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冤罪が根拠の死刑廃止の論理

 ( 議論掲示板 )
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ふんにゃ @sorairono ★HEPy1c8DtF_BXv

死刑廃止の主張に、冤罪、を根拠としたものがある。
それはどのような論理であるのか、示してみるのサ。

基本的なことから考えよう。

我々社会に刑罰制度は必要である。
刑罰制度には冤罪リスクがある。

以上の前提を否定できないならば、
「刑罰の冤罪はリスクとして認めなければならない」

冤罪リスクを否定すれば刑罰制度を否定することになる。

そこで、

「刑罰の冤罪リスクはどこまでが許容範囲であるか」
と考えることができる。
その許容基準はどこに置かれるべきか。

冤罪リスクを認めなければならない理由は、
「我々社会に刑罰制度が必要である」からだ。
だったら、
「刑罰制度の成立」がその基準になる、と考えられる。

さて、

日本の刑罰制度は、
財産(罰金)刑、自由(禁錮/懲役)刑、生命(死)刑、に分類される。
そして、死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。
だから、冤罪リスクの許容基準を「刑罰制度の成立」に置くならば、

死刑は刑罰冤罪リスクの許容範囲を超えている。
と言える。

これが、冤罪根拠の死刑廃止主張の論理、なのサ。

反論ある?

・・・なんてな(*/∇\*) キャ

1年前 No.0
メモ2018/07/18 07:19 : ふんにゃ @sorairono★HEPy1c8DtF_a2e

<冤罪が根拠の死刑廃止の論理・改>


冤罪はあってはならない。


しかし、


刑罰制度には冤罪リスクがある。

これは客観的事実である。


だから、


我々は、刑罰に冤罪リスクがあることを認めなければならない。


そこで、


刑罰制度の冤罪リスクはどこまでが許容範囲であるのか。

その許容基準はどこに置かれるべきか。


と考えることができる。


冤罪リスクを認めなければならない理由は、我々社会に刑罰制度が必要であるからだ。


だったら、


「刑罰制度の成立」が冤罪リスクの許容基準となる、と考えられる。


死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。


だから、


…続きを読む(11行)

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Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_4CX

ハムラビさん、
>>1947
できればここのスレ主に直接確認してもらった方がいいと思いますが、スレ主が求める「冤罪可能性0」はそういうレベルの話です。
「自動車事故を無くすには、自動車を無くさなければならない」「冤罪を無くすには、裁判制度を無くさなければならない」そういう話です。そういう趣旨の発言があったと思います。

>>1948

>これらの被告の冤罪可能性は0で未来永劫覆ることは絶対にない、とわたしは思う

>これについてあなたはどういう冤罪の可能性があると思うの?


責任能力の評価が妥当か否かの疑いがあるのではないでしょうか。


>再審請求がとおる程度の現実的なのを具体的に示せますか?


再審請求が通るかどうか/出すかどうかは 関係ありません。
(冤罪と認定されたものだけが冤罪ではありません。)

5ヶ月前 No.1951

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_4CX

>>1950

>現実の法の原則としての「疑う余地がない」、つまり、ここで私が言っている「冤罪可能性0」というのは、そういう非合理的・非常識的疑いではないと、何度言えばわかるのだ?


あなたの言っている「冤罪可能性0」は、スレ主の求める『冤罪可能性0』とは違うので、どれだけ強弁しようとも反論にならないと思います。


「現実の法の原則としての疑う余地がない」が「本当の意味で疑う余地がない」のであれば、冤罪は発生しないはずです。ところが、現実の社会では冤罪は発生しています。だから、「現実の法の原則としての疑う余地がない」は「本当の意味での疑う余地がない」ではないのです。
スレ主が求めるのは「冤罪が(絶対に)発生しないレベル」ですので、「現実の法の原則としての疑う余地がない」では不足です。

5ヶ月前 No.1952

dummy @oscar ★iPhone=Ni153b2Efq

なんだかサンドイッチマンのネタを焼き直したような「冤罪可能性0」がまだ続いているようですが、この「冤罪可能性0」の「0」って何なの?

たしかパーセンテージじゃないんだよね?

件数?

まさかね。

5ヶ月前 No.1953

ハムラビ ★z6CR4XXrPa_f1k

>>1951
Mobiusさん

そんなんじゃ夢と現実を混同してると言われてもしかたないんじゃない?
冤罪は、現実の社会で冤罪と認められてはじめて冤罪になると思うんだけど
今あなたが言ってるのは、冤罪なんてどうとでも作れる、みたいな逆の立場なら冤罪をねつぞうするみたいな乱暴なやり方に見えます
あなたが最初の判決の段階で冤罪可能性0と認めた、普通の人がどうみても冤罪じゃない、冤罪可能性0が未来永劫覆ることは絶対にない、と感じるものの冤罪可能性はどこまでいっても普通は0ですよ
そこまで言うなら、それぞれの事件で犯人の責任能力の評価が妥当じゃないということを具体的に示してください、と言われてもあなた答えられないでしょ?
なんで答えられないか、現実的に再審請求がとおる程度の冤罪の可能性をあなたが知らないからでしょ?
それとも再審請求にふさわしい現実的な冤罪の可能性を示せるの?
示せないなら意固地になるのやめてくんない?
認めたら負けだ、みたいな人ですか? 二回目だよ?
あなたの意見を聞いてるからスレ主は関係ありません

5ヶ月前 No.1954

ヴィランのふくろう @owlman ★CZPpJSpIQU_lvY

>>1951,1952

今度はスレ主に責任転嫁?呆れるね(笑)

いずれにしても、その考えを支持するなら、スレ主であろうと誰であろうと関係ない。
その懐疑が非合理的・非常識的でナンセンスだと前から批判している。
そんな懐疑だと「疑わしきは罰せず」の原則と整合させるなら、有罪判決なんてありえなくなるだろうと批判している。
このあたりことは、既に >>1324,1341,1347 の時点で、私は問うている。
それをスレ主はひたすら逃亡で誤魔化し、きみはスルーで答えない。

責任能力の問題だってそうだ。
具体的に考えないからわからないんだよ。
実際に、どんな発見があったら冤罪であったってことになるか、ハムラビさんが挙げたような実際の事件に即して答えてみなよ。

あとそれと、衆人環視の中の犯行以外で、詳しく読めるのがあったから挙げておこう。
『市川一家4人殺人事件』
という2017年に執行された案件がWikiでかなり詳しく読める。
これに対して、冤罪可能性があるなら、どういう場合に可能か、述べてみせて。

5ヶ月前 No.1955

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

なんだかよくわからないけど・・・

「死刑判決には冤罪のありえない事例がある」と「死刑制度には冤罪リスクがある」を混同してるのじゃないかしらね。

「死刑制度には冤罪リスクがある」は、
「冤罪じゃない死刑がある」+「冤罪かもしれない死刑がある」=「死刑制度には冤罪リスクがある」
なのだから、「冤罪じゃない死刑がある」で「死刑制度には冤罪リスクがある」に反論することができない。

そこで、「冤罪の可能性がない事例に限って死刑を適用する」という主張がでてくる。
すると、「死刑制度には冤罪リスクがある」に反論できる、と考えるワケだ。

だけど、それじゃ「冤罪かもしれない死刑には、どう対処するのか」という説明に欠けている。
「無期懲役のような他の刑罰を科すのか」それとも「無罪とする」のか。

無期懲役のような他の刑罰に代替するとすれば、罪刑法定主義に反する、だろう。

とすれば、冤罪の可能性がある死刑囚は「無罪」とするしかない。
だとするとそれは、刑罰全体の問題、となる。

冤罪の可能性がある死刑囚に対して「無罪」としておいて、冤罪の可能性がある無期囚をそのまま「無期刑」とするわけにはいかんだろう。
だから、「冤罪の可能性がない事例についてのみ死刑を適用する」という主張は、刑罰全体の問題となる。
それは「冤罪の可能性がない事例についてのみ刑罰を適用する」ということになるハズだ。

しかし、それは現実的ではない。
「疑わしきを罰せず」を徹底すれば、刑事司法・刑罰制度そのものが成り立たなくなるかもしれない。

「もう、こいつが犯人で99%間違いない」と判断されるとき、無罪の判決をだすことができるのか。
1%の可能性を根拠に、99%の犯罪者を無罪とできるのか。

かくして、「冤罪の可能性がない事例についてのみ死刑を適用する」という主張は、結局は論理破綻する、と思われる。

5ヶ月前 No.1956

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

訂正。

>結局は論理破綻する、と思われる。

「論理破綻」じゃないな。
「現実破綻」だ。

5ヶ月前 No.1957

dummy @oscar ★iPhone=Ni153b2Efq

結局、このスレも勘違いしたまま噛み合わない議論と呼べない言い争いで満スレとなりそうだけど、言葉の定義すらできないまま各々が勝手に定義した言葉で自由気儘に好き勝手なことを述べるのではいつまで経っても素人談義からは抜け出せませんよ。

抜け出す気のない人の方が多そうだからそれはそれでいいのかもしれないけれどね。

********************

>そこで、「冤罪の可能性がない事例に限って死刑を適用する」という主張がでてくる。

>すると、「死刑制度には冤罪リスクがある」に反論できる、と考えるワケだ。

>だけど、それじゃ「冤罪かもしれない死刑には、どう対処するのか」という説明に欠けている。

>「無期懲役のような他の刑罰を科すのか」それとも「無罪とする」のか。


これ読んでて頭が痛くならない人がここで言い争いをしているのだからその程度は推して知るべしですね。

「冤罪かもしれない死刑に、どう対処するのか」という説明が、「無期懲役のような他の刑罰を科すのか」それとも「無罪とする」のかってどういうこと?

冤罪かもしれない死刑???
死刑に他の刑罰を科す???
死刑を無罪とする???

多分これらは言葉の意味を緩〜〜〜く考えれば意思の疎通ができるのかもしれませんが、言葉の意味を知っていて現実の裁判を見たことがあれば偏った意見であることが分かるはず。

現実は軽微な犯罪を除けば冤罪のリスクのない事件の方が圧倒的に少数派です。

「冤罪の可能性0」は「カロリー0」と同じくネタとしては笑えますが現実的ではありませんし、議論の俎上に乗せるべきことではありません。

5ヶ月前 No.1958

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

>>1956

ずいぶんと舌がまわっているようだが、それは >>1687 に対する反論と思っていいのかな?俺、待ってるんだけどね。

5ヶ月前 No.1959

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

ああ、そうか。 >>1956>>1687 への反論になってるね。

つまり、「冤罪の可能性のない事例にのみ死刑を適用する」ということは「冤罪の可能性のない事例にのみ刑罰を適用する」となるでしょ、と私は主張している。
それでいいのね。

99%犯人であるされても有罪にできない、というわけね。
ヘタすると、刑事司法・刑罰制度が成り立たなくなるのじゃない?

オウムで「麻原が指示した」という実行犯の証言は、100%正しい、と言い切れるの?
証言が実行犯の言い逃れである可能性も捨てきれないと思うよ。

麻原の死刑は妥当だったのかな?

5ヶ月前 No.1960

dummy @oscar ★iPhone=Ni153b2Efq

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5ヶ月前 No.1961

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

>>1960

分かってないな。冤罪はあってはならないのである。死刑だけの話じゃないよ。冤罪であっても無期懲役ならいいのか?懲役10年ならいいのか?そんなわけはない。冤罪を問題視するなら、それは刑罰制度全体に亘る話として議論されなければならない。死刑を廃止して、ハイ終了という話ではない。どうやら、そこのところだけは、ようやく、分かったようだな。

「99%犯人であるされても有罪にできない、というわけね。」とか書いてるけどね、推定無罪が、司法制度の原則なんだろ?違うのか?ならば、冤罪の可能性があるならば、無罪となる。裁判官が使用するだろう言葉を用いるなら、「証拠不十分につき無罪」って奴だね。もし仮に、それで、刑事司法・刑罰制度が成り立たなくなるのなら、そのような制度は必要ないのである。

だいたい、99%とか数字を出すけど、その数字はどう計算したのかな?計算式を出してくれよ。

オウム事件を事例に冤罪の可能性があるというが、それは、あまりに無理があるってもんだ。麻原は組織の長であり、その組織の有する施設において、サリンは製造されていた。これは、明瞭な物的証拠である。武器すら保管されていた。それって、麻原が何も知らずに、担当が各々勝手にやって、口裏合わせて、責任をなすりつけたとでもいうのか?教祖絶対のあのような組織において、そんな馬鹿な、だよね。警察が上九一色村の組織に踏み込んだ時、麻原は小部屋に隠れていた。犯罪行為をやってないなら、堂々と迎え入れればいいだろ?なぜ、隠れていた?いや、本当は隠れてなかったんだけど、警察が麻原に責任をなすりつけるため、隠れていたことにしたという情報操作を行ったとでもいうのか?あれほど、大規模な捜査で、報道陣を前にして?可能性という言葉で妄想を語られても話にならないよ。妥当をいう言葉を使いたいなら、妥当な事例を出してくるんだな。

5ヶ月前 No.1962

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

ああ、そうか。

冤罪はあってはならない。確かにそうだ。
だが、あってはならないからといって、冤罪を否定できるだろうか。

交通事故はあってはならない。確かにそうだ。
だが、あってはならないからといって、交通事故を否定できるわけではない。
車の運転には事故リスクを伴う。だからドライバーは自動車保険に加入する。
もしも「自分は交通事故を起こさない」とリスクを否定できるなら、保険加入の必要もない。
まあ、そんなのはドライバー失格だけどね。

交通事故はあってはならない。しかし、現実は事故リスクがあることを認めなければならない。
冤罪はあってはならない。しかし、現実は刑事司法に冤罪リスクがあることも認めなければならない。

どんなに冤罪リスクを否定しようとしても、刑事司法も人間がやることだ。
刑事司法も事故リスクを伴う。それが冤罪だ。
それはいくら「冤罪はあってはならない」と言っても、原理的にはどうしようもない。

「冤罪根拠の死刑廃止の論理」は「刑罰制度には冤罪リスクがある」という客観的事実を認めた上での、議論である。

5ヶ月前 No.1963

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

オウムに関する反論は、すべて状況証拠だな。
麻原が主犯である証拠は、実行犯の証言しかない。
信徒の暴走という可能性もないわけではない。

まあ、麻原が冤罪だとは私も思わないけどね。
それでも、冤罪の可能性が考えうるならば、疑わしきは罰せずの原則のもと、麻原は無罪となるべきだったのかもしれない。

5ヶ月前 No.1964

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1964
冤罪の可能性があるなら無罪ってゆうのが疑わしきは罰せずじゃないと思うよー
刑事裁判においては検察側が挙証責任を負うが、被告人に不利な内容について被告人側が合理的な疑いを提示できた場合には被告人に対して有利に(=検察側にとっては不利に)事実認定をする。
だよー

ふんにゃさんは合理的な疑いを提示できるの?

5ヶ月前 No.1965

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_4CX

>>1954 ハムラビさん、

>冤罪は、現実の社会で冤罪と認められてはじめて冤罪になると思うんだけど


だから通じないのですね。
現実の社会では、「冤罪(誤判)と認められてないけど、実は冤罪(誤判)」というケースも相当数あるはずです。
「明るみに出たものだけが冤罪で、そうでないものは全て正しい判断だ」というのは、おとぎ話のような現実離れした想定だと思います。


>今あなたが言ってるのは、冤罪なんてどうとでも作れる、みたいな逆の立場なら冤罪をねつぞうするみたいな乱暴なやり方に見えます

(以下略)

想定している前提が違うので、意味が通じません。なので、以降の返信は省略します。

5ヶ月前 No.1966

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

>>1963,1964

交通事故リスクと冤罪リスクを同列に語ってはいけない。別物だからだ。「人間のやることだから」というお決まりのセリフを書いても説得力はないよ。これは、原理的な話ではない。交通事故は、個人のわずかな不注意やミスで生ずるが、冤罪が成立するためには、相応の要件(捜査の不完全性、自白の強要、証拠の吟味の不十分性など)が必要なのであり、しかも、それが裁判における審議を通じて、裁判官に認定される必要があるからである。では、なぜ、冤罪が生じてしまうのか?それは、裁判官が、これは冤罪であるかないかを吟味するための十分な力量を有していないためと思われる。

だいたい、複数の共通した組織関連者の証言は、状況証拠とは言わないよ。神学的な議論をしているのではない。現実的な話をしているのである。「あのような事件でも冤罪可能性が0でない」って言いたいのは分かるけど、事例が悪すぎるよ。そこまで、書くなら、麻原の冤罪可能性は何%だったか、数式も含めて提示してもらおうか。合理的にね。

5ヶ月前 No.1967

ハムラビ ★QoQn2pCQK9_f1k

>>1956
ふんにゃさん

まず欠けているのは、冤罪が根拠の死刑廃止の論理、だと思うけど?
あなたも認めてるように、冤罪じゃない死刑もあるじゃん
そこに、この論理は絶対に当てはまらない
だから、この論理は、冤罪かもしれない死刑廃止の論理、にしかならず、今の死刑判決を二つに分けることしかできない
みんなさんざんそう言ってるでしょ?
この論理では、死刑制度全部を廃止する理由にはならない、というのをみんな言ってるのよ
冤罪が根拠の死刑廃止の論理は、不完全な部分はさておき、死刑を廃止にすれば冤罪死刑が完全に防げる、というのがあなたの理屈でしょ?
でもこの、不完全な部分はさておき、というところがみんな納得できないんだと思うよ
論理とうたってても、不完全な部分には目をつむってる、そんなのぜんぜん論理的じゃないでしょ?
これは論理だ、と言ってるのはあなたなんだから、それにたいする反論に何かを言うより先に、そっちの論理の不完全な部分を納得いくよう説明するのが先だと思うけどな
でもそれ無理でしょ?
だから、冤罪が根拠の死刑廃止の論理は、論理として不完全なので、死刑全体の廃止の根拠にはならない、とみんな指摘してるんだと思うよ
もしこれをくつがえしたいなら、すべてのケースで冤罪の可能性があることを示さなきゃ無理でしょ?
そうつめよられて困ってるのがMobiusさんだけど、現実的なものを示せてないんだから、そんな可能性は誰がどう考えてもないんだと思うよ
みなさんがさんざんそこを指摘してるのに、それを認めないのは、もう意固地になってるとしか思えません
論理とか言ってるんだから、論理的に考えて、不完全な部分を認めるしかないと思うよ
それか、冤罪が根拠の死刑廃止の訴え、に変えるかだね


>>1966
Mobiusさん

わたしが言ってるのは、上に出した現実の事件で冤罪の可能性を提示してみせてよ、ということだよ
でもできないんでしょ?
これが和歌山の事件なら、あなた喜んですぐに冤罪の可能性を提示するんでしょ?
あなたの中で、現実的な冤罪の可能性ありなしはもう線引きされちゃってるじゃない
それを認めたがらないからただの意固地だと言ってるんです
いっとくけど、冤罪ってあなたが勝手に決めんじゃないよ?
現実の司法で、それが冤罪と認められて、はじめて冤罪になるんです
わたし現実の話しかしてないけど、あなたはいくら要求しても現実の話ぜんぜんしてないじゃないですか?
あげく、冤罪と認定されたものだけが冤罪ではありません、とか言い出すし
これ和歌山の事件を念頭においとるんだろうけど、このレベルの現実的な冤罪の可能性を上にあげた事件では示せないでしょ?
あなたの中で脳内冤罪と現実冤罪を線引きしちゃってるじゃん
あなたの脳内の冤罪が、現実に当てはまらないのがわかってるから、ごにょごにょ言ってるんでしょ
ごにょごにょ責任能力があとか言っとるけど、医者でもないあなたがどうしてそれがわかると思った?
そのへんも自信ないからごにょごにょ言ってたんだろうけど
想定してる前提が、わたしは現実の話、あなたは現実じゃない脳内の話、そういう違いです
死刑というのは現実での話なんだから、あなたの脳内の冤罪可能性を持ち込むのはやめていただきたい



冤罪が根拠の死刑廃止の論理は、多くの人が言ってるように、論理的には死刑全体の廃止の根拠にはならない
それを認めたくない意固地な人もいるけど、誠実に論理的に考えられる人は不完全さを認めざるをえないと思います
決着はついたと思うから、冤罪と死刑をあわせて議論する必要はもうないんじゃないか?

5ヶ月前 No.1968

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

>>1955

池田小事件
秋葉原殺傷事件
相模原の障害者施設の事件
新幹線殺傷事件
京アニ放火事件
市川一家4人殺人事件

これらの事件に関しては、(未決着の事件も含めて)常識的に考えて冤罪(無実)の可能性はほぼ無いだろうと個人的には思います。

5ヶ月前 No.1969

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1969
その根拠は判決文だったりメディアの報道だったり検察からの証拠だったりですか?

5ヶ月前 No.1970

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1968
いや、そこはMobiusさんの言い分に一理あると思いますよ。
冤罪とは濡れ衣を着せられる事です。濡れ衣を着せられる事ですから、現実の社会で冤罪と認められたものだけでなく、冤罪(誤判)と認められてないけど実は冤罪(誤判)というものも含みます。要するに本当はやってないのにやったとされたものは全部冤罪なわけです(本当はやってないのにやったと疑われたもの、被疑者となったものまで冤罪に含むのかについては色々意見があると思われるので一旦横に置きます)。

さて、過去の判例などを見ると、検察による証拠の隠蔽や改竄、自白の強要という事例があります。またメディアによる決め付け報道や間違った報道の存在もあります。裁判官も思い込みや決め付けで判決を下す事があるという指摘もあります。
それらの一切が拭い切れない限り、冤罪可能性は0とは言えないわけです。池田小事件他にしても、それらの可能性が完全に拭い切れないのであれば、それは冤罪可能性は0とは言えないのです。あくまで可能性を焦点としているのですから。
冤罪の可能性が存在する事を指摘するものではなく、冤罪の可能性がない事を証明できてはじめて冤罪可能性0なのです。

殆どイチャモンレベルの無茶苦茶な話だと言えば、それはその通りだと思います。だけど可能性の話ですからね。何とでも言えてしまうわけです。可能性の話であるが故に、そこに個別具体的な冤罪である根拠や証拠は不要ですし、強いて言えば過去に冤罪事件がある事が証拠であるとも言えてしまうわけです。

5ヶ月前 No.1971

ハムラビ ★ai2uePeiYf_f1k

>>1969
Mobiusさん

それらのケースで冤罪可能性をさぐるのは無理だと思う
だから、冤罪が根拠の死刑廃止の「論理」は、ぜんぜん論理的じゃないんです
じゃあ、死刑を廃止するためにはどういう方法が考えられるのか、それは冤罪です
つまりね、死刑の話は、どっちみち「論理」で決着がつく話じゃないということよ
あなたはそう思う、わたしはこう思う、の集まりが、死刑を廃止すべきだと思う、になったら、そんときに死刑は廃止されます
きみのは論理的じゃない、はい論破、いやいや逆論破、いあいやいや、とかやっててもたぶん無意味です
論破された人が、くそお論破されたからくやしいけど死刑反対になるしかねえ、とはならんでしょ?
論理いがいに死刑廃止を実現するための道はどんなのがあるのか、冤罪だとわたしは思う

日本は冤罪での死刑執行を回避するためけっこう工夫してて、同じ死刑判決でも、執行までの期間の長短なんかで同じ刑罰なのに実質的には差をつけてます
(死刑執行までの期間の長短の「理由の一つが冤罪回避」だということですよ)
和歌山事件もまだ刑が執行されてませんね
そういう努力もあって、日本では、冤罪で死刑を執行された人は、いません、今のところ
がんばってけっこう工夫してるのに、そんな日本でも、冤罪で死刑を執行された人が、もしいたなら?
これは死刑廃止の決定打になると思う
冤罪いがいの、人権とか、更生とかは、個人的にはまるでぴんとこない


>>1971
00100さん

死刑は現実の話だから、脳内冤罪を持ち出されても困ります

5ヶ月前 No.1972

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1972
いやそうじゃなくて、冤罪とはは既に冤罪である事が確定したものだけじゃなくて、今有罪判決が出ているものの中にも紛れているわけです。そしてそれらは当然、冤罪と認められていないのですから、世間の認識としては裁判を経て有罪となった、冤罪可能性は0と確定されたものです。
外観上同じだから我々には本当に犯罪を犯した者と冤罪被害者と見分けをつける事ができないという比喩でもすれば理解できますでしょうか?
それともこんな表現なら理解できますか?
今冤罪だと確定したものも、有罪判決が出た直後は当然冤罪可能性0だと判断されたから有罪と判決が出たわけです。その後に偶々冤罪の可能性が見つかったり指摘されたりして、それを偶々司法が再審請求を受け入れてくれて、それで犯人ではない事が分かったから冤罪となったわけで、有罪判決が出た直後から現実の社会で冤罪と認められていたわけではありません。
偶々冤罪の可能性が見つかったから再審に至ったわけですが、例えば証拠がない、証拠が隠蔽やねつ造された場合は、本当はやっていないのにやっていない証拠がないから、本当の事が表に出る事なく無実の罪を償うしかないと、そんな場合も考えられるわけです。

何にせよ冤罪とは現実の社会で冤罪と認められたものだけとは限らず、濡れ衣を着せられたものの事を言うのであって、そして本当に犯罪を犯した人と冤罪被害者は見分けがつかないものなのだと。
そして貴方の言うところの脳内冤罪である事が絶対にない事が証明されなければ、冤罪可能性は0にはならないと。
先ずはそこを理解して頂かないと対話が成立しません。

5ヶ月前 No.1973

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1972

> そういう努力もあって、日本では、冤罪で死刑を執行された人は、いません、今のところ


疑いのあるものはある様ですね。飯塚事件はどうなのでしょうね?

5ヶ月前 No.1974

01000 @monmonmon ★mnHyKXFS2v_ek5

ていうか、理由や根拠がある論理的な主張って説得力があるんだろ。
確かにここの強硬な死刑賛成派が2名ほどいてこの2人を反対派に転向させるのは無理だと俺も思うけど
ロムっている人間を説得したり転向させることは出来るわな。
>>1281 のように死刑容認していても死刑反対派の主張を聞いて死刑反対派になった人間もいるみたいだし。
そうやって論理的な主張(理由や根拠があり論敵の主張の不備や矛盾をつくとか)をして死刑反対論の正当性をアピールして
ロムっている死刑容認とかどっちつかずの人間を説得して死刑反対の考えを増やすということも出来るだろ。
碌な理由や根拠も無いとか論理的に矛盾しているとかいう主張は説得力が無いだろ。
何の根拠もなく「死刑冤罪の可能性がある!」と喚いても説得力がまったくないと言ってる人間もいるし。

>あなたはそう思う、わたしはこう思う、の集まりが、死刑を廃止すべきだと思う、になったら、そんときに死刑は廃止されます


死刑反対の考えが多くなると死刑廃止になるかもしれないだろ。

>>1285 でここの死刑反対派も

>議論相手を説き伏せようとか、論破してやろうとか、勝負の道具にするとか、そういう烏滸がましい気持ちは無いんですよね。

>無知や無関心や思い込みからくる誤解を無くし、


とか言ってるだろ。

5ヶ月前 No.1975

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

>>1970

>その根拠は判決文だったりメディアの報道だったり検察からの証拠だったりですか?


ネットで拾った情報(主にWikipedia)がほとんどです。

5ヶ月前 No.1976

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1976
でしたらそこから冤罪の可能性を探すのは不可能だと思います。
Wikipedia「報道被害」ご参照。

5ヶ月前 No.1977

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1971
池田小の事件で冤罪の可能性があるならそれを証明してよー
冤罪の可能性があるってゆうのが事実である事が証明できないなら却下されるんだよね?

5ヶ月前 No.1978

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1978
>>1971 ご参照ください。

5ヶ月前 No.1979

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

>>1955

>その懐疑が非合理的・非常識的でナンセンスだと前から批判している。


私はそれを受け入れていない。
>>1655
> >そうとは限らない。

> >判決の時点で「合理的な疑いの余地がない」と判断されても、後から未判明だった“合理的な疑い”が見つかることがある。



>そんな懐疑だと「疑わしきは罰せず」の原則と整合させるなら、有罪判決なんてありえなくなるだろうと批判している。


それも否定している。
>>1620
> >「疑わしきは罰せずの原則」の解釈に誤りがある。(前提不成立)



>このあたりことは、既に >>1324,1341,1347 の時点で、私は問うている。

>それを(中略)きみはスルーで答えない。


既に回答済み。

5ヶ月前 No.1980

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

>>1972 ハムラビさん、
>>1966 で述べたとおり、あなたとは想定している前提が違うので、これ以上話しても噛み合わないと思います。
噛み合わなくても対話の努力を続ける人もいますが、私は無理なので返信は遠慮します。

5ヶ月前 No.1981

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

>>1955

>『市川一家4人殺人事件』

>という2017年に執行された案件がWikiでかなり詳しく読める。

>これに対して、冤罪可能性があるなら、どういう場合に可能か、述べてみせて。


不当に重い量刑を行うことも“冤罪”に含めるなら、量刑が妥当でない(つまり“冤罪”の)可能性がある。
私個人は >>1969 で述べたとおり「冤罪の可能性はほぼ無い」と思うが、Wikipediaを読む限り否定的な見解を述べている専門家の意見もある。それらの専門家の意見を「非合理・非常識」と断じるほどの根拠を持たない。だから、「冤罪の可能性が全くない」とはいえないと思う。

5ヶ月前 No.1982

ヴィランのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_pzR

>>1980,1982

>>その懐疑が非合理的・非常識的でナンセンスだと前から批判している。

>私はそれを受け入れていない。


それを正当化する根拠はどこに述べたの?レス番号をどうぞ。

>>そんな懐疑だと「疑わしきは罰せず」の原則と整合させるなら、有罪判決なんてありえなくなるだろうと批判している。

>それも否定している。


それを正当化する根拠はどこに述べたの?レス番号をどうぞ。

>>このあたりことは、既に >>1324,1341,1347 の時点で、私は問うている。

>>それを(中略)きみはスルーで答えない。

>既に回答済み。


だったら、

>>1347
>「冤罪リスクを0にすることは不可能」と主張する論者に対しては、

>どうやって「疑わしきは罰せず」という原則と整合的に、有罪判決を下すことを認めるのか、それを説明せよと求めている。

>すなわち、冤罪リスクが0でありえないのであれば、いかなる有罪判決であれ、原則と背理してしまうのでは?という批判だ。


どこに説明があるの?レス番号をどうぞ。

>不当に重い量刑を行うことも“冤罪”に含めるなら、


「冤罪」の意味を勝手にかえてどうするの?(笑)
論外。

>Wikipediaを読む限り否定的な見解を述べている専門家の意見もある


具体的にどの記述のこと?誰?それ。

5ヶ月前 No.1983

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

何というか、先ずは冤罪とは何なのかから定義?周知しないといけない様に思います。
冤罪可能性が0のものだけに有罪判決が出るのだから有罪判決が出たという事は冤罪可能性は0なんだ、そこに疑いをかけるのは非合理的・非常識的疑いだと言うのは良いけど、
じゃあ現実に冤罪がある中で、何で冤罪可能性が0な筈の判決に冤罪があるの?何で個別具体的なものに判断が間違う事があるの?個別具体的なら判断を間違えて構わないの?というこのスレのテーマには中々辿り着けませんね。

5ヶ月前 No.1984

dummy @oscar ★iPhone=Ni153b2Efq

>>1984

>何というか、先ずは冤罪とは何なのかから定義?周知しないといけない様に思います。


やっとそこに辿り着いてくれて嬉しいんだけど、それを定義しても残念ながらそれはここのローカル定義でしかなく一般性を持たないんですよね。

でもスレタイに冤罪という言葉が入っている以上はここの中だけでしか通用しないにしろ冤罪という言葉を定義しなければならないでしょう。

定義なしにそれぞれが好き勝手に言い争っていたのも、スレ主の怠慢かそれともスレ主の無知によるものかは定かではありませんが、最初に定義しなかったことにあります。

その定義すらなく「冤罪の可能性0」などと頓珍漢な話で盛り上がるのは何というか見ていて痛々しいものがあります。

5ヶ月前 No.1985

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1985
うーん、人の思い込みを是正するのって難しいですからね。私のイメージする冤罪はMobiusさんの言う冤罪寄りですから、ハムラビさんやヴィランのふくろうさんの言う冤罪は冤罪を正しく表していないと感じていますが、定義が定まっていない以上、そのどちらが正しくどちらが間違っているのかは分かりませんね。

取り敢えず困った時のWikipediaから
以下引用
定義 編集

無実者が刑事訴訟で有罪判決を受けることを指す立場もあれば[2]、単に無実者が罪に問われることを指す立場もあり[3]、法学辞典においても定義には揺れがみられる。

日本国政府は、麻生太郎総理時代[4]、鳩山由紀夫総理時代[5]、野田佳彦総理時代[6]のいずれも、「法令上の用語ではなく、定義について特定の見解を有していない」として政府見解を示していない。

一方、第78代法務大臣であった長勢甚遠は、2007年5月の衆議院法務委員会において「有罪になった方が実は無実であったというケースが一般的に冤罪と言われているのではないかと思う」「〔志布志事件のように〕被告人が無罪になったときも冤罪と言うのは、一般的ではないのではないか」との見解を述べている[7]。また、第79・80代法務大臣の鳩山邦夫も、冤罪を「人違いで逮捕され、裁判中や服役後に真犯人が現われたケース」と定義付ける立場から、法務省での2008年2月の会合の場で「志布志事件は冤罪と呼ぶべきではない」との発言を行った[8]。これを志布志事件の元被告人らから批判された鳩山は直後に謝罪を行い、「この全く意味の不確定な冤罪という言葉」を以後公式の場では一切用いない、との考えを述べた[8]。しかし、法務省はその後も、冤罪の定義を「真犯人ではない者に対する有罪判決が確定するなどの事態を念頭に置いて用いた」報告書を公表している[9]。

また、法学者の今村力三郎は、「世人は冤罪とは、常に全然無実の罪に陥ったもののように考えているが、我々専門家のいう冤罪とは、ある罪を犯したる事実はあっても、裁判官の認定が事実の真相を誤ったり、あるいは法律の適用を誤ったりして、相当刑よりも過重の刑罰に処せられたる場合も等しく冤罪とするのである」として、無実のみならず量刑不当も冤罪に含める見方を示している[10]。
引用終わり

ザクッとまとめると、日本政府としては「法令上の用語ではなく定義について特定の見解を有していない」ものとしながら、「有罪になった方が実は無実であったというケースが一般的に冤罪と言われている」という事のようですね。
「人違いで逮捕され、裁判中や服役後に真犯人が現われたケース」「真犯人ではない者に対する有罪判決が確定するなどの事態を念頭に置いて用いた」という言葉、そして無実のみならず量刑不当も冤罪に含める見方からも、冤罪とはその様なものだというベクトルに間違いはないかと思います。

さて「冤罪の可能性0」ですが、要は裁判官の認定が事実の真相を誤ったり、あるいは法律の適用を誤ったりして冤罪に至るわけですから、その可能性が一切ない状態が冤罪の可能性が0という状態と私は認識しています。もっと噛み砕けば、裁判官の判断やその基となる警察や検察の捜査や出す証拠に、非合理的・非常識的レベルでも疑いの可能性が一切ない状態の事を指すものだと認識しています。

5ヶ月前 No.1986

01000 @monmonmon ★mnHyKXFS2v_ek5

これって「冤罪可能性(冤罪リスク)」と言うのを「冤罪を根拠にした死刑廃止論者 >>0 」がどういう意味で使ったのかじゃないのか?
で、 >>0>>1964 を見る限り00100が言うような意味で「冤罪可能性(冤罪リスク)」と言う言葉を使っているわな。

冤罪事件と言えば足利事件が有名だけど、この事件も裁判当時はDNA鑑定という科学的根拠があって裁判官が合理的な疑いをさしはさむ余地が
ないと判断して有罪判決が出たんだよな。
でも、歳月が流れてDNA鑑定の精度が上がって再鑑定すると実は犯人とされていた人物のDNAと犯人のDNAとは一致しなかった。
裁判当時に裁判官が科学的根拠もあり間違いなく犯人だと判断した人物が冤罪だったことが後になって判明することもある。

この事件は死刑判決じゃなかったので冤罪被害者は生きて刑務所から出て名誉が回復されて国から賠償してもらったけど
死刑判決が出て冤罪の可能性を示す証拠が出てくる前に死刑執行されてしまったら生きて名誉も回復されず賠償もされず
最悪の結果になってしまうわな。
このようなことが死刑事案についても絶対に起こらないとは限らない。人間のやることに完璧なんてないからな。
だからこういうことを避けるために死刑を廃止するべきだと >>0 は言ってるんじゃないのか?

で、ドクター差別信者たちは何を言いたいの?死刑賛成派は >>0 の主張内容について理解していないと言いたいのか?

5ヶ月前 No.1987

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1987

> 冤罪事件と言えば足利事件が有名だけど


因みに飯塚事件はどうなのでしょうね?再審が認められていないから冤罪だという判断にはなっていませんが、意図的に再審を認めないのではないかといった事を言う人もいる様ですね。

5ヶ月前 No.1988

ハムラビ ★A4Iv505f0U_f1k

>>1973,1974
00100さん

現実のレベルで、冤罪の可能性がないケースは、冤罪の可能性0だよ
上にあげた事件は冤罪可能性0で、和歌山の事件なんかだと、現実のレベルで冤罪の可能性が認められる、ということ
現実のレベルで冤罪の可能性がないケースに認められる冤罪の可能性は、想像の中だけにある脳内冤罪の可能性にすぎん
死刑は現実の話だから、脳内冤罪を持ち出されても困ります、とはそういうことよ、おわかり?
脳内冤罪を持ち出して、だから冤罪の可能性はあるんだ、と言う理屈が、まったく現実的じゃないのは、みんながさんざん指摘してるでしょ?
それでも冤罪の可能性があるんだ、とかいうのは、脳内の話と現実の話を区別できてないか、それかただの意固地よ
まだこの話を続けたいなら好きにすればよいが、脳内の話を現実の死刑に当てはめるのは、絶対にむり、だから、永遠に同じことの言い合いになるよ
現実の死刑について、夢の話と、現実の話で、どっちが説得力をもつかは、もう決着がついてると思うけどね

日本には、冤罪で死刑を執行された人は、おりません
個々の事件について、一部の人がさわいだって、専門家が説得力のある本を書いたって、それが冤罪と認められることにはならん
だから、いくら個人が冤罪の可能性を騒いだって、それは和歌山事件の冤罪の可能性と同じレベルの話にすぎない
ここで、飯塚事件はきっと冤罪だ、と騒いだって、そんなのただのうわさレベルの話だよ
はとぽっぽも言ってるんだから、エリカさま逮捕は政権のスキャンダル隠しよ、と騒いどるのと同じレベル
そんなレベルの話じゃ、だれも死刑廃止の必要性を感じないと思うな


>>1975
01000さん

死刑反対の考えが多くなると、死刑廃止になると、わたしも思うよ
そう書いてるつもりなんだけど?
名前ややこしいな、どっちかがおまーじゅなのか?


>>1981
Mobiusさん

うん
現実の死刑の話に、あなたの脳内冤罪の可能性を当てはめようとするかぎり、現実の話をしてるわたしとでは、話してもかみあわないと思う
あなたは、脳内冤罪の可能性にこだわってるけど、そんなんじゃ誰も足を止めてくれないと思うよ
現実で冤罪死刑が執行されたとなったら、話は別だろうが


>>1984,1986
00100さん

冤罪可能性0のものだけに有罪判決が出る、いうのはまちがってるよ
合理的疑いのないものに有罪判決が出る、というのがあってて、それが最高3回つづいたら、有罪確定やね
死刑は、有罪確定のあとも、執行までに、判決に冤罪の可能性がないかをすごく慎重に調べるんです
それでも、冤罪で死刑が執行されたのなら、もう物理的に死刑を止めるしか手立てはない、と考える人は増えるだろうね

冤罪の可能性0が、あなたの認識どおりのもんだとして、それで上の事件で現実的な冤罪の可能性が示せないんだから、あなたの認識でも、上の事件は冤罪の可能性0になるよね?
これに冤罪ありとするなら、あなたの認識によると、その可能性はあなたの脳内にしかないことになるじゃない
これを、現実の死刑の話に当てはめるのは、むり、でしょ?
むりじゃないなら、現実的な冤罪の可能性を示して、と言いたいとこだけど、もう余白ないみたいだし、さんざん同じのをやったから、もういいかな

とりあえず、冤罪が根拠の死刑廃止の論理、は論理としてはしにました、というのがおおかたの見方というのは言えると思う

5ヶ月前 No.1989

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1988

> 死刑は現実の話だから、脳内冤罪を持ち出されても困ります、とはそういうことよ


しかし冤罪も現実の話ですよ。 >>1987
> 冤罪事件と言えば足利事件が有名だけど、この事件も裁判当時はDNA鑑定という科学的根拠があって裁判官が合理的な疑いをさしはさむ余地が

>ないと判断して有罪判決が出たんだよな。

>でも、歳月が流れてDNA鑑定の精度が上がって再鑑定すると実は犯人とされていた人物のDNAと犯人のDNAとは一致しなかった。

>裁判当時に裁判官が科学的根拠もあり間違いなく犯人だと判断した人物が冤罪だったことが後になって判明することもある。


貴方の理屈が正しければ、足利事件が冤罪であると認定される事は無かった筈です。足利事件にしても合理的疑いが無かったから有罪判決が出た筈ですよね。

> 冤罪可能性0のものだけに有罪判決が出る、いうのはまちがってるよ

>合理的疑いのないものに有罪判決が出る、というのがあってて、それが最高3回つづいたら、有罪確定やね


その合理的疑いがないという判断が実は間違っていて、だけど判断が間違っていた事が明るみに出なかった場合はどうするの?という疑問を投げかけたつもりでいたのですが、
その前に貴方は冤罪とは何だと考えていますか?
今までの貴方のレスを見る限り、やはり私やMobiusさんと冤罪の定義が異なる様に感じます。
>>1954
> 冤罪は、現実の社会で冤罪と認められてはじめて冤罪になると思うんだけど


より貴方は恐らく、合理的疑いがないという判断が実は間違っていて、だけど判断が間違っていた事が明るみに出なかったものは冤罪ではないと考えているのではないかと思います。
私はそれも冤罪だと考えています。きっとMobiusさんもそう考えていると思います。
現実の社会で冤罪と認められてはじめて冤罪になるのだと考えた場合には、貴方の言う冤罪の可能性がないケースは冤罪の可能性0だという理屈はその通りだと思いますが、
現実の社会で冤罪と認められていないものの中にも冤罪は含まれると考えた場合には、貴方の言う冤罪の可能性がないケースは冤罪の可能性0だという理屈は通らないと考えます。

>死刑は、有罪確定のあとも、執行までに、判決に冤罪の可能性がないかをすごく慎重に調べるんです


どうでしょうね?本当に慎重に調べてるの?と疑いたくなる様な事例もメディアでは報道されていますが、一方でメディアの報道がどこまで信用できるの?という話もありますのでね。何ともいえません。

5ヶ月前 No.1990

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

(冤罪の定義については溝が埋まらないみたいなので とりあえず脇に置くとして、)

「冤罪でないことが確実な案件のみに死刑を適用」という案に対する以下の指摘にはどう答えるのであろうか?

指摘:罪状(犯行の悪質さ)が同程度なのに、“冤罪かもしれなさ”の度合いによって量刑を変えるというのは、罪刑法定主義に反するのではないか。

5ヶ月前 No.1991

ハムラビ ★Nfq8WdyIrG_f1k

>>1990,1991
00100さん Mobiusさん

まず話をならべると、冤罪が根拠の死刑廃止の論理、を示したのはスレ主だね
それを支持しとるんが、00100さん、Mobiusさん、だね
この論理が、論理的じゃないと言ってるのが、その他、だね
その理由は、この論理じゃ、死刑を2つに分けることしかできないから、死刑ぜんぶを廃止にするの論理的にむり、だね
いいやむりじゃない、というなら、この論理を支持してる人が、全てのケースで、現実的な冤罪の可能性を示さなきゃだめ、だね
でも、それを、誰も示せてないよね
だから、冤罪が根拠の死刑廃止の論理は、論理としてはしにました、がおおかたの見方で間違いないでしょ
ここまでご両人ともよろしい?

00100さん
他の人や、わたしは、現実のケースで、冤罪可能性0のケースを示したよね
なら、それ以外のほとんどが、冤罪可能性0のケースじゃないことになるよね
具体的には、和歌山事件や、飯塚事件は、冤罪可能性0のケースじゃない、と言ってるね
(どこで?と言われてもスペースがもうないから自分でスレをさがしてね)
それが冤罪の、現実の話と、脳内冤罪の、さかい目なんだから、足利事件は、現実の話で、冤罪の可能性0のケースじゃないよね
厳密にいえば、現実の社会で冤罪と認められてはじめて冤罪になるけど、今の議論では、議論上そのへんふんわりしてるよね
現実的なケースで、和歌山事件ぐらい説得力があれば、冤罪の可能性ありとみなす、とふんわりしてるでしょ
ふんわりしてるのに、それでも現実の冤罪可能性を示せないのは、それはもう冤罪可能性0じゃん、という議論上の論理的な話だよ

Mobiusさん
こっちわ、冤罪が根拠の死刑廃止の論理が、冤罪でないことが確実な案件のみに死刑を適用ということにしかならん、と指摘してるだけなんだから、それが罪刑法定主義に反するのなら、そいつは論理の自己はたんで、そっちの問題でしょ?
冤罪でないことが確実な案件のみに死刑を適用は、あなたたちが考えるべき話で、そんなのこっちは知ったこっちゃないと思うけど
だって、冤罪根拠の論理をこっちは認めてないんだから
ただ、冤罪が根拠の死刑廃止の論理は、罪刑法定主義に反する結果になるから、論理的ではない、とは言えるわね
今あなたが言ってるのは、きみの反論では論理矛盾するから、おれの論理矛盾はさておき、死刑はぜんぶ廃止すべきなんだ、ということじゃね?
自分の論理の帰結は、自分が責任もって引き受けるべきだと思うがどうかね

5ヶ月前 No.1992

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

>>1992

>まず話をならべると、冤罪が根拠の死刑廃止の論理、を示したのはスレ主だね

>それを支持しとるんが、00100さん、Mobiusさん、だね


私の場合は、支持しているというより、スレ主の意図を理解しようと努めているだけ。
以前は、以下のような発言をしていました。

>>66
>「冤罪を根拠とする死刑廃止論」では、冤罪リスクがない案件(現行犯逮捕案件等)については主張の根拠を失う。

5ヶ月前 No.1993

00100 @00100 ★iPhone=66OcR1tS18

>>1991

> まず話をならべると、冤罪が根拠の死刑廃止の論理、を示したのはスレ主だね

>それを支持しとるんが、00100さん、Mobiusさん、だね


いや、私に関して言えば、 >>0 を支持するしないに関わらず、有罪判決が出たものは冤罪の可能性が0であるという考え方、冤罪は、現実の社会で冤罪と認められてはじめて冤罪になるという考え方に対して間違っているという主張をしていると。そんな感じです。

> この論理が、論理的じゃないと言ってるのが、その他、だね


その他という程多くはないと思います。明言しているのは貴方とディランのふくろうさんだけかと。抜けがあったらごめんなさい。

> この論理じゃ、死刑を2つに分けることしかできないから、死刑ぜんぶを廃止にするの論理的にむり、だね


その2つというのはこの事ですね。 >>1889
>同じ死刑判決でも冤罪可能性の有無によって、死刑執行に相当なのか、死刑執行に相当しないのか、という二つに分化できるから、死刑執行に相当のケースの死刑を廃止する根拠にはなりませんよね?


その2つに分ける事しかできないという考え方が今一理解できません。
これは死刑だけに限定した話ではありませんが、死刑執行に相当であるものについては死刑を執行したら良いと思いますよ。だから死刑執行に相当のケースの死刑を廃止する根拠にはならないという事には異論はありませんよ。
ただ、じゃあどれが死刑執行に相当してどれが相当しないのかについて、判別する事は事実上不可能だよねという事です。

> 全てのケースで、現実的な冤罪の可能性を示さなきゃだめ、だね

>でも、それを、誰も示せてないよね


いや、例えば他の冤罪事件で裁判官が判断を間違えた事例、検察が証拠をねつ造や隠蔽した事例、鑑定の読み方を間違えた事例などがあるのですから、今回もそういう可能性があるのではないですか?という事は、冤罪の可能性の有無という点においては十分示しています。

> 他の人や、わたしは、現実のケースで、冤罪可能性0のケースを示したよね


いや、判断間違いやねつ造隠蔽などが絶対にない事について示されていませんから、冤罪可能性0とは言えません。

> 具体的には、和歌山事件や、飯塚事件は、冤罪可能性0のケースじゃない、と言ってるね


そうするとそれ等に何故有罪判決が出たのかという話になり、貴方の主張を否定する事になります。

上記は >>1990 での私の冤罪に対する認識が基になっており、且つ冤罪は絶対に起こしてはならないものという前提で書いています。その前提においては冤罪は現実の社会で冤罪と認められてはじめて冤罪になるものではありませんし、
> 現実的なケースで、和歌山事件ぐらい説得力があれば、冤罪の可能性ありとみなす、とふんわりしてるでしょ


決してふんわりなんてしていません。
ふんわりしているのは冤罪の定義が万人で一致していないから、そして冤罪は絶対起こしてはいけないものなのか、合理的疑いがないと裁判官が判断したならそこに冤罪が含まれるのは仕方がないものと考えるのか、そこが一致していないからではないでしょうか?
冤罪可能性云々の前に、先ずは冤罪とは何なのか、そこについて擦り合わせができればと思います。

5ヶ月前 No.1994

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

やっぱ、刑罰制度の冤罪リスクと個々の事例の冤罪リスクを混同してると思うのよ。

「刑罰制度には冤罪リスクがある」には反論できないんじゃない?

5ヶ月前 No.1995

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★XaDQxMu5Oy_1dE

>>1995

>やっぱ、刑罰制度の冤罪リスクと個々の事例の冤罪リスクを混同してると思うのよ。


混同しているというより「あくまで具体的個別案件に定位した話であって、一般論としての可能性ではない ( >>1665 )」と言い切っています。

言い方を変えると「具体的な個別案件毎に見ると、『確実に“冤罪可能性0”と断定できるような案件』も存在する」ということが言いたいのだと思います。


>「刑罰制度には冤罪リスクがある」には反論できないんじゃない?


なので、「具体的な個別案件毎に見ると『冤罪リスクの無い件』も存在する。そういう案件に絞って死刑を適用しても冤罪の可能性がないから、冤罪は死刑廃止の根拠にはならない」と言いたいのだと思います。

5ヶ月前 No.1996

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1994
冤罪リスクを認めなければならないってのがこのスレッドの前提だよー
そうしないと刑罰制度を否定することになっちゃうからね

合理的疑いがないと裁判官が判断したならそこに冤罪が含まれるのは仕方がないものと考えるのが
事件番号 □平成19(あ)398だよね?
1 有罪認定に必要とされる立証の程度としての「合理的な疑いを差し挟む余地がない」というのは,反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく,抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても,健全な社会常識に照らしてその疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には有罪認定を可能とする趣旨である。

5ヶ月前 No.1997

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

冤罪根拠の死刑廃止に対し「冤罪じゃないなら死刑にしてもいいんだろ」と反論してることになるのかな。

「命題の逆、必ずしも真ならず」と言われるが「命題の裏、必ずしも真ならず」でもあるんだな。

「冤罪なら死刑にしてはならない」に対して「冤罪じゃないなら死刑にしてもよい」は、裏、なワケだ。

まあ「必ずしも」だから、真、であるときもあるが、

「冤罪なら死刑にしてはならない」から「冤罪じゃないなら死刑にしてもいい」は、論理的には、導出されない。

5ヶ月前 No.1998

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_0zR

なんか、「冤罪根拠の死刑廃止の論理」が、論理になってない、という批判もあるから答えておこう。

死刑制度を肯定するならば冤罪死刑リスクがある。
冤罪死刑リスクを否定する。
それゆえ、
死刑制度を否定する。

これが論理であることは間違いない。

AならばB
Bではない
それゆえ、
Aではない。

これは、後件否定、と呼ばれる論理。
(「AならばB」の後件Bを否定すると、Aではない、が帰結する)
これは、命題と、その対偶が論理等価であるからだ。
(「AならばB」=「BでないならばAではない」)

(冤罪じゃない)凶悪犯を死刑にするならば死刑制度を肯定する。
死刑制度を肯定するならば冤罪死刑リスクを肯定する。
それゆえ、
凶悪犯を死刑にするならば冤罪死刑リスクを肯定する。

これも論理であることには間違いない。
(「AならばB」と「BならばC」から「AならばC」が帰結する。推移律と呼ぶ)

凶悪犯を死刑にするならば冤罪死刑リスクを肯定する。
冤罪死刑リスクを否定する。
それゆえ、
凶悪犯を死刑にしない。

これも論理であることには違いない。最初の後件否定の論理だ。
つまり、冤罪じゃない凶悪犯を死刑にできない根拠は、冤罪死刑リスクの否定、なのである。

「死刑制度には冤罪死刑リスクがある」と「冤罪死刑リスクの否定」の論理的帰結は、「冤罪じゃない犯罪者を死刑にできない」のである。

5ヶ月前 No.1999

蚕子 @himehime10 ★Android=OQb5K1gHWZ

>>1999
AならばB
Bではない
それゆえ、
Aではない。
ってゆうのは
AならばB
が正しいときにしか使えないよー

5ヶ月前 No.2000
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