiusさんに原因があるのであって、私の責任ではない。

4ヶ月前 No.1053

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1053

>間違い。

>ここで言う「内的自発性」とは良心、内心の命令のこと。

> >モラルは良心や内心の命令として、個人の決断によって生み出される。( [伊藤勝彦]出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) (byコトバンク)」)


あなたは、「葛藤」などの心の作用を知らないのか?
葛藤の末に良心が勝って表出しているのか、いささかの葛藤も含まない純心が表出しているのかは、関係ない。
コトバンクには「良心や内心」と書かれているけど、それは「表出された心・結果的な心」のことであり、「心の奥深く」を意味するものではない。そう考えないと「モラル」という言葉の一般用法と辻褄が合わなくなる。

とはいえ、「打算」など、いささかの良心も含まない「外見的にはモラルに沿ったように見える行動」というのもあると思うので、こういうのは厳密にいうと「モラル」ではないということになるだろう。

ただ、「全く良心を含んでいないのか否か」は外見からは判断できないので、外から見ると「モラルに沿った行動」と言えるだろう。

いずれにせよ、「間違い」と断定してしまえるほど、「表出する心」と「表出しない“心の奥底”」の境目は明確に決められないと思う。

4ヶ月前 No.1054

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1052

>しかしながら同意できる部分もあります。それはマナーと呼びながらも「…の状況では〜しなさい」と厳密に定義できるものもあるということです。例えば映画上映中に継続的なノイズとなるおしゃべり禁止のマナー。これは人や場所が変わっても言えることです。「…の状況では〜しなさい」と厳密に定義できるもの「も」ある、これは事実でしょう。


なので私は、こういうのを「マナー」と呼ぶのは、とても違和感があるのです。

4ヶ月前 No.1055

★ey8v2BAOgg_n3h

>>1055  Mobiusさんへ

>>1052  は、 >>1051  の間違いでしょうか。

> なので私は、こういうのを「マナー」と呼ぶのは、とても違和感があるのです。


私もかなり違和感を持ちますね。

健常者の場合には、例えば「映画上映中に継続的なノイズとなるおしゃべり禁止のマナー」を型として当てはめられても、多動や奇声を発する障害者の場合には、当てはまりませんね。

>> これは人や場所が変わっても言えることです。「…の状況では〜しなさい」と厳密に定義できるもの「も」ある、これは事実でしょう。


ですので「人が変わった場合には、言えない」となりそうです。もしもこれを上記のように厳密に定義づけしてしまった場合には、多動や奇声を発する障害者を映画館から排除しなければならなくなります。とすると、思い遣りという心を起点としたマナーではなくなりますね。同時にこれは、ユニバーサルデザインを是とする時代の流れに逆行するものになるのではないだろうか?と言う事を過去に00100さんに教えていただきました。

>>354
> では映画館で静かにする事がマナーであり、奇声をあげる事がマナー違反であるならば、それは即ち知的障害者は映画館に行くなと言っているに等しいわけで、それはユニバーサルデザインを是とする時代の流れに逆行するものになりませんか?


ですので、健常者の場合には、それを型として思うのは自由だと思いますが、それを障害者に対しても押し付けるのはよろしくありませんね。もしもこれを万人に押し付けるのであれば、エスカレーターの止まっている人に対する問題と同じになってしまいます。

3ヶ月前 No.1056

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1051

>>私が行っているのは、それらに共通して用いられる「マナー」という概念の概念分析です。

>>文化等に相対的な具体的な無数のマナーに共通する性質を、その具体的性質を捨象して抽出する、というもの。

>私は上記を明確に否定しています。抽出はできない、という意見です。原理的に考えて、礼を表す、という価値観から表層へ現れる行動を様式化したマナーは、価値観が合致しない限り共通理解を得ることはありえないからです。


あのね、あなた今、こう述べていますね。
「原理的に考えて、礼を表す、という価値観から表層へ現れる行動を様式化したマナー」
これを言い換えますと、あなたは、マナーが次のようなものであることを前提しているわけでしょ。
「マナーとは、原理的に、礼を表すという価値観から表層へ現れる行動を様式化したもの」
これそのものが、マナーについての、概念分析・概念規定であり、私がやっていることと同じことです。
つまり、あなたは自分ができないと否定していることを、自分で行っているわけです。
す な は ち、 “自 己 矛 盾” しているのです。
よろし?
*********************
正直、これ以上、レスを述べる気にはなれないのですが、少しでもこのひどい無理解の状況が改善されることを願って、一応、その後の部分についてもコメントします。

>それを証明するためにシンプルに質問してみましょう。なぜマナーを内心は不明という原理原則に基づき「共通理解を得られないもの」のままにしなかったんですか?メモ欄のマナーの定義はこの点に触れていませんね。


私の記憶違いでなければ、もう3万5600回くらい繰り返し述べていますが、ある行為がマナーに適っているかかどうかに、内心は関係ないからです。
メモ欄のマナー、礼儀作法の項を見ても、あなたの言っているようなことは全く書いてありません。

□「衣食住・冠婚葬祭における適切な所作や言葉遣いなどを指定する社会的規範。
□道徳や倫理のように目に見えない「良心」ではなく、目に見える言動が問題となる。
□『個人の内面的原理である道徳と、形の問題として現れるマナー』

これらは、私の主張と整合的です。

>おそらくですが、共通理解を得られるものにしないと、共通意識は生まれずに規範がていをなさず、社会が成り立たないから、と答えるのではないかと想像します。そこで、ふくろうさんは個別の価値観を排除し”「外形的に即した行動」がマナーである”としたのでしょう。その論理的帰結(あるいは展望)として、ある動作の意味(心根)を定義しないからこそ、あらゆるマナーは正しい述べることができ、これこそが社会性の獲得だと。私を規範意識を否定していると批判することからも、そう述べたいのだと読み取っています


その読み取りは、全くの間違いです。
さすがに同じ説明を繰り返すのは面倒なので、私のレスをMobiusさん宛てのものも含めて読み直してください。

>以下、細かな指摘に入ります。


より以下は、上に指摘した無理解により、的外れであって、コメントするに値しないのでしません。
ですが、ただ一つ、誤解のないように述べておきます。
私は明文化がマナーの必要条件だとも、十分条件だとも述べていません。
そのように読み取れるミスリーディングな表現があれば、そうではないので注意してください。
私は、マナーは「暗黙の了解である」とする考えが間違いであると言っています。
つまり、暗黙の了解であることは必要条件ではない、ということ。
そして、我々がマナーと呼んでいるものには、暗黙の了解のものも、明文化されているものもあるでしょう。
つまり、マナーにとって、暗黙の了解であるか否かは、本質的ではない、ということです。

3ヶ月前 No.1057

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1054

>あなたは、「葛藤」などの心の作用を知らないのか?


知っている。それが何か?

>葛藤の末に良心が勝って表出しているのか、いささかの葛藤も含まない純心が表出しているのかは、関係ない。


そのとおり、まさに関係ない。
にもかかわらず、何で的外れなことを持ち出すのか?

>コトバンクには「良心や内心」と書かれているけど、それは「表出された心・結果的な心」のことであり、「心の奥深く」を意味するものではない。

>そう考えないと「モラル」という言葉の一般用法と辻褄が合わなくなる。


それはMobiusさんの誤った思い込みにすぎない。
席譲りの行為は、それ自体「親切な行為」という意味では、「親切さ」が表出された行為、「親切な心の顕れ」とみなされるが、実際に良心(利他的動機)、内心に従った行為であるかどうか(偽善であるかどうか)は、外から見ただけではわからない。
これは、良心に従っているかどうかがあくまで内心・心の中での事柄であって、外に表出されるものではないからだ。
つまり、まさに行為として外に「表出された心・結果的な心(親切さ)」が、胸の奥深くにある心と一致しているかどうか、つまり、心の内にあるのが親切(利他)心か利己心かどうかがわからないということであり、当然、これらは別ものだということ。

3ヶ月前 No.1058

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>1057

>私がやっていることと同じことです。


全然違いますね。
前レスで私が批判しているのはふくろうさんのいう”共通する性質を、その具体的性質を捨象して抽出する ”ですから。なんなら、ある人のいうマナーが私の述べた「マナーとは、原理的に、礼を表すという価値観から表層へ現れる行動を様式化したもの」にかなっていなくてもいいです。それに対する”共通する性質を、その具体的性質を捨象して抽出する ”への批判は成立します。故に、再度問いましょう。なぜマナーを内心は不明という原理原則に基づき「共通理解を得られないもの」のままにしなかったんですか?

なお、私はマナーは「共通理解を得られないもの」のままにしなければならないと述べていません。”共通する性質を、その具体的性質を捨象して抽出する ”を批判し、ふくろうさんに問うています

>ある行為がマナーに適っているかかどうかに、内心は関係ないからです。


内心は不明を前提条件として認めるなら、関係ないかどうかは判断できません。にも関わらず「関係ない」という判断をしたわけですから、ふくろうさんの価値観による判断だということです。ここでいう「関係ない」は「わからない」と同義かもしれないが、結局は”「外形的に即した行動」がマナーである”としているのだから、明確な判断を含みますね。

>□「衣食住・冠婚葬祭における適切な所作や言葉遣いなどを指定する社会的規範。

>□道徳や倫理のように目に見えない「良心」ではなく、目に見える言動が問題となる。

>□『個人の内面的原理である道徳と、形の問題として現れるマナー』

>
>これらは、私の主張と整合的です


さて、マナーが共通理解を得られないままのものなら、どうしてマナーが礼を表す行動として成立するのか?ある社会内でそれは礼を表す行動だと合意が得られているからです。これがないとマナーに沿った行動をしても相手にその行動の意味が伝わりません。このときマナーは相手との関係性において、礼を表すための行動であると合意されるものでなくてはならず、外面的行動規制として働く具体的・客観的規準として合意がなされるものではありません。ふくろうさんが引用しているメモは礼を表すと合意された行動かどうかは、内心ではなく外形的要素で判断される、と述べており、そこはふくろうさんの主張と整合性がありますが、関係性の中で表されるマナーが外面的行動規制として働く具体的・客観的規準として合意がなされるものとは述べていないのです。

>私は、マナーは「暗黙の了解である」とする考えが間違いであると言っています。


私はマナーが暗黙的である、と述べているのであって、暗黙的なまま周囲と了解を得てそれを行動にうつしていくもの、とは述べていません。合意が必要だと前述するとおりです。マナーがそこに存在したとして、優先されるべきは、相対する者との何らかの合意であるべき、合意を得るときにそこにあるマナーを参考にすればよい。何らかの結論が、そこにあるマナーと一致することもあれば、しないこともある。だから、マナーそのものを守るべきものだとは言えないと述べています。

3ヶ月前 No.1059

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>1056
時さん

>ですので「人が変わった場合には、言えない」となりそうです。もしもこれを上記のように厳密に定義づけしてしまった場合には、多動や奇声を発する障害者を映画館から排除しなければならなくなります。


ご指摘どおりですね。私の考慮不足でした。ご指摘をありがとうございます。

3ヶ月前 No.1060

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1056 時さん、

> >>1052  は、 >>1051  の間違いでしょうか。

おっしゃるとおりです。アンカー間違えました。すみません。


>>1058
>つまり、まさに行為として外に「表出された心・結果的な心(親切さ)」が、胸の奥深くにある心と一致しているかどうか、つまり、心の内にあるのが親切(利他)心か利己心かどうかがわからないということであり、当然、これらは別ものだということ。


そんな「わからないようなもの」との一致性を定義しても(哲学の話をしているわけではないのだから)、一般に利用できない。一般に使われる「モラル」という言葉は、外に滲み出てくる深度の心の話だ。でないと「モラルハザード」とか「モラルハラスメント」などの言い回しができない。
内心との一致性は求めようがないので、相手に語りかける言葉として使えない。「モラル」は、そんな「一般的に使えない言葉」ではない。
ザビビのふくろう氏の解釈だと、「モラル」は「一般的に使えない言葉」になってしまう。実際、巷では「モラル」という言葉が実用的に使われているわけだから、ザビビのふくろう氏の解釈の方が一般とずれているのではないだろうか?

3ヶ月前 No.1061

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1056

>ですので「人が変わった場合には、言えない」となりそうです。もしもこれを上記のように厳密に定義づけしてしまった場合には、多動や奇声を発する障害者を映画館から排除しなければならなくなります。

それは排除するでしょー
健常者と障がい者をおんなじ場所で映画観賞させるのが思いやりじゃないよー

3ヶ月前 No.1062

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1059

>なんなら、ある人のいうマナーが私の述べた「マナーとは、原理的に、礼を表すという価値観から表層へ現れる行動を様式化したもの」にかなっていなくてもいいです。それに対する”共通する性質を、その具体的性質を捨象して抽出する ”への批判は成立します。


もっと落ち着いてちゃんと言わなきゃ、何言っているのかわかりません。

あのね、何度同じことを繰り返さなきゃわかりませんが、
私は「マナー」という概念の内包的定義、あるいは内包的性質の規定を行おうとしているだけなんですよ。
で、内包とは、「内包はある記号(言葉)が意義とする、対象に共通な性質のことであり(Wikiより)」、あなたの言った「マナーとは、原理的に、礼を表すという価値観から表層へ現れる行動を様式化したもの」も、マナーの内包的定義の一種です。
これを否定したら、そもそもマナーについて話をするのに、何について話をしているのかについての共通了解すら成り立たないじゃないですか。
そもそも、メモ欄に書かれたマナーの語義をはじめ、総論に書かれていることや特徴として書かれていることも、マナーに共通した特徴をモラルとの違いに言及しながら捉えようとする試みであり、基本的に私のものと同じ方向性をもつものです。
私のやってることが無理なのだったら、これらメモ欄に書かれているようなことが無理だってことになってしまいます。
私のは、これらを参考にしながら、より整理、刈り込んだりしながら、単純化、明確化しようとしたにすぎません。
ただし、私のは、最初に述べたように、厳密さを目指すものではなく、似顔絵のようにより大きく特徴をとらえて明確化することを目指し、その際特に、モラルという概念との差異、線引きに重点を置いたものになっています。

根本的なところで無理解なので、あとは無視します。

ところで、私、明日から出かけるので、レスは一応できると思いますが、あまり詳しいレスは無理かも。
というか、もうやめません?(笑)

3ヶ月前 No.1063

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1061

>そんな「わからないようなもの」との一致性を定義しても(哲学の話をしているわけではないのだから)、一般に利用できない。


いや、私は哲学的考察を行っており、概念を明確にして、一般にも利用できる。
ただ「モラルハザード」と「モラルハラスメント」の「モラル」が、普通の「道徳的」という意味かどうか、私にはよくわからないので措くけど、
少なくとも一般の「モラル」や「道徳」の使い方と私の述べていることが一致しないというのには全く同意できないね。
なぜそんなことを言える?理由をちゃんと述べてもらいたい。
例えば、我々は「偽善」という言葉を使う。繰り返さないが、私の説明はこれをちゃんと説明するものだ。
親切な行為をするから、親切な心の人だと思っていたら、利己心しかない人だった、など。

>一般に使われる「モラル」という言葉は、外に滲み出てくる深度の心の話だ。


「外に滲み出てくる深度の心の話」って、何だよ、それ?
それが一般のモラルという言葉って? わからんわ。
偽善をどう説明するの?

3ヶ月前 No.1064

★o4MHNQOFcK_n3h

>>1062

> 健常者と障がい者をおんなじ場所で映画観賞させるのが思いやりじゃないよー


知ってるよー誰もそんな話してないよー?

煽るならもう少し強めにお願いねー 涼しくならないよー

以上だよー

3ヶ月前 No.1065

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

Mobiusさん

あなたの考えでは、「偽善者の紳士」っていうのは存在しうるんですか?

答えはどちらでもいいけど、理由つきで説明してください。

あっ、できればtさんもお願いします。

3ヶ月前 No.1066

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1063

>ただし、私のは、最初に述べたように、厳密さを目指すものではなく、似顔絵のようにより大きく特徴をとらえて明確化することを目指し、その際特に、モラルという概念との差異、線引きに重点を置いたものになっています。


「なっている」かどうかは措いておいて、それを企図していることは >>1011 の時点で承知しています。
>物画にたとえて言えば、細密正確写実的デッサンではなく、単純かつ特徴をよくつかんだ似顔絵を目指すというところである。( >>1011 )


ただ、(比ゆ的に言うならば)「あなたの描く似顔絵がヘタ過ぎて、『マナーくん』の顔に見えない」ということを何度も指摘しているつもりです。

例えば、
「礼の心を示す決まった動作の型だよ〜。これ、だ〜れだ?」って言われたら、「マナーくんかな?」「作法くんかな?」って感じになりますよね。
「例えば、『ずるをしちゃいけない』っていうような気持ちだよ〜。これ、だ〜れだ?」っていわれたら、「良心くんかな?」「モラルくんかな?」ってなりますよね?

ふくろうさんのは、
「守るべき行動の型だよ〜。気持ちは全然関係ないよ〜。これ、だ〜れだ?」 これじゃ、誰にもわかるわけない。
ふくろうくん:「えぇ〜? これ、誰がどう見てもマナーくんでしょ? なぜわからないかなぁ?? ほんとに君たちは“無理解”だな〜(笑)」


>>1066
>Mobiusさん

>あなたの考えでは、「偽善者の紳士」っていうのは存在しうるんですか?


「偽善的」、「インモラル的」、というのは「紳士にあるまじき心のありよう」ですので、本当の意味で「紳士」ではありません。敢えていうなら「偽紳士(外見だけ紳士に見えるけど、紳士でない人)」です。

3ヶ月前 No.1067

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1064
ふくろうさんは、「内心はわからない」としている。故に「内心」は「わからないもの」だ。言い方を変えると「知り得ないもの」だ。(これを(1)とする。)

(2)「モラル」は「内心」と照合することによってそれへの適不適が判断される。

(1)より「内心」は「わからないもの」もしくは「知り得ないもの」だ。
これを(2)に代入すると、

(2)’ 「モラル」は「わからないもの(知り得ないもの)」と照合することによってそれへの適不適が判断される。

(3)一般に「わからないもの(知り得ないもの)」と照合は、できない。


(4) (2)’,(3)より、「モラル」への適不適の判断は、一般にできない。

(5) (4)より、「モラル」がそのようなものであれば、一般に使えない。なぜなら、適不適の判断が一般にできないから。

3ヶ月前 No.1068

ザビビのふくろう @owlman ★Android=Gh53RyBMOc

>>1067  Mobius さん

あなたに何を書いても無駄だってことがよくわかった。

なので、これにて私からは終了。

3ヶ月前 No.1069

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1069

>あなたに何を書いても無駄だってことがよくわかった。


あなたが態度を改めない限り、誰にも何も伝わりませんよ。

>テーブル・マナーに外形的に則してさえいれば、仮に同席者に対して「くそ〇やろーども」としか思っていなくても、それは美的で礼儀正しい振る舞いであることに違いはない。つまり、全く「失礼ではない」。( >>1012 )


こういう意見を述べるときは、「敢えて極論するならば」とか「とりあえずマナーの本質(本来の意義)は脇においておいて、表面的な特徴のみに着目するならば」などの枕詞が必要です。
そうでないと、一般的な了解を無視して独りよがりな意見を述べているように見えてしまいます。

#まぁ。そのような枕詞をつけたところで、よほど丁寧に説明しないと理解してもらえないと思いますけど。
#そのような「相手に伝えるための努力」をせず、ただただすべての責任を「相手の理解力の無さ」に押し付けている以上、“子供扱い”されても文句言えません。だって、それは「子供の態度」ですもの。

3ヶ月前 No.1070

嫌われ霊夢と嫌われ魔理沙 ★fofH1MgenE_keJ

>>1066

偽善者の紳士でも構わないのです

「他人に迷惑をかけない限り」行動の自由は認められるのですから


「刑法総論」山口厚参照

皆に言ってやればいいんですよ

『お前らは憲法すら知らないのか―』ってね!

3ヶ月前 No.1071

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1065
煽られたいのー?
そんなドMの要望をかなえるのはごめんだねー
多動や奇声を発する障害者を映画館から排除しなければならなくなります
ってのには当たり前だってことでいのかなー?

3ヶ月前 No.1072

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>1012

>テーブル・マナーに外形的に則してさえいれば、仮に同席者に対して「くそ〇やろーども」としか思っていなくても、それは美的で礼儀正しい振る舞いであることに違いはない。つまり、全く「失礼ではない」


この発言に対する考察:

この例における「テーブル・マナー」とは、 >>1011 に述べられている「エチケット」に近い。
なぜならば、「テーブル・マナー」を守る動機は、「同席者から『品のないヤツ』と思われたくないから」「軽蔑されたくないから」「自らの品性を貶めないため」「守らないと恥ずかしいから」などの理由であろうと考えられるからである。

なので、この面においては、「同席者から自分がどう思われるか(どう見られるか)」が重要であり、「自分が同席者のことをどう思っているか(敬意を抱いているか否か)」とは、最初から関係がない。

しかし、「テーブル・マナー」には もう一つの側面があって (こちらが本来の意義なのだが)、「同席者に対して失礼のないように」という意味合いがある。

仮に同席者に対して「く〇やろーども」としか思っていなかったとしたら、後者の意味合いにおいてはマナーを守る必要がない訳だが、
前者の意味合いにおいては、それに関係なく (守る必要があると判断されれば) 守る必要があるということになる。

失礼か否かは、後者の意味合いによって判断されるので、行動原理が後者の意味合いとなっていない本事例においては、「失礼かどうかの判断は(最初から)できない」のではないだろうか?

3ヶ月前 No.1073

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1012

>【マナーと、道徳規範、宗教規範などとの本質的差異について】

>[結論]

>マナーとモラルは法(ルール)と異なり、物理的ペナルティが課せられることがないため外的強制力はない。

>その意味ではマナーとモラルは、ともに個人の規範意識に訴える内面への強制力しかもたない規範という共通点がある。

>それを前提で、これらに次のような本質的差異があるというのが私の見解。


>マナーは、あくまで外面的行動規制として働く具体的・客観的規準であり、ルール(広義)として明文化されている場合も多く、その適否に演技か否か、心の中でどう思っているか、は原則として関係ない。

>その適否判別は、客観的に可能である。

>他方、モラルは、心のうちに保たれた内面的規範・規準(良心)であり、その適正条件には、道徳心、宗教心が伴っていることが含まれる。それゆえ、適否判定は、客観的には不可能であり、本来的に、本人にしかわからない。


タイトルは「【マナーと、道徳規範、宗教規範などとの本質的差異について】」だが、「道徳規範、宗教規範など」については触れられていない。その代わり「モラル」との違いについて触れられている。
つまり、この文脈では、「モラル」とは「道徳規範、宗教規範など」を指す ということになる。

では、「規範」とは何であろうか?

規範 とは?
>「一つの国民社会,あるいは特定の集団や組織の中で,その成員が自己あるいは他者の行為に関し,ある一定状況のもとに何をなすべきか,何をなすことを期待されているか,あるいは逆に何をしてはいけないか,何をなすことを禁じられているか,ということについて共有している(共同)主観的な意識,あるいはそれの客観化された表現としての行為基準をいう。(出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版(byコトバンク))」


「(共同)主観的な意識」あるいは「行為基準」とのことなので、文脈次第で 前者 あるいは 後者 あるいは その両方 を指す ということなのだろう。おそらく「前者を伴った後者」というのが一般的な使われ方なのではないかと思う。

ただ単に「規範」という場合は、その目的は特に限定されない。あえていうならば、「規範」の持つ本来的な性質である「秩序維持のため」ということになる。
道徳的倫理的な意味合いによる秩序維持のためにされるものは「モラル」、礼節的な意味合いでされるものは「マナー」ということになるのだろうか。
いずれにせよ、「道徳・倫理は心が伴っている必要がある」けど、「礼節は形だけでよい」ということにはならない。

3ヶ月前 No.1074

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>1063

>共通了解すら成り立たないじゃないですか。


相手の世界観でマナーと呼ばれているものがマナーとなります。それ自体が大きく破綻していない限り共通了解としてはこれで十分で「概念の内包的定義、あるいは内包的性質の規定を行う」必然性はないと指摘しています。ふくろうさんはこの必然性のなさを理解できていないようです。いうまでもありませんが、必然性のなさとは、それをやってはいけない、ということではありません。それをやるのが正しいという意味でもない。そして私の問は、必然性がないのにも関わらず切り込んだ理由はなにか?です。これまでのやり取りからみるに規範の内在化に無自覚なのかもしれませんね。

>これらメモ欄に書かれているようなことが無理だってことになってしまいます。


無理ではありません。
ただ単にある世界観から、他のマナーを観測しているだけです。あとはそれが組織運営上、有効な分析か否かというだけです。要するに原理論ではないのです。

>似顔絵のようにより大きく特徴をとらえて明確化することを目指し、その際特に、モラルという概念との差異、線引きに重点を置いたものになっています。

>あなたの考えでは、「偽善者の紳士」っていうのは存在しうるんですか?


自らの行いを省みたとき、心にもないながらも外面的には善とみなされる演技をすることができる。この精神的活動はTVや小説などの物語で表されることがあることから、一般に認識されており、他者にもその存在が認知されているといえる。ならば、俯瞰的に世界をみたときに、心にもないながらも外面的には善とみなされる演技をする現象は発生していると言える。
が、しかしそれがインモラルや偽善的かというと話とは全く別物です。接客業の話で、クソ野郎と思うながらも表面上は丁寧な接客をする。偽善者の紳士としてあがった例だがクソ野郎と思っているなら、クソ野郎という態度を取ればよかったのになぜそれをしないのか。嫌だなぁと思いながらも相手を傷つけない選択をする、それはひいては自分を守るため、周囲を守るため。こんな考察もできる。他のパターンも考察可能だろう。抽象的だ、という文言で”それらも考慮のうち”と述べるのかもしれないが、偽善者の紳士がマナーが外面的行動規制であると結び付けられるほどの大きな特徴をもっていることは、ふくろうさんは何ら説明していないし、できていない。原理的には無限の組み合わせが存在し、説明不可能なのだから当然です。

繰り返しになるが、だからこそ、切り込んだ理由はなにか?を問うています。問われたから、は答えになっていません。問われても「あるがまま」という回答は存在するためです。

3ヶ月前 No.1075

ザビビのふくろう @owlman ★Android=Gh53RyBMOc

>>1075

あなたの根拠なき独断的主張に対して、これ以上言うべきことはありません。
私としては説明は十分したし、あなたの言うことは批判になっていませんから。
同じことを何度も繰り返すのはもううんざりなので、あなたへのレスも、これにて終了とします。ご了承下さい。
では。

3ヶ月前 No.1076

カブレライト @sasa432i ★Android=jrJIyQf7mo

>>1076 こういう考えの人が全くいないから議論掲示板って意味がない

3ヶ月前 No.1077

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>1076

>>そして私の問は、必然性がないのにも関わらず切り込んだ理由はなにか?です。


いつも通り、答えられず、ギブアップですね。
答えたら、ふくろうさんの論は崩壊する、というか方向性が変わりますから、ふくろうさんとしては相手を悪者にする態度しか取れません。議論において自分の価値観を守るしかなくなった人の末路です。そしてこの排他的態度そのものがマナーとは何かを表しています。
「マナーが外面的行動規制」という価値観を満たさないものは(そのような考察が抜けているものは)マナーではない、ということですが、要点としてフォーカスしているものが“礼“から“外面的行動規制“に変わっているだけです。そして、それはマナーでないと言及するとき、他者のマナーに対する考え方の観測方法が内面、つまり礼または外面行動規制に根ざしているかどうかでみている。ふくろうさんはマナーが外面的行動規制とし、内面は関係ないとしながらも、前提条件として内面の有り様に触れているわけです。自ら哲学的と述べるならこの論理矛盾に触れるべきですが、抽象的だそうですね。そこに切り込まずにどうするのか?と思うので、何故かと繰り返し問うていますが、答えられずと。そして答えないから、ふくろうさんの論は組織運用のためのイチ手法におちついている、ということですね。

3ヶ月前 No.1078

ゆみ ★LOZXJIYpXA_Bka

他人の心って目に見えないんですよね。
自分の心のあり様は、感覚でつかめたりするけれども、それでも目に見えない。

その目に見えないものに、「相手はきっとたくさんの荷物を抱えて大変だろうから、電車内で席を譲ろう」とか、
思う訳ですよね。(荷物をたくさん抱えているのは目に見えることだけど、大変だという気持ちそのものは目に見えない)

優先席っていうのは、「大変そうな人」になるべくゆずってあげようね、っていう気持ちが発端なのだと思います。
でもそれは強制でもないし、ルールでもないから、「なるべく」なんですよね。

「貴方に余裕があれば、なるべくでいいからゆずってもらえませんか」という鉄道会社の気持ち=1
この「1」に応えることは絶対でもないし、応えてもいいし。。どちらでもいいのです。

なので、マナーは守らなければならないのか、という問いの答えは「別にどちらでもいい」なのだと思います。

問題なのは、マナーが、ルールや法律になっていないから、「何をやってもいいだろう」とする行為。これを迷惑行為と呼ぶのでは。

静かな映画を鑑賞中に、いきなり大声でわめいたり。いい迷惑ですよね。

マナーは守らなくても別にいいんだけど、迷惑行為は禁止だよ、っていうのが今の私の結論です。
(議論の中身はあまり読まずに投稿させていただきました。KYですみません)

3ヶ月前 No.1079

love_beer1998 @lovebeer ★zJtTpzEu3D_yoD

 なんか、豪い流れとるなァ…。

 テ〜ブルマナ〜ビジネスマナ〜冠婚葬祭のマナ〜…。

 ある程度シ〜ン限定・パタ〜ン化されたものは、マナ〜と云うより最早≪ハウツ〜≫だナ…。
 このシ〜ンではこれこれこう振舞いなさい…と云う手順と云っても差し支えないからネ…。

 ハウツ〜ものであるなら、やっぱり心、内心は関係ねェわナ…。

 仮令内心目の前の客の相手を「ああ面倒臭ェや」とウンザリしていても部署の名代として弔問に出向いても「カッタりぃなぁ。こんな面識も無い親爺知らねぇよ。あ、もう今日は、直帰だな…」なんて上の空でも、マニュアル(マナ〜)通り振舞えさえすれば表面的には問題はない…。

 尤も、相手も間抜けなばっかりじゃねェから「あの営業マン、所作はスマ〜トだけど誠意が全く感じられない」なんて見透かされちまうかも知れねェけどナ…。

3ヶ月前 No.1080

\\\\□( &☆smPEvi6zpKc ★rVXtjuFeKp_Bka

んんwwwマナーはマナーであってルールや法とは違いますぞwww
マナー単体で考えた場合知らなかったが通りますがな?www
次回気を付ければいいのがマナーで、法やルールは知らなかったが通りませぬぞwww
そして次回反省してる輩の横でwwwマナー知らないやつがまた同じような事をするのですぞwww
そもそもマナーと言うのは常識範囲内の行動の事で、非常識な行動がマナー違反になるわけですな?www
でもその常識範囲内ってのが、違うエリアでは非常識ってこともありうるのでな?www
マナーは守ればいいってもんでもないのですぞwww
郷に入れば郷に従えなので、郷に入りたくない輩はマナー守らんでいい訳ですわwww

3ヶ月前 No.1081

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1081
うーん、このスレや板でよく言われるマナーは、マナーという妙にハッキリしない曖昧な、それでいて何となく正しそうに聞こえる言葉を上手く利用して
自分の主義主張が正しくて相反する主義主張が間違っている様に見せるためのテクニックに過ぎないと思いますけどね。
「マナーを守れ」なんてその典型だと思いますよ。結局そのマナーとやらや、そのマナーの正しさやらを決めているのは「マナーを守れ」と言っている本人であって、自分の主張するマナーをゴリ押しして相手のマナーを封じ込めているだけですから。

1ヶ月前 No.1082
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