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反出生主義への反論

 ( 議論掲示板 )
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ttt ★nBd65TRlMY_sxd

生まれてくること、生まれることによって生じる苦痛に同意が得られていないため
人が子を産むことは非道徳的である、とする考え方があります。
これに対する反論を試みます。
なお、念のため、個人が反出生主義を選択することが誤っている、といことを述べたいわけではありません。
構築された理論に対する反論を試みます。


まず、前提として同意を得る対象は生まれる前の子供でなくとも
我々がもつ道徳観に照らし合わせ、同意を得るべきだが得ていないことが問題、とする考え方はありだとします。
また、ここでいう「同意」とは何かを考え
生まれることによって死ぬことなど確実に苦痛が生じることに対する同意である、としました。


ここから反論。

「道徳的観点から、同意を得るべきだ、という命題は、実は同意が得られない構造である」

同意とは、意見・求めなどに対して賛成・承諾すること。とあります。
道徳観に照らし合わせ同意を得ていないことが問題とすることをありだとしましたが、仮想的にも相手が必要になります。
この相手に「生まれたことによって死ぬけどいいよね?」と聞いたとします。
デメリットが強調されているため、否と答える可能性が高いでしょう。
「死ぬ前に絶頂の幸福があるけどね」と述べたら迷うかもしれません。
つまり、すべてのできごとをしっかりと説明しなければ、正確な判断ができない事柄です。
神ではない人にすべてのできごとを説明できるわけではないので、出来る限りの説明として
「社会的な競争があること」、「老いること」、「死ぬこと」など確実にあることは説明できますが
そこで果たした道徳的な責任は、誰に対するものなのか。
説明を行った相手には十分な情報がないため、責任を果たしたとはいえません。
果たしたのは自分にできることはやった、ということだけです。
道徳的観点から、同意を得るべきだ、という命題は、実は同意が得られない構造です。


「そうだよ!だから責任をとれないことはやるべきではないのだ! → 道徳っぽくみえるけどそうじゃない」

責任をとれないことはやるべきではない、ということに一定の論理性がありますが
上述の通り、ここでいう責任とは自らが自らに課した一方的な責任で
道徳が本来持つような社会性がみあたりません。
実際に相対する人との間で、責任をとれないことをやるべきではない、ということは社会性がありますが
生まれていない子供に対しては想像でしかなく、上述のように正確な判断を下せる状態ではないのに
「やるべきではない」という判断をもって、道徳的であるというのは欺瞞です。

以上、拙いながら反論を試みてみました。
なお、念押しですが、個人が反出生主義を選択することが誤っている、といことを述べたいわけではありません。
だって、生むことが道徳的だってことを証明できているわけじゃないからね!

ページ: 1


 
 

冬の忘れ物 @yosiki10☆zrSSnJOvQXA ★BIgbpnRbtZ_2Js

この辺は難しい話ですよね。

2ヶ月前 No.1

みたのしきま ★q3tWng5BEh_Onj

同意とは、権利義務の主体が結果について受け入れることを内容とする意思表示です。

胎児は、権利義務の主体ではありません。


引用

権利の主体となることのできる法律上の資格をいい,法的人格,法人格ともいう。

権利能力を有する者としては,人 (自然人 ) と法人とがある。人にはかつては奴隷のように権利能力のない者があったが,近代法ではすべての人間に出生とともにこれを認める (民法1条ノ3) 。

権利能力の終期は死亡である。また,法人は,社団または財団 (一定の目的のために捧げられた財産) に対して権利能力を付与されたものである (43条)

引用終了

従って、自然人の場合には、人間の出生、前に権利主体にはなれなく、法律行為としての同意は論理的に存在しない。

2ヶ月前 No.2

ttt ★nBd65TRlMY_sxd

>>1
ありがとうございます。
ロジックをもった反論というだけならば、私の頭が足りないだけで
難しいということはないのかなと思っています。

>>2
ありがとうございます。
法としてまとめられたものは、道徳を含んでいる、と考えることもできると思いました。
つまり法律行為としての同意は論理的に存在しない、ということも反論となりえますね。

2ヶ月前 No.3

s.m ★PubkQWvy9s_yrm

私はそもそも反出生主義にはまず道徳的責任以前の欠陥があると思います。
それはこの思想が第一に唯物論的思考や無神論、そして進化論が正しいことが前提となっていることです。
日本人は世界的に見れば信仰心に薄く唯物論や無神論になびきやすい性質を持っている人種ですから
この反出生主義に対しても割とスムーズに受け入れられるのでしょう。
しかし世界にいるクリスチャンやムスリムといった人達はどうでしょうか?
彼らは神による創造を信じ人が子を産み育てるのも神から与えられた使命だと考えています。
そうした考えを持つクリスチャンやムスリムからすれば反出生主義というのは神の意に背く
おぞましき教えだと感じることでしょう。
日本の反出生主義者の方々は世界にいるそうした考えを持つ人々とどう向き合うおつもりですか?
もし「私は神など信じない、そんな非科学的なモノを信じている人間は古い考えから抜け出せない愚かな者であるから彼らは考えを改めるべきだ」などとお考えでしたらそれは相手の信仰心を踏みにじる行為だと思います。
そして仮に反出生主義者がそうした考えであれば世界に何十億と存在する多種多様な信仰心を持つすべての人々に宣戦布告するのと同じことになります。
もしこのような反出生主義が世界に広まればやがてはそれに反発する勢力との大きな争いになりかねません。
そうすれば世界規模で多大な量の流血が生じることとなり人々にはまた不幸が降り注ぐことになります。
反出生主義者の方はこうしたリスクに対してどうお考えですか?

そもそも反出生主義を大真面目に実践するとなれば世界中のすべての人間がこの考えを共有しなおかつそれに賛同することが第一前提です。例え9割の人間がこの考えに賛成しても残りの一割がノーといえば反出生主義は成立しません。なぜなら9割の人間が子を残さずに死んでも残りの1割が子孫を産み落とせば人類は存続するからです。
しかしだからと言って地球上にいる全ての人間にこの教えを伝えなおかつ賛同させるというのは絵空事に近いことだと思います。すでに言ったとおり世界には子を産み育てそして人類を繁栄させることは神の意志だと考える人もいますしそしてそうした考えを持つ人間を説得するというのは容易なことではありません。
例えばそもそもムスリムは他の宗教に改宗することが戒律によって禁じられているからムスリムが反出生主義に目覚めるなどということはまず絶対に有り得ないと断言してもいいでしょう。

こうなってくると世界にいるこうした人間含め反出生主義を実践するとなればそれはもはや破壊的規模の虐殺行為による反対者の粛清以外に方法はありません。
しかしそれは反出生主義本来の教え「すでにこの世に生を受け今を生きる人の不幸を望まない」に大きく反する行為です、しかしながら反出生主義を世界に唱えればそれに反発する存在との対立は必至。
こうした問題に対して反出生主義者は明確な解決法を持ち合わせているのでしょうか?
おそらく誰一人として持ち合わせているものはいないでしょう。
そしてそれは実質的な意味で反出生主義の限界を示すものでありかつ反出生主義の敗北を意味するものだと
私は考えます。

ゆえに「この世に生を受けなければ不幸にならない」というのはある意味においては正しいことを認めますがそれを世界規模で全人類に実践させるのは不可能に近くこの理論は机上の空論と言わざるを得ません。

みなさんはどうお考えでしょうか?

1ヶ月前 No.4

★Tablet=vyc0FF9jKf

>反出生主義者の方はこうしたリスクに対してどうお考えですか?


私は反出生主義者ではありませんが、自らの主義に反するものは全て悪、
とするならば、どのような主義かに関係なく、争いが起こると思います。

>そもそも反出生主義を大真面目に実践するとなれば世界中のすべての人間が


反出生主義は、反出生主義を世界中のすべての人間が行わなければならない、
という目的を持っている、という話は聞きません。


つまり反出生主義は個人の持つ趣向、ということになろうかと思います。
それ自体は何ら問題にはなりませんが、これを主義として掲げ
主義として社会の中で正当性を主張するので
レスのような指摘が生まれるのだと思います。
社会性のなさと道徳をうたう主張の矛盾、それこそが反出生主義の論理的欠陥と考えます。

1ヶ月前 No.5

浅学菲才 ★qDwcmUBirU_kE1

なるほど、tttさんは反出生主義のうち、道徳的責任の論点への批判を行ったということですね。
しかしWikipediaによれば、人口過剰や環境保護といった観点からも反出生主義を主張されて
いますよね。こういった道徳とは直接拘わらないであろう論点への反論はありますか?

1ヶ月前 No.6

ハドル ★hF9QPu0E2v_Ew9

反出生主義というのは、たぶん「苦しいから生まれてこなければよかった」みたいな発想の、要するに自殺願望の一種なんじゃないか。
普通に健康で幸せな人はこんな考えには賛同しないと思う。
知り合いが反出生主義などと言い出したら注意が必要だ。
人口過剰が問題にするのは、今生きてる人間が快適に暮らすための方策だから根っこの考え方が違う気がするけど。

1ヶ月前 No.7

浅学菲才 ★FxYP4kEjPW_kE1

>>7

>反出生主義というのは、たぶん「苦しいから生まれてこなければよかった」みたいな発想の、要するに自殺願望の一種なんじゃないか。

なるほど、たしかにそのように考えることもできそうですね。もしそうだと仮定すれば、「苦しいから生まれてこなければよかった」と
判断する主体は、おそらくその発言者個人でしょうが、個人の判断にのみ基づいて他者(生れてくる子ども)の存在について決定するの
は何ともエゴイスティックであり、それ自体非道徳的と言えそうです。つまり、道徳を根拠にしておきながら、自身が道徳に背いている。

1ヶ月前 No.8

Annoymouse ★FvVI0tgvlX_hMp

ん?
生まれてくる子供が生まれられないとその子供にどんな現実的な害が発生するんでしょうか?
反出生主義はそのような迷妄を廃して分析的実存主義で立論されています。
まずテキストを読んではどうでしょうか。

1ヶ月前 No.9

★Tablet=vyc0FF9jKf

>生まれてくる子供が生まれられないとその子供にどんな現実的な害が発生するんでしょうか?

この判断を行う人間の道徳的批判からは逃れられません。
反出生主義が社会性を持たない以上、あくまで反道徳的でない、という範疇におさまると考えます。

26日前 No.10

ラヴィ ★OMVZkfgkh1_DqY

「存在しない物」を「存在させない」事に対する「道徳的批判」とは?
「存在する可能性」に対してすべて責任を持てとなるとそれこそ「産んで増やしてそれを維持する体制を作って死なない医療を整えて」となります
卵子を無駄にしたら駄目だぞ!って言う事になりますからね

22日前 No.11

★Tablet=vyc0FF9jKf

>「存在しない物」を「存在させない」事に対する「道徳的批判」とは?


私はこれの批判を行っていません。

わかりやすく言えば、現実に被害が発生しなければ道徳的である。という理論に対する批判を試みています。
本来の道徳とは相手との対話によって醸成されるものであると考えています。
その点、反出生主義は、このスレによらず、言う人によれば、非実在存在を考慮せずとも道徳的であるとのことです。
私は、被害が発生するしないの争点である子供を論の中から除外することに違和感を感じています。

21日前 No.12
ページ: 1

 
 
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