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反出生主義への反論

 ( 議論掲示板 )
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ttt ★nBd65TRlMY_sxd

生まれてくること、生まれることによって生じる苦痛に同意が得られていないため
人が子を産むことは非道徳的である、とする考え方があります。
これに対する反論を試みます。
なお、念のため、個人が反出生主義を選択することが誤っている、といことを述べたいわけではありません。
構築された理論に対する反論を試みます。


まず、前提として同意を得る対象は生まれる前の子供でなくとも
我々がもつ道徳観に照らし合わせ、同意を得るべきだが得ていないことが問題、とする考え方はありだとします。
また、ここでいう「同意」とは何かを考え
生まれることによって死ぬことなど確実に苦痛が生じることに対する同意である、としました。


ここから反論。

「道徳的観点から、同意を得るべきだ、という命題は、実は同意が得られない構造である」

同意とは、意見・求めなどに対して賛成・承諾すること。とあります。
道徳観に照らし合わせ同意を得ていないことが問題とすることをありだとしましたが、仮想的にも相手が必要になります。
この相手に「生まれたことによって死ぬけどいいよね?」と聞いたとします。
デメリットが強調されているため、否と答える可能性が高いでしょう。
「死ぬ前に絶頂の幸福があるけどね」と述べたら迷うかもしれません。
つまり、すべてのできごとをしっかりと説明しなければ、正確な判断ができない事柄です。
神ではない人にすべてのできごとを説明できるわけではないので、出来る限りの説明として
「社会的な競争があること」、「老いること」、「死ぬこと」など確実にあることは説明できますが
そこで果たした道徳的な責任は、誰に対するものなのか。
説明を行った相手には十分な情報がないため、責任を果たしたとはいえません。
果たしたのは自分にできることはやった、ということだけです。
道徳的観点から、同意を得るべきだ、という命題は、実は同意が得られない構造です。


「そうだよ!だから責任をとれないことはやるべきではないのだ! → 道徳っぽくみえるけどそうじゃない」

責任をとれないことはやるべきではない、ということに一定の論理性がありますが
上述の通り、ここでいう責任とは自らが自らに課した一方的な責任で
道徳が本来持つような社会性がみあたりません。
実際に相対する人との間で、責任をとれないことをやるべきではない、ということは社会性がありますが
生まれていない子供に対しては想像でしかなく、上述のように正確な判断を下せる状態ではないのに
「やるべきではない」という判断をもって、道徳的であるというのは欺瞞です。

以上、拙いながら反論を試みてみました。
なお、念押しですが、個人が反出生主義を選択することが誤っている、といことを述べたいわけではありません。
だって、生むことが道徳的だってことを証明できているわけじゃないからね!

ページ: 1


 
 

冬の忘れ物 @yosiki10☆zrSSnJOvQXA ★BIgbpnRbtZ_2Js

この辺は難しい話ですよね。

8ヶ月前 No.1

みたのしきま ★q3tWng5BEh_Onj

同意とは、権利義務の主体が結果について受け入れることを内容とする意思表示です。

胎児は、権利義務の主体ではありません。


引用

権利の主体となることのできる法律上の資格をいい,法的人格,法人格ともいう。

権利能力を有する者としては,人 (自然人 ) と法人とがある。人にはかつては奴隷のように権利能力のない者があったが,近代法ではすべての人間に出生とともにこれを認める (民法1条ノ3) 。

権利能力の終期は死亡である。また,法人は,社団または財団 (一定の目的のために捧げられた財産) に対して権利能力を付与されたものである (43条)

引用終了

従って、自然人の場合には、人間の出生、前に権利主体にはなれなく、法律行為としての同意は論理的に存在しない。

8ヶ月前 No.2

ttt ★nBd65TRlMY_sxd

>>1
ありがとうございます。
ロジックをもった反論というだけならば、私の頭が足りないだけで
難しいということはないのかなと思っています。

>>2
ありがとうございます。
法としてまとめられたものは、道徳を含んでいる、と考えることもできると思いました。
つまり法律行為としての同意は論理的に存在しない、ということも反論となりえますね。

8ヶ月前 No.3

s.m ★PubkQWvy9s_yrm

私はそもそも反出生主義にはまず道徳的責任以前の欠陥があると思います。
それはこの思想が第一に唯物論的思考や無神論、そして進化論が正しいことが前提となっていることです。
日本人は世界的に見れば信仰心に薄く唯物論や無神論になびきやすい性質を持っている人種ですから
この反出生主義に対しても割とスムーズに受け入れられるのでしょう。
しかし世界にいるクリスチャンやムスリムといった人達はどうでしょうか?
彼らは神による創造を信じ人が子を産み育てるのも神から与えられた使命だと考えています。
そうした考えを持つクリスチャンやムスリムからすれば反出生主義というのは神の意に背く
おぞましき教えだと感じることでしょう。
日本の反出生主義者の方々は世界にいるそうした考えを持つ人々とどう向き合うおつもりですか?
もし「私は神など信じない、そんな非科学的なモノを信じている人間は古い考えから抜け出せない愚かな者であるから彼らは考えを改めるべきだ」などとお考えでしたらそれは相手の信仰心を踏みにじる行為だと思います。
そして仮に反出生主義者がそうした考えであれば世界に何十億と存在する多種多様な信仰心を持つすべての人々に宣戦布告するのと同じことになります。
もしこのような反出生主義が世界に広まればやがてはそれに反発する勢力との大きな争いになりかねません。
そうすれば世界規模で多大な量の流血が生じることとなり人々にはまた不幸が降り注ぐことになります。
反出生主義者の方はこうしたリスクに対してどうお考えですか?

そもそも反出生主義を大真面目に実践するとなれば世界中のすべての人間がこの考えを共有しなおかつそれに賛同することが第一前提です。例え9割の人間がこの考えに賛成しても残りの一割がノーといえば反出生主義は成立しません。なぜなら9割の人間が子を残さずに死んでも残りの1割が子孫を産み落とせば人類は存続するからです。
しかしだからと言って地球上にいる全ての人間にこの教えを伝えなおかつ賛同させるというのは絵空事に近いことだと思います。すでに言ったとおり世界には子を産み育てそして人類を繁栄させることは神の意志だと考える人もいますしそしてそうした考えを持つ人間を説得するというのは容易なことではありません。
例えばそもそもムスリムは他の宗教に改宗することが戒律によって禁じられているからムスリムが反出生主義に目覚めるなどということはまず絶対に有り得ないと断言してもいいでしょう。

こうなってくると世界にいるこうした人間含め反出生主義を実践するとなればそれはもはや破壊的規模の虐殺行為による反対者の粛清以外に方法はありません。
しかしそれは反出生主義本来の教え「すでにこの世に生を受け今を生きる人の不幸を望まない」に大きく反する行為です、しかしながら反出生主義を世界に唱えればそれに反発する存在との対立は必至。
こうした問題に対して反出生主義者は明確な解決法を持ち合わせているのでしょうか?
おそらく誰一人として持ち合わせているものはいないでしょう。
そしてそれは実質的な意味で反出生主義の限界を示すものでありかつ反出生主義の敗北を意味するものだと
私は考えます。

ゆえに「この世に生を受けなければ不幸にならない」というのはある意味においては正しいことを認めますがそれを世界規模で全人類に実践させるのは不可能に近くこの理論は机上の空論と言わざるを得ません。

みなさんはどうお考えでしょうか?

7ヶ月前 No.4

★Tablet=vyc0FF9jKf

>反出生主義者の方はこうしたリスクに対してどうお考えですか?


私は反出生主義者ではありませんが、自らの主義に反するものは全て悪、
とするならば、どのような主義かに関係なく、争いが起こると思います。

>そもそも反出生主義を大真面目に実践するとなれば世界中のすべての人間が


反出生主義は、反出生主義を世界中のすべての人間が行わなければならない、
という目的を持っている、という話は聞きません。


つまり反出生主義は個人の持つ趣向、ということになろうかと思います。
それ自体は何ら問題にはなりませんが、これを主義として掲げ
主義として社会の中で正当性を主張するので
レスのような指摘が生まれるのだと思います。
社会性のなさと道徳をうたう主張の矛盾、それこそが反出生主義の論理的欠陥と考えます。

7ヶ月前 No.5

浅学菲才 ★qDwcmUBirU_kE1

なるほど、tttさんは反出生主義のうち、道徳的責任の論点への批判を行ったということですね。
しかしWikipediaによれば、人口過剰や環境保護といった観点からも反出生主義を主張されて
いますよね。こういった道徳とは直接拘わらないであろう論点への反論はありますか?

7ヶ月前 No.6

ハドル ★hF9QPu0E2v_Ew9

反出生主義というのは、たぶん「苦しいから生まれてこなければよかった」みたいな発想の、要するに自殺願望の一種なんじゃないか。
普通に健康で幸せな人はこんな考えには賛同しないと思う。
知り合いが反出生主義などと言い出したら注意が必要だ。
人口過剰が問題にするのは、今生きてる人間が快適に暮らすための方策だから根っこの考え方が違う気がするけど。

7ヶ月前 No.7

浅学菲才 ★FxYP4kEjPW_kE1

>>7

>反出生主義というのは、たぶん「苦しいから生まれてこなければよかった」みたいな発想の、要するに自殺願望の一種なんじゃないか。

なるほど、たしかにそのように考えることもできそうですね。もしそうだと仮定すれば、「苦しいから生まれてこなければよかった」と
判断する主体は、おそらくその発言者個人でしょうが、個人の判断にのみ基づいて他者(生れてくる子ども)の存在について決定するの
は何ともエゴイスティックであり、それ自体非道徳的と言えそうです。つまり、道徳を根拠にしておきながら、自身が道徳に背いている。

7ヶ月前 No.8

Annoymouse ★FvVI0tgvlX_hMp

ん?
生まれてくる子供が生まれられないとその子供にどんな現実的な害が発生するんでしょうか?
反出生主義はそのような迷妄を廃して分析的実存主義で立論されています。
まずテキストを読んではどうでしょうか。

6ヶ月前 No.9

★Tablet=vyc0FF9jKf

>生まれてくる子供が生まれられないとその子供にどんな現実的な害が発生するんでしょうか?

この判断を行う人間の道徳的批判からは逃れられません。
反出生主義が社会性を持たない以上、あくまで反道徳的でない、という範疇におさまると考えます。

6ヶ月前 No.10

ラヴィ ★OMVZkfgkh1_DqY

「存在しない物」を「存在させない」事に対する「道徳的批判」とは?
「存在する可能性」に対してすべて責任を持てとなるとそれこそ「産んで増やしてそれを維持する体制を作って死なない医療を整えて」となります
卵子を無駄にしたら駄目だぞ!って言う事になりますからね

6ヶ月前 No.11

★Tablet=vyc0FF9jKf

>「存在しない物」を「存在させない」事に対する「道徳的批判」とは?


私はこれの批判を行っていません。

わかりやすく言えば、現実に被害が発生しなければ道徳的である。という理論に対する批判を試みています。
本来の道徳とは相手との対話によって醸成されるものであると考えています。
その点、反出生主義は、このスレによらず、言う人によれば、非実在存在を考慮せずとも道徳的であるとのことです。
私は、被害が発生するしないの争点である子供を論の中から除外することに違和感を感じています。

6ヶ月前 No.12

Annoymouse ★FvVI0tgvlX_Ssw

それは、なんというか非常に間接的な事柄からの反論に見えますね。
反出生主義のアカデミックな出どころはメタ倫理です。

子供を産むこと自体は倫理的に不合理だと言っているにすぎません。

5ヶ月前 No.13

★Tablet=vyc0FF9jKf

ところが、反出生主義に関わらず、子供を生む不合理さは誰にも証明できません。
不合理さがあること、これを倫理的でないとするなら
存在すること、これは倫理的でない、となります。

反出生主義は、子供を生むことにフォーカスしており
今生きている人についての存在を否定しませんが
道徳観念を間接的であると批判するならば、反出生主義をとなえる人も
間接的である、という批判を受けるのも道理というものです。
反出生主義者は、これを、生まれてしまった時点で手遅れ、と表現していると理解しています。

5ヶ月前 No.14

地下水 ★KATHFaYqOw_Tbw

 簡単な算数ですよ。人間はいつか必ず亡くなります。社会の維持をする為に子供の出産数は何人が適切でしょうか。二人の親から生まれるのですから、二人の子供が人口維持に妥当です。
 但し過渡現象もあります。現在後進国では人口爆発を起こしていますので資源の争奪や紛争は避けられません。人口爆発を起こしている地域では、かつての中国の様にしばらく一子制を布く必要があります。

 また、疾患のある子供が生まれる可能性が非常に高い場合や、母体がもたない場合など、医療の見解から出産を諦める場合もあります。
 そして経済的な要請から、子供を育てる能力が無いので、出産を諦める場合もありえます。

5ヶ月前 No.15

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

算数では式が無限とも思えるほど長いし、解はまだみえない、と。
ゼロ、以上、終了。

どちらが善い事か?という話です。


これは善い事を導き出したい、という発想から始まっているため
善い事はない、という答えはなるべく、なるべく、無しです。

5ヶ月前 No.16

ポッくん ★Android=U91ReLNvAi

正常な判断力と知識があった場合、当たり前の様に拒否される様な提案を子どもに強制するのはおかしい。
親は子供の無知無能力につけ込んでいると言う事だ。

3ヶ月前 No.17

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>17
他者の回答を先行して読み取れるのは、神だけです。
人は神ではありませんので、その言及を道徳的とすることはできません。

3ヶ月前 No.18

ポッくん ★Android=LeNx8ylPdN

いや第三者から見ても客観的に不合理な取引を強制するのは不道徳でしょ。

社会の為なら悪い事をして良いかというとそんな道理はないから1は完全に間違ってるよ。

3ヶ月前 No.19

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>19
客観性を取り扱うと、生きていてよかったという人が一人でもいる時点で
その論理展開は崩壊しています。

成り立たせるためには、主観抜きで生まれることの不幸さを証明する必要があります。
それ抜きで道徳観を語るなら、今生きている自分は子供を、幸福にできないと語るしかないです。

3ヶ月前 No.20

ポッくん ★Android=sxbf1MFGC7

事後的に「生きていてよかった」と感じるのは主観でしょ。
犯罪被害者の中に「自分は被害者になって結果的に良かった」と考える人が一人でもいればその犯罪全てが正当化されるか?
君の言ってる事は馬鹿げた論理だよね。

生きる上で不幸が一つでもあるならそれは子供に対する加害であるから生まない方が良い。

3ヶ月前 No.21

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>21

>事後的に「生きていてよかった」と感じるのは主観でしょ。

この論を展開する場合、生まれないほうがよかった、も主観となります。
比較級を用いる場合、生きることを完全証明しない限り、正当性は言及できません。

犯罪被害を語るには、加害者と被害者が必要ですが
出生、反出生の問題点を扱うその時点では、加害者被害者両名が存在しません。
存在しない2名で万能の答え、
または生れた後の行為者、被行為者の2名の答えをを出すためには、
未来を見通す力が必要となり、やはり神でしか答えは出せません。
>>18 に戻りループしており、明確な根拠はありません。

このループの中で個人が判断を下すことは可能と思いますが
個人の判断が尊重されることはあっても
それを正しいと強調したとき、道徳性は失われている、というのが私の主張です。

3ヶ月前 No.22

ポッくん ★Android=sxbf1MFGC7

第三者から見ても不当な行いなのだから実際に被害者加害者がいるかは関係ない。
仮定の話としても成り立つ不当な行いだ。

1の時点で既に出産の不当性を認めているのだから神を持ち出してまで無理やり否定するまでもなく最初から結論は出ている。

3ヶ月前 No.23

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>23

>第三者から見ても不当な行いなのだから


不当な行いだと確定できるなら、次の文章で、仮定の話、と枕詞をつける必要はありません。
すでに論理崩壊しています。

>仮定の話としても成り立つ不当な行いだ。


仮定の話であるなら、仮定の話をあたかも真実であるかのように騙るのは
虚偽であり、道徳性はありません。

様々な条件を考慮した個人の判断の話なのに、正当性を主張するので
このように論理崩壊するのだと考えます。


>出産の不当性


死の恐怖や老いの記述部分のことでしょうか?
不当と感じるかどうかは個人ですから、
>>0 の時点では、それ自体が不当であるとは言及していません。

3ヶ月前 No.24

ポッくん ★Android=sxbf1MFGC7

君は論理崩壊だけではなく精神崩壊してるのでは?
笑えるよ。レスバトルには付き合ってられないな。バイバ□イ

3ヶ月前 No.25

★Android=BMQbdM0B9x

「結婚して子供を持つことが、一番の幸せなんだよ」
「みんな子をもってきたし、そう言ってる」
「子供を持つことの幸せがわからないなんて可哀想な人だ」
といういかにも批判されそうな台詞があったとします。
これを道徳的だとする人いないでしょう。
ただ、子を持つ、という部分を、子を持たないに置き換えると
ここまでに私が受けた台詞とそっくりになりますね。

3ヶ月前 No.26

さか ★iPhone=1Sy6538Aqf

道徳的というのは、人がよく生きるための言葉でしょう?
貴方が男性と仮定します。そして、もう1人の女性と親戚など多数の人で子供を道徳的に育てられるということができないから子供を産むことを批判されているわけです。
返信不要

2ヶ月前 No.27

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>道徳的というのは、人がよく生きるための言葉でしょう?


一般論と照らし合わせても、異なります。

2ヶ月前 No.28

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

「ショーペンハウアーは、人生は嫌なことの方が多いと主張し、最も合理的な立場は子供をこの世界に生みださないことだと主張する。(by Wikipedia)」

「人生は嫌なことの方が多い」と考えるのは、ショーペンハウアー氏の個性なのではないのか?

まぁ、「人生は嫌なことの方が多い」と考えるような人の元に生まれてくる子がかわいそうなので、そういう人は結婚もせず、一生独身で反出生主義を貫いて生きればよい。

2ヶ月前 No.29

★Android=BMQbdM0B9x

>「人生は嫌なことの方が多い」と考えるのは、ショーペンハウアー氏の個性なのではないのか?


ストレスと幸福の感じ方は人間の仕様として、どちらが重いか?といった点で考えた場合
生き物としてはストレス敏感であったほうが危機察知能力が高く生き残れる
つまりストレスを感じることのほうが多い。
と言えなくもなさそうだ、とは思います。

しかし、そういった懸念に対して、万能なスペックをもった存在は
概念上でも定義が難しい話であるはずです。
その上で、なぜ反出生主義者は、主体である己でなく
一人ではできず主体でもない出生にフォーカスをあてて課題解決を図ろうとするのか?
ここがポイントであると思います。

2ヶ月前 No.30

★Android=BMQbdM0B9x

結局、哲学的観点でいえば、良い人生などというものは存在しません。
世の中にある良い人生、その他は、指針か社会維持のための方便です。
しかし、哲学的にどうあれ、指針や方便は社会の中で生きるなら、必要なものです。
これが理解できなければ、以下のような誤解をするのだと考えます。

>道徳的というのは、人がよく生きるための言葉でしょう?

2ヶ月前 No.31

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>30

>ストレスと幸福の感じ方は人間の仕様として、どちらが重いか?といった点で考えた場合

>生き物としてはストレス敏感であったほうが危機察知能力が高く生き残れる

>つまりストレスを感じることのほうが多い。

>と言えなくもなさそうだ、とは思います。


であるならば、生きるのを苦痛に感じるのは人間の仕様な訳だから、産む側の責任ではないはず。

責任のないものに(自分の趣味趣向で)責任を感じるのは勝手だが、(他人に)問うのはおかしい。

2ヶ月前 No.32

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>産む側の責任ではないはず。


哲学的に言えば、自己以外の責任などとれるはずもなく
責任がない、以前の問題です。
しかし、デメリットがあるとわかっていながら、その選択を行うことは
自己の判断として妥当性があるか、という問いは生じると思います。

まぁどこまでいっても、他者の責任をとるなどという
道徳を全面に押し出しているにも関わらず、非道徳的な行いをしている、という構造からは逃げられていないわけですが。

2ヶ月前 No.33

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>33
「哲学的」という言葉の意味がいまいち飲み込めないが、ここでいう「哲学的」とは「結論の妥当性は保留した上で、『Aという前提に立てばBという結論が導かれる』というような筋を考えること」であろうか?

>デメリットがあるとわかっていながら、その選択を行うことは自己の判断として妥当性があるか


例えば、このようなことか?
1.全ての交通手段は「交通事故を起こすリスクがある」というデメリットを持つ。(前提として「交通事故を起こすリスクがあることは、デメリットである」が無条件で成立しているものとする。)
2.デメリットがあることはすべきでない。(これも無条件で成立しているものとみなす。)
3.故に、全ての交通手段は存在すべきでない。

2ヶ月前 No.34

★Android=BMQbdM0B9x

>>34
私の意図は、ご認識いただいている通りです。

だからこそ、反出生主義はともかく
それが道徳的だ、とは主張できない、と >>0 にて述べています。

2ヶ月前 No.35

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>35 承知しました。では 私も自分の価値判断は保留して、前提から論理的に導かれるかどうかにだけ着目することにします。

>>0

>すべてのできごとをしっかりと説明しなければ、正確な判断ができない事柄です。

>神ではない人にすべてのできごとを説明できるわけではないので、出来る限りの説明として

>「社会的な競争があること」、「老いること」、「死ぬこと」など確実にあることは説明できますが

>そこで果たした道徳的な責任は、誰に対するものなのか。

>説明を行った相手には十分な情報がないため、責任を果たしたとはいえません。

>果たしたのは自分にできることはやった、ということだけです。

>道徳的観点から、同意を得るべきだ、という命題は、実は同意が得られない構造です。


・「すべてのできごとをしっかりと説明しなければ、正確な判断ができない」というのはそのとおりかと思いますが、それは「出生」に限らず「一般的な契約」でも同じでは?
契約する際は、契約文書等に書かれた「限られた情報」を元に(契約するか否か)判断せざるを得ません。

「すべてのできごとをしっかりと説明しなければ、正確な判断ができない」というのはそのとおりかもしれませんが、だからと言って「同意ができない」ということにはなりません。そもそも、「全てのことを説明する」のは「不可能」なのですから、「限られた情報」を元に「同意の可否」を判断する必要があるのです。

2ヶ月前 No.36

★Android=BMQbdM0B9x

>「出生」に限らず「一般的な契約」でも同じでは?

>「限られた情報」を元に(契約するか否か)判断せざるを得ません。


通常ケースでいえば契約には履行義務がありますが
出生にはそれがありません。
何が行われるかは未来予測をする必要があります。
契約履行義務もなく、条件もわからない、というのが出生前にわかる情報ということになります。
この状態を契約と同じ、と捉えることはできないと考えています。
契約と同じなら、同意、というアクションは、ある。ということを仰っしゃりたいのだと思いますが
契約とは違います。

>>果たしたのは自分にできることはやった、ということだけです。

>>道徳的観点から、同意を得るべきだ、という命題は、実は同意が得られない構造です。


別の言い方をさせていただくと
契約ではないのに同意を得ようとするのは自己の不安を解消するためで
契約ではないから同意は不要である
となります。

2ヶ月前 No.37

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>37

>通常ケースでいえば契約には履行義務がありますが

>出生にはそれがありません。


いえいえ、そんなことはないでしょう。産む以上は法的義務も同義的義務も負います。産んだら産みっぱなし、ポイ捨て可 なんてことはありません。


>何が行われるかは未来予測をする必要があります。


それは、一般的な契約でも同じでは? 契約書類に書かれていること以外の部分は所詮「見込み」でしかないのですから。それに「契約不履行」の場合もありますし。

---------------------
>契約と同じなら、同意、というアクションは、ある。ということを仰っしゃりたいのだと思いますが


まだ言っていないのですが、
そもそも「生まれる前」は 「同意を得るべき相手がいない」のですから、生前同意は不可能です。もっとも、生まれた後でも相手(子)が理解できる程度に成長するまでは同意は困難です。
そういう物理的な面を保留し、「生前でも『これから生まれてくる子の魂』と意思疎通が可能」とするならば、生後の予測を伝え、生まれてくるかやめるか子の魂に選択させることは可能でしょう。

2ヶ月前 No.38

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>いえいえ、そんなことはないでしょう。

ありません。
ご自身が生前同意はできないと述べる通りです。
ここでいう義務や責任は別のものです。

>それは、一般的な契約でも同じでは?


異なります。
通常、契約には履行範囲と履行しなかった場合の保証があり
それを含めて履行義務があります。

>まだ言っていないのですが、


ご指摘の点について >>0 で触れているとおりです。

2ヶ月前 No.39

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>39

>ご自身が生前同意はできないと述べる通りです。


いえ、私は >>38 で「生前同意可能」と言っているつもりですが。

生前同意できない理由は「こちらが(十分に)説明できないから」ではなく「相手がまだ居ないから」です。
なので、その前提(相手がまだ居ないこと)を保留すれば、「説明可能」だし、「同意も可能」です。

なので、tさんが >>0 で述べている理由(相手に対して十分な情報を提供できないから)では「同意が得られない構造」と呼ぶには不十分だと思います。

2ヶ月前 No.40

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>40

>なので、その前提(相手がまだ居ないこと)を保留すれば、「説明可能」だし、「同意も可能」です。


なので、とありますがご指摘と類似の条件は >>0 にあります。

>「説明可能」だし、「同意も可能」です

>なので、tさんが >>0 で述べている理由(相手に対して十分な情報を提供できないから)では「同意が得られない構造」と呼ぶには不十分だと思います。


なので、とありますが
私は、ただただ説明が不十分だから同意が得られない構造だ、とは
>>0 でも、今も、主張していません。

2ヶ月前 No.41

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>36
話を戻してみましょう。

人は道徳的に生きるべきだ、とするならば

>「すべてのできごとをしっかりと説明しなければ、正確な判断ができない」というのはそのとおりかもしれませんが


しっかりと説明しなければいけないのはその通りだと述べるのに
しっかりと説明できない状態で相手から同意を得ようとする行為を己が実行すること。
それを道徳的な行いだ、とは言えないだろう。

つまり生前同意は自らに課した道徳的な行いをすべきという信条には反する行為になる筈だ。

道徳的な行いをすべきと述べる人は、生前同意を行えない。


と、いう主張です。

2ヶ月前 No.42

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>41

>私は、ただただ説明が不十分だから同意が得られない構造だ、とは

> >>0 でも、今も、主張していません。


失礼致しました。

2ヶ月前 No.43

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>42
不都合な事実を敢えて隠して相手をミスリードしたのであれば、非道徳的と思います。
しかし、限られたリソースの中で優先順位の低い事柄を省いて伝えたのであれば、非道徳的とまでは言えないと思います。

>>0

>神ではない人にすべてのできごとを説明できるわけではない

と書かれているとおり、人間のリソースは神と比べて限定的です。

「道徳的に生きるためには、人間のリソースではできないことをする必要がある」
だとすると、
「人間は道徳的に生きることはできない」
が導かれます。
これは、
「人は道徳的に生きるべきだ( >>42 )」
と矛盾します。
故に、この主張が間違っているか「道徳的」の意味が間違っているかのいずれかだと思います。
私は後者(「道徳的」の意味が間違っている)だと思います。

2ヶ月前 No.44

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>44

>私は後者(「道徳的」の意味が間違っている)だと思います。


はい。
ですので >>0 で以下のように述べています。

>「そうだよ!だから責任をとれないことはやるべきではないのだ! → 道徳っぽくみえるけどそうじゃない」

2ヶ月前 No.45

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>45 承知しました。ありがとうございました。

2ヶ月前 No.46
ページ: 1

 
 
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