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マシュマロのような

 ( エッセイ投稿城 )
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由蘭☆2LgtGTS6VZBh ★4tmP8uETqx_yLW

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 あまいもの。ふわっとやわらかくて、口に入れたらすぐとけてしまう。あまみをすこしだけ残して、なくなってしまう。でも――いろんな味があって、それをあじわったことに、かわりは、ない。
 私の頭の中もそう。ふわふわほわほわ、いろんなことが思い浮かんでは、じんわりと消えていく。
 それが、すこしでも味のあることだと信じて。願って。


 ―――ましゅまろのような。







 エッセイ城と、この名前では初めまして、ゆらんといいます。気ままにゆっくり更新していきたいと思います。……放置しないことを願って(笑)




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5年前 No.0
メモ2016/12/11 17:04 : 由蘭☆2LgtGTS6VZBh @kato★C6fDyTBIkV_wi1

 クリック、いいね ありがとうございます。

 オリンピック開催よりは高頻度で更新しております。

 のんびり流れていくエッセイ城に感謝です笑。


 高校1年生のときから始め現在は大学2年生です。

 よろしくお願いします(*´ー`*)

ページ: 1

 
 

由蘭☆2LgtGTS6VZBh ★4tmP8uETqx_yLW

1*




 たちあげて1週間、やっと1回目だが、エッセイを書くのは初めてではない。中2、中3と夏休みの課題は、エッセイ――生活随筆を選んでいた。両年とも市の作文コンクールに出品され、中2では佳作に入賞した。そのときのものは……機会があったら載せようと思う。また余談だが、その中2のときの国語の先生とは今も交流があり、メールしたりしている。

 さて、どんなことから書いていこうか。
 いつも私は、寝る直前とか歩いているときとかごはんを食べた後とか、そういった何気ない時間に、ふっと文章が思いついている。いや、心の中で呟いている……じゃなくて無意識に、だから、なんて表現したらいいかわからないが、とにかく浮かんでいるのだ。そして書きとめようと、シャーペンやケータイを持ったところで消える。というか、書いたり打ったりするのが面倒くさい。いや、同じ文章を反復するのはなんとなく嫌なのだ。ただし、自分の文章に限る。
 なんだがごちゃごちゃしてきた。私の悪い癖だ。どうでもいいことをこう、ぐわっと広げてしまうから……ああ、もうぐずぐずしないでさっさと話題に移ろうか。毎回毎回こんなだったら……いや、次回はもっと反省してさらっと行きたいと思う。

 唐突だが、その「〜だが」の話を。

 私は正直、中3のとき、「〜けど」が正式な文章――と言えばいいのか――では使わない、ということを初めて知った。国語の何かの作文が返却されて、まあ最高評価だったのでたまたまそばにいた母親に見せたら、言われた。
「"けど"って(笑)幼くてかわいい」
 私は、えっ!?と言って言い返した。
「けど、って表現ダメなんだっけ?」
「ダメっていうか、喋り言葉なんじゃない? ねえ」と、父親に同意を求める。父親も頷いた。
「えっ! じゃあなんて表現するの? "でも"? 文の最後の場合は?」
「"〜が"、とか"〜がしかし"」
 ――ぴしゃり。
 と、来た。そうだったのか……!
 それまで私は、「〜が」という表現が苦手だった。苦手も何もないが、なるべく使うのを避けてきた。なんか、かたくるしいというか、ビシッとなっているなあと思っていたからだ。
 でも言われてから意識して使うようにしたら結構はまっていって、今では使うのが日常化までしている。ここまでで「〜が」と何回打っただろうか。どうでもいいので数えない、が……また使った。かなり使いこなせていると思う。いや、乱用?
 かたくるしいと思っていても、使ってみれば意外とはまるものもある。でも――やっぱり、文章の雰囲気は、少しは変わっているのかなと思った。

 私もまだまだ未熟である。こういうことは、探したらまだまだいくらでもありそうだ。ちょっとずつでも吸収して、成長していきたいなあと思う。



  ――季節のかわりめ。濃い色の空になってくる。暑い季節に。




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5年前 No.1

由蘭☆2LgtGTS6VZBh ★4tmP8uETqx_yLW

2*




 私の文章――というかエッセイ――は、なんとなく平和なものが多い。日々暮していれば「ああ、そういうこともあるね」みたいな内容ばかりである。……とは言っても、それは"学校用"だから、かもしれない。
 今回はそういった内容から少しはずれてみようと思う。さっきお風呂に入っているときに、何気に思ったことたちだ。


 永遠、って、本当にあるのだろうか。
 ずっといっしょ、かわらない、なんてこと、可能なんだろうか。

 そんなこと言ったら両親はどうなんだ――と思うが、それでも。その前の段階で、だ。

 かわらないものがあるとほっとするとよく言う。私もそう思うことは思う。でも、ずうっとかわらないって、不安になる。そこだけ、時が止まってしまっているような気がして。私だけ進めていないようで、怖い。――いや、今思えば、怖かった。
 いつかは終わるものだという気持ちが、心のどこかにあった。だから、年末に手帳を買ったとき、誕生日を書かなかったのだ。……結果的に、それで良かったことになった。
 ……また、あの話と重なってしまうだろうか。

 とは言っても、一年半という時間は、長かったような短かったような。でも、"止まっていた"のは確かだったと、思う。今になって。

 いっしょ、みたいなふうになると、止まってしまうんだと思う。だって一方的なときはちゃんと流れていた。私はひとりで、ゆらゆら川の流れに任せて足を浮かせて動いていた。
 それがあるとき、体を起こした。足をふんばって止まった。そしてその川から出て、それと、川沿いでの生活が始まったのだ。それがいいとか悪いとかいう話ではなくて、そういう感覚だった……ということだ。
 そして、胸がいっぱいになる。もっともっと、と思うようになる。しあわせになる。ところが――だんだん、互いに息苦しさを覚えてくる。気持ちの問題が大半だろうが、私は"ここ"にいるからかもしれない、と気づく。川沿い。川から出てしまったから。これらは魚類のように、えら呼吸をしないと苦しくて死んでしまうのではないか、と。
 だからまた、それぞれ川に飛び込んだ。
 時間が流れだして、私はほっとする。息ができる。笑える――。

 もちろん、その止まっていたときが無駄になったということではない。むしろとても大切なときだった。私に絶対必要なものだった。
 少し複雑で矛盾してきたが、何が言いたいのかというと――これで良かったんだ、と。

 私は今、川の中にいる。また流れに任す生活が続いている。でも、再び体を起して立ち止まることもあるだろう。
 その時は。
 いっしょに、その川を進んで行けたらいいな、と思う。


 という、少し前の恋愛話。
 なんか打っているうちにすごくわかりづらくなってきた。自分でも混乱してきそうなので読み返すのはやめるとしよう。自分で言うのもなんだが、こういう話は性に合わないのかもしれない……。

 さてと。お開き、ということで。



  ――いいね!2件もありがとうございます。無言の方も嬉しいです! 和茶、そう言ってる時点で無言じゃない(笑) ありがとうございました、これからもこんなんですがよろしくお願いします。




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5年前 No.2

由蘭☆2LgtGTS6VZBh ★4tmP8uETqx_yLW

3* ※かなり重い内容を扱います。苦手な方は閲覧を避けてください※




 ――ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー
 ちいさな、狭い静かな部屋に、星の電子音が鳴り響く。10年ほど前のバースデーカードたちは、途切れることなく歌い続けた。


 夏休みの課題におわれていた28日、埃のかぶった昔の手紙入れを引っ張り出し、中身をみてみた。……つらかったがための脱線、いや現実逃避といえる。
 幼稚園から小学校3年生くらいまでにもらった手紙やバースデーカードが、手紙入れいっぱいに入っていた。よくしまったな、と思うほどに。


 平成14年から17年にかけての、母親の妹――3つ下の従弟のお母さんである、私のおば――からの、4枚の封筒に入ったバースデーカードを見返していた。
 平成17年。当時私は小学校3年生、9歳になった日。"いつもやさしい由蘭ちゃんが大好きです。これからもかわいいおねえさんでいてね"――毎年こんなようなことを書いていてくれた。母とは似つかない可愛い字が私は好きだった。そして、おばからもらった手紙は、これが最後になってしまったのだ。
 その年、おばは、亡くなってしまった。

 ずっと、親戚たちは心配していたらしい。痩せすぎ、なのに飲みすぎ、体に悪い、精神状態が不安定――。私はまだ小学生だったので、そういうのは子どもが首を突っ込んでも退かれるだけだ、と思っていて黙っていた。心配していた、らしい、と書いたが、私は両親や親戚の話にこっそり耳を傾けてしまっていたのだった。
 これもこっそり聞いていた話だが、私の母親とトラブルになることも多々あった。それでも些細なことだ。おばが勝手に母のネックレスを使って壊した、またそういうものの逆もあれば……。また、祖母の家に行けば、もうひとりのおば(母のお姉さん)と真ん中の母、末っ子のそのおばが二手に分かれて大喧嘩。発端は末っ子の方だったといつも言っていた。心身ともに病気だよ、と母は父に話していた。父はおばと気が合う方だったので、おばの愚痴を聞いたりしてあげていたらしい。
 でもそんなトラブルばかりではなく……ちゃんと和解もしていたと思う。母にごめんね、と謝っているのも見た。それなのに。

 いきなりのことだった。まだちいさかった従弟が朝起きて、母親の異変に気付いた。ひとりで泣いて、父親が帰るのをずっと待っていたという。そして私たちも呼ばれ、家族で車ですっ飛んで行き、……。

 小学校の頃はまだ何も考えられなかったが、今になっていろいろと思うことがある。私がこれくらいの歳であったら何か力になれたか。せめて一緒においしいものを食べに行けたりできたのかもしれないのに。お通夜のときみた細い腕を今でも覚えている。ひとりでいってしまうなんて、どんなに……つらかったことだろう。両親も親戚の大人たちも、どれだけ悔しかったことだろうか。
 考えてももうどうしようもないが、それでも、と思ってしまう。私はおばとあまり二人きりで話したことがなかったけど、好きだった。

 少し現実離れしているように聞こえてしまうかもしれないが、本当の話である。バースデーカードを見返して、7年前のを思い出してしまった。そして、その、平成17年の……おばの手書きのメッセージと、あの歌に泣けてしまった。打っている今でもかなり潤んでいるが。
 そして、今年はおばの七回忌なのである。今月下旬……、ちょうど文化祭の日と重なってしまって、私は行けない……。とても残念……という言い方は合わないと思うが、行きたかった。


 あと1か月と少ししたら、私の誕生日がやってくる。従弟の誕生日も同じ日である。おばは見ていてくれるだろうか。また私と話したいと、カードを送りたいと、思ってくれているだろうか。……そうであってほしい、と、願うばかりである。



  ――涼しい風が髪を撫でる。そんな季節になってきたが、おばからの贈り物、なのかもしれない。




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5年前 No.3

ゆーら☆2LgtGTS6VZBh ★C6fDyTBIkV_uTn

4*




 流れていなかったことに驚き。前回更新は2012年9月5日。約3年ぶりの更新である。
 今は、大学に入学して、約4か月が経った夏休みだ。

 この3年間、様々な出来事があった。それはおそらくすべてと言っていいほど、私を少しでも成長させたものであった。
 恋愛が大きいように思う。そこから学校生活も交友関係も、自分自身についても、良い方向に変わっていった。どうやって生きればいいのかわかるようになった、と言えば語弊があるかもしれないが、それくらいこの3年間は大きなものだと感じている。
 すべてを語る気力は残念ながら今はない。いつか、改めて書きたいとは思う。それはその時まで、ということで。

 長らくこういった文章も書いていなかった。携帯アプリのツイッターやPoinなどを駆使しているが、ときたまこうしてパソコンを開いて小説やエッセイを書きたくなる。だからここを覗きに来てしまった。
 大学生になってから、Wordを使ってレポートを書くことが増えたせいか、メビにいた時代がたまに懐かしくなる。昔は携帯なんて持っていなくて、友達と連絡を取るにもパソコンのメールやチャットを使っていて……今は本当に便利になったと思う。

 なんだかいろいろと書きたいことがあるはずだが、うまく言葉が出てこない。せっかく自分用のパソコンを持っているのだから、暇があるときは積極的に訪れたい。それなりに多忙であるが。繋ぎとして、生存報告として、おひらきということで。



  ――過去からのメッセージ、みつけた。




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2年前 No.4

由蘭☆2LgtGTS6VZBh ★C6fDyTBIkV_wi1

5*




 さく、と落ち葉を踏む音が心地良い。
 私は大学内の敷地を歩きながら、秋ってそんなに物寂しい季節かなあと、ぼんやりと考えていた。

 木にはまだ紅くなった葉がわずかに残る。それを見ながら、オー・ヘンリーの『最後の一葉』という小説を昔読んだことを、ふと思い出した。何で読んだのか、細かい内容はあまり覚えていないが、好きだと思っていたので、また読み返したいと思った。


 さて、1年以上ぶりのエッセイ更新である。大学2年目の秋――というよりもうすでに冬、いま私は授業の課題を放り投げ、自分が書きたい文章をつらつらと綴っている。そう、ましゅまろのような。

 ここは非常に懐かしい。昔の日記やこういったスレッドを見て、何とも言えず恥ずかしくなる……そういう経験は多くの人もしているであろう。実は今年の6月くらいからiPhoneを使い、恋日記城に日記をたて、新たにアカウントを作って少しメビに居座っていた。今は自分のPCから書き込んでいる。1年前に元々使っていたアカウントにログインしていたのでそちらのアカウントに行きつき、懐かしい気持ちになる。最近は忙しくなってしまい、日記は更新できていない。


 少しずつ、ここに書き込んでいなかった、空白の3年間について綴っていけたら、とは思うのだが、それよりも書きたいことがあるのだ。


 私は今年の10月ではたちを迎え、来年1月(といっても来月だが)には成人式にも出席する。その成人式で、私は、亡くなった叔母の振袖を着る。正確に言うと、もうすでに着た。10月に前撮りをし、その時点できちんと袖を通しているのだ。
  >>3 で叔母のことについて触れているが、叔母はいわゆる心の病気からくる摂食障害で命を落とした。それについて私は、歳を追うごとにますます考えるようになっている。今年はおさがりの振袖を着たりして、なおさらだった。

 振袖はとてもきれいで、かわいらしさもあり、自他ともに「私に似合う」と絶賛するものだ。叔母が着てから30年間、ずっと祖母が保管していたのだが、状態も非常に良く、おばあちゃんすごいなあと率直に思った。私の方が当時の叔母よりも5センチくらい身長が低く心配であったが、きちんと着ることができ、祖母も母も嬉しそうで、私も嬉しい気持ちになっていた。
 そして、この二人は、祖母と母は、今でこそ笑ってはいるが、亡くなった当時は途方もない悲しみに暮れていたのだろうと、胸が苦しくなった。小学4年生だった私は、泣く大人を見慣れておらず、どうしたらいいかわからなかったので、見ないふりをしていた。守ってくれるはずの大人が悲しみ、泣いている。それは10歳だった私にとって衝撃的であり、怖いことでもあった。そんなことを思い出した。その怖さは、今は全くない。

 振袖を着て写真を撮って、私は純粋に「たのしい、うれしい」と思っていた。単純である。単純すぎていけないだろうかと我に返るが、心の底にある気持ちは言葉ではあらわせないものなのだ。

 ただ、「おばちゃん、見てる?」と、心の中で語りかけていた。とってもきれいな振袖お借りしてます、似合うでしょ、とも。
 叔母がどう考えるのか、何か考えられるのか、そういったこと自体はわからない。しかし、私の大切な日に、あなたの大切だったものを貸してくれてありがとう、と、伝えられるものなら伝えたいと思う。

 来月の成人式で、また似たようなことを考えるのだろうなあと思いつつ。



  ――私の頭の中も、文章も、相変わらずふわふわだ。




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9ヶ月前 No.5
ページ: 1

 
 
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