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よしなしごと

 ( エッセイ投稿城 )
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オゾン ★iPad=fFG6Mtfq9E

百科事典的でおよそ知識とはいえない知識をして読者に何を思わしめんとするか。左様な意図は抜きに私はただ思うことを述べるのみである。

3年前 No.0
メモ2015/11/30 00:49 : ★iPad-y9BDFHPZyp

前もって述べること


1.(上手く譬えられているかはさておき)創作した譬え話を入れること多し。

2.述べることは楽天的なようで、実は厭世観を基調としている。

3.はっきりと厭世観を表明するものについては、些か気を害する域に達しているかもしれない。

4.他の筆者に比べ、文章が読みにくいかもしれない。

5.およそ先入観を持たせるような記述に対しては、各々の持つべき批判的な眼識を省みて惑わされないように。

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オゾン ★iPad=J5yO0ASaY9

人間は「そうあるべき感情」というものを作り出してしまう癖がある。心底では会話するだに全くバカバカしい奴と思いながらも、それは上司であるとて自分は彼のことを尊敬しているんだ、と思い込む訳である。それは至って社会人に普く認められる心の動きだが、畢竟皮肉にも心労をもたらして精神を病む原因になっているのは存外知られていないものだ。

俗に言うアダルトチルドレン。最悪最低の親を持っていながらして、親を否定しようとはしない。
俗に言うドメスティック・ヴァイオレンス。夫に暴力を振られていながらも、妻は夫を否定しようとはしない。
何れも、自分が自分自身に対して訳なく罪責感を植えつけてしまうことになる。

この世は不条理の洪水とは、先ず人間の心のつくりが矛盾だらけであることからしても、言い做せることではないか。
しかし、それが分かるとさしてこの世が怖くもなくなるように感じないか。

3年前 No.8

オゾン ★iPad=9caI9JZKHL

読書で以て筆者の思想や経験の追体験をする。それでしか人間は賢くなれないのだろうか。

かくして何かを問い、それに対する答えを思索することもまた賢くなるための営為になり得るのではないだろうか。

博覧強記にしてさまざまな考え方を蓄えることで、問題に対する見方を増やし、多角的に思考することができるというのは、一般に賢いと言われる人間にあるべき要素と聞く。が、左様な人間は現実に見たことがない。およそ紋切り型の見方に囚われているものばかりである。

とはいえ、精神衛生上はそちらの方が良いとは思う。

3年前 No.9

オゾン ★iPad=J7dPe6yhla

名の知れた詩人や作家、小説家というのは、執筆に活力を奪われてしまうのか、若くして病に斃れる者や自殺する者が異様に多い。

日本では、芥川龍之介(35)、太宰治(38)、有島武郎(45)、金子みすゞ(26)、三島由紀夫(45)、川端康成(72)、等々が自殺。

正岡子規(34)や樋口一葉(24)、国木田独歩(36)、宮沢賢治(37)、新美南吉(29)、中島敦(33)、石川啄木(26、中原中也(30))などは死が早い。加えて夏目漱石(49)も比較的早い。

海外でもヴァージニア・ウルフ(59)、アーネスト・ヘミングウェイ(61)、ロバート・ハワード(30)、等々が自殺。
ギ・ド・モーパッサン(43)、ニコライ・ゴーゴリ(42)などは狂ってしまっている。
トーマス・ウルフ(38)、フランツ・カフカ(40)、レイモン・ラディゲ(20)などは病死。

3年前 No.10

オゾン ★iPad=m3ruBnvesc

心がどことなく重苦しい。うつ病だ。

そんなときはーーまあ、瞑想でもしてみるがよい。結跏趺坐などは組まずに気軽に胡座をかいて、肩の力を抜き、己自身に対する考えが所謂内なる声として湧出するのを眺めてみることだ。すると、根拠もなく自分を責めさいなむ不条理な信念があるとき現れてくる。それは、無意識の内に生じた言わば精神的な癌のようなものであり、いつでも貴方を苦しめてやまぬ病害に違いない。ところが、その信念が直観で以てまさしく不条理なものだと分かった、或いは誤りだと気付いたとき、癌は知のもたらす光輝の下に弱められ、晴れて心が軽くなろう。

「なんだ、今までそんな馬鹿げた妄想に囚われていたのか」と感ぜられたならば、それは大成功である。これは、一応薬物治療外において、認知療法として極めて有効な手段だと思うのだが、一般にはどう考えられているのであろう。

3年前 No.11

オゾン ★iPad=etlDzDlX44

夜明け前、ジラール・シムズ少年は、飢えに堪らずして目覚めたとき、自分が一頭の巨大な爬虫類に変わっていることに気づいた。丸く膨らんだ蛇腹、健康に生え揃っている鱗が、薄明るい月光の下に青白く光沢を放っていた。喉が渇き、腹の空き切ったひもじい思いに反して、見たまえ、この体躯。以前の十倍以上の体重は、気づいたときには、簡素なベッドの四つ足を圧し折っていた。着ていた衣服は既に用を成していない。ぼろ切れが横腹の鱗の先端に僅かに認められるくらいである。

初め、何が起こったのか、と彼は思った。若くして独り暮らし、一般的な少年の一室らしい風景を目の前に、改めて夢でないのは分かった。昨日と変わらず、勉強机と椅子は隅に悄然と佇んでいるし、些細な幸せを醸し出す空虚な本棚がその側にいて、電球が吊り下がっている。
「もう一度寝てみたらどうだろう」彼は大きく息を吐いた。
「けれども、腹が空いていては寝るに寝られない。ーーああ」
彼は徐に身を起こして、ひしゃげたベッドから丸太のような足を出すと、窓の向こうへと目をやった。
黒い塊のような雲が、更に影のように黒々とした山の向こう側からこちらに押し寄せてきているか。滴滴とトタンを打つ憂鬱な雨垂れ。路傍には酔い潰れたいつものおやじがガードレールに凭れかかっていた。
「およそ世の中には救うに値しても絶対に救われない人間がいるものだ」彼は思った。「いくら働いても生活さえ満足にできない。贅沢を諦めて慎ましく生きているのに、どうしてこうも苦しいのだろう」
彼は窓際から離れると、今度は本棚へと再び目を移した。一段目にぽつんと横たわった小説、不気味にデザインされた「カフカ」の文字。そして表に題された『変身』の名を見ると、今では凶暴な姿であるシムズ少年でも、そこはかとなく穏やかな気持ちで胸いっぱいになるのを感じられたのだった。


「救いがもたらされることは決してないとしても、僕はしかし、いつでも救いに値する人間でありたい。」と日記中で述べたカフカだが、最期は病に斃れ、結果としては救われないものだった。

生きることは確かに苦しい。しかしそれでも些細な幸福があるではないか。

2年前 No.12

オゾン ★iPad=etlDzDlX44

人にはそれぞれ異なった才能がある。殊に特異な或いは傑出した才能がある者には真っ向から当たっても敵わない。この場合は人と人とのつながり、所謂コネクションで以て対抗する外ないのは世のことわりだろう。
【三人寄れば文殊の知恵】とはまさしく言い得て妙なことわざだ。

2年前 No.13

オゾン ★iPad=RLWvQ93Sxn

この世にある悉くの事物が自分の存在を脅かすように見えてしまう人間は、自分の世界の中に引きこもったまま何もしなくなる。学習性無力感というやつであろう。

2年前 No.14

オゾン ★iPad=GFI9M4pxtr

人の喜ぶべきことを共に喜ぶということ、人の悲しみに胸を痛めるということ、それが優しさだ。

それこそが現実と心との矛盾に弱く、争いの絶えない人間という生き物において温かで素晴らしいところだ。

2年前 No.15

オゾン ★iPad=dLxKzgEzF8

自分の存在について、全ての人々に対する普遍的意味を見出そうとする勿れ。自分を必要とするものだけに対して、或いは自分が愛するものだけに対して意味を見出されるなら、人の一生はそれだけで十二分に尊い。

2年前 No.16

オゾン ★iPad=zPLcg01R9G

薄汚れたある歓楽街の裏通りの方には、コンクリート塀と鉄柵に周囲を張り巡らされた墓場があった。いかなる経緯にてここに設けられたかは知れぬけど、都市再開発の推進される最中で古今相変わらず深い闇を湛えて、ネオンライトの横溢する建造物に臨むようにしてあるのだった。そこでは、昔から住んでいるらしき年配の方々が時折訪い、幾許かの供物をしていく。対して野良ネコはいとも好都合と、喜ばしく眼を輝かせ、故人に代わってこそこそと不躾にもそれを食らうものだった。それが悠々としてできたのはそこには墓守り一人もおらず、誰もネコの生態に関心を寄せていないからである。
ところが長雨の時期になると、ネコは勿体らしく墓地に並ぶ御影石の列を悄然と眺めるばかりであった。その下には食い物にならぬもの、例えば花だの写真だのが置いてあるだけだった。すると、いよいよ別の手段で食料を確保しなければならなくなる。そんな時には、飢えをしのぐためにセミでもゴキブリでも食い物の範疇に入るはずなのだが、今まで豪奢な人間の食い物の味を覚えたネコにそれは憚られた。人間と同じものを食うのだから、尤も自分は人間と対等な存在に違いないのだ、と墓場に足繁く通いつめるのだった。しかし、いつまで経っても人間は一人も姿を現さなかった。厚ぼったい雲が同情的に雨を注いでくれるのをネコは眺めるだけで、御影石の上で立ち竦み、頑として待ち続けるのだった。

何だか得体のしれぬ生き物である人間を恐れる心がありながら、どうして対等だと思うのか。ただの不条理な信念に過ぎないじゃないか。だが、そのせいで人間が来ないことを知っておきながらもネコは待ち続ける。この現実、絶えざる愚かさの現実、こうした絶望的な現実は屈服を強いた上になお生きろという。それは人間の現実でも言えることだ。だが、ネコとは違って人間はそれに気づくことができる。

2年前 No.17

オゾン ★iPad=kFGsjYUD7q

意味を込めて文章を書いているのも、そろそろ胃もたれを起こす頃合いになった。たまには随想的な文も書いてみる。

2年前 No.18

オゾン ★iPad=36C0vC7qWE

もしも、絢爛豪華なれとは言わず、ただ住むに心安いおうちを建てて、終生の連れ合いと悠々自適に暮らせるという人生をなしうるのなら。私、世を厭わしいとは毫も思わざるところだったろう。しかしああ、素晴らしい。確かに世界は美しい。烈日下に照り映ゆる草木の濃緑を眺めたら、死人の如く心のいかなに冷酷なやつとて図らずも心に穏和を宿す。それから、起き上がった言い知れぬ感慨は蟠った胸の裡を解きほぐして、希望の芽を萌すに適った心理的土壌をもたらしてくれる。
ところが眼まじろぎして再び現実を前にすると、それらが全て虚しい幻想でしかないことを思い知らされる。精神の内奥から、忽ち生死に対する絶望と恐怖が迫り出される。して、不即不離の厭世観がふと頭を擡げ、気がつけばいつもの如くうち沈んだ心持ちでいる。

2年前 No.19

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2年前 No.20

オゾン ★iPad=bHqADyrJ6x

蝉はもう鳴かぬ。夜風がいよいよ身に沁みるくらいに涼しくなった。溽暑の勢いは日時を経るにつれて衰え、エアコンの冷房はもうその役割を終えようとしている。初秋の訪れだ。

2年前 No.21

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世界は全てを惜しみなく与う。哀歓、苦楽、生死の悉くを分け隔てなく。苟も不屈の精神があったとしても、それは行く先なく、何に対しても無意味に永遠漂流し続ける。

2年前 No.22

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日本でカマキリと言えば、前脚を上げる姿が恰も鎌をかけるように見えると俗に言われる。が、別の国になるとまた見方が異なるものである。

というのも、ポルトガル語では「カマキリ」を " louva-a-deus" 、ドイツ語では "Gottesanbeterin" と言い、それらは即ち直訳すれば「神の賛美者」という名前である。どうやら前脚を上げる姿が恰も神に祈りを捧げるように見えるらしい。して、如何にも神聖にして侵し難い名前の虫であるだけあって、向こうでは無駄な殺しは憚られるそうだ。

2年前 No.23

オゾン ★iPad=bLTlnas9Kv

人間は独りだと一匹のアリ同様に無力な動物である。現代において広く言われることだ。が、それは人々が己自身の無力に絶望すること、かつ自己評価を低くして絶えず全体への志向と罪責感を一生涯伴って生きることを暗黙のうちに是とされていることを意味する。身を売って盲目的に奉仕し、そして組織全体のために散れ。即ち、生き残るために生きることを放棄しろということだ。まあ、それが(少なくとも日本には言える)この時代のイデオロギーだろう。

是非とも逃避したまえ。自分自身を欺きたまえ。社会はきちんとその手段を用意してくれている。音楽や絵画などの芸術、サッカーや野球などのスポーツ、映画や演劇などの芸能。尤も、それらは全てかりそめでしかないが。

2年前 No.24

オゾン ★iPad=UlZej8zneR

人間は、日頃思わぬところの刺激にも影響を受けている。性格の悪いろくでもない奴だな、と人間のふるまいを見ておきながら、後々で自分がそれと全く同じことをしてしまう。 「人のふり見て我がふり直せ」というが、成ろうことなら、さようなふりは見ない方が幸せである。世には知らない方が良いという事柄もある。

2年前 No.25

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従順な人間において、幼年時より圧制的な環境にて育てられた者は、「自分は幸せになってはいけないんだ」という罪の信念を密かに持っている。それが幸せになりたいという欲求と矛盾を起こすと、その人は苦痛を感じてしまう。結局幸せとは真逆の行動をして、無力感に囚われる。何もしなくなる。対して、周囲は無理解に「怠惰」という悪辣な言葉を平気でつく。単純に言葉の暴力で以て責め苛む。

さあ、自我を解放したまえ。罪の信念を根刮ぎ退治してやれ。自分が幸せになって何が悪い、忌々しい過去と共に焼却してしまえ。

2年前 No.26

オゾン ★iPad=8ySLyuaAwp

話において寛容さに欠ける人物というのは、自分の主張を何としても通さねばと躍起になっている。心耳を削ぎ落とされたか、他者の異論を認めない態度を取り、彼らの言わんとするところは畢竟つまらぬドグマの宣伝でしかない。

他人の理解を得ることを話の前提としていないのだ。ならば、あくまでも自らの内に完結させておくだけで良いはずなのだが、独りよがりを旨とした話を立ち上げて、生じた批判を自らの信条に照らし合わせて勝手な解釈をし、指摘に対して無意味な修飾語を多用して、こじつけがましい詭弁を弄する。

さように全く以て不誠実な人間たちは自らが頑冥不霊の徒に堕していることを知らず、して、いよいよ絶望に暮れてしまえばいいのだ! 絶望は短所であると共に非常な長所である。絶望を選びたまえ。盲目的な信念にしたがって渺茫たる蒙昧の世界を漂流し、何れ突き当る孤独の現実に対して大いに絶望すればいい。

2年前 No.27

オゾン ★iPad=wjIOKt3tOh

簡勁を旨とし書いて、訥々、詩性が喪われる。
流麗の感に趣いて、諄々、趣意が喪われる。

素朴はつまらぬ、まだるっこしもくだらぬ。では、どのように書けというのだ。

適当に書きゃあいいのさ!

舌先三寸口八丁、良識も弁えておらぬ批評家連中など放っておきなさい。

詩において琳瑯□鏘の音は何に赴かんとせぬとも自ずと心耳に響く。「やれ、韜晦趣味だ」
詩のきれいな音は何も思わなくてもそのまま心の中にまで響く。「やれ、小学生の文章だ」
やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。「やれ、懐古趣味だ」

誰でも文句だけなら何とでも言えるんだい。

2年前 No.28

オゾン ★iPad=1vu2hojrFk

『Der Landarzt 田舎医者』はとてもユーモラスでありながらも、不安となぞとば

2年前 No.29

オゾン ★iPad=1vu2hojrFk

誤送信してしまった。さて、訂正だ。

『Ein Landarzt 田舎医者』はとてもユーモラスでありながらも、不安と絶望とが全体に横溢している作品だった。確かに作品自体は短いのだが、短編としての完成度はただのサラリーマンでは全く以て達し得ない境地だ。最も端的にカフカらしさが分かる作品である。『Betrachtung 観察』のスケッチに重きを置いた作風とはまるで別人。
『Ein Hungerk□nstler』は日本語で単に『断食芸人』とされているが、作品の内容を鑑みるに『飢えた』というニュアンスも題名には含まれている。にしても、読んだときの衝撃は半端ではなかった。ただの言語がこれほど威力を持つものかと思われた。不条理といい、それに対する絶望といい、あれは叫びである。

2年前 No.30

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ため息をつきたまえ。もう何もなす術がないのだと、何をしても詮ないことだと思われたなら。辛い顔を見れば誰しもわかる。人生に行き詰まり、事態は切羽詰まり、朝に身を起こすもやり切れない。口ぶりを見れば誰しもわかる。娯楽はできぬやりくり身上、行くにも行き難し殺伐職場。一体何のために自分はこの果てしがない苦行のような人生を送らねばならんのだろう! どうして自分は物思う暇もなく、泣くも笑うもせず、機械論的に仕組まれた生き方をせねばならんのだろう! 果たしてこんな人間の生き方に価値などあるのか。

"The mass of men lead lives of quiet desperation." by Henry David Thoreau
「多くの人々は静かな絶望の生活を送っている」

2年前 No.31

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自ら死期の迫るを悟ったとき、人はどれほどこの世界が懐かしく、かつ輝かしく見えることだろう。人は世を厭いながらも最期には満足するようになっている。

2年前 No.32

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「美」とは何だ。
ダイヤモンドやオイラーの等式、ジョットの絵画やエゴン・シーレの絵画、バッハの音楽やアイヴズの音楽、どれもが一様に美しいという訳でもあるまい。

e^iπ+1=0 ……見よ、自然対数と虚数、円周率、1、及び0が簡潔に並び立つこの凄まじい完成度。まさしく美の極致でないか! とはいえ、そんなことを言うのは一部の人間だけである。無論、ダイヤモンドのブリリアントカットも数学的に計算し、考案された美しさなのだが。

エゴン・シーレは小児性愛者、いわゆる変態。その人物画(対象は言うまでもなく)は怪奇で不気味なタッチ、描いている作者の気持ち悪い心情が分かるような。だが、誰にも真似し難い彼唯一のセンス、味があって良いという人間もいる。

チャールズ・アイヴズの音楽については観客席でマーラーがぽつねんと拍手を送っているくらいのもの。他のみんなは野次を飛ばして他所へ行ってしまうのだった。現在でこそ、ポリリズムや無調、多調、微分音などをシェーンベルクやストラヴィンスキーに先駆けて実験的導入している点において、ミニマリズムの先駆者エリック・サティや騒音芸術のルイージ・ルッソロにいわれる初期の現代「音楽家」扱いだが、歴史的観点において音楽を評する行為は尤もクロノロジーの沙汰、それは美学においては以ての外、実際はどう聞いたってナンセンス。『Charlie Rutlage』などはいつ聞いてもふざけてるとしか思えない。そんなの評価してどうすんの? けれども、真面目腐った耳で聞くな、いい音楽じゃないかという人間もいる。


2年前 No.33

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2年前 No.34

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楽天主義はこの世に不条理、悪が存立していることを認めた上で、現実を良い方向に考え、人生を楽しく生きようとする。一方、厭世主義は抗い難い世の不条理、悪を認めてひたすら絶望的現実に生きざるを得ないのだとする。

楽天主義は厭世主義と対比されがちなものだが、案外本質は変わらぬものである。何方も心底に暗黙の絶望を宿す。

2年前 No.35

オゾン ★iPad=FHmD8zt75Y

「幸せな結末を迎えることだけが幸せなのではない」
癌に冒され余命残り僅かになっていた今は亡き少女の言である。幼くして死の恐怖に苛まれながら、鏡台の裏に想いを密かに綴っていたような彼女だからこそ言い得る。心痛しつつも戸惑いつつも最期まで共にあった両親の下に生まれた彼女だからこそ言い得る。人生における、誠に簡潔な至論だ。

2年前 No.36

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シューベルトの『子守唄』にせよ、エディット・ピアフの『愛の讃歌』にせよ、その背景を知るに至ってから改めてそれを聞くと、音楽もただの音楽では済まされないように感じる。ベートーヴェンの『カヴァティーナ』や、カフカの『断食芸人』でもそうだが、およそ作者の人生と作品というのは切っても切り離せない関係にあるものだ。その彼らを彼らたらしめる神聖にして侵しがたい汗と涙、「生の苦しみ」「生の悲しみ」の壮絶な表出! これを前に我々は如何なる心構えであるべきだろうか。

syn(共に)+pathein(苦しむ)、同情 sympathy 、さあ、存分に、共に分かち合いたまえ。

2年前 No.37

オゾン ★iPad=3fMYkgNXfC

かつて、最高に知的な芸術として文学は尊ばれたが、現今に至ると音楽同様に娯楽的、大衆的、といった性格が俄かに台頭してきた。これも言わば、文学や音楽が「商業主義的」になったからに外ならぬ。芸術の時代はもう終わっているのだ。今では丁度カフカやシャブリエ、アイヴズ各々のそれらのようにあくまでも本格的な「趣味」としてのみ通ずるようになってしまっているのだ。随って、初めっからそれで飯を食おうなんていう蜂蜜に砂糖を加えたような考えをするのはお勧めしない。

2年前 No.38

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人と話をしたまえ。口ぶりや身振りからしてその人の教養や性格がある程度把握できるであろう。このとき、人の短所や狡猾さばかりに気づく人間は、悲観主義者の目を持っている。そしてこういう目を持つ人間は、人の長所を挙げてみろと言われたら答えられないものである。

その点からしても、悲観主義者は一面的なものの見方に囚われているのであって、ものごとを一意的に低く評価するという愚劣な心理的傾向がある。

2年前 No.39

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感情の流動によって主体的なあり方を失っては、人間はどこまで愚かになれるだろうか。現実に振り回されて自らを見失い、結局は道行くあの野良猫に勝るとも劣らぬ人生を送ってしまうならば、人間として生まれる意味が自分には果たしてあったものだったろうか。

2年前 No.40

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賢明な読者ならば薄々感づいているはずである。試しに今までの記述を読んでみると、どれにも奥床しさというようなものがちっとも見当たらない。ある部分が致命的に欠如している。名詞に注目してみたまえ。殆ど類型的なのだ。

2年前 No.41

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人間は「言葉」を用いるだけでさも知り得たような気になるものだ。例えば、会ったこともない、話をしたこともない「誰か」について悪評を聞いたとしよう。すると、たちまちその情報を元に「誰か」の人物像が出来上がる。「誰か」について辞書の定義を見る如く、「悪評が嘘か誠か」と疑うことをすっ飛ばし、かくて吟味を欠いたまま安直に、「誰か」は左様な人間であるとしては、一切の直接的な経験なしに自分は「誰か」を知っている気になってしまう訳である。人間が無知を忌み嫌い、未知に対してとかく貪欲であるが故に起こることだ。「汝自身を知れ」とはそういうことではなかろうか。

して、ちょうど良い。実例としてインターネット環境を持っている読者諸兄、ヤフーの各ニュースのページに付属したコメント欄でも見てみたまえ。有名人にかくかくしかじかのことがありやした、と、メディアを介して得た情報を所与として「それに一切関与しておらず、何も知らないはずの一般人」どもが、色々意見してああだこうだ何やってらあ、と言うそのありさまを観察し、改めて物事に対する左様な態度を考えてみることだ。


2年前 No.42

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以下は私見である。

1.小説の文章にはある程度の文の長さがないと、流れがどうも途切れ途切れになって心像がうまく出てこないと思う。文章のリズム、テンポを損わないように短く切れと言う者もいるけれども、句点ばかりであると却って展開の断絶が増え、「物語全体」のリズムやテンポを損なってしまうのではないか。

2.描写と場面において形容詞と形容動詞、副詞の使用率が高いと写実性が失われて「感想文」的になる。強意、微妙な差異の表現が忽ち失われ、主観性が増すからであろう。

3.名詞は説明的かつ非描写的である。情熱 enthusiasm は語源を辿れば「en 心の中に +theos 神が入り込んだ状態」というギリシア語に由来するのだが、その語源に注目してみて欲しい。描写において情熱を単に情熱というのはどうであろうか。犬を単に犬というのもどうであろうか。宜しく名詞は説明する時に用いられるべきだと思われないか。

2年前 No.43

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無限の懐疑の渦に囚われて、もはや何事も信じられなくなったとき、日頃の勝手な思索だに怪しく映ってしまってはいよいよ仕方がなくなるというものだ。して、何かについて疑った所で新たな考えを練る、筋を明確にしようとするでもしなければ、いよいよ心を虚しくするだけで逆に疑う自分が馬鹿馬鹿しく思われる。

偶然に生じたたった一度の人生を過ごすにおいて、経験は貴い財産である。そのときに得られた感覚や信念は捨てがたい確たる知としておきたまえ。というのは、経験は読書や想像と違って言葉に表せない知識をも得られるからだ。ところが、そんなことを言うと、本を読み漁って知識を獲得したと信ずる読書家たちに猛反発を食らうことにもなろう。本を読んで他人の経験に学んでこそ人間は賢くなるのであり、本当の意味で知識人になるのだと。読書こそ自らの経験を超えた知識の宝庫なりと。ならば、まあ、読書の知識だけで人間は何でもできると思う読書家たちは、試しにピアノの演奏技術を読書や想像から習得しようとしてみるが良い。経験に与らぬ知識など生きる上では些とも役に立たないこと請け合いだ。

2年前 No.44

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人間は自らが平凡であることを嫌う、専ら特別な存在であることを望む。

ある集合において他の要素に対する一要素として特定の評価的判断方法に基づき平均値を割り当てられる自分、ではなく、ある集合を構成する「不可欠でない」一要素の自分であるのが人間は嫌なのだ。「平凡」ということにありふれていて「必ずしも要る訳ではない」という自身の存在が脅かされるような意味を見出しているということだ。してまた、人間は生来集団的に生きる生き物であることからしても、集団から排斥されることは即ち生存の危機に立たされることであるから、誰からも必要とされる特別な存在としての自分を希求する訳だ。

2年前 No.45

オゾン ★iPad=KrP3wGXcPn

数あるクラシック音楽の中でも、ベートーヴェンの音楽は聞いておきたまえ。かくも旋律に力強い人生的主張が認められる音楽家と言ったら、他に誰がいるだろうか。

2年前 No.46

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サビキ釣りの最中にトラ猫が寄ってきた。耳が開いて立ち、意地の悪そうな眼、緋色の鼻の下に小さい口、丸い輪郭、それから旺盛な食欲を暗示する如くよく肥えた体格をしている。他にも三、四匹くらいいたが、どいつもこの猫には近づいてこない。漁港のボス猫らしい。また、首輪もなく、尻尾も切り取られていないから、恐らく人間に飼われているようなものでなく、保って寿命五年の逞しい野良公と見ていいだろう。

こいつが何を企てているか、私はとうに心得ている。釣り上げた代物をよこしたまえと言い出してくるだろう。ネズ公一匹つらまえるかも怪しい、欲深い体躯をしたこやつに魚をやったところで何のご利益があるか。猫は三年の恩を三日で忘れるというくらいだ。けれども、そのくせ猫を殺せば七代祟るという執念深さだけは何故かある。これだけなら、猫は相当タチの悪い生き物なのだが。

さて、仕掛けに魚がかかったと見ると、瞬時に勢いよく竿を左に切りあげてやった。さしったり、とリールを巻いては、巻いて。すると、水面から俄かにチビクロが姿を現す。案の定猫撫で声が上がる。よこせと言いやがる。当然、私はネズミでもゴキブリでも食っていやがれ、他所へ行けと追い払う。人様からの貰いもんでよく肥えたこいつに対して私はどこから来たかわからぬ敵愾心があった。ああ、そういえば、現実の人間にもこういう奴がいたな。

2年前 No.47

オゾン ★iPad=6UT08GjIay

例のスレ主は広く自分の思想を認めてほしいという寂しい動機であのスレを立ち上げたのだろうが、いざやってみりゃあ、ほら見ろ、魑魅魍魎の匣と化しちまった。舌鋒鋭くと云わんより悪意のある言語で以て責め苛まんとする人間ばかりだ。

知的好奇心の充足はさておいて、ひたすら衒学者的優越感を追求しているのは、憂さ晴らしか、それとも暇潰しか。それに各々がかみつくこともできない相手をやり込めるという全く素晴らしい習慣を日々実践しているのもはたから見れば、ああ誠に結構なことだ。貴い教養以前に卑しい品性が知れている。

2年前 No.48

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想像してごらん。人間がいなくなれば戦争はなく、人間がいなくなれば天国も地獄も何もなく、人間がいなくなれば所有も国も何もない。人々は今日現代を確かに生きているとはいえ、およそやっていることは一万年前から何も変わっていない。人間における唯一の変化といえば、顎が小さくなって、第三大臼歯が変な生え方をするようになったくらいだ。

2年前 No.49

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哲学者を殺すには、目の前にリンゴをおいてやるだけでいいという冗談に対する試み

現に赤い果物が見える。木目の丸いテーブルの上に置かれてある。手にとってみれば結構な重さとすべすべした表面の感触を確かめられる。嗅いでみると、甘酸っぱい香りがする。しかるに、その赤い果物がリンゴであると信ずるに足る根拠とは何であろうか。赤い果物といえば、他にイチゴにサクランボ、ラズベリー、クランベリー、ドラゴンフルーツ、アセロラなどなどがあるものだ。これに対し、恐らく我々は普段から意識せぬところでリンゴについて、かつそれらとリンゴとの判別する方法を暗に知っているのだという考えがある。つまり、リンゴが何であるか、リンゴとその他をいかにすれば判別できるか、この二つの知的要素が互いに補い合う形で、現に手に取っている件の赤い果物がリンゴであるという判断を信ずるに足るものにしているのだというわけだ。ああ、それはリンゴに違いない。リンゴに決まっている。明晰判明にリンゴだ。私はリンゴが何であるかを知っているし、私自身とリンゴとテーブルの判別もできる。部屋のベージュの壁四面と岩綿の白い天井、床のフローリングに仕切られた小さな世界の中で、私は現にリンゴと共にある。しかし、これは本当にリンゴなのか。リンゴでないとすればそれは何なのか。それがリンゴでなければリンゴとは何なのか。やっぱりリンゴに違いあるまい。

2年前 No.50

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科学的な概念や、数学的な概念などについて高飛車に平べったく哲学者が言及するのはあまり宜しくないと聞く。それも専門家の人間からすれば、ペダントが好き勝手に浅ましく宣ってくれているくらいなものであり、問題に対して一切の進展ももたらさぬ内容にして、電信柱の根元でゴミ袋をつっついているカラスの鳴き声ほどに意味がないらしいのだ。一通り読んでみれば、見てくれは外科医のメスを扱うが如く概念を慎重に分解してくれているようだが、なるほど模型の腹ではいくら皮相を切り開いても中身がない。全く格好だけだ。すると、傍らに立っている本物の外科医が、君が思うほど肉体は「単純に」できてはいないんだよと、面には出さねども腹の底で思い切り嘲り笑うわけである。言わずもがな、君の考えに基づいて肉体ができているわけではないし、またそれは考えるとは言わず、言葉遊び、或いは空理空論と言うのだと。

2年前 No.51

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久しぶり戻ってみると、私もなるほど結構大仰なことを書いているものだと思う。抽象的な内容を具象化したような比喩の文章がたくさんある。それも難解な、ひょっとすると私個人しか理解していないのではないか、と思われるようなものも目につく。そして、やけに暗鬱な呟きがちらほら見えては、当時自分の身に何があったのだろうと思い返してみようとするが、すっかり忘れてしまっている。

2年前 No.52

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翅をぼろぼろにしてもなお鳴き続けようとするセミを樹木に見ると、言い知れぬ悲愴感が胸に迫るものである。それは、ベートーヴェンの交響曲第5番や悲愴ソナタ第1楽章の始まりのように強烈に襲いかかってくるものでなければ、弦楽四重奏第13番の第5楽章のような哀切な祈りでもなく、ただ、ザ・ドアーズの The End の如く暗澹として頽廃的なサウンズがどこからともなく立ち現れるのである。日没を迎えて、夕闇に閉ざされ、いよいよ腐り落ちていく感じがする。救いなど来ないことはもう知っているといったふうに、半ば諦観を見せている。何の甲斐もない、最後の悪あがきをしている。

2年前 No.53

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1、2年前から、私はすっかり変わってしまっただろうか。
学生時代を終え、さて金を稼ぎ始めるという時分になったら、つとに抱き続けた放埓なペシミズムもどこかへと消えてしまったようだ。青臭い思索妄想の癖も辛うじて、寝る前に考え事をする習慣に残喘を保つといったところ。

代わって、ウィリアム・アーサー・ウォードの
『悲観主義者は風にうらみを言う。楽観主義者は風が変わるのを待つ。現実主義者は、帆を動かす』
という箴言が心地よく聞こえるようになった。

さあ、もっとお金を稼ごう。生活にせよ、何にせよ、先立つものがなければ、どうにもならない。ドストエフスキー、モーパッサンなど、自然主義の小説に金の話題がうんざりするほどよく出てくるのは、 人間が生活する上でそれだけ金に悩まされることが多いからだろう。

5ヶ月前 No.54

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ブルーノ・シュルツの比喩と擬人法で溢れかえった、空気や眠りにまで色がつく極彩色の文章を読んでいると、なるほど、これはこれでいいと思うことがある。ピカソも、ダリも、パウルクレーも、安部公房もブルトン狸も何だかしっくりこない、いけ好かないと思うのに、どうしてシュルツには惹かれるのか、私には論理的に説明できる自信がない。幼児に倣った奔放な想像力、相貌的知覚、美術家らしい色と陰影に対する拘り、グロテスクなモチーフ、神話的内容、それぞれが高い次元で結晶していると言おうか。読んでいるうちに想像力が麻痺して頭が開いていくような感じがするのである。この読み心地は、およそ他の作家では味わえない。

5ヶ月前 No.55

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自然数論ですら完全性を持たず、完全なる民主主義は合理的に存在し得ず(アローの不可能性定理)、科学ですら明日も明後日も法則が通用するのか論理的必然性を以て示せない(ヒュームのギロチン)。

偉大な人間の思考力にも限界はある。生まれて死ぬまで付いて回る絶望である。

5ヶ月前 No.56

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努力でどうにかなるという今日の経験則も、明日は通じるか、分からない。

5ヶ月前 No.57
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