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この世が三次元体であることが疑わしい。

 ( 議論掲示板 )
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アリス ★Android=0zhRaQyQrA

立方体をどれほど見たり触ったりしても、見たり触ったりしているのはその立方体の表面でしかなく、「奥行き」を実感することはできない。

どんな音を聞いたとしても、どんな匂いを嗅いだとしても、どんな味を食べたとしても、その音や匂いや味は瞬間の連続でしかなく、全体(⇒奥行き)を認識することはできない。

そう考えると、五感に入る情報は全て二次元的なもので、三次元として確立されて入る情報は皆無と言える。

では、この世が三次元であるということをどうやって認識すれば良いのだろう?
もし、この世に奥行きというものは存在しないのだと言われても、私はそれを否定することができない。
本当の意味で、奥行きを実感したことがないからだ。

異論や反論があれば聞かせて欲しい。

2年前 No.0
ページ: 1


 
 

エンドリチェ ★e0FiODHx8q_Ew9

「本当の意味で奥行きを実感したことがない」という表現は何にたいする疑問なのだろうか。
知覚とは、感覚器官に入る情報の統合が表象として脳内に現れるところのものであるが、その感覚に従えば、三次元は三次元として、二次元は二次元として知覚される。その知覚の、三次元として感じられるものが三次元として認識される、と一般的には表現されるが、その感覚が三次元ではないと言うならば、アリスさんにとって三次元の認識は不可能であり、それの意味するところは、一般的な表現としての三次元を三次元と認識出来ないという事で、その時点で三次元という表現の認識の違いがあるのであるから、他者との議論は不成立になってしまうのではないだろうか。
つまり、アリスさんが「本当の意味で奥行きを実感した事がない」と表現するものは、他者にとっては「奥行きの実感」にあたると思われる。

なんだかつまらない意見で申し訳ない。

2年前 No.1

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

まず認識の話だが、二次元とは「線(⇒一次元)」が無数に重なり「面」が認められた状態を指し、三次元とは「平面(⇒二次元)」が無数に重なり「奥行き」が認められた状態を指していると私は思っている。
専門的に見れば少し解釈の違う部分はあるかもしれないが、一般的な三次元の意味の捉え方としてはおおよそ他の人と同じ認識だと思う。

私が疑問なのはここからで、前述の通り人間の視覚や触覚は物体の表面しか認知することができないため、その物体の奥行きを認知することが出来ない⇒その物体が三次元であると言い切れないのではないか、ということだ。

エンドリチェさんは三次元を知覚することができると言うが、それはあくまでも表面の屈折によって"立体感"を知覚しているに過ぎず、三次元(⇒奥行き)を知覚しているわけではないと私は思うのだ。
極論かもしれないが、市販の牛乳パックの全ての面を見たり触ったりすることで立体感を感じることができたとしても、牛乳パックの中の牛乳を見たり触ったりすることはできないはずだ。それはつまり、牛乳パックの表面しか認知できていない(⇒二次元的な捉え方しかできない)ということだろう。


それはさておき、少し、エンドリチェさんに質問をします。
もしあなたが本当の意味で三次元を実感する時があるとすれば、それはどういう時ですか?
視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚のどれでも構いません。

※警告に同意して書きこまれました (性的な表現)
2年前 No.2

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

ええ……別に性的な表現してないつもりなのに警告された……

2年前 No.3

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

さては、「牛乳」の乳の字に反応したのかな。
もしそうならなんだか少し過敏な気がするけど、過敏に反応しなければならないほど風紀を乱すやつが過去にいたということなのだろうか。迷惑なやつだ。

2年前 No.4

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=zGj70av6qp

二次元世界の人間から見た世界は恐らく一次元的に知覚されると思うんだが。
つまりその次元の一つ下の次元を知覚出来るってことで、二次元を知覚しているならばそこが三次元である証じゃなかろうか。

2年前 No.5

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

私が二次元世界を想像する場合、紙に描いた絵のようなものを想像する。
この世に於いて平面の中でのみ存在する世界といえば、マンガや絵画などが挙げられるためだ。
きっと、3マイルさんも同じだろう。

ここで3マイルさんに考えてほしいのは、人間が視覚によって認識している世界は二次元が展開されている世界であるということだ。
つまり、想像上の二次元世界にいる人間と、私から見た他人というのは全く同じ性質なのだ。
加えて、その他人から見た私も、二次元で作られた私であるはずだ。

となると、二次元世界の人間(傍観者が見て平面上に存在していると認識される人間)が知覚しているものは、同様に二次元的になるのではないだろうか。

>二次元世界の人間から見た世界は恐らく一次元的に知覚されると思うんだが。

というのは、紙を横から見ると線になることから生じる錯覚ではないかと思う。

2年前 No.6

みたのしきま ★vwFTarlwjr_Qc5

数学的に、

線分面積はゼロ

その積分が2次元 面積

更にその積分が3次元  体積

2年前 No.7

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=F3D55IxJcG

>紙を横から見ると線になることから生じる錯覚ではないかと思う。


いろいろすっ飛ばして悪いが、結局これだろ。物体を横から見ると面になることから生じる錯覚。

2年前 No.8

シュヴァルツ @diablo ★iPhone=DWy3FzcfMu

表面しか認識してないから三次元を認識できていないというならば変な話だと思う。二次元とは2方向への広がりを表すものであり、三次元とは3方向への広がりを表すものだ。例え表面しか認識していなかったとしてもそれが3方向へ広がっていたとしたら三次元を認識していることになると思う。

2年前 No.9

エンドリチェ ★Lv8uWqilw8_Ew9

アリスさんが「瞬間の連続」と表現するものの中に、私の三次元の実感は存在します。

「感覚を細分化し、一つ一つを取り上げると単調な信号なのだから、それらの集合を三次元と呼ぶのには違和感がある」という趣旨の事がおっしゃりたいのだと思いますが、その感覚の集合を事物の実態として捉えるのが一般的な解釈であり、アリスさんが「瞬間の連続」と表現するものの中にこそ、一般的な意味での三次元の実感が存在しているのだと思います。

正確に表現するなら、人間は二次元を知覚した事がない。非常に薄く見える紙も、紙の上のインクも、全ては三次元の立体構造を有しているが、その構造物を人間は「二次元である」と規定する。つまり、二次元という状態は我々の知覚出来る世界には存在しておらず、ただ二次元という概念と、それを規定する解釈のみが存在している。

2年前 No.10

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

>>8

3マイルさんの想像している二次元世界と、3マイルさんが視覚で捉えている三次元世界の違いはありますか?
私にとってその二つに明確な違いはなく、どちらも二次元的に展開されています。


例えば私が誰かと見つめ合った場合、どちらも相手を二次元的捉えており、そこから考えると、私が今こうして感じているこの世も立派な二次元世界と言うことができる。

>二次元世界の人間から見た世界は恐らく一次元的に知覚されると思うんだが。

というのは誤りであると感じる。

2年前 No.11

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

>>9

物体の表面しか認識できなければ、その物体が3方向へ広がっていることも知り得ないのではないか、というのが私の意見である。

>>10

「単調な電機電気信号だから〜」というよりも、「平面的(⇒二次元的)な捉え方しかできないから〜」というのが私の意見。

あと、「瞬間の連続」はあくまで二次元的な展開が連続したものであり、人間は物体の"奥行き"を知覚することはない、という理由から、私は"瞬間の連続"を三次元ではないと主張している。
その主張を否定するのであれば、「奥行きを知覚しているはずだ」というような意見に根拠を交えて否定してほしい。
エンドリチェさんの意見を根本から否定するようで申し訳ないが、その"一般的な解釈"を懐疑することこそがこのスレの趣旨であるため、「それが一般論だから」で済まされるような結論にはできるだけしたくないのだ。

>正確に表現するなら、人間は二次元を知覚した事がない。

私はもともと、二次元を知覚したことがあるかどうかではなく、知覚したものが二次元だからどうだという話で議論を展開していたはずだ。
確かに、この世に二次元的な構造を持つものはなく(影などは二次元的だが)、おおよそ全ては三次元的な構造で成り立っている。
しかし、人間はそれら三次元的な構造を持つ物体全てを平面(⇒二次元)的な情報として知覚されている、ということがこのスレの議論の前提である。

2年前 No.12

エンドリチェ ★1D8qHPoSFS_Ew9

例えば、手が平面的な物体に接した時に感じる平面的な感覚を平面感覚たらしめてるものは、手にある無数の感覚器官から発せられる「単調な電気信号」の集まりである。その単調な電気信号の集まりを脳内で平面的であると規定することによって、この単調な電気信号の集まりを「平面的である」と認識する。「平面的な捉え方」と感じられる感覚は、細分化された「単調な電気信号」、つまり一次元的感覚の集まりだと定義出来、その意味では、二次元的なものも三次元的なものも、単調な電気信号の集合を人間の定義した概念に則して表した言葉にすぎない。

アリスさんがいう瞬間の連続を構成する「二次元的な展開」というものも、単調な電気信号の集まりを、アリスさんがそれを二次元的だと規定しているにすぎず、アリスさんのいう瞬間の連続の中で三次元の実感は存在している、というのが一般的な解釈である。

この世のありようは三次元である、という話を出したのは、アリスさんが二次元と感じているものは定義によってのみ存在しうるのだと伝えたかったからで、アリスさんのここでの問題提起も、ただ定義の違いによる言葉の組み合わせ問題ではなかろうかとの疑念を抱いたからです。

アリスさんが、奥行きを知覚することはない、と表現するのは、感覚を視覚だけに限った場合での話ではないだろうか。視覚によって得られる情報だけでは、それが二次元なのか三次元なのかを判断するのは難しいが、触覚を加えると、それがテレビ画面ではないことが知覚出来、この状態を一般的には、奥行きを知覚する、と表現する。上記例でいうと、奥行きを知覚するとは、牛乳パックの立体感を感じる事で、牛乳パックの中身を同時に知覚する必然性は認められない。

ただしこれらは一般的な話であり、アリスさんが何に対して疑問を持っているのかがいまいち把握しきれていません。

2年前 No.13

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=F3D55IxJcG

>>11

>>8 これはスルーかよ。
お前言ったろ、2次元の人間から見た2次元世界は、錯覚で1次元のように見えてしまうって。だから3次元の人間から見た世界も錯覚で2次元っぽく見えるだけで実の所は3次元だって言ってるんだよ。
自分で自分を論破しちまったんだ。

2年前 No.14

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

>>13

あなたの主張に対する応答も私の疑問もおおよそ前述されているものの繰り返しに当たるので、このスレ内にあるやり取りを何べんか読み返してほしい。
それでもわからないと言うのであれば、もっとわかりやすく答えることにする。

>>14

揚げ足を取るかのようで悪いが、私はそのような意図で発言していない。
改めて言えば、「(この世界に於いて)紙を横から見ると線になることから、それと同様に、二次元世界の人間の知覚が一次元的であるという錯覚をしているのではないか」という旨だ。
前述の通り、私は二次元世界の人間の知覚も二次元的に現れると考えているので、それに対しての反論をしてほしい。

2年前 No.15

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=F3D55IxJcG

「(この世界に於いて)立体を横から見ると面になることから、それと同様に、三次元世界の人間の知覚が二次元的であるという錯覚をしているのではないか」

こう言うことを言いたいんだがわかるか?

お前が言っているように2次元世界の人間の認識は2次元だよ。だから3次元世界の人間の認識も3次元だろって言ってんの。

2年前 No.16

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=F3D55IxJcG

これ絶対何処かに認識の齟齬があるぞ

2年前 No.17

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

「人間は立方体の"奥行き"を認知できないため、立方体は横はおろかどこからどう見ても面(⇒二次元)でしかない→私やあなたが生きるこの世は二次元世界ではないか
」というのが私の意見。
あなたはこの世が三次元である、延いては立方体は三次元の物体であるという前提でそのような意見を主張しているが、今回の議論はその前提を懐疑することに旨があるため、その前提を主張するのであれば相応の根拠を述べてほしい。
繰り返しになるが、私はこの世を二次元世界として認識している。
なぜなら、人間の知覚は全て二次元によるものであり、立方体や音、匂い、味の"奥行き"を認知できず、三次元体として捉えることができないためだ。

2年前 No.18

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=F3D55IxJcG

>>18
ここが2次元世界なら認識は1次元になるんじゃねーの?

2年前 No.19

エンドリチェ ★A2Qc8widn7_Ew9

たしかに何か認識の齟齬がありますね。わかりやすくするため私の意見や疑問点を箇条書きにします。

1、「五感に入る情報は全て二次元的なもので、三次元として確立されて入る情報は皆無」という箇所は間違っています。
五感に入る情報は二次元的なものではなく、単調な電気信号であり、ここの主張に合わせるなら「一次元的な情報」だからです。

2、「この世が三次元であるということをどうやって認識すれば良いだろう?」という疑問は、上記1の意見に沿って考えると、「単調な電気信号の集まりを二次元と認識するのと同様の仕方で、単調な電気信号の集まりを三次元と認識すれば良い」と答える事が出来ます。

3、「この世に奥行きというものは存在しないのだと言われても、私はそれを否定出来ない」という意見に対しては、「触る事によって奥行きの存在は確認出来るのではないか」と反論します。

4、「本当の意味で、奥行きを実感したことがない」というのが上記3で満たされないのであれば、どのような状態をさしているのかが不明です。

5、「”立体感”を知覚」と「三次元(奥行き)を知覚」という2つの表現は、一般的には同じ事をさしますが、アリスさんはその2つを別の状態であると主張しています。その2つの違いが私には不明瞭ですので、追加の説明をお願いしたいです。

6、 >>6,11 については、感覚を視覚のみに限った場合の話なので、「視覚以外の感覚も加えよ」という非常に簡単に答えで解決出来ると思います。

2年前 No.20

エンドリチェ ★xTbGLoifAB_Ew9

>>18
「人間は立方体の”奥行き”を認知出来ない」と、 >>2 の「牛乳パックの中を見る事が出来ない」とは同じ事をさしているのだろうか。つまり「奥行き」というのは「中身」という事だろうか。

2年前 No.21

みたのしきま ★0bL4Sj6CsP_Qc5

単眼性の奥行き認知

相対的大きさ…対象の大きさを知っている場合には、見えている対象の大きさを手がかりに、その対象までの距離を推測することができる。
重なり…ある対象が別の対象の一部を覆っている場合には、覆われている対象が奥に知覚される。
線遠近法…平行線は遠ざかるほど、その幅が狭くなり、一点に収束する。
大気遠近法…遠くにある対象は、ぼやけたり色がかすんで見えたりと、明瞭度が低下する。
きめの勾配…床や天井など、一様な模様が広がっているとき、遠くにあるほどきめが細かくなる。
運動視差…移動している観察者が、ある対象を注視しているとき、注視対象よりも遠くにある対象は、観察者と同じ方向に移動しているように見え、注視対象よりも近くにある対象は、観察者とは逆方向に動いているように見える。
この他にも、陰影や濃淡、水晶体の厚さの調整量などが、奥行きの手がかりとなる。

両眼性の奥行き認知

輻輳…両目で一点を凝視するときに両視線が交わる角度を輻輳角を呼び、凝視点が近くにあるときには、この輻輳角は大きくなり、凝視点が遠くにあるときには小さくなる。このときの動眼筋の緊張度が奥行き手がかりとなる。
両眼視差…人間の眼は左右に離れてついているので、一つの対象を両目で見ると、左右の目の網膜には少しずれて投影される。このずれを両眼視差、または両眼網膜視差と呼ぶ。この両眼視差を脳内で処理することで、対象を奥行きのある立体像として知覚

2年前 No.22

Miiro ★17UeN13iUM_DpT

普通の感覚で考えると、
階段を上る、跳躍する→世界が立体でそれを人が認識しているからこれらの行為が存在する。
おにぎりはがっつりした食感、お寿司はふわりとした食感・味覚(シャリの中央は職人があえて空間を開けて握っている)、硬いおせんべい、やわらかいシュークリーム→立体だから実現する食感・味覚
通常の映画は平面的、3D映画はよりリアルに立体的→視覚は尺度をもって立体を認識している

という風に立体である3次元を五感で認識していると思いますが、スレ主さんのおっしゃりたいことはそれとは違うのでしょうか?

2年前 No.23

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

>>19

その主張の根拠を述べてください。

>>20

>1

知覚として捉えたものが二次元的であるという意見が前提となっている議論なので、その知覚の大元である電気信号が一次元的であるかどうかというのは今回の議論では関係がない。
もしその部分を反論をするのであれば、「知覚として捉えているものは二次元的ではない」という旨にするべきだろう。

>2〜5

「市販の牛乳パックをいくら見ても触っても、牛乳パックの表面(⇒二次元)しか認識することができない。」
これは前述したものだが、今回はこれをもっと詳しく言うことにする。
@この牛乳パックは、紙(便宜上、二次元とする)を組み立てて作った立方体(便宜上、三次元とする)であり、ハサミで接着部分を切れば元の平な紙(⇒二次元)になる。
それを前提とし、ここに組み立ててある牛乳パック(⇒三次元)とハサミで接着部分を切って平な紙になった牛乳パック(⇒二次元)の二つの状態の牛乳パックがあるとする。
Aまた、この二つの牛乳パックは、組み立ててあるかどうか以外に明確な違いはない。
以上を元に、立方体の牛乳パックの任意の場所を触ってみる。
B立方体の牛乳パックと紙の牛乳パックに明確な違いはないため、その行為は紙の牛乳パックの任意の場所を触っていることと同義であると言える。
Cなぜなら、この場合の行動や知覚として入る情報は立方体の牛乳パックでも紙の牛乳パックでも同じだからだ。
Dでは次に、肝心の組み立ててあるかどうかという違いについて述べるとする。
組み立ててある状態、立方体の牛乳のことを三次元とするならば、牛乳パックの中には空間ができていると言えるはずだ。
Eしかし、人間は立方体の牛乳パック(⇒三次元)のどこを触っても、表面しか触ることができない。
Fそのため、人間はその"空間"を認知することができないと言える。
Gこの"空間"こそが私が言っている"奥行き"である。
Hちなみに、私の言う立体感とは紙の牛乳パックを折り曲げ組み立てた際の屈折のことである。
Iこの屈折があることにより、人間は立方体であると認識しているのだ。

私も意見を箇条書きにしてみたので、疑問点や反論のある部分には参考として応答のどこかに番号を載せてほしい。

>6

わかりやすく言うために視覚以外を省略しただけなので、わざわざ加える必要はない。
知覚は全て二次元的であるという主張はすでに >>0 で述べてあるので、それを応用して自分で考えてくれれば良い。
極端に言えば、視覚以外のものも同じであるという前提で私は意見を述べているため、視覚以外の感覚に於ける矛盾や指摘があるのであれば、「聴覚の場合はそうではなく〜」というように主張を行ってくれてかまわない。
もしそれでも加わった状態でなければならないと言うのであれば、かなりの手間だが加わった状態の主張を改めて述べることにする。

※警告に同意して書きこまれました (性的な表現)
2年前 No.24

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=zGj70av6qp

>>24

>>6 のここ

>>二次元世界の人間から見た世界は恐らく一次元的に知覚されると思うんだが。



>というのは、紙を横から見ると線になることから生じる錯覚ではないかと思う。


錯覚的に一次元に見えるってお前が言ってる。
だから俺は二次元に見えるのも錯覚だって言っている。
アンダースタン?

2年前 No.25

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

>>21

そう。

>>23

仮におにぎりやおせんべいが三次元体の物体だとしても、味覚やその他の知覚はその物体による情報全てを二次元的に捉えている。
これは他に挙げてくれた例えにも言えることで、人間はどれひとつとして三次元的な捉え方をすることはできない。
そのため、その例えに挙げられたものが立体であると言い切ることはできない。

2年前 No.26

アリス ★Android=tvAEg8tIvY

>>25

揚げ足を取るかのようで悪いが、私はそのような意図で発言していない。
改めて言えば、「(この世界に於いて)紙を横から見ると線になることから、それと同様に、二次元世界の人間の知覚が一次元的であるという錯覚をしているのではないか」という旨だ。
前述の通り、私は二次元世界の人間の知覚も二次元的に現れると考えているので、それに対しての反論をしてほしい。
(コピペ)


繰り返し言いますが、私は二次元世界の知覚が一次元的であるとは思っていないので、よろしければあなたにとっての根拠を述べてほしいです。

2年前 No.27

3マイル @sissel☆10WKaUtZNWU ★iPhone=52Y6UyvSxp

>>27
錯覚って字が書いてあるのが分かるかい?

2年前 No.28

エンドリチェ ★8k9l9CSuLr_Ew9

>1において私が主張した事は非常に重要だと思います。

「知覚として捉えたものが二次元的である」とは、知覚の一部分だけを取り出した表現であり、その知覚の一部分に他の知覚の一部分も加えたものが「三次元的」なものになります。つまり、アリスさんの全知覚のどの部分を取り出すかによって違ってくる言葉の表現の違いの問題だと思われます。
例えば、アリスさんの視覚と触覚とその感覚の時間的連続性を合わせたものが「三次元的なもの」です。
例えば、アリスさんの視覚のその感覚を瞬間的に取り上げたものが「二次元的なもの」で、これがアリスさんが主張するものの正体です。
例えば、アリスさんの感じる感覚を細分化して取り上げたものが「一次元的なもの」で、アリスさんが二次元的なものと表現するものや、私が三次元的と表現する状態も、細分化すれば「一次元的な感覚の集合」と定義できます。

知覚の一部分だけを取り出し思索すれば違和感を覚える事はあるでしょうが、認識とは知覚の集合によってなされており、よって二次元や三次元というものも複数の知覚の集合によって認識されます。
アリスさんが「全てを二次元的に感じる」と表現する事は可能であり「全ては一次元的に感じる」と表現する事も出来ますが、それは知覚の一部分だけを取り出した表現であり、全知覚の区分をどこに置いて表現するかというだけの問題だと思われます。

3、「立方体の牛乳パックと紙の牛乳パックに明確な違いはないため〜同義である」。という箇所は同意出来ません。
両者は、視覚において形も違いますし、触覚においても立体感(屈折?)の違いが感じられます。

7、「その”空間”を(同時に)認知出来ない」という箇所に同意いたします。
走る車が郵便ポストを横切った際,視覚的には車の中に郵便ポストが存在してるように見えますが、だからといって車の中に郵便ポストが存在しているとは思いません。なぜか。脳によって隠れた部分の補完が行われるからです。
同様に、立体的な牛乳パックと中身が同時に知覚出来ないからといって、その中身の空間の存在を疑うような事はありません。その中に空間が存在していると脳が認識しているからです。
その認識が疑わしいという事を主張されたいのだと思いますが,その疑義は一般的には理解されない類いのものだと思います。

2年前 No.29

エンドリチェ ★W41ijpTJwW_Ew9

「視覚」「触覚」における「奥行き」の正体は「中身」だと判明しましたが、「聴覚」「嗅覚」「味覚」における「奥行き」とは何の事ですか?

2年前 No.30

★vLQCyXzcms_Qc5

>>24  アリスさんへ

>@この牛乳パックは、紙(便宜上、二次元とする)を組み立てて作った立方体(便宜上、三次元とする)であり、ハサミで接着部分を切れば元の平な紙(⇒二次元)になる。


この便宜上と言う前提が、話しがややこしくなる元なのかなと思えますね。

紙は厚みがありますので、三次元の物質ではないですかね?それをどのように組み立てようが、展開しようが、三次元の物質でしょう。

もしもこの三次元の世界に二次元のものが現れるとしたら、それは三次元の世界にのみ現れているように見えているだけだと思いますが。

2年前 No.31

★9kzaTgYriq_Qc5

仮に、二次元での牛乳パックが見えているとしましょう。

二次元での紙は厚み(高さ)がありませんので、三次元世界でいう紙ではありません。三次元世界でいうところの紙のように見えているだけのものだと思います。ですので、その二次元の紙で牛乳パックを三次元的に作ると言うことは不可能だと思います。ですが、出来上がった牛乳パックを三次元的な映像として映し出すことは可能だと思われますね。それには厚みがありませんので、手で触れようとすると、その手はその二次元の牛乳パック(映像)を素通りするのではないでしょうか。

つまり、少なくともその面に手で触れることが出来る(触覚)と言うことは、そのものが三次元の証だという事ではないでしょうか。(その面に厚みがないもの(二次元のもの)であれば、無抵抗で何の反発もなく、何の触感もなく、触ろうとしたその手は、見えているその牛乳パックを素通りすると言う事ですね)

例えばその紙を、縦(200o)・横(100o・高さ(1o)だとすると、仰る「奥行き」をどれに当てはめても良いと思いますが、もしも奥行き(厚み=高さ)がないのであれば、手で触れることが出来ないという事です。つまりは、それは映像だと思います。

>>0

> 立方体をどれほど見たり触ったりしても、見たり触ったりしているのはその立方体の表面でしかなく、「奥行き」を実感することはできない。


そして、上記の「見たり触ったりしているのはその立方体の表面でしかなく」と言う事は、触れていますので、厚み(奥行き)があるという事です。ですので、それ(立方体)は三次元の物質ですね。

2年前 No.32

★9kzaTgYriq_Qc5

>>32  失礼しました。訂正です

>例えばその紙を、縦(200o)・横(100o・高さ(1o)だとすると、




例えばその紙を、縦(200o)・横(100o)・高さ(1o)だとすると、

2年前 No.33

★R2NtMO20hf_Qc5

>>0

>異論や反論があれば聞かせて欲しい。


例えば、この世界が本当は、現世界で表現するところの二次元だと仮定しましょう。つまり、現在の通常の定義での二次元の世界だという事です。

そしてこの世界(二次元)では、全てが立体に見えています。勿論、見ている本人も二次元の存在です。全てとは・・教会も、行き交う車も、街並みも、朝の日差しも、原発も・・・三次元の世界と同じように見えてはいますが、全てが二次元だという仮定です。そしてこの世界(二次元)の住人は、この世界(二次元)から抜け出すことが出来ません。

この場合、物に触れることも美味しい料理の味も、美しいハープの音色も小鳥のさえずりも、バラの香りも感じています。ですが、この世界は、二次元です。

この時、何が本当なのでしょうか?本当は・・・何も存在しているとできるものはなく、同時に全てが存在しています。しかし、この世界(二次元)の住人は、全てが存在していると思い込んでいます。ですので、全てが本当だという現実です。

勿論、三次元世界から判断すると、そこに現れた二次元の世界のコーヒーカップは、持ち上げて口元に運び、コーヒーを飲むことはできません。ですがここは二次元世界、それが可能になります。コーヒーカップを持ち、それの香りを楽しみ、飲むことができ、それにより体が温まってきます。

全てが幻想ですが、そこの住人達には、全てが体感できる現実です。まるで夢の世界ですね。

昔の映画の一シーンのようです。夢と現実の境目は、誰がどのように定義するのか?現実は本当に現実なのか?現実と呼ぶこの世界では、実際にコーヒーカップは持ち上げることが可能で、それが床に落ちれば、砕け散る・・・この事をもって本当の世界・現実と呼ぶのでしょうか?

先に仮定した二次元の世界でも、そこの住人は、朝のコーヒーを楽しみます。では、現実の世界とは、何なのでしょうか?

>この世が三次元体であることが疑わしい。


仮に、現在の五感・・音も色も、香も味も、手触りすら錯覚だとするのならば・・・もしかするとこの世界の住人は、本当は、自由に物質をすり抜けることができる、また、すり抜けるまでもない二次元や他の次元の住人の集まりなのかもしれませんね。

2年前 No.34

4296 @sinikulow ★Android=FkGm9j3FrW

じゃあ、三次元ってなによ?

2年前 No.35
ページ: 1

 
 
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