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志野の徒然日記

 ( 日記投稿城2世(大人風味) )
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志野 ★nh6hs2FhLvw

初めまして。こちらで日記を書き始めたいと思い、このスレを立てました。
内容としては、私が考えたこと、経験から行き着いたことを書き綴れたらと思います。
あくまでも私の視点からの考えなので、その辺は悪しからず。
それと、特に年齢制限が必要な記事は書かないので、読んでいただける方がいらっしゃるのであれば、お気軽にどうぞ(笑)

2009/05/30 20:17 No.0
メモ2011/08/09 05:41 : 志野★0BKqfrPerZ_dWB

こちらは客員名簿?です。

私の日記に来てくださった方はこちらにお名前を記して、記念にすることもできます。

もちろんお名前を書いていただくことを強制は致しませんし、書き方も自由です。ただし、書いてもらっても何も出ません。


・志野(スレ主)( ̄ 。 ̄)y―~~


・アリス(同級生)( *´艸`)ムフフ♪


・にら玉(愛人(3号))(。-_-。)ポッ


・さく(変人28号)w(゜ロ゜;)w


・香華(お友達)( ̄(エ) ̄)ノ*


・JAM (隠し子(009号))(≧∇≦)/

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志野 ★oxNziOTMi3_yoD

今日、買い物に行くときとある理由で歩いてみた。
半袖になっても寒さが感じられないぐらい暑くなってきて、春を強く感じることができる。
そんな中、木の股の日陰になっているところに残雪を見つけた。
周りにはすでに雪など欠片の存在もなかっただけに驚いた。

春の訪れに未だ抗っているような力強さというべきか。
季節の移り変わりの神秘さ、四季折々の逞しさを感じた気がした。

そんな今夜のメニューはタラの芽とアスパラとエリンギを使おうと思っている。(春のメニュー)

5ヶ月前 No.457

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

1日おきに2回の送別会やら慰労会やらがあって、ようやく全てから復活。
ザキとザオリクを交互に使われた心境です。飲み→撃沈→死亡→復活→飲み→撃沈→死亡→復活
え?お酒は飲んでも大丈夫なのかって?…いえ、知らない子ですね(マテ)

以前に書いた甘えについて。とある方の日記の影響を受けてさらに。
そう。定義ですよ。…確かにそれを考えないといけなかったです…。
というわけで以前にどこかで見た覚えがあります。
「甘えの構造」のあらすじ紹介みたいなものだったですかね。
甘えは日本独特とも言える人とのつきあい方だった気がする。
後は…今一度調べてみる!(いつか、多分)

5ヶ月前 No.458

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

ふと思ったこと。
数学の歴史はどことなくナポレオンに似ている気がする。
ナポレオンはあまり裕福ではない貴族の出だったが、皇帝へと登り詰める。
しかし、ロシア遠征の失敗が影響し、やがて失脚してしまう。

数学(幾何学)も最初は異端視されていたが、やがて絶対的な真理へと昇格を決める。
だが、非ユークリッド幾何学の登場とともに、その絶対性が否定され、真理の座を失うことになる。

もっとも、ナポレオンはその後流罪となり自由を奪われたのに対し、数学は学問として新たに発展する自由を得たのである。
それが違いと言えば大きな違いなのであるが。

そんなことを思いついたので、一応メモしておきます。

5ヶ月前 No.459

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

これは言われなければ気付かないよ…。
ということを、本を見ながら1人思いました。

西洋の神殿なり、聖堂なりの中が神々の領域であることに対して、日本の神社やお寺などは庭や森も含めて神々の領域であるというのはそれでもまだなんとなく分かります。
だからこそ、西洋の神殿や聖堂はその建物自体でも違和感がないのに対して、日本では庭や森も含めないと違和感があります。
確かに、あの森あってこその伊勢神宮であったり、あの庭あってこその金閣寺であったりします。

でも、ここからは流石に言われないと全くスルーしてしまいます。
神社の神々の領域を分けるものが鳥居ですが、鳥居ってドアもなければ鍵もないんですね。
つまり、事実上いつでも誰でも入れるんです。神々の領域に。
でも、神殿や聖堂だとドアを開けないと入れないし、夜は閉めてしまうこともあります。
それこそが日本と西洋の意識の違いと言われれば確かにそうなのですが、これは言われないと気がつかないなぁ。

そう言われると、ユゴーのレミゼラブルの冒頭で、あの牧師さんが「教会をいつでも入れるようにする」といって鍵をかけないようにした行動がなんとなく頭に浮かんできました。
西洋の人々が見れば目を丸くしたのですが、日本だと「神社のようにしたんだね」と思う人もいるのでしょうかね。

5ヶ月前 No.460

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

絵文字というと、若い人たちが使うイメージがあったのだが、意外と昔から使われていたんですね。
今読んでいる本に書いてあってびっくりしました。
さらに驚くことは、与謝蕪村も手紙のやりとりの中で使っていたのだとか。
どうやら、日本の文化の中において、絵と文字というのははっきりとした境界分けがなされていないのだとか。

日本の文字もかなり独特なのだとか。
古今和歌集が書かれた時代から文字の体系が変わっていないのは珍しいのだそうです。
確かにヨーロッパなどはラテン語からいろいろな国の言葉に変容を遂げてますからね。

そうなると、なんだろうね、日本というのは。保守的で、でも革新的で、でも1つの筋は通している感じがしてくる。

4ヶ月前 No.461

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

日本の中で、俳句や短歌はなじみのある詩ではないだろうか。
そして俳句や短歌はだれでも一度は作った経験があるのではないだろうか。
どうやら、これほどまでに詩を誰でも作るという文化は珍しいようだ。
西洋では、詩を作る人は才能がある人に限られるらしい。

昔の人は短歌の一部を絵に隠し文字としてちりばめて、絵と隠し文字から短歌を特定するといったデザインがなされていたこともあったようだ。
初音蒔絵手箱には、松と「としつきを」と「にひかれて」の文字が隠されており、そこから源氏物語の明石の君の句を想像するという、いわば謎解きのようなものである。

当然、源氏物語を知らなければ特定はできない。
つまり特定できることが「教養あり」と判断される材料となったようである。

外国の外交官のような人たちは芸術においても造詣が深いようである。みんながみんなではないのかもしれないが。
日本のそういう人たちが、彼らと話を合わせられないのは、言語という手段ではなく、実は芸術や多岐にわたる分野の知識量によるのではないかというような内容をどこかで耳にしたことがある。
耳が痛い内容だなと思う。

4ヶ月前 No.462

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

世界遺産を見てきました。
チンパンジーのもろもろについてやっていましたが…チンパンジーにも文化があることに驚き。
文化と聞くと、人間の世界の話のように思えるけれど、それは違うんだなと。
少なくとも、人間以外の生物が(類人猿ではあるが)、人間と似たものを持っているということでしょう。
しかも、川を隔てて異なるということは、チンパンジーと一色にすることはできないのではないでしょうか。
人間といっても地域によって特徴があるように、チンパンジーにも特徴がある。
そしてそれは種族としてのものではなく、まさに環境によるものだから、人間の歴史を辿っていることも納得いきます。
うまくまとまらないが、ここで筆を置きます。

4ヶ月前 No.463

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

テレビを見ていて。
平安時代の貴族の家の壁はなかったようです。
四季折々の風景を家の中で楽しむための粋な策だったようですが。

今読み途中の本に西洋の建物と日本の建物の違いで、壁と屋根の違いが書かれています。
西洋だと屋根よりも壁が圧倒的存在感を出しているのに対し、日本では屋根の存在感の方が強いとのことでした。

西洋が壁を意識する理由は分かりませんが、日本では壁にそれほど執着がないのは、四季を楽しむためだったのかもしれませんね。
そして、屋根に工夫を施し(例えば反りなど)、屋根の方が存在感があるのは、壁の分まで屋根で雨や雪を凌ぐための策でもあったのかもしれません。
と考えました。

4ヶ月前 No.464

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

最近、ニュースもあまり見なくなった気がする。特に政治関係からは身を引いている。
昨日も、誰かが証人喚問として呼ばれたと言っていたが、正直本を見ていたら聞こえてきただけなので詳しく覚えていない。
日本をかけて議論をしているような政治ならば見る価値は十分にあるのだろうが、チャンネルをつければ不倫だの偽造だのと流れれば身を引きたくなる。
それよりも、今度道徳が授業となる中で頭の痛い話である。
もし「ニュースでこうなっていますが、道徳ではどう答えればいいですか?」などと質問された暁にはどう返事すればいいのか。
大人となり、組織という中で動くということは、いろいろと苦しいことなのは分かる。
それでも、誠実ではない姿を見せられて、君たちは誠実になってくれと言われても、説得力も何もあったものではないだろうな。

4ヶ月前 No.465

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

つくしは食べられると聞くが食べたことがない。
かつての日本では食べられていたらしいが。
れしぴとモノが手には入ればおもしろいな。
ためしに作ってみたい気がする。

ねたがふと頭の中に浮かんだので書いてみました。
たぶんに個人的な楽しみも入っています。
いまの気持ちをこそっと添えた今日の日記。

4ヶ月前 No.466

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

祖母も認知症と診断されたからかどうか知らないが、なかなかに扱いが難しくなってきている。
日常の諸々に関して、確実に混乱しているから手助けをすると、できなかったことについて怒りを私に向ける。(主に私を怒鳴ったり、私の人格否定をしたり)
だからといって、やりたいようにやらせると、できなかったことについて怒りを自分に向ける。(主に自分で自分の頭を殴ったり、自分で自分に呪詛の言葉をかけたり)
結局、できなければ、そのストレスをぶつけようとすることには変わりない。それが他人に向いているのか、自分に向いているのかの違いだけである。
でも、認知症だからそのストレスが消えることはない。どこかで受け入れるしかないんだよなぁ。

4ヶ月前 No.467

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

世界遺産でジャンヌダルク縁巡りをやっていましたね。
ジャンヌダルク…神の声を聴き、フランス国王成立と解放に携わった少女は、波瀾万丈な人生を駆け抜け、19歳で火炙りの刑によって命を落とすことになる。
確かにそれで、彼女は名前を知られることになったと言えばなったのですが…。
もし彼女が神の声を聴くことがなければ、もしかしたら平凡ではあっても、平和な人生で長寿を全うしていたかもしれない。
どちらがいいんでしょうね。
波瀾万丈に生き、短命であっても名を残す。
平凡で平和で、名を残さなくても長命である。
答えが出るような問題でもないし、たわいもない問題だと思いますが、最近はこういう話の最後にはどうしても考えてしまうなぁ。

4ヶ月前 No.468

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

「お茶とお菓子と本があればいい」という言葉を聞きました。
なかなかの組み合わせですね。
とあるスレでお酒とちょっとしたものと本という組み合わせを思いつきました。

さらにそこで出た、「どんぐりと山猫」
私が初めて大好きになった話だったりします。
小学校時代にこの話を聞くのが好きでした。
とりわけ、山猫に辿り着くまでに一郎君が奮闘する辺りがたまらないです。
そもそも栗の木やら滝やらきのこやらりすに道を聞きながらという発想は、日本独自に近いのではないだろうか。
さらにあの独特の擬声語である。
そしてなんと言っても、日常世界から非日常世界へとだんだんと近づいていく感覚。
( ̄△ ̄)y―~~~(うむ、いいものだ)

4ヶ月前 No.469

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

私が小学生か中学生だった頃、アニメで流れていた曲…。
久々に聞いたら、しみじみと感じるものがあった。
以前にマツコ氏かヒャダイン氏が言っていた、「私たちが心に残っている曲は青春時に聞いた曲だ」という言葉を思い出した。
最近の曲を聞いてもあまりしみじみと感じることが少なくなったのは、そういうことなのかもしれない。
でも、今の曲を聞いている、かつての私の年代の人は、あと数十年後にはしみじみと聞くんだろうなぁ。

4ヶ月前 No.470

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

人との接し方というのは難しいものがある。

「かくあるべき」と自分の何たるかを相手に押しつける接し方はもう論外だろう。お笑いでしかない。
しかし、自分が見ている相手像から、相手はこうだと決めてしまうのもアウトなのである。
ただ単に、自分が見ている相手像=相手という式は成り立たない。
あくまでも自分が見ている相手というのは相手の一部でしかなく、残りはできうる限り推測しないといけない。
それを間違えると、大変なことになってしまったりする。

子どもたちを含めて人と接するには、その人の過去を遡るように努めている。
どんな環境で、何を考えて、何を見てきたのか。
それを知り、こちらも多面的な見方をしていくことが必要だなと、この時期は改めて考えるようにしている。

4ヶ月前 No.471

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

「法律というのは実に面白い生き物だ。一語、一句、一行に重要な意味がある。だが、一番肝心なことは法律が生まれた背後のドラマだ」
というのは、故田中角栄氏が言った言葉であるという。

教育というものはどのようなドラマの元、生まれたのだろうか?
それを知っておかねば、教育を語ることは難しいだろう。
教育とは、そもそも大衆社会への移行とともに生まれてきたと言われている。
大衆社会への移行により、一般大衆、すなわち当時の立場的に弱い人々が不当な搾取等から抵抗できることを目的として生じたものである。
そして今、社会は大きく変貌し、教育の目的も変容を余儀なくされていることは確かだと思う。
しかし、教育とはあくまでも、何かしらの困りを訴えている人たちのためにあることだけは変えてはいけないことだと思う。
そしてその困りが例え不登校のような形になっているとしても。
様々な困難を乗り越え、自分で進めるようになる自信と力をつける支援こそが教育の根幹の1つだと、1年に一度は考える日がなくてはな。

4ヶ月前 No.472

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

ただ今、真夜中。こんな時間にバイクの爆音…明らかに暴走族ですな…。以前にも書いたけれど。
ここ二十年以上真夜中のバイクの暴走音などは聞いたこともなかったので、こんな田舎では暴走族は絶えたのだと思っていたが、また復活したのだろうか…。
いや、寧ろ復活しなくていいからねぇ…。
迷惑をかけてバイクで暴走して…なんて、後十年も経てば黒歴史として残るだけだと思うが…。
その時に身悶えるのか、それとも全く感じないか。どちらなんだろうか。

4ヶ月前 No.473

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

車に乗って運転をしているとふと思うこと。
最近は車の自動運転システムなどがニュースとして耳に入ってくる。
確かに、衝突防止システムやはみ出し防止システムなどの発展は目覚ましい。
しかし、どうにもこうにも「配慮」という面においてはやはり課題は山積み状態と言わざるをえないだろう。

例えば、信号が赤でありかつ車が多く、信号のある十字路の手前の十字路で止まるとする。(もちろん十字路の中程には入らずに)
その十字路から車が私の進む路線に曲がろうとしているので、前の車が走り始めても止まっていようとする。
すると、前の車との距離が開いているという警告音が鳴ったりするのである。
他にも、多分日陰と日向の境界にであろうが、反応し、衝突の警告音が鳴ったりする。

こういう状況を見ると、まだまだ最後は人の目で判断をしなければならない時期なのではないかと思う。
果たして、これらの課題が見事に克服されてAI中心の時代になるのか、さしものAIも人間を越えることはできないのか。
これは「人類は人類に迫れるのか」という問いにも変換できる。
どちらに転ぶとしても、なかなかに興味深いものである。

4ヶ月前 No.474

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

今日は我が家は荒れそうな気がする。
というのも、祖母に強めに言ってしまったからなぁ。
本人はふて腐れきっているので、1日は気分がなおらないだろう。
でも、何が何でもやってはいけないことはなんとしてでもやってはいけないのだと思い知らさせないといけない。
前夜に朝、昼、夜と分けた薬を、朝の薬がないからといって夜の薬に手をつけるという行為は絶対にしてはいけないと。(ただし我が家の場合に限る)
朝と夜の薬はほとんどいっしょなのだが、認知症を患っている状況でそれをされると目茶苦茶になるのは誰が見ても明らかだろう。
もし薬がない状況では、寧ろ薬を飲まないと教え込んだ方が無難である。
薬を重複して飲むよりはいいだろう。背に腹は代えられないのでね。

3ヶ月前 No.475

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

時代は今後どのような軌跡を辿るのだろうか?
そんなことを考えると頭に浮かぶのは、「画一化された個性」とも言える時代であると思う。
画一化と個性とは受け入れないような関係である気がするかもしれない。
でも、実際に画一化された個性が浸透しきっているのは確かである。
例えば、コンビニや大規模な薬局。コンビニではセブンイレブンやローソンなどが凌ぎを削っているが、ほとんど画一化されたようなものである。
大規模な薬局も、スーパーなどと何が違うのかと言われれば、似通っていることの方が多い。
その中でわずかな個性を発揮しようとしているのが現代である。
以前どこかで、わずかな差異を示すレッテルが消費者の目安になるような話を見たことがあったが、まさにそうだろう。
そして、今後はそれがより顕著にかつ幅広く人間自身にも浸透し渡るというのが最終段階である。
文化や思考、下手をすれば顔かたちまでほぼ画一化されるような時代ももしかしたら全くの的外れではないのかもしれない。
現に、整形などで一般にいう「美しさ」を手に入れたが為に、顔かたちが画一化されつつあるという国があるとニュースで聞いたことがある。
テレビでも、同じであろう。テレビ東京が今面白いと言われる理由は、画一化された個性から大きく飛び出そうとしているからである。
私が思うに、ここの議論板でも、一部その傾向が見え隠れしているスレもあることはある。
「みんな違ってみんないい」というキャッチフレーズが、「みんな同じでみんないい」に変わる日がそのうち来るのだろうか。
怖くもあり、見たくもある気がする。

3ヶ月前 No.476

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

プロではないお笑い芸人が、手塚治虫賞を受賞したというニュースがあった。
考え方やとらえ方はいろいろあるだろうが、私は現代を反映しているということを一番感じた。

例えば今、テレビ番組よりもYOUTUBEの動画の方を見るという話をよく聞く。
テレビの規制が厳しくなる中で、YOUTUBEの規制はまだまだ甘く、それ故ある程度幅広くできることが新鮮ということもあるだろう。
しかし、裏を返すと、番組シナリオのプロが敗北をし始めているという見方もできる。

文学賞などを受賞する人=プロという方程式はそろそろ考え直していかなくてはならない時期になっているのかもしれない。

3ヶ月前 No.477

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

先日に録画しておいたある番組を見ていたのだが、その中で脳死判定を受けた息子のために父親が病院に立てこもった事件についてやっていた。
その息子はドナー登録していたというので、早速病院側は臓器提供の準備に取りかかっていたとのことだった。
最終的には、その息子は脳死になっておらず、生き返ったという結末だった。
この父親は正当防衛にはならなかったようだが(なってもいいような気がするが…)、この病院の方はどうなったのか知りたい。
結局、脳死というのは他でもない、人が人の脳の状態を判断するのであって、言ってみれば不完全の中で行う危険な行為なんですよね。
以前に立花さんが脳死についてその危うさ等について論じていたが、まさにその通りだなと思う。
そして怖いことに脳死判定がなされ、臓器提供がなされれば、生き返る可能性があったのかどうかを調べる術はない。
果たして、この危うさは払拭される時が来るのだろうか。

3ヶ月前 No.478

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

人とは、往々にして自分が選んだこと、自分が持っているもの、自分が進んだ道とは反対のものに羨望を求めるものだ。

とりあえず、カレンダー通りのゴールデンウィーク、今日は家中のこたつをしまい、部屋の掃除をして終わりました。
休める日は休みたいと思うのだが、どうしても連休だと普段できないことをしてしまう。
掃除とか掃除とか掃除とか…。
そして休むという選択肢に向かって「羨ましい」と思っている自分がいる…。
なかなか2つはとれないからねぇ。せめて日曜日ぐらいは休めるようにしよう。そうしよう。

3ヶ月前 No.479

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

最近、視界のすれすれの位置で何かが動くように見えて、振り向くと何もないということが度々起こるようになってきた。
疲れているのか、目に何か異常があるのか、お迎えが近づいているのか…(ヲイ)
この日記以降書き込みが途絶えたらその時は…とならないよう生き残ります(^_^)ゞ
でも、万が一の時は、メビウスリングのことは忘れても、私のことは忘れないでください(逆)

3ヶ月前 No.480

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

認知症の年寄りの扱いは難しいなぁと改めて思った。
今までできていたことができなくなり、失敗すれば、ヒステリーを起こす。
ならばと言って支援をすると、プライドだけはあるからヒステリーを起こす。
結局どちらに転んでもヒステリーを起こすことしかできなくなるのだろう。
その果てには目のハイライトが消えたような状態で絶望しているわけだから手に負えなくなる。

以前は介護問題は会話でどうとでもなると思っていたが、なかなかそうはいかない。
これは文字通り、その環境にならないと分からないだろう。
自分が老いを感じ、かつそれを認められない状態なのだから。だからこそ周りが手をさしのべるのだが、さしのべるほど、前者を強く意識する。
それはまさにスパイラル。
それ故に、ゆくゆくは善意さえも悪意にとり、最後に残るのは負の感情だけとなる。
それが介護の問題の1つにあるのかもしれない。
善意も悪意にとられ、正の感情さえも負の感情でかき消されるような現場でそれでも、向き合っていく諦観のような気持ちも必要なのかもしれない。

3ヶ月前 No.481

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

日大のアメフト部のことが問題になっていますね…。
監督の指示があったのか否か…とりあえずそこには踏み込みませんが…。
個人的に、スポーツもそうであるが、試合などの前まではある程度何でもやっていいと思っています。
相手の情報を分析し、計画を立てて、勝率を少しでも上げる…大いにけっこうだと。
ただし、やってはいけないこともあり、それは試合本番に相手の寝首をかくような不公平を及ぼすこと。(ドーピングや悪質なプレイの計画などです)
試合が始まったら、もうそこは公平にプレイするべきだと思います。
公平に、そして死力を尽くしてのプレイは、勝っても負けてもかっこいいと思える。

でも、それをよしとしない流れがあるのだろうなと思う。
全てを勝負事にしか見れず、全てを勝ちと負けでしか判断できない流れ。
勝ちたい気持ちは分かるけれどね…それに全ての価値を投影して…かっこいいだろうか?
個人的にどす黒いモノを見ているようにしか思えないのだが…。お世辞にもきれいとは言えない。
もちろん、勝たねばならない試合というのもあることはあると思う。
だがしかし、それが全てに及べば単に…ねぇ。見ないほうが清々しいように思う。

一度やってしまったこと、起きてしまったことはもうリセットはできない。
今後はきれいでかっこいい試合が行われることを祈りたい。

3ヶ月前 No.482

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

( ̄△ ̄)y―~~(週1本ぐらいなら大目に見てよ)
私に何が起きたのかはご想像にお任せします。
5月11日が全て悪いんです(笑)

さて、世界遺産を見てふと思ったこと。
外敵から身を守るための方法として、擬態や警告などいろいろあるのですが、目玉というのも意外と多い。
蝶などが鳥のような目玉を羽の色に持つことで、敵から身を守るというわけですね。
ということは、蝶などを食べる小鳥などは、その天敵の大型鳥類の何を見ているのかが想像つくなぁと。
あえて目玉模様を強調するのだから、目玉を見て天敵か否かを判断するのではないでしょうかね。
少なくとも最重要箇所に目玉が関わっているのは間違いないのではないだろうか。
そんなことを思ったので、メモのように日記に残してみました。

2ヶ月前 No.483

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

愚痴も言わずに、いつも微笑んで場を和ませる…そんな人は安心もするだろうが、気をつけた方がいいこともある。
おそらくそのような人は3パターンになると考えられる。
1つは心から満ち足りている人。
次に強い心を持った超人的な人。
最後に、全てに絶望した人である。
笑顔の裏にあるものがなんなのか知らないと大変なことになるだろうね…。

2ヶ月前 No.484

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

6月という月は何かと忙しかったですね。
かりんとうさんの仰っていた3パターンも確かにありますね。

この間、いろいろと痛ましい事件が多かった。
ヤフーなどの記事を見てみると、いろいろな視点から書かれているわけですが…。
なんとなく「事件が起きる」→「ことの究明を求める」→「責任を追及する」→「責任ある場所を非難する」
というパターンで記事であったりコメントであったりが進んでいる気がする。
それはそれで大切なことではあるのだが、特に記事元になっているマスコミならば、もう少し進むべきではないかなと思う。
事件を解明し、責任を追及し、非難する。本当にそれで今後に繋がるのだろうかと。
日本は人目を気にして自己を律することが言われていたが、いまもまだその傾向は残っていると思う。
様々な事件を見るに、地域の繋がりの弱さが原因となっていることも否定できないのではないだろうか。
そう考えると、様々な事件が起きたとき、それらを1人1人が考えてみる必要があることを明示すべきなのではないだろうか。
自分たちの身近に苦しんでいる人がいないかどうか、そしてそれらの人々を見逃していないだろうか。そもそも、周りを見るだけの関係性を自分たちがとれているのか。
誰かの責任を問うこともさながら、責任の一端を自分にも向けてみることはあるべきだと思う。
意外と反省点は生じてくるのではないだろうか。そしてそこまでして、ようやく今後に繋がってくるような気がしてならない。

1ヶ月前 No.485

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

はれのひの社長逮捕がこの前ニュースになっていた。
いろいろと思うところがある事件だったが、この事件の影響として「現物の安心さの再確認」が生じるのだろうか。
レンタルの予約だと「現物」が自分の前に並ぶまでは、信用するしかないのだというある種の脆さがある。
そんな脆さが今後影響していくのだろうかと考えてしまう。

個人的に、そのために電子図書や電子マネーなどは手を出したことはない。
どれだけアナログなのだと思われるかもしれないが…。
とはいえ、アナログである私も、貨幣だけには頼らなくてはならない。
この貨幣ももともとは金という現物の仮?の姿的なものなのだが、これだけは信用せざるをえないだろう。
そう考えると、貨幣ほど信頼をされているものは少ないのかもしれない。
もっとも、今後はどうなっていくのか見通しが危ういところも事実ではあるのだが…。

1ヶ月前 No.486

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

奥井亜紀さんの「Wind Climbing〜風にあそばれて」を聞いていた。
「脇道を独り歩く そんな自分にみとれてみたり 歩き疲れたあの人へ 冷たい言葉を平気で放つ」
という歌詞にきたとき、ふと何かが繋がった気がした。

脇道を独りで歩く姿にみとれるんですよね。
歩き疲れた人に冷たい言葉を放つんですよね。
やはり…うん、深い内容だなとしみじみ思った。

1ヶ月前 No.487

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

ユクスキュルではないが、人も自分自身が見る世界が全てなのだろうと思う。
自分自身が歩んできたり経験してきたりした轍が自分自身の世界になっているのだろう。
それはそれである意味仕方のないことなのかもしれないが、他人の世界を理解しようとすることはできる。
もちろん、完璧には無理ではあるが、「例え少しでも」である。
それが不十分であったり、「理解できぬ」とばっさり切ってしまうと、大きな歪みになる。
例えば、政治家と現場が感じる温度差は上記によるものだろう。
ばっさりと切ってはいないだろうが、両世界の差が大きすぎる故だろう。

さらに、インターネットのような匿名性の大きい世界ではそれは顕著と現れる。
IT講師のあの事件やここの議論板などの1部のやりとりがそうだと思う。
この2つは規模こそ違えど、ベクトルは同じだと思う。
議論板などの1部のやりとりはまだまだ序の口だが、IT講師の事件は行き着くところまで行ってしまった気がする。

結局、他人の世界を理解するにはある程度の余裕と自律が必要なのだろう。
そして余裕のない社会とインターネットによる自律性の排除というものが課題の1つになっていくように思える。

1ヶ月前 No.488

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

ワールドカップ…結局1分さえ見ることがなかった。
勝敗の行方は翌日のニュースで話をそろえられるように知ればいいと考える人間なのでね。
今日のテレビで、午前3時からビールを飲みながら…というのをやっていて、「よくやるなぁ」と思ってみていた。
我ながら、つくづく、そういうのには興味を示さない人間だなと感じました(笑)

1ヶ月前 No.489

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

今更になりつつあるかもしれないが、異世界に転生やら召喚やらして云々というストーリーのアニメや小説?が最近のブームのような気がする。
この世界とは違う世界のストーリーというのは過去に嫌と言うほどあるので、特に表立って言う必要はない。
いわゆるファンタジーは、自分がいる世界とは文化も何もが違う世界にあこがれることは、一種の未知なるものへのあこがれに似たものがあるのだろう。

私が「ふむ」と思っているのは、転生やら召喚やらをしていることについてである。
地球の住人が異世界へと赴くということは、あこがれの一言では済まされない強さがある気がする。
異国における話はあくまでも地球が軸となり、どこか創作物的な感じを受ける。
しかし、地球の住人が何かしらの方法で異世界へとなると、そこにはある種の臨場感が漂ってくる。
私たちが住んでいる世界との共通点が出るのだから無理もない。

最近のブームはその臨場感によるものだと考えることもできるのではないか。
では、その根底にあるものが何かと考えたときに、やはり私たちの住んでいる世界に対する不満ではないか。
それは、倦怠かもしれないし、絶望かもしれない。
だが、いずれにせよ、この世界とおさらばして新天地で心機一転したいという願望が強くなっているからこそ、異国のストーリーではなく、異国への出発ストーリーがより評価を受けていると思う。
その考え方については賛否両論があるだろう。しかし、いろいろと1人1人が意識していかなくてはならないこともあるのではないか。

1ヶ月前 No.490

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

他人の家庭事情に口を出すとしたら、それは相当な覚悟を持った方がいいだろう。
よもや事情を全く把握しておらずに口を出す暁には、返り討ち必至と思った方がいい。

過去…自分が高校時代の時、親といっしょに動くことに批判的な先生がいたことを思い出した。
「大人になったら親と出歩くなんてバカなことはやめてください」とバカ丸出しな発言をしていた。
仮に、私などは親と出歩かなければ、親の生活が成り立たない。そんな事情もある。
それを知らずして言ったのであれば、口を滑らしたでは済まされないだろう。
気をつけたいものである。

1ヶ月前 No.491

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

松本被告の死刑執行が話題になっている。
松本被告が逮捕されたのが忘れもしない、私が中学生の頃だった。
地下鉄サリン事件が起きたのが私が小学生だった頃だったと記憶しているから、25年の終止符とも言える。
とは言え、松本サリン事件や坂本弁護士一家の事件が起きたのはもっと前である。
言ってみれば、平成という年はこのオウム真理教が影を落としていた年とも言えるだろう。
それだけオウム真理教が与えた影響は(悪い意味で)大きかった。
それ故、私としては、未だ解決しない面はあるものの、平成の年号が変わる前に、この呪いとも言えるモノに終止符を打ったのは正解だと思う。

もちろん、それで全てが終わったわけではない。それだけの爪痕を残したこの事件により未だ苦しんでいる人々がいる。
それ故晴れやかな終焉というわけにはいかない。それでも、今回の死刑執行は1つの区切りと十分に言えるのではないだろうか。

1ヶ月前 No.492

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

人というのは、自分以外の人によって自分を制することもできるし、暴走することにもなる。
そんなことを考えた。考えてみれば当たり前である。
特に日本ではそのような文化が培われてきたはずだ。

昨年度まではかなりすばらしいと思っていた人が、人事異動で周囲の人間が変わった瞬間に豹変したことには驚いた。
人はここまで変わるのだなぁとしみじみ思った。
昨年度まではかっこいいと思えるような人だったが、今ではハメを外した女王様気取りである。
しかも「白」のような人で、一点の飛び跳ねさえも許せないらしい。
まさに「世界は自分のために回っている」ような人に成り果ててしまったことは些か残念である。
もっとも、これが本来の性だったのだろうか。
いずれにせよ、素晴らしかった人だけに、この人の末路がろくなモノにならないうちに、気付いてほしいものである。

1ヶ月前 No.493

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

「オウム事件は嘘」そんな言葉にだまされるという記事があり絶句。
日本の犯罪史上でも確実に名前が載るだろう悪夢を嘘の一言で片付けることは信じられない。
とは言え、よくよく考えてみるとなるほどと思うこともある。
要するに、情報が氾濫しているのではないだろうか。

近年、私たちが手にする情報は私たちの身近で起きているものはごく少ない。
ほとんどが私たちからほど遠い地域で起きている情報である。
つまり、ここで私たちが手にする情報というものに対する実感が失われつつあるのではないか。
様々な情報に対して、どこか人事であったり、どこか現実かけ離れた非現実の写しであったりするのではないだろうか。

それに加えて、言わば「やらせ」である。
記事のねつ造などはインターネットでは珍しくもないようだ。現に「つり」という言葉もある。
それに何の意味がありどこが楽しいのか甚だ疑問ではあるが、それを楽しんでいるおかしな人たちがいるようだ。
そんな影響だろうか、ニュースや記事に対してどこか信憑性がなくなっているのではないか。
言うなれば、「おおかみ少年」の童話であろうか。

これらの影響により、風化させてはいけないような事件を風化させてしまうきっかけになっているのは皮肉な話である。
今後、さらにグローバル化する世界の中で生きるには、真実を見つける力なのかもしれない。
或いは、グローバル化とは正反対の方向性が求められているのであろうか?

1ヶ月前 No.494

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

しばらく前に、ツイッターで自分の子どもに「ゲームはクソ」と言ったとして話題になっていた教授がいましたね。
まあ、ゲームがクソかどうかに関してはこの際何も言いませんが、はっきりと言えることがあります。
その教授の子ども(だけではないと思うが)にとって、ミュージカルの魅力はゲームの魅力の前に簡単に敗れ去っただけです。
もっというのであれば、教授というモノを教える立場でありながら、ミュージカルの魅力を伝えきれなかったということです。
その腹いせが「ゲームはクソ」であっても、なんの解決にもなりませんね。
もっとも、子どもの時には分からず、大人になって気付く魅力なんてものは、山のようにあります。(ビールとかビールとかビールとか(やめなさい))
そんなにゲームが好きならば、もう否定せずにやらせればいいと思うのです。そこから、何か世界を広げるためのアドバイスにつなげようと努力する姿が見たかったかな。
教授という肩書きを持つ人であるならば。

29日前 No.495

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

THE 世界遺産で、マリーアントワネットのことをやっていた。
いろいろと悪評高い彼女であるが、考えてみれば14歳で祖国から遠く離れた国に嫁いだのだから、その苦労は計り知れない。
14歳と言えば、中学2年〜3年程度である。今の子たちがそれをできるかと言えば、まず、心が折れるだろう。
私の場合は確実に折れる(断言)
それを耐えたのだから、多少の我が儘は致し方なかったのかもしれない。
もっとも、市民側は我慢ならなかったのであろう。

ん〜、なんていうか…悲劇だなと言うより他方法はないのかもしれない。

28日前 No.496

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

以前のデイサービスが閉鎖になった時、また集まりたいとさんざん言っていた祖母。
そしてそのデイサービスのトップの人が関係を切らないように顔を見に来たら、手のひらを返したようにケアマネージャーに「迷惑」と伝えて、それが先方に伝われば、相手もキレるだろう。しかも私には全く相談なしにされたことだ。
デイサービスの相手からの私への電話に、私はただ謝ることしかできなかった。
そして未だに祖母はそのデイサービスのトップの人に罵詈雑言を繰り返している。
認知症だから仕方ないといえば仕方ないのだが、相談もなくめちゃくちゃに振り回されたあげく尻ぬぐいをさせられたという頭があると、「自分にも責任があるんだよ」ぐらいのことは言いたくもなる。
そしてそれを言っても、認知症なので響かない。これ以上いると泥沼化しそうだったので、早々に切り上げてきてしまった。
これでますます私は「冷たい、ろくでなし人間」という印象を持たれたかもしれないが、殴ってしまったり、暴言を吐いてしまうよりはいいだろう。
そう考えて納得することにしよう、そうしよう。

27日前 No.497

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

自分と相手の共通の敵を創り出して、相手と自分が結束する政治的手腕がある。
もちろん、政治に限らず統率において、そういう手腕はあるだろう。

しかし、それをケアマネージャーがすると、ここまで大変になるわけかとしみじみ感じる。
私の祖母のケアマネージャーがそんな人だ。
祖母が愚痴を言うと、家族やデイサービス方法を間違っているとして、「私はあなたの見方ですよ」アピールして仲良くしている。
その後、気が大きくなった祖母の調停をする私は余計苦労するのだけれどと思う。
まさかそれがケアマネージャーの仕事ではないだろう。それだったら、プロの資格などいらない。
そこらへんの誰かを雇ってくればいいだけの話である。

家族と当事者と施設、その仲介役や調停役をするのがケアマネージャーなのではないかと思う。
だからこそ、大変な仕事であり、尊敬する気落ちも湧くというものだ。
そこらへんのところを今一度自覚してもらいたいものである。

25日前 No.498

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

NHKスペシャルでやっていた「ともに生きる」を見てみました。
録画しておいたがようやく見れる余裕ができました。
2年前の相模原の事件関連のレポートとでもいうべきですかね。
「ともに生きる社会はどうあるべきか」が最後に問われていましたが。

個人的な感想としては、「共感する社会」が「ともに生きる社会」の1要因だと思う。
「育児についての事件」や「介護問題」なども一見ばらばらかもしれないが、根底で繋がっている気がする。
当事者と関係者だけの問題にして、彼らにほとんどの責任がいってしまっているという根底である。

「それはお前の仕事だろう」、「お前だけが苦しいわけではない」
こんな言葉はネット記事へのコメントを見ると、どこかで見たことはあるだろうというぐらい書かれている。
当事者と関係者だけの問題にして共感していないのである。これだと精神的に孤独感にかられ追い詰められていく。
「共感されないから共感しない」そんなベクトルなのかもしれないが、それを転換し「共感する社会」にしていくことが必要なのではないか。
組織の強さというのは人間関係の強さとも言える。人間関係を強くすることは、共感することだろう。
当事者と関係者そして周りの人々が共感する社会作りが今後に課された課題ではないだろうか。

23日前 No.499

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

いつの間にかメイン記事も500に達成し、サブ記事との差が埋まりつつある。いいことだ。

狐という動物は日本文化にとって、かなり面白い立ち位置にいる生き物だと、本を読んでいてふと思った。
そもそも、狐というとどんなイメージがあるだろう?
狸と並び人を化かす妖術の使い手としての狐だろうか。
稲荷神の使いという神格的な立ち位置の狐だろうか。
実は日本文化において、狐というのはこれら2つの面を併せ持っている。
害獣と聖獣という全く異なる面を持った動物というのも珍しいのではないかと思う。

異なる面を併せ持つというと、私は自然というものへの見方を思い出す。
自然は人間にとって2つの異なった面を持っていることは確かだろう。
ではなぜ狐が2つの異なった面を持つことになったのか。自然との関わりはあるのか。
そんな考えも出てくる不思議な生き物だなと思った。

22日前 No.500

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

マリーアントワネットの後半を見てきました。(世界遺産)
マリーアントワネットが最後に行き着いたのが農業というのに意外でした。
14歳でオーストリアからフランスへ嫁いだわけですからね。その苦労は想像を絶するものだったのかもしれません。
しかも王宮ではプライバシーゼロは病みますね。確かに。
そしてさらに、自分が拠り所としていた母を亡くしたわけですから。
もしかしたら人は最後には自然にかえるのかもしれません。
地位も、名誉も、財産も全てから遠ざかり、ただただ自然に戻る。
もっとも、人間も自然の1部であるのだから、その可能性は大いにあるのかもしれません。
そんなことを考えた30分でした。

21日前 No.501

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

暑さと近所と桃の話

今の3大迷惑話を構成するとこうなった。
今年のこの暑さは言うまでもなく、迷惑以外の何物でもない。度を超えている。
そして私のご近所に1軒ゴミ屋敷へと進化(?)している家がある。
最近、私の家の周りにやけにゴミが多いと思ったら、その家から舞ってきたゴミも含まれていることが判明。
この上なくご迷惑である。
最後に桃の話。桃自体は美味しかったですよ。間違いなく。
迷惑なのは、その桃の1部が、指の形に悪くなっていたこと。
うん、店の人の言うことを聞かずに、桃を押して、固さを確かめたおバカがいたわけだ。
という3大迷惑の話でした。

19日前 No.502

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

本をホチキス止めしてズタズタにする事件があったというニュースを見た。
これをした奴の気が知れないし、知りたくもない。
本の有り難みというのはどのような変化を遂げているのだろうか。
もっとも、今やインターネットで本を読める時代だから、紙で作られた本に何ら執着がないという見方もできる。
しかし、そうではないんだよね。やはり最後は手に取れる本が一番だと個人的には思っている。
そんな意味でも、犯人を特定してキビシくやって欲しいものだと考えている。

18日前 No.503

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

ウィキペディアなどのインターネット上の情報提供サイトがあります。
私もよく使ったりしますが、事例を知る目的でしか使わないのが現実です。
詳細を調べようとしたら、やはりウィキペディアでは力不足だと思う。
そもそも、カテゴリは辞典なので仕方ないですが。

法律などは特に顕著だと思います。条文があって解釈がある。
ウィキペディアには解釈の細かいニュアンスなどはやはり省かれている感が否めません。
その細かい部分を知るためにはやはり本を読むことなのかなと思います。
それも複数の。そうすることで、片方には書いてないことが一方には書いてあったり、+αの情報が得られたりする。
それこそが本当に自分の力になることじゃないかと思いますね。

16日前 No.504

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

コインランドリーに行ってきました。
洗濯が終わり、帰ってくるときのこと、そこにいた1人のおじいちゃんが…洗濯機の前で服と下着を脱いで洗濯機の中へ入れていた…。
当然おじいちゃんは「見せられないよ」状態で…。
おじいちゃん、それ公然わいせつで逮捕されても文句は言えないレベルです。
トイレか車の中でやってくれと思いつつ帰ってきました。
いくら暑かろうが汗をかこうが、人から見えるところで裸になってはいけませんね。

15日前 No.505

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

介護をすることは憎まれること。
そんなことを考えた。もちろん賛否両論はあるだろうが。
本人が今までできていたことができなくなってくることに対する劣等感は、憎しみや嫉妬へと変化する。
それは誰に向くか。介護をしている人へである。
つまり介護をしようとそばにいればいるほど憎まれていくのではないだろうかと。
もちろん、感謝をしてくる人も数多くいるので、一概には当てはまらないことは重々承知している。
ただ、それをしてなお、否定しがたいような気がした。

14日前 No.506
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