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宗教について

 ( 議論掲示板 )
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ゆみ @yumicoco ★rdsPzrQVhs_qTF

私は宗教を否定しています。なぜなら、人から教えを乞うこと・教えという名の規律やルールに沿った生き方をしなければならないことが嫌いだからです。それだけでなく、毎年神社で「金持ちにしてください」と祈っても神様はその願いを聞き入れてくれていません。冗談はさておき、宗教とは、何を軸にして生きていったらいいのかという、自分のものさしがない、またはわからない人が信仰しているようにしか思えません。それが悪いことだとは思いませんが、そもそも自分のものさしなんて足りなくても生きていけると思っています。太古の昔だったら科学もまだ発達していないので、洪水や気象現象に怯え、これは神が怒ったからだと思う気持ちもわからなくないですが、現代人でそんな風に思う人はいないでしょう。つまりこの世に宗教など不要だと思います。

メモ2018/02/22 15:37 : ゆみ @yumicoco★M2tM0jQDcH_tZH

一つ大事なことを言い忘れていました。


宗教を肯定される方に安心して意見を書き込んでいただくために一つルールを設けます。


なぜ宗教を肯定するのか、は、その人にとってかけがえのない大事な感性であったりしますよね。


なので、その大事な感性をぶち壊しにしないように反論をしていくつもりです。


あくまで論理的に話したいと思っています。


論理的追求を受けること自体がいやだと思われる方は、書き込まなくていいです。


ほかの参加者の皆さんも、「相手の感性を壊すような言い回しはしない」ということを


注意して書き込んでくださるようお願いします。

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ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

私も志野さんの最後の2〜3行だけなんとなく違うなという感じがします。
ほかの部分は素晴らしく理解されていると思います。

>人間が本当に強くなるためには、そのような「神」に頼らずに、自分で自分自身を確立するための一歩が必要であり、
>それがニーチェの「超人」に繋がるのであると。

私が違うなと思ったのは上記2行です。

ニーチェが活躍する中世以前、古代の時代は強いものが正しかったんですよね。
若々しく、健康で、財力もあり、闘争にも長けた強い人間!これが古代においての「善い人間」でした。

このように、強い人間であることは素晴らしいのだという古代的価値観をニーチェは「騎士的・貴族的価値観」と名付けます。

「金と権力がほしい」と言ってしまうと、現代の人間から見ると意地汚いとか欲まみれの俗人と言われてしまいますが

これは「僧侶的・道徳的価値観」が働くからそうなっているのであり、古代の価値観では強さを求めることは、

素直であり、人として当たり前のことなのです。(なぜこのような価値観が生まれてしまったかは、古代のユダヤ人の思想から、

なのですが、これを説明すると別の話になってしまうので割愛しますが、「金や権力を手に入れたって幸せとは限らないし〜」みたいな価値観は

ここからのものですし、志野さんがおっしゃった嫉妬とはまさにこの事ですね。)

よって、自分自身を確立するのが超人につながるというよりももっと強く、あらゆる力に対して素直に欲しよう!という思想が

ニーチェなのではないかと解釈しています。その部分だけが「違う」と思ったのであり、大した違いはないですね。すみません。

横やりすみませんでした。

1日前 No.553

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

クレーマーさんへ

 いろいろ質問してもよいでしょうか。

 ニヒリズムは絶対主義と相対主義と並べて言われている虚無主義というものだそうですがその理解で合ってますか?

 絶対主義は「生きる意義や目的は絶対ある!」だし、
 虚無主義は「生きる意義や目的などない」だし、
 相対主義は「生きる意義や目的なんて人それぞれだよね」

 という意味ですよね。

 虚無主義の深さとは何のことでしょう。


 また、>宗教が不要だ、と言ってる人は、神に代わる生きる理由を見つけた、と思ってる。

 とおっしゃっていますが、神に代わる生きる理由を見つけた、ということは神がいなきゃ生きていけない人がいるってことですか?

 もしくは神という存在が人間の生きる理由そのものになるということでしょうか。


 もし、クレーマーさんが「神がいなきゃ生きていけない」もしくは「神という存在が人間の生きる理由そのものになる」と
 思っていらっしゃるのでしたら、ぜひ意見をお聞かせ願えるとありがたく嬉しく思います。

1日前 No.554

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

カトリック支配の中で、神は死んだ等と言えば、断罪される。
カトリックによる影の支配は終わりを遂げる、と言えばこれまた同じ。

それを、馬鹿どもには分からないように、表現している。
深い意味など別にない、それをわかったフリをしている者達が、難しく解釈しようとしているだけ。

哲学者や科学者は当時の異端者であり、その当時では真実に近づこうとしている者たち。

しかし、言っていることは常に単純、事実を告げようとしているだけ。

ここは議論の場、せめて文献の確認作業などという幼稚な議論はしたくない、自分の見解をぶつけたいものだね。(-.-)y-~

1日前 No.555

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

宗教は所詮は人間が作ったものだ。
人間が作ったものは古くなれば使われなくなく。
宗教だって同じ、神だって同じ、古くなればそれに変わるものが現れて当然なのだよ。

1日前 No.556

クレーマー ★jiMwTGSiBA_Ew9

>>554

>虚無主義の深さとは何のことでしょう。


>>548 の話は、現在にも通ずる。
548の世界や現在においても、神はもういない。それは、狂気の人(ニーチェ)も、広場の大勢の人も、あるいは現代の人達も知っている。でも、その深刻さを知っている人はほとんどいない。そして、深刻さを知らない人々は、狂気の人を見て笑う。狂気の人が、その深刻さを訴えても、聴衆はいぶかしげに彼を見つめるだけだった。深刻さに気づいていない聴衆を見て、狂気の人は「俺は早く来すぎた」と言った。聴衆が深刻さを知るのには、もっと時間を要する。

ニーチェの言ってるニヒリズムとは、「生きる理由の欠如した人間の状態」だね。
神が生きる理由だった人々の中で、神は死んだ。神に代わる生きる理由を探す人々。見つかったと思っても、それはすぐに壊れてしまう。今度こそはとまた探すんだけど、やっぱり見つからない。広場の聴衆は楽観的なんだね。神の代わりを見つけたと思っている、あるいは、すぐに見つかると思っている。「あい」「かぞく」「かね」「めいよ」…、神に代わる生きる理由が、次々に崩れていくのを見るにつれて、人々は、事の深刻さを理解していく。
ニヒリズムは克服できそうもない。つまり、神の代わりなんて何もない。なのに、そんなことを知らずに、神を殺してしまった。これを理解していく過程において、ニヒリズムはより深まっていく。

「神は死んだ(宗教は不要だ)」は我々の歴史だよね。つまり、我々にとっては、神が生きる理由だった。神が死んで、それに代わる生きる理由を探すんだけど見つからない。見つかったと思ってる人はいるんだけど、それは広場の聴衆と同じで、深刻さを理解していないだけなんだよ。
人間は弱い。神という絶対的価値観に頼らないと生きていけないほどに。神に代わる絶対的価値観なんて何もない。じゃあ神が復活するかといえば、それは絶対にない。
だから、人間は、なんの理由もなく、ただ、生きている。
今はそういう時代なんだ、とニーチェは言っているんだと思うよ。

>>555
「それを、馬鹿どもには分からないように、表現している。」
広場の聴衆は神の死を知っている。そんなことは全員知ってるんだよ。全員知ってることを、何でわざわざわからないように表現する必要がある。
落第  >>548 を読み直して明後日までにレポート提出な

1日前 No.557

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

クレーマーさんへ

 丁寧に説明してくださり、ありがとうございます。私の理解力がないせいで、なんとなくしか掴めなかったような気がしますが、
 それはおいといて、もう一つ質問。

 >だから、人間は、なんの理由もなく、ただ、生きている。
 >今はそういう時代なんだ、とニーチェは言っているんだと思うよ。

 この、なんの理由もなくただ生きている、とは「末人」のことですかね。超人の対義語のようなものでしたよね、たしか。

1日前 No.558

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

>>557

あなたもしつこいね。

神を探している=神など本当はいない
お前達が殺したんだ=お前たちだって知ってるだろ
昼間の提灯=馬鹿げた行為
それを使って神を探す=神を信じることは馬鹿げた行為
我々自身が神になる=カトリックの支配からの脱却

超人=カトリックの支配を打破する存在。

早すぎた=今は無理でもいずれはその時代が来る。

あなたのレポートは先輩の写しでしょ?
カンニングは良くないよ(-.-)y-~

1日前 No.559

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

>だから、人間は、なんの理由もなく、ただ、生きている。

カトリック支配の中で生かせれている。
真実を叫ぶことも許されず。

1日前 No.560

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

クレーマーさんへ

 あ、今意味がわかりました。ニヒリズムの深さ、なるほどです。

 ニヒリズムに深く汚染されると末人になるんですね。

 20世紀21世紀はニヒリズムの時代である、とニーチェは予言しましたね!

 まさに的中ですね!

1日前 No.561

クレーマー ★jiMwTGSiBA_Ew9

>>558

>この、なんの理由もなくただ生きている、とは「末人」のことですかね。超人の対義語のようなものでしたよね、たしか。


「なんの理由もなくただ生きている」には、ニーチェの言う「末人」も入ってるんだろうけど、注意しなきゃいけない点があると思う。
神が死んだことによって、人間は、「なんの理由もなくただ生きている」事を余儀なくされた。こうならざるを得ないんだけど、これを受け入れて、ニヒリズムに抗う事無く、無気力に反射的に生きる人間が「末人」かな。
「なんの理由もなくただ生きている」事を余儀なくされた人間だけど、それに抗って、新しい価値を作り出していこうとする人と、「末人」は区別される。区別されるんだけど、やっぱりどっちもニヒリズムから抜け出せないのは同じなんだよな。それでもやっぱりニヒリズムに抗って、新しい価値を創造し続けていくしか、人間には道が無いんじゃないか、というのがニーチェの主張だろうか。そのためには、生きることの全てを、たとえどんなにイヤな事でも、その苦痛を無限回数にわたって積極的に受け入れることが出来るような強靭な精神を宿す必要がある(永遠回帰)。それが「超人」だろうか。


>>559,560
んとね。その解釈、全然ちがうわw

1日前 No.562

ニャルラトホテプ ★iRpB2r6OoV_puz

ゆみさん >>547

音楽で代替出来たのならとうの昔に宗教なんて小さな規模程度だっらだろうさ
まぁ、音楽も宗教と関わりがあるからなんともね。

1日前 No.563

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

クレーマーさんへ

 なるほどですね、ニヒリズムに汚染されつつもそれに抗って生きていこうとする人もいれば、そのまま汚染されて末人に成り下がる人もいる、と。
 どちらもニヒリズムからは抜け出せれていない、ということですね。

 ニヒリズムとはそもそも、目標もなく自暴自棄になる状態のことですよね。

 ここからは私の勝手な解釈ですが、超人になるには、(ニヒリズムから抜け出すためには)
 ちから(パワー)に素直になって、ちからを強く求めることで目標をもち、周囲にたとえ非難されてもそれを公表できるぐらいになり、
 実現していくことを諦めない。ということをやっていかなければならないと思います。

 私は趣味で将棋をしていますが、「どうせ私なんてバカだから」とか「どうせプロじゃないから負けてもいいや」(これもニヒリズムの一種?w)
 などと思っていると、本当に負けてしまいますw

 さまざまなことに勝つことを諦めない精神でやっていきたいな、と常々思います。

 クレーマーさんはニーチェの著書をすごく読まれているんですね。

 私もニーチェのことを尊敬していますよ!ご説明してくださり、ありがとうございました!

1日前 No.564

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

ニャルラトホテプさんへ

>>563

 宗教によって安らぎを得るというのは、たとえば下地にどのような考えがあって、どのように安らぐことができるのかとかを
 説明していただくことは可能でしょうか。

1日前 No.565

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>475  ゆみさんへ

> SumioBabaさんがもしも「いや、宗教は必要だろ」と思われるのであれば、出てきていただけるとありがたいです。


 SumioBabaは「宗教」否定派です。ただし、SumioBabaの定義はこうです。「宗教」=「ある○○○について「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできないくせに、独断的に「○○○である」こそが真なのだと真理を片方だけに限定してしまい、それを信じることを人々に要求するもの」。「信仰」の定義はこうです。「信仰」=「ある○○○について「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできないくせに、独断的に「○○○である」こそが真理なのだと信じてしまうこと」。SumioBabaは「宗教」否定派なので、「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできない場合、どちらの可能性も否定しません。

 具体例として、神は「存在する」のか「存在しない」のかは、実証も反証もできないと思います。にも拘らず、「神は存在する!!」と断定してしまうと《有神論的宗教》を「信仰」してしまっていることになります。「神は存在しない!!」と断定してしまうと《無神論的宗教》を「信仰」してしまっていることになります。SumioBabaはどちらの立場も取らないため、「神は、「存在する」でもあり「存在しない」でもある」と考えます。ただし、「「存在する」と「存在しない」の「両方」であり、「片方」ではない」と言ってしまうと、また、「両方」なのか「片方」なのか実証も反証もできないくせに、「両方」だけに真理を限定することになってしまうので、「「両方」でもあり「片方」でもある」と言う必要が生じます。

 一見すると、どこまでも無限後退しそうですが、それを避けるうまい方法が有ります。「神は、a「存在する」+b「存在しない」(aとbは不明)である」という表現です。aとbの値の取り方次第でこれは、「存在する」、「存在しない」、「両方」、「片方」のすべてを含んでいます。aとbは不明なので、a=1、b=0かもしれず、この場合は「存在する」になります。aとbは不明なので、a=0、b=1かもしれず、この場合は「存在しない」になります。aとbは不明なので、a=1、b=1かもしれず、この場合は「存在する」+「存在しない」になります。aとbは不明なので、これら3つのうち、どれか1つかもしれないし、2つかもしれないし、3つすべてかもしれません。

 証明というのは、ある○○○について「「○○○である」が真であり、「○○○でない」は偽である」と真理を片方だけに限定する場合に要求されるものです。SumioBabaが言う「神は、a「存在する」+b「存在しない」(aとbは不明)である」は、何も真理を限定しておらず、すべての可能性を網羅した上で、その中のどれかが正しいだろうと主張するだけであり、外れることは有り得ないという意味で、証明の必要も無く恒真(トートロジー)です。この立場だと、「神は「存在する」」、「神は「存在しない」」、「神は「存在する」+「存在しない」」のどれも否定しません。好きなものを選んで良いという訳です。そういう意味で「信仰の自由」は認めます。その代わり、自分と違う選択をした人を攻撃してはいけません。「人それぞれ、いろんな考えが有って良いのさ」と、他人の考えも尊重する必要が有ります(これが《相対主義》)。それができず、自分だけが正しいと主張し、他人にまでそれを押し付けようとするから、争い事が生じることになります。

1日前 No.566

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

562

あなたの主張はなんかのコピーでしかない。
そんな主張は聞かなくても、調べればいくらでも出てくる。

ハッキリ言って面白くもなんともない。

ただの哲学お宅がよく言いそうなことばかり。

すぐ難しい言葉を使い、さも知ってます感を醸し出す。

哲学者や科学者は実はとても簡単な真実を探求しているに過ぎず、それが事実であれば簡単に表現できる。

私に触れるときは教本のお復習は止めてくれ。

実につまらない。

真っ向否定できないのだから、黙ってなさい。(-.-)y-~

1日前 No.567

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

SumioBabaさん

ではこんなのはどうですか?

神は存在する、しかし神ではない。

1日前 No.568

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

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1日前 No.569

かりんとう ★Android=YktXEU8sKw

志野さんの神宗教に頼るのは弱い人なのは適格的確で宗教の否定を言葉を代えてみんな強くなろうよの呼び掛けならゆみさんに賛成ですね。

1日前 No.570

ニャルラトホテプ ★iRpB2r6OoV_puz

>>565

どう安らぐとか知らないし分からない。
でも、心の働きがそうしている。そうしているのだから人間は宗教を捨てられない。

1日前 No.571

00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>566

>「神は「存在する」」、「神は「存在しない」」、「神は「存在する」+「存在しない」」のどれも否定しません。


全く同意なのですが、中々それを理解できる人は多くはない様です。

この世に、祈れば海が2つに割れるみたいな通常の人間の力を超えた能力を有する神を目視した人はいません。居ても精々有人神の様に人間の体に神を宿した、その人自身はそんな通常の人の力を超えた能力は持ち合わせていない人を見たものばかりです。
そこから考えるに、神という存在はこの地球上に現存はしない存在です。
神、というか宗教の起源を考えた時、人々にとって都合の良い事がおきるその事象を神という擬人化をしたわけですから、人々にとって都合の良い事がおきる以上は神は存在します。
ただその神の力は偶然起きた事の中から人々にとって都合の良いものを抽出したものに、後付けで超能力的な作り話を足して体系化したものですから、その意味では神は物語の中の架空の人物であり、即ち神は存在しません。

そんな背景を鑑みた時、じゃあ人々にとって都合の良い事がおこる事を期待して、それを司る神という人物に祈りを捧げる=お願いをする事が信仰なのですから、具体的に何処そこの宗教というものを想定していなかったとしても、そんな都合の良い偶然を期待して何かに願をかける行為は信仰そのものであり、即ち宗教行為であり、つまり意識こそしていないものの神を信じている行為そのものであると。

人は誰でも「○○だったら良いのになー」という希望を持つものです。「お金が天から降ってこれば良いのにな」「明日のテストで100点取れたら良いのにな」「あの子が自分の事を好きになってくれたら良いのにな」と。
宗教の起源を考えた時、そんな気持ちが宗教行為であると。そしてそんな希望を全く持たない人はこの世に1人もいないと思います。なので宗教を否定できる人はこの世には1人もいないと。

23時間前 No.572

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

かりんとうさんへ

 このスレッド初の私に賛成してくださる方がいらっしゃったこと!感謝します。ありがとうございます。

 ただ、残念ながら、私の意見は「みんな、強くなろうよ!」という意見ではないのです。
 (本当は一人ひとりが強くなろうとする考えは素晴らしいと思うのですが、、、)

 そして申し遅れましたが、私自身、宗教という価値観自体がもう古いのではないか…と思えてきたのです。

 現代に生きる我々の価値観に合うもの、というと宗教ではない別のものがあるんじゃないかと。

 一時期、ナンバーワンよりオンリーワンという価値観が台頭したときがありましたよね。

 あのように世相を受けて取り入れたトレンドのような新しい価値観が必要になってきたんじゃないかと思っているのです。

 もしアインシュタインの「すべての自然は共通の数式で表現することができる」が可能になった場合、

 もっともっと神が存在しないということを人は受け入れて生きていかなければならない時代が来るのではないか、と。

 それはそんなに遠い未来のことではないんじゃないかと予測しました。

 そしてそこから、「そもそも宗教とは人の生き方に口出しをする教えなどがあり、生きづらい世の中をもっと生きづらくしている」

 という、意見を導きました。

 だから、宗教は嫌いだし否定する、と。

 古代ユダヤ人が神を頼って、「いつか必ず出てきて助けてくれる」と思った時代の宗教がいまだに受け継がれている訳ですから、
 ユダヤ人が迫害を受けた時までさかのぼると、3〜4000年以上前からの教えが今に至るということになります。

 いつまで経っても出てきて助けてはくれない神へのユダヤ人の思想には旧約聖書にも変化が見られ、
 今までは「いつか神が出てきてお前らを滅ぼす!それまでじっと耐えて信仰する!」と言っていたのが、
 いつのまにか「他者の苦しみを引き受けなさい、他者のために死にましょう」にすり替わってしまっているのです。

 彼らは神がいるという願望と、今目の前にある苦痛の現実との整合性を保つために、目をキラキラと輝かせながらこう言うのです。
 「私は神の名のもとに、すべての苦痛を受け入れましょう。どうぞ、みなさん私を殴ってください」と。

 もはやそこには神の名を語って現実的な復讐を望む怒りの顔はありません。
 しかしその代り、違った形での復讐を始めるようになります。

 「あなたたちの気が済むまで私をどうぞ殴ってください。私はあなたたちが醜い憎しみの心から逃れられるように祈っています(笑)」と。

 暴力はいけない、とか憎しみはいけない、といった精神的な価値観を創造し、その価値観の中で敵に勝利するという歪んだやり方で復讐を
 果たすのです。

 これが、ニーチェの目に止まり、「そんなものどうせ弱者のルサンチマンだろ」ということになるのです。

 ※上記に書いたことはあくまでニーチェ目線のことでありますので、誤解なきよう。

 私は大局的に見て、これらの宗教のあり方は、ばかげているように思います。

 いじめられっこが「お父さんが助けにきてくれるんだから、覚えとけよ」と捨て台詞を吐くのと変わらない気がします。

 (ユダヤ人の迫害はとても酷いもので、神にすがりたくなる気持ちは重々受け止めているつもりで、決して軽んじている訳ではありません)

 ただ、今現在は、当時の迫害めいたものはないと言えるし、アメリカにいるユダヤ人は富裕層が多いと聞きます。

 今が良ければ過去はどうでもいいとは決して言いませんが、少なからず、迫害を受けた時の気持ちを宗教に反映させて、
 今もまだ信仰を続けているというのは、時代にそぐわない気がしてなりません。

 ユダヤ教への批判というつもりではなかったのですが、そうなってしまったのかな。

 でも、ユダヤ人しか救わないという宗教は誰が見ても自己中心的だと思います。(それを生み出さなければ生きていけないほど不幸な歴史を
 歩んできたからなのですが)

 とりあえず長くなったのでいったん切ります。

 ご意見、ご指導、のほど、よろしくお願い致します。

23時間前 No.573

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

00100さん

そんなときは分からないと言えばいいのです。

そんな、分からないという結論しかない人が他人の結論にとやかくいうとややこしくなるので黙っていればいいのです。(-.-)y-~

自分なりの主張や結論ができてから参加すればいいだけです。

21時間前 No.574

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

ゆみさん

私の意見も概ねあなたと一致します。

神は存在するでしょう、しかしそれは神ではないのです。

21時間前 No.575

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

minaさんへ

 レスポンスありがとうございます、また、意見が一致するとおっしゃっていただき、感謝です!

21時間前 No.576

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

そうですね。確かに読み直してみると、546の2行は違和感がありました。
嫉妬によって生じた「神」のような歪んだ概念に価値があるとは思えない。
それ故「神は死んだ」となる。

ゆみさんの仰ったことになりますね。クレーマーさん、ゆみさん、ご指摘ありがとうございました。

21時間前 No.577

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

志野さんへ

 >クレーマーさん、ゆみさん、ご指摘ありがとうございました。

 とんでもないです、私の方がずれていたら、どんどん言ってくださいね!

 志野さんの気が向いた時で構いませんので、これからも、気兼ねなくどんどん書き込んでください♪

21時間前 No.578

ねことバス @nekoneko10 ★Android=celtmxvFRt

「教義を持たない」それが教義になってしまうメビウスリング。

「教義を持たない」ということさえ固執するなら、それもまた1宗教の形態と変わらない。


おお、全知全能のニーチェ様。

と言ったところか。

20時間前 No.579

ねことバス @nekoneko10 ★Android=celtmxvFRt

だから神は死んだのだろ。
まぁ、ここで言う神を「全知全能、完璧終始の唯一神」とするなら死んだんだろうね。

しかしどうだ。
それって言葉や文字の世界での話なんだよな。

20時間前 No.580

00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>574
しかし宗教行為をしている人が宗教を否定している、かつ宗教を不必要とはしていない人にまで宗教の否定を押し付けているわけですから、そこに関しては神の存在がどうであれ、否定はできますし、
自分なりの主張や結論ができたら急に神が降臨したり突然消えたりするわけではないので、そこについても皆土俵は同じだと思いますよ。
そうでないと言うのなら、何処に行ったら神に会えるのか具体的に誰にでも会える形で提示できる人、若しくは神は絶対にいない事を事実として確実に証明できる人しか発言ができなくなります。少なくとも今現在ここにレスをしている人全員がその資格がないという事になります。

まあ、私の話の主旨を理解していれば「そんな、分からないという結論しかない人が他人の結論にとやかくいうとややこしくなるので黙っていればいいのです。」なんて的外れなレスはしないとは思いますが。多分意味も理解せずにパブロフの犬みたいに反論しなきゃいけない気になっているのでしょうね。

19時間前 No.581

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

00100さんへ

 >多分意味も理解せずにパブロフの犬みたいに反論しなきゃいけない気になっているのでしょうね。

 言い方が失礼です。
 私も今まで結構言い方失礼だったと思うのですが、もうやめました。謝罪も致しました。


 00100さんもおやめください。

17時間前 No.582

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

ゆみさん
00100さんも、「も」って、一緒か私も、
Oh!My god.(^^;

何てね(-.-)y-~

17時間前 No.583

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

00100さん

神はいる、でも神ではない。

わたしだけかな発言権があるのは(-.-)y-~

17時間前 No.584

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

minaさんへ

 「も」というのは、「私(ゆみ)も00100さんも」という意味です。

17時間前 No.585

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

ゆみさん

いいえ、反省しますm(__)m

私、優しい言葉が苦手なので。(^^;

過去に何人も人を傷つけていますからm(__)m

17時間前 No.586

かりんとう ★Android=YktXEU8sKw

古いからが理由の否定なら反対ですな。
流行より普遍に価値を見るので。

17時間前 No.587

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

例えば、神の仕業にはどんなものがありましたか?

神が普遍なら神の仕業も今なお神の仕業でなくてはなりません。

17時間前 No.588

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

>>587
古い上に恨みがあるのは問題だと思います。

17時間前 No.589

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

>ゆみさん

>これからも、気兼ねなくどんどん書き込んでください♪

ありがとうございます。それではお言葉に甘えて少々私の考えを。

実は、私は宗教に対して信心深いわけではないのですが、宗教観というものに対しては「古い」と一蹴するにはもったいないと感じ始めているのです。
というのも、宗教の中には人間というものが神によって選ばれたという選民思想的なものと、自然そのものを神とし、自分たちが神の中にいるという共生思想的なものに分かれる気がするのです。
日本の古来の宗教、すなわち神道はほぼ間違いなく後者であり、それ故に「境界」を重要視しているのですね。
神の済む領域に自分たちの済む領域をつくったのか借りたのかは分かりません。ただ、自然を神としている以上、自然を征服したとは捉えていないのですよね。
あくまで自然とは尊敬と脅威の2概念が入り交じった存在と捉えている感じが見受けられるのです。
自然と人間の今後の接し方は人類の今後も考えると、上記のようなものが望ましいのではないか。
そうすると、宗教観そのものというのは信じる信じないはともかくも、一刀両断にするには時期尚早かなと思うのですね。

16時間前 No.590

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>552 クレーマーさん、

>ニーチェのいう「神」というのは「人間の生きる理由」だね。

>人間は、いつのまにか神を殺してしまっていて、危機に陥り、他に生き甲斐を探したんだけども結局何も見つからない。それが、ニヒリズムの時代が続く、ということだ。ニヒリズムを克服するためには「超人」になるしかない、とニーチェは言ったんだけど、その過程はすごく過酷で、いまだにその影すら見えない。


いろいろ教えて戴き ありがとうございます。
でも、ちょっとわからない点がありますので、もう少し教えて下さい。
「人間は、いつのまにか神を殺してしまっていて」とのことですが、これは何の比喩でしょうか?
世界人口の約9割は未だに何らかの信仰を持っており、先進国の中でも「神は居る」と信じる人の割合が8割を超えている国も多いです。過半数の人が「無宗教」と答える日本でも、ほぼ毎年初詣に行く人の割合は85%以上です。
これらの現状を踏まえると「神はまだ死んでいない」のではないでしょうか?
「神が死んだ」というのは、何を表しているのでしょうか?

ニーチェの言う「ニヒリズムに支配された世界」って、私から言わせると「弱肉強食の“動物の世界”」のようです。人類は 「神のメソッド」である“宗教”を与えられているのですから、敢えてそれを放棄して「超人と末人の世界」で生きなければならない理由がわかりません。

16時間前 No.591

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>588

>例えば、神の仕業にはどんなものがありましたか?

>神が普遍なら神の仕業も今なお神の仕業でなくてはなりません。


神は、この世を創りました。その際にこの世の理(ことわり)を創りました。“この世の理”は今なお継続中です。


#ちなみに私は、この世やこの世の理が生じた原因を「神」と呼んでいます。科学の発展により「神」はやがて可視化されるでしょう。

16時間前 No.592

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

・神が死んだ世界においては、人間は超人か末人として生きるしかない。
・超人となるのは大変である。ニーチェですら発狂するほどに大変である。
・大抵の人は、ニーチェほどの精神力を持たない。
・従って、人類の殆どは末人として生涯を全うするしかない。

もし上記が事実なら、何ゆえ信仰を捨てるのか?

15時間前 No.593

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

志野さんへ

 自然に対する尊敬と脅威の念は持っていた方が良いというご意見ですね。なるほどです、ありがとうございます。

 しかしながら先述したように( >>573 )、アインシュタインの「自然はすべて数値化でき共通する数式で表現することができる」という論が
 本当に実証されると、自然に対する尊敬と脅威の念がある種、損なわれるような、そんな未来が来るのではないかと勝手ながら予測して
 おります。

 そうなると、ますます神の存在が不要になってきて、人間が上位の存在を感じることによって得られていた謙虚さなども
 損なわれてくるのではないかと思います。

 こうなった時に、宗教ではもう間に合わない。

 新しく系統だてられた価値観をなんと呼ぶのかはまだ知りませんが宗教ではないカテゴリーが登場せざるを得ないのではないでしょうか。

 今は宗教内での紛争などがありますが、新カテゴライズされた何か、と従来の宗教の間で紛争が起きるようになるかもしれません。

 ここまで話すと、かなり眉唾で怪しい話になってしまっているのですが、まあ、そこまでの未来のことはさておいても、
 神という概念が神として機能しなくなる日も近いと思っています。


 そしてもう一つの問題は、宗教の教えによって、そもそもが生きづらさを感じているのに、もっと生きづらさを感じて生きていかなくては
 ならない点です。

 ニーチェは人間のパワー(権力も含む)に、素直であるべきだと説きました。

 私は、生き易さや生きている心地を良くすることに素直であるべきだと思います。
 よって、宗教は不要と考えます。

 言い切ってしまいましたが、志野さんを不快にさせるために書いたものではありませんので、ご了承ください。

15時間前 No.594

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_tZH

面白い話の途中ですが、そろそろ寝ます。レスポンスは明日になりますが、あしからず。

15時間前 No.595

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

もしこの世がニュートン力学で支配されているのだとしたら、この世は無限の時間の中で有限のものが動いているだけの「永劫回帰する世界」となる。そうなると、聖書の創世記の記述は「ウソだった」ということになる。
しかし、この世界観はとても古い。今は (神が「光あれ」と言ったかどうかは さておき) 、突然光が生じてこの世が生まれた という考え方が主流である。この場合、創世記の記述と矛盾しない。
だったら、神を殺さずに生かしておいた方が賢いのではないか?

人間は愚かだ。人間の作ったしくみはやがて腐敗する。だから「組織改革(宗教改革)」は定期的に必要だ。しかし、神まで殺す必要はない。

15時間前 No.596

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

ゆみさん
Mobiusさん

あなたたちの主張を聞いて質問です。

神は存在するが神ではない。

詳しく言えば、神という存在はきっとあるだろう、しかし人類の信仰している神という形のものではないだろう。

と言う意味なのですが、これはどう思います?

14時間前 No.597

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>597 minaさん、

>ゆみさん

>Mobiusさん

>あなたたちの主張を聞いて質問です。

>神は存在するが神ではない。

>詳しく言えば、神という存在はきっとあるだろう、しかし人類の信仰している神という形のものではないだろう。

>と言う意味なのですが、これはどう思います?


今までの流れを踏まえるなら、

“Mobiusのいう神”は存在するが、それは“ゆみのいう神”ではない。

というような意味でしょうか?

9時間前 No.598

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

>ゆみさん

>アインシュタインの「自然はすべて数値化でき共通する数式で表現することができる」という論が
>本当に実証されると、自然に対する尊敬と脅威の念がある種、損なわれるような、そんな未来が来るのではないかと勝手ながら予測して
>おります。

それは仰るとおりだと思います。私もそんな未来を予測しています。
ただ、私はここでいう思想は主に西洋の、もっというならば、選民思想的な発想を持つ宗教観だとこうなる気がするのですね。
神=人間も自然も超越した創造主的存在と捉えるので、自然と人間はいわば同等。そこにはただ強弱が生じかねない危険な関係にあるわけです。

しかし、日本などの宗教観は神を自然の中に求めることで、神=自然と認識できるわけです。


>新しく系統だてられた価値観をなんと呼ぶのかはまだ知りませんが宗教ではないカテゴリーが登場せざるを得ないのではないでしょうか。

これはゆみさんに怒られるかもしれませんが、乱暴に言うと、このカテゴリーに「自然=神」とする宗教観を持ってきてもいいのかなと考えるわけです。
宗教観がもしダメであれば、観念としてもかまいません。
西洋も以前は日本などと似て、自然超越ではなく自然との調和の中で思想を繰り返していたので、そこへの原点回帰的な方法が必要とされている気がするのですね。


すいません、一応ここまでで切ります。
後ほど書き加えることがあるかもしれません。

8時間前 No.599

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>566 SumioBabaさん、

>SumioBabaの定義はこうです。「宗教」=「ある○○○について「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできないくせに、独断的に「○○○である」こそが真なのだと真理を片方だけに限定してしまい、それを信じることを人々に要求するもの」。「信仰」の定義はこうです。「信仰」=「ある○○○について「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできないくせに、独断的に「○○○である」こそが真理なのだと信じてしまうこと」。


宗教の対象である“神”は そもそもメタ的な存在であるため、実証や反証の対象ではありません。要は「信じる」か「信じない」かです。

信仰は、自らの意志で「信じる」を選択するものであって、無自覚的に「信じてしまうもの」ではありません。

もちろん、無自覚的に信じてしまって それ以外の可能性を強く否定する人 が全く居ないとは言いませんが、それだけが信仰者の態度ではありません。


>SumioBabaは「宗教」否定派なので、「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできない場合、どちらの可能性も否定しません。


実証もしくは反証できないものの全てを「不定」としてしまうと、生活に支障が出ませんか?
もちろん、議論参加者として そういう態度を心掛けている というのは立派だと思いますが、生身の人間としては 現実的な態度ではないと思います。

7時間前 No.600

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>568  minaさんへ

>ではこんなのはどうですか?

>神は存在する、しかし神ではない。


>>597  minaさんへ

>神は存在するが神ではない。

>詳しく言えば、神という存在はきっとあるだろう、しかし人類の信仰している神という形のものではないだろう。

>と言う意味なのですが、これはどう思います?


 この点には賛成です。皆さん、そもそも「神」の定義が不明なので、議論が噛み合っていないように思います。ゆみさんが否定されている「神」は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などに基づいた近代科学以前の「神」のように感じます。それだったら確かに「神など存在しない」「神は不要だ」に同感します。しかしMobiusさんが主張されているように( >>544,551,592,596 )科学の進歩に伴い、また違った形で全知全能の「神」の存在が浮き彫りになっているように感じます。特に量子力学の多世界解釈がそうです。

 ちなみにSumioBabaによる全知全能の「神」の定義は「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」です。「唯物論」「観念論」「物心二元論」などいろいろな世界観が有り得ますが、どれが正しいと言えるものではなく、世界を記述する方法にいろいろ有るというだけだと思います。それゆえ好きなものを選んで良いのであり、SumioBabaは「観念論」の一種と思われるライプニッツの「モナドロジー」を選びます。つまり、「客観的物質世界」なるものは実在せず、存在するのは個々の心M0、M1、M2、M3、…だけとなります。

 「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…それぞれがa「存在する」+b「存在しない」(aとbは不明)であり、「存在する」または「存在しない」または「存在する」+「存在しない」のどれかである」が最終的結論です。これもまた、すべての可能性を網羅した上で、その中のどれかが正しいと主張するだけですから、証明の必要も無く恒真(トートロジー)です。逆にこれを否定する方が、真理をすべての可能性からその一部だけに限定することになるので、立証責任を負うことになりますが、証明は不可能でしょう。現在の自分の心をM1とすると、確実なのは「M1にとってM1は確率1で存在する」(我思う、ゆえに我在り)という自己認識(独我論・独今論)だけであり、他の心の存在は実証も反証もできないという在り方をしているからです。

7時間前 No.601

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

SumioBabaさん

確かに、私も考えます。

神の存在と同じぐらいに、意識の存在とはなにかと。

なぜ自分と他人がいるのだろう。

意識とは物質なのだろうかと。

意識とは、魂とは。

6時間前 No.602
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