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冤罪が根拠の死刑廃止の論理

 ( 議論掲示板 )
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ふんにゃ @sorairono ★HEPy1c8DtF_BXv

死刑廃止の主張に、冤罪、を根拠としたものがある。
それはどのような論理であるのか、示してみるのサ。

基本的なことから考えよう。

我々社会に刑罰制度は必要である。
刑罰制度には冤罪リスクがある。

以上の前提を否定できないならば、
「刑罰の冤罪はリスクとして認めなければならない」

冤罪リスクを否定すれば刑罰制度を否定することになる。

そこで、

「刑罰の冤罪リスクはどこまでが許容範囲であるか」
と考えることができる。
その許容基準はどこに置かれるべきか。

冤罪リスクを認めなければならない理由は、
「我々社会に刑罰制度が必要である」からだ。
だったら、
「刑罰制度の成立」がその基準になる、と考えられる。

さて、

日本の刑罰制度は、
財産(罰金)刑、自由(禁錮/懲役)刑、生命(死)刑、に分類される。
そして、死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。
だから、冤罪リスクの許容基準を「刑罰制度の成立」に置くならば、

死刑は刑罰冤罪リスクの許容範囲を超えている。
と言える。

これが、冤罪根拠の死刑廃止主張の論理、なのサ。

反論ある?

・・・なんてな(*/∇\*) キャ

ページ: 1

 
 

いけなが @adeyaka ★Tablet=R0DaoiA6M8

反論させて頂きます。よろしくお願い致します。
私は死刑容認派です。

>死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。


どのような点で「成立」とするのでしょうか?
「成立」の線引きを明確化しなければなりません。
仮に、刑罰制度の「成立」を、犯罪件数0と位置付けた場合、
有史上、そのような無犯罪国家は見られませんから、反証されます。
また別の仮定として、犯罪の抑止が成されているかどうかで、
判断するとしたら。そこには犯罪への許容が伴います。
つまり、被害のリスクを、こちら側の許容のさじ加減で、
はかることとなり、冤罪リスクの許容基準云々は、
被害者視点を逸脱した、単なる「一人の死刑反対派の視点」でのみしか、
語れなくなっています。
すなわち冤罪リスクを鑑みた結果、死刑の抑止力には釣り合わず、
冤罪リスクの方が勝るという論理では、被害者視点を排除してしまいます。
また、万人が許容しうる犯罪件数というものがもし仮にあったとして、
廃止諸国と比べても、日本の犯罪件数の方が少ない場合が多いでしょう。
いかがでしょうか?

2日前 No.1

ふんにゃ @sorairono ★HEPy1c8DtF_08J

ちょっと何言ってるか分からない。

>どのような点で「成立」とするのでしょうか?
>「成立」の線引きを明確化しなければなりません。

必要ありませぬな。
「死刑廃止諸国にも刑罰制度がある」の客観的事実を認めるならば、
「死刑がなくても刑罰制度は成立する」も認められるだけのこと。

>仮に、刑罰制度の「成立」を、犯罪件数0と位置付けた場合、
>有史上、そのような無犯罪国家は見られませんから、反証されます。

基準にならない基準を示されても困るだけ。

>また別の仮定として、犯罪の抑止が成されているかどうかで、
>判断するとしたら。そこには犯罪への許容が伴います。

ちょっと何言ってるか分からない。。

>つまり、被害のリスクを、こちら側の許容のさじ加減で、
>はかることとなり、冤罪リスクの許容基準云々は、
>被害者視点を逸脱した、単なる「一人の死刑反対派の視点」でのみしか、
>語れなくなっています。

「つまり」の前後がどうつながるのか理解不能。
内容も、「ちょっと何言ってるか分からない」

>すなわち冤罪リスクを鑑みた結果、死刑の抑止力には釣り合わず、
>冤罪リスクの方が勝るという論理では、被害者視点を排除してしまいます。
>また、万人が許容しうる犯罪件数というものがもし仮にあったとして、
>廃止諸国と比べても、日本の犯罪件数の方が少ない場合が多いでしょう。
>いかがでしょうか?

すまない。やはり、何言ってるかわからない。

ただそうね。

死刑廃止国でも刑罰制度が存在する。
だから、
死刑がなくても刑罰制度は成立するのだ。

これを単純に認めればいいだけのことを、
「刑罰制度の成立に基準とは」などど、様々な考え方ができる論点を差しはさみ、議論を混乱させようとしている。

そういうことなのね。ああ、そうか。

「あげあしとり」をしたいんだね。

1日前 No.2

いけなが @adeyaka ★Tablet=onctlLixhY

議論の場に置いて、
論理を汲み取れないのは致命的ですね。
非公式な場でしか議論をしたことのない、
素人さんでしょうか?
分からない、混乱する、
を、相手の論法と位置する行為は、
論者への侮辱ですので、
くれぐれも差し控えた方が良いと思います。

@刑罰制度の存在意義は、
犯罪発生を抑止することにある。

A犯罪抑止が達成できていなければ、
その刑罰制度に問題があるといえる。

B死刑廃止国で犯罪抑止が出来ているのか?

CBを審査するには、どの程度で犯罪抑止が達成しているといえるのかという基準が必要。

D仮に、「死刑廃止国でも刑罰制度は存在する」という事を、
「死刑が無くても刑罰制度は成立する」ということの証明とするのであれば、@を否定することになる。

EDに行き着いた場合、根本から刑罰制度の意義を御理解なさっていないという結論に至る。

分からない箇所を指摘しやすいよう、項目化しました。
アファーマティブサイドの意見以外は眼下に見る態度を治したほうが良いと思いますよ。

1日前 No.3

いけなが @adeyaka ★Tablet=onctlLixhY

追記です。
「刑罰制度がある」だけで、「刑罰制度は成立している」となる、
論理の飛躍の過程が説明されていませんよ。
これではただの詭弁に過ぎません。
一応、対外的な場なのですから、
恥ずかしくない理論構築かどうかを、
精査なさってから発言なさったほうが、
恥をかかないですむかと思います。

1日前 No.4

ふんにゃ @sorairono ★HEPy1c8DtF_08J

なんだかなあ・・・

死刑廃止国にも刑罰制度がある。
だから、死刑がなくても刑罰制度は成立する。

説明としてはこれで十分だ、と思われる。

これに反論するなら、

根拠を示して「死刑廃止国には刑罰制度はない」と論理展開をすればよいのでは?

「基準とは何か?」から始めるのじゃ議論が複雑になるだけだ。
反論者が「基準」を示して主張すればよい。

できれば、私程度でも理解できるような言葉でね(・・。)ゞ テヘ

(おっと、ブラックペアン最終回だ。そのあとはサッカー)

1日前 No.5

いけなが @adeyaka ★Tablet=onctlLixhY

刑罰制度は存在しているだけで、
それが成立していると言えるのですか?
と聞いているのです。何度も。
刑罰制度があっても、
犯罪は起こります。
犯罪の無い国はありません。
「成立」しているとは、
犯罪が何件と起ころうが、
国としての体があれば良いということなんですね?
冤罪死刑には上辺だけの同情のフリをするのに、
「成立」しているとして無視される、
幾つもの犯罪の被害者には、
同情のフリをしないのですね。

議論以前の問題で、
本質に触れさせて頂けないとは。
本当に議論という形式について、
全く御見識が無い御様子ですね。
自分の論理の行き詰まりを指摘される事を、
恐れて、はぐらかす。
幼稚な口喧嘩レベル。
何故、議論の場に出ようと思ったのでしょうか。

1日前 No.6

ふんにゃ @sorairono ★HEPy1c8DtF_08J

だから、「死刑がなくても刑罰制度は成立する」に反論するなら「死刑がなければ刑罰制度は成立しない」と反論すればいいでしょう。

それを「死刑がなくても刑罰制度は成立するのですか」と言われても困るのよ。
自明であることを説明しろと言われても困る。

なにせ、

死刑廃止国でも刑罰制度は存在するのは当たり前だから。

ああ、

「死刑廃止国でも刑罰制度は存在する」
と書いたからいけないの?

成立するも存在するも同じ意味でしょう。
刑罰制度は成立してなければ刑罰制度は存在しないのだし、
刑罰制度は存在してるなら刑罰制度が成立してる、ということ。

単純に、刑法と刑罰を科す行政的施設が存在してれば、刑罰制度は成立する。

それを、「成立するとは抑止力がなければ」とか勝手に定義づけて主張されても、それは勝手な主張だ。
抑止力云々は、成立した刑罰制度に対する評価。
そもそも、死刑制度に抑止力があるかどうかも評価が分かれるし、統計的にも証明されていない。

とにかく、

「死刑がなくても刑罰制度は成立する」に反論するなら、根拠を示して「死刑がなければ刑罰制度は成立しない」と反論すればいい。

それなら、議論になる。

1日前 No.7

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>0  ふんにゃさん
じゃあさ、こう反論すればどうですか?

>我々社会に刑罰制度は必要である。

>刑罰制度には冤罪リスクがある。

>以上の前提を否定できないならば、

>「刑罰の冤罪はリスクとして認めなければならない」

>冤罪リスクを否定すれば刑罰制度を否定することになる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※ここまでは問題ないとしましょう。
>そこで、

>「刑罰の冤罪リスクはどこまでが許容範囲であるか」

>と考えることができる。

>その許容基準はどこに置かれるべきか。


※この表現をわかりやすいように、次のように改めておきます。
○冤罪リスクの許容範囲とすべき基準はどこに置かれるべきか。

>冤罪リスクを認めなければならない理由は、

>「我々社会に刑罰制度が必要である」からだ。


※ここで「我々社会に刑罰制度が必要である」のはなぜか?ということを考えると、それは当然、犯罪を抑止し、社会秩序を保つため、と言えるでしょう。そうすると、

>だったら、

>「刑罰制度の成立」がその基準になる、と考えられる。


※これも、意味をきちんと明示して言い直すと、
○「犯罪を抑止し、社会秩序を保つために必要かつ十分とみなしうる刑罰制度の成立」がその基準となる、と考えられる。
※つまり、単に刑罰制度が成立しさえすれば基準を充たしたことになるような基準はダメ、ということです。どういうことかと言うと、
>さて、

>日本の刑罰制度は、

>財産(罰金)刑、自由(禁錮/懲役)刑、生命(死)刑、に分類される。

※ということらしいので、仮に、ただ刑事罰制度が成立しさえすればよいということを基準にすれば、財産(罰金)刑のみを刑罰制度の許容範囲としてもいいことになります。
そうすると、「自由(禁錮/懲役)刑」すら許容すべき範囲を超えていることになりますね。
つまり、「自由(禁錮/懲役)刑」すら許容する必要がないことになってしまうと。
しかし、これはいくら何でも認められないでしょう。殺人を犯しても罰金ですんでしまうんじゃ、社会秩序を保てないでしょうから。
だからこそ、基準として採るのなら、単に制度として刑罰制度が成立すればよいというのではなくて、社会秩序を維持するために足る制度に付随する冤罪リスクまでを許容しなければならないわけです。
※ところが、ふんにゃさんの「論理」は、「(廃止諸国のように)」ということで正当化されているかのようですが、実際の論理そのものは、まさに「ただ刑罰制度が成立すればよい」ということを基準にしたものなんですね。
>そして、死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。

>だから、冤罪リスクの許容基準を「刑罰制度の成立」に置くならば、

>死刑は刑罰冤罪リスクの許容範囲を超えている。

>と言える。

>これが、冤罪根拠の死刑廃止主張の論理、なのサ。


※だから、その「論理」は穴だらけ、ってことです。
あなたの「論理」だけで言えば、財産(罰金)刑だけを許容して、自由(禁錮/懲役)刑を許容範囲を超えている、とみなすこともできることになりますが、これは実質ナンセンスな話でしょう。
あなたの「冤罪根拠の死刑廃止主張の論理」は、そういう「ナンセンス」が帰結する、ナンセンスな「論理」ってことです。

以上で、反論終了。

※【解説】本来当たりまえのことですが、許容すべき範囲の基準を、刑事罰制度が成立しさえすればよい、ということにするのは認められないんですよ。
社会秩序を保つために、どこまでが必要か?ということがやはり許容すべき範囲の基準を決めるのであって、死刑廃止国だって、自由(禁錮/懲役)刑は必要と考えるからそれを存置しているわけです。刑事罰制度の成立のみが基準なら、そうでなくてはならない必然性は存在しないわけですから。
したがって、社会秩序を保つためには死刑が必要と考える人は、死刑制度は基準を超えていない、許容すべきと考えるだろうということです。

4時間前 No.8
ページ: 1

 
 
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