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 ( 中級者 小説投稿城 )
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箱ティッシュ ★oRKQWtvOjh_XaU

短編を新旧問わず無秩序にぶち込みます。続くかもしれないし続かないかもしれないし、エロいかもしれないしエロくないかもしれないし、もうどこでなにしてるのかわかんないしね、ノープランです。

一話あたり投稿1〜3回ぶんくらいだよ。

4年前 No.0
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箱ティッシュ ★oRKQWtvOjh_XaU

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4年前 No.1

箱ティッシュ ★oRKQWtvOjh_XaU

「補助線.1」

 四年前の写真週刊誌に篠さんのことが載っていた。

 ――死亡、重体、アパート全焼、美人、包丁で、内縁、腹部を刺され、泥酔、未遂、病院へ搬送、迷惑、不遇、指、指が。

 拾い読みしただけでわかる。つまらない記事だ。ここに書いてあるのは、大衆好みにデフォルメされた悲劇でしかない。せっかくあの男が主役の話だというのに、もったいないことだと思う。
 それはネット検索にもかからない、ありふれた事件である。都内にある専門の図書館でようやく見つけた週刊誌は、時間が経っているにも関わらず驚くほどに綺麗だった。きっと誰の興味も引かなかったのだろう。
 太すぎるゴシック体で書かれた「無理心中」という言葉が、なんだか酷くはしたない気がして雑誌を閉じた。




 誰が死のうが生きようが、世界にかかる負荷は実のところほとんど等しい。だから、本当は、誰が何百年生きていても問題はないのだ。それをふまえてなお、篠さんは四年前に死ぬのが適切だったと私は思う。




「愚鈍であること自体が人間のクレバーすぎる機能美でして、正直なところ、俺は、こんな姿になった君を見ても罪悪感なんてちっとも覚えません。まぁつまり、君を可哀想だと思ったそれは、俺のエゴに過ぎないということですが。だけどこの篠さんを見くびってもらっちゃあ困ります。そんなふうに思い至った根底に、たくさんの優しい人たちによって刷り込まれたあざとい道徳があったわけではないのですよ。そうそれは同情よりもずっと悪辣で、軽蔑よりはいくらか華やかな、血の通ったぬくい感情であると生娘みたいに信じているのです。ようするに俺は君が大好きです。だからそんな、そんな、人を小馬鹿にしたような目で俺を見るのはやめてくれませんか。やっぱり君も俺を蔑んでいるんですか。そんなに俺は惨めで滑稽ですか。きっ、君、君は本当に酷い目で俺を見るんですね、そんな目で、お、俺を見ないでくれませんか、見ないでくれませんか。畜生! どいつもこいつも舐めやがって! どうせお前も俺を見て笑ってんだろ、馬鹿にしてんだろ、死ねばいいと思ってんだろ、もうや
めてくれよ怖いよ嫌だようあああああああ!」


 篠さんがサンマの塩焼きと喋っていた。週刊誌を見た晩のことである。
 サンマが好きだと言うからわざわざ買ってきたのに、これはどういう了見だ。私は、篠さんの横に座って大根をおろす。それくらいは篠さんにやらせてもいいのだけど、彼は大根をおろすのが下手だった。篠さんの大根おろしはからいのだ。
 冷蔵庫から出したばかりの大根は、手がかじかむほど冷たかった。曖昧な白さの大根おろしを小さな器に移し、手を洗うついでにおろしガネも洗った。篠さんの隣に戻ってきて、いただきますと手を合わせたら、両手の指をまとめて篠さんに掴まれた。


「冷たいね」


 篠さんの手もべつに暖かくはなかった。半端な体温を交わす。
 彼は浮気っぽい瞳をうっとりと細めて囁いた。


「いいなぁ、十本もあって」
「離してよ」


 そんな冗談が通用してたまるか。
 篠さんは、惚れ惚れするほど上手にサンマを食べた。サンマが好きなのは本当のようだ。利き手ではないのに器用なものだと感心したのは最初だけで、もう何も思わない。
 茹でた小松菜と炒りたまごとしらすを和えたおかずの小鉢が、食卓の隅に追いやられていた。彼は一度もそれに手をつけていない。ホウレン草だと思っているのだろう。


「篠さん、それ小松菜だから食べな」
「あ、そうなの」


 小鉢を箸で引き寄せようとする篠さんの手を、ピシャリと叩いた。
 彼は何もしないけどご飯だけは残さず食べる。彼の嫌いなものを、食卓に出したことがないからだ。残されたらもったいないし、好き嫌いを克服した程度で、この男に未来が見えるとも思えない。


「ヨヨギちゃん、さっきは取り乱してしまってごめん」
「いいえ、紳士的で素敵でしたよ」
「……怒ってるんだろ」
「いや、前から機嫌が悪いだけ」


 今日週刊誌を見たことを打ち明ける気はなかった。


「ごめん、サンマが大好物だから、ちょっとはしゃいじゃっただけなんだ。今度は行儀良くするからまたサンマ焼いてよ」


 篠さんは料理ができない。以前はできた。おそらく、もうこの男は包丁を持てない。


「じゃあ、食べ終わったらお皿を洗ってくれますか」
「嫌」
「だったらせめて風呂を洗ってくれよ」
「嫌」

 頑ななまでに怠け者なのが篠さんだった。
 頼んでも叱っても、やりたくないことは絶対にやらない。彼は、放っておくと、見ていてぞっとするほど何もしない。


「あと、貸した金返して」
「本当にごめんちょっと待って」


 それきり、次の朝まで会話はなかった。

 翌朝、篠さんは私が起きる前にでかけたらしい。
 早起きではなく徹夜して朝に家を出たのだろう。目がさめて、まず、隣の布団がもぬけの殻なことに驚愕した。あの男は布団すら畳めないのか。日曜日なのに篠さんが傍にいないことが腹立たしい。
 手を伸ばして篠さんの掛け布団を引き寄せた。冷たくて埃っぽい。それを抱いたまま再び目を閉じた。

 そうして、次に起きたら正午だった。カーテン越しに差し込む陽の光が眩しくてけだるい。篠さんは、まだ帰ってこない。無理に寝坊したせいで頭が痛かった。
 毎週日曜日は、篠さんを車の助手席に乗せてショッピングモールに行く決まりなのに。
 ショッピングカートすら押してくれないあの男は、私と外を歩くとき、絶対に右手をポケットから出さない。無遠慮に降り注ぐ好奇の視線に私を巻き込むのを避けるためだ。普段何もしない彼が、それだけは恐ろしく自然に、完璧にやってのける。誰かを守るということは、そういうことではないと思いたい。
 サンマの塩焼きに話しかけるほど、彼はイカれていないのだ。昨夜の言葉のほとんどは、きっと、私に言ったのだろう。
 手前勝手な感傷で私が泣こうとしたとき、玄関の鍵が開く音がした。
 震えるほど大きな安堵を噛み締めている場合ではない。私は布団から飛び起きて洗面所に飛び込み、歯ブラシを口に突っ込んだ。
 私は、さもありふれた日常を演じようと必死だった。今日という日にイレギュラーなことはひとつもない。四年前の今日何が起きたかなんて、私は知らない。そうでなければ、彼はここへ帰ってこない。

4年前 No.2

箱ティッシュ ★oRKQWtvOjh_XaU


「補助線.2」

 彼が人前で右手を見せないその姿勢に、迎合してやろうと思った。そう思ったのに、篠さんのほうが駄目だった。


「見てよ、すごいでしょ」


 洗面所の鏡に、豪奢な花束を抱いてはにかむ篠さんが映っていた。
 彼のスーツ姿をはじめて見た。ちっとも似合っていない。私は振り向くことができず、歯を磨き続ける。
 ピンクのスイートピーが主役の、可愛らしい花束だった。透明なセロハンとレース模様に切られた紙に包まれ、持ち手に金色のリボンをあしらってある。それは、素晴らしく特別な日に贈る花束だと思った。優男が持て余すほどに華やかだ。


「好きな子がいたんだ」


 篠さんはそう切り出した。私には身構える暇さえない。


「その子のために買ったんだけど、その子の家族にいらないって言われちゃった」


 穏やかに微笑んでいるその足元は、靴を履いたままだった。


「昔のことだけどね、昼間からうんと酒を飲まされて、へんだなぁと思ったんだ。そんなことをしたらいつもはすごく怒るのに、その日はにこにこしながら酒を注いでくれんの。一緒に飲もうって言っても、やっぱりにこにこしながら首を振るんだよ。酔っぱらってたからさ、たくさん酒飲めて嬉しかったんだけど、おかしいなぁとは思ってたんだ」


 私はこの話の続きを週刊誌で読んだ。


「そうしたらさ、刺されちゃったよ」


 同棲中の男性を刺し、部屋に火をつけ自らも腹や胸を刺し死亡。男性は病院に運ばれ重症。なお抵抗した際に、男性は――


「やっぱり痛いね、酔っ払ってても痛いものはすごく痛いね。あの子も普通の女だったから、そんなに要領良くはいかなくて、俺、脇腹一回刺されただけじゃあ死ななくて、包丁を掴んだんだ」


 片手に余る大きな花束を、人差し指と中指のない右手が支えていた。
 残った指も神経が傷付いたせいで自由にならない。左手が綺麗な理由は、掴んでいたのが彼女の腕や肩だったからだろう。


「そこからはもうわけがわからなくなって、そのときの俺には死ぬ以上に楽なことが思いつかなかったんだけど、それでも包丁を掴んだんだ」


 洗面所の磨りガラス越しに薄日が射していた。暖かな陽射しが篠さんの肩に落ちる。私は歯を磨き続けた。
 今日が晴れていてよかったと思う。雨の日は、刺された腹が痛むらしい。そう溢したときの彼ときたら、生涯一番の失言をしたような表情だった。


「酷い怪我をしたから、あとのことは全部人任せにしちゃったよ。アパートが燃えたことも知らなかった。病室に来た自分の両親に土下座しました。障害者になってしまって本当にすみませんでしたって言った。いろんなことがそれっきりだ」


 指の付け根や手のひらにも、一直線の傷が無数にある。平行なものはひとつもない。どれも歪に重なりあい、当時彼が生々しく足掻いた軌跡を辿るようだった。


「だけど考えてみれば、死にたくない理由はとくになかった。だってあの子のことは本当に本気で好きだったんだ。条件反射で、生きたいと思ったらこれなんだ。ヨヨギちゃん、生きようとした結果がこれなんですよ、びっくりしちゃいますよね」


 歯を磨いていなかったら、両手を合わせて祈っていたかもしれない。どうか、今、死にたいと言ってくれ。
 意外にも確かな足取りで歩み寄ってくる篠さんに、鏡の中の自分が掻き抱かれるのを見た。
 抱きついてくるその身体が、いつもよりずっと暖かくて柔らかい。溶けてなくなりそうな身体だと思った。篠さんからは日向の匂いがした。床に落ちた花束を踏みにじる。私は、震える呼吸をただ聞いていた。


「ヨヨギちゃん、それ、俺の歯ブラシです」


 篠さんは泣いていた。
 口の中から出した歯ブラシは、歯茎から出た血で真っ赤だった。尋常じゃない量の血液と歯みがき粉で泡立った唾液が手首に伝う。鮮やかな赤だった。


「俺、潔癖症ってわけではないし、チューしたら普通に舌入れるけど、でも歯ブラシは、ちょっと……」


 彼は歯ブラシとはまったくべつの理由で泣いている。
 私は滞りなくうがいを済ませ、ゴミ箱に歯ブラシを投げ捨てた。取ろうとすると逃げる右手をようやく掴んだ。


「死にたいって言ってくれ」
「嫌」


 背中から離れた篠さんが、落ちていた花束を拾い上げた。うなだれたスイートピーを指先で整える。花びらが白い床に散った。
 そうして、傷だらけの手のひらで頬を拭い、小さく息を吐く。それからはもういつもの彼だった。通り雨のような激情だったと、過ぎ去ってから思う。


「ヨヨギちゃん、ちょっとでいいから、俺に期待してくれませんか」
「……どんな?」
「見事に過去を乗り越えた俺が幸せになって仕事とかも見つけて、この先ずっとヨヨギちゃんのことを誰よりも好きでいるって信じてよ」


 最大級のスケールで描いた理想がその程度とは、なんて気の毒な男だろう。そんな幻想を捨てきれないから生きているのか。


「ねぇ、誰かを信じるっていうのは、裏切られても失望しないことなんですよ。ヨヨギちゃん、俺を信じてくれますか」


 篠さんがやんわりと笑顔を見せた。それは酷くがらんどうで、優しい。
 誰が死のうが生きようが、世界にかかる負荷は実のところほとんど等しい。だから、本当は、誰が何百年生きていても問題はないのだ。だけど、死ぬより優しい結末が用意されている人間なんてひとりもいない。篠さんはそれをとうに知っているはずだ。
 篠さんが好きだ。死んだほうがいいと思う。人でなしと罵られようが、私は彼が死ぬことを願っている。彼の右手に引かれたたくさんの傷を補助線にして、勝手に推し量った答えがそれだった。これが正解だとは思いたくない。


「八方塞がりだよ、畜生」
「そうだね」


 いつのまにか、泣いているのは私だった。


「補助線が足りないんだ。もし私が何かにおいて天才的だったら、きっとべつの答えが見つかると思う。この問題に取り組んでいる人間は、たぶん私ひとりしかいないんだ。でも、補助線が足りなくてだめなんだよ」
「うん」


 宥めるように頭を撫でられる。ぎこちない手つきなのは右腕だからだ。いまだに、とっさに出るのは右手なのだ。


「補助線とか問題とか正直よくわかんないけど、とりあえず今日はショッピングモールにつれてってよ」
「うん」
「……すごく長い間考えててよ、その問題」
「うん」
「その、よくわかんないけど、俺がんばって新しい補助線作るから、泣かないでよ」
「もういらない、作らなくていいよ。絶対にいらない」


 ひさしぶりに泣いたので勝手を忘れてしまった。
 嗚咽を止められず、息の仕方がわからない。なぜだか噎せてしょうがない。傍で見ている篠さんが動揺するくらい盛大に咳き込み、口元を抑えうずくまる。


「え、ヨヨギちゃんあんたまさか、つわり? まじかよ俺人生終わった」


 私の背中をさすりながら、妙な勘違いをした篠さんがケラケラ笑う。とっくの昔に終わっているじゃないかと言ってやりたい。
 たとえ人生が終わっていても、この男は笑うのだ。素晴らしい。早く死ね。
 自棄になって篠さんに抱きついた。ボロボロの花束がふたりの間で柔らかく潰れる。


「ヨヨギちゃんったら、いつになく大胆ね」
「こんなことはこれっきりだ」
「お嬢さん、こんなことをしてたら日が暮れますよ」
「もしかして、今、幸せ?」


 篠さんが笑い、軽やかに答える。


「そんなわけないじゃん」


 私は鏡の中の泣きっ面の口元に、血と唾液で濡れた指で弧を描く。笑え。


「不正解」


 欲しい答えに辿り着けない。


4年前 No.3

箱ティッシュ ★oRKQWtvOjh_XaU


「11月11日」

 酒を飲んだ夜は眠りが浅い。控えめな量のアルコールが逆に意識を煩雑にするのかもしれない。眠ることに集中しようと布団の中でせわしなく寝返りを打ち、翌日目をさます頃にはすっかりくたびれているのだ。
 ベッドにうずくまったまま、赤く染まった室内に視線をさまよわせる。一瞬、これは朝焼けかと錯覚した。夕方五時を告げるサイレンが彼の空虚な意識を満たす。
 長いあいだめくり忘れていたカレンダーは春の日付で、更新通知メールを受け取っていた君のブログは去年の夏の日付で、冷蔵庫の牛乳は七日前の日付で、彼を取り巻くさまざまなものは、過去の日付のまま一切の更新をやめていた。
 時間というやつは積み重ねるものだと思っていたけど、違う、すり減らしていくものだ。ゆっくりと起き上がるとかすかに背骨が痛む。自他の境界線すら曖昧な、膨大な無意味と無関心を背負うあまりに細い一本のそれは、きっとこれからも緩やかに歪む。
 昨夜片付け忘れた缶ビールは西陽を浴びて逆光に黒く塗り潰されていた。乱立する缶の群はまるで都会のビル街のようだ。窓の向こう、斜めに傾いだ空はいったい誰の呼吸に合わせているのか、赤く赤く磨耗していく。晩秋の空の茜色は儚い。
 朝食、昼食、夕食、という三つの区別はいつのまにかなくなった。半年洗濯せずに放置したテーブルクロスをついにゴミ箱にねじ込んだのはいつのことだったろうか。ダイニングテーブルは鞄や手紙、不要書類など、食事とは無関係の物たちに占領されている。今は電子レンジや本棚の上で飯を食っているのだと知ったら、君はどんな顔をするだろう。
 冷凍食品のパスタを暖めるあいだの二分半。電子レンジの中で不恰好に回り続けるパスタを眺める。君と過ごした一年四ヶ月、君がいなくなってからの一年、どちらも、この不恰好な二分半と大差ない。あの頃の空気の密度は時間とともに去り、現在は端的な記憶ばかりが点々と取り残されている。二分二十秒を過ぎたところで電子レンジを止めた。
 もしも彼が二分三十秒きっかり電子レンジの前に立ち尽くしていたら、そのとき携帯電話が鳴ったことに気づかなかったかもしれない。しかし偶然は訪れた。彼は電子レンジから離れ、携帯電話の受信ボックスを開く。登録していないアドレスからのメールだった。それにもかかわらず、彼は差出人が誰だかわかってしまう。メールの内容は簡潔だった。

 今日、何の日かわかる?

 一年振りの君からのメールは、照れ隠しだろうか、他愛のない文面だった。
 彼は湯気を立てるパスタに背を向けた。このメールに返信するには、少なくとも十五分はかかる。もう一度メールを読み返したら、彼は冷めていくパスタのことなどすっかり忘れた。
 携帯電話を片手に、引き出しの中から封の開いた煙草を取り出す。しまっておいたというより、捨て忘れたものだ。もう長いあいだ吸っていない。ライターが見つからなかったのでコンロを使って火をつけた。湿気た煙草はなかなか火がつかず、ようやく煙を吸い込んだらあまりのまずさに少しむせた。自分の挙動の馬鹿らしさに思わず笑ってしまう。笑みの形に歪めた頬の肉はひどく重く、動かすのがだるかった。彼は、ひさしぶりに笑ったのだと気づく。
 今日は、何の日? 携帯電話のディスプレイには、十一月十一日と表示されていた。アラビア数字の1がたくさん並ぶ、今日は……。

 ポッキーの日?

 結構ひどい別れ方だったのになぁ、と彼は呟く。ひどい別れ方だったのに、こんな冗談も言えるようになったのかと思うと、少しずるいけど、救われる。時間が過ぎるということは、すり減らすばかりでは、失うばかりではなかったのだ。こんな冗談を言えるようになるくらいには、君の一年は穏やかだったのだ。
 十一月十一日がポッキーの日だなんて君はいつから意識していたのだろうか。バレンタインデーで味をしめた製菓会社の陰謀に感謝したい。彼が煙草の不味さに辟易している今だって、きっと君は頬杖をついて微笑んだりしているのだろう。思い出さないようにしていたら、本当に顔を忘れてしまったけど。もう忘れてもいいと思えた。どうかこのまま君の穏やかな生活が続きますように。
 メール送信ボタンを押し、たくさん並ぶアラビア数字の1を再び眺め、「送信しました」と表示される携帯電話のディスプレイを確認し、彼は気づいてしまった。十一月十一日……今日は、今日は君の誕生日だ。


「おめでとう! ごめん、ちょっと待ってさっきのはうそ、誕生日おめでとう!」


 かつてあれほどためらっていた電話番号に迷うことなく電話をかけ、君の番号が昔のままである幸運に考えをめぐらすひまもなく、君が電話に出てくれたという事実が何を意味しているのかも知らず、一人きり静止していた薄暗い部屋の中、携帯電話の発信履歴に新しく今日の日付が刻まれたことに感激するのも忘れ、あとはもう勝手にあふれる言葉を止められなかった。





―――――――――――
11月11日ポッキーの日にちなんで書きました。

4年前 No.4

箱ティッシュ ★xBGB3N3e5f_zuL

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4年前 No.5

箱ティッシュ ★xBGB3N3e5f_zuL

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4年前 No.6
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